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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    ~2014 シアターコンサートin新橋演舞場 5月31日(上)のつづき~
     
    第二部  七回忌に偲ぶ 遠藤実スペシャル~決して散らない花々
     
    イメージ 330分の休憩の後、第二部開演です。南座、中日劇場、新歌舞伎座・・・各会場でそれぞれの季節に合わせた色合いの衣裳をお召しになっていましたが、今回は、純白のスリーピースです。中のシャツは、濃い目のパープル、そしてペンダント。色白の舟木さんには、淡い色もお似合いですが、やはり、なんといってもデビュー当時の清潔なイメージカラーは白、しかも眩しいほどの純白でしょう。その白のせいか、お顔の色が、ほんのりとピンク色にみえて、なんだかドキドキしました(笑)シックな大人の色も、鮮やかな色も、ファンの皆さんが大好きな黒のフォーマルなタキシードも、そして今回のような純白も、本当に何を着ても、ちょっと憎らしいほど素敵なのは、どういうわけでしょう。衣裳に負けないだけのオーラというものなのでしょうか。歌舞伎の坂東玉三郎さんが、豪華な、傾城の打ち掛けや俎板帯をさえ圧倒してしまうほどのオーラを感じさせるのと同じような印象をいつも感じてしまいます。
     
    二部は、緞帳が上がると、舞台中央に、その純白のスリーピースの舟木さんが現れます。
     
    (舟木さんのトークはピンク文字です)
     
    イメージ 4
    では、二部は遠藤実スペシャルということで、遠藤先生の最初のヒット曲「お月さん今晩わ」を原盤で聞いていただきます。遠藤先生が24歳、かずおちゃん12歳の時・・
     
    お月さん今晩わ
     
    当時は、同時録音ですから、いかに先輩がしっかりしてたか、私は、「高校三年生」で経験したので、緊張がわかります。ローカルな雰囲気を出そうと苦労されたと・・ふつうなら・・とごくフツーに「こんなさびしいぃ田舎の村で♪」となりますが・・と歌ってから、「いんなかのォ♪」とうたマネしてみる舟木さんにまたしても拍手。
    遠藤実スペシャル~決して散らない花々・・演歌95%、先生の肌触りを感じていただけたら・・この3曲から・・・
     
    十字路
    くちなしの花
    すきま風

     
     
     
     
    みっつとも俳優さんのお歌いになった歌で、ひとつめが、小林旭さん、ふたつめが渡哲也さん、みっつめが杉良太郎さん。遠藤先生は、俺は自分が書きたいメロディーで作っているのもあるけど歌う人の個性を最優先して書いてるつもりだとおっしゃっていましたね・・とり蕎麦食べながら・・あまりご一緒に食事をしたことはなかったそうですから、余計にお蕎麦を御馳走になった時の先生との会話を印象深く覚えていらっしゃるのかもしれないですね。いつか舟木君には「湖畔の宿」みたいな歌を歌ってほしいとも・・さすがに本質を見抜いてるというか、すごい人だなァ!と・・
    歌ってものは上手けりゃいいってもんじゃないですね。雰囲気が伝わらないと・・「くちなしの花」も、歌い手がきれいにセイリして歌うより、渡さんのように武骨に歌うのがいい、最初に「肌触り」と申し上げたのはその辺なんですが・・・ここでふたつ並べたのは「男唄」と「女唄」

    イメージ 5からたち日記
    星影のワルツ

    この2曲は、ひとつひとつの音をとても丁寧に置いていかれたという感じがしますね。こうやってインストゥルメンタルで聴いていただくと(「星影のワルツ」客席にあの魅力的な背中をみせて・・・)もともとのメロディーの美しさがよくわかっていただけると思います。遠藤先生は5000曲以上の曲を作っていらっしゃるので、1000とか2000とかの個性に向かってメロディーをお作りになったんですから、それをこれだけのステージでやろうなんてことは乱暴きわまりないハナシですが。

    私の「高校三年生」「修学旅行」「学園広場」・・など、ああいうものをやらせていただく前は、「学生時代」「鈴懸の径」とかあったんでしょうが、こんなにかたまって青春ソングを歌ったアホはいないでしょう。その前の青春ソングのヒットというと「若いふたり」にしぼられてくるでしょう。

     
    若いふたり

    イメージ 6ドドンパのリズムにのって、楽しそうに笑顔がこぼれて、はじける舟木さんでした。このあたりから、本調子という感じで、徐々に尻上がりになって盛り上がっていくのを感じました。
    この頃、先生はドドンパのリズムに凝ってた(笑)一時ネ・・二時までは行かない(笑)とダジャレも飛び出します。
    今回、遠藤実スペシャルで、あえてこれはよそうと思ったのは「困っちゃうな」と「おひまなら来てね」・・
    ネ、僕が歌うと、気持ち悪いでしょ(笑)西條先生の「こうして、こうすりゃ こうなると」も大した粋ですね。
    「ブンガチャ節」・・「恋の病でお医者を呼んで、氷枕で風邪ひいた」・・これなんかも粋ですよね。
     
    詩人、作曲家、アレンジャー、歌い手、この四つがある時代の中できれいに出揃って出会うというのは、めったにない・・これは「雨の夜に星」みたいなもんで・・言う事が古いね(笑)
    一人が5年連続ヒットを飛ばし続けていくのはむつかしい・・
    (これは舟木さんの実感でもあるのでしょう。)
     

    僕なんかもう同年代の人の方しか向かない、嬉しいのか悲しいのかわかりませんが(笑)
    錦之介さん、橋蔵さん、雷蔵さん・・右太衛門さんや、千恵蔵さんにはちょっと合わないという人が、そっちの方に行く、これは新しいお客さんが増えるということですからね。
    このあたりのトークの展開は舟木さん独特の回路で、「インスピレーショントーク」(私が勝手に名づけた)の世界ですので、私自身も、舟木さんの回路を、好きに解釈してます(笑)
    6月にデビューした時は、現役時代の学生服を着てたので、遠藤先生が、薄物の生地で紺と黒の学生服を作って下さった。「赤詰コンサート」の時にも作っていただきましたが・・
    遠藤先生の代表的な股旅ものを二つ並べてみました。

    イメージ 7天竜母恋い笠
    旅鴉
     
    ひとつ目が、ひばりさん、映画にもなったんですが、その頃、僕は映画少年でしたから、たいていの映画は見てます。ふたつ目はテレビの長谷川伸シリーズの主題歌、これなんかは、時代、歌い手の勢いが上手く出会った曲。もともと、こういうメロディーラインは遠藤先生が得意とされていたものだと思います。こういうジャンルの歌はなくなってしまいましたが、昭和の歌のジャンルは豊かだったなぁ・・と

    僕と遠藤先生の出会い・・・昭和35年ですから、15歳中学三年・・・漫画を読むかなにかしながらラジオか
    ら流れてきた曲にひっかかった。なんて情感のあるメロディーだろう・・と・・この曲は誰がお書きになったん
    だろうと知りたくなった。デビューの時に歌の先生につくのに、浜口庫之助さんと二者択一ということになった時に、その時の印象がどこかにあったのでしょう。即座に「遠藤先生にお願いします」と・・ですから「遠藤先生」「高校三年生」へと導いてくれたのはこの歌です。そこから三つ・・・

    イメージ 8初恋マドロス
    哀愁出船
    襟裳岬

    ひばりさん(「初恋マドロス」)、ひばりさん(「哀愁出船」)、お千代姉さん(「襟裳岬」)なんですが、「襟裳岬」これは、もう大変なスケールの歌ですね。四行詩はツボにハマるとスケールが大きくなる。日本の歌の中では、実にうまくととのえられた世界だと思います。
    先生は詩にも恵まれていた。運というより「めぐり合わせ」の強さ・・作曲家も、詩の世界も恵まれてた方と、ちょっと恵まれなかった方と言うのがあるように思います。
    今、遠藤先生のお嬢さんが、会場に来て下さって、さっきから「ヘタだなァ・・」と思いながら聞いていらっしゃるかと・・楽屋のほうにメロンをふたついただきました。
    さて、遠藤先生のネバリとツヤが発揮されているこの辺が遠藤メロディーのド真ん中であると僕が自分勝手に並べてみた5曲が遠藤演歌の真髄なんだと思います。

    イメージ 9他人船
    みちずれ
    夢追い酒
    ギター仁義
    ソーラン渡り鳥

    ~アンコール
    北国の春

     
    こうして、最後のシアターコンサートで、あらためて聴く「遠藤実スペシャル~決して散らない花々」・・・
    遠藤実という昭和の偉大な作曲家の、ジャンルを問わない自由自在な発想のメロディーラインを生みだす才能をかみしめると同時に、その幅広いジャンルの曲から、代表作をほぼ網羅したセットリストを、ひとりの歌い手が、自分自身の個性を生かし切って、なおかつ、原曲の魅力を損なわずに、歌い上げることができるという事実にもまた、あらたな感動をいただきました。

    恩師である遠藤先生への敬意と愛情、そして、さらに大きな眺めからの昭和の流行歌への、歌い手としての深い感謝の想いあればこそのステージであることが、痛いほど強く伝わってきました。
     
    イメージ 11昼の部のプレゼントタイムで、舟木さんらしい、さりげなさで、ジョーダンにまぎれておっしゃった、言葉の中に、50余年を「流行歌」の歌い手としての自負を常に忘れず、また文字通り歌に生かされて、歌に命を吹き込み、歌に抱かれ、歌をその胸深く抱いて、旅を続けてこられた舟木さんが、流行歌の世界に生きる後輩たちに、ご自身の足跡をそっと残していこうとなさる、情愛と誠実さを、読み取ることができたことは、私にとっての大きな感激でもありました。
     
     
     
     
    またさらに、ご自身が受けた恩を、一番自分らしい形で返していきたいという義侠心のようなものに舟木一夫という歌い手の心意気、熱い芸人魂を見た想いがしています。
    舟木さんほど、理想的な形で、古き良き時代の人情やけじめ、人としての品位を心と体に沁み込ませている芸能者は、もう本当に少なくなったような気がしています。ひとりでも多くの後輩の方たちが、なにか、ひとつでも、舟木さんの精神を受け継いでくださることを心から願っています。

    イメージ 102月の南座、3月の中日劇場、5月初旬の新歌舞伎座に続き、今回で、シアターコンサート、四会場10公演、を楽しませていただきました。
    拙ブログでも、それぞれの会場のコンサートのご報告をさせていただいております。今回は、遠藤先生の一曲一曲のご紹介としては失礼していて、詳しくは、掲載しておりませんが、それぞれの作品に込められた先生の想いや、思い出などを、ご自身の自伝に記されていらっしゃいます。いつか現れるであろう、有望な若き歌い手のために芸名として「舟木一夫」という名前をあたためてこられた頃を中心に、その前後を通じて、遠藤氏がどのような道をたどってこられたか、舟木さんの選曲なさった歌を時系列でたどっていくと、氏の「ながしのギター弾き=演歌歌手」から作曲家への歩み、また作曲家として名を成された時期、ミノルフォンを立ち上げて独立された頃の御苦労、その後のご活躍など、ほぼ重ね合わせることができます。今回の「遠藤実スペシャル~決して散らない花々」で舟木さんが歌唱された名曲たちについて、遠藤氏御自身の回想として、いきいきとその誕生秘話など含めて顕されている遠藤実自伝「涙の川を渉るとき」をお読みになっていただけたらと思います。
     
    「私の履歴書」遠藤実 自伝「涙の川を渉るとき」(日本経済新聞出版社刊2007年発行) 
     
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    それぞれの、名曲については、下記にも少し御紹介していますので、併せてご参照いただけたらありがたく存じます。
    2014年・舟木一夫シアターコンサートレポートURS リスト (春日局まとめ)↓
     
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69102293.html         2月22日/23日南座(上)
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69103747.html         2月22日/23日南座(下)
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69216207.html         3月28日/29日中日劇場(上)
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69216225.html         3月28日/29日中日劇場(下)
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69325393.html         5月2日 新歌舞伎座(上)
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69325446.html          5月2日 新歌舞伎座(下)
     
     
    作曲家・遠藤実氏の七回忌にあたり、彼と相通じる魂を持った愛弟子のひとりである舟木一夫という歌い手が、その歌手生命をかけて、恩師の偉大な存在を、再認識していただくために企画した試みは、興行的な成果に加えて、日本の昭和の流行歌史をあらためて提示したものであるという意味でも、私は、軽音楽、大衆芸能の世界において、高く評価されるべき実績を残したと断言できるのだと思っています。

    舟木さんが、これからチャレンジしていきたいと望んでいらっしゃるこういった、コンサート活動が、舟木さ
    んご自身の今後のライフワークの中心ともなり、また昭和を生きてきた私たち世代の誇りを喚起するステージとなるであろう、嬉しく幸せな予感に、胸が高鳴る想いでいる私です。
     
    あたらめて、謹んで遠藤実氏の偉業を偲び、追善の想いを深くしています。また、今回の舟木さんの果敢なる企画へのチャレンジと、恩師への深い敬愛の念に、心打たれ、心洗われる時空間を多くの舟友さん、舟木さんファンの皆さまと共有できましたことを、幸せに思っています。
     
    最後に、今回の試み2014年・舟木一夫シアターコンサート「遠藤実スペシャル~決して散らない花々」のステージのご成功を心よりお祝い申し上げて、私の拙いれぽの締め括りとさせていただきます。
     
     
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    明日6月5日は、舟木さんのデビュー52年目のおめでたい日です。ちょっと気が早いですが、お祝いの想いを込めて記念の日記をアップさせていただきます。
     
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    私は、5月生まれなので、5月は特別な月ですが、舟木さんと再会して以来、6月も特別な月になってしまいました。私的には、二ヶ月連続、お祭り気分なんですね(笑)
     
    イメージ 2私は、この年は、小学校五年生でした。翌年の昭和39年の東京オリンピック開催を控えて、日本は高度経済成長への道をひた走り、日本という国が、とても元気で明るいムードに包まれていた時代でしたね。来年のオリンピックの話題が小学生の間でも盛り上がっていて、同級生が、東京までオリンピックのボクシングの試合を観に行くということが学校内のニュースになったほど、大人から小学生に至るまでみんながみんなオリンピック一色でした。
    舟木さんのデビューの頃は、まだ小学生だったので、映画館も友だちどうしでは入れず、保護者同伴でないと映画も観られませんでした。当時の地方の映画館は、明確な配給会社別ではなく、地域ごとに点在していて、その時々の封切り映画作品を、どの映画会社というのではなく上映していたような気がします。30年代までは市内に5館ほどあった映画館も、舟木さんが映画出演される頃の30年代終わりから減りはじめ、40年代に入ると1館だけになってしまったように記憶しています。
     
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    「高校三年生」「学園広場」「仲間たち」などが封切られる頃は、ちょうど次々と市内の小さな映画館が閉館になる時期でもあったのでしょうか?橋幸夫さんのデビューの頃に市川雷蔵さん主演の映画にゲスト出演されている映画は、その二年ほど前に多分雷蔵さんお目当ての祖母とか父に連れられて2本ほど観にいった記憶があります。

    イメージ 6私にとっての「高校三年生」は、私がリアルタイムで高校生になった5年後も、まだ記憶に新しく同級生はみんな知っていましたし、「修学旅行」ともなれば、中学の時も高校の時も、バスの中で歌う「歌集」には、必ず載っていました。「昭和の流行歌」というのは、ヒットの規模や、聴く側の層の厚さという点でも今の軽音楽とは次元の違う底力を持っていたということなのでしょう。
     
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    以下は、私が愛読しているサイト「二木紘三のうた物語」の「高校三年生」の項です。
    記事のアップは2007年7月29日ですが、コメントは、今も、寄せられていますから、このあたりが、「高校三年生」が、いかに息長く支持されつづけているポピュラーソング(=大衆歌謡)の名曲かということの証明ですね。

     
     
    今更ですが、「高校三年生」以下デビュー年の昭和38年(1963年)発売のレコードをまとめてみました。
    幸い、この年に発売されたレコードの音源は、ほとんどyoutube上にアップされています。
    初々しく爽やかな清潔感あふれる舟木さんの若い歌声とお写真で、当時の舟木さんのこと、またご自身の
    ことなど懐かしく思い出してくださいね。
     
    イメージ 8今回、舟木さんのデビュー、一年目に発売された曲を並べてみたら、やっぱり作曲はすべて遠藤実先生なんですね。先日のシアターコンサートの第二部「遠藤実スペシャル~決して散らない花々」に寄せる舟木さんの熱い想いは、この時期に先生から提供していただいたキラ星のような名曲を通しての温かで懐かしい師弟の交流の思い出が源泉になっているのだと、あらためて思いました。
     
    「舟木一夫」という名前と「高校三年生」という曲とが二人三脚で昭和の時代を生きてきたことは、確かでしょう。思えば昭和38年から昭和63年(64年は7日だけ)という舟木さんと私たちにとってのギュッと凝縮された25年間の「昭和の時代」に、それぞれが、少年少女から「青春」を通過して大人になっていった季節だったんですね。
    ついこの間、昭和から平成に年号が代わったような気がしていますが、いつの間にかそれから四半世紀も過ぎてしまいました。ちょうど、舟木さんのデビューから「昭和が25年」そして、「平成が25年」経過したことになります。舟木さんが、流行歌の世界の中で「昭和の懐かしい歌手」に終わらず「平成を代表する現役人気歌手」として、今も変わらずに、私たちを魅了して止まない存在であることは、もうミラクルといってもいいのではないでしょうか。
     
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    今日からの、一年間もまた舟木さんの笑顔とパワーあふれるステージにたくさん出逢えることを願って、お祝の記念の日記とさせていただきます。
     
    1963年(昭和38年)
    6月5日 デビュー曲発売
     
     
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    10月
     
     
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    11月
     
     
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    http://blogs.yahoo.co.jp/uesaka679kazuo/11655946.html
    (kazuyanさんのブログで聴いていただけます)
     
    アルバム 舟木一夫 花のステージ 第一集 より
     
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    夜更けの街の物語 (3曲目)
    http://www.youtube.com/watch?v=IoETs8Lj8I0 
     
     
     
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    イメージ 1もう東北まで「梅雨入り」となったようで、これからしばらくは、豪雨になったり、強い陽射しが照りつけたりと、落ち着かない天候が続くかと思います。体調管理をしっかりして健康に過ごしたいですね。
    6月の舟木さんのコンサート活動は、「青春歌謡・BIG3」の東北地方ツアーのあと、舟木さんのご出身の名古屋での「青春歌謡・BIG3」というスケジュールですね。西郷輝彦さんのご出身地・鹿児島は、4月24日、三田明さんの御出身地・八王子での開催は既に6月5日に終わっていますので、次はやっと舟木さんの地元というわけですね。鹿児島も八王子も、大盛況だったとのことですので、名古屋も大入の大盛況になってほしいと願っています。

    私が舟木さんと次にお会いできるのは、6月30日ですからそれまでちょっと間が空きますから京都南座の坂東玉三郎特別舞踊公演を観にいったので、大好きな京都で、ちょこっと「舟木さん探し」をしてきました。
     
    イメージ 26月6日夜の舞踊公演まで時間があったので、私のお気に入りスポットの京都文化博物館のフィルムシアターに出かけました。さて、この日の上映作品は・・・
     
    昨年のオリンピック招致のキイワードにもなった「おもてなし」・・・もともとこの言葉は、京のおもてなし文化というのは古くから言われてきたものですから、昨年あまりにもセンセーショナルに流行語のようにとりあげられた時には、ちょっと驚きました。その「おもてなし」の流行語を逆輸入したかのようなコンセプトですイメージ 3が、確かに、昭和の娯楽時代劇は、これでもかのサービス精神にあふれた楽しさやサプライズ満載の映画だとあらためて思っています。
     
    京都文化博物館~娯楽映画の魅力-おもてなしの映画(6月3日~7月15日)
     
    映画最盛期、映画館では毎週のように作品が掛け替えられ、多くの映画ファンが映画館に足をはこんだ。当時の映画の多くは、観る側の観客を楽しませることを第一義に製作された娯楽志向の作品であった。予算や企画・製作期間が制限された条件で、企画者、監督達は、観る側を想い、知恵をしぼって作品に取り組んだ。この特集では映画ファンに愛された娯楽映画を連続上映し、往時の映画界を振り返ります。(京都文化博物館 フィルムシアターのHPより)

    イメージ 4鞍馬天狗・江戸日記
    舟木さんが、コンサートのトークでもよくおっしゃってる「娯楽時代劇」特集が6月から7月半ばまで組まれています。ラインナップは長谷川一夫さん、市川雷蔵さん出演「次郎長富士」、大川橋蔵さんの「新吾十番勝負」中村錦之介さんの「瞼の母」ほかです。
    九月の新橋演舞場公演のお芝居は「天一坊秘聞~八百万石に挑む男」ですが、舟木さん演じる主人公の山内伊賀之亮を映画で演じられてる市川右太衛門さんや阪東妻三郎さんなど当時の御大が総出演の「大江戸五人男」も上映されます。昭和の娯楽時代劇ファンには垂涎の企画です。私もできることなら京都に通って全部観たいと思いました(笑)
     
    イメージ 5今回の「鞍馬天狗・江戸日記」には、舟木さんを探す直接のキイワードは残念ながらなかったのですが、むりやり探してみました(笑)鞍馬天狗はなんといっても昭和の時代劇の中でも特に子どもたちにとって最もポピュラーなヒーローです。映画「鞍馬天狗」シリーズは46本撮られたそうですが、これ以外の時代劇にも鞍馬天狗は、顔を出しているのですね。時代劇の中で歴史がからんだものとしてしは幕末を描いたものが多いですが、勤王の志士、新撰組にまつわる事件をもとにしてストーリーが繰り広げられているものが目立ちます。そして、かなり苦しいですが、舟木さんが舞台で演じられた「月形半平太」と「鞍馬天狗」が絡んだ映画をみつけました。この作品では、月形半平太と鞍馬天狗が密談をする場面も登場するようです。
     
    鞍馬天狗と月形半平太が登場する映画
    「新撰組」(1958年7月公開)
    近藤勇 :片岡千恵蔵/土方歳三: 山形勲/鞍馬天狗:東千代之介/月形半平太:大友柳太朗

    イメージ 6鞍馬天狗とは・・大佛次郎の時代小説シリーズであり、作中で主人公が名乗る剣士の名である。
    幕末を舞台に「鞍馬天狗」を名乗る神出鬼没の勤王志士が、幕藩方の新撰組の行く手を阻んで縦横に活躍をするさまを描いた、戦前の大衆小説の代表的作品である。舞台は主に京都・大坂が中心となっているが、作品によっては江戸や横浜、果ては松前といった、遠方の地を舞台としたものもある。
     
    月形半平太とは・・行友李風作の戯曲に登場する長州藩の志士である主人公の名。

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    鞍馬天狗シリーズ20作目
    鞍馬天狗江戸日記 1939年7月公開 
    監督:松田定次  原作:大仏次郎
    あらすじ
    この映画の鞍馬天狗は江戸と京の連絡役として登場。偶然出会った侍の暗殺事件に首を突っ込む事になり、幕末の大江戸を荒しまくる暗殺団を倒すため大暴れする。
    キャスト
     嵐寛寿郎:鞍馬天狗
     尾上菊太郎:佐竹恵之助(直参)
     宗春太郎:杉作
     志村喬 春日井右京
     
    もちろんモノクロ、音声も画面も、年季が入っていて、最初のうちは「大丈夫?」と思ったのもつかの間で、テンポのよいストーリーの展開ときめ細やかな脚本。さらに「おもてなし」のセンターラインの殺陣が見事。いつの間にかすっかり引きこまれてました。戦前の作品のカメラワークの凄さと、嵐寛(アラカン)さんの動きのシャープさに目を見張りました。なんだか今の3Dなんか必要じゃないくらいの迫力で、アナログの良さをもう一度しっかり見直すべきではないかと思いました。鞍馬天狗の終盤の二刀を構えた立ち回りのスピード感、走りの速さ、そしてそれを隙なく捉えるカメラ・・・このフィルムセンターで観る映画は、本当に当たり外れなくどれも素晴らしい作品で毎回感動ものです。
     
    イメージ 8~京都府立植物園 あじさい園&はなしょうぶ園~
    そして、翌日6月7日は、菖蒲とアジサイが見ごろというのでホテルから、北山にある京都府立植物園に向かいました。市営地下鉄の北山下車、地下通路から植物園の玄関口に繋がっています。京都コンサートホールや、京都府立陶板名画の庭という屋外美術館などが並んでいる北山は、京都市街地のはずれに位置していてちょっとアートでセレブっぽい街並みです。植物園の敷地面積はとっても広イメージ 9くて、午後から枚方市で開催される柳家小三治師匠の独演会に行く予定があって、友人と昼食の約束もしていたので、あまり時間がとれず、お目当ての「あじさい園」と「はなしょうぶ園」だけを約一時間半ほどで回りました。
     
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    イメージ 11まずは、「あじさい園」自然のままという感じに植えられたあじさいは、鉢植えや、街中で観るあじさいよりも淡い色調でした。あじさいは土壌の酸度などによって色が青系だったり赤系だったりすると昔聞いたことがありますが、最近の品種は、どうも色が鮮やかすぎて私好みではないので、ここの植物園のあじさいたちのちょっとぼんやりと淡い色合いに嬉しくなりました。
    ちょっとだけ舟木さんつながりのあじさいたちもいましたよ。
     
    品種名:クリスマス
    イメージ 12ジングルベル 
    訳詩:丘灯至夫 作曲:J・ピアポント 
    1966年(昭和41年)発売 
    http://www.youtube.com/watch?v=cgPciYDx63g
     
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    品種名:白鳥 バラにも「白鳥(ハクチョウ)」という品種がありましたが、あじさいにもあるんですね。
     
    イメージ 14白鳥の歌(若山牧水)
    http://www.youtube.com/watch?v=nh8SP6E7Mfc
    作詩:若山牧水 作曲:古関裕而
    (1968年アルバム ひとりぽっち2集「舟木一夫の想い出の歌」ほかに収録)
    白鳥 作詩:横井弘 作曲:竹岡信幸
    (1973年発売/「都井岬旅情B面)
     
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    あじさいを詠った曲
     
    イメージ 16愛はまぼろし  
    作詩:石坂まさお 
    作曲:竜崎孝路
    (シングル盤1977年8月発売/アルバム「愛はまぼろし」同9月収録)
     
    愛するって悲しくて
    とてもはかないものだわと
    うつむくお前は 二十才前だった
    そんな背中に黙って 煙草をふかして
    窓にひろがる夜明けを
    見ている俺だった
    あじさいの花が散り 宵待草の匂うころ
    なぜかお前を思い出す
    あの頃に帰りたい
                        品種名:ベニコテマリ
     
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    乃木坂の女   作詩:白鳥園枝 作曲:遠藤実
    (アルバム「愛はまぼろし」」1977年9月収録)
     
    たまらなく好きだけど 愛さずにわかれた
    ぬれてつつましい あじさいのようなヒト
    乃木坂の雨あがり
    話してくれた さみしい生い立ち
    僕のこの胸で 抱きしめたかった
     
    品種名:ミヤマヤエムラサキ
     
    イメージ 18あじさいは君の面かげ 
    作詩:三浦康照 作曲:甲斐靖文
    (アルバム「友情~舟木一夫の新しい名刺」1974年10月収録)
     
    小雨にけむる 想い出の路
    ひとつの傘に 肩よせて
    君と歩いた 恋の日よ
    おぼえているかい
    あじさいの花が
    雨にぬれて 咲いていたね
     
     
     
                                           品種名:ロゼア
    イメージ 19たそがれ色が ふたりを包む
    すべてを俺に ささげると
    君のひとみが うるんでた
    忘れはしないよ
    あじさいの花の
    甘いかおり 胸にしみる
     
    並木の路に さみしく消える
    別れの朝の 君の影
    俺は心で 泣いていた
    おもいで呼ぶよに
    あじさいの花が
    風に吹かれ 散ってゆくよ
     
     
    品種名:ミセスヘップバーン
     
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    品種名:マイコ 
     
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    あじさい園を観終わった頃から、曇り空からポツリポツリと降り出した雨・・・あじさいにはとってもお似合いの六月の雨です・・・
     
