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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    このところ、股旅ものについて連載していますので、舟木さんの歌声も「股旅もの」続きですから、180度気分を変えて、横文字タイトルの曲をご紹介します。使用させていただいた動画は舟友のkazuyanさんの作品です。ステキな映像とともにお楽しみ下さいね。
     
    いずれも外国映画の主題歌のカヴァー曲です。
     
    イメージ 1
    イメージ 2
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    シングルCD1996年6月発売↑ 
     
    アルバム全曲集は同年10月発売→
     
    初めて聴いたのはkazuyanさんの動画でした。ステキなので、昨年3月頃に全曲集のCDを見つけて購入しました。映画の主題曲ということは知ってましたが、ずっと、なんとなくうっとり聴いていただけでした。
     
    このシングルCDの発売の頃には、もう舟木さんは、あらたに陽射しの降り注ぐ旅路を歩き始めていらしたのだと思うのですが、外国のスタンダード曲をシングルとしてリリースなさるのですから、これらの曲について何かの想いを後援会の会報などで語っていらっしゃるのではないかと想像します。あるいは、ライブなどナマのステージでお聴きになった方も・・・などど思ったりしています。何かご存知の方がいらっしゃればお教えいただけたら幸いに思います。
     
    舟木さんの歌い手としての守備範囲の広さもあらためて感じていただけたらと思います。
     
    舟木さんは、古い洋画もお好きだと聞いてましたので、きっとお好みの映画なんだろうなぁ、ということも想像してはいましたので、今回、これらの曲のルーツである映画についても調べてみました。併せて楽しんでいただけたら嬉しいです。
     
     
    RAMONA (ラモーナ)
    作詩:L・W・GILBERT 作曲:M・WAYNE 
    訳詩:みずたにじゅん 編曲:竜崎孝路
    http://www.youtube.com/watch?v=rR0ydG18tPs
     
    イメージ 3ラモーナ 思い出の鐘が
    ラモーナ 恋の唄にとけ
    *じっと君を
    抱きしめた あの日
    赤いバラが
    髪にもつれていた
    ラモーナ また逢うときは
    ラモーナ 滝のけむるそば
    夜もすがら 恋を語ろう
    ラモーナ くちづけを…*
     
    *くりかえし
     
    夜もすがら 恋を語ろう
    ラモーナ くちづけを
     
     
     
     
    原曲について
     
    ラモナ(Ramona)Dolores Del Rio(ドロレス・デル・リオ)
    L・W・ギルバート(詞)、M・ウェイン(曲)
    1928年にセンセーショナルな流行ぶりをみせたヒットソング。
    作られたのは1927年。翌年メキシコ出身の大女優「ドロレス・デル・リオ」主演の映画「ラモナ」の主題歌として使用され、爆発的な人気を得ました。1936年にディック・ミネさんもカヴァーされてるそうです。
     
    Dolores del Rio 歌唱(映画スチール付)
    http://www.youtube.com/watch?v=7WXASMlUvV8

    映画について
     
    1927年制作のアメリカ映画「ラモナ(Ramona)」
    原作:Helen Hunt Jackson(ヘレン・ハント・ジャックスン)
    監督:Edwin Carewe(エドウィン・カリュー)
     
    イメージ 4キャスト
    ドロレス・デル・リオ:ラモナ
    ワーナー・バクスター:アレッサンドロ
    ローランド・ドリュー:フェリペ
    あらすじ
     
    アメリカが未だスペイン人の支配の下にあった頃の物語である。そしてこの物語はその時のカリフォルニア州を背景として展げられる。ラモナは美しい娘であった。彼女は幼時から白人の家に養われて己れの素性を知らずに生い育って来たが、ふとした縁から知り合いとなったインディアンのアレッサンドロに心ひかれて、やがては互に想い想われる仲となった。が、このアレッサンドロにはその想い劣らずラモナを恋い慕う男に養家の息子たるフェリベがいた。が、ラモナは彼れを兄の如くに慕うのみであった。そしてラモナの心がアレッサンドロに捧げられたと知った時にフェリベは涙を呑んで彼女のために祈った。
     
     
     
     
    イメージ 5アレッサンドロはラモナを伴って己が祖先の地へ去って行った。その自然に包まれた生活は二人に取っての天国であった。ラモナはアレッサンドロを熱愛した。それは彼女が母たるインディアンの血と、父たるスペイン人の熱とから送り出る燃ゆる情であった。そしてアレッサンドロにとってもラモナこそは彼の總てであった。朝、昼、夜の別なく彼はラモナを想っていた。やがて二人の間には子供が生まれた。しかし、三年の月日の過ぎた後、晴天の霹靂の如くに禍がこの一家に降りかかった。子供は悲しくも死に、アレッサンドロも間もなく殺されてしまった。
     
     
     
     
     
     
    その後のラモナに続くのは悲嘆と哀惜の日のみであった。が、その彼女を今に変らぬ愛の心もって慰める男がいた。それはフェリペであった。その愛しみの力にラモナにも、やがては甦えりの日が明けることであろう。
     
     
     
    イメージ 13
     
     
     
    イメージ 6
     
     
     
    LOVE LETTERS (ラブレター)
    作詩:E・Heyman 作曲:V・Young
    訳詩:吉田旺 編曲:竜崎孝路
    http://www.youtube.com/watch?v=UN2HSacd8O4
     
    イメージ 7たとえ遠くに 離れていても
    この愛をこめた
    便り読みかえすとき
    あなたのにおい あなたの吐息
    あなたのすべて いたいほど
    感じてしまう
     
    二人の愛は 終わったけれど
    この愛をこめた
    便り読みかえすとき
    あなたのなみだ あなたのしぐさ
    あなたのすべて いたいほど
    感じてしまう
     
     
     
    原曲について
     
    映画では、歌詩はなくヴィクター・ヤング楽団のスローバラードのBGM。その後、エドワード・ヘイマンの詩でスタンダードナンバーとして広まったそうです。ナット・キング・コールやジュリー・ロンドン他人気歌手が歌唱。
     
    イメージ 8


    LOVE LETTERS (ラブレター)
    作詩:エドワード・ヘイマン
    作曲:ビクター・ヤング
     
     
     
    なぜ、曲のタイトルがラブレターズと複数形になってるのかな?と気になっていたんですが、ラブレターの束だからだったんですね。
     
     
    イメージ 9原詩にそった訳詩
     
    あなたの心からのラブレター
    離れていても側にいるみたい
    暗い夜も淋しくはない
    あなたの愛がここにあるから
    一行残らず心に刻み込みたい
    あなたの名前に口づけをして
    また初めから読み返す
    あなたの心からのラブレター
     
     
     
     

    映画について
     
    1945年制作のアメリカ映画「ラブ・レター」(日本での劇場公開日 1948年5月)
    原題は Love Letters と複数形。
    日本題は「ラブ・レター」
     
    監督:ウィリアム・ディターレ
    原作:クリス・マッシー
     
    キャスト
    ジェニファー・ジョーンズ:シングルトン(ヴィクトリア)
    ジョセフ・コットン:アラン・クイントン
    アン・リチャーズ:デイリー・カーンス
    グラディス・クーパー:ビートリス
     
    あらすじ
     
    イメージ 10イタリアの戦線で英軍将校アラン・クイントンは、戦友ロジャー・モーランドに頼まれて、ラブレターを何度か書かされた。相手はロジャーが将校舞踏会で知り合ったヴィクトリア・レミントンという女性であった。
    ロジャーが休暇で帰国する時、彼女と結婚しようかなというと、アランは激しく反対した。ロジャーの女性観とヴィクトリアの男性観が、余りに違いすぎることを知ってるからだった。
     
     
     
     
     
    その後アランは重傷を負い入院した。ロジャーの見舞状に明日ヴィクトリアと結婚するという追白を読んだ時、アランの心はくもった。半ば傷がいえると彼は本国の病院へ送還された。病院生活一年余りで、アランは退院して家に帰ったが、彼の人柄が出征前とは変わったのを、両親は寂しがった。
     
    イメージ 11アランを幼い頃から愛した伯母が死んで、遺産をしてベルトマーシュの田舎屋敷が彼に譲られると、彼は一人で住むことにした。アランの弟デレックは移転の前夜、ディリー・カーンスの夜会に兄を伴った。その夜ディリーの客として泊まることになったアランは、はからずもロジャー・モーランドが一年前に死んだことと、彼の妻となったヴィクトリアがディリーの親友であったことを聞いて、ふしぎな縁に心を動かされるのだった。
    ベルトマーシュに移り住んだアランは、25マイル隔てたロングリーチのメドウ・ファームを訪ねた。そこは彼がイタリアで書いた手紙の宛名の場所だったが、留守番がいるだけだった。アランはロンドンにディリーを訪ねると留守で、シングルトンという女に会った。この間の夜会の折りに紹介された女だ。帰宅したディリーはシングルトンを遠ざけて話した。シングルトンはビートリス・レミントンがカナダへ行った時、拾って来た孤児でヴィクトリアと名付けられ、ディリーを唯一の友として育ったのだった。
     
     
    イメージ 12彼女のロジャーとの結婚をビートリスは反対したが、果たして結婚は失敗だった。ある夜ヴィクトリアが手紙の束を出して読んでいると、ロジャーはそれを暖炉に投げ込み、拾おうとするヴィクトリアをなぐりつけた。
    彼女が気がつくと、ロジャーは背を刺されて即死し、次の部屋には半身不随となり口のきけなくなったビートリスが倒れており、彼女自身は幼児の記憶しかないシングルトンであった。
     
     
    そして一年の禁固刑を終えて出たシングルトンを、ディリーが保護しているーこの話しを聞いたアランはシングルトンを愛し、彼女もまたアランを愛した。アランはビートリスの許可を得て彼女と結婚し、ベルトマーシュに住んだ。幸福な幾月かが過ぎたある日、庭でいちごをつんでいたシングルトンは、赤い果汁を見て血と叫んだ。記憶を半ば回復した彼女は、メドウ・ファームに赴いた。そこにはビートリスが口が利けるようになり、帰っていた。ロジャーを刺殺したのはビートリスであった。そしてアランこそロジャーの手紙を書いた男であると、全く記憶を回復したヴィクトリアは悟った。暗雲はれて、アランとヴィクトリアに真の幸福が訪れた。.
     
     
    LOVE LETTERS 
     
    イメージ 14The sky may be starless
    The night may be moonless
    But deep in my heart there's a glow
    For deep in my heart I know
    That you love me, you love me
    Because you told me so
     
    Love letters straight from your heart
    Keep us so near while apart
    I'm not alone in the night
    When I can have all the love you write
     
    I memorize every line
    And I kiss the name that you sign
    And darling, then I read it again
    Right from the start
    Love letters straight from your heart
     
     
    イメージ 15
     
     
     
     
    ..
     
     
     

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    「舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる」と題して「瞼の母」「沓掛時次郎」とご紹介してきましたが、次は「雪の渡り鳥」・・・こちらは、三波春夫さん歌唱の流行歌で聴き覚えがあったのですが、私は、物語の内容については、ほとんど知りませんでした。でも、歌の歌詩を見れば、ストーリーがわかるようになってますね。
     
    イメージ 1雪の渡り鳥 作詩:清水みのる 作曲:陸奥明
     
    合羽からげて 三度笠
    どこを塒(ねぐら)の 渡り鳥
    愚痴じゃなけれど この俺にゃ
    帰る瀬もない 伊豆の下田の 灯が恋し
     
    意地に生きるが 男だと
    胸にきかせて 旅ぐらし
    三月三年 今もなお
    思い切れずに 残る未練が 泣いている
     
    はらい除(の)けても 降りかゝる
    何を恨みの 雪しぐれ
    俺も鯉名の 銀平さ
    抜くか長脇差(どす)ぬけば白刃に 血の吹雪
     
     
    舟木さんが「雪の渡り鳥」の鯉名の銀平を演じられたのは、平成十三(2001)年6月(3日から27日)の新歌舞伎座が初演です。そして、この翌々月の8月には、新橋演舞場で「沓掛時次郎」の座長公演とハードなお仕事ぶりが続き、7月末の稽古中に、狭心症で倒れられました。大事には至らなかったようで、その年は従来通りのお仕事をこなされたようですが、2002年の年が明けて、1月7日に再び狭心症のために倒れ、緊急入院されました。それでも40周年記念企画のスケジュールがぎっしり詰まっていらして座長公演も「忠臣蔵異聞 薄桜記」(新歌舞伎座)「若様旅がらす」(全国ツアー公演)「沓掛時次郎」(南座)と続き、その年のラストが新橋演舞場での「雪の渡り鳥」再演で締めとなっています。本当に、驚くべきスケジュールだったんですね。
     
    先ずは、パンフレットより抜粋してご紹介します。
     
    イメージ 2
     
    雪の渡り鳥
      芸能生活四十周年記念 舟木一夫特別公演 
    平成十四(2002)年12月1日~25日  新橋演舞場

    愛と憎悪の美学  宮本雄平  (この舞台の脚本・演出をなさっています)
     
    今年度、舟木一夫氏が全精力を注ぎ込んで参りました「芸能生活四十周年記念」・・。師走の演舞場、ファイナル公演の舟木氏は、男のロマンチシズムが溢れんばかりに舞台を覆い尽くす「鯉名の銀平・雪の渡り鳥」への挑戦です。青年期の男の恋情の一途さと、妥協の欠片も入り込む余地のない正義感、また正義の心が呼び起こす憎悪と残虐が激しくも哀しく、津々と舞う雪の中に展開する、作者の美学に裏打ちされた長谷川伸股旅物の傑作です。長谷川一夫氏、市川雷蔵氏ら錚々たる名優が映画や舞台で演じてきた「雪の渡り鳥」は昭和五年九月に発表された戯曲で、初演は翌年の四月のこと。~中略~
    長谷川一夫氏の舞台を手がけた衣笠貞之助の台本を下敷きに大いに勉強させて頂いた・・・。長谷川伸、衣笠貞之助両先達の「激しい愛、運命の葛藤は今も昔も変わらず」という思いをあらためて感じさせてくれる才、その上、「戯曲の取り上げるべき最も重要なものは、人間であり、人間相互の関係、また人間の住む社会との関係である」との深い見識と教えには感謝すると同時に脱帽するしかない。
    男の愛と哀、激しく揺れる憎悪、残虐に舞う刃を「美学」として浄化させ、漂わせる・・存在感に「華と哀」
    のある舟木一夫氏にはうってつけの演目。いつも「うちに秘める熱い想い」その心の襞を克明に描き出してくる演者としての舟木氏は「男と女、愛のうねりは決して甘美なだけじゃない」という哀しい旋律を、瑞々しく的確に表現してくれることでしょう・・・。これは間違いなく叶う夢と楽しみにしている次第です。~後略~

    以下は舟木さんの御挨拶文から
     
    長谷川伸名作劇場  
     
    鯉名の銀平「雪の渡り鳥」、皆さま御存知の通り「沓掛時次郎」や「一本刀土俵入り」、「瞼の母」などと並んで長谷川伸先生の三大名作、五大名作のひとつと言われる作品です。ボクが二十代の頃に観せていただいた長谷川一夫先生の舞台は今もはっきりと覚えていて、内心、大変なビクつきようですが、ありがたいことにその長谷川先生の甥にあたる林与一さんが卯之吉を、愛娘である長谷川稀世さんがお市を引き受けて下さった。その千人力に加えて安井昌二さんの五兵衛、もうアタシはお三方の後をついて行くだけで充分に情のある「雪の渡り鳥」になると確信しています。~後略~それにしても「雪の渡り鳥」……いい響きですねぇ。                                              舟木一夫拝
     
    パンフレットの中で脚本・演出の宮本雄平氏が、「衣笠貞之助氏の台本を下敷きに」と書いていらっしゃいます。また舟木さんも、御挨拶の中で「ボクが二十代の頃に観せていただいた長谷川一夫先生の舞台」の記憶に触れていらっしゃるように、「雪の渡り鳥」については、映画などで広く知られている物語と原作との相違がかなり大きいことに、今回、ブログでこの作品についてご紹介しようとするにあたって調べてみて初めて気づきました。
    先にご紹介した「瞼の母」、「沓掛時次郎」という作品では、渡世人を主人公にしていますが、斬り合い~お芝居でいうと立ち回り~の場面は少なく、人情劇という印象が強いのですが、「雪の渡り鳥」では、原作の段階から喧嘩場が、物語の中心の多くを占めているように思います。そして、その立ち回りの場面が、衣笠貞之助氏の台本(脚色)による長谷川一夫さんの鯉名の銀平で映画(映像)化されると、さらにクローズアップされて、雪の降りしきる中での立ち回りなどが映像美、様式美と発展して、今一般にイメージされている「雪の渡り鳥」として形づくられていったような気がしています。
     
    まずは舟木さんが演じられた、「雪の渡り鳥」のあらすじをパンフレットから簡単にまとめてみました。
     
    雪の渡り鳥  芸能生活四十周年記念 舟木一夫特別公演 
    平成十四(2002)年12月1日~25日  新橋演舞場
     
    長谷川伸:原作
    衣笠貞之助:台本より:
    宮本雄平:脚本・演出
     
    イメージ 4
     
    第一幕
     
    天保中頃の伊豆下田、浜辺に近い波切神社は祭りで賑わっていたが、隣町のやくざ帆立の丑松一家が下田に乗り込んできているという。下田の漁場の網元の大鍋島太郎との間で漁場の縄張りをめぐって喧嘩が始まろうとしているのだ。もともと下田の漁場はやくざ同士だった大鍋と帆立一家が喧嘩の末に、島太郎が手に入れたものだが、今もなにかと帆立一家がいいがかりをつけてきている。島太郎は今は漁一筋の堅気の網元になっているので喧嘩は土地の人々の迷惑になると考え話し合いで解決しようとしていた。
    稲荷の境内に大鍋一家の代貸をしていた五兵衛とそのひとり娘のお市が営む駄菓子がある。五兵衛も今は堅気だが、島太郎の相談相手として今日も網元の家に出かけている。
    その留守を狙ったように帆立一家の者たちが現れ、お市に狼藉を働こうとしたが、出稼ぎから帰ってきた船大工の鯉名の銀平と爪木の卯之吉に危ういところを助けられた。
    銀平も卯之吉も両親を早くに亡くし、五兵衛の手で兄弟同様に育てられた。今はやくざの足を洗い堅気となって船大工をしている。
    銀平も卯之吉もお市に惚れているのだがお市は銀平に思いを寄せていた。想い合っている仲なのに銀平は五兵衛になかなかお市とのことを切り出せないままでいた。
    帰ってきた五兵衛の話では、帆立一家との喧嘩は避けられない様子。堅気になっている五兵衛たちに喧嘩はさせられないと銀平は単身で帆立一家に話し合いに向かった。
    しかし、どうあっても喧嘩は避けられないとみた五兵衛は万一の事を考え、お市の婿を決めておくことにした。相手は銀平ではなく卯之吉。勝気なお市のため、ケンカっ早い銀平ではなく、弟分で気弱なところはあるが正直者の卯之吉を選び、慌ただしく仮祝言の盃をあげさせた。
    喧嘩が始まった。自分の知らないうちに卯之吉がお市の婿に決まったことを知った銀平は、卯之吉を妬むあまり、手強い相手を卯之吉に立ち合わせた。
     
     
    イメージ 3第二幕
     
    四年の歳月が過ぎた。ここは駿河の国三島宿。男たちが二人の女を捕らえスリだと騒ぎたてていた。そこへ一人の旅人が立ちはだかった。旅人は鯉名の銀平である。四年前、卯之吉に嫉妬するあまり、一旦は窮地に追い込んだものの、恋しいお市の心中を思うとやはり見殺しにすることはできなかった。銀平は卯之吉を助け、帆立との喧嘩にケリをつけると住み慣れた下田をあとに旅に出たのだった。
    女たちは下田にいた女で銀平はふたりから、下田がすっかり変わってしまったことを聞いた。銀平が去って間もなく網元の島太郎は帆立一家の闇討ちに合い、いまや漁場は帆立一家のもの。帆立一家がのさばり、五兵衛や、五兵衛の弟分の勝造まで帆立一家に寝返る始末。卯之吉は堅気になって味噌や醤油を売っているが、五兵衛は中風で体が不自由だという。
    お市の身の上を案じた銀平の足は自然に下田の方へ向かうのだった。
    下田では帆立の丑松が勝手気ままに悪業の限りをつくしていた。帆立一家は四年前に負けた仕返しに卯之吉らに無理難題を吹きかけて困らせていた。堅気になった卯之吉はじっと我慢して手出しはせず、病気の五兵衛は弱気になって下田をあとにしようと言うばかり。そこへ銀平が現れた。銀平は、卯之吉を制し、ひとり帆立一家に立ち向かった。
    帆立一家と銀平の激しい修羅場が始まった。帆立の丑松は銀平の背後を狙い、忍び寄っていた。それを見た卯之吉は思わず飛び出し、丑松を刺殺してしまった。
    銀平は、駆けつけた同心に丑松を殺したのは自分だと言い張り、すべての罪を自分に引き受け、潔く縄にかかるのだった。
     
     
    そして、お市をめぐる鯉名の銀平、瓜木の卯之吉 それぞれの想い、お市の本心などの設定が大きく異なっていることが、長谷川伸の原作の序幕部分で明らかになっていますので、そのおおまかな部分をご紹介しておきます。(春日局まとめ)
     
     
    「序幕 駄菓子店の前」のあらすじ  長谷川伸原作(昭和5年9月作) より

    イメージ 5天保九年頃の初夏の宵、処は伊豆下田、五兵衛は元博徒、堅気の今もその縁故で親分大鍋の島太郎の庇護を受けている。
    五兵衛営む駄菓子店はひとり娘お市が美貌なので繁昌している。
    駄菓子店の前を帆立一家の博徒三人連れが通りかかる。三人は大鍋方へ使者に立ったが決裂して引き揚げていく途中である。その中のひとりが、お市を見つけて「それあれが評判の高い代物だ。」と言いながら乱暴に、お市に声をかける。
    「姐さん、俺たちはじきに下田に越してくるよ。そうしたら仲良くしよう。そんな怖い顔をするなよ。俺たち
    に憎まれたら下田節の文句じゃねぇが、取る瀬に遣る瀬がないわいなぁになるぜ。俺たちはなぁもう直き分け目の大喧嘩をして下田を一手に押さえちまう帆立の丑松親分の四天王だ」
    今まで人々の陰になって蓙(むしろ)に寝転んでいた大鍋の子分、鯉名の銀平(三十近い苦み走った顔立ち、少し酔っている。)が急に突っ立ち・・・
    「何だと、下田を一手に押さえる帆立の丑松ね四天王たぁどの野郎だ。」
    「誰かと思ったら銀平か」
    「なあんだ、又公か」

