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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    中日劇場 舟木一夫特別公演  10月28日~11月15日
     
    イメージ 1

    11月2日の日曜日に、中日劇場に出かけてから一週間経った9日は、朝から雨模様の一日でした。2日は、昼夜の2回公演でしたが、日中は雨、どうも私は「雨おんな」のよう(笑)
     
    今回の中日劇場公演は、公演期間の前半の11月5日までの14公演のうち、「貸切」が6公演もあって、一般のお客様がスケジュールを組みにくくなっていて、行きたくても足を運ぶのを躊躇されたファンの方も少なくはなかったのでは?と気になっていましたが、後半にきて、徐々に盛り上がってきたように思います。9日は、いい感じに客席も埋まっていて、これから千秋楽に向けて、さらに盛況になることを願っています。              
     
    舟友さんがプレゼントされた花束をアップさせていただいています
     
    イメージ 2

    9日は昼公演だけだったので、終演後に、先日、このブログでもお知らせした「萩原郷土資料館」に足を伸ばす予定を当初からしていました。
    たまたま、この日、お席が隣り合わせになった方とおはなしをしていたら、なんと北海道の日高郡から来られたとのこと、名古屋に来るのは初めてだということでした。「日高」・・・とくれば、舟木さんファンなら誰でも連想するのが「その人は昔」・・・です。
     
    ~東京には夢があると僕が キミを誘わなければキミは日高の山麓(やまふところ)でどこまでも走る馬にまたがり波にうちよせる百人浜を 走っていたのに~(アルバム「その人は昔」より)
     
    イメージ 3
     
    そこがお話の入口となって、おしゃべりも盛り上がりました。その方は、中学二年の時に、舟木さんや内藤洋子さんたちがロケに来ていたすぐ近くで、毎日のように見学に行ったというステキな思い出をお持ちでした。
    そこで、終演後の予定をお尋ねしたら、特になにもないとのことでしたので、萩原郷土資料館のことをお話したら、何も御存知なくて、やはり、なかなか広くには情報は伝わっていないのかな
    と残念に思いました。それで、終演後に、今から私と御一緒しませんかとお誘いしてみたら、とても喜んで下さって、一緒に出かけました。
    ということで、9日の昼の部コンサートの簡単なれぽと、萩原郷土資料館情報をまとめてご紹介します。

    その前に、この日の信兵衛さん、今までと違っていたリアクションを、ひとつだけ・・・
     
    お芝居~いろは長屋の用心棒~
     
    浪人者の角倉重三郎(大門正明さん)と姉上・芳枝(葉山葉子さん)のカップル、そして若侍・岡本謙之輔(
    丹羽貞人さん)と綾香(川上彌生さん)のカップルが生まれた場面でひとり残された信ちゃん、大ショック!
    そこで、「サビシイ~ッ!」と叫んで、右へ左へ、走り回るリアクションがありますが、この日は、長屋の井
    戸まで走って行って上半身を突っ込んで今にも身を投げそうになって、長屋のみんなが慌てて止めるというニューヴァージョンで、爆笑でした。
     
    イメージ 7
     
     
    舟木さんのおふざけシーンに遭遇すると、なぜだか、一番悲しい「絶唱」の場面の順吉さんのことを想い出してしまう私なのですが、そのギャップが、なんとも言えず舟木さんの幅広い魅力が凝縮された象徴のようで、ますます舟木さんを大好きになってしまいます。
    舟木さんの感性、感受性の奥深さによって、人間の持つ、多種多様な感情を、自然な形で表出されることに天性の表現者としての才を見ることができます。お芝居もシリアスなものからコミカルなものまで、歌も、抒情あふれるものから、軽快で威勢のいいものまで、その表現力の幅広さに、唸ってしまいます。
     
     
    さて、9日のコンサートの模様を、舟木さんのトークを中心にご報告します。
    舟木さんのトーク部分はピンク文字です
     
    イメージ 4

    11月9日 昼の部   コンサート
     
    オープニング~
     よみがえる夜明け
     
    まだ降ってますかね?この頃は、ひと雨ごとに冬に近づきます。御足もとの悪い中、ようこそお越しください
    ました。
    幸せな事に、僕はヒット曲に恵まれていますので昼と夜と振り分けないと、1時間という枠の中入れるには限りがあって、なかなか唄えない歌が可哀そうだから、ちょっと虫干しに出して、ワンコーラスでも多くお聞かせできればと・・・

    プレゼントタイム~
     東京は恋する
     花咲く乙女たち

    イメージ 5花咲く乙女たち 作詩:西條八十 作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=AGSd6H4J06k

    カトレアのように 派手なひと
    鈴蘭のように 愛らしく
    また忘れな草の 花に似て
    気弱でさみしい 眼をした子
    みんなみんな どこへゆく
    街に花咲く 乙女たちよ
    みんなみんな どこへゆく
    街に花咲く 乙女たちよ

    黒髪を長くなびかせて
    春風のように 笑う君
    ああだれもが いつか恋をして
    はなれて嫁いで ゆくひとか
    みんなみんな 咲いて散る
    街に花咲く 乙女たちよ
    みんなみんな 咲いて散る
    街に花咲く 乙女たちよ
     
    ステージの流れというのは、どの作品を選んでどこに置くのか、まだ単独で置くのか、メドレーにするのか、また、フルコーラスかワンコーラスかなどで70%が決まっていくわけですから、60分のうちであまりベラベラ喋っていると時間がなくなっちゃう。何をフルコーラスにで唄うかも歌の質によりますから・・・
    なぜだか、最近、この歌はあまりフルコーラスで唄ってなかったので今回は・・
    と「絶唱」をたっぷりと・・・
     
     
    イメージ 6絶唱

    こういうタイプというかテンポの歌をつなげるのは三曲が限度なんですね。全部をフルコーラスにすると、ちょっと重たかったりするんですね。
     

     
     
     
     
     
    ~スタンディング(サインボール)
    銭形平次

    ジャケットを脱いでサインボール打ちの後・・
    ボールをキャッチした方は、グッズ売り場で手拭いを受け取って下さい。としばし「手拭いトーク」僕のおば
    あちゃんは、お風呂も手拭いでした。と私の好きな、おばあちゃんのエピソードも出ました。
     
    このところ、どんなステージでも「日本の名曲」というのを唄っていますが、ひとつは古典・・僕の場合は小
    学生の時に音楽で習った「荒城の月」などの歌曲、もうひとつは昭和の流行歌、僕がデビューした頃は歌い手の先輩も、作家の方も個性豊かな時代で幸せだった。流行歌は、その時代の風、風景がイメージできないと唄うのが難しい。「ふるさと」というくくりで、昨日からは、曲が切り替わってるんですが・・
    「ふるさとのはなしをしよう」はツーコーラス、「ふるさとの燈台」は、フルコーラスでした。

    日本の名曲たち~ふるさと (後半 11月8日から)
     
    イメージ 8ふるさとのはなしをしよう 
    作詩:伊野上のぼる  作曲:キダ・タロー  
     
    砂山に さわぐ潮風
    かつお舟 はいる浜辺の
    夕焼けが 海をいろどる
    きみの知らない ぼくのふるさと
    ふるさとの はなしをしよう
     
    今頃は 丘の畑に
    桃の実が 赤くなるころ
    遠い日の 夢の数々
    ぼくは知りたい きみのふるさと
    ふるさとの はなしをしよう

    2曲目「ふるさとの燈台」昭和27年(ちなみに私の生まれた年です)舟木さんが、8歳の頃に聴かれただろ
    う田端義夫さんのオリジナル音源でお聴きください。
     
    イメージ 9ふるさとの燈台 作詩:清水みのる 作曲:長津義司
    http://www.youtube.com/watch?v=KzkUYrXK2TE
    (1952年発売)

    真帆片帆 唄をのせて通う
    ふるさとの 小島よ
    燈台の岬よ
    白砂に 残る思い出の
    いまも仄かに
    さざなみは さざなみは
    胸をゆするよ
     
     
     
    イメージ 10漁火の 遠く近くゆるゝ
    はるかなる 小島よ
    燈台のわが家よ
    なつかしき父のまた母の
    膝はゆりかご
    いつの日も いつの日も
    夢をさそうよ
     
    歳ふりて 星に月にしのぶ
    むらさきの小島よ
    燈台の灯よ
    そよ風の 甘き調べにも 
    想いあふれて
    流れくる 流れくる
    熱き泪よ

    2曲目の「ふるさとの燈台」は昭和27年ですから、僕が8歳の時・・ギリギリ間に合った歌です。田端義夫
    さん・・・「オイッス!」
    と田端さん風にマネてみる舟木さん(笑)
    流行歌は時代の中で生まれ、流れるものですが、残っていくものもたくさんある。いい作品ですから、ちょっとと御聞かせしようかなと・・おっしゃる舟木さんでした。
     
     
    こんな哀調に満ちた歌が、八歳だった舟木さんの心を捉えたことに深い感慨を覚えます。
    子どもが持つ感性の豊かさを、ともすれば大人になった私たちは忘れてしまいがちですが、舟木さんと流行歌の関わりの軌跡を知るにつけ、自分自身の子ども時代の感受性の記憶もほのかに甦ってくるようです。昭和歌謡の背景になった昭和の時代を舟木さんのセレクトされた「流行歌」たちによってあらためて懐かしく想い出させていただけるひとときが、このコーナーなんですね。
     
    イメージ 11
     

    ~ちょうど「ふるさと」つながりですので、ここらで、萩原郷土資料館訪問の様子を挿入します~
     

    侍姿 舟木一夫さんずらり~郷土・一宮 時代劇ポスター展
     
    一宮市萩原町出身の歌手舟木一夫さんが、これまでに出演した 娯楽時代劇のポスターを集めた「ちょんまげ舟木ポスター展」が 萩原町串作の郷土資料館で開かれている。
    名古屋・栄の中日劇場で公演中の「いろは長屋の用心棒」に合わせ萩原町郷土史研究会が開いた。
    展示しているポスターは計16枚で、芸能生活10周年記念として東京・明治座で公演された「魔像」のA1版ポスターにはサインがある。
     
     
    JR尾張一宮下車、名鉄一宮駅から名鉄尾西線に乗って12、3分♪・・・で萩原へ到着
     
    イメージ 14
     
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    http://www.youtube.com/watch?v=6obu_Anasbs ふるさとROCK’N ROLL
     
    イメージ 15
     
    駅の正面右折して徒歩で6分突きあたり~♪・・・生家跡
     
    イメージ 16
     
    資料館の館内は撮影禁止ですが遠目でボンヤリとならいいですと了解を得てボンヤリと・・・(笑)
     
    イメージ 17
     
    今回の展示会の目玉はなんといっても・・・
    10周年記念の明治座公演「魔像」の超特大(A1版)のサイン入りポスターです。
     
    A3を4枚並べた大きさ(594mm×841mm) で、紙質もとっても良くて、二十代後半の舟木さんが素敵で、ウットリ、いつまでも眺めていたいポスターでした  
     
    撮影は、できませんので、ご紹介できないのが残念ですが、私の手持ちの以下の資料を参考のためにアップしておきますね。
     
    イメージ 18
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    「魔像」は林不忘原作の小説。主人公は神尾喬之助。
    舟木さんは喬之助ともうひとり茨右近の二役でした。
    上の画像が喬之助。右上の光本幸子さんと写っているのが茨右近です。
    今回初公開の超特大ポスターでは、右前方にアップの喬之助、後方左に全身の小さめの右近という画面構成で写っていますが、センス抜群の美しいポスターです。
     
    10周年には篠山紀信さん撮影でたくさんの舟木さんの写真が撮られていて日本橋・三越本店で、写真展も開催されています。
     
     
     
     
     
    写真展の会場での舟木さんです。
     
    イメージ 20
     
     
    ~再び、コンサートのれぽに戻ります~
     
    高校三年生
    http://www.youtube.com/watch?v=nNY_bFhiC94
    (カラオケバージョン:ふるさとの萩原町でのロケ映像です)
     
    修学旅行
    学園広場 
     大合唱~舟木さんのソロ
    ~「修学旅行」舟木さんのソロ「学園広場」が二度目のプレゼントタイム

    12月で70(才)です。高校三年生も大変なことになってます(笑)
    僕がデビューした時、東海林太郎さんが、65才で、エラくおじいちゃんでしたが、今は、それも通り越しちゃった(笑)今の若い人が僕を見る目は「赤城の子守唄」(笑)
    どんな時代でも、どこにいても、男も女も、青春時代に必ず通ってきた風景・・・と「初めての恋」ソング
     
    イメージ 22
     
     
    イメージ 23哀愁の夜

    高原のお嬢さん

    眠らない青春 
    ~ジャケットを脱いで~

    アンコール
    ~友を送る歌

     
    お芝居と歌の二本立て、舟木さんの魅力が、いっぱいの中日劇場の舞台公演、11月15日まで
     
    なお、資料館開館日は、公演中は、余すところ12日水曜日のみです。それ以降は、16日日曜日、19日水曜日、23日日曜日。いずれも、時間帯は14時から16時です。是非お運び下さい。
     

     

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    中日劇場公演も、あと3日間となりました。ラストスパートの舟木さんにエールを!・・と西から、東から、
    たくさんの舟木さんファンが、中日劇場へ集結されることと思います。
    私も、13日、14日、15日は、連日足を運ばせていただきます。そこで、コンサートのステージには欠か
    せない、ラブ・ソングの定番の中から、今の季節にもピッタリの曲「高原のお嬢さん」に、少しこだわってみ
    ようかと思います。中日劇場公演のコンサートでも、昼は、オーソドックスヴァージョンで、夜はバラードヴ
    ァージョンで、聴かせていただいています。
     
    歌も、もちろんステキですが、映画「高原のお嬢さん」も、お気に入りです。
    いつか、このブログの「主演映画つれづれ」という切り口でも、この映画について、ちょっと掘り下げてみた
    いと思っているのですが、今回は、私の好きな、場面をちょこっとだけちりばめてみます。
     
    特に、私が大好きな場面は、指人形の力を借りて、しげおが、淳子に、苦しい自分の気持ちを打ちあけるシーンです。
    この演出を考えたのは柳瀬監督でしょうか?なんともいえず胸がキュンとなる場面です。
     
     
    イメージ 2
     
     
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    イメージ 11
     
    高原のお嬢さん 作詩:関沢新一 作曲:松尾健司
    (1965年10月発売)
     
    http://www.youtube.com/watch?v=vdq05qCjwAo (映画映像付のカラオケです)
     
    http://www.youtube.com/watch?v=EfWnKXF5ilE (kazuyanさんの動画です 歌唱付)
     
    http://www.youtube.com/watch?v=j0FuMaAYUtc   (1977年「限りない青春の季節」再録音盤音源と思われます)

    http://www.youtube.com/watch?v=w5IJjdg2kKY (1965年 紅白歌合戦 ライブ音源)
     
    イメージ 1
    あの人に逢いたい たまらなく逢いたい
    高原に風はわたり 白樺はゆれていた
    夏がゆけば 恋も終わると
    あの人はいつも 言ってた
    リーフ・リーフ……
    君にぼくの 恋を語ろう
     
    つぶらなる瞳よ つぶらなる瞳よ
    高原の夏はすぎて 別れゆく夜はきた
    一人よせる 夢ははてなく
    残り火は 赤く燃えてた
    リーフ・リーフ……
    ぼくの恋は 消えてしまった
     
    あの人に逢いたい たまらなく逢いたい
    東京の空のどこか あの人は住んでいる
    せめて いちど逢ってききたい
    夏の日の 恋は嘘かと
    リーフ・リーフ……
    東京の秋は 淋しい
     
    イメージ 14
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    東京の秋は 淋しい・・・・・
     
    イメージ 13
     
    リーフ・リーフ……    君にぼくの 恋を語ろう
     
    イメージ 12
     

    0 0

    中日劇場 舟木一夫特別公演  10月28日~11月15日
      
    イメージ 1
     
     
    10月28日から19日間開催された中日劇場公演も無事に千秋楽を終えました。舟木さん、お疲れ様でした。13日の昼の部と、14日の夜の部も拝見させていただきましたので、こちらは、簡単にまとめて、千秋楽のお楽しみの、何が飛び出すかわからない「お芝居」と、特別メニューのコンサートの模様をメインにご報告します。
     
    11月13日 昼の部   お芝居&コンサート
     
    先ずは、13日の「いろは長屋の用心棒」の信兵衛さんの様子を・・
    互いに想い合っている若侍・岡本謙之輔と綾香を、めでたく一緒にしてやろうと、一計を案じた信兵衛が姉の芳江の言うことに従ったふりをして、祝言の席についたものの、なかなかやって来ない謙之輔の到着を待つ間に、「高砂」を謡って時間を引き延ばす場面・・・
     
    イメージ 2信兵衛は、手に大きな柿を持って、ムシャムシャと食べてます。酒を飲んでは柿を食べ、柿を食べては酒を飲む信兵衛さん、その柿を、大家さんに渡して見たり、また食べてみたり、こんな風に、この日は柿が小道具になっていたのですが、その理由は、その後のコンサートのトークでわかりましたので、この後の簡単なコンサートれぽにて。
     
     
     
     
    13日のコンサートの舟木さんのトークのピックアップ 舟木さんのトーク部分はピンク文字です

    11月13日 昼の部   コンサート
     
    イメージ 3オープニング~
     よみがえる夜明け
     
    先月の28日に初日を開けさせていただいて19日間の公演ですが、ゴチャゴチャやっているまに明後日は千秋楽、こちらに来た時と比べると寒くなりました。今日はようこそおいで下さいました。ありがとうございます。お芝居の時に食べてた柿は、今朝、葉山さんの楽屋に届いたもので、大きな段ボール箱に4、50個入っててこんなにたくさん、どうやって食べたらいいんだろう・・ということで先ず、私がはじめに食べました(笑)
     
    ~お芝居の時の、突然の柿の出現の理由を、ここで説明されました~

    なんだか、楽屋風景の賑やかさも想像される感じで、楽しいお芝居の舞台も舞台裏もおなじように「いろは長屋的」なんだろうなとほっこりするお話でした。そして、この柿が、後ほど、ご報告する千秋楽のお楽しみヴァージョンのお芝居で、大活躍するということになるんですよ。翌日の14日の夜の部のお芝居では、柿は登場しませんでした。多分、私が拝見していない昼の部でも、柿は出てきてないと思いますので。舟木さんがこの13日に大ウケした「柿」にヒントを得て、千秋楽で小道具として使う事を思いつかれたのではないかと(笑)
     
