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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    アルバム   こころのステレオ第2集   雪のものがたり 
    (1968年11月発売  第23回芸術祭参加)
     
    作 西条八十  音楽 船村徹  脚色 二条冬至夫 
             歌唱 舟木一夫
    助唱 大原ますみ 声 藤本譲 合唱 コロムビア合唱団
    協力 長野県白馬村役場
     
    イメージ 2レコード盤の2面が「下」となっています。
    その3では「下」の前半を掲載します
    以下は舟友さんの動画「雪のものがたり 下」です(音)
     
    2面「下」では、その1、その2でご紹介したレコードの1面「上」から、さらに「ものがたり」が佳境に入っていきます。舟木さんの語りも歌唱もこの「下」からが、聴きどころだと思います。
    私は、聴きすすむうちに、どんどん「ものがたり」の世界に入り込んでしまいました。
     
    濃紺の部分は舟木さんの歌唱
    ピンクは大原ますみさんの歌唱
    黒は男性合唱
    青緑の部分は舟木さんの語り
    赤の部分は大原ますみさんの語り
     
     
    今年初めての雷鳴が突然 餓鬼山の谷底からおどり出して
    白馬岳におそいかかってくる夕暮れ
    沙美はぼくとベタニヤだけを置き去りにして 
    どこかに行ってしまった。
    ベタニヤ お前の姉さんを連れてきておくれ 
    ベタニヤ お前は人間の言葉がわかるんだろう
    沙美を呼んでおくれ!
     
    ヤッホ ヤッホ
    雲だ 峰だ 谷だ 花だ
    鳥だ  歌だ
    俺たちは 若い うんと若い
    俺たちは 強い うんと強い
    山の男だ 山の男だ ヤッホ ヤッホ
    ヤッホ ヤッホ
     
    イメージ 3だけどそれだけで
    山の心がわかるのかい!

    星だ 月だ 夜だ もやせ
    たき火 赤く
    俺たちは 若い うんと若い
    俺たちは 強い うんと強い
    山の男だ 山の男だ ヤッホ ヤッホ
    ヤッホ ヤッホ
     
     
     
    だけど君たちは 本当に
    山を愛しているのかい
     
    沙美! どこへ行ってしまったんだい!
    沙美! どこにいるんだい!
     
    舟木さんのドラマチックな歌唱に注目して下さい

    捨てないでおくれよ 沙美
    捨てないだおくれよ 沙美
    ひとりで泣いているんだよ 沙美
    君の黒髪で ぼくをしっかりと
    結んでおいて 欲しかった 沙美
    捨てないでおくれよ 沙美
     
    イメージ 5夕べ まっ赤な
    谷川の 水をみたよ 沙美
    夕べ むらさき色の 
    星が流れたよ 沙美

    秋はさびしい 母が恋しい
    秋はかなしい 逢いにゆきたい
    秋はさびしい 沙美が恋しい
    秋はかなしい 想いとどかぬ
    渡り鳥に たのんでみよう
    落葉に書いたぼくの手紙を
    秋はさびしい 母が恋しい
    秋はかなしい 沙美に逢いたい                              
    少年のように透明で美しい声です。素直な語りが胸に響きます。
     

    イメージ 4あっ! 五竜岳のクレパスを雪が
    とんだ!
    ベタニヤだ! みえる!
    走ってる! とんだ!
    走ってる! 走ってる!
    沙美がいるんだ!
    あそこにいるんだ!
    沙美!
    沙美!
    いる! いない!
    いる! いない!
    いる! いる!
    いない! いない!
    あっ! あーーーーー

    ああ雪だ  雪
     
     
     
    歌とも語りともつかないデリケートな表現・・・このあたりから青年画家の感受性と幻想と狂気すら感じられる世界が繰り広げられていくようです。舟木さんの素晴らしい表現力に注目してください。
     
    イメージ 6もう粉雪がふると云うのに
    ベニヒカゲの 蝶がとんでいる とんでる
    樺の木の病葉(わくらば)に とまっている
    トンボは ルリボシャマンだ ルリボシャマン
    ブナの木のまっ暗な林の中で
    ホシガラスが 狂い鳴いている
    雪だ・・  雪・・・ ああ・・・・
     
     
     
    イメージ 7
     
    沙美!
    沙美! 沙美
    もう大丈夫よ ね・・・
    もうどこにもいかないわ
    沙美!
    ほら こゝにいるでしょ
    沙美の黒髪だって
    あなたが冷たいと云った
    この指だって
    みんな みんな あるでしょ
     
    リズミカルな調べにのせた舟木さんの歌唱の中に純粋で一途な青年の若くほとばしるような情熱が燃えています。でも、どこまでも清潔で高貴な香りを放っていることに感動します。
     
    イメージ 1沙美がいる
    そばにいるわ
    沙美がいる
    そばにいるわ
    沙美がいる
    ここにいるわ
    沙美がいる
    ここにいるわ
     
    めぐり逢えた
    離さないよ
    めぐり逢えた
    ほくのものだよ
    沙美の 黒髪が匂う
    沙美の くちびるがあまい
     
    レコードの2面「下」の後半(その4)につづきます

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    イメージ 1アルバム   こころのステレオ第2集   雪のものがたり 
    (1968年11月発売  第23回芸術祭参加)
     
    作 西条八十  音楽 船村徹  脚色 二条冬至夫 
             歌唱 舟木一夫
    助唱 大原ますみ 声 藤本譲 合唱 コロムビア合唱団
    協力 長野県白馬村役場
     
    レコード盤の2面が「下」となっています。
    その4では「下」の後半を掲載します
     
     
    以下は舟友さんの動画「雪のものがたり 下」です(音)
     
    青緑の部分は舟木さんの語り
    赤の部分は大原ますみさんの語り
     
     
    イメージ 2
     
    疲れたわ 泉のほとりで休みましょ
    べタニヤも こっちへおいで
    かわいいね 沙美の小指は
    好きよ あなたが大好き
    離さない ぼくのものだ
    離さないよ 沙美
    離さない ぼくのものだ
    ・・・・・
    ・・・・・
     
     
     
     
                          「沙美」と「ぼく」の かけあいの語り・・・
                            ↓絶妙な間合いとテンポに注目して下さい
     
    イメージ 7クロユリを摘んできたわ
    あっ この色だ!
    渡り鳥よ
    どこにいるんだい!
    湖がみえる
    えっ! 窓はしまっているのに!
    這い松がきれい
    何を言っているんだ!
    夕やけだわ
    粉雪が降っているんだよ!
    私を描いて
    沙美! 沙美を!
    霧が出てきたわ
    動いちゃだめだ!
    何も描いていないの!
    黙って!
    不帰(かえらず)の沢に風が出てきたわ
    ぼくの方をじっとみているんだ!
    吹雪になるのかしら
    沙美! 肩を下げて!
     
    山がみえなくなるわ
    沙美! じっとしているんだ!
    もう私・・・いかなきゃ・・・
    えっ! どこへ?

    あっ!
    雪 雪
    この色だ!
    雪 雪 雪
    わかった! この色だ!
    沙美! 出来たよ! みてくれ!
    描けた! 描けた!
    この色が欲しかったんだよ
    この雪の色だ 沙美!
    描けたよ! 見てくれ! 描けたよ!
     
    ここからが舟木さんのひとり舞台です。まるで十代の少年のような初々しさ、絵を描くことのためにだけ命を削っている「純な魂」が満ち溢れているこの上ない透明度・・・・もし、これが舟木さんでなくても少女たちは、この声だけ聴いても「恋」してしまいそう・・・・そんな気がするほどです。
     

    イメージ 8なにをしていたんだろう?ここはどこだ!
    どこにいるんだ!
    ぼくはいったい何をしていたんだろう!
    わからない!
    どこなんだ!

    雪 雪の色・・・そうだ!
    あっ! 何んにもない これは!
    これは破けたまんまの
    キャンバスじゃないか!
    なんだ どうしたってゆうんだ!
    何んにも描いてないぞ!
    破けてる 破けてる ・・・・・・・・・・・
    何んにも描いてないや
    あった 山があったぞ・・・
    ウフフフ・・・・沙美・・・
    あったあった 青い山があった
    雪? 雪がまっくろだ!
    あ! ルリボシャマンだ
    おいで おいで ほーら ほーら おいで おいで
    音が渦をまいてる!
    色が動いてる!
                                                                      
    お母さん お母さん キャンバスだ
    イメージ 9破けてる 誰かもってきて
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    あっ!沙美がボートにのってる
    大きな蓮の花が咲いてるよ
    五竜岳に狼火があがった 戦争だ!
    大砲の音が聞こえる なだれだ!
    戦争だ 雪の階段があるぞ
    あっ 沙美が昇ってく!
    沙美 沙美 あぶない
     
     
     
    イメージ 3大きな火の玉が出た
    どんどんこっちへくるぞ
    とける! 雪の階段がとける 戦争だ!
    沙美! 沙美! 早く昇って
    沙美! 早く・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・
    あーあ 大きな火の玉だ!
    とける! 沙美! 階段がとける
    早く 早く 昇ってくれ
    階段がとける
    あられだ 大きなあられだ!
    沙美! あぶないよ
    あっ ふたつに割れた!
     
     
    花だ 花が咲いた あられが割れて
    イメージ 4花が咲いた!
    ほら ほーら おいでベタニヤ
    花が咲いたよ きれいだな
    沙美の黒髪に花を飾ってあげようね
    きれいだなあ
    ほら くちびるにも花びらを浮かべて
    あげようね
    かわいいなぁ! きれいだなぁ!
    沙美とってもかわいいよ!
    きれいだなぁ! かわいいなぁ!
    沙美 沙美 かわいいなぁ きれいだなぁ 
    ・・・・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・
     
    幻想と狂気と純粋さが織りなす世界・・・・衝撃的エピローグへ 
     
    イメージ 5サミノクロカミハミドリ
    ミドリ
     マッシロ
    ムラサキ
     マッサオ
    オレンジ
    ガ ウミダ
    カラス
     ミドリ
    クロイノガ ウミダカラ
    シロ
    デイインダ
    コノシロデ イインダ
    イインダ
     
     
     
     
     
    青年の満足げな歓びのつぶやきは続きます・・・・・でもそのつぶやきに不気味でかすかな「なだれ」のような音がかぶさって・・・
     
    青年画家は沙美とともに微笑みながら雪の世界に消えていってしまったのでしょうか・・・でも、想いを遂げた彼はきっと幸せだったと私は思いたいのです。
     
    この「ものがたり」の終幕は、どうなったのか・・・私はこんな感じ方をしたので、こうまとめましたが、聴かれた方がそれぞれに、さまざまな想像をめぐらしたのではないかと思います。この作品が優れて芸術性が高いと思われるのは、音だけの世界で聴く人のイマジネーションを縦横に広げ、色や匂いや空気の温度etcに至るまで、聴き手にあずけていることではないかと思います。そして、詩も音楽もさることながら、舟木さんの歌と語りに込められた魂の力強さが、「聴き手にすべてをあずける」ことを可能にしているのだと感じます。
     
    この『雪のものがたり』・・・完結させるには、私には結構重労働でした(笑)
    でも、私たちの大好きな舟木さんはやっぱり凄い表現者なのだということが言いたかったので、ちょっとだけ頑張ってみました。お粗末
     
    皆さま、お疲れさまでした。読んで下さった方、本当に、最後までありがとうございました。
    重たいテーマだったので、最後に、こんな写真アップします。笑えませんか?
     
    イメージ 6
     
     
     
     
     
     


     

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    12月開催の大阪・新歌舞伎座特別公演のチラシが出回り始めて、舟木さんファンの間ではもう気持ちは年末へと年末へとなびいているようですね。通常コンサートもそれまでに各地で開催されるのですが、どうやら「お芝居」付きの特別公演の方が人気が高いようです。
     
    イメージ 1
     
     
    今、私としては、「歌い手」としての舟木さんの方により魅力を感じているのですが、そういう私も、少女時代には、学園ソングや哀愁を帯びた歌で舟木さんに注目してはいたものの、「舟木一夫が好き!」ということを明確に意識した決定打は映画『北国の街の海彦さんに恋してしまったことが発端のように思います。
    そして、極めつけが『絶唱』の若様・園田順吉さん。つまり、舟木さんは歌い手としての魅力と、演技者としての魅力を兼ね備えているからこそ、これほど多くのファンの心を惹きつけて放さないのだということになるのでしょうね。
     
    でも、私の「舟木さん大好き!ピーク」は、『絶唱』・・・・あらら、なんて短い束の間の恋だったのでしょう(笑)
    なんて、お叱りを受けるかもしれませんが、中学から高校へという時期は、ほんとうにめまぐるしく周囲の環境も変わり、本人も成長していくので、関心事が、どんどん移行していったのだと思います。舟木さんの歌い手としての成長や、それまでのイメージからの脱皮などを図るために歌の方向も、私が好きだったものとは変わっていったということも原因のひとつだったかも知れません。
    イメージ 2
    そうして、私が舟木さんから離れていってしまった時期に、舟木さんは舞台俳優という新たな挑戦をされ初めています。映画にも、もちろん、まだたくさん出演されていましたが、印象としてはどちらかというと舞台に力を入れ初め、お芝居の面白さに開眼されたような感じがしています。映画もそれまでは現代を舞台にした青春映画がほとんどでしたが、1967年には東映で時代劇『一心太助江戸っ子祭り』に出演されて、粋でいなせで気風の好い一心太助と将軍家光という全く異なった役柄の二役を見事に演じ分けていらっしゃいます。私は、復活後に、この映画を観たのですが、とても初の時代劇とは思えない役者ぶりで感服しました。時代劇の空気をその身に纏い、なんの違和感もなく、むしろ水を得た魚のように、いきいきと演じていらっしゃったのですから・・・おそらく共演なさった時代劇に精通された役者さんも、監督さんはじめ制作スタッフの方々も驚かれたのではないでしょうか。それまで、詰襟学生服の舟木さんのイメージ、また抒情的なナイーブな舟木さんのイメージからは、想像しにくい「粋でいなせで気風の好い」若くてピチピチした太助を見事に演じきられたのですから。
    1966年10月に大阪の新歌舞伎座で『雨月道成寺』『若君風流』という時代物を舞台にかけられていますが、翌年の1967年4月に明治座で初公演をされたときあたりからが、本格的な舞台芝居のスタートになっていったのでしょう。ただ、この頃から(『夕笛』を最後に)、それまでのような爆発的なヒット曲には恵まれなくなっていっていることも現実です。
     
    1967年から68年あたりのシングル盤発売記録
    1967年
    1月『一心太助江戸っ子祭り』(B面『淋しかないさ』)
    3月『星の広場へ集まれ!』(B面『北国の旅情』)
    7月『心をこめて愛する人へ』(B面『じっとしていると恋しい』)
    8月『夕笛』(B面『さんざしの花咲けば』)
    11月『センチメンタルボーイ』(B面『愛につつまれて』)
    1968年
    1月『くちなしのバラード』(B面『北風のビギン』)
    3月『残雪』(B面『幸せよ急げ』)
    4月『知りたくないの』(B面『恋心』)
    5月『夜霧の果てに』(B面『夢の中の恋人』)
    6月『オレは坊ちゃん』(B面『喧嘩鳶(野狐三次)』
     
     
    舞台俳優としての器量も資質も探究心も備えた舟木さんへ新派の重鎮の方々から「新派俳優」へのお誘いがあったことも、充分にうなづける諸条件が揃っていた頃だったのでしょう。
    この明治座でのお芝居とコンサートの二部制の公演は、1967年から1973年まで7年間連続で続きますが、その時は、昼夜の芝居も演目を入れ替え、コンサートも別構成にされていたことを知って、これにも驚きました。これだけのシビアな舞台を一ヶ月勤めることができる舟木さんのエネルギーはどこからきていたのでしょう。驚異的とも言えますが、今になって思えばこの時期に、これほどハードな内容の舞台公演という経験を積んだからこそ今の舟木さんがあるのだと得心も納得もできます。
    古希間近にして、東西の大劇場の大舞台でお芝居とコンサートの一ヶ月公演を張ることのできる力量と何より精神力の強さ逞しさは、この時代に培われたものだと言ってもいいと思います。
     
    私の全く知らない、この「明治座」時代のパンフレットが、ありがたいことに手に入りました。
    初公演の1967年のものだけは残念ながら手元にありませんが、68年から73年までのものを、とりあえず、表紙のみ掲載します。今後、少しずつ、公演の中身についてもご披露させていただきたいと思っています。
     