    イメージ 6「あれッ、又公とは何だ。手前いつそんな貫禄になって俺を呼び捨てにするんだ」
    「野郎ぶち殺すぞ。作法知らずの大馬鹿野郎め、愚図愚図すると血祭りに少し早いが首をとるぜ」」
    銀平の脅しにひるんだ帆立一家の三人が捨てゼリフを残して去る。
    銀平はお市に自分の思いを伝えようと話を切り出そうとするが落ち着かずあちこち床几を代えて腰掛け、遂に堪えきれず…
    「お市ちゃん」
    お市は振り向きもしない
    「お市ちゃん、お前、卯之を想ってるのか」
    「厭な銀平さん、そんなこたぁないよ」
    「(急き込み)本、本当か、そ、そりゃ本当か。そいつを聞いて俺はどのくらい…」
    そこへ子供が三人ほど通りかかる。銀平は子供の相手になっているお市を苛々して見ているが堪えかねて
    「なぁお市ちゃん、俺はお前に少し話があるんだ」
    「なあに」

     
     
    「おう、子供たちいい子だからあっちへいって遊びな」
    「厭だぁい」
    「意地の悪いことを言うな。今にいい物を買ってやる」
    「厭だぁい。卯之吉おじさんなら何か買ってくれるけどそのおじさんは子供を構わねぇから嫌いだぁ」
    「俺は生得、子供相手が面倒で。言うことを聞かねぇと殴るぞ」
    憎まれ口をたたきながら逃げていく子供たち。佇んで往来の向こうを見ているお市に
    「お前、卯之が来ると思って見ているのか」
    「そうじゃないよ、お父さんの帰りが遅いんだもの」
    「どうだか」
    「おや嫌味なことを言っておくれでない。銀平さん、お前さんこそ、こんな所にまごついている場合じゃない
    んだろう」
    「どうして、いいじゃねぇか」
    「帆立の丑松親分がお前の親分の大鍋の島太郎さんに因縁をつけてもつれが高じているんじゃないか。」
    「そんなことは銀平ちゃんと弁えてるよ。人寄せの竹法螺が三声鳴ったら一番駆けに着到するのは卯之吉じゃねぇ、確かに俺だ。今ここにまごまごしていたって魂はさっきから臍の下に据わってらぁ。なぁお市ちゃん。俺ぁ見事に働いて、運がなければ討ち死にだ。命を賭けた渡世だから先の短けぇのを苦にはしねぇが、今聞いておかなけりゃ聞くときなしで銀平の一生涯が終いになる。そんな気がして成らねぇので野暮と馬鹿とを合点の上で藪から棒に聞きてぇんだが、お市ちゃんはこの俺のことを。」
    そこへ五兵衛が戻ってくる。お市は五兵衛が近づいてきたので助かったように
    「お父さん」
    「お帰んなさい」と言う銀平に、五兵衛が言う。
    「お帰んなさいじゃねえやな。大鍋一家は勢い立ち、三下奴までが所存を確と決めてるぜ。早く帰って支度をして水盃をする者があったら名残を惜しめ。今度の喧嘩は大きいぞ」
     
     
    イメージ 7上記のように、原作では鯉名の銀平のお市への一途で強い想いは、お市には受け容れてもらえず、お市の心は弟分の卯之吉のみに向けられています。お市と卯之吉は「相思相愛」という設定です。ある意味、銀平はお市に「横恋慕」と言ってもいいかと思います。
    そして、お市の父であり、銀平と卯之吉の育ての親でもある五兵衛も、腕っぷしは強いけれど短気で喧嘩っ早い、銀平よりもお市の仕合せのためには、温和で優しい気性の卯之吉を婿にという親心で考えています。また、原作の設定では、銀平は「苦み走った」、卯之吉は「美しい男前」と明確に容貌の違いを書いています。原作では銀平はいわゆる男前ではないようですね。
     
     
     
    以下は、原作と映画化された長谷川一夫さんが最初に演じた「雪の渡り鳥」との設定の違いについて私の独断と偏見で考察してみました(笑)
     
     
     
    長谷川伸作品の股旅物の主人公には、博奕に目がなかったり、女にしつこかったり、酒が入ると人が変わったりという男もいるようです。鯉名の銀平も原作では、いわゆる「正義の味方」的なヒーローというより、短気で、一途過ぎる面があり、横恋慕した女への気持ちを潔く捨てきれず、恋仇を理不尽に妬むという、いかにも人間くさい男として序盤では描かれています。しかし、だからこそ、リアルで感情移入しやすいタイプの人間であるとも言えると思います。
    ところが、この作品が「長谷川一夫」で映画化される際に、銀平の性格がかなり、脚色されたようです。当時の二枚目スターで圧倒的な女性ファンに支持されていた「長谷川一夫」を、カッコ好く見せるために、銀平とお市は「相思相愛」だったが、運命のいたずらで、二人の想いに反して、夫婦になれなかったという設定になり、弟分である恋敵のはずの卯之吉とお市の幸せのために、すべての罪を被ってひとり去っていくという「ヒーロー銀平」が生まれたのは、やはり「長谷川一夫」という人の偉大なスター性であり魅力の成せる技だったといっても過言ではないと思えます。原作者の長谷川伸というスケールの大きな戯曲作家の懐の深さによって、あらたな銀平像が生まれたことは演劇界にも映画界にも喜ばしいことだったのでしょうね。
     
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    舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる 
    その3「雪の渡り鳥」 (下)につづきます


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    舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その3「雪の渡り鳥」 (上)のつづきです
     
    (上)では、長谷川伸の原作(昭和五年9月発表)と、舟木さんの舞台「雪の渡り鳥」との違いを、銀平とお市、そして銀平の弟分の卯之吉との関係の設定や、銀平の性格の設定などの違いからご紹介しました。つまり、舟木さんが演じられた鯉名の銀平は、衣笠貞之助氏が長谷川一夫(第一作目は林長二郎時代)さんの1933年「鯉名の銀平」の台本として書かれたものを土台にして、宮本雄平氏が脚本・演出なさった銀平ということのようです。
     
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    衣笠氏が、原作の登場人物の関係性の設定を脚色なさった理由は、いわゆる「ヒーロー」然としたヒーローよりも、容姿、性癖ともにいくらか人間臭い長谷川伸原作の銀平が歌舞伎の世界で女形から出発された長谷川一夫さんの甘く華やかなイメージには違和感があったからかと推測します。
    「雪の渡り鳥」の一番最初の映画化で主演なさった阪東妻三郎さんのワイルドで豪快なイメージは、原作の銀平像に近いように思いますから、その時には長谷川伸の原作通りの設定で映像化されたことも得心できます。

    映像で銀平を演じた主な俳優さんです。
    「雪の渡り鳥」(31阪妻プロ 宮田十三一監督、阪東妻三郎主演)
    「鯉名の銀平」(33松竹 衣笠貞之助監督、林長二郎=後の長谷川一夫主演)*この時の卯之吉は高田浩吉さん。
    「月の渡り鳥」(51大映 衣笠貞之助監督、長谷川一夫主演)
    「鯉名の銀平」(54創元プロ 森一生監督、大谷友右衛門主演)
    「木曽の風来坊」(55日活 小林桂三郎監督、坂東鶴之助主演)
    「雪の渡り鳥」(57大映 加戸敏監督、長谷川一夫主演)
    「鯉名の銀平」(61大映 田中徳三監督、市川雷蔵主演)
    「日本映画名作ドラマ 鯉名の銀平」(63NET 田村高廣主演)
    「長谷川伸シリーズ 雪の渡り鳥」(72NET=東映 井沢雅彦監督、杉良太郎主演)

    長谷川一夫さんはなんと、映像で3回、銀平を演じていらっしゃるんですね。

    イメージ 3長谷川一夫(はせがわ かずお)
    1908年2月27日~1984年4月6日
     
    京都府京都市伏見区出身の俳優。戦前から戦後の長きにわたって映画、舞台、テレビで活躍した大スター。日本における二枚目の代名詞として知られた。林長丸(はやしちょうまる)、林長二郎(はやしちょうじろう)は旧芸名。長谷川一夫は本名である。
    俳優の林成年は長男、女優の長谷川季子と長谷川稀世は長女・次女、また稀世の娘に女優の長谷川かずきがいる。
    京都伏見の芝居小屋の子として生まれる。幼少時より子役として舞台に立ち、初代中村鴈治郎の長男・林長三郎の一座に加わり、林長丸の名で人気を博する。鴈治郎の子 林長三郎(後の二代目林又一郎)と大阪松竹座こけら落としの舞台に出ているところを、大阪松竹社長 白井松次郎と二代目 実川延若にその美貌ぶりを認められる。白井のあっせで映画界に移籍。1927年、松竹に入社。芸名を林長二郎と改め『稚児の剣法』で映画デビューする。
    抜群の美貌に加え、若手時代劇スターを渇望していた松竹が社をあげて宣伝したことが功を奏し、林はたちまち日本を代表するスターとなる。当時若い女性の間でこの『稚児の剣法』は大人気となった。この頃、若い女性の好きなものといえば「あんみつ」と「はやし」だったので、これを併せて「ミーハー」と言うようになったという説まである。
    特に自らが女形出身の衣笠貞之助監督に重用され、その監督作品『雪之丞変化』では女形の歌舞使役者に姿をやつして両親の仇討ちをする剣豪の雪之丞、それを助ける義賊の志太郎、そして雪之丞の母の三役を一人でこなして国民を魅了した。以後多数の映画に出演、二枚目の風貌で圧倒的な人気を得た。
    映画界に入っての長谷川は歌舞枝界との縁を完全に切ったことはなく、師の初代鴈治郎と十五代目羽左衛門を終生崇拝し、六代目菊五郎の演技を研究するなど東西の梨園の名優を手本とした。同年代の六代目歌右衛門や十七代目勘三郎とは舞台に共演したり私生活でも交友を続けていた。長谷川の舞台出演は戦後になってから本格化することになる。
     
    長谷川一夫さん主演の以下の2作品では、卯之吉の人物像が嫉妬にかられた卑怯な男に描かれています。これも、長谷川一夫さんの銀平をヒ―ローとしてよりランクアップさせる演出の狙いと思われます。
    これらの演出に比べて、舟木さんの「雪の渡り鳥」では、弟分の卯之吉は、腕っぷしは銀平ほどではないけれど、心根の優しい正義感の強い男で、銀平への義理も人情も充分に弁えた男として描かれています。演じられた林与一さん、そしてお市の長谷川稀世さんの好演、ベテラン安井昌二さんの押さえもしっかりしていて、まさに舟木さんがご挨拶文で書いていらっしゃる通りの安定感のある座組で、またあらたな「鯉名の銀平」像を結び、そして、銀平を取り巻く人々の人情の機微なども描かれ、長谷川伸作品の持つ温かさをも損なうことのない物語になったのではないでしょうか。
     
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    ~以下のあらすじはいずれも映画紹介サイトより~

    イメージ 5月の渡り鳥 
    衣笠貞之助脚本 長谷川一夫主演 (1951年3月15日公開   83分)
    配役 銀平:長谷川一夫/お:乙羽信子/卯之吉:黒川弥太郎 
     
    天保の頃の下田の港。背に鯉の刺青があるので鯉名の銀平と呼ばれる鳶職の若者は、駄菓子屋の五兵衛の娘お市を心ひそかに想っていた。五兵衛の博徒時代の親分大鍋は、今では堅気の網元だが、帆立の網元丑松は下田の利権を腕ずくでも奪い取ろうとのり込んで来て喧嘩を売って来たのを銀平が引き受けて痛い目に逢わせてやった。しかしこの喧嘩のどさくさに、五兵衛が卯之吉とお市をめあわせようとしたのを、銀平はお市が卯之吉を愛しているためと早合点して旅へ出てしまった。旅から旅への渡り鳥の生活を数年してやっぱり下田とお市恋しさに銀平が帰って来て見ると、大鍋の島太郎の死後、帆立の丑松がすっかり権勢を振るい、五兵衛は中風で寝たきり、お市と結婚して卯之吉はすっかり気の弱い男になっていた。丑松は銀平が帰って来たと知って仕返しをおそれ、反抗もしない五兵衛一家を所払いにしようとした。卯之吉は銀平がお市を宿へ呼んだのを知って嫉妬にかられて丑松のところへ駆け込み銀平を斬ってくれと頼んで却って自分迄丑松に縛りあげられた。銀平は心ならずも一暴れして、丑松一家を叩き斬り、お市に卯之吉と仲よく暮らすよういいおいて、迎えの役人に曳かれて行った。
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 6雪の渡り鳥   
    犬塚稔脚色  長谷川一夫主演(1957年10月29日公開  85分)
    配役 銀平:長谷川一夫/お市:山本富士子/卯之吉:黒川弥太郎
     
    秋祭の宵宮で賑わう下田港に隣の網元帆立の丑松一家が乗りこんできた。下田の漁場を手に入れようと、やくざの足を洗って今は堅気の網元大鍋の島太郎に無理難題を吹きかけた。島太郎は相手にしないが、かつての身内、駄菓子屋の五兵衛はこの掛合いを買って出た。その時、鯉名の銀平が兄弟分卯之吉と共に、船大工の出稼ぎの旅から帰ってきた。彼ら二人はかつての大鍋一家で鳴らした男たちだった。二人とも五兵衛の娘お市に想いをかけている。銀平は五兵衛に無断で帆立へ談判に出向いた。五兵衛は生きて返らぬ覚悟をし、お市と卯之吉と夫婦約束させた。お市の心も確めずに…。銀平はおだやかに話がつかぬと見て一人でこの喧嘩を買うつもりになり、その前お市に会い彼女の本心を確めようとした。銀平のせきこんだ質問にお市は返事をためらった。誤解した銀平はそのまま駈け去り、帆立一家へ乗りこんだ。助人にきた卯之吉から夫婦約束の話をきいた銀平は絶望した。凄絶な乱闘の末、丑松一家を追っ払った彼は、そのまま下田から消え去った。それから三年。旅を続けていた銀平はお市と瓜二つの夜鷹の女おきくに逢い望郷の念に駆られた。下田では島太郎は病死し、五兵衛は病に倒れ、丑松が良民たちをいためつけていた。卯之吉は酒屋をやっていたが、丑松から立退きを迫られた。夫の不甲斐なさにお市は口惜しがる。突然、現れた銀平にお市は三年前の怨みごとを言った。お市は最初から銀平一人を愛していた。今は、それもかなわぬ。卯之吉は嫉妬に逆上し、丑松に銀平の到着を密告した。彼の不在を怪しむお市の代りに銀平は帆立一家へ向った。彼らは矢庭に切りかかった。雪の中を乱闘が始る。逃げかける丑松に追いすがった銀平は苦戦した。助けられた卯之吉が銛で丑松にぶつかって行った。彼は本心に帰ったのだ。銀平は彼の身代りに雪の中を捕方に引かれて行った。泣いてとりすがるお市、卯之吉、五兵衛を残して…。
     

     
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    下記の「鯉名の銀平」のような脚色もあったようです・・・銀平はかなり美化されて卯之吉は明らかに軽薄で卑怯な男にされてます(笑)これなどを拝見すると原作者の長谷川伸氏は、本当に寛容なお人柄であったことが偲ばれますね。後に歌舞伎界で名女形として活躍され中村雀右衛門となられた大谷友右衛門さんの「鯉名の銀平」です。
     
    鯉名の銀平 八尋不二:脚色 大谷友右衛門主演 (1954年1月15日公開 102分)
     
    伊豆の下田から志州鳥羽行の舟に乗りおくれた鯉名の銀平と爪木の卯之吉は、五兵衛の娘お市の美しさに心を奪われた。五兵衛は今こそ堅気だが、かつて恩を受けた親分大鍋の島太郎が落目になり、帆立一家が彼の縄張りを奪うため不法な殴込みをかけようとしているのを知り、助っ人に飛び出そうとしている所だった。そこへ帆立一家から掛合いに来た三人と争い、五兵衛は散々に痛められた。見かねた銀平は、忽ち三人をたたき伏せた。お市の美しさに、卯之吉は化病を使って出発を伸ばす。然しお市は口にこそ出さね、銀平を心底から慕っていた。
    癪にさわった卯之吉は五兵衛と一緒に大鍋の賭場に乗込んだが、元も子も無くした挙句、喧嘩の助っ人になる条件で十両の借金をした。而も銀平も一緒にという約束であった。港町に祭提灯が輝く夜、帆立一家の殴りこみが来た。お市の手を振切って銀平が駈けつけると、卯之吉の姿は見えず、皆が臆病者と彼を罵っていた。銀平は彼を連れに駈け戻ると、折しも卯之吉に貞操を奪われたお市は、こうなるからはやくざの足を洗って堅気の夫婦になってくれと泣いて居る所だった。銀平は喧嘩の手柄を卯之吉に譲って姿を消してから三年、お市恋しさに下田へ来た。大鍋は死に、堅気の卯之吉夫婦は帆立に脅かされて下田から立去る一歩前だった。お市が今も心の奥深く銀平を恋している事を知ると、夫婦の幸せを守るため、銀平は帆立の丑松を斬って一人淋しく下田を後にした。...
     
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    ~ちょっとした資料として~
    以下は、先に御紹介した「長谷川伸論」の著者である佐藤忠男氏が「雪の渡り鳥」の映画化第一作目の坂東妻三郎主演作品について書かれた文です。この作品は長谷川伸原作(昭和五年九月作)のままの脚本です。

    イメージ 141931年「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」  佐藤忠男 映画評論家 日本映画学校校長
    日本では無声映画は全て弁士の説明つきで上映されたが、これは日本で文楽という人形劇が盛んに上映されて強い影響を持っていたことと関係があると思われる。無言で操られて演技する人形の舞台の脇にストーリーとセリフを語る太夫がいて人気を得ていたのである。そのナレーションは多分に七・五調という韻をふんでいて、物語詩と言っていいものであった。映画の弁士たちは普通は日常的な口語で説明をしたが、作品によっては七・五調を多分に盛り込んで口語ととりまぜて朗々と謳いあげることがふさわしい作品もあり、それらは弁士の美声の聞かせどころとなったものである。
    『鯉名の銀平 雪の渡り鳥』は1931 年の作品である。原作は長谷川伸。彼は当時やくざを主人公にした芝居のヒット作をつぎつぎに発表してたいへんな人気を得ていたが、その芝居のセリフは歌舞伎の影響を強く受けていて、基本的には口語だが、要所々々で多分に七・五調になり、やくざの喧嘩のときの啖呵などではそれが威勢の良さを盛り上げることになった。それらは股旅ものと呼ばれて長く続く人気を得たが、その人気のかなりの部分はセリフの調子の良さによるもので、弁士にとっても話術の技巧の聞かせどころだったであろう。
    これを製作したのは阪妻谷津撮影所である。当時人気絶頂だったスターの阪東妻三郎が自分の主演する時代劇映画を専門に製作するスタジオとして千葉県の谷津に設立したものである
     
     
     
     
    阪東妻三郎(本名・田村傳吉)
    1901 年、東京の生まれ。小学校を出ると歌舞伎俳優の弟子になり、自分で一座を組織して芝居をしたこともある。1923 年にマキノ映画製作所に入って映画俳優になる。『小雀峠』はこの年に出演したたくさんの作品のひとつで、一部分しか残っていないが、この大スターの現存する最も古いフィルムとして貴重である。当時日本映画の最大のスターはやはり歌舞伎出身の尾上松之助であったが、彼は歌舞伎の伝統を映画にも忠実に持ち込んで、ゆっくりと大見得を切るという立ち回りを演じていた。そこに阪東妻三郎は、当時すでにアメリカのスターであるダグラス・フェアバンクスがやっていたような激しいスピードのある立ち回りを持ち込んで一躍大きな人気を得たのである。そして1925 年には自分の主宰するプロダクションを設立し、主演作品を続々と送り出した。『鯉名の銀平 雪の渡り鳥』はその時期の作品のひとつである。

    鯉名の銀平(1931年) あらすじ冒頭部分  阪東妻三郎主演 (長谷川伸原作に忠実な人物設定と思います:春日局)
    下田に生まれ育った鯉名の銀平は、土地の親分大鍋の島太郎一家の腕利きとして知られていた。兼ねてから縄張りを狙っていた帆立の丑松と大鍋一家が遂に決着をつける時が来た。数からみても劣勢の大鍋方は、三下奴に至る迄死を覚悟して別れの水盃をする中で、銀平は心に想う掛茶屋の娘お市に募る想いを打ち明けた。しかしお市は弟分の卯之吉といい仲だった。踏みにじられた銀平の心には卯之吉への憎悪が広がってゆく。出入りは死に物狂いの大鍋方の勝利に終わった。只二人、銀平と卯之吉は残って生死を決することに―。そこへ敵方の多次郎が現われ、卯之吉と一騎討ちとなった。冷やかに眺めていた銀平だが、遂に憎い筈の卯之吉に味方して多次郎を斬り捨てた。お市の悲嘆を思うと卯之吉を殺せなかったのである。そして銀平は一人旅に出た…

     
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    大川橋蔵さんと「雪の渡り鳥」
     
    イメージ 10舟木さんにとって、長谷川一夫さんと同じように、時代劇についての大先輩であり様々な教えを頂いたという大川橋蔵さんも「雪の渡り鳥」の銀平を映像と舞台で演じていらっしゃいます。
    橋蔵さんの「鯉名の銀平~雪の渡り鳥」も長谷川伸の原作とは違い、お市が好きなのは銀平という設定ですが、やはり、イイ男が銀平の役を演じるとなると、どうしてもこうなってしまいますよね。
    長谷川一夫~大川橋蔵~舟木一夫・・・納得!(笑)

    橋蔵さんにとっても、長谷川一夫さんは尊敬する先輩でいらっしゃったこともあり、長谷川一夫さんの当たり役である「鯉名の銀平」への深い思い入れもおありだったということです。
     
     
     
     
     
