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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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雑誌「明星」(1964/4月号)の舟木さん その2

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モウレツな台風に大地震…自然災害に見舞われた日本列島。
犠牲になられた皆さまのご冥福を心からお祈りします。
また。安否のわからない方のご家族のお気持ちはいかばかりかと…
被災された方々、これ以上の被害が出ず、一日も早く日常が戻るようにと願うばかりです。

そんな酷い自然の猛威の一方で、自然は確実に秋の風情も運んできています。
近くのスーパーへの道すがら、ご近所のお庭で芙蓉が咲いているのを見つけました。
ちなみに私の三女の名前「芙実」10月半ば生まれ。芙蓉の実(種)の頃誕生…という意味合いです。

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明星 1964年4月号 掲載の舟木さん

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椿の花咲く大島へ 一夫ちゃんの見学旅行  グラフ その1のつづき
 
左下の文字
「モウ 帰るの?」 「モウ すこしいますよ」
牛乳とバターがすごくおいいしいです

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文字部分(右上)

東京から南へ110キロ…伊豆の大島へやってきました
大島といえばまずアンコです そのアンコ(とっても美人でした)のガイドで
三原山の御神火を仰ぎ 椿咲きにおう緑の島を心ゆくまで見物しました
なににもまして嬉しかったのは雄壮な大海原と夢の島の大自然のなかで
胸いっぱいに”浩然の気”を養うことができたことです
  
舟木一夫

文字部分(左上)

ドラがなる 別離はいつも悲しいもの でもこれが再会への出発点です
「どうも ありがとう またきます」


文字部分(中央写真左上)

椿の花言葉は「わが運命は君の手にあり」で
特に白椿は「完全な愛らしさ」です
舟木さんと一脈つうじるところありですね

文字部分(左下)

「さあ もっとすまして!」
と腕にヨリをかける舟木カメラマン

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辛い、悲しい出来事が続いて、気持ちも下向きになりがちですが、
でも、やっぱり明るく元気にいくしかないですよね。…ということで、ここは、気持ちを切り替えて…

おもわず吹き出してしまいました。 ライブでの舟木さんのおしゃべり
~youtubeからお借りしました~

舟木一夫さん 面白い歌講義 から みんな旅人 1990年





雑誌「明星」(1964/4月号)の舟木さん その3

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やっと秋らしくなってきた今日この頃です。お天気は秋霖のようですっきりしませんが…

明日13日と明後日14日は八王子でコンサート開催です。
おでかけになる皆さま、楽しんできてくださいね。
私は、関東は遠いので行けませんが、明日は京都にふらりと出かける予定です。

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雑誌「明星」(1964/4月号)の舟木さん

この号では、「君たちがいて僕がいた」の原作(富島健夫)の連載がはじまったようです。
後日、アップしますね。

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こんな企画もあったんですね。う~ん、レコード化はされなかったようですね。

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舟友さんから情報をちょうだいしました。いつもありがとうございます。


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時代劇専門チャンネル
https://www.jidaigeki.com/osusume/funaki/



「舟木一夫 時代劇祭り!」特番収録より、舟木さんと徳光さんの笑顔が眩しい2ショットが届きました!
https://mobile.twitter.com/jidaigekich/status/1039367085137178624

おふたりともステキな笑顔です。お話しがはずんだようですね。

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今日の舟木さん「お出迎え」の模様~八王子オリンパスホール(9/13&9/14)

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昨日13日と本日14日は八王子オリンパスホールでコンサート開催でした。
舟友さんからお写真をちょうだいしてましたがアップが遅くなってしまい申し訳ありません。
舟友の皆さま、本当に、いつもありがとうございます。

13日(木)の舟木さん

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14日(金)の舟木さん

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雑誌「明星」(1964/4月号)の舟木さん その4&ちょっと箸やすめin京都

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毎日、雨が降るのか降らないのかはっきりしないです、ジメジメして傘もいるのかいらないのか…
一昨日京都に行ってきて、昨日の午前中に帰ってきたのですが、その間、ずっと小雨模様でした。

