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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    数日前に散歩していたらアカシア(ミモザ)の花に遭遇しました。今の季節が花盛りなのかな

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    いつもお世話になっている舟友のkazuyanさんが、2月の新歌舞伎座公演の「思い出動画」として、千秋楽のスタンディングで歌われた「親不孝通り」をバックに作成して下さったものを感謝を込めてご紹介させていただきます。ステキな舟木さんをご堪能くださいね。

    この曲は、1973年2月3日から22日まで渋谷・東横劇場で開催された「艶歌ミュージカル~愛する時も死する時も」の挿入歌として作られたものです。同じく劇中で舟木さんが唄った「俺が死ぬ日」と共に、その年の7月にシングルレコードとして発売されています。

    (1973年7月発売  艶歌ミュージカル「愛する時も死する時も」挿入歌)

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    このお芝居については私の下記のhtmlをご参照ください。

    艶歌ミュージカル・愛する時も死する時も~東横劇場1973年パンフレットより(上)
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68676232.html

    加筆しました~艶歌ミュージカル・愛する時も死する時も~東横劇場1973年パンフレットより(下)
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68676672.html

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    メロディーやリズムは、舟木さんの持ち歌としてはちょっと異質な感じを受けます。
    作曲は、有名ないずみたくさん。言わずと知れた60年代から70年代にかけての昭和ポップス界のヒットメーカーです。作詩の山川啓介さんも同様に主に1970年代に入った頃のポップス系のヒットメーカーで、いずみたくさんとのコンビの作品もあります。

    1970年という時代は、ちょうど団塊の世代が学生運動をバックにして「壊して創る」という新しい時代の文化・芸術にエネルギーを向けていた頃です。終戦の1945年をまたいで生まれた世代の人たちが青春を迎えて、多くの才能がひしめきあっていた時代といってもいいでしょう。特に音楽や美術、演劇などの芸術分野でセンセーショナルにスポットライトを浴びた逸材が多く輩出した特殊な時代だったように思います。

    今でこそお茶の間でにこやかにほほ笑んでいらっしゃる人気者の美輪明宏さんですが、子どもの頃の私はその強烈な個性に思わず、「ひいてしまった」記憶があります(笑)でも、舟木さんがすでに復活を遂げて活躍なさっていた20年ほど前は舟木さんの情報は全く気付かずにいたにもかかわらず美輪さんには関心が向いていてお芝居やコンサートに出かけて楽しむようになりましたし、CDもたくさん買いました。「愛する時も死する時も」は、その美輪さんがまだ芸名を丸山明宏から美輪明宏に改名して間もない頃の舞台での共演作品です。


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            山内賢さんも共演なさっています

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    ここで登場するのが松浦竹夫氏です。この公演は「松浦企画第一回公演」とパンフレットに記されています。松浦氏は、明治座公演の二年目の「坊ちゃん」の演出をされています。その後も1970年の明治座公演の「荒城の月」、1971年「忠臣蔵異聞・薄桜記」、1972年「あの海の果て」、1973年「われ永久に緑なる」と毎年のように演出を担当なさっています。舟木さんと美輪さんのコラボを松浦さんはどのようなイメージで企画なさったのかとても気になりますが、当時としてはかなり斬新で前衛的な舞台だったんだろうと想像します。

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    いずみたく(1930年1月20日 - 1992年5月11日)
    日本の作曲家。元参議院議員(第二院クラブ)。
    歌謡曲(演歌調からシャンソン風、ブルース、ポップスまで曲調はさまざま)から、フォークソング、CMソング、アニメソング、ミュージカル、童謡、校歌、交響曲(笙や能管などと管弦楽の組み合わせという作品も含めて数曲が残されている)と幅広いジャンルの曲を作曲。多作で知られ、総作数は15,000曲にのぼるという。1969年(昭和44年)には佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」が第11回日本レコード大賞を受賞した。また、「歌はドラマである」という自らのモットーに基づいて、「見上げてごらん夜の星を」「洪水の前」「おれたちは天使じゃない」「歌麿」「船長」「死神」など多数のミュージカルを手がた。ミュージカルの制作と共に、ミュージカル俳優の育成にも情熱を注ぎ、日本のミュージカル界で活躍する多くの俳優を育てた。その俳優養成がもととなり、ミュージカルを専門に上演する劇団フォーリーズ(現・ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ)を旗揚げ。客席数100席の劇場・アトリエフォンテーヌを作り、そこを拠点に数々の実験的な公演を行った。

    山川啓介(1944年10月26日 - )
    作詞家・脚本家・音楽構成家・舞台構成家・訳詞家として活躍。
    岩崎宏美「聖母たちのララバイ」、中村雅俊「ふれあい」、青い三角定規「太陽がくれた季節」ほか多数


    イメージ 11親不孝通り  作詩:山川啓介 作曲:いずみたく
    https://youtu.be/RKseSNMTMCs 

    野暮な野郎はどいていな
    遊び知らずは帰りなよ
    ここは俺らの縄張りだ
    粋な男の来る町だ
    酒持って来い 喧嘩しに来い
    矢でも弾玉(たま)でも受けてやる
    だけどよ だけどよ
    こんな筈じゃあなかったぜ
    どんなに酔っても騒いでも
    心のどこかが ひえたまま
    あ……よこはま 親不孝通り

    過ぎたことなど忘れなよ
    明日のことなど思うなよ
    どうせ一度の人生さ
    今日が良ければそれでいい
    夜はまだこれからだ
    朝まで陽気に騒ごうぜ
    だけどよ だけどよ
    こんな筈じゃあなかったぜ
    どんなに酔っても騒いでも
    心のどこかが ひえたまま
    あ……よこはま 親不孝通り
    あ……よこはま 親不孝通り


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    新歌舞伎座の二月公演千秋楽からちょうど一ヶ月経ちました。待ちに待った「舟木一夫コンサート2015」がスタートします。北から南から、東から西から…舟木さんファンが大宮にお集りになることと思います。その年の初めてのコンサートは、どんな構成で楽しませていただけるのか、毎年ワクワク感もひとしおです。
    2015年の「日本の名曲たち」に選ばれるのは「荒城の月」に代表されるような古典の歌曲なのか、昭和の懐かしい流行歌なのか、オープニングはどの曲なのか、センターでじっくり聴かせる曲は何なのか、ラストブロックのテーマは?……と、あれこれ想像をを巡らせる今の時間も、まるで「遠足」の前夜の小学生気分です。

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    イメージ 3コンサートの定番曲の中に入っている「北国の街」は、私にとって「絶唱」に次ぐ思い入れの深い曲です。そして、ちょうど50年前の3月20日は、私が初めて観た舟木さん主演の映画「北国の街」の公開日。私の思春期に鮮烈な印象を残した映画です。あれからなんと半世紀という時間が流れたのですね。おお、恐ッ!(笑)

    下記は、映画「北国の街」について記したブログのhtmlです。
    (参考)

    「北国の街」~初めて観た舟木さんの映画は「大人への階段」だった
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/67915672.html

    映画「北国の街」についてふたたび~久々の雪景色を見て思い出した海彦さんへのときめき
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69999065.html

       ポスターの下部、煙を吐いて走り行く汽車がなんとも切なく胸を揺さぶります→


    北国の街 作詩:丘灯至夫 作曲:山路進一
    https://youtu.be/Xd3Fe4uzgx4
    (1965年3月20日 映画「北国の街」公開)

    イメージ 4名残が燃える 心が残る                  
    ふたりでかえるアカシアの道
    今夜だけでも そばにいて
    眺めていたい ひとつ星
    ぼくたちだけの よろこびが住む
    北国の街
     
    ちいさな花を ひろった指と
    ほのかに 恥じらい 見あげた顔に
    たとえ別れが あろうとも
    心はいつも 変わらぬと
    誓ってくれた 夜更けの恋よ
    北国の街
     
    イメージ 5夜風がゆれる 灯りがうるむ                                          「北国の街」でも登場 してるアカシア→
    肩よせあるく アカシアの道
    ここでさよなら するけれど
    明日もいい娘で いて欲しい
    ぼくたちだけの しあわせがある
    北国の街

    では、20日は、大宮まで遠征してきますね。2015年、初めてのツアーコンサートなので、舞い上がってしまいそうですが、今回、お運びになれない皆さまにもできる限りコンサートの模様をご報告させていただき感動を共有することができればと思っています。



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    拙ブログは「舟木一夫の世界」というワンテーマに限っての記事を掲載していますが、「例外もあり」ということでこれまでも、柳家小三治師匠が人間国宝に認定された時にはお祝いの記事を掲載させていただきました。
    今回は、とても悲しく残念なことですが、私に上方落語の魅力や芸事に携わる人のあるべき姿など、その高座の話芸、また数々の著作等を通して教えて下さった桂米朝師匠への感謝と哀悼の意を捧げるということで、このブログでも取り上げさせていただきます。謹んで米朝師匠のご冥福をお祈りします。合掌。

    ~朝日新聞 DIGITAL 2015年3月19日22時48分)より転載させていただきました~

    桂米朝さん死去 人間国宝、上方落語の第一人者

    イメージ 3落語家で初めて文化勲章を受章し、上方文化の象徴的存在だった人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、本名中川清〈なかがわ・きよし〉)さんが19日、肺炎で死去した。89歳だった。通夜は24日午後6時、葬儀は25日午前11時から大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館で。喪主は長男で落語家の明(五代目桂米団治)さん。葬儀委員長は田中秀武・米朝事務所会長。

    持ち前の品格に満ちた高座の中に、深く広い笑いの世界を表現した噺(はなし)家だった。1925年に旧満州で生まれ、兵庫県姫路市に育った。幼いころから大阪の寄席演芸に親しみ、東京の大東文化学院(現・大東文化大学)に進学後、寄席文化研究家の故・正岡容(いるる)に師事した。47年、21歳で上方落語家の四代目桂米団治に入門。力のある落語家の相次ぐ他界で衰退した上方落語界を、「四天王」と呼ばれた三代目桂春団治、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝と共に立て直した。

    若いころから、消えかけていた落語の復活に尽力。死後の世界を旅する爆笑長編「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」をはじめ、「はてなの茶碗(ちゃわん)」「天狗(てんぐ)裁き」「算段の平兵衛」「骨(こつ)つり」「風の神送り」などを上方噺として再生した。数多くのネタに工夫を施して、戦後のスタンダードを築いた。

    探求心に裏打ちされた博識と誠実さ、聞きやすい関西弁で、「ハイ!土曜日です」(関西テレビ)などテレビやラジオの番組の司会者としても活躍した。メディアで培った知名度を集客につなげ、昭和40年代からは各地の大ホールで独演会を重ね、継承すら危ぶまれた上方落語を全国区へと発展させた。
    米朝落語は音源や活字で「全集」化され、一門を超えて落語界に広く影響を与えた。後世に残したい芸談や故事来歴を記した「上方落語ノート」や、入門書の名著「落語と私」など著書も数多く、落語の文化的地位の向上に貢献した。直弟子に枝雀、ざこば、吉朝らがおり、総勢約70人の大所帯の一門を率いた。60年代に上方芸能の中堅・若手が結集したグループ「上方風流(ぶり)」でも中核を担い、能や狂言、文楽、歌舞伎、上方舞、漫才など垣根を越えて芸能人や文化人と親交が深かった。
    95年度の朝日賞を受賞し、96年に落語家では五代目柳家小さんに続き2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2002年に文化功労者、2009年には文化勲章を受けた。
    骨折や脳梗塞(こうそく)などで、80歳を過ぎてからたびたび入院。落語を披露することはなくなったが、弟子たちと芸談を語った「よもやま噺(ばなし)」や口上で晩年も舞台に上がっていた。

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    なお、上方落語に関心をもっていただけるなら、一度、米朝師匠の落語を聞いていただけたらと思います。また、上記の記事の文中の師匠の著作「落語と私」は、「落語のバイブル」と言っても過言ではない名著だと思います。平易な文章で書かれていて、しかも深い洞察に満ちたものです。

    youtubeにも相当数の師匠の落語の音源がアップされていますので気軽に聴いていただけたら嬉しいです。私がお気に入りの噺をご紹介しておきますね。「算段の平兵衛」は今ではあまり高座にかけている方はないちょっとマニアックなネタです。

    算段の平兵衛
    https://youtu.be/lcQz0VPHv70

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    携帯からですので簡単になりますが、取り急ぎセットリストをご報告します。


    オープニング
    ~高原のお嬢さん

    ワンコーラス目は幕が降りたまま舟木さんの歌声だけが聴こえてきました。
    ツーコーラス目に入る頃に幕が上がるという洒落た演出でした。
    舟木さんが鮮やかな煉瓦色のシルキーなジャケットで登場


    プレゼントタイム

    花咲く乙女たち
    くちなしのバラード
    東京は恋する
    北国の街
    友を送る歌


    その人は昔のテーマ
    哀愁の夜
    眠らない青春


    日本の名曲たち

    空に星があるように
    上を向いて歩こう


    スタンディング&サインボール
    銭形平次

    アイボリーの光沢のある素材のジャケットにお色直し


    抒情歌メドレー

    絶唱
    まだ見ぬ君を恋うる歌
    あゝりんどうの花咲けど
    夕月の乙女
    夕笛
    初恋
    浮世まかせ


    ラストブロック

    あゝ青春の胸の血は
    君たちがいて僕がいた
    高校三年生
    学園広場

    少年いろの空

    一旦幕が降ります


    アンコール
    新曲:5月27日発売

    春はまた君を彩る

    作詩:松井五郎
    作曲:南こうせつ

    ジャケットは黒

    舟木さんが新曲への想いを話されました。

    ラストは上手、中央、下手へ深い御辞儀をされたのが印象的でした。

    トークの中でも何度となく「しあわせな歌い手」であるとおっしゃって心から私たちファンの前で歌える幸せを感謝なさっている想い、また私たち同世代ひとりひとりが歩んできた旅への敬意や慈しみの情があふれたステージだったように感じました。


    アップした写真の下から二枚目は新曲の予約チラシ

    一番下はお出迎え写真ですが舟木さんから後光が…(笑)

    逆光でアヤシイ舟木さんになりましたがないよりマシ?
    いえ、ない方がマシかも(笑)


    詳細はまた後日に報告させていただきます。

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    「春はまた君を彩る」の発売日5月27日を皆さんとともにワクワクしつつ心待ちにしましょう!

    大宮ソニックシティホールのアンコールで思いがけず初披露してくだっさったので、心の準備もなくただボーっと聞いてしまいましたので、聞き取れない部分のほうが多かったのが残念ですが、詩の意味するところとメロディーのあたたかさや、やさしさに舟木さんの今の心がしっかりとのせられた歌であることが伝わってきました。あいまいな箇所がたくさんあるのですが、アウトラインだけでも皆さんにお伝えできればと思いましたので、恥ずかしながらアップさせていただきますね。
    聞き違いとか聞き漏れがいっぱいであろうことをあらかじめご了承いただければ幸いでです。
    あくまで、こんな感じ…だということですので、ご容赦を


    イメージ 2つめたいかぜに ちるまいと 
    さくはなは なおかたらず 
    そのみをさらして
    ひとはいきいそいで ゆめにさまよい
    ときはただ めぐることわすれてまどう
    なみだこらえながら こころにたずねれば
    そこにきこえるうたみちててらすあとで
    春はまた君を彩る
    すぎてくいなき おもいをのこせと

    いとしいひとの てをにぎりしめても
    いつまでも はなさずにいられるのではない
    ひとはだれも いつかつゆとちる
    なみだかれはてても やさしくなれる
    なみだこらえて こころにふりむけば
    そこにきこえるうたが たびをつなげるだろう
    春はまた君を彩る
    はるかにひろがる あしたをめざせと

    ルルル…… 

    なみだがかれるまで こころによりそえば
    きっとこのうたから みちはひろがるだろう
    春はまた君を彩る
    おえてくいなき ひかりをのせて
    おえてくいなき ひかりをともせと

    ~amazon サイトからの情報~

    昔も今もアイドル! 
         舟木一夫がファンの心をくすぐる人生の応援歌!
    70歳を迎えてなお、青春の第一線を走り続ける舟木一夫。
     全国のコンサート会場は”昔も今もアイドル”舟木一夫を追いかける熱狂的なファンで大盛況!テレビでも取り上げられました。
     
    本作は70歳の節目に、舟木がファンに贈る人生の応援歌。
    作詩:松井五郎、作曲:南こうせつのコンビによる書き下ろしで、舟木一夫らしさあふれる、 爽やかでクールな楽曲に仕上がりました!