     
    ・テレビ映画 時代劇スペシャル サイトより抜粋
    雪の渡り鳥 鯉名の銀平  昭和58(1983)年5月20日放映
    出演=大川橋蔵(鯉名の銀平)、近藤正臣(爪木の卯之吉)、坂口良子(お市)
    長谷川伸の名作時代劇、映画や舞台で阪東妻三郎、長谷川一夫の代表作となった「鯉名の銀平」を大川橋蔵の主演で描く。
    下田の網元大鍋一家に、新興の帆立一家がいやがらせを続けていた。大鍋の小頭銀平(大川橋蔵)は一家の五兵衛の娘お市(坂口良子)と相愛の仲。だが、五兵衛はお市を銀平の弟分卯之吉(近藤正臣)と一緒にさせたい。そして帆立一家との出入りで凶状持ちとなった銀平は旅に出た。
     
    イメージ 8・舞台 「雪の渡り鳥」
    橋蔵さんは、昭和59(1984)年2月、大阪新歌舞伎座で「雪の渡り鳥」を初上演されています。しかし、この頃には、既にお体の調子が悪かったそうで舞台の袖で倒れられたそうです。
    もちろん、最後まで舞台は務められましたがこれが、最後の舞台となってしまったということです。
     
     
    そういう意味でも舟木さんにとって「雪の渡り鳥」の舞台化の実現は感慨深いものがおありではなかったかと推察されます。

    ~資料のまたオマケ資料です~

    橋蔵さんの師匠である六代目尾上菊五郎(音羽屋)から長谷川伸がいかにやくざの世界の決めごとなどに精通していたかを聞いていらしたと、橋蔵さんの舞台「雪の渡り鳥」のパンフレットの中でエピソードなどを話していらっしゃいます。
     
    イメージ 4六代目尾上菊五郎 写真は「雪の渡り鳥」 鯉名の銀平→
    歌舞伎座 昭和9(1934)年10月 駄菓子店の前の場

    六代目 尾上 菊五郎(1885年(明治18年)8月26日 - 1949年(昭和24年)7月10日)
    大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に三朝がある。本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。
    初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指す。七代目尾上梅幸は養子で、その子が七代目尾上菊五郎(当代菊五郎)を襲名した。なお、二代目大川橋蔵は寺島千代の養子となり、六代目菊五郎とも生活を共にした。

    さらに蛇足ですが・・・
    六代目菊五郎の長男・清晁は二代目尾上九朗右衛門となる。長女・久枝は十七代目中村勘三郎の妻となり、十八代目中村勘三郎を生んだ。
    (*一昨年亡くなった十八代勘三郎さんは、六代目菊五郎さんの孫にあたります~春日局)
     
    「雪の渡り鳥」は、原作者である長谷川伸の手を離れ、良い意味でひとり歩きをして舞台作品として大きく成長していった感があります。歌も、作詩家、作曲家のみならず、編曲や、歌い手の個性などが相互に作用し合い、思わぬ化学反応を遂げて大ヒット曲が生まれるのと同じように、お芝居もまた、優れた基礎力をもつ戯曲に脚本家、演出家、そして演じ手の個性が最高の形で絡み合う時、舞台芸術としての傑作として息を吹き込まれるのでしょう。そして、時代を超えて演じ継がれ、それぞれの演じ手がさらにあらたな人物像を結んでいくのかもしれません。長谷川伸の股旅作品の中でも「雪の渡り鳥」は、長谷川一夫という大スターの存在なくしては、今日まで演じ継がれては来なかったのではないかと今回、この作品を私なりに調べていく中で痛感しました。そして鯉名の銀平というヒーローの系譜の中で、舟木さんがしっかりと座を占めていらっしゃることも何より嬉しく思いました。
    また、「雪の渡り鳥」について調べているうちに、舟木さんの舞台芝居の座組で、重要なお役を勤めていらっしゃる俳優の皆さんが、「鯉名の銀平」を、演じて来られた名優のお血筋であることに気づきました。
     
    舟木さんが少年時代から憧れた時代劇の世界がまぎれもなく濃密に現在にまで繋がってきているのだという感動もあらたにしています。これは単なる運や偶然ではなく、若い頃からの舟木さんのたゆみないご精進と強い想いがあればこその結果なのですね。
     
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       柳家小三治師匠、人間国宝認定 おめでとうございます
     
    このブログは、「舟木一夫の世界」と副題を付けた、舟木さんの魅力を探る「ワン・テーマ」ブログと位置付けていますが、今回は昨晩、舟友さんから、教えていただいた小三治師匠の人間国宝認定のニュースが、あまりに嬉しく、喜ばしく、今回は、「チョー特別」ということで、私の敬愛する柳家小三治師匠のことを、少しばかり掲載させていただきます。
     
    3年前の圓朝まつりでの網笠姿の師匠です。可愛い!
     
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    今から、十年ほど前に、初めて小三治師匠の高座をナマで拝見して以来、すっかり虜になり、追っかけになってしまいました。小三治師匠は、大仰なことをお嫌いになりますが、今回の認定は、心から喜んでいらっしゃるので、上方落語の中興の祖でもある桂米朝師匠と並んで、江戸落語の世界の魅力を私に教えてくださった柳家小三治師匠への感謝と、今後の、益々のご活躍を願って私なりのご紹介をさせていただきます。
     
     
    日本経済新聞web刊より
    柳家小三治さん、芸の継承に向け決意新た 人間国宝に答申
                                                                                人間国宝に内定し会見する柳家小三治氏(東京・丸の内)
     
    イメージ 1「落語は面白い。生きていて良かったと思わせてくれることがたくさんあった」。文化審議会が人間国宝に認定するよう文科相に答申した柳家小三治さんは、高座に上がった時と同様の淡々とした語り口で、古典落語への愛情を表現した。
     
    1959年に故五代目柳家小さんさんに入門し、江戸時代の長屋の暮らしぶりなどを絶妙な間合いとともに丁寧に描写してきた。過去に挫折も味わったが、「落語をやめなかったのは、人生を引き換えにしてもいいと思うほど好きだったから」。
     
    師匠の小さんさんも人間国宝。「賞や肩書にあまり値打ちを感じないタチで」と笑う一方、一番の勲章は「寄席に来てくれるお客様が喜んでくださること」と言い切る。
     
    6月までは落語協会会長として若手の育成にも尽力した。「師匠は人間国宝とは後継者のための輝きだと言っていた。後の人のことを考えないでは生きていけない」と、芸の継承や後進の指導に向けて決意を新たにしている。
     
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    日本経済新聞社のサイトで、小三治師匠らしい、言葉の数々を拝見して、あらためて感動しました。

     
    イメージ 3落語家では3人目となる人間国宝に認定された柳家小三治(東スポWeb)
    yahoo!ニュースより
    http://news.yahoo.co.jp/pickup/6123706
     
    人間国宝に柳家小三治さんら7人
    NHK NEWS WEB より
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140718/k10013123841000.html

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    三代目桂米朝(当代)などの落語家や落語を愛好する文化人らと「東京やなぎ句会」という俳句団体を組織し、活動している(同会の著書もある)。俳号は土茶(どさ)。
     
     ペンギンが空を飛んだら大燕
     ←三年前の圓朝まつりで並んで買った師匠の俳句入り の2000本    数量限定販売の扇子。暑かったぁ!
     
     
     
    イメージ 5小三治師匠は、歌が大好きで、高座のまくらの時にも、ゴキゲンがいいと時々、お好きな歌を披露して下さいます。フランク永井さん、昔のラジオ歌謡、時にはニューミュージック系の曲も(笑)
    そして、落語は全く抜きのコンサートも過去、3回ほど開催されています。
    私は、2010年の9月1日に石川県立音楽堂邦楽ホールでのコンサートをお聴きしました。
    アンコール含めて17曲と、曲の合間に、トーク(これは落語言えば「まくら」ですね)もたっぷり堪能させていただき、至福の時間を過ごさせていただきました。
    舟木さんのコンサートと同じく、ご自身でMCも進行も勤められるスタイルです。まさに「独演会」です。
    そのライブがCDとして発売されていますので、その中から「山のけむり」を舟木さんの歌唱でお聴き下さい。
     
     
     
     
    イメージ 6歌ま・く・ら ~「僕は歌の好きな少年だった」CDより
     
    柳家小三治師匠が、思い出深い抒情歌を歌い、青春と人生の思い出を語る、笑いあり涙あり、そしてソングありの、とっても人間味あふれるコンサートのライヴ盤。2004年9月28日、札幌・真駒内六花亭ホールにて収録。
     
     
     
    さて、お待ちかね!ここらで舟木さんの歌声をどうぞ・・・
     
    イメージ 7小三治師匠がコンサートで歌われた「山のけむり」は舟木さんもカヴァーなさっています。
    山のけむり  
    作詩:大倉芳郎  作曲:八洲秀章
    アルバム「初恋 舟木一夫 抒情歌謡を歌う」(1971年12月/1974年6月再発売/復刻盤CD2003年7月発売)
    舟木さん歌唱です。(kazuyanさんの動画でお楽しみください)
    http://www.youtube.com/watch?v=bP1L5dYGD9g
     
    山のけむりの ほのぼのと
    たゆたう森よ あの道よ
    幾とせ消えて 流れゆく
    想い出の ああ 夢ひとすじ
    遠く静かに ゆれている
     
    谷の真清水 汲み合うて
    ほゝえみ交わし 摘んだ花
    山鳩の声 聴きながら
    行きずりの ああ 君とともに
    下りた峠のはろけさよ
     
    山の煙のたそがれに
    別れた人のうしろ影
    あとふりかえり 手を振れば
    うすれゆく ああ 淡い夕日が
    染めた茜のなつかしく
     

    イメージ 910代目柳家 小三治
    (やなぎや こさんじ、1939年〈昭和14年〉12月17日 - )
     
    東京都新宿区出身の落語家。一般社団法人落語協会顧問。出囃子は『二上りかっこ』。定紋は『変わり羽団扇』。本名、郡山 剛蔵(こおりやま たけぞう)。まれに「高田馬場の師匠」とも呼ばれる。
    教師・教育者(小学校校長)の5人の子のうち唯一の男子として厳格に育てられる。テストでは常に満点を求められ、100点満点中95点を取ることすら許されなかった。その反発として遊芸、それも落語に熱中する。東京都立青山高等学校に進学。高校時代にラジオ東京の『しろうと寄席』で15回連続合格を果たす。この頃から語り口は流麗で、かなりのネタ数を誇った。卒業後、教員育成大学である東京学芸大学への入試に失敗し、学業を断念。落語家を志し、5代目柳家小さんに入門した。
    以後、5代目小さん門下で柳家のお家芸である滑稽噺を受け継ぎ活躍。噺の導入部である「マクラ」が抜群に面白いことでも知られ、「マクラの小三治」との異名も持つ。全編がマクラの高座もある。
    落語協会会長6代目三遊亭圓生は大変に芸に厳しい人物で、前任の会長より引き継いだ者を真打にした以外は、実質上3人しか真打昇進を認めなかった。つまり、6代目圓生から真打にふさわしいと見做されたのは、6代目三遊亭圓窓・小三治・9代目入船亭扇橋の3人のみである。小三治は17人抜き真打昇進という記録を作った。
    上野鈴本演芸場初席における主任(トリ)の座を師の5代目小さんから1991年(平成3年)に禅譲され、2013年(平成25年)まで維持した。
    リウマチを持病に抱えながらも、現在も高座に上がり続ける。落語協会会長5代目鈴々舎馬風が病気を理由に2期で勇退した後を受け、2010年(平成22年)6月17日開催の理事会において後任会長に就任し、4年間務めた後、2014年に4代目柳亭市馬に会長を譲って協会顧問に就いた。
     
     
     
     
    イメージ 8略歴
    1958年(昭和33年)3月 - 東京都立青山高等学校卒業。
    1959年(昭和34年)3月 - 5代目柳家小さんに入門。前座名は小たけ。
    1963年(昭和38年)4月 - 二つ目昇進し、さん治に改名。
    1969年(昭和44年)9月 - 17人抜きの抜擢で真打昇進。10代目柳家小三治襲名。
    1976年(昭和51年) - 放送演芸大賞受賞。
    1979年(昭和54年) - 落語協会理事就任。
    1981年(昭和56年) - 芸術選奨新人賞受賞。
    2004年(平成16年) - 芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
    2005年(平成17年)
    4月 - 紫綬褒章受章。
    6月 - 新宿末廣亭6月下席夜の部において、東京やなぎ句会同人の小沢昭一をヒザ前に顔付けした(主任は小三治)。
    2009年(平成21年) - ドキュメンタリー映画『小三治』(監督:康宇政)公開。
    2010年(平成22年)6月 - 落語協会会長就任。
    2014年(平成26年)
    5月 - 旭日小綬章受章。
    6月 - 落語協会会長を勇退し、顧問就任。
    7月 - 重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。

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    待ちに待った舟木さんのテレビ生出演を拝見しました。お元気で若々しく、楽しそうにお話しなさる舟木さんをビックリ猫のような目でまじまじと、みつめ、ダンボの耳でお話をお聴きしました。
     
    NHK「スタジオパークからこんにちは」7月24日(木)13時5分~13時50分
     
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    オープニングでは、伊藤アナウンサーが「永遠のアイドル・・ 私が生まれる前からアイドルをされてる舟木一夫さん」と紹介なさいました(笑)この日のMCの戸田恵子さんは、舟木さんと同じ愛知県のご出身だけあって「おらがくにのスターなの!」と親しみを込めた嬉しいご紹介でした。
     
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    想像通り、やっぱり「高校三年生」の曲とともに、Tシャツにジーンズというラフなスタイルで軽やかに舟木さんが登場です。
    (舟木さんのトーク部分はピンク文字です)
     
    デビュー52周年 53年目に入ったと舟木さん。
     
    中に入れないたくさんのファンの方々がガラス越しにいっぱいでした。早い方は、8時から並んで待っていたそうです。お馴染みの舟友さんのお顔もみつけました(笑)
     
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    たくさんのファンの方がいらしてますね。の伊藤アナに答えて・・・「そこそこの平均年齢で(笑)」と舟木さん。

    舟木さんにお会いになるためにファンの皆さんは、お洋服も御化粧も念入りに・・・御主人や周りの人のためにはしないんでしょうね。舟木さんのおかげで、女子力がアップ!・・と戸田さん。
     
    去年のコンサートの映像 「あゝ青春の胸の血は」 が流れました。
     
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    「歌いながらプレゼントを受け取る」際に舟木さんが気をつけていらっしゃることなどについての話題など・・
    昔は、ああいうのは当たり前の風景で、その上、テープが100本、200本飛んでくる状態だった、と舟木さん。玉置さんに「あんたみたいに御客様からたくさんものをもらう歌い手はみたことない」と言われていたとも。
     
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    歌いながらいただく・・・難しいですよ。まずマイクに雑音を入れないことが前提。プレゼントをお持ちになる御客様、そうでないお客様と比べれば、そうでない方が多いわけですから・・そういった御客様が、集中して聴いている時に、雑音が入って中断されてしまうことがないように・・・そこが一番大事なんですよね。
     
    昔の国際劇場のエピソードから・・・
    昔は、プレゼントを受け取って、いっぱいになると舞台の袖に持っていってたり、司会の方が取りにきて下さったりしていたんですが、或る時、あまり何度も行ったり来たりするのも・・と思って、いただいた花束を何気なくステージの上にじかに置いた。そしたら、次の歌を歌う時になって「いけねぇ」・・と気になって仕方がなかった。それから、ステージにテーブルを置いて、その上に並べるようになったんです。

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    「高校三年生」で、デビューした当時の衣裳~学生服~は自前の学生時代の制服だったこと。
    デビュー前にたまたま、出演した生番組で着たら、それっきり脱がせてもらえないということになった・・・
     
    あのヘアスタイルは、転向した学校の机の中になぜか入っていた鏡の破片でいたずらして削ってたらああなった。・・・ミラーカット(笑)自然に削ってたらあんな風になったんです。

     
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    イメージ 10赤い詰衿について・・・
    ここで問題 舟木さんがある時に、これを着ようと思った服はどれ?
    セーラー服 赤い服 宇宙服 (三択)  答え 赤い詰襟
    *赤い詰襟に話題を持っていこうというネライ?でも、ちょっと問題にムリがあるかも・・ですね(笑)
     
     
     
     
     
    ファンからのメッセージ 何通かの紹介(伊藤アナ)
     
    二十代の頃に、もし百万が一 還暦になっても歌っているようなことがあったら・・赤い詰衿をと洒落を言っていたら、60歳までたどりついて・・・と
     
    十年放ってあるからずいぶん、黒くなってますね。ボタンに名前や「60」という数字が彫ってあるんです。
    印章には高校三年生の最初の部分の音符♪が入ってる。靴も赤・・・こういうのは、僕らの世界では最高の洒落でね。面白がりじゃないとだめなわけなんで・・
     
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    プロフィール紹介 (戸田さん)
     
    後援会結成パーティー映像 音声なし
     
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    御三家~絶唱は高校三年生に次ぐミリオンセラー 
     
     
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    今考えるといい時代にデビューできたなと思います。流行歌の第何期かの黄金時代にデビューできたのは幸せなこと。「高校三年生」は、ぼくはその世代を代表して歌ってるだけ・・
     
    イメージ 15大河ドラマの話題
     
    「赤穂浪士」の右衛門七
    「源義経」 平敦盛 
    当時の貴重な映像 須磨の浜辺のシーン、音声もあり。琵琶の音と波の音がバックとなった重厚なシーン
    大磯でロケをしたんです。鎧兜で10キロ以上を身に付けて、馬に乗って走る・・・熊谷直実役の中村竹弥さんから「舟木を殺すなといっぱい手紙がきて困ってる」といわれました(笑)
     
     
     
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    私的な、一番のサプライズは、この大河ドラマ「源義経」の平敦盛の最期の場面が音声付で流れたことでした。映像が残っていたんですね。私は初めて拝見しました。少し早口でしたが、しっかりとしたセリフで凛々しく美しい若武者の敦盛にあらためて若き日の舟木さんの魅力を再発見しました。私は今よりも、子どもの頃の方が大河ドラマが大好きでしたし、右衛門七の頃から舟木さんが好きになっていたので、楽しみにして観ていたのですが、当時はただドキドキしてテレビの前に座っていただけだったので、今日、しっかりと拝見することができて感激でした。
     
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    赤穂浪士撮影のエピソードも・・
    当時の大スターがおおぜい出演なさった中で、林与一さんと僕が一番若かった。皆さん、忙しい方ばかりなので、例えば山田五十鈴さんなどがいらっしゃるとそちらを先に撮影するので、僕たちはずっと待っていて、待ち時間長くなって扮装のままラーメン食べたり、与一さんと衣裳のまま、タクシーでコーヒーを飲みに四ツ谷のマンションまで行ったりした。四ツ谷の交差点でおまわりさんにとめられたことがあった(笑)
    討ち入りのリハーサルの場面で、吉良邸にむかって粛々と走るんですが・・・若い者は一番最後からついていく・・なのに走るのが速すぎて気がついたら、大石内蔵助の横を走ってる・・君、大将追いぬいちゃダメだよ・・・と言われたり(笑)

    人生晴れたり曇ったり・・・
     
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    20代の真ん中から、おかしかったですね。と、御自身の挫折の時のことを、明晰に分析なさる舟木さん。
    あまりに、忙し過ぎて、自分の寸法も歩幅もわからなくなる。
     
    いいですか、まだしゃべってて。。。実はね、紅白に初出場するのを3回辞退したんですよ。
    これからずっと紅白に出ていける自信がありませんから・・
    最終的に四回目にNHKの部長さんに、紅白の立場もわかってくれと言われた。今年の紅白に「高校三年生」が出てこなからったら困るよ・・と言われて、そうか人に迷惑かけちゃいけないなと、初めてこの世界のことがわかった。
    色々あって寒い時期に入って、もう一回バッターボックス入ってやるかと思ったのが30周年。
    理由は 転業するでもなく、うだうだしてる自分に、お前は何やってるんだと腹が立った。
    やるんなるやる、やらないならやらない・・・転機の理由は自分に対して腹が立ったことおっしゃいました。
     
    銭形平次全国公演 30周年 
     
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    二十代の頃から舞台の時代劇と縁が深くなっていった。明治座公演でしょうね)
     
    子供の頃から時代劇が好きだったがら映画をみてた。でも、レギュラーとしての仕事になるなら勉強しなくちゃと思った。
     
    イメージ 24新橋演舞場について・・・
    思い入れが深い、大好きな空間 自分とピッタリ合う この空間はおれ好きだ!と思った。
     
    薄桜記の舞台の映像紹介。
     
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    「みんなde舟木」の写真が紹介される。
     
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    僕は未だにわかんないんです。どうしてこんな写真が撮れて写ってる人みんなに写真をお送りできるのか・・不思議と、舟木さん(笑)
     
     
     
     
     
    新曲「眠らない青春」 29日放送「NHK歌謡コンサート」の告知あり
     
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    舟木一夫流「男のおしゃれな生き方3ヶ条」
     
    ・女性を崇めよ
    男は仕事と称するゲーム以外はなにひとつ女性にかなうものはありません。これは実感です。
    ・明日を楽しめ
    明日を楽しむためには、今日、仕込みをしておこうと・・・今日を楽しめってことでもあるんですね。
    ・「?」であれ
    「少年」であれ!(最初は「?」と言葉が隠れてました)
    男の子はね、いくつになっても少年の頃のやんちゃさを持ってないと・・特に僕らのような芸事をやる人間はダメですね。「まとまらないこと」ですね
     
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    「お洒落」・・・ジーンズやTシャツのコレクションを披露
     
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    あそび心のあるおしゃれ・・・数えてみたらジーンズが127本ありました。 
    このお話の時の舟木さんが一番楽しそうでした(笑)
     
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    質問・メッセージ
     
    ・古希を迎えられるのにお若い舟木さん・・若さを保つために毎日の食生活はどうしてますか?
    食べたいものを食べてる、ラーメンもしょっちゅう食べてるし・・
    古希っていうのはやめてください(笑)70歳と・・・
     
     
     
    イメージ 34・最近の奥さま孝行はなんでしょう?
    「奥さま孝行」なんてのは、僕の辞書には、ありません(笑)・・・ときっぱり。こういうところは舟木さんらしい。
     
    ・御休みの時は何を?
    コンサートのあとの声のもどりがおそくなったので次の仕事のために、3日間は休ませています。
     
    私は中学二年生です。「高校三年生」を聴いていたら担任の先生から「渋い」と言われた。というメッセージもありました~やっぱり、「中学二年生」には、反応する舟木さんでした(笑)
    最後の写真がピンボケでどーも、すいません
     
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    NHKはCMがないので、45分間、ビッシリと舟木さんのお顔とお喋りが楽しめて本当に嬉しい時間でした。
     
     
     
     
     
     