明星の記事をアップする前に、「ちょっと箸やすめ」ということで京都のことを…

五条大橋南詰から撮影

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今回は、映画を2本、落語会をひとつ楽しんできました。
時系列で、ツラーっとご紹介します。

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その1 映画「検察側の罪人」 MOVIX京都

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先ずは、「検察側の罪人」、これは私が俳優としての二宮和也さんに注目しているから…
まだ公開中ですので、感想はスルーしますが、2時間釘付けになる展開でした。
ハードな内容ですしシンドイといえばシンドイ作品ですが、結構シニアの観客も集めているそうです。
以下の動画で、そこそこコンパクトにこの作品の魅力がまとめられています。
キムタクとニノの共演も目玉ですが、バイプレーヤーの皆さんの働きが素晴らしいので
とんでもないストーリーですが、リアルに感じられて引き込まれました。

映画『検察側の罪人』が824倍楽しくなる木村拓哉×二宮和也のトークと撮影の裏側必見です



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京都市内ではあちこちに小さな祠やお堂がみられます

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その2 映画「西陣の姉妹」~ 京都文化博物館 フィルムシアター

当時の映画のポスター
右上の芸妓姿は田中絹代さん。

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西陣の姉妹(1952年公開)…この年は私が生まれた年です。
以下のサイトで詳しく解説されています。

一夜一話 映画「西陣の姉妹」 監督:吉村公三郎
http://odakyuensen.blog.fc2.com/blog-entry-1687.html

イメージ 6振り返れば戦前から、和装のニーズは減っていた(と、セリフにある)。
 くわえて、手工業から機械化工業化へと進む中、京都西陣は手工業の伝統を守り、かつ高級品を生産するがゆえに沈滞、衰勢の状況であった。
 日本中の呉服屋に名の通った老舗大森屋、ここのあるじ大森孫三郎がある日、ピストル自殺。
 しかるべき各方面に借金を重ねても資金繰りがうまく行かずのことであった。
 残されたのは、妻のお豊(東山千栄子)と、長女・芳江(三浦光子)、次女・久子(宮城野由美子)、三女・富子(津村悠子)の三姉妹に、番頭の幸吉(宇野重吉)や大森屋の機(はた)を織る織り子たちと、西陣にある下請け工場(こうば)の織り子たち。そして莫大な借金。
もとより、妻のお豊と三姉妹の女四人の誰もが、大森屋の今後を考えることはできなかった。
 そこで番頭の幸吉が、再建に向けての手はずを整えた。幸吉の申し出にお豊が承諾したのだ。幸吉は番頭でありながら心底、大森屋の人間であった。
 しかし、結果これがうまくいかなかった。肝心の問屋が破産し納品できなかったのだ。
 織り子たちがざわめき始める。
 わけても、高利貸しの男・高村(菅井一郎)が一気に高圧的な態度に出る。
 高村は既に、大森屋のあるじに金を貸していた。そして番頭・幸吉の手はずには、高村からの新たな借金も含まれていたのだ。
 高村は大森屋所蔵の掛け軸、器など道具類を持っていく。
 一方、下請けの織り子達が、何かしらの金を求めて談判にくる。
イメージ 7 これらに対応したのは、唯一気丈な次女・久子(宮城野由美子)であった。
 また、高村の高圧的な態度に刃向かったのは、日ごろ従順でおとなしい番頭の幸吉であった。
 事件の発端は偶然の出来事だった。
 高村に差し出す大森家の道具類の中に、袋に納めた日本刀があった。その日本刀を高村が、幸吉の手から強引に奪い取ろうとしたその時、高村は袋ごと刀の鞘(さや)の部分を握って引っ張ったため、結果、抜き身の刀を幸吉が持つ格好になり、そのままに幸吉は高村をじっと見た。
 そして幸吉は日本刀片手に高村に歩み寄る。恐れをなした高村は後ずさりし玄関へ。ここで幸吉が高村に切りつける。
 傷を負った高村は、あわてふためいて大森家を飛び出し、大通りへ。
 刀を持って追いかける高村。この沙汰を見守る通り沿いの人々。
 ついに警察が駆け付け、野次馬が取り囲む中、幸吉は現行犯逮捕。
 結局、人が中に入り情状酌量の末、幸吉は大森家に戻って来る。
 戻った幸吉の胸に次女・久子が顔を埋める。これまでの久子の緊張が解けて行く瞬間であった。
 しかし、大森家に金を貸した人々、高村はじめ、大森屋あるじと幼なじみの佐藤(進藤英太郎)などは、ついに土地家屋の引き渡しを迫る。
 そんな中、久子は幸吉に頼みごとを言う。戦争で夫を亡くした姉の芳江(三浦光子)と結婚してくれと。
 これを聞いて幸吉は静かに驚く。私はあなたが好きだった、そしてそれをご存知ですよね。久子は承知とうなずいた。
 そののち、大森屋の人々は散り散りに去り、家屋が取り壊され、敷地が露わになったころ、久子は西陣を去っていくのであった。