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    [収録内容]                    
    1.春はまた君を彩る
    作詩:松井 五郎
    作曲:南 こうせつ
    編曲:佐藤 準
    2.そばにいるから
    作詩:松井 五郎
    作曲:南 こうせつ
    編曲:佐藤 準


       作詩家の松井五郎氏            向かって左端が編曲の佐藤準氏、言わずと知れたこうせつさんは舟木さんの左隣

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    松井氏のプロフィール
                  




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    大宮のコンサートも終わり、ちょっとゆっくりしましたので、お彼岸の中日を過ぎてしまいましたが、遅ればせながら、母とお墓参りに行ってきました。お寺の境内にはユキヤナギ、そして河津桜はもう葉桜になってしまっていました。コブシの花も散りかけて、これからの季節、代わる代わる花たちが咲き競う、春本番に入りますね。

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    3月20日、大宮駅に着いたのは11時半ごろでした。今回は「お出迎え」は、間に合えば…というくらいの気持ちで新幹線のチケットを買っていたのですが、予定より早めに大宮駅に着けたので、舟友さんと待ち合わせして楽屋口に向かいました。ここでも長蛇の列。最後尾について待つこと約1時間ちょっと。12時40分くらいに舟木さんが到着。最後尾だったので遠い遠い(笑)
    しかも逆光の位置だったので「光の中の舟木さん」しか撮れませんでしたが、舟友さんが撮影された舟木さんをお借りさせていただきました。

      こちらが私のへぼカメラ                           こちらが舟友さんのナイスショット!
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    「お出迎え」の後、昼食をとりつつ舟友さんと楽しいお喋りタイム。後から来られた舟友さんたちと合流して会場に向かいました。昼の部は開演時間が本来は2時半のところ10分遅れとなりました。

    それでは、いつものように舟木さんのトークを中心にコンサートの模様をご報告します。
    ピンク文字は舟木さんのトーク部分です。〈昼の部と夜の部をミックスしてます)

    舟木一夫 コンサート 2015 大宮ソニックシテイホール 3月20日 

    イメージ 7オープニング
    ~高原のお嬢さん

    ワンコーラス目は幕が降りたまま舟木さんの歌声だけが聴こえてきました。ツーコーラス目に入る頃に幕が上がるという洒落た演出でした。
    舟木さんが鮮やかな煉瓦色のシルキーなジャケットで登場。
    幕が上がると照明あるいはスモークが高原の白い霧を思わせるステージ演出。
    そこに舟木さんのいつもどおりの若々しいシルエットが浮かび上がってコンサートのはじまりです。

    どうやら春ということになってきました。2、3日前は毛布かぶってましたが…
    今年は2月公演でスタートしたんですがコンサート公演は今日が初日です。
    お忙しい中お運びをいただきましてどうもありがとうございます。
    いつまで歌っていけるか…そこが私の唯一の目標ですが、まあ、これからおいおいやっていきます…おいおい(老い老い)は老ける老けると書くんですが、年のことはあまり言わないで…
    ようこそおいで下さいました。ごゆっくりお過ごし下さい。

    イメージ 8~プレゼントタイム

    花咲く乙女たち

    くちなしのバラード

    東京は恋する

    北国の街

    友を送る歌
    https://youtu.be/8jcWdhUsh9Q 
    (kazuyanさんの動画でお聞きください)
    自分自身が三十代、五十代になってくると好きな歌が変わってくる。「友を送る歌」は簡潔でサッパリしてて好きな歌です。結局お客様と積み重ねていく、これが個性というのでしょうね。

    このへんの歌はデビューした頃のですが「高校三年生」もエライことになってまして、もうどこまでもつんだオイ!という…東海林太郎さんは僕がデビューした当時65才…もうとっくに越してしまってて、こうやって皆さんの前でナマで歌ってるだけで奇跡的というか…幸せですね。まさかここまで歌ってるとは思ってなかった。
    さあ55周年が2年後に来るんですがそこはまあなんとかごまかしながら1時間半とか2時間というステージは確保していきたいと…
    ドがつく演歌…演歌のさらに強いもの…こういうのを好きな方はあまり舟木一夫を好きな方はいない。三波春夫さんのお客様と僕のお客様を入れ替えたら果たして何分もつか?30分もたないでしょう。
    ここはちょっと落ち着きのあるものを、映画の主題歌がふたつ「その人は昔のテーマ」「哀愁の夜」ともう一曲は「眠らない青春」みっつつなげます。

    イメージ 9その人は昔

    哀愁の夜

    眠らない青春
     
    「眠らない青春」で、動きながら歌う舟木さんですが、一瞬、後ろ向きになった時の背中がセクシーでやっぱりカッコいい。年齢を言わなければ、青年といってもいいほどまっすぐ伸びた背筋、すっくとした立ち姿が「永遠の青春のシンボル」として今も確かに私たちの目の前にあることもまた、その歌声のパワーと共に奇跡のようです。そこに、さらに「若さ」のみでは到底たどりつけない深さと温もりが加味されているのですから、こんな素晴らしい存在は唯一無二と言えるでしょう。
    ラスト、小林さんのサックスが思い切り長くドライブしました今年中やってろ!」楽しそうにニコニコしながら舟木さんの情愛にみちたまなざしが小林さんに注がれます。舟木さんが「スタッフ」と呼んでいらっしゃるアバウト9の皆さんとの信頼関係とプロの音楽家同士というシビアな切磋琢磨が舟木さんのステージの最強の後ろ盾なのですね。

              舟友さんの昼の部のプレゼントの花束

    イメージ 10ライヴという言い方をしますがぼくらのデビューした頃は舟木一夫ショー、実演とか地方巡業なんて言葉はもう使いません。明日から「旅」行くんだよ、って言ってましたが今は営業なんて色気のない言葉を使いますが僕はいまだに「旅」って言います。靴下ははかない(笑) またまたダジャレです。
    50何年も歌ってますと…この12月が来ると71、来年になって2ですね。次の1月から55周年が始まるんですから2年ないんですよ。来年の3月の仕事が入ってて…拍手…いえいえ喜ぶことなんですが一抹の不安が…
    12月が新橋演舞場、3月になって大阪新歌舞伎座で1ヶ月。
    最近はオジサンというよりジイさんになってきて…でも客席見ると最近は年季が入ってると(笑)
    幸せな歌い手ですよね。同世代のお客さまと長い長い旅が続けられるんですから。
    だんだん、ひとり居直ってるような感じになってきてます(笑)


    さてここんところ「日本の名曲たち」というのを歌ってますが今回のツアーコンサートでは前半と後半を入れ替えてみようと思ってるんですが…
    昨年は「ゴンドラの歌」「 宵待草」の古典を歌いましたが、「荒城の月」を、来年あたりどこで歌おうかと思ってます。「 こういう歌を歌いたい」 と思っているうちは歌っていけるでしょう。
    最近はなくなってしまったハートの歌を歌ってみます。ほっといてはもったいない、ある時流行った歌で今はもう出てこないタイプのもの、僕らは昭和生まれの昭和育ち…この次は何にしようか、別に人の歌をカバーしようということではなくて、こういう歌を作ってみてよ…ということで、ツアーの前半はさりげない応援歌をふたつ並べてみました。

    イメージ 11~日本の名曲たち

    空に星があるように 作詩・作曲:荒木一郎

    空に星が あるように
    浜辺に砂が あるように
    ボクの心に たった一つの
    小さな夢が ありました

    イメージ 12風が東に 吹くように
    川が流れて 行くように
    時の流れに たった一つの
    小さな夢は 消えました
    淋しく 淋しく 星を見つめ
    ひとりで ひとりで 涙にぬれる
    何もかも すべては
    終わってしまったけれど
    何もかも まわりは
    消えてしまったけれど

    春に小雨が 降るように
    秋に枯葉が 散るように
    それは誰にも あるような
    だたの季節の かわりめの頃

    「空に星があるように」舟木一夫リサイタル’76 (2枚組)1976年11月郵便貯金ホールリサイタルライブ 2014CD復刻盤 に収録

    イメージ 33
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    イメージ 13上を向いて歩こう  作詩:永六輔 作曲:中村八大

    上を向いて 步こう
    涙がこぼれないように
    思い出す 春の日
    一人ぽっちの夜

    上を向いて步こう
    にじんだ 星を数えて
    思い出す 夏の日
    一人ぽっちの夜
    幸せは 雲の上に
    幸せは 空の上に

    を向いて步こう
    淚がこぼれないように
    泣きながら 歩く
    一人ぽっちの夜

    (口笛…)
    思い出す 秋の日
    一人ぽっちの夜
    悲しみは星のかげに
    悲しみは月のかげに

    を向いて歩こう
    涙がこぼれないように
    泣きながら 歩く
    一人ぽっちの夜
    一人ぽっちの夜


    あらためてお聞かせすると名曲中の名曲とおわかりになると思います。
    すなおな詩、すなおなメロディー。荒木一郎という人が歌ってたんですがこの人の歌はメロディーがよくわかんない…と「いとしのマックス」の一節を歌ってみる舟木さん(笑)もっと聴きたかったぁ~ッ!
    こうして歌のやさしさ、のどかさがさりげなく出てくるのはむつかしいんです。こうした言葉が自然に歌詩の中に入っててきちんとした歌詩を知らなくても曲の中に入っていける。今歌うとわかってくる詩…「ただの季節のかわり目のこと」と一節を口ずさんで、…昔聞いてたのとは全くちがって聞こえてくる。
    昭和30年代40年代のある時に流行っていた歌をそのままおいとくのはもったいない。僕は歌い手なので、それを伝えていきたいと…
    いつまでステージで歌えるのか…これは本人の年に関係なくて、客席の平均年令が高いとお客様がお越しになれなくなる。でも僕の客席はまだ若いので安心しております(笑)

    「上を向いて歩こう」では、途中で舟木さんの素敵な口笛が入りました。「哀愁の夜」では、おなじみの舟木さんの口笛ですが、この曲での口笛もまたとってもステキで胸がキュンとなってしまいました。私たちが子どもの頃はみんなよく口笛を吹いたものです。クラスで誰が一番、口笛をうまく吹くかなんてことも競い合ったりして、男子の方が女子よりもうまくて、私のクラスでは、ケンちゃんという小柄な男の子はダントツ巧かったので先生も含めてみんながケンちゃんにリクエストしたりしたものでした。上田少年もきっとクラス一口笛の上手な子どもだったんだろうなぁ…などと思いながら少年の日の舟木さんを重ねて聴いていました。一世を風靡した荒木一郎さんのヒット曲も印象深く残っていますから、今回の「日本の名曲たち」は、きっとこれからコンサートにお運びになる皆さんにも喜ばれることでしょう。

    また、舟木さんがいつまで歌ってくださるのか心配している私たちファンなのですが、逆に舟木さんはお客様がいつまでコンサート会場まで来て下されるのか…というのがとっても心配なご様子です。私たちも元気で舟木さんについていかなくっちゃ…ですね。来年三月の新歌舞伎座での1ヶ月公演(特別公演)も早々と決まっているそうですし、今年の年末の演舞場からの4ヶ月は、またまた私たちファンにとってもワクワク感満載になりそうですね。

    イメージ 14スタンディング&サインボール
    ~銭形平次

    サインボールをキャッチした人へのお知らせに関連して思いつかれたのかな?

    長いことやってると色んな「疑惑」が出てくるんですね…とまず最初の話題は…
    例えば「サインの代筆」まだ若い頃の、あるお相撲さんとの対談の仕事の時のエピソードでした。
    お相撲さんを目当ての子どもたちがサインをもらおうと外で待ってる。お相撲さんは色紙にぺたぺたと朱の手形を押して、サインはお弟子さんが書いてた。その時に、喜んで待ってる子どもたちの顔を見た時にイヤな気がした。青春まっただ中、心が傷つきました
    だから代筆はできません…という舟木さんらしい想いなんですね。
    たまたま聞ける想定外のエピソードなどもコンサートのトークの大きな魅力です。



    そして、定番のカツラ疑惑(笑)
    70であんなに毛があるワケがない…と思う人がいるんですね。今確認してもらいます…とばかりベースギター吉迫さんのところに行って頭を差し出してひっぱっらせる光景…久しぶりに見せていただきました。そして引っ張った吉迫さんのリアクションは「ずいぶん、よくできてますねぇ!」もお約束です、さらに彼を軽くドツクまねをする舟木さんのリアクションもお約束通りの楽しいコント風で、息ピッタリでした(笑)
    三つめは、本当にナマて歌ってるのか?疑惑
    若い頃の歌番組のセットを使ったスタジオ撮り…例えば「高原のお嬢さん」白樺の木をバックにしたセットで木に手をかけたりしながら…口だけ音源に合わせる。いわゆる口パクかな?がトラウマになっているそうです。
    そんなこんなで、三つの「疑惑」の解明をされました(笑)
    やおら、あ、ハナシが長いですね…と言いつつ袖に歩いて行って、光沢のあるソフトレザーのような風合いのアイボリーカラーのジャケットにお着替えです。

    ~夜の部では「サイン」にまつわる別のこんなお話も…~
    サインていうのはデビューした時不思議でしたね。読めないしゃないか(笑)
    修学旅行という曲が出た時に全国のレコード店、1店に5枚分のサイン色紙を一晩で書いたんです。
    サインは4秒でかけますが、日付が5秒。プロマイドだと表面を拭かないとはじいて書けない。
    私はサインは飽きてくると変えるんです。7回くらい変えてます。全部持ってらっしゃる人はいるのかな?
    今のはずっと変えてません。まだ飽きてないので…  だいたい舟木さんのお話通りってカンジ?↓

    15周年記念の10枚組アルバム「限りない青春の季節」に付いている冊子より    向かって右の現在というのは1977年当時

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         1992年頃の色紙                  1997年頃の色紙                  2013年の色紙
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    いろんな歌を歌いましたが…と言いかけてから
    ここ、ちょっと喋りが長いでしょ、サインボール打ったから休んでるんです(笑)

    ここでは、抒情歌をメロディーにしてみました。

    イメージ 21~抒情歌メドレー

    絶唱

    まだ見ぬ君を恋うる歌

    あゝりんどうの花咲けど
    https://youtu.be/45GtWRouRPg
    (kazuyanさんの動画でお聞きください)

    夕月の乙女

    夕笛

    初恋

    イメージ 22浮世まかせ  作詩・作曲:上田成幸
    https://youtu.be/U0o1uQ11CLo 
    (kazuyanさんの動画でお聞き下さい)
    こういうタイプの歌はどのくらいやるかむつかしいですね。あまり長くやると眠くなっちゃう。
    ここ2、3年ステージでキツいのは曲つなぎ…メドレーですね。昔は15曲並べてやってましたが…アキマヘン(笑)


    イメージ 23見るのも聞くのもエネルギーが必要ですからね。
    ステージの流れというのは何を何コーラス歌うのか…夕笛なんかは1、5コーラスで歌うのはもったいないというのもあるのですが…
    12月の誕生日がきて70になったんですが…幸せですよね、70で1ヶ月公演やってナマでコンサートやって、のんきな稼業というのかありがたい稼業というのか…まあ後者ですよね。
    よくお客様が僕から元気をもらってますっておっしゃいますが…でも考えてもってってもらわないと(笑)…なにしろ今日なんかは、1対2000ですから(笑)でも、ぼくの方もお客様の拍手から元気をもらっているんです(拍手)
    最近、男性のお客様が戻ってきてるんですね。女性には女性の大変さがあると思いますが、男はずっとやみくもに仕事をしていますから、今、仕事から解き放たれて自分の青春を確認する…という時期に来てるんでしょう。


    そんな男性たちが同時代をともに過ごしてきた舟木さんのステージに戻ってきたという風に舟木さんは嬉しく感じていらっしゃるのですね。

    イメージ 27

    男性も女性も皆さんおひとりおひとりが歩いて来た道は全部正解なんですね。
    そういう意味で皆さんのおかげでありがたい旅をさせていただいている。本当のありがとうはもうちょっと先までとっておいて…

    イメージ 2855周年に向かってきちっと新鮮な気持ちになって今回はラストブロックは52、3年前の歌をズラッと並べてみました。

    ~ラストブロック
    あゝ青春の胸の血は

    君たちがいて僕がいた

    高校三年生

    学園広場





    イメージ 24少年いろの空  作詩:井口愛 作曲:田村博正
    (kazuyanさんの動画でお聞きください)

    イメージ 25その眼はむかし 空だった
    悲しいときには 素直に泣けた
    きらきら 蒼い空だった
    その眼はむかし 海だった
    愛する心が 静かにゆれた
    セロファン色の 海だった

    *いつからか泣くこともルル
    いつからか笑うことも
    歯車みたいな毎日の
    カレンダーの中に わすれたの*

    その眼はむかし風だった
    明日という名の 青空の中を
    自由に飛べた 風だった
    果てない砂浜 裸足でかけた
    少年いろの 夢だった

    *くり返し
    ルル…少年いろの 夢だった
    少年いろの 夢だった

    少年のような、今なお、遠く未来をみつめるような舟木さんのまなざしとこぼれるような笑顔で幕となりました。




    ~アンコール

    黒のジャケットに着替えた舟木さんがふたたび大きな拍手に迎えられて登場 。思いがけない新曲の初披露に、会場は興奮気味でした。もちろん私もアタフタ…心の準備がなかったんだも~ん

    イメージ 26手をたたけば歌い手が出てくるなんて思ってたら大きな間違いです、池のコイじゃないんだから(笑)
    長いこと歌ってきてつくづく思うことは歌い手としてその時その時の気持ちを伝えたいきもちは山ほどあるんですがこれは作品に出会わなければどうしようもありません。
    僕は「歌い手」だから伝えたい想いを「歌=作品」で伝えたい…という舟木さんらしい想いなんですね。
    5月の27日に新曲が出るんですが、 今の自分の気持ちを歌でお伝えできればと…コンサートの途中からより、最初からの方がいいだろうと…今の僕の気持ちを、今の皆さんの中に、「言葉をぽっと置きにいく」というふうに…松井五郎さん作詩、南こうせつさん作曲です。

    春はまた君を彩る 
    作詩:松井五郎 作曲:南こうせつ 編曲:佐藤準

    ~私が、聞き取った一節~
    なみだこらえて こころにふりむけば
    そこにきこえるうたが たびをつなげるだろう
    春はまた君を彩る
    はるかにひろがる あしたをめざせと

    詩のニュアンスなど含めた「春はまた君を彩る」情報↓ (参考まで)
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70236439.html

    イメージ 29

    昼の部は、14時40分開演~16時25分終演で105分ほど、夜の部は時間通り18時半開演で20時10分くらいの終演だったように思います。ほぼ100分休憩なしで、舟木さんどうもお疲れ様でした。

    昨年の中野ファイナルが終わった時から、2015年はどんな構成のツアー・コンサートを楽しませて下さるのかがもう楽しみで待ち遠しくて仕方なかったのは、私だけではないと思います。
    基本的には、デビュー当時の学園ソング、学生服を脱ぎ始めた頃の青春ラブソング、それを経ての抒情歌文芸路線をメインにして、そこにキラ星のような多岐にわたるジャンルの「日本の名曲たち」が加わって、コンサートのアウトラインが構成されていると思いますが、2015年コンサート・ヴァージョンの印象は、舟木さんがトークでも最近よくおっしゃっているように、「男性が戻ってきてくださった」ことへの感謝と嬉しさ、そして同時代を共に担ってきた仲間としての男性ファンへの労いと共感を「キイワード」にした構成であるように感じました。

    スターティング・ブロックのメドレーの締めは「友を送る歌」、そしてじっくり聴かせるブロックでは「眠らない青春」、日本の名曲たちの2曲「空に星があるように」「上を向いて歩こう」、抒情歌メドレーの締めの「浮世まかせ」、ラストブロックの締めの「少年いろの空」…これらは、「戻ってきた男性ファン」への舟木さんからのメッセージでもあるように聞こえました。

    でも、圧巻はなんといっても思いがけなく聴けた新曲「春はまた君を彩る」でした。

    この曲へ託した舟木さんの想い、僕は「歌い手」だから「歌」で想いを伝えたい…というお気持ちは歌い手としての矜持とか自負とかいう角ばったものではなく、「歌い手」なのだから、その「歌い手」である自分の長い旅路をともに歩んでくれたファンに対しての一番自分らしい応え方であるという、とても自然で舟木さんらしい実と情のある想いなのだと受け止めることができます。

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    トークの中で、「本当のありがとう」は、まだちょっと先までとっておいて…とも言われましたが、もう十分に舟木さんの「ありがとう」の想いは、この「春はまた君を彩る」に満ち溢れているように思います。
    そして、同じく今回のトークの中で印象に残ったのは…
    「男性も、女性も、皆さんおひとりおひとりが歩いて来た道は全部正解なんですね」という言葉です。
    ご自身のたどってこられた道も含めて、同世代の私たちに向かって「正解だったんだよ」とすべてを包み込んでくださる言葉に、胸がいっぱいになりました。