    いずれも表紙画像です。右上1968年、右下1969年のお芝居の扮装画像は下の方を御覧下さい。
     
    イメージ 3
     
     
    昭和42(1967)4月 「春高楼の花の宴」「維新の若人」(これのみ所持していません)
    昭和43(1968)7月 「坊っちゃん」「喧嘩鳶~野狐三次~」
    昭和44(1969)7月 「与次郎の青春」「新納鶴千代」
    昭和45(1970)8月 「新吾十番勝負」「日本の旋律 荒城の月」
    昭和46(1971)8月 「新吾十番勝負 完結編」「忠臣蔵異聞 薄桜記」
    昭和47(1972)8月 「魔像」「あの海の果て」
    昭和48(1973)8月 「沖田総司」「われ永久に緑なる」
     
    イメージ 4左画像は1968年のお芝居です。演目は「坊っちゃん」「喧嘩鳶」です。表紙には扮装写真がないのでこちらで確認して下さいね。
     
     
    下の画像は1969年のお芝居です。演目は「新納鶴千代」「与次郎の青春」です。こちらも表紙に写真がないので、こちらに掲載しました。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 5
    イメージ 6

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    7月4日  名古屋中電ホール
     柳家三三ひとり会  三三:『木乃伊取り』『真田小僧』『金明竹』
    7月21日  国立文楽劇場 夏休み文楽公演 
     第二部名作劇場 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)
    7月21日  大阪TORIIHALL  柳亭市馬・柳家喬太郎 ふたり会 
     喬太郎『たらちね』 市馬『船徳』 市馬『雑俳』 喬太郎『雉政談』  
     
    7月26日  中日劇場 舟木一夫コンサート2013
     昼夜
    7月27日  春風亭一朝・古今亭文菊ふたり会 今池ガスホール
     
    7月27日  中日劇場 舟木一夫コンサート2013
     夜
     
    8月1日   梅田芸術劇場メインホール 舟木一夫コンサート2013
     昼夜
    8月2日   奈良県文化会館国際ホール 舟木一夫コンサート2013
     昼夜
    8月16日  名古屋名東文化小劇場  柳家さん喬・柳家喬太郎おやこ会
     
    8月23日  大阪メルパルクホール 舟木一夫ラブリーコンサート2013
     夜 
     
    8月26日  鈴本演芸場昼の部 主任:古今亭文菊
     
    8月26日  新宿二丁目道楽亭 文菊乱れ咲き
     
     
    8月29日  滋賀県びわ湖ホール 舟木一夫コンサート2013
     昼夜  
     
    9月1日   桑名市民会館小ホール
    柳家三三独演会 三三in桑名     
     
    9月17日  日本特殊陶業市民会館 フォレストホール  舟木一夫コンサート2013
     昼夜
     
    9月21日  神戸文化ホール   
     第39回東西名人選   柳家小三治ほか 昼夜
     
    9月25日  歌舞伎座 杮落し九月花形歌舞伎 千穐楽
    9月26日  ティアラこうとう大ホール 舟木一夫コンサート2013
     昼夜
     
    10月15日 川口川口総合文化センターりりあメインホール 舟木一夫コンサート2013
     昼夜
    11月3日  東京メルパルクホール 舟木一夫コンサート 風・アダルトに 昼夜
     
    11月6日  中野サンプラザ 舟木一夫コンサート 昼夜
     
    12月3日~22日 大阪 新歌舞伎座 舟木一夫特別公演
     予定:12月3日/12月12日/12月22日(千穐楽)ほか

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    『陽射し・旅人』の「その6」では1969年から70年あたりに発売された曲を手がかりに「あの頃の」舟木さんにズーム・インしました。「その7」では、少し重なってしまいますが、同じく1969年8月にリリースされた『夕映えのふたり』とB面の『高原のひと』から、翌70年の年末までの舟木さんの旅路をたどってみることにします。
     
     
    イメージ 1
    夕映えのふたり 作詩:丘灯至夫 作曲:現英生
    こぼれて落ちる 野の花ひとつ
    夕陽が赤く 染めてゆく
    泣いてはいけない こらえておくれ
    死ぬほど好きな 君だもの
     
    忘れはしない 生きてる限り
    やさしい君の まなざしを
    別れたときから はじまる愛の
    傷あとだけが つらいけど
     
    荒野に春が またくるように
    信じておくれ しあわせを
    終わりじゃないんだ これから君も
    ひとりで強く 生きてくれ
     
     
    ~資料年表は大倉明著『青春賛歌』参考~
    1969年 
    6月アルバム「ひとりぼっち 舟木一夫懐かしの歌・第三集)
    7月『ああ桜田門』(B面『恋のお江戸の歌げんか』)
    7月4日明治座公演「新納鶴千代」「与次郎の青春」開催(31日まで)
    8月『夕映えのふたり』(B面『高原のひと』)
    11月1日東京サンケイホール「舟木一夫とあなた」開催(3日まで)
    12月『北国にひとり』(B面『いつか来るさよなら』)
    12月12日東京プリンスホテル25歳誕生日パーティー開催
    12月17日松竹映画『いつか来るさよなら』公開
    12月31日第20回NHK紅白歌合戦出場『夕映えのふたり』歌唱
     
     
    勿論私は、リアルタイムでは全くこのあたりの曲は聴いたこともなかったのですが、今、大全集『陽射し・旅人』の曲を聴く中で、この『夕映えのふたり』はとても気に入っています。(youtubuでも聴けます)
    詩は丘灯至夫氏によるもので、「こぼれて落ちる 野の花ひとつ 夕陽が赤く染めてゆく」このフレーズは丘氏ならではの古風で抒情性にあふれた私好みの詩です。与謝野晶子の「金色の 小さき鳥の 形して 銀杏降るなり 夕日の丘に」の短歌を思わせます。柔らかく落ち着いた雰囲気の曲調もいいです。
    このEP盤が発売されたのは、明治座公演(7月)の直後です。この年の演目は昼の部が『与次郎の青春』、夜の部が『新納鶴千代』です。舞台俳優としての若き日の舟木さんを高く評価し、大きな期待を寄せていらしたという作家の川口松太郎氏が、この年のパンフレットの巻頭に次のような激励文を寄稿していらっしゃいますので、その一部をご紹介します。歌にもお芝居にも才能を見せた舟木さん、この頃は大ヒット曲から遠ざかって、舞台俳優としての将来へと周囲の錚々たる方たちからの期待が高まってきていたのですね。この69年から70年代に入った頃は「歌」と「芝居」にかける比重のバランスに変化が表れてきているように感じます。とは言え、ご本人としてはやはり「歌い手」というベースの上に「芝居」をプラスオンされていたのだとは思いますが・・・
     
    舞台の寿命   川口松太郎      ~後半部分のみ抜粋~
     
    イメージ 2舟木君が三四郎と鶴千代の二作をやるプランは期待が持てる。歌謡歌手の舞台出演は長つづきのしないものであるが、舟木君は三回目であり、その前の大阪の新歌舞伎座へ出たこともあって息の長い人といえる。
    人気歌手の寿命の短さは定評があり、若いうちの仕事で年長けては困難になる。やがて舟木君にもそういう危機が訪れるのに決まっているが、舞台役者は六十になっても老いはしない。
    新派の水谷八重子は六十になったが、いまだに若き女性に扮して、その美しい舞台姿は昔のままである。
    願わくば舟木君が舞台を棄てる事なく、いよいよ精進を重ねて、人気者の寿命長かれと祈りたい。舟木君の客席を見ると若い女性が八割を占めている。舞台出演が重なるにつれて堅実なる観客層をも得られ、そういう俳優になって下さることをぜひ望みたい
     
    http://www.youtube.com/watch?v=rjv73SRgS4k 舟友のkazuyanさんの動画でお楽しみ下さい
    『夕映えのふたり』のB面ですが、なんとなくA面、B面がひとつのストーリーとなった連作というイメージの歌詩ですね。
    舟木さんが主人公の「恋ものがたり」として聴くと、切なくて胸がキュンとなった乙女たちがたくさんいらしたのでしょうね。
     
    イメージ 3高原の人 作詩:丘灯至夫 作曲:現英生
     
    忘れはしない 忘れるものか
    たとえはかない 縁(えにし)でも
    君を愛した 思い出は
    泣きたいほどに 懐かしい
    秋は淋しい 高原に
    いまでも君は 歌うだろうか
     
    憶えているよ 忘れるものか
    夏の終わりの 山の駅
    かくす涙も いじらしく
    送ってくれた 君のこと
    秋は枯葉の 高原を
    いまでも君は 駆けるだろうか
     
    忘れはしない 忘れるものか
    ひとり都の たそがれの
    空の彼方に あのひとの
    瞳のいろか 星のいろ
    秋は寒かろ 高原に
     
    いまでも君は ひとりだろうか
     
     
    1970年
    1月フジテレビ「銭形平次」出演。
    3月NETテレビ「若くて強くてイカス奴」に「宮本造酒之助」役で出演
    3月18日松竹映画「東京⇔パリ・青春の条件」公開(橋幸夫デビュー10周年記念映画)
    4月『心配だから来てみたけど』(A面『再会』)
    4月18日大阪新歌舞伎座公演『絢爛花の宴』『青春の符』開催(26日まで)
    6月アルバム「ひとりぼっち・第四集 舟木一夫と世界の歌」
    7月『青年の唄』(B面『うわさのあいつ』)
    7月アルバム「舟木一夫 花のステージ・第九集」
    8月アルバム「ベスト・カップルシリーズ 舟木一夫(オリジナルヒットと懐メロ)」
    8月1日東京明治座公演『新吾十番勝負』『日本の旋律・荒城の月』開催(28日まで)
    ここで、私の手元にある、この頃に発売されたアルバムも2つほど御紹介します。
     
    「ひとりぼっち・第四集 舟木一夫と世界の歌」
    収録曲
    イメージ 4カチューシャ*コロラドの月*泉のほとり*峠のわが家*フニクニ・フニクラ*谷間の灯*埴生の宿*ともしび*おおスザンナ*故郷の空*村の娘*トロイカ

    ともしび  ロシア民謡
     
    夜霧のかなたへ 別れを告げ
    雄々しきますらお いでてゆく
    窓辺にまたたく ともしびに
    つきせぬおとめの 愛のかげ
     
    やさしき おとめの 清き思い
    山川遥かに へだつとも
    二つの心に 赤く燃ゆる
    こがねのともしび 永遠(とわ)に消えず
     
     
    この曲は、日本ではロシア民謡として歌われていますが、第二次大戦中に作られた戦時歌謡だそうです。
    ソ連史でいう「大祖国戦争」(対独戦)に出征する兵士をテーマとしています。この歌を舟木さんの歌唱であらためて聴いていると、『絶唱』を思い出します。戦地に出てゆく恋人を見送るおとめは小雪です。その小雪の順吉を想う清らかな愛と無事を祈る真心は遠い海を超えて、順吉のもとに届いたのです。ふたりの心にはつつましく控え目だけれど「静かに燃える愛の灯(ともしび)」が赤々と燃えて、永遠に消えることがなかったという『絶唱』の世界に通じるものを感じて胸にこみあげるものがありました。
     
    1970年
    9月『紫の人』(B面『東京みれん雨』)
    9月アルバム「舟木一夫大全集(5枚組)」
    10月アルバム「ひとりぼっち 舟木一夫と大都会の夜・第九集」
     
     
    「ひとりぼっち 第九集 舟木一夫と大都会の夜」
    収録曲 
    霧にむせぶ夜*アンブレラのブルース*孤独の太陽*思案橋ブルース*今は幸せかい*君こそわが命
    *二人の世界*惑い花*女と男のブルース*東京ブルース*夜霧よ今夜もありがとう*今日でお別れ
       
    舟友のkazuyanさんの動画でお楽しみください
     
    イメージ 5今日でお別れ  
    作詩:なかにし礼 作曲:宇井あきら
     
    今日でお別れね もう逢えない
    涙をみせずに いたいけれど
    信じられないの そのひとこと
    あの甘い言葉を ささやいたあなたが
    突然さようなら 言えるなんて
     
    最後のたばこに 火をつけましょう
    曲がったネクタイ 直させてね
    あなたの背広や 身のまわりに
    やさしく気をくばる 胸はずむ仕事は
    これからどなたが するのかしら
     
     
     
    日でお別れね もう逢えない
    あなたも涙を みせてほしい
    何も言わないで 気やすめなど
    こみあげる涙は こみあげる涙は
    言葉にならない さようなら
    さようなら・・・・
     
    菅原洋一さんの大ヒット曲のカバーですが、私は舟木さんにとてもピッタリだと感じます。この曲は「女唄」ですが、女性が歌うと、きっと「ウソっぽい」感じがすると思います(笑)だってこんな女性が本当にいるのかしら?もしいたとしたら稀少価値ですね。これは、こんな女性がいたらいいなぁ・・・、あるいは女性はこんないじらしい心根でいてほしいという男性の限りない願望ですね。でもこの詩を聴いていると、じわっとくるのはなぜでしょうね。「あなたの背広や身のまわりに やさしく気をくばる 胸はずむ仕事は」なんて詩は、ちょっと私自身は思いつきませんが、感情移入はできてしまいます(笑)「今日でお別れね もう逢えない あなたも涙を みせてほしい」おお~ッ!なんて可愛い女性でしょう。リアルではないけど、美しく哀しい女心が見事に表現されているのは、さすがなかにし礼さんだとあらためて思います。そして舟木さんも若い頃の吹き込みですが、デリケートな情感をよく醸し出していらっしゃると思います。こちらも若いとは言え、さすがプロフェショナルで素晴らしいです。このアルバムの中で私のお気に入りです。
     
    1970年
    11月22日東京サンケイホールで「リサイタル舟木一夫の世界 竹久夢二の郷愁」開催
    12月『霧の街』(B面『二人の夜』)
    12月12日大阪サンケイホールで「リサイタル舟木一夫世界 竹久夢二の郷愁」開催
    12月31日第21回NHK紅白歌合戦に出場『紫の人』歌唱
     
     
    イメージ 6紫のひと 作詩:丘灯至夫 作曲:北原じゅん

    忍び逢う 夜のふたりは
    むらさきの 霧に抱かれて
    離れては 離れては 生きてゆけない
    すがりつき 泣いたあのひと 
    あのひとの 声がきこえる 
    むささきの 霧の降る夜

    忍び逢う 恋のはかなさ
    むらさきの 霧に抱かれて
    あなただけ あなただけ 生きる希望(のぞみ)よ
    顔埋め 泣いたあのひと 
    あのひとは 霧の彼方に
    むらさきの 霧の彼方に
     
    ひとの目を 避けるふたりに
    いつかくる 恋の終わりよ
    このままで このままで 死んでゆきたい
    夜明けまで 泣いたあのひと
    あのひとが いまも恋しい
    むらさきの 霧の降る夜
     
    youtubeからお借りしました。


    この年の12月31日紅白歌合戦で、『紫のひと』を歌うことになっていた舟木さんは、心身ともにかなり辛い状況にいらしたのだと御自身で語っていらっしゃいます。そのことについては、『陽射し・旅人』その6で掲載しています。御覧になっていない方はこちらへ
     
    『紫のひと』は舟木さんの曲の中では、「カラオケ演歌」というようなジャンルになるのでしょうか?
    舟木さんの魅力は「憂い・愁い」だと思いますが、それがいつの間か「暗さ」というものにすり替わってしまっていったような印象を受けます。こういった曲を歌うには、まだ早かったのか、あるいは舟木さんの心身の状況のせいだったのか?・・・今、この『紫のひと』をライブでお聴きすることができれば、私の疑問やモヤモヤは一挙に吹っ飛んでしまうと思うのですが・・・多分、今の舟木さんなら、この少し重たい曲でも歌いこなしてしまわれるような気がしています。
    少なくとも、とにかく、この頃には、どこかで「舟木さんと、歌との歯車」が噛み合わなくなっていっているのを、やはり「曲や歌声」からも色濃く感じてしまいます。
    (「その8」へつづく)

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    コンサート夜の部終演後に一宮七夕祭りに行ってきましたので報告が遅くなりました。

    今回のコンサートの構成は完全な新バージョンでした。
    う~ん、素敵過ぎました(笑)

    バラエティーに富んだラインナップで大満足でした!

