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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    近くのスーパーに買い物途中、雨に打たれたコスモス。はかなげ…です。
    こちら東海地方は、今夜から明日未明にかけて台風が最接近とのこと。
    今は、さほど風も強くなく、雨も通常の雨脚…というところですが。

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    「我が道」(スポニチ連載)22日目のタイトルと関連資料などご紹介します。

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    ~美空ひばりさんの「不死鳥」のように。ボクは飛ぶべくして飛んだ鳥だったのかもしれない。
    でも、当時はまだ長距離を飛ぶ体力のある鳥ではなかった。~中略~
    1971年(昭46)の第22回NHK紅白歌合戦で歌った「初恋」が最後のヒット曲となりました。
    ~心にも妙なすきま風が吹いていました。竹に例えると分りやすいかもしれません。
    竹というのは節があるから高く伸びていける。節がないまま伸び続けたら倒れてしまう。
    ~中略~84年には弟の幸正が26歳の若さで事故によりこの世を去りました。
    その同じ日に尊敬していた長谷川一夫先生(享年76)まで逝ってしまわれるとは…
    信じられませんでした。大川橋蔵先輩(享年55)が亡くなられたのもこの年でした。
    ~中略~事務所は解散し、84年以降の6年間はシングルは発売せず。
    ”寒い時期”は長く続き、歌い手としてはただ生きているだけ…。

    ~10月22日「我が道」(スポニチより一部抜粋)


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    昨日に続いて、胸の痛みを覚えずには読めない「我が道」。まさに歌い手としても、人としても舟木さんの長い旅路の中での「胸突き八丁」の歳月の回想。舟木さんがTVなどで語られたこと、自著の中でも記していらっしゃることなのですが…。でも、これでもかという辛い出来事の連続を体験されていることが、55周年を迎えてなお魅力的な舟木一夫を創り上げてきたことだけは確かだと思います。


    文中で、~84年以降の6年間はシングルは発売せず…。鳥は羽ばたく力を失って…。~とおっしゃってますが、83年4月発売のシングル「つばさ」は、そんな想いを抱きしめて作られた作品なんですね。あらためて、聴いてみて心に沁みました。kazuyanさんの動画をお借りしました。


    つばさ  1983年4月発売 シングル 作詩・作曲:舟木一夫 

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    ジャケットもこれ以上ないというほとシンプル。





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    長谷川一夫さん、大川橋蔵さんとのステージでの珍しい写真をちょうだいしましたので、
    ご紹介させていただきます。いずれも「浮舟ニュース」より



    長谷川一夫さんと「スターものまね大合戦・200回記念」に出演(1970年10月11日放映)
    舟木さんの「高校三年生」をジェスチャーたっぷりで歌われたそうです。
    でも、実は歌声は舟木さんだったとか…


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    *文字が小さいので、拡大ボタンを押してお読みくださいね。

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    大川橋蔵さんと「大川橋蔵後援会15周年記念 橋蔵まつり」のステージ(1971年8月31日)

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    先ずは、台風21号、通り過ぎたものの、ものすごい強風でわが家の2階は今、まだ揺れてます。
    各地での被害が心配されます。そして、台風に負けて?盛り上がりにかけた衆議院選挙。
    なんだかね~、コメントする気にもならないのはどういうこと?とにかく格差是正ヨロシク~ッ!

    明日24日の大阪フェスティバルホールのコンサートのお知らせ
    私は、お昼だけうかがいます。私にとってはステージ復帰後の舟木さんと嬉しいご対面…
    といっても、私だけが一方方向で見つめる…ということなんですけどね

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    「我が道」(スポニチ連載)23日目のタイトルと関連資料などご紹介します。


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    ~ボクの場合、デビュー翌年に独立せずホリプロに残っていたらどうなっていたのか。
    でも、あの30代前半ごろからの”寒い時期”があったからこそ今の舟木一夫がある、そう思っています。
    ~中略~石を投げられたり、おまえなんかもう時代遅れだよ、とか言われたとしても全然痛くない。
    そんなものとは比べられない痛みでした。~中略~
    改めて気づかされたのは、自分は本当に歌が好きで歌い手になったということ。
    ~中略~覚悟が必要でした。テレビのバラエティー番組に出演していろいろな世代に顔を覚えてもらおうとか、
    マスメディアに載りたいとか、そういう思考を捨てて、自分のお客さまだけを見て歌う「ライブ」を選んだのです。

    ~10月23日「我が道」(スポニチより一部抜粋)

    こちらは1980年頃

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    こちらは、1990年頃、30周年を機に再起をかけて…という頃でしょうか。

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    今日の、「我が道」…これは、まさに私が舟木一夫というステージ・シンガーと出会えた、というか、もっと言えば、子どもの頃に「理想のお兄さん」…という憧れの気持ちでいたアイドル歌手・舟木一夫との半世紀を経ての「出逢いなおし」となったことに深く関係する大切な一文です。

    「流行歌手との決別」という「覚悟」を舟木さんが果敢に決めて、そこからブレることなく今日までそのスタンスをゆるぎなくとり続けてきてくださったからこその「出逢い直し」が実現したのだとあらためて思いました。

    私自身、三十代、四十代、五十代…とずっとテレビ離れの歳月でした。それゆえに、舟木さんの30周年あたりからの御活躍も全く知らずにきてしまったわけです。

    2012年、50周年の中頃あたりの9月の新歌舞伎座の舞台を、言葉はワルイですが「ほんの気まぐれ」で拝見したというのが正直なところです。懐かしい「絶唱」を聴いてみたいと…。

    往年のアイドル歌手、思春期の頃の私が好きだと思った数少ない芸能人であり、当時中学生だった純真で正義感にあふれていた時代の自分にとってとても大きな影響を与えた作品が「絶唱」(歌・映画ともに)だったものですから、いわば、「再会直前」の時点では「絶唱」≧「舟木一夫」…だったわけです。

    ところが、ドッコイ!です。ステージを拝見して、これまた、非礼を承知の言葉ですが、青天の霹靂というか、雷に撃たれたような衝撃でした。~実際は、雷に撃たれたことはないんですけど~なんて魅力的なステージ・シンガーになられたんだろう…という嬉しい驚きでした。まるで宝物を掘り当てたような気持ち。お芝居も楽しめましたし、年輪をかさねた余裕というか軽やかさに加えて若々しい爽やかな立ち姿。舞台人としても超一流!と掛け値なしにノックアウトされてしまった次第です。
    そして、舟木一夫の魅力を確信するために、前楽(千秋楽はもちろん完売でしたので)にその新歌舞伎座公演の二回目の舞台を拝見して、間違いない!と大納得(笑)それから、今に至っています。



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    そして、コンサートの翌日のテレビ出演も、お忘れなくね!

    10月25日(水) NHK総合 午後1時05分~ 午後2時00分
    ごごナマ おしゃべり日和▽舟木一夫さん波乱万丈!山あり谷あり芸能生活語り尽くす
    http://www4.nhk.or.jp/gogonama/x/2017-10-25/21/23523/2710582/

    12月の演舞場公演のお話しも出るかな?

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    デビュー55周年を記念して、70年代、80年代のアルバム7点がUHQCDで復刻発売されます

    発売予定日は、いずれも、2017年11月22日 

    *UHQCDとは高音質CDという意味。「レマンのほとり」「29小節の挽歌」は、初のCD化。

    「暦 十二ヶ月の愛の詩」(1993年4月)、「花もよう」(2004年8月)、「一葉舟」(2013年6月)「愛はまぼろし」(2013年6月)「愛と別れの12章」(2013年6月)は、それぞれ()内年に復刻・初CD化されています。


    ~amazon サイトより~(価格等詳細はこのサイトでご確認ください)

    イメージ 2ディスク:1

      1. レマンのほとり
      2. 日曜の恋人
      3. 愛が死んだ海
      4. 想い出通り
      5. 別れても好きな人
      6. 愛終
      7. 別れの部屋
      8. 眠らない青春
      9. 秋の渚
      10. 銀河の果てに
      11. 旅の港
      12. 噂めぐり
      13. 眠らない青春 (「眠らない青春」の2014年ver.をボーナストラック収録)

    *アルバム「レマンのほとり」(1976年8月 LPレコードで発売)




    イメージ 3ディスク:1

      1. BRANDY&SMOKING
      2. 29小節の挽歌
      3. 明日は明日で
      4. ふるえて眠れ
      5. グッド・バイ・ソング
      6. ブルースを聞きながら
      7. 煙草のけむり
      8. どうせオン・ザ・ロック
      9. ハッシャ・バイ(祭りのあと)
      10. 雨の物語 (「29小節の挽歌」「グッド・バイ・ソング」の近年のライブver.を収録)

    *アルバム「29小節の挽歌」(1980年1月 LPレコードで発売)



