12月23日千穐楽の「お出迎え」&「お見送り」の模様~舟友さんからいただきました
演舞場アフタートークの進行役石川氏の「石川敏男の芸能デスクレポート」
「舐めている飴はプロポリス」舟木一夫“超熱狂的”ファンの恐るべき情報収集能力とは?
石川敏男(いしかわ・としお)
昭和21年11月10日生まれ。東京都出身。『ザ・ワイド』(日本テレビ系)の芸能デスク兼芸能リポーターとして活躍、現在は読売テレビ『す・またん』に出演中。 松竹宣伝部、『女性セブン』(小学館)『週刊女性』(主婦と生活社)の芸能記者から芸能レポーターへと転身。
サンクスコンサートれぽーと 12月24日 14時開演 1部&2部
いらっしゃいませ。腕がだいぶよくなったんですわ、まだ痛いですけど、老衰ですね。ハ、ハ、ハ…
実録を読むと嫁は信子って書いてありますね。どっちでもいい(笑)昔は子というのが女の子の名前についてたですが…
結構、実録とかお読みになった方がいらっしゃると思いますがサギみたいなこといっぱいやってるんですね。
すみませんお待たせしてます~と着席している他のお客さんに向かって気遣われる舟木さん。
麟さんが出てきたよ!チョー現役です(笑)~麟太郎を演じた子役さんも列に並んで花束のプレゼントをされました。
昔の一家の柱は親父さんだった。威張ってましたね。最近は親父の方が遠慮するようになったですね。親が子どもに気を遣うなんてヘンなハナシですが子どもは子どもで親に気を遣ってるんでしょうね。それではチョイと着替えて…
一部 2時10分~
~予定より10分ほど遅れての開演でした。~
白の光沢ある地模様の入った織りの着物姿で登場。襦袢は渋いグリーンかグレー系に見えました。帯は白にグレー縞、素足に雪駄、鼻緒も光沢のあるグレー系のような感じ。
さいはての月 作詩:舟木一夫 作曲:船村徹
凍りつく夜の深さに
思い出が揺れて泣いてる
死ぬまでと命からめた
遠い夜今はまぼろし
いつまでも待つと言ってた
あの人のここは故郷
三十代半ばに、船村先生が作られたメロディーに舟木さんが詩をつけられたとのこと。最初に別の詩がつけられていたそうですが、船村先生の気に入らなかったとか…。それで先生がディレクターに舟木さんにやってもらってくれと言われたというエピソードを聞いたことがあります。オフィシャルの音源になっていないようですがコンサートではよく歌っていらっしゃいますね。透明感のある詩とメロディーで「宵待草」「ゴンドラの唄」の系譜に連なる日本の歌曲のような印象です。
https://youtu.be/1fqZCYTJFNE (kazuyanさんの動画)
(1977年)十五周年アルバム舟木一夫大全集「限りない青春の季節」収録
ここで色っぽいものを…
二部
https://youtu.be/SLD-ZBMSsVY
~糸車~ WHITE(1982年)
この辺ですね。時代が出てる。「♪好きなレコード廻す…」歌詩が時代を背負ってるワケです。
当時ステージやるときにこんなタイプの歌が欲しいということでやりはじめたワケ。でもレコード会社とこっちのが合わない。その頃に舟木一夫はニューミュージックへ行くのか?…なんて云われましたが、こんなの当たり前の流行歌ですけどね。
この辺は説明のしようがないのでボーッと聞いてください。
https://youtu.be/HJKtM0JZJxc
まあ「下町どこさ」っていう歌はこういう時代に育った人じゃないとわからない…
来年の7月25日に、ここでまたシアターコンサートがあるんですね。去年は遠藤実スペシャル、今年は船村徹の世界、来年は「ひばりが翔んだ日々」また覚えるのがたいへんですけど。
この二曲はひとつは作ってからしばらくは歌わなかった。やっと十年くらい経って40くらいの時に歌ったらたどりつけるようになった。ふたつ並べました。どちらも僕の好きなタイプの歌
さて、ここは皆さん、ずっとラクしてますからちょっとコキ使ってみようと…さあ行ってみよう!~と元気いっぱいのかけ声で上着を脱ぐ舟木さんに客席も総立ち!
~スタンディング
https://youtu.be/tD2xOOI5Iic
https://youtu.be/jzRhqhInPrA (kazuyanさんの動画)
ピアノ演奏による組曲
https://youtu.be/0ISLUhVc6AY
https://youtu.be/JEJt9wxBhdM (太陽がいっぱいST)
ラストブロックの「ラブソング」というくくりを「れんげ草」から「夢幻-MUGEN-」へという流れで聴かせていただく幸運を嬉しいことに何度か経験しています。この2曲をつなげて歌われる舟木さんのセンスというか感性を、私はとてもステキだと感じます。
舟木さんの肖像画~「Face Face フェイス フェイス ShiShi YAMAZAKI」
株式会社双葉社のプレスリリース(2015年12月10日)
いま注目のアーティスト・シシヤマザキの画集1作目がついに発売!!
YUKIのミュージックビデオや、ルミネカードのCM映像で知られる気鋭アーティスト初の画集
メインコンテンツは、今回のためにゼロから描きおろした肖像画シリーズ。
北野武、七尾旅人、最上もが、BABYMETAL … etc. 各業界で革新的なチャレンジを続ける人々のポートレートが並ぶ、豪華ラインアップ。さらに、肖像画の制作過程や過去の作品、ライフワークプロジェクト“Mask”など、現在のシシヤマザキのすべてが詰まった1冊です。
シシヤマザキの画集Vol.1 30人の顔・顔・顔!