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 菅井一郎演ずる悪役・高村の悪行に観客が打ちのめされる中、大通りを逃げ走る高村を、幸吉が日本刀を片手に追いかけるシーンで、観るものみな、幸吉アッパレと溜飲を下げることになるのでしょう。
 大森屋のあるじは、祇園の芸者・染香(田中絹代)を囲っていた。あるじの死後、この染香は、あるじが彼女のために建てた家を売って金に換え、妻のお豊に差し出した。また、再びお座敷に出ることにした染香は、お茶屋で高村に会うが皆の前で彼を罵倒する。ここでも観客は喜ぶだろう。
 大森屋が自殺した現場は、先斗町の鴨川に面したお茶屋の座敷であった。彼は幼なじみの佐藤(進藤英太郎)をこのお茶屋に呼んで再度の借金を頼んだが素気無く断られてしまう。そのあとの自殺であった。
 映画冒頭、このお茶屋の外観をカメラは鴨川から構える。二階でどんちゃん騒ぎをする景気のいい人々を撮影し、そして一階の大森屋がいる部屋を映し出す。
 番頭の幸吉が、兄に会うシーン。このシーンは堀川にかかる橋の上。2人が立つ背景に路面電車(京電)が堀川の鉄橋を渡っていくのが見える。ここは、堀川中立売。
 京電とは私鉄・京都電気鉄道でのちに京都市電に併合された。堀川を走るこの京電は北野天満宮から京都駅間を走った。
 吉村公三郎監督の1956年製作の「夜の河」では、京電が堀川の橋を渡って川の東を走るシーンが出てくる。
 ついでに言えば、1952年の本作「西陣の姉妹」では街の道は舗装されていない。「夜の河」ではアスファルト舗装はされてないが、奇麗に地固めされているのが見える。

監督:吉村公三郎|1952年|110分|
脚本:新藤兼人|撮影:宮川一夫|
出演:長女・芳江(三浦光子)|次女・久子(宮城野由美子)|三女・富子(津村悠子)|西陣の織元「大森屋」の主人・大森孫三郎(柳永二郎)|その妻・お豊(東山千栄子)|番頭の横山幸吉(宇野重吉)|大森屋の主人の二号さんで祇園の元芸者・染香(田中絹代)|大森屋の主人と幼なじみで西陣出の男・佐藤義右衛門(進藤英太郎)|高利貸しの男・高村義雄(菅井一郎)|三女・富子の婚約者・安井浩(三橋達也)|大森屋の直雇いの織り子(織工)の長・次郎爺(殿山泰司)|番頭の幸吉の兄、名古屋で工場を経営・横山岩次(近衛敏明)|ほか


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私が住んでいた河原町五条正面の一本東より高瀬川に沿ってお茶屋さん跡がまだ残っています。

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私の京都へのプチ旅行にちなんで、こんなCDをご紹介します。
舟木さんの「京の恋唄」も収録されているそうです。

耳で感じる「京都」がテーマ、「京都 おもてなしの名歌 ~今宵会う人みな美しき~」

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その中から…

都はるみ/ 千年の古都
https://youtu.be/brB4LiEOjvk


竹田の子守唄 島倉千代子 1977年ver
https://youtu.be/Cq6hIrAAABk

*京都市伏見区竹田地区で採集した民謡を編曲して使ったもの。


このCDの収録曲ではありませんが、「京の恋唄」と同じくらい、私の好きな「逢う瀬」を最後に…




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その3 落語会「神宮道上る下る」 ~ 洛東教会

お寺はもとより、教会でも落語会は開催されてます(笑)

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普段はこんな礼拝堂ですが、落語会の時には紅白幕を張り巡らして立派な寄席小屋に変身!