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        歌手生活15周年記念 限りない青春の季節 舟木一夫大全集  (随時掲載) 
     
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    もう一ヶ月ほど前の、6月3日。舟木さんの52周年の6月5日を目前にした日に、以前からなんとか手に入れば・・と願いつつも、半ばあきらめていた15周年記念アルバム10枚組「限りない青春の季節」が幸運にも私のもとにやってきてくれました。
     
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    デビュー15年という区切りを迎えるのに際して、舟木さんがデビュー当時からの15年間に歌ってこられた
    主だったオリジナル曲の再録音はじめ、未発表曲、自薦曲、二十~三十代の頃に舞台にかけられたお芝居の演目の主題曲ほか、舟木さんの15年のあゆみが、ぎっしり詰まった、私にとっては垂涎の記念アルバムでした。
     
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    この時期の舟木さんは、自らの力で長いトンネルを抜け出して、あらたに歌と向き合い、御自身でも「歌を掴んだ」と言葉になさることができるほど、歌い手としての自信を取り戻し、歌うことの歓びをその歌声であふれるほどに表現されています。このアルバムが出された頃の前後のコンサートのライブアルバムもまた、透明感と突きぬけた爽やかさ、そして大人の男性に成長しつつある色香がいやおうなく漂い、得も言われぬ魅力に圧倒されます。
    もし、万が一、私が一つだけ舟木さんに質問することが許されるなら、私は舟木さんにこの15周年記念のアルバムを創ろうとなさった時の、お気持ちを今、あらためて尋ねてみたいと思っています(笑)
     
    このアルバムは、本当に様々な切り口で、探っていきたいテーマがたくさんあるのですが、まずは、デビュー当時の舟木さんの歌声と、歌い手としてもひとりの人間としても、抱えきれないほどのたくさんの経験を経て15年目を迎えられた舟木さんの歌声を、聴き比べるところからスタートしていきたいと思います。
     

    イメージ 4今…想うこと    舟木一夫
     
    ”青春”って何だろう。”光り””突風””ブレーキのない二輪車””ふっとうしたお湯””ベルのこわれた眼ざまし時計”"雪の下の新芽”"一方通行の道路”…連想するものは数え切れませんが、僕の場合は…遮眼帯を付けた馬かなァ”…やっぱり。
    "青春”、それは誰もが一度は通るメイン・ストリートです。ウインドウのマネキンにラブレターを出したり、
    表の見本と大分違うとそば屋のカツドンに文句をつけたり、急がしいことこの上ない朝、昼、夜。生意気で、欲張りで、自分勝手で、人には完璧を望み、人が自分を判ってくれないと言っては、苛立ち、悲しみ、咽ぶ…。
    僕の”青春”もまぎれもなくそうでした。何であろうと、"思い込んだらそれっきり…”。そんな僕をじっと我
    慢して肩にかつぎ続けて下さったこの世界のスタッフの方々に、心からお詫びとお礼を言いたいと思います。こめんなさい…そして有難うございました。どうか末永くお付き合い下さい。
    そして、このアルバムを手にして下さった皆さんへーこの十枚のLPの中には僕自身、涙ぐんでしまいそうな”青春”があります。でも、それは決して僕だけの”青春”ではないと思っています。皆さんとのつながりの中で美事に花開いてくれた僕の”青春”。僕がまいた青春と言う名の小さな花の種に、朝夕の水を与え、豊かな太陽となってふりそそいでくれた皆さん。僕が歌い続ける限り、皆さんの”青春”に終わりはないと信じています。そう…僕達の”青春”はきっと無限です。幸せな歌い手ですね…僕は…。皆さん、十五年間、僕をささえて下さって本当に有難う。どうかこれからも一緒に歩いて下さい。”限りない青春の季節”の中を…。   (このアルバムの巻頭の舟木さんからのメッセージ)
     
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                    昨日、訪れた東近江市のひまわり畑です ↑
     
    イトルにも掲げた、「舟木さんの55周年に向けてエールを!」は、舟友さんで、本当に数多くの舟木さん
    の曲を動画化して、たくさんの舟木さんファンに楽しみを送り届けて下さっているkazuyanさんが、昨年から
    テーマになさっているメッセージです。kazuyanさんの、その想いに連動させていただき、私から、この15
    周年記念アルバムの音源の動画化をご提案させていただきましたところ、快い御返事を頂戴しました。
    若き日の舟木さんから、今の舟木さんのクリップを素晴らしいセンスで構成してくださった魅力的な動画です。ごゆっくりお楽しみくださいね。~kazuyanさんに感謝を込めて~
     
     
    イメージ 6高校三年生 
    作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
     
    15周年記念再録音盤  10枚組アルバム「限りない青春の季節」収録の歌唱
    http://www.youtube.com/watch?v=KzbAJ8j05xs&feature=youtu.be
     
     
    デビュー当時の歌唱(1963年/紅白歌合戦初出場・映像付)
    http://www.youtube.com/watch?v=nhXoeMxs4Mw
     
    修学旅行  
    作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
     
    いずれも動画はkazuyanさんの作品です。
     
     
    15周年記念再録音盤  10枚組アルバム「限りない青春の季節」収録の歌唱

    デビュー当時の歌唱(1963年シングル盤)
    http://www.youtube.com/watch?v=T9hCcdsu9CY

     
    学園広場  作詩:関沢新一 作曲:遠藤実
    いずれも動画はkazuyanさんの作品です
     
    15周年記念再録音盤  10枚組アルバム「限りない青春の季節」収録の歌唱
     
     
    デビュー当時の歌唱(1963年シングル盤)
    http://www.youtube.com/watch?v=BMBCZd5BlGI
     
     
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    歌手生活15周年記念 限りない青春の季節 舟木一夫大全集 収録内容  
     
    イメージ 10ヒットパレード 1~5枚
     
    ヒットパレード1
    高校三年生/修学旅行/学園広場/あヽ青春の胸の血は/君たちがいて僕がいた/花咲く乙女たち/右衛門七討入り/火消し若衆/北国の街/東京は恋する
     
    ヒットパレード2
    高原のお嬢さん/哀愁の夜/友を送る歌/銭形平次/敦盛哀歌/絶唱/新吾十番勝負/ブルートランペット/一心太助江戸っ子祭り/夏子の季節/夕笛/くちなしのバラード
     
    ヒットパレード3
    残雪/京の恋唄/追憶のブルース/北国に一人/心配だから来てみたけど/紫の人/春の坂道/初恋/よみがえる夜明け/帰郷/流浪/都井岬旅情
     
    ヒットパレード4
    旅路/逢う瀬/愛の新雪/津和野川/楡の雨/むかえ火/或る手紙/嵯峨野雪草子/紙の指輪/火の鳥/こだわり/許されるなら
     
     
     
    ヒットパレード5
    別れの部屋/噂めぐり/心のロベリア/風信子だより/レマンのほとり/日曜の恋人/想い出通り/一葉舟/恋唄/友よ/流氷祭り/西海岸
     
    イメージ 11自薦12曲 6枚目
    水色の人/青春は僕らのもの/木挽哀歌/はやぶさの歌/たそがれの人/今日かぎりのワルツ/雨の中に消えて/その人は昔/帰る/さりげない別れ/麦笛/明日に向かって走れ  
     
    未発売オリジナル12曲 7枚目
    星の夜北へ帰る/北国岬/白い夜明け/偽りの愛はいらない/霧のわかれ/恋のホロッポ/君が心は/別離/恋のしみあと/哀しみの街/雨の別れ/青い夜空の中で
     
    未発売 舞台オリジナル  8枚目
    若君風流/維新の若人/オレは坊ちゃん/喧嘩鳶野狐三次/あヽ桜田門/葵の剣/薄桜記/魔像/江戸の淡雪/総司が行く/さくら仁義/怪傑児雷也
     
    思い出の映画名場面集  9枚目
    高校三年生/一心太助江戸っ子祭り/君たちがいて僕がいた/永訣
     
     
    あのシーンをもう一度  10枚目 
    新人賞受賞/日劇初公演/おめでとう舟木一夫です/2周年チャリティ/舟木一夫ショー
    スターロータリー/3周年リサイタル/歌唱賞受賞決定/スター千一夜/リサイタル'76
     
    ~このあとは、「仲間たち」「君たちがいて僕がいた」とつづきます~

    7月27日(日)は、一宮の舟友さんにお誘いをいただき、先ずは萩原町「花咲く乙女たちコース」をたどり、その後「一宮七夕祭り」を楽しませていただきます。帰宅が遅くなりそうですので、このつづきは、明後日の掲載となります。 
    あ~ん、早く聴きた~いという方は、kazuyanさんのブログにどうぞ

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    一年前、ちょうど「一宮七夕祭り」の開催中の7月26日と27日に中日劇場で舟木さんのコンサートが開催され、27日のコンサート終演後に、舟友さんからお誘いがあったので、名古屋から一宮まで出かけました。あいにく、この日の夜は雷雨に見舞われましたが、雨のスキをみて、駅前の大通りに設えた櫓を中心にした盆踊り大会や商店街の華やかな七夕飾りを見物しました。
    そして、その翌日の28日には、「七夕ウォーク・花咲く乙女たちコース」に参加しました。
     
               萩原商店街、一宮駅前などで配布されている、団扇やティッシュです。
     
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    昨年の「七夕祭り」の際にも、ご親切に案内して下さった地元の舟友さんに大変お世話になりましたが、今年も、いかがですか?と、嬉しいお誘いをちょうだいしましたので、昨日、出かけてきました。東京、大阪の舟友さんともおしゃべりが弾み、みんな舟木さんを中にすると、ずっと前からのお友だちのような気持ちになるのが、不思議です。「舟木さんありがとう」ですね(笑)
     
      ゆるキャラの「いちみん」ちゃん(くん?)
     
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    2014年の「一宮七夕祭り」は、7月24日から27日の4日間でした。最終日で、「七夕ウォーク」も開催されていましたので、先ずは、昨年、歩いた「花咲く乙女たち 8kmコース」を、今年は、ズルして歩かずに、地元の舟友さんの車に便乗させていただき、ざっとひとめぐり・・・途中、萩原商店街のミニイベントを見物、そして、「高校三年生」のロケに使われた場所を経由して、ゴールの湊屋文右衛門邸に向かい昼食をいただいて休憩したあとは、一宮駅方面に、向かいメイン・イベントの「七夕祭りパレード」などを楽しみました。
     
    へぼな写真でお恥ずかしいのですが、枚数だけは、結構撮ってきたので、写真で、たどってみます。
     
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    先ずは、なにはさておき、萩原の郷土資料館へ・・・
     
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    スタンプを押してもらって気付きました。
    昨日は27日・・・ふな~舟・・・の日でした(笑)
     
     
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    特に名古屋のコンサート会場では必ず、お見かけするこ の方・・・以前からとっても気になってたのです(笑)
    今回、一日中、ずっとご一緒できました。
     
    背中の「舟木一夫命」は、フェルトでアイロン接着されてる
    ようでした。優しくて、細やかなお気遣いをされるとても素 敵な紳士なので、正直驚きましたが、舟木さんが命なの
    ですから、お人柄のいいのは当然なんだと納得しました。
     
     
     
     
    そして、生家跡地の前を経由して、萩原商店街で、ミス織物さんの「一宮七夕祭り」のPRの御挨拶や、舟木さんの後輩にあたる萩原中学のマンドリンクラブの生徒さんたちの、演奏などを拝見しました。
     
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    かなり笑える写真いただき~ぃ! 
     
     
     
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    昨年、歩いた8kmは、死ぬほど暑かったですが、今回は、にわか雨が降りだすお天気でした。一時的にはかなり降りましたが、すぐに止んだので、かえって昨年よりは、歩いた方はラクだったかもしれません。
    「花咲く乙女たち」の撮影に使われた、織物工場の跡地は、車の中から撮影しました。
     
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    少し、車が走って、うっかり見過ごしていた「高校三年生」の映像に写っている、あの場面の風景に出逢いました。ここでのロケだったんだ!と感激しつつ、証拠写真をカシャ!
     
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    そこから堤防に上がっていくと、ここも、映画で観た、あの場面の眺めです。正しい位置は、わからないですが、鉄橋と鉄橋との間の堤防が、あのラストの場面のロケ地のようです。
     
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    タクシーに乗り、町を去っていく小路を見送るクラスメートたちから、ひとりはなれたところにいる一夫に気づき知子が一夫の背中を押すように、小路のもとへ連れて行く場面。そしてラストシーン。なぜか、ラストシーンには舟木さんが見当たらないような・・・・超多忙で、撮影に参加できなかったのかも(笑)
     
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    そして、お昼になり、「花咲く乙女たちコース」のゴールの湊屋文右衛門邸で、休憩がてら昼食をいただきました。昨年は、外に立てかけられていた、「花咲く乙女たち」の映画のパネルは、雨が降ったからでしょう、中に飾られていました。
     
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    ゆっくりした後は、一路、一宮駅方面へ・・・
     
    一宮駅周辺から、もうたくさんの色とりどりの七夕飾りが風になびいています。そして、昨年は、結局、一度も聴かずじまいで残念な想いをした舟木さんの「織姫音頭」も「しわせの星二つ」もずっと流れていて、とっても嬉しく、楽しいお祭り気分で歩けました。
     
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    しあわせの星二つ 
    作詩:富山紫峰 作曲:上原げんと
    (1964年6月発売)
    http://www.youtube.com/watch?v=94aUP79HxZs
    (kazuyanさん作の舟木さん55周年応援動画より)
     
    こがね しろがね 七いろかざり
    ゆれて きらめく 花模様
    虹のトンネル ゆきかう人の
    ああ ちょいと
    顔も 顔もあかるい 七夕まつり
     
    昏(く)れて絵のよな 銀河の岸へ
    おもいとどけよ 笹かざり
    はずむ話も ロケット旅行
    ああ ちょいと
    若い 若い二人の 七夕まつり
     
    淡いあこがれ おさない夢に
    書いて 結んだ あの色紙
    竹の青さも 瞼に浮かぶ
    ああ ちょいと
    遠い 遠いふるさと 七夕まつり
     
    イメージ 30織姫音頭  作詩:城ゆたか 作曲:森一也
    1964年6月発売/しあわせの星二つB面)
    http://www.youtube.com/watch?v=3-DHDdXGRUQ
     
    尾張よいとこ機織(はたおり)どころ ハイハイ
    春はますみだ 春はますみだ 桃花(とうか)祭 ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
     
    花の吹雪か 七夕祭り ハイハイ
    染めて五色の 染めて五色の 一の宮 ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
     
    故郷(くに)の妹へ便りに添えた ハイハイ
    紅葉錦の 紅葉錦の ニュールック ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
     
    木曾の流れでみがいた肌は ハイハイ
    粋ないぶきの 粋ないぶきの 雪よりも ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
     
    娘心を七重に八重に ハイハイ
    織って自慢の 織って自慢の 生地の良さ ソレ
    さっさ踊ろよ 織姫音頭
    ほんに世界の糸の町
    サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
     
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    ちょうど2時からスタートするパレードに間に合いました。私は「舟木さんを探して」あっち、こっちキョロキョロです。手当たり次第にカシャ、カシャ・・・   
                                    
                                                                 萩原小学校の七夕飾り
     
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    「高校三年生」のロケに使われた「滝学園」ブラスバンド
     
     
     
     
    そして、一宮にお住いの舟友さんからも「高校三年生」のロケに使われた商店街の位置の情報を教えていただきました。本当にボンヤリ観てるだけだったので、家に帰ってからDVDを観て確認しました。
    自転車に乗った船田くんを呼び止める「情報屋」のメガネの女子学生「私のボーイフレンドにならない?」あっさり断る船田くん。ちょうどこのオモチャ屋さんの前あたりだそうです。
     
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    船田くんを追い掛けていく場面・・・全然気づいてなかった真清田(ますみだ)神社の鳥居が舟木さんの後ろ姿の遠景に写っていました。
     
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    昼間に写したのでパソコンの画面が反射して、ボケボケですが、雰囲気だけでもおわかりでしょうか。
     
    真清田神社で、舟木さんのご健康とご活躍を祈願してから、服織(はとり)神社で、例によって舟木さんが奉納なさった大鈴を、今回もカシャ!
     
     
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    真清田神社の境内の奥にある、この服織神社は、目立たない場所にあるのに、いつも若い人がたくさんお参りしていると思ったら、「縁結び」の神様だったんだと、今更ながら気づいたボンヤリの私でした。
     
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    地元の舟友さんならではの、細やかな情報もたくさん教えていただき、初めて、お目にかかる舟木さんを心から愛する地元の方たちともお話させていただき、本当に楽しく実りある時間を過ごさせていただきました。皆さん、10月28日から11月15日まで開催される舟木さんの公演(「いろは長屋の用心棒」とコンサート)をとても楽しみにしていらっしゃいます。
     
                     「舟木一夫生家跡メモリアル記念楯」
           萩原町郷土資料館で、資料館運営費のための協賛品として販売されています
     
    「取り壊された、生家の二階南側の部屋に使われた敷居戸のガラスを解体時に譲りうけたものである」という文面が書かれ、そのガラス板が額に入れられています。大きさは色々、協賛額も色々です。
     
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    こんなに温かな地元の皆さんに、今なお変わらず応援されていらっしゃる舟木さんは本当にお幸せだという想いをあらたにした、一宮の楽しい一日でした。お世話になった皆さま、ありがとうございました。
     
     
     
     
     
     

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    歌謡コンサート~納涼 真夏のうた祭り 
    2014年7月29日(火) 20時~20時43分 NHK総合
     
    前半は、オープニングで、例によっていまや国民歌謡となった「高校三年生」
    どうしてもNHKは「高校三年生」を舟木さんに歌わせたいんですね(笑)
    ステージ衣装は赤のジャケット。
    後半は、黒のジャケットに着替えて、登場・・・ラストブロックは、前のお二人が歌われた後に、舟木さんが〆ました。新曲「眠らない青春」は、あのグリーンブルーのようなカラーのスリーピースで歌われました。
     
    番組の進行にそった写真で、プレイバックしてみます。ただし、私はビデオ録画してませんので、オンエアされたリアルタイムの携帯撮影です。シャッターチャンスも、ままならず、画像もボケてますので、なにとぞ、ご容赦を・・・
     
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    前半の赤いジャケットから後半の黒いジャケットへ、中のシャツも黒から白へ変わりました。
     
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    ホールのお客さんへ、アンケート・・・まぁ、どっちでもいいかというような質問に、舟木さんは・・・(笑)
     
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    さて、後半です。新曲の「眠らない青春」、多分テレビ放送では、初めて流れたのかな?
     
     
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    舟木さんは、一番最後に歌われました。待ってる間が長かったぁ~ッ
     
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    「眠らない青春」のCDジャケットで着ていらっしゃるスリーピースかな?
     
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    さっそくにyoutubeにアップなさっている方が・・・
     
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    眠らない青春 
    作詩:舟木一夫 作曲:川崎浩史 編曲:杉村俊博
     
    イメージ 33なつかしいこの街に
    ただひとり 来たんだよ
    眠らない青春の
    想い出に 誘われて
     
    やわらかな 木もれ陽と
    手づくりの 愛の日は
    変わらずに あるものと
    おたがいに 信じてた
     
    さよならの足音は
    春の日のにわか雨
    冷たさを 耐えるには
    若すぎた 二人さ
     
    明日には出るはずの
    虹さえも 知らないで
    見つめ合う 瞳には
    あきらめが ゆれていた
     
    イメージ 34お揃いのセーターを
    ひっそりと 取り替えて
    合い鍵は 二つとも
    鉢植えに 埋めたよ
     
    逝く春の 哀しさを
    胸深く 抱きとめて
    あの人が 投げかけた
    ほほえみの 優しさ
     
    鮮やかによみがえる
    青春の 想い出は
    暮れなずむ 街角に
    いつまでも 眠らない
    いつまでも 眠らない
    いつまでも 眠らない

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    舟木さんの55周年に向けてエールを!アルバム「限りない青春の季節」・・・このタイトルで収録内容について随時掲載していく予定です。
     
    以下は、舟木さんの55周年に向けてエールを!アルバム「限りない青春の季節」その1です。
     
                     歌手生活15周年記念 限りない青春の季節 舟木一夫大全集

     
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    「その1」では、デビュー曲「高校三年生」「修学旅行」「学園広場」の三曲を、発売当時のシングル盤と、1977年に新たに吹き込み直しされた「限りない青春の季節」収録音源を併せてご紹介しました。
    「その1」でも、書かせていただきましたが、舟友のkazuyanさんに、1977年の舟木さんさんの歌声を動画化していただきましたので、デビュー当時の舟木さんの歌唱と、15年を経た歌唱のそれぞれの魅力を楽しんでいただきたく思います。デビュー当時の5部作として、一気に5曲を動画化して下さいましたので、今回は、「仲間たち」「君たちがいて僕がいた」を、ご紹介します。
    既に、kazuyanさんのブログにはアップ済みですので、お聴きいただいた方もいらっしゃるかと思います。
     
    イメージ 2仲間たち 作詩:西沢爽 作曲:遠藤実
     
    ちょうど一年前にkazuyanさんが呼びかけて「舟木さんの55周年に向けてエールを」という主旨で全国の舟友さんからのメッセージを募集してくださって、kazuyanさんならではの、舟木さんへの愛情あふれる動画にして下さいました。あらためて、こちらの動画をご紹介します。なお、冒頭のピアノはkazuyanさんによる演奏です 
    仲間たち 
    「舟木さんの55周年に向けてエールを」バージョン
    1963年11月発売シングル盤音源
    http://www.youtube.com/watch?v=mVUNQxrGcvM
     
     
    仲間たち アルバム「限りない青春の季節」 
     
     
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    イメージ 8君たちがいて僕がいた  
      作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
     
    こちらもデビュー当時の舟木さんの歌唱をkazuyanさんが動画化してくださったものです。
    アクセス数もいっぱいの人気の高い動画ですよ。フレッシュな舟木さん、チョコちゃんが躍動しています。
     
    君たちがいて僕がいた 
    1964年3月発売シングル盤音源
    http://www.youtube.com/watch?v=IwxBJnOgbFE
     
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    君たちがいて僕がいた  
    アルバム「限りない青春の季節」 
     
     
     
     
     
     

     
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    以下の文章は、このアルバム「限りない青春の季節」の制作を担当なさった矢部氏が別冊解説書の巻末に寄稿されたものです。
     
    制作をおえて  矢部公啓 (日本コロムビア㈱ 文芸部  *当アルバムの企画・構成担当)
     