    舟友さんがプレゼントされた花束
     
    イメージ 4

     
    イメージ 5プレゼントタイム~
     東京は恋する
     花咲く乙女たち
     
    絶唱

    ~スタンディング(サインボール)
    銭形平次

    ジャケットを脱いでサインボール打ちの後・・バウンドしてステージに戻ってきていたボールを見つけて、なにげに歩いていってポーカーフェイスでボールを拾う舟木さんの一挙手一投足に客席の視線が釘付け(笑)ボールを拾うと、スタスタと無言でステージ中央に戻る途中、またしてもなにげに、後ろ向きのままボールを客席に投げる舟木さんのお茶目な様子が、とっても可愛かったです(笑)最後のボールをキャッチした人は、ひとしお御喜びだったことでしょうね。約30秒ほどのワクワクタイムでした(笑)
     
    昭和と平成では、同じ流行歌と云っても風景がちがいます・・
    私自身が、自分のふるさとに帰ってきて唄うので「ふるさと」というくくりで・・
     
    日本の名曲たち~ふるさと (後半 11月8日から)
     
    ふるさとのはなしをしよう 作詩:伊野上のぼる  作曲:キダ・タロー       
    (1965年発売) 
     
    ふるさとの燈台   作詩:清水みのる 作曲:長津義司
    (1952年発売)
     
    イメージ 6
    真帆片帆 唄をのせて通う
    ふるさとの 小島よ
    燈台の岬よ
    白砂に 残る思い出の
    いまも仄かに
    さざなみは さざなみは
    胸をゆするよ
     
    漁火の 遠く近くゆるゝ
    はるかなる 小島よ
    燈台のわが家よ
    なつかしき父のまた母の
    膝はゆりかご
    いつの日も いつの日も
    夢をさそうよ
     
    歳ふりて 星に月にしのぶ
    むらさきの小島よ
    燈台の灯よ
    そよ風の 甘き調べにも 
    想いあふれて
    流れくる 流れくる
    熱き泪よ
     
    単にその歌を知っているとかだけじゃなくて、リアルタイムで間に合ったかどうかは、唄う際にはとても大切
    ですね。ふるさとの燈台」は昭和27年、僕が8歳の時です。詩に出てくる言葉は、今は使われなくなったも
    のがあって、例えば「歳ふりて」なんていうのは「歳を重ねてきたら」・・・ですね。
     
    舟木さんがおっしゃるように昭和と平成の流行歌が、全く異なる世界観に裏打ちされているということは確かと思いますが、さらに「舟木一夫」以前と以後の流行歌に詠われている風景もまた、少しずつ変遷を遂げてきたのでしょう。
     
    時代の流れととともに「流れていく」流行歌というのは「リアルタイムで間に合った」ものでなければ本当の意味では、唄いこなすことがむつかしいという舟木さんの「流行歌哲学」のようなもの、それは「流行歌」の世界で半世紀を超えて生きてこられた歌い手としての「流行歌」への深い敬愛に満ちた想いなのだと胸が熱くなります。

    わずか8歳の時に、耳にした「ふるさとの燈台」の描く詩と旋律の世界を、懐かしい日本の原風景として想い起こし、その原風景を唄う歌い手として、客席にいる私たちと共に分かち合いたいという舟木さんの心がしみじみと伝わってきます。「唄いたい」ということは「聴かせたい」ということ、そして「分かち合いたい」ということなんだと、あらためて舟木さんが歌を通して「お客さま」とひととき、心を通い合わせることを何りも幸せなことだと思っていらっしゃるんだと感じました。
     
    じゃあ、次は・・とバックバンドの方を振り向いて、コレ?とジェスチャーで・・学生帽、詰襟、金ボタンを示してみる舟木さん。デビューシングル曲の「高校三年生」、二枚目の「修学旅行」、三枚目の「学園広場」で、半世紀昔にタイムスリップしてしまう空気感の中日劇場でした。
     
    イメージ 7高校三年生

    修学旅行
    学園広場 
     大合唱~舟木さんのソロ
    ~「修学旅行」舟木さんのソロ「学園広場」が二度目のプレゼントタイム

    「日本の名曲」というくくりで言えば、「高校三年生」も当然入ってくるんだろうと・・(拍手)
    12月が来ると70(才)、唄いたいあるし、なんとなくあらためて御聞かせしたい歌も・・いろんな歌をお聞かせしたい・・・
     
    舟木さんの歌への深い愛、唄うことへの情熱は、ますます強く大きくなってきていることを痛感し、頼もしく嬉しく、幸せな想いにさせていただきました。
     
    どんな時代でも、どこにいても、男も女も、青春時代に必ず通ってきた風景・・・とラストブロックは若々しい初めての恋・・「ラブ・ソング」です。
     
     
    イメージ 8哀愁の夜

    高原のお嬢さん

    眠らない青春 ~ジャケットを脱いで~

    アンコール
    ~友を送る歌

    最後のご挨拶で「友を送る歌」・・僕の好きな歌です。とおっしゃいました。
     
    イメージ 9
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    11月14日 夜の部   コンサート
     
    前半はお着物で舞台中央のステップの最上段にスポットライトを浴びて登場
     
    オープニング
    ~京の恋唄   作詩:西條八十 作曲:竹岡信幸
     
    イメージ 10好きだけど たまらないほど好きだけど
    あなたは可愛いい 薄羽の蝶々
    抱くにはあんまり か弱くて
    かなしく見おくる 嵐山

    秋というより、今朝なんかは冬という感じでしたね。明日はもう千秋楽です。今日はお越しいただきありがとうございました。

    絶唱  作詩:西條八十  作曲:市川昭介
     
    愛おしい 山鳩は
    山こえて どこの空
    名さえはかない 淡雪の娘よ
    なぜ死んだ ああ 小雪
     
    夕笛  作詩:西條八十  作曲:船村徹
     
    ふるさとの 蒼い月夜に
    ながれくる 笛の音きいて
    きみ泣けば わたしも泣いた
    初恋の ゆめのふるさと
     
    イメージ 11恋人形 作詩:舟木一夫  作曲:山路進一
     
    薄墨の 空はつれない 雨模様 
    帰るあてさえ ない人に
    いくつ折鶴 恋ごころ
    にじむ 吐息の もどかしさ
     
    ふるさとは 風のかおりも 秋化粧
    落ち葉しぐれる 白壁に
    ゆれて やつれて 細々と
    つらいうわさが 気にかかる
     
    薄紅の 目もとやつれて 恋人形
    あやめ一輪 咲く帯に
    かくしきれない あの夜の
    いのち 重ねた 夢のあと

    最後の「恋人形」は、新曲です。このタイプの歌は、最近では一番出て来なくなった。この曲を書いてくださ
    った山路進一さんは、いいメロディーをたくさん書いてくださった。早く亡くなったんですが・・・
     
    舟木さんがコンサートで唄われている曲の中で山路進一氏の曲の占める割合の多い事は、舟木さんがお好きなタイプの曲を、たくさん書いて下さった大切な方だということなのでしょうね。

    山路進一さんの作品については、以下の私のブログのバックナンバーでご紹介しています。
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68718328.html

    夜の部は、オープニングの「京の恋唄」はじめ、「絶唱」「夕笛」と最初の三曲が、西條八十作詩の作品が並んでいます。そして、最後の「恋人形」が、舟木さんの御自作の詩です。西條八十についてのお話をなさる時必ずと云っていいほど出るのが「四行詩」の素晴らしさです。日本語のもつ言葉の美しさ、心情に偏らず風景を織り込んだ叙情と叙景のほどよいバランスがあるのが、西條八十作の「流行歌」の特長ということなのですね。舟木さんの「恋人形」は、西條八十の作品と並べても、ストンとおさまりが良く、八十の詩の世界観を継承していることは、間違いないように思います。
     
    作家の先生との出逢いにも、運・不運というものがあるし、メロディーを書く人も詩人との出会いの運・不運
    があるように思うんですね。僕がデビューした頃は、浅草国際とか日劇、大阪なら大劇とか、日舞も洋舞も「舞踊」というものが近いところにあったんですが、今はあまり見る機会がないですから、今日は楽しんでいただいて・・・
    日本調の威勢のいい歌から、(「舞踊」へ)つなげる感じで・・

    イメージ 12火消し若衆
    銭形平次~サインボール打ち
     
    舞(林啓二/長谷川かずき/川上彌生/真木一之の皆さん 敬称略)
     右衛門七討入り~右衛門七節

    後半は、スーツに着替えて登場、踊り手の皆さんの紹介のあと・・
    「日本の名曲」ということで、このところとずっと唄ってきているんですが、絞り込むのは大変ですけど、ひとつは古典・・「荒城の月」「波浮の港」・・など、もう一方は、流行歌。今の流行歌は、「昭和の流行歌」とは形が変わったものになった・・豊かな流行歌の時代にでびゅーできたことは幸せなことでした。
    今回は、昼の部の前半は「帰ってこいよ」「リンゴ追分」、後半は「ふるさとのはなしをしよう」「ふるさとの燈台」、夜の部の前半は「青葉城恋唄」「竹田の子守唄」・・・今日は三橋さんの「石狩川悲歌(エレジー)」を・・

    石狩川悲歌 作詩:高橋掬太郎  作曲:江口浩司
     
    イメージ 13君と歩いた 石狩の
    流れの岸の 幾曲り
    思い出ばかり 心につづく
    あゝ 初恋の 遠い日よ

    君を思えば 身にしみる
    石狩川の 夕風よ
    二度とは逢えぬ この道なれば
    あゝ 初恋の 日が恋し
     
    南国土佐を後にして 
    作詩:武政英策 作曲:武政英策 
    (1959年)

     
     
     
    どんなジャンルの歌でも、どんな時代の歌でもいいものはいいというところへ還ってくるということでしょう
    ね。その時代、その時代のものを大事にして唄っていきたい。僕の歌が(声がという意味かと)いつまでもつかわからないですが、自分がいいと思うものを唄い続けていきたい・・
     
    少年の頃のままの舟木さんの歌への純粋な熱い想いを語る言葉に、会場から共感とエールを込めた大きな拍手が起こりました。それに応えて「まいど!」と舟木さんらしいちょっとテレ気味のご返事で軽く、でも、心を込めて返す瞬間のステージと客席の一体感は、どうしてこうも感動的なんでしょう。歌い手と聴き手、双方の想いが、温かく流れ合う空間の素晴らしさに、ジワッときたのは私だけではなかったと思います。
    この日の「石狩川悲歌」は、まるで舟木さんのオリジナル曲といってもいいほどでした。以前にも、この曲を唄われた際に、これは舟木一夫の持ち歌と云ってもいいような・・とおっしゃっていたような記憶があります。
    三橋美智也さん独特の胸に沁みる高音が、叶わなかった初恋「悲歌(エレジー)」の切なさを心に届けてくれる曲です。1961年発売ですから、舟木さんのデビューの2年前。私が小学三年生の時です。でも何故だかこの曲はしっかりと記憶にあります。仲宗根美樹さんの「川は流れる」も1961年発売ですが、この曲も同じく私が子どもながら、とても強烈に記憶に残っている歌です。やはりマイナーな曲調と、意味はわからないながらも日本語の持つ詩の美しさ、世界観が子ども心になにかを感じさせるものがあったのでしょう。
     

    何を唄いたくて歌い手になったかというと、ブルーストーンの歌・・こういうものが唄いたくて歌い手になっ
    た・・2曲つなげて・・

    イメージ 14高原のお嬢さん~バラードヴァージョン
     
    たそがれの人

    ふたつとも二十歳の時に唄ったんですが、わかってなかったんでしょうね。とくに「たそがれの人」は、とりあえず、詩の雰囲気にひっぱられて唄ってたんでしょう。
    あるキャリア、年令にならないと唄えない歌もありますが、どちらにしても若い頃に何でも(わからないなりに)経験しておくことも大事だと・・
    この頃はまさか、50才過ぎても自分が唄ってるとは思ってもいなかった。僕がデビューした頃は、東海林太郎さんが、65才、三橋さんが・・と次々、先輩のお名前と当時の年令を挙げる舟木さん。最後には、淡谷さん54才「あんた、なにしてんのよ」と淡谷さんの独特の東北訛りの口調もマネる舟木さんに、爆笑。

    ラストブロック・・「呼べど帰り来ぬ 古(いにしえ)の幻」と前置きして「ありがとうもさようならも」のワンコーラスを受け皿に・・・

     
    イメージ 15
     
     
    イメージ 16ありがとうもさようならも 作詩・作曲:上田成幸
     
    振りむけば あの頃の 歌が聞こえる
    若すぎた 夏の陽射し 甦る まぶしさ
    あなたにも わたしにも 時は流れて
    見つめあう 白い記憶 甦る ときめき
     
    あゝ青春の胸の血は
    修学旅行
    仲間たち
    君たちがいて僕がいた
    高校三年生  みんなで大合唱~舟木さんのソロ
    学園広場

    アンコール
    ~眠らない青春
     
    yahooブログの仕様が変わったからか、何度も投稿に失敗しました。困った、困った・・
     

    0 0

    さて、最後は、千秋楽のご報告です。投稿がうまくいかず、苦労しましたァ~ッ!
     
    中日劇場 舟木一夫特別公演  10月28日~11月15日
    お芝居~いろは長屋の用心棒・お楽しみヴァージョン~

    イメージ 1舟木・信兵衛さんが、居酒屋丸源の店の衝立の後ろからお箸を投げて登場する冒頭場面で、いきなりサインボールを投げる・・5つくらいは飛んできたのかな?もちろん、突然のサインボールに客席は騒然(笑)
    そして、そこから、13日のお芝居で、使われた「柿」が、千秋楽では大活躍します。
    信兵衛さんはじめ、舞台に登場する俳優さん、どなたもみんな柿を手にしたり、懐や、袖の中に持っていて齧りながらのお芝居になりました。
    特に、角倉重三郎役の大門さんの柿の使い方は絶妙で、「こわかったァ~ッ!」のセリフの後に柿を齧るのはツボでしたね。信兵衛さんは、ほぼ、いちいちギャグってました。姉上の「せんべい~ッ!」は、当然のことながら「柿べい~ッ!」に変換(笑)
     
    イメージ 4
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    自分の出番ではないのに、どこにでも出てくる信兵衛さんに、どうリアクションしていいのか、まごまごしてる皆さんの様子は毎度のことながら笑えます。厠侍役の丹羽さんが厠の使用料を大家さんに請求されて、柿を出して支払おうとしたのもGOOD!そしてその大家さんの林啓二さんが、信兵衛さんを探しているかずき・お文ちゃんに懐からスヌーピーのぬいぐるみを出したのもキュートでした。
     
    イメージ 2姉上が長屋にやってきて信兵衛が逃げる場面では、井戸の中に隠れた信兵衛さんでした。吉永家のこより様が最後に信兵衛に詰め寄る場面では、いきなりこよりさんにグッと顔を近づけて「よく見ると可愛いね!」というリアクション、長屋のおとこ連中に、「テレてる、テレてる」と囃したてられた吉野さんが、ムキになって「テレてないよ!テレてないわ!」と云いながら下手にひっこみました。そりゃ、テレますよねぇ(笑)
    お文ちゃんが、いつも信兵衛さんに、投げキッスをして袖に引っ込む場面では、お文ちゃんのおじいちゃんである大家さんの林さんにも投げキッスをサービス。ところが、林さんのリアクションが投げたキッスをキャッチして、畳に投げて足で踏む、それに呼応した信兵衛さんも掴んでポイ!、かずきさんがプンプンしながら袖へ・・・(笑)
     
    千秋楽のお芝居の、もうひとつの楽しみは、舟木さんが共演の俳優さんをいじるところかな?信兵衛さんが進之輔さんに「お父上の禄高は何石だ?」さすが、丹羽さん信兵衛さんの松村家が三千石というので、とっさに四千石と答えられたんでしょうね。でも、すかさず「四千石とは、旗本でも真ん中より上ではないか」さらに突っ込む信兵衛さん。気になったのでウイキペディアで調べて見たら旗本の最高でも五千石未満だったとありました。舟木さん、さすが、お仕事柄とは言え、江戸時代の武家のことなどでも本当によく御存知ですね。
     
    イメージ 3
     
    駕籠かきのおふたかた(桂団朝、戸田都康)の、千秋楽ヴァージョンは、団扇を配るんじゃなく来年二月の新歌舞伎座のチラシを配ってるというギャグでした(笑)
    ラストの仮祝言の宴の場面、タヌキの置物の隣に、こよりさんも並んで立ってました。これは初演の千秋楽でもなかったです。
     
    大酒をあおって立ち回りをしてへたばる信兵衛さんにお文ちゃんが、60周年まで頑張って!というと、こり
    ゃ55周年が、いっぱいだな・・お文ちゃんがなんのなんの・・に会場から拍手。
    例のごとくお顔に墨塗りされた信兵衛さんが、そのまま客席に降りていくかとおもいきや・・・
    ストップモーションになった、舞台上の俳優さんたちの方に、もどって行って、筆をとり・・・
    「これまでのうらみを、晴らしてやる!」と、葉山さんと稀世さんのお顔に墨塗りしちゃいました(笑)
    うらみを晴らした舟木・信兵衛さん、この日は吉永家のこよりさんと一緒に客席に降りてサービスでした。
    チャン、チャン  (終わり)
     