     
     
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    品種名:四季咲ヒメアジサイ
     
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    オマケ・・・
    わが家の庭でも、咲き始めたガクアジサイです。→
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
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    イメージ 28雨も降ってきたことだし、急いで「はなしょうぶ園」へGO!
    さて、しょうぶたちは、意外にも、あじさいよりもカラフルで華やかでした。品種名も、もちろん和風です。
    紫系がやはり多いですが、白、ピンク、黄色などもあります。
     
     
     
     
     
    イメージ 29真っ先に目が行ったのは・・・「波乗舟」です。「舟」には過剰反応します(笑)しかも「波に乗ってる舟」ですからおめでたいことこの上ないですね。
     
    品種名:波乗舟イメージ 30
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
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    そして、「業平」・・在原業平の「業平」です。               品種名:業平
     
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    平安時代(794~1185)の初期に活躍した歌人の在原業平は、美男の誉れ高く、在原業平が亡くなった後、業平の歌やエピソードをもとに「伊勢物語(歌物語)」の主人公としてひろく知られるところとなりました。美男で歌人としても優れた歌を詠んでいる・・・これはもう舟木さんそのものですね。
     
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    品種名:愛知の輝き
     
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    最高にテンションが上がったのは「愛知の輝き」という鮮やかなイエローのしょうぶを見つけた時です。
    まさに、そのものズバリですね。「舟木さん見っけ!」という感じでした。愛知県の大杉隆一氏が、この世界初の品種を1962年に開花させて「愛知の輝き」と命名したそうです。
    奇しくも舟木さんデビューの年の前年ですね。はなしょうぶの「愛知の輝き」の翌年には、もうひとつの「愛知の輝き」が誕生したということになります。
     
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                                                                                          品種名:深海の色
    イメージ 38あじさいを歌った曲は、3曲探しましたが、さて「はなしょうぶ」は・・・?
    6月18日~もう、まもなくですね~発売になるニューシングル「眠らない青春」のカップリング曲「恋人形」
    に、たしか「はなしょうぶ」の仲間の「あやめ」が歌われてたぞ・・・と思い出しました。・・ということで、どうか、ご勘弁を(笑)

    恋人形  作詩:舟木一夫 作曲:山路進一 
     
    薄墨の 空はつれない 雨模様 
    帰るあてさえ ない人に
    いくつ折鶴 恋ごころ
    にじむ 吐息の もどかしさ
     
    ふるさとは 風のかおりも 秋化粧
    落ち葉しぐれる 白壁に
    ゆれて やつれて 細々と
    つらいうわさが 気にかかる
     
    薄紅の 目もとやつれて 恋人形
    あやめ一輪 咲くおりに
    かくしきれない あの夜の
    いのち 重ねた 夢のあと
     
     
    (歌詩は、昨年12月の新橋演舞場した―コンサートで歌われた時の聴き取りですので正確ではないかも知れません)
     
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       品種名:雪の舞
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    イメージ 42く、美人を例えるのに「いずれ あやめか かきつばた」と言われますが、植物学的には「花菖蒲」「あやめ」「かきつばた」はすべてアヤメ科アヤメ属で同じ仲間だそうです。
    あやめは畑のような乾燥地で栽培するのに適し、かきつばたは水辺などの湿地帯に適し、花菖蒲はその中間で畑地でも湿地でも栽培できるというのが違いとのこと。花の大きさは花菖蒲が大輪、あやめが小輪、杜若が中輪。咲く時期は、かきつばた(5月中旬)、あやめ(5月中旬~下旬)、花菖蒲(5月下旬~6月下旬)です。
    ちなみにあやめもちょうど5月の半ば頃に、家の近所で咲いてるのを撮影したのでご紹介しておきますね。
     
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    イメージ 1一ヶ月ほど前に、図書館で「家庭画報」という雑誌を読んでいたらみつけたグラビア記事がありました。
    政治学者の姜尚中氏と俳優の草刈正雄さんの対談です。タイトルは~「日本の面影」ラフカディオ・ハーンを演じる~とありました。
    舟木さんにご縁の深い西條八十も影響を受け、深く敬愛していたという小泉八雲が日本を訪れ、日本の神話のふるさととも言える島根県・松江で、妻になるセツとめぐり逢い、日本の風土や歴史・文化に心惹かれ、やがて帰化するという経緯。また、その後半生を過ごした異国の地である日本をどのように見つめて、日本のどこに惹かれて数々の作品を生みだしていったのかにとても興味を覚えていましたからチャンスがあれば、その八雲の日本での暮らし、心のうちを描いた「日本の面影」の舞台を観たいものだと思いました。
     
    イメージ 2でも、開催は5月28日から6月2日までが東京の俳優座で、その後、全国のいくつかの街で巡回公演があるようでしたが、開催場所と日時が私の都合には合わずあきらめて、しばらく忘れていたのです。ところが半月ほど前に、名古屋の落語会に行ったときに、この「日本の面影」のチラシが目に飛び込んできました。もう一度開催会場を確認したら、大垣市内とあります。ローカルの北勢線という電車で私の住む桑名から乗り換えなしで行けて、所要時間は1時間余りでした。ただ、会場の最寄り駅から徒歩20分ほどもかかるので、夜の帰りのことを思うと躊躇しましたが、結局、娘が車で行ってくれるというので、じゃあたまには二人で行こうかということになって娘の運転で大垣まで足を伸ばすことになりました。付き合ってくれた娘には感謝です。しかもペア券というのもあって、なんと2枚で6千円という超お値打ち価格で、その枠のお席が設定されていたのか舞台に近い下手の端のあたりでしたが、とても見やすいいいお席で楽しむことができました。
     
     
     
    朗読座・地人会新社 公演「日本の面影」全二幕
    大垣市スイトピアセンター・文化ホール  6月11日 18時半開演
     
    イメージ 3配役
    小泉八雲:草刈正雄
    小泉セツ:紺野美沙子
    稲垣万右衛門(セツの養祖父:金内喜久夫
    稲垣金十郎(セツの養父):田代隆秀
    稲垣トミ(セツの養母):大西多摩恵
    小泉チエ(セツの母):長谷川稀世
    西田千太郎 :川野太郎
    佐伯信孝 :石橋徹郎  ほか
     
    舞台劇という事情からテレビとは異なって、場面はすべてヘルンの居宅に設定されており、テレビドラマ版では描かれていないヘルン幼少期の事情を、両親が、成人後のヘルンの見る夢という設定で冒頭に登場させている。一幕目が松江、二幕目が熊本と東京を舞台としている。
    ヘルンが日本への帰化を決意するのは長男・一雄の誕生間もない時期とされている。
    西田千太郎の訃報が届く直前に西田の「幽霊」と八雲が会話する場面がある。そのあと、幽霊の存在を公言する八雲を、世間を慮って心配するセツとハーンの会話が続く。西田の訃報後に挿入される八雲作「耳なし芳一」の朗読劇風な場面では、八雲が芳一を演じる形になっている。最晩年の場面では、結末に八雲の臨終が描かれている。(Wikipedi参考)
     
    時は、明治。近代化の波によって、日本古来の美しいものが失われてゆく時代。日本の美しいものを愛し、日本人を妻にめとり、日本に帰化したラフカディオ・ハーン(=ヘルン)とその妻セツの家族の愛の物語。朗読座公演情報参考)
     
    イメージ 4八雲(帰化後は妻セツの姓を名乗り小泉八雲とする)の著作「怪談」を朗読劇風にアレンジした場面なども挿入されて、演出上の工夫も凝らされており、舞台劇ならではの魅力もたっぷり味わえました。上映時間は休憩15分を挟んで2時間余り。飽きさせない展開であっという間のうちに終わりました。
     
    八雲を演じた草刈正雄さんは、私と同年生まれです。モデル出身で、若い頃は絵にかいたようないまでいう超イケメン男子。お父様がアメリカ軍の兵士、お母様が日本人でお父様は朝鮮戦争で戦死なさっていて、小学生の頃から家計を助けるために新聞配達、牛乳配達の仕事を掛け持ちしていたという苦労人なんですね。私は、最近ではたまにEテレの「美の壺」などでしかお目にかかることはないのですが、なんともいえないライトな雰囲気と端正でスマートな容姿の中に、やはりどこか日本の血だけではない独特の大らかな個性を感じていましたが、今回、舞台俳優としての草刈さんを初めて拝見して、ナチュラルでありながらも繊細で緻密な八雲の心映えの描写、温厚で限りなく優しい面と(母ゆずりでしょうか)、激昂して高ぶる熱情(父ゆずりでしょうか)そういったヘルンの中に流れる血のルーツをも十分に表現仕切っていることに感服しました。しかも彼独特のユーモア漂う飄々とした魅力も小泉八雲という人物の魅力として加味されているようで、明るい舞台を創り上げているように感じました。
     
    妻役の紺野美沙子さんも、デビュー当時の印象は育ちの良いお嬢様という以上のものは正直あまり感じませんでしたが、この作品に賭ける想いの強さは並々でなく、2010年秋から「紺野美沙子の朗読座」としてその主宰をつとめていらっしゃるそうです。国際親善や災害被害の軽減運動などの活動も精力的にされていて同性としても本当に頼もしい限りの女性です。
     
    そして、あの舟木座長率いる座組になくてはならない長谷川稀世さんも出演なさっていました。妻セツの実母役としての登場ですが、この方の存在感には目を見張ります。いわゆる「老け役」~といっても昔の女性は地味作りでしたから実際の今の稀世さんの年令とこの当時のセツさんの実年齢を比べたら稀世さんの実年齢のほうが上かもしれません~の貫録、そして何よりも天性のいいお声と舞台で鍛えられた佇まい、立ち居振る舞いの端然とした美しさには圧倒されます。劇中で演じられる「耳なし芳一」の朗読の見事さは、この舞台のひとつの見せ場だと思います。稀世さんのような力量のある舞台女優さんの存在は本当に舞台芸術の底力を支えているのだということをあらためて痛感させられました。九月の演舞場公演でも彼女の凛としたまさに「板に付いた」舞台女優としての魅力を拝見できるのがますます楽しみになりました。舟木さんは本当に素晴らしいお仲間に恵まれていらして、これも舟木さんの人徳なのだろうなぁと嬉しさが増しています。
     
    イメージ 5~「日本の面影」(にほんのおもかげ)について~
    1984年3月3日から1984年3月24日までNHK総合テレビでテレビドラマとして制作・放映された。
    脚本は山田太一。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を主人公に、主に明治時代の日本を舞台としている。
    原作・脚本:山田太一 、出演者:ジョージ・チャキリス/檀ふみほか
    後にこれが、舞台劇に脚色され、1993年に地人会制作で紀伊國屋ホールにて初演、全国で再演を重ねた山田太一氏の代表作。2001年、ロンドンとハーン(八雲)の故郷ダブリンでの公演でも高い評価を受けている。(Wikipedi参考)
     
    イメージ 6
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    タイトルにも掲げているように、小泉八雲に傾倒し、敬愛なさっていたという西條八十のエピソードや、また八雲が愛してやまなかった心のふるさと、八雲にとっての「日本」そのものだった松江の歌も八十は、作詩なさっていますので、それらも併せてご紹介させていただきます。
    そして、私のナンバーワンの「絶唱」にも、原作では順吉と小雪の愛の巣は松江城にちかい経師屋の二階とありますし、小泉八雲という名前も原作の中で出てきています。

    ~『絶唱』その2・原作より(上)~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・~
    以降の部分は、2013年9月5日付の日記↓からの抜粋、再掲載です
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68545585.html
     
    イメージ 7映画の場面でまだ子供だった私がリアルタイムで観た時に一番ドキドキしたのが、新生活を始めた経師屋の二階からふたりが折り鶴を投げて遊ぶ場面でした。これは、中学生の私にとってなんとも美しくもテレくさいと表現するしかないラブシーンでした。これに類似した折り鶴を投げる場面が、原作にもありました。原作を生かしながら、この映像では甘く清潔なラブシーンとして心に残る美しい場面になっているのは脚本と演出の力だとあらためて感服しています。原作では二人の結婚を祝って、読書会の仲間が集まってる場面で「折り鶴」が登場します。

    ~「ところで、おい園田君、つまりその・・・結婚式の前後についてリアルに描写して聞かせろよ」と佐野一夫がズバリと言って、盃を差し出した。「うん話そうか、いいか小雪・・?」「ああら けぇ 好かん!」とかの女はあわてて空の銚子をもって降りた。「けぇ 好かん女史が降りた間に・・・僕たちは、その日、あの城の天守閣へのぼった。そして天守閣からふたりで手をつないで『天下のみなさん、園田順吉と木村小雪はただいま結婚しました』ととなえただけ」「ううむ、とってもロマンチックじゃないか、それから?」「小雪は紙の折り鶴をつがいに、の方へむけてとばした。すると・・白い僕の折り鶴は天守閣の甍にひっかかって、赤い小雪の折り鶴は風に吹かれて・・山鳩みたいにとび去った。~
    (講談社文庫・大江賢次作「絶唱・湖畔の記録」より)
    *湖とは宍道湖、天守閣のあるお城というのは松江城*(春日局註)

    イメージ 8また、「絶唱」の原作には小泉八雲の名前も登場します。
    ~園田順吉の下宿は経師屋の二階六畳で、窓からは宍道湖の入江ごしに城の天守閣が見えた。その天守閣の傾影が、カイツブリのさざ波でうつくしくゆれた。
    「ついそこに、志賀直哉が若いときに住んだという家があるんだぜ」と順吉は指さした。
    小泉八雲も住んでいたし、森鴎外もこの地方の出身だし、文学にゆかりのある土地なんだから、君もうんといいものを書くさ」~

    絶唱 作詩:西條八十 作曲:市川昭介
    http://www.youtube.com/watch?v=Ip62KFsYiwo
     
    イメージ 9愛しい 山鳩は
    山こえて どこの空
    名さえはかない 淡雪の娘よ
    なぜ死んだ ああ 小雪
     
    結ばれて引き裂かれ
    七年を 西東
    いのち短く 待つ日は永く
    泣きぬれた ああ 小雪
     
    山番の 山小舎に
    春が来る 花が咲く
    着せて空しい 花嫁衣装
    どこしえの ああ 小雪
     
    るるるるるるる
    るるるるるるる
    なぜ死んだ ああ 小雪
     
    次は、八十作詩の「松江夜曲」です。1940(昭和15)年に作られた「蘇州夜曲」を思い浮かべるようなタ
    イトルが付けられているのは、八十の中で水の都の蘇州と宍道湖を臨む松江の町の風景が持つ表情に共通する美しさを感じたからかもしれません。
     
    松江夜曲  作詩:西條八十  作曲:古関裕而
    (昭和23年 販売元:日本コロムビア株式会社)
    http://www.youtube.com/watch?v=sPdIVEjEyjs (「松江夜曲」youtubeより)
                               
    イメージ 10松江大橋 唐金擬宝珠(からかねぎぼしゅ)
    なぜに忘れぬ 忘らねぬ                       
    さくら春雨 相合傘で                       
    君とながめた 嫁ヶ島                         
    マツマツ松江は君を待つ
     
    二夜逢わねば 眠れぬ枕
    ひびく櫓の音 波乃音
    恋の湖 雨戸を開けりゃ
    月にほんのり 千鳥城
    マツマツ松江は君を待つ
     
     
     
    イメージ 11松江自慢は 小泉八雲
    残る縄手の 鳥屋敷
    今も咲きます 国際愛の
    色香なつかし 杜若(かきつばた)

    マツマツ松江は君を待つ
     
    蘇州夜曲  作詩:西條八十 作曲:服部良一
    http://www.youtube.com/watch?v=kC15xjabCNU
     
    イメージ 12君がみ胸に 抱かれて聞くは
    夢の船唄 鳥の唄
    水の蘇州の 花散る春を
    惜しむか柳が すすり泣く

    花をうかべて 流れる水の
    明日(あす)の行方(ゆくえ)は 知らねども
    こよい映(うつ)した ふたりの姿
    消えてくれるな いつまでも

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    髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
    君が手折(たお)りし 桃の花
    涙ぐむよな おぼろの月に
    鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)

    さて、以下は、八十の八雲への想いを示す有名なエピソードです。
    長女の嫩子さんが著書「父西條八十」の中で
    以下のように「八雲の指輪」についてのエピソードを書いていらっしゃいます。

    イメージ 14~父は、中国の小説「聊齋志異」のなよやかな幻想のかずかずを愛し、夢の国アイルランド出身の小泉八雲の「怪談」にも傾倒した。
    父は敬愛するあまり八雲氏長男一雄氏より星の伝説をちりばめた金の指輪をゆずりうけた。
    佐藤春夫氏がいくら出してもいいからとその指輪をほしがったということだが、不可思議な美しさをもった指輪に八雲氏の幻想の象徴を感じてその切なる希望に応じられなかったという。~
    (中公文庫 西條嫩子著「父 西條八十」の”小泉八雲を敬愛す”の項より)
     
    なんと、八雲の長男のお名前が一雄(KAZUO)・・・字は違いますが、劇中でなんどもKAZUOと出てくるので、その度に反応してしまいました。

     
     
    イメージ 15また、同じく八十の孫(八十のご長男八束さんのお嬢さん)も、「父・西條八十の横顔」(西條八束著・西條八峯編)の「あとがきにかえて ラフカディオ・ハーンの指輪のことなど」で八雲の指輪のことに触れていらっしゃいます。

    イメージ 16「山陰は日本のアイルランドである。私は此地方ほど神秘幽玄な伝説に富んだところを知らない。ケルトの血をひいたラフカディオ・ヘルンが松江に住んだこともかりそめの因縁でないやうに感ぜられる。」
    (西條八十著「民謡の旅」より)

     
    ~孫思いのなつかしいおじいちゃんは、大きな家にひとりぼっちで住んでいました。「おおきいおうちにたったひとり、ときどきタカりに孫が来るぅ~」と愉快に節をつけて自分で歌う時、金の指輪をしていました。年とともに痩せてきた祖父の傍らで、テレビの相撲番組をいっしょに見ながらその指輪をくるくる廻したり。~
     
     
     
    ↑上の写真の説明書き
    1941(昭和16)年 四十九歳
    この頃のある日、小泉八雲の長男一雄から、十二宮を彫った六角の金の指輪を譲り受け、八十は死ぬまで指にはめていた。
    ~「西條八十著自作目録・年譜」より~

    さらに、八十と八雲は、時期はずれますが、東京でも現在の新宿区大久保で暮らしたという共通点があります。

    イメージ 17西條八十:明治25年1月15日 (1892年)~昭和45年8月12日 (1970年)
    居住時期:明治45年~大正4年
    居住場所:大久保村大字大久保百人町
    西條八十は、牛込払方町に生まれ、早稲田中学から早稲田大学へと進んだ。生粋の新宿生まれの新宿育ちといえよう。新宿との縁は深く、長じて後も淀橋町柏木を中心に20年以上居住し、78年の生涯のうち、およそ50年間を新宿区内で過ごしたことになる。
     
    新宿音頭  作詩:西條八十 作曲:中山晋平
    (現在も花園神社の盆踊りで踊られているようです)
    http://www.youtube.com/watch?v=axHd76QM3ZU(「新宿音頭」youtubeより)

    水は浄水花なら御苑  
    ソンレセ
    月の眺めは十二社  
    ヨイショヨイショナ
    月の眺めは十二社  
    ホンニソヂャナイカ  
    ヨイショヨイショナ
     
    幼ながたりのお閻魔さまも 
    ソンレセ
    今ぢゃネオンの花ざかり 
    ヨイショヨイショナ
    今ぢゃネオンの花ざかり 
    ホンニソヂャナイカ  
    ヨイショヨイショナ

    イメージ 18小泉八雲:嘉永3年6月27日 (1850年)~明治37年9月26日 (1904年)
    居住時期:明治35年3月19日~37年9月26日
    居住場所:大久保村大字西大久保265:現・大久保1-1-17 新宿区指定史跡
    明治23年40歳の時、日本に関する記事を書くためアメリカより来日。島根県尋常中学、第五高等学校(熊本県)の英語教師などをした後、29年、東京帝国大学文科大学の英文学講師となり市谷冨久町21番地(現・新宿区富久町)に住んだ。29年松江藩士の娘小泉セツと正式に結婚し日本に帰化、小泉八雲となる。明治35年大久保村西大久保265番地(現・新宿区大久保)へ移転。明治37年早稲田大学講師となるが、同年9月心臓発作のため死去する。

    最後に・・・
    小泉八雲、西條八十・・には、お名前にも共通して「八」という字が使われているという不思議な縁のようなものを感じます。
    小泉八雲は、ラフカディオ・ハーンですが、日本に帰化した際に日本名も持ちました。
    日本に来て6年目の1896(明治29)年、日本国籍を取得し、「小泉」は妻・セツの姓から、そして「八雲」は、日本最古の歴史書「古事記」の中にある「八雲たつ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」の歌の「出雲」枕言葉からとったといわれています。
     
    一方、八十の名前は、入り婿だった八十の父が、先代西条重兵衛夫人八十の名をとり、人生に苦のないようにとの願いを込めて付けたと言われています。
    小泉八雲と西條八十とは42歳の年齢差があり、生きた時代は八雲が(1850~1904)の54年間、八十は(1892~1970)の78年間というズレがありますが、その精神性において根幹のところで共通したものがあるのだと思います。八十が深く八雲に傾倒した理由として文化人・知識人にとって必要不可欠と思われている「理性・合理性」というものに偏らず、むしろそれらのものを意識的に崩そうとする本能的な土俗性を常にその生き方の傍らに引き寄せて、終生、手放さなかったことではないかと思います。八十が流行歌や新民謡でも多くの優れた作品を残したことの文化的芸術的価値は、もっと高く評価されるべきだと、今回の「日本の面影」を観てあらためて思いました。
     
    八雲は、当時の日本よりも狭い意味の「文明」という点では、ずっと先を歩いていた既に近代化が進んだ欧米の生活を体験しながらも、来日し、「古事記」などの神話をはじめ、地方に言い伝えられている伝説、民話を掘り起こし、そこに独自の視点や哲学を織り交ぜて再話としました。
     
    また、八十はフランス文学という当時、最先端の西洋文学の研究者でありながら野口雨情などとともに日本各地で歌い継がれている「民謡」を求めて、そこにヒントを得て「新民謡」というジャンルを築き上げる仕事にも携わりました。雨情とともに日本各地に、八十作の新民謡が残されています。
    それぞれの土地に根差した伝承話や仕事唄など、土の香り、そこに住む人の生活や息づかいが感じられるようなものに芸術性を見いだし、日本の風土が培ってきた文化に光を当て、その価値を世に知らしめる仕事を残したという点で通じ合うものがあります。
     
    特に、年少の八十が、その成長期に触れた八雲の作品に大きな影響を与えられたことの理由のひとつに「女性性そのものへの哀悼」の想いがあるように感じます。それは、具体的には自分自身の「母」の姿、しかもそれは、「母性」というよりも「女性性」への憐れみと同時に憧れ、思慕でもあるのではないかと思われます。
    今回、「日本の面影」の舞台を拝見することで、八雲の出自、父と母との軋轢などにも触れることができましたが、八雲が好んで再話として確立させた民話に登場する女性、代表的なものとして、この「日本の面影」では「雪女」の再話が挿入されていて、そこには、八雲のそういった幼児期の体験が生きているようです。
    イメージ 19以下、小泉八雲について書かれた書籍「ラフカディオハーンの日本」から、そのあたりに関連する内容の一部を抜粋します。

    ハーンは、1850年、アイルランド人を父に、ギリシア人を母に、ギリシアのレフカス島に生まれた。父チャールズ・ブッシュ・ハーンはアイルランド出身の陸軍軍医で、母ローザ・カシマチはギリシア人であった。
    父チャールズはこのレフカス島に駐屯中に島の娘ローザと結ばれたが、誰からも祝福されることのない結婚であったという。四歳の時、両親の不和により生母と生き別れるという終生癒しがたい不幸を経験した。~中略~ハーンの再話文学の世界は、虚心に読むと、彼の薄倖な生い立ち、とりわけ生母との離別から生じた心理的外傷(トラウマ)や孤独な魂の悲哀といったものを、むしろ創作の豊かな土壌にしている感がある。そして、同時に、彼はいつも<永遠なるもの>とその形象化とに芸術的価値を置いているのではないかという思いにとらわれる。~
    (池田雅之著「ラフカディオ・ハーンの日本」角川選書より)
     
    また、西條八十の母・徳子の存在は、八十の詩や文学の中での「女性性」のイメージに大きな影響を与えていると言われています。

    イメージ 20以下は、1997年2月1日から13日まで東京国際フォーラムで上演された舞台劇「カナリア~西條八十物語」(斎藤憐:脚本)からの抜粋です。
     
    (その1)
    八十:あの人は、西條家の跡取りと結婚することになっていた。跡取りの丑之助さんて人はなかなかの美男でね、母さんも一目見たなり、この人とならと思った。ところが、式を挙げる直前にその未来の旦那さまが二十三歳で急死しちまった。
    晴子:まあ。
    八十:で、西條家は家を守るために、四十を過ぎた番頭と徳子さんを娶せた。真面目だけが取り柄の、背が低くて風采の上がらぬ二十も年の違う男と無理やり所帯をもたされた。
    晴子:ひどい、約束が違うって、実家に帰っちゃえばよかったじゃないの。
    八十:あの人が、そうしたとすると僕はこの世に存在していない。

    晴子:・・・
    八十:僕に添い寝しながら「丑之助さん」と寝言を言うのを何度も聞いたよ。母さんは、西條の家を守るために自分の人生をあきらめた。
                                                                                            八十一家、中央が母・徳子
     
    イメージ 21(その2)
    嫩子、八十の書いたものを朗読する。
    「僕を生んだ母は、神奈川県藤沢の商家の生まれで、文字ひとつ書けぬ無学な人だった。幼い頃、深夜ふと目をさますと枕元で、昼間の家事や育児に疲れ果てた母が一心に習字の稽古をしていて、僕は母のその姿に神々しいものを感じた。そしてその感じが長じても僕の運命を支配し、母に似た無教養な女性を妻に選ばせたのである。」
     
    八雲は、四歳で母と生き別れ、八十は、終生、母とともに暮らしましたが、母を通して女性というものの背負っている理不尽な十字架のようなものへの憐れみと同時に、神聖なものとして崇拝する想いが、幼い頃に胸に焼き付いたのではないかと思えます。「自己実現」という言葉がありますが、おそらく八雲も八十も、「母」が何ひとつ「自己」の可能性を実現することなく生きるしかなかったことへの痛恨の想いを抱き続けていたのではないでしょうか。「母性」への憧憬と「女性性」への憐憫との複合的な感情は、八雲と八十の創作活動の大きなモチべーションでもあり、エネルギーともなったのだと思います。
     
    八雲の作品に「泉の乙女」ほか、たくさんの妖精や精霊が登場するものがあるそうですが、その中に登場する女性観、女性像は、四歳の時に生き別れた母、ローザの運命によるところが大きいと研究者も見ているようです。
    八十の女性観・女性像にもまた母、徳子の女性としての生涯に起因する部分がうかがわれるように思います。

    イメージ 22八十作の詩で、特に私の印象深いものは「純情二重奏」の三連目です。
    http://www.youtube.com/watch?v=8BtoN_L0yrc
     
    母の形見の 鏡掛け
    色もなつかし 友禅模様
    抱けばほほえむ 花嫁すがた
    むかし乙女の 亡き母恋し

     
     
     
    イメージ 23また、舟木さんの大ヒット曲「花咲く乙女たち」の三連目です。
    http://www.youtube.com/watch?v=AGSd6H4J06k
     
    黒髪をながく なびかせて
    春風のように 笑う君
    ああだれもが いつか恋をして
    はなれて嫁いで ゆくひとか
    みんなみんな 咲いて散る
    街に花咲く 乙女たちよ
    みんなみんな 咲いて散る
    街に花咲く 乙女たちよ

    母の姿に、「むかし乙女」を思い、その可憐で夢多き束の間の時をひたむきに咲いて、やがては、無残に散ってしまう「花咲く乙女たち」の悲哀と喪失感の裏返しとして「永遠に女性的なるもの」への憧れと畏敬の念をその創作活動の中で表出しつづけた二人の偉大な文学者を舟木さんを入口にして、私なりにすこしだけたどってみる機会を得た舞台劇「日本の面影」鑑賞体験でした。
     

     

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    梅雨とはいえ、全国的に太陽が照りつけて日中は真夏のようですね。
    梅雨明けはまだですが、ひとあし先に、夏らしい風景やイメージを歌った舟木さんの歌声を集めてみました。
    デビューなさって2年目の1965年から毎年、5月から7月の頃に「夏モード」の新曲をリリースされています。
    イメージ 1

    舟木さんの曲としては、数少ないリズム歌謡という感じの「渚のお嬢さん」(1965)「太陽にヤァ!」(1966)
    「夏子の季節」(1967)・・・年を追うごとに、少しずつ大人になっていく舟木さんが目に浮かぶようです。
    youtubeで曲がアップされていないか探していたところ、嬉しいことにおふたりの舟友さんが、この3曲と、B
    面の曲とを、それぞれ動画にして下さっていました。
    こうして舟友さんたちの作品を、ご紹介できるのは本当に楽しく幸せです。
    ありがとうございます。おふたりへの感謝を込めて・・

    イメージ 2渚のお嬢さん 作詩:関沢新一 作曲:松尾健司
    http://www.youtube.com/watch?v=8sqw00pPklA 
    (kazuyanさん動画)
    (1965年7月発売)
    きらめく太陽 光る海
    渚を走るよ 白い波
    呼べば笑顔で 手をふった
    小麦いろした えくぼの娘
    どこの人やら・・・
    渚の若い お嬢さん
     
    イメージ 3真昼の夢なら いつまでも
    心にしまって おきたいな
    水にぬれてる くろい髪
    風がウクレレ ならしてる
    恋のあの唄・・・
    渚の若い お嬢さん
     
    いちど会ったら つぎの日も
    会いたくなるよな 人だもの
    リズム・ビーチで 踊ろうよ
    海と希望と 太陽と
    みんな青春・・・
    渚の若い お嬢さん
     
     
    月とヨットと遠いひと 作詩:関沢新一 作曲:松尾健司
    http://www.youtube.com/watch?v=Wsqdlozbt8g (いつでも夢を♪さん動画)
    (「渚のお嬢さん」B面/1965年7月発売)
    イメージ 4月の夜に 独りしのぶ
    つぶらなる あの瞳
    ぬれていた 泣いていた
    君は あゝ とおい人
    青い月の夜
    白い船の帆は
    散る恋の花か
    涙あふる
    月の夜の 白いヨット
    あの船は かえらない
     
    一すじの あつき涙
    頬ぬらす 若き日よ
    さよならと さよならで
    君は あゝ とおい人
    *
    瞼とじてきく
    月と波の唄
    あゝ 今は夢か
    白いヨット
    月の夜の 一人ぼっち
    君は あゝ とおい人
    (*くりかえし)

     
    イメージ 5太陽にヤア! 作詩:関沢新一 作曲:船村徹
    http://www.youtube.com/watch?v=NagxNzTqdf4 (kazuyanさん動画)
    (1966年6月発売)
    ウウウウ オオオオ エエエエ ア
    太陽みたい はちきれそうな
    まっかな まっかな 水着
    若いなぎさも 燃えている
    恋をするから 燃えている
    ウウウウ オオオオ エエエエ ア
    まっかな 水着 ヤァ!
     