    イメージ 4ディスク:1

      1. 心のロベリア
      2. 忘れな草をあなたに
      3. サボテンの花
      4. エリカの花散るとき
      5. あゝりんどうの花咲けど
      6. くちなしの花
      7. 風信子(ヒヤシンス)だより
      8. れんげ草
      9. アカシアの雨がやむ時
      10. 野菊
      11. さんざしの花咲けば
      12. バラが咲いた (当時のライブ音源からボーナストラック2曲収録)

    *アルバム「花もよう」(1976年1月 LPレコードで発売)




    イメージ 5ディスク:1
      1. 素晴らしい春
      2. 津和野川
      3. 揄の雨
      4. むかえ火
      5. ゆきずりの夏
      6. 宵祭り
      7. 或る手紙
      8. 兄・妹
      9. 縄のれん
      10. 嵯峨野雪草紙
      11. 紙の指輪
      12. さかみち (当時のライブ音源からボーナストラック2曲収録)

    *アルバム「暦 十二ヶ月の愛の詩」(1975年4月 LPレコードで発売)



    イメージ 6ディスク:1
      1. 愛はまぼろし
      2. まごころ
      3. 惜別旅
      4. ちぎれ雲
      5. 野あざみの君に
      6. 風の香り
      7. ふるさとは屋敷町
      8. 静かな別れ
      9. 乃木坂の女
      10. あなたに
      11. 旅をしたけれど
      12. 君の手で花束を (当時のライブ音源からボーナストラック2曲収録)

    *アルバム「愛はまぼろし」(1977年9月 LPレコードで発売)




    イメージ 7ディスク:1
      1. 一葉舟
      2. あなたは今
      3. 恋唄
      4. 名なし草
      5. 夜汽車は北へ
      6. 友よ
      7. 流氷まつり
      8. あの頃
      9. 赤とんぼの唄は聞こえない
      10. 西海岸
      11. 晴れすぎた朝に
      12. 津軽丸
      13. 恋唄 (「恋唄」の2004年ver.をボーナストラック収録)

    *アルバム「一葉舟」(1977年2月 LPレコードで発売)




    イメージ 8ディスク:1
      1. 許されるなら
      2. こだわり
      3. 別れのモノローグ
      4. わがまま
      5. さよならの街角
      6. 若さだけで
      7. 北の旅空
      8. 哀しみの旅
      9. あとに別れがあるだけさ
      10. 窓灯り
      11. 今もひとりさ
      12. あの人は、いま・・・・ (当時のライブ音源からボーナストラック2曲収録)

    *アルバム「愛と別れの12章」(1975年2月 LPレコードで発売)




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    すみません、大阪FESTIVALホールに向かう車中からの投稿です。


    ~再び前を向いてボクは動き始めました。まだ40代前半。デビューした頃に見ていた先輩たちの年齢までいっていない。やり方によってはできるかもしれないと自分を奮い立たせました。~中略~そんな折、コンサートや演劇の企画会社アイエスの伊藤喜久雄社長(当時)を訪ねました。~中略~しかし、東京・四谷の事務所でお会いすると「失礼ですが今のあなたにはお金のニオイがしません」と断られてしまいました。~中略~90年に約7年ぶりとなるシングル「落日のあとで」発売を経て翌年、2年ぶりにアイエスを訪ねました。~中略~これを機に、動きは慌ただしくなっていきました。ちょうどデビュー30周年が迫っていたことは、人生の不思議な巡り合わせだったのでしょうか。~中略~゛寒い時期゛を乗り越えられたのは家族の支えもあったと思います。74年に結婚した嫁さんとはもう43年。身近にいてくれる…う~ん何だろ。よくわかんねえな(笑い)~一部抜粋させていただきました。


    揺れてる車内撮影で写真も記事がブレましたがご容赦ください。


    一般社団法人 コンサートプロモート協会 HP 2013年秋号より
    http://www.acpc.or.jp/magazine/navi_issue.php?topic_id=134




    デスクに座る伊藤相談役。オフィスの奥にある仕事スペースには、社員に向けた直筆メッセージが貼られている
    撮影:小嶋秀雄
    ヒット曲の聴かせ方
    高齢化社会が進む日本のライブ・エンタテインメント業界において、60代以上の観客から支持される公演を継続的に用意することは、大きなテーマの一つ。この課題を、豊かな企画力と独自のマーケティング理論で見事にクリアしているのが、今号でご登場いただくアイエスです。「今日、最も輝ける世代=グロリアスシックスティー」と名付けたターゲットに、確実に標準を絞ったコンサートや演劇をラインアップする同社の相談役であり、80歳を迎えても現役のプロモーターであり続ける伊藤喜久雄さんにお話を伺いました。伊藤相談役が長年のキャリアから培ってきた「60代以上の観客の心をつかむポイント」とは?
    伊藤: 私たちが手がけている公演のターゲットは、主に60~70歳のご婦人で、最近は少しずつ男性も増えてきています。公演の基本になるのは、40~50年前に20歳だったお客様が、当時聴いていたり、一緒に歌っていたヒット曲です。受動的かつ能動的に愛されたヒット曲は、しっかりと大衆の記憶に残っています。そこを刺激してあげると、懐かしさが溢れてきて、青春時代が蘇ってくる。イントロが3秒流れた途端に、40年前に戻ることができる。だから歌手の皆さんには、いつも「当時の譜面通りに歌ってください」と申し上げているんです。バックも生演奏で譜面通り。お客様の記憶と違うアレンジでは、あの時代に戻れなくなってしまうんです。


    マーケティングのポイントを具体的にお話しすると、例えば舟木一夫だったら「コケットリー」。昔でいう「科(しな)」ですね。舟木君は自然に科をつくることができるから、いつまでもご婦人方の青春時代の感情を呼び起こすことができるんです。梅沢富美男の大衆演劇であれば「幼児体験」。大衆演劇には、60~70歳の方々が子供の頃に体験した、地元のお祭りや寄席などの娯楽の要素が詰まっていますので、潜在的に惹きつけられる面があると思います。それと、昔は考えられなかった組み合わせを、ステージで実現することも大事。五木ひろしと都はるみが組んだコンサートや、舟木一夫、西郷輝彦、三田明の青春歌謡3人組「SK3」の公演などがそれに当たります。こういった公演は、お客様の動員が1+1+1 =3ではなく、3×3=9の倍率で増えていきます。

    歌手の方々の後援会と協力関係を築くこともポイントです。舟木君の場合、一時期3万人いた後援会が、2000人くらいまで減ってしまったことがありましたが、後援会主催の公演を企画して、財務的にも独り立ちできるように、私たちがお手伝いをしたことがありました。現在は約1万人会員がいて、後援会だけでチケットの売れ行きが読めるようになりました。

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    舟友さんからちょうだいしました

    いつもありがとうございます

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    舟友さんからちょうだいしました
    いつもありがとうございます

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    フェスティバルホールまでの遊歩道の植え込みのバラも咲き初めて…


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    こちらは、我らがプリンス

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    大阪フェスティバルホール。私としては、舟木さんのステージ復帰後、初めてのコンサートでした。
    とにかく、開幕するまでは、なんとなく落ち着かない気持ちでしたが、「♪清らかな青春 爽やかな青春…」という若き日の舟木さんの甘い声のあと、ライトアップされて目の前に現れたいつものあの笑顔、オープニングの「高校三年生」の歌声で、最初っから、すっかり舟木ワールドに引き込まれてしまいました。

    お元気で、若々しいステキな立ち姿。「お痩せになった…」というカンジも、いっときよりも少し解消された印象でした。

    トークの中で、最近、皆さんに「痩せた」と言われてるようですが、これは、「痩せたんじゃなく、萎んだだけ…」(笑)とさかんにおっしゃってました。

    テーブルに載りきらないたくさんのプレゼントも、これまで通り、キビキビした動きで見事に受け取られて、キチンとテーブルに並べて…ご自分でしっかり「舞台美術」も担当?なさっていらっしゃいました。
    中盤の「その人は昔」の歌唱も、美しく、力強く歌い上げられたときには、さすがに、ホッとして、そうだ、舟木さんは、「病み上がり」?だったんだと、思い出して、その見事さにウルウルしてしまいました。

    とにかく、すこぶるお元気!ただ、ただ、それだけで、とってもウレシイ

    スタンディングの2曲も、ベスト姿もカッコ好く、躍動感あふれるステージ。サインボール打ちの時などは、すっかりヤンチャな少年の表情になって、2階まで、2、3球届いたんじゃないかな?

    客席は、下から見上げると3階までギッシリのお客さま。スゴイです。2700席もあるフェスティバルホールが狭く感じられました。

    ラストは、ふりむくと、一階席は、総立ち…というスタオベ。これは、ご病気入院を経て、短期間でステージ復帰なさった舟木さんの、これまでとなんら変わることのない渾身のステージと、そのすばらしさに、ファンの皆さんが、心からの安堵感と、また満足感を持つことができたことの証だと感じました。

    コンサートの詳細、トークの中身は、また後日に…


    舟友さんから、ステキなペンダントをちょうだいしました。感謝!