    11月15日 千秋楽  コンサート
     
    開演5分前に、黒の長めの丈のシャツにジーンズで舟木さんが登場して、千秋楽恒例のプレゼントタイムの時のトーク。
     
    イメージ 5
     

     
    プレゼントの中に柿があったらしく、また柿ですか?(笑13日に葉山さんあてで楽屋に届いたという柿が
    一躍脚光を浴びたので、その話題をお喋りしながら次々とプレゼントを受け取っていきます。
    トシとってきたせいか、冬が弱くなってきてますね。身体は冷えてるより温まってる方が風邪ひとつひいても
    治りがいいんでしょうね。若い頃は身体のはなしなんかしなかったんですが、最近はお互いさまに・・
    55年までいくのか、60年まで・・77(才)ですもんね、ムリ!・・まァ、ここまで来て唄えてること自体がね・・これ以上ごちゃごちゃ考えることもないと・・(プレゼントを中腰で受け取りつつ)こういうのは最近、腰にくるんですね。あまりおめでたいはなしじゃないですが、僕らの仕事仲間も親を送る時期が来てます。僕なんかは35(才)の時に親父を送ってるんで、あんまり考えたことはないんですが、もし人間がずっと死なないとしたら・・と仲間うちで話したりすると全員が、それはイヤダ!っていってますね。最近は時々客席を見させていただいて、様々な挙動に御客様も結構トシとってきたな・・と(笑)

    プレゼントタイムがかなり長く続いたので気を使われたのか、こういうのじっと見てるのもつまんないでしょ
    。今日は、女優さんふたりに日頃のかたきうちをしてやりました(笑)ふたりとも携帯で、写真撮ってました
    よ。長いこと女優やっててもあんな目に遭ったことはないでしょうから(笑)稀世ちゃんが云ってました。「舟木さんも毎日、大変だったでしょうね、かお(墨塗り)落とすのが・・」って、あたり前だろ!(笑)
     
    千秋楽は、前半、後半ともに着物でした。前半は灰色がかった水色系、茶系の襦袢と白地に茶系の縞の帯。
     
    イメージ 6
    コンサートの模様を舟木さんのトークを中心に報告します。ピンク文字は舟木さん。
     
    オープニング
    ~オレは坊ちゃん 作詩:西條八十 作曲:船村徹
    http://www.youtube.com/watch?v=S6yJeeWT-0s
    (1968年デビュー5周年明治座公演記念曲)
     
    オーイ おれは坊ちゃん 江戸っ子だい
    好きなばぁやの お清に別れ
    初の船旅 四国へ来れば
    キザな赤シャツ まぬけな野幇間(のだいこ)
    暮れりゃ 東京の灯が恋し

    今日が千秋楽、一ヶ月間どうもありがとうございました。今日はメニューを変えてやってみます。
    普段は唄ってないようなのをお聞かせするのも楽しみのひとつ

    帰る 作詩:植田梯子 作曲:山路進一
    http://www.youtube.com/watch?v=BLs-_WpkDFM
    (1968年 4曲入LP「絶唱」収録曲/15周年記念「限りない青春の季節・自薦12曲」収録)
     
     
    イメージ 7あなたは帰る あなたのふるさと
    ひとみ明るく 望みに満ちて
    東京がいやになったのではないと
    ふるさとの母をみどりが恋しいと
    あなたは帰る あなたのふるさと

    あなたは帰る あなたのふるさと
    涙をそっと 遠くに投げて
    あのひともきっと訪ねてくるからと
    ふるさとの 花と祭の季節にと
    あなたは帰る あなたのふるさと

    東京の思い出いつも生きてると
    ふるさとの空に林に語りたいと
    あなたは帰る あなたのふるさと
    帰る 帰る 帰る ・・・・・
     
     
    イメージ 8麦笛  作詩:ちあき哲也 作曲:宇崎竜童
    http://www.youtube.com/watch?v=eR2u9vyQY4Y
    (1972年3月 「よみがえる夜明け」カップリング B面)
     
    さようなら かなしいまち
    季節さえ わすれたまち
    わらわないで 花のような
    しあわせを 街にさがしたこと
    明日の朝は ふるさとの小径を
    風にそよぐ麦笛 鳴らしながら
    たどるでしょう 足もかるく
    あたたかい人の 群れのなかへ
     
     
    イメージ 9さようなら さびしいまち
    ほほえみさえ なくしたまち
    わらわないで 傷のついた
    おもいでを街に 残したこと
    ふるさとは花も ほころび咲くころよ
    風にそよぐ麦笛 鳴らしながら
    帰りましょう あしたこそ
    あたたかい人の 群れのなかへ
    あたたかい人の 群れのなかへ

     
    最初の「帰る」という歌は、19(才)くらいの歌、ずい分とマセタ歌ですね。なんだか知らないですが、最近、キイが上がってるんですね。最近は僕は高い方が戻ってきてるような感じです(拍手)なんか狂い咲きしてるような・・歌はテクニックというより声ですから、いくらひねくってコテコテにしても・・
    次は山唄です。何のB面だったかな?しばらく考えて・・本人も忘れた!(笑)

    イメージ 10ひぐれ山唄  作詩:丘灯至夫 作曲:山路進一
    http://www.youtube.com/watch?v=T8mJ2utfYj4
    (1966年 「今日かぎりのワルツ」カップリング)
     

    木挽哀歌 作詩:安部幸子 作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=Xi9iWs7Cduo
    (1965年 「火消し若衆」カップリング)

    意外な曲のB面に入ったりするんですね。A面とB面の曲が、何の脈絡もない。A面は、最初に売れた曲に近い路線でいく、B面は、おなじような歌ばかりを唄わせると唄ってる方もストレスがたまるだろうし、書く方も・・ということで、意外な曲がB面に入るということなんでしょう。

    次は四分の三拍子・・ワルツをみっつつなげて・・・

    夕月の乙女  作詩:西沢爽 作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=EP1xR9LSD08
    (1964年 「あゝ青春の胸の血は」カップリング)
     
    愛しむように 夕月が
    ならんだ 影を 照らしてる
    名も知らぬ おたがいが
    さよならとだけ 云ったけど
    いまいずこ いまいずこ 夕月乙女
     

    イメージ 11夢幻~MUGEN  作詩・作曲:上田成幸
    (1998年 WHITEⅢ)

    黒髪(かみ)のみどり 朱(あか)く燃えおち
    爪のあと 遠くなみうち
    男は男 女は女
    そしてはるか 夢幻
    けだるさに はてる指先
    からめれば
    いたみひとつ 想いふたつ
    ルルル……
    いたみひとつ 想いふたつ
     
     
     
     
    イメージ 12浮世まかせ 作詩・作曲:上田成幸
    http://www.youtube.com/watch?v=U0o1uQ11CLo
    (2002年発売)
     
    花を枕の 盃に
    紅のかおりの 舞う午後は
    好いた惚れたに 酔うもよし
    浮世まかせの 春だもの

    とぎれとぎれに 蝉しぐれ
    ほろり情けに つまづいて
    遠い父母 抱くもよし
    浮世まかせの 夏の宵

    夢をたずねて いそぐ男(ひと)
    待ってこがれて やせる女(ひと)
    背中合わせの 旅もよし
    浮世まかせの 秋深く
     
    どこか恋しい 古傷に
    更けて木枯らし 冴える夜は
    心ふるえて 泣くもよし
    浮世まかせの 冬の中
     
    いいさ そうだよ 誰も皆
    浮世まかせの 風車
     

    「浮世まかせ」は、ふっと気が向いて自分で書いちゃった歌ですが、気がついて見ると、こんな歌が合ってく
    る年齢(トシ)になっちゃって・・お互いさまに・・
     
    この三曲をひとつの流れとして構成なさった舟木さんの感性は、思わず膝を叩きたくなるくらい、私のツボにピタリとハマりました。「夕月の乙女」「夢幻~MUGEN」は、それぞれ 、私が一番気に入っている詩の部分を掲載しました。
     
    「夕月の乙女」の「名も知らぬ おたがいが さよならとだけ 云ったけど」淡く仄かな初恋以前の、少年と
    少女のはなかい出会いと別れを描いて秀逸だと思います。そして、好き嫌いが、舟木さんファンの間でも、はっきりと分かれる「夢幻~MUGEN」の、「いたみひとつ 想いふたつ」のフレーズは、この曲のなかで私が一番素敵だと思うキイワードです。この曲は、単独で置くと、違和感を持ったり、人によっては、嫌悪感をもつ方もいらっしゃるかと思うのですが、どんなコンサートの時でも、舟木さんは実にセンスある構成でこの曲を聴かせてくださっていると、いつも、感服します。
     
    今回は、「四分の三拍子」の曲を・・と紹介なさって三曲を並べられましたが、この曲を並べて下さった意味
    合いは、もうひとつ別のところにあるように感じました。聴く側のそれぞれの人生経験によりますから嗜好は様々かと思いますが、私はこれからも舟木さんに「夢幻~MUGEN」を唄い続けていっていただきたいと願っています。こういう歌を唄える70代の歌い手は舟木さん以外には考えられないですから・・・
     
    「浮世まかせ」で締めた、このコーナー。「浮世まかせ」は、ひとつの曲の中に、「春夏秋冬」になぞらえた
    、人生の風景を描き出した名曲だと思います。40周年記念の年に、リリースされた時には、今思うとまだ少し早すぎた・・とよくコンサートの折におっしゃっていましたが、この日は、「こんな歌が合ってくる年齢に
    なった」とおっしゃってますから、舟木さんにとっては、まさに今が旬の歌といっていいのかも知れません。
     
    イメージ 13

    舞(林啓二/長谷川かずき/川上彌生/真木一之の皆さん 敬称略)
     右衛門七討入り~右衛門七節
     
    後半は、淡いあさぎ色の髭紬の着物、襦袢は白、帯は白地にグレー系の縞。前半と後半をつなぐ「舞」の出演者の皆さんの紹介から始まりました。

    イメージ 14磯浜そだち 作詩:安部幸子 作曲:山路進一
    (1965年発売 「浜の若い衆」カップリング)
     
    沖に白々 朝ひが昇る
    地引き網引く 背に昇る
    昇るよ
    地引き網引く 影なら一つ
    好きと云えずに 別れりゃ一つ
    一つよ
     
    束ね髪した 素足が冷えた
    はなれ住んでは 心も冷えた
    冷えたよ
    潮が光るよ 心も光る
    夢をたぐった 地網に光る
    光るよ
     
    (1965年 NHK「きょうのうた」)
     
    イメージ 15網を一打ちゃ 朝やけ磯に
    大漁願いの はたが出る
    親の代から 地網を引こと
    おいらにゃ おいらの夢がある
    浜の浜の若い衆 眼が光るよ

    「浜の若い衆」これはいい歌だと思います。NHKの「きょうのうた」だったかな?20歳の時です。山路先生の曲、詩もいいし名曲です。のどかさとあったかさがある。次は、江戸っ子・・ですね。ふたつ・・
     
     

    おみこし野郎  作詩:関沢新一 作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=8LMWtlgryUM
    (1964年発売「いなせじゃないか若旦那」カップリング)

    イメージ 16喧嘩鳶  作詩:村上元三 作曲:船村徹
    (1968年 デビュー5周年明治座公演記念曲)
     
    さっとかつぐは に組の梯子
    神田日本橋 花が咲く
    「そおれ 火事は近けえぞ
      さあ 繰り出せ 繰り出せ」
    腰の鳶口 伊達には差さぬ
    おいら に組の野狐三次
    江戸の名物 喧嘩鳶
    「さぁ どいたどいた」

    船村先生が、僕に書くときは高い音を使うんですね。どうしてですか?と聞いたら、僕は君の高い音が好きだからの一言でしたが・・日本調の歌は、昭和45年でなくなってるんですが、僕はもう少し後まで・・・。
    長期公演をやってたんで、ステージで使わせていただくのにおいときたい曲が日本調。未だにレコーディングされていない歌もあるみたいです。
    作詩を、お芝居の脚本を書いて下さった方にお願いすると、流行歌の作家の方と違うんですね。言葉の置きどころ、視点がこんなに違うのかと嬉しい驚きだったんですが後半は、そんな曲で、僕自身が演ったお芝居の記念曲の「武家物」を中心に・・・さっき姉上を演ってくれた葉山さんと新歌舞伎座で「雨月道成寺」を演ったときの舞台の「若君風流」から…
     
    イメージ 17若君風流 作詩:村上元三 作曲者不詳
    (1966年 新歌舞伎座「松平長七郎」主題歌)
     
    松はゆたかな お江戸の春を
    すねて細身の おとしざし
    三葉葵が 気にかかる
    まかり通るぞ 若君風流
     

    ああ桜田門 作詩:西沢爽 作曲:船村徹
    http://www.youtube.com/watch?v=LD8AdrIcgzE
    (1969年 明治座「新納鶴千代」主題歌)
     
    イメージ 18
     
     
     
     
     
     
     
     
    薄桜記 作詩:土橋成男 作曲:船村徹
    (1971年 明治座「忠臣蔵異聞・薄桜記」主題歌)
     
    イメージ 19
    風に咲く 色あざやかな桜花
    ひとの情を 知りそめし
    君に捧げん 命ぞと
    花に寄り添う 影ふたつ
     
    風に散る 心はかなき桜花
    奇しきえにしの いと乱れ
    世にすてられし 命ぞと
    月に別るる 影ふたつ
     
    風に泣く 定め悲しき桜花
    武士の意気地は 討入りの
    ともに捧げし 命ぞと
    雪に倒るる 影ふたつ
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 20魔像  作詩:土橋成男 作曲:山路進一
    (1972年 明治座「大岡政談・魔像」主題歌)
     
    神尾喬之助 只今参上! お命頂戴…(セリフ)
     
    大江戸の 大江戸の 
    町に白刃の 風が舞う
    武士の意気地を 剣にかけて
    命捨て身の 喬之助
     
    おお江戸の 大江戸の
    闇にきらめく 虚心流
    妻のなげきを 剣にかけて
    拭う血しぶき 喬之助
     
    十七番首 今宵頂戴… (セリフ)
     
    大江戸の 大江戸の
    空も曇るか 首供養
    武士の誇を 剣にかけて
    花と散り行く 喬之助
     
    イメージ 21
     
     
     
    葵の剣 作詩:土橋成男 作曲:山路進一
    (1970年 明治座「新吾十番勝負」主題歌)
     
    色もゆかしき 葵の紋に
    母の面影 求めつつ
    剣を命の 十番勝負
    ああ葵新吾の 行くところ
    白刃(はくじん)冴えて 雲を呼ぶ
     
     
    「武家物」主題歌の作詩者、作曲者等の資料は、15周年記念アルバム 舟木一夫大全集「限りない青春の季節」の冊子より
     

     
     
     
     
     
    ~フィナーレ 銭形平次
    お芝居の出演者の皆さんでサインボール投げ
     
    ラストブロックの二十代の頃の座長公演の演目の主題曲の曲調も、詩も、今となっては貴重だと痛感します。お芝居そのものは、演じ継がれていくとしても、テーマ曲と云う形で、わずか3分から4分の時間の中で物語のストーリーや、登場人物を浮き彫りにしていく表現形態の「歌」は、舞台時代劇の匂いに触れることのできる物語のダイジェスト版としての価値や役割を担っているように思います。
    歌い手でありながらも、舞台俳優として活躍された舟木さんの歌の世界の間口を広げることにもつながった舞台のテーマ曲を、集めて、あらたに復刻盤CDとしていただけたら、たくさんの方に楽しんでいただけるのにと残念に思います。「魔像」のセリフなんて、本当にステキすぎます。

    お疲れ様と、千秋楽の幕が無事に降りたお祝いの気持ちを・・と終演後にお見送りの列に加わりました。
    待つこと1時間20分(笑)なかなか出てこない舟木さんでしたが、たくさんのファンの方がガマン強くひた
    すら待ちました。他の事なら、こんなに長く待てませんが、舟木さんなら、待てるのが不思議、不思議・・・
    やっと地下駐車場からお出ましです。私は、ちょうど地下から料金所のところに上がってくる真正面の位置で待っていたので、車に乗ったままですが、バッチリお顔を拝見することができました。清々しい、笑顔の舟木さんでお疲れの様子は感じられませんでした。19日間、お疲れ様でした。千秋楽まで絶好調でお元気だったので、お健やかにめでたく来月、70歳のお誕生日を迎えられることでしょう。
     
    年内のスケジュールも、まだまだ、たくさん詰まっていらっしゃるので御風邪などお召しにならないようにお
    元気でお仕事なさっていただけることを願って、手を振ってお見送りしました。
     
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    いきなり「ぐんまちゃん」登場でスミマセ~ン 歌舞伎座の前の群馬県アンテナショップ「ぐんまちゃん家」
     
    中日劇場・舟木一夫特別公演の千秋楽の翌々日、新橋演舞場で開催されている「十一月新派特別公演」観劇のために上京しました。この公演は、十月に歌舞伎座で開催された十七世中村勘三郎二十七回忌、十八世中村勘三郎三回忌追善公演に続いての興行です。歌舞伎のみではなく、新派にもゆかりの深かったお二人への追善ということで選ばれた演目のひとつが川口松太郎作の「鶴八鶴次郎」です。ちなみに、もう一作は「京舞」という作品で、京都祇園の井上流、三世井上八千代とその内弟子から四世八千代となられた二人の女性をモデルにしたお芝居でした。現在の新派の二枚看板である。二代目八重子さん、舟木さんの舞台「おやじの背中」「宵待草・夢二恋歌」にも出演なさった波野久里子さんの円熟した芸も堪能させていただきました。
     
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    舟木さんファンは、ご周知の通りだと思いますが、2008年に舟木さんが新橋演舞場で鶴次郎を演じられました。今回の新派公演は、それ以降、6年ぶりの「鶴八鶴次郎」の舞台化ということになります。
    今回の鶴次郎は六代目勘九郎さんが演じています。六代目勘九郎さんは、歌舞伎の花形の中でも、勘太郎時代から私が一番お気に入りの若手俳優さんで、彼の舞台は、歌舞伎以外の舞台も含めてこの十年ほどは、ほぼ全て拝見してきました。ということで舟木さんが演じられた鶴次郎を、勘九郎さんが、初役で演じらたということで、とっても嬉しく思います。
     