    「今の自分を肯定すること」それは、単なる自己満足ではないのだと私も思います。人それぞれの過去の「負の出来事」も含めて「それも正解だった」という言葉で認めてもらえることってそうそうあるわけではないと思います。
    「認めて肯定する」ところからスタートできるのだと、「明日への希望」の大切さをこうしてあらためて言葉として大好きな舟木さんからいただくことで、「もうちょっとはマシな明日の私」になろう…なんて殊勝な気持ちにもなれるのが不思議です。なかなかこの年になると素直になれないものですが、大好きな舟木さんから、もらう言葉には、すんなりと素直な子どもの頃の自分の心に還れるのですから現金なものです(笑)

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    舟木さんの歌声は、ますますパワフルで若々しくなってきています。55周年のスタートまで、あと2年もない…とおっしゃっていました。このままでいくと、あっという間に55周年は、来てしまいますね。なにせスケジュールが目白押しですから、舟木さんにとっては毎日がリハーサルと本番の連続みたいなものかも知れません。確か、昨年の終わりごろには、来年は8月は休みにするか…なんておっしゃっていたような気もしますが、8月もきっちりコンサートのスケジュールが入ってますし、あまりにもお忙しいのが心配ですが、舟木さんにとってのベスト・ペースというのがあるのでしょうね。

    「歌いたい歌がある…その間は歌い手は歌えるんだ」という、歌という細胞で、できてる?歌が血となって体を流れてる?…という意味合いのことを、先日発売の「2014オンザロード・中野サンプラザ」のDVDのインタビューでおっしゃっていましたから、そこんところは舟木さんにお任せして、私たちはひたすら劇場・会場に舟木さんを追っかけて足を運ぶだけというところなのでしょうね。

    2015年コンサートは、「春はまた君を彩る」で明け、そしてファイナルを迎え、55周年に向けての希望に満ちた舟旅になるだろう嬉しい予感がしています。

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    イメージ 1とっても嬉しい情報を見つけましたので、ご報告します。
    マルチな才能の持ち主でもあり、男っぽくってカッコいい当代随一の人気者である福山雅治さんの人気ラジオ番組「魂のラジオ」の25周年スペシャルで舟木さんの「銭形平次」をギター弾き語りで歌って下さいました。残念ながらリアルタイムでは聞いていませんでしたが、ご紹介します。
    青い文字は福山さん談

    福山雅治 魂のラジオ 25周年スペシャル youtubeサイト
    https://youtu.be/e6nhzB9g6wY



    ~以下いずれも「舟木さん関連部分のみ」抜粋して転載させていただきました~

    Talking Label 3月22日放送分 サイトより
    http://www.tfm.co.jp/talkingfm/index.php?catid=1690

    2. 『銭形平次/ 福山雅治』 (4時16分頃)
    4月8日(水)にリリースとなるアルバム『魂リク』より。

    福山雅治さんのギター弾き語り「銭形平次」で~す!
    https://youtu.be/C8R-66r3G7E

    イメージ 2この曲、僕、大好きなんです。気が付くと頭のなかでグルグル回っています。
    みんなと行くカラオケで歌うことはないのだけど、もし“ヒトカラ”に行くとしたら、絶対1曲めに入れますね(笑) いつかギター1本でやってみたいなーって思ってたんですが、やってみたら結構うまくいった! 自画自賛ですがうまくいったと思ってます。
    オリジナルの舟木一夫さんを聞くと、コチラはほんとにカッコイイんです。声の艶っぽさとか半端ない!

    また、弾き語りカヴァー・アルバム「魂リク」に収録された「銭形平次」を初オンエア。
    「アルバム入れるにあたって原曲を何度も聞いたけど、舟木一夫さん本当にカッコいいんですよね」というコメントからも、この曲に対する福山の思いが伝わってきた。


    2曲目 アルバム「魂リク」より 銭形平次♪
    ~福山さんのトーク ↓ ~
    原曲 舟木一夫さん。あの頃は一発録り、舟木さんは、とってもカッコいいんですよ。着流し格好良いですね。 銭形平次が復活する時はボクですよ。誰にも頼まれていないのに主題歌、歌っているんですもの。

    イメージ 3そんなこんなで、「福山雅治」「舟木一夫」で検索をかけてみたら、以下のようなブログ記事にも行き当たりました。

    舟木一夫さんの魅力と福山雅治君の魅力 ↓
    http://blogs.yahoo.co.jp/kaso71202/18696853.html

    舟木さんのコンサートや舞台もご覧になったことのある方のようですが、福山雅治さんと舟木さんに共通する魅力を記していらっしゃいます。私もあのNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、ここ十年ほどの大河の中で最後まで一回も見逃さず楽しませていただき、放映当時は、骨っぽくて、ちょっとエッチな「ましゃ」の「魂のラジオ」もよく聞いてましたので、ステキな福山さんが舟木さんのことを「カッコいい」と言って下さって本当に嬉しいです。

    舟木さんの「銭形平次」  
    https://www.youtube.com/watch?v=_MUcJsshNHc

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    まだ蕾のソメイヨシノ越しに…桑名藩創設の名君と言われている本多忠勝像

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    朝晩はまだまだ冷え込みが厳しいのですが日中は風も穏やかで陽射しもうららかだったので、九華公園のさくらの様子を見がてら2時間ほどたっぷり散歩を楽しんできました。明日か明後日あたりには一斉に咲き始める気配でした。

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    一番乗りでほころびはじめたさくらを見つけましたが、まだまだほんの数輪です。

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    さて、タイトルは「花の応援」と「オレは坊ちゃん」でしたね…

    春の選抜高校野球が21日に開幕してもう中盤まで過ぎてしまいました。私の地元の三重県は残念ながら出場していませんが、気になる試合はチラッとテレビで観てしまいます。

    興味深かったのが25日の一回戦での松山東松学舎大付属の試合でした。その理由というのは夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台となった漱石が赴任した学校(当時旧制中学)が松山東で、漱石がしばらく学生として在籍したことがあるのが二松学舎(漢学塾)ということが話題になっていたからです。
    接戦の末、松山東が5対4で二松学舎を制しました。なお、松山東の二回戦は28日土曜日、東海大四(北海道)との対戦です。

    日刊スポーツ webサイトより一部抜粋させていただきました
    http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/1451999.html

    松山東124年目の春1勝、漱石先生やったぞなもし
    <センバツ高校野球:松山東5-4二松学舎大付>◇25日◇1回戦

    漱石先生、勝ちました! 21世紀枠で82年ぶり出場の松山東(愛媛)が、二松学舎大付(東京)を破り、創部124年目で初勝利を挙げた。かつて夏目漱石が教壇に立ち、小説「坊っちゃん」のモデルになった伝統校。亀岡優樹投手(3年)が4失点完投&3打点と活躍し、16三振を喫しながら競り勝った。

    オレは坊ちゃん 作詩:西條八十 作曲:船村徹       
    http://www.youtube.com/watch?v=S6yJeeWT-0s
    (1968年デビュー5周年明治座公演記念曲)

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    漱石が旧制松山中学(現松山東高校)に赴任したのは28歳ごろ、上の写真が25歳の時のものなので、こんな感じだと思います。やっぱり賢そうですよね。

    枝垂桜はソメイヨシノに先駆けてもう開花していました

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    花の応援  作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
    http://www.dailymotion.com/video/x24zjm7_%E8%88%9F%E6%9C%A8%E4%B8%80%E5%A4%AB-%E8%8A%B1%E3%81%AE%E5%BF%9C%E6%8F%B4_music
    (1966年 舟木一夫の新吾十番勝負 4曲収録)

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    どんなに苦しい試合でも
    チャンスの一度や二度はある
    ベストをつくそう 弱気を出すな
    力出しきれ グランドで

    味方がピンチのその時は
    相手のチームも あせってる
    落ち目になろうと 捨てるなゲーム
    正々堂々 最後まで

    たまにはエラーもつきもある
    それより 根性ものをいう
    勝っておごるな 敗れて泣くな
    勝負は 一生続くもの

    高校野球の応援歌として、聞き流してしまっていたのですが、今、改めて聴いてみるとなんだかとっても含蓄のある歌に聞こえるのはトシのせいでしょうか。
    「勝っておごるな 敗れて泣くな 勝負は 一生続くもの」…ちょっとばかり「説教クサイ」のですが、なるほどなぁ、と思える今日この頃です(笑)

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    紫モクレンは桜に先駆けて今が盛りです

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    2015年のツアー・コンサートも大宮ソニックシティからスタートして、宇都宮市文化会館のステージも終わり、これから、桜の開花とともに関東の各地でファンの皆さんのもとへ幸せを運ぶことになると思います。
    このコンサートの中で舟木さんが「日本の名曲たち」としてセレクトして下さった曲のうち「空に星があるように」は、皆さんご周知のとおり、オフィシャルの音源があります。舟木さんが三十代の頃のライブ「舟木一夫リサイタル‘76」のステージで歌われています。透明で爽やかな中に舟木さんならではのほのかな哀感が匂い立つ歌唱です。

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    アルバムに掲載の写真より  

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    舟木さんが、大切にしていきたいと思われている、昭和の流行歌…もうこれからは生まれてくることが望めない言葉の世界観、なにげなく心に沁み入ってくるあたたかくやさしいメロディー…そんな歌たちへの深い想いを込めて選んでくださった「空に星があるように」を、多くの皆さんとご一緒に楽しみ、また55周年に向けてかろやかに帆を揚げて舟旅を楽しんでいらっしゃる舟木さんへの共感と、ほんの少しのエール…として動画作品にしていただけないかと舟友のkazuyanさんにご相談しました。もちろん、快くご快諾いただき、早速に、素晴らしい作品を届けて下さいました。

    「2015 舟木一夫 コンサート」の盛況と舟木さんのご健康をお祈りして、kazuyanさんと私・春日局がコラボでお届けさせていただく心ばかりのエールとして皆さんに楽しんでいただけたら幸せです。

    本当に、いつもいつも、私の勝手なわがままな想いを、こうしてステキな形として作品にして下さるkazuyanさんに、心からの感謝と敬意を込めて、ここにご紹介させていただきます。kazuyanさんありがとうございます。

    イメージ 6空に星があるように 作詩・作曲:荒木一郎
    https://youtu.be/SOWs6LocZao 

    空に星が あるように
    浜辺に砂が あるように
    ボクの心に たった一つの
    小さな夢が ありました

    イメージ 7風が東に 吹くように
    川が流れて 行くように
    時の流れに たった一つの
    小さな夢は 消えました

    淋しく 淋しく 星を見つめ
    ひとりで ひとりで 涙にぬれる
    何もかも すべては
    終わってしまったけれど
    何もかも まわりは
    消えてしまったけれど

    イメージ 8春に小雨が 降るようにイメージ 9
    秋に枯葉が 散るように
    それは誰にも あるような
    だたの季節の かわりめの頃







    「空に星があるように」舟木一夫リサイタル’76 (2枚組)1976年11月郵便貯金ホールリサイタルライブ 
    *2014CD復刻盤 にも収録


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    なお、荒木一郎さんが、ペンネーム水木京子で舟木さんに提供された「北国にひとり」もkazuyanさんが動画作品にして下さっていますので、併せてお聞き下さいね。こちらは1969年シングル吹込み盤の音源です。

                                          アルバムに掲載の写真より  

    イメージ 4北国にひとり  作詩・作曲:水木京子
    http://www.youtube.com/watch?v=ZVaEzrP0NZs
    (1969年12月発売 「いつか来るさよなら」カップリング曲) 

    北国を遠く 訪ねて来たのに
    あなたはもう 私を忘れていたの
    変わらぬ心で 愛していたのよ
    嘘でもいい 私を抱いてほしかった
    さよなら あなた
    別れて 行くわ
    あなたの 倖せを
    祈って いつまでも
    北国の空に 太陽がゆれる
    見上げていなければ 涙が落ちる


    イメージ 5悲しい心が あなたを呼んでる
    嘘でもいい あなたの言葉をかえして
    さよなら あなた
    別れて 行くわ
    あなたの 思い出を
    雪に うずめて
    北国を遠く 離れて行く時
    並んだ山だけが 私を見てた
    並んだ山だけが 私を見てた

    *なお「北国にひとり」も「舟木一夫リサイタル’76」に収録されています。

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    私が通った桑名市立精義幼稚園の桜

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    東京と福岡では、「桜満開」というニュースが流れました。お昼過ぎまでは小雨が降っていたのですが午後にはあがったので散歩がてら、買い物に出て桜の様子を見てきました。

    白モクレンやアカバナマンサクも花盛りです

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    歌手生活30周年記念「舟木一夫大全集~陽射し・旅人」の別冊解説書をパラパラとめくっていてデビュー当時の舟木さんの曲は、学園ソングや青春ラブソング、日本調のものなど本当にバラエティに富んでいるのに感心するのですが、その中に「お兄さんソング」みたいな感じの曲もあるんですよね。

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    思春期のデリケートで悩み多き年頃の女の子たちの想いを受け止めてくれるような、理想的なお兄さん像を舟木さんに求めていたファンは多かったのではないかと思います。
    私たちが中学、高校の頃は、ほんの一学年、二学年上でも、イメージとしては、とってもお兄さん、お姉さんに思えたりしたものでした。私も、男女問わず、少しおとなっぽい雰囲気の上級生には、憧れを感じていました。一年上の英語の発音がとってもきれいなお姉さんと、同じく一年上の図書室で本の貸し出しのお手伝いをしているお兄さんに憧れてましたね。実際はたったひとつ、ふたつ年上だけなのですから、大人になってみれば、そんなに変わりはないのですが(笑)

    イメージ 7

    子どもらしいカワイイ悩み、悲しい気持ちを、やさしくなぐさめて、ちょっとお説教っぽく語りかけてくれる「舟木お兄さんワールド」の曲を3曲セレクトしてご紹介します。

    残念ながら「叱られたんだね」「夜更けの街の物語」はyoutubeなどにアップされていないので「試聴」できるサイトの紹介だけになります。「話してごらんこの僕に」は、kazuyanさんがアップして下さっていますのでお聞き下さいね。若い頃の舟木さんのセリフも、胸キュンです。

    イメージ 6叱られたんだね  作詩:関沢新一 作曲:山路進一
    (1964年1月 「初恋の駅」カップリング曲)

    ながいまつげが ふるえてる
    叱られたんだね そうだろう
    だから 独りで 来たんだね
    泣いちゃ駄目さ 泣いちゃ駄目さ
    えくぼが 消える

    遠いあの灯は 終電車
    いいから笑って お帰りよ
    家じゃ みんなが 待ってるよ
    泣いちゃ駄目さ 泣いちゃ駄目さ
    えくぼが 濡れる

    辛い涙は さよならさ
    笑って会おうよ こんどまた
    星も約束しているよ
    泣いちゃ駄目さ 泣いちゃ駄目さ
    えくぼを みせて

    以下でちょっとだけですが視聴できます ↓
    http://www.ebisudo.net/goods_catalog.php?grid=00260152&gno=406948


    夜更けの街の物語  作詩:関沢新一  作曲:遠藤実
    (1963年11月 初アルバム「舟木一夫花のステージ 第一集」収録 映画「仲間たち」挿入歌)

    イメージ 8みんな眠ちゃった 街角の
    青い街灯の 灯の下で
    いつまで話して いるんだョ
    おかえりよ おかえりよ
    黒いズボンの 男の子
    白いジャンパの 女の子
    あしたを 忘れちゃ いけないぜ


    家じゃ心配 してるだろ
    つまんないなど 言わないで
    もうすぐメトロも 終電車
    泣かないで 泣かないで
    かえるところが ないのかな
    それであゝして いるのかね
    あしたが 二人を 待ってるョ





    イメージ 10星がどっかへ とんだって
    夢がはかなく 消えたって
    泣きべそかくのは おかしいな
    若いんだ 若いんだ
    夢がなくなりゃ さがすだけ
    なにも言わない 風だって
    あしたがあるから 吹くんだぜ

    以下でちょっとだけですが視聴できます ↓
    http://recochoku.jp/song/S22046954/

    映画「仲間たち」(1964年3月14日公開)のこの場面で、スリーコーラス目が歌われています。

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    イメージ 11話してごらんこの僕に  作詩:丘灯至夫  作曲:船村徹
    https://youtu.be/HQXfYJNBgxw
    (1966年12月 「ブルートランペット」カップリング曲)

    つらい思いに 耐えかねて
    ひとりはるばる 来たんだね
    話してごらん この僕に
    話してごらん この僕に
    きいてあげよう なにもかも
    濡れたその目が かわくなら


    (セリフ)
    そうか そうだったのか
    君のつらいきもちは
    ぼくにもよくわかった
    イメージ 12つらいきもちがなおるのなら
    泣くだけ泣きたまえ 話したければ
    話しを聞いてあげよう
    しかし彼だって きっと悲しんでるよ
    ぼくにもおなじ おもいでがある
    好きで好きでたまらなかった人と
    別れたつらいおもいでがネ…
    けれど ぼくは 泣かなかったぞ
    さあ 元気を出したまえ
    さあ 笑って 元気をだして


    君のこころを 傷つけた
    そんな人なら 忘れるさ
    信じてごらん この僕を
    信じてごらん この僕を
    恋に破れた 思い出は
    みんな誰にも あるんだよ






    3月31日 練馬文化センター「舟木一夫 コンサート 2015」開催

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    練馬文化センターの満開の桜

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    練馬文化センターでのコンサートを楽しませていただいたのが3月31日。翌日の4月1日も東京に居残りをして、浅草の浅草寺境内に設えた芝居小屋「平成中村座」で歌舞伎見物をして帰宅しましたのでご報告が遅くなりました。

    行きの新幹線からは富士山もよく見えてラッキーでした

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    大宮ソニックシティでの今年の初コンサートの余韻がまだ残っている状態で足を運んだ練馬文化センター。実は、私は、もう40年以上も昔、四年間、練馬区民だったことがありますが、練馬区というのはとっても広くて私が住んでいたのは限りなく武蔵野市、杉並区に近い、練馬区関町1丁目というところでしたから、最寄駅は吉祥寺で練馬駅には、全くご縁がなくて、今回初めて、駅に降り立ちました。練馬駅到着は12時45分くらいでした。舟木さんの楽屋入りは、もう終わっている時間帯だったので、それは諦めて、文化センターとは、練馬駅を挟んで反対側にある区役所に向かいました。20階建で東京全体を展望できるというので一応最上階までエレベーターで昇ってみました。