     
     
     
     
     
    イメージ 6ウウウウ オオオオ エエエエ ア
    すてきな夜が 待ってるみたい
    ブルーの ブルーの 水着
    君の素足を ぬらしてる
    波も今夜は ねむれない
    ウウウウ オオオオ エエエエ ア
    ブルーの 水着 ヤァ!
     
    ウウウウ オオオオ エエエエ ア
    ふたりでのんだ レモンが恋し
    黄色い 黄色い 水着
    髪がゆれてる ゆらしてる
    風のことばが 気にかかる
    ウウウウ オオオオ エエエエ ア
    黄色い 水着 ヤァ!
     
     
     
    イメージ 7ウウウウ オオオオ エエエエ ア
    あの娘もイカス この娘もイカス
    いかした いかした 水着
    みんな燃えてる さがしてる
    若い誰かを 呼んでいる
    ウウウウ オオオオ エエエエ ア
    いかした 水着 ヤァ!
     
     
     
     
     
     
     
     
    真珠っ子 作詩:植田梯子 作曲:船村徹
    http://www.youtube.com/watch?v=wVCDaZH5nj4 (いつでも夢を♪さん動画)
    (「太陽にヤア!」B面/1966年6月発売)
    イメージ 8月白い夜に 真珠っ子!
    おまえは どこからきたの
    月白い夜に 真珠っ子!
    おまえは どこからきたの
    黒い瞳 白いうなじ
    月白い夜に 真珠っ子!
    おまえは どこからきたの
     
    波光る夜に 真珠っ子!
    おまえは どうして泣くの
    波光る夜に 真珠っ子!
    おまえは どうして泣くの
    とおい昔 忘られず

    イメージ 9波光る夜に 真珠っ子!
    おまえは どうして泣くの
     
    ねえ いつの日か 真珠っ子!
    おまえをつれて ゆきたい
    ねえ いつの日か 真珠っ子!
    おまえをつれて ゆきたい
    誰もいない 遠い国へ
    ねえ いつの日か 真珠っ子!
    おまえをつれて ゆきたい
     
     
     
     
     
     
    イメージ 10夏子の季節  作詩:丘灯至夫 作曲:船村徹
    http://www.youtube.com/watch?v=lLWYi02-g9Y
    (kazuyanさん動画)
    (1967年5月発売)
    夏 夏 夏 夏 夏子
    夏 夏 夏 夏 夏子
    ことしも逢えたね 夏子
     
    初めてこころを うちあけた
    まぶしいビーチの 昼さがり
    すばらしい 夏子
    夏子 夏子 すばらしい
     
    夏 夏 夏 夏 夏子
    夏 夏 夏 夏 夏子
    きれいになったね 夏子
    ブルーのスカート 風がとぶ
    はじらうひとみに 海がある
    うつくしい 夏子 
    夏子 夏子 うつくしい
     
     
     
    イメージ 11夏 夏 夏 夏 夏子
    夏 夏 夏 夏 夏子
    おとなになったね 夏子
    ためいきまじりに ふくらんだ
    むねにもやさしい 夜がくる
    すばらしい 夏子
    夏子 夏子 すばらしい
     
     
     
     
     
     
     
    あいつと私 作詩:丘灯至夫 作曲:船村徹
    http://www.youtube.com/watch?v=yFdivav89qQ(kazuyanさんの動画)
    (NTV映画「あいつと私」主題歌/「夏子の季節」B面/1967年5月発売)
     
    イメージ 12愛していると いったら負けで
    愛してないと いったら嘘で
    どうにもならずに 蹴とばす小石
    ルルルル ランラン・・・・
    若さがまぶしい 
    私とあいつ あいつと私
    私とあいつ あいつと私
     
    素知らぬ顔を しているときも
    サファイアいろに きらめく瞳
    恋しているさと 指さす誰か
    ルルルル ランラン・・・・
    噂も気になる
    私とあいつ あいつと私
    私とあいつ あいつと私
     
    寄り添う夢に 背中をむけて
    孤独なあいつ にくめぬあいつ
    気弱なこころよ はじけて消えろ
    ルルルル ランラン・・・・
    離れりゃ 淋しい
    私とあいつ あいつと私
    私とあいつ あいつと私
     
     
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    オマケ・・・夏の舟木さん
     
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    イメージ 1待ちに待ってたニューシングルCDが届きました。
     
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    眠らない青春 
    詩:舟木一夫 作曲:川崎浩史 編曲:杉村俊博
     
    イメージ 3なつかしいこの街に
    ただひとり 来たんだよ
    眠らない青春の
    想い出に 誘われて
     
    やわらかな 木もれ陽と
    手づくりの 愛の日は
    変わらずに あるものと
    おたがいに 信じてた
     
    さよならの足音は
    春の日のにわか雨
    冷たさを 耐えるには
    若すぎた 二人さ
     
     
     
    イメージ 4明日には出るはずの
    虹さえも 知らないで
    見つめ合う 瞳には
    あきらめが ゆれていた
     
    お揃いのセーターを
    ひっそりと 取り替えて
    合い鍵は 二つとも
    鉢植えに 埋めたよ
     
    イメージ 5逝く春の 哀しさを
    胸深く 抱きとめて
    あの人が 投げかけた
    ほほえみの 優しさ
     
    鮮やかによみがえる
    青春の 想い出は
    暮れなずむ 街角に
    いつまでも 眠らない
     
    いつまでも 眠らない
    いつまでも 眠らない
     
     
     
    恋人形 
    作詩:舟木一夫 作曲:山路進一 編曲:杉村俊博
     
    イメージ 8うす墨の 空はつれない 雨もよう 
    帰るあてさえ ないひとに
    いくつ折鶴 恋ごころ
    にじむ 吐息の もどかしさ
     
    イメージ 6ふるさとの 風はかおりも 秋化粧
    落ち葉しぐれる 白壁に
    揺れて とぎれて ほそぼそと
    つらい噂も 気にかかる
     
    うす紅の 目もとやつれて 恋人形
    あやめ一輪 咲く帯に
    かくしきれない あの夜の
    命かさねた 夢のあと
     
     
     
     
     
     
     
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    「眠らない青春」は、この夏、「青春歌謡BIG3コンサート」で聴けますね。
     
    イメージ 9イメージ 10
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
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    6月30日(月) 日本特殊陶業市民会館  
     
    7月16日(水) 松山市民会館
     
    7月17日(木) 岡山市民会館
     
    7月19日(土) 広島 上野学園ホール
     
    8月5日(火)   大阪フェスティバルホール
     

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    5月31日に新橋演舞場でラストライブとなった「遠藤実スペシャル~決して散らない花々」で、舟木さんは、遠藤先生の股旅ものとして「天竜母恋笠」「旅鴉」を歌われました。
     
    イメージ 1舟木さんの股旅歌謡の魅力は、若い頃のアルバム「渡世人」(1972年11月発売)でも発揮されていて、私も時々、レコードを聴いていますが、当時の若さで、股旅「渡世人」の世界を、見事に捉えて表現なさっていることに驚きます。また、お芝居の渡世人姿もセリフ回しも堂に入っていてカッコ好くウットリです。
     
    私が舟木さんと再会できたのは、まだつい二年ほど前のことですので、お芝居とコンサートの二本立て長期公演をナマで拝見できたのは、2012年の大阪・新歌舞伎座「浮浪雲」と2013年の新橋演舞場「花の生涯」、同年の新・歌舞伎座の「いろは長屋の用心棒」の三作品だけです。ですから、残念ながら舟木さんの股旅もののナマの舞台はまだ拝見したことはありません。
     
    イメージ 2ですから、オークションで手に入れたお芝居のパンフレットや、お借りしたものを拝見したりしてナマの舞台のイメージを描いています。
    舟木さんが、本格的な復活を遂げてお芝居とコンサートの長期公演が始まったのは三十周年を迎えた1993年頃のことで、それ以来、数多くの演目を舞台にかけていらっしゃいます。中でも、私の目を引くのは「股旅もの」で渡世人(ヤクザ)を主人公にした長谷川伸作品です。
    これらの股旅ものに登場する主人公たち、渡世人、ヤクザの世界をなぜ長谷川伸が描くことになったのか?また舟木さんが、舞台に長谷川作品をかけられる想いとは何なのか?・・・
    そういう想いもあって、長谷川伸の戯曲集を読んだりしながら、私なりに感じたことを綴っていきたいと思います。「舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる」というテーマでの連載形式になりますが、まとめていくのに時間がかかりそうですので、とびとびの掲載になることと思います。

    ただ、股旅物というと、渡世人~ヤクザ稼業・・・イメージとしては、ちょっと引いてしまうという方もいらっ
    しゃるかも知れませんので、長谷川伸が描いた股旅の世界について、長くなりますが、予め以下の文章を引用させていただきます。

    イメージ 3以下「長谷川伸論」
    (佐藤忠男著 中央公論文庫 1978年版)より抜粋
    <男であるということ>
    一般に長谷川伸は股旅ものの作家とされている。じっさいには長谷川伸の全作品中、いわゆる股旅ものは何分の一かにすぎないが、それがもっともポピュラーであったという点からすれば、このレッテルづけは必ずしも当たっていないとはいえない。
    じじつ、彼はこのジャンルの傑作をいくつか書いた。ただ長谷川伸の股旅ものを、単純に、やくざの世界の封建的な義理人情を礼賛するものというふうに誤解する人が多いが、それは違っていると言わなければならない。
    長谷川伸は、やくざの封建的な義理人情を礼賛したことはなかった。彼はむしろ、封建的な親分子分関係から逃げようと努力するやくざを描きつづけたといっていい。
     
    イメージ 4問題は逃げようとする動機である。長谷川伸は、やくざの世界が封建的で不合理で酷薄無我だからといって、そのヒ―ローをやくざの世界から逃げさせようとするのではないのである。~中略~長谷川伸のヒーローたちは、やくざの世界が封建的であるからそこから逃げようとするのではなくて、やくざでは女を仕合せにできないから足を洗おうか、と思うのである。たんに封建的ということなら、むかしはやくざの世界でなくてもどこだって封建的だったわけだ。~中略~長谷川伸の股旅もののヒーローたちが颯爽として見えるのは、たんに腕っぷしが強くて、いなせないい男であるというためだけではない。むしろ、それ以上に、自分は女一人すら仕合せにできないほどにやくざな男である、ということに、強烈な責任感と自責の念を持っている男だからである。女こどもの幸福に責任を持つということは、たしかに男らしさということの欠くべからざる要素であろう。~中略~
     
     
    イメージ 5あるいは「一本刀土俵入」はこうだ。旅興行の途中で親方から先の見込みがないといわれて放り出された力士志願の駒形茂平衛が、一文なしになって通りかかった取手の宿で、お蔦という酌婦から、有り金そっくりめぐまれた上に「取り的さん、屹とだよ、立派なお角力さんになっておくれね。いいかい、そうしたら、あたし、どんな都合をしたって一度はお前さんの土俵入りを見に行くよ」・・とはげまされる。それから十年後、やくざになった茂平衛はもういちどこの近くを通りかかり、お蔦がその亭主や子どもともども、土地のやくざに迫害されているのを助けてやって逃がしてやる。
     
    その幕切れの茂平衛のセリフは余りにも有名である。
    「ああお蔦さん、棒っきれを振り廻してする茂平衛の、これが、十年前に、櫛、簪、巾着ぐるみ、意見を貰った姐さんに、せめて、見て貰う駒形の、しがねえ姿の、横綱の土俵入りでござんす。」
     
    茂平衛は、自分の姉のような女をいくらかでも仕合せにしてやるために努力したあと、せめて、自分がほんとうの横綱で、つまり堅気で、彼女に堂々と幸福を与えることができたのだったらどんなに本望だったろうか、と思うのである。これらの作品に一貫して流れているのは、自分が、女こどもの仕合せに責任を負える立派な家父長であったらどんなに幸福であろうか、という思いである。しかし、自分という人間には、そういう家父長たるべき資格が欠けている、と思い、その思いにじっと堪えてみせるのである。そこが長谷川伸の股旅もののヒーローたちの”男らしさ”なのである。~中略~
     
    ここからは<瞼の母>について記されています。
     
    イメージ 6そういう思いのきわまるところで書かれたのが、戯曲「瞼の母」だと私は思う。この有名な作品では、主人公の番場の忠太郎は、自分がまだ幼い頃、自分を婚家において出て行って行方知れずになっている母親を訪ねて旅をしているやくざである。彼はいつも「顔も知らねぇ母親に、縁があって邂逅(めぐりあっ)て、ゆたかに暮らしていればいいが、もしひょっと貧乏に苦しんででもいるのだったら、手土産代わりと心がけて、何があっても手を付けずに」、百両という大金を懐に入れているのである。つまり、現在家庭は失われているが、もし自分に、本来そうあるべきであった家庭が見つかったら、そのとき、家父長として恥ずかしくないようにと、常に準備をととのえている男なのである。
     
    ところが偶然のことで忠太郎が、立派な料亭の女主人となっている母親にめぐりあうと母親は、いくら実子でもやくざに家に出入りされては娘の縁談にも差し支えて困る、と考えて、私はお前の母親ではない、と、つっぱねる。つまり忠太郎は、自分の家族である女たちの幸福に責任のとれる一人前の立派な男でありたいと願ってその準備もちゃんとととのえているつもりであったのに、それには及ばないと言われてしまう男なのである。
     
     
    イメージ 7「瞼の母」が長谷川伸の生い立ちにかかわる物語であることはよく知られている。長谷川伸の実母の「かう」は、彼が三歳のとき、夫の放蕩がもとで、伸とその兄を長谷川家に残して自分から求めて離婚して去っている。伸は七歳の時に、一度、兄と一緒に、母の再婚先の家まで線路づたいに歩いて行ったことがあるが、母の立場もあって。逢うことはできずに帰っている。いらい、消息は絶え、昭和八年に、長谷川伸が四十九歳のときに七十一歳の上流家庭の大奥様となっていた母に奇しくも再会できたのである。「瞼の母」を書いたのはそれに先立つ昭和五年であり、そこにはまだめぐり逢うことのできない母への想い描きこまれているとされている。長谷川自身、自伝や随筆やその感激の再会の記のなかに、自分がいかに母を恋いつづけてきたかを繰り返し書いているから、それはまったくたしかなことである。
     
    しかし「瞼の母」が、もしたんに母を恋うる男のめんめんたる思いだけしか書かれていない作品だったとしたら、あれだけ伝説的な作品となり得たかどうかは疑わしい。たしかにそれはそういう作品に違いないのだが同時に、それ以上のものでもある作品なのである。
     
    あの有名なセリフ、母から拒否されて憤然と廊下に出て忠太郎が独白する・・・
    「おかみさんにゃ、娘さんがあるらしいが、一と目逢いてぇ・・それも愚痴か、自分ばっかりが勝手次第に、ああか、こうかと夢をかいて、母や妹を恋しがっても、そっちとこっちは立つ瀬が別っ個・・・考えてみりゃあ俺も馬鹿よ、幼い時に別れた生みの母は、こう瞼の上下ぴったり合わせ、思いだしゃあ絵で描くように見えてたものをわざわざ骨を折って消してしまった。おかみさん、ご免なさんせ」
     
    イメージ 8ここにこめられている思いは、単に母を恋慕うというだけのものではなく、男というものは家族に対して責任をとってこそ一人前であるのに、自分にはその機会が与えられていない。という嘆きである。瞼を閉じて瞑想すれば、自分が責任をとるべき世界というものがくっきりと見えているように思えたのに、いざ、目をはっきりと見開いて現実を見るならば、自分が責任をとるべき世界はどこかに消えてしまう、という嘆きである。
     
    以上、長々と引用してしまいましたが・・・
    長谷川伸の世界で描かれている「やくざ」は、現代の私たちがイメージする「ヤクザ」とは、一線を画しているのだろうな、ということを思わせる文章です。
    「家父長」としての責任や、「女子ども」を仕合せにする・・・いわゆる「平成男子」が聞いたら「?」というような顔をするであろう古い倫理観、価値観かもしれませんが、今は、こういった「男らしさ」をほんの少しでもいいいので、取り戻してほしいような気がしています。
    舞台芝居は勿論のこと、テレビでも映画でも、もうほとんど、長谷川伸の作品はとりあげられることがなくなりましたし、民放では「時代劇」そのものが新規に制作されてはいないようですから、せめて私たち世代が舟木さんの舞台作品を通して「時代劇」「股旅もの」を見なおしてみるのも悪くはないような気がしています。
     
     
    イメージ 9長谷川 伸(はせがわ しん、1884年(明治17年)3月15日 - 1963年(昭和38年)6月11日)
    ~ウィキペディアほか参考~
    「沓掛時次郎」などの作品をはじめ「股旅物」というジャンルを作り上げた長谷川伸は、本名長谷川伸二郎。明治十七年(一八八四年)、横浜に生まれる。実母は夫の放蕩が原因で伸が三歳のとき、家を出た。家が貧しく、小学校三年生で中退して船渠に勤めるようになる。住み込みの使い走りなどするうちに、港に落ちている新聞のルビを読んで漢字を覚えた。大工や石屋の見習いを経て、好きだった芝居の劇評を新聞に投稿し、それが縁で明治三十六年にその新聞社の雑用係として入社。その後、英字新聞ジャパン・ガゼットに移る。明治三十八年、徴兵され、除隊後横浜毎朝新報に入社。明治四十四年、都新聞の記者となり、演芸欄を担当する。
     
    大正の初め、山野芋作の名前で小説を発表し、大正十三年(一九二四年)から長谷川伸として作品を描く。大正十四年、都新聞を退社、作家活動に専念し、脚本を手がけるようになる。そして「沓掛時次郎」などヒット作を手がけ、劇作家としての地位を築いた。昭和八年(一九三三年)には、名作「瞼の母」の主題となった実母と再会を果たした。
     
    昭和十五年、村上元三、山岡荘八、山手樹一郎らと十五日会を結成。これがのちの勉強会「新鷹会」の母体となる。「新鷹会」の門下生には、長谷川幸延、戸川幸夫、平岩弓枝、池波正太郎、西村京太郎、武田八洲満など俊英が名を連ね、多くの直木賞作家が輩出した。
                                    
                                                   1955年頃の長谷川伸↑
     
    昭和二十年、B29の猛爆により、戦火は東京のほとんどすべてを焼きつくしたが、さいわい長谷川邸は消失をまぬがれた。そのかわり、他で罹災した人々20人内外がいつも同居することになる。
    戦争中、まったく闇物資を買わなかったので、終戦ごろは栄養失調となり、すっかり体力を消耗していた。
    終戦後、はじめて上演された芝居は、10月4日初日の新宿第一劇場「沓掛時次郎」(片岡仁左衛門・市川寿美蔵一座)であった。
     
    昭和二十九年、3月15日、古希の祝いを新鷹会・二十六日会・二十一日会(いずれも門下生の勉強会)主催で、長谷川邸の庭に舞台を造り、大道具、小道具、衣裳、かつらなどを揃え盛大に行う。午後2時より昼夜2回の通しで、午後9時に終る。来会者約三百人。

    イメージ 10昭和三十一年、2月、「日本捕虜志」によって、第四回菊池寛賞受賞。
    3月15日、72歳の誕生日と菊池寛賞受賞を祝って、二本榎西町の長谷川邸で、新鷹会、二十六日会主催の古希の祝いと同じ趣旨の祝賀会がひらかれた。

    昭和三十二年、1月10日、冬夏(とうか)会(勉強会)発足。出席者は、土師清二、山岡荘八、戸川幸夫、鹿島孝二、棟田博、玉川一郎、志賀双六、池波正太郎、邱永漢、赤江行夫、西川満。
    このころは、健康状態があまりよくなかったにもかかわらず、二十六日会(戯曲)、新鷹会(小説)、冬夏会、八日会(ラジオドラマ)などの勉強会が自宅で行われ、後進の指導、相談相手などで、ゆっくり療養するひまもなかった。
    2月初旬から風邪ぎみだったのが悪化し、2月28日、築地明石町聖路加病院に入院、治療の結果、3月23日退院した。

    昭和三十八年、1月9日風邪をひき、その後しだいに悪化して肺炎を併発、1月22日危篤状態で聖路加病院に入院した。一時小康を得たが、ふたたび悪化し、2月19日再び危篤に陥る。この時は奇跡的に回復しその後、何度も危篤状態を迎えたが、そのたびに、持前の強い気力で蘇り、5月6日退院する。
    自宅で療養中、再び風邪をひき、6月5日再入院。6月11日御前11時半ごろから心臓に異常があらわれ、12時38分、七保夫人にみとられつつ、ついに永眠した。79歳
     
    ←最晩年の長谷川伸(1963年1月撮影)

     
    奇しくも、長谷川伸は、舟木さんがデビューなさった1963(昭和38)年6月に亡くなられました。舟木さんのデビューの6月5日から間もなくの6月11日が御命日でした。また、門下生としては、舟木さんともご縁の深い山岡荘八氏、村上元三氏もいらっしゃいます。昨年がちょうど没後50年ということで、御出身地の横浜では、追善のイベントが様々な形で開催されたそうです。

    イメージ 11以下は、舟木さんが舞台にかけられた長谷川伸作品の発表年
    『沓掛時次郎』騒人七月号掲載、1928年
    『一本刀土俵入』書き下ろし、1931年
    『雪の渡り鳥』 春陽堂(日本小説文庫)、1933年
    『瞼の母』 新小説社、1936年

    以下は、舟木さんが上記の作品を舞台にかけられた年表
    「瞼の母」東京・博品館劇場:1993年9月1日~12日 芸能生活30周年記念       右がこの公演のポスター→

    「瞼の母」東京・池袋サンシャイン劇場:1994年5月11日~15日
    「瞼の母」全国31会場でツアー公演:1994年5月17日~6月19日
    「沓掛時次郎」全国29会場でツアー公演:1999年5月14日~6月15日
    「鯉名の銀平・雪の渡り鳥」大阪・新歌舞伎座:2001年6月3日~27日
    「沓掛時次郎」東京・新橋演舞場:2001年8月2日~24日
    「沓掛時次郎」京都・南座:2002年11月1日~24日
    「鯉名の銀平・雪の渡り鳥」東京・新橋演舞場:2002年12月1日~25日
    「瞼の母」東京・新橋演舞場:2005年4月30日~5月24日
    「一本刀土俵入」名古屋・中日劇場:2005年7月2日~25日

    ~「舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(下)」につづきます~

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    ~舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(上)のつづきです~
     
    イメージ 1以前にこのブログでもご紹介したのですが、1976年には、大阪・新歌舞伎座で股旅もの「さくら仁義」を上演なさっていますので、おそらくこれが舟木さんにとっては、初めての本格的な股旅ものの舞台芝居だったのではないでしょうか。その舞台から十数年の「寒い時期」を経て、見事に第一線に復活されて、その時から股旅物の名作である、長谷川伸作品を次々に舞台化されています。おそらく「さくら仁義」の頃には、長谷川作品を手がけるには、時期尚早であると、舟木さんご自身も判断なさっていたので、初めて長谷川作品「瞼の母」を博品館劇場で開催なさった時(1993年)は、積年の夢が叶ったというお気持ちだったのではないかと推察します。
     
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69138988.html
    (「さくら仁義」アルバム「渡世人~舟木一夫三度笠を歌う」の春日局ブログ↑ )
     
    さくら仁義 作詩:すずきじろう  作曲:幸田成夫 編曲:佐伯亮 (舟木さんの御自作です)
    http://www.youtube.com/watch?v=ZLx3ezXDe_M (kazuyanさんの動画でお楽しみ下さい)
     
    さて、長谷川伸の股旅ものは、過去にも歌舞伎、新国劇、映画などにとりあげられ、多くの名優が、その登場人物(ヒーロー)を演じていらっしゃいます。「瞼の母」は映画では片岡千恵蔵(1931年)、若山富三郎(1955年)、中村錦之助(1962)などがありますが、その中の錦之助さんが演じた番場の忠太郎のストーリーをご紹介します。
     
    イメージ 2映画「瞼の母」(1962年1月14日公開)
    キャスト
    番場の忠太郎:萬屋錦之介 (当時中村錦之助)
    金町の半次郎:松方弘樹 
    おはま:木暮実千代
     