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     十八世中村勘三郎さんのこと
     
    私が歌舞伎の楽しさを知ることに大きな影響を与えてくれたのは、十八世中村勘三郎さんです。まだ勘九郎時代に立ちあげた平成中村座公演を関西に住んでいた時、初めて観劇して、目からうろこでした。歌舞伎座などの大劇場で観る歌舞伎もいいのですが、なんといっても江戸時代の芝居小屋を再現した「平成中村座」で観るとテンションがさらに上がって心躍るのです。「平成中村座」のお楽しみのひとつに「桜席」というのがあります。一等席、二等席・・とは呼ばずに、松席、梅席と呼びます。「桜席」は、いわゆる三等席にあたりますが、これが、私のお気に入りで、なんとか桜席のチケットをゲットしようといつも頑張ってました(笑)
    まず値段が安いことが嬉しいのですが、このお席は、二階席ですがなんと舞台の幕内の中に設けられているのです。真上から舞台を見おろすことになるので、決して見易いお席ではありませんが、舞台の幕がおりている間も、舞台の様子を見ることができます。大道具さん、小道具さん、役者さんたちが、幕の開くまで準備をして、スタンバイするプロセスも見せてくださるわけです。演目によっては楽屋ではなく幕内で顔を造ったり着替えたりするものもあります。
    十八世勘三郎さんの最後の平成中村座の舞台(2012年5月)も桜席で拝見しました。公演が終わり、幕が降りてからも、二階の桜席に向かってほんのすぐそばの真下の舞台から手を振ってくださった勘三郎さんの人なつっこい笑顔を忘れることができません。この時が、お近くでお顔を拝見した最後になりました。
    私にとっての歌舞伎が身近なものになったのは、勘三郎さんのおかげだと今も感謝の気持ちでいっぱいです。勘三郎さんへの追善と、成長著しいご子息の勘九郎さんの鶴次郎を拝見したくて、演舞場に足を運びました。今回はこの公演だけのために上京したので、17日の夜、18日の昼と、二回「鶴八鶴次郎」のお芝居を堪能しました。
    明治座公演の頃の舟木さん
     
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    舟木さんが二十代の時に、明治座で年一回の座長公演を7年間続けられましたが、当時の明治座や新派と深く関わっていらした川口松太郎氏や、新派の大看板だった初代水谷八重子さん、伊志井寛さんなどから舟木さんが新派へのお誘いを受けていらしたことは、広く知られています。川口氏の代表作「新吾十番勝負」は、当時明治座公演で舟木さんが葵新吾を演じられ、先日の中日劇場公演千秋楽のコンサートでも「葵の剣」を唄われました。
     
    何かと舟木さんとご縁の深い「新派」の中でも「鶴八鶴次郎」は、代表的な作品で、劇団新派の公式サイトでは「昭和10年の第一回直木賞を受賞した作品を13年1月に明治座で初演。*川口新派劇の傑作としイメージ 6て評価を上げた作品」と紹介されています。

    *川口松太郎(1899年(明治32年)10月1日 - 1985年(昭和60年)6月9日)
    日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。松田昌一の名で映画脚本も手がける。東京市浅草区浅草今戸町(現在の東京都台東区今戸)出身。
    洋服屋や、警察署の給仕、1915年(大正4年)の夏から約1年間、栃木県芳賀郡にあった祖母井郵便局に電信技士として勤務などした後、久保田万太郎に師事する。1915年小山内薫門下の脚本研究会員1923年(大正12年)の関東大震災の後、大阪のプラトン社に勤め、直木三十五と共に働き、『苦楽』の編集に当たる。劇団新生新派主事1938年(昭和12年)、大映監査役専務1947年(昭和21年)、同取締役1960年(昭和34年)、明治座取締役制作部長、浪花楽天地監査役。
    1935年(昭和10年)、『鶴八鶴次郎』などで第1回直木賞を受賞。代表作の『愛染かつら』(1937~1938)は、1938年(昭和13年)に映画化され、田中絹代・上原謙の主演で人気を博した。1964年(昭和39年)、文京区小石川水道町(現在の春日)へ移住、ここから亡くなるまで約20年間暮らすこととなる。1966年(昭和41年)、日本芸術院会員(第三部・演劇)。1973年(昭和48年)、文化功労者。
     
     
    原作の「鶴八鶴次郎」で、鶴次郎の年齢設定は29歳となっています。勘九郎さんは33歳になったばかりですから、ほぼ、お芝居の鶴次郎に近い実年齢です。舞台芝居の世界では、役者さんは、いくつ何歳になっても、若いお役を演じるものですから、実年齢がどうであろうとかまわないわけですが、やはり、年齢設定に近い役者さんが演じることのメリットもあるといっていいと私は思います。勘九郎さんの鶴次郎は前半のやんちゃで子どもっぽい感情表現しかできない鶴次郎の描き方が秀逸でした。終盤の、酒でお豊(鶴八)への思いをまぎらそうとするやるせない鶴次郎は、きっともう少し歳を重ねていくと、進化していくのだろうなぁと思いながら拝見していました。鶴八の七之助さんを見てると玉三郎さんと重なります。キレのいいセリフ回しでベタつかないのに艶っぽい女形としての資質はどこまでも伸びていきそうで、お二人とも本当に楽しみな花形です。
     
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    今回のパンフレットの巻末に「上演記録」が掲載されています。昭和13年の初演から、通算49回上演されています。舟木さんの鶴次郎は、48回目の舞台化だったことになります。6年前の舟木さんの年齢は63歳ですね。長谷川一夫さんが、映画「鶴八鶴次郎」で、鶴次郎を演じたのが31歳の時、調べてみたら、その長谷川一夫さんが、舞台で初めて鶴次郎を演じたのが1970年の歌舞伎座で、舟木さんと同じ62、3歳です。でも、長谷川一夫さんは、若い頃に鶴次郎を演じていらっしゃいますが、舟木さんは全くの初役ですから、また違った御苦労もおありだったかと思います。しかも、若イメージ 8い頃から深い縁のある新派の名作、その上、上演された2008年は「新派120年」という節目の年だったということですし、舟木さんにとって重責を感じる舞台ではなかったかと、今さらながら推測しています。
     
    上演記録を見ると、鶴次郎には、初演の時の花柳章太郎はじめ、長谷川一夫、十七代目中村勘三郎、、大川橋蔵という名前が、連なっています。鶴八も、初代水谷八重子、山田五十鈴、坂東玉三郎という名優がズラリ…
     
     

    平成20年 新橋演舞場 舟木一夫特別公演 10月3日~10月26日 「鶴八鶴次郎」
    ~以下、パンフレットから舟木さんの言葉を抜粋させていただきます~
     
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    イメージ 9「大いに躊躇しました。『婦系図』『風流深川唄』などとともに新派で熟成されてきた、現代の中の古典になっている。新派で培われた型、決まり事というものを僕らがきちんとなぞれる訳がない。新派育ちでもないし熟成されるのを見てきた人間でもない。新派の方以外は触れてはいけないものと思っていました。でも、昨年の演舞場公演後に、今年の演目の話になっていくつかの作品が候補になり、しばらくして「鶴八鶴次郎」でどうかという話になった。新派百二十年ということも関係があったのかもしれませんね。僕としてひと筋の明かりは舟木一夫公演の中の演目としてやるというところにある。そう明かりを絞ってやらないと、とてもできません。畏敬の念をはらいながらも、意識することは失敗につながると思うので、僕らは僕らの「鶴八鶴次郎」ができればと思います」
     
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    「川口先生(松太郎氏)に、『君の空気や雰囲気は新派だよ。十年後を新派でのスタートと思ってやってくれよ。』と言われました。水谷先生(初代八重子さん)も、自宅マンションに呼ばれて麻雀してる時に『私もあなたが新派に合うと思うわよ。今の芝居の力はともかく、姿、形は新派向きだと思うから、都合がつくならきたらいいわよ』とおっしゃって下さいました。川口先生は『十年の時間をやる。五年間で徐々に歌い手の仕事を減らして、その間、けいこ事でもしながら、新派に慣れてくれればいい楽屋内のことは私が全部するから』とまで言って下さって、僕も七割方はそうしようと傾いていたんです。でも、そうなったら、歌のスタッフたちが騒ぎ出した。俺たちはどうなるんだということで、僕も若いから、押され負けしてしまった。新派でやれるか不安もあったし、立ち消えになりました」

     
     
     
     
    イメージ 13新派へのお誘いがしきりにあったのは、舟木さんが二十三歳頃とのことです。明治座座長公演を始めた頃、また事務所を設立して独立した頃ですね。デビューから5年目あたりで、周囲の状況や、将来のことなど、社長としてもスタッフを抱える責任者としても考えなくてはいけないことが様々に押し寄せてきた頃と云ってもいいのかも知れません。
     
    舟木さんは、初代八重子と十七世勘三郎、二代目八重子さんと十八世勘三郎さんの舞台を御覧になったと、このパンフレットには書かれています。ということは、おそらく昭和50年の初代八重子さんと十七世勘三郎さんの舞台を二十代後半に既に御覧になっていたということになるのでしょう。二十代半ばの明治座公演の経験から新派の空気に馴染んでいらしたのですから、新派は舟木さんにとって親しみのあるものだったはずです。
     
     十七世勘三郎と初代八重子
     
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               十八世勘三郎さんと二代目水谷八重子さん
     
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    いずれにしても、新派の世界と舟木さんとのご縁は、ずっと途絶えることなく続いてきたからこその「鶴八鶴次郎」上演だったのだと思います。私は、わずか2年前に戻ってきたばかりの遅れてきた復活組ですから舟木さんの鶴次郎をオンタイムで拝見できませんでしたが、舟友さんのご厚意で資料をお借りして舟木・鶴次郎を拝見することができましたが、やはり、後半の「かわいいおんな」に芸人としてよりも立派な大店のお内儀として生涯を送る女としての出世、幸せをイメージ 15掴んでほしいと願いながらも、男の意地とやせ我慢のはざまのわびしさが漂う居酒屋の場面が印象に残りました。この場面では、役者としてのキャリアと人として円熟の域に入った年輪の強みを見せていらしたと思います。

    舞台役者さんは、同じ役を、生涯にわたって何度も何度も演じ続けますが、その年令、その年令で、しどころ、みせどころが変化していくのだと思います。ですから、同じ演目の同じ役を、同じ役者さんが、演じ続けていく歳月を、観る側も、ともに年齢を重ねていくうちに、違った角度や、感じ方で観ていくので、名作と言われるものは、何度観ても、飽きることなく味わえるのでしょう。歌い手としての舟木さんのコンサートのステージにも同じことが云えるのかも知れません。
     
     

    「鶴八鶴次郎」あらすじ (劇団新派公式サイトより)
                                                                                                 花柳章太郎の鶴次郎と初代八重子の鶴八
     
    イメージ 16大正時代の東京に鶴賀鶴八、鶴次郎という新内の名コンビがいた。二人は心の中ではお互いを尊敬し憎からず思っていたが、芸のこととなると譲らないのでいつも喧嘩していた。
    大正8年正月も大入りの舞台を終え、部屋へ帰ってきた二人は上機嫌でお互いに褒め合っていたが、鶴次郎が三味線の手について一ヶ所注文を出すと鶴八はカチンときて喧嘩になり、支配人の竹野に諭される始末。鶴八は自分のあまりの気の強さから鶴次郎に嫌われているのではないかと女心に案じていた。彼女には料理店伊豫善の主人・松崎という贔屓があり、求婚されているのだ。鶴八は鶴次郎を慕いつつも、鶴次郎の頑固さからいっそ伊豫善の申し込みを受けようかと考えることもあった。その年の4月、鶴八は大阪の名人会が済むと高野山に亡き母・先代鶴八の遺骨を納めに行く予定を果たそうと鶴次郎と出かけた。そこで鶴八は思い切って伊豫善へ嫁に入ろうかと思うと明かす。鶴次郎が愕然とし、嫁に行くなら私の所に来てくれと泣くのを見て、鶴八は胸をときめかし、二人は意地を忘れてお互いの恋心を打ち明け、夫婦の誓いを交わすのだった。
    それから1ヵ月後、鶴八は亡き母の願いだった鶴賀の名のついた寄席を伊豫善の資金援助で経営することになった。その打ち合わせで伊豫善が鶴八の自宅へ来て話し合っていると、嫉妬にかられた鶴次郎が血相を変えて飛び込んできた。鶴八も伊豫善も色気抜きの後援だと宥めたが鶴次郎はいきり立つばかり。ついに鶴八も頭にきて強い言葉を返すと、鶴次郎はお前との仲もこれきりだと言い放って飛び出してしまった。それから二年。場末のうらびれた寄席にいる鶴次郎の元に、伊豫善の妻となった鶴八が訪ねて来る。鶴次郎の事が忘れられず、彼をもう一度晴れの舞台に復活させたいと迎えに来たのだ。鶴次郎は、夫の許しを得た鶴八と二人で再び名人会に出演した。昔以上に芸が上がっていると絶賛を博した2人だったが、楽屋へ引き揚げてきたところで鶴次郎は鶴八の三味線に難癖をつけ始めた。鶴八は烈火の如く怒り、鶴次郎も引かないので二人は再びもの別れになってしまった。その夜、鶴八の番頭・佐平が居酒屋で酔いつぶれている鶴次郎を発見し短慮を諌めると、鶴次郎は、鶴八を心から愛していて、だからこそ芸道に引き戻して今の幸せを損ねたくなかったと本心を明かす。佐平は何も言わずに盃をさし、鶴次郎は再び酔いつぶれるのだった。

    映画「鶴八鶴次郎」 1938年公開  鶴次郎:長谷川一夫 鶴八:山田五十鈴
    youtubeで全編が見られます。舞台と異なる部分もありますが、貴重な映像ですので御覧下さい。
                                                              ~映画解説より~
     
    イメージ 12江戸時代に「座敷浄瑠璃」として発展した「新内語り」の文化の伝統を守る、一組の男と女がいた。鶴八鶴次郎である。鶴八は先代の一人娘で、鶴次郎は先代の直弟子。
    浄瑠璃を語る太夫の鶴次郎と、三味線弾きの鶴八の若いコンビの人気は、大衆の娯楽が限定的であった時代下の文化を賑わすほどの持て囃(はや)され方だったと言えるだろう。
    若くして「名人会」の高座に出演する二人だったが、お互いに男女の感情を意識しながらも、芸に対する深い思いの故に、それぞれの芸に対する把握の内実が微妙な差異を見せていて、事あるごとに衝突してしまうのである。
    二人の芸を後援する贔屓(ひいき)筋の松崎の存在が、それでなくとも意地っ張りな二人の関係に常に一定の緊張感を運んできて、少なくとも、鶴次郎の主観的立場から見ると、鶴八に横恋慕しているようにしか見えない、パトロンとしての男が放つ「御為ごかしの親切」は、二人の関係にとって障壁以外の何ものでもなかった。
    贔屓筋の松崎の資金援助の事実を知った鶴次郎が、抑え切れない怒りを鶴八に爆発させ二人は別れてしまう。鶴八と別れた鶴次郎が、どさ回りの芸人に身を持ち崩してしまうが、番頭の佐平らの尽力によって、再び名人会の場に戻って来た二人は、2年間のブランクを感じさせない巧みな芸によって大喝采を浴びる。そして鶴八は、再び芸一筋に生きたいと、夫と別れる覚悟をも鶴次郎に告げる。
    しかし、どさ回りですっかり疲弊した鶴次は困惑し惚れた女のためにひと芝居を打ち……
     
    *新内節(しんないぶし)とは
    鶴賀新内が始めた浄瑠璃の一流派。浄瑠璃の豊後節から派生したが、舞台から離れ、花街などの流しとして発展していったのが特徴。哀調のある節にのせて哀しい女性の人生を歌いあげる新内節は、遊里の女性たちにいに受け、隆盛を極めた。
    江戸浄瑠璃の例に漏れず、初期には歌舞伎の伴奏音楽として用いられたこともあるが、早く素浄瑠璃に変化し、さらに「流し」と呼ばれる独特の形式を生むにいたった。吉原を中心に街頭を一枚一挺で流す新内節は、その情緒纏綿たる語り口、遊女の心情をきめこまかに描いた曲の内容から、江戸情緒を代表する庶民的な音楽として知られるところである。その芸風は豊後節の影響をつよくうけ、また二代目鶴賀新内が美声によって知れた太夫であったこともあって、きわめて歌う要素のつよい浄瑠璃である。
    曲目には、義太夫節から借りた段物、遊里の情景や心中を描いた端物、滑稽を中心とするチャリ物があるが、新内として特に有名なのは端物である。「蘭蝶」や「明烏夢泡雪」はその代表曲といっていい。
     
    お芝居の中のセリフでも出てくる「蘭蝶」です~鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう)師による新内
    映画でも鶴八の山田五十鈴さんが、サワリ部分の三味線を弾いていらっしゃいます。
    http://www.youtube.com/watch?v=ZWADx2f_-gE  (youtube)
     

    天一坊の尾上松也さんのお祖父様も新派の俳優さんで「鶴八鶴次郎」の佐平役者さんでした

    9月の演舞場公演で天一坊を演じられた歌舞伎界の花形・尾上松也さん、お父様が尾上松助さんであることは、よく知られていますが、お祖父様も役者さんでした。そして晩年は春本泰男という芸名で新派でご活躍なさっています。「鶴八鶴次郎」の舞台では、主役である鶴八、鶴次郎についで重要なお役である、鶴次郎の番頭(今でいうマネージャー)の佐平は、当たり役だったそうです。上演記録によれば昭和47年に、故・市川團十郎(当時海老蔵)の鶴次郎、初代八重子の鶴八での佐平以来、平成9年に同じく團十郎の鶴次郎、波野久里子さんの鶴八の佐平までの間に7回も佐平を演じ続けられています。そういった意味でも、舟木さんとの松也さんとのご縁もまた浅からぬものがあったのだと思えます。
     
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    春本泰男(1912年6月2日~2001年2月19日)
    日本の新派俳優。本名は井上喜吉(いのうえ よしきち)。子役時代は市川小蝦(いちかわこえび)、井上 潔(いのうえ きよし)、青年時代はマキノ 潔(まきの きよし)、のちに春本 喜好(はるもと きよし)春本富士夫(はるもと ふじお)と改名を重ねた。子役時代から120本以上の映画に出演し、映画俳優としても活躍した。名脇役として、新派狂言の要のひとりとして晩年まで活躍を続けた。新派以外の商業演劇へも多数出演している。88歳没。子に六代目尾上松助と大谷桂三が、孫に二代目尾上松也がいる。
     