「Face Face フェイス フェイス
ShiShi YAMAZAKI」
発売日 2015年12月11日
判型 B5・上製本
定価 本体3,000円+税
【CONTENTS】
-Portraits-
各業界で革新的なチャレンジを続けている「人」にフォーカスした肖像画シリーズ。BABYMETAL、関根勤、高橋幸宏、ローラ、ギターウルフ、リリー・フランキー、甲本ヒロト、POLYSICS、矢野顕子、片山右京、電気グルーヴ、宮藤官九郎、八代亜紀、TOWA TEI、園子温、遠藤ミチロウ、堀江貴文、綾小路 翔、中嶋悟、最上もが、舟木一夫、七尾旅人、北野武( 掲載順)
-Mask- 1日1個の“顔” を描き続ける、2010年から続くライフワーク。
-In Progress- アトリエに設置した定点カメラで、1枚の肖像画が生まれる過程を公開。
-Works- シシヤマザキがこれまでに制作した代表的な作品たちを、一挙に収録。
-Profile- 肖像画を通してシシヤマザキが再発見した被写体たちの印象を掲載。
水彩画風の手描きロトスコープアニメーションを独自の表現方法として確立。代表作に「YA-NE-SEN a Go Go」「YAMASUKI YAMAZAKI」等を発表。ライフワークとして一日一個の顔「MASK」を毎日作り続けるプロジェクトも行う。自分自身をモチーフにしたアニメーションは、世界中のアートアニメーション& クリエイティブイベントで上映され続けている他、PRADA や資生堂といった世界的なファッションブランドのプロモーションにも起用されている。
新橋演舞場千穐楽&サンクス「お出迎え」「お見送り」総集編/ by kazuyanさん
舟木さんを探すさんぽ径~「気ままにてござ候/小吉と海舟」ゆかりの地、両国へ
さて、今年ラストのブログの記事。これを年内にアップしないと2015年は終わらない?
勝海舟は幕末と明治の激動期に、世界の中の日本の進路を洞察し、卓越した見識と献身的行動で海国日本の基礎を築き、多くの人材を育成しました。西郷隆盛との会談によって江戸城の無血開城をとりきめた海舟は、江戸を戦禍から救い、今日の東京都発展と近代日本の平和的軌道を敷設した英雄であります。
この海舟像は、「勝海舟の銅像を建てる会」から墨田区に寄贈されたものであり、ここにその活動にご協力を賜った多くの方々に感謝するとともに、海舟の功績を顕彰して、人びとの夢と勇気、活力と実践の発信源となれば、幸甚と存じます。
海舟生誕180年 平成15年(2003)7月21日(海の日) 墨田区長 山昇
http://www.sumida-gg.or.jp/arekore/SUMIDA024/guide/g-28.html
7歳 文化5年(1808) 旗本勝家へ養子縁組、祖母と娘を男谷家に引き取る。
9歳 文化7年(1810) 男谷家、本所亀沢町に転居
22歳 文政6年(1823) 麟太郎生まれる。
24歳 文政8年(1825) 本所割下水北の旗本天野左京敷地内に住む。
26歳 文政10年(1827)本所割下水南、旗本山口鉄五郎敷地内に転居。
30歳 天保2年(1831) 本所入江町の旗本岡野孫一郎の屋敷内に転居。
37歳 天保9年(1838) 隠居、麟太郎家督相続16歳
49歳 嘉永3年(1850) 小吉死去
勝小吉
14歳の時、養家の祖母との確執から出奔。4ヶ月に及ぶお伊勢回りの乞食旅を経て帰宅。その後、無役から役付きになろうと運動するが果たせず、剣(直新影流)の鍛錬と喧嘩、吉原通いに明け暮れる。21歳で再び出奔。甥の新太郎(後の剣聖男谷精一郎)に説得され帰宅するが、父によって丸3年間座敷牢に押し込められる。出牢後、再び役付きの運動をするが実現せず、生活費は処道具の売買、刀の目利きなどをして自ら稼ぐこととなる。その後、深川本所の顔役のような存在となり、生涯無役として市井に埋もれ、37歳で隠居、夢酔と号す。嘉永3年49歳で死去。息子麟太郎は後の勝海舟。娘のお順は佐久間象山の妻。
パンフレットより一部転載させていただきます
江戸時代には侍の身分を金で買ったり、ふさわしい跡継ぎがいないので、養子をとって家を存続させたりという「合理的」な話が珍しくありません。小吉は私たちが想像する以上に、忠義や義理に縛られない、現代の我々に近い自由な感覚の持ち主だったと思われます。随筆「夢酔独言」で自分の半生を振り返り、「私のように生きてはいけない。孫子の代に教訓として伝える」と書いてはいますが、その実、自由気ままに生き、愉快、痛快な人生だったこをと誇らしげに披瀝しています。~
~勝小吉と勝海舟は、ともに閉塞した幕末江戸の下級旗本の世界に生まれた。小吉は脱出できなかったが、その代わり自叙伝のなかでその生活ぶりを描写してくれた。海舟は、黒船来航を機に、みずから閉塞社会に風穴を開けて飛びだすことに成功し、幕末の陸軍総裁、明治国家の伯爵にまでのぼりつめた。一八〇二年に生まれた親の小吉と、一八九九年に没した子の海舟が、二人して明治維新をはさむ十九世紀をフルに生きたストーリーである。~(カバー記載文)
大口勇次郎
(1935年8月~ )日本の歴史学者、お茶の水女子大学名誉教授。近世社会史、女性史専攻。
2016年 あけましておめでとうございます
そして「坊ちゃん」と言えば私たち舟木さんファンにとってはとりわけ親しみ深い作品ですね。
好きなばあやの お清に別れ
初の船旅 四国へ来れば
キザな赤シャツ まぬけな野幇間(のだいこ)
暮れりゃ 東京の灯が恋し
田舎湯町の 中学教師
起きりゃ楽書き ねむればイナゴ
餓鬼のうるささ ところの狭さよ
今日も思案の 湯のけむり
あそこ行くのは マドンナさんか