    昼の部の最初2、3曲はまだ寝起き?っぽくて(笑)お声が出にくいかな?と少し心配しましたが、尻上がりにどんどん素晴らしくなっていって特に休憩の後の後半は絶好調でした。
    変な言い方ですがなんだか舟木さんはまだまだ進化を続けていらっしゃるように感じました。

    そしてまた今回も構成の見事さにも感動しました。
    いつも思いますがとにかく照明美術のセンスが最高です。

    ひとりでも沢山の舟木さんファンの方にこのバージョンも是非聴いていただきたいです。

    感動ものですよ。
    2013年7月26日 中日劇場 
    舟木一夫コンサート2013
    (115分 全28曲)
    一部(45分 12曲)
    オープニング
    ~燦めく星座

    あゝ青春の胸の血は
    仲間たち
    君たちがいて僕がいた

    貝がらの歌
    夕月の乙女
    木挽哀歌

    今日かぎりのワルツ
    たそがれの人

    東京は恋する
    くちなしのバラード
    花咲く乙女たち

    休憩

    二部(70分 16曲 )
    渚のお嬢さん
    夏子の季節
    ~スタンディング(「夏子の季節」でサインボール打ち)

    北国の街
    ブルートランペット
    友を送る歌

    哀愁の夜
    高原のお嬢さん

    浮かれ笛
    斜-me-節

    高校三年生
    修学旅行
    学園広場

    絶唱
    夕笛
    初恋

    アンコール
    ~恋唄

    れぽ詳細はまた追ってさせていただきます。

    画像の一宮七夕祭りの飾り付けですが市内各小学生の名前が入ったのが商店街アーケードに飾られてました。萩原小学生のをカシャッ!と撮ってきました真清田神社の鳥居にも七夕祭りのお飾りがデコレーションしてありました(一番下の画像)

    とりあえず本日はこれにて

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     舟木一夫コンサート2013    7月26日・27日 中日劇場(12:30/16:30) 

     
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    二部構成で休憩30分はさんで115分。全28曲という、舟木さんらしいギッシリと歌とお喋りが詰め込まれた中身の濃さでした。
     
    7月26日昼の部をメインにしてれぽします。以下舟木さんのMCはピンク文字です。
     
     一部(45分 12曲)
    黒のタキシード、パンツのサイドにはシルクサテンのようなライン入り。蝶ネクタイ、黄色のバラ。
     
    イメージ 2オープニング
    ~燦めく星座
    もう夏もド真ん中、一年の真ん中の土用で一番大きな土用。明日も土曜です(笑)土用に「ウナギカズオ」を見る!!(爆笑)今日は、一部、二部通して抒情歌系、B面っぽいものなどを・・

    あゝ青春の胸の血は
    仲間たち
    君たちがいて僕がいた
     
    あんまり細かくジャンルを分けなくてもいいんですが、この3曲は「学園もの」よりちょっと先をいってる。「赤い夕陽」「汽車はゆく」とか具体的な言葉は出てこない。「学園広場」までで、ひと区切りだったんでしょう。デビュー当時の歌はローカルな歌。都会の高校ではない。フォークダンスも都会の高校ではあまりやってなかったような・・・こういう機会に、名曲なのになぜか、A面でなかったり、他の歌い手さんとのカップリングの片面だ
    ったりで、なかなかステージにあげられなかったものを・・
    と『貝がらの唄』から3曲続けてといずれもみっちりスリーコーラスでした。
    貝がらの唄
    (雑誌「平凡」懸賞当選作詩) 

    夕月の乙女
    http://www.youtube.com/watch?v=ALar_d-HlLs 舟友さんの動画でお楽しみ下さい
    木挽哀歌
     
    詩もメロディーも美しく情景や景色が見えてくる。こういうタイプの歌は、今だともうできませんね。特にもうこんな詩の世界はできない。・・・詩はお姉さん、曲は妹と昔から言われてきたように・・と舟木さん。
     
    これらの3曲はデビュー1年目から2年目の頃のB面の曲ですが、当時の音源を聴いてみても舟木さんの繊細さや清潔さが生かされている名曲だと思います。『貝がらの唄』は波音がハープのような響きで聞こえてくるようです。愛唱歌の『椰子の実』(名も知らぬ遠き島より流れよる 椰子の実ひとつ)を想わせる世界です。『夕月の乙女』は初恋とも名づけられないほどの淡い仄かな想いを互いに胸に秘めたまま、名も告げあわずに、「さよなら」という言葉だけを交わしあったという幼いふたりの姿が夕月の薄明かりに照ら出されている美しい光景が目に浮かびます。『木挽哀歌』はひなびた山里の寂寥感とそこにつつましく生きている若者たちの暮らしの中で芽生えた素朴な恋心を歌った秀作です。
     
    50年もやってると喋ることがなくなってくる。時事問題は歌い手はどうもねー・・新聞も楽しい記事は書いてないでしょ。だからあまり新聞は読まない。新聞で正確なのは日付だけ(笑)今、喋りながら思ったんですが、このホールの親会社は中日新聞!(笑)出入りキンシになる(笑)(後ろのバンドを振りかえって)次は何歌うの?まぁイントロが出ればわかります。(イントロが流れる)イントロ聴いても全然わかんないよ!・・・とちょっと遊んでから『今日かぎりのワルツ』へ・・

    今日かぎりのワルツ
    たそがれの人
    前の3曲よりも都会的というか、同じ青春を歌っていても全く別の風景・・・『たそがれの人』は20歳の時の歌。あの頃は「♪君の横顔 素敵だぜ♪」・・・と歌ってみて・・・こんなの言ってみたかった(笑)
    あたしは女になったことはないので、女の子が夢みるものもわかりませんが、男の子は~僕なんかおふくろが9人も変わってる、その変わり目の空白の間、親父が僕を連れて遊郭へ・・・7つ8つの頃は、しょっちゅうキャバレーへも連れていかれた。煙草の煙が朦々としてて・・と煙草についてのエピソードを・・映画『北国の旅情』の中で咥え煙草で原稿を書くシーンがあって、その時から11年前までヘビースモーカーでした。・・・と・・「嫌煙家」の私としては、今はやめられて本当に良かったと思ってます。舟木さんとの「再会」が煙草を止められてからで、私にとってはいい時期だったかもです。かなりなヘビースモーカーだったそうですから、よく喉をつぶされなかったことだ
    と思っています。よぼど恵まれた喉(声帯)をお持ちなのでしょうね。
     
    東京は恋する
    くちなしのバラード
    花咲く乙女たち

    休憩(30分)

     二部(70分 16曲 )
     
    渚のお嬢さん
    夏子の季節
    ~スタンディング(「夏子の季節」でサインボール打ち)
     
    二部の幕開けは、黒のベスト付き風のシャツに黒のパンツというジャケットなしの軽装で登場。最初っから『渚のお嬢さん』でスタンディングでした。この日は『銭形平次』ではなくって『夏子の季節』でサインボール打ちでした。ボール打ちが終わると・・・ 
    あ~、もう十分疲れたから 二部はこれで終わりましょうか・・・オープニングにこの曲は真夏しかできない。日本の四季はいいです。でも近頃は四季がないというか年中なんでも食べられて季節感がなくなった。僕はそういうのはダメ!何でも旬がいい。舟木一夫なんか今が旬です(笑)と云ってから「どうも すんずれいしました。」ペコリ)と頭を下げてみる舟木さん、なんてキュートなの!
    体力の衰えはどうしようもない。特に健康のための運動もなにもしてません。歩くのも遅い「テレンコ軍団」パチンコに行く時もブラブラ歩くのでみんからひとりだけ遅れる。歌い手も年がら年中「一生懸命」は気持ちが悪いですよね。何十年もやってる人が、あんまり年がら年中、一生懸命は聴いてる人も疲れるでしょ・・イントロ聴いても曲がわかんないって・・(『今日限りのワルツ』の時のこと・・・そろそろ危ない(笑)まあ高校三年生が、来年は70(才)になるんですから・・こんなおじいちゃんをようこそ見物に(笑)・・・と言葉とはうらはらにとってもいい笑顔の舟木さん。この幸せそうな笑顔に何度でも逢いたくなって来ちゃうんですよね。
    暑いけどガマンして着ます。可愛らしいピンク・・と淡いサーモンピンクのジャケットをはおる舟木さん。上品なピンクがとってもお似合いです。どう見ても70才のおじいちゃんには見えません。ご本人だって、内心はそう思ってますよ、きっと(笑)

    イメージ 3北国の街
    ブルートランペット
    友を送る歌
     
    こんなにコンサートをやっているとメニューが・・もう歌う歌がない!来年からは以前から云っているようにぼちぼち「日本の名曲」を~色っぽいところでは『宵待草』、硬派では『荒城の月』、『月の沙漠』などどいうものもワンコーナーで入れていこうと・・3.4年歌っていったら結構な数を歌えるかな・・とせっかくの「日本の名曲」だから誰が歌ったっていい・・・「日本の名曲」を歌い継いでいきたいという舟木さんの意思は素晴らしい。きっと舟木一夫にしかできないライフワークだと云う自負がおありなのではないかと思います。
    歌手は「この歌がいい」と思う歌がたくさんあればあるほど嬉しい。ヒットした歌がパワーがあるとは言えない。ステージにのせるとパワーが出る歌というのがある。この2曲は5本の指に入る名曲。「柔」はひばりさんでなくちゃ雰囲気出ないでしょという歌もある。これは舟木一夫だろうと歌をふたつ並べて・・・と『哀愁の夜』『高原のお嬢さん』を・・
     
     
     
     
     
    哀愁の夜
    高原のお嬢さん
     
    フルコーラスもたまにやらないと忘れちゃう。TVは一番、三番。でも『君たちがいて僕がいた』の三番は「大人になるのはこわいけど」って、今あたしが歌えば「こわすぎるだろ、オマエ!!」(笑)
    30代半ばくらいになってきた時、できてくる歌が自分の気持ちの寸法に合わないようになってくると自分の詩やメロディーを書き始めた。歌い手としての自分を追いつめていたんでしょうね。こんなタイプの歌も歌っていたんだなぁというところをふたつ・・・と・・『浮かれ笛』はポケットに手を入れてラフな感じで・・この2曲は舟木さんのアダルトな渋みがとっても素敵に感じました。
     
    浮かれ笛
    斜-me-節
     
    ワケのわかんない歌を2曲お聴きいただきました。こういうコンサートではヒット曲だけ並べればパワーが出るという訳ではない。歌い手の時期(年令)とお聴きいただく側のキャリアによって構成が変わってくる。昔の舟木一夫の声ってたまに聴くと丸っこい甘ったる声で今聴くと気持ちが悪い。え~っこんな声で歌ってたの!?昭和42年の紅白の『夕笛』の録音を聴いて「ヘタクソ!」と思った。『高校三年生』なんていうのは、18才の時がいいに決まってる。18才のを超えられるわけがない。歌っていけばいくほどよくなるというものではなくて、若い時のほうがいいに決まってるものもある。今はこんなになっちゃったというところの歌を・・
     
    高校三年生
    修学旅行
    学園広場
     
    ・・歌い終わってから・・さっき(「今はこんなになっちゃった」というところで)笑ったお客様、御自分の状況をわかってらっしゃるんですか(笑)ハ・ハ・ハ・・とにかく行けるとこまで行くしかない。70才でこれだけの分量を歌っているのがヘンなんです。流行歌は時代を背負ってる。業界の噂によるとあたしは60代のアイドルなんだそうです。納得ができるところまでトボトボといきます。こんな歌い手にここまでお付き合いいただいんたんですから、もうあきらめて、これからも付き合っていただけたら・・ラスト3曲は「涼やかな」という表現でまとめられた、舟木一夫抒情歌の世界の決定版でした。
     
    絶唱
    夕笛
    初恋
     
    アンコール (淡いバイオレットのジャケット)
    ~恋唄
     
    私にとってこれらラストの3曲とアンコールの『恋唄』のラインは最高に嬉しいものでした。しかも『初恋』がラストというバージョンは私には初体験。堂々たる抒情美の世界。西条八十作詩の『絶唱』『夕笛』に島崎藤村作詩の『初恋』、そしてアンコールに自作詩の『恋唄』を置かれたのです。八十、藤村の詩歌の世界と並べても決して遜色のない名詩『恋唄』だと思います。
    舟木さんは抒情歌を歌える最後の流行歌手としてその地位を不動のものにしていらっしゃることは明白です。舟木一夫にしか描き出せない「日本の抒情美」・・今回のコンサートでラストにこれら4曲を並べられたことで、これから55周年に向けた舟木さんが歌に託した願いのようなもの希望のようなものを示唆しているように感じた私でした。
     
    舟木さんのMCは思っていらっしゃることを飾り気なく率直におっしゃるので気持ちがいいです。今回の舟木さん語録として印象に残ったのは、理想とするステージを「ノーガードで出ていって、ノーガードで終わる」と・・これほど私たちファンを信頼して下さっている言葉はないと思います。聴く側と歌う側の壁はとっぱらって、フラットに一緒に空間を共有して共同作業でステージを作っていくというのが舟木さんの基本姿勢なのだと感じます。
    50年歌い手を続けてこられた大スターのポリシーとしてこれほど謙虚でしかも真摯なスタンスが他にあるでしょうか?このスタンスはデビュー当時からの舟木さんの変わらない想いなのだと思います。また、「生きてる」ということは「生まれて死ぬまでの時間つぶし」とも云われました。舟木さんらしい洒脱で一件乱暴な言葉の中に「いかに時間つぶしをするか」という一途で真摯な人の在り様の哲学を感じさせます。私にとって照れ屋で粋な舟木さんの言葉の中から「人生の本質」を拾い出すのも、ナマのコンサートに通う醍醐味でもあります。「舟木語録」これから、どんなお宝名言が飛び出すか楽しみです。
     
    中日劇場へは来年の3月28日、29日にコンサート、10月の終わりから11月にかけては特別公演のスケジュールが入っているそうです。舟木さんがご無理をなさらないようご健康だけをひたすらお祈りするばかりです。

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    7月26日、27日の中日劇場コンサートの翌日に開催された「一宮七夕ウォーク」で「舟木(花咲く乙女たち)コース」というのがあると舟友さんからお聞きして、以前から、萩原へは「春・夏・秋・冬」の各季節に行ってみたいと思っていたので、このチャンスを逃しては、真夏に散策に出かけるのはちょっとツライので、くじけそうになると思い、気合いを入れて出かけました。
     
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    9時半に萩原駅前で受付と聞いていたので9時少し前に到着しましたが、もちろんその時点では、まだ駅前には人影はなく、相変わらず静かな萩原の駅前でした。
    駅前に「舟木一夫写真展会場」という看板を見つけて(なぜだか3月に来た時は気づきませんでした)、ウォーキングに参加する舟友さんおふたりと、そこで知り合った参加者の方と4人で隣のたこ焼屋さんの戸をそっと開けて中を見学させていただけないかおたずねしました。展示会場には今はなにもないとのことでしたが、店内に舟木さんのデビュー前のお宝写真が何枚か置かれていて、思わぬ幸運にあずかりました。舟木さんがデビューされた時から地元の後援会会長をされていた吉川氏所蔵のプライベート写真なので「撮影禁止」でしたが、なんとも不思議な写真です。デビュー当時のプロマイドとほとんど変わらない詰め襟でヘアスタイルもあのカットに近くて、とっても清潔感にあふれていてオーラさえ感じる舟木さん。いえ、上田少年。「歌のチャンピオン」で優勝された時のステージ写真です。なぜだか、テープがたくさん飛んできていて、おまけに花束まで抱えているのです。全く、デビュー前から「花束と舟木さん」はきってもきれない景色なのですね(笑)でも、デビュー前ですら、あの爽やかさでとっても可愛らしくて、完全にアイドル、スターの資質が明確に現れている写真であることに本当に驚きました。これは、誰だってスカウトしちゃいます。・・・っというそんな素敵な上田少年の写真を拝見できただけで、もう目的は果たしたも同然??(笑)
     
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    萩原駅から線路伝いに一宮方面に歩いていくと、途中、線路わきに自生した「ほおずき」を発見!跡地には既に集合住宅(アパート)が建ってました。ネットで検索すると「ユニヴァリィ フナキ」という名称で入居者募集してますよ(笑)
     
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    右上は萩原駅前から一宮方面へ向かう線路。手前の建物が「ユニヴァリィ フナキ」の駐車場側からのアングル。
    右下は線路を背にしたアングル。左のフェンスの内側の建物です。
     
     
     
    イメージ 14木造2階建8戸の2LDKだそうです。「新婚さん向き」と書いてます。私はひたすら外周りばかり見ていたのでちっとも気づかなかったのですが、舟友さんが、立派なマンション名の入った表示盤を発見されてブログにアップされてますので、そこを御覧になって下さいね。
     
     ~山法師の花~ ゆふぎりさんのブログ
     
     
    イメージ 15「フナキ」の名称がついているとは凄いですね。
    これって舟木さんの了解が必要だったのではないかと思いますが、どうなんでしょうね(笑)
    建築中の時には向かい側の鉄工所?の隅に立てられていた「舟木一夫生家跡」の立て札は敷地内に移されていて安心しました。
     
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    以下は簡単に写真を中心にウォーキングコースをたどっていきます。
     
    萩原小学校校門~萩原劇場~なんだかもみくちゃにされている舟木さん(笑)このあたりでの撮影写真なんでしょうか。写真の説明があまり書いてなくてちょっとわかりにくかったです。
    萩原小学校に舟木さんが寄贈された「がんばりの像」の前で舟木さんが立ってる写真も設置されてましたが、これはプライベート写真のようで撮影禁止になっていて残念!
     