     
    ~「鶴八鶴次郎」 私の個人的感想~
     
    イメージ 24鶴次郎「あれはやっぱり、先代のようにやらなきゃいけないね」
    鶴八「そんなことはありませんよ。あれでいいんですよ」
    鶴次郎「どんな芸だって太夫が亭主で、三味線弾きが女房って昔から決まっているんだぜ。女房が亭主の言うことを聞くのは当たりめえでぇ。そいつをいちいち楯を突いていられちゃ、一緒に高座がなりたたねぇや」
     
    鶴次郎のあくまで先代の芸を継承するべきと主張する考え方、一方、鶴八が、母である先代の芸から抜け出す独自性を追求したいという想いが、お芝居のセリフに端的に描かれています。
    このお芝居の時代背景は、明治から大正に時代が変わろうとする頃です。「伝統と創造」は、今の時代にも「伝統芸」に携わる方たちの想いに通じるところがあって、伝統芸の継承の困難さは今も昔も、変わることがないのだと想像します。おそらく様々な葛藤の中で、伝統芸の灯を絶やさず、より一層の進化を目指して日々ご精進なさっていらっしゃるのだと、その世界の皆さんの舞台を拝見する度に感服する私です。
     
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    そして、また、「女性の幸せ」とは何か・・・というテーマも合わせて考えさせられます。少なくとも今現在の時点で、観客としての私が、感じたことは、鶴次郎が、鶴八の思う「人としての真の幸せな生き方」を理解できていなかったことの「不幸」を作者である川口松太郎氏は、念頭に置いていらしたのかどうか・・・ということです。
     
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    イメージ 21お芝居の終盤で、落ちぶれてしまった鶴次郎のために、ともに名人会の舞台にあがり、客席の賞賛を受けた鶴八は、やっぱり自分は鶴次郎の隣で三味線を弾いているべき人間なのだと、再び、芸一筋に生きようという決意を鶴次郎に告げます。そして、夫と離縁しても…という覚悟をも見せる鶴八に、鶴次郎は、怯んでしまうです。どさ回りに落ちぶれ「芸人の哀しさ」を経験した鶴次郎は、この先、お豊には同じようなおもいをさせたくないという気持ちに駆られ彼女のためにと、ひと芝居を打つのです。
    「自分が惚れた たったひとりのかわいい女」の「幸福」を願うばかりに、心にもない悪口をふっかけてしまった鶴次郎の純粋な想い、そして、その後にやってくる虚しい悲哀を酒でまぎらそうとする居酒屋での場面。これを、観ていると、守ってやるべきなのは女ではなく男のように思えてきます。
     
    イメージ 22物語の展開を観ていくと、鶴八は、鼻ッ柱の強い、芸人肌の強情な娘であることがわかりますが、とてもしっかりした自分の意志というものを持っています。常に、周囲とのバランスや自分の将来を考えている賢明さのある女性です。それに対して、舞台でも映画(長谷川一夫/山田五十鈴)でも鶴次郎は、自分の感情を整理できずに、なにかと誤解を招く態度をとってしまう「男の子」です(笑)

    お芝居の幕切れは、鶴次郎と佐平が冷たい木枯らしが吹き込んでくる場末の居酒屋で、うちひしがれた風情で酒を飲むというものです。いかにも「新派」らしい幕切れだという感じです。
     
    お芝居が終わったあと、現実にかえってみると、鶴次郎は、その後、どうなっちゃったんだろう?という心配が、頭をよぎります。不思議と、鶴八のことは心配になりません(笑)しっかり者ですから、この後日譚があるとしたら、きっと鶴八(お豊)は、再び鶴次郎を何かの形で、助けてくれる存在になるような気がします。
     
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    鶴次郎は、鶴八の三味線の腕が、長い舞台のブランクを経ても衰えるどころか、より上がっていることを認めています。同じ芸人として「張り合う」気持ちも、我知らずあったことでしょう。相方であっても好いた女でも芸人同士のライバル意識がなかったとは言い切れません。鶴次郎がお豊と別れようとした気持ちの核に「惚れた女の幸せを願う」という純な男心があったことは嘘ではないのだと思いますが、一方で妙な「男の意地」がかけらもなかったとは言い切れないような気が私的にはするのですね。
     
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    2008年 新橋演舞場・舟木一夫特別公演 パンフレット
    より再び抜粋掲載させていただきます。
     
    「鶴八鶴次郎」の永遠性  藤田洋(演劇評論家)
     
    イメージ 25川口松太郎は人間のあたたかみを描くすぐれた大衆的な作家であった。「鶴八鶴次郎」は「風流深川唄」と共にその作品価値が高く認められて、昭和十年第一回直木賞を受賞した。記念すべき小説である。自身が劇化して、芝居に上演されたのが昭和十三年一月明治座。~中略~
    時代は明治も終わりを告げた新時代の東京。序幕は大正八年頃の有楽座。支配人の竹野が、「講釈が典山、伯山、落語(はなしか)が小さん、円右、義太夫が綾之助、当代の名人と言われる芸人ばかりの中へまだ二十代のお前がた二人が特に選ばれて出た晴れの舞台」だと言う。九十年も昔の演芸界の様子を想像していただきたいと思う。
     
    高野山の場で、鶴八はこう云う「今度の旅は、お互いに芸の話は一切しないという約束なんですもの。私たちの喧嘩はいつだって芸の事よ。芸がなけりゃ、喧嘩なんかはじまりゃしないんですもの。」その鶴八が鶴次郎と喧嘩別れをしたあと、東京でも指折りの料理屋の内儀におさまり、新内を諦める。場末の寄席に落ちぶれている鶴次郎を助けようと、鶴八はコンビを復活させて再び名人会に出る。そこで鶴次郎は喧嘩を仕掛けて別れる。女にとって芸人に戻るのが幸せか、料理屋の内儀のほうがよいのか。
     
    幕切れの鶴次郎のセリフを最後に・・・
    「つまらねえ口喧嘩から、別れ別れになってはいても、俺はお豊に惚れている。今日、芸がまずいと言って仕掛けた喧嘩も、覚悟の上で仕組んだ事だ。あの人はもう、生涯高座へは、出なかろう。今のままで倖せに一生を送るだろう。それが何よりだ。何よりの出世だ。そうは思わねえか……そう思ってはくれねぇか、佐平」

    御自作の「鶴八鶴次郎」の歌もご紹介しておきます。二十代の終わり頃に既にこの歌を作られていたようです。初めて「鶴八鶴次郎」の舞台を御覧になった(1975年)頃あたりのお作なのでしょうか・・・
    舟木さんのこの詩を見ていただければ、お芝居を実際に御覧になっていない方にもその雰囲気や物語の展開がなんとなく伝わるのではないかと思われる、素晴らしい作品だと思います。
    2008年の演舞場「鶴八鶴次郎」公演の後の、サンクスコンサートで唄っていらっしゃいます。
    それ以前にも、後援会主催のコンサートでは、唄われていると思います。
    是非、現在の舟木さんの歌唱で、音源化され、多くの方に聴いていただけることを心から願っています。
     

    イメージ 26鶴八鶴次郎  作詩・作曲:舟木一夫
     
     
    水におしどり 月には桜
    幼なじみは つがい鶴
    生まれついての 芸人気質(かたぎ)
    糸とバチとが 好かれて好いて
    流す浮名も 江戸育ち
     
    意志と意地とが からんで燃える
    ひのき舞台の 三味の音
    今日も今日とて ねじめの陰に
    泣いて身をもむ おもいのたけを
    知らぬふりする 馬鹿どうし
     
    芸が荒れては その身の恥と
    さとす心の すきま風
    やぶれ障子の どぶ板長屋
    徳利枕の ごろ寝の夢に
    今日も他人の 花を見る
     
    冴えて悲しい 鶴八月夜
    酒の苦さを またさそう
    流す新内 未練じゃないか
    惚れて乱れの 鶴次郎さんの
    情けの切れ間に 棹をさす
     
    「鶴八鶴次郎」のお芝居の中でのキメぜりふです。
     
    鶴次郎「お客があって芸が生まれる」
    鶴八「聴く人があればこその名人上手」
     
    舟木さんと私たちとの関係も、こうありたいなぁとしみじみ思わせる珠玉の言葉だと思います。
     
     

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    14日と15日にはるばる兵庫県から中日劇場公演に行かれた、舟友のkazuyanさんの新作動画をご紹介します。今回、初めて舟木さんのふるさと一宮~萩原町を訪問され、時間をたっぷりかけて散策されました。たくさんの映像で「ROCK’N  ROLL ふるさと」をお楽しみ下さいね。
     
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    ROCK’N  ROLL ふるさと   作詩・作曲:上田成幸
     
    イメージ 2春の風ふわり 蝶の羽ひらり
    花の影ゆらり 昼寝の雲とろり
    迷い子のオタマジャクシ 
    そろり・・そろり
    ヒバリのラブシーン
    ピィロロ ピィロロ ピィロロ ピィロロ
     
         向かって左下がシゲちゃん ↓
     
    イメージ 3俺のふるさと愛知県
    濃尾平野のド真ン中
    学校サボって れんげの畑
    ハモニカ ピップッポー
     
    俺のふるさと愛知県
    一ノ宮からのりかえて
    単線電車で十二、三分
    その名も萩原町
     
    駅の正面 右折して
    徒歩で六分 つきあたり
    これこそオギャアとこのオレ様が
    お産まれになった 長屋
     
    春はつくしのおひたし
    夏はキュウリの生かじり
    秋空トンビも 年末(くれ)には夜逃げ
    ふるさとROCK'N ROLL
     
    俺のふるさと愛知県
    濃尾平野のド真ン中
    恋しさちらほら 想い出きらり
     
    ふるさとROCK'N ROLL
    ふるさとROCK'N ROLL
    ふるさとROCK'N ROLL
     
     
     
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    中日劇場公演が終わって早くも一週間が経ってしまいました。時間の経つのが早過ぎてコワイ!
     
    中日劇場公演に合わせて、舟木さんのふるさとの一宮~萩原町への「舟旅」を楽しまれた舟友のkazuyanさんが、またとっても嬉しい動画を作って下さいましたのでご紹介します。
     
    舟木さんが中日劇場公演の千秋楽のコンサートで唄ってくださった「帰る」を、萩原をメインにした散策の映像の動画です。
     
    誰よりも舟木さんご自身に観ていただけたら・・・と思っている私です。舟木さん、ぜひ、観てね~ッ!
     
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                   デビュー当時、実家前でジャンプ!
     
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       ♪濃尾平野のど真ん中!当時の萩原町
     
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    イメージ 6帰る 作詩:植田梯子 作曲:山路進一
    (1968年 4曲入LP「絶唱」収録曲)
    (15周年記念「限りない青春の季節・自薦12曲」収録)

    あなたは帰る あなたのふるさと
    ひとみ明るく 望みに満ちて
    東京がいやになったのではないと
    ふるさとの母とみどりが恋しいと
    あなたは帰る あなたのふるさと
     
    あなたは帰る あなたのふるさと
    涙をそっと 遠くに投げて
    あのひともきっと訪ねてくるからと
    ふるさとの 花と祭の季節にと
    あなたは帰る あなたのふるさと
     
    東京の思い出いつも生きてると
    ふるさとの空に林に語りたいと
    あなたは帰る あなたのふるさと

    帰る 帰る 帰る ・・・・・
     
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    川崎市の舟友さんからコメント欄に嬉しい情報をいただきました。ありがとうございました。
     
    舟木さんがNHK総合テレビに出演なさいます。楽しみですね。お見逃しなく!
     
    12月2日(火) NHK歌謡コンサート 20時~20時43分 
     
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    もうひとつ、舟木さん情報です
     
    月刊「歌の手帖」2015年1月号 表紙/巻頭インタビュー「青春は眠らない」
     
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    先ずはわが町の紅葉から……
     
    私の散歩コースの九華公園(きゅうかこうえん、あるいは くわなこうえんとも読みます)
     
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    九華公園の中の鎮国神社、夕暮れ近くに撮ったものなのでちょっと暗いですが…
     
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    私の母校の精義小学校の正面玄関わきにある大きな大きな銀杏の木
     
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    イメージ 4虹のむこうに  作詩:丘灯至夫 作曲:山路進一
    http://www.youtube.com/watch?v=7JDEuG5rjrM
    (1965年4月 「東京は恋する」カップリング曲)
     
    誰にも知れぬ 苦しみを
    背負って生きる 淋しい日
    虹の彼方に 住む人は
    たくましく 
    歩けと今日も 呼んでいる
     
    嫁いでいった 姉のよう
    この世にいない 母のよう
    虹の彼方に 住む人は
    あたたかく
    励ましかける 呼びかける
     
    故郷を遠く ひとり住む
    都の空に 仰ぐ虹
    虹の彼方に 住む人は
    いつ逢える
    あこがれの人 僕の人 
     
     
     
    舟木さんのプチ情報  その1
     
    浅草新仲見世商店街で「アートギャラリー昭和歌謡史」と題したマルベル堂のプロマイド写真が、アーケードに飾られているそうです。11月1日からスタートしていて展示期間は、来年1月31日迄。懐かしの名曲も流れているとのこと。17日に浅草に宿泊してたのに、その時には知らなくて見られなかったので残念!12月には、見に行ってみようかな。 (下の画像は「歌の手帖」ブログよりお借りしました)
     
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    舟木さんのプチ情報  その2
     
    イメージ 7歌の手帖 2015年1月号 巻頭インタビュー 

    表紙は淡いグレーのスリーピースですが、インタビューのお写真では、白のトレーナーに真赤な綿パン、白のスポーツシューズという、カジュアルで若々しいスタイル。とってもいい笑顔のお写真だったので、買いたくなってしまったのですが・・・本屋さんで、立ち読みしてきました(笑)記事は5ページ。

    ~「眠らない青春」について~
     
    「舟木さんの自作詩ですが、ご自身の経験から?」…
     
    という質問には、個人的な経験というのではなく、若い頃の恋愛というのは、誰でも、そうだったんじゃないかというあくまで、「創作」であって、ご自身が、二十代の頃には、忙しくて恋愛する時間もなく、いつも人の目があったから……と必ずしも経験から生まれたものというわけではないという感じのお答えのようでした。
     
     
    イメージ 8詩でも小説でも、実体験というより、感覚的体験を培養してイメージを膨らませて創造していくものだと思うので、舟木さんのお答えは、とっても納得がいきます。
     
    気に入っているフレーズは「さよならの足音は 春の日のにわか雨」だとおっしゃって、二十代の初め頃の恋を三十代半ばあたりになって、ある場面とか空気とかに触れた時に、ふっと想い出すような感覚、というような、とってもセンシティブな、舟木さんらしい説明をされていました。ふむふむ…なるほどっていう感じでした(笑)
     
    ~いかに舟木一夫らしく終われるか… それはまとまらないこと ~
     
    今の課題は、これからの三年、いかに声をキープしていくか…二年に一回くらいは発声法を変えていくだろう。でも、水鳥の水面下のバタ足は見せないというのは前提です…とプロの歌い手としての自負に満ちた言葉も…
     
    55年までの三年間、どうなるか…二十代の頃の三年とは、わけが違うからね…
     
    聞き手の方が、「そういいながら、来年も唄ってくださるんですよね。」とツッコむと…
     
    だって、やる気あるもん(笑) と……
    その時々の自分の声の響きを最高の状態で楽しんでいただけるように…

    あくまで、「立ち読み」した私のたよりない記憶の範囲ですが、ちょっとだけご紹介しました。
    「歌の手帖」さん、立ち読みでどうもすみません
    記事の内容も、舟木さんのお写真もとってもいいので、皆さん、買ってくださ~い
     
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    先日、当ブログでお知らせしました。舟木さんのテレビ出演情報の放送日が変更されました。
    生放送ではなくなるのが、ちょっと残念ですが、御覧になれますのでご安心ください。
     
    選挙関連番組の編成のため「NHK歌謡コンサート」の放送日時が事前に出ている情報と変更になっています。

    12月2日に収録するものは 12月23日(火・祝日)に放送!
     