蔭に赤シャツ ウロチョロと
明日は東京 辞職ときめたよ
投げた卵の 気持ちよさ
http://www.fujitv.co.jp/bocchan/
舟友kazuyanさんからのお年玉/2016年動画の第一作~2015年新橋演舞場の舟木さん
舟友のkazuyanさんからのステキなお年玉を感謝を込めてご紹介させていただきます。
https://youtu.be/_1WJu0bPWlY
2016年 舟木さんの年賀色紙~日本コロムビアHPより
http://columbia.jp/nenga2016/
https://youtu.be/jck3fj8mKKo
風のままに 雲は流れる
何を夢みて 俺は今旅立つ
ざわめきに消えた 春の短さ
にぎりしめて 涙ぬぐえば
空は 空は ただー夕やけ
過ぎた季節を 花をふといとしむ
あのひとに友に 告げたさよなら
にぎりしめて 涙ぬぐえば
空は 空は ただー夕やけ
つばさ深く 抱いてとびたい
高く遠く ただーはるばる
2016年 スケジュール (随時更新)
1月20日(水)
1月21日(木)
舟木一夫特別公演
新春歌いぞめ 舟木一夫特別公演 1972年 浅草国際劇場
神田日本橋 花が咲く
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
腰の鳶口 伊達には差さぬ
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
響く雷 夏の雨
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
可愛いあの子を 濡らしちゃならぬ
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
背中の薄と 野狐と
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
母の情が 男のいのち
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
雪が降ろうと 一番乗りだ
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
渡すもんけぇ この消口は
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
流行歌手誰もが一つの目標としてこの劇場の舞台に立つ事を強く、切に望む浅草国際劇場、僕もやはりデビューした昭和三十八年、いえそれ以前にこの劇場の前に立って大きなファイトの中でそう思いました。
いつか、きっとこの国際劇場のステージで思いっきり歌いたい、いやきっと歌ってみせる…。
十七才だった僕の少々生意気なその記憶は、今もはっきりと残っています。そして十八才になり三十八年に歌手の仲間入りをし幸せにもその翌年、三十九年の三月望みがかない、しかも自身のショーを開き、その初日の幕が上がって超満員のお客様にかこまれた時の喜びと興奮。まるで昨日の事の様に覚えています。それなのに四十年の秋以来、随分と御無沙汰をしてしまいました。申し訳ありません。お許しください。でも、早いものですネ。今年はこの世界の一員となって十年目になります。十周年と言えば何はともあれ、一つの区切りである事に間違いはないと言う気がします。となれば、やはり初めて自分のワンマンショーをさせていただいた下町浅草のこの舞台で御礼と御挨拶をするのが当然の事だと思います。六年ぶりのこの国際のステージ、久しぶりに歌謡ショーらしいショーをごらんいただけそうです。十周年の年の唄い初め、力の限りやります。唄いまくります。
キャスト・スタッフの皆さんも大いに張り切って下さっています。ほんのチョッピリ御期待下さい。何だか話が前後になりましたが、お正月休みも終わって、御多忙の所を本当にようこそおいで下さいました。御礼の申し上げようもございませんがその御礼はステージからとショーの中から心をこめて申し上げます。
十周年記念の今年、僕自身も悔いのない年になる様に頑張りますが、お客様にとっても素敵な一年であります様お祈りします。
あっ…イケネェ忘れてた…
明けましてオメデトウゴザイマース。
暖冬ですが、季節感のある歌が聴きたくなりますね~「北国の旅情」
寒の入りに梅ほころぶ 京都・北野天満宮
暖冬でスキー場は雪不足 兵庫1月5日19時08分
スキー場によりますと、11のコースのうち現在、営業しているのは初心者向けのコース1本だけだということです。全長700メートル、幅およそ20メートルのコースに40センチほどの人工雪を積もらせていて、山肌に白い雪の帯が出来たような光景が広がっています。
このスキー場では朝晩も気温が下がらず、人工雪がすぐとけてしまうため、毎日、早朝や夜間にゲレンデを整える作業に追われているということです。
大阪市から訪れた女性は、「一面の雪景色を期待してきたので少し残念です」と話していました。
また、神戸市の男性は、「雪不足のため、とにかく滑れるところをと思い、いろいろ調べて、ここに来ました。ウインタースポーツが好きなので雪が降ってほしいです」と話していました。
スキー場を運営する鉢伏開発観光ハチ事務所の西坂智所長は、「こんなに雪がないのは、記憶にありません。京阪神のスキーヤーを中心に滑れるかどうかの問い合わせも多く、今後、雪が降ることを期待したいです」と話していました。
https://youtu.be/dAK-mgnVCs8 (kazuyanさんの動画です)
雪にふるえる 北の町
胸は高なる あのあこがれの
かがやく嶺に 夢はとぶ