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    映画『花咲く乙女たち』の織物工場の撮影現場。左下が現在、右下が撮影当時(「小吉製絨」という会社名)の映画のワンシーン。三角屋根の形に注目!
     
     
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    映画の撮影の合い間のスナップ写真が残っているんですね。
    西尾三枝子さん、舟木さん、山内賢さん。
     
    皆さん若くて可愛い!
    後ろに写っているのは、当時の女工さんたちですね
     
     
     
     
     
     
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    まだまだ、コースの三分の一も来てません(汗)
    ここからが辛かったです。
    ひたすら炎天下を歩く参加者のみなさん。
    この上の道路は「大垣74」と書いてあります。岐阜県に繋がっている道路のようですね。
     
     
     
     
     
     
    イメージ 3道端に咲く、逞しいひまわりの姿に、元気をもらって、ひたすら、歩く、歩く・・・また歩く・・・
     
    http://www.youtube.com/watch?v=x5OgmwZi_EU 舟友さんの動画です
     
    ♪あるいていこうよどこまでも 
    舟木さんがこんな歌を・・・・・(笑)
     
    やっと、やっと河原が見えてきました。
     
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    皆さんも、きっと見覚えのあるこのシーンが撮影された場所にたどりつきました。
     
     
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    でも、ここからゴールまでが、遠いの遠くないの・・・・かなり身の危険を感じたので、ここから10分余りほどの「歴史資料館」でペットボトルに7分目ほどの水分補給をして、しばし休息をとってからゴールの「湊屋邸(旧家跡)」に向かい、スタンプを押してもらってから、一宮駅行きの名鉄バスに乗り込みました。駅までは30分ほど。
    帰りはJR尾張一宮から名古屋経由で桑名の自宅に無事帰還いたしました。
     
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    http://www.youtube.com/watch?v=UzJvpC1xq6A   youtubeにロケ地の動画がありましたのでお借りしました。

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    セットリストは5月の北海道までのバージョンと同じでした。


    オープニング
    ~さよならの朝に


    東京は恋する
    北国の街
    くちなしのバラード花咲く乙女たち


    夕笛
    絶唱


    みんな旅人
    潮どき


    銭形平次
    ~スタンディング


    明日咲くつぼみに


    ああ青春の胸の血は修学旅行
    仲間たち
    君たちがいて僕がいた
    高校三年生
    学園広場


    船頭小唄
    浮世まかせ


    たそがれの人
    哀愁の夜
    高原のお嬢さん
    End Love


    アンコール
    ~グッド・バイ・ソング


    画像の花束は舟友さんのです。いつもながら見事です


    サインボールは春日局がゲットしました


    舟木さんは中日劇場よりもさらに声が伸びやかで快調でした。


    明日は奈良ですね。

    春日局は京都泊まりです


    もちろん奈良へも行きますよ


    取り急ぎ簡単ですが…

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    本日は奈良でコンサートです。
    早朝に近鉄で京都から奈良に移動して駅前のホテルに荷物を預けて春日大社に向かいました。

    なんたって私「春日局」の神様ですから先ずは参拝しました。

    絵馬を奉納して御守りをいただいてから萬葉植物園を散策。
    国立博物館でちょっと休憩してから「出待ち」を予定してるので楽屋口の確認に文化会館に行ったらたくさんの女性たちが並んでました。「入待ち」は全然する予定はなかったんですがつられて並んでしまいました(笑)40人ほどいらしたかな?

    照ってきたり曇ってきたりでそれほど暑くはなかったので助かりました。

    待つこと40分ほど…12時ジャストに舟木さん到着

    車のお尻が私たちの側に向いていて後部席右ドアから出てこられ私たちの方を振り向いてにこやかに会釈されました。
    黒のTシャツにブルージーンズ

    撮影はあまりする気はなくてのんびり構えてナマのお顔をうっとり眺めてシャッター切るタイミングが遅かったです(笑)ズームするヒマもなくまたしても後ろ姿ですね

    舟木さんのゴキゲンでお元気なご様子が拝見できただけで「ヨッシャ~ッ!」ですよね


    スタッフの皆さん本当にいつもありがとうございます。
    暑い中スーツを着て優しく誘導していただいてありがたいですね。

    では取り急ぎご報告まで

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    遅くなりましたが、関西で8月1日と2日に開催されたコンサートのれぽの詳細です。
    私は7月31日から京都入りして午前中は街歩き、夜は関西暮らしをしていた頃に応援をしていた桂米朝一門の若手噺家さんおふたりの合同勉強会に行ったりして、前日からお楽しみモードでした。
    そして一夜明けて、いよいよ、8月1日は梅田芸術劇場メインホールでのコンサート。翌日の2日は奈良文化会館でのコンサート。いずれの日も、朝の6時から街歩きをしましたが、これらの街歩きは「舟木さんを探すさんぽ径」で後日、ブログにアップしようと思っています。特に京都には舟木さん関連スポットがいくつかあるので、住みなれた京都なのですが舟木さんがらみだと、あらためて楽しく歩けました(笑)
     
    2013年8月1日 梅田芸術劇場メインホール 
    2013年8月2日 奈良県立文化会館 国際ホール
    いずれも開演時間は  昼 14:30   夜 18:30 
    セットリストは2013年通常コンサートのバージョンです。
     
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    さてコンサート詳細れぽです。8月1日梅田芸術劇場メインホールの昼の部の舟木さんのトークをメインにして再現してみます。ピンクの文字は舟木さんのトークです。
     
    オープニング
    ~さよならの朝に
    しかし、なんでしょうね、この暑さは!大阪独特の暑さ・・湿気が多いんでしょうかね。暑い中、ようこそお越しいただきました。・・・・
     
    東京は恋する
    北国の街
    くちなしのバラード
    花咲く乙女たち
     
    イメージ 3いつも、いつもいただきものを・・・おかげさまでうちのケータリングは潤ってます。客席からご覧になっていると紙袋と花束を別々に分けて置いて、あの野郎、神経質な野郎だなとお思いの方もあるかと・・でもこれにはワケがあって、あたしがセンターにいてライトがこの辺に一番当たる、ここにお客様が気になるような背の高い紙袋とか目立つものを置かないようにしてるんです。ん~・・・そうなってくると(と後ろを振り向いてこのへんのメンバーも取り変えたくなってくる(笑)あたしも50年・・老化現象が・・(拍手)トシの話に拍手をいただいても(笑)こちらもですが、お聴きになる方もエネルギーがいりますもんね。あたしもたまに友だちのお芝居を見にいったりすると3時間はキツイ・・でも急に運動したからと言って元気になるワケでなし、たまにパチンコに行くくらい・・まあパチンコの合間に歌ってるんですが、フフフ(笑)
    二十歳ぐらいになった時に「ここはおまえさんの持ち場だよ」という感じで抒情歌系の歌を歌うようになりました。西条八十先生の世界をふたつ続けて・・
    夕笛
    絶唱
    今、外からみると僕とお客様の関係が60代のアイドル、ハ・ハ・ハ・・不気味な感じが・・でもお客様との同世代という関係ができているのはありがたいこと。さっきの歌(夕笛や絶唱)も若い人には風景が見えてこないでしょうね。新しい曲(最近の)は歌うのがラク、古い歌(デビュー当時の)ほど難しい。元の雰囲気を残そうとするのは「アイドルとしての務め!」です(笑)
    年令を重ねると声の質も変わって心の寸法も変わっていく。レコード会社が持ってくる曲ではどうも・・となると自分で(曲を)書くようになる。こんな歌も歌ってるのか・・という曲を2曲。

    イメージ 4みんな旅人
    ♪人と話すだけで 疲れるなんてことが
    別に不思議じゃない バカな話じゃないか
    何気なく笑うほど 俺は大人じゃないし
    くちびるをかむほど 若くもないさー
    人と人が今日も 息をひそめすれ違う
    許しあえるはずの わずかな過去を抱きしめ♪
     
    潮どき
     
    こういう歌を歌っていると70(才)近いヤツが何言っているんだと思われる・・でも、多分僕なんかは生きてる間こうなんだろうな・・こういう稼業をやってる人間は、これがなくなったらお終い。緊張しててもお客様にはそう見えないのがキャリア。よくベテランの味と言われますが、遊びの部分、余裕、のりしろ・・一生懸命やってますよ。そうしないと一番気持ち悪いのは自分ですから~でも一生懸命があまりお客様に伝わってしまうとお客様が疲れてしまう。ああアイツも歌が好きで楽しくやってるんだなぁ・・と思ってもらう。
     
    舟木さんの「ベテランの味」についての考察は思わず膝を打ちたくなります。これは舞台芸術のどんな世界でも共通することだと思っています。肩の力を抜いた芸は押しつけがましさがなくて受け取る側もリラックスして楽しめ、ピーンと張り詰めた糸のようにプチンと切れる心配もなく滋味深く、あるがままの私の芸をゆるりと楽しんでいただければ・・というような気負いのなさに心がほどけます。かと言って舟木さんもおっしゃってるように決して手を抜いたり緊張感がないルーズさとは全く違います。「観て、観て!」とか「聴いて、聴いて!」という甘えたアピールの仕方ではないお客様本位の姿勢とでもいうのでしょうか。こういうスタンスであることを舟木さんの口から直接聞けるのが、ナマのコンサートの醍醐味です。
     
    銭形平次
    ~スタンディング
     
    サインボール打ちのあと、最近はトークに不思議な間ができるんです。・・・休んでます(笑)ところどころで、休み、休み・・・昔は休みなく10曲ぐらい・・今はいいとこ5曲(笑)
    新歌舞伎座のお芝居のお知らせもちょっとだけありました。
    要するにドタバタです。演舞場の『花の生涯』とはコロッと趣を変えて・・刀も持っていない浪人、金に困ると道場破りをやるという・・
    最初の頃(デビュー当時)の歌は「元気ハツラツ!」でもしょうがないから行ってみる!『明日咲くつぼみに』を青春を歌った一連の歌の受け皿として・・
     
    イメージ 5明日咲くつぼみに
     
    あゝ青春の胸の血は
    修学旅行
    仲間たち
    君たちがいて僕がいた
    高校三年生
    学園広場
     
    30代、40代が一番歌が選びづらい・・60(才)のこえをきいてから、声も変わってきて 響きも違ってきたからそろそろお客様にも届くかな・・という歌を持ち歌に限らず『ゴンドラの唄』『宵待草』『荒城の月』など今の僕が歌うとしたら、どう歌うんだろうという興味が自分自身にもあって「日本の名曲」をステージにのせていけたらと・・今日は二つ並べて・・・・中日劇場バージョンの最後でも抒情歌ブロックのラストに『絶唱』~『夕笛』~『初恋』と文芸詩人の最高峰の方々の作品を並べた最後に御自作の『恋唄』を置かれました。今回も野口雨情の『船頭小唄』と御自作の『浮世まかせ』を並べていらっしゃいます。こんな構成が可能な歌い手は、やはり舟木さんより他にはいないのではないでしょうか。巨匠の詩歌と並べてもなんら遜色を感じさせず、同じ音色、同じ空気感を漂わせ、抒情の世界を確立することができるのですから・・・ステージの構成の中に控え目ながらも隠しきれない舟木さんの才能と功績を見ることができるのは本当に嬉しく感動的です。
    また、「日本の名曲」を若い頃から歌ってこられた舟木さんですが、年輪を重ねた今なら、自分がそれらの曲をどのように歌うのか興味がある・・なんて、本当に歌い手として素晴らしい感性と探究心をお持ちなんですよね。「趣味は舟木一夫」と洒落のようにおっしゃる舟木さんですが、舟木さんご自身が「舟木一夫」に対して尽きせぬ興味と関心を寄せてさらに進化しつづけて行こうとする強い想いでいらっしゃることが本当に嬉しく頼もしく感じました。
     
    船頭小唄
    浮世まかせ
     
    こういう歌は、声で歌うんじゃなく響きで歌う・・と舟木さん。お隣に座っていらした御夫婦らしき方の男性の方が、この舟木さんの言葉に深く大きくうなづいていらっしゃったのが印象的でした。
    ヒット曲は財産。若い頃先輩によく言われましたが、今となるとよくわかる。言葉はいらない。
    一生に一度しかない純情を歌ったラブソングを・
    ・ここでも時代を代表するようなラブソングの大ヒット曲にならべイメージ 2て、御自作の『End Love』をラストにおかれました。この曲も1990年代の作品ですが今聞いても鮮度バツグンのラブソングだと思います。いつの時代にも変わらない男女の愛の普遍性を感じることができ、別れを歌いながら思いやりと希望に満ちた爽やかさに浸れる不思議な温もりがあります。
    胸にさした赤い薔薇が、歌の世界のイメージをふくらませて舟木さんが主人公のラブロマンスを見るようなドラマチックな感動のうちに幕となります。
     
    たそがれの人
    哀愁の夜
    高原のお嬢さん
    End Love

    アンコール
    ~グッド・バイ・ソング
     
    いったん降りた幕が再び上がって・・舟木さんからの感謝と「これからも僕の旅路にお付き合い下さい。」というような呼びかけともいえる『グッド・バイ・ソング』また、ここから新しい旅路への一歩が始まるような余韻を残して・・・
     
    毎ステージごとに見事な花束をプレゼントされている舟友さん。今回も撮影させていただきました。
    左が梅田芸術劇場メインホール夜の部、右が奈良県立文化会館国際ホール夜の部の花束です。
     
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    大阪と奈良で二日連続してコンサートが開催されるという情報が入ったので、さて、それならばと「京都~奈良」のプチ旅行を兼ねて楽しみましょうと早くからスケジュールを立てました
     
    イメージ 15京都は、十代の頃から憧れていた町ですから、チャンスがあれば一度は「住んでみたい」と思っていました。縁あって二十代半ばから関西暮らしになり、最初は大阪府の北摂地域に長く住みました。その後、思い切って京都に住まいを移して、昨年の10月まで十年弱ほど暮らしました。勤務先は最初は大阪市内、その後は神戸市内で遠距離通勤でしたから平日はほぼ京都にいる時間はなかったのですが土日には「にわか京都人」となって京都の町を堪能する生活ができたことは今でもいい経験だったと思っています。
     
    河原町三条と四条の中間ほどにあるホテルに7月31日と8月1日の2泊して午前中から、お目当てのスポットをさんぽすることにしてました。もちろんお目当てのスポットとは「舟木さんを探すさんぽ径」です。
    ほんのちょっとかする程度でも「舟木さんにかかわるスポット」は、どこかな?と予め考えてた場所には、ほぼ行けたのでちょっとご紹介してみますね。
     
     
    行程 近鉄桑名駅~近鉄四日市駅(電車)/近鉄四日市駅~五条京阪バス亭(三重交通高速バス)
     
     
    桑名駅から近鉄で近鉄四日市駅下車、そこからは三重交通のバスで1時間半ほどで京都の京阪五条駅前に着きます。住んでいたのも五条近辺ですから、もうそこは「マイエリア」です。京阪本線の清水五条から祇園四条までひと駅だけ電車に乗ってホテルに荷物を置いてからカフェでお昼をすませてから向かったのは、三条大橋の西側、木屋町通の角の池田屋跡です。ここは舟木さんにはとってもゆかりの深いスポットでしょうね。
     
     
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    *池田屋事件(いけだやじけん)
    幕末の1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。
     
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    イメージ 11上の写真は1967年明治座の『維新の若人』(村上現三原作「新撰組」主人公秋葉守之助)右は1973年明治座の『沖田総司』この二作品では新撰組の隊士を演じていますが、後には尊王攘夷派である長州藩の『月形半平太』を演じていらっしゃいますね。
     
    維新の若人 作詩:村上現三
    アルバム「限りない青春の季節」
    舟木一夫大全集「舞台主題歌集」収録(1977)
     
    恋も命も 風吹くままよ
    夜明けの空に ああはえる
    新撰組の 心意気
    進め維新の 若人よ
     
    意地も未練も 散る花びらよ
    日暮れの空に ああ消える
    新撰組の 旗の色
    進め維新の 若人よ
     
     
     
     
     
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     左は二条通りのホテルオークラ、右は京都市役所河原町通りを挟んで向かい合ってます。長州屋敷跡はオークラの大きな柱の裏側に隠れているのでわかりにくいですが桂小五郎像は河原町通りを向いて建ってます。
     
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    イメージ 7イメージ 8『月形半平太』(つきがた はんぺいた)
    行友李風作の戯曲、およびそれを原作にした映画.の主人公の名前。1919年(大正8年)、京都明治座での公演が初演である。本作は土佐藩士武市半平太こと武市瑞山(35歳没)をモデルにしているが作中では半平太は長州藩士となっている。
    舟木さんが演じた「半平太」を拝見していませんが、平成十八年の新歌舞伎座公演のプログラムのみ手元にあります。水も滴る美形の半平太ですね。長谷川一夫さん、大川橋蔵さんなど美男の俳優さんが演じていらっしゃる、その系譜にあるワケです。うっとり!
     