    歌謡コンサートブログ↓
    http://www.nhk.or.jp/utacon-blog/   詳しくはこちらでご確認下さいね
     
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    いち早く、放送日変更のお知らせを下さった舟友さんに感謝です。ありがとうございました。
     
     
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    青空に映える今朝の紅葉
     
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    この後、ご紹介する1979年、1980年の日劇のステージのラストで唄われているのが「グッド・バイ・ソング」です
     
    イメージ 2グッド・バイ・ソング  作詩・作曲:舟木一夫
    https://www.youtube.com/watch?v=_pfBKdSJNX8 
    (1980年1月発売 「明日は明日で」カップリング)
     
    誰のために歌は流れ 誰のために消えゆく
    追えば逃げる 待てばはぐれる
    時はいつでも気まぐれ
    どんなに強く心よせても
    別離(わかれ)の唄は聞こえる
    誰もとめることはできない
    それが出逢うということ
     
    Good-bye-Love Good-bye-Song
    静かに灯りがおちる
    Good-bye-Love Good-bye-Song
    小さな旅路は終わる
     
    イメージ 3幕が上がり 歌が弾み 悲しいことは忘れた
    言葉・笑顔・涙・想い出
    ひとつもうそはなかった
    あなたはじっと見つめてくれた
    それが何よりうれしい
    幕が下りる きっと私は
    新たな日々へと旅立つ
     
    Good-bye-Love Good-bye-Song
    それしか今は言わない
    Good-bye-Love Good-bye-Song
    明日の出逢いのために
    Good-bye-Love Good-bye-Song
    静かに灯りがおちる
    Good-bye-Love Good-bye-Song
    小さな旅路は終わる
     
    Good-bye-Love Good-bye-Song
    明日の出逢いのために

     
     
     
    私が、「グッド・バイ・ソング」を初めてナマのステージで聴かせていただいたのが、2012年の12月26日の新橋演舞場シアターコンサートでした。アンコールとして最後に唄って下さったのを感激して聴いたのが、まだ、つい2年前のことです。
    この年の9月に新歌舞伎座公演で舟木さんと再会できて、雷に打たれたようなショックを受け、もっと舟木
    さんの歌を聴いてみたいと思い、先ず最初に買ったCDが「芸能生活50周年記念 舟木一夫プレミアムBOX」でした。そこに「グッド・バイ・ソング」も収録されていました。
    舟木さんのことを何も知らないでいたので、作詩、作曲などもなさっていることすら知らずにいたのですから、こんなに心に沁みるいい曲を作られることにも驚く同時にとっても気に入っていた曲でした。ですから、初めてナマのステージのラストでこの歌を聴けた時には胸がいっぱいになり、鼻がツーンとして涙ぐんでしまったのを覚えています。

    1980年1月リリースのシングル「グッド・バイ・ソング」が、翌年のピンクレディーの解散コンサートのオーラスで歌われたのは、有名なエピソードですね。以下、大倉明氏の「青春賛歌」より少し抜粋させていた
    だきます。
     
    ピンクレディー解散コンサートライブ 「グッド・バイ・ソング」 ↓
     
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    ~シンガーソングライターの第一弾として昭和55年1月にシングル「グッド・バイ・ソング/明日は明日で」
    (作詩作曲・舟木一夫)とアルバム「29小節の挽歌」をリリースした。この年は、山口百恵が三浦友和との
    婚約を発表(3月)、松田聖子が「裸足の季節」でデビュー(4月)という明るい話題と、ザ・ビートルズの
    ジョン・レノンが米ニューヨークの自宅前で射殺されるという暗いニュースの入り混じった1年だった。~
     
    この曲が作られた頃の、国内外の芸能界の状況を大倉氏が、実に端的にまとめていらっしゃるので、当時の自分の状況と重ね合わせることができます。1975年生まれの長女、1978年生まれの次女の子育てに追われていた頃になります。私は、ピンクレディーはもちろん、当時はテレビを見る暇も、芸能界のことにも全く関心がなかったですから、この「グッド・バイ・ソング」が、ピンクレディーの解散コンサートで歌われたことなど知る由もなく、まして、その曲が舟木さんの手による作品であったことは、大倉氏の「青春賛歌」を読んで初めて知りました。

    舟木さんのことを、あまりにも知らなさすぎるので、その歌い手としての旅路を少しでもたどることができれ
    ばと、手に入れることができる範囲で、諸々の資料を、集めたのですが、その中に、1979年と1980年の日本劇場でのステージのパンフレットがあるので、ここでご紹介したいと思います。
     
    1979年  5月31日~6月6日 日本劇場 「絶唱!舟木一夫」 パンフレット 
     
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    デビュー当時や、今のように、数多くのコンサート活動をなさっていない時代…舟木さん曰く「寒い時期」の
    ステージのパンフレットで、とても地味な感じです。写真も、モノクロで、お世辞にもいい写真とは言えない
    のが、残念ですが、それも、舟木さんの今につながる大切な軌跡であり、長い旅路の中の風景の1ページであるのだと思えます。
     
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    イメージ 8ららばい  作詩:藤公之助 作曲:大野真澄
    (1979年発売 ATG映画「青春PARTⅡ」のテーマ)
    たとえ傷つき 泥にまみれて
    負けたって いいじゃないか
    何もしないで ため息ついて
    わけ知り顔するよりは
    若さにまかせ
    しゃにむに 生きてみたよ
    壁にぶつかり深傷(ふかで)負うたび
    自分で傷口 癒してきたのさ
    ほっといてくれ 世話などやくな
    そんな寂しさが
    なぜか 好きさ 俺は……
    口を結んで 水面(みなも)見つめる
    釣り人の 孤独じゃなく
    汽車の座席に 身を沈めてる
    旅人の孤独じゃなく
     
     
    イメージ 9*
    俺には俺の
    この生き方が似合う
    行きつ戻りつ 戻りつ行きつ
    幸せなんかにゃ 縁はないのさ
    それでもいいと お前は言った
    ついて来る気かい
    こんな こんな 俺に……
    イメージ 10*くりかえし

     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 12はぐれカモメ 作詩:藤公之助 作曲:大野真澄 
    https://www.youtube.com/watch?v=yRzhUsXnG6k
    (1979年3月発売 「ららばい」カップリング曲)
     
    男は誰でも 淋しいはぐれカモメ
    自分の啼き声に 淋しさつのらす朝
    女の涙が 旅立ちの邪魔をする
    黙って行かせてくれよ
    わがままを許してくれ
    愛をついばみそこねて
    季節が ひとつ移ろう
     
    イメージ 11男は誰でも 淋しいはぐれカモメ
    翼をはばたかせ 淋しさまぎらす夜
    他人(ひと)のやさしさに なぜか苛立ってくる
    そっとしておいてくれよ
    一人にしておいてくれ
    愛をついばみそこねて
    季節が ひとつ移ろう
     
    男は誰でも 淋しいはぐれカモメ
    沈む夕陽めざし ひたすら翔びつづける
    破れた翼を 波間で休めながら
    女のあのぬくもりが
    しみじみ今 なつかしい
    愛をついばみそこねて
    季節がひとつ 移ろう
     
     
     
     
    「より大きくたくましくなった舟木一夫」   森田潤    (1979年 5月31日~6月6日 日劇公演パンフレットより)
     
    舟木一夫が、久しぶりに日劇の舞台に立つ。デビュー十六年目。日劇は、昭和三十九年九月初舞台を踏んで十五年目になる。~中略~昭和十九年十二月十二日生まれだから、もう三十四歳である。「高校三年生」でデビューした時は、十八歳の高校生で、八重歯をのぞかせた色白の美少年が、黒いツメエリ服によく映えてたちまち少女ファンのアイドルになったものである。~中略~もちろん初めての日劇ショーも大入り満員で、新鮮な舞台が、つい昨日のように想い出される。やがて、橋幸夫、西郷輝彦らと「御三家」と呼ばれるようになり、歌謡界のトップグループを形成していく。
    一昨年七月のこと、ここ日劇で「芸能生活十五周年記念公演 怪傑児雷也」の最中に、実父の上田栄吉さんが亡くなった。”父キトク”の知らせを受けたのは、舟木が舞台出演中。終演後、病院へ駆けつけた時は、息を引き取った後だった。楽屋へ舟木を訪ねると、淡々とした表情なのにちょっと驚かされた。
    「オヤジは"役者は親の死に目に会えないものだ”と口グセのように言っていました。だから、キトクと聞いても、それは覚悟していたんです。息子と父親の関係も芸能界に入れば、そうではなくなります。せめて舞台で立派にやり通すことで、オヤジを、見送ってやれると思うんです。」
    親と子の永遠の別離が悲しくないはずはないが、むしろ蒼白い顔を引きしめて語る舟木に、妙な感動をおぼえたことを思いだす。
    舟木ほど、ファンをやきもきさせたスターも珍しい。舟木ほどのスターなら、普通人には想像もつかない複雑な条件が降り重なるものだが、彼は、ふりかかる物すべてを受け容れ、円満に事を運ぼうとする。
    無類のお人好しと、物わかりの良さがそうさせるのだろうが、世の中そんなに甘くはない、仕事や対人関係が複雑になればなるほど、そのどれを断り、受け容れるか取捨選択をはっきりしなければならない。
    だが、舟木はすべてを受け容れ、どうにもならなくなって、自らを滅ぼそうをするのだ。もうすんだことじゃないかといわれもしようが、多くのファンが、まなざしを熱く注げば注ぐほど、舟木という男への理解を深めなくてはなるまい。
    昨年秋には、久しぶりの映画「青春PARTⅡ」で、競輪に情熱を燃やすギャンブル青年を演じたが、陰影のある演技でみごとに青年像を表現していた。こんどの舞台では、どんな芸域を見せてくれるか楽しみである。
     
     
    1980年  2月23日~2月25日 日本劇場 「絶唱!舟木一夫」パンフレット 
     
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    1980年 日劇のコンサートのセットリスト
     
    第一部
     
    学園広場/高原のお嬢さん/友を送る歌/北国の街
    ブルートランペット/哀愁の夜/紫のひと
    木挽哀歌/絶唱/初恋/花咲く乙女たち
    かっぽれ/恋のお江戸の歌喧嘩/やなぎ小唄
    右衛門七節/魔像/総司がゆく/あゝ桜田門/銭形平次
     
    第二部
    センチメンタルボーイ/よみがえる夜明け/風の香り
    立ち話/ららばい
     
    みんな旅人/れ・く・い・え・夢/都会の子守唄
    ガラスの架橋/この愛をもう一度
     
    学園広場/修学旅行/仲間たち/君たちがいて僕がいた
    高校三年生/二十九小節の挽歌
     
    グッド・バイ・ソング
     
     
     
    イメージ 16芳醇な男の魅力に期待する  中根幸夫(音楽評論家) 抜粋
     
    ~実際、男が男らしい魅力を存分に発揮できるには、三十代も後半から四十代、五十代においてではなかろうか。若さの素晴らしさとはまた違った意味で、男のにおいとか色気とかがにじみ出てくるのは、まさにこれからなのだ。さりげない姿にも、堪らない良さがあるといわれるように、女性からはもちろん男性からも思われるようになって欲しい~

    上記の文が、書かれてから、35年が過ぎようとしています。まだ35歳の頃の舟木さんへのメッセージということになりますが、中根氏が、舟木さんへ手向けた言葉がそのまま…というより、おそらく中根氏の想像や期待をはるかに超えた形で、現実のものとなっていることを、私を含めて舟木さんファンは、どなたも、幸せな事に深く実感しています。
     
    この頃のパンフレットの舟木さんは、痛々しいほどに細くて、ちょっと触れたら折れてしまいそうです。ところが、どっこい、その後も、一人の人間としても、歌い手としても決して平坦ではなかった旅路を逞しく歩み続けて来られ、見事な今があるのですから、時々、この頃のパンフレットを取り出して、後ればせながらも、舟木さんと「再会」できた幸せをしみじみとかみしめている私です。
     
     
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    「鬼に笑われる」のも、顧みず、心はすでに、来年二月の新歌舞伎座公演へと向かって飛んでいる今日この頃です。
     
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    新歌舞伎座 舟木一夫特別公演 花の風来坊~おとぼけ侍奮闘記~
     
    新歌舞伎座公演 「花の風来坊~おとぼけ侍奮闘記」 脚本:井川公彦  演出:成瀬芳一  あらすじ 
     
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    手元のチラシや新歌舞伎座のHPを見ると、原作者は北園孝吉とあります。早速、手元に原作の文庫版を取り寄せました。
     
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    主人公の「おとぼけ侍」なる松平誠之助、実は十一代将軍徳川家斉のご落胤。宮津七万石の御世継ぎ。世をしのぶ仮の名を深海鯛平(お芝居では天下泰平)。そのイメージは、もうくっきり、はっきりと舟木さんのお顔と姿形ができあがっていますので、声も、勝手に舟木さんのステキなお声を描きながらセリフを読んでいくので、どんどん読み進めてしまいました(笑)
     
    タイトル通りの「おとぼけぶり」を随所で見せる上品で色白の二枚目。美女たちにモテ過ぎて困ったあげくのらりくらりとかわしてスタコラと逃げる様もライトコメディ・タッチです。
     
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    腕はめっぽう立つのに、争いを好まず、「悪者」たちにからまれると、持ち前のおとぼけを発揮して、ひたすらその場から逃げるのみというのも嬉しく、強くて優しい「おとぼけ侍」のイメージが、舟木さんそのものという感じです。お江戸の風情もたっぷり感じられ、クスッと笑えるほのぼのとした楽しい時代小説でした。
     
    私の取り寄せたのは、春陽文庫で、定価が160円。昭和46年4月20日第一刷発行、昭和47年7月15日第八刷と裏書に印刷されています。わずか一年余りの間に8刷まで出ているので、当時のベストセラーと言ってもいいように思います。初版は1957年発行のようです。
     
     
    ~春陽文庫「おとぼけ侍」カバーの紹介文~
     
    江戸八丁堀の掃きだめ長屋に住む大男のひげ浪人阿部川勘蔵のところに、深海鯛平と名のる美男浪人がいそうろうにやってきた。腰の刀は竹光でも鯛平の剣の腕はすごい。阿部勘と鯛平のふたり組は、町の看板や障子の字を書きかえる字書き屋という気楽な商売をはじめた。同じ長屋に老いた浪人加山勝右衛門とその娘の美女鶴江が住んでいたが…。不運にも勝右衛門は夜道で行きあった覆面の武士の一行に切り殺されてしまった。その一部始終をみとどけたのが、二代目ねずみ小僧ことあんまの富ノ市であった…。どもりで気のいい姐御ふうてんのお吉、悪岡っ引きキズ源、深川の美妓小えん、卍どもえと諸人物が入り乱れてくりひろげる明朗時代劇!そして、主人公・鯛平の意外な正体は。
     
     
    1957年には、既に発表されていて何刷も発行されている人気小説なので、これはきっと時代劇の全盛期に映画化されているのでは?と推理して、さらにチェックしてみたら・・・なんと、図星!1961年に、大川橋蔵さん主演で「橋蔵の若様やくざ」として映画化されていたのですね。
     
    原作を読みながら「想像のつばさ」を広げて、どんな舞台になるのか徐々にワクワク度を高めています(笑)原作については、amazonのサイトを見るとまだ在庫がありますので、興味とお時間のある方は、御覧下さいね。

    イメージ 4橋蔵の若様やくざ 1961年6月11日 劇場公開
     
    監督:河野寿一  
    脚色:結束信二 
    原作:北園孝吉
     
    キャスト
    大川橋蔵:鯛平
    木村功:鼠小僧三郎吉
    大川恵子:鶴江
    桜町弘子:お雪
    久保菜穂子:いざよいお吉
    千秋実:阿部川勘蔵
    大河内傳次郎:後東四郎右衛門
     
    あらすじは、映画解説のサイトよりも、下記の「時代劇映画感想文集」がバツグンに面白くて映画の雰囲気がよく伝わってくるように感じたので、転載させていただきました。「リンクはご自由に!」となっていましたので、ありがたく使わせていただきました。
     
    あくまで映画化の際に原作が脚色されていますので、北園孝吉氏の原作とはいくらか異った部分があります。舟木さんの舞台も、原作や、映画とは、またひと味違う新たな脚色になっていることでしょうね。

     
    あらすじ    (時代劇映画感想文集 http://www.geocities.jp/mirror_django/index.html)より
     
    イメージ 5徳川十一代将軍の頃、宮津を治める松平丹後守は将軍より、千鳥の香炉を賜わったが、二代目鼠小僧(木村功)に盗まれてしまった。鼠小僧は丹後守の政敵の大名、風早主水亮(安部徹)に雇われて、この盗みをしたのだが、風早の人物が気に入らなかったので、今度は風早邸から香炉を盗み出し、幸福の手紙(今で言う不幸の手紙)をくくりつけて、江戸市中に放り出してしまった。
     
    ある日、江戸の町に大道芸で生計をたてている浪人、安倍川(千秋実)をからかうやくざ者、鯛平(大川橋蔵)が現れた。鯛平は鼠小僧の行方を追っていたが、お吉という女(久保菜穂子)に有り金をスラれ、人のいい安倍川の長屋に転がり込んだ。お吉は鼠小僧の女房だった。安部川の長屋に年老いた浪人と、その娘が住んでいた。年老いた浪人、加山達衛門(小沢栄太郎)はかつての主君、風早の元に金の無心に行き、そこで風早が香炉を盗んだことを知り、殺害されてしまう。身よりのなくなった美しい娘、鶴江(大川恵子)を鯛平達が励ます。
     
    しかし実は鯛平が求める香炉は鶴江が今は持っていることを、鯛平は知らない。
    悪徳目明かし、キズ源(沢村宗之助)は、鶴江を風早の屋敷に奉公に出そうとする。一度は断った鶴江だったが、鼠小僧から風早が父の仇であることを知らされ、仇討ちの決意を固めて奉公に出る。一時、姿を消していた鯛平は侍姿で再び町に現れ、事情を知ると、風早の江戸屋敷に向かう。鼠小僧夫婦も同伴し、三人は鶴江を助けて大暴れ。鯛平は風早を斬り、鶴江が止めを刺して、父の仇を討った。
     
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    鯛平達が外に出ると、奉行所の役人たちが多勢待ち構えていて、逮捕されそうになるが、松平藩の家臣たちが駆け付ける。先頭に立つ松平藩家老、後藤四郎左衛門(大河内伝次郎)が、「この方をどなたと心得る!」

    一喝する。どなた、って松平藩の若様でしょ?って観客は思うわけだが、全くその通り、松平藩当主丹後守嫡男、松平新太郎だった。若様は鶴江から香炉を返してもらい、念願の目的を達成した。
     
    こうして一件が落着し、若様は国元に向かうが、それを後藤が追いかけて来る。江戸屋敷に大事に保管していた香炉が、鼠小僧に奪われてしまったという。「じゃ、また江戸に戻って香炉を探すわ」と言う若様。ほんとは香炉を鼠に盗ませたのは、若様本人。江戸の人たちとの交流が忘れ難く、江戸に戻る口実がほしかったのだ。「今度は長くなるかもな」と言い残して、裃・袴を脱ぎ捨て、江戸に向かう若様。帰って来る若様を、仲間達が出迎える。遠眼鏡を鼠小僧から取り上げて、安部川が覗くと、そこに映るのは、「終わり」の文字だった。
     
     
    原作によると鯛平が、すし売りになりすまして、悪漢の風早屋敷に忍び込んだ時の様子を、北園氏は、こう描写しています。
     
    麻布長坂の風早屋敷へ、現れた男も、豆しぼりの手ぬぐいを吉原かぶりにして、ちくさのもも引き、麻裏ぞうり。それに、この男は、菊五郎格子の縮みを軽く着こなして、しりっぱしょりしたこいきな姿。
    どこから見ても「すし売り」で、これが深海鯛平とは思えないほど、身のこなしもいたについている。
     
    そこで私が、気になったのが「菊五郎格子」です。
     
    イメージ 8菊五郎格子
    縦4本と横5本の合計9本の縞を縦横に交差させた格子柄の間に「キ」と「呂」の文字を入れ
    「キ九五呂(きくごろ→菊五郎)」を読ませる。
    江戸後期の文化・文政時代の歌舞伎俳優、三代目・尾上菊五郎(おのえ・きくごろう)が
    考案したとされる。
     