あゝ ただひとり
青春の青春の 旅の朝
嫁いで行くよ 明日の日は
君の涙は 忘れはしない
さよなら言って 別れよう
あゝ ただひとり
青春の青春の 旅の空
登る谷間の 岩かげに
春を待つのか 雪割草よ
ふまずに行こう 君のため
あゝ ただひとり
青春の青春の 旅の路
十朱幸代:金井由子
東野英治郎:河原吉之助
山内賢:河原健二
ほか
あらすじ 映画comより
石坂洋次郎
日本の小説家。青森県弘前市代官町生まれ。慶應義塾大学国文科卒。戸籍のうえでは7月25日生まれになっているが、実際は1月25日生まれ。
「北国の旅情」の原作になったのは「霧の中の少女」だそうです。「北国」という言葉をタイトルに使ったのは大正解だったと思います。(参考 http://ameblo.jp/seven7-eight8/entry-11337380465.html)
https://youtu.be/b6DjBdLOUic (kazuyanさんの動画です)
「北国の旅情」と刈干切唄~日本の山村で歌い継がれた仕事唄、その抒情の香り
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69253024.html
七草粥&日本テレビ「石坂洋次郎・青春シリーズ」&萩原駅名入りキイホルダー
梅干し、きくらげのしぐれ煮、松味楽(鰹節のしぐれ煮)、だし巻玉子
*しぐれ(煮)は、本来は蛤やあさり、しじみなど貝類を生姜と一緒にたまり醤油で煮詰めたものですが、ふき、昆布、葉とうがらし、海苔などいろんな素材をたまり醤油で煮た「ご飯の友」もあります。
砂糖は使っていないか、使っていても少量だと思いますので佃煮ほど甘くなくてあっさりとしていてご飯がすすみます。
https://youtu.be/-2s3l4ZdoyA (舟友のkazuyanさんの動画です)
https://youtu.be/82GYjell9pA (舟友のkazuyanさんの動画です)
あいつと私(1967年2月13日~7月3日放映)
https://youtu.be/yFdivav89qQ (舟友のkazuyanさんの動画です)
2015新橋演舞場公演によせて~舟友さんの最新動画二作品&パンフレットから
ガラスの架橋 作詩・作曲:上田成幸 編曲:杉村俊博
(1983年4月 アルバム「WHITEⅡ」収録)
愛の海を 渡る
細々と 透きとおる
ガラスの架橋(はし)に立ち
みち潮の 波に濡れて
くちづけを 交わす……
風に散る薔薇の 紅は色濃く
どこまでも夜を 染めてひろがる
――朝の光 うしろ姿
さ・よ・な・ら あなた――
命さえも 冷やす
音もなく 崩れ去る
ガラスの架橋は 今
ひき潮の うねりにのまれ
深々と 眠る……
息たえた愛の 影をうつして
はるばるとゆれる 蒼い蜃気楼
――朝の露を 肌にからめ
消えゆく あなた――
旅を行くひとの 愛をついばむ
――朝の白さ 空の高さ
さ・よ・な・ら あなた――
上村氏は、歌舞伎の劇評などで、お名前は存じ上げてましたが、長年にわたる新橋演舞場公演を通じて、プロの目で演技者としての舟木さんをとらえてくださってきたことが歌舞伎ファンとしても本当に嬉しく、過去の「随談」も遡って拝見しました。
新橋演舞場 舟木一夫特別公演 巷談・勝小吉―気ままにてござ候―
~パンフレットより一部転載させていただきました~
舟木一夫のダンディズム 演劇評論家 上村以和於
ちょうど十年前になるが、還暦を迎えた洒落に赤いチャンチャンコならぬ赤の詰襟を着て、デビュー曲の「高校三年生」を歌って見事にさまになっていた。体形のことをいうのではない。わけても私が偉とするのは、年齢と共にそのダンディぶりが深まっていくことで、その秘密はこの人の内にあるシャイネスと結びついているに違いないと私は睨んでいる。
~中略~
普通の歌手芝居とは違う、という声は共演者など玄人筋の間で早くからあったと言われるが、かれこれ十余年になるか、NHKの朝ドラ「オードリー」という、往年の時代劇映画全盛時代の撮影所を舞台にしたドラマで、林与一とふたりで、片岡千恵蔵や市川右太衛門、長谷川一夫といった大御所スターをつきまぜたような二人の人物を受け持ち合って演じたことがあった。私などはもっぱら二人の登場する場面が目当てで見ていたようなものだったが、こうした役がそれらしくつとまるには、挙措動作からものの言い様まで、相応の心得が必要になる。時代劇の舞台の骨法を知る貴重な演技者の一人として既に評価を確立しているが、舟木自身、長谷川一夫、大川橋蔵といった人たちの知遇を得たことの意義を語っている。
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2015_12.htm)
今月、舟木は野口雨情を演じている。第一回の演舞場公演のときも雨情だったから、いわば再演だが、四回目には竹久夢二を演じている。(この『宵待草-夢二恋歌』は脚本もなかなかよく、過去10回の中でも出色だった。)こういった、明治から大正・戦前の知識人や文化人の役をするときの舟木というのは、じつはちょっとおすすめといっていい。
演舞場公演では、『沓掛時次郎』や『雪の渡り鳥』『瞼の母』といった長谷川伸の有名作や『月形半平太』『狐の呉れた赤ん坊』『薄桜記』といった時代劇の有名作も演じていてそれも悪くはないが、それよりも雨情や夢二を演じる舟木の方が、演技者としての資質からいっても、わたしには興味がある。
それから幾星霜、妙な大家などになり遂せず、いまも瑞々しさを保っている舟木一夫という才能に、私は関心を抱くようになった。