     
     京都市役所前をさらに西へ歩くと「本能寺」の看板が見えてきます。二条の通りに面してるのは裏口なのですが、そこから中に入れます。今のところ本能寺は舟木さんとはご縁がないようですが、私的には明智光秀は舟木さんに演じていただいてもいいんではないかという気がしています。信長に反旗を翻した謀反人ではありますが、どうも主膳のようなタイプではないかという気がしています。歴史の中の敗者ではあっても、高い志と深い思慮をもった人物という印象があって、主膳と光秀には共通項があるように思えます。
     
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    本能寺から、さらに西へ向かい、ちょっと南へ下ると、俵屋旅館です。ここでは、記憶に新しい舟木さんが探せます(笑)
     
     
     
     
    イメージ 3俵屋旅館
    『柊屋』『炭屋』とならんで京都(日本)の古い伝統を守る数少ない老舗の旅館の1つである。俵屋は、江戸中期、石見の国(島根県)の呉服問屋「俵屋」の京都支店の支配人として赴任した岡崎和助のもてなし上手が買われて石州藩士の定宿にもなったというのが始まり。幕末には安政の大獄の立役者・長野主膳の定宿になり、公卿さんも頻りに出入りしていた。戊辰戦争から明治維新へと続く動乱期に俵屋も維新への胎動に深く関わっていた。

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    俵屋旅館からさらに西南に歩くと京都文化博物館のフィルムシアターです。さて、なぜここが「舟イメージ 14木さんを探す」スポットになるかというと・・・『家光と彦左と一心太助』(1961年)を上映していたからです。このフィルムシアターは私のお気に入りのスポットで京都に住んでいた頃には、何度も足を運びました。日本映画を代表する名作がほぼ毎日上映されています。
    しかも入場料はワンコインという嬉しいお値段。ほとんが時代劇です。7月は「映画に見る美男子の魅力 時代劇篇」というテーマです。舟木さんが舞台にかけられた時代物の映画版がたくさん上映されています。『月形半平太』『次男坊鴉』『薄桜記』『源氏九郎颯爽記』など。
    イメージ 6一心太助は中村錦之助さんの当たり役で、舟木さんもなさっていたように(『一心太助江戸っ子祭り』)後にお世継ぎとなる若き日の家光と魚屋の一心太助の二役を演じ分けてコミカルな場面あり、ほろりとさせる人情味ありで、しかもラストには東映時代劇らしい大立ち回りが存分に楽しめる娯楽映画のエッセンスがギッシリ詰め込まれた作品でした。家光が弟の忠長(中村賀津雄さん)との確執の後に兄弟の情愛を取り戻す場面では涙がじわっと・・・
    舟木さんも昭和36年公開のこの作品を学生時代にリアルタイムで御覧になっていたのでしょうか?多分後年には、もちろん御覧になっていると思いますが。
     
    (京都篇は、「その2」につづきます)
     
     
     
     

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    京都篇「その1」からのつづきです。
    烏丸通りを東に入った二条と三条の間にある京都文化博物館で『家光と彦左と一心太助』(1961)を観終わってから東山に向かいました。11時頃に早目のお昼をカフェでサンドイッチと紅茶ですませてましたが夜は予定があって夕食をとる時間がないので南座の向かいにある「菊水」でランチ・・・ここはランチタイムが17時まであります。ワンプレートで950円也。スープもドリンクも付いていてまさにサービスランチ。入店したのは15時半でしたから、店内も空いていて南座を目の前に見ながらゆったりとお食事タイムできました。
     
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    コーンスープ、ビーフソテー、ハモのマリネ風、エビチリ、ソーセージ、ポテトサラダ、スパゲティ、刻みキャベツ、ライス。ドリンクはアイスティー。男性でもそこそこお腹がいっぱいになるほどのボリュームでした。
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    しっかり食べてから、さらに東へ・・・八坂神社を抜けて高台寺に出ようと進んでいくと、右手からなにか気配が・・・何度も訪れている八坂神社なのに今まで気付かなかった燈籠に呼びとめられたような気がしてそばに近づいてみると八代目雷蔵と三代目壽海という文字が彫られています。あの市川雷蔵さん(三代目壽海は雷蔵さんの養父)が寄進された燈籠でした。
     
     
    昨年11月に南座で拝見したシアターコンサートパンフ。
     
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    イメージ 16イメージ 15舟木さんが学生時代に観て強いインパクトを受けたという雷蔵さん主演の『薄桜記』を後年、舟木さんが明治座公演でかけられたというのは有名ですが、私はおそまきながらこの映画をつい5、6年前に観て、同じく感動しました。雷蔵さんの典膳の美しさと「忠臣蔵」異聞のこういったエピソードの世界にも隠れた魅力的な主人公を生みだすフィクションの世界の面白さを堪能できる傑作だと思います。舟木さんの舞台は残念ながら拝見してませんがパンフレットだけで色々想像をめぐらすのもまた良し!かな~負け惜しみ?(笑)ところで雷蔵さんのポスターの右下俳優さんの名前に「舟木洋一」とあります。一文字違うだけのこの方は・・・?
     
    イメージ 3イメージ 2八坂の塔を正面に見ながら、しばらく歩き、石塀小路石畳を左折して登り、高台寺下の小径にでます。さらに右に進んで左折。坂を上ったところに霊山歴史博物館への登り口があります。もう閉館まであまり時間がなかったので、この日はパスして清水寺に向かう二年坂方向にカーブしていきました。向かうは竹久夢二の寓居跡「港屋」です。
     
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    舟木さんが夢二を演じられた舞台も私は拝見してなくてこちらもパンフレットのみ手元にあります。舟木さんが若い頃の1973年に取り組まれたアルバム『宵待草 竹久夢二の郷愁』は、ずっと手に入れたかったものですが稀少なもののようであきらめていたのですが、この寓居跡を訪れたからでしょうか、関西のコンサートから帰った日に、たまたまオークションでとても安価に出札されているのをみつけました。これも何かのご縁でしょうか、すんなりと手に入れることができました。不思議なものだなぁ・・・と思っています。
    舟木さんの歌謡組曲というジャンルのアルバムは文学性と詩情にあふれていて私好みのものでしたが、結果としてすべて手元に置くことができました。「強い想い」が届いたのかな?と幸せに浸っています。
     
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    この寓居跡は東山区桝屋町、二年坂の中ほどにあります。夢二が京都で下宿したのは1917年(大正6)2月。部屋は2階の2間。愛情問題のもつれから東京を逃れてのこと。2ヵ月後、北の高台寺南門前へ移り愛人彦乃と生活したそうです。夢二もこのあたりから見たかもしれない八坂の塔です。
    下の写真は四条大橋から北向きに連なる「川床」と加茂川に映る灯り。
    逢う瀬』は昨年の南座のコンサートで一度だけ聴きました。京都にちなんだ曲ということでこの時だけセットされたようです。君というのは彦乃でしょうか?どうしても夢二の恋を連想させます。
     
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    逢う瀬 作詩:藤浦洸 作曲:戸塚三博
    アルバム「舟木一夫の新しい名刺・友情」収録(1974)
     
    京は加茂川 たそがれに
    誰を待つのか 川べりの
    宵待草の 花ひとつ
    君によく似た うつくしさ

    けぶるむらさき 東山
    鐘の音色に ゆれながら
    ひとりさびしく 待ちわびる
    君のすがたの いじらしさ
     
    あいにゆこうか あうまいか
    あわねばなおも かなしさを
    耐えてたたずむ 横顔に
    散るは祇園の ともしびか
     
     
     
     
    ~京都篇「その3」につづきます~
     
     

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    京都篇「その2」からのつづきです。
    さて、いよいよ8月1日は、梅田芸術劇場メインホールでのコンサートの当日です。昼の部の開演は14時半からなので半日は充分に京都市内を散策できます。先ず、6時に起床、身支度を整えてホテルから歩いても10分足らずのイノダ珈琲本店に、ぶらぶらと出かけました。京都に住んでいた時にも、土日には早起きして自宅から徒歩30分ほどのイノダ本店にはよく行ってました。朝の7時に開店するのですがちょっと出遅れると禁煙席はすぐに満席になってしまうほど人気の高い老舗珈琲店です。三条店などほかにも店舗はありますがやっぱり本店の雰囲気が一番お気に入りでゆったりくつろげます。モーニングのミートローフセットをいただきました。1200円也
     
     
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    お店を出ると少し雨脚が強くなってきました。それでもめげずに予定しているスポットには行きたかったのであきらめずに歩き続けました。三条通りから三条大橋の手前の木屋町通りに右折して南へ下ると坂本龍馬にゆかりの土佐藩邸跡があります。ちなみに私の宿泊したホテルは河原町通りに面していて、少し四条方面に下ると、そこは龍馬が暗殺された近江屋跡です。(坂本龍馬 中岡慎太郎遭難の近江屋跡晩年身の危険にさらされた頃は、この河原町の四条から三条界隈が龍馬の京都市内での隠れ場所だったんですね。
     
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    もう少し南に下ると、今は廃校になっていますが立誠小学校跡あたりに、こんな看板があります。「日本映画発祥の地」
     
     
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    木屋町通から四条通りに出て左折、四条大橋を東に渡って川端通りを今度は北に上がり右折すると白川南通りに入ります。このあたりの風情は祇園花見小路よりもむしろ一番京都らしい眺めであり佇まいでもあると思います。ここでお待ちかねの舟木さんに「かすり」ます(笑)このあたりの観光スポットと言えば吉井勇の歌碑でしょう。
     
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    昭和30年、吉井勇、谷崎潤一郎らによって建立された。歌碑に刻まれている歌は吉井勇作
    「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」

    この歌は、祇園の思いを詠んだもので石川啄木らと編集を担当した「スバル」にて他の祇園を詠んだ歌とともに発表されました。
     
     
     
    なぜ、舟木さんに「かする」かと言えば・・・・吉井勇作詩の有名な歌があります。『ゴンドラの唄』
    このところのコンサートで、舟木さんがこれからは「日本の名曲」をステージにのせていきたいと、おっしゃっていらっしゃいますがその時に必ず例に挙げられるのが『宵待草』『荒城の月』そして、『ゴンドラの唄』です。というワケで見事に「舟木さんを探せ」ました文語体の日本語の美しさと優雅なメロディーにどこか西欧風な新しさもあって「大正ロマン」の香りが漂ってきますね。舟木さんの歌唱音源は「花のステージ第7集」他に収録。
     
    イメージ 10ゴンドラの唄 吉井勇:作詩 中山晋平:作曲

    いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
    朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
    熱き血潮の 冷えぬ間に
    明日の月日は ないものを
     
    いのち短し 恋せよ少女
    いざ手をとりて 彼(か)の舟に
    いざ燃ゆる頬を 君が頬に
    ここには誰れも 来ぬものを
     
    いのち短し 恋せよ少女
    波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に
    君が柔手(やわて)を 我が肩に
    ここには人目も 無いものを
     
    いのち短し 恋せよ少女
    黒髪の色 褪せぬ間に
    心のほのお 消えぬ間に
    今日はふたたび 来ぬものを
     
    「いのち短し(命短し) 恋せよ乙女」の歌い出しが印象的な歌謡曲『ゴンドラの唄』は、劇団・芸術座により1915年(大正4年)に公演が行われた『その前夜』における劇中歌として作曲された。日本映画の巨匠・黒澤明(くろさわ あきら/1910-1998)監督による1952年の作品「生きる」では、雪の降る夜ブランコをこぎながら、主人公が『ゴンドラの唄』を口ずさむシーンが登場する。『その前夜』の原作は、ロシアの小説家・ツルゲーネフによる同名の戯曲。この中で、主人公の女性・エレーナは、恋人とヨーロッパへの旅路から戻る途中、イタリアのヴェネツィアで船を待っている場面で、ゴンドラの船頭が集ってざわめくシーンが登場する。
     
    吉井 勇(よしい いさむ、明治19年(1886年)10月8日 - 昭和35年(1960年)11月19日)は、大正・昭和期の歌人、脚本家である。爵位は伯爵。京都市東山区の祇園・白川沿いには、勇が古希を迎えた1955年11月8日(実際の誕生日からは一月遅れ)に「かにかくに…」の歌碑が建てられている。毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて勇をしのぶ「かにかくに祭」が行われている。また、高知県香美市香北町の「吉井勇記念館」の他に、蔵書や遺品の一部は京都府立総合資料館にも収められている。
     
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    白川から祇園花見小路、四条通りに抜けたあたりで、土砂降りになってきたので八坂神社手前のスターバックスで雨宿りすること約1時間。ちょっと小降りになってきたので、再び八坂神社下の東大路通りを南にちょっと下り、坂を東向きに登って霊山歴史館に向かいました。「会津の武士道 会津藩と新撰組」をテーマに「新島八重 心の支え」というサブタイトルの企画が催されています。
     
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    ≪会津藩を歌う舟木さん≫
     
    あゝ鶴ヶ城 (1965) 
    作詩:野村俊夫 作曲:古関裕而
     
    イメージ 13花の姿に 例うれば
    蕾も清き 山ざくら
    まだ前髪は 残れども
    誇りは高し 会津武士
    護る生命の 鶴ヶ城

    年は移りて かえらねど
    その名ぞ残る 白虎隊
    飯盛山を めぐり行く
    今宵の月に 偲ばるゝ
    薫る誉の 会津武士
     
    舟木さんの歌唱がこちらで聴けます↑
     
     
    ≪新撰組を歌う舟木さん≫・・・作詩のすずきじろうとは舟木さんご自身です。スゴイ!
    40年前ですから、この時弱冠28歳ということですよね。恐れ入りました・・・
     
    イメージ 14総司が行く 作詩:すずきじろう 作曲:山路進一
     
    明治座公演「沖田総司」主題歌(1973)
    アルバム「限りない青春の季節」収録
     
    草葉の上の玉露か・・・
    若き生命の灯がゆれる・・・
     
    人が怖れる三段突きは 
    沖田総司の剣の冴
    胸の病を知りつつひとり
    生きる”誠”の旗の下(もと)
     
    壬生の若獅子 一番隊の
    剣の鬼だと 風が言う
    笑い流して 京洛の夜を
    今日も総司の 影が行く
     
    二十余才の 生命の丈が
    小倉袴の裾に舞う
    孤剣ひとすじ 菊一文字
    ゆくは幕末 修羅の道
     
     
     
     
     
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    写真説明
     
    左:翠紅館広間は、三条実美、桂小五郎、坂本龍馬ら、志士たちの会合の場所となりました。文久三年一月二十七日には、土佐藩 武市半平太、長州藩 井上聞多、久坂玄瑞ら多数が集まり、さらに、同年六月十七日には、長州藩 桂小五郎、久留米藩 真木和泉守ら、各藩の代表者が集まって、攘夷や討幕などの具体的方策を検討しました。これが世に言う「翠紅館会議」です。
     
    中央:幕末には、建仁寺の天章慈英(てんしょうじえい)和尚が、妙光寺を勤皇の志士達の密議の場として提供し、天章和尚の工作は明治政府成立の原動力にもなりました
     
    右:幕末、京に集まった勤皇の志士たちは祇園をひいきにしていました。祇園の女性たちと勤皇の志士たちとの間に生まれたラブロマンスは数多くあるのでしょう。幕末を舞台にした小説やお芝居にも、そういった恋物語はたくさんちりばめられていますね。
     
    我ながら朝からよく歩きました。お昼になりましたので、私の大好物の「にしん蕎麦」をいただきに南座隣の「松葉」に向かいました。
     
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    結構でした。ごちそうさま
    さて、阪急河原町まで歩いて、特急電車で一路、梅田へGO!
     
    舟木さんを探すさんぽ径 ~ 京都篇 完結
     
     
     
     
     
     

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    8月1日の梅田芸術劇場でのコンサートを舟友さんたちと一緒に昼夜楽しんで、出待ちまでみっちり満喫して、夜の部で幸運にもゲットさせていただいたグリーンのサインボールとサイン色紙を失くさないようにとバッグにしまって梅田から河原町まで阪急電車で戻り、もう一泊京都で夜を過ごして、翌朝は7時前に河原町三条から市バスに乗って京都駅に到着。駅前の馴染みのカフェで朝食をゆっくりとって近鉄電車で奈良に向かいました。約40分ちょっとで奈良に到着。タイトルは「舟木さんを探すさんぽ径」ですが果たして奈良で舟木さんがみつかるのかな?
     