    清らかな青春、爽やかな青春…

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    本日です!お忘れなく

    10月25日(水) NHK総合 午後1時05分~ 午後2時00分
    ごごナマ おしゃべり日和▽舟木一夫さん波乱万丈!山あり谷あり芸能生活語り尽くす
    http://www4.nhk.or.jp/gogonama/x/2017-10-25/21/23523/2710582/



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    NHK総合TV「ごごナマ」ご覧になりましたか?
    舟木さんの笑顔がいっぱい見られて、シ・ア・ワ・セ…でしたね。
    終盤で、紹介された、ファンから舟木さんへのメッセージ。
    存じ上げてる舟友さんのものなどもあって、拍手、拍手でした。
    また、後ほど、拙ブログでも番組放送中にスマホでカシャッ!と撮った写真などで
    まとめてアップさせていただきます。

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    「我が道」(スポニチ連載)25日目のタイトルと関連資料などご紹介します。

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    ~山あり谷ありのボクの歌い手人生ですが、何より誇れるものがあります。それは後援会。
    ~中略~そんな僕の後援会は芸能界の七不思議と言われてきました。~中略~
    後援会の原点は東京・四谷の若葉町で生まれた私設応援団。
    ~中略そこから広がった応援団組織が一つにまとまり「舟木一夫後援会」が64年に発足。
    理事には政財界の方々をはじめ長谷川一夫先生や山田五十鈴先生らが名を連ねてくださいました。
    ~中略~会報「浮舟」はこの10月で607号を数えました。
    長く続いたのも全国の支部長をはじめとした後援会の皆さんの尽力のおかげです

    ~10月25日「我が道」(スポニチより一部抜粋)

    浮舟 創刊号 1964年8月15日刊

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    この目次の中から、舟木さんが寄稿されたもの

    おげんきですか皆さん  飛行機のはなし 

    手元にあるコピーから、ご紹介します。カワイイ文章ですね(笑)

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    ~歌舞伎美人ニュース~より
    松也が「舟木一夫特別公演」の『忠臣蔵』出演
    http://www.kabuki-bito.jp/news/4361


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    12月2日(土)~24日(日)、新橋演舞場の芸能生活55周年ファイナル「舟木一夫特別公演」に、尾上松也が出演、『忠臣蔵』の浅野内匠頭を演じます。
     松也が3年ぶりに「舟木一夫特別公演」に出演、今回はオリジナル脚本の『忠臣蔵』で浅野内匠頭役を勤めます。昼の部では茶屋一力の大石内蔵助を中心にした〈花の巻〉、夜の部では江戸に下り、討入りを果たす〈雪の巻〉を上演する通し狂言『忠臣蔵』。舟木の内蔵助が亡き主君を思う回想シーンで、松也の内匠頭の苦難や人柄が描き出されます。
     
     舟木の時代劇への並々ならぬ思いは、これまでの公演からも十分に伝わってきましたが、今回は、舟木がTVドラマデビューを果たしたNHK大河ドラマが「赤穂浪士」だったこともあり、その思いはひとしおです。記念すべき55周年の掉尾を飾る公演で、再び舟木の共演者として登場する松也。そうそうたる顔ぶれがそろった今回、また新たな挑戦の舞台が始まります。ぜひ、劇場へお運びください。


    本日25日は、チケット一般発売初日です。

    1等席:13,000円 2等席:8,500円 3階A席:4,500円 3階B席:3,000円/桟敷席:14,000円
    (すべて税込)




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    舟木一夫、逮捕されそうになったと告白「あわよくば現行犯」

    スポーツ報知 ネットニュース


    舟木一夫、逮捕されそうになったと告白「あわよくば現行犯」

     歌手の舟木一夫(72)が25日、NHK総合「ごごナマ」(月~木曜・後1時5分)にゲスト出演し、逮捕されそうになったエピソードを語った。

     舟木は、1964年のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」の撮影に親友の俳優・林与一(75)と参加。山田五十鈴、宇野重吉ら大御所の撮影が優先されたため、若手だった舟木らの出番はどんどん後回しになったという。

     「そのうちだれちゃうわけですね、2人で」と舟木。「俺のとこ行ってコーヒーでも飲もう、それで帰ってこよう」と林を当時住んでいた四谷のマンションに誘い、刀を持った衣装のままで車で向かったという。

     そして四谷の交差点に立っていたところ、警察官が刀を持った舟木らに職務質問。最初は舟木だと信じてもらえなかったが、「高校三年生」を歌ったところ「舟木さんですね」と納得されて事なきを得たと明かした。

     舟木は「あわよくば現行犯でしたけど」と、あやうく逮捕されるところだったことを懐古。MCの美保純(57)は「今だったらすごいニュースになっていた。Yahoo!トップですよ」と目を丸くしていた。




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    DVD「再生」機器はあるのですが、録画はできないので、リアルタイムでスマホで撮影。
    小型録音機で、音声を録ったものを、それなりにまとめてみました。

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    阿部アナ

    今日のゲストは舟木一夫さん。
     今年で芸能生活55年。
    しかし、その道のりには山あり谷ありの壮絶な人生がありました。
    きょうは、舟木さんの人生を一気に振り返ります。

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    舟木さん登場!

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     舟木さん
    足かけ55年ですね。 まさかデビューしたときはこんなに長くやることになるとは
    思ってもみないわけですけどね。


    阿部アナ
    今日のお客様舟木さんへのご質問、メッセージを番組ホームページからのメールFAXでどしどし、
    お寄せください。お待ちしております。

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    舟木さんの芸能生活を今日はたどってまいります。
     「舟木一夫さん山あり谷あり芸能生活55周年一気に振り返るぞSP」。

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    まずは「いきなり山のてっぺんへ!元祖シンデレラボーイ」。
     皆さん、ご存じですよね。


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    阿部アナ
    デビューに至るきっかけは?

    舟木さん
    中学3年のころから歌い手になろうとは思ってたんですよ。
    基礎が大事なのでクラシックの先生(NHKの専属だった合唱団の指揮者をしていた方)
    に弟子にしてもらったのがスタート。

     昭和36年、 「湖愁」という歌がヒットしていた松島アキラという先輩のステージ。 松島さんが、オープニングに「湖愁」を歌って、エンディングで松島さんと一緒に歌う人はいませんか?と。
    それで一緒に歌ったんです。
    松島さんを取材に来ていた「週刊明星」の記者さんに名刺を渡された。僕も住所と電話番号(電話といっても借り電話ですよ、当時、ご町内に3〜4軒あって借りに行くというね。)お教えして。

    2〜3か月して学校から帰ったらおやじに、東京の堀威夫という人を知ってるかと言われてね。
    堀さんが、お前と連絡を取りたい、ここへ電話くれって
    …翌年の5月くらいに上京。

     阿部アナ
    上京するときはご自身は迷いなく?

    舟木さん
    なんにも迷いないですね。 一本に絞ってましたからね。
    この家業でいくと決めていましたからね。

    レコード大賞新人賞受賞さらには「紅白歌合戦」出場を決められたと。
     当時の映像がございますのでご覧いただきます。
    今から54年前当時19歳の舟木さんの初々しい姿です。

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    今、ご覧いただいたとおりトレードマークが学生服ですよね。
     当時のレコードジャケットを用意しました。

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    美保さん
    うちの壁に舟木さんの等身大のポスターがじかに貼ってありましたよ、壁に。
    ノリでぴったり貼ってあったんです。 着物着ているやつ。
    おばあちゃんがめっちゃファンだったの。

     舟木さん
    多分、「絶唱」のときの写真ですよ。
     すみませんでした。いろいろご迷惑をおかけして。

    冒頭でも紹介された、おなじみのエピソードです。

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    舟木さん
    そもそも橋さんがコロムビアのオーディションに合格していればあの方が舟木一夫だった。
     僕がもし、コロムビアのオーディション落ちてビクターへ行ったら「いたこがさ」ないわけでしょ。
     両方とも売れませんよね。


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    阿部アナ
    当時の人気、覚えてますか?そういうなかで、舟木さん二十歳であるものを買うんです。
    すごいですよ。 家をお買いになったという。

     舟木さん
    僕は歌い手になった動機のいくつかの中に貧乏だった家族をなんとかしたいというのが
    あったんですよ。 13歳違いの弟もいましたしね。

     阿部アナ
    ちなみに、大変失礼ですが給料というのは月給制だったんですか?どういう状態だったんでしょうか。

     舟木さん
    月給だったのはねデビューした6月の1か月間だけ。それは今でもよく覚えています。
     赤坂のホテルに堀さんに呼び出されて行ったんですよ。
     上田君、こんなに早く売れちゃってね、どうギャラを換算していいか分からないと…
    堀さんが、 今月だけとりあえず1か月分で了承してくれないかと。 
    封筒を開けたら5万円が入ってた。大学出の初任給が2万円いきませんよね、まだ。

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    舟木さん
    今までは何も手に入らなくて我慢でやってくるでしょ。
     先輩を見てると大きいうちに住んでる。みんな外車に乗ってる。
     流行歌の世界っていうのはそんなものなんだぐらいに思っちゃうんですよね。

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    舟木さん
    もう、自分が危ういなと思ったのは24〜25ですね。
    このままでいってももう、伸ばしきれない。
    だから、竹じゃないですけどポイントをつけていくから伸びられるわけですよ。
    ただ、長いの1本でずっと伸ばせといわれたってこれはもう無理ですよという話になって。
     26〜27のときかな。 仕事がどんどんうまくいかなくなるのと同時に自分でテーブルを
    ひっくり返しちゃってついていけないわ、これという感じで。
    だって1回ご破算に願いましてはにしてくれないと次にいけないよ、そんなものって。
    それをつなげていかれるわけです。 無理、無理ってひっくり返しちゃった時期があったのね。

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    阿部アナ
    復活は、あるひと言がありました。 息子さんのひと言と。

     船越さん
    どんなひと言だったんですか?