     アニメキャラクター(ゆるキャラ?)の「ねり丸くん」             スカイツリー方向らしい?あまり視界が良くなかった

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    簡単にお昼ご飯をすませてから練馬文化センターの建物の周囲をぐるっと一回りしていたら玄関の裏側にある駐車場の隅っこにポツンと「2727」が駐車してあるのを発見してちょっと嬉しかったです。

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    舟木一夫 コンサート 2015 練馬文化センター 3月31日

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    それでは、例によって舟木さんのトークを中心にコンサートの模様をご報告します。
    昼と夜のトークをコンサートの時系列に沿って一括してまとめていますので、
    あらかじめご了承下さいね。ピンク文字は舟木さんのトークです。

    オープニング
    ~高原のお嬢さん

    イメージ 8緞帳が降りたままで、ワンコーラス目の歌声が聞こえてきました。スローテンポですが、オリジナルヴァージョンの「高原のお嬢さん」が、進化を極めた素晴らしい歌唱に耳をそばだてて聴きました。舟木さんのステキな姿が見えない分、歌声だけに集中できます(笑)
    そして、緞帳が上がると、階段の上にやっと舟木さんの姿が見えて、「♪つぶらなる瞳よ」とツーコーラス目が続きます。

    桜が見事に満開です。今週中は見頃ですね。
    お酒の好きなかたは夜桜見物なんかいいんでしょうね。桜越しの空は薄紅色というか少しグレーがかって…何にしても見事ですね。
    花が咲いてるから春なんでしょう。子どもの頃から桜は4月って感じがあるんですが…
    出てくる早々天気予報の話じゃぁ(笑)
    こういうコンサートが時間がいっぱいとれてバカなおしゃべりもできるし歌い手のほうも色々楽しみが増えるということで…今日もまたお馴染みの歌、ごちゃごちゃ言ってる歌、いろんなのをとりまぜていってみますので、どうぞごゆっくりお過ごし下さい。

       映画「友を送る歌」、マコちゃん、ケンちゃんと

    イメージ 13~プレゼントタイム

    花咲く乙女たち

    くちなしのバラード

    東京は恋する

    北国の街

    友を送る歌



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    今、歌ったのは全部日活の映画がらみですね。考えてみるとずいぶんたくさんの映画に出たんですね。今年も3月が終わりました。四分の一終わっちゃいました。去年の12月でジャスト70になりました。高校三年生もエライことになってきましたね、ハハハ!
    最近は色々と「ギワク」が出てきましてね。音を立てないで花束とかいただくのでプレゼントのとこはテープなんじ
    ゃないか?と、あれも芸のうちです。ずいぶんつまらない芸もあったもんだ(笑)
    カツラ疑惑の件もちょっとお客さんの代わりにひっぱってみてよ」とまたしてもベースギターの吉迫さんのところに頭をもっていく舟木さん。この日の吉迫さんの一言は「お客さん安心して下さい、最高級品使ってますから」(爆笑)
    歌いながら客席の方を見渡させていただくワケなんですが多少安心するんですね、お客様もずいぶん古くなったなぁ…御同慶の至りというか御愁傷様というか…と、ファンとの長い旅を勲章のように思っていらっしゃる風情でとても楽しげにジョークを飛ばす舟木さん 。

    ここはちょっと落ち着いたのを3曲、「その人は昔のテーマ」は、なんでテーマというか、これは全部お聞かせすると四十何分かになる組曲なんです。内藤洋子ちゃんと一緒の映画。
    2曲目の「哀愁の夜」なんかは昭和の流行歌のおもいっきりいいところを背負ってる。
    最後は最近の曲で「眠らない青春」

    イメージ 10その人は昔のテーマ

    哀愁の夜

    眠らない青春

    「その人は昔のテーマ」は、私の最近のお気に入りです。この世界もまた、舟木さんでなければ描き得ないドラマチックで品格に満ち溢れた歌の世界だと、舟木さんのステージで聴かせていただくたびに痛感します。
    「哀愁の夜」は、リアルタイムでは、「女学生の友」に「新曲」として楽譜付で紹介されていたのが私の記憶に残っています。他の雑誌は買っていなかったので多分「女学生の友」だと思うのですが間違ってるかも(笑)
    その時点では、まだテレビなどでも聴いていなくて、ピアノで楽譜から音を拾って弾いてみた記憶もあります。その頃は家には、レコードプレーヤーがなくてレコードを聞くことはできず、お小遣いもわずかでしたから、そもそもレコードを買うということなど思いつきもしませんでした。でも、ピアノは習っていたので親が無理して買ってくれたんだと思いますが(笑)

    「眠らない青春」…バンド演奏のノリに合わせてステップを踏む舟木さんは十分に若々しくてむしろ若い頃よりかっこイイんじゃないかなとあらためて思いました。そして、サックスの小林さんのアドリブ演奏に今回も大きな拍手が…
    小林さんに「止める」合図を出したキイ・ボードの陶山さんに向かって、「ダメだよ止めちゃ、もうちょっとやりたかったんだから(笑)」そして、小林さんには、「オレより目立つなよ(笑)」とおもいっきり笑ってる目の舟木さんがチャカし役を買って出るのもほほえましく、いつもながらいいムードでした。
    さらに、ライヴというのはピシッとやるのもあるのですが、ヒダの部分の音の遊びもあったほうが面白い。うちのメンバーはアドリブが多い、顔もアドリブなんですが(笑)」と思いっきりアバウト9への信頼と愛情があふれる言葉も出ました。

    長くやってればいろんな種類の歌を歌うことになるんですが僕はデビュー曲があれですからね(笑)歌い手の90%はラブソングでデビューするワケですよ。私の場合はカーブがずいぶんありましたよ。学園ソングは一年半ぐらいですかね、その後に今歌ったようなのが出てきて…困ったのは地方巡業。詰襟を着ないと怒られちゃう。二十才と半年ぐらい詰襟着てましたね。あの頃は私も可愛かった(拍手)その拍手は今は可愛くないってことですね。そりゃ、そうですが(笑)
    いえいえ、今でも、とってもカワイイ舟木さんになるときがありま~す!

    これは2年半ほど前に浅草のマルベル堂で買ったプロマイドです。デビュー前に撮影したもののようです

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    こうなってくるとやっぱりね、どこまでもつんだろ?というハナシですね。先輩たちや同じようなキャリアの人たちを見てますが、80になったら今のような1時間半、2時間近いステージはさすがにムリだろうし…最年長で男性では青木光一さん、89才…復員なさってからのデビューですから遅いんですよ。この前、コロムビア大行進で久しぶりにお会いできるかと楽しみにしてたんですが当日の朝ベッドから降りようとしたら腰を痛めてしまってお会いできなくて残念でした…女性では菅原都々子さん88才、スゴイですね。「江の島悲歌」「月がとっても青いから」こんな古いのがスラスラ出てくるところが…(笑)
    2年後は55周年、そこまではたどりつけるだろうと、その先は委細面談ということで、責任持てませんから、でき
    るだけ早いうちに舟木一夫は聴いといて下さい(笑)

    夕暮れが迫る、夜の部の開演前の文化センター前からの西の空と木立の風景

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    最近自己申告してるんですが70になりました。そんなバカなと思うんですが、しょうがないですね。だんだん節分の豆が食えなくなる、70も80も食えませんよね(笑)
    歌い手も役者もいかにお客さんと旅が続けられるか、デビューした頃は50、60で現役でやってると思わなかった。50代前半には60が限度だと思ってた。ノドがもたないだろうと…60になってみたら、もうチョイいけるだろうと、やってるうちに70になって、とりあえず2年後の55周年が来るんでそれまでは大丈夫だろうとそんなことを感じ始めた頃から「日本の名曲たち」というのをやってみたくなった。昭和の流行歌っていうのは宝庫でしてあとは古典。「荒城の月 」とか近頃お聞きになったことないでしょう。「日本の名曲たち」はただ他の方の歌をカバーするという単純なことではなくて…
    昭和の流行歌、そして古典ですね。長く歌い手をやってるヤツの楽しみでもありお客様に再認識していただく。今回選んだのもさりげない応援歌の名曲を2つばかり…

    イメージ 17空に星があるように  
    1976年舟木一夫リサイタル ライブ音源より
    https://www.youtube.com/watch?v=SOWs6LocZao 
    (kazuyanさんの動画でお聞き下さい)

    上を向いて歩こう

    名曲ですね。決して大げさな言葉、強いオシの言葉も入ってないんですね。実はおひとりおひとりお好きな歌が応援歌なんですね。不思議なもんですね流行歌というのは。

    その都度その都度くくりを決めながらコンサートの行程の真ん中へんで変えるか、そのままいくか…
    どっかあったかくてという歌も少なくなってきましたね。書き手も春夏秋冬の鮮やかさを味わっていないですからね。桜も食べものも含めてどうもにじんできちゃったんでしょうね。昭和の流行歌、これはスゴいものです。その「ど真ん中」でデビューした歌い手は幸せです。皆さんこのへんでちょっと腰をあげていただいて、たまにはお客さまをこき使っちゃう歌を…僕にとって思い出深い歌です。トイレタイムにしていただいてもいいです。


    イメージ 14銭形平次
    ~スタンディング&サインボール

    お昼の部では、このお馴染みの「銭形平次」のイントロが流れ始めたのを、後ろを振り向いて止める舟木さん。久しぶりのこのリアクションでした(笑)
    あれだけお願いしたのに真ん中から後ろのお客様座ってるんだもん…「ブツブツ、ブツブツ」とわざと「ブツブツ」を口に出してお茶目に言う舟木さん、目は確実に笑ってますが(笑)
    実際は二階席も結構皆さん立っていらしたんですが舟木さん久しぶりにこのパターンをやってみたかったのかも(笑)
    さっき、トイレタイムですと言ったら4人ばかり出ていかれました。そのうちのお一人がまだ戻ってない…安否のほどが気にかかる(笑)
    不思議なんですが歌謡曲、歌謡界とは言いますが歌謡歌手とは言わない。流行歌界とは言わないが流行歌手と言います。軽音楽の場合は歌手というより歌い手と言った方がどこか情がある。


    アイボリーのジャケットに着替えながら
    1日2回のステージをやると戻るのに4日かかる。最短で3日。そうなると1ヶ月に5日か6日…淋しいハナシですが中途半端な出来でやるのは嫌じゃないですか。
    じゃあ、休ませりゃいいかというとこの年になってくると1ヶ月休むと声がでなくなっちゃう。どうやって減らして
    いくかですね。舟木一夫は今のうちに聴いといて下さい。
    あるときかたまってドーンと出てきた季節の香りのする曲をまとめて

    イメージ 15~抒情歌のメドレー

    絶唱
    まだ見ぬ君を恋うる歌
    あゝりんどうの花咲けど
    夕月の乙女
    夕笛
    初恋
    浮世まかせ

    夕笛なんて歌はワンハーフじゃもったいないですが、ステージの流れの中でどういう風に楽しんでいただくかですから…
    日本の歌と四季というのは切っても切れないというのはよくおわかりかと思いますが、例えば「月が青い」と言ってもブルーというと「春」っていう感じがしますね。「夕笛」というのは「蒼い」という字ですね、これは「秋」っぽい。
    昔、西條先生に漢字で「淋しい」と「寂しい」はどっちが「サビシイ」でどっちが「サミシイ」んですか?と聞きましたら「淋」はサミシイ「寂」はサビシイと…二十二才の頃でしたが。

    僕がデビューした当時の東海林太郎さんは今の僕より若いんですから困ったもんだ(笑) 「♪泣くなぁよしよし♪」と歌真似してみる舟木さん。平凡の取材で「古いのと新しいのとで動かない歌い手」…エライ取材を受けたもんだ(笑)
    その後さらに淡谷のり子さんの歌う時の斜めに構えて胸をかかえたポーズで「♪窓をあければ♪」と歌って、普通な
    らこうやって(胸を張り気味に)歌うほうが声がよく出るのに「なんでそうやって歌うんですか?」と聞いたら「わたすはねオッパイが重いからこうやってるの」と(笑)それで納得してましたからネ、変な後輩でした。とお馴染みのエピソードで客席をわかせました。

    さて考えればずいぶん遠くへ来たんで、もう僕なんかどっからきてもおかしくない…関節とか筋肉とか筋とか生まれつきどっかが弱い家系とか…ご自身の頭を指してここからかも(笑)
    さて来年のスケジュールをいただいてるけど大丈夫かな?でもまあお客さまとの阿吽の呼吸でなんとか…(拍手)

    イメージ 16お芝居が大詰から先に考えるようにステージもラストブロックをどうするかですが、思いっきり52、3年前に吹っ切っちゃって並べてみました。

    あゝ青春の胸の血は
    https://www.youtube.com/watch?v=-6Ab-mPmCfo 
    (kazuyanさんの動画でお聞き下さい)

    君たちがいて僕がいた

    高校三年生

    学園広場

    少年いろの空



    アンコール
    ~新曲・春はまた君を彩る


    イメージ 18拍手をすれば歌い手が出てくる、それが当たり前だと思ってるでしょ、どうかと思います。終わりで~す(笑)
    今日は私はずっとプレッシャーに耐えて歌ってたんです。前から4列目で双眼鏡で見てらっしゃるお客さまがいる(笑)何を見てらっしゃるのか(笑)顔が長いから双眼鏡がいる?…まあ好きなように見て下さい(笑)

    この5月に出る新曲です。作詩は松井五郎さん、作曲は南こうせつさん。

    歌というのは出会いがあります。昭和38年という年でなければ出会えなかった(「高校三年生」のことでしょうか)
    …運とかツキとかがあるんですね。出会いというのはむつかしい…こういう歌にまた出会えたというのは歌い手としてのツキがまだ残っているんだと…
    歌い手はできれば言葉じゃなくて歌で何かをお伝えしたい、だからヒット曲が出てくる。でもなかなかそういう歌とめぐりあうのはむつかしい。この歌はよくぞめぐりあったなぁ…と思ってる。
    ただ皆さんのところにそっと置きにいくだけ…


    今回の練馬のコンサートのトークで昼の部も夜の部も、「舟木一夫は今のうちに聴いておいてください」と言われたのが私には、一番、心に残っています。「55周年までは、まあ大丈夫でしょう!」という担保?のような言葉を聞けたことの安心感と共に、その先に続く旅への舟木さんの熱い想いを、私たちファンがしっかりと受け止めていくことは「舟木一夫を聴き続けること」なんだと再認識できたように思います。舟木さんの想いを現実のものとしていくために私たちにできることは、「舟木一夫のステージ」に足を運び、客席から「貴方の歌を聴けて幸せです!」という熱いサインを送り続けることなのだという確認ができたように感じました。

    「春はまた君を彩る」を歌い終わって、ステージから今回も、上手、中央、下手の三方に深い美しい角度でお辞儀をなさった舟木さんでした。
    その舟木さんの想いを受けて、多くの方が立ち上がって拍手を送られました。私はまだ新参者なので、これまで、こういったラストシーンを拝見したことがないので、正直、戸惑い、立ち上がることはできませんでした。
    いわゆる「スタンディング・オベーション」というのは、ミュージカル、クラシックコンサート、演劇、昨今では歌舞伎の新作舞台などでも、何度も経験していますが、それは、ひとり立ち、またひとり立ち…と徐々に立ち上がる人がさざ波のように広がって増えていくというものでしたから、今回のように多くの方が、一斉に立ち上がる光景は珍しく感じました。何か、予めにお約束ができていたのかな?と思ったりして、さすが舟木さんファンの一致団結の力なのかな?などとも感じました。

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    それは、実に見事な光景で、素晴らしい新曲への賛辞の表現なんだなぁとファンの皆さんの想いの深さも痛感できました。ただ、まだ舟木さんが三方にお辞儀をなさってステージに立っていらした時にスタンディングが始まってしまい、美しい角度がキマる舟木さんのお辞儀の姿と、お客様への感謝の想いをたたえたステキな笑顔をじっくり拝見することができなかったのが心残りでした。できることなら、舟木さんが階段を上がられたのを見届けてから大きな拍手とともに立ち上がっていただけたら、さらに舟木さんらしいアカ抜けた美しいステージのラストを飾ることができるのではないかと感じました。幕が降りる瞬間までのすべてが、舟木さんのステージの舞台芸術の魅力であり、ファンの皆さんと一体となって創り上げる素晴らしい空間であることなどあらためて思い至りました。今回も素晴らしい歌声と笑顔にしあわせな想いでいっぱいです。

    「お出迎え」できなかったので、終演後はせめて「お見送り」だけでもしたいと思い、列に並んで待っていました。
    夜の部が20時15分に終わって約30分ほど待ちました。
    ズラっと並んだ私たちを見て「今日はどなたが来られてるんですか?」と通りかかったご近所の方のような私たちと同年代くらいの女性が二人、たずねられました。「舟木一夫さんです」と答えると、「へぇ、この間テレビに出てましたね。テレビよりカッコいいの?」と(笑)「もう70才ですけど若い頃とちっとも変わらずスタイルもすっきりしててとってもステキですよ」と伝えると、ビックリした様子で、興味深そうに一緒に待ってご覧になりました。同年代でも自分の年令と照らし合わせることは意外としないのでしょうね。70で、いまだにこんなにたくさんのファンが列をなして「出待ち」していることに驚かれたのだと思います。「人柄も最高だから、皆さんが離れないんだと思いますよ」と言うと「やっぱり人柄よねぇ…」と、とっても納得されました(笑)本当は「歌も佇まいもすべてひっくるめてぜ~んぶステキだから」と言いたいところなのですが、そこは、あまりにもミーハーになってしまうのも憚られてついつい「大人な」表現の「人柄」と言ってしまった「ヘタレ」の私でした(笑)「人柄」というより本当は「生き方のスタイル」というべきなんですが…

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    私たちが待っていた歩道側の車線とは反対側の車線に「2727」が停車していて、車道側からスタッフの方の誘導で車に乗り込まれる時と、車の窓を開けて手を振って通り過ぎる舟木さんの姿を必死で眺めるのに精いっぱいだったので、先の彼女たちの姿を見失ってしまい、残念ながらその感想を聞くことができませんでしたが、さて、このお二人「テレビで見るよりカッコいい」と思って下さったのでしょうかね?(笑)

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    春の月がほのかに照らす満開の夜桜の下を、舟木さんを乗せた「2727」が軽やかに走り去っていく練馬の夜でした。これから続く各地でのコンサートの成功と舟木さんのご健康をお祈りして練馬文化センターの報告を終わります。


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    桑名市民の憩いの場、桑名城址の九華公園 4月4日はお花見日和でした