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    先ずは奈良の1日目です。ホテルに荷物を預けて身軽になってから向かったのは春日大社です。奈良に来たのは3年ぶりくらいかな?
    それも、落語会が一回と野村萬斎さんの東大寺の奉納狂言の会に一回、足を運んだというだけで、あまり時間がなかったので散策するヒマもなくとんぼ返りでしたから実質的に観光っぽい目的で来たのは、もう10年ほど前かも・・・。考えてみたら末娘が高校時代にメール交換していたアメリカの女子高校生が日本に観光を兼ねた短期留学でやって来て数日間ホームステイしていた時に奈良観光に私も付き合って以来のようです。その時も真夏だったので暑かったことだけは記憶にあります。でも、その彼女は京都よりも奈良の方が気に入って喜んでくれたのが印象的でした。都会的で洗練された京都より、自然がそのまま残っている雄大な景色の奈良に魅力を感じる気持ちはなんとなくわかりますね。
     
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    国立博物館の手前から、鹿がたくさん歩いていて、「わぁ、奈良に来た!」っていう感じです。子鹿の姿が目立ちました。必ず母鹿がそばにいて、子鹿の動きに絶えず目を配っているように寄り添って歩いているんですね。
     
     
    イメージ 8春日大社への参道入口から続く杜の小径は、まだ朝のひんやりした空気に包まれていて、しばらくは汗もかかずに歩けましたが、萬葉植物園に入る頃には急にカンカン照りになってきて、大汗をかきながら歩きました。
     
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    イメージ 24ちょっと舟木さんが見つかりにくいので、助け船を出していただくことに・・(笑)
    舟友のkazuyanさんの奈良を背景にした動画  舟木さんの歌唱で『鈴懸の径(すずかけのみち)』を
    http://www.youtube.com/watch?v=lnFhsCldJpM
    映画『高原のお穣さん』で挿入歌として歌われていますね。
    http://v.youku.com/v_show/id_XMjkyMzE5MDYw.html
     
    友と語らん 鈴懸の径
    通いなれたる 学舎(まなびや)の街
    やさしの小鈴 葉かげに鳴れば
    夢はかえるよ 鈴懸の径
     
    音源はデビュー45周年記念の6枚組CD「思い出アルバム」より
     
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    イメージ 3萩を歌った万葉集の歌  
      
    わが衣摺れるにはあらず高松の野辺行きしかば萩の摺れるぞ 
    今は萩の花の季節には早くて画像は萬葉植物園関連のサイトからお借りしましたが、萩の木はもちろん萬葉植物園で確認してきました。
     
    そして、舟木さんの出身地の萩原にも萬葉公園があるんです。一宮市萩原町高松にある萬葉公園は、地元萩原の詩人佐藤一英氏が『万葉集』巻十で歌われた萩の歌が、この地で詠まれたと提唱したことにちなんで造られた公園です。そして奇しくも佐藤一英氏は舟木さんの母校である萩原中学校の校歌を作詩されています。
     
    佐藤一英(さとう いちえい、1899年(明治32年) - 1979年(昭和54年))は、詩人。1899年、愛知県一宮市萩原町に生まれる。
    早稲田大学英語科中退。市内の小・中学校、木曽川高校の校歌の作詞もしていた
     
     
     
    萩原中学校校歌       
    作詞:佐藤一英  作曲:森一也                       

    イメージ 4その名もゆかし 萩原の
    土にわれらは 産まれけり
    照る日のめぐみ 身に浴びて
    群れ咲く花の「生」を識る
    あヽわれら 萩原の子よ
     
    中島宮の あとどころ
    伝えいかしき 石文に
    いにしえ人の 心読み
    みなもと遠き「生」を識る
    あヽわれら 萩原の子よ

    伊吹の風に よみがえる
    土のいのちの 尊さよ
    そのことわりを 胸に彫り
    こころ根深き「生」を識る
    あヽわれら 萩原の子よ
     
    あ~ぁ、舟木さんが探せてよかったぁ~ッ!
     
    世界遺産の春日大社本殿と春日山原始林。右は多賀神社の延命長寿祈願奉納絵馬。
    「春日局を探す・・・」ではなかったですね(笑)  スミマセン・・・
     
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    コンサートの翌日の8月3日は、真面目に舟木さんを探しに歩き続けましたよ・・・春日大社から西北へと進路をとっていくと、旧柳生街道へと入っていきます。ウフフフ・・・もうおわかりですよね
     
     
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    野あざみの君に  作詩:喜多条正 作曲:服部きよし
    この街で 
    もしも君に逢えたなら
    僕はあげよう
    野あざみの花を
    とげが痛いとノートを破り
    いつか手と手が触れあった
    あれは幼い恋
    この街で もういちど君に逢いたい
     
    この街で
    もしも君に逢えたなら
    僕はあげよう
    野あざみの花を
    汽車を見ようと野道を歩き
    いつか日暮れて泣き出した
    あれは幼い恋
    この街で もいちど君に逢いたい
    (アルバム『愛はまぼろし』収録)
     
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    里の花ふぶき 作詩:橋本比禎子 作曲:古賀政男

    イメージ 16水ぐるま まわりまわりて 柳生の里は
    剣のひじりよ 祖先の在所
    山坂こえて 草鞋ばき 
    姿も浮かぶ 正木坂

    縞小袖 里の娘は 気立てのよさに
    柳生なりゃこそ 四百年の
    昔語りに 花が咲く 
    ちらりはらりと 谷の春

    願かけて 馬頭観音 おがみます
    春桃御前は 母ぎみさまよ
    ひたすらにゆく もののふに 
    春の坂道 花ふぶき

    http://www.youtube.com/watch?v=kmNQroaf7CA こちらで聴けます。
     
    この先へ進むと滝坂の道へ・・ あ~ぁ、本当によく歩きました。京都と奈良としっかりウォーキングしました。
    舟木さんを探していると、どんどん歩けちゃいま~す
     
     
    イメージ 17春の坂道 
    作詩:泉漾太郎   作曲:古賀政男
     
    照る日 曇る日 ふたつはあれど
    ふたつとはない しあわせの道
    繁る葵の 葉に吹く風も
    雨もおさめる 剣禅一致
    夢に夢追う 二蓋笠
     
    春の坂道 悲願の鐘に
    明ける日和は 新陰流の
    抜かず 構えず 打込みもせず
    戈を止める こころの剣
    柳生神武の 無刀取り
     
     
     
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    大河ドラマ『春の坂道』
     
    山岡荘八の書き下ろし小説「春の坂道」、および小説「徳川家康」を原作として杉山義法が脚色。泰平の世を築くために遠くて険しい「春の坂道」を歩んでいく剣術家・柳生但馬守宗矩の生涯を、家康・秀忠・家光の徳川三代の時代を背景に、「一紙半銭も私せず」の剣禅一如の精神とともに描いた作品。
    父の秀忠や母の江は、病弱で吃音であった兄・竹千代(家光)よりも容姿端麗・才気煥発な国千代(国松)を寵愛していたとされ、それらに起因する竹千代擁立派と国千代擁立派による次期将軍の座を巡る争いがあったとされる。この争いはのち、春日局による家康への直訴により、竹千代派(家光)の勝利で終わる。

     
     
    忠長の場合は改易に至る過程として、江戸と駿府の両方に将軍がいるといわれるほどであった幕府・将軍家に対する不遜とも取れる言動もその一因としてあげられ、さらに家光との間に確執があり、それが改易のみならず自刃という過酷な処分の一因となったとする説もある。
     
    なお、従来より流布されている家臣や領民への無差別な殺害や、殺生が禁じられていた静岡浅間神社での猿狩り、その後の度を超えた狂乱ぶりが幕府に咎められたとする説は、そのほとんどが信憑性の低い伝聞や伝承が元となっており、従来からあるステレオタイプな暗君像を忠長に当てはめたものと考えられている。猿狩りについても、猿による農作物被害に悩まされていた領民のために行ったという側面があり、暗君像をより強調するため不正確な伝聞や伝承が物語的に後付けされたものとされる。
     
    http://rekishi-club.com/higeki/tadanaga.html 歴史くらぶ参照)
     
     
     
    イメージ 18舟木さんは、歌の『春の坂道』では柳生宗矩について歌っていますが、大河ドラマへの出演は徳川忠長役としてでした。ってことは春日局とは敵対関係なワケになりますね
    同じく大河ドラマ『赤穂浪士』『源義経』でも悲劇の若者でしたが、『春の坂道』でも波乱の人生を余儀なくされる悲運の人を演じられたんですね。どうしても当時のイメージが、そういった儚げな雰囲気でしたから、そういう役どころを期待されたのでしょうね。私はこの頃、ほとんどテレビ自体を観ていなかったので大河ドラマに出演されていることも全く知りませんでした。これは拝見したかったです。
     
     
    残念ながら、この時の忠長の映像・写真などはネットなど探してもみつかりませんでしたから忠長の肖像画で。
     
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    帰り道は、志賀直哉旧邸を回って、春日公園の中を通り、鹿がしかげ(日かげ)で昼寝してるのを眺めながら・・・(笑)
    興福寺を通り抜けて近鉄駅前へ・・・
     
    この究極の駄洒落は、奈良のコンサートのトークで舟木さんがおっしゃったんですが、地元のファンの方への、サービス精神だった・・・と思うことにしましょう
     
    下の写真は「しかげ」で昼寝してるオス鹿たち(笑)
     
     
     
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    今年5月に、舟木さんの50周年をお祝しての第一企画「仲間たち」をモチーフにステキな動画を作成して下さったkazuyanさんのご提案で、第二企画の募集中です。
     
           舟木さん55周年応援企画動画参加投稿
     
    是非、たくさんの舟友さんのご参加を宜しくお願いします。
     
     
    先ずは、私のふるさとの「日本一やかましい祭り」と言われている
    「桑名 石取り祭り」の画像を3つアップいたします。
     
    http://www.youtube.com/watch?v=9HoyYkrIfNo  動画はこちらです。
     
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    舟木さんへのメッセージ
       ~貴方の旅路の輝かしいフィナーレの季節に
             やわらかくあたたかい陽射しを浴びて
               たくさんの舟友さんとご一緒できる幸せに心からの感謝を~
     
     
    舟木さんのコンサートで訪れた真夏の京都と奈良 
    古都の旅でしたためた舟木さんに捧げる3句です。全くの素人のお恥ずかしい駄句ですが・・・
     
     
    イメージ 4待ち人の笑顔こぼれて風青し

    夏木立揺れて木漏れ日ダンシング

    歌声よ永久にと祈る流れ星
     
     
    右の画像は春日大社の七夕飾りです。
    短冊に願い事を書いて奉納しています。
     
    「舟木さんが一日でも長く、お元気で楽しくステージで
    歌い続けることができますように」
    との祈願を奉納してきました。
     
     
     
    最後はブログのシンボル画像「れんげ草」と
    私の妙ないでたちのいにしえの写真です。
    一応「自画像」としてアップしますね。
     
     
     
     
     
     
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    kazuyanさん、宜しくお願いします。
    完成を楽しみにしております。
     
    募集要項については舟友のkazuyanさんのブログをご参照下さい。
    http://blogs.yahoo.co.jp/uesaka679kazuo/folder/84853.html

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    旧盆を迎えて、日中の炎暑はまだおさまらないものの、やっと朝夕は少し「ほっ」とひと息つけるかな・・という感じになりました。PCが置いてある我が家の二階の部屋は一日中日当たりがよくて家中で一番暑く、昼間はエアコンをONにしても効果がうすいので、なかなかPCに向かうことができません。
     
    1974年11月2日と3日に開催された、東京郵便貯金ホール(京都会館では翌12月15日開催)での「舟木一夫コンサート」のパンフレットをテーマに7月半ばに下記の記事を掲載しました。このライブの音源が『舟木一夫ゴールデン・コンサート』としてアルバムになり翌年の1月に発売されているのですが、そのLPを8月の初めに運よく手に入れることができましたので、あらためて先のパンフレット内容と併せて御紹イメージ 1介します。長いので「上・下」に分けてアップします。
     
    コンサートは二部構成です。第一部を「上」、第二部を「下」として先ずは第一部から・・・
     
     
    『陽射し・旅人』 をてがかりに歌声でたどる「あの頃の」舟木さんその5 資料年表を併せてご参照下さい。
     
     
    ~資料 大倉明著「青春賛歌」より~
    1973年
    7月7日東京ホテル・オークラで婚約発表。(3月婚約)
    7月19日名古屋御園座公演「情熱のビッグ・オン・ステージ」開催
    8月1日から28日まで明治座公演「沖田総司」「われ永久に緑なる」開催(最後の「明治座公演」となる)
    9月「サンチャゴの鐘」「夏子」発売
    10月29日京都市内ホテルで事件発生。全治一ヶ月の重傷。
    10月30日大阪新歌舞伎座が12月公演中止を決定。
    11月18日退院。静岡県友人宅へ。(休養)
    1974年
    4月29日挙式
    6月アルバム「初恋 舟木一夫抒情歌謡を歌う」再発売
    7月27日NHK「思い出のメロディー」の収録。(8月3日放送)
    8月11日東京豊島公会堂で後援会員のための集いを開催
    9月「旅路」「寝顔」発売(復帰第一作)
    10月アルバム「友情 舟木一夫の新しい名刺」発売
    10月TBS「ふたりぼっち」に出演
    11月2日、3日東京郵便貯金ホールで「舟木一夫コンサート74」開催
    12月15日京都会館で「舟木一夫コンサート74」開催
     
    先ずはこのコンサートの構成・演出を担当された千石原万平氏のメッセージをコンサートパンフレットより全文引用させていただきます。私は千石原氏のこの文を読んで当時の舟木さんの代弁者として心をこめてファンへ伝えたいことをすべてメッセージに込めていらっしゃるだろうことに感動しました。
     
     
    イメージ 2
    構成・演出の立場から蛇足ひとこと 千石原万平
     
    男同士の付き合いに、善友と悪友という分類がもしあるとすれば、別に威張るわけではないが、ぼくは絶対に悪友のほうである。舟木くんもこの意見には おそらく反対しないだろう。悪友のメリットは、テレくさい思いをしないですむ、というところにある。だから舟木くんが、こんどのコンサートをまかせると切り出したとき「思いきってテレくさいことをやるつもりだな」と直感した。テレくさいことをやろう、という黙契は、昨年のリサイタルを打ち合わせたときから、すでにあった。「テレくさいこと」という意味には、若干の註釈が必要だろう。「スター舟木一夫」の窮屈な枠から、大きく踏み出してみよう、というのがその真意だ。由来、スターにはいろんな属性がある。なかでも、ある特定のイメージをまわりから押しつけられるのは、スター自身にとって、もっとも不幸な属性に数えられるだろう。一面においてスターとは商品だ。商品である以上、銘柄は明瞭でなければならない。スターのイメージがつくられるとは、銘柄が固定化されるプロセスでもある。舟木くんの場合、その固定化された銘柄に安住するには、あまりにも歌が好きでありすぎた。結婚を契機に、「青春歌手」から脱皮したいと考えた彼の胸中はよくわかる。あえて逆説を弄するなら、自分の好きな歌を自由に歌えない不孝な歌手がスターと呼ばれる人たちなのだ。ここ四、五年というもの、自分の内部で行われる「スター」と「歌手」の激烈な葛藤ほど舟木くんの神経を疲れさせたものはあるまい。結婚という外的条件が、はからずもこの葛藤に、終止符を打つ状況をつくり出したのだと思う。舟木くんのこれは、開き直りでもあるだろう。こんどのコンサートは、いわば「ぼくはなぜ開き直ったか」ということの 舟木くんのファンに対する告白であり、また釈明でもある。テレ屋の彼は、それをナマの言葉ではいえないから、すべてを歌に託した。恒例の「リサイタル」をあえて「コンサート」とした彼の意中を推測すると、そういう結論しか出てこないのである。歌うコンサートではなく、語りかけるコンサートだということ。重要な選曲は、すべてここから出発している。二、三の例外をのぞいてはエンターティメントとしての要素は強引に無視した。彼の持ち歌にもこだわらなかった。いま、彼がいちばん言いたいことを託せる歌は・・?いっさいがそのことに尽きた。この無茶な方針を、終始一貫して支持してくれたのが、舟木くん自身だったことは、ここに書き止めておく必要があるだろう。そのような構成である以上、演出のフレームは、舟木くんそのものの大きさと密着させなければならない。演出しないことが、じつは演出になるという、妙なジレンマに追い込まれたわけである。あるいはそこまで読んで、悪友を引っ張り出したのかもしれない。最後にひとことお願い。このコンサートは、決して舟木くんの「冒険」でもなければ。ましてや「ポップス路線」でもない。彼の内心にうずく情念にフィットする歌をさがした結果が、このような選曲になったまでの話である。うまく歌おう、などどいう意識はまるでない。彼がこれらの歌を通じて、皆さんになにを語りかけようとしているか。それを聴きとっていただけたら、こんどのコンサートは、充分その目的をはたしたといえるのだ。
     