     
    あらすじ
    番場の忠太郎は五歳の時に母親と生き別れになった。それから二十年、母恋いしさに旅から旅への渡り鳥。風の便りに母が江戸にいるらしいと知ったが、親しい半次郎の身が気がかりで、武州金町へ向った。親分笹川繁蔵の仇飯岡助五郎に手傷を負わせた半次郎は、飯岡一家の喜八らに追われる身である。金町には半次郎の母おむらと妹おぬいがいる。わが子を想う母の愛に心うたれた忠太郎は、喜八らを叩き斬って半次郎を常陸へ逃がした。
    その年の暮れ、母を尋ねる忠太郎は母への百両を懐中に、江戸を歩きまわった。一方、飯岡一家の七五郎らは忠太郎を追って、これも江戸へ出た。仙台屋という神田の貸元に助勢を断られた七五郎らに遊び人の素盲の金五郎が加勢を申し出た。鳥羽田要助という浪人もその一味だ。金五郎は軍資金捻出のため、チンピラ時代からの知り合いで、今は料亭「水熊」の女主人におさまっているおはまを訪ねた。おはまの娘お登世は木綿問屋の若旦那長二郎と近く祝言をあげることになっている。だから、おはまは昔の古傷にふれるような金五郎にいい顔をしない。おはまの昔馴染で夜鷹姿のおとらも来た。金五郎がおとらを表に突き出したとき、忠太郎が通りかかった。
     
    おとらから、おはまが江州にいたことがあると聞いて、忠太郎は胸おどらせながらイメージ 9「水熊」に入った。忠太郎の身の上話を聞き、おはまは顔色をかえたが「私の忠太郎は九つのとき流行病で死んだ」、と冷たく突き放した。娘を頼りの今の倖せな暮らしに、水をさして貰いたくないからだ。忠太郎はカッとなって飛び出した。暗い気持の忠太郎を、金五郎一味が取り囲んだ。
    「てめえら親はあるか。ねえんだったら容赦しねえぜ」と、忠太郎は一人残らず斬り伏せた。一方、お登世と長二郎に諌められたおはまは、忠太郎の名を呼びながら探した。忠太郎はおはまたちから身を隠し耳をふさいだ。離れていくその後姿を拝んで、男泣きの忠太郎は風のように去っていった。 (Movie Walker サイトより)
     
    中村錦之助(当時)さんとの初の対談(1966年)→
    まだ「絶唱」の坊主刈りのなごりが見える舟木さんの髪型です。
     
     
     
     
    では、舟木さんの番場の忠太郎「瞼の母」について、ご紹介します。(以下、パンフレットより抜粋)
     
    イメージ 3平成十七年五月公演 瞼の母 二幕
    舟木一夫特別公演 新橋演舞場(4月30日~5月24日)
    原作:長谷川伸
    監修:村上元三
    演出:金子良次
     
    演出にあたって  金子良次  
     
    長谷川伸の名作「瞼の母」は昭和五年に書かれ、翌年に初演されて以来、多くの俳優が番場の忠太郎を演じてきています。もちろん、舟木さんもすでに演じておられますが、今回は私が演出を担当することになりました。~中略~「瞼の母」は作者自身の体験を素材にした作品であることは有名な話です。長谷川伸にはこうした自身の体験を素材にしたものがたくさんあります。例えば、四歳の時に母と生き別れ、父とは死別した少年時代、品川遊郭で台屋(妓楼専門の料理仕出屋)に奉公して出前持ちをしていた頃、菓子や小銭をくれて可愛がってくれたある妓楼のお女郎さんを、後年作家になって「一本刀土俵入」のあびこ屋の酌婦お蔦に仕立てて登場させています。江州飯田の郡番場の生まれ忠太郎は架空の人物ですが、作品ゆかりの土地(中山道番場宿)にある蓮華寺本堂の裏山には「番場忠太郎地蔵」があります。これは昭和三十三年、長谷川伸が発願して建立した地蔵で、その台座には次のような文章が刻まれています。
     
    イメージ 4南無歸命頂禮
    親をたづぬる子には親を
    子をたづぬる親には子を
    めぐりあわせ給え
     
    イメージ 5
     
     
     
     
     
     
     
     
    生き別れになった親子にはそれぞれの事情があってのことでしょうが、親子の思慕の情を想う時、この文章は胸にジワリと迫ってきます。まして、母を想う男の子の心情を思いやるとき、またいちだんとせつない感情が滲んできます。幸なことに、作者自身は「瞼の母」を書いて三年後の昭和八年、四十七年振りに生母と邂逅しています。
    「瞼の母」を読むと、忠太郎は女々しいと思われるくらいに泣いています。三十過ぎの渡世人忠太郎は、きっと母を想うとき、別れた時の五歳の子どもに戻っているのでしょう。
    番場の忠太郎は演ずる人によっては感傷的になりやすく、一筋縄ではいかない役柄です。しかし、浮き沈みの激しい芸能界を「赤い詰衿」を着る年齢まで走り続けてこられた舟木さんのことですから、男の強さと情への弱さを併せ持った忠太郎の微妙な陰影を、魅力いっぱに創造してくれるに違いありません。
    ~後略~。
     
    番場の忠太郎地蔵
    蓮華寺:JR米原駅からバス「番場」(乗車時間・約10分)下車、徒歩約5分

     
    イメージ 6
     
                         1993年初演「博品館劇場」の忠太郎↑
     
    同じく、パンフレットより「インタビュー (聞き手:ペリー荻野)」 抜粋
     
    長谷川作品の三大名作といわれる「沓掛時次郎」「雪の渡り鳥」「瞼の母」、舞台でも演じている前二作品に比べて、「瞼の母」の主人公・番場の忠太郎には独特の難しさを感じているとか。
     
    (舟木さん)
    「沓掛時次郎」も「雪の渡り鳥」も、主人公の持つしがらみとか、人間関係とかがとても芝居っぽいというのかな、気持ちのぶつけどころがあるんですね。でも、「瞼の母」は、長谷川先生のほぼ自伝であるということもあってか、感情の出しどころが少ない。ほかの二作品には、相手役の女優さんがいて、それなりに色模様も出せるけど、忠太郎の相手はおっかさんだけでしょ。見せ場の水熊の居間の場面でも、おっかさんとすれ違って、気持ちをぶつけることもできない。難役といわれるわけですよ。
     
    難しい、と言いつつ、ずっと笑顔なのは、何か秘策がある?
     
    イメージ 7(舟木さん)
    いや、そうなってくると、舞台の役者っていうのは面白いもんで、じゃあこの役をどこまで上げられるか、勝負だという気持ちになるんですよ。この役は、最初のヤクザの表情から、本当におっかさんだとわかって、逢えたうれしさ、純粋に喜ぶ少年のような表情が出てきます。そこでお客様をくすっとさせたり、ざわつかせちゃいけない。その少年っぽい顔から、愛想尽かしされて、またヤクザへと戻っていく、その芝居の薫り、においを大切にしたいんです。
    そのおっかさん役は十二年前(博品館劇場)にも共演した香川桂子さんです。
    稽古に入る前、資料にと思って、前公演のVTRを見たら、香川さんのおはまのじっくりした間に、僕はどうしても少し間が速かった。稽古のときから、香川さんに合わせようとすごく意識していたはずだったのに、間に乗れてないんですよ。当時、僕はまだ四十代でしたからねえ。川口松太郎先生や村上元三先生が「舞台の役者は五十代にならないと、色気なんか出やしないよ」とおっしゃっていたのは、こういうことなのかと納得しました。

     
     
    「瞼の母」の事実と”実”  袴田京二(演劇ライター)」 おなじくパンフレットより抜粋
     
    イメージ 8「瞼の母」が作者の実体験にもとづいて書かれたことはよく知られている。~中略~
    別れて暮らしていた実母と再会したのは、昭和八年。この四十七年ぶりの出来事は当時、大きな話題となった。番場の忠太郎のように「縁があって邂逅(めぐりあっ)て、ゆたかに暮らしていればいいが、もしひょっと貧乏に苦しんでいるのなら・・」と心配したことは、幸いにもなかった。しかし、その時点で「瞼の母」はすでに初演(昭和六年明治座、主演は十三世守田勘弥)をすませていた。その現実との”結末”の違いから、作者の判断で、一時上演されなかったという話も伝わっている。また、大詰の演出も今行われているもののほかに、忠太郎が母と妹を追っていく、あるいは再会した三人が手を取り合おうとするところで幕になる脚本も実際に書かれ、上演されたことがある。
    こうした作品への思い入れの深さは、例えば、番場の忠太郎、駒形茂兵衛、沓掛時次郎、鯉名の銀平といった長谷川戯曲の主人公をはじめとする、登場人物の名づけ方にも表れている気がする。それは「瞼の母」「一本刀土俵入」「雪の渡り鳥」といった、内容をふまえてみごとにつけられた題名と同様、ときにはそれ以上に日本人の心に浸透し、親しまれていると思う。歌舞伎や新国劇、大衆演劇のほかに映画、浪曲、講談、歌謡曲と広い分野で”彼ら”が活躍したこともその背景にあるだろう。
    「荒木又右衛門」のような時代小説の大作も手掛け、歴史研究の分野でも造詣の深さで知られるが、長谷川戯曲の人気の深さを不動のものとした背景には、やはり「股旅物」の存在が大きい。
    そこに描かれるのは、歴史に残る人物と言うより何かを背負って生きる、それこそ名もない「渡世人」の姿である。必ずしも、その姿や形が美しいというのでなく、堅気ではない(なかった)ことで悩み、苦労した結果あえて不利な役目にも回らなければならない、そんな「しがねえ姿・・」(駒形茂平衛)もきちんと描かれるところに、観客は共感するのだ。そして作者の温かな目はメインキャストにとどまらず、登場人物すべてにそそがれている。
     
    ↑忠太郎像:長浜から醒ヶ井の宿へ行く途中、国道21号線、番場交差点付近
     
    「幼い時に別れた生みの母は、こう瞼の上下ぴったり合わせ、思い出しゃあ絵で描くように見えてたものを・・・」「俺ぁ、こう上下の瞼を合わせ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおっかさんの俤(おもかげ)が出て来るんだ・・・」
    「瞼を合わせる」有名なセリフを、忠太郎は水熊と荒川堤で二度語っている。そこに何の不自然さもなく、観客の心に余韻を残すのは脚本の力であり、役者によっても異なった味わいの出る名セリフだ。
    自伝の書名である「*一市井の徒」(後日、拙ブログにて紹介します)とそのままに誠実な生涯を送り、昭和三十八年六月十一日、東京の聖路加病院その幕は閉じられた。享年七十八歳。~後略~

    ~舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(下)につづきます~

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    5月31日の「新橋演舞場シアターコンサート」から一ケ月近くが経ちました。
    バラから菖蒲、紫陽花、くちなし、と盛りの花が変わり、そろそろ木槿(むくげ)も咲き始めています。
     
    6月は、関東、東北での「青春歌謡BIG3」が6会場で開催され、来週月曜日の6月30日には、舟木さんの地元の名古屋に、やっと「青春歌謡BIG3」がやってきます。私としては、一ヶ月ぶりに舟木さんに逢えるのでワクワクしています。
     
     
    イメージ 1
     
                                      上野公園・不忍池ごしに弁天堂を臨む↑
     
    不忍池の弁天堂
    恋仲の2人がそろって弁天様を拝むと、「弁天様が嫉妬して、別れさせる」との言い伝えがあるそうです。
    この後に行った湯島天神に関わりのある泉鏡花作「婦系図」の中にも不忍池の弁天様が登場します。
     
    イメージ 18この一カ月間、舟木さんに逢えないということもあってちょっと淋しいので、歌舞伎や落語を楽しむ予定を組んで3日間上京しました。
    せっかく、東京まで行くのですから、やっぱり「舟木さんを探すさんぽ径」も楽しみたいと思い立ち、いろいろ考えて、時間的にもムリなく回りやすいコースを組んでみました。
    以前から、ずっと行ってみたいと思っていた場所があります。「四ツ谷若葉町」です。
     
    6月は舟木さんのデビュー月でもあるので、萩原町から上京されて、最初に住んでいらしたという四ツ谷若葉町界隈も訪ねてみることにしましたので、最後にご紹介しますね。
     
    では、タイトルにも掲げたように、楽しんで来た歌舞伎や落語などのことも少しだけ紹介しながら、「さんぽ」の行程をたどってみます。
     
     
     
     
    イメージ 2先ずは、私の上京時の定番スポットの
    上野公園・不忍池からスタートします。
     
    西條八十の「かなりや」の歌碑↓
     
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    「かなりや」の詩は大正七年秋不忍池畔にあった上野倶楽部というアパートの一室を仕事部屋にしていた西條八十が朽葉散る上野の山東照宮のあたりを逍遥しているうちに得られた名作である。わが国の芸術童謡興隆の機縁となったこの作誕生の地を記念して之を建てた。
      昭和三十五年四月   西條八十会

    不忍池に面して建っている歌碑の裏側に回ってみると上記のような歌碑建立の由来が刻まれていました。
     
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    不忍池の蓮は見頃が終わり、咲き残りがチラホラ↓
     
    イメージ 4「かなりや」歌碑は、上野恩賜公園内、不忍池弁天島の天龍橋手前にある歌碑で、1960(昭和35)年に「西條八十会」によって建立されました。碑面には忘れた唄を思い出す「かなりや」の四番の歌詞が自筆で刻まれています。上野東照宮を散策していた時にこの「かなりや」の唄を作ったのを記念してこの地に建てられました。
     
     
    さて、上野公園を後にして向かったのは、舟木さんともご縁の深い新派でも有名な「婦系図」の舞台となった湯島天満宮(通称:湯島天神)です。

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    湯島天神は、高台にあって、男坂、女坂、そして夫婦坂(一番後で名付けられた)と境内への入り口が色々あるのですが、女坂から登って行きました。
                        サブちゃん(北島三郎)書のこんな石碑もありました
     
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    夏越の祓
    犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。
     
     
     
     
     
    イメージ 9茅(ち)の輪くぐり
    茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓うもの。
    もちろん、くぐってきました。なんせ、穢れ多き人間なもので・・三回では足りなかったかも(汗)

    湯島天神での舟木さん探しは、舟木さんも歌っていらっしゃる「湯島の白梅」は外せませんね。
     1978年5月発売「アルバム・舟木一夫ふれんどコンサート」収録
     
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    流行歌「湯島の白梅」は、1942(昭和17)年7月公開の東宝映画「婦系図」(泉鏡花原作、マキノ正博監督)の主題歌として作られた。
     
    湯島の白梅
    作詩:佐伯孝夫、作曲:清水保雄

    湯島通れば 想い出す
    お蔦(つた)主税(ちから)の 心意気
    知るや白梅 玉垣(たまがき)に
    残る二人の 影法師
     
    忘れられよか 筒井筒(つついづつ)
    岸の柳の 縁むすび
    かたい契りを 義理ゆえに
    水に流すも 江戸育ち
     
    青い瓦斯燈(がすとう) 境内を
    出れば本郷 切通(きりどお)し
    あかぬ別れの 中空(なかぞら)に
    鐘は墨絵の 上野山
     
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    瓦斯灯
    「湯島の白梅」の歌詩中に、「青い瓦斯(ガス)燈」が登場する。湯島天神境内にはかつて五基のガス灯があったという。日本に於けるガス灯の歴史は横浜の実業家、高島嘉右衛門が興したガス会社が1872年(明治5年)に横浜の馬車道や本町通りなどに灯したガス灯に始まる。その後、高島は東京銀座にもガスの灯を灯し、1885年(明治18年)には東京府瓦斯会社(現在の東京ガス)が設立されている。やがて電気の光に取って代わられるまでの短い期間、ガスの灯は“文明開化”の象徴として東京の夜を照らしたのだ。湯島天神のガス灯は、使われなくなってからも、そのうちの一基だけが長くその姿を残していたが、それも1965年(昭和40年)に撤去されてしまった。現在の湯島天神境内に、東京ガスの協力を得てガス灯が設置されている。点灯する屋外のガス灯は東京都内で唯一のものだそうだ。ガス灯は男坂上の鳥居横に設置されており、傍らに文京区観光協会による解説板が立てられている。(文京区「佳景探訪」サイトより)
     
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    新派」碑由来  ↑
    この「新派」の記念碑は新派劇創立九十年を迎えた昭和五十二年十一月一日松竹株式会社と水谷八重子氏により新橋演舞場玄関脇に建てられました。新派の始まりは明治二十一年十二月自由党壮士角藤定憲が同志を集め大阪の新町座で「大日本壮士改良演劇会」の旗揚げをしたのが起源とされています。風雪はげしい九十年ではありましたが 今日「劇団新派」として隆盛を見ましたその先人たちの労苦を偲び併せて今後の精進を誓うべく記念碑の建立を見た次第です。
    そして新橋演舞場の改築にあたり当湯島天神様のご好意により新派とは深い縁で結ばれております当湯島天神様のご境内に移させていただいたものです。なお、碑の題字は作家の川口松太郎氏の揮毫により設計は舞台美術家の中嶋八郎氏です。
    左側の梅樹は昭和三十一年新派の名優故花柳章太郎氏の献木によるもので奇しくも記念碑と献木が同じこの場所に並んだ次第です。
       昭和五十四年四月二十六日
     
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    婦系図
    文豪・泉鏡花が1907(明治40)年、1月1日から4月28日「やまと新聞」に連載。
    1908年(明治41年)の伊井蓉峰、喜多村緑郎による初演以来、新派の代表作のひとつになっている。
    この小説には、鏡花が神楽坂の芸者桃太郎(本名:伊藤すず)と同棲したものの、それを文学の師・尾崎紅葉から反対されて、やむなく別れたことがあるという(後に正式に結婚)実体験が反映されているという。
           平成二十年、新橋演舞場での公演ポスター→
           主税:片岡仁左衛門 お蔦:波乃久里子
     
    新派の「婦系図」で有名な、湯島天神社で、早瀬主税がお蔦と交わすセリフ。
    主税:月は晴れても心は闇だ。お蔦、何も言わずに別れてくれ。
    お蔦:切れるの別れるのって、そんな事は芸者の時に云うものよ。……私にゃ死ねと云って下さい。
    実は、このセリフは、原作にはなかったもので、明治41年(1908)9月、新富座で初演された際、脚色者の柳川春葉とお蔦を演じた喜多村緑郎が二人で付け加えたものだそうです。
    しかし、泉鏡花はこの脚色が大変気に入り、大正3年(1914)に、この別れの場面だけを一幕物の脚本「湯島の境内」として書き下ろしています。
     
     
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    泉鏡花の筆塚もあります。
    筆塚
    「婦系図」の作者である泉 鏡花の「筆塚」も昭和十七年に、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられました。
     
    梅の花ではなく、ちょうど梅の実の季節で、既に熟し切った大きな梅の実がいっぱい落ちていました。
    シロップ漬けにしたら美味しいのに、あのまま捨て置かれるのか、とっても気になりました。

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    イメージ 19湯島天神から、向かったのは神田明神です。メトロ千代田線沿いにお茶の水方面に歩き、妻恋坂交差点を右手に折れると神田明神の裏参道の階段があります。その急な階段を上ると15分足らずの近道でした。舟木さん探しのお目当てはもちろん、銭形平次の碑です。

    神田神社(通称:神田明神)
    神田祭をおこなう神社として知られる。神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。
     
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    ここでも夏越祓の茅の輪くぐりがありました。
     
     
     
     
     
     

     
     
     
     
     
     
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    境内ではくちなしの花が香っていましたが、もう盛りを過ぎて終わりがけのようでした。
     
    くちなしのバラード
    作詩・作曲:万里村由紀子
    (kazuyanさんの動画で)
    ひそやかなためいき 小さくひとつ
    ひそやかな花の香に 小さくきえた
    君のその手は とてもつめたいけど
    なにもいわずに ぼくにあずけて
    見つめていようよ 白いくちなしの花
     
     
    イメージ 23ひそやかなはじらい かすかにひとつ
    ひそやかな花かげに かすかにだいた
    ぼくの心に 鐘がなってる
    なにもいわずに いついつまでも
    見つめていようよ 白いくちなしの花
     
    ひそやかなまなざし やさしくひとつ
    ひそやかな花びらに やさしくゆれた
    君のその目は 夜霧にぬれたけど
    なにもいわずに そっとよりそい
    見つめていようよ 白いくちなしの花
     
     
     
     
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    銭形平次の碑
    野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次が当神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、敷地内の本殿右手横に「銭形平次の碑」がある。
    (向かって右の小さな石碑は八五郎)

    銭形平次 
    作詩:関沢新一
    作曲:安藤実親
     
     
     
     
     
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    ←銭形平次の碑建立発起人
     
     
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    平次親分の碑に御挨拶をして、JR御茶ノ水駅前でちょっとお茶してから、舟木さんの「第二の故郷・四ツ谷」に向かいました。
     
    ~舟木さんを探すさんぽ径~上野/湯島/神田から四ツ谷若葉町へ(中)につづきます~
     

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    ~舟木さんを探すさんぽ径~上野/湯島/神田から四ツ谷若葉町へ(上)のつづき~
     
    いよいよ、舟木さんの第二のふるさとである四ツ谷に到着!
    その前に、直接舟木さんには関わりはありませんが、今回の上京で楽しんだあれやこれやを、写真で軽くアップしておきます。舟木さんがなかなか出てこなくて申し訳ありませんが、しばらく御辛抱の上、お付き合い下さいね。
     
    先ずは渋谷BUNKAMURAのシアターコクーンで開催の「コクーン歌舞伎・三人吉三」観劇
     
    あらすじ(歌舞伎美人HPより)
     
    節分の夜、同じ吉三の名を持つ三人の盗賊が出会い、義兄弟の血盃(ちさかずき)を交す・・・
    僧侶崩れの和尚吉三(六代目中村勘九郎)、振袖姿のお嬢吉三(中村七之助)、浪人のお坊吉三(尾上松也)。数奇な運命に導かれ翻弄されながらも、がむしゃらに命を賭して生きる三人。
    名刀「庚申丸」と「百両の金」が様々な人の手を巡りもたらす悲劇の連鎖・・・
    流麗な七五調のせりふと刹那的な美しさが溢れ出し、幕末の混沌として退廃的な世相を汲み取った黙阿弥の美の世界が弾け出す。若いエネルギーが躍動し、ジャンルを超えた個性豊かな俳優たちが集結する熱い舞台。
     
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    新宿末廣亭 六月下席
     
    大好きな柳家小三治師匠が夜の部の主任。いつものように、二階席(桟敷)最前列から拝見しました。枕は、ボーリングのおはなし。若い頃、女性プロ並木恵美子さんに2点差で勝った216点の腕前がいまでは100点にとどかないというお話をとっても嬉しそうに話されて、そんなところがなんとも大らかで魅力的です。
     
     
    大好きなバイクも50代から出てきたリウマチのために、できなくなった。今でもバイクにはとっても乗りたいとおっしゃってました。この日の演目は、十八番「野ざらし」
    http://www.youtube.com/watch?v=EPTuY8D3giw (若い頃の「野ざらし」)
     
     
    次は歌舞伎です。お目当ては片岡仁左衛門さんの7ヶ月ぶり復帰のお姿です。
     
    イメージ 6歌舞伎座 六月大歌舞伎
     
    昼の部の「お祭り」鳶の頭のみのご出演でしたが、お孫さんの千之助くんとの共演でお元気な姿が拝見できて本当に安心しました。
     
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    イメージ 12イメージ 11新宿二丁目・道楽亭 
    古今亭文菊の会「文菊乱れ咲き」
     
    ラストは新宿末廣亭や新宿御苑のすぐ近くにある「新宿二丁目・道楽亭」。個人の落語愛好家の方で、数多くの落語会を企画・主催なさっていて落語会の終演後には、出演された噺家さんも交えた懇親会にも参加できるというお楽しみもあります。古今亭一門の若手有望株(既に、浅草芸能大賞新人賞はじめ多くの賞を受賞されている)である古今亭文菊師匠の会に寄せていただきました。
    演目は「七段目」「藪入り」
     
     
    イメージ 13さて、長らくお待たせしました。
    舟木さんの第二の故郷・四ツ谷若葉町界隈のさんぽの様子をご報告します。
     
    JRお茶ノ水駅から乗車したので、先ずは、四ツ谷駅の「麹町口」から改札をでました。
    舟木さんがデビューの一年前の五月に上京して、上智大学のグラウンドが見える土手で歌の練習をしていたということでしたので、その土手を歩いてみることにしました。
     
    以下の地図は舟友さんから、頂戴しました。すぐれものの地図で、この地図のおかげで無事「舟木さんを探すさんぽ」ができました。感謝を込めて、ありがとうございました。
     
    四ツ谷・若葉町付近の詳細な地図
     
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    先ずは、上智大グラウンド土手へ 
     
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    ~四ツ谷付近は外濠に面しているので、上智大学の前などは青々とした土手になっています。
    その土手の下が、外濠だったのですが、数年前に埋められて、いまは運動場になっています。
    しかし、散歩にはもってこいの土地と申せましょう。
    夜になると、舟木君は、歌をうたいながら、土手の付近をよく散歩するのでした。

    イメージ 15土手の向こうには、今は国会図書館になっている赤坂離宮の立派な建物も見えます。
    舟木君は、未来の歌手を夢みながら、一心に歌をうたっていたのです。~
    (近代映画1963年11月号より)
     
    土手下のソフィア通りを歩くと・・・
    聖イグナチオ教会の入り口と上智大学正門が
     
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           上智大学土手は鬱蒼とした桜の並木道↓
     
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    上智大土手上からグラウンドと丸の内線が見える↓
     
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     ←この土手は紀尾井町のニューオータニまで続く
     
     
     
     
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    手をニューオータニまで歩いて、階段を下りると紫陽花満開のニューオータニの駐車場(裏側?)らしきものがあって、そこから再び四ツ谷駅にUターン。尾張名古屋藩屋敷跡の石碑。そして、なぜこのあたりを「紀尾井町」と呼ぶようになったかの看板もありました。
     
        ~「紀」=紀州徳川家、「「尾」=尾張徳川家、「伊」=彦根藩井伊家~
     
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    紀尾井町の名前の由来
    江戸時代に坂の北側には尾張徳川家(現在は上智大学)、南側に紀州徳川家(現在は清水谷公園やグランドプリンスホテル赤坂)、彦根藩井伊家(現在はホテルニューオータニ)の屋敷があったことから、一字ずつ取って紀尾井坂と呼ばれるようになる。周辺の紀尾井町という町名もこの坂に由来する。また、これらの大名の城下町だった和歌山・名古屋・彦根の3都市をまとめて「紀尾井」と呼ぶこともある。
     
    イメージ 24土手下のソフィア通りを歩いて、四ツ谷駅に戻って四ツ谷見附橋を赤坂口方面に渡ると、地下鉄丸ノ内線の駅があります。駅から迎賓館方面に歩いていくと、上智大のグラウンドの向こうに、さっき歩いた土手ごしに上智大や聖イグナチオ教会の建物が見えます。
     
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    丸ノ内線ホームから見た聖イグナチオ教会、上智大学↑
    (写真の左下は地下鉄車両の端っこ)
     
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    ↑地下鉄・四ツ谷駅と ←JR四ツ谷駅の赤坂口は隣接
     
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    右の写真のバス停は、今はなくなったようですが、代わりにタクシー乗り場があって、この写真と照らし合わせると、そのあたりが、このバス停のようです。
     
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    アップにしたバス停の写真の元画像が左の画像です。この写真の道路の様子と、私が撮影した写真↑の道路の様子が木立の具合から照合してるように思います。
    この道路をもう少し進んでいくと右斜め方向が迎賓館です。
     
     
     
    迎賓館と言えば・・・「その人は昔」のロケ現場です。
     
     
    下の写真は私の撮影ではないですが上の道路を先に進んだところの信号機で、遠景に迎賓館が見えます。正面玄関は、この信号を右に渡ると真っ直ぐ前に見えます。
     
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    以下の写真は、私の撮影です(ポンコツ携帯カメラなのですみません)高い木立の真ん中に迎賓館の正面玄関が見えます。
     
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    迎賓館正門前あたり
    http://www.youtube.com/watch?v=31lFiBP3QVs その人は昔「予告編」
     
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     ←迎賓館前の若葉東公園
     
    このあたりで、ロケの撮影の合間に休憩している舟木さん、洋子ちゃんの写真もどこかで見たような記憶があります。
     
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     この付近にもくちなしの花が咲いていました。
     
    くちなしの花 作詩:水木かおる  作曲:遠藤実
    (kazuyanさんの動画です)
     
     
    「その人は昔」は、四ツ谷駅ホームでの撮影もあったんですね。
    http://www.youtube.com/watch?v=yY1ClZVYP-4  その人は昔「劇中歌・感じが良かったよ」
     