同じこの月、三越劇場では新派がかかり、波乃久里子の鶴八を相手に風間杜夫が鶴次郎を演じている。前にも既に『風流深川唄』を共演しているから、こんどまた無事つとめ遂せたことで、これは今後のひとつの路線と成り得るであろう。まだ発声にちょっと疑問が残るものの、『鶴八鶴次郎』という新派古典をさほどの違和感なく勤められるというのは、つまるところ、身体に新派と馴染み得る雰囲気を持っているからだ。舟木が若き日に誘われたというのも、そこを見てのことだったに違いない。それをいうなら、すっかり新派俳優になり切ってしまった菅原謙二だって安井昌二だって、もとは映画俳優だったのだ。(それにしても、風間杜夫がかつて大友柳太朗の『怪傑黒頭巾』の子役だったというのは、ちょいとしたトリビアである。)
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2006_08.htm)
2013/06/12 随談第498回 今月の舞台から ~ 一部抜粋
今度は里見浩太朗をゲストに『花の生涯』の長野主膳というやや物々しい時代劇だったが、それでも、セリフの緩急や身のこなしなどに、昔の時代劇俳優が身につけていた「時代と世話」の使い分けを心得た演技をするので、気持ちがいい。長谷川一夫でも千恵蔵・右太衛門でも、萬屋錦之介でも大川橋蔵でも、つまりそれが、歌舞伎で修行をした役者としての「教養」だったのだ。ちょっと大風呂敷を広げて演劇史的に見るなら、いま急速に終りを告げようとしている商業演劇としての時代劇という観点から見ても、間接的にせよそうした時代劇俳優の演技伝承の流れを汲んだ舟木あたりが、時代劇の俳優としての「教養」を身につけている最後の役者ともいえるわけだ。(演技の味付けに、いわゆる歌手芝居独特の調味料が加えられているのは是非ないとしても。)
もうひとつ、筋書に水落潔さんが書いている文章に、昭和28年に初代猿翁が演じて以来の『花の生涯』の劇化上演とテレビドラマについて簡単に触れられているが、映画のことが触れていないので蛇足を加えさせてもらうと、劇化と同じ昭和28年秋に、松竹で映画化されている。当時として、かなり力を入れた大作だった。八代目幸四郎の直弼、淡島千景の山村たか、高田浩吉の長野主膳という配役だったが、のちの白鸚にとってはこれが最初の映画出演だったということもあるので、忘れられないために書き留めておきたい。
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2013_06.htm)
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2014_09.htm)
上村以和於氏のプロフィール
山村女子短期大学教授。
慶応義塾大学文学部・大学院修士(英文)修了。
77年より歌舞伎劇評・評論活動を「演劇界」などを中心に開始、94年より「日本 経済新聞社」の劇評を担当。
94年、第28回関西文学賞(文芸評論部門)受賞。
著書に『歌舞伎の情景』(演劇出版社)『演劇の季節』(関西書院)など。
1994年 新歌舞伎座 舟木一夫特別公演「はぐれ鴉」パンフレットから
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70180513.html?type=folderlist
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70191707.html
その時はたしか「江戸の淡雪」と言うお芝居をやらせていただいたと記憶しています。
二十二年ぶりと言うのは、我ながら表現の仕様がなくて”タハハ…”などとごまかすしかないのですが、実はそれよりも何よりもボクが、この新歌舞伎座の舞台に想い入れが深いのは、はじめて、一ヶ月公演をさせていただいた舞台だから。あの時、二十一才だった、ボクが今年、この公演中には五十才になります。
二十一才の少年が五十才の青年になり――どうも、この新歌舞伎座とボクの間には、うれしい因縁があるようです。当然のことながら懸命に努めます。
お芝居と歌、それぞれのスタッフ、先輩方によりかかりながら、年末の慌ただしさをひとときお忘れいただけるような楽しい舞台にしたいと思います。
本日は御来場、本当に有難うございました。どうぞ、ごゆっくりと。
~この作品を書くに当たり、やはり舟木さんの持ち味である爽やかさ、永遠の青年ぽさなどを損なわないように、苦慮しました。そこで生まれたのが、旗本の次男坊を主人公とし、その人生流転を描いた「はぐれ鴉」です。オリジナルで初演ということでもあり、作者の欲としましては、書き足りない、描き足りない部分が力不足もあって多々あり、自分の未熟さに恥じ入るばかりですが、そこをベテラン田中林輔氏の巧みな演出が支えて下さり、更には座長舟木さんの力演は元より、三浦布美子さん、土田早苗さん、小島秀哉さんらの名演技者陣に助けられ、どうにかこうにか世話ものの形になった、と自負しております。
清三郎達が帰るのと入れ替わりに、お雪が三郎三、小文太の手下を従え、盗っ人の黒装束で現れた。それを迎える店主の丑松。彼らは盗賊の一味であり、お雪は”ましらのお雪”と二ッ名を持つ彼らの首領であった