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    さて、舟木さんのコンサートツアーも春真っ盛りの中で快調に進んでいるようですね。
    月刊・歌の手帖 編集部ブログに 4月4日大田区民アプリコホールの様子が少しだけアップされています。
    本番直前の舟木さんの後姿のオマケ画像も…むっちゃ、遠くてちっちゃい舟木さんですが(笑)

    ここで、練馬文化センターでの「春はまた君を彩る」について少し…

    3月20日の大宮では、思いがけず…っていう感じでしたので、心の準備も全くなくて、夜の部だけ真っ暗がりの中で舟木さんのお顔もみず、ひたすら耳をダンボにして歌声をお聞きしてすてきな詩を聞き取ってメモしました。

    そして、3月31日の練馬では、いくらか心の準備もあったので、昼と夜、ふたたび聞き漏らすまいと頑張って集中!…(笑)
    昼の部では、まあまあ、なんとか90%くらいは正確に聞き取りできたかな…と自己満足していたら、なんと夜の部では、ええ~ッ?これ初耳かも…っていうようなフレーズが…(汗)

    でも、詩の流れやこの曲のテーマを全く損なうことなく、昼の部の歌詩も夜の部の歌詩も、一貫した色合い、トーンで貫かれていて、舟木さんが単純に歌詩をまちがわれたというような様子ではなくて…

    一瞬、私の耳が勝手に作詩したのかも?…と思ったりもしたのですが、この私が、こんな素敵な詩を思いつくはずもなく(笑)う~ん、う~ん、う~ん…いくら考えても謎はとけず…

    その日の夜遅くになってホテルで何度も自分の聞き取ったメモをながめているうちに、あくまで私の想像なんですが…

    この曲もメロディーが先に生まれて、そのあとに詩をのせたとすると、言葉のセレクトはいく通りもあって、そのプロセスで舟木さんが何度も歌ってみて、推敲を重ねていかれたのかな…と思い至りました。
    最終的にレコーディングなさった詩のすべては、新曲の発売日をまたなければわからないのですが、練馬文化センターで「私の耳が聞いた詩」は、以下のような感じでした。くどいようですがあくまで私の耳ですからね*詩の漢字部分もこれまたあくまでも私の感性で記していますからご容赦下さいね)

    イメージ 10春はまた君を彩る  
    作詩:松井五郎 作曲:南こうせつ

    冷たい風の音に
    散るまいと咲く花はなお語らず
    その身をさらして
    人は生きいそいで
    ゆめにさまよい


     時がただめぐることを忘れてまよう

     時はただ過ぎること忘れまどう

    涙こらえながら
    心にたずねれば


     そこにきこえる歌が道を照らすだろう

     きっとその歌から道はひらけるだろう

    春はまた君を彩る
    過ぎて悔いなき想いを残せと

    いとしい人の手を
    にぎりしめても
    いつまでもはなさずに
    いられるのではない
    人はだれもいつか
    つゆと散るなら
    道端の枯葉にも
    やさしくなれる

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     涙こらえて心にふりむけば
     そこにきこえる歌が旅をつなげるだろう

     涙を悔やみつつ心にたずねれば
     きっとその歌から旅ばはじまるだろう

    春はまた君を彩る
    はるかにひろがるあしたをめざせと

    間奏
    ルルル…

    別れを悔やみつつ
    心にたずねれば
    きっとその想いが
    誰かを照らすだろう
    涙がかれるまで心によりそえば


     たったひとつの愛に気づくだろう

     きっとおもいでから道は続くだろう

    春はまた君を彩る
    過ぎて悔いなきひかりをともせと
    過ぎて悔いなきひかりをともせと



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    ちょっと時間が経ってしまいましたが、3月31日の練馬文化センターでのコンサートの翌日は東京に居残りをして「平成陽春大歌舞伎」の初日舞台を楽しんできました。通常の歌舞伎公演は、1日からスタートすることはマレなことなので、31日のコンサートと翌月の1日の初日が連続していて、一日居残りするだけですみましたから幸運でした。

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    十八代勘三郎さんが亡くなって、まだ三年足らずです。これからしばらくは「平成中村座」の舞台を観ることはできないだろうな…とあきらめて覚悟していたので、私としては正直、諸々の意味合いでまさか、これほど早くに「平成中村座」が再開したことに驚きました。勘九郎さん、七之助さんご兄弟の頑張り、また中村屋ご一門の結束力と亡き勘三郎さんへの想いの深さに加えて、浅草にとっていかに「平成中村座」の存在が大きく、また地元の皆さんに愛されてきたのかを痛感しました。松竹歌舞伎会のwebサイトでのチケット発売状況をチェックしていたら、すでに発売日から2週間足らずで「残席なし」の文字が出ていました。

    私にとっては、昼の部の「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)」が、勘九郎さんの初役で拝見できるので一番の楽しみでしたが、これまでもそうですが彼は初役の舞台でも本当にお役の性根をしっかりとつかんで情感たっぷりに演じられるのですが、今回もいい宗五郎を描いていらして、感服しました。また七之助さんが艶やかなお姫さまや妖艶な美女とはうって変って長屋の魚屋のおかみさんを、実にこなれた表現力で演じる姿にも驚かされました。
    坂東玉三郎さんが「怪談・牡丹灯籠」で俗っぽいおかみさん役のお峰を演じたのを観た時も、役者さんとは本当に様々な色でカンバスを塗っていくものなんだと目からウロコでしたが、七之助さんの確かな芝居の表現力にも毎回舌を巻きます。二十歳頃からの、このご兄弟の舞台にはずっと驚かされっぱなしです。勘三郎さんの「芸」への厳しい姿勢、DNAは、間違いなくお二人の中に生き続けていることがとても嬉しいです。

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    歌舞伎美人webサイトより
    「平成中村座に三年ぶりの一番太鼓が鳴り響く」
    4月1日(水)、初日を迎えた「平成中村座 陽春大歌舞伎」では、開幕を告げる一番太鼓が打たれました。

    平成中村座に三年ぶりの一番太鼓が鳴り響く 浅草に帰ってきた平成中村座が桜満開の中、いよいよ開幕。江戸の芝居小屋の風情を残したいと、十八世勘三郎と田中傳左衛門が平成中村座の立ち上げの際に復活させた「一番太鼓の儀」が厳かに行われました。勘九郎が傳左衛門に大太鼓の撥(ばち)を渡し、七之助と開場前から楽しみに詰めかけていた大勢のお客様とともに平成中村座初日を祝いました。
    勘九郎は、お集まりのお客様からの「おめでとうございます!」の声に、「ありがとうございます」とにこやかに応えながらマイクを握り、「いよいよ始まります。この一番太鼓もここで聞くのは初めてで…」と切り出しました。父の十八世勘三郎の役割をまた一つ受継いだ勘九郎は、「皆さまからパワーをいただいて初日を開けていたんだなということがよくわかりました」と、感極まった様子で続けました。
    「お客様一人ひとりに楽しんでいただける芝居ができたらいいなと思っております。そのために、売店の方やお茶子さん、裏方さん、皆さんのお力を借りて一所懸命舞台を勤めたい。平成中村座の舞台ができること、本当にうれしい気持ちでいっぱいです」と、勘九郎は喜びと感謝の気持ちを語りました。続いて七之助も、「兄が申しましたとおり、浅草寺の境内に平成中村座を建てさせていただき、本当にうれしいです」と、地元浅草の皆さんへの感謝に続いて、「父も絶対、上で喜んでいます。喜んでいると思うんですけど、舞台の内容がよくないと怒られますので、あとは舞台をしっかり勤めます。皆様、久しぶりの平成中村座を楽しんでください」と、晴れやかな笑顔でお客様の声援に応えました。

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    公演は5月3日(日・祝)まで。(チケットは完売のようです。当日並べば立見席はあるかな?)

    下の写真は私の携帯カメラで撮影したものです。上の一番太鼓の取材のあと、すぐに勘九郎さんだけが中村座の小屋の裏手にある浅草神社に成功祈願をするために走ってこられました。ラッキーにも、たまたま私はそこに居合わせだけです(笑)ほかには人がほとんどいなかったのでこんな間近で。


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    私は、初日に観劇したのですが、「中村小山三は、体調不良のため休演いたします」というお知らせがあり、残念に思ったのですが、ご高齢なので仕方がないかな…と軽~く受け止めていました。今日、ネットニュースで訃報を知り、三年ぶりに戻ってきた浅草での「平成中村座」の大盛況を見届けた上で安心して旅立たれたのではないかという想いがしています。十七代、十八代の勘三郎に仕えて、中村屋のみならず歌舞伎界の生き字引と言われ、当代の名だたる名優の皆さんはじめ、若手の俳優さんたちが、一緒に舞台のお仕事をして小山三さんを通して、少しでも先人たちの遺された財産を受け継ごうとこぞってオファーされていたそうです。一ヶ月興行で同じ舞台に立つことから得るものは有形無形に限らずはかりしれないものがあるのでしょう。小山三さんの最後の舞台は、今年1月、歌舞伎座の「寿初春大歌舞伎 一本刀土俵入の安孫子屋酌婦お松」。ほぼ終生、舞台に立たれての大往生ということになります。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。


    4月6日、中村小山三さん死去、94歳 中村屋を支えて90年、歌舞伎界の生き字引(webニュース)
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150407-00000006-spnannex-ent

    中村小山三(なかむらこさんざ)さん、2014年4月、松尾芸能賞功労賞受賞。この年には舟木さんの公演でも共演された新派女優の波乃久里子さんが大賞を受賞されています。

    小山三さんは後列向かって右端、前列向かって右から三人目が波乃久里子さん

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    松尾芸能賞
    松尾芸能振興財団(まつお げいのう しんこう ざいだん)が1980年(昭和55年)に創設した日本の芸能賞。毎年その年に活躍した舞台芸能の関係者を顕彰して「優秀賞」、「特別賞」、「新人賞」が贈呈され、また年によっては「大賞」、「功労賞」(1996年制定)、「研究助成」(2011年からは「研究助成賞」)などが贈呈される。

    舟木さんは2001年(第22回)に大賞を受賞されています。
    その翌年は中村勘三郎さん(当時勘九郎)が大賞を受賞。

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    勘三郎さんのご子息の六代目勘九郎さんが2012年に新人賞、2015年(3月27日贈呈式)には同じく七之助さんも新人賞を受賞されました。

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    ~歌舞伎美人webサイトより~  七之助さんの新人賞受賞のニュース
    http://www.kabuki-bito.jp/news/2015/03/post_1359.html

    陽春大歌舞伎が開催されている「平成中村座」の小屋の内部です。撮影は自由です

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    画面向かって左の屏風前の四席が、ウワサの「御大尽席」です 二階席、舞台の真正面

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    このところ私が親しんできた伝統芸の世界で、桂米朝師匠をはじめ、大きな功績を遺された方々の訃報をあいついで聞き、「舞台芸術」の奥深さや、またその世界の中で私たちには想像も及ばない研鑽を重ね、精進を続けてこられた方々によって「ひととき 日常から離れた異空間」を楽しませていただいていることへの感謝の念をさらに強くしています。「芸は一日にしてならず」の感に、聴く側、観る側の姿勢をもあらためて省みる今日この頃です。

    以下、「婦人公論」の今年の1月22日号に掲載された坂東玉三郎さんのインタビュー記事です。いつか機会があれば、拙ブログでもご紹介できればと思っていましたが、今の私の心境とも重なるのでアップさせていただきます。

    ~インタビューまえがき~
    歌舞伎俳優としてだけではなく、演出家、映画監督などとしても多彩に活躍する坂東玉三郎さん。この数年、歌舞伎界に起きたつらい出来事をなんとか乗り切り、一年前よりも前を向けるようになったとのこと。その心境の変化とは

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    ~一部抜粋させていただきました~

    イメージ 222014年は思いのほか平穏な年でした。でも、ちょうど一年前のお正月はひどい風邪をひいて声がでなくなってしまいました。きっと微妙な空気の変化、PM2.5などの影響もあるのでしょう。喉の炎症が激しくて3ヶ月も出なかったのです。はじめての経験。役者として声がでないことほどつらいことはありません。二度と出なくなってしまうんじゃないか」と動揺したものの、不思議なことに舞台では出るし、歌えるのです。発声の先生にも「もう大丈夫」と言ってもらえて安心できました。
    そうしたアクシデントはありましたが、最悪だった体調面も精神面もずいぶん持ち直してきまして、それは、ある意
    味、状況に慣れたというか、あきらめたということなのかもしれない。人生は変わっていくものだということを身に沁みて感じ、そのことをちゃんと受けとめられるようになったのだと思います。仁左衛門さんが復帰されて嬉しい限りですが、同時にこれからは次の世代と演じることに重きをおいていきたいと考えています。次世代を育成しようと思ってもできるものではありません。本当はもっと稽古場に長くいてもらいたい、教育されるという時間を持ってもらいたいけれど、みんな持てない。だから、一緒に出る。一緒にいてもらわない限り伝えることはできません。私は生来、気短で慌てものだけど、これ以上ジタバタしても始まらないと思えたのですね。私ができることは、ただいることだけ。それで何も変わらないのであれば(歌舞伎)はそのまま終わるしかない。伝承を、自分の人生を捨てない、急がない。ようやく、そこに落ち着けたのです。

    年齢を重ねると、身体も変わっていきます。どこか筋肉の緩みが出るし、声も年をとった声になってゆく。それでも、表現したいと思う欲求が衰えないことはありがたい。だからこそ、人に見せはしませんが、表現するためのトレーニングや努力は惜しみません。だって、それで生きているのですもの。それで食べているのですもの。そうして私は生き甲斐を感じたいと思っています。

    過酷な世界ですって?確かにそうですね。でも、60を過ぎて、ラッシュアワーの山手線で通勤することだって過酷じゃないですか。人間にとって何が過酷といえば、生きていくこと自体が過酷なのですから。大人になって少しは楽に生きられるかと思っていたのだけれど、とんでもない(笑)大人になればなるほど苦しくなっていきます。人生は切実です。
    でも、劇場にいらしてくださったお客様に、ひととき、浄化される幸せな時間を過ごしていただける役者という職業に就けたことを、今さらながらありがたく思っています。ええ、本当にありがたいの。そして、ありがたいと思えるようになった自分をつくづく幸せだと感じています。

    インタビューの最後に、こんな風に言われています。

    生ってどんどんつらいことが降ってくる。本当の意味で感謝ができない人には幸運は来ないということに、ようやく気づきました。感謝と言っても、大げさなものじゃないんですよ。小さな幸せを「幸せ」だとちゃんと認識して感謝できるということ。「今日も無事に過ごさせてもらってありがたかった」と本当に思えること。無事に一日を過ごせたとき「あ、ありがたかった」と思えたら、それは幸せなことと思いませんか。私は小さい頃に苦しかった時期がありましたから、今になって感謝することの大事さが痛感できたのでしょうか。幸福は、日常の些細なところに宿っています。


    最後に、ちょっとだけ「舟木さんを探すさんぽ径」

    浅草寺にくるとどうしても撮りたくなる提灯「小舟町」

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    イメージ 24「小舟町」という提灯は高さ約3.7メートル、幅約2.7メートル、重さ約400キロ。製作費は約400万円といい、中央区の日本橋小舟町の有志が町内の個人や商店、企業約190件の寄付を集め実現した。約340年前、同町の魚河岸商人の信徒らが提灯を奉納したのがきっかけで同町で受け継がれている。

    一心太助江戸っ子祭り
    https://www.youtube.com/watch?v=Jdu8EXYjvMI


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    浅草神社(あさくさ じんじゃ)は、通称に三社権現(さんじゃ ごんげん)、三社様(さんじゃ さま)



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               浅草神社の境内にある川口松太郎氏の句碑

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          新仲見世通りのマルベル堂                         デビュー当時の笑顔、ちょっとムリしてる?(笑)

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    私のお気に入りのプロマイド

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    玉三郎さんの記事を読んで、ひとりの人間としての幸せに心を向ける健全な魂が、多くの人を魅了する素晴らしい舞台芸術の原点なのかも知れないとあらためて思います。稀有な才能の持ち主であり唯一無二の光を放つ舞台人であることと、ひとりの人間としての健全な感受性、これが私の心を揺さぶる敬愛する芸能者に求めている姿なんでしょう。舟木さんと二年半前に「再会」できたときに直感したのもそういったあるべき芸能者特有の香りと輝きが一目瞭然で伝わってきたからと言ってもいいと思います。

    浅草公会堂前の「スターの広場」の手形とステージで輝く舟木さん                      

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    4月8日(水) 午後12時30分~13時 放映 (CM含めて約30分)
     ~大田区民ホール・アプリコ コンサートの模様、井筒和幸監督のインタビューなど~

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    オンタイムで携帯カメラで撮影した画像です。きれいでなくて本当に申し訳ないですが、番組の内容も、このヘボな画像にそってご報告します。ご容赦を

    *最後に追記もあります。併せてご覧ください。


    お出迎えの模様

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    舟木一夫にとって「高校三年生」とは


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    知られざるエピソード

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    その1 「舟木カット」誕生…ファンならもう皆さんよくご存じのおはなしですが


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    その2 全盛期の「ピンクレディー」のスケジュールを見せてもらって…


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    その3 井筒監督作品の「ガキ帝国」に「君に幸福を・センチメンタルボーイ」の映像を使われたと…


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    その4 ディレクターが変わった22歳の頃のこと…そして、みごとな「復活」へ…


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    誰にSOSを出せばいいのかわからなかった…
    とぼとぼ歩いていた…   吹きっさらしにいるんだけれども…

    舟木さんらしい言葉の選び方で、ご自身よりも当時、舟木さんの周囲にいらっしゃった人たちへの気遣いに潔さとやさしさ、何よりも舟木さんの人としての大きさが感じられました。



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    沈んでる舟木一夫という舟を海上にあげて、サビを落として本体が動けるようにならないと…



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    ファンに向けたサービス 舟木一夫の流儀


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    最後は、舟木さんらしくお茶目に新幹線に乗っていた時の「高校三年生」おもしろエピソード


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    国民的大ヒット曲であり、「歌い手・舟木一夫」の勲章のようでさえある「高校三年生」をジェスチャーたっぷりに、とびきりの笑顔で、こんなアングルからのエピソードを語れるなんて、なんて粋なんでしょう!またまた、すっかり、惚れ直させていただきました。どこまでもカッコいい舟木さんでした。

    下記サイトに4月8日放映 「ワイドスクランブル」の舟木さん関連情報がアップされていましたので追記しておきます。

    ~テレビ紹介情報 webサイトより~
    http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=647/episodeID=845954/

    現在ツアー中の舟木さんのコンサート会場にはいつも多くの女性ファンが詰めかける。デビュー曲の「高校三年生」は舟木さんの代名詞となり今も多くの人を魅了。今回は井筒氏が対談した。井筒氏はカラオケで高校三年生を歌うといまも若い人が曲を知っているエピソードを話すと、舟木さんは「舟木一夫は知らないが曲は知っている」などと話した。70歳を迎えるがステージを年間100回、劇場公演を2カ月間で80回行い衰えをみじんも感じさせない。井筒氏が知られざるエピソードをひもといていく。

    1963年に歌手デビューした舟木一夫さん。デビュー曲の「高校三年生」が230万枚の大ヒットしスターダムにのし上がった。全盛期のピンク・レディーより忙しいスケジュールを送っていたのだとか。1967年、22歳のときディレクターが変わり歌が売れなくなると直感的に感じた。

    舟木さんはコンサートで曲の間奏中、サイン色紙と交換できるサインボールを配るなどサービス精神旺盛。コンサート終了後はファン1人1人から花束の贈呈があり握手を交わしている。同時代に活躍した坂本九さんが歌った「上を向いて歩こう」をカバーし同世代へ向けて発信し続けている。

    舟木さんは60代半ばになってようやく歌が好きだと気づいた。

    新曲の「春はまた君を彩る」は同世代へ向けた応援歌で昭和の流行歌のなごりが残る。

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    舟木さんは新幹線内で前の席の人の携帯の着信音が「高校三年生」だったことに驚き、顔を隠したエピソードを話した。

    井筒氏は舟木さんの歌をコンサートで聴いて生きている実感がした、とコメント。橋本氏は「高校三年生」のジャケットに映っているのが当時、どこの高校か話題になったなどと話した。



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    4月10日の習志野でのコンサートも大盛況だったとうかがっています。お元気な舟木さんの歌声とお姿を堪能なさったファンの皆さんも多かったことでしょう。

    私はこの日はかねてから予定していた舟友さんたちとご一緒の「絶唱」ゆかりの地の鳥取県智頭町(ちづちょう)への「舟旅」を楽しませていただきました。お世話になった舟友さんはじめご一緒した皆さま、楽しい舟旅を本当にありがとうございました。

    智頭の地図の位置,、舟木流のダジャレみたいですが…(笑)

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    智頭町観光協会 webサイト 
    http://www1.town.chizu.tottori.jp/kankou/

    9日は、先月27日にグランドオープンしたばかりの姫路城見学、姫路に一泊して翌日は、お目当ての智頭町を舟友さんのご案内でたっぷり一日かけて楽しんできました。

    四方八方、どのアングルから見ても美しく、まだ桜も残っていてラッキーでした。

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    舟友さんがセレクトして下さった姫路おでん、薄味のだしで煮込んだおでんを生姜醤油でいただきました。あっさりと美味!