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      ←赤坂口側の道路から見た地下鉄四ツ谷駅のホーム
       四ツ谷駅ホームで待ち合わせ、カズオを見つけたヨウコの笑顔ですね
     
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    迎賓館から四谷見附の交差点に引き返して、お待ちかねの若葉町へと・・・・
     
    イメージ 4537年5月に上京して最初に住んだのは、四ツ谷・若葉町一丁目のアパート・青葉荘。六畳、三畳間の二部屋に、ホリプロダクションのマネージャー。阿部勇と同居、いわば下宿生活だった。
    そこからほど近い聖イグナチオ教会の丘や上智大学グラウンドの土手で夜な夜な歌の練習をし、西荻窪の遠藤実のもとへ、毎週レッスンに通った。
    そんな健気な姿に、地元商店街の住人たちが町ぐるみの応援をしてくれた。銭湯・梅の湯の主人・田中喜一は番台の横に<当浴場でご入浴の皆さん、舟木一夫君に御声援を・・私たちの身近なこの若葉町内から未来の大スター舟木一夫君が歌謡界にデビューしました>と手書きの大きな貼り紙をし、毎月のテレビやラジオの出演スケジュール表を掲示した。また、町内に住む演劇評論家安藤鶴夫や読売巨人軍応援団長・関矢文栄などの心強い後押しもあった。
    四ツ谷・若葉町は舟木一夫にとって忘れ難い「第二の故郷」になった・・・~
    (芸能生活40周年記念写真集舟木一夫青春の旅人マガジンハウス編)より
     
     ~舟木さんを探すさんぽ径~上野/湯島/神田から四ツ谷若葉町へ(下)につづきます~

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    ~舟木さんを探すさんぽ径~上野/湯島/神田から四ツ谷若葉町へ(中)のつづき~
     
    いきなり、たいやきの登場で、恐縮ですが・・・上野、湯島、神田からお茶ノ水を経て、四ツ谷へと、ずんずん歩きまわってお腹もすいてきたので、有名なたいやき屋さんの「わかば」で評判のたいやきをイートインしてきました。
     
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    末娘からの情報によれば、東京のたいやきの「御三家」というののひとつが、この「わかばのたいやき」だそうです。あとのふたつは、麻布十番の「浪花家総本店」、人形町の「柳屋」とのこと。舟木さんのデビュー当時の応援団のおひとり安藤鶴夫さんもお薦めと発言なさったたいやきだったそうで、評判になったそうです。皮はパリっと薄く、あんこは尻尾までビッシリ、塩味と甘味といずれも濃厚で、男の人にも人気があるようです。お店の前で
    並んでるお客さんは女性よりなぜか男性の方が多かったです。
     
     
    若葉町付近の地図を再度アップします。
     
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    イメージ 4舟木さんが、若葉町に来て、一番最初に住んだのが「青葉荘」古い雑誌には、「青葉荘」の写真は、よく載っていますね。  この2枚は「青葉荘」時代の写真です。
    でも、あっという間に人気アイドルになった舟木さんなので、すぐに手狭になったのでしょう。翌年には、同じ若葉町内で引っ越しをなさっているようです。
    その二番目のお住いだったアパートが、嬉しいことにまだ残っているとお聞きしたので行ってみました。
     
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            現在も残っている(お住いになっている方がいらっしゃるようです)
         四階建てのアパート「若葉荘」
        舟木さんは三階に住んでいらしたそうです。
         (1964(昭和39)年当時の画像↓)
     
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    地図をご参照下さい。位置的には「たいやきのわかば」
    のちょうど裏側あたりにありました。
    (2004年当時の画像↓)
     
     
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                              1964年、住んでいらした頃の画像(三階の窓)
                     
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    私の撮影した現在の建物の写真。
    窓の手すりのフォルムを見比べてください。
     
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    全景です。玄関口は道路に面してなくて、この手前に一軒、新しい家が建っていて、そこの脇を、中に入っていくと玄関口(フェンスの向こうが玄関口への通路)に入れます。右は左手の路地からの写真です。
     
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    以下は、安藤鶴夫さんと舟木さんとの関わりについてのネット上からの情報です。
    抜粋させていただきました。

    イメージ 13「安藤鶴夫さんがラジオで話したことをまとめた本「昔・東京の町の売り声」(旺文社文庫 昭和53年発行)に舟木一夫のデビュー当時のエピソードが載っています。
    安藤鶴夫さんの玄関に、小太りの男の人と、つめえりの清潔でかわいい学生服の青年が訪ねてきました。太った人は、当時の巨人軍の応援団長だった、関矢文栄さんと、青年は舟木一夫でした。

    この舟木一夫という青年が、レコードを出したから、ぜひ聞いてほしいということで、「高校3年生」のレコードをかけたのです。「美しい、抒情性にみちているようなうたいぶりに、感動した」と安藤鶴夫さんは書いています。この巨人軍の応援団長関矢さんと舟木一夫との出会いは、四谷から赤坂にぬける、上智大学の前の土手ぞいの外堀公園でした。その下は、もと江戸城のお堀で、グランドになっています。

    イメージ 12応援団長の関矢さんは、応援の声を鍛えるため、その外堀公園に来たのです。
    そこに、一人の青年がいて、フランク永井の歌を歌っていました。デビュー前の舟木一夫で、そこで歌のレッスンをしていたのです。
    その話を聞いて、「がんばれよ」と声をかけ、別れましたが、次に逢ったのは、関矢さんの近所の風呂屋でした。そこのしまい風呂の湯ぶねに顔だけのせて、舟木一夫青年は、やはりフランク永井の歌を歌っていました。舟木一夫は、その近くに間借りしていて、その風呂屋にきては、歌を歌っていたのです。そこで、その風呂屋の主人も奥さんも、そこのお客さんも、みんなが、舟木一夫青年を応援していたのです。そういう縁で、そこ、若葉町というのですが、その若葉町界隈の住人がこぞって、舟木一夫を応援するようになりました。町ぐるみの応援団です。
    安藤鶴夫さんは、昔は、例えば自分の育った浅草などでは、よくあった話だが、と次にように書いています。「みんな、自分のことしか考えないこの頃の御時世にあって、これは、まことに、心あたたまる人情話ではないか。」
     
    私は、この話がとても好きで、それに住まいが近いこともあって、舟木一夫というとすぐこの話を思い出します。私は、外堀公園はよく散歩します。若葉町へも時々買い物に行きます。昨日書いた、舟木一夫後援会の事務所は四谷よりです。
    安藤鶴夫さんは、その当時担当していた、ニッポン放送の「ラジオエッセイ」に関矢文栄さんと舟木一夫を呼んで、このことをお話したのです。昭和38年の8月20日です。
    その後、舟木一夫は、とんでもなく忙しくなります。それでも、時間をみては、その風呂屋に行って、そのしまい風呂で歌を歌いました。今度は、フランク永井の歌ではなく、自分の歌を歌いました。 」
     
    最後に、ミーハー的には、とっても気になるスポットです(笑)
     
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    既に、47年も前の雑誌の記事ですが、なんだか気になる初公開「ぼくの3つの秘密!」です(笑)
     
    上の記事の「そのとき、お菓子を包んでくれた・・・」の後にも、記事は続きます。もちろん文中では和菓子屋さんを坂本屋さんと特定しているわけではありません(笑)でも当時、18才の舟木さんの淡い恋の思い出・・・真偽のほどはいかばかりか知る由もありませが・・・もし、こういった思い出があるなら、さらに若葉町への親しみが増すように思います。
     
     
     
    坂本屋さんの、お菓子は、今回は買わずでしたが、四ツ谷のこのあたりは、都会ながら、緑も多くてこの日は風も爽やかでした。ぜひ、一度おでかけになってはいかがでしょう。
     
    梅の湯さんの跡地は、私は、ちょっと特定できませんでしたが、地図にもあるように、元の後援会の事務所などもあったそうですから、古くからのファンの方には馴染みの深い場所なのですね。
     
    それにしても、舟木さんが50年も前に、お住いになっていた建物がまだ残っていて、住居として使われていることは、本当に驚きでした。我ながら決定版「舟木さんを探すさんぽ径」というところです(笑)
     
     

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    イメージ 15月31日の新橋演舞場のシアターコンサート以来、1ヶ月ぶりの舟木さんのステージを拝見しました。
    「青春歌謡BIG3」、4月4日の神奈川からスタートして、神戸、関東、九州、北海道、関東に戻って、東北と続きやっと舟木さんの地元の愛知県・名古屋市にやってきてくれました。ツアーの全行程としては、三分の二が終わったというところですね。7月中旬には四国・中国で開催ですからお近くのファンの皆さんはお待ちかねでしょう。
     
    イメージ 2私は、この日、夜の部を拝見しました。
    会場は、現在、名古屋の御園座も休館になっているので、歌舞伎公演はじめ、コンサートなどたくさんの催しが行われている、金山の日本特殊陶業市民会館です。昨年の秋には、舟木さんのソロ・コンサートも開催されました。

    大ホールのフォレストホール1階から4階までで全座席数は2291席、夜の部も、一階席(1542席)はほぼ満席でした。昼は、さらに客席は賑やかだったことでしょう。
     
    イメージ 3当日チケット引き換えの窓口が、混雑していて、開演時刻が10分ちょっと遅れましたので18時15分に緞帳が上がりました。私のお隣の席の方は、ご夫婦連れでしたが、BIG3は、特にご夫婦で来られている率が高いような気がします。やはり、BIG3というのは、青春歌謡というジャンルの代表のお三人なので、三人揃うと、より「懐かしさ」を感じるということもあって、どなたかのファンというより「青春歌謡」を懐かしむというお気持ちで足を運んでいらっしゃるのかもしれませんね。
    お隣のご夫婦とは、開演前にお喋りさせていただきましたが、男性が、「三人とも、70近くなってこうして、聴きにきてくれる人がたくさんいるというのは幸せだね・・」と、しみじみおっしゃっていました。男性のお客さんは、女性とは、また違った視点で楽しんでいらっしゃるようですね。
    では、皆さんのトークも少し交えつつの報告です。舟木さんのトーク部分はピンク文字。
    西郷さん、三田さんのトーク部分はグリーン文字。
     
     
     

    イメージ 4イメージ 5青春歌謡BIG3  
    夕方の部 18:15~20:15
     
    緞帳が上がると、下手から三田さん、センターが舟木さん、上手に西郷さんという並びです。
    舟木さんは黒のフォーマルスタイルのタキシード。この登場の時だけしか拝見できないので、目を大きく見開いて、凝視しました(笑)三田さんは、シルバーサテンのようなスーツ、西郷さんは、白のスーツ。
    舟木さんが、開演時刻が遅れたことの説明などなさって、先ずは、三田さんのコーナーから。

    三田明さんのコーナー
     
    (日活映画の場面がバック)
    デビュー曲というのは、いつ歌っても心が弾みます、お互い、同じ時間を共有してきましたから、懐かしい気持ちになりますね。と三田さん。
     
     
    イメージ 6美しい十代の動画を見てたら、私の孫(小学三年生の男の子)と三田さんがちょっと似てることに気づきました。ババ馬鹿ですね(笑)
     
    メドレー
     ごめんねチコちゃん
     若い港
     恋のアメリアッチ
     夕子の涙
     
    「ごめんねチコちゃん」の、手拍子と客席との掛け合い「は~い、アキちゃん!」を聞くと、まさにタイムスリップです(笑)私の記憶では、「美しい十代」よりも、その後でヒットした、この歌の方がインパクトがあったようです。舟木さんの場合も、デビュー曲「高校三年生」よりも大河ドラマの矢頭右衛門七が強く印象に残っているように三田さんもテレビドラマ「燃ゆる白虎隊」に出演なさっていた時は、毎週観ていたように思います。私は、きっと、子どもの時から、悲劇の美少年が登場するお芝居が好きだったんでしょうね。
     
    青山通り
    北のなごり駅
     
    このあたりになると、客席から黄色い声で、「アキちゃんコール」が目だってきました。神戸こくさいホールでは、それほど客席からの声は飛び交いませんでしたが、名古屋ではスゴイ!(笑)
     
    カラオケで歌っていただきたい2曲・・と50周年記念でリリースなさったという以下の曲をアダルトな雰囲気で・・・「エルダー・ミュージック」と名づけていらっしゃるそうです。
    僕たちの世代の男は、「愛してる」となかなか言えないので、歌で想いを伝えて下さい・・と「月の港ボルド
    ー」、失った女性を思う男の悲哀を歌った曲・・と紹介して「君に似た人」

    月の港ボルドー
    君に似た人
     
    イメージ 9三田さんのコーナー終わりで、上手から真赤なスーツの西郷さんが登場して、お二人でしばしトーク。
    三田さんが、二人ともジャズ喫茶から出てきた。ポップスを勉強していたけど「青春歌謡」デビューしたんです。
    テルさんがデビューした時、僕レコード買いました。
    「身長、175センチ、体重、170パウンド四分の一 テルヒコ・サイゴー!」
    と三田さんが、お茶目に西郷さんを紹介!
     
    西郷輝彦さんのコーナー
     
    星のフラメンコ
     
    三田さんに紹介された、西郷さん、「星のフラメンコ」で、メいっぱい歌って踊って、そのあとに、あらためて
    九州男児らしく、きまじめに「ようこそ、おいでくださいました」とご挨拶。
    そして「僕たちは少年でした、そして皆さんは女学生でした・・。でも、みんな元気で、ステージも客席もバ
    リアフリーは必要ないです。BIG3は永遠です!」
    と力強い宣言(笑)
     
    僕だけの君
    ねがい
    星娘
     
    さらに、ダイナミックなダンス?で3曲続けて歌い終わると、またしても、黄色い声、「キャーッ!」がいくつも飛び交います。西郷さんは、「ハァ~ッ!、フゥ~ッ!、ウ~ン・・」って感じですかねぇ・・としばし呼吸を整えつつ・・でも、まだまだ「キャーッ!」は続きます(笑)そして、「テルさん、4階席見てぇ~ッ!」には、一階席の私たちも、思わず4階席を振り向いてしまいました(笑)西郷さん、律儀に4階席を見上げます(笑)
     
    さて、次の曲です。兄が亡くなってずいぶん経ちました。今、やっと素直な気持ちになって歌えます・・と「ア・ニ・キィ~ッ!」の絶叫ではじまる「涙をありがとう」を。まだお兄さんを亡くして間もない当時の若い西郷さんが、この歌を歌わなければならなかった時は、どんなにかお辛かったことかと思います。「今、やっと素直な気持ちになって歌えます」という、言葉に、その辛かった頃の想いがこめられているのですね。

    涙をありがとう

    イメージ 7君だけを
    http://www.youtube.com/watch?v=2A_6jPTN-eU (日活映画の場面がバック)
    あれれ、西郷さんも、チーちゃんと共演してたんですね(笑)

    恋人ならば
    西銀座五番街
    恋のGT
     
    ラストは、客席に手拍子、ステップの予行演習指導をしてから、曲に入りました。ステップの時は「素晴らしい地ヒビキですね!」と・・フルコーラスで歌いますから、タンカの用意をお願いします(笑)

    燃えろ夜明けまで
     
    激しいステップに、西郷さんファンは、大歓声「ワァ~ッ!、キャ~ッ!」すごいテルさんファンの若々しさに、圧倒され気味でした(笑)完全に50年前にタイムスリップ状態でしたね。

    最後の力を振り絞って、西郷さんのコーナーが終わると、下手から、舟木さんと三田さん登場。
    イメージ 8
     
     
    「テルさん、暴れ過ぎなんだよ!水飲んで、汗拭いて下さい・・この人は、ヨメに出さなきゃいけない娘が三
    人もいる、孫もいる・・」
    、と客席に向かって舟木さん。そして、三田さんに「あの人は、脚が長いからいい
    けどねぇ・・」
    と自分の脚を上げてみる舟木さん。三田さんも一緒に脚を上げる(笑)「でも、G・NくんやA・Fくんよりは長いよ!」とちょっと自分たちを慰める(笑)

    僕らがデビューした38年、39年頃にどんな歌が流行ってたか・・・三田さんが、チョー大きな字の歌詞が
    書かれた譜面台を袖から持ってきます(笑)
    村田さんから始まって、三波さんで終わるという、ヒット曲を・・・でも、今日の目玉はテルさんの「ああ上野
    駅」だね!
    と舟木さん。
     

    イメージ 10皆の衆(村田英雄)三人
    恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)西郷
    ウナセラディ東京(ザ・ピーナッツほか)三田
    東京の灯よいつまでも(新川二郎)舟木
    霧子のタンゴ(フランク・永井)三田
    ああ上野駅(井沢八郎)西郷
    涙を抱いた渡り鳥(水前寺清子)舟木
    東京五輪音頭(三波春夫)三人
     
    「恋のバカンス」「ウナセラディ東京」の2曲の時は、上手にいた舟木さんが、「東京の灯よいつまでも」の
    イントロが流れると右手を上げてセンターへ・・・
     
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    この日、初めて聴く舟木さんの歌声に私の耳はダンボ、目はビックリしたときのチワワ状態です(笑)
    コーヒーブラウンのスリーピースに、白のシャツ、胸に白バラ、シルバーのペンダントです。
    まだ、舟木さんのコーナーは始まってないのに、胸がドキドキ、目はハートマークの私でした。
    いつもたいていは、昼の部より夜の部が、徐々にエンジンがかかるのか、声の調子もグングンうなぎのぼりになる舟木さんですから、一曲目から絶好調のお声で、何を心配してるのかわかりませんが(笑)安心しました。
     
     
    イメージ 12三田さんの「霧子のタンゴ」、フランクさんの歌マネ上手に、会場も沸いて、このコンサートでしか聴けそうもない西郷さんの「ああ上野駅」も興味深く、舟木さんの「涙を抱いた渡り鳥」の「んにゃ」は三回も聴けてこれまた、会場は大爆笑でした。「東京五輪音頭」は、やっぱり同世代にはなじみ深く手拍子も自然に出てしまいます。ポーズも、お顔も、三波春夫さんになりきりの舟木さんがとっても楽しそうで、こちらまで幸せになりました。
     

    イメージ 13三人で歌うデビュー当時のヒット曲コーナーが終わると「オリンピックと言えば、次の東京オリンピックは7年後・・俺、75だよ!」と舟木さん。
    三田さんの、では、最後に舟木さんに締めていただきましょう・・に、ニワトリ屋のオヤジじゃあるまいし・
    と云いつつ、いよいよ、舟木さんコーナーです。
     
    舟木さんのコーナー

    君へ心こめて 作詩・作曲:上田成幸
    (1997年8月発売)
    http://www.youtube.com/watch?v=hh9QzHXpoes(kazuyanさんの動画です)
     
    イメージ 14木枯しの夜空を 肩にささえて
    あてもない旅びと 俺も君も
    若さゆえにすてた 花の二片(ふたひら)
    愛の日々よ熱き友よ
     
    振りむけば流星 北へ尾を引く
    今さらにいたみは 君のなみだ
    望むひとに夢に めぐり逢えたか
    寒さ閉ざす 明日はあるか
     
    悲しみを悔みを 抱いて生きるな
    何よりも君には それを願う
    俺が心こめる 歌の一片(ひとひら)
    春を告げろ 君に届け
     
    俺が心こめる 歌の一片(ひとひら)
    春を告げろ 君の空に
     
    春を告げろ 君の空に
     
    イメージ 154月6日の神戸こくさいホールで久々にナマで聴けた「君へ心こめて」に感動してから、2ヶ月半以上経って、また、この曲が聴けるのを楽しみにしていました。
    ともに青春時代を送ったライバル同士、そして、時の流れの中で、人気アイドルゆえの喜びも苦悩もそれぞれに抱えていたことが、今は、互いに言葉はなくとも、自然とわかりあえるようになられたのではないでしょうか。「青春歌謡BIG3」という、コンサートは、聴く側の私たちにとっても、あの頃を思い起こすことのできる時空間の共有ですが、ステージに立っていらっしゃるお三人の皆さんにとっても、リクツ抜きで、その青春時代を懐かしくあたたかく感じることのできるものなのだと思います。そんなステージの一曲目に、「君へ心こめて」を置かれた舟木さんの想い、ご自身による作詩・作曲であるからこそ、舟木さんのこの歌にこめた心の温度を真っ直ぐに感じることができました。
    舟木さんはもちろん、西郷さんにも、三田さんにも栄光と挫折という光と影があったのでしょう。だからこそ、今、こうして三人が心身ともにお元気で、揃って同じステージに立って、なごやかにそれぞれの今を讃え合う姿が胸に響きます。
     

    同じ時代に、歌い手としてスタートした三人三様の個性を楽しんでいただければ・・・・。アキちゃんが、この
    あいだ誕生日だったので、三人で203歳になりました(笑)

    では、静かな曲から、ひとつめは「初恋」ふたつめが「絶唱」

    初恋
    絶唱

    イメージ 16デビュー当時、先輩たちから、お客様からいただいたヒット曲を大事にしなきゃいけないと言われましたが、私の場合、いつまで「赤い夕日が校舎を染めて」なきゃいけないのか・・(笑)
     
    そして、「あ~かぁい ゆうひが・・・♪」と、ゆっくりアカペラで歌い出す舟木さん。客席にむかって優しいまなざしをなげて、ふたたび「あ~かぁい♪」・・・阿吽の呼吸で、舟木さんのファンが率先して大コーラスが始まりました。この瞬間は、本当にいつも感激です。なんともいえない、あたたかな空気が会場いっぱいに流れます。舟木さんコーナーでは「キャーッ!」の黄色い声はなくても、客席の温度はグーンとアップしたような熱気が感じられます。歌舞伎用語でいう、「ジワがくる・・=感嘆のどよめき」という感じと言えばいいのでしょうか。
     
     
    イメージ 17舟木さんの、この時の佇まいのおおらかさと落ち着いたまなざしは、52年前の映像として残っている紅白初出場の時のあの視線のやり場にすら困ったような、はにかんだモジモジした様子からは想像もつきません(笑)
     
    私自身は「高校三年生」をリアルタイムでは、まだ、ほんの子どもでしたからそれほど熱心に聴いていたわけではないのですが、やっぱり万人が認める舟木一夫の代表曲は「高校三年生」なんだと、痛感する瞬間です。
    ワンコーラスを大合唱しおえて、再び聴きなれたイントロが始まって舟木さんの「高校三年生」を堪能しました。続けて「学園広場」
     
    高校三年生
     (紅白初出場映像)
     
     
    学園広場
    http://www.youtube.com/watch?v=-MWDotGbwfU 舟木さんのトークと映画・学園広場の映像)
     

    イメージ 18誰にも憶えのある「初めての恋」というやっかいなものがありましたね・・若い時には、恋に限らず、後悔とか傷みとかが、あるものですが、そういうものの方が、時間が経つと、ぬくもりに変わる。
    そういった頃の歌・・・「高原のお嬢さん」バラードバージョン、「哀愁の夜」、「眠らない青春」みっつ、つなげます。

    高原のお嬢さん
    哀愁の夜
    眠らない青春
     
    イメージ 19

     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    聴きなれた「高原のお嬢さん」よりもスローテンポで、ムーディーなアレンジになると、「高原のお嬢さん」もすっかり大人の歌になってしまうのですね。この日は、私は一階席のちょうど真ん中あたりの上手の席でしたが舟木さんの、あの斜め上に視線をなげる、左側からのアングルの横顔にうっとりしてました。

     
     
     
    朝ドラ「花子とアン」で、花子の心のときめきのあらわす「パルピテーション」という感じはコレですね(笑)
    「哀愁の夜」でブルーとパープルのライトに、舟木さんの口笛と、文字通り「哀愁」のこもった歌唱がマッチし
    て、私たちにとって最高に心ときめく御自作の五番の歌詩が聴けるという大サービスもあって満たされた心もちになりました。

    イメージ 20ラストの「眠らない青春」は、前の2曲とは趣がガラっと変わって、ノリノリのライトなポップス調で、舟木さんの若々しさに光を当てて、「青春歌謡」と冠したコンサートの締めにふさわしいとあらためて思いました。
    たった8曲のラインナップの中に、舟木一夫の旅路がギュッと凝縮されていて、さすがの構成だと感服しました。

    ラスト 三人で
    ~銭形平次
     
    銭形平次のイントロが流れると、三田さん、西郷さも登場して三人で・・・
     
    「投げ銭ごっこ」をするお茶目な三田さん、西郷さん、真ん中で、その投げ銭を、キュッと掴んで食べちゃうマネをする、さらにお茶目な舟木さんです。お三人とも、気持ちは、十代の少年に戻っているかのようで最高に可愛いかったです(笑)                                                        わが家の裏庭のインドハマユウの花↓

    イメージ 21~アンコール
     
    君だけを 舟木さん
    美しい十代 西郷さん
    高校三年生 三田さん最後は、三人で

    私が神戸こくさいホールで拝見した時は、なかったのですがアンコールがありました。
    いったん幕が降りて、再び上がると、先ず舟木さんが、西郷さんの「君だけを」、次に西郷さんが、三田さんの「美しい十代」を、三田さんが、舟木さんの「高校三年生」を歌い、最後は三人で「高校三年生」を一緒に。
     
    約2時間の「タイムスリップ」アワ―を、それぞれのファンの方、また同世代の方たちと客席で共に楽しめたことは、舟木さんのソロ・コンサートとは、違う空気が感じられました。あと何回か、またお三人揃ったステージを楽しませていただく予定です。最後まで、お疲れの出ないよう、お元気でお三人も楽しまれることを願っています。
     
                     これも裏庭の野カンゾウの花↓
     
    イメージ 22
     
     

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    イメージ 2

    イメージ 3

    急遽「ふれんどコンサート」から「風 アダルトに」に変更になりました。

    この経緯についてはまた後程のれぽ詳細でお伝えします。

    携帯からなのでとりあえずこの日の舟木さんのお衣装とセットリストのみ


    開幕前のプレゼントタイムは光沢のある白地にブルー系の大きな花模様の刺繍をあしらった長袖シャツにジーンズ

    ステージ衣装は夏らしく涼やかな麻織りの白に近い淡いグレー地のスリーピース、シャツはチャコールグレー、胸ポケットには同じくチャコールグレーのハンカチ(シャツと共布かな?)をのぞかせて、ネクタイもグレーっぽいシンプルな柄物でコーディネートなさっていました。
    コンサートのタイトルが「なんとなくBLUCE」ですから照明も落ち着いた感じのステージでした。

    セットリスト

    1 暗い港のブルース
    2 雨のブルース

    3 雨の酒場で

    4 東京しぐれ

    5 雨の夜あなたは帰る

    6 恋唄綴り

    7 氷雨

    8 みれん町

    9 女の十字路

    10 港町 涙町 別れ町
    11 黒い海峡

    12 硝子のジョニー
    13 ブランデーグラス
    14 二人の世界

    15 さすらい

    16 冬の旅

    17 雪國

    アンコール

    18 旅の終わりに

    19 熱き心に

    詳しくは後日にご報告します。

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    うっかりしてたら、7月に入ってました。今年も一年の半分が過ぎてしまったんですね。
    昨年12月の新歌舞伎座の「いろは長屋の用心棒」カレンダー
     
    イメージ 1
     
    イメージ 2朝、家を出るときは、どんよりした空模様でしたが、雨には降られず、7月4日の後援会主催のコンサートを楽しませていただきました。いつもは大阪でのコンサートは大抵、近鉄特急での日帰りですが、たまには終演後に舟友さんたちとお食事できればと思っていたので、ちょうど松竹座で七月大歌舞伎が開催中だったこともあって、それも観劇するスケジュールを組んで4日の夜は、足場のいい大阪上本町のホテルで一泊することにしました。
    桑名から2時間近鉄特急に乗り、上本町下車、ホテルに荷物を預けて地下鉄千日前線谷町九丁目から御堂筋線を乗りついで新大阪駅に到着。昼食をすませてから、待ち合わせをしていた舟友さんと合流。会場につめかけていらっしゃる顔なじみの舟友さんたちとご挨拶して入場。
    チケットもぎりのお世話をして下さっている後援会のスタッフの方が、ご自分も笑顔で「みんな嬉しそう!」とおっしゃったので、「嬉しくて思わずニコニコしてしまいますね」と返しました。今年は、やはりソロコンサートが少ないので、たっぷり舟木さんの歌の世界にひたれる機会が例年より少ないから、余計に舟木さんオンリーのコンサートはテンションが上がるのでしょうね。
     