    舟木さん
    息子のひと言っていうんじゃなくて風呂に入っててねお前、なんか欲しいものあるか?
    ってファミコンのソフトくらいの感覚で僕は聞いてるわけです。
    そしたら、自分の部屋って言ったんです。この野郎と思って。

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    舟木さん
    タクシーに乗って「どこそこ行ってください」っていうと舟木一夫さんですかって
    言われるわけですよ。僕よりちょっと下くらいの人に。声でわかる。 
    そうすると着いても料金受け取ってくれないとか。
    それから、乗ってもらっただけでハッピーですからとかね。
    それから、学生時代に友達が「学園広場」を一緒に歌ってて、
    そいつが病気で亡くなりましてねとか話を聞かされて
    そっちが痛いわけです。こっちにしてみたら。

    だから業界の人がどう言うとか息子がどう言うとかそんな段じゃないんです。

     どこで次のバッターボックスがくるのかと考えたときにこれは、
    やっぱり30周年ぐらいかなというふうに思ったんですよね。
    そのとき、47になるころですよ。そのときに、改めてもう1回、
    バッターボックスに立とうと思って。

    1人の歌い手が流行歌手は30年も40年も時代を背負って
    走っていけるわけがないんです。そんなものはあり得ない。
    そこしか向くのをよそうと決めてそこで一瞬うーんと思ったことが1つだけあって
    そうすると、同世代にしか通用しない歌い手でいいという覚悟がいるわけでしょ。
    ですから、メディアにのってワーッともう1回やろうとか
    そういう思考を持ったら同世代のほうだけは向けないわけです。

     阿部アナ
    そうした覚悟、思いを胸に見事、復活を果たされるわけですが1992年、
    舟木さん21年ぶりに「紅白歌合戦」へ出場されます。そのときの映像をご覧ください。


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    船越さん
    この音が鳴りましたのでこちらのコーナーに移らしていただきます。

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    船越さん
    本当は御三家と呼ばれるのがあまりお好きじゃなかったんですね。

     舟木さん
    いや、もろ嫌いでしたね。あれは三人三様に迷惑だったと思いますよ。 
    三羽がらすっていい言葉があるのに。
     新しさを出そうと思って誰が言いだしたか知らないけど御三家なんてね。
    でも、見事に三人三様に雰囲気が違ったというのがよかったんでしょうね。
    このお二人がライバルというよりは誰にも負けたくないわけです。
     関係ないですよ、誰って。 自分がとにかくナンバーワン、オンリーワンになりたいわけですから。
     全員に負けたくないですからね。


    船越さん
    今もお変わりないですけど若さを保つ秘けつがある。
     最初、ノーっておっしゃってましたがイエスに変えましたね

     舟木さん
    ちゃらんぽらんでいることなんですよ。あんまり自分に決め事をしないで、
    仕事も含めて結構長く続けていくにしたがってちゃらんぽらんになっていったほうが。
    だから僕は四文字熟語で好きなのは、支離滅裂。 座右の銘ですから、僕の。
    まじめで務まる商売じゃないじゃないですか。

    船越さん
    学生服について…今も学生服が大好きだ。これはノー。

    舟木さん
    あの当時の詰め襟着てる当時の舟木一夫って一見まじめそうで近所の評判もよさそうで。
    事実、評判はよかったみたいなんですよね。あの子はいい子だみたいな。
    それが、自分と食い違っちゃってるから。 居心地悪かったの覚えてます。


    船越さん
    今でも割と夜ふかしされてしまうんですか?

    舟木さん
    ちょっと悔しいんで夜ふかしするんです。この間、主治医に上田さん、何時ごろ寝るんですか?
    って言うから大体1時ぐらいですね、夜の、って言ったら朝は何時に起きるんですか?
    大体10時ぐらいですねって。あのね、上田さん、70過ぎてそんなに寝てる人いませんよって。
    だから、仕事でもなんでも自分に10%の負荷は多めにかけて。

     美保さん
    ファンの人が撮った写真っていうのがすごいシャツが派手なんですよ。
     Tシャツと服装をチェックされてるんですね。ファンの方に。
     今日は割とシンプルなほうですよね。なんか、外国人みたいなどこで買ったの?みたいな。
     着てますよね、ガンガン。いいなと思って。

    舟木さん
     歌い手になって、ずっと何年か詰め襟なんて着ていてつまらなかったっていうのが。
    その反動がどこかで出てきたのかもしれないですね。それ以来、結構、着道楽のほうで。

    船越さん
    最後の質問がとんでもない質問ですが逮捕されそうになったことがある。
    ↓こちらでご覧くださいね。
    スポーツ報知~「ごごナマ」出演の舟木さんの記事


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    24日、大阪フェスティバルホールでのコンサートの模様が紹介されました。

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    船越さん
    お客様たちはこれを舟木さんに手と手でお渡しするというのが
    大変な楽しみになってらっしゃるんでしょうね。

     舟木さん
    そうですね。それと、世代が出ますけど僕らのデビュー世代はこういうのは
    流行歌のライブの風景の1つなんですよ。当時はテープが 1曲歌ってると200本ぐらい飛んでくる。
    そういうものが風景の1つで流行歌としてはとてもいい景色なんです。
     僕は今でもこういう景色が好きでやっぱり、ジャズとかシャンソンとかだとこうはあまり…。
    だから、国産の軽音楽のよさかなという感じがとてもするんですよね。
     聴かせようとか聴いてくださいというスタンスばかりじゃだめなので
    1つの空気の中へ早くお客さんと入るということも必要ですからね。


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    ファンのコメントを楽しそうに聴いてる舟木さん、笑顔、笑顔…です。

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    舟木さん
    僕らはやっぱりなんだかんだいっても、お客様と変な意味にとられると困るんですが
    色気と情のやり取りがないと成立しない。
    だから3歳のお嬢さんであろうが80歳のおばあちゃまであろうが僕は女性としてしか見ない。
    ステージに立ってるときは女性なんですよ。 男性は男性なんですよ。
    だから、そういうスタンスに自然になれることがお互いに色気とか、情を
    キャッチボールしあうということに自然になるんですよね。

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    阿部アナ
    「55周年の新たな挑戦」ということで。 赤穂浪士ですよね。


    舟木さん
    新橋演舞場で12月にやらせていただくんですけど55周年で、3年前から話が出てまして。
    ちょうど、頃合いでいいんじゃないか「忠臣蔵」を通し狂言でやったらと。

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    阿部アナ
    デビュー当時の大河ドラマでは矢頭右衛門七役でしたけど今回は大石内蔵助ということで。
    当時の大河ドラマのときのお写真も。


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    舟木さん
    ご縁があるんですかね。 初めて時代劇をやったのがNHKの「赤穂浪士」。
    それで、55周年で73に、もうなりますけれどもそこで言ってみれば
    舞台の時代劇の総集編みたいな感じで「忠臣蔵」の大石をやらせていただけるのは
    本当に、ありがたいというかね。ここまで歩かせていただいて。 「忠臣蔵」が縁があるんですね。

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    阿部アナ
     放送をご覧の皆さんからのお便り。
    まず、イラストですが71歳の方からイラストをいただきました。
     永遠の高校三年生ということでありがとうございます。
    こちらもイラストですね。 沖縄の方です。

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    最後に…まるで自分のメッセージが読まれたみたいに嬉しかったことが…

    ファンからのメッセージで、懇意にしていただいている舟友さんのものが読まれました。
    少女時代からず~っと、舟木さんと一緒に「青春」も共にしてこられた方。
    彼女の想い、それが、とっても素直にシンプルに込めれたメッセージ。
    自分のことにように嬉しく、放送後、すぐにメールで感激!の想いを伝えてくださいました。