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    そして、翌日10日は、お目当ての「絶唱」ゆかりの場所に行く途中で舟友さんが案内してくださったのが「宮本武蔵生誕の地」でした。時代小説は好きなのですが「剣豪もの」にはあまり関心がなくて、国民的人気の「宮本武蔵」も亡くなった父の本棚には当然のようにあるのですが、スルーしたままで、映画では各時代を代表する大スターたちが何度も演じているにもかかわらず、またお手軽に観られるテレビドラマでも何度か取り上げられていたようですが、なにせ舟木さんが出演された大河ドラマさえ子どもの頃に観た舟木さんのデビュー当時の「赤穂浪士」「源義経」以外の作品については全然知らずにきたテレビ音痴なので、宮本武蔵というと「巌流島」「五輪書」「絵も巧かった」というのが私の知識のすべて?と言っても過言ではありません(汗)さて、その宮本武蔵と「若くて強くてイカス奴」との接点は?…前ふりがちょっと長くなりますが、しばらくおつきあいくださいね。

    智頭急行智頭線  智頭から南よりに6駅目

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    腕白坊主の「たけぞう」と呼ばれた頃の武蔵、幼なじみでのちの恋人「つう」、のちの本位田又八

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    皆さん、もちろんよくご存じかと思いますが、私は知らないので、一応「宮本武蔵」について。

    ・宮本 武蔵(みやもと むさし)
    天正12年(1584年頃)- 正保2年5月19日(1645年6月13日)
    江戸時代初期の剣術家、兵法家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。また、重要文化財指定の水墨画や工芸品を残し
    ている。名字は宮本、または新免、通称は武蔵、本姓は藤原、諱は玄信(はるのぶ)である。幼名は辨助(べんのすけ)号は二天、また二天道楽。著書『五輪書』の中では新免武蔵守 藤原玄信を名乗っている。
    『五輪書』の「生国播磨」との記載による播磨生誕説と、江戸時代後期の地誌『東作誌』の美作国宮本村で生まれたという記載による美作生誕説があるが、美作生誕説は、吉川英治の小説『宮本武蔵』などに採用されたため広く知られ、岡山県および美作市(旧大原町)などは宮本武蔵生誕地として観光開発を行っている。
     
    巌流島の戦い

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    武蔵の生誕の地については諸説あるようですが、今回訪れたの「宮本武蔵生誕の地」は岡山県美作(現在の美作市大原)の「武蔵の里」として知られるところです。

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    ・因幡街道(上記の地図説明)
    姫路を起点に、美作を経て山陰の因幡鳥取まで至る因幡街道は、山陰側では「上方往来」とも呼ばれ、瀬戸内海と日本海を結ぶ物流の道でもあった。江戸時代には松江藩や鳥取藩など参勤交代の大名行列が通った道でもある。


    みまさか観光ナビ webサイト 宮本武蔵生誕の地紹介 
    http://kanko.city.mimasaka.lg.jp/detail/index_89.html

    こんなに見どころが満載です

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    生家の前に「吉川英治先生文恩記念碑」の隣に「舟島の かえりは武蔵 一人だけ」という歌碑がありました。
    舟友さんたちも「舟」という字に過剰反応?(笑)
    巌流島での佐々木小次郎との対決で島から帰ったのが勝者の武蔵一人だけ」という意味あいが詠われているものでしょうか。




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    昭和期に消失のために建て替えられていますが生家のあった場所です

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    上の画像中央の屋根の下、玄関脇にこの肖像画

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    生家前の石碑を横から見るアングル、つつじが咲いてました。

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    この中に入ると見事な庭園、資料館と二天一流の道場もあります

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    あいにくの雨でぼやけてますが、資料館周辺には素晴らしい自然が満喫できる風景が広がっています
    激しい雨だったので全体がかすんでいますが、それもまた風情あり…ということで

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    とっても男前すぎる?武蔵像、若き日の武蔵でしょうね

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    二天一流の道場入口

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    道場全景
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    讃甘神社(さのもじんじゃ)

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    宮本武蔵が幼年の時に讃甘神社の太鼓をうつ二本の撥の音が左右の均等であることに感嘆したと云われ、この記憶が後年の二天一流の発想に繋がったとされる。


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    この風景は時代劇のバックに使えそうですね。唯一、乗用車が…


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    生家から坂道を登っていくと武蔵神社がありました

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    高台にある武蔵神社の境内奥に武蔵の墓があります。宮本武蔵の墓(向かって左側)と右側が武蔵の両親の墓

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    長らくお待たせいたしました

    今回のタイトルに揚げた「若くて強くてイカス奴」ですが、この作品については、手元にある「非売品写真集」の中に一枚、30周年記念の全集CD「陽射し・旅人」の別冊解説書の中の小さな写真が一枚しか手がかりがなく、資料も見つけることが難しくて、1970年に舟木さんが宮本武蔵の養子である宮本造酒之助という人物設定でテレビドラマ出演なさったということしか知りませんでした。元々宮本武蔵に関心がないものですからすっかり「忘却の彼方」だったのですが、今回、「武蔵の里」をご案内していただいたおかげで「若くて強くてイカス奴」に回帰することができ、これもご縁なのかなぁと感慨深く思っています。

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    そういうこともあってデビュー当時からずっと舟木さんのお近くで青春時代を過ごしてこられた舟友さんに、何か若くて強くてイカス奴」に関することをご存知ないかとお尋ねしたところ、当時の後援会誌「浮舟」掲載の記事をご提供いただくことができました。下記の写真もその舟友さんの所持なさっているものです。

    貴重な資料をご提供下さった舟友さん、「武蔵の里」へ導いて下さった舟友さん、お二人に心からの感謝を込めてここにご紹介させていただきます。

    舟木さんが、22歳の頃に、テレビの時代劇ドラマ「若くて強くてイカス奴」の主人公を演じました。あだ討ちに成功した荒木又衛門を倒した男を創造して主人公にしたドラマ。宮本武蔵の養子といわれる造酒之助がモデル。

    脚本:田島栄  演出:伊賀山正光
    出演 舟木一夫、中村翫右衛門(宮本武蔵) ほか

    NETテレビ(現・テレビ朝日)1970年1月5日から3月30日まで月曜21時枠
    時代劇オムニバス形式のシリーズ「剣豪」第4話 3月16日-3月30日放映

    ~以下、当時の「浮舟」より~(下記の写真も舟友さんご提供)

    イメージ 9特集/若くて強くてイカス奴
     宮本武蔵の養子で奮戦~舟木クンの二刀流がみもの
    (昭和45年3月5日「浮舟」)

    ゆく先々に敵あり

    「剣豪」というテレビ番組を知っていますか?この番組はNET(東京では10チャンネル)テレビがキーステーションで全国に放送されている人気番組。
    何人かの俳優をそれぞれ主人公に、三、四回に分けて放送されるシリーズもので、ここまで出演したのは丹波哲郎さ
    んをはじめそうそうたるメンバー。その最終回を飾る番組に、舟木一夫さんが登場するわけです。放送は三月十六日からで、連続三回で完結されるものですが、かなり内容がもりこまれています。

    まず面白いのが、舟木さんの役どころ。宮本武蔵の養子で宮本造酒之助という二十二歳の青年剣士です。総髪で、着流しのカッコいい剣の修行者。しかも二刀流を、目もさめるような早業で使いこなす美剣士ですからみていてスカッとすること間違いなし。歴史的に観て、武蔵に子どもがあったかどうかは定かではありませんが、剣豪宮本武蔵の弟子というのは、一人いたはずですから、そんなところから養子という人物設定をしたのではないでしょうか。武蔵から免許皆伝された造酒之助は自分の力をためすために旅に出ます。かつて武蔵は、柳生流とはついに手合せすることが出来ずに隠居の身となりますが、「自分の力を知るためには柳生流。この世には柳生一門以外にその技量をもっている者はいない。」と造酒之助を励まします。造酒之助は養父武蔵のいいつけ通りに柳生を相手にもとめて旅に出ます。

    ところが、宮本武蔵が現役の頃、武芸修業時代に吉岡一門を倒し、法蔵院流をも倒し、そして諸々の試合をしていました。そのうらみは造酒之助の身近にまで及んできて武蔵の代わりに造酒之助を狙うということにまで話が発展してきます。ですから行く先々に敵が待ちかまえているということになります。とくに目新しいのは、荒木又右衛門の「鍵の辻」が出てきたり、歴史上の事件がところどころに再現されていることです。これらの事件に巻きこまれたり、傍観したり、舟木造酒之助はみごとに剣に生きる男として世の中を渡っていきます。

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    本格的な時代劇

    総髪というのは、普通のムシリやフクロ型とちがって、頭全体の髪を伸ばし、うしろで束ね、長く垂らしている形をいいます。武蔵の場合は、頭髪をうしろに束ねあげていたけれど、年代もちがうし、柔らかさを与える意味で考えられた形だそうです。この茶センというのは佐々木小次郎の髪型を想像してもらえばわかりますが、おしゃれな小次郎よりかなり男らしく荒っぽさを加えているし地味なようです。と係りの結髪部さん。また衣裳のほうですが、武蔵はいつも戦闘体勢にある身仕度をしていましたが造酒之助の場合は着流しです。場合によってはニヒルな面が強調されますが、大体は柔和で、人間味にあふれています。こんなところが、すべて完成させた宮本武蔵の養子という面でしょうか。

    イメージ 11もちろん造酒之助自体はまだ若い青年ですから、昔の武蔵のような荒削りな面もずい所にみられます。

    「ずっと昔からー~少しオーバーかな?~本格的な時代劇をやってみたかったんです。そこで、去年は舞台で『鶴千代』という形でテストをしてみて、いける!と自信をつけました。こんどのテレビで、実現させたわけですが、これが僕の夢だったすべてではありません。一つの段階として、一歩すすんだわけで、これからもテレビや映画を通してどんどんやりたいと思っています。」

    と力づよく語る舟木さん。今回の造酒之助の役は二十二歳と台本に指定されていますが、

    「二十二歳じゃ若すぎるような気がする。ぼくは二十四、五歳のつもりで演技しているよ…」

    つまり二十二歳では精神的にも肉体的にもまだ若すぎる感じだし、武蔵の養子として世間に出て、立派に堂々とコトを成し遂げてゆく自信の持ち主だから、少なくとも二十四、五歳になっていなくてはいけない。というわけです。いずれにしても、今年の前哨戦の意味では、いい事であるにちがいありません。期待をしましょう。宮本武蔵に中村翫右衛門さん。荒木又衛門役で、杣英二郎さんが共演するほか前進座のベテランが舟木クンのワキをガッチリ固めています。



    *造酒之助(みきのすけ)は史実的には、三木之助とされることが多いようです。
    「武州伝来記」「作州新免系図」という史料では、造酒之助となっています。

    ~以下、‎Wikipediaより抜粋~
    宮本 三木之助(みやもと みきのすけ)
    慶長9年(1604年) - 寛永3年5月14日(1626年7月7日))は、江戸時代初期の武士。剣豪宮本武蔵の最初の養子である。水野勝成の武者奉行・中川志摩之助の三男。先祖は伊勢国中川原城主。出自をめぐっては他にもいくつかの伝承がある。
    宮本武蔵が大坂夏の陣に水野勝成(三河刈谷3万石)の客将としてその子・勝重(水野勝俊)付で出陣したのが縁と
    なり、大坂の陣後に弟の九郎太郎とともに武蔵の養子となる。元和3年から4年(1617年から1618年)頃、武蔵の推挙により播州姫路城主・本多忠政の嫡男本多忠刻の小姓として出仕する。
    忠刻は自らも徳川家康の血を引き(曾孫)、家康の孫・千姫を室に迎えており、征夷大将軍徳川家光の義兄として将
    来を嘱望されながら、寛永3年(1626年)に31歳の若さで病死。側近であった三木之助は忠刻の初七日に書写山圓教寺の忠刻墓前で切腹による殉死した。享年23。墓は忠刻(園泰院)の墓塔(五輪塔)のすぐ後ろに建てられた。正面の戒名は風化して読めず、右側面に「平八供 宮本三木之助」と刻まれている(平八とは忠刻の通称)。
    なお、三木之助の五輪墓の後ろには、三木之助を介錯し殉死した家来の宮田覚兵衛の五輪墓(「三木之助供」と刻ま
    れている)が建てられており、めずらしい墓形である。忠刻にはもう1人、岩原牛之助が殉死、墓は三木之助と並んでいる。


    ・「武州伝来記」史料より
    宮本武蔵の最も古い伝記『武州伝来記』によると三木之助は造酒之助となっており、武蔵が摂州尼崎街道で拾った馬子の少年となっている。
    造酒之助は西ノ宮の馬追なり。武州、或時、尼ヶ崎街道を乗掛け馬にて通らる。西ノ宮の駅にて、十四五の童、馬の口取りすすみ行く。武州、馬上よりつくづくと彼の童がつら魂を見て、其方、われ養ひて子にしてよき主へ出だすべし、養はれよ、と有りければ、彼の童申し様、仰せは忝なく候へども、われ、老の親をもてり、某此の如く馬子をして養へり、御身の養子になりては両親難儀に及ぶべし、御免あれと申す。武州、聞き玉ひ、先づ、其方が家につれ行けとて、彼の家に至り、両親に右の旨趣を申し聞け、当分の難儀これ無き様に金子をあたへ、処の者にも懇ろに頼み置き、彼の童を伴ひ、暫く育ひ置て、播州姫路の城主、本多中務太輔忠刻卿へ差し出ださる。中書殿、御心に叶ひ、段々立身せり。しかれども、子細あって暇申し請、江戸へ下る。中書殿、不幸にして早世し玉ふ。武州、其頃大坂に居て、此の事を聞き、近日造酒之助来るべし、生涯の別れ為るべし、馳走すべしと也。かくて、暫くあつて造酒之助入来す。武州、悦びに堪へず、甚だ饗し玉ふ。造酒之助、盃を所望して戴き、これより直に姫路へ相越し候通り申し達す。武州、尤の覚悟の由、あいさつ有り。造酒之助、姫路へ至り、追い腹せしといへり。惜しむべし、惜しむべし

    ・「作州新免系図」史料より
    当世の美少年二刀剣術をよくす。宮本武蔵玄信の養子となり播州姫路城主本多美濃守世子中務太夫忠刻に仕える、七百石側小姓、宮本造酒之助と改める、本多忠刻寛永三年丙寅五月七日卒三十一歳、造酒之助即日殉死

    ・「圓教寺の墓誌」によると以下のように記されているようです。             

    宮本武藏ノ養子忠刻卒スルト墓前ニ於テ切腹 伊勢ノ生レデ武藏ノ養子 当時二十三其辞世ニ

     思わずも雲井のよそに隔りしえにしあればや供に行く道

     立田山峯の紅葉に誘われて谷の紅葉も今ぞ散りたり


    当時のロケ風景 東京都青梅の山中でのロケだったそうです


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    22歳ごろのステージの舟木さん

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    全然変わってない?こんなに変わらないなんて嬉しいですが、なんだかちょっとばかり悔しいですよね

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    「智頭町」の絶唱ゆかりの地へ舟旅はつづきます…「♪ラララ、汽車はゆく汽車はゆく…」

    修学旅行  15周年記念アルバム「限りない青春の季節」音源ヴァージョン



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    またですか?と言われそうですが、舟木さんの作品の中で私のマイ・ベストは、「絶唱」です。しかもくどいようですが「別格」です

    舟木さんとの本当の意味での「一生もの」の出逢いは、園田順吉と舟木一夫が、ピッタリと重なって思春期の私の心に住み着いてしまったということからスタートしているのだと思っています。

    多分、舟木さんのデビュー当時、中高生だった年代のファンの方たちが詰襟の学生服を着た舟木さんの歌う「高校三年生」「修学旅行」「学園広場」などの、いわゆる学園ソングをご自身の「今」と重ね合わせたように、中学二年生で思春期にさしかかった私が、恋にあこがれたり、世の中の様々な矛盾に気づきはじめた時に「絶唱」に出逢ったからなのでしょう。