    彼を担当するようになってちょうど一年になります。まだ一年しか経っていないと言った方がよいかも知れません。デビュー当時、まだ私が学芸部にいた頃から度々顔を合わせてはいたものの、十五年目を迎え、気魄十分、体調充実、益々油の乗りきった彼と、この時期にコンビを組んだことはディレクター冥利に尽きるといえます。夢が拡がり、また大きな責任と感じました。
    この大全集の企画は、担当になってすぐ彼と練り始めました。毎日の様に連絡しあい、お互いの家で寝食を共にし、夜明けまで論じ合ったものです。どうせなら今迄にない欲張ったものにしよう、ヒット曲はもとより舞台公演での記念曲、主演映画、テレビ、ステージ等々……。出来なくてもともとということで欲の皮をどんどんふくらませていきました。そして各方面の暖かいご支援を得て、ワンマン・アルバムとしては初めての十枚組を完成することができたのです。収録曲九十六曲のうち四十曲が新編曲、六十八曲が新吹き込みと。実際の作業に入った九月からは目の廻るような忙しさでした。スタジオ作業だけでも三百時間以上、その間彼の熱心さは大変なもので、音取り、トラックダウン、編集作業に至るまで時間の許す限り殆ど同席してくれました。アフレコも納得のゆくまで何回もやり直しました。その熱意はレコードを聞いてくださる皆様に充分伝わってゆくことと思います。彼ほど詩、メロディーを大切にして、ていねいに歌う歌手は数えるほどしかないでしょう。それは、演技、せりふ等すべてに言えることです。
     
    制作を終わり、改めて舟木一夫の偉大さをひしひしと感じました。八枚目までは自薦十二曲を除き、古い作品はすべて吹き込み直しましたが、九枚目、十枚目はモノラルです。特に十枚目は、なるべくデビュー当時のものを、という企画意図で制作したために音源に乏しく、大変お聞き苦しい部分があると思いますが、貴重な記録ということで敢えて収録しました。音質の悪さについては深くお詫びいたします。
    この大全集は制作者の自己満足に終わる恐れのないよう、細心の注意をしたつもりです。舟木一夫の十五年の総てを浮き彫りにするにはまだまだ至らない点があるとは思いますが、ここに収録した一つ一つは、皆様の胸にさまざな青春の足跡を残していることと思います。限りない青春の季節ー涙が出るほど素晴らしい「限りない青春の季節」をこのアルバムから感じていただけたら心から嬉しく思います。
     
     
     
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    毎日うだるような暑さが続いていますが、まだまだ夏はこれからですね。でも、信兵衛さんカレンダーを見て思い出しましたが、もう、秋の中日劇場公演のチケットの一般発売も目前になってきたのですね。
    9月の演舞場と10月から11月にかけての中日劇場・・・今年は、余計に秋が待ち遠しいです。
    チケット一般発売日:8月11日(月)午前10時より
     
     
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    舟木さんの曲としては異色のリズム歌謡「夏子の季節」 は、私が高校一年になったばかりの頃だったと思います。なんとなくそれまでの舟木さんの歌よりも大人っぽいような色っぽいような気がして、少し気恥ずかしい気持ちで聴いていた記憶があります。この曲も、歌手生活15周年記念 限りない青春の季節 舟木一夫大全集(1977年)では、新たに吹き込み直しされていて、1967年の音源よりも、さらに大人の男性としての艶というか色香が増していて、とても素敵に思います。
     
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    こちらも、1967年盤と、1977年盤のいずれの音源も動画でアップされていますので、「夏本番」のこの時期に、聴きたい曲ということで、このところよく聴いています。   
     
     
    イメージ 2夏子の季節  
    作詩:丘灯至夫 作曲:船村徹
     
    夏 夏 夏 夏 夏子
    夏 夏 夏 夏 夏子
    ことしも逢えたね 夏子
     
    初めてこころを うちあけた
    まぶしいビーチの 昼さがり
    すばらしい 夏子
    夏子 夏子 すばらしい
     
    夏 夏 夏 夏 夏子
    夏 夏 夏 夏 夏子
    きれいになったね 夏子
     
    ブルーのスカート 風がとぶ
    はじらうひとみに 海がある
    うつくしい 夏子 
    夏子 夏子 うつくしい
     
    イメージ 3夏 夏 夏 夏 夏子
    夏 夏 夏 夏 夏子
    おとなになったね 夏子
     
    ためいきまじりに ふくらんだ
    むねにもやさしい 夜がくる
    すばらしい 夏子
    夏子 夏子 すばらしい
     
     
    夏子の季節 (1967年5月発売)
    http://www.youtube.com/watch?v=lLWYi02-g9Y(kazuyanさんの動画)
     
    夏子の季節 (1977年発売 15周年記念「限りない青春の季節」再録音盤より)
    http://www.youtube.com/watch?v=U2gi8PVsVv8(こちらも舟友さんによる動画)
     
     
    イメージ 4「夏子の季節」
    レコーディング打ち合せ風景。
    船村徹先生、丘灯至夫先生と・・・1967年当時

     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

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    しばらく間が空いてしまいましたが、「舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる」のラストは、その4として「一本刀土俵入」について、私のできる範囲で、ご紹介させていただきます。
     
    「瞼の母」「沓掛時次郎」「雪の渡り鳥」は、舟木さんのカッコイイ渡世人姿がイメージできるのですが、舟
    木さんの演じる、取的(とりてき)の茂兵衛のイメージがどうしてもつかなくて、だから余計に「一本刀土俵入」の舞台がどういうものだったかずっと気になっていました。
    *関取(せきとり)とは大相撲の番付で、幕内、十両の力士を指す。これに対し幕下以下の力士は取的という。
     
     
    舟木さんの大好きな先輩・三橋美智也さんの歌唱
    一本刀土俵入り 作詩:高橋掬太郎 作曲:細川潤一
    http://www.youtube.com/watch?v=ux6ERphsIZ4
     
    イメージ 1角力(すもう)名のりを やくざに代えて
    今じゃ抱き寝の 一本刀
    利根の川風 まともに吹けば
    人の情けを 人の情けを 思い出す
     
    忘れられよか 十年前を
    胸にきざんだ あのあねさんを
    ほれたはれたと 言うてはすまぬ
    義理が負い目の 義理が負い目の 旅合羽
     
    見せてあげたい 男の夢も
    いつか崩れた 一本刀
    悪い奴なら 抑えて投げて
    行くが俺(おいら)の 行くが俺らの 土俵入り
     
     
    その1「瞼の母」からその2「沓掛時次郎」、その3「雪の渡り鳥」という流れで「長谷川伸の世界」をたどってきましたが、実は、私としては、このその4の「一本刀土俵入」が作品としては一番好きなんです。

    でも、この大好きな主人公の駒形茂兵衛を舟木さんが演じる姿・・・前半の取的の頃の茂兵衛をあの佇まいの舟木さんが、どう演じられるのかが、どうしてもピンとこず、想像しかねてました。
    また、先の3作品は、再演もされていてパンフレットなども比較的多く出ているのでイメージを想像すること
    ができてはいましたが、「一本刀土俵入」は2005年7月(赤詰めの年)に中日劇場で上演されたのみで、以来再演もされていなくて、ネット上での情報も全くといっていいほどありませんでしたが、中日劇場公演を御覧になっていてパンフレットもお持ちの舟友さんのおかげで、「長谷川伸の世界をたどる~その4」として乏しい資料ながらもなんとかわたしなりにまとめてみることができました。資料をご提供いただきました舟友さんに深く感謝です。ありがとうございました。
     
    舟木一夫 納涼特別公演  一本刀土俵入   中日劇場 2005年7月2日~25日 
     (パンフレットより抜粋
     
    飽くなき挑戦    宮永雄平:潤色・演出
     
    確固たる世界観で、沢山の著作を生みだしてきた長谷川伸氏。その数多ある作品群から、この度は「瞼の母」や「沓掛時次郎」などと並び、不朽の名作と言われている「一本刀土俵入」を中日劇場の舞台に掛けることになりました。
    名優と言われた六代目菊五郎で初演された角力取りの卵と酌婦の情緒と情感あふれる、最早古典とも呼ばれる芝居、初役茂兵衛に挑むのは勿論「舟木一夫丈」です。元々、姿形の美しさに加え、芸の品格と華、そして役者センスに長けていた舟木丈。近ごろ、その品も華もセンスも、一段と研ぎ澄まされ、心情表現などの豊かな奥深さには驚かされるばかりです。その強力な役者、舟木丈(私にとっては歌手ではなく、あくまでも役者なのです)は、座長として各劇場に定着してから、次々と過去の名作を新鮮な目線で演じ、自らの境地を開拓しています。その流れの中、また一つ新たな挑戦をするのが本公演です。角力取りと舟木丈の持つ質感から言いますと・・・一見ミスマッチのような役柄ですが、その微妙な違和感をどのような芝居捌で払拭して見せてくれるのか・・・また、世阿弥はこう言っています。「華の大事な要素は、観客に珍しさと面白さを感じさせること」だと。舟木丈という華は、どんな茂兵衛を、その才能と工夫をもってして描いてくれるのか・・私は今興味津々。稽古での楽しみが尽きないという次第です。過去の上演スタイルをなぞることなく、自らの世界を常に模索しつつ構築しようと、飽くなき役柄への挑戦を続ける舟木丈。このどん欲な、飽くなき挑戦が、もしかしたら、舟木丈の熱き心を司るエネルギーの源であり、永遠の若さの秘訣かもしれません。~後略~
     

    イメージ 2ごあいさつ   
     
    猛暑です・・と申し上げるまでもなく、名古屋を中心とする東海道中部の七月とくればもう何をか言わんや・
    ・で、あーあ・つ・い。そんな汗の流れを少しでも軽くしていただこうと、今月は”納涼公演”とサブタイトルの付いた「一本刀土俵入」を御覧いただきます。舟木一夫と云うと、デビュー当時の病み上がりのワリバシが歌っている様な頼りないイメージが、お客様のどこかにいまだにあるんだってお話を時々伺いますが、どっこいワタクシも赤いツメエリなどを着ちゃう年頃と相成ってオリまして、結構近頃は、身体のあっちこっちに不必要な中トロがチラホラなのでして、どーもすいません。ま、そンな条件もあったりしての「一本刀土俵入」となった次第です。お客様の寛大な御声援を拠り所に、みんなで威勢良く一ヶ月を駆け抜けたいと思います。改めて猛暑の中の御来場、本当に有難うございました。ごゆっくりとお過ごしを。
    あ、忘れちゃいけない。「赤ツメコンサート」と題した歌のステージもちゃんとくっついていますので。どー
    ぞよろしく。                                                      舟木一夫拝
     
     
     
    イメージ 3配役
    駒形茂兵衛:舟木一夫
    お蔦:長谷川稀世
    辰三郎:林啓二
    老船頭:小島秀哉
    船大工:笹野高史

    あらすじ  (春日局まとめ)
     
    序幕
    第一場 取手の宿(秋の午後)
     
    水戸街道の利根川近くの宿場町、川を越えれば、そこは下総の国になる。茶屋旗籠、我孫子屋の店先に料理人らが集まって道の向こうの騒ぎを眺めていた。やくざ者の船戸の弥八が土地の若夫婦に因縁をつけて追い回していたのだ。そこへ足取りも覚束なく現れたのが駒形茂兵衛。弥八は茂兵衛に絡みだした。
    その弥八の頭に水が降ってきた。我孫子屋の二階の窓にもたれかかって騒ぎを見ていた酌婦のお蔦が浴びせたのだった。弥八を上手くさばいたお蔦は、茂兵衛に「具合でもわるいのかい」と声をかけた。
    茂兵衛は相撲の親方から見込みがないと巡業先で破門され、もう一度弟子入りを願い出ようと江戸に向かっている途中だった。しかし、破門された時に親方からもらった路銀を使い果たし、腹が減ってふらふらになっていたのだ。お蔦に問われるまま、生まれは、上州駒形村、しこ名は駒形茂兵衛というと身の上話をする茂兵衛。
    父親は、二十年も前から行方が知れず、母も亡くした茂兵衛だったが、立派な横綱になって生まれ故郷の母親の墓の前で土俵入りを見せたいという大きな夢があった。茂兵衛の、母を想う純情一途な心根に心を打たれたお蔦は、自分も故郷の越中八尾に住む母を想い、小原節を三味線で弾き語る。そして巾着ごと、さらに櫛、簪も二階の窓からしごきに結んで茂兵衛に与え、「立派な横綱になっておくれ」と励ますのだった。

    第二場 利根の渡し
     
    お蔦からもらい受けた施しで、飯屋に入り、腹いっぱいになって元気を取り戻した茂兵衛が、利根川を渡ろうと渡し場から出ようとしている船に乗ろうと駆けてくるが、船頭は、すぐに戻るから次の船に乗れと、船を出してしまう。そこへ、また弥八が追いかけてくるが腹一っぱいになった茂兵衛には、かなわない。刀で斬りかかろうとするのを赤ん坊をおぶった子守子が「人殺しィ~ッ!」と叫んでくれたので、それにひるんだ弥八のすきを見て叩きのめす。弥八たちが、逃げ去ったあと、子守子から、おぶっている赤ん坊がお蔦の子だと聞かされる。「なぁ、その子、父(てて)なし子・・」と言いかけてやめる茂兵衛。
    (この赤ん坊の存在を伏線にして、舞台は十年後の布施の川べりへとつながっていく。)
     
    大詰 
    イメージ 4第一場 布施の川べり(十年後・春の昼)
     
    いつしか、十年の歳月が過ぎていった。ここは、下総の国の布施。利根川のほとりで、老船頭の佐助とその息子が仕事に精を出していた。船の中では船大工の清吉が作業を進めている。そこへ、三度笠を目深にかぶった旅人姿の茂兵衛が通りかかった。茂兵衛は佐助たちにお蔦の消息を尋ねるが、はかばかしい答えは返ってこない。
    あきらめて立ち去ろうとしたところへ、このあたりを仕切る博徒、波一里儀十親分の若い者たちが飛び出してきた。いきなり旅人の三度笠を引っ剥がし「いけねぇ、人違いだ」イカサマ賭博をした男を追いかけていたのだった。
     
    第二場 お蔦の家
     
    お蔦は酌婦を辞めて所帯を持ち、娘のお君をもうけていた。ところが、夫の辰三郎は長年行方不明。飴売りをしながら細々と暮らしていたが、イカサマ賭博の男こそ、実は、この辰三郎、お蔦の生き別れになっている夫だった。辰三郎を追って儀十たちがお蔦の家に踏み込んでくる。辰三郎がいないと見てとると、張り番を残して引き上げた。お蔦は、辰三郎が生きていると知って喜ぶ。
    まもなく、辰三郎が、お蔦のもとへ姿を現した。再会を喜び合うのも束の間、一家でお蔦の故郷へ逃げ出そうと算段しているところへ、やっとお蔦の居所を探しあてた茂兵衛が訪ねてきた。
     
    第三場 軒の山桜
     
    して、昔、恩を受けた茂兵衛と名のるがお蔦は思いだせない。その時、儀十一家の者たちが家を取り囲んだ。
    茂兵衛は「恩返しの真似がしたい」と金包みを渡し、ここは自分に任せろと言う。閂を手に、儀十らに立ち向かい頭突きをくらわし、相撲技と嶺打ちだけで頼もしく闘う茂兵衛の様子に、お蔦はやっと昔のことを思い出した。
    お蔦一家を逃がした茂兵衛は、儀十一味をぶちのめしたあと、去ってゆくお蔦たちを見送りながら、「これが十年前に櫛、かんざし、巾着ぐるみ意見をもらった姐さんにせめて見てもらう駒形の、しがねぇ姿の横綱の土俵入りでござんす」とひとり口にするのだった。
     
     
    イメージ 5長谷川伸の代表作「瞼の母」「沓掛時次郎」「雪の渡り鳥」そして「一本刀土俵入」とそれぞれにヒーローの持ち味は異なります。作品の主要テーマも違っていて、「瞼の母」は、生き別れた母への思慕と現実との過酷な落差に打ちひしがれる男の哀しみを描き、「沓掛時次郎」では、義理と秘めた愛の狭間で揺れる純な男心の切なさが描かれています。「雪の渡り鳥」は、惚れた女が弟分の女房になり嫉妬にかられつつも最後には女の幸せを願って身を引く男の凄絶な葛藤が描かれています。「一本刀土俵入」の茂兵衛は、切羽詰まった状況の中で自分とはなんの縁もゆかりもない女性から受けた恩義を後生大事に忘れず、十年の後に苦境に堕ちているその女性を助けることで恩返ししようとする男です。
     
     
     
     
    これらの四作品の中で、「一本刀土俵入」は最もシンプルな設定といえるでしょう。義理というより「恩」がテーマになっているという意味では、股旅(渡世人=やくざ)という世界に限らず、私たち一般の社会でもありうる「恩返し」の世界を描いています。
     
    イメージ 6見所は、取的時代の、茂兵衛のもったりとして純朴なセリフ回しと、おぼつかない足取りなどの「鈍」な所作に対する、後半の場面の、三度笠を手にし、やくざ姿で颯爽と登場する茂兵衛とのギャップです。後半のカッコ良さは、既に、先の三作品からも、充分に想像がつきます。しかも、舟木さんのやくざ言葉のセリフ回しの粋さ、凄みなどは、「一本刀土俵入」の茂兵衛が、先の三作品のヒーローよりも印象的で素晴らしく本当に「胸のすくような」見事さを味わえます。
     
    私が、番場の忠太郎、沓掛時次郎、鯉名の銀平よりも、茂兵衛の啖呵や佇まいにより凄みを感じたのは、やはり前半の取的の茂兵衛を舟木さんが実に丁寧に演じ「お母っさんの御墓の前で土俵入りを見せてやるのが夢」という純粋で切ないほどにひたむきな若者の心情を観る者の心に深く印象付けたからだと思います。
    あの茂兵衛が、関取(横綱)になる夢破れて、やくざとなるまでの十年間に、茂兵衛の身に何があったのか・・・長谷川伸の原作でもその経緯は全く語られてはいませんが、その十年間の重さを舟木さんは、見事に埋め尽くし、十年後の渡世人・茂兵衛となって登場します。舞台役者の力量とはこういう時間の経過を、言葉でなく佇まいで表現しきれるかどうかというところにかかっていることを思えば、舟木さんの舞台役者としての力量が、最も発揮されているのは「一本刀土俵入」のような気がします。
     
    私は「一本刀土俵入」は他の役者さんで何度か舞台を拝見しましたが、横綱にはなれなかった茂兵衛ですが、渋さと凄みを纏い、しかも知性さえ漂わせて第二場で再登場する舟木さんの博徒姿は、実にクールで魅力的でした。歌舞伎ならば、まさに「大当たりぃ~ッ!」と大向こうがかかってもいい素晴らしい出来栄えだと感じました。
     
    イメージ 18先に記した、「あらすじ」の第三場までが、長谷川伸の原作に基づくものです。
    舟木さんの「一本刀土俵入」では、さらに、以下の第四場が続きます。
    この場面は、長谷川伸の原作「一本刀土俵入」にはない場面となっています。
    そして、この第四場こそが、出色なのですね。舟木さんならではの駒形茂兵衛だと感じ入ります。
    潤色・演出をされた宮永雄平氏の手腕でしょうか、はたまた舟木さんご自身の提案による潤色でしょうか?
     