     阿部アナ
    女性が多いですね。 60代の方。

    イメージ 51 国際劇場でテープとレイを手に持って黄色い声援を送っていた乙女のあのころ。
     結婚、子育て、介護と年を経て今は客席で感謝の拍手を心穏やかに精一杯送る。
     イメージ 52来年70歳になります。 今年55周年、舟旅は続きます。
     永遠のアイドル、舟木さん。お身体に充分お気をつけて



     舟木さん
    ありがとうございます。

     
    阿部アナ
    まさにご自身の人生と重ねてらっしゃいますね。

     舟木さん
    これだけ長いおつきあいになるとこちらもそうですよね。


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    これでオシマイ  すっかりお元気でヤンチャ坊主っぽい舟木さん健在…でしたね






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    「我が道」(スポニチ連載)26日目のタイトルと関連資料などご紹介します。

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    ~「歌をやめると聞いたが、それは君の勝手だし自由にすればいいけど、
    君のために作った俺の大好きな”夕笛”はいったい誰が歌うんだ」。
    この言葉がなければボクは歌い手を続けていなかったかもしれません。
    ~中略~そんな船村先生とは日本歌謡史に残る仕事もさせていただきました。
    1966年(昭41)発売のアルバム「その人は昔」。~中略~
    メロディーも構成も複雑そのもの。アルバムとして驚異的なヒットを記録したにもかかわらず、
    他社が企画を立ち上げつつ類似作品を出せなかったことは、
    先生がやり遂げたことの凄さを表していました。~中略~
    ボクが今もこうして歌い続けていられるのは、先生のおかげです。

    ~10月25日「我が道」(スポニチより一部抜粋)

    歌謡組曲 アルバム ~東京の空の下で 「その人は昔」 ~より

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    コロシート 歌のプリンス 掲載

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    TV番組「昭和偉人伝」より

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    毎日新聞社 昭和歌謡史 掲載

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    船村先生が舟木さんに提供なさった作品の中で私が一番好きな曲です。

    星の夜北へ帰る
    https://youtu.be/1fqZCYTJFNE






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    「我が道」(スポニチ連載)27日目のタイトルと関連資料などご紹介します。

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    ~「初めてお会いしたのはボクがデビュー直前の1963年(昭38)4月ごろ、
    TBS「ロッテ歌のアルバム」の会場でした。
    58年にスタートし77年の1000回放送まで玉置さんが司会をされた人気番組。
    そんな現場の空気を体感させようとマネージャーが連れて行ってくれました。~中略~
    玉置さんはボクがデビュー翌年に行った東京・浅草国際でのワンマンショー以降、
    2010年に亡くなる直前まで主な舞台公演の司会を務めてくださり
    ”寒い時期”も見守り続けてくれました。97年に念願だった東京・新橋演舞場で
    初座長公演を行った際も、もちろん司会をお願いしました。~中略~
    出会った頃の玉置さんは20代後半でしたが、その風貌は黒縁メガネに短髪で
    ずっと年上に見えました。”歌い手さんより若く見えてはいけない”との配慮だったといいます。
    そういえば恩師の遠藤実先生も同じでした、ボクと年齢がひと回りしか違わないと知ったのは、
    出会ってからだいぶ後のこと。~中略~大人に見られることに意味があった時代。
    若さばかりがクローズアップされる現代とは違う美徳があったといえるかもしれません。

    ~10月27日「我が道」(スポニチより一部抜粋)


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    左は、大阪新歌舞伎座・初座長公演のパンフレットより
    右は明治座・座長公演のパンフレット(中央は赤坂小梅さん)より


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    こちらも、明治座公演のパンフレットより。30代になったばかりみたいですが、カンロクありますね。

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    ちなみに、こちらの遠藤先生も、まだ40歳になるかならずの頃…(1972年撮影)

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    新橋演舞場初座長公演(1997年)の頃の玉置さん


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    新橋演舞場公演「沓掛時次郎」  舟木一夫&玉置宏トークショー
    ~平成十三(2001)年七月九日 フォーシーズンズホテル椿山荘 東京にて~

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    玉置さんが亡くなられた時の記事と舟木さんの哀悼(感謝)の言葉

    【玉置宏さん死去】
    舟木一夫さん「目配り、気配りに幾度となく救われた」(サンケイ新聞)

    2010 .2.12 19:08 ネット発信

    イメージ 11歌手の舟木一夫さんのコメント。

    18歳でこの世界に入り、右も左も分からずにまごついていたころ、何かにつけて玉置さんの目配り、気配りに幾度となく救われました。

     流行歌の昭和・平成を、鮮やかに彩ってくださった玉置さん。ありがとうございました。…思い出は尽きません。


    ※写真は復帰コンサートで玉置宏さんとトークする舟木一夫=2001年01月16日。

     滋賀県立芸術劇場びわこホール
    (撮影森本幸一)




     




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    またしても、台風が発生していて、週末はずっと雨が続くみたいですね。

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    「我が道」(スポニチ連載)28日目のタイトルと関連資料などご紹介します。


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    ~ステージで歌うボクの姿は皆さんにどう見えていますか?~中略~
    実は5年くらい前から、舞台で歌う際は必ず両足の親指と小指に絆創膏を貼ってるンですよ。
    ~中略~毎年、多くのコンサートや舞台公演をやらせていただけているからこその悩み。
    ペンだこ、キターだことかありますが、ボクのは歌いダコでしょうかね(笑い)。
    歌うという作業は、お客さまが気がつかないところまで全身を使います。特にライブは体への負担が大きい。
    常に全身を見られていますから。~中略~それでもプロとして、さりげなく歌うというのがボクの考え方。
    ~中略~23歳の時に映画「北国の旅情」(67年)の撮影シーンで初めて吸って味を覚え、
    30代の頃なんて絵に描いたようなチェーンスモーカーでした。~中略~
    やめたきっかけは仕事に穴を空けてしまったこと。~中略~
    今年9月に入院しましたが、もうすぐ73歳ですから、そりゃいろいろ出てきますよ。
    幸せにも、よく持ってる方じゃないですか(笑い)。

    ~10月28日「我が道」(スポニチより一部抜粋)


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    タバコを吸うきっかけになった、映画「北国の旅情」 別冊・近代映画 1967年2月号より

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    こちらも、この頃の写真、なんか、カッコつけてません?(笑)

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    レコードジャケットまで…

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    タバコ習慣、続きますね~、そろそろやめた方が…


    1999年発行 風まかせ  東京新聞出版局掲載

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    そして…言わんこっちゃないですか!
    ZAKZAK 2002/01/09 より

    舟木一夫が緊急入院  胸の痛みを訴えて


    イメージ 11 舟木一夫  歌手、舟木一夫(57)=写真=が胸の痛みを訴え、8日未明、東京・新宿区内の病院に緊急入院していたことが9日わかった。

     関係者によると、舟木は7日深夜、同区内の自宅で体調が悪くなって、119番通報したといい、現在も入院中。所属事務所では、夕刊フジの取材に「検査のため入院したと聞いています。くわしい病名やいつまで入院するかなど、担当者がいないので今はわからない」と説明している。

     舟木は昨年7月31日にも、新橋演舞場での座長公演の稽古中に狭心症で倒れ、救急車で病院に運ばれた。このときは数時間で症状が回復し、同日中に退院。翌8月1日から稽古に復帰していた。

     所属レコード会社などによると10日に地方で仕事が控えているほか、2月から「芸能生活40周年記念舟木一夫オンステージ」を全国で開催、4月に舞台、6月には新曲を発売する予定になっている。


     昨年は12月25日まで1年以上にわたり、西郷輝彦(54)、橋幸夫(58)とともに全国100都市で「御三家メモリアルコンサート」を開き大盛況だった。


    舟木さんも私たちファンも、健康第一。どちらが欠けても成り立たない舟旅です。

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    早々と、舟友さんから、2018年のコンサートのチラシをちょうだいしました。
    通常コンサートは基本的に一日一回公演の二部構成みたいですね。楽しみ





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    金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に 
    (こんじきのちいさきとりのかたちしていちょうちるなりゆうひのおかに)

    この時節になると、毎年のようにアップしているかも…(笑)
    私の大好きな与謝野晶子の短歌です。

    もう一週間ほど前になりますが、銀杏をスーパーで見つけたので銀杏ご飯を作りました。
    ほんのり塩味だけの味付けで、秋の味覚を楽しみました。

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    「我が道」(スポニチ連載)29日目のタイトルと関連資料などご紹介します。