    ピンクの文字は舟木さんのトーク。ちょっと私なりにまとめてますがご了承ください・・・
     
    第1部(約50分)
    イメージ 3~オープニング~
    ソング・フォー・ユー
     安井かずみ:訳詩 L.RUSSELL:作曲
     
    おもいだしても限りない
    数えきれないほどの歌を
    これまでいくども歌ってきたけど
    いまあなたのためにだけ
    だまっていたけど知っていた
    あなたがこれまでどう愛して
    どんなふうに思ってくれていたのかを
    だからいま この歌を
    うまく言えない この歌でも
    あなたならきっと わかってくれるだろう
    優しく本当の心だけが 二人に通う
    せめてあなたに わかってほしい
    もしもこの声がわすれたら
    せめて この歌を
    おもいだして・・・ほしい
     
    センチメンタル・ボーイ
     河端茂:作詩 山屋清:作曲
     
    この胸のときめきを
     岩谷時子:訳詩 P.DONAGGIO:作曲
     
    夜ごと二人は ここにいるけど
    君の瞳は 悲しそうだ
    君は秘かに 言いたいのだろう
    こんなことなら 別れようと
     
    君なしには 生きてゆけない
    ひとりで どうして暮すのさ
    君は僕のものだもの
    離れて暮らせるか
     
    聞いておくれよ 胸のときめき
    お願いだから いておくれよ

    君なしには 生きてゆけない
    ひとりで どうして暮すのさ
    僕のものだ 君なしには生きてゆけない
    ひとりで どうして暮すのさ
    君はぼくのものだ
     
    イメージ 5ずいぶん長いこと仕事をサボッていて久しぶりのステージです。月並みな言葉ですが、「御心配おかけして申し訳ありませんでした」今日は僕のありったけの心を最後まで歌い続けたいと思っています。
     
    左の写真は「パンフレット」掲載のものです。結婚後、初めての後援会の運動会の模様のようですね。日付けは入ってませんが、おそらく同年5月5日開催ではないでしょうか。
     
    誰もいない海
     山口洋子:作詩 内藤法美:作曲
     
    少年いろの空
     井口愛:作詩 田村博正:作曲
     

     北山修:作詩 端田宣彦:作曲
     
    冬の旅
     阿久悠:作詩 猪俣公章:作曲
     
    旅のメドレー
    ~北国に一人(水木京子:作詩・作曲)
    ~旅愁(片桐和子:作詩 平尾昌章:作曲)
    ~空港(山上路夫:作詩 猪俣公章:作曲)
    ~北国に一人
     
     
     
    旅路
     丘灯至夫;作詩 遠藤実:作曲
     
    どこかへあなたと
     石井ケイ:作詩 水木まこと:作曲
     
    明日に向かって走れ!
     吉岡治:作詩 小谷充:作曲
     
    よみがえる夜明け
     ちあき哲也:作詩 小谷充:作曲

    約8ヶ月休んでたんですが、その間に運悪くヨメさんもらっちゃって家でブラブラしてるのがしまらなくて・・
    男は二十代に青春を賭けてきた仕事はなかなかやめられない・・その間にいろいろ歌を作ってみて・・まだレコードにもなってないんですが生意気にも僕が作った歌を・・『火の鳥』を・・
     
    テレ気味に控え目に舟木さんらしいトーンで・・
    『少年いろの空』『明日に向かって走れ!』や『よみがえる夜明け』なども、このライブでは、シングル盤録音当時の声とは違って、本来の澄んだ響きのある舟木さんの歌声になっているのが、感じられます。
     
    火の鳥
     舟木一夫:作詩・作曲
     
    イメージ 4
    ふるえる心に つばさを広げて
    明日にはばたく 不死身の火の鳥
    燃える瞳に 愛をかざして あなたと生きる
    おそれるものは何もない 何もない
    はるかに聞こえる夜明けの歌声
    目指して旅立つ希望の世界へ
     
    恋する心に つばさを広げて
    明日にはばたく 不死身の火の鳥
    つきることない 炎の海に 身体をまかせ
    微笑みかわす愛の中 愛の中
    あなたに見つけた たしかな真心
    はげしく抱きしめ 飛び立つ大空

    誰もじゃまなど できはしないさ 二人の胸に 
    永遠に寄りそう 火の鳥を 火の鳥を
    嵐に傷つき つばさは 折れても
    終わりを 知らない 不死身のこの愛
     
     
    (「下」第二部につづきます)
     

    0 0

    『陽射し・旅人』あの頃の舟木さん・その8~ライブアルバム・1974年舟木一夫コンサートより(上)からの続きです。
     
    イメージ 1「舟木一夫 ゴールデン・コンサート」は、私がLPレコードの音源として所持できている唯一の当時の舟木さんのライブ音源です。現在でもナマのコンサートを御自身の表現活動、またファンとのコミュニケーションの場としても何より大切に想っていらっしゃる舟木さんですが、その姿勢はデビュー当時から少しも変わらず、御自身が「歌い手」であることの意味も歓びも「ライブ」に見出していらっしゃると言ってもいいだろうと私は感じています。

    ですから、ライブでの舟木さんの歌声はイキイキとして御自身が無念無想の心境で「歌の世界」に漂っている純粋さが伝わってきて私の胸を打ちます。
    このコンサートのライブ盤でも、目の前にファンという誰よりも自分の歌を楽しんでくれる聴き手がいるということの充足感がみなぎった舟木さんの歌声です。このコンサートは実質的に舟木さんが「あの事件」以後、長い休息の後、結婚を経て「復帰」なさって初めてファンの前で「歌と向き合った」姿をみせたコンサートになります。ですから開幕時には心なしか、遠慮がちに歌っていらっしゃる印象を受けましたが、第一部、第二部と歌い進むにつれて、素晴らしい歌の世界を繰り広げていかれるのがはっきりとわかりました。今も舟木さんはステージはお客様と歌い手が共同作業で創り上げていくものだというポリシーですが、まさにこの時のライブは舟木さんが客席の熱く優しいまなざしをその身に受けて、一曲ごとに力を得て高揚していく様子が手に取るように伝わってきました。舟木さんの素晴らしさとファンの素晴らしさの両方をしっかり感じとれる記念碑とも言える貴重なライブ盤を手にすることができた幸せを感じながら聴きました。
     
    「下」では二部構成のうちの後半第二部を御紹介します。ピンクの文字は舟木さんのトークです。

    第2部(約50分) 
        
    愛のテーマ
     河端茂:訳詩 B.WHITE:作曲
     
    さあ歌おうよ すてきなこの歌を
    大切に育ててきた ぼくたちの愛が
    いつまでも続くことを信じよう
    さあもう一度
    あなたをときめかす 愛のテーマ
    今宵歌おう
    ぼくたちの愛がいつまでも
    続くことを信じよう

    サバの女王
     なかにし礼:訳詩 M.LAURENT:作曲

    休んでる間は歌を聞くのが苦痛で・・・でも今まで歌ったことのない傾向の歌を聞いていた・・
    今思うとフォークソングばっかり聞いていたような気がします・・「ちょっと変な」フォークメドレーいってみます・・

    イメージ 2フォークメドレー
    ~おきざりにした悲しみは(吉田拓郎:作詩・作曲)
    ~知らず知らずのうちに(宇崎竜童:作詩・作曲)
    ~コーラが少し(山名敏晴:作詩・作曲)
    ~私は泣いています(リリィ:作詩・作曲)
    ~知らず知らずのうちに
    ~結婚しようよ(吉田拓郎:作詩・作曲)
    ~旅の宿(岡本おさみ:作詩 吉田拓郎:作曲)
     
     
     
     
     
    赤とんぼ(楽団紹介)
    ♪赤とんぼ 赤とんぼの 羽をとったあぶらむし♪の替え歌で各パートを紹介。
    今のコンサートのような感じでジョークを交えながら楽しそうな舟木さん。客席からも笑い声が聞こえてほとんど今と同じで明るく楽しい空気)
    学生時代「コルネット」っていうのを弾かされた・・コルネットってどんな楽器?(御存じの方教えてね)

     
    硝子のジョニー
     石浜恒夫:作詩 アイ・ジョージ:作曲
     
    ジョニーという名前から、名前についてトーク
    名前は生まれた時に両親が一生懸命考えてつけてくれた「成幸」・・神経質そうでどうも・・・弟が生まれた時、親父は「タイヘイ・・太平洋の太平」という名前をつけると言ってきかなかったんで、おふくろが僕に、そんな名前だとかわいそうだから「シゲちゃん、なんとか云って!」と言った。そしたら急に親父が無責任になって僕の「幸」の字をとって幸正と・・・あ・・うちのおふくろは節子なんですが、上田節子だと字画が悪いと「子」の字をとって「上田節」としてた。あるとき取材で記者の人が来て「上田節」ってどこの民謡ですか?と(笑)これホントの話ですよ。
    この後、多分客席の前の方に座っている人に、順に名前を聞いていく舟木さん。「恵子」さん「和子」さん「英二」さん・・など答えるお客さん。それぞれにちょっとした「面白コメント」をする舟木さん。当時は「個人的会話」もしていらしたのですね(笑)
    人間関係の記憶にも名前がはいってくる・・名前って単純そうだけど深い意味がある・・今から歌う歌は僕のとっても好きな歌です。と『五番街のマリーへ』を・・

    五番街のマリーへ
     阿久悠:作詩 都倉俊一:作曲
     
     
    ラストの5曲はいずれも外国の曲ですが、ここらあたりからが舟木さんの調子が上々という感じです。今のコンサートもラストに近づけば近づくほどノリノリになってくるのを感じますから、昔も今も舟木さんのステージはラストが最高に盛り上がるのですね。特に『帰り来ぬ青春』と『見果てぬ夢』は「上」で掲載した、「構成・演出」を担当された千石原氏の文章のように、舟木さんがファンに向けて「歌に託した」心境のすべてを顕しているかのような素晴らしい歌唱で圧巻でした。
     
     
    イメージ 3行かないで
     山上路夫:訳詩 J.BEREL:作曲
     
    あなたにはもうないの 燃えさかるあの愛は
    つかの間に燃えつきて その胸は冷えたのね
    二人してすごした日 悲しみに帰るのね
    行かないで 行かないで 行かないで
     
    別れて行くなら この命ううばって
    あなたのその腕で 死ねるなら幸せ
    生きてはゆけない あなたがいないならば
    行かないで 行かないで 行かないで
     
    悲しみの影もなく よろこびがあふれてた
    夏の日は永遠(いつまでも)つづくよな気がしてた
    さよならがすぐそばにあることを知らないで
    行かないで 行かないで 行かないで
     
    別れて行くなら 太陽を閉ざして
    のぞみがなければ 光もいらない
    あなたがなければ 生きては行けない
    行かないで 行かないで 行かないで
     
    もしもあなたが消えるなら この世界消えるなら
    ひびわれてくだけるの ガラス玉割れるように
    その後はあれはてた むなしさが続くだけ
    行かないで 行かないで 行かないで
     
     
     
    帰り来ぬ青春
     吉原幸子:訳詩 C.AZNAVOUR:作曲
     
    過ぎた昔よ 空は青く僕は若く
    風のように たわむれてた
    鳥のように 空を飛んだ
    誓いあった 愛の言葉
    砂の上の もろい城に
    つみ重ねた むなしい夢
    今は消えて 時は流れ
     
    過ぎた昔よ 唇には歌があふれ
    甘い涙 頬をぬらし
    心酔わす 若さの酒
    目をつぶって 走っていた
    止まらないで 走っていた
    もっと早く 時は走る
    足跡さえ 残さないで
     
    イメージ 4過ぎた昔よ 空は暗く僕は疲れ
    今は一人 ここに残る
    飛べない鳥 折れた翼
     
    砂の城を 波が洗い
    崩れ落ちた むなしい夢
    唇には 歌も枯れて
    頬をつたう 苦い涙
    去った恋よ 去った友よ
    誰もいない 浜辺に立ち
    別れを告げる 過ぎた日々の思い出に

     
    愛をもう一度
     なかにし礼:訳詩 CARAVELLI:作曲

     
    明日に架ける橋
     岩谷時子:訳詩 P.SIMON:作曲

     
     
    見果てぬ夢
     岩谷時子:訳詩 M.LEIGH:作曲
     
    夢 見果てぬ夢 道は遠く遥か
    胸に悲しみを秘め ぼくは歩きつづける
    愛 かなわぬ愛 たとえむなしくても
    遠い星をめざして ぼくは歩きつづける
    これこそぼくの宿命(さだめ)
    汚れ果てたこの世にも
    美しい夢はあるさ
    如何に望みうすく 疲れ果てても
    やがていつの日にか光満ちて
    命のつきるときがくるだろう
    たとえ傷ついても 力ふり絞って
    ぼくは歩きつづける あの星のもとへ                        

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    6月の新橋演舞場公演の千穐楽の翌日に開催された「サンクスコンサート」で舟木さんがセレクトされたのが第一部が西條八十氏の作品、第二部が船村徹氏の作品でした。
    ~以下西條八十または八十とします(敬称略)~
     
    西條八十と言えば舟木さんにとってとても大切な存在…というより日本の流行歌史の中で「西條八十と舟木一夫が造り上げた抒情歌の世界」は今も色褪せることなく、むしろ今だからこそ輝きを増して「日本の名曲群」の中にしっかりと座しているように思います。
     
    イメージ 1そういう想いもあって、私はいつか舟木さんと西條八十をテーマにして私なりにまとめてみたいと思っていました。奇しくも最近オークションで入手したアルバム「ひとりぼっち第3集 舟木一夫懐かしの歌」1969年発売)には八十作詩の昭和の名曲であり大ヒット曲でもある作品が4曲収録されていました。
    八十が舟木さんのために書かれた作品と併せて少しまとめてブログに掲載してみようと手元にある「西條八十」(中公文庫)を読み直していたら去る8月12日が八十の御命日であることに気付きました。少し御命日を過ぎてしまいましたが、この機会にあらためて舟木さんと関わりの深い八十の詩の世界と成し遂げられた偉業の一端を偲ぶことができればと思います。
     
    西條八十は明治25年(1892)1月15日東京生まれ。明治時代に幼少期から成人までの多感な時期を過ごし、続く大正、昭和という激動の日本を見つめその類稀なる幅広い才能で数々の文芸詩や流行歌を生み、長きにわたって第一線で活躍されました。昭和45年(1970)8月12日死去。
     
    ~以下加筆します。(舟友さんから貴重な情報をいただきましたので加筆させていただきます。8月17日)~
    「西条八十先生、昭和45年(1970)8月12日死去。この時舟木さん(25才)は明治座公演中(夜の部・荒城の月→夏祭り“唄の浜町”ヒットパレード)で訃報を聞き舞台で号泣されていました。」
     
     
    八十は、日本人の暮らしや心映えから生まれた言葉や唄(各地の民謡なども)を、掘り起こし、あるいは掬い上げて広く世に送り出し、光を当て、「普遍的な日本の心」として私たちの胸に今なお染み透る名曲を数多く残しました。その中で舟木さんの歌唱で音源化されている作品を取り上げてみたいと思います。
    長くなるので、とりあえず「その1」としてスタートします。
     
    イメージ 2~参考資料~
    「西條八十」筒井清忠著(中公文庫)
     
    西條八十(さいじょう やそ)
    1892年(明治25年)1月15日 ~1970年(昭和45年)8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者。
    長男の西條八束は陸水学者。長女の三井ふたばこ(西條嫩子)も詩人。
    (漢字表記は旧字体の西條が正しいが、現在では新字体の西条も多く見られる。)
    東京府出身。1898年(明治31年)旧制早稲田中学(現早稲田中学校・高等学校)在学中に吉江喬松と出会い生涯の師と仰ぐ。吉江に箱根の修学旅行で文学で身を立てたいと打ち明け、激励を受ける。中学時代に英国人女性から英語を学んだ。正則英語学校(現在の正則学園高等学校)にも通い、早稲田大学文学部英文科卒業。早稲田大学在学中に日夏耿之介らと同人誌『聖盃』(のち『仮面』と改題)を刊行。三木露風の『未来』にも同人として参加し、1919年(大正8年)に自費出版した第一詩集『砂金』で象徴詩人としての地位を確立した。後にフランスへ留学しソルボンヌ大学でポール・ヴァレリーらと交遊、帰国後早大仏文学科教授。戦後は日本音楽著作権協会会長を務めた。1962年、日本芸術院会員。
    象徴詩の詩人としてだけではなく、歌謡曲の作詞家としても活躍し、佐藤千夜子が歌ったモダン東京の戯画ともいうべき「東京行進曲」、戦後の民主化の息吹を伝え藤山一郎の躍動感溢れる歌声でヒットした「青い山脈」、中国の異国情緒豊かな美しいメロディー「蘇州夜曲」、古賀政男の故郷風景ともいえる「誰か故郷を想わざる」「ゲイシャ・ワルツ」、村田英雄の男の演歌、船村メロディーの傑作「王将」など無数のヒットを放った。
    また、児童文芸誌『赤い鳥』などに多くの童謡を発表し、北原白秋と並んで大正期を代表する童謡詩人と称された。薄幸の童謡詩人・金子みすゞを最初に見出した人でもある。
     