    お蔦一家を見送った翌朝、茂兵衛がひとり、荒れ果てた我孫子屋の前にやってきます。
     
     
     
    以下は第四場のダイジェストですが、近所の子供たちが我孫子屋の前で相撲をして遊んでいるところに茂兵衛がやってきて子供たちにせがまれて相撲をとります。最後には子供たちに負けてやる茂兵衛。子供たちに投げかける舟木さんの優しく温かなまなざしにほのぼのします。
    そして圧巻のラストの名場面が「相撲甚句~花づくし」を唄う舟木・茂兵衛です。
    この第四場は、もう誰が何と言おうと舟木一夫の駒形茂兵衛でしか舞台化することのできない「一本刀土俵入」でしょう。宮永氏とのコンビネーションで空前絶後の駒形茂兵衛を造形されたのだと感服しました。

     
    イメージ 7第四場 朽ちた取手の宿
     
    荒れ果て、朽ちた我孫子屋の前にひとりやってきた茂兵衛。近所の子供たちが相撲を取り合って遊んでいる。その様子を、微笑みながら見ている茂兵衛に子供たちが一緒に相撲を取ろうとせがむ。子供たちの相手をする茂兵衛。やがて、子供たちが帰っていくと、朽ち果てた我孫子屋の二階に上がり、昔を懐かしむような風情で窓に腰をかけて茂兵衛が、唄い出す。どこからか聞こえる「ハァー ドスコイ ドスコイ」の合いの手の声。「花を 集めて 甚句にとけば ヨー(ハァー ドスコイ ドスコイ)ハァー 正月寿(ことほ)ぐ福寿草・・・」
     
    やがて我孫子屋から出てくる茂兵衛。花道で草鞋の紐を結び直し、立ち上がり、数歩花道を歩いて、振り返ると我孫子屋に深く一礼して、再び、歩きだし花道を去っていく。
     
    相撲甚句 花づくし
     
    (ハァー ドスコイ ドスコイ)
    ♪ハァーエー(ハァー ドスコイ ドスコイ)
    花を 集めて 甚句にとけば ヨー 
    (ハァー ドスコイ ドスコイ)
    ハァー 
    正月寿(ことほ)ぐ 福寿草
    二月に咲くのが 梅の花
    三月桜や 四月藤
    五月あやめに かきつばた
    六月牡丹に 舞う蝶や
    七月野山に 咲く萩の
    八月お盆で ハスの花
    桔梗かるかや おみなえし
    イメージ 8冬は水仙 玉椿
    あまた名花の ある中で
    自慢で抱えた 太鼓腹
    繻子(しゅす)の締め込み バレン付き
    雲州たばねの やぐら鬢(びん)
    きよめの塩や 化粧水
    四股踏みならす 土俵上
    四つに組んだる 雄々しさは
    これぞ誠の ヨーホホホイ
    ハァー 国の華 ヨー
    (ハァードスコイ ドスコイ)

     
    この「一本刀土俵入」の中でお蔦が故郷(くに)を偲んで歌う「越中小原節」は、長谷川伸の原作でも登場していて、この物語により抒情性を与え、茂兵衛とお蔦が互いに懐かしい母と故郷を想って心通わすキイワードともなっています。かたや相撲甚句(花づくし)は、原作にはありませんが、他の茂兵衛役者にはない「華」をいかに舟木・茂兵衛が匂い立たせているかを示すかのように挿入されていて心憎い演出となっています。
     
     
    相撲甚句「花づくし」
    http://www.youtube.com/watch?v=CbiY19ZbBJs
     
     
    ******以下は「一本刀土俵入」参考資料です*******
     
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    歌舞伎と「一本刀土俵入」
    昭和六年(1931年)六代目菊五郎の駒形茂兵衛で初演。
     
    六代目菊五郎 昭和9(1934)年11月(お蔦:六代目尾上梅幸)→
     
    取手と周辺散策名作「一本刀土俵入り」との縁起伝
    「一本刀土俵入り」といえば、1931年に歌舞伎として初演されて以来、新劇、新国劇をはじめ、浪曲など様々なジャンルにわたって上演され続けてきた名作で、水戸街道、利根川沿いの宿場町を舞台にした話ですが、取手はその舞台となったところです。

    光明寺(取手市桑原)境内
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    長谷川伸と十七代中村勘三郎
    一本刀土俵入りの作者長谷川伸先生は利根川と、その周辺の宿場に住む人々を愛し、純真素朴な農村の人々との情に親しみ、取手の宿から旅足を進め、閑静なこの地方に立ち寄られたとの伝えです。時は大正5年(1916年)の春、当時は筆名を山野芋作と称し31歳でした。そして大正9年6月筆名を長谷川伸と改め、昭和6年5月戯曲「一本刀土俵入り」の名作を中央公論に発表(時47歳)義理と人情を盛り込んだ名作は、すぐに東京劇場で6代目尾上菊五郎が上演、つづいて新国劇の島田正吾、中村歌右衛門、尾上松緑、中村勘三郎などの名優により上演されました。
     
    イメージ 12長谷川伸
    昭和38年6月11日永眠行年79歳
    昭和60年12月人間国宝中村勘三郎丈公演す
    17代目中村勘三郎丈昭和63年4月16日歿78歳
    (下記サイトより)
    *長谷川伸は十七代勘三郎長男の勘九郎(十八代勘三郎)の本名の名付け親でもあるそうです。
     
     
     
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    小村雪岱描く「一本刀土俵入」舞台装置原画 
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    序幕第一場:取手の宿我孫子屋の前(所蔵・写真提供:埼玉県立近代美術館)

     
    映画と「一本刀土俵入」
     
    イメージ 14一本刀土俵入り 1954年6月29日公開 
    監督:佐々木康/脚本:犬塚稔・鈴木兵吾
    駒形茂兵衛:片岡千恵蔵
    お蔦:高峰三枝子

     
    映画 一本刀土俵入り 1957年10月13日公開
    監督:マキノ雅弘/脚色:井手雅人 
    駒形茂兵衛:加東大介 
    お蔦:越路吹雪 

     
                              
    イメージ 15映画 一本刀土俵入り 1960年11月9日公開
    監督:安田公義/脚色:犬塚稔
    駒形茂兵衛:長谷川一夫
    お蔦:月丘夢路

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    舟木さんの55周年に向けてエールを!アルバム10枚組「限りない青春の季節」(1977年発売)
    収録内容について随時掲載中です。
    先ず、デビュー当時のヒット曲の中から、1977年当時、新吹き込みされたものをご紹介しました。
    「高校三年生」「修学旅行」「学園広場」「仲間たち」「君たちがいて僕がいた」
    (その1、その2でご紹介済み)
     
    あらたに、「あゝ青春の胸の血は」の1977年歌唱盤の動画作品をご紹介します。
    舟友さんのkazuyanさんのご尽力により、「期間限定」ですが、アップ可能となりました。kazuyanさん、素晴らしい動画をありがとうございました。
       
             舟木一夫歌手生活15周年記念「限りない青春の季節」舟木一夫大全集
     
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    イメージ 2あゝ青春の胸の血は
    作詩:西沢爽 作曲:遠藤実

    あふれる若さ あればこそ
    未来にむかい 我ら立つ
    海の太陽 山の雲
    輝け命の 歌声に
    ああ 青春の胸の血は
    夢ひとすじに燃えるもの
     
    親しき友の かなしみを
    励ます言葉 尽きるとも
    光れ 銀河よ 友情の
    涙を夜空に ちりばめて
    あゝ 青春の胸の血は
    夢ひとすじに燃えるもの
     
    瞼にあわき 花すみれ
    ゆきずりの 君 今いずこ
    虹は消えても 若き日の
    はかなき 思い出 忘るまじ
    あゝ 青春の胸の血は
    夢ひとすじに 燃えるもの
     
     
     
    あゝ青春の胸の血は  1977年録音盤(「限りない青春の季節」収録)
    http://www.youtube.com/watch?v=-6Ab-mPmCfo&feature=youtu.be
     
    デビュー盤とはまた違った、大らかな優しさにあふれ、少し大人になって「青春後期」に入った舟木さんが過ぎ去った「青春前期」への愛おしさをこめて歌っていらっしゃる歌唱に心洗われるようです。西沢爽氏のクラシカルな響きの詩の美しさを、大切に抱きしめるかのように歌唱なさっていて、ひとまわりスケールの大きくなった青春歌謡という印象の77年盤だと思います。
     

    イメージ 6あゝ青春の胸の血は  1964年1月発売
    http://www.youtube.com/watch?v=kCEUl4ugnI4

     
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    日活映画「あゝ青春の胸の血は」
    (1964年9月9日公開)
    舟木さんは、東都大学のボート部員清水邦夫(山内賢さん)の幼な友達でクリーニング店に勤める青木修二役です。和泉雅子さんは、邦夫が心を寄せる暗い過去を背負った娘、西沢知子を演じました。舟木さんとマコちゃんの初共演の作品です。
     
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    石取り祭り
    天下の奇祭「日本一やかましい祭り」というキャッチフレーズのわが街の夏祭り、平成19年3月に「桑名石
    取祭の祭車行事」の名称で「国指定重要無形民俗文化財」に指定されました。
    鉦と太鼓で、八月の第一金曜日の真夜中の零時にスタートして、43基の*祭車が夜中じゅう街を練り歩きます。まだすぐ近くで鉦と太鼓の音が賑々しく続いています
     
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    祭車(ウイキペディアより)
    祭車(さいしゃ)は、三重県桑名市を中心に伊勢湾北部に分布する石取祭で引き回される山車。
    三輪(前一輪、後二輪、御所車)形式で、車輪を繋ぐ轅の後方上部に四本柱で構成する枠台を載せ、その枠台の前方に階段を付し、枠台上部に提燈(十二張)や人形などの飾りを立て、枠台後方に鉦・太鼓の楽器を据え、その楽器の保護に天幕を設けた独特の山車形式をいう。
     
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    石取り祭りの公式ホームページ↓ 
    http://isidori.jp/
     
    ちなみに私の町内は第八組の堤原といいます。わが町内の自慢は上部飾りの「神功皇后」人形です。
    人形を掲げた祭車は、少ないのですが、他に「桃太郎」「鏡獅子」などがあります。
     
    以下は、すばらしきみえHP↓の「石取り祭り」紹介文
    http://www.hyakugo.co.jp/mie/05/04/page01.html
     
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    日本一やかましい祭、桑名の「石取祭」は、桑名市の春日神社(桑名宗社)で8月の第一日曜日に本楽、前日に試楽が盛大に執り行われます。石取祭に代表される「石取り祭車」は、この地方で独自の発達をしてきた山車です。
    代表的な形式は、車輪が三輪の御所車。そして高欄の付いた台があり、中心に横木が三段ある柱が立てられています。横木には上から二・四・六とあわせて十二個の提灯が吊り下げられ、てっぺんには角行灯、その上に三本の御幣が立てられます。

    山車のうしろに大太鼓を据え、その両側に吊るされた大きな鉦ととイメージ 4もに、にぎやかに打ち鳴らして練り歩きます。春日神社の石取祭に登場する山車の数は約四十輌。それが一斉に打ち鳴らされるのですから「日本一やかましい」と言われるのも当然のことでしょう。
    初期の祭車は簡単な構造のものだったようですが、文化年間(1804~18)頃から本格的な四輪の山車となり、文政から天保(1818~44)頃に三輪構造に変わったといわれています。現在、四輪構造のものは桑名の西隣のいなべ市や東員町に多く見られ、提灯ではなく屋形が取り付けられており、桜の造花を飾り付けるのが特徴です。
    石取祭は、その名が示すとおり、神社へ奉納する石を運んだことに由来しています。その石を乗せたのが石取り祭車の起源で、後に豪華なものへと発展していきました。桑名の各町が競い合って作り上げた、それぞれの祭車に施された彫刻、金具、漆、天幕などは、どれも美術工芸として一見の価値があるものばかりです。
    桑名で発達してきた石取り祭車は、その周辺地域に伝わり、四日市市北部や鈴鹿市など、古いものから新しいものまで、その数は約百五十輌にも及んでいます。
     
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    動画  
    桑名 石取り祭り たたき出し 2014年8月2日午前零時
    http://www.youtube.com/watch?v=1CatEXndB_o
     
    ホントに「やかましい!」↑
     
    おみこし野郎 作詩:関沢新一  作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=8LMWtlgryUM 
    (kazuyanさんの動画でお聴きになってください。映画「花咲く乙女たち」の映像も一緒に楽しめます。)

    イメージ 8ねじり鉢巻 きリりとしめりゃ
    矢でも鉄砲でも 持って来い
    いざと言うときゃ みこしをあげる
    ア ワッショイワッショイ 祭だ ワッショイ
    トコショイ あげなきゃどしたい!
    あげなきゃ男の 名がすたる
    花も実もある花も実もある おみこし野郎

    胸もたたくが 太鼓も叩く
    涙もろいは 母ゆずり
    バカな喧嘩にゃ ソッポを向くが
    ア ワッショイワッショイ 祭だ ワッショイ
    トコショイ ソッポがどしたい!
    あの娘のソッポにゃ 身もほそる
    恋は苦手の恋は苦手の おみこし野郎
     
    降ろと照ろうと 文句は言うな
    みこしかついだ この肩にゃ
    明日のでっかい 力がはねる
    ア ワッショイワッショイ 祭だ ワッショイ
    トコショイ はねたらどしたい!
    ついでに涙も はねとばせ
    日本晴れだよ 日本晴れだよ おみこし野郎


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    舟木さん曰く「青春歌謡BIG3の前半戦のしめくくり」にあたる大阪フェスティバルホールでのコンサートの昼の部拝見してきました。


    舟友さんたちと11時に待ち合わせて「入待ち」しました。

    いつもお世話になっているkazuyanさんがバッチリのカメラワークで成功なさいましたので今日遅くか、明日にはアップなさると思います。


    私も後日、すてきなお写真ちょうだいしてご紹介しますね。
    乞うご期待ですよ。

    コンサート詳細はまた後日アップします。

    本日の目玉速報は来年2月の新歌舞伎座公演です。

    新作のお芝居は関西らしい楽しさいっぱいの人情もののようです。


    舟木さんは「楽屋入」の際もゴキゲンで3方向に向かい撮影がしやすいようにお顔を向けられました。カラフルな半袖Tシャツを肩の二の腕までまくって若々しく元気いっぱいでした。ステージも絶好調で三田さん、西郷さんとじゃれあいとても楽しそうで少年のようでした。


    携帯からですので本日はここまで(笑)

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    皆さんが、お待ちかねの「楽屋入り」の際の舟木さんのショットを、「続・速報」として、先ずはアップします。
    7月の岡山と比べるとベストポジションとは言えない位置で、建物の中でしたから、やや暗いという条件でしたが、素晴らしいカメラワークで、舟木さんをとらえて下さったkazuyanさんからのご提供をいただき、アップさせていただきますね。kazuyanさん、ありがとうございます。
     
    私はリアル舟木さんは、後ろの方にいたので、チラリとしか見えませんでしたが、こうして大きな舟木さんのお写真を拝見してとっても嬉しく感謝です。整列指導のおそらく事務所のスタッフの方には、いつもご苦労をおかけしてるんですね。「入待ち」「出待ち」は、コンサートのもうひとつの楽しみでもありますが、舟木さんのファンの皆さんは、昔からお行儀がいいと評判のようですので、これからもマナーを守って、舟木さんのお心遣いを無にしないように、したいと思います。
     
    良いカメラと腕があれば、こんな素敵な写真が撮れるんですね。舟木さんのこの日のTシャツは、半袖をまくり上げてるのかと思いましたが、半袖よりも短めの丈のようですね。こういうのをサーフTシャツと呼ぶのかな?服飾には疎いのでわかりませんが多分、若い人の着るものでしょうね。でもとっても、カッコ良く、着こなしていらっしゃる若々しい舟木さんでした。
     
    まずは、kazuyanさんのできたてホヤホヤ舟木さん「入待ち」動画です。
    BGMは「大阪しぐれ」~舟木さんの歌唱です。(アルバム「どうしているかい」1983年3月発売収録)
     
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    画面奥でカメラを構えていらっしゃるファンの皆さんと、後ろ姿のファンの皆さんの間のスペース右側が車止めになって、そこで車を降りて、奥から手前に向かって歩いて来られました。スーツの後ろ姿のスタッフの方が楽屋通路への扉の前に立っていらっしゃいます。この扉の前で、しばらく歩いてこられた後方、正面、そして私たちの待機していた前方の三方向に向かって、それぞれにしばらく顔を向けて撮影のカメラに応えて下さった舟木さんでした。
     
     
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    4月8日の神戸国際会館こくさいホール、6月30日の日本特殊陶業市民会館フォレストホール に続いて、三回目の「青春歌謡BIG3」を楽しませていただきました。近畿圏では、この後は、新歌舞伎座で12月20日と21日に開催されます。それまでの4ヵ月間は、長期公演が、東京と名古屋で続き、恒例の中野サンプラザのコンサートなど、私たちにも嬉しいスケジュールがぎっしりですが、舟木さんが先ずはこの暑い夏をお元気で乗りきってくださることをお祈りしています。
     
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    でも、そんな心配は無用なほど、ステージの舟木さんはお元気で、声も素晴らしく、ソロ・コンサートのよう
    な長時間ではありませんが、舟木さんの魅力がギュッと凝縮された「舟木さんコーナー」も堪能させていただき、また、三田さん、西郷さんとの、楽しい「昭和38年、39年のヒット曲」のメドレーコーナーでは、少
    年のようなお顔を見せてくださり、このコンサートを心から楽しんでいらっしゃるようで、こちらまで嬉しく
    幸せな気持ちになりました。

    基本的には、構成もこれまでと変わりなく目新しい御報告はできませんが、少しでもコンサートの熱気や雰囲気をお伝えできればと思います。昼の部のみです。
    舟木さんのトーク部分はピンク文字です。三田さんと西郷さんのトーク部分はグリーン文字。

    青春歌謡BIG3  大阪フェスティバルホール  8月5日   14時半開演
     
    イメージ 2開幕前、緞帳に3つのスポットライトが当てられ、くるくるとライトの位置が変わります。
    緞帳が上がって、下手から三田さん、センターが舟木さん、上手が西郷さんという並びです。
    衣裳は、どの公演も、通しで、お三人ともずっと変わらずです。
     
    暑い中、ようこそお越し下さいました。三田明です。・・・としょっぱなからふざける舟木さん、そして続けて、舟木です。と西郷さんが、云えば、西郷です。と三田さんが、なぜかむっちゃカッコつけて御挨拶(笑)
    舟木さんが、このところの暑さについて、新宿東口なんかは、体感温度が50度くらいあるんじゃないかと・・・ニュースで言ってる最高気温は、どうやって計ってるのか?・・・一番暑いところからずらしたところで計ってるらしい・・などとおしゃべりすれども、あとのお二人は、我関せず・・であまりハナシに乗ってこない様子に、なんでオレだけ喋ってるの?!と舟木さん、さびしそう(笑)
     
     
    最初に緞帳が上がって、お三人登場の時の衣裳 ↓
    舟木さんは黒のフォ―マルなタキシードです。
     
    イメージ 3
    ステージはトントンと進み・・まずは三田さんのコーナーから
     
     
    三田明さんのコーナー
     
    美しい十代
     
    美しい60代を聞いていただきました(笑)前半は懐かしい曲を・・昔を思い出して若返りましょう。
     
     

    「ごめんねチコちゃん」僕は、この歌で紅白に初出場しました。デビュー曲は「美しい十代」ですが、あの頃は9月までにレコードデビューしていないと年末の紅白には出られなかったので私の初出場の時の曲は翌年のヒット曲の「ごめんねチコちゃん」でした。
     
    イメージ 4メドレー
     ごめんねチコちゃん
     若い港
     恋のアメリアッチ
     夕子の涙
     
    「恋のアメりアッチ」「夕子の涙」の時には、パーカッションの方がノリノリでクルクル回りながら叩いていらっしゃいました。舟木さんの曲は、アップテンポのものは少ないので、こういう曲だとテンションが上がるのかしら?と見ているこちらも、楽しませていただきました。
    三田さんも、このメドレーが終わると、あ~疲れたァ・・、息が切れたァ(笑)同世代の方の前で歌うと皆さんの気がバンバン伝わってきて、どうしても気持ちが入りすぎるんですね。ここからは大人の歌を聞いていただきます。50周年に出したエルダーミュージック・・・しっとりと歌う三田さん、ホントに歌が上手くなられたなァと、お聴きするたびに思います。

    青山通り
    北のなごり駅
    月の港ボルドー
    君に似た人
     
    さて、上手から西郷さんが真赤なお衣装で登場。おふたりでの、トークです。
    僕たちは、ジャズ喫茶から出たんで、歌謡曲を唄うことになるとは思ってなかったんです。坂本九さんのようなポップスを唄うつもりだったんですから・・と三田さん。そして、三田さんが、西郷さんコーナーのスター
    トのMCをなさって「星のフラメンコ」からが、西郷さんのコーナーです。
     
     
    西郷輝彦さんのコーナー
     
    イメージ 5星のフラメンコ
     
    三田さんのリズム歌謡の時はパーカッションがノリノリでしたが、西郷さんの「星のフラメンコ」では、キイボードの方がノリノリで、立ち上がって、チャチャチャの手拍子をなりきりでやっていらっしゃいました(笑)
    この年で、舟木さんや三田さんとステージに立てるのは本当に幸せです。あの頃ボクラは、少年だった。そして皆さんは女学生だった、大きくなりました(笑)
     
    僕だけの君
    ねがい
    星娘
     
     
    ステージ狭しと動きまわる西郷さんに、ここでも、キャーッ!の黄色い声がいっぱい。西郷さんの曲には黄色い声は、拍手よりも、ステージの盛り上がりに一役かっていて似合いますね(笑)
    衣裳がツアーを通しての冬物なんで、この暑さに耐えるのが、今日のテーマです・・まだ、生きてます・・と
    歌って踊る西郷さん、フウフウ言ってらっしゃいます。それにしても、やっぱり脚が長くてスタイル抜群です。
    今の若い男性の脚の長さにも決して負けていらっしゃらないですね。
    自分の曲の中で、この曲は、転機になった曲です。と「ア、ニ、キぃ~ッ!」と絶叫で始まる「涙をありがとう
    」を・・・50年という歳月の中で、お三人、それぞれの悲しみや苦境の時を乗り越えて、今、ご一緒にステー
    ジに立っていらっしゃるのは、本当に奇蹟に近いことなんだとあらためて感じます。
     
    涙をありがとう
    君だけを
     
    フツーの歌でも、つい動いてしまうワルイくせがあって・・と西郷さん(笑)
     
    恋人ならば
    西銀座五番街
    恋のGT
     
    客席に手拍子、足拍子を促して・・リハーサル。大阪の人はリズム感がすごいですね。今度はフルコーラス踊ります!と・・・パワフルなダンス・ステップを見せる西郷さん。
     
    燃えろ夜明けまで

     
    下手から、舟木さんと三田さんが登場。西郷さんに冷凍庫で冷やしたというおしぼりを手渡す舟木さん。大丈夫?年々、きてるんじゃない?と舟木さん。西郷さんがすがさず、日々きてます(笑)
    三田さんが袖から、歌詞カードを載せた譜面台をもってこられて、「昭和38年、39年のヒット曲メドレー」
    のコーナーへ

    イメージ 6僕らがデビューした頃に流行ってた歌を・・・村田さんから始まって三波さんまで行ってみよう!