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    ~そんな思いを改めて実感したのは1997年(平9)の新橋演舞場での初座長公演。
    「学園広場」を歌うとお客さまの大合唱が起きました。青春時代がよみがえった同世代の一体感は、
    ボクがその後歌い続けていくための大きな力を与えてくれました。~中略~
    ボクが大事にしたいのは、流行歌は”湯船の鼻歌”でいいという思いです。
    お客さまが風呂で湯船に浸かったら、ふわっと口から出てくるような…。
    ~中略~還暦を過ぎてからしばらくたったこの10年。ボクにとって大切は方々が旅立たれました。
    08年には恩師の作曲家・遠藤実先生(享年76)、その翌年には作詞家の丘灯至夫先生(享年92)。
    「高校三年生」を生み出してくれた恩人であるお二方のためにも、
    一時代をつくった流行歌の数々をボクらの世代は歌い続けていかなければならないのだと感じます。

    ~10月29日「我が道」(スポニチより一部抜粋)


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    クリアじゃないですが、この時期のスリーショットは珍しいかも…
    「15周年記念 舟木一夫大全集 限りない青春の季節」 冊子掲載

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    古関裕而の楽友たち~丘灯至夫と「高校三年生」/盛大だった歌碑除幕式 webページより
    http://www7.plala.or.jp/edih/gakuyu/koukou3.html

    盛大だった歌碑除幕式(文中敬称略)
    舟木一夫の歌った「高校三年生」は、21世紀に残る青春歌謡である。平成7年、NHKによって募集された「21世紀に引き継いで欲しい歌」の第4位に、この歌がランキングされている。その記念すべき歌碑が福島県郡山市の駅東口にこのほど建立された。
     
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    平成14年4月13日(土)、郡山駅東口には、この除幕式を見ようと、500人を越える大観衆が集まった。除幕式参列者は、作詩家丘灯至夫と作曲者遠藤実、それに「高校三年生」を歌った歌手舟木一夫と歌碑彫刻家の三坂制(せい)である。
    舟木の人気は当代随一で、かく言う私もファンの一人である。現在57歳の舟木は、歌のみならず、舞台やテレビにも出演し、多くのファンを魅了している。
    舟木は「『リンゴの歌』『青い山脈』『高校三年生』、この3曲で昭和の青春歌謡は決まっているといわれております。あれから40年、この曲と巡り会えてこの上なく幸せであるとともに、3分02秒の短いこの曲で一生が決まりました。大変感謝しています。」と挨拶し、歌碑の脇の特設ステージで「高校三年生」を熱唱した。
    作曲者の遠藤実は、「私があの有名な遠藤実です(笑い)。私は高校に行けなかった憧れを、このタイトルを見、この詩を読んだ時に、自分の夢がこの歌を作曲させたと思います。この歌だけは、歌が先行して、報道関係の方から驚いて取材されました。」と述べた。
     (写真 除幕式での左から舟木一夫、遠藤実、丘灯至夫とノブヨ夫人)
     
     
     『高校三年生』は日本の愛唱歌
     
    作詩家丘灯至夫は、「私は生まれたのは小野新町です。しかし生まれてから1年ちょっとで、父親の仕事の関係で郡山市に移ってまいりました。金透小学校を卒業後、生徒が100人足らずの郡山商工学校商業科(現福島県立郡山商業高校)に入学しました。当時は3年制でしたが、まもなく5年制になるから続けなさいといわれましたが、勘弁していただきまして3年で卒業しました。
    ここにあるのは楡(にれ)の木ですが、私は楡の木が日本産であることを知りませんでした。どうも作詩家などは講釈師と同じで、見もしないことを見たように書いたりします(笑い)。
    私は体が弱いもので、鉛筆1本でやれるものを探したところ、新聞記者と作詩家がありました。新聞記者は30年間定年まで勤めました。作詩家の方は今もって現役で、最近は仏様の歌とか神様の歌とか、また詩吟や新民謡などの仕事をやっています。
    舟木さんにいわせれば、私は『高校三年生』と『ハクション大魔王』で食っているといっていますが(笑い)、歌というものはつくった本人は売れるか売れないか分からないものです。
    高校三年生のヒットは、歌手と作曲家の力によるものです。本県だけでなく日本全国の愛唱歌となることを期待したいと思います。」とユーモアを交えて謝辞を述べた。
    彫刻家三坂制(せい)は、「雲海にたなびくような爽快なイメージをふくらませてデザインしました。この広場がみなさんの憩いの場になるように可愛がっていただきたい。」と挨拶した。
    最後に丘の後輩たちの郡山商業高校管弦楽部の演奏に合わせて、会場に詰めかけるファンによって、「高校三年生」の大合唱がなされた。
    歌碑は白御影石に、歌詞を刻んだ銘板がついたもので、歌碑建立実行委員会が結成され、多くの善意の寄付が寄せられて完成したものである。歌碑は日展作家の彫刻家三坂制によるもので、歌碑脇には、歌詞にでてくる楡の木が植えられた。
     
    歌碑除幕式祝賀会
     
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    徐幕式後、会場を移して、郡山ビューホテルにおいて歌碑除幕式祝賀会が開催された。
    参加者はこれも500人を越える人々で、遠く九州や盛岡から駆けつけた熱心な舟木のファンも大勢参加し、祝宴を盛り上げていた。
    祝辞の中で遠藤実は、「私は舟木君の名付け親です。ですから御三家の中で舟木君が断然人気があるといわれて、ものすごくうれしかった。『高校三年生』の歌が流れてくると、青春が戻ってきます。私は3曲100円の流しをやっている時、この詩に出合って、ときめきました。その時の魂の波動がオタマジャクシになりました。」と述べた。(祝賀会で花束を受ける左から丘、遠藤、舟木と三坂)
      
     
     人との出会いが大切―舟木一夫 

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    その後舟木は、「20代・30代の時には分かりませんでしたが、人との出会いが自分を決めるといわれております。それが分かったのは私の47歳の、30周年の時でした。遠藤・丘先生のお二人に出会わなかったら今の僕はなかったと思います。この二人は私のご両親です。生んでいただいて有り難うございます(笑い)。
    この歌は珍しい歌です。歌詞を見るとメロディーが出てくる。メロディーが流れてきますと歌詞が浮かんでくる。舟木の写真を見ると『高校三年生』が浮かび、『高校三年生』が流れてくると舟木一夫が浮かんでくる。このような歌はそんなに沢山あるものではありません。
    またこの歌には思い出があります。この曲はコロムビアの同時録音の最後の曲でして、普通は5~6回演奏するものですが、この歌だけは、2回目でOKがでた曲でした。
    丘先生に最初に出会った時、お体が悪かったので、この方は本当に大丈夫なのかと心配しました。しかし今は、どうやったらこのようにお元気になられるのかと、それが何よりうれしいことです。」と話した。


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    舟友さんからちょうだいしました。いつもありがとうございます。

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    舟木さんの「幸せ」…やっぱりお仕事のこと、ステージのことが原点になっているんですね。
    この紙面でも、とびっきりの笑顔を見せてくださってステキ

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    文字の所を拡大してみました。

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    台風一過、これを境にして一気に「晩秋」というカンジになりましたね。
    久し振りにお日様も元気になって、カラッと晴れてくれるのは、うれしいのですが、
    朝晩、冷え込みがキビシクなるので、風邪に要注意!ですね。

    朝日新聞 DIGITAL
    都心で木枯らし1号、昨年より10日早く
    http://www.asahi.com/articles/ASKBZ3PH8KBZUTIL00V.html

    気象庁は30日、東京都心で「木枯らし1号」が吹いたと発表した。昨年より10日早いという。都心では午前5時半ごろ、最大瞬間風速16・6メートルを記録。最大風速も午前10時半ごろに8・6メートルを観測した。
     気象庁によると、30日は各地で朝から晴れ間が広がった一方、台風22号から変わった低気圧が急発達し、西高東低の冬型の気圧配置になったという。上空に冷たい空気が流れ込んでおり、夕方以降は冷え込みが厳しくなる見通しだ。
     木枯らし1号は、10月半ばから11月末の間に初めて吹く毎秒8メートル以上の北寄りの風。同庁は東京都心、近畿地方でこの風を観測すると、木枯らし1号として発表する。

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    丸々、一ヶ月の連載も、明日でおしまい。ちょっとサビシイですね。


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    「我が道」(スポニチ連載)30日目のタイトルと関連資料などご紹介します。

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    ~あの”寒い時期”には自分で振ることも、支えてくれるチームメートもいませんでした。
    それでも、もう1打席くらいは回ってくるだろうと思っていました。~中略~
    40歳を過ぎ、同世代の方だけを向くと覚悟を決めた時点で、なんとかバットに当てられるんじゃないかと…。
    思いは現実のものとなりました。~中略~前を向き、心身ともに充実してくると、
    不思議と物事はいい方向に回り始めます。~中略~デビューから55周年。
    もうここまでくると中途半端に「舟木一夫」を終わらせたくはありません。
    カットアウトするには、ボクは歌が好すぎました。歌との出会いからボクの人生は動き出し、
    歌があったからさまざまな困難を乗り越えることができました。