     
     
    イメージ 3先ずは、パンフレット売り場へ・・あれれ、表紙に「風 アダルトに」と書いてある。後ろの壁にこんな張り紙が。
    予定では「FRIEND CONCERT No.74」のはずだったんですが、会場に行ってみるとパンフレットも「風 アダルトに」となっていて、変更の張り紙もありました。
    「ふれこん」「ラヴコン」「風アダルトに」という後援会主催の3パターンのコンサートが、それぞれどういったカラーなのか、まだ十分にはつかめていない私としては、別にコンサート名が代わったからといってなんてことはなくて、舟木さんの素敵なステージが拝見できれば、全く問題なしなわけです(笑)
    コンサートが始まって、舟木さんが、これまでは、ふれこん、ラヴコン、ふれこん、風アダルトに・・と年4回でしたが、ふれこん、ラヴコン、風アダルトにを、それぞれ東京と大阪で一回ずつ開催することになった旨
    の説明をなさいました。(トークの中でも後述しますね)
     
                                                                                     舟友さんの昼の部の花束です ↓
     
    イメージ 4プレゼントタイムのトーク
     
    開演10分ほど前に幕前で舟木さんがプレゼントを受け取るコーナーの服装は、光沢のある白地にブルー系の大きな花模様の刺繍をあしらった長袖シャツにジーンズ。
    この時の、舟木さんのおしゃべりを、昼と夜をまとめてご報告します (ピンク文字が舟木さんのトーク)
     
    今年は真夏が来るのが遅いような気がしますが・・赤と白のお花の花束を受け取りつつ・・紅白歌合戦!(笑)
    50年もやってる人間がいただきものを受け取る度にガサッ、ゴソッ!音を立てるのは、どうも・・でも、いただきものの仕方が上手いというのも、これ喜んでいいのか・・・(笑)プレゼントタイムの間、ずっと聞こえてくるピアノの音色に、緞帳の中でピータケちゃんがひとりで仕事してます(笑)
    遠藤先生のスペシャルが終わりました。うわさによると来年は船村先生のスペシャルを・・(拍手)一応船村先生のOK!はいただいているんですがね。来年、船村先生なり、ひばりさんなりをやるなら、次の年は持ち歌に戻るということになるでしょうね。
     
    最近、歌詩覚えるのがタイヘン・・高校三年生も忘れるんでね、人の歌を唄う時にあらためて歌詩をみてみると、けっこうミスプリ(音源に付いてる歌詞カードなど)があるんですね。”かなしい夜”じゃなくて"淋しい
    夜”とか。元歌を全部チェックするんですが、「てにをは」なんか違ってるのがある。
    自分勝手なんですが、歌い手の先輩にお礼を・・という気持ちで僕は考えているんです。もったいないですからね。昭和の流行歌というのは凄いですから・・
    プレゼントのお菓子の箱の字を読もうとして「ヨメナイ!」、そこから白内障のハナシなど、寝っころがって
    本を読んでると焦点が合わない。
    (当たり前でしょう)そしてチータ(水前寺清子さん)の腰の手術のことな
    ども・・・腰が悪いと思い切り唄えなくなっちゃいますからコワイですね。お客様の方も、トシとってきたんですからお気をつけあそばせ・・・
     
    やっと明日あたり9月公演の脚本が出来てきそうで・・初稿ですよ。そのあと(最終稿まで)4回くらいあり
    ますから。これから、稽古、本番、稽古、本番・・・です。
    と長期公演の話題も少しありました。
    プレゼントタイムの会場整理担当の若い男性スタッフの顔を見て「ウッス!」と声を掛ける舟木さん(笑)
    あのくらいの世代の人になると、いろいろ思ってるでしょうね。世の中とはいろんな世界があるんだって(笑)
    と息子さん(純君)が初めて新橋演舞場の公演を観に来た時の名言「夜の中にはこんなにオバサンがいるんだ!」のエピソードも再度、御披露(笑)
    じゃあ、すぐに着替えて、始めます。と舞台袖に・・

     
    KAZUOのわがまま選曲 ー風アダルトに BEST SELECTION 
    日本の名曲たち ~ なんとなくBLUCE パートⅡ 
     
    14時開演/17時30分開演  大阪メルパルクホール

    いよいよ開演。登場した舟木さんのステージ衣装は夏らしく涼やかな麻織りの白に近い淡いグレー地のスリーピース、シャツはチャコールグレー、胸ポケットには同じくチャコールグレーのチーフ(シャツと共布かな?)をのぞかせて、ネクタイもグレーっぽいシンプルな柄物でコーディネートなさっていました。
     
    では、コンサートの報告を舟木さんのトークも交えて・・・(舟木さんのトーク部分はピンク文字)
     
    ~オープニング~
    イメージ 51 暗い港のブルース 
    作詩:なかにし礼(1963年の原詩:薩摩忠) 作曲:早川博二
    (1971年)ザ・キング・トーンズ
    (ザ・キング・トーンズ )
    いとしい人 あなたは今
    名前さえ告げずに 海にかえるの
    白い霧に 目かくしされ
    遠い船のきてき 僕は聞いてる
    かりそめの 恋を叫んだけれど
    あふれくる 涙 涙 涙
    きれたテープ 足にからめ
    あなたの影をおう暗い港

    オープニングは、ブルースらしくサックスの音色が印象深い「暗い港のブルース」から。
    聞き覚えはありましたが、タイトルは、歌詞を筆記してあとでネットで調べました。
    5曲ほど、ほとんど記憶にないメロディーのものがありましたので、そういう曲は、ひたすら歌詞を聞き書きしたのをネットで調べました。でも、私は、どちらかというと70年代から80年代のポップスよりは、古い流行歌の方が聴いてるように思いますので、舟木さんの歌を聴くと意外と曲名とかオリジナルの歌い手さんとかが、わかる傾向があります。ですから、昭和のブルース系流行歌は大歓迎です。
     
    タイトルも開演時間も変わってしまいましたが、これまでは、ふれこん、ラヴコン、ふれこん、風アダルトに
    と年四回やってきましたが、トシだからそろそろ来年あたりから、クオリティを落とさないためにも・・と少し前に話してはいたんですが、スタッフが気を利かせてくれて、急にこうなったんです・
    ・・と説明がありました。ふれこんが一回少なくなって、風アダルトにはこれまで東京だけの開催だったのが大阪でも開催されることになったわけですね。聴く側も、舟木さんと同じように「トシをとって」いくのですから、理想的な変更
    だと感じます。舟木さんのご負担も私たちの負担も軽くして、いつまでも舟木さんとの時間を共有できることは、私たちにとっても望ましいことですね。
     
    どの歌をブルースとつかまえて、どの歌を演歌ととるか、流行歌のブルースは、演歌の影響を受けているということを頭において楽しんでいって下さい。
    歌うヤツの個性で線引きがちょっと変わると、捉えていただくといいかと・・・・では、ブルースのルーツをふたつ、大先輩の淡谷さんとディック・ミネさん

    2 雨のブルース  作詩:野川香夫  作曲:服部良一
    (1938年)淡谷のり子
    http://www.youtube.com/watch?v=0IVufmvaJ3Q(淡谷のり子さん)
     
    イメージ 6雨よ降れ降れ 悩みを流すまで
    どうせ涙に 濡れつつ 夜毎嘆く身は
    ああ 帰り来ぬ 心の青空
    すすり泣く 夜の雨よ
     
    暗い運命(さだめ)に うらぶれはてし身は
    雨の夜道をとぼとぼ 一人さまよえど
    ああ かえり来ぬ 心の青空
    降りしきる 夜の雨よ
     
    ~淡谷のり子さんから舟木さんへの言葉~
    (Papyrus 舟木一夫写真集1970 舟木一夫音楽事務所発行 より)
     
    長い道を…… 淡谷のり子
    きびしい芸能の世界で7年続いた歌手、7年の間にも、いろいろのことがあったと思います。
    辛いこと、悲しいこと、忙しかったことなど、その苦しみにたえて来たとしては、7年は長いかも知れない。
    この先がもっともっと長いのではないでしょうか。
    昔、私が歌の勉強をしていた頃、先生が歌と共に死んでゆくのよとおっしゃって下さいました。私はその言葉を忘れられなく、そしてその言葉にすがりつき生きてまいりました。
    もし、あなたが何より歌を大切にするならば、どうかこの言葉を忘れないでください。
    そして、もっともっといい歌を、それと同時に人柄を歌手としての教養を学んでください。年と共に深まってゆく苦しい歌の道を歩む努力をしてください。
    人の云うことを聞くことのできないということは本当に悲しいことだと思います。思い上がりはみにくいものです。私たちを失望させずに、どうか、素晴らしい歌手になって欲しいと願っています。
    まだまだ長い道なのですから…
     
     

    イメージ 73 雨の酒場で  作詩:清水みのる 作曲:平川浪竜
    (1954年) ディック・ミネ
     
     
     
    並木の雨の ささやきを
    酒場の窓に 聴きながら
    涙まじりで あおる酒
    「おい、もう止せよ」飲んだとて
    悩みが消える わけじゃなし
    酔うほど淋しく なるんだぜ

    「おい、もう泣くな」(セリフ2番)
    「おい、もう帰ろうや」(セリフ3番)
     

    ~舟木一夫ブルースの夕べ 開催~
    (昭和44(1969)年 明治座七月特別公演パンフレット掲載記事より)
    「ブルースを唄いたい・・・」「ブルースを唄える歌手になりたい」
    ながい間の舟木一夫クンの念願だったブルース・・・。
    そのブルースを大いに唄う会が、去る四月の二十七日・二十九日に大手町のサンケイホールでひらかれました。名づけて「舟木一夫ブルースの夕べ」舟木ファンなら、行かれた方も多いでしょう・・・。
    ステキですね。舟木クンの「追憶のブルース」。このブルースの夕べには、大先輩のディック・ミネさんと淡谷のり子さんが、この歌熱心の後輩の為にかけつけてくれました。
    好青年舟木一夫とは、淡谷さんもミネさんも、すっかり意気投合してしまい大変たのしい意味深い”ブルースの夕べ”でした。
     
    イメージ 8

    セリフの入ってる歌はけっこうある・・清らかな青春 爽やかな青春・・と舟木さん(笑)
    でも、男同士のことを歌った歌でセリフの入るのは珍しいし、ブルーストーンの歌にはあまりない。
    船村先生と親友で早世された作詩家の故高野公男氏の「男の友情」(昭和32年青木光一歌唱)のことにも少し触れられました「さらば友よ(「心に沁みた流行歌(はやりうた)」に収録)も、そのジャンルと考えて
    いいと思いますが、どうしても僕らの思うブルースというのは、吉田先生が出てきます。ふたつとも僕の好きな歌です。

    イメージ 94 東京しぐれ  作詩:佐伯孝夫 作曲:吉田正
    (1965年)フランク・永井
     
    東京しぐれか 泣かせの雨か
    こんなに濡れたと なぜ来ない
    あの娘に空似の カレンダーガール
    こっち見ている カウンター
    しぐれ移り気 移り雨
     
    5 雨の夜あなたは帰る  作詩:吉岡治 作曲:船村徹
    (1966年) 島和彦
     
    雨の夜に あなたは帰る
    そんな気がして ならないの
    すがりついたら 離さないわ
    濡れたあなたの カルダンコート
    これもかなしい 夢かしら
    雨の夜に あなたは帰る
    まるでなんでも ないように

    オーソドックスなタイプの歌と申し上げていいと思います。
    まあ、最近ネ、ちょっと「眠らない青春」のレコーディングして思ったんですけど、今年、もう70になるもんですからね、55周年まで、「ブルースにこだわっていくか・・」と・・・
    舟木さんへのブルースへの想いは、年々、深まっていくようです。そんな舟木さんの少年時代からの想いがこもったブルースの名曲を、こんなにたくさん聴かせていただけるのですから、幸せです。
    ここはタイプは違いますが女唄を思い切り並べてみたつもりです。

    イメージ 106 恋唄綴り   作詩:堀内孝雄 作曲:荒木とよひさ
    (1990年) 堀内孝雄
    http://www.youtube.com/watch?v=4OslYFBDK6Q(堀内孝雄さん)
     
    涙まじりの 恋唄は
    胸の痛さか 想い出か
    それとも幼い あの頃の
    母に抱かれた 子守唄
    ああ… 夢はぐれ 恋はぐれ
    飲めば 飲むほど 淋しいくせに
    あんた どこにいるの
    あんた 逢いたいよ
     
     
    7 氷雨  作詩・作曲:とまりれん
    (1982年)佳山明生ほか
     
    飲ませて下さい もう少し
    今夜は帰らない 帰りたくない
    誰が待つと言うの あの部屋で
    そうよ誰もいないわ 今では
    唄わないで下さい その歌は
    別れたあの人を 想い出すから
    飲めばやけに 涙もろくなる
    こんなあたし許して下さい
     
    外は冬の雨まだやまぬ
    この胸を濡らすように
    傘がないわけじゃないけれど
    帰りたくない
    もっと酔う程に飲んで
    あの人を忘れたいから
     

    イメージ 118 みれん町  作詩:西沢爽 作曲:米山正夫
    (1970年)美川憲一
    http://www.youtube.com/watch?v=UxtOPWkXAvA(美川憲一さん)
     
    命までもと 思ったひとは
    遠い他人に なりました
    恋にすがって 捨てられて
    恋をうらんで またすがる
    むせぶ夜霧の ああ
    盛り場は…
    しょせん
    女の しょせん女の
    みれん町
     

    9 女の十字路 
    作詩:中山大三郎 作曲:浜圭介
    (1976年)細川たかし
     
    だめよそこまで 近づいちゃ
    あなただけにあげる 恋だけど
    過去があります 悲しい傷が
    だからあなた急がないで 少し待ってよ
    あー 女の十字路で
    あなたに迷いそうな夜

     
     
    僕は、この辺は、演歌にはもって行きたくないという勝手な想いがある・・まぁ、こういう世界を並べると、そうアップテンポな歌は出てこないですね。
    僕はブルーストーンの歌を歌いたくて歌い手になったのでわかってるつもりなんですが、Low(ロウ=低音)が入ってこないとダメなんです。歌詩も二十代ではついていけません。ここは、誰が歌っているというより、浜口先生のをふたつ続けて・・・
     
    イメージ 1210 港町 涙町 別れ町  作詩・作曲:浜口庫之助
    (1969年)石原裕次郎
    http://www.youtube.com/watch?v=pyipDFR3js4(石原裕次郎さん)
     
    港町 別れ町 未練にけむる町
    明日は離れて行く男
    今日を限りに飲む女
    残してく 残されてゆく
    みんなこの町 なみだ町
     
     
     
    イメージ 1311 黒い海峡  作詩:萩原四郎 作曲:野崎真一
    (1964年)石原裕次郎
     
    海峡の空を 星がひとつ飛んで
    家を出たあの子が はるばる越えた
    汐路の渦に…
    紅い花が 紅い花が しずむ
    海峡の秋を ひとり渡るかもめ
    泪ぐむあの子の さみしい顔が
    乱れた文字の…
    残し文に 残し文に ダブル
    海峡の月が 俺の眉にかかる
    生きて呉れあの子よ 死ぬなと祈る
    連絡船の…
    黒い影も 黒い影も ゆれて
     
    こうやっていろんな歌を「日本の名曲」というくくりの中で歌っていくと、今も「連絡船」という言葉が出てきましたが、どう考えても鳴門海峡とは思えない・・青函連絡船でしょうね(笑)あれは、軍事用に使われていたようですが、僕らが修学旅行に行く時、船底で、いなり寿司を食べたの覚えてます。                    
     高校二年生の北海道修学旅行、青函連絡船の上田くん→
     なんだか大人びた横顔ですね。
     
    青函連絡船で修学旅行・・・
    連絡船でいなり寿司・・・
     
    イメージ 14津軽丸 作詩:喜多條忠 作曲:中原華道
    (1977年アルバム「一葉舟」収録)
     
    ここで別れる人もいる
    一緒に北へ行く人もある
    たったひとりの悲しみに
    ゆられて食べるいなり寿司

    汽車という言葉は、「なごり雪」でも使ってるんですね。時代が変わっても、歌詩の中ではこうでいい。
    夜汽車なんかはブルース系の歌詩の言葉の選び方・・まぁ、ここはブルースには切っても切れない「酒・男・女」というところで・・・
     
     
     
     
     
     
    12 硝子のジョニー  作詩:石浜恒夫 作曲:アイ・ジョージ
    (1961年)アイ・ジョージ
     
    イメージ 15黒い面影 夜霧に濡れて
    ギターも泣いてる ジョニーよどこに
    何時(いつか)は消えてゆく 恋の夢よ
     
    赤い花束 泪にうるむ 何故か帰らぬ
    ジョニーよどこに
    いつまた逢える日 淡い夢よ
     
    黒い太陽 まぶたに消えて
    むなしいグラスよ ジョニーよどこに
    語らんいついつ 恋の夢よ

    *1974年11月の東京郵便貯金ホールでの「舟木一夫ゴールデンコンサート(ライブ)」に舟木さん歌唱の「硝子のジョニー」の音源があります。

     
     
     
     
    13 ブランデーグラス  作詩:山口洋子 作曲:小谷充
    (1977年)石原裕次郎
     
    これでおよしよ
    そんなに強くないのに
    酔えば酔うほど 淋しくなってしまう
    涙ぐんで そっと時計をかくした
    女ごころ 痛いほどわかる
    指で包んだ まるいグラスの底にも
    のこりすくない 夢がゆれている

    14 二人の世界   作詩:池田充男 作曲:鶴岡政義
    (1966年) 石原裕次郎
    http://www.dailymotion.com/video/x73j6q_%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%A3%95%E6%AC%A1%E9%83%8E-%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C_news (石原裕次郎さん)

     
    イメージ 30
     
     
    ブランデーグラスあたりで、ネクタイをゆるめる舟木さん、3曲歌い終わって鼻の頭をこすってみたりも・・
    男前の歌を男前が歌うんですから、ハマり過ぎなんですが、もしかしたら、あまりにハマり過ぎてるのでご本人は、いくらかテレ気味?(笑)
     
    ブランデーグラスのような歌は、もうできないでしょう。「粋な別れ(裕次郎さんの大ヒット曲ですね)なんかも来年はパートⅢに入れようと思ってるんですが・・・本人の声の響きに合ってないと・・
    僕は歌詩にこだわるんですが、キライな歌詩は、はっきりしてんるんです。セイリ的にキライだから仕方ない(笑)その歌詩がワルイとかではなくメロディーがつくとベタッとして気持ち悪いんですね。
    最近はカラオケで歌いやすいものを作るほうも合わせてるようですが、もう少しショックを与えるようなもの
    ・・・というプロの歌い手としての視点からの感想もひとこと。
    ラストブロックは「旅」ですね。と3曲続けて・・

    イメージ 1615 さすらい   作詩:西沢爽  作曲:狛村正一
    (1973年) 小林旭
    http://www.youtube.com/watch?v=pHu4NnxRXLs(舟木さんの歌唱です)

    夜がまた来る 思い出つれて
    おれを泣かせに 足音もなく
    なにをいまさら つらくはないが
    旅の灯りが 遠く遠くうるむよ

    *「初恋/舟木一夫 抒情歌謡を歌う」(1971年)ほか、「カバーソング・スペシャルセレクション」「名曲カバー傑作集」などに音源があります。
     
     
     
     
     
    16 冬の旅  作詩:阿久悠 作曲:猪俣公章
    (1973年) 森進一
    http://www.youtube.com/watch?v=OvXnmLLxeUE(森進一さん)
     
    ある日何かで これを読んだら
    恋人あなたは わかってくれ
    泣いて一生 無駄に暮らすな
    すぐにも幸せ さがしてくれ
    もうあなたのところへは 帰らないだろう
    ひとりひとり旅に発つ 雪の降る町へ

    *1974年11月の東京郵便貯金ホールでの「舟木一夫ゴールデンコンサート(ライブ)」に舟木さん歌唱の音源があります。
     
    イメージ 1717 雪國   作詩・作曲:吉幾三
    (1986年) 吉幾三 
    http://www.youtube.com/watch?v=KIDdrPs9vJE(吉幾三さん)
     
    好きよ あなた 今でも 今でも
    暦はもう少しで 今年も終りですね
    逢いたくて 恋しくて 泣きたくなる夜
    そばにいて 少しでも 話を聞いて
    追いかけて 追いかけて
    追いかけて… 雪國

    窓に落ちる 風と雪は
    女ひとりの部屋には 悲しすぎるわ あなた
    酔いたくて 泣きたくて ふるえる唇
    そばに来て 少しでも わがまま聞いて
    追いかけて 追いかけて
    追いかけて… 雪國

    好きな人はいるの あなた
    バカね バカな女ね 意地をはってた私
    逢いたくて 夜汽車乗る デッキの窓に
    とめどなく 頬伝う 涙のあとを
    追いかけて 追いかけて
    追いかけて… 雪國
    逢いたくて 恋しくて 泣きたくなる夜
    そばにいて 少しでも 話を聞いて
    追いかけて 追いかけて
    追いかけて… 雪國
     

    ~アンコール
    18 旅の終わりに  作詩:立原岬(作家五木寛之氏のペンネーム) 作曲:菊地俊輔
    (1977年)冠二郎
    http://www.youtube.com/watch?v=1hxPGsp4-dY (舟木さん歌唱/kazuyanさんの動画でお楽しみ下さい)
    (1997年発売のCD)「心に沁みた流行歌(はやりうた)」収録です。
     
    イメージ 31流れ流れて さすらう旅は
    きょうは函館 あしたは釧路
    希望も恋も 忘れた俺の
    肩につめたい 夜の雨
     
    春にそむいて 世間にすねて
    ひとり行くのも 男のこころ
    誰にわかって ほしくはないが
    なぜかさみしい 秋もある
     
    旅の終りに みつけた夢は
    北の港の ちいさな酒場
    暗い灯影に 肩寄せあって
    歌う故郷の 子守唄

    19 熱き心に    
    作詩:阿久悠 作曲:大瀧詠一
    (1985年)小林旭
     
    北国の旅の空 
    流れる雲 はるか
    時に人恋しく
    くちびるに ふれもせず
    別れた女 いずこ
    胸は焦がれるまま
    熱き心に 時よもどれ
    なつかしい想い
    つれてもどれよ
    ああ 春には花咲く日が
    ああ 夏には星降る日が
    夢を誘う 愛を語る
     
    熱き心に きみを重ね
    夜の更けるままに
    想いつのらせ
    ああ 秋には色づく日が
    ああ 冬には真白な日が
    胸を叩く 歌を歌う 歌を
     
     
    オーロラの空の下
    夢追い人ひとり
    風の姿に似て
    熱き心 きみに

    *「熱き心に」も、1997年発売のCD「心に沁みた流行歌(はやりうた)」に収録されています。

    こうして、れぽをまとめるために、歌詩をネット上でひろってみたりしたのですが、「女唄」など入力していると、舟木さんじゃないですが、なんだか私的には、辟易しそうな言葉も出てくるんですね(笑)
    「すがりついたら 離さないわ 濡れたあなたの カルダンコート」
    「恋にすがって 捨てられて 恋をうらんで またすがる」
    「だめよそこまで 近づいちゃ あなただけにあげる 恋だけど」
    ・・・ってねぇ、どうよ!ってな感じに(笑) 
    それが、舟木さんの某曲についての感想とは全く真逆でなんですが、メロディーがついて「舟木さんが歌う」と、あらら不思議や不思議、「変な歌詩!」と思うような歌も素直に聴けてしまうんですね。
    「ブルース」と「演歌」の線引きというのは、作品そのものによるものではなく、作品を歌う歌い手の個性に
    よって決まってくるということが、実感としてよくわかります。やはり、流行歌は、作詩家、作曲家に歌い手
    が揃って初めて、完成品になって色気が加味されるということなのですね。
    今回も、フルコーラスで持ち歌ではない曲ばかりを19曲、休憩時間も入れずに、パワー全開で歌って下さいました。
    舟木さんのステージは、その企画・構成から始まって、MCまで全ておひとりでこなされるのですから、ステージに登場なさってから緞帳が降りるまで、「舟木一夫ワールド」にどっぷりと浸りきることができます。
    だからこそ、ステージの流れが、途切れることなく、心地よい流れに乗ってたゆとうまさに小舟になったよう
    な気持になります。

    昨年、11月3日の「風 アダルトに」では「なんとなくブルースを」というタイトルで、以下の19曲でした。
                                                                                       舟友さんの夜の部の花束です ↓
     
    イメージ 18哀愁の街に霧が降る
    なみだ恋
    新宿の女
    女心の唄
    銀座の恋の物語
    夜霧よ今夜もありがとう
    星の流れに
    夜霧のブルース
    霧にむせぶ夜
    孤独の太陽
    女のためいき
    恍惚のブルース
    グッドナイト
    誰よりも君を愛す
    東京ブルース
    骨まで愛して
    君こそわが命
    アカシアの雨がやむ時
    赤いハンカチ
     
    前回に比べると、今回は、私的には、耳になじみのない曲も数曲あったのですが、 舟木さんの歌唱で聴かせていただくことによって、こんな機会がなければ、ずっと知らずに終わってしまっただろういい歌があることに気づかせていただきました。
     
     
    「暗い港のブルース」「恋唄綴り」「港町 涙町 別れ町」「黒い海峡」は、舟木さんの雰囲気に合ってるよ
    うに思って印象深く聴きました。
    「雨のブルース」「雨の酒場で」は、舟木さんが若い頃に初めて「ブルースの夕べ」と題したコンサートを開催した時に、特別出演なさってくださった、淡谷のり子さん、ディック・ミネさんという、こういった歌のジャン
    ルでの大先輩の歌ということで、感慨深く、また、三十代半ばのライブ音源としてLPレコードのアルバムで聴いてる「硝子のジョニー」「冬の旅」などを、今のお声で聴く事ができたので、とても嬉しいことでした。
     
    そして、ラストの「雪國」は、吉幾三さんもお上手なのでいい曲だとは思っていたのですが、舟木さんが歌われると、「追いかけられているイイ男」をどうしても想像してしまいます(笑)ですから、決定版の辟易するタイプの「女唄」の歌詩のはずなのに、どういうわけか、抵抗なく、その女性の気持ちに感情移入して「一緒になって追いかけて」る気分になってしまいました(笑)
    もちろん、舟木さんの歌唱が素晴らしかったことは言うまでもありません。特に徐々に盛り上がって、最後のいたくて 恋しくて 泣きたくなる夜  そばにいて 少しでも 話を聞いて ・・・」は、胸がしめつけられるようでした。舟木さんカッコよすぎで~す
     
     
    イメージ 19今回もまた、石原裕次郎さんの曲が多くて、昭和の香りを堪能しました。今後は「ブルース系」のヒット曲だけで構成したオフィシャルコンサートもありかな?と感じました。先にも書きましたが、「酒・男・女」の中で歌われている女性像というのは、どうやら男性目線での理想的な女性のイメージのような気がします。こういう歌は、女性より男性がハマるのかもですね。ですから、オフィシャルで、裕次郎さんの歌をセットリストに入れることで、男性の舟木さんファンがこれからまだまだ戻ってくる可能性があるように思います。
    私もそうですが、女性の「復活組」は「WHITE」にハマって、長い間離れていた間に舟木さんがこんな魅力的な歌い手さんに成長なさったことに驚いたと思いますが、同世代の男性も、学園ソングばかりではなく、酒場や裏町などを歌った大人の男の歌を胸に響く低音で届けてくれる舟木さんの魅力に開眼するのではないでしょうか。後援会という内輪のコンサートだけで聴いているには、もったいないと今回は特に痛感しました。
     
    舟木さん、お疲れ様でした。7月8日には東京メルパルクです。また、関東の皆さんのご報告を楽しみにしています。大阪で聴いて、さらに「追いかけて 追いかけて 追いかけて 東京」の舟友さんもいらっしゃるかもですよ(笑)
     