    これがもう少し前か後ろにズレていたら、もしかしたら「絶唱」も園田順吉(=舟木一夫)も、これほどまでに大きな存在にはなっていなかったように思います。「絶唱」以前にも小学校高学年の頃から舟木さんは、わたし好みのスターであり、お兄さん的にあこがれの存在であったことは確かで、好きだから当時の田舎の中学生には縁遠い映画館まで出かけて、しかも保護者同伴(笑)で観た訳なのですが、これが後に、私の人生観や精神世界にこれほど大きな影響を与えるものになるとは想像もしていませんでした。

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    「純愛」「戦争と平和」「身分差別」…「絶唱」という作品には、人が生きていく上での精神性のあり方がすべて描きつくされていることを、当時の私は明確に理解できてはいなかったのですが、ひたすら感銘を受け、その感動の想いが胸に深く刻み込まれたのだと今になって思い至ります。

    実際、今、振り返ってみれば、高校生になった頃には、にわか仕込みの付け焼刃的知識の方が先行してしまい、感性よりも理詰めの小生意気な女子高生だったように思いますから柔らかで素直な感性の中学生時代に「絶唱」の世界に触れて、感動することができたことは、一生の宝物になったのだと思います。

    十代の半ばから後半にかけての子どもの心の成長は、身体の成長と同じで、めざましいものがあります。ほんの少しの時期のズレで心の琴線への響きは異なってくるのかもしれません。そういう意味でも思春期に経験した鮮烈な「出逢い」というものはその人の生きていく指針ともいえるかけがえのないものなのでしょう。

    でも、その後は、高熱が引くように「舟木さん熱」が冷めてしまい、芸能界の人の中では気になる存在ではありましたが、高校生活が自分なりには結構楽しかったことや、時代の流れの中でのサブカルチャーもどんどん変化していき、いつしか「忘却の彼方」でした。ただ「初恋」を歌っていらしたころには、また「絶唱」の時のような舟木さんに戻られたのかと、関心が向きましたが、その少し後に、事件が起きたり、舟木さんもご結婚されたり同じ時期に自分も家庭に入ったりで、新聞記事や週刊誌のセンセーショナルな見出しのような情報からだけ知る舟木一夫になってしまって、ご自身の言う「寒い時期」になってしまい…それ以来、私とはすっかり無縁のような感じになってしまいました。

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    ですから、職場を定年退職した2012年の9月に、まもなく関西を離れて三重県の実家に帰郷する直前になって、ふと思い立って新歌舞伎座に出かけたのも「絶唱」が聞きたいという想いの一点でした。
    本当に「ふと思い立った」というのも、今、考えると何だったんだろう?と不思議なのですが…それも人生の節目に、自分自身の原点のようなものを、無意識にたどっていたのかな?と思ったりします。

    なんの情報もなくて、ただ「舟木さんのファンはスゴイ!」と聞いていたので、ビビリながら劇場に足を踏み入れました。これまで感じたことのないアウェイ感とともに(笑)

    「絶唱」への想い入れがなければ、私には生涯、縁のない場所であると思っていたのが、今は、なんとこの有様です(笑)舟木さんが、「ただものではなかった」ことに遅ればせながら気づくことができたのも、偏に「絶唱」という作品のおかげです。

    それだけに、それぞれの歩いてきた道、それはみんな正解なんだと、ステージのトークでおっしゃる舟木さんの言葉には深いものを感じてしまいます。長い間、舟木さんとは全く接点もなく右往左往して歩いてきた私の道が、舟木さんが歩き続けていらした道と、つながっていたことに感動を覚えています。どうやらこれは、50年も前から約束された「再会」だったのだとひとり悦に入っている今日この頃です(笑)

    今回、舟友さんのお心のこもったご案内で、念願の智頭町での「舟木さんを探すさんぽ径」が実現しました。本当に、ありがたく感謝の気持ちでいっぱいです。

    またしてもヘボな画像ばかりで申し訳ありませんが写真にそって、ご一緒に「さんぽ」していただければ幸いです。

    智頭宿観光マップ

    これは舟友さんの撮影の写真です。私は撮りそこねてしまいました。以下の何枚かのクリアな写真は舟友さん撮影です

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    西河克己映画記念館

    まずは西河克己映画記念館へご案内します

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    西河克己映画記念館 所蔵写真

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    映画の台本です。
    園田惣兵衛が滝沢修となっていますが実際は志村喬さん。台本作りの段階では滝沢修さんだったのかな?
    ネットを見てるとよく惣兵衛が滝沢修とあるのはそのせいかもしれないと思い至りました。

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    撮影の合間に、アイスを食べる舟木さん。今も昔もエネルギーのもとはアイスなんですね

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    これは映画の中のシーンです

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    これは記念館の資料の写真です。舟木さんガンバレ!


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    再び映画のシーン。時間的には短いショットですが重かったんでしょうね

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    記念館の資料ケース

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    西河監督とのツーショット写真はこれ一枚だけでちょっと残念


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    石谷家住宅(国登録重要文化財)

    イメージ 23「古くは鳥取城下で塩の卸問屋を稼業とし、その後、大庄屋として智頭宿の発展に寄与しながら、問屋業や山林業を営んできた。屋敷は約40の部屋数を有し、大規模な近代和風建築として高い評価を得ている。」と「智頭町」観光案内に紹介されています。

             ネットにアップされている上空からの全景写真→

    山口百恵さんが小雪を演じた映画「絶唱」の撮影に使われたそうです。「西河克己映画記念館」のすぐ近くです。


    私の撮影した石谷家住宅。雨が降っていたので霧がかかったように霞んでいて山陰の風情が出てますでしょ


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    こちらは舟木さん主演の「絶唱」の画面に登場する旧家です。屋根の感じが似てますね。


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    ちょうど今の時期は旧暦の雛祭りにあたるのでお屋敷にはたくさんのお雛様が飾られていました



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    驚いたことにうちの長女が生まれて二年目頃に私の両親からプレゼントされた段飾りと全く同じお雛様もあって
    「昭和50年代はじめの雛人形」と書いてありました。これも嬉しいご縁のようです。


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    お庭も広くて手入れがゆき届いていて絵のようでした

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    石谷家の中の喫茶室でランチタイム あんかけゆば入り蕎麦、ゆずの香りがして、とろ~り


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    舟木さん出演の映画「絶唱」のラストシーン「葬婚式の宴」の場面のロケが行われた旧家跡

    超豪華な石谷家をあとにして向かったのは、実際に舟木さん主演の「絶唱」のロケが行われたお屋敷です。残念ながらこちらのお屋敷は、今は廃屋となっていて無人ですので荒れ果ててしまっています。石谷家のように智頭の町中ではなく人里離れたひなびた場所に建っています。

    こちらは舟友さんが撮影して下さったものです

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    これは、私の携帯カメラです。お屋敷の後ろは山が迫っています。お屋敷の周囲は石垣でぐるっと囲まれていて入れません


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    屋根は茶色ですが、撮影当時はそうじゃなかったんでしょうね。向かって左奥に玄関
    門構えそのものは石谷家には及びもつきませんが敷地面積は人里離れているだけに広大でした



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    ここで、ちょっと現場検証?(笑)画像右奥に通用口が見えます。ここからお屋敷の庭に入ると…

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    今度は画面の向かって左奥に注目…村人たちがこの通用口にひしめいて宴の席に招かれるのを待っています。

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    そして、順吉が村人たちを招き入れるようにと合図をすると、画面の右側から左に向かって村人たちが入ってきます。

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    村人たちを三三九度の婚礼に同席させるシーン

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    そして、立ち上がって、村人たちの前に両手をついて深くお辞儀をする順吉さん。右奥が通用口。

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    当時、中学生だった私の印象に残ったシーンのひとつでした。順吉さんがこの時にどういう挨拶をしたのかは、あまり覚えてはいなかったのですが、大地主の息子が、村人たちに礼を尽くしている姿にただ驚いたのでしょう。舟木さんと再会後にこの映画を見直してから、そのひとことひとことをあらためてかみしめてみた時に14歳の私が感動した理由がわかったような気がしました。

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    感動的なシーンのロケ現場に「舟旅」をすることができて、本当に幸せでした。舟友さん、心からありがとうございました。

    以下はデジタルカメラでズボラな私が珍しく撮影した写真です。ティータイムに舟友さんが案内してくださった自然がそのまんまという「大自然みどりのふる里~みたき園」の風景です。

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    カフェで、アッサムティーとこっこぷりんと自然の癒をごちそうになりました

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    以下は「絶唱」について記した過去のブログです(参考)

    『絶唱』その1~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/67911506.html

    『絶唱』その2・原作より(上)~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68545585.html

    『絶唱』その2・原作より(下)~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68545621.html

    『絶唱』その2・原作より(番外篇)~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68546405.html

    絶唱  (kazuyanさんの動画でお楽しみ下さい)
    https://www.youtube.com/watch?v=Ip62KFsYiwo


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    ジャ~ン! ついに待ちに待っていた「春はまた君を彩る」のジャケットがアップされました
    まずは、なんとも心ときめく舟木さんのステキな横顔をじっくりお楽しみくださいね

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    さて、胸のドキドキはおさまりましたか?は~い、深呼吸(笑)

    では、今回のブログのタイトルにも掲げたように、3月14日に開通した北陸新幹線が、このところニュースでもよくとりあげられているので、久々の「舟木一夫主演映画つれづれ」というカテゴリーで「君に幸福を/センチメンタルボーイ」について…

    イメージ 21センチメンタル・ボーイ 作詩:河端茂 作曲:山屋清
    https://www.youtube.com/watch?v=5VJTlqiaHww  

    夢をあげよう 夢をあげよう
    ぼくの夢をみんなあげよう
    きみが倖せになれるなら
    ぼくには夢がなくなってもいい
    えくぼ押さえてる きみの小指に
    投げキスをして
    ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ
     
    虹をあげよう 虹をあげよう
    ぼくの虹をみんなあげよう
    きみを美しくできるなら
    ぼくには虹がなくなってもいい
    涙うかべてる きみの瞳に
    ほほえみながら
    ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ

    歌をあげよう 歌をあげよう
    ぼくの歌をみんなあげよう
    きみに微笑みがもどるなら
    ぼくには歌がなくなってもいい
    遠く消えてゆくきみの背中に
    手をふりながら
    ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ

    「センチメンタルボーイ」はじめ、ここでご紹介する映画の挿入歌の「お菓子の好きな少女」/「星にそっと」/「恋の残り火」もすべてkazuyanさんの動画です。本当にいつも感謝です。

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    4月8日に放映された「ワイドスクランブル」の中で、舟木さんと対談された井筒和幸監督がご自身の映画「ガキ帝国」の中で映画の背景となっている昭和40年代初めの時代性の象徴として「君に幸福を/センチメンタルボーイ」の映像の一部を使ったということを話されていました。

    右側は私が撮影した同じ場面のワンシーン

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    時代劇は別として、「現代」を描いた映画というのは、その作品が作られた当時から何十年もの歳月を経ると「現代」だったものが「過去の現代」となってしまうところに、映画のストーリーを追うのとは、また別の楽しみ方や興味が生まれてくるものなんですね。
    この半世紀ほどの間に大きく様変わりしたもの、あるいは、ほとんど変わらないものを確認することができるという面白さがあって、舟木さんの出演された映画を観ていても別れのシーンなどで駅や列車が登場する場面で時代の変化がはっきりとわかります。ラストシーンはアメリカに渡る内藤洋子さん扮する十紀(とき)が、空港ではなく港(横浜)から出航するのですから今観るとかなりカルチャーショックです。

    イメージ 6この映画の前半の舞台は東京で、後半が能登半島の和倉温泉となっています。(地図の七尾市のすぐ西にあたる位置が和倉温泉です)
    東京周辺の方には、北陸新幹線の開通によって北陸地方がかなり近くなったのだろうと思います。

    私は、今は名古屋の近く、東海地方に住んでいて、その前は京都ですから北陸はわりとお隣の地域という親近感があります。また、金沢にはご縁があって、たった1年ですが、住んでいたこともあるので、余計に親しみがあります。

    金沢に住んでいた頃は子育て真っ最中だったので、遠出することはなく和倉温泉へは行かずじまいでした。金沢からの距離感もわからなかったくらいですので、今回調べてみたら、今はなんと金沢から和倉温泉まで「能登かがり火」という特急に乗れば1時間弱で行けるんですね。



    イメージ 5能登かがり火 2015年3月14日より運行開始 
    (Wikipediaより)
    2014年3月15日ダイヤ改正時点で、金沢駅 - 和倉温泉駅間の特急列車は、大阪駅発着の「サンダーバード」が4往復、名古屋駅発着の「しらさぎ」と越後湯沢駅発着の「はくたか」が1往復ずつの、いずれも北陸本線からの乗り入れ列車計6往復が運行されていた。しかし、2015年3月14日に北陸新幹線が金沢駅まで延伸開業するのに伴い北陸本線系統の特急列車の運行体系が大きく見直され、新幹線連絡特急であった在来線特急「はくたか」が運行終了、「しらさぎ」は全列車が金沢止まりに、「サンダーバード」も1往復を除いて大阪駅 - 金沢駅間のみでの運行となった。これを踏まえ、金沢駅 - 和倉温泉駅間の特急本数を維持することを念頭に北陸新幹線連絡特急として運行を開始した。

    この映画のロケが行われた当時の記事から抜粋させていただきます。

    イメージ 7(近代映画 舟木一夫デラックス 1968年1月号臨時増刊)

    ロケ地メモ 和倉 風光の美しい海岸温泉
    ロケ隊が宿泊した和倉温泉は、七尾市の西北端にあたり、七尾湾に突き出した弁天崎の先端にあります。
    目の前に能登島の屏風崎がそそり立ち、みどりの海上にに点々と美しい小島が散らばった風光明媚の海岸温泉~中略~呼びものは、団体客の歓迎陣でとくに和倉太鼓、和倉節、まだら節などは有名です。東京からの交通は、上野発の下り北陸線で金沢まで(急行で約十一時間)行き、七尾線に乗り換えて和倉駅下車(約二時間、急行で一時間十分)新幹線(東海道新幹線のことでしょう)を利用して米原で乗り換えるとこれより二時間半ほど時間が短縮されます。(東京から和倉まで二等車で約三千八百円)和倉駅から温泉まで、バス5分。金沢から温泉まではバスで約三時間。

    この記事を読んでいると、まさに隔世の感がありますね。同じく同誌掲載の記事に舟木さんは京都から金沢経由で和倉温泉のロケ地に向かったと記されています。以下、当時同行された取材記者の方による記事

    和倉太鼓の音も冴えて! 能登半島・和倉ロケの一週間 一部抜粋

         現在の和倉温泉上空からの撮影 画面向かって左の海に突き出た建物が加賀屋旅館だと思います

    イメージ 811月19日(日)
    16時12分、京都発の急行「加賀号」に乗車、19時55分、金沢駅に着く。ここから車を飛ばして和倉温泉のロケ宿「加賀屋旅館」に着いたのが午後9時30分である。舟木くんの部屋は、8階の「雲竜の間」10畳に6畳の次の間がついた閑静な日本間である。入浴してサッパリしたからだを和服に着替えてマネージャーたちの陣取る「介州の間」に姿を見せる。薄いブルーの着物にベージュの羽織という小粋ないでたち。


     
    左が現在の加賀屋旅館、右は映画の場面中の加賀屋旅館の船着き場

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    イメージ 920日(月)
    朝、7時30分起床の予定だったがあいにく外はミゾレまじりの雨。8時半ごろまでゆっくり朝寝を楽しむ。午前中、旅館内で山岡久乃さんとのカラミの場面を撮影。舟木くんの”史郎”が山岡さんの母親と廊下で行きあって「母さん、いつまで芸者をやってるんだ」と詰問する。各階から大勢の滞在客が集まって見学。「舟木一夫ってやっぱり実物もいい男だのう」などど賑やかだ。午後2時頃旅館を出発。16時36分金沢発の上り急行「白馬号」で帰京する。翌日21日、東京、代々木の武道館で行われるフジテレビ「秋の祭典」に出演するためだ。

    イメージ 1022日(水)
    昨夜21時26分、上野発の「北陸号」で東京を発った舟木くんが早朝7時48分に七尾駅に到着するのを待ち構えてそのまま構内で撮影しようという寸法である。夜行列車で着いたばかりの舟木くんには気の毒だがスケジュールに追われた丸山監督以下スタッフ連中は情け容赦もない。シーンは東京へ帰る”史郎”を洋子ちゃんの”十紀”と山岡さんの”まつ”がホームで見送るところ。黒山のようなファンの中にはわざわざ富山から来たという熱心な女学生たちもいる。午後、旅館内の大ホールで和倉太鼓のシーンを撮る。太鼓のリズムを譜面に写して練習したという舟木くんのバチさばきは鮮やか。「短時間の練習であんなにうまく叩けるとは…」と保存会の人たちもすっかり感心した表情だった。午後3時撮影終了。

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    23日(木)
    午前8時起床。七尾湾の石炭置場や貨物集積所を背景に”史郎”と”十紀”の待ち合わせの場面を撮る。Vネックの白いセーターを着た舟木くん。鉛色の空、日本海から吹きつける風が冷たい。黒山の見物人はいつも通りだが、今日はその中に「東宝映画友の会」の人たちもまじっている。撮影の合間、スタッフの人たちに”差し入れ”を配って歩く舟木くん。今朝、使いをやって段ボールの大箱三個分買ってきた菓子パンである。午後、同じ七尾湾構内の現場に移動する。引き込み線のレール沿いに”史郎”が歌をうたいながら歩くシーン。スピーカーで流すメロディーにあわせて、歩度をゆるめたり、早めたり。午後3時終了(ここで歌われているのは「恋の残り火」


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    この道は恋を棄てる道
    待ちかねたあの娘が
    駆け寄ってきても
    でも でも
    笑ってはいけない
    さよならをいうだけ
    この道はこの道は
    恋を棄てる道
     
    この川は恋を流す川
    爪かんであの娘が
    好きよといっても
    でも でも
    振り向いてはいけない
    さよならをいうだけ
    この川はこの川は
    恋を流す川
     
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    この恋はひとりで消す恋
    指からめあの娘が
    泣いてすがっても
    でも でも
    負けてはいけない
    さよならをいうだけ
    この恋はこの恋は
    ひとりで消す恋