    ~10月30日「我が道」(スポニチより一部抜粋)

    さて、舟木さんの長い旅路をたどる連載も、「舟木一夫の今」にたどり着きました。
    グッド・タイミングで、つい今しがた、ポストをのぞくと松竹歌舞伎会の会報「ほうおう」12月号
    が届いてましたので、その誌面をアップすることにします。

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    見開き2ページに掲載です。

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    こちらは、10月24日付けのネットニュースです。

    ステージ・ナタリー
    http://natalie.mu/stage/news/254378

    舟木一夫が大石内蔵助、松也が浅野内匠頭、里見浩太朗が千坂兵部

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    12月に新橋演舞場にて上演される「舟木一夫特別公演」に、尾上松也が出演することが明らかになった。
    今年2017年に芸能生活55周年を迎えた舟木一夫が、「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」の昼夜通し狂言に挑む本公演。「忠臣蔵」は、大河ドラマ「赤穂浪士」でテレビデビューした舟木にとって思い入れの深い作品であり、舟木が大石内蔵助を、松也が浅野内匠頭を、特別出演の里見浩太朗が千坂兵部を演じる。

    第二部は、「シアターコンサート」と銘打ち、名曲の数々を舟木が熱唱。昼と夜の部、異なる構成となっている。そのほかさまざまな特別企画が催されるので楽しみにしていよう。

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    新橋演舞場 芸能生活55周年ファイナル「舟木一夫特別公演」
    2017年12月2日(土)~24日(日)
    東京都 新橋演舞場

    第一部「通し狂言『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』」

    出演:舟木一夫 / 尾上松也 / 林与一 / 長谷川稀世、
    丹羽貞仁、林啓二 / 葉山葉子、曽我廼家文童 /
     田村亮 / 紺野美沙子 / 里見浩太朗


    第二部「シアターコンサート」


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    「我が道」(スポニチ連載)最終回/31日目のタイトルをご紹介します。

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    ~懐メロという言葉があるように、歌は懐かしくてもいい。でも歌い手は懐かしくなってはいけない。
    ~中略~ボクが生きていく上で、大切にしている言葉があります。
    「箱根山、駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」。
    社会はそれぞれに担う役割があって成立しているということ。
    「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」。人生は分相応でいい。
    この2つを胸に刻んでいます。~中略~そしてボクの役割というのは、
    同世代の皆さんの歌い手であり続けることなンだと思う。
    ~中略~ボクはこれからも、ありのままで歌っていきます。
    風邪をひいたら風邪をひいた声。72歳のこの声で。
    今のボクと、今の皆さんが同じ空間を共有し、ともに楽しもうじゃありませんか。

    ~10月31日「我が道」(スポニチより一部抜粋)


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    そして、最終回の関連「資料」として、私の拙いコンサート・レポートを!

    イメージ 6「速報」は、コンサートの翌日にアップしていますが、あれからもう一週間経過してしまいました。遅れ馳せながら…いつものように舟木さんのトーク部分をメインに、コンサートの模様をご報告します。

    その前に…。トークの中でもおっしゃってますが、この日が、コンサートツアーの最終日(最終会場)ということだったわけです。舟木さんの中では、9月の「緊急入院」というアクシデントを経験されて、しばらくの安静期間、休養期間のあと、島根でステージ復帰され、続いて広島、松山のステージを無事に終えられ、あとはもう大阪フェスティバルホールで、2017年のコンサート・ツアーの締め…というお気持ちだったのですね。

    私はボンヤリなので、そこのところ全然ヌケてて、舟木さんに言われて、気づいたという次第。思いがけない出来事も、見事にクリアなさって、短い充電期間でいつもと変わらない素晴らしいステージを届けてくださった舟木さんの精神力と体力には、本当に脱帽です。

    先日のNHK「ごごナマ」でも、映像で紹介されていましたので、舟木さんのお元気な様子を皆さんもご覧になって、安心なさっていることと思います。舟木さんの軽快なトーク、不十分ながら、その一部を、レポートさせていただきます。フェスティバルホール周辺のバラたちの写真もちりばめつつ

    ~舟木さんのトーク部分はピンク文字~

    その名も「ローズ・オオサカ」

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    2017 舟木一夫コンサート  大阪フェスティバルホール 10月24日 14時開演

    私は、復帰なさってから初めて舟木さんとお目にかかるステージだったので、幕が上がるまでソワソワ…まずは、「君たちがいて僕がいた」オリジナル音源のあのセリフで、開幕。
    ~♪清らかな青春 爽やかな青春~  
    セリフが終わると、「高校三年生」のイントロ…舟木さんのシルエットが浮かび上がって…

                                                          島根県民会館ステージ復帰ニュースの画像
    イメージ 7~オープニング 
    高校三年生 

    どうやら無事に台風をかいくぐりました。去年からもう4回ぐらいコンサートのある日に台風が来る、台風が来る…と(笑)ところが、これがクローズ(公演中止)したことはないという幸運!きょうはようこそ…今日が実はコンサート・ツアーの最終日。あとは中野ファイナルのみということです。
    いろんな歌をつなげていきます。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。

    ~プレゼントタイム/メドレー 

    あゝ青春の胸の血は  
     
                 舟友さんのプレゼントの花束 

    イメージ 8修学旅行  

     
    仲間たち  

     
    君たちがいて僕がいた  

     
    友を送る歌 


    舟木一夫も足かけ55年たちました。18才でデビューして…70~指を2本出して~ワッ!(笑)あと一ヶ月半くらいで誕生日が来る。~ワッ!~73!(笑)
    こないだ「舟木一夫 緊急入院!」というニュースが出ましたが~前立腺炎、これはインフルエンザみたいなもんです。大病じゃない。オトコの子は最終的には90%くらいくるもの~オトコの子の老衰(笑)、前立腺~前が立つ~オトコの子としては、こだわりを持たざるを得ない(笑)女性も「血の道」っていうのがあるようですが…
    最近、痩せたんじゃない?って言われるんですが、これは痩せたっていうより萎んでる(笑)
    要するに、全体的にこうなりますが~と身体のあちこちが下に落ちてくるジェスチャーをする舟木さん~痩せてるんじゃないんです。萎んでる。と二回も繰り返して「萎んでる」とさも、愉快そうにおしゃる舟木さんでした。

    「高校三年生」のB面からメドレーで

    イメージ 9水色の人  

    ブルー・トランペット 
       
    あいつと私  
     
    雨の中に消えて  
     
    くちなしのバラード  
     
    たそがれの人  


    その人は昔 
     
    この歌は流行歌の範疇には、入らないでしょうね。21歳のときの歌。
    松山善三作詩、船村徹作曲の組曲。レコード・ドラマですね。詩じゃなくて「台本」ですからね。船村先生が、おっしゃってました。なんだか週刊誌にメロディーつけてるみたい…と。メロ譜(歌の部分の楽譜)だけで72枚ありましたから。
    若い頃は気がつくと、歌をお聞かせしよう、お聞かせしようとやっていた。
    ここで、二つばかし、一緒に手など打っていただいて、お尻を上げていただいて。重いでしょうが…(笑)

    イメージ 10~スタンディング ジャケットを脱いで… 
    銭形平次  

    夏子の季節(サインボール) 
     

    こういうことやってるから疲れるんですよネ(笑)ラケットもって歌う歌い手って(笑)
    テーブルの上に置いてあるカップのところに歩いていきながら…
    なぜコップ(舟木さんカップと云わずにコップと)が二つあるのか?あっちは京都の水飴をうす~くした飴湯。こっちはほとんど飲みませんが氷水。
    この2曲をやってる間にトイレに立つ方もいらっしゃいますが、見てたら、4人立って行かれて、まだ2人お帰りになっていない。安否が気にかかる(笑)あ、今、おひとりお帰りになりました(笑)こうやってしゃべってるのは、疲れたから、ただ休んでるだけ…(笑)

    ラケット持ってま~す

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    この後、林与一さんの話題などあれやこれやおしゃべりしたあと、あ、最後の方が生還!(爆笑)舟木さん、客席、とっても暗いのに、ホント、目がいいんですね。遠くはよく見える?(笑)

    僕らが子どもの頃は、道も舗装なんかしてないから埃の中で遊んでた。もう書き手にもそんな経験をした人がいなくなって…
    人も風景もやさしかった頃の歌を並べてみようと…「初恋」から

    ジャケットをシルバーがかったブルー・グレーに着替えて。
    こういう色合いが舟木さんにはよくお似合いだと…(私の個人的好みですけど)