     
    付録です 翌日5日は、8月5日の「青春歌謡BIG3」が開催される大阪フェスティバルホールのある淀屋橋の橋のたもとのカフェで、「風アダルトに」のれぽの記事をまとめたり、中之島を散歩したりしてから、道頓堀へ移動して、松竹座の七月大歌舞伎を観劇してきました。写真だけアップしておきます。
     
     淀屋橋の向こう側、中之島の大阪市庁舎と、こちら側のかき舟、このあたりは私の好きな大阪の風景です。

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    淀屋橋
     
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    淀屋橋北詰のカフェ・ベローチェの二階のカウンター席からフェスティバルホールが見えました。
     
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    地下鉄御堂筋線でなんばへ・・・法善寺とくいだおれ人形
     
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    道頓堀リバーサイドには、提灯がズラリ、土曜日だったので、この日は灯ともし頃には大賑わいだったでしょう
     
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    大阪松竹座へ・・・この日は京都先斗町の舞妓さんや芸妓さんの「総見」で華やかな雰囲気でした。
     
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    片岡仁左衛門さんの松王丸がお目当てです。先月の歌舞伎座で7ヶ月ぶりに復帰され、7月は松竹座と続くので心配でしたが、お元気で情のこもった松王丸を見せていただき、前日の舟木さんとこの日の仁左さまと円熟期の二大男前を拝見して、もったいなくて、もう目がつぶれそうでございました
     
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    青春の大阪(kazuyanさんの動画で)
     
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    ~舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(中)↓~ のつづきです。
     
    舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(中)をアップしたのが6月22日でした
    ので、早くも、既に、半月ほどが経過してしまいました。
    上京して、舟木さんのデビュー当時のお住まいの四ツ谷若葉町さんぽ、また、名古屋での「青春歌謡BIG3」のステージのご報告をしたり、つい先ごろは大阪メルパルクでの後援会主催コンサート「風 アダルトに」のれぽをアップしたりで、すっかり間が空いてしまいましたが、再び、このテーマにおつきあいいただけたら幸いです。
     
    イメージ 1・・・と云いつつ、一日遅れですが、昨晩は七夕でした。生憎の空模様だったので、織姫と彦星の年に一度のデートは成らずだったようですが、気分だけでも「七夕」ということで、舟木さんのご健康とご活躍をお祈りしたいと思います。
     
     
    しあわせの星二つ 
    作詩:富山紫峰 作曲:上原げんと
    (1964年6月発売)
    http://www.youtube.com/watch?v=94aUP79HxZs(kazuyanさん作の舟木さん55周年応援動画より)
     
    こがね しろがね 七いろかざり
    ゆれて きらめく 花模様
    虹のトンネル ゆきかう人の
    ああ ちょいと
    顔も 顔もあかるい 七夕まつり
     
     
     
    イメージ 2昏(く)れて絵のよな 銀河の岸へ
    おもいとどけよ 笹かざり
    はずむ話も ロケット旅行
    ああ ちょいと
    若い 若い二人の 七夕まつり
     
    淡いあこがれ おさない夢に
    書いて 結んだ あの色紙
    竹の青さも 瞼に浮かぶ
    ああ ちょいと
    遠い 遠いふるさと 七夕まつり
     
     
     
     
    イメージ 12イメージ 13
                                                                                                                                                                                     
                                                                                        
     
     
     
     
     
     
                                                                            
    イメージ 3織姫音頭  作詩:城ゆたか 作曲:森一也
    1964年6月発売/しあわせの星二つB面)
    http://www.youtube.com/watch?v=3-DHDdXGRUQ
                         2011年発売復刻版CD→ 
    尾張よいとこ機織(はたおり)どころ ハイハイ
    春はますみだ 春はますみだ 桃花(とうか)祭 ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
     
    花の吹雪か 七夕祭り ハイハイ
    染めて五色の 染めて五色の 一の宮 ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
     
     
    イメージ 4故郷(くに)の妹へ便りに添えた ハイハイ
    紅葉錦の 紅葉錦の ニュールック ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
     
    木曾の流れでみがいた肌は ハイハイ
    粋ないぶきの 粋ないぶきの 雪よりも ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
     
    娘心を七重に八重に ハイハイ
    織って自慢の 織って自慢の 生地の良さ ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ

     
    イメージ 5
     
     
    さて、「瞼の母」の最終章に入りま~す。
    恐縮ですが、もう一度、「瞼の母」(中)でご紹介した袴田氏の書かれた「「瞼の母」の”事実と実”」(平成十七年4月30日~5月24日 新橋演舞場「瞼の母 二幕」舟木一夫特別公演 パンフレット 掲載)という文面にもどり、それに関連した内容ついて「瞼の母」(下)では、書きすすめていきたいと思います。
     
    イメージ 6以下、先に「瞼の母(中)」で、御紹介した袴田氏の文面の抜粋を再度掲載します。↓
     
    ~その現実との”結末”の違いから、作者の判断で、一時上演されなかったという話も伝わっている。また、大詰の演出も今行われているもののほかに、忠太郎が母と妹を追っていく、あるいは再会した三人が手を取り合おうとするところで幕になる脚本も実際に書かれ、上演されたことがある。~
     
    ★以下は、長谷川伸ご自身の生き別れの母との再会についての経緯と事実の参考メモです
    (ウイキペディアより)
     
    <母との別れ>
    神奈川県横浜市(日ノ出町)の土木業の家に生れる。実母は横浜市泉区の出身だが、夫の暴力・放蕩が原因で、伸が3歳のとき家を出る。後年『瞼の母』の主題となる母との再会を果たした。
     
                                                         2012年大阪松竹座「瞼の母」中村勘九郎さんと坂東玉三郎さん↓
     
    イメージ 7<「瞼の母」との再会>
    1934年(昭和8年)、たった一度だけ劇場の廊下で出会ったある夫婦の妻から手紙が届く。封を開ける前に「母親の居所がわかったのだ」という啓示があったという。手紙を読み終えると「熱海に行く」と妻・七保に言い残し、ひとり家を出る。誰もいない温泉に入り、湯から出ようと立ち上がったとき突然滂沱の涙があふれ、翌日まで部屋で呆然と過ごしたのち、帰京後、母と会うことを決心。牛込にある母親の再婚先を訪ね、再会を果たす。異父弟の三谷隆正(法学者)、三谷隆信(官僚)とも面談する。この再会を朝日新聞の記者がすっぱ抜き、新聞紙上を賑わせた。

    ここでは、袴田氏も書かれていますが、その「幕切れ」の本来の脚本と、脚本とは異なった脚本を併せてご紹介します。読み比べてみて下さい。

    イメージ 8「瞼の母」幕切れの描写
    春日局まとめ:「長谷川伸傑作選 瞼の母」(国書刊行会)より~
     
    忠太郎との突然の再会に驚き、今の自分の立場や娘お登世の気持ちなどを慮って、心ならずも忠太郎に酷い言葉で「愛想尽かし」をした母おはまだったが、忠太郎が去って、お登世から「兄さんを呼び戻す」ようにと嬉しい言葉で説きふせられて、おはまとお登世が荒川の土手まで、忠太郎を追いかけます。
    しかし、心傷ついた忠太郎は、既に母への情愛よりも反抗心が強くなってしまっており、ふたりの呼び声が聴こえても物陰に身を隠してふたりをやり過ごし、反対の方に向かって歩き出します。そこに、忠太郎を斬ろうと追いかけてきた素盲(すめくらの)金五郎がやってきて斬り合いになります。そして、ラストシーンです。

     
      ←1993年博品館劇場での初演「瞼の母」
     
     
     
     
     
    イメージ 9<一般的に上演されている本来の脚本> 
    (舟木さんの演じられた「瞼の母」も以下のものです)
    忠太郎「お前の面あ思い出したぜ。(斬る気になり、考え直す)お前、親は。
    金五郎「(少し呆れて)何だと、親だと、そんなものがあるもんかい。」
    忠太郎「子は。」
    金五郎「無え。」
    忠太郎
    (素早く斬り仆し、血を拭い鞘に納め、斜めの径を歩き、母子の去れる方を振り返りかけてやめる)
     朝の真赤な光が映(さ)す、忠太郎、その光に背いて、股旅の路に踏み出す。船頭歌、遥かに聞こえる。
     「降ろうが照ろうが、風吹くままよ。東行こうと、西行こと。」(船頭歌)-完-

    また、これに続いて「異本」として以下の荒川堤の幕切れの二つの戯曲も、同書巻末に併記されていました。
     
    <異本(一)>
    金五郎の「何?親だ?そんなものがあるもんかい」を承けて・・・
    忠太郎「この野郎、そんなものと吐かしやがる、やい、子はあるか。」
    金五郎「子だと、そんな者。」
    忠太郎「ねぇな。無えんだな。」
    (素早く斬り仆し、血を拭い鞘に納め、母子の去れる方を振りかえる)
     朝の真赤な光が映(さ)す、忠太郎、その光に背いて踏みだし、佇む。船頭歌、遠く聞こえる。
     「降ろうが照ろうが、風吹くままよ。東行こうと、西行こと。」(船頭歌)
    忠太郎(一たび去ったが、その絶叫が聞こえる)おッかさぁん・・・(駆け来たる)おッかさあん・・・おッかさあん・・・おッかさあん。(おはま母子のあとを追う)
     
    <異本(二)>
    異本(一)の幕切れに、忠太郎の絶叫「おッかさあん」で駆け戻り「おッかさあん」と一つ二つ続ける、その
    あと・・・
    おはま・お登世(呼ぶ声を聞きつけ、引き返し来たる)
    忠太郎(母・妹の顔をじっと見る)
    おはま(全くの低い声)「忠太郎や。」
    お登世(低い声で)「兄さん」
    忠太郎(母と妹の方へ、虚無(こむ)の心になって寄ってゆく)
    おはま・お登世(忠太郎に寄ってゆく)
     双方、手を執り合うその以前に幕降りる

    これらの二つの異本は現在の舞台では採用されず、忠太郎は「股旅の路に踏み出す」という幕切れであることの理由は、評論家・川本三郎氏の著書「時代劇ここにあり」で言及されている「ダーティー・ヒーロー」論で展開されている「股旅物のヒーロー論」と重なり、私にも納得できるものだったので、少しですが抜粋してご紹介します。
     
    イメージ 10「彼らがダーティー・ヒーローなのは自分が汚れた人間であると自覚しているからなのだ。斬りたくない男を斬った。かたぎの生活を捨てた。そうした罪責感からついに逃れることが出来ない。追っ手からは逃れることは出来るかもしれない。しかし、汚れの意識からはどこまでゆこうが逃れることは出来ない。」(川本三郎著「時代劇ここにあり」2005年平凡社刊)より

    たとえ、夢にまで見た母や、心やさしい妹と暮らすことができたとしても、忠太郎の心の闇や汚れの意識は拭い去ることはできないでしょう。平穏な肉親との日々を、この先、過ごすことなどできるはずもないと忠太郎にはわかっていたのだと思います。ただ、「瞼の裏にくっきりと映し出される母」、その母に一目逢いたいという気持ちだけで、長い年月探し求めていた「おッかさん」だったのです。ヤクザの道に入り、人を殺め、傷つけてしまった過去を引きずったままの自分が、母や妹と心穏やかな日常に戻れるはずはないのです。
     
     
     
    「罪の意識、罪責感」の自覚を強く抱いていることへの共感・・・現代において、手を汚さずして非道の限り
    を尽くし、その罪の意識すら葬り去っているような人間の存在を私たちは、どこかで気づいているはずです。
    「ダーティー・ヒーロー」は、自分自身の背負った「業」や「贖罪」を誰よりも深く意識し、だからこそ「人並み」な生き方、暮らし方に背を向けているのですから、視点を変えれば、大きな「悪事」「罪」の中に埋没して、己の罪に目を向けることすらない人種への限りない批判であり、告発でもあるのではないでしょうか。
     
    舟木さんがこのような長谷川伸作品を、そのライフワークのような形で数多く舞台にかけられる想いの中にはそのような「ダーティー・ヒーロー」への共感もおありなのではないかという気がしています。
     
    イメージ 11

    舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(完)

    0 0

    「瞼の母」に続いては、長谷川伸の出世作と言える「沓掛時次郎」についてご紹介したいと思います。
     
    イメージ 1
    「沓掛時次郎」ダイジェスト版
     
    長谷川伸作の戯曲。題名は主人公、信濃・沓掛宿の博徒の名からとった。一宿一飯の義理から博徒の三蔵を斬り。その身重の女房おきぬと一子・太郎吉のために足をあらってつくそうとする。原作は昭和三年「騒人」に発表された。以後、股旅物の傑作として新國劇や新歌舞伎で上演、数度にわたり映画化もされている。
    まずは、舟木さんのセリフ入り「沓掛小唄」からお楽しみくださいね。

    イメージ 2「沓掛時次郎」原作者の長谷川伸御自身の作詩による股旅の世界です。全六連のうち舟木さんの歌唱は一連、三連、六連となっています。
    この若き日の舟木さん歌唱の「沓掛小唄」は、物哀しく、また長谷川伸が股旅者へ寄せた強い共感やある種、憐憫とも感じられる温かく優しい思い遣りの心が読みとれます。
    そして、このアルバム録音当時の舟木さんが抱えはじめていらしたであろう「深い闇」のような苦悩が渡世人の心の闇と重なり胸に沁みます。今の堂々たる歌唱とは違う、青年らしいナイーブさの漂う舟木さんが、沓掛時次郎の世界をどのように感じ、その想いを表現しようとなさったかに私の想いを馳せて聴いています。
     
    このたび、舟友のkazuyanさんが、この曲を素晴らしい動画芸術作品に仕上げて下さいました。心よりの感謝を込めてご紹介させていただきます。本当にありがとうございました。
    kazuyanさんのブログでもご覧になれます。
     
     
     
     
    イメージ 3
     
    沓掛小唄  作詩:長谷川伸 作曲:奥山貞吉 編曲:山路進一
    アルバム「渡世人~舟木一夫三度笠を歌う」収録 1972年)
     
    ~セリフ~
    渡世うちで、サイの目は「一天地六、向こう四の二に前五、三」と呼ばれていやすが、特に四と九の目が嫌われるのは、死と苦に通じるからでございやしょう。
    一度踏み込んだら、容易に抜けられねぃこの世界で、死とぎりぎり背中合わせで苦しむのもヤクザなら任侠道に男の意地を立派に張るのもヤクザです。
    まぁしかし、どっちを取ってみても、渡世人とはお天道さまも仰げないバカな人間の見本のようなものでございやしょう。
                                                                         1999年初演時の舟木さんの時次郎です↓15年前ですね。
     
    イメージ 4意地の筋がね 度胸のよさも 
    人情からめば涙ぐせ
    渡り鳥かよ旅人ぐらし 
    あれは沓掛時次郎
     
    来るか時節が 時節は来ずに 
    今朝も抜け毛が数をます
    今度(また)の浮世は男でおいで 
    女とかくに苦労がち
     
    千両万両に枉(ま)げない意地も 
    人情からめば弱くなる
    浅間三筋の煙の下で 
    男沓掛時次郎

    舟木さんの沓掛時次郎公演記録です。
    ・1999年5月14日~6月15日
    「沓掛時次郎」全国29会場でツアー公演
    ・2001年8月2日~24日
    「沓掛時次郎」東京・新橋演舞場
    ・2002年11月1日~24日
    「沓掛時次郎」京都・南座

     
     
     
     
    以下に、2001年の新橋演舞場公演のパンフレットで、「沓掛時次郎」や長谷川伸作品について語る舟木さんの言葉を一部抜粋して掲載しています。
     
    イメージ 18
     
    新橋演舞場パンフレットより 
    2001年8月2日~24日上演
    沓掛時次郎  舟木一夫&玉置宏トークショーより (一部抜粋)
    ~平成十三(2001)年七月九日 フォーシーズンズホテル椿山荘 東京にて~
     
    玉置:「沓掛時次郎」は、前に一度やっていらっしゃいますよね。
     
    舟木:そうです、全国公演でやらせていただきました。今回で長谷川伸先生の作品は三作目なんです。「瞼の母」「雪の渡り鳥」そして「沓掛時次郎」
     
    玉置:どうですか?今回の「沓掛時次郎」は。
     
    舟木:潤色・演出の榎本滋民先生とは一度「薄桜記」でご一緒させていただきました。今回の打ち合わせでは「お前さんで沓掛を正論に戻したい」とおっしゃられて。今まで映画や舞台でたくさん上演されていて、原作に加えていろんな話が挿入されたりカットされたりと、いっぱい話がある。僕も前回やったときには相当脚色しましたから。ですからそれを長谷川伸作品に一回戻すと。
     
    玉置:つまり、原作に忠実に原点に戻すということですね。
     
    舟木:そうなると、たとえば音でいうと、洋楽はいっさい使わないで和楽でいこうと、前回は洋楽でしたから。じゃあ、どういう風に舞台をつないでいくのか、いろんな民謡を使うとか。
     
    玉置:なるほど。そういうところから考えていくんですね。
    ~中略~
     
    舟木:先日準備稿を読ませていただきました。僕はすごく好きなんです。お客様が自由に発想を広げる場が多いネ、いわゆる辛(から)い本です。やくざものの芝居は、主役は粋でなくてはならないからよけいなことをできるだけ言わないんですが、セリフへのこだわりかたも全然違う。たとえば「おい、そこを通せ」というセリフがあったとします。それが、「おい、そこを通せい」になる。イントネーションも全然違って、粋になる。
     
    玉置:セリフまわしっていうのは、これは大変なことだと思います。
     
    舟木:個性というのを、やる役者がどうとるか。一つには沓掛時次郎はそれこそいろんな役者がやっていて、そういう方たちと全く違うものをやるんだと考える。もう一方では、僕みたいに古典というか、名作劇場だと解釈する。長谷川作品のセリフ回しというのは、このセリフはこのイントネーション以外に考えられないというものが随所にあるんですよ。
     
    イメージ 5
     
    「このイントネーション以外には考えられないというもの」(春日局の独断と偏見で一例をセレクトしました)
     
    配役  沓掛時次郎:舟木一夫/おきぬ:長谷川稀世/三蔵:林与一ほか
     
    イメージ 6第二場 三蔵の家の外
     
    ・家の中の三蔵に向かっての仁義
    「勝負は一騎打ち。 他人の交ぜなしで、潔よういたしとうござんす」
     
    ・他人交ぜなしで潔く・・と始めた一騎打ちに、手柄を目当てに斬り込んでくる百助、半太郎に向かって
    「思いも怨みもねぇ人と命の取りっこするのは、付き合いの義理があるからだ。 引っこんでろい!」
     
    ・時次郎と三蔵の一騎打ちの隙を狙いおきぬと太郎吉を襲う百助、半太郎に向かって
    「女房子供を斬ってどうするんでえ。ばくち打ちは渡世柄付いて廻る命のやり取り、こいつは渡世に足を踏込んだ時からの約束事だ。が、女房子供は別ッこだ。いけねぇ、いけねぇ。斬らせるもんけぇ!」

    イメージ 7第六場中仙道熊谷宿裏通り
     
    ・横蔵一家の追手を逃れ、時次郎の追分節とおきぬの三味線で暮らしをたてている
    「時次郎:太郎坊の物もだが、おきぬさんも薄着だねえ」
    「おきぬ:あたしよりお前さんこそ薄着だ。まだ袷と単衣だけでしょう」
    「時次郎:何をいうんだ。沓掛の時次郎は日本中飛び歩いた男だ。寒中真ッ裸でもくらせる奴さ。さ、行こう」

     
    上記のおきぬとのやりとりの場面のあたり、舟木・時次郎の唄う信濃追分節が心に沁みます・・・
     
    イメージ 8♪信濃追分
    小諸出てみろ 浅間の山にヨー 
    今朝も煙が 三筋立つ
    碓氷峠の あの石車ヨー 
    誰を待つやら くるくると
    浅間山さん なぜ焼けしゃんすヨー 
    裾に三宿(追分) 持ちながら

    この信濃追分といえば・・・舟木さんがまだデビュー間もない頃のアルバム「若い民謡」に収録されたこの曲を思い出します。
     
    小諸馬子唄  
    (1965年 アルバム「舟木一夫と若い民謡」収録)
    小諸出て見よ 浅間の山にヨー
    けさも煙が 三筋立つヨ―
     
    ここはどこだと 馬子衆に問えばヨー
    ここは信州 中仙道ヨー
     
    浅間山から 出てくる水はヨー
    雨も降らぬに ささにごりヨー
     
     
    イメージ 9

    以下は、2001年8月2日~24日「沓掛時次郎」東京・新橋演舞場公演の際の演劇評論家の水落潔氏による文です。

    舟木一夫公演の魅力  水落潔 演劇評論家 
    (同公演パンフレットより一部抜粋)
    ~前略~
    今年の春、舟木は松尾芸能大賞を受賞した。不遇を撥ね退けてカムバックし、以前にも勝る活動を続け、歌手としても俳優としても円熟した境地に達した功績が評価されたのである。その席で、今年は何を演じるのですかと聞いたところ、「長谷川伸先生の『沓掛時次郎』です。長谷川先生の作品は好きですし、こんなギスギスした時代だからこそ、先生の温かい人情の世界が大事なのだと思います。それを多くのお客さんに見てほしいのです。」と答えた。

    イメージ 10「沓掛時次郎」は長谷川伸の出世作である。大正十一年に新国劇の澤田正二郎が初演した。
    一宿一飯の義理からやくざの喧嘩の助っ人になり六ッ田の三蔵を斬った沓掛時次郎は、三蔵の最期の頼みによって三蔵の女房おきぬと一子太郎吉の身を引き受ける羽目になる。時次郎はそれをきっかけにやくざの足を洗い、身重のおきぬと共に流しの芸人になって旅を続ける。しかし、おきぬの出産が近づき金が要る。
    その後の展開は舞台にまかせるとして、作者がこの作品で描いているのは、秘めた愛の美しさである。貧しい人間がいたわり合い、身を寄せて生きていく姿の健気さである。
    長谷川伸は、若い時、今でいう建設業をしていた父の下にやってきた夫婦連れをモデルにしたと書いている。
    愛していながらおきぬに指一本触れようとしない時次郎の純愛は、利と欲にまみれた今の世の中には見られない崇高な輝きに満ちている。この作品は股旅物とよばれるやくざを主人公にした作品である。しかし。やくざ礼賛の芝居ではない。作者はこうも言っている。

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    「股旅者も武士も町人も、姿は違え同じ血の打っている人間であることに変わりはない。政治家の出来事も、行商人の生活も、これに草鞋を履かせ、腰に一本長脇差を差させれば、股旅物になるのである。」(長谷川伸「ある市井の徒」)舟木一夫によって、長谷川伸の人間ドラマが現代にうつくしく蘇ることであろう。

    「沓掛時次郎」を演じた方は、舟木さんに縁の深い長谷川一夫さんはじめ、数多くいらっしゃいますが、私は存じ上げなかったのですが、大川橋蔵さんも、沓掛時次郎をテレビ映画と歌舞伎座の舞台公演で演じていらっしゃるので、ここでご紹介させていただきます。おきぬはテレビでは山本陽子さん、舞台では香山美子さんが演じられました。ご周知のように、香山さんは平次の妻のお静を第209話から最終回の第888話まで演じられましたね。
     
     
     
    イメージ 11大川橋蔵さんと「沓掛時次郎」について
     
    テレビ映画「時代劇スペシャル」
    (1981年4月~1984年3月)
    記念すべき第一回作品。林与一さんは、この作品でも六ッ田の三蔵を演じていらっしゃいます。
    出演  
    大川橋蔵(沓掛時次郎) 山本陽子(おきぬ) 加瀬悦孝(太郎吉) 林与一(六ッ田の三蔵)

    大川橋蔵「沓掛時次郎」  演劇評論家 萩原雪夫
    (歌舞伎座 大川橋蔵特別公演 パンフレットより抜粋)
     
    テレビの「沓掛時次郎」の撮影に際して、橋蔵は、”銭形平次“のイメージが出ないように床山(かつら)、衣装、照明のほかスタッフを全部一新して出演した。その結果はてきめんで、時次郎からは平次の面影を感じさせなかったという人が多く、ファンから舞台でも上演してくれるようにとの要望が相次ぎ、今日の上演になったものである。実際、橋蔵の沓掛時次郎は平次とは違って、躾のしまった精悍な感じ、甘さの中に男性的な匂いと哀愁がただよって、さすがに橋蔵ならではの時次郎を見せて大成功をおさめたのである。こんど歌舞伎座での上演が決まってから、橋蔵は相手役の香山美子と共にわざわざ信州の沓掛を訪れて役作りに備えたり、劇中でうたう古調”信濃追分“のけいこをするなど、この舞台に打ち込んでいる。
     
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    では、信州沓掛のイメージを・・・・(画像はネット上のものを拝借させていただきました。)
     
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    イメージ 15沓掛時次郎の碑  
    長倉神社境内 
    長野県北佐久郡軽井沢長倉 
     
    1953(昭和28)年5月に当時の沓掛商工会が中心になって建立された。
    沓掛は現中軽井沢のかつての名称。
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 16長谷川伸の筆によって生み出された架空の人物である沓掛時次郎の碑の存在が、このヒーローの人気の大きさを物語っています。
     
     
    沓掛時次郎の碑は、長倉神社境内の湯川寄りにあるそうです。
     
     
     
     
     
     
    剣には強いが、義理と人情にはからきし弱い沓掛時次郎という人物像が歌に込められています。
    沓掛時次郎の碑

    ~千両万両枉げない意地も、人情搦めば弱くなる 浅間三筋の煙の下で 男 沓掛時次郎
    「長谷川伸 書」
     
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    ~舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その2「沓掛時次郎」(下)につづきます~

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    舟木一夫、80作品目も道半ば  デイリースポーツ 2014年7月11日付 より
     
    歌手の舟木一夫(69)がこのほど都内で会見し、東京・新橋演舞場での公演「八百万石に挑む男」(9月2~24日)への意気込みを語った。
     
    江戸幕府転覆を狙った天一坊の参謀役だった山内伊賀之亮を描いた舞台で、歌舞伎の演目としても知られる。
    舟木にとっては80作品目となるが「何となくやってきたらこうなったってだけのこと」とあくまで道半ばを強調した。
     
    天一坊を演じる歌舞伎俳優・尾上松也(29)とは初共演。「素顔は違うけど、メークをすると意外と似てるんですよ」と親近感があるようで、松也も「一門の尾上徳松が舟木さんの奥さまと同級生ということで、ご縁を感じてます」と語り、息ぴったりだった。
     
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    舟木一夫、初共演の松也を絶賛「声の中音の響きがいい」  スポニチアネックス(2014年7月11日07時03分)より
     
    歌手で俳優の舟木一夫(69)が、東京・新橋演舞場で9月に特別公演「八百万石に挑む男」を開催する。
    通算80回目の座長公演。発表会見では「夢中にやってるうちに時間がたっちゃった」と笑顔を見せた。
     
    会見には共演の歌舞伎俳優尾上松也(29)も出席。2人は初対面だったが、舟木は松也を「声の中音の響きがいい。滑舌も結構」と絶賛。一方、松也は「大先輩に話していただくこと自体が夢のよう」と恐縮していた。
     
    第2部で舟木は劇場空間を生かしたコンサートを行う。「何も考えずに気楽に“高校三年生”を歌っていればいいかな」と話した。
     
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       この会見の時のスリーピース、「風アダルトに」のステージ衣装です。夏らしく爽やかでシックでステキですよね
     
     
    イメージ 3舟木さんテレビ出演情報
    NHK「スタジオパークからこんにちは」出演予定
    7月24日(木)午後1時05分より生放送

    「スタジオパークからこんにちは」HP
    http://www.nhk.or.jp/park/
    *まだスケジュール表にはアップされていませんが、近日情報がアップされると思います。
     
    イベントインフォメーションのサイト
    トークの観覧募集サイト↑もあるようです。
    *但し、応募資格は、NHKネットクラブのプレミアム会員のみとのこと

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    ~以下は、歌舞伎美人HPの新着情報です。~
     
    歌舞伎俳優さんについての情報サイトですので、天一坊役の尾上松也さんサイドからの取材になっています。
     
    松也が舞台『―天一坊秘聞―「八百万石に挑む男」』出演
    9月2日(火)~24日(水)、新橋演舞場九月公演  「舟木一夫特別公演」で上演される『―天一坊秘聞―
    「八百万石に挑む男」』に、尾上松也が出演します。
     