    24日(金)
    午前11時まで「加賀屋旅館」の裏手にあたる船着き場で”史郎”と”まつ”のカラミのシーン。ロケ現場を車で30分ほど離れた瀬嵐町に移す。和倉町から七尾湾に沿って北上したところ。民家を一軒借り切ってここが”史郎”の家になる。

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    君に幸福を センチメンタルボーイ
    (1967年12月16日公開 製作:東京映画 配給:東宝)
    脚本:松山善三
    監督:丸山誠治
    音楽:山屋清


    二ノ谷史郎(舟木)は能登から上京、洋菓子店に勤め、ケーキ作りを学び始めた。ガールフレンドのいない史郎は、彼女のいる同僚の木村(小鹿)から日曜日に遊園地にいくように勧められるが、突然空から落ちて来たハンドバッグを頭に受け、気絶してしまう。次の日曜日も浅草観音の社殿で三脚をぶつけられ、再び気絶。

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    史郎は配達にいった喫茶アムールで、犯人の女子大生・真浦十紀(内藤)と出会う。アムールは十紀の叔母が経営していた。ふたりは同郷ということで、すっかり親しくなった。女子大生の十紀にコンプレックスを感じた史郎は、大学でインド哲学を専攻し、洋菓子店でアルバイトしていると嘘をついてしまう。
    何度も頭にタンコブをつくって、ついにヘルメットをかぶる舟木さん。カワイすぎるのでアップします(笑)

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    イメージ 27お菓子の好きな少女
    https://www.youtube.com/watch?v=dFv_bLVpoRs

    あの娘に贈ろう このケーキ
    夢で逢うとき ほほえむ娘
    お菓子を いつも手に
    虹の橋を渡る
    ぼくの 大事な こいびと
    夜明けと一緒に 消える人
    ヤイヤイ ヤイヤイ
    あの娘と いつの日語るだろう
    ホッホッ ホッホッ
    マロンの香りが ただよう娘

    ひとりのはかない 夢だけど
    明日を生き抜く 希望なのさ
    ぼくの 大事な こいびと
    あの娘に贈ろう このケーキ
     
     
    あの娘にあげたい このケーキ
    虹を呼ぶよに ほほえむ娘
    夜ごとに 夢で逢う
    可愛いあの娘だけと
    歳も 名前も しらない
    お菓子が好きだと わかるだけ
    ヤイヤイ ヤイヤイ
    あの娘に いつの日逢えるだろ

    ホッホッ ホッホッ
    チェリーによく似た 可愛い娘

    ひとりのはかない 夢だけど
    明日を生き抜く 希望なのさ
    歳も 名前も しらない

    あの娘にあげたい このケーキ

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    十紀の友達の誕生会に招待されたり、史郎が得意にしている和倉太鼓を披露したりと、ふたりの仲は急速に接近する。

    史郎の夢の中に出てくるおなじみのファンタジーのようなシーン

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    史郎は次第に嘘をついていることが苦しくなり、本当のことを打ち明け、逃げるように十紀と別れた。


    イメージ 28星にそっと (一曲目)
    https://www.youtube.com/watch?v=IoETs8Lj8I0

    心にきめた別れなのに
    ひとりの夜は泣けてくるさ
    ふたりだけの思い出が
    ひとりぼっちのぼくを苦しめる
    心にきめた別れなのに
    なぜか涙が
    なぜか涙が
    こぼれ落ちる


     
    イメージ 29未練はないと笑ってみても
    ひとりの夜は泣けてくるさ
    人眼さけて星にそっと
    恋の日記のページを開いてみせた
    未練はないと笑ってみたが
    なぜか涙が
    なぜか涙が
    こぼれ落ちる
     





    史郎の素性を知った十紀の叔父は、正月休みに十紀を能登へと帰郷させる。間もなく史郎も故郷に帰った。温泉芸者の母・まつ(山岡)は史郎を暖かく迎えたが、史郎は芸者である母を軽蔑していた。友人たちから太鼓打ちの誘いを受けた史郎は、和倉温泉一のホテルの舞台に立つ。そこで十紀と再会した史郎は、十紀がホテルオーナーのひとり娘であることを知る。

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    ふたりの仲は十紀の両親にも知られ、そのため十紀はホテル経営の勉強という名目で、米国留学させられることに。身分違いの恋を自覚した史郎は十紀に会い、別れを告げた。

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    東京に戻った史郎は、十紀がアメリカに発つ日、「サヨナラ」と書いた大きなケーキを作るが、見送りには行けなかった。船が港を離れても、十紀は史郎の姿を探し続けるのだった。

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    本日16日は舟木さんのコンサートが「ティアラこうとう」で開催されます。関東の皆さんはこの春はどっぷりと舟木さんを堪能されていることでしょうね。できれば、せっかく北陸新幹線も開通したことですし、金沢駅前にはアクセスも便利な立派なコンサートホール・石川県立音楽堂もありますから近いうちに、ぜひ金沢でもコンサートを開催していただきたいなぁと願っています。

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    *余談になりますが
    「星にそっと」の動画をそのまま続けて聴いていただくと3曲目に「夜更けの街の物語」もアップされていました。

    昭和の少女たちの「理想のお兄さん像」~「叱られたんだね」「夜更けの街の物語」「話してごらんこの僕に」 ときの記事では、「夜更けの街の物語」はyoutubeでは見つからなかったと書いてますが、なんとkazuyanさんの動画にあったんです。あらためてお聞きになってみてくださいね。

    最後に再び、「春はまた君を彩る」&「そばにいるから」のジャケットでときめいて下さいね

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    月刊歌の手帖 編集部ブログ webサイト  2015-04-15 11:50:37 テーマ:編集部員のひとりごと


    いつも編集スタッフというより、舟木さんの熱烈ファン目線でのブログをアップしてくださる「たくみ」さん
    今回も、とっても思わせぶりな記事です。転載させていただきました。


    先日、久しぶり…ものすごく久しぶり
    舟木一夫さんにインタビューしてまいりました

    前回は編集長が担当だったし
    その前は、BIG3さんでのインタビューだったので
    単独で取材させていただくのは
    2年振りかなぁ…。


    とにかく、久々でしたので
    あれやこれや伺いました。


    軸はやはり、
    先日、感動の光景を目撃したコンサートツアーのこと、
    5月27日に発売となる新曲「春はまた君を彩る」
    「そばにいるから」
    のお話

    心身ともに絶好調な様子で
    お話を伺いながら
    こちらまでウキウキとしてしまいました(笑)。

    やはり、舟木さんの思考やお話は
    とても興味深く、おもしろいです


    掲載はまだちょっと先ですが

    (ここに後姿のシルエットの写真)

    某スタジオにて。
    カメラマンの浅見健一氏が撮影
    すごく素敵な写真になっているはず


    たくみ@明日はコンサート


    「明日はコンサート(ティアラこうとうでしょうね)……16日のコンサートの模様もブログにアップしてくださらないかなぁ


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    桜が散ってしまって、ちょっと淋しくなりましたが、わが家の菩提寺の浄土真宗・桑名別院の山門脇には早々と牡丹が満開になっていました。

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    濃いピンクの牡丹

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    薄ピンクの牡丹

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    「月刊歌の手帖 編集部ブログ」に、先日15日に、たくみさんが「明日は、舟木さんのコンサート」と書いていらしたので、先ほど、何かご報告がないかとのぞきにいってみました。

    ありました、ありました たくみさん、いつもありがとうございます

    以下、転載させていただきます。

    舟木一夫さんのコンサートに、南こうせつさん 

    2015-04-18 15:34:33NEW !
    テーマ:2015年7月号

    昨日、舟木一夫さんのコンサートツアーinティアラこうとう
    に行ってきました


    夜の部開演前に
    5月27日発売の「春はまた君を彩る」
    を作曲された、
    南こうせつさんが楽屋へ

    2ショットを撮影させていただきました

    こうせつさん、朗らかで優しい方で…

    舟木さんのバンドメンバー・長谷川さんが
    こうせつさんによく似てる!
    という話から
    長谷川さんとも2ショットを撮影してくださり
    ワイワイと賑やかでした。

    舟木さんとは、どんなお話をしたのかなぁ…

    まさか、盗み聞きはできないので

    機会があったら伺いたいな…。


    こうせつさん、夜の部を最後まで聴かれていたそうで
    感想もまた、気になります


    おふたりの2ショットは
    5月21日発売・7月号に掲載


    コンサート本番、ほぼ満員で
    「歌詞を間違えちゃった」と最初から唄い直す場面もあったりして、おトクな感じ(笑)

    歌声もトークも絶好調でしたね 


    ちょっとオレンジがかった色合いの牡丹もありました

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    本日の舟木さんの歌声は「荒城の月」、kazuyanさんの動画でお楽しみ下さい。舟木さんのナレーションも入っています。

                                             滝平二郎氏の切り絵の切手「日本の歌シリーズ」より「荒城の月」


    イメージ 7荒城の月  作詩:土井晩翠  作曲:滝廉太郎

    春高楼の花の宴
    めぐる盃影さして
    千代の松が枝(え)わけいでし
    むかしの光今何処(いずこ)

    秋陣営の霜の色
    鳴きゆく雁(かり)の数みせて
    植うるつるぎに照りそいし
    昔のひかりいまいずこ

    いま荒城の夜半の月
    変わらぬ光たがためぞ
    垣に残るは唯(ただ)かづら
    松に歌うはただ嵐

    天上影はかわらねど
    栄枯は移る世の姿
    うつさんとてか今もなお
    ああ荒城の夜半の月



    1968年6月発売 アルバム・ひとりぼっち第2集収録

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    明治座公演 1970年8月1日~28日開催 夜の部「日本の旋律~荒城の月」


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    日本の旋律~荒城の月 音楽の主題に依る2幕
    作:霜川遠志  演出:松浦竹夫  
     
    滝廉太郎:舟木一夫
    黒岩涙香:伊志井寛
    滝大吉:花柳喜章
    大吉の妻:淀かほる
    広瀬武夫:内田良平
    高木チカ:光本幸子







    舞台脚本のあらすじ(パンフレットより抜粋)

     
    明治28年、舞台は大分県竹田町にある岡城址。戦勝の喜びにわきかえっている町の様子。竹田町では名士となった海軍軍人広瀬武夫中尉が帰郷しているとの噂。そこへ、竹田郡役所の小使い孫爺が東京の音楽学校の生徒滝廉太郎をさそってイメージ 11岡城址へ登ってきた。白絣の着流し姿で、どことなく弱々しい廉太郎である。彼は病気のため、一時帰郷しているのだ。廉太郎は、町の英雄広瀬武夫となにかと比較されるのだ。音楽がいまだ理解できない人々には音楽など、男子一生の仕事ではないときめつけられている。そこへ広瀬中尉が現れる。手に尺八を持った軍人とは見えない姿に驚く廉太郎。年代が異なっても二人の間には固い友情と尊敬の念がある。たんなる先輩後輩というのではなく心から信頼し合った美しい、燃えるような情熱で交際しているのだ。音楽を勉強する廉太郎の良き助言者は広瀬武夫であった。音楽を語り、芸術を語る二人には互いに共通するなにかがあった。廉太郎は自分で作曲した歌を彼の前で披露した。しかし、広瀬の口から出た言葉はきびしかった。廉太郎の精神が間違っていると言う。日本の音楽、西洋音楽を取り入れて新しい日本の旋律を創作するのが、滝廉太郎の目指す理想であろうと言うのだった。
     

    イメージ 8明治30年の晩春、
    廉太郎は東京麹町の叔父大吉の家に帰った。廉太郎は広瀬の言葉に励まされ新しい旋律を創作中だった。琴唄をたしなみ古い民謡にもあかるい大吉の妻の民子は廉太郎のよき理解者である。この日、廉太郎を慕う美しい高木チカ訪ねてきた。廉太郎はチカを呼び、新しく書いた曲をぜひ聞いてもらいたいらしい。廉太郎とチカは新曲の喜びを語り合った。その二人を寂しく見守る民子である。そこへ、夫の大吉が広瀬武夫と一緒に入ってくる。広瀬は近々露国へ留学するとのこと。廉太郎はそんな広瀬が羨ましい。自分も外国へ留学して西洋の音楽を研究したいと願っていたのだ。廉太郎は新曲「花」を弾きはじめた。岡城址で広瀬と誓った新しい音楽の第一作目だったからだ。それから一年が過ぎた。廉太郎は彼の才能を高く評価している「万朝報(よろずちょうほう)」の黒岩涙香に、留学して西洋人の風俗にもふれ、その音楽の精神を学ぶようにと勧められている、涙香は音楽学校が一名をドイツへ留学させることになったと告げる。涙香は「万朝報」の新聞記事で廉太郎を絶賛してくれた。しかしドイツ留学は廉太郎ではなく幸田幸に決定する。失望した廉太郎だが、気を取り直して、ピアノに向かった。新曲「荒城の月」が静かに流れていった・・。その一件以来、廉太郎は家に閉じこもりがちになったが、この頃には、童謡や唱歌にとりくイメージ 2んでいた。そして「荒城の月」や「箱根八里」が評判をよんでいた。しかし、留学への夢はあきらめきれずにいた。そんな廉太郎をやさしく包んでくれたのは民子であった。廉太郎に同情していた民子だったがいつしか淡い情愛をかけるようになっていた。廉太郎も民子の心やさしい好意のすべてに許されない心のうずきを感じるのだった。そんな時、念願だったドイツ留学が決まった。
    明治25年、ドイツに留学した廉太郎は研究途上で病に倒れた。帰国した廉太郎は故郷の町に戻ってきた。思い出の岡城址に立つ廉太郎は今日までの過ぎ去った事が走馬灯のように浮かんでくる。「永遠」という言葉は滝廉太郎の魂であったろう。「荒城の月」の旋律が草陰にただよい流れていく中を滝廉太郎はその短い生涯を終える。

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    本日は一日中強い雨だったので、ずっと家に引きこもり状態…この写真は、2日ほど前に撮影しました

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    私が通っていた、精義幼稚園の藤棚がいつの間にか藤色になっていました
    …といっても昨年から閉鎖になっています。子どもの数が開園条件の人数に満たないのです



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    タイトルの「智頭町の地酒・絶唱」

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    4月10日に、「絶唱」のロケ地となった西河克己監督の生誕地である鳥取県智頭町への舟旅を楽しんできました。その時には、こんな嬉しい名前の地酒があることを知らなかったのですが、後で舟友さんに教えていただきました。早速、智頭の諏訪酒造をネットで調べて、メールで注文して送っていただきました。私は、醸造アルコールが使われていると、どうも悪酔いする気がするので、日本酒を買う時には原材料を確認しているのですが、幸いにも、米と米こうじのみで造られているので安心して注文しました。やや甘口ですが、しっかりした吞み口です。「絶唱 克己」の書は、監督の直筆だそうです。西河監督が後年、何人かのお仲間の映画関係者の方たちと「智頭雪祭」に来訪された際に地酒として「絶唱」という銘で造られることが発案されたと某鳥取県の観光案内書に記されていました。


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    マコちゃん、舟木さん、西河監督のスリーショット

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    「1966年11月号 近代映画・別冊」に「絶唱」の撮影風景が舟木さんの日誌スタイルで記録されています。(一部を抜粋します)

    どこまでも追いかける熱烈舟木さんファンの女性たち、地元の方たちもまじってるようです、これは奥多摩かな?

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    ○月×日

    本日より「絶唱」のクランク・イン。早朝、6時半出発の奥多摩ロケ。奥多摩神戸(かなと)岩でマコちゃん扮する小雪と愛を誓い合うシーンの撮影。~中略~午後は撮影所で本読み。

    奥多摩神戸岩

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    ○月×日

    奥多摩ロケ。神戸岩の続きのシーンの撮影に入る。谷間の狭い道をゲタばきで走るシーンを撮影したが、足もとが悪いために足をすべらし、尻もちをつく。

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    ○月×日

    埼玉県小川町にロケ。東京から車で2時間半もゆられてロケ現場につく。ロケ現場は田舎の旧家を借りて、ここが僕の役・園田順吉の育った家ということになる。午前中は気に入らぬ縁談をすすめる父親(志村喬さん)と喧嘩をして、家出するシーンの撮影。自分の納得のいく演技ができなくて、ワンカット撮るにも二時間を費やす。


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    大きな荷物(花嫁)を抱いての撮影は、全部でテストまで入れると七百メートルぐらい歩かされた計算になる。久しぶりにいい運動をした。野球で九回完投しただけの疲労はある。

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    車から降りて小雪を抱きかかえて園田家の門から玄関に向かって歩くシーンは、この旧家の外観が使われているようです。

    ○月×日

    奥多摩ロケ。山頂でマコちゃんとのラブシーン。西河先生にまるで丸太ん棒と丸太ん棒が二本重ねてつっ立ってるようだと批評された。ニガテなシーンが終わったとたん「おォ」と両手をあげて喜んだ。いちばん苦に思っていたところだったのだ。

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    ○月×日

    一時、撮影を抜けて石川県小松を振り出しに巡業に出たが、淡路島の洲本から鳥取に入り、鳥取ロケ第一日目を迎える。舞台が山陰地方なので、鳥取の砂丘を入れての大ロケーション。
    まず最初に、材木置き場で丸太を運ぶシーン。大きな丸太を肩にかけて運ぶのだが、この作品ではまったく重いものを抱きかかえたり、運んだりで、力を強くするトレーニングに励んでいるようだ。

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    撮影はこのシーンだけだったので、午後からは日本海を相手に大奮闘、といってもこの夏初めての水泳を楽しむ。東京近郊とは違い、すき通るようなきれいな水に挑戦した。白兎海水浴場といって「因幡の白兎」で有名な海岸。


    ○月×日

    鳥取ロケの二日目。早朝から砂丘のロケ。鳥取大砂丘国立公園とあって実に素晴らしいものだ。五百人のファンに囲まれての撮影。兵隊服に身をつつんだ順吉こと僕は、さすがに軍靴を履いての砂地の上の歩きではバテ気味だった。

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    現場が移動すると、それにつれてファンの列が一緒に移動する。五百人のファンの人が移動するのだから大変な砂ぼこり、顔、頭は真っ白になるし目には入るしで閉口した。

    写真の向かって左が兵隊服で移動する舟木さん。舟木さんについていくファン、おまりさんも大変だ!

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    しかし、暑い中をロケ見物にいらしたファンの方々には感謝します。砂丘では色々と珍しいものを見た。まずスキー用のリフトが砂丘を横断し、そこから広々とした砂丘見物ができるようになっていること。ラクダがいて、さながらアラビアン・ナイトの王様になっているような錯覚におちいった。馬にも乗ってみた。マコちゃんは上手に乗りこなしていたが、僕はあまりうまくいかない。


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    kazuyanさんの動画でお楽しみ下さい



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