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    初恋 

    あゝりんどうの花咲けど  
     
    夕笛  
     
    吉野木挽唄~絶唱  
     
     
    イメージ 14さっきの話のつづきになりますが…肌触りがやさしいですね。なんとも言えず…、今は、作るのもむつかしいですが、聞く方もこの世代が最後。ある世代じゃないとわからない。
    ボクは「高原の駅よさようなら」という歌が好きで~と小畑実さんの歌マネで「♪し~ばし わ~かれのォ ♪」子どもの頃、ツーコラス目「♪旅のお方と 恨までおくれ」というのを「旅の人を裏まで送って行く」のかと思ってた。「高校三年生」の「♪クラス仲間は」を「(下宿とか寮とか)同じところで一緒に暮らす仲間」かと思ってたというハナシも(笑)
    古賀先生も船村先生も、「はじめに詩ありき」、詩がお姉さん、曲が妹という考え方でした。
    初めての恋~男と女が向き合う~うまくいくワケないですよね。経験のないことだから。
    この時、汗を拭くハンカチ?を手に持ったままだったことに気づいて、こんなの持って恋のハナシしてるの女々しいですよね(笑)ポイッ!~と放り投げる舟木さんに爆笑でした。


    イメージ 15花咲く乙女たち 
     
    東京は恋する  

    北国の街  

    哀愁の夜 

    高原のお嬢さん 




    イメージ 16お客さまと長い旅を続けるには作品に恵まれないと…ボクは歌に思いっきり恵まれた歌い手ですよね。やっぱり、ツク、ツカナイってあると思いますよ。
    さて、55年、そのあとは…お前、どこまで行くの?
    もう60という数字をおいての周年に向けて歩いていくしかない。~60周年で77!その頃はバンドメンバーの一人か二人は…お約束のごとくタイミングをはかって後ろからポクポクポク(木魚)、チーン(おリン)の音がして。
    お客さまも、ご自宅から会場までたどりつく体力、気力を…(笑)65くらいから今のボクらの歌をほしいよな、と思っていたら出てきました。ひとつ目は「みんな旅人」、二つ目は、南こうせつ作曲…と紹介する時にうまくロレツが回らず噛んじゃった舟木さん、60周年は多分、入れ歯で~だったらもう歌い手ヤメロヨ!とノリつっこみしてました(笑)

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    イメージ 19こうやって笑わせておいて…おもむろに歌に~(笑)

    みんな旅人

    春はまた君を彩る
     

    2曲をステキに歌い終わって笑顔で手を振る舟木さん、緞帳が降りてくるのを階段を駆け下りてきて、右手でとめる仕草。

    ステージの前の方に出ていらして、「♪あ~かい ゆう~ひが」
    客席全員の大合唱。そして、そのあと舟木さんがフルコーラス、たっぷり。
     
    イメージ 20高校三年生



    こちらも、最初は、「♪そ~らに むか~って」で全員合唱、舟木さんがオーラスでフルコーラスの「学園広場」
     
    学園広場



    バラの名前は、ジーナ・ロロブリジータ~確か、イタリアの女優さんでしたよね。


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    イメージ 23この日のステージ、幕が上がってからオーラスまで、舟木さんの表情に一点の曇りもなく、キラキラと輝いてました。ステージでの動きもかろやかで、声の艶も申し分なし。

    お客さまと歌い手は「ギブ・アンド・テイク」という舟木さんの持論、そのままのステージ。舟木さんにとっても「あ・うん」の呼吸で、同じ空間と時間を共有しあう「お客さま」との楽しいひとときだったのではないでしょうか。ことに、ラストの2曲「高校三年生」「学園広場」を歌う舟木さんのお顔は、幸せをかみしめていらっしゃるようにも見えました。

    始まる前の心配はどこへやら…知らず知らずカズオマジックに包まれて、舟木ワールドにどっぷりと浸かってしまっていた私でした。気がつけば、今、私たちが「私たち(オレたち)の若い頃はね…」なんていう物言いができることの根っ子のところには、舟木一夫の学園ソングをバックミュージックに過ごした世代だからかも知れないという感慨にふけってました。

    大阪フェスティバルホール。いつも以上にしみじみと楽しませていただいたコンサートになりました。


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    今日から11月です。2017年も、あと、わずか2ヶ月を残すのみとなりました。11月5日と6日の中野サンプラザ「ファイナル・コンサート」は目前。12月の演舞場公演も一ケ月後に迫ってきてますね。

    2017年の卓上カレンダーも、もう最後の一枚になってしまいました。
    いろんな舟木さんが、いっぱいの11月、12月のカレンダー。
    どのショットもため息が出るほどステキです

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    そして、もう2018年のスケジュールの一部も発表されています。


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    開催が決まっているものから、随時アップしていきます。(開催日順)


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    2月8日(木)大宮ソニックシティ  14時/18時
       
    2月16日(金)練馬文化センター  15時
       

    3月10日(土)全国縦断 にっぽん演歌の夢祭り2018 仙台公演  11時半/16時
    チケット 一般発売  11月17日(金)

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    3月14日(水)宇都宮文化会館   15時

      
    3月19日(月)太田区民ホールアプリコ 15時
    3月20日(火)太田区民ホールアプリコ 13時


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    3月23日(金)中日劇場さよならコンサート 12時半/16時半
    チケット 一般発売  12月16日(土)

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    3月28日(水)舟木一夫コンサート in 新歌舞伎座  17時 
    3月29日(木)舟木一夫コンサート in 新歌舞伎座    12時半/16時半
    チケット 新歌舞伎座電話予約開始 12月12日(火) 


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    7月 名古屋御園座  舟木一夫特別公演


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    *2017年に予定されていた舟木一夫コンサート(振替公演)の日程、
    及びチケット購入についてはこちらのサイトをご確認ください。

    2月28日(水)福岡市民会館(*振替公演)  14時/18時

    3月2日(金)coグランシアタ・大分(*振替公演) 14時/18時

    4月10日(火) 鹿児島市民文化ホール(*振替公演) 14時/18時

    舟木一夫 コンサート・ライブ情報
    http://www.geocities.jp/return_youth/concert/songs_showa/funaki.html


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    いよいよ、2017年を締めくくるステージ、中野サンプラザ・ファイナルコンサート開催です。
    私は、6日に日帰りで舟木さんに会いにいきま~す


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    スポニチに連載された「我が道」の中で、舟木さんが「寒い時期」という言葉で表現されている数年間。それは、歌い手として表舞台に出ることから遠ざかっていた時期という風に私は受け取っています。
    でも、この「寒い時期」にも舟木さんの中で表現者としての火種は絶えることなく燃え続け、たくさんの魅力に満ちた楽曲を生み出しました。私も、そして舟木さんファンなら皆さん大好きな「WHITE」の世界です。
    この「WHITE」には、詩を書くこと、曲を作ることを生業(なりわい)としているプロの作家の方たちの手によるものとは、ひと味も、ふた味も違う、「人間・上田成幸(=舟木一夫)」の感性や価値観、人生観にいたるまでもが見事に表現されているのですから、「WHITE」で舟木さんをより好きになったファンは、特に女性ファンはいっぱい、いらっしゃるのではないかと思います。私も、その一人かな?

    舟友のkazuyanさんが、その「WHITE」の中から、「手さぐり坂」を動画にしてくださいました。、10月24日の大阪フェスティバルホールを楽しまれた日の雨の大阪の夜景とステキにマッチングしていて舟木さんの歌声が心に沁みます。


    大阪フェスティバルホール55周年記念コンサートアフター/BGM:手さぐり坂




    手さぐり坂  作詩・作曲:上田成幸
    (アルバム「WHITE Ⅱ」収録)

    人生なんて 言葉も文字も
    好きには なれなくてイメージ 4
    下りては登る道に 名づけた
    手さぐり坂と――
    男が迷う 女がつまずく
    傷つきながら 何をまさぐる
    あふれる人波は 暦の中にひしめき
    手さぐり坂を すりぬけて行く
    幸せに すがる

    荒野を臨み 谷を見おろし
    灯りは うすくとも
    手さぐり坂を ころがる夢は
    こころにつなぐ――
    いたみに耐えた 季節の数だけ
    男はきっと やさしくなれる
    豊かさそれぞれに 振りむく花それぞれに
    手さぐり坂は どこまで続く
    この空の下をイメージ 5

    いつかこの手の 涙のあとを
    陽射しに およがせて
    静かにひとり 手さぐり坂で
    飲みたいと 想う――
    喜び行いの 哀しみ列車
    哀しみ止まりの 喜び列車
    丸いレールをかみ まわる・まわる 風ぐるま
    手さぐり坂の 始発の合図
    聞きながら 今は


    秋バラの季節。これは、昨日行った家の近くの乗馬クラブの敷地内に咲いていたバラ
    娘が通っていたことがあるので、時々、馬たちを見にいきます。馬の顔を見てると癒されますね~

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    舟友さんからちょうだいしました。いつもありがとうございます。
    ジャケットも晩秋らしい装いになってきましたね。本日は1回公演。
    今頃はステージの真っ最中ですね。今年もハートが飛んでくるのかなァ…


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