    皆の衆(村田英雄)三人
    恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)西郷さん
    ウナセラディ東京(ザ・ピーナッツほか)三田さん
    東京の灯よいつまでも(新川二郎)舟木さん
    霧子のタンゴ(フランク・永井)三田さん
    ああ上野駅(井沢八郎)西郷さん
    涙を抱いた渡り鳥(水前寺清子)舟木さん
    東京五輪音頭(三波春夫)三人
     
    三田さんが「ウナセラディ東京」を歌ってると、上手にいた舟木さんが、ふざけて三田さんに投げキッス(笑)
    この日、初めて聴く舟木さんの第一声「東京の灯よいつまでも」には、私の耳がダンボに・・・ひときわ大き
    な拍手は、私と同じように、舟木さんの歌声をやっと聴けたという思いをこめての拍手だったんでしょう。
    「涙を抱いた渡り鳥」の舟木さんの「んにゃ」・・・これは、ついつい構えて聴いてしまいます(笑)三田さん、西郷さんも、必ず、ここでズッコケポーズ。「東京五輪音頭」では、またしても舟木さんが、なりきり三波春夫さんで、大爆笑です。「飛んでくるくる赤トンボ」の歌詩のところでは、西郷さんの赤いお衣装のジャケットの裾をつまむ舟木さん。他にも「柔」「アンコ椿は恋の花」とかありますね。オレの好きなのは、春日八郎さんの「長崎の女」と舟木さん。
     
    ここで舟木さんが、12月20日、21日の新歌舞伎座の「青春歌謡BIG3」のご案内をなさいました。チケットは9月25日発売のようですね。
     
    西郷さんが、では、ここでアニキに締めてもらわなきゃ・・・と、すると「ア、ニ、キぃ~ッ!」とボケる舟木さん(笑)舟木さんの「涙をありがとう」続けて聴きたかったァ・・・
     
     
    さて、いよいよ舟木さんのコーナーです。
     
    イメージ 7君へ心こめて (舟友のkazuyanさんの動画でお楽しみ下さい)
    http://blogs.yahoo.co.jp/uesaka679kazuo/12014596.html#12014596
     
    前半戦は、みんなでワアワアやってきましたが、僕にはひとつだけ不満がある・・・アキちゃんのコーナーが30分、テルさんが30分、デビュー当時のヒット曲メドレーが約25分・・ちょうど僕のところでお客さんがトイレへ行きたくなる・・キズつきながらやってるんです(笑)ここで静かな歌を・・最初が「初恋」、二曲目が「絶唱」
     
    初恋
    絶唱
     
    やっぱり舟木さんの抒情歌は落ち着きます。客席も水を打ったようにシーン、終わると大きな拍手。舟木さんのコンサートは、これが醍醐味でもあるんですよね。
     
     
    さっき私が、歌い始めた時に、9人がトイレへ・・そのうち7人が生還なさいましたが、あとのお二人が気になってます・・(笑)先輩から、ヒット曲は御客様からいただいた財産だから大切にしろよと言われてきました。アキちゃんも、テルさんも、もちろん大切に歌っていますが、私は、アレですからね・・「あ~かぁい~ぃゆうひがぁ~♪」とアカペラで歌い出す舟木さん・・・繰返し「あ~かぁい~ぃ・・」で客席から「ゆうひがぁ~」と歌声が後に続き、徐々に広がって「高校三年生」の大合唱。
    この演出の素晴らしさには、毎回、鳥肌が立つほど感動させられます。まさに「青春歌謡」の最高峰であるこの曲の真価が遺憾なく発揮される瞬間です。少なくともワンコーラスを知らない人、歌えない人は、同世代にはいないと断言してもいいのですから、あらためて「日本の歌・昭和の歌」なのだと痛感します。
    この大合唱の時の舟木さんの笑顔は、いつにもましてきれいで爽やかで、こちらまで幸せな気持ちにひたることができます。そして、舟木さんが歌い出すと、大きな手拍子が、フェスティバルホールに響き渡り、いつにもまして大きな感動に包まれるようでした。キャパシティ2700名という会場で「高校三年生」という歌はやっぱり一番映える歌のような気がしました。

    イメージ 8高校三年生
    学園広場
     
    このへんの歌を歌っているとお互いさまにずい分と遠くまできたなぁと・・・
    かえってこないものだからこそ、愛おしく、不思議なもので、その頃のイタかったことの方がむしろ、今、愛おしく温もりを感じる・・中でも、「はじめての恋」というやつですね・・大抵は沈没して終わる・・
    ここからは、そんな「はじめての恋」を・・「高原のお嬢さん、バラードバージョン」「哀愁の夜」、新曲の「眠らない青春」

    高原のお嬢さん
    哀愁の夜
    眠らない青春
     
     
    「青春歌謡BIG3」では、持ち時間が短い分、舟木さんが厳選なさった曲と、その構成の妙が感じられます。
    ピアノソロのシンプルで流麗な演奏からはじまり、「リーフ リーフ・・」からパーカッションが効果的に加わるアレンジが、ラストブロックのイメージをしっかりと支えて、赤と白のライトの交錯が曲調にピッタリとなじんで心地よい世界に誘ってくれます。聴きなれた「高原のお嬢さん」がこれほど新鮮で格調高いものになるんですね。舟木さんの歌唱も、歌い込まれていくごとに、「高原のお嬢さん」はバラードじゃなきゃなんて思わせるほど、どんどん進化しているように感じました。
    「哀愁の夜」は、御自作の詩の五番までの歌唱で、しっかりと格上の風情を纏ってラストブロックを飾ってく
    れます。
    新曲の「眠らない青春」は、軽やかなリズムと、感傷的な詩のコラボが、なんともシャレていて、決して古さを感じさせないのが、驚きです。かる~く、ステップを踏む、舟木さんを拝見していると、なんだか、私が舟木さんと「再会」する前に、抱いていたイメージの舟木さんは、もちろん二十歳前後の舟木さんなのですが、その頃の舟木さんよりも、ずっと若々しく感じます(笑)摩訶不思議な感覚です。
    ラストは、サックスのヴィヴィッドなドライブにニコニコしつつ「長げぇよ!」の舟木さんの一声がかかって楽しさの余韻を残しての幕です。
     
    アンコール
     
    大きな拍手の中、いったん緞帳が降りて、すぐに幕が上がり、それぞれのデビュー曲を入れ替えて歌うお三人です。
     
    「君だけを」 舟木さん
    「美しい十代」西郷さん
    「高校三年生」三田さん
    オーラスは、全員で「高校三年生」 青春歌謡の金字塔ここにあり!ですね。
     
    真夏の大阪フェスティバルホールは、青春がこぼれんばかりの熱さでした。
     
    私は、昼のみ拝見して、京都に向かいましたので、お三人のお見送りはできませんでしたが、皆さま、お疲れ様でした。また、12月には、新歌舞伎座で、締め括りの「青春歌謡BIG3」のステージを拝見できるのを楽しみにしています。
     
    「眠らない青春」について・・・
    以下は 「チャンネルNECO 舟木一夫 オン・ザ・ロード」HP 大倉明氏の「コラム」より
     -----------------------------------------------------------------------------------
    イメージ 9新曲
    序章として、舟木一夫の2014(平成26)年前半の活動の一端をお伝えしたが、本編の第1回として、今年6月18日に日本コロムビアから発売された新曲「眠らない青春/恋人形」を中心に、今の舟木一夫の歌への想いなどを綴ってみたい。
     
    新曲は新たに作った曲ではない!?■

    舟木にとって「新曲」とは新しい歌に違いはないが、必ずしも新たに作る歌とxいうわけではない。2012(平成24)年1月に発売した芸能生活50周年記念曲「明日咲くつぼみに」(作詞・永六輔、作曲・久米大作)はかつて三波春夫が歌った曲をたまたまテレビの三波春夫特集番組を見ていて「これだ!!」と閃いた曲だった。以来およそ2年半ぶりにリリースした新曲「眠らない青春/恋人形」もいわゆる新曲ではなく、舟木の長いお客さんにとっては"懐かしい歌"のひとつになる。「眠らない青春」のほうは1976(昭和51)年8月に発売された舟木のオリジナルアルバム「レマンのほとり」の中に「想い出通り」「噂めぐり」「別れの部屋」などとともに収録されている1曲。舟木に詳しいお客さんの1人によると、舟木がステージで初めてこの曲を歌ったのは同年8月8日に大阪・御堂会館で開かれた後援会主催の「第一回ふれんどコンサート」だったという。「恋人形」も同じころに作ったものだが、これまでレコーディングはしていなかった。
     
    複数のペンネームで作詞・作曲
    アルバムを見ると、「眠らない青春」は「作詞・里中さとる、作曲・岩鬼まさみ」となっている。当時大人気だった野球漫画「ドカベン」(少年チャンピオン)に登場するドカベンこと山田太郎の仲間、里中智と岩鬼正美と同じ名前だ。まさかがまさかでないのが舟木流。案の定、舟木自身が漫画の原作者・水島新司に直接電話して「使ってもいいですか」と了解をとったのだという。水島からの返事は「一向に構いませんよ」だった。「あしたのジョー」(少年マガジン)の大ファンでもあった舟木らしいシャレといっていい。実は舟木は里中さとる以外にも何曲かを異なったペンネームで作詞・作曲している。最初が「残雪」の作詞・高峰雄作。舟木が作詞することを知った島倉千代子が「私にも是非作って!」ということになり、のちに作詞・高峰雄作で島倉にプレゼントしたのが「慕情はかなく」だこのほか、「恋唄」では作詞・すずきじろう、アルバム「WHITE」では全曲で作詞&作曲・上田成幸(本名)が使われている。ちなみに、今年6月発売の「眠らない青春」は、「作詞・舟木一夫、作曲・川崎浩史」に変わっている。

    イメージ 10■"寒い時代"の中で生まれた曲
    1976年8月というと、舟木31歳。ヒット曲もテレビ出演もほとんどない"寒い時代"あるいは"寒い季節"の足音が聞こえ始めたころで、その2年後からは毎年1、2枚のシングル、アルバムを出す程度で、表舞台から完全に姿を消すようになり、お酒も飲めないのに、毎晩、フォークソング・グループのメンバーらと朝まで遊び回るという日々が続いた。たまに仕事のお呼びがかかると、自らカラオケとハンドマイクを持って単身で現場まで駆けつけていた。一世を風靡した大スターの姿ではなかった。しかし、舟木一夫という歌手のすごいところは、そんなことがあっても他の仕事に転職するとか芝居に転向するなどという考えは微塵もなく、しかも「歌」を忘れることはなかった。というより「歌」から離れることができなかった。等身大の自作の歌を作っては後援会員のためのコンサートで披露、一方のお客さんも後援会を中心に決して舟木を見捨てることをしなかった。「眠らない青春」もフォークグループ「フリー・ランサー」のリーダーだったヒロこと川崎浩史と「誰が歌うということもなく、ここんとこの展開はこうしようなどあれこれイタズラしていて出来た曲」(舟木)だそうで、メロディーを先に作り、サビのところに取り掛かった時に2番の歌詞にある「逝く春の哀しさを胸深く抱きとめて...」というフレーズがぽーんと出てきて、その"痛さ"を全体に広げてマイルドな歌詞に直しながらまとめていったという。
     
    ~以下は、春日局の付記です~
    イメージ 11慕情はかなく 昭和43年(1968)
    作詩:高峰雄作 作曲:市川昭介 
    http://recochoku.jp/song/S22389406/ 
    ワンコーラス目の半ばくらいまで試聴できます。
     
    島倉さんの声にとってもよく合う抒情性にあふれた詩です。舟木さんの歌唱で是非、聴いてみたいです。

    さよならも 告げずひとりで
    あの人は いつかどこかへ
    旅をゆく風よ 唇の 紅の香りを
    運んでください あの人に
     
    イメージ 12背伸びして 涙ぐんでも
    あのひとは いつかどこかへ
    旅をゆく風よ 黒髪を そっと一筋
    運んで下さい あの人に
     
    いつの日か きっと帰ると
    あの人を 胸にだきしめ
    旅をゆく雲よ 泣かないで 待っていますと
    伝えてください あの人に
     
     
    ← 作曲の市川昭介氏と島倉さんと
     「絶唱」の作曲者市川氏とのコンビの曲なんだ!                                                             
     
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    オマケ・・・写真でたどる、大阪、京都の二日間
    大阪に出るなら、やっぱり京都にも足を伸ばしたくなる私です。ホテルを二泊京都にとり、京都を足場にして関西の2日間を楽しみました。メインは、いうまでもなく、もちろん、舟木さんですけどね。
     
    8月4日  
    イメージ 14「浪漫図案展」  大阪くらしの今昔館  
    地下鉄・天神橋筋六丁目駅直結
    http://konjyakukan.com/ 公式サイト
     
    夏休み文楽特別公演 国立文楽劇場 大阪日本橋 
     
    現在、国立文楽劇場での文楽公演は1月の初春公演、4月の文楽公演、10月か11月の錦秋公演が、昼と夜の二部制公演で、今回の7月から8月にかけての夏休み特別公演は、三部制となっています。そして、その第一部は「親子劇場」と銘打って、小中学生の子供たち向けの演目が並びます。私が、初めて文楽を観たのは末娘が小学校四年生の時に、出かけたこの親子劇場でした。それ以前から、せっかく文楽発祥の地である大阪に暮らす縁を得たのだから、一度は観てみたいと思っていたので、娘をダシにしての鑑賞でした。初心者ですから、子ども向けの演目の方が馴染みやすいと思ったというのも一因です。
     
     
    イメージ 15ちなみに今年の「親子劇場」の演目は・・・
    かみなり太鼓 (新作文楽) 
    作者:小佐田定雄 作曲:鶴澤清介 演出:桐竹勘十郎 作調:望月太明蔵
    ・解説 ぶんらくってなあに
    太夫解説:芳穂大夫 人形解説:簑紫郎
    ・西遊記
    初演:文化13年(1816)7月
    改作作者:山田庄一 作曲:竹澤團七 作調:望月太明蔵
     
     
     
     
    イメージ 16私が鑑賞したのは、第二部の名作劇場と第三部のレイトショーです。

    第二部 名作劇場
    ・平家女護島(へいけにょごのしま)
    「鬼界が島の段」
    作者:近松門左衛門
    初演:享保4年(1719)8月、大坂竹本座

    ・鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)
    作者:近松門左衛門
    初演:享保2年(1717)8月22日、大坂竹本座

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    第三部 レイトショー
    女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく
    作者:近松門左衛門
    初演 享保6年(1721)大坂竹本座
    8月4日は、文楽鑑賞のあと、大阪日本橋から京都に向かい、ホテルで一泊して、翌日は「青春歌謡BIG3」へと・・・舟友さんたちと、「入待ち」ために、早目に待ち合わせをしました。場所や時間など詳しく調べて下さった舟友さんに感謝です。ありがとうございました。「入待ち」でステキな舟木さんを拝見した後は、皆さんと楽しくミニOFF会でお茶とお喋りを楽しみました。私は、昼の部のみ拝見して、京都に戻り、久々の京都での落語会へとGO!
     
    8月5日  第287回桂米朝落語研究会  安井金比羅会館  京都東山安井
     
    イメージ 18桂米朝師匠が一門の若手落語家の勉強のために半世紀近く前から続けていらっしゃる、その名も「桂米朝落語研究会」、歴史ある落語会で、この日は287回。2ヶ月に一回開催なので単純計算すると・・・今年で48年目ということになります。関西在住の頃は、一年に数回は行っていたので、懐かしい落語会です。
    米朝師匠が、高座の脇の、廊下で椅子に腰かけて、若手の落語を聴いていらっしゃる姿も2回ほど拝見しました。この落語会は、一門の皆さんが一番緊張なさるというので有名でもあり、初高座がこの会だという落語家さんも、多くて米朝一門の皆さんにとっては「特別」の会なのです。
    しかイメージ 19も、八席聴いて1500円という破格の木戸銭という落語ファンにはとっても嬉しい会でもあります。
     若手の落語家の成長ぶり、精進の結果が、見られることも楽しみで、お客さんは若手が育っていく姿をあたたかく見守っているという空気があふれています。だいたい、偶数月の第一週目の平日開催となっています。今回、タイミングよく「青春歌謡BIG3」と併せて、スケジュールを組むことができました。
     
     
     
     
     
    京の七夕祭り  8月2日~11日開催 
     
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    「出待ち」前に、大阪中之島界隈を散歩・・・暑かったぁ~! でも、このあたりは、大好きなスポットです。
     
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    中央に見えるのがフェスティバルホールのビルです。楽しかった真夏の関西プチ旅行

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    七月
     
    7月4日   大阪メルパルクホール ふれんどコンサート
    7月5日   大阪松竹座 七月大歌舞伎 昼の部
     
    7月26日  名鉄ホール 柳家小三治独演会
            「宿屋の富」「天災」   
     
    八月
     
    8月4日   国立文楽劇場 夏休み文楽特別公演         
                       ~近松門左衛門没後290年記念企画~ 
            第一部「平家女護島」「鑓の権三重帷子」
                    第二部「女殺油地獄」
     
    8月5日   大阪フェスティバルホール  青春歌謡BIG3 昼の部
    8月5日   京都安井金比羅桂米朝落語研究会 18時開演
     
    8月10日  桑名市民会館小ホール 柳家三三独演会 三三らくごin桑名vol.5
     
     
     
    九月

    9月2日~24日 新橋演舞場・舟木一夫特別公演 
    スケジュール確定 

    9月2日(火)昼 初日
    9月3日(水)夜 
     
    9月10日(水)夜(みんなde舟木)
    9月11日(木)昼
     
    9月16日(火)昼
    *終演後にトークショー(ぽけかる倶楽部)
    9月17日(水)夜
    9月18日(木)昼
    9月18日(木)夜(みんなde舟木)
    9月19日(金)昼
    *終演後にトークショー(高島屋友の会主催)
     
    9月23日(火祝)昼
    9月24日(水)昼 千秋楽
    9月24日(水)夜 千秋楽
     
     
    9月2日(火)新橋演舞場・舟木一夫特別公演 初日昼
    9月3日(水)竹久夢二美術館・弥生美術館
    9月3日(水)新橋演舞場・舟木一夫特別公演 夜
     
    十月
     
    10月28日~ 中日劇場・舟木一夫特別公演 
    スケジュール他未定
     
    10月28日(火)12:00 初日
    10月31日(金)16:00
     
    十一月
     
    ~11月15日 中日劇場・舟木一夫特別公演 
    スケジュール他未定
     
    11月15日(土)11:00 千秋楽
     
    十二月
     
    12月14日(日) 中野サンプラザ 
    舟木一夫コンサートファイナル (14:30/18:00)
     
    12月21日(日) 新歌舞伎座
    青春歌謡BIG3 (13:00/17:00)

     

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    先ずは、台風の被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。三重県の状況がテレビなどで大きく報道されましたが、おかげさまで、地元では大きな被害は、ありませんでした。午後1時半開演予定の地元の市民ホールでの落語会も15分開演が遅れたものの開催されましたので、強風の中でしたが、楽しんでくることができました。終演時刻には、雨も風もおさまりました。お見舞いのメールなどを下さった皆様に、深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
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    さて、タイトルに掲げましたが、九月の新橋演舞場公演まで、あと一ヶ月をきりました。皆さん、もう心は演
    舞場に飛んでいらっしゃることと思います。私も、もちろん、そわそわと落ち着かない気分です。
    特にお芝居の「天一坊秘聞~八百万石に挑む男」が気になりますね。
    舟木さんが演じられる山内伊賀之亮とは、どのような人物として描かれるのか?先ず、そこが一番の関心事です。
    娯楽時代劇には、大きく分けると、架空の人物を中心に繰り広げられるものと、歴史上の人物をモデルにして創作の部分を膨らましたものがあると思うのですが、昨年の「花の生涯~長野主膳ひとひらの夢」と同様、今回の作品も、八代将軍・徳川吉宗を取り巻く様々な出来事や、人々に題材をとったものということですからより興味がわいてきます。
     
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    今回の舞台作品も、昨年の「花の生涯」と同じ斎藤雅文氏の脚本とのことですが、1961年公開の映画「八百万石に挑む男」(脚本:橋本忍)をベースにしたものと聞いています。そして、この映画の原作となっているのが柴田錬三郎の「天一坊秘聞」ということなので、原作にあたってみたいと思い、調べてみましたが絶版になっているようで、amazonや、オークションなどでも見つけることができませんでした。
    *天一坊秘聞 実録時代小説 第1(偕成社 1954年) 柴田錬三郎著  (「八百万石に挑む男」原作) 
     
    それで、天一坊事件を描いている小説をチェックしてみたところ、「天一坊秘聞」の原作者である柴田錬三郎氏が書かれた「徳川太平記 吉宗と天一坊」(上・下)という作品を見つけました。
     
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    舟木さんが演じられる舞台作品の「天一坊事件」、あるいは、伊賀之亮像、天一坊像などとは、少し離れたところでの、私の勝手な興味にすぎませんが、この「徳川太平記」に登場する伊賀之亮という存在が、あまりにもシュールで面白く感じましたので、ご紹介させていただきます。
     
    徳川太平記  柴田錬三郎 文藝春秋新社 1965 (のち文庫、集英社文庫)
    柴田錬三郎(しばた れんざぶろう、1917年(大正6年)3月26日 - 1978年(昭和53年)6月30日)
    日本の小説家、ノンフィクション作家、中国文学者。本名は齋藤 錬三郎(さいとう れんざぶろう)。シバレン(柴錬)という通称でも名高い。
    歴史小説に新風を送ったことで業績は名高い。『イエスの裔』は芥川賞と直木賞の両方の候補となったが天秤にかけて直木賞を受賞し、その後選考委員となる。代表作に『眠狂四郎』『御家人斬九郎』『水滸伝』『徳川太平記』など多くがあり、戦国・幕末を扱った作品が多く、剣客ブームを巻き起こした。
     
     
    山内伊賀之亮と山内伊賀之介
     
    9月の演舞場公演「天一坊秘聞~八百万石に挑む男」のチラシや、その他の情報では、舟木さんが演じるのは「山内伊賀之亮」となっています。「徳川太平記」を流し読みしてみると上巻で登場する伊賀之亮は、「伊賀之介」となっているのです。「はてな?」と疑問を抱きつつ、読み進んでみると、この伊賀之介は、なんとも冷酷無比で、利己的で、とってもとっても「やな奴」なんです。そんなはずはない・・・舟木さんが、そんな男を演じるなんてことは絶対に有り得ない!・・・と少々ムカつきながら、さらに読み進んでいくと・・・・・・下巻で、思わぬ展開になっていくのです。

    以下、物語のあらすじを、簡単に、まとめてみました。

    太平の元禄時代、紀州藩次席家老の子息(実は養子)加納新之助は、次席家老の姪である多藻と契りを交わす。新之助は家康の曾孫でありながら、よんどころなき事情で、元服まで加納家に養われていたのだ。懐妊した多藻に新之助は、血筋を証明する一文と葵の紋のついた短剣を手渡す。多藻は、江戸の裏店で男の子を生む。隣家の浪人が山内伊賀之介で、多藻が産気づき、伊賀之介が産湯をつかわせる。幼児は新太郎と名づけられた。伊賀之介は、権勢を備えた武家、大商人に対する憎悪を胸中にひそめ、彼らに一太刀あびせた刹那の血ぶるいと生き甲斐にしていた。新太郎が、御落胤であると知った伊賀之介は、多藻に迫り、抵抗する多藻を誤って殺してしまう。そして、いずれ、御落胤である新太郎を利用しようとする企みを隠して、十五歳までの約束で大商人・紀伊国屋文左衛門に預けるのだった。
    後に新之助は三万石の領主となり、さらに天下人にまでのぼりつめる。新之助は吉宗と改名。八代将軍の座に就いた。新之助の幼馴染みの大岡忠助は自ら願い出て、江戸町奉行となり、改革を実行する吉宗を助ける。一方、紀文が伊賀之介から預かった幼児は、成長し、天一坊と名のった。
     
     
    このあたりまでが、上巻です。上巻に登場する「伊賀之介」は、最低最悪ですよね。
    ところが、下巻で、登場する浪人・神矢主膳・・・あらら、主膳なのです。「花の生涯」では、長野主膳(笑)
    ・・・この主膳が、悪漢の山内伊賀之介を倒して、その姓名を継ぐと同時に、天一坊の後見役も引き受けることになるのです。名を伊賀亮(この小説では「伊賀之亮」ではなく「伊賀亮」です)と改名します。実は、こ
    の改名にも、含みがあることが、この小説では不吉な伏線としてほのめかされています。
     