    三百六十五夜 作曲:古賀政男    舟木さんの歌唱はこちらで↓    

    イメージ 3みどりの風に おくれ毛が
    やさしくゆれた 恋の夜
    初めて逢(お)うた あの夜の君が
    今は生命(いのち)を 賭ける君
     
    気づよく無理に 別れたが
    想い出の道 恋の街
    背広に残る 移り香(が)かなし
    雨の銀座を ひとりゆく
     
    鈴蘭匂う 春の夜
    灯(ともしび)うるむ 秋の夜
    泣いた 三百六十五夜の
    愛の二人に 朝が来る
    1946年(昭和21年)に創刊された娯楽読物雑誌『ロマンス』の3号、1946年8月号から小島政二郎の長編恋愛小説『三百六十五夜』が連載され、岩田専太郎の挿絵も相まって人気を呼び、連載終了と同時に1948年に映画化され、東京篇と大阪篇が制作された。この映画と主題歌の人気は『ロマンス』の売り上げに拍車をかけ、1948年には発行部数82万部にまでなった。その後も映画・テレビドラマなどでリメークされている。
     
     
    ~生い立ち~「西條八十」筒井清忠著(中公文庫)より
     
    八十の父は養子に入った先の質屋を明治13年にやめ、石鹸製造業を始めた。仕事は順調で八十が少年時代には数十人もの職工を雇っていたので職工と一緒に広い台所で食事をして育った。八十の庶民的根性はこの時代から培われている。周囲はほとんど士族だったので「お坊ちゃんたちは仲間に入れてくれなかった」ことも八十の庶民魂をかためることになった。このように八十は「山の手の庶民」なのであった。
    彼の残した童謡や抒情詩ばかりから彼の性格を類推するとその人柄を見誤ることになる。八十は「根性」「魂」という言葉を好む非常に気性の激しい一面をもっていたがそれは先に揚げた孤寂感によって培われていたのだった。当時西條家で八十を育てていた「おきんさん」という女性は落語家・談州楼燕枝の実母だった。彼女は江戸末期の手鞠唄や数え唄を毎晩添い寝しながら八十に聞かせた。八十は晩年になってもこれらの歌詞をそらんじては涙したという。おきんさんはしばしば八十を燕枝の家に連れていき八十は寄席に親しみ円生、円遊、小さん、円右など当時の落語家の話をよく聞いた。また盲目の新内語り紫朝の「蘭蝶」を目を閉じ、耳を澄ませて聴き入ったという。
    また父の弟夫婦の家でもしばらく育てられたが、この夫婦も芝居や寄席を愛好していたので八十は、五代目菊五郎、左団次などの芸に接する子こととなった。八十はほとんど毎日のように俗曲、俗舞の世界の中で暮らし続けたようなものであったという。
    八十は後年「そういう永く潜在意識の中にあったものがその後外国文学に陶酔しきっていた私の心の殻を破っていまようやく芽をさし伸ばしきったのであったと分析している。
     
    以下は私が調べたことの補足です・・・
    ~ここに出てくる落語家。談州楼燕枝は二代目と思われます。二代目燕枝は東京の下谷、西町に住んでいたことから「西町の御前」と呼ばれていたとのこと。ここで八十は「師匠の燕枝から落語の稽古をうける弟子たち」を見たと書いています。(西條八十『唄の自叙傳』昭和31年より)
     
     
    サーカスの唄  作曲:古賀政男  http://www.youtube.com/watch?v=-Vo5ZzQEVUw 舟木さん歌唱
     
    イメージ 4旅のつばくろ 淋しかないか
    おれもさみしい サーカス暮らし
    とんぼがえりで 今年もくれて
    知らぬ他国の 花を見た
     
    あの娘(こ)住む町 恋しい町を
    遠くはなれて テントで暮らしゃ
    月も冴えます 心も冴える
    馬の寝息で ねむられぬ

    朝は朝霧 夕べは夜霧
    泣いちゃいけない クラリオネット
    流れながれる 浮藻(うきも)の花は
    明日も咲きましょ あの町で
     
    ~補足~
    昭和8年(1933)3月28日、東京・芝浦で開かれた「万国婦人子供博覧会」を記念して、ドイツのハーゲンベック・サーカスが来日しました。団員総勢約150人、動物182頭。日本人が初めて見る本格的なサーカスでした。このサーカスの宣伝のために作られたのが、『サーカスの唄』です。
     
    では、ここで八十が舟木さんのために最初に書いた作品『花咲く乙女たち』について、ちょっとふれておきます。
    「西條八十」著者の筒井氏は『花咲く乙女たち』へと繋がる八十の「喪失への悲哀感」を八十の記した文を紐解き次のように解説していらっしゃいます。↓
     
    ~神楽坂の通りでふと赤児を負った若い女にあった。彩りもない装いで寒そうに罐工場の前に立っていた。私は驚いた。かつて私が牛込教会に通っていた当時、大巾の真紅のリボンをつけて黒髪をおさげに波打たせて矢がすりの美しい着物でやってきた華やかな女子学院の生徒のひとりだ。あゝ、あの人も嫁いでしまったと思うと、限りない哀愁と寂寥とが私の胸に湧いた。~
     
    ここには八十の後年の「少女(乙女)讃歌」的詩文の基本的モチーフの萌芽がうかがえる。それは結婚による姉の「少女性」の喪失感によって裏打ちされ、晩年の『花咲く乙女たち』の「みんなみんな咲いて散る」という「哀しい歌詞」にもつながっていく
     
    イメージ 5花咲く乙女たち 作曲:遠藤実
     
    カトレアのように 派手なひと
    鈴蘭のように 愛らしく
    また忘れな草の 花に似て
    気弱でさみしい 眼をした子
    みんなみんな どこへゆく
    街に花咲く 乙女たちよ
    みんなみんな どこへゆく
    街に花咲く 乙女たちよ
     
     
    黒髪をながく なびかせて
    春風のように 笑う君
    ああだれもが いつか恋をして
    はなれて嫁いで ゆくひとか
    みんなみんな 咲いて散る
    街に花咲く 乙女たちよ
    みんなみんな 咲いて散る
    街に花咲く 乙女たちよ



    そして『花咲く乙女たち』のB面の『若き旅情』も八十の作詩ですが、ここでも八十は筒井氏の解説を裏付けるような「喪失感」を舟木さんに歌わせているのですね。
     
    ~「その2」へとつづきます~

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    ~先に掲載した「西條八十と舟木一夫~その1」の続きです~
    イメージ 2資料は、「西條八十」(中公文庫)筒井清忠著から引用、参考とさせていただいています。
     
    「西條八十」の著者である筒井氏は八十に多大な影響を与えた姉・兼子について以下のように記しています。

    ~「当時にしては珍しい自転車で、牛込から本郷の女学校まで通った才気満々の近代女性」二歳上の姉の兼子であった。兼子は弟に多くの「文学的感化」を与ええたが、兼子がとくに心酔していたのは「明治きっての幻想小説家泉鏡花」であった。従って八十は『高野聖』を十二、三歳の時に読んだようである。
    ~中略~さて、この「私に文章を書くことや、詩を愛することを教えてくれた」「勝気な美しい姉」が結婚して姫路に行くことになった時の八十の嘆きは一通りのものではなかった。八十はこの時の体験を「姉君の嫁ぎたまひて けふさみし春の青空 涙してひとり仰げば 凧(いかのぼり)ただひるがえる」と詩に書いている。また昭和十五年の『誰か故郷を想はざる』(サンクスコンサートで舟木さん歌唱)の歌詞「ひとりの姉が嫁ぐ夜に 小川の岸で さみしさに 泣いた涙のなつかしさ」はこの時の体験をもとにしたものであった。こうした喪失感がひき起こす懐旧感・悲哀感は、八十にとってその文学的発想のもっとも重要な源泉であったとみてよいようだ。
     
    ~この文章のあとに、筒井氏は、先に掲載した「その1」の終盤に記した『花咲く乙女たち』の「みんなみんな 咲いて散る」に込められた八十の「喪失感」の解説を展開しますが、私は、これを読んで『花咲く乙女たち』のB面の『若き旅情』の歌詩へと繋がることの確証を得ました。
    以前『若き旅情』について私はブログに取り上げています。この時には、まだ、筒井氏によるこの著作「西條八十」を読んではいなかったのですが、八十の『若き旅情』で描き上げた世界に強く心を捉えられて「気になる曲」としてふれています。以下、前掲したブログです。↓
     
    「ちょっと気になる曲があります~その2『若き旅情』」 2013年4月19日記
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68055727.html

    私はこの記事を書いた頃にはまだ、舟木さんのCDもレコードも過去のものは所持していなかったので、ほとんどがyoutubeにアップされている動画から「耳だけで聴いて」いました。ですから「歌詩」を正確に知りませんでしたから、ブログ上で舟友さんにおたずねして、協力していただき最後に「歌詩」を完成したものにしてアップしています。
     
    ここで私が「泉鏡花」の世界と八十の喪失感をリンクさせたイマジネーションがさして的外れではなかったことがわかって自己満足しています(笑)八十の詩の世界には、どこかに「鏡花」の匂いがします。
    それは、やはり幼児体験に基づいた共通項があるからなのだと思います。鏡花は能楽師の家に生まれ、育っていますし、若くして亡くなった美しい母親への憧憬は人一倍強く、終生、その作品には「母への想い」が見てとれます。「母なる女性像」は八十の「姉なる女性像」とも通じます。そして、日本の心を収斂させた芸術世界(能であり、歌舞伎であり、落語であり、大衆芸能であり・・)が身の周りに幼い頃から頭で意識する以前に前提として存在したことではないでしょうか。理屈ではなく身に沁みついている・・
    これは、意図せぬことではありながらも、結果的には舟木さんにも通じる少年期の原体験がもたらした「女性への想い」や八十の言葉を借りると「俗曲、俗舞」に身近にふれて育ったことの当然の結実なのではないかと私には思えます。
    そして八十が、自己の若き日の「こうした喪失感がひき起こす懐旧感・悲哀感は、八十にとってその文学的発想のもっとも重要な源泉」(筒井氏)である想いを自身の少年期の心象風景として、デビュー当時のあの清新で清潔で繊細な佇まいを見せていた舟木一夫という青年の匂いを詩人の鋭い直感で見抜き、見事に取り込んで綴ったのが『若き旅情』なのだと思うとあらためて、この歌(詩)の世界を深くしっとりとした心持ちで味わうことができます。この歌は舟木一夫という素材なくしては生まれ得なかったのではないかという意味では「抒情歌の歌い手・舟木一夫」の原点ともなる歌であると私は捉えています。
     
    http://www.youtube.com/watch?v=n3z1nisD44M ←こちらで舟木さんの歌声がきけます
     

    若き旅情  作曲:遠藤実 (映画「花咲く乙女たち」挿入歌)               下の画像は映画「花咲く乙女たち」より
     
    イメージ 1たったひとりの姉さんが
    遠くへ行った淋しさに
    あてなく旅に出たこころ
    ああ若き日 ああ若き日
    涙たたえて旅をゆく
     
    海の匂いのする町で
    たそがれ灯る灯をみれば
    どこかに姉の居るような
    ああ若き日 ああ若き日
    波に鷗が飛んでゆく
     
    山にゆれてる白い百合
    海辺の紅い桜貝
    おもいでばかり目について
    ああ若き日ああ若き日
    姉を偲びて旅を行く
     
     
    そして八十の「母なるもの姉なるもの」への懐かしくも悲しい憧憬の想いは、この歌でも綴られています。
    ~アルバム「ひとりぼっち第3集 舟木一夫懐かしの歌」(1969年発売)収録~
     
    イメージ 3
    純情二重奏  作曲:万城目正
     
    森の青葉の 蔭に来て
    なぜに淋しく あふるる涙
    想い切なく 母の名呼べば
    小鳥こたえぬ 亡き母こいし
     
    君もわたしも みなし子の
    ふたり寄り添い 竜胆(りんどう)摘めど
    誰に捧げん 花束花輪
    谺(こだま)こたえよ 亡き母こいし
     
    母の形見の 鏡掛け 
    色も懐かし友禅模様
    抱けば微笑む 花嫁すがた
    むかし乙女の 亡き母恋し
     
     
    春は燕(つばくろ) 秋は雁(かり)
    旅路はてなき みなし子二人
    合わす調べに 野の花揺れて
    雲も泣け泣け 亡き母こいし
     
    八十の母を思う気持ちがストレートに出たとりわけ抒情的な歌詞といえよう。サトウ・ハチローは「母の形見の鏡掛け、色もなつかし、友禅模様」という歌詞を激賞しているが、これは作詞のために籠った谷川岳の麓の谷川館という宿の次の間の鏡台に掛かっていたものを見たことから思い至った歌詞だという。(筒井清忠「西條八十」より)
     
    ここですら、八十は「むかし乙女の」と母が乙女であった頃を夢想しているのですね。八十の「乙女なるもの=少女性」へのあくなき憧憬は、いわゆる「ロリコン」とは全く次元の異なった懐旧・哀感、女性がいつまでも乙女ではいられないことへの「同情や哀れ、惜しむ」という感情を素直に醸し出していると好ましく感じます。
     
    「純情二重奏」は、斎藤良輔と長瀬喜伴のシナリオにより昭和十四年に制作された映画の主題歌。映画よりも主題歌の方がヒットした感があるようです。霧島昇&高峰三枝子のデュエットで大ヒット。ストーリーは流行歌の著名な作曲家の家庭と過去の秘められた恋などが主軸のメロドラマのようです。

    青い山脈  作曲:服部良一       
     http://www.youtube.com/watch?v=XbpjywuY8OU  舟木さんの歌唱で聴けます
     
    イメージ 4若くあかるい歌声に
    雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
    青い山脈 雪割桜(ゆきわりざくら)
    空のはて 今日もわれらの夢を呼ぶ

    古い上衣(うわぎ)よ さようなら
    さみしい夢よ さようなら
    青い山脈 バラ色雲へ
    あこがれの 旅の乙女に鳥も啼く

    父も夢見た 母も見た
    旅路のはての その涯の
    青い山脈 みどりの谷へ
    旅をゆく 若いわれらに鐘が鳴る
     
    ~以下筒井清忠氏「西條八十」より~
    「父も夢見た母も見た 旅路の果てのその果ての」この箇所には八十の積極的な主張が入っていると見るべきであろう。旧世代の人々にとっても自由や民主主義の理想というものは決して全く新しいものではなく彼らにとっても大正時代から昭和初期にかけては日本はその道に進んでいたはずなのである。八十にも大いにその自負があったものと思う。従って再び登場した自由と民主主義は「父も夢見た母も見た」ものなのだということを若い世代の人にも認識してもらいたい。こうした感情がこの歌詞にこもっていると考えた方が整合的であろう。こうした親の
    世代の理想を若い世代も追っていくという趣旨の歌詞が入っていることもあり、この歌はたんに当時「新しい」ばかりでなく、時代を超えた普遍性を獲得することができたように思われるのである。
     
    去る八月十五日は、太平洋戦争(日中戦争とも云われます)の終戦記念日でした。この『青い山脈』は昭和16年に勃発したこの悲惨な戦争によってもたらされ、心身共に国民を苛なんでいた「戦争」の暗い重圧感から解き放された安堵と歓びを若者の視線で謳った青春歌謡として爆発的にヒットしました。その「青春歌謡」は「国民歌謡」として今も他の追随を許さない金字塔となっています。
     
    戦後の著しい復興、高度経済成長のまっただ中から生まれたポスト『青い山脈』が八十に師事した丘灯至夫氏の作詩による「青春歌謡」の『高校三年生』であるといっても過言ではないと思えます。そして『高校三年生』もまた、時を経て「国民歌謡」としての地位を確立しているのではないでしょうか。
     
    (その3へつづきます。いよいよ『絶唱』『夕笛』登場・・・)


     

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