翌日になり、越中富山の和平がおしのの元を訪れて来て、彼女が探しているお雪という娘について報告する。見つけ出すことは出来なかったが、江戸には、ましらのお雪と名乗る盗賊がいると言う。女賊お雪…顔を不安に曇らせるおしのであった。続いて、新九郎を探していた庄太夫が奈良平と共にやって来て、新九郎と再会する。庄太夫の話から、新九郎の素性を知ったおしのの表情が一変した。そして庄太夫は、清三郎が心臓発作で急死して、いますぐ戻って新九郎に家督を継いで欲しいという彦左衛門の言葉を伝えた。ひづるは今も後家として屋敷に残っていた。新九郎は、家に戻ることを決心する。すると、さきほどから話を聞いていたおしのが、自分も神谷家へ同行したいと申し出る。どうやらおしのは、彦左衛門を昔から知っているようだった。そんなおしのへの疑惑と謎に新九郎は茫然となるのであった。
第二幕 第一場 神谷家役宅・邸内(半月後・昼と夜)
それから数日後、新九郎はお雪の居場所を突き止めて、おしのと一緒に彼女が女将をつとめる「二合半」にやって来た。店では、小りんがまた酔い潰れている。新九郎は、小りんから清三郎がいつも弟にすまない、と言っていたと聞いて、兄を許す気持ちになる。一方、おしのは、お雪につい説教じみたことを言ってしまうが、そんな様子にお雪も肉親の愛を感じる。母娘と名乗れぬまま、二人はたがいにもどかしいような胸の内をぶつけ合うのであった。
第二幕 第三場 *三十三間堂の境内(続く夜)
新九郎は怒りの刃を抜き、小笠原を成敗した。そして新九郎はお雪に、おしのと共に信州で暮らすことを勧めるが、彼女は罪は償わねばと、自訴して出る。
*江戸三十三間堂(えどさんじゅうさんげんどう)
江戸時代、江戸の富岡八幡宮の東側(現在の江東区富岡二丁目あたり)にあった仏堂。京都東山の三十三間堂(蓮華王院)での通し矢の流行をうけて、寛永19年(1642年)11月、弓師備後という者が幕府より浅草の土地を拝領し、京都三十三間堂を模した堂を建立したのに始まる。
第二幕 第四場 小塚原刑場(半月後・早朝)
お雪の市中引き回しの行列が到着した。その前へとび出し、彦左衛門が役人に土下座する。そして母娘の別れをさせてやってくれと頼み込んだ。万感の思いで今生の訣れを果たすおしのとお雪。お雪が刑場の露と消えた後、おしのはかんざしで胸を突こうとするが、そこへ飛び出した新九郎に止められる。
そこで新九郎はおしのに強く生きることを説得し、自分も新しい人生を踏み出すのだと、未来へ向かって去って行くのであった。
ありがとう、あなた 神山享也(音楽評論家)
ご存知「高校三年生」でデビューしたのが昭和三十八年六月。あのツメ襟の学生服で歌った、なんとも清潔感あふれる歌声は、たちまち若者の心を捕えた。そしてデビュー三年目。彼は映画の主題歌でもあった「絶唱」で日本レコード大賞・歌唱賞を手にしている。二十二歳の時だ。この賞は、設立されて八年目。それまでの歌唱賞受賞者は、第一回がフランク永井、ついで美空ひばり、アイ・ジョージ、三橋美智也、再びフランク永井、そして岸洋子、越路吹雪。そうそうたる顔ぶれだ。デビュー以来、歌に映画に、ステージにと超過密スケジュールに追われ、無我夢中にやってきた彼にとって「歌唱賞」は大きすぎた。いきなり、エリ首をつかまれて引き戻された感じだっただろう。ハナ高々、有頂天になれる歌手だったら、そんな感じは受けないだろうが、彼は、どこか負い目のようなものを感じて、この道を歩いていた。
「たかが流行歌手、されど流行歌手」。彼がよく口にする言葉だ。が、当時は”たかが流行歌手”とひらき直るだけの歌手としての自覚も自信もないままにやっていた。ともかく、レコーディングは、いつも夜十一時すぎという強行スケジュール。ちなみに、その時、昭和四十一年に、彼はシングル十枚、アルバム四枚、映画主演作四本、大阪・新歌舞伎座など一ヶ月公演が二本。これでは、ふと我にかえって…などという余裕もなかったにちがいない。
”たかが流行歌手”の二十歳前後の若僧がグリーン車に乗り、高級車で移動する。そのことが彼には普通の生活を送っている人たちへの負い目となってしまった。”されど流行歌手”と、世代を超えて生き続ける作品を、自分自身と切り離して考えられるようになるまでに、何年かかったことだろう。
彼はあるときひとつの決意をした。歌唱賞受賞曲「絶唱」の”歌断ち”。そんなこと―と思われる人もいるだろう。これが、”たかが”と”されど”にこだわる彼らしい発想だ。~中略~歌断ちなど、子どもっぽいとおっしゃる方もいるでしょう。しかし、彼は、デビュー当時の、あの清潔感を、歌手生活三十二年目を迎えた今も持ち続けている。そして、その歌へのひたむきな思いが、歌断ちにつながったのだと思う。
ともかく、彼がデビュー三十周年を迎える前の年、平成三年からそれまでの引っ込み気味の仕事ぶりから一転、攻めの姿勢に変わった。「銭形平次」をひっさげ全国三十ヶ所での特別公演、百六十ヶ所でのコンサート・ツアー。平成五年には、前半はコンサート・ツアーを展開し、七月には名古屋・中日劇場で久しぶりの一ヶ月公演を、そのあと、ここ新歌舞伎座での「ビッグ・イベント」、そして「瞼の母」を東京・博品館劇場で上演…。
おみごと―としか言いようのないエンジン全開だ。彼は、活動再開に当たって自分の声の調子についてスタッフに言った。「六ヶ月間、目をつぶっていてほしい。六ヶ月あれば、ファンにも納得してもらえる声にしてみせるから…。」スタッフと約束した六ヶ月は、なんと三ヶ月で克服した。みごとな精神力だ。ファンも先刻、ご承知。そして彼のエンジン全開を、わがことのように喜び、それが劇場でのプレゼント攻勢につながっているのではないだろうか。ファンにとってベタベタすり寄る必要はさらさらない。彼のステージを見て、大満足だ。彼は「ありがとう、あなた」と言い、ファンは「ありがとう舟木さん」と返しているようだ。
そして、この公演のあとも舟木さんの快進撃は、とどまることなく続いて今日に至っているのですね。
1月15日…今は「いちごの日」、昔は「成人の日」~成人のブルース