    さて、この主膳=伊賀亮という人物は・・というと、やっと舟木さんが演じられるにふさわしい人格高潔な武人として描かれていて、「そうでしょ!そうじゃなきゃぁ・・」と大納得しました(笑)これで、ひと安心です。
     
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    「徳川太平記」では、「ワルの伊賀之介」から天下を覆す悪しき野心・野望を叩き込まれた天一坊に、伊賀亮(=主膳)が、以下のように言う場面があります。(抜き書き)
    --------------------------------------------------------------------------------------
    伊賀亮
    「お主、紀州候の落胤たることを、忘れるわけにはいかぬか?」
     
    天一坊
    「おのが素性を隠す必要はない!其許(そこもと)は、山内伊賀之介という姓名を継いだからには、その遺志も継ぐべきだろう。小父上は、それがしが元服のあかつきは、紀州吉宗公と父子対面をさせる、と約束されていた。其許は、亡き小父上に代わって、それがしを、父上に対面させる義務ができたのだぞ!」
     
    天一坊は、伊賀亮(=主膳)が忠告しようとすることを、逆に封じて、つめ寄ってみせた。
     
    ---------------------------------------------------------------------------------------
     
    上巻が550P、下巻が533Pという長編なので、とにかく伊賀之亮(あのムカつく伊賀之介の場面も)が登場している部分だけを、まず拾い読みしているのですが、それでも目がチラチラします(笑)
     
    しばらく、抜き読みした部分をすこしずつでも、連載でアップしていこうと思っています。
    実際の舞台の脚本も、もうそろそろ最終稿が上がってきて、本読みから立ち稽古に入っていくのでしょうね
    どんな、伊賀之亮を見せて下さるか、ワクワクします。
     
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    台風一過・・こちら三重県北部では、もうギラギラと照りつける真夏の日差しが戻ってきています。
    台風で2日間、延期されていた「夏の高校野球」(第96回全国選手権大会)、本日8月11日に開幕しまし
    た。スポーツ全般には、あまり関心がない私でも、さすがに「高校野球」は、別物で、汗と泥にまみれた高校生たちの姿には、胸打たれ、スポーツ観戦ということとは離れて応援したくなります。
     
                          2014年8月11日 グランドに飛び出す、ナインたち  
     
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    さて、舟木さんが、「高校野球」について語っていらっしゃる文章がありますので、ご紹介しますね。
    今から30年ほど前の舟木さんが、思う「高校野球」・・・今もなお、変わらない舟木さんの「青春」への深
    い憧憬や愛おしさ、そして自分らしく生きて行くための「背骨」など、舟木さんの想いがにじみ出ている、す
    てきな文章だと感じます。文のラストのテレ隠しなど含めて、ほのぼのとしますね。
     
    イメージ 2~「酔ってSINGER~青春病大騒ぎ」(1983年青山書房)より~

     高校野球
     
    夏なんだな・・・とオレが実感を持つのは、自然の変化もさることながら、高校野球だ。
    あのムードは、”青春真っ只中”以外の何ものでもないという感じで、実にいい。野球の好き嫌いに関係なく、大勢の人々が目と耳を向ける原因が、なんとなく判る気がする。最近はあれこれお金がかかりすぎているらしいというのがちょっと気になるけどサ。
     
    高校野球を見るたびにオレが想うことは、やっぱり何歳になっても、何事につけても一生懸命みたいなものは必要不可欠のものなんだナということだ。
     
     
    仕事は結果だ、とは言うものの、やはりその過程にはその人、その人のムードが欲しいなと思ったりする。
    生きることに”勝ち””負け”はつきものみたいに言われるけど、他人との比較で勝ったの負けたのよりも、その人らしい生き方、勝負の仕方が実はもっとも大切な事のような気がする。
    思いがけない”勝ち”がころがり込むこともあれば、全力を尽くして”一敗地にまみれる”こともたくさんあるんじゃないだろうか。
     
    イメージ 3背伸びをせず、妙な劣等感など持たず、自分にできる限りでの夢を追い、相応に生きる・・・それも幸せの確実なひとつの形であることに違いはないような気がする。
    甲子園で優勝すること、それは彼らすべての夢だろう。その夢を頂点において、地区予選を初めとして一試合、一試合を戦い続けて行く。勝者があれば、当然敗者がある。けれど、他の何かを考えながらでは満足なプレイなどできないだろうし、ましてや勝者にはなれないだろう。
     
    とにかく夢中になること。それ以外に道はないし、そこに”勝ち”"負け”に匹敵する、いやそれ以上の何かがきっとあるはずだ
    ・・・何かに懸命になる。そして、そのこと自体にかけがえのない愛しさを覚えるのはオレの若さだろうか。
    オットット、どうでもいいけど、”ちょっと”じゃなくやたら真面目な話になっちゃったみたいだナ・・・仏滅、仏滅。
     

    涙の敗戦投手 作詩:丘灯至夫 作曲:戸塚三博イメージ 4
    http://www.youtube.com/watch?v=1R8wkj4Hu4s
     
    みんなの期待 背にうけて
    力のかぎり 投げた球
    汗にまみれた ユニフォーム
    だけど敗れた 敗戦投手
    落ちる涙は うそじゃない
     
    味方と敵に 別れても
    斗いすめば 友と友
    勝も負けるも 時の運
    肩をたたいて 手に手をとろう
    いつか笑顔で また逢おう
     
    夕陽が沈む グランドに
    希望の歌を 歌おうよ
    泣いて口唇 かみしめた
    夢も生きるぞ 敗戦投手
    明日は輝く 朝がくる 

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    「徳川太平記 吉宗と天一坊」(柴田錬三郎作)で描かれている山内伊賀之亮(伊賀亮)像を、物語の中で追っていくと、私としては、自然と舟木さんの山内伊賀之亮のイメージに重ねることができるので、私の苦手な長編ですが、気を良くしてぼちぼちと読み進んでいます。
     
    「天一坊秘聞~八百万石に挑む男」舟木さん演じる山内伊賀之亮とは~「徳川太平記 吉宗と天一坊」その1」
     
    タイトルに掲げたテーマで、毎回、少しずつ、この作品の抜き書きを連載でアップしていこうと思いますが、
    その前に、九月の演舞場公演「八百万石に挑む男~天一坊秘聞」は、1961年に公開された映画「八百万石に挑む男」の脚本をもとに、斎藤雅文氏が、あらたに今回の舞台作品として脚色されたものであるとのことですので、映画についても、少しだけ調べてみました。写真は下記の書籍より転載させていただきました。

    イメージ 1~ムービーウォーカーより~
    八百万石に挑む男 (東映 1961年9月13日公開)
    http://movie.walkerplus.com/mv20258/

    スタッフ
    監督:中川信夫
    脚本:橋本忍
    音楽:渡辺宙明
     
    キャスト
    山内伊賀之亮:市川右太衛門
    天一坊:中村嘉葎雄
    大岡越前守:河原崎長十郎
    松平伊豆守:山村聡
    吉宗:徳大寺伸 
     
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    あらすじ
    東海道は金谷の宿場。賭場で負け続けの若者が懐中から短刀を出した。用人棒の赤川大膳の眼が光ったのも道理、紀州家に伝わる家宝の品である。大膳は仲間の藤井左京とその出所を追求するが、若者はさらにお墨付を出して将軍吉宗の落胤だといった。本人の真疑はさておき、短刀とお墨付は本物と睨んだ左京は、美濃の国常楽院の伯父天忠の許へ若者を伴った。
     
     
    イメージ 3話はこの若者宝沢が紀州の永寿寺にいた昔に遡る。当時十三歳の宝沢は幼い頃、祖母から短刀と手紙を見せられた記憶がある。それを聞いた友の柳沢は、本堂の須弥壇の中でそのを見たと告げた。深夜、宝沢はそれを盗み出したが手燭が床に落ち、本堂は焼け落ちた……。常楽院の大忠宝沢、すなわちこの若者に天一坊の尊号を与えた。折も折、天忠の友で元は九条関白家にその人ありといわた山内伊賀之亮が訪ねて来た。天一坊と対座した伊賀之亮は、彼が贋物なら天下の徳川相手に乗るか反るかの大勝負を挑むべきだといい放った。天一坊の腹は決った。伊賀之亮はただちに土地の豪農豪商に働きかけて資金を集め、天一坊を儀式に慣れさせると同時に、案山子同然の大阪奉行、京都所司代らを相手に御落胤を名乗り出て、天下の耳目を驚かそうという巧妙な作戦を立てた。
     
    イメージ 4大阪に発つ前夜、天一坊は強欲な商人武州屋が夜伽に差し出した娘ぬいに、一夜の情をかけた。伊賀之亮の計画は見事に当り、天一坊の美々しい行列は大阪、京都を経て、江戸は八ツ山に入った。すでにわが事成れりと喜ぶ天忠らにひきかえ、伊賀之亮は真の勝負はこれからだと思う。というのも、知恵袋といわれる老中松平伊豆守と名奉行大岡越前守の実力を知っているからであった。果して伊豆守は、その真疑に拘らず天下騒動の基因ともなりかねない天一坊を、贋物として処断する腹なのだ。伊豆守の役宅で越前守と会った伊賀之亮は二人の心底を見抜き、すでに敗れたことを知った。その夜、天一坊の宿舎に幼馴染の柳沢が訪ねて来たが、事の露見を恐れて左京が斬り伏せた。苦しい息の下から柳沢は、天一坊こそ本当の落胤だと告げた。しかし、このとき江戸周辺は、越前守の采配によって蟻一匹這い出す隙もなく固められているのだった。伊賀之亮は最後のはなむけとして、天一坊に乾坤一擲の智恵を授けた。天一坊はわが子を宿して尋ねて来たぬいを冷たく振り切り、死の親子対面に向うのだった。
     
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    この映画も私は、観ていませんので、原作、あるいは映画を御覧になった方がいらしたら、また感想など教えていただけたら嬉しいです。

    この映画で山内伊賀之亮を演じられたのが市川右太衛門さんです。

    市川右太衛門(いちかわ うたえもん、1907年2月25日 - 1999年9月16日)
    歌舞伎役者、映画俳優。本名は淺井善之助(あさいぜんのすけ)。戦前・戦後を通して、時代劇映画スターとして活躍し、映画主演総数は300本を超える。愛称は「右太さん」。息子は俳優の北大路欣也である。
    1907年(明治40年)2月25日、大阪府大阪市西区に生まれる(香川県丸亀市生まれの説もある)。祖父が坂出市の旧家の出で、生家は鉄工所を経営していた。5歳のときから日本舞踊上方舞の山村流を習い始める。6歳の時、子役として中村扇雀(初代)一座に借り出され、『菅原伝授手習鑑』に菅秀才の役で出演し、初舞台を踏む。
    小学校卒業後、上方歌舞伎「所作事」の第一人者・2代目市川右團次の門に移り、市川 右一(いちかわ ういち)の名をもらう。のち中村扇雀が座頭の関西青年歌舞伎の一員となる。屋号は「高島屋」で、主役を張って人気を集めた。ちんこ芝居と呼ばれた関西青年歌舞伎では、いずれものちに映画界に移る市川百々之助、林長丸(長谷川一夫)、嵐徳太郎(嵐寛寿郎)とともに、四人そろって腰元役で舞台を踏んだこともあった。やがて『勧進帳』の武蔵坊弁慶など大役も任せられるようになったが、門閥出身ではないため出世には限界があった。
    1925年(大正14年)、歌舞伎界の若手俳優を、自ら主宰する映画会社マキノ・プロダクションに迎えようと考えていた牧野省三が右一の評判を聞き、「主演者」として映画入りを誘う。18歳の右一はこれを受け、阪東妻三郎が去った後のマキノ・プロダクションへ入社。名前も市川右太衛門と改名して『黒髪地獄』(沼田紅緑監督)で映画デビュー。翌1926年(大正15年)にかけて、『快傑夜叉王 前・後篇』『孔雀の光』『春日山の月』などの沼田監督作品に出演し、阪妻に次ぐ人気俳優となり、月形龍之介と合わせて「マキノを担う両星」と謳われた。
     
     
    では、私の独断と偏見で切り取った、伊賀之亮が登場する場面を少しずつですが、ご紹介します。
    伊賀之亮登場は、下巻の冒頭からです。ひとつ前の日記で、字の違う「伊賀之介」について掲載していますが、こちらの伊賀之介は、主に上巻で、「天一坊事件」を引き起こす謀の発端となる人物として登場します。ちょっと複雑な展開ではありますが、上巻、下巻、それぞれで、描かれたふたりの「いがのすけ」という人間の対比もまた、この「徳川太平記 吉宗と天一坊」という小説の面白さの大きな要素となっていると思います。「舟木・伊賀之亮」として、イメージできる下巻の伊賀之亮を描いた部分を抜き書きします。
    では、上巻、下巻の脈絡をわかりやすくするために、下巻の「伊賀之亮」が、登場する直前の、上巻のラストシーンを、まずは、掲載します。
     
    ~「徳川太平記 吉宗と天一坊」(柴田錬三郎作) 集英社文庫より~抜き書き(春日局)
    上巻の最後の部分 ここは、まだ、悪党の「伊賀之介」ですよ(笑)
     
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    伊賀之介が、天下の豪商、紀伊国屋文左衛門に、その養育を託した赤児は少年期に入る年令に成長していた。その間に、伊賀之介の野望と企みを知った、大岡忠助が、紀文(紀伊国屋文左衛門*以下紀文)のもとに向かいことの真相は隠したままで、伊賀之介の手に天一坊を渡さないために、どこか遠くに送って育ててもらえないかと申し入れた、しかし、その時、すでに、天一坊は伊賀之介に拉致されて連れ去られてしまっていたのだ。それから一ヶ月後、吉宗は、紀州入りすべく千二百人の行列を連ねて、箱根を越え、大井川を渡って行った。蓮台に乗っていく吉宗の姿を遠くから眺めている群衆の中に、ひとりの浪人者とかの少年の二人連れがいた。
     
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    父子薄縁
     
    伊賀之介「お前が、あの大名の落胤であるという証拠の品をおれは持って居る」
    天一坊「………?」
    伊賀之介「お前は、まぎれもなく、あの大名の子だ!」
    天一坊「本当ですか、小父どの?」
    伊賀之介「本当だ!あの大名を、よく見おぼえておいて、忘れるな」
    天一坊「………小父どの、もし本当なら、今でも、会うてもろうてもいいのですか?」
    伊賀之介「今は、いかぬ。今、名のり出ても対手にはされぬ。対面を願い出るには、願い出るように、こちらも、それ相応の格式を備えねばならぬ。……五年、いや十年先のことになろうか」
    伊賀之介は、その時の光景を思い描きながら、対岸へ渡りついた吉宗の姿を、なおも、じっと見戍っていた。
     
     
     
     
    ~続いて、下巻の冒頭部分より~抜き書き(春日局)
     
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    貞女誘拐
     
    豪商・紀文のもとから浪人、山内伊賀之介によって連れ去られた天一坊は、京都、醍醐の真言宗本山である山伏寺に預けられ、十五歳を迎えていた。五月五日の端午の節句に、上加茂では、その年元服した十五歳の少年を選んで「競い馬」を催す。この騎手に選ばれるのはたった二人。天一坊も名乗りをあげ、二人のうちの一人に選ばれた。もう一人は、京都所司代与力筆頭の子息・蒔屋参之助である。山伏寺の大僧都に、「競い馬」の許しを願う天一坊だったが、大僧都は首をたてに振らない。互いに譲り合わない二人だったが、とうとう「競い馬に出るからには、勝たねばならぬ!」と言ってしまう大僧都であった。天一坊は、その大僧都の言葉を逆手にとり、「勝利を得るためには、その手段を選ばずとも、かまいませぬか?」と詰め寄る。十五歳の少年に、堂々と言いたてられ、大僧都は返答にとまどう。そして「後日の悔いとせず、おのが身を滅ぼす因(もと)とならぬのであれば、勝つべき手段を講じるのはやむを得まい」と答えてしまう。
    天一坊の「手段を選ばぬ」という画策は、蒔屋参之助の姉である春菜を、「競い馬」の前夜、拉致し、参之助の心に動揺を与えるという「卑劣な手段」であった。
     
     
    競馬無情   この項で、いよいよ、のちの「伊賀之亮」こと神矢主膳の登場です。

    この日、五月五日早朝。木津の巽三十町ばかりにある瓶原(みかのはら)、ここから加茂渡し口に至る清美川原には、人々が集まってきていた。加茂神社の「競い馬」はここで催される。
    陽が射し染めた頃、天一坊が現れた。天一坊は、白袴を脱ぎ、白衣を捨てて社前の井戸の釣瓶を把ると「南無……」と唱えて頭から無造作に汲み上げた水を被った。七度繰返し、からだを拭こうと視線を祠に向けると人の気配が、そこのあった。いかにも尾羽打ち枯らしたという風体の浪人者であった。祠の中で寝ていたのを、水垢離の音で、目を覚まされたに相違ない。天一坊は浪人者の視線が、おのれの裸身に鋭く刺さるのを覚えた。
     
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    天一坊「なんだ?」
    主膳「いや、ただ、お主を眺めているだけだ」
    浪人者は答えた。無精髭のせいか、年の頃ははっきりせぬが、声音は若く爽やかであった。
    天一坊「ただ、眺めているだけにしては、目つきが尋常ではないぞ」
    主膳「尋常でないのは、そちらだろう。まるで、神経が、琵琶の弦のように、張り詰めて居る」
    天一坊「わかるか?」
    主膳「それほど露骨に四肢のはしばしにまで見せて居ればな」
    浪人者は、ゆっくりと降りてくると、天一坊の前に立った。
    主膳「これから果たしあいでもするのか?」
    天一坊「清美川原の競い馬に出る」
    天一坊は昂然と、頭を立ててこたえた。
    主膳「競い馬?なんだそれは?」
    天一坊「加茂神社の競い馬を知らぬのか、お前は?」
    主膳「知らんな、そんなものは…」
    天一坊「世事にうとすぎる」
    主膳「丹波の山奥から、降りてきたばかりだ」
    天一坊「お手前は、兵法者か?」
    主膳「そんなところだ。……競い馬に出るのに、なぜそのように…果たしあいでもするように、緊張せねばならんのだ?」
    天一坊「ただの競い馬ではない」
    天一坊は説明した。
    主膳「自信ありげに見えるが、対手(あいて)に尋常の心得さえあれば、お主を仆すのに、なんの造作もない」
    浪人者は、笑いながら、言ってのけた。
    天一坊「なに!」
    天一坊は、浪人者を睨みつけた。浪人者は、天一坊のあふらせた殺気など、歯牙にもかけぬ様子で「あゝ、腹がへったなぁ…水でも飲むか」と井戸へ寄った。天一坊は、浪人者が身をこごめて水を汲み上げた釣瓶へ口をつけるのを見戍るうちに、一瞬、凶暴な衝動にかられて、かたわらの百日紅の樹へ立てかけておいた刀をそっと把った。「えいっ!」満身からの気合いを発して浪人者の背中へ一太刀あびせた。
    いや、あびせかけようと、大上段から振り下ろした刹那、浪人者が、その姿勢のまま、釣瓶の水を、おのが頭上を越えて天一坊にあびせる方が、間一髪の差で速かった。天一坊は、顔面へしたたか水をくらって棒倒しに地べたに五体をひびかせた。
     
    浪人者は、はね起きた天一坊へにやにやしながら
    主膳「わかったか、若いの。お主は、おのが殺気の凄まじさで、おのれに敗れたのだ。鳥やけものは、敵を警戒する本能の敏感さにおいて、人間にまさって居る。それを獲るのは人間の狡猾な知恵だ。こっちも、獲ろうとする本能をむき出して、襲って行けば、鳥やけものは、なんの造作もなく逃げてしまうの。お主が、もし競い馬の対手に勝とうと思えば、勝とうとする気持ちをすてることだな」
     
    ~中略、以降は、「競い馬」の場面~       画像は「源氏物語手鑑」  
     
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    ~古式競馬について~
    その歴史を大宝元年(701年)に遡れるという。続日本書紀にその記載がある。平城京遷都後の奈良時代では史料が見つからないが、平安時代に入ってからは、藤原道長の日記である”御堂関白記”などに具体的な記述があり、五月五日の端午の節句の際、宮中でくらべ馬が開催された。また、宮中だけではなく、摂関家がくらべ馬の大会を催し、天皇が行幸されたらしい。とくに道長は相当な競馬好きだったらしく、自邸で開催していた。

    二騎は、しばらく馬首をそろえて疾駆した。参之助も天一坊も、容易には的に一撃をくれなかった。やがて参之助が、隙でも発見したか、誘われたか、手槍を、突きくれた。天一坊はそれを、はねかえした。白刃の閃きに群衆は熱狂して叫んだり、はねあがったり、押しあったりした。参之助が馬上に躍りあがるようにして突く天一坊が、これを払う、この闘いが数度繰返された。天一坊は反撃しなかった。
    もし、あの浪人者に出逢っていなければ、天一坊は、はやく勝利をわがものにしようと躍起な攻撃をしかけたに相違なかった。天一坊は、落ち着いて無表情の顔を、対手に向けたまま、攻撃を待っているだけであった。
     
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    結局、天一坊は、対手である蒔屋参之助の姉を、かどわかし一夜拉致することで、参之助に精神的な打撃を与えるという卑劣な手段を用いたのですが、結果としては、神矢主膳に勝負の直前に出逢ったことで、「競い馬」に勝つことができたという筋運びになっています。
     
    この後、神矢主膳は、天一坊から、打ち明けられた策謀の後始末のために、参之助の姉・春菜が拉致されている瓶原の西方、鹿背山のふもとの草堂に向かい、春菜を救い出します。しかし、参之助は、天一坊に敗れた上、姉を拉致したのは自分であると、聞かされて衝撃を受け、恥辱にまみれた身では将来への望みはないとはやまり、切腹をして果てます。参之助は、将来を嘱望され出世の道を約束された若者で、ことに姉・春菜は、父母の亡き後、蒔屋の家を盛り立ててくれるであろう参之助だけを生きがいにして24歳の年まで親代わりとなってきたのです。自分の命に代えても弟の仇討をしようと覚悟を決め、主膳に「一太刀で敵を仆すすべ」を指南してほしいと懇願するのでした。
     
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    こういう展開になってくると、もう、神矢主膳(=後の山内伊賀之亮)は、どうしても舟木さんのイメージと
    重なってしまいます。
    この後も、舟木・伊賀之亮のイメージを、さらに膨らませてくれる場面や描写を、抜き書きしていきたいと思います。
     

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