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    昭和36(1961)年公開の映画「八百万石に挑む男」の初の舞台化作品。舟木は軍師、山内伊賀之亮を、松也は
    将軍吉宗のご落胤を名乗る天一坊を演じ、その二人が幕府をひっくり返そうとする壮大な物語です。舟木と初
    共演を果たす松也は、緊張の面持ちで、会見に臨みました。
     
    スケールの大きな物語で新たな天一坊像を
     
    イメージ 2歌舞伎でお馴染みの「天一坊」物と同じく講談をもとにしていますが、脚本担当の齋藤雅文によると、今回は「八百万石に挑む、つまり江戸幕府そのものを乗っ取ってやろうというピカレスクロマン。歌舞伎でいうところの“国崩し”で、舟木さんにふさわしい大きな物語です」。その舟木にとって「天一坊」物は、演舞場の1カ月公演でやりたい演目の一つとして、10年ほど前から温めていた思い入れの深い作品です。

    「この物語には、歌舞伎は別として一般の演劇では、伊賀之亮と天一坊が、男気で結びつき、いたずらっ気もあってちょっと幕府を驚かそうかという話と、もう一つ、天一坊の親子の情を伊賀之亮がフォローしていく話という二つの面があります。今回の脚本はその二面がとてもよく出ていて、お芝居としてスムーズにお見せできると思います」。

    一方、松也にとっての「天一坊」は、十二世團十郎の大岡越前の嫡子、忠右衛門を演じた、平成13(2001)年6月歌舞伎座の『天一坊大岡政談』です。天一坊役は菊五郎。「豪快で、格好いいイメージがあります。今回は、強さもあるがもろいところもあり、人間らしい部分がよく描かれていると思うので、繊細さを上手に演じられたらと思っています」と、役づくりに向けて意欲的に話しました。山伏姿で登場する冒頭には、立廻りの見せ場も用意されているそうです。
     
    楽しみな初共演
     
    イメージ 3「僕は若い頃から歌舞伎の大先輩方にお世話になり、いろいろと教えていただきました。僕らの世界は親から子へ芸を継承するわけではありませんが、芸が継承されていく歌舞伎の世界とバランスよくやっていけるといいなと、昔から思っていました。今回も歌舞伎界の松也さんと一緒にできてうれしい」と、芸能生活五十周年を経た、重みを感じさせる言葉で、共演者について語った舟木。
     
    コクーン歌舞伎『三人吉三』の松也を見て、「声の中音の響きがいいし、滑舌もいい」と思ったそうで、「素顔は随分違うのに、メイクをすると僕と似ている。同系統の顔なのかなと親近感を持っています」と、会場を沸かせました。すると松也も、出演者の一人である一門の徳松が、舟木の妻と同級生だったことを明かし、「ご縁を感じて、失礼なのですが、僕も親近感を感じております」と表情をゆるませました。

    今回は、昭和41(1966)年から始まった舟木の座長公演が迎える、記念すべき80公演目ですが、「夢中になってやっていたらこうなっただけ」と、特に気負う様子も感じさせません。第2部では、舟木が「高校三年生」をはじめとするヒット曲や新曲を歌う「シアターコンサート」が、昼夜別構成で行われ、芝居に歌に、舟木の魅力を余すところなく伝える公演となっています。
     

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    ~舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その2「沓掛時次郎」(上)のつづきです~
     
    イメージ 13慈父にして厳父   榎本滋民   
    (新橋演舞場パンフレットより 2001年8月2日~24日上演)
     
    沓掛小唄 作詩:長谷川伸 
    (1972年アルバム「渡世人~舟木一夫三度笠を歌う)
     
    意地の筋がね 度胸のよさも 
    人情からめば涙ぐせ
    渡り鳥かよ旅人ぐらし 
    あれは沓掛時次郎
     
    背のびしたとて 見えぬを知りつ 
    せずにいられずまた背のび
    生まれ故郷は遥かな空よ 
    思うお方も百里先
     
    来るか時節が 時節は来ずに 
    今朝も抜け毛が数をます
    今度の浮世は男でおいで 
    女とかくに苦労がち
     
      
    イメージ 1月よものいえ 姿をうつせ 
    ただ照るばかりじゃ 罪つくり
    泣いた別れは 忘れも出来よ 
    なまじ泣かれぬ命とり
     
    千両万両に枉(ま)げない意地も 
    人情からめば弱くなる
    浅間三筋の煙の下で 
    男沓掛時次郎
     
    映画「沓掛時次郎」主題歌 昭和四年流行・・とある長谷川伸作「沓掛時次郎」を収めた「婦人倶楽部」(昭和十一年正月号付録「童謡・唱歌・流行歌全集」の志村立美画伯描く男の画像が、ものごころつく頃から、こびりつくまでになじんでいたのだから、かなりませた餓鬼だったことになるが、私にとっての時次郎は、舞台・映像の諸名優に先んじて、こんな面輪だったというすりこみがなされていたことになる。
    今度、舟木一夫座長の志望を聞いて、至極当然と了承したのは、この志村立美画伯描く面輪に切ってはめた印象だったことにもよる。
    古典歌舞伎で役者の適性・風格を示す「仁(にん)」という複雑微妙な用語があるがこの「仁」が舟木時次郎にぴったりなのである。それだけに、舟木座長に、舞台・映像の諸名優のすぐれたイメージにいささかも牽制されない、いわばまっさらの時次郎を造形させたいと協力を応諾した。
     
    あふれるスター性におごらず、役作りにきびしい努力家のことだから、原作者がご覧になったら必ず合格点を下さる筈だが、なおなお洗い上げて空前にして絶後の時次郎に仕立ててやりたいと思っている。
    それが、無断上演をとがめもなさらず、御祝儀まで与えたりなさり、この切り株に時次郎が腰をかけて草鞋の紐を結び直したなどというひどい伝聞にまで、にこにこをうなずかれたという巨匠の、寛容きわまりない慈父の温顔の奥にある厳父の人間観に迫る報恩の努力ではないだろうか。
     
     
    イメージ 2
     
     
    長谷川伸の描く「ダーティーヒーロー」~そのシンボルともいえる沓掛時次郎

    長谷川伸は、子どもの頃に実家(横浜の材木商)が破産したため、小学校は二年までしか行けず、その後長く下積みの生活を送った苦労人である、そこで様々な「かたぎの生活」を見た。作家という人間もまた、かたぎの生活を横から見ながら作品を作り上げていくやくざでしかないと思っていた。長谷川伸の描く股旅物がどこか暗いのはこの負の意識のためである。
    股旅物の主人公をダーティー・ヒーローと呼ぶのは彼らが単にやくざであるから、裏街道を生きているからというだけではない。
    彼らがダーティー・ヒーローなのは自分が汚れた人間であると自覚しているからなのだ。斬りたくない男を斬った。かたぎの生活を捨てた。そうした罪責感からついに逃れることが出来ない。追っ手からは逃れることは出来るかもしれない。しかし、汚れの意識からはどこまでゆこうが逃れることは出来ない。(「時代劇ここにあり」川本三郎著 平凡社)より

     
    明治生まれの庶民階級出身であり、幼少時から苦労して育った長谷川作品の主題は、封建的世界の中で懸命に生きる人々の義理・人情・意地を描くことである。その主題が最も端的に現れたものが、いわゆる“股旅物”だろう。“股旅”とは“旅から旅を股にかける”という意味の長谷川伸の造語であり、“股旅物”とは、やくざや流れ者が、いわゆる一宿一飯の義理に従って人を殺めたりしつつも不器用ながら懸命に生きる姿や、彼らに関わる女性や子どもなど社会的弱者の悲哀を描く物語である
    (「時代劇専門チャンネル」ガイドブック 股旅のヒーローたち)より

    沓掛時次郎 あらすじ(新橋演舞場パンフレットより 2001年8月2日~24日上演)
     
    上総の国、木更津、賭場の間違いから島送りになっている中ノ川一家の親分喜兵衛への義理でこの界隈の縄張りを今は、ひとり守っている六ッ田の三蔵は、小湊の横蔵一家に命を狙われていた。三蔵は女房おきぬと息子太郎吉とともに逃げ仕度をしていたが、鎮守の森では、三蔵を始末しようと横蔵一家の百助や半太郎たちが集まっていた。
    信州沓掛生れの時次郎も、中ノ川一家には何の遺恨もないが、一宿一飯の恩義からその助っ人に加わっていた。
    百助たちは、時次郎に手柄を取られまいと時次郎を邪魔にして、三蔵の首をとろうとしたが、三蔵の必死の抵抗で意気地なく引き下がった。張り番をしていた時次郎は、一人残り、三蔵に仁義をきった後、一騎討ちの勝負を挑んだ。

    ~ここでの、時次郎と三蔵の仁義のきりあい他、なんとも気持ちのいいセリフが、たくさんあるので原作より抜粋します~
     
    時次郎:もし六ッ田の三蔵さん。おいでなさいますかえ。
    三蔵:六ッ田の三蔵はまだおります。何でござんす。
    時次郎:あっしは旅にんでござんす。一宿一飯の恩があるので恨みもつらみもねえお前さんに敵対する信州沓掛の時次郎というくだらねえ者でござんす。
    三蔵:左様でござんすか。手前もしがない者でござんす。ご叮嚀なお言葉で、お心のうちは大抵みとりまするでござんす。
    時次郎:お見上げ申しますでござんす。勝負は一騎打ち。(三人のほうを顎で示し)他人交ぜなしで潔くいたしとうござんす。
    三蔵:お言葉、ありがとう存じます。

    イメージ 3時次郎と三蔵の一騎打ちの隙をみて、戻ってきた百助たちがおきぬと太郎吉を殺そうと斬りかかった。

    時次郎:やいやい、女、子どもに何をしやがる、そんな法ッてえのがあるかい。女房、子どもを斬ってどうするんでぃ、博打うちは渡世柄ついて回る命のやりとり、こいつは渡世に足を踏み込んだ時からの約束事だ。が、女房子供は別ッこだ。いけねぇ、いけねぇ、斬らせるもんけぇ。
     
    時次郎は、博打打ちは女房子供は別だと憤然と彼らに刃を向けていった。三蔵は力を振り絞って百助と半太郎に向かっていき、追い払った。

    時次郎:おかみさん、怪我はござんせんか。
    おきぬ:ええ(太郎吉を抱きしめる)
    時次郎:子供も怪我はござんせんでしたかい。
    太郎吉:わぁ(泣く)
    おきぬ:ええ。(さらに太郎吉を抱きしめる)
    時次郎:それはようござんした。(三蔵をみて)いけねぇ、とても手は届くめぇ。おかみさん、お困りでござんしょう。お察しもうします。・・・だが・・・この渡世を知って夫婦になったんでござんしょうから冗(むだ)なお追従は抜きにしておきます。ご免なさっておくんなさいまし(出ていく)

    おきぬと太郎吉を救った時次郎はいったん、三蔵の家を後にしたが、太郎吉の泣き声が耳について引き返してきた。
     
     
    致命傷を負った三蔵は苦しい息の下から、時次郎を男と見込んで女房子供の行く末を頼み、息を引きとった。
    時次郎はきっぱりと引き受け、三蔵の髷を懐に入れたおきぬと太郎吉とともに逃れていく。
     
     
    イメージ 9太郎吉:おっかあ、このおじさん、いい人かい、悪い人かい。
    おきぬ:返事に窮している
    時次郎:おじさんは悪い人さ。だがね、もう悪かねえよ。
    太郎吉:だっておじさんはちゃんを斬ったろう。
    時次郎;勘弁してくれ。
    太郎吉:だけど、おっかさんやおいらを助けてくれた。
    時次郎:坊や、そう思ってくれるかい、ありがとう。
     
     

    イメージ 4横蔵一家の追手を逃れた三人は、中山道の熊谷宿で、おきぬの三味線と時次郎の追分節で稼ぎながら暮らしていた。
    時次郎は三蔵との約束から義理堅く母子の面倒を看ていたのであった。三蔵の子を身ごもっているおきぬをいたわり、太郎吉を励ましながら時次郎は来年の春桜が咲くころに生まれる三蔵の子のためにも貯えをしようと追分節を歌うのだった。
    その冬も過ぎ、春の訪れとともに、おきぬは三蔵の子を産み落とす時が迫り、木賃宿の床に伏していた。しかし、おきぬの三味線のない追分節だけではろくな稼ぎもなく宿代も滞りがちだったは宿の主人夫婦は時次郎の男気に惚れこみなにかと親切にしてくれた。その宿へ、たまたま太郎吉を見かけた百助と半太郎が踏みこんできたが宿の女主人のおろくがたちふさがって啖呵をきり追い払ってくれた。
     
    そんな時に、時次郎は宿の主人の安兵衛に、一両という金の入る仕事があると・・・しかし、それは博打うちの喧嘩出入りの助っ人の仕事。安兵衛は、一度は話をもってきたが、やはり、どうしたものかと躊躇する。しかし、おきぬの出産が迫り、生まれてくる子どもの産着も用意できないことを思うと気が気でなかった時次郎は、助っ人を引き受けることを決心する。「追分節」を歌う仕事と偽って、宿を後にする時次郎。
    おきぬは時次郎が二度と戻ってこないのではと思い不安がるが、時次郎は、必ず帰ってくると約束し、喧嘩場へと馳せ参じていく。
     
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    以下は、原作にはない部分です。長谷川伸の原作の時次郎はこのお芝居の時次郎よりも硬派といえましょう。女性ファンの多い舟木さんならではの「舟木・時次郎」の甘い場面です。
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    別れ際に、時次郎は、肌身離さず身につけていた沓掛神社のお守りをおきぬに渡します。
    「そんな大切なものを・・・」と、受け取りかねるおきぬ。
    「おめえさんは、大事にお産をしなくちゃいけねぇ」と時次郎
    互いに「言いたいことがある」と・・・しかし、胸に秘めた言葉をのみこむふたり、時次郎がこの仕事から帰ってから・・・とその想いを心に秘めたまま今生の別れとなることも知らずにいるふたりの哀れさ…
     
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    喧嘩場の立ち回りの切れ味の良さ、颯爽とした姿・・・一転して、おきぬさ~ん!、太郎吉ぃ~ッ!・・と駆けだす舟木・時次郎の情と優しさ・・・その落差に柔と剛を内包した舟木さんの男の魅力がほとばしります・・・

    時次郎の働きはめざましく、たちまち勝負はついた、安兵衛が約束の一両をおきぬに届けるために宿に向かい、
    時次郎も後から、駆けつけたが、その時、すでにおきぬはお腹の子とともに、もうこの世のものではなかった。
    おきぬの初七日が過ぎて、時次郎はおきぬの骨箱を抱えた太郎吉と二人旅に出た。
     
    イメージ 8以下は舟木版・沓掛時次郎(榎本滋民脚本)のラストシーンのあらましです、
     
    第二幕 第五場 宿外れの路傍
     
    時次郎と太郎吉がしばらく足休めをしているところに、またしても時次郎を殺そうと、百助と半太郎が斬りかかってきた。
    太郎吉が時次郎にしがみつき、「おじちゃん やめて!」と斬り合いの間に入って時次郎をとめる.。時次郎は、太郎吉の真剣な表情に驚き、茫然とするが、我にかえるそして、二人を斬らず、「命はたったひとつ、大事(でえじ)に使えぃ!」と二人を逃がす。去っていく二人。時次郎、太郎吉におきぬの骨箱を抱えさせてやる。
     
    太郎吉:おじちゃんはこれからどうするの?
    時次郎:おれはな、鋤鍬(すきくわ)でも手にして、まっとうなくらしをしようと・・生まれ故郷の沓掛でな・・
    太郎吉:これからは・・・これからは、ちゃんと呼んでもいいかい?
    時次郎:ああ、いいともよ、いいともさ 呼んでみろ!
    太郎吉:ちゃん・・・
    時次郎:(声をつまらせて)聞こえねぇよぉ・・・
    太郎吉:ちゃん・・ちゃん!
    時次郎:太郎吉ぃ~ッ!(涙を浮かべ、太郎吉を抱きしめる)
    太郎吉:おっかちゃん、安心しておくれよ おいらにおとっちゃんができたよ・・・
     
    おきぬの骨箱を抱えた太郎吉の手をとって歩きだしてゆく時次郎・・・
    追分節がながれる 幕~
     
    以下は原作戯曲の幕切れの部分です。
    「長谷川伸傑作集 瞼の母」収録の「沓掛時次郎」戯曲 
    第四場 宿はずれの路傍 原文(昭和三年六月作)
     
    骨箱を樹の切り株の上に置き、丸腰の時次郎、宿を眺め追憶に耽る。
    ~中略~
    太郎吉:(忍びよる人の姿に)おじさん、あっ、危ねぇ!
    時次郎:またか、五月蠅い奴め(敵の刀を奪い闘う)
    太郎吉:ああ、斬っちゃ厭だ!死んじゃぁ厭だぁ!
    時次郎:(躓き重なる敵ふたりを一度に刺し殺そうとする)
    太郎吉:(時次郎の腕に食い下がる)おじさん、厭だ、厭だぁ!
    時次郎:放せッ!・・(太郎吉の頭を終に撫ぜる)斬ったところでどうなるものか。心配するな坊や。それよ
    (刀を投げ返す)
    太郎吉:(骨箱を抱え)おじさん、行こうよ
    時次郎:お、行こうね坊や、深い馴染みの宿はあすこだ。
    太郎吉:お爺さん、お婆さん、さようなら
    時次郎:仕合せで長生きしておくんなさい。(二人に)手前たち、命はたったひとつ、大事に使え!な、な。

     
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    原作の幕切れでは、時次郎は、太郎吉を遠州のお祖父さんのところに送り届けることになっていますが、榎本滋民氏の脚本では、幕切れで、時次郎に「生まれ故郷の沓掛に帰り、そこで鋤鍬を持って百姓になろう」と考えていると太郎吉に言います。そこでは既に太郎吉も自分の生まれ故郷に連れ帰るという決心をしているのです。
    これに反して、原作の幕切れでは、時次郎の気持ちを、ひとことも言わせてはいませんが、この場面に先んじて原作の中で、宿屋の老主人夫婦に、「つくづく、太郎吉を博打うちに育てたくない、生まれ故郷に帰って鋤鍬持って五穀をつくるのが人間の本筋だと思う」と時次郎が言う件りがあります。
    ですから、長谷川伸は、意図的に、「戯曲」とは「生き物」であることを前提と承知した上で、その幕切れに大きな含みをもたせる伏線を張っていたのだと想像できます。ですから、榎本氏や舟木さんがおっしゃる「原作に忠実に」ということは、単に、表面的な言葉尻のみではなく、作者の意図を汲みとるという意味合いなのだと私には納得できました。

    舟木さんも、「沓掛時次郎」の幕切れについて玉置宏さんとのトークで以下のようにおっしゃっています。
    (新橋演舞場パンフレットより 2001年8月2日~24日上演)
    沓掛時次郎  舟木一夫&玉置宏トークショーより (一部抜粋)
    ~平成十三(2001)年七月九日 フォーシーズンズホテル椿山荘 東京にて~
     
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    玉置:でも、やっぱりなんといっても沓掛の幕切れは時別なんでしょう。
     
    舟木:そうなんですよ。
     
    玉置:その幕切れが楽しみだなあ。芝居の幕切れっていうのは、大事だし、また見る人の印象に残りますからね。
     
    舟木:そうですね、榎本先生が原作に戻してみたいとおっしゃる意味は、大詰だけ見てみれば、ふるさとの
    中津川(昭和三年原作では遠州となっている)へ太郎吉を送り届ける前で終わるのか、中津川へ届けて時次郎が自分の思いを抑えて去っていくというニュアンスにするのか。それとも時次郎が、信州小諸の自分の故郷へ連れて帰っていくのか三つあるんですよ。このどれをとるかで全然違う。大詰にある有名な「今日からはちゃんと呼んでいいかい」というセリフは原作にはないんですね。
     
    玉置:ええ、そうなんですか。
     
    舟木:そういったちょっとしたことをどうやったらいいのか。榎本先生はその道の達人ですから、安易な泣きとか笑いとかを嫌われるんです。
     
    玉置:日常の暮らしの中の、自然な笑いというのはどこの家庭にもあるんですね。そういう笑いなら榎本先生も納得するんでしょう。
     
    舟木:今回もね、とりあえず潤色して書いてみるからそれからやろうよとおっしゃいました。準備稿を読んで、いい本だなぁ。このままやりたいなぁ。本当にそう思ったんですよ。
     
    玉置:なるほど
     
    舟木:常にお客様に合わせた芝居をやっていると半分ずつ遅れていってしまう。ですから、どっかいいところで、割り切ってやったり、あえてこういう芝居もたまにはというものを見せたりね。沓掛は今、針が揺れてる最中なんですよ。どっちが70%の割合をつけたらいいのかと考えています。どのくらいお客様の見てる流れとやってるものの流れとが最後にちゃんと合うかどうか。
     
    舟木さんバージョンの「瞼の母」の番場の忠太郎は、「股旅の路に踏み出す」という道を選んだのですが、
    「沓掛時次郎」の時次郎は、「斬りたくもない男を渡世の義理で斬ってしまい」その男の恋女房であるおきぬといつしか心を通わせ、おきぬの忘れ形見でもある一子太郎吉への情愛にひかされると同時に、今わの際の三蔵との男同士の約束を命がけで守り抜くという渡世人としての義侠心によって、「まっとうなくらし」をすることを決意しました。忠太郎の場合は、今は何不自由なく穏やかに暮らしている母を残して去っていくのですが、時次郎には守らなければならないまだ幼い太郎吉への責任があるのです。

    イメージ 12ここで、もう一度、股旅物の世界を通して長谷川伸の描こうとしたあるべき人間(=男)の姿とは・・・に立ちかえってみると、以下の佐藤忠男氏の「長谷川伸論」の<男であるということ>に行きつくような気がします。

    「長谷川伸論」  <男であるということ> 
    (佐藤忠男著 中央公論文庫 1978年版)より抜粋
    長谷川伸の股旅もののヒーローたちが颯爽として見えるのは、たんに腕っぷしが強くて、いなせないい男であるというためだけではない。むしろ、それ以上に、自分は女一人すら仕合せにできないほどにやくざな男である、ということに、強烈な責任感と自責の念を持っている男だからである。女こどもの幸福に責任を持つということは、たしかに男らしさということの欠くべからざる要素であろう。

    舟木さん演じる沓掛時次郎は、もしかしたら舟木さんが当初目論んでいらした「辛口」の時次郎~(上)でご紹介した玉置さんとのトークショーご参照下さい~よりはいくらか「甘い」時次郎になったのではないかという印象なのですが、だからこそ、舟木さんが時次郎を演じた値打ちがあったのではないでしょうか。脚本家の榎本滋民氏が、おっしゃっているように私たちが愛する舟木一夫という表現者が描き出した時次郎像は、まさに舟木さんの「仁(にん)」に添った「空前にして絶後の時次郎」を造形したものと言える舞台作品として評価できるのだと思います。
     
     
     
     
     

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    「舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる」の連載をしている途中ですが、番外編として、1972
    年に発売された、アルバム「渡世人~舟木一夫 三度笠を歌う」に収録されている「木枯紋次郎」という曲のご紹介をさせていただきます。
     
    当時の舟木さんのイメージとしては異色とも言えるアルバム「渡世人~舟木一夫 三度笠を歌う」です。
    舟木さんには「一心太助江戸っ子祭り」「喧嘩鳶」などはじめ、日本調の粋で威勢のいいヒット曲もあります
    が、「渡世人」「股旅もの」の流行歌のジャンルは舟木さんと同世代の歌手の中では橋幸夫さんの独壇場という印象がありましたから、舟木さんにこんなアルバムがあることを知った時にはビックリしました。
     
    今の舟木さんのステージのバラエティに富んだ構成力と歌唱力は言うまでもないのですが、二十代の若い頃からどんなジャンルの曲も一瞬にして自分の個性と世界観に引きつけてしまう才能豊かなプロ・シンガーだったことが、このアルバムを聴いてみてあらためてわかります。
     
    アルバム「渡世人」収録曲は、ほとんどがカヴァー曲ですが、ここでご紹介する「木枯紋次郎」のみが、舟木さんのオリジナル曲です。しかも、丘灯至夫作詩、遠藤実作曲という、「高校三年生」で舟木一夫を世に送り出してくださった、おふたりの名コンビによる楽曲です。
     
    イメージ 1
     
    上記の画像は古関裕而の楽友たち HPの「丘灯至夫と高校三年生」より拝借しました。「高校三年生」歌碑除幕式。
    http://www7.plala.or.jp/edih/gakuyu/koukou3.html

    他の楽曲は、時代的にかなり古い作品ですので、古典的な股旅調ですが、「木枯紋次郎」は、リズミカルで躍動感の中に、哀調も漂う、吹き込み当時の舟木さんの年令とお声に合っていて印象的でした。
    陽の目をみることはなかったという意味では残念なのですが、ぜひ多くの舟木さんファンに聴いていただきたく思います。
     
    イメージ 2
    アルバム
    「渡世人~舟木一夫 三度笠を歌う」収録曲
     
    流転
     
    沓掛小唄 kazuyanさんの動画です↓(映画「沓掛時次郎」主題歌)
    http://www.youtube.com/watch?v=Afrz9bGcYYY
     
     
    よさこい三度笠
    旅姿三人男
    名月赤城山
     
     
    浅太郎月夜
     
    イメージ 3木枯紋次郎
     

    もちろん、舟木さんを50年間ずっと支えて来られたファンの皆さまは十分にご周知の曲ではあると思いますが、私のような不肖のファン、復活組のファンの皆さまには馴染みのない曲ではないかと思い、是非ともどなたかが動画化して下さらないかと、ずっと念願しておりました。

    この度、いつも拙い私のブログを彩って下さっている舟友さんのkazuyanさんに、お願いしてみましたところ
    ご快諾を頂戴いたしました。
    こうして皆さまに聴いていただくことで、埋もれていた舟木さんの魅力的な股旅物歌唱を共に楽しむことができればと願っております。
     
    舟木さんの御自作の「さくら仁義」(この動画もkazuyanさんの作品です)と併せて、ここにあらためてご紹介させていただきます。感謝を込めて・・・

    木枯紋次郎  作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
    昭和47年(1972年11月発売) 舟木一夫(オリジナル曲)
    http://www.youtube.com/watch?v=jDnEqa4SzQY&feature=youtu.be
     
    イメージ 4風が吹くたび 心がさわぐ
    止めて止まらぬ 一本どっこ
    男一匹 情けは無用
    見たか聞いたか この腕を
    その名も 木枯紋次郎
    木枯紋次郎
     
    堅気育ちが どこかですねた
    すねて流れて 旅から旅を
    涙見せるな やくざの恋は
    どうせ夜明けの 空に散る
    その名も 木枯紋次郎
    木枯紋次郎
     
    広い世間に 背中を向けて
    どこへ行くのか 口笛ひとつ
    やけに吹きゃがる 冷たい風が
    さきは雨やら 嵐やら
    その名も 木枯紋次郎
    木枯紋次郎
     
     
    イメージ 5さくら仁義  作詩:すずきじろう 作曲:幸田成夫 
    (15周年日劇公演記念曲 1977年6月発売)
    http://www.youtube.com/watch?v=ZLx3ezXDe_M  
    わらじ一年 合羽で二年
    長脇差(どす)を抱き寝も 三年越し
    さくら仁義に 啖呵の花が
    咲いて小粋な旅鴉
    なぜに堅気をすねたやら
     
    惚れた弱みを まぎらす酒に
    いつか呑まれて 涙ぐせ
    さくらつぼみの あの娘の肩に
    野暮なセリフを二ツ三ツ
    かけたあの日が命取り
     
    笠に重たい 渡世の義理を
    意地で支えて 越す峠
    さくら吹雪に おふくろさんの
    背伸びするよな 声がする
    それがやくざの泣きどころ
     

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