https://youtu.be/2-ZuUsrHoFA (kazuyanさんの動画です)
よろこびが きらめく今宵 きらめく今宵
のぞみある このみちなれば
仰ぎみる 星の光に
あゝ成人の 成人のブルース
夢あわく つぶらな恋よ つぶらな恋よ
うらわかき 君により添い
さりげなく 語ることばに
あゝ成人の 成人のブルース
美しき おもいでとなる おもいでとなる
若き日は ゆたかなる海
いつの日も ともに歌おう
あゝ成人の 成人のブルース
ネットから拾った映画「北国の街」~雪景色を背景にしたふたつの影、海彦と雪子に見る「純愛」の世界
さて、タイトルに挙げた「北国の街」…私がリアルタイムで一番最初に観た舟木さんの主演映画です。今も、今頃の季節になると雪をバックにした風景の中の海彦と雪子の面影が切なくも甘やかに甦ってきます。
初恋の駅 作詩:関沢新一 作曲:山路進一 映画「北国の街」挿入歌(1964年1月「叱られたんだね」カップリング)
https://youtu.be/gWoEQQg1GDk (舟友のいつでも夢を♪さんの動画です)
私自身にとって強いインパクトを与えた「北国の街」という作品が、昭和四十年代に入った頃、この映画が公開当時に中高生だった世代の方がどんな感想や印象を持ったのかを知りたくてネットをさぐっていたら、とっても丁寧に詳細に「北国の街」を取り上げてくださっているサイトを見つけました。様々なアングルから「北国の街」について解説されています。サイト名は「映画・シナリオ研究」とちょっと堅いのですが「北国の街」という作品そのものへの想いがあふれているように思われる嬉しい記事です。
http://5111.blog.eonet.jp/ky/2008/08/09/?ref=calendar
http://5111.blog.eonet.jp/ky/2008/08/10/?ref=calendar
http://5111.blog.eonet.jp/ky/2008/08/16/?ref=calendar
http://5111.blog.eonet.jp/ky/2008/08/17/?ref=calendar
http://5111.blog.eonet.jp/ky/2008/08/51-1965-2fb5.html
http://5111.blog.eonet.jp/ky/2008/08/52-1965-7a1b.html
「お出迎え」写真追加/速報!新春ビッグステージ2016舟木一夫・野口五郎~1月17日神戸文化ホール
昼の部だけ楽しんできました。
高速バス利用で京都経由での舟旅でした。車中から携帯で簡単にご報告します。
写真の舟木さんはいつものように一応証拠写真でご勘弁くださいね。また後ほどkazuyanさんはじめ舟友さんの撮影されたきれいな舟木さんをご紹介させていただきます。
私が神戸文化ホールに到着したのが10時30分過ぎで舟木さんの到着は11時35分くらいでした。
いつもよりお出迎えは少なめでしたが舟木さんの乗ったタクシーは駐車スペースに乗り入れて一旦停止。そこで車から降りて、スロープを上がって戻ってこられました。私は公園側のフェンス内側にこそっといました。他にも何人かフェンス内側でお出迎えされてましたから舟木さんが気づいてクルッとこちらにも顔を向けてくださいました。
それなのにこんな写真ですみませ~ん
とりあえずステージの進行に沿ってセットリストをお知らせします。
昼の部は前半が約40分、協賛のローソンHMV提供の抽選会と休憩合わせて20分くらい、後半が約60分の計2時間で終演でした。
☆前半
緞帳が上がると「高校三年生」のイントロが流れて黒のフォーマルタキシード姿の舟木さんがステージ中央のステップ最上段に登場!
ところがドッコイ…舟木さんの後ろから五郎さんが突然現れて歌い出しました(笑) 五郎さんは還暦ということで赤いちゃんちゃんこならぬ真っ赤なラメ状のキラキラベストでした。
最初っからこんな風におふざけの楽しい演出ですから皆さん今回のジョイントコンサートの全容もだいたいご想像できるんじゃないでしょうか(笑)
お二人で軽妙なやりとりしつつ前半は交互にヒット曲を披露。
花咲く乙女たち
オレンジの雨
北国の街
青いリンゴ
東京は恋する
愛ふたたび
想い出カフェ・オ・レ
君が美しすぎて
湖愁
愛の讃歌
休憩
☆後半
緞帳が降りた状態で「♪ラララ、汽車はゆく、汽車はゆく…」「♪青いリンゴを抱きしめても…」と五郎さんの歌声が…緞帳があがるとステージにはお二人の姿。
舟木さんは鮮やかなブルーのジャケット。五郎さんはモスグリーンの渋目のスーツ。
またまた掛け合い漫才のような楽しいトークのあと先ずは舟木さんが今回はセットリストに入っていない「愛よ甦れ」をいい歌だから僕が歌ってみますと歌われました。
確かに舟木さん好みな感じの素敵な曲でした。
愛よ甦れ
次にそれぞれのヒット曲をじっくりまとめて
先ずは五郎さんからトークを交えながらの五郎コーナー 。ギタリストとしても活躍されてる五郎さんのギター演奏もたっぷり。
甘い生活
針葉樹
*これは舟木さんがコンサートで歌われてますね。
僕をまだ愛せるなら
序曲・愛
19:00の街
再会タイムマシン
そして次はお待ちかねの舟木さんコーナー。白のスリーピース。もちろんトークも交えながら
君へ心こめて
初恋
絶唱
高校三年生
学園広場
春はまた君を彩る
最後は再び五郎さんもダークブルーのジャケットで登場。
ラストはお二人がご自分で選んだ好きな曲ということで
私鉄沿線
高原のお嬢さん
五郎さんのギターで
銭形平次
五郎さんと舟木さんお二人一緒に想定外のサインボール打ちで賑やかに!