    チラシで舟木さんがお召しになっているのは「菊五郎格子」ではなく「桧垣」「網代桧垣」というのでしょうか?いずれにしても、とっても粋ですね。
     
     
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    今日から12月…今年もあとわずかとなりました。そして、12月は、舟木さんのお誕生日月でもあります。
    中野サンプラザ、新歌舞伎座BIG3、新橋演舞場シアターコンサートなど、お忙しい舟木さんが、お元気でお誕生日を迎えられることを心から願っています。カレンダーのマークに注目
     
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    先日、来年二月の新歌舞伎座舟木一夫特別公演のお芝居「花の風来坊~おとぼけ侍奮闘記」に関連して、昭和36年に、このお芝居の原作「おとぼけ侍」(北園孝吉作)が「橋蔵の若様やくざ」というタイトルで映画化されていることをご紹介しました。
     
    そして、大川橋蔵さんと云えば「銭形平次」、「銭形平次」と云えば、舟木さんのコンサートでは、舟木さん
    曰く「ステージの戦力」として欠くことのできない代表曲となっています。
     
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    あるコンサートのトークでも「高校三年生」を知らない世代でも「銭形平次」の歌は、知っているのでは…
    とおっしゃっていました。確かに、その通りなんですね。私は、三人の娘がいますが、長女は1975年生ま
    れなので来年の誕生日がくると40歳になります。その長女も「高校三年生」は知らなかったのですが、「銭
    形平次」のテーマソングは、知っていました。「銭形平次」の放映が始まったのは、1966年5月です。
    1984年4月までの18年間、毎週水曜日に放映され、ドラマ史上最長の全888回という長寿番組として
    ギネスブックに認定されているということです。そんな連続時代劇ドラマの金字塔を打ち立てられた大川橋蔵さんは、「銭形平次」の最終回放映(1984年4月4日)から、わずか8カ月後の1984年12月7日に亡くな
    られました。私は、この頃は、ほとんどテレビを観ていなかったので「銭形平次」も観ていませんでしたが、
    55歳というあまりに若い橋蔵さんの死を知った時には本当に驚きましたので、よく覚えています。
    その大川橋蔵さんが、亡くなってから、もう30年になるんですね。本当に、あらためて自分が年をとったこ
    とを痛感してしまいます。
     
    二代目 大川橋蔵(にだいめ おおかわ はしぞう)                 女形の橋蔵さん
     
    イメージ 41929年(昭和4年)4月9日 - 1984年(昭和59年)12月7日)
    歌舞伎役者、のち時代劇の俳優。本名は丹羽 富成(にわ とみなり)、旧姓は小野(おの)。
    柳橋の芸妓の子として生まれ、生後まもなく小野家の養子となる。養父は二代目市川瀧之丞という歌舞伎役者で、端整な顔立ちの富成を役者に育てようと、幼い頃から舞踊を仕込む。のち、知り合いだった四代目市川男女蔵の部屋子とした。
     
    1935年(昭和10年)11月、市川男女丸を名乗って初舞台を踏む。そのとき舞台を務めていた六代目尾上菊五郎に素質を認められ、以後目をかけられるようになる。1944年(昭和19年)10月には六代目の妻・寺島千代の養子となり、その実家の「丹羽」姓を継ぐとともに、二代目大川橋蔵を襲名した。「大川橋蔵」は、かつて三代目菊五郎が一旦引退した後、舞台復帰した際に名乗った由緒ある名跡である。実子がないので養子(七代目尾上梅幸)をとったら、今更ながらに実子(二代目尾上九朗右衛門)に恵まれてしまったという複雑な家庭の事情をもつ六代目が、この名跡を橋蔵に与えて妻の養子とした意味は大きかった。橋蔵をもう一人の「菊五郎」の継承者候補とすることで、三人の子はより一層の切磋琢磨を強いられることになったのである。この頃から六代目は体調を崩しはじめ、晩年はその芸も曇りがちになったが、それでも橋蔵は1949年(昭和24年)7月に六代目が死去するまで一つ屋根の下で暮らしを共にし、音羽屋相伝の芸のみならず、役者として、そして大看板として己がいかにあるべきかを身につけていった。
     
     
    六代目亡き後は菊五郎劇団に属し、主に娘役として頭角を現すようになる。菊五郎劇団の女形としては、まず七代目尾上梅幸がおり、次に七代目中村福助が控えていたが、橋蔵はその後に控える第三の地位を占めるようになった。しかし六代目という絶対の後ろ盾を失った橋蔵は、戦後という新しい時代の中で歌舞伎界の前途や自身の将来に不安を感じていた。またこのころ、一足先に大映から銀幕デビューした八代目市川雷蔵が、自分とよく似た境遇にあった橋蔵に映画界入りをしきりに勧めていたという。1953年に東映入りした中村錦之助の映画界入りの際のゴタゴタなど、保守的で硬直化した当時の梨園の内部事情も影響し、最終的に映画界入りに際して歌舞伎の世界と縁を切ったが、歌舞伎に対する敬意と愛情は終生持ち続け、映画転向後に自身の一座を組んで舞台公演を行う際には、必ず『お夏狂乱』『鏡獅子』『船弁慶』などの歌舞伎舞踊を中幕の演目に選び、観客を喜ばせた。
     
    今日から12月ということですので、御命日を前にして、映像で観る日本の美男の典型のような若き日の橋蔵さんを、舟木さんの持ち歌とコラボさせた「動画」を見つけましたので、ご紹介させていただきます。
     

    敦盛哀歌  作詩:村上元三 作曲:古賀政男
    http://www.dailymotion.com/video/x24xssh_%E6%95%A6%E7%9B%9B%E5%93%80%E6%AD%8C-%E8%88%9F%E6%9C%A8%E4%B8%80%E5%A4%AB_music
    (1966年5月 「銭形平次」カップリング)
     
    イメージ 5須磨の浜辺に 波白く
    よせて返らぬ 十六の
    花のいのちは 匂えども
    俤あわれ 公達は
    無官の大夫 敦盛ぞ あゝ敦盛ぞ
      
    一の谷吹く 風さむく
    吹けば悲しき 横笛の
    月の調べは 流れても
    名こそ残れる 公達は
    無官の大夫 敦盛ぞ あゝ敦盛ぞ
      
    ひよどり越えに 雲荒れて
    弓鳴り渡る 戦いの
    雲の流れは 消えたれど
    まゆずみ薫る 公達は
    無官の大夫 敦盛ぞ あゝ敦盛ぞ

    笛吹若武者  1955年12月4日公開
     
    監督:佐々木康 脚色:八尋不二 原作:北条秀司
    大川橋蔵:平敦盛
    美空ひばり:玉織姫
    大友柳太朗:熊谷直実
     
    大川橋蔵さんの映画デビュー作。26歳の作品
     
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     「笛吹若武者」撮影中の26歳の橋蔵さん。ひばりさんと錦之助さんと
     
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    イメージ 8火事とけんかと 一番まとい
    そいつはおいらに
    まかせておきな まかせておきな
    白に黒文字 め組のとび衆
    いきでいなせで 男っぷりなら
    エー日本一
    エンヤラヤレコノ 日本一
     
    火の子恋の子 どちらがこわい
    火消し若衆に
    はっぴを着せりゃ はっぴを着せりゃ
    何んの火事とて こわくはないに
    恋の火となりゃ いつもにげごし
    エー弱くなる
    エンヤラヤレコノ 弱くなる
      
    江戸の自慢は とび衆の木やり          
    火の見やぐらの
    上から聞かそ 上から聞かそ
    えりの黒じゅす 恋風乗せて
    茶屋のむすめが 通りすがりに
    エー聞きほれる
    エンヤラヤレコノ 聞きほれる
     
     
    イメージ 9大江戸喧嘩纏 1957年1月9日公開
     
    監督:佐伯清  脚色:松浦健郎  原作:沙羅双樹
    辰五郎 大友柳太朗 
    お雪 美空ひばり 
    新三 大川橋蔵 

     
     
     
     
    イメージ 10新吾十番勝負 作詩:植田梯子 作曲:安藤実親
    https://www.youtube.com/watch?v=phidlMRayR8
    (1966年11月 17cmLP「舟木一夫の新吾十番勝負」収録)
     
    さびしかろうと 涙は見せぬ
    耐えて育った 山と河
    抜いた刀に 抜いた刀に
    涙かくして
    新吾強いぞ 一人旅
     
    水に捨てよか 儚い恋は
    いずれ一夜の 忘れ草
    若いいのちを 若いいのちを
    勝負にかけて
    葵の剣は きょうも舞う
     
    イメージ 11誰が吹くのか 横笛遠く
    風に流れて 消えてゆく
    今宵新吾の 今宵新吾の
    十番勝負
    なぜかさびしい 月明り
     
     
    新吾十番勝負 1959年3月17日公開
     
    監督:松田定次  原作/脚色:川口松太郎 
    葵新吾/松平頼方(後の吉宗)二役:大川橋蔵 
    真崎庄三郎: 岡田英次 
    お鯉の方(お長):長谷川裕見子  
    お縫: 桜町弘子 
    梅井多門:山形勲 
    武田一真:月形龍之介 
    安藤対馬守:大河内傳次郎 
    徳川吉宗(←頼方):大友柳太朗 
     
     
     
    テレビドラマ「銭形平次」の放映と同時に主題歌のレコードが発売されたのが、1966年5月。その一年半後の1967年10月公開の劇場映画版「銭形平次」にも、舟木さんが特別出演されています。
     
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    「銭形平次」の動画は、テレビ版の映像使用  1966年「第三話/謎の夫婦雛」 秋月新太郎(舟木さん)
     
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    銭形平次  作詩:関沢新一  作曲:安藤実親
    https://www.youtube.com/watch?v=PNfeb0fT-EA
    (1966年5月 「敦盛哀歌」カップリング)
     
    男だったら一つにかける
    かけてもつれた 謎をとく
    誰がよんだか 誰がよんだか
    銭形平次
    花のお江戸は 八百八町
    今日も決めての 今日も決めての
    銭がとぶ
     
    やぼな十手は みせたくないが
    みせてききたい こともある
    悪い奴らにゃ 悪い奴らにゃ
    先手をとるが
    恋のいろはは 見当つかぬ
    とんだことさと とんだことさと
    にが笑い
     
    道はときには 曲がりもするが
    曲げちゃならない 人の道
    どこへゆくのか どこへゆくのか
    銭形平次
    なんだ神田の 明神下で
    胸に思案の 胸に思案の
    月をみる
     
     
     
    イメージ 19銭形平次 1967年10月10日公開
     
    監督:山内鉄也 脚色:田坂啓/山内鉄也 原作:野村胡堂
     
    大川橋蔵:銭形平次
    舟木一夫:立花数馬
    水野久美:お静
    大辻伺郎:八五郎
    大友柳太朗:笹野新三郎
    あらすじ
     
    目明しを父に持つ平次は親の跡目も継がず、鳶職の政五郎の所で働いていた。政五郎は平次の腕を買ってゆくゆくは娘のお静と一緒にしようと考えていた。ある日、政五郎は水商売らしい女と心中死体となって薬研堀に浮んだ。平次は女の体の傷から他殺と睨み、北町奉行笹野から十手捕縄を預かると、早速捜査を始めた。
    その平次に材木問屋上州屋が「千里の虎」と名乗る謎の男に商売を邪魔され、政五郎に探らせていたと告げた。そんな時、火の気のない上州屋の一角から火が出て、焼け跡に平次の幼な友達辰之助と見られる死体が見つかった。このことから、平次は「千里の虎」が上州屋の商売と関係あると考えた。辰之助は平次に、この一件から手を引かなければ殺されると忠告されていたのだ。
    探索の手を伸ばす平次は、松崎一角らに襲われたが浪人数馬に救われた。一方、材木を灰にした上州屋は同業の稲毛屋に融通を頼み、三千両を払い込むため、その護送を平次と笹野に依頼した。だが、三千両は途中で紛失し、しかも、稲毛屋には材木は一本もなかった。
    平次は、稲毛屋こそ犯人ではないかと変装して乗り込んだが、捕った。そして、「千里の虎」の前に引き出された時、それは意外にも辰之助だった。辰之助は二十年前、上州屋の密告で牢死した父母の仇を討つため、上州屋の仕事を邪魔し、探ってきた政五郎を殺したのだった。平次は間もなく現われた数馬に助けられ三千両も見つけたが、辰之助は与力尾関に斬られた。こうして事件は平次の手柄で解決したが、数馬は実は秘かに事件を探っていた笹野の息子であることが分り、平次と数馬は、友情の握手を交しあった。
     
     
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    12月のお誕生月に入り、バースデー・ディナーショー、BIG3コンサート、そして中野サンプラザのファイナル、新橋演舞場のシアターコンサートと、西に東に、とってもお忙しい舟木さんです。
    そんな、御多忙な舟木さんの、12月2日「NHK歌謡コンサート」の収録のステージを拝見しましたので、ご案内させていただきます。
     
    NHK歌謡コンサート 12月23日 20時~20時43分 放送予定  収録(12月2日)
     
    前回の舟木さんの「歌謡コンサート」出演は、7月29日でした。
     http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69605385.html  ←拙ブログの7月29日の放送内容の記事
     
    私は、生来のズボラで、テレビ番組の録画などは全くしませんので、舟木さんが出演なさる番組でも、オンエアされている時間帯に拝見出来る時だけ、拝見しています。ですから、放送中に、携帯カメラのシャッターをきって静止画面でないテレビ画面をそのまま写してますので、上記の7月29日の放映の画像もブレていて、きれいに写っていないので、ご容赦下さい。
     
    今回は、番組の入場整理券にご縁があったので上京し、12月2日の収録風景をナマで拝見することができました。
     
    放送予定日は12月23日(火・祝)ですので、当日に新鮮な気持ちで御覧になりたい方は、要注意!今回の記事はスルーしていただきますよう予めお願いいたします。
     
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    渋谷駅前のハチ公って、こんな情宣にも使われているんですね。
     
    歌謡コンサートのポスター…
    なぜだか、私のメガネごし(笑)
     
     
     
     
     
     
     
    遠藤実さん作曲の名曲特集  
    ~正確なサブタイトル名ではないかもしれませんが舞台監督さんが前説でこのように云われていました~
     
    20時十分前に、若い舞台監督さんが、ステージ前に登場され、以下のような前説がありました。
     
    遠藤実さんのいずれも名曲揃いの回です。懐かしい写真や映像も出てきます。
    本日はナマでなく収録です。一応、放送予定日は12月23日ですが、あくまで予定なので変更もあるかもしれません。ホームページなどで、時々、情報確認してください。
    今から出演者のお名前を紹介します。拍手は分け隔てなく、大きな拍手でお願いします。
    私は一番前に座って拍手しますので、私が拍手したら一緒にお願いします。
     
    ~出演者全員への拍手が終わったあと「分け隔て」なかったですかねぇ…? には笑いました~
     
    その他、収録中の諸注意点説明があり20時5分前に司会の高山アナウンサーが登場されました。
    先週末に新潟の遠藤実記念館に行かれた際のお話などされているうちに20時になりました。

    ~今さらですが、遠藤実さんについて~
     
    遠藤 実(えんどう みのる、1932年7月6日 - 2008年12月6日)
    戦後歌謡界を代表する日本の作曲家の一人である。
    第二次世界大戦時に新潟県西蒲原郡内野町(現在の新潟市西区内野)にて疎開生活を送っていた。
    新潟特有の門付けという演芸スタイルが、後の作曲家人生に大きな影響を与えた。門付けとは、越後獅子等の芸を民家の軒先で披露し、金品を貰う習慣である。
    1949年、17歳の時上京。さまざまな職を経て、ギターを携えて流しの演歌師になる。
    1956年、日本マーキュリーレコードより『お月さん今晩わ』にて作曲家としてデビュー。当時の芸名は星幸男で、現在に至るまで世に送り出した楽曲は5000曲以上(その大部分は演歌)と言われ舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てた。

    スクリーンに遠藤実さんのお写真が映し出されてオープニング
    ~遠藤実・実唱館 (新潟県/遠藤実記念館) HPに掲載されているお写真のようです~
     
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    遠藤実さんの、お写真の次に、舟木さんが今年2月から5月まで京都、名古屋、大阪、東京の四大都市で開催された「遠藤実スペシャル」でも遠藤先生の最初のヒット曲として紹介なさった藤島桓夫さんの「お月さん今晩わ」の映像が流れました。
     
    次いで、「北国の春」を唄う若き日の千昌夫さんの映像、五月みどりさん、そして紅白初出場で「高校三年生」を唄う舟木さんの映像が流れ、それにかぶさるようにステージがライトアップされてセンターに舟木さん、左右に出演者の皆さんと全員での「高校三年生」でオープニングでした。
     
    2014年7月29日「歌謡コンサート」の「高校三年生」歌唱の写真
     
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    この日の、舟木さんは白のシャツに紺のベストとパンツ、白地に黒の小さなドットに見えるジャケット。
    バックは女性のみのコーラスで、150名ほどの女子学生さんたち~学校名を高山さんが言われたように思いますが、聞き取れませんでした。放送では多分テロップが出ると思います。
     
    続いてステージでは、 森昌子さんが「中学三年生」を歌唱。
     
    この間に舞台下手の雛壇に出演者が並びました。向かって左端が高山アナウンサー。その右隣が舟木さん。
     
    高山アナの遠藤実さんは、どんな方でしたか?の質問に…
     
    舟木さん:シャイな方でした。とうも僕は人見知りするんだなぁ…と言っていらしたのを覚えてます。
     
    再び懐かしい映像。島倉さん「からたち日記」、小林旭さん「アキラのズンドコ節」 、北原謙二さん「若いふたり」 ……ステージにはこまどり姉妹さんがスタンバイして「ソーラン渡り鳥」
     
    スクリーンには遠藤実さんとこまどり姉妹さんのお写真
     
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    高山アナウンサーが、昭和38年の紅白歌合戦では50曲中の7曲が遠藤さんの曲と紹介されて
    当時の紅白歌合戦の映像が、スクリーンに映し出されました。
    北島三郎 さん「ギター仁義」 、美空ひばりさん「哀愁出船」……
    昭和38年の紅白では、舟木さんの「高校三年生」も唄われていますから7曲の中の1曲なんですね。
     