最後はお二人がステップをかけ上がりしっかり握手されました。
ソロコンサートとはまたちょっと違って楽しそうな舟木さんでした。
ちなみに五郎さんも申年でちょうどひとまわり違う年男同士とのことです。
ふたり合わせて131才なんて舟木さんがおっしゃってましたが、お二人ともスゴいパワーで若々しくキュートなステージでした
詳細はまた後日
1月17日神戸文化ホール「お出迎え」の模様~舟友さんからご提供いただきました
新春ビッグステージ2016 舟木一夫・野口五郎 1/17 神戸文化ホール れぽ
舟木さん
二人の歌を交互にやっていきましょう!
(1964年)
(1973年)
(1965年)
(1971年)
東京は恋する 作詩:丘灯至夫 作曲:山路進一
(1965年)
(1974年)
うつむいて 涙かくせる
にじむ黄昏かきまぜて カフェ・テラス
くやしいけれど これ以上
幸せを追えば 悲しみ
そんな別れの 苛だちに――耐えきれず
俺の若さが 君を泣かせて
夢の終りを 押しつけた
カフェ・オ・レ 白いカップ 白いスーツ
カフェ・オ・レ 揺れた瞳 揺れた肩
小さな吐息に 愛はこぼれ
風の街を つきぬけた
あやまちはすでに 傷あと
苦いつぶやき飲みほして カフェ・テラス
”さよなら”告げた テーブルに
想い出を追えば 悲しみ
やりきれなさに 飛びだせば――にわか雨
俺の寒さが 君をまさぐる
夢の終りを 振りかえる
カフェ・オ・レ 揺れた瞳 揺れた肩
移ろう季節に 愛はこぼれ
今は 誰の うでの中…
カフェ・オ・レ 揺れた瞳 揺れた肩
移ろう季節に 愛はこぼれ
今は 誰の うでの中…
(1983年)
舟木さん
最初、サトウさんは…オレは上田クン(笑)…なんで軽音楽の世界に興味を持ったの?
舟木さん
五郎さんは昔、日生劇場で越路吹雪さんが歌われたのを聴いて感激したということで「愛の讃歌」舟木さんは皆さんご承知の通りですが松島アキラさんの「湖愁」を
湖愁
(原曲:松島アキラ/1961年)
愛の讃歌
(原曲:越路吹雪/シングル発売は1969年)
緞帳が降りたまま、修学旅行と青いリンゴの歌声が流れます。
幕が上がり上手にブルージャケットの舟木さん、下手にモスグリーンのスーツの五郎さん
先ずは、お二人の掛け合いトークから
舟木さん
舟木さん
五郎さん
舟木さん
舟木さん
愛が甦る季節を ぼくは待っていた
ブティックのウィンドウがひと足早く
夏を飾る頃に 君と長い旅に出ようか
男は心の中に 地球儀 ひとつかかえて
うつろう愛の間に間に ひたすら回しつづける
けだるい瞳に光を 取り戻している
地球儀の海原に 涙を捨てて
君の胸のつかえ ひとつひとつ 風に飛ばそう
哀しい愛の間に間に 死ぬまで追いかけて行く
哀しい愛の間に間に 死ぬまで追いかけて行く
*舟木さんは、これまでにも下記のコンサートなどで歌唱されているようですね。
ふれんどコンサート/1979年8月5日(日)/ 御堂会館
ワンコーラスを舟木さんが歌い、後は五郎さんも一緒に…
五郎さん
舟木さん
五郎さん
五郎さんコーナー
~女性バイオリニストの奏でる音色もステキでした。
甘い生活 作詩:山上路夫 作曲:筒美京平
(1974年)
(1976年)
五郎さん
(2012年)
(1981年)
(1983年)
五郎さん
再会タイムマシン 作詩:秋元康 作曲:筒美京平
(2015年7月発売)
舟木さんコーナー
(1997年8月発売)
あてもない旅びと 俺も君も
若さゆえにすてた 花の二片(ふたひら)
愛の日々よ熱き友よ
今さらにいたみは 君のなみだ
望むひとに夢に めぐり逢えたか
寒さ閉ざす 明日はあるか
何よりも君には それを願う
俺が心こめる 歌の一片(ひとひら)
春を告げろ 君に届け
春を告げろ 君の空に
舟木さん
そういうハナシは彼にまかせて…五郎さんのタイプの歌は僕のとちがうのか意外と仕事場で会わないんですね。
ジョイントコンサートだとお客様がたいへんなんですよね。五郎さんの歌が好きで来られてるお客様が私のをガマンして聴いてくださらないといけない(笑)
ここでは抒情歌を二曲。ひとつ目が初恋、ふたつ目が絶唱。
初恋 作詩:島崎藤村 作曲:若松甲
(1971年)
(1966年)
では恥も外聞なく 次、行ってみます。
高校三年生 作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
(1963年)
(1963年)
舟木さん
(2015年)
舟木さん
五郎さん
舟木さん
(1975年)
(1965年)
(1966年)
~五郎さんのギター演奏で~最後はサインボール打ち。舟木さんはジャケットを脱ぎました!
熱気あふれるステージでしたが五郎さんのお客様もお行儀が良くて私の苦手な黄色い声もなかったのは嬉しい驚きでした。本当に好きなシンガーの歌を聴きたいファンが多いというのがお二人に共通するのかもしれないと感じました。とっても楽しいジョイントコンサートでした。
1月21日(木)