    そして、ステージに五月みどりさんが登場して「一週間に十日来い」
     
    再び雛壇に出演者の皆さんが登場。トークのあと、梶光夫さん 「青春の城下町」
     
    ~出演者の皆さん、舞台に出たり引っ込んだり忙しいこと(笑)~
     
    スクリーンに遠藤門下の歌い手さんが勢揃いしたお写真……
     
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    ステージ では、山本リンダさん「 こまっちゃうな」
     
    再々度、雛壇に、皆さんが並んで……ステージでは、五木ひろしさん「 灯りが欲しい」
     
    スクリーンの映像  渡哲也さん「 くちなしの花」
     
    ステージで、千昌夫さん「北国の春」
     
    舟木さんが、高山アナウンサーと、舞台、下手から登場。遠目には、チャコールグレイに見えましたがスクリーンを見ると黒地に細い白のストライプのジャケットに蝶ネクタイというフォーマルな衣装に着替えられていました。高山アナウンサーと少しだけ、お喋りを…
     
    高山アナ:舟木さんは、先ほどからソデで、皆さんの唄われる曲をずっと唄っていらっしゃいましたが…
     
    舟木さん:遠藤先生の曲はのどが乾いてる時の水のようにすぅ~っと入ってくるんですね…
     
    ステージでスタンバイした五木さん「風の子守唄」
     
    エンディングはもちろん舟木さんです。
     
    ステージ中央のステップから舟木さんを先頭に女子学生150名が整然と降りてきて整列…「学園広場」のメロディーが流れます 。
     
    とっても爽やかで清潔感にあふれた心地好い眺めです。舟木さんも、もちろんご満悦のにこやかな表情!
    聞き慣れた「学園広場」という曲の内包する品格と、齢70という年齢にして、大勢のフレッシュな女子学生さんたちに囲まれても、いかほどの違和感も感じさせない舟木さんならではの個性をあらためて目の当たりしたような気がしました。
     
    「永遠の学園のプリンス」ここにあり……と見せつけて下さった魅力的な舟木さん。そして「天下のNHK」の歌謡番組の本領発揮という印象を持たせていただいた演出のステージでした。
     
    バックコーラスのお嬢さんたちを「昔乙女」の自分に置き換えて見てしまいたくなるような嬉しい景色を見せて下さった「歌謡コンサート」に心からの「ありがとう!」です(笑)
     
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    私は、総勢百数十人の女性コーラスをバックにした「学園広場」をナマで聴かせていただくのは初めてでしたが、若い女性ばかりの中にあって、ひときわ輝いている若々しい舟木さんの姿と、声の豊かさに感激もひとしおでした。
     
    12月23日というのは、あくまで「放送予定」ということを念押しされていましたので、「歌謡コンサート」のHPは、しばらく要チェックですね。
     
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    昨日、パソコンの電源ボタンが効かなくなりました。

    以前にも2、3度不調になったことがありますが今回は回復せず修理に出すことになりました。物理的な単純な故障だと思いますが、2007年製造の機種で部品も今年いっぱいで製造が終了するとのことです。

    修理に必要な部品が揃っているかはメーカーに送って診断していただかないとわかりません。

    買い換えるか修理可能か…という感じです。


    いずれにしても、パソコンからのブログ作成を再開するにはいくらか時間がかかりそうです。


    しばらくは携帯からアップできる範囲の記事のみになります。

    読みづらいと思いますが、ご了承宜しくお願いしま~す

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    恒例、バースデー・ディナーショーが12月4日に大阪のリーガロイヤルホテルで開催されました。

    参加された舟友さんから当日唄われた曲名のお知らせをいただきましたので、ご紹介します。


    れんげ草

    都会の子守唄 
    あいつ1/2

    山のかなたに
    あいつと私
    雨の中に消えて

    友よ
    ~あてもなく夜明けの船で~

    さいはての月
    星の夜北へ帰る

    忘れものの街
    麦笛


    「れんげ草」をオープニングで唄われたのが、私としてはとっても嬉しいです。
    東京でのバースデー・ディナーショーはジャスト12日ということです。

    さらに盛り上がることでしょうね。

    参加される皆さんのご報告が楽しみです。

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    12月7日放送の「日曜美術館」は竹久夢二の描いた世界を紹介した企画でした。

    NHK日曜美術館

    「響き合う絵と詩~竹久夢二の大正ロマン」


    夢二の残した作品を
    ・夢二式美人
    ・異国趣味
    ・子ども絵

    の三つの分野ごとにそれぞれに「宵待草」「蘭燈」「子守唄」の音楽をバックに流し、また夢二の詩の朗読と合わせて夢二の世界観を描くという構成でした。


    今年の舟木さんのオフィシャル・ソロ・コンサートでは「日本の名曲」として「ゴンドラの唄」と「宵待草」を唄われています。


    宵待草

    作詩
    一聯:竹久夢二
    二聯:西條八十


    待てど暮らせど来ぬ人を
    宵待草のやるせなさこよひは月も出ぬさうな

    暮れて河原に星ひとつ
    宵待草の花が散る
    更けては風も泣くさうな


    「宵待草」は来週14日の中野サンプラザ・ファイナルでも聴かせていただけるのではないでしょうか。

    「宵待草」については、舟木さんがステージのトークでもエピソードをお話されていますが、もともとは一聯のみの詩だけだったのを西條八十八氏が、一聯だけではもったいないからと二聯目を作られたと聞いています。

    夢二との出会いとこの「宵待草」の歌に関わる経緯について八十自身が自著「唄の自叙伝」で書かれた文章がありますのでご紹介します。


    西條八十著 「唄の自伝」より ( 日本図書センター刊 人間の記録29)

    ~いまは北陸の郷里に引退している翁久允氏が「週刊朝日」を牛耳っていたころだ。気の置けない芸術家連中だけの赤城登山だ。初夏だったし赤城躑躅(つつじ)が美しかろうと想うと心が動いた。それに一行の中には、竹久夢二、直木三十五、福田蘭童などという会ってみたい顔触れも見えていた。それで団体行動の嫌いなわたしが出かけた。~中略~ところで、有名な竹久夢二という画家をその日わたしは初めて見た。端麗な顔が年齢にしてはひどく老けて、眼もと、口もとの深い線が目立った。鋭い眼つきをしていた。
    ~中略~
    その夜旅館に着いてから、わたしは朝日新聞の前橋支局の若い記者から面白い話を聴かされていた。それは夢二がきょうの登山の道に迎いに出ていた女学生のファンのことを非常に気にしていて自分のところに訪ねてきた女学生と西條八十のところへ来た女学生とどちらが数が多かったかということを真剣な顔でその記者に尋ねたということである。
    わたしはこの徹底している夢二の甘美主義をむしろ敬長の念をもってみた。かれはわたしよりもずっと年長でたぶんもう五十に近かったろう。それにもかかわらぬこの人の人気な対する強い競争意識、しかもそれを堂々と随行の記者に聞き糺す度胸は「流石に」と感じ入ったのであった。夢二はたしか五十一才で死んだ。わたしは昭和十二年アメリカの旅をした際、桑港の日本人が形見に持っていた、桑港を去るにのぞみ、彼が船上で書き残した「さらばアメリカ」という絵を見た。在りあわせの木片にペンか何かで描いたもので、句は忘れたが短い詩のようなものを書きつけてあった。なにがなしこころを打たれる絵であった。
    彼ほど花を追う胡蝶のように、甘美な恋に徹した抒情画家をこの後に見ない。



    *春日局註*
    ~夢二は満四十九才没です。八十は数え年で記憶していたのでしょうか~


    そうそう、書き遅れた。夢二についてはもうひとつ書いておかねばならぬ謡の想い出がある。
    かれの詩に「宵待草」のあることは有名だ。歌詞はただ一聯だが、多(おおの)忠亮氏の曲できわめて一般的な愛誦歌になっている。
    赤城登山の帰りみち、なにかで二人だけが並んで山径を下っているとき、ふとその話が出た。
    「あの唄、わたしも好きだが、レコードなどでおなじ歌詞を二度繰り返すのは芸がない。どうです、もう一聯書き足されては」
    とわたしが、ふとおもいついていうと、「さあ、なにしろ古い作なんでしてね」と竹久氏は気がなさそうに
    「あなたにでも書いて頂くか」
    と言って笑った。
    「いつか書いてみたいな」
    「結構です。お願いしますよ」
    そんなことを云い合いながら径を急いだ。
    ところが世の中はわからぬもので、それから十数年後、画伯も亡くなり、わたしもそんな話をすっかり忘れてしまった頃、この時の会話が急に実現されることになった。

    それは大船で「宵待草」が映画化されることになり、その中で高峰三枝子がこの歌をうたうことになった。ところが誰であったか監督が、ぜひもう一聯歌詞を補足してもらいたいと云いだし、コロムビヤ会社からわたしへ註文してきた。わたしはこの偶然に、遠い昔の赤城の初夏を想いだし、懐旧の情に堪えなかったが、いろいろ考えて、どうやら註文の第二聯を附けてみた。

    暮れて河原に星ひとつ
    宵待草の花が散る
    更けては風も泣くさうな

    と書いたのである。
    そのときわたしは大切(だいじ)をとっていろいろ宵待草のことを調べてみたが「待宵草」という花は辞引にあるが「宵待草」という名はどこにも見当たらなかった。いずれにしても夢二は「宵待草」を意味してこの言葉を使ったにちがいないのだが、宵待草とは結局かれの造語であるように思われた。それからわたしの書いたほうの「宵待草の花が散る」という文句は、発表してからあと、だいぶ気になった。というのは、待宵草の花はパッとは散らない。従って、どうせ散ることは散るのだが、この場合の「散る」という言葉はどうも不適切だと考え出したからだった。それで、この歌がレコードになってから、二、三年なお悩み通していたが、近頃になって、やっと考えがまとまって、次のように改めることにした。すなわち、

    暮れて河原に星ひとつ
    宵待草の花の露
    更けては風も泣くさうな

    これなら、亡き「宵待草」の作者も、また「結構です」と幽界から微笑してくれそうな気がするのである。


    とこらで舟木さんは「宵待草の花が散る」と改作前の詩で唄われています。「詩」の流れの自然さをとるなら私も二聯は「花が散る」とするのが違和感がなく舟木さんが「花が散る」と唄われていることに共感します。


    舟木さんと御縁の深い西條八十、そしてお芝居でも演じらた竹久夢二という偉大な芸術家おふたりのこのような接点やエピソードを知るにつけ「宵待草」という歌がさらに身近で懐かしいものに思えてきますね。


    なお日曜美術館の再放送は12月14日夜8時からとのこと
    中野サンプラザコンサート開催の日なので興味のある方は録画のご予約を!

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    本日放送されたテレビ番組の報告です。
    まだパソコンが戻ってないため携帯からのアップなので画像がたくさん貼り付けられませんから二回に分けてアップします。

    2008年に「恋染めて風の花」で共演なさったピーターさんとご一緒の出演でした。

    舟木さんの登場はやっぱり「高校三年生」の曲がバックでした(笑)


    舟木さんが24年前にこの番組に出演された時の写真も紹介されました。


    この日のサイコロの目は「喜怒哀楽重軽」の6つ

    まずは舟木さんがサイコロを転がします。今度は「銭形平次」が流れます(笑)


    出た目は「重」ということで、今年の重大ニュース?

    舟木さん
    「明後日起きるんですよ…誕生日が来ましてね、70になるんですよ」

    例によってお祝いヤメテ下さいね、と舟木さん。
    ピーターさんが、声が全然衰えてないとおっしゃいました。
    舟木さん
    「キイは半音落ちてますけど、流行歌って響きの問題ですから変わっていく響きがないとなんにもならない」

    80になっても…という小堺さんに

    「歌い手は80となったらムリです。ライブでコンサートとなったら1時間45分ナマでしょ、そういったコンサートはあと3年かな…と」
    小堺さん
    「トークは僕いつでも呼んで下さい(笑)」


    ~その2に続く~

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    ~その1の続きです~

    次はピーターさんがサイコロを転がして「軽」

    なかなか舟木さんと共演できなった理由や舟木さんがピーターさんを梅川にとオファーなさった理由は「この世代で和ごとをできる人はいない」などお話されました。

    ピーターさんが「梅川」を演れて、父が生きていたら喜んでくれたと思いますとおっしゃったのが印象的でした。


    舟木さんが「この声」で「慎さん」と呼んで下さるのが嬉しいと~舟木さんの低音を真似て~おっしゃるピーターさん。小堺さんも舟木さんが「一機(かずき)」さんと呼んでくださると自慢?(笑)


    再び舟木さんがサイコロ転がし。

    「軽」が出て、待ってましたとばかりパチンコの超ラッキーエピソードを披露なさる舟木さんのお顔がイキイキと嬉しそうなこと!(笑)

    次はピーターさんがサイコロ転がしで「重」
    年齢とともに体重が増えてきたことなどから「足が上がらない」などの話題に、舟木さんも話を振られて…

    舟木さん
    「立ち回りの時に腰を落としたつもりが落としきれていないと、身体がかたくなってる…コンサートで1時間40分くらい靴を履いてますから親指のここがね、脂がなくなってるのかヒビが割れて痛くなる。」

    サイコロ転がしのラストは小堺さんがちょっと手を添えて「喜」に(笑)

    舟木さん
    「ちょっと漠然とした話で申し訳ないんですが…去年の後半くらいから歌を唄うのが楽しくなってきた、それまではお客さんに対する責任感やプライドが先行していたんですが、あと何年できるかなと思ったとたんにステージの唄が良くなってきました。巧い下手じゃなくてね…なんだよオレは歌が好きで歌い手になったんだョ…たったらオレも楽しまなきゃ…。足し算、足し算でカバーしようとするんだけど、それが引き算になってきたら…削ることで歌が楽しくなってきた。」

    時間いっぱいになって最後にライオンちゃんが舟木さんのところに中野サンプラザのチラシを持ってきました。

    「なに?これオレが言うの?!オレだめなんだよ、こういうの…ヤメテくれよ~(笑)」

    結局テレて宣伝できない舟木さんでした(笑)


    でも、最後は舟木さんらしい言葉でキリリと締めくられたのはさすがでした。

    舟木さん
    「芸事ってのは結局、個人に還ってくるの…最終的に、やってる自分に酔えれば…(笑)」

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    舟木さん、70回目のお誕生日 おめでとうございます
     
     
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    本日は、4日の大阪に続いて、東京での「バースデー・ディナー・ショー」が開催されているようです。
    ファンの皆さんと、楽しい時間を過ごされていることと思います。また、参加された舟友さんたちの感激のご報告など聴けるのを楽しみにしています。

    さて、私事ですが、12月5日から、修理に出していたパソコンが、元気になって戻ってきました。購入して
    から7年目で、サクサクとは動いてはくれないのですが、いつもお世話になっている電気屋さんも、まだ使えますよと言ってくださっていました。ところが、電源ボタン(押して電源を入れます)が、基盤の中に入り込んでしまいビクとも動かなくなってしまいました。電気屋さんがメーカーに問い合わせして下さってメーカーに送って診断してもらったところ、電源ボタン部分だけの物理的な破損ということでパソコンの機能そのものは問題なしでした。費用は送料等含めて2万円で済みましたから、新しく買い替えということにもならずホッとしてます。もうしばらくは、頑張って働いてくれるように祈るのみです(笑)

    ちょうど、舟木さんのお誕生日に間に合うようにパソコンが還ってきてくれたので、せっかくですから何か関連する記事は、ないかな?と考えてみました。かなり古い資料ですが、1970年に発行された「写真集 Papyrus」の巻末に、舟木さんの生まれた日のことを「想い出」というタイトルで、お父様が書いていらっしゃる文がありますので、ご紹介します。舟木さんの誕生日は大雪だったこと、初めての「親子対面」の時のお父様の感想、小さな頃の成幸君の様子から、私たちが、今もなお、憧れと敬愛の念をもって見つめてしまわざるを得ない舟木一夫という存在が、その誕生の日から約束されていたようにさえ思われてしまうような文面です。
     
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    昭和19年12月12日午前1時きっかりそれは成幸が生まれた日時です。いまわしい戦争が遂に最悪の事態に発展し、大東亜戦争(*太平洋戦争)に突入!それからちょうど一年目に、妻の実家である名古屋市で「呱々の声」をあげるたのです。
    この年は近年まれな寒い日で、大雪が前日より降り続き、成幸が生まれたころには、戸外は猛烈な吹雪で目もあけられないほどでした。~中略~かねて予定してあった産院へとんで行き、先生をお連れすると、ほとんど同時に「オギャァッ!」と元気いっぱいの声、たらいの中をのぞきこんだ私は驚いた。「俺は考えて、この世に出てきたのだぞ!」と言わんばかりの赤ん坊の顔。今でもはっきりと憶えています。
    赤ん坊をじっと見据えているうちに、成幸という名前が、私の頭に浮かんできた。楠公(楠木正成)のように
    、幸村(真田幸村=信繁)のように、知恵たくましく、素直な人、そしてまた文字通り、幸せな人生を送るよ
    うにと。親とは何んとも欲の深いものであることよ!
    ほとんど毎日のように名古屋をはじめ、愛知、岐阜の各地へ来襲するB29の爆音と真っ暗な夜!ところがこの日ばかりは、大雪のせいというのでもないのでしょうが、敵機の来襲もなく、実に静かな日でしたので、成幸の生まれた夜は、お陰で煌々と電灯もついていましたし、実に明るいなごやかな第一回目の親子対面でした。
    その成幸が、年とともに、私の経営していた萩原劇場の道具部屋から刀を持ち出して、剣劇ごっこをしたり、そしてまた、学校から選抜されて一宮市の公会堂で文化祭に出演したり……ともあれ、芸事が好きだったということは、ヨチヨチ歩きのころからだったようです。(後略)
     
    ~想い出  上田栄吉   舟木一夫写真集 1970 Papyrus (舟木一夫音楽事務所発行)より転載~
     
     
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    今日からの一年間も、また私たちに、たくさんの夢や感動や、生きていることの楽しみを与えてくださる舟木さんが、若々しく、パワフルにご活躍なさいますことを祈って、心からの「おめでとうございます」の言葉を
    贈ります。
     
    この画像は昨晩「木曜8時のコンサート」で、流れた映像です。もちろん「高校三年生」(笑)
     
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