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米朝一門の落語家さんによる四席
りょうばさんは、枝雀師匠の息子さん、43歳でざこば師匠に入門。だから、まだ若手(笑)

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ながらくお待たせしました。やっと、舟木さん登場です。

舟木一夫号出発進行!~国際劇場初ワンマンショーへ

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右下拡大ボタンをクリックしてお読みください↑

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雑誌「明星」(1964/4月号)の舟木さん その5

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今日は、彼岸の入りですね。暑さ寒さも彼岸まで…その通り今日は日中の気温も25℃を下回るとか
昨日、お墓参りに行く途中に、お寺の近くの児童公園でヒガンバナを見つけました。


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こちらは、お寺の墓地の入口のヒガンバナ。赤と白が咲いていました。

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本日(9/20)と明日(9/21)は千葉県文化会館でコンサート開催です。
空模様はイマイチみたいですが、お出かけの皆さん、楽しんできてくださいね。

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初恋



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雑誌「明星」(1964/4月号)掲載の舟木さん関連記事

”美しい十代”の”仲間たち”
日活青春スターと舟木クン三田クンから舟木さん関係の部分だけを…

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上の左側のページを拡大したもの

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今日の舟木さん「お出迎え」の模様~千葉県文化会館(9/20)

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本日も舟友さんから舟木さんのご様子をお伝えいただきました。心からの感謝です
会場付近は、雨は降ってないみたいですね。いいお出迎えができたようで良かったです。


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今日の舟木さん「お出迎え」の模様~千葉県文化会館(9/21)

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今日も舟木さんのお元気なご様子を届けていただきました。ありがとうございます
本日はあいにくの雨。かなり雨脚の強い頃に舟木さんが到着されたようです。
ご自分で傘を手にしてのサービスポーズ。
舟木さんもファンの皆さんも雨の中本当にお疲れ様でした。


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昨日の「お出迎え」の時に取材カメラが入っていたようで気になっていたのですが…

以下は昨日、舟友さんからちょうだいした元写真↓
(昨日ブログにアップしたのは私が編集したものなのでこの写真はアップしませんでした)

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舟友さんからの情報によると、10月9日か10月16日発売の週刊朝日
「ファンを大切にされる舟木一夫さん」…というようなテーマでグラフ記事として掲載予定だそうです。

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二日目の千葉県文化会館でのコンサート、舟木さんもおでかけの皆さんも楽しまれますように!

雨の中に消えて
https://youtu.be/vTGB-k7__CM



雑誌「明星」(1964/4月号)の舟木さん その6&9月の「愛唱会」(萩原串作公民館)

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三連休の一日目、9月22日の土曜日、萩原中学校の舟木さんの同窓生の有志の皆さんが運営なさっている「愛唱会」に行ってきました。

毎月はなかなか行けませんが、時間がとれる限り、名鉄尾西線に乗って四季折々の車窓の風景も楽しみながら通ってます。萩原のふたつくらい前の駅あたりからイチョウの木が線路沿いにたくさん植わっているのですが、葉はまだ緑色なのですが銀杏の実だけはしっかり色づいてきていました。 


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2018年9月22日(土) 16時半~17時半 萩原町串作公民館

肩たたき  作詩/西條八十 作曲/中山晋平

赤ちゃんのお耳 作詩/都築益世 作曲/佐々木すぐる

ないしょ話 作詩/結城よしお 作曲/山口保治

やさしいおかあさま 作詩/稲穂雅巳 作曲/海沼實

りんごのひとりごと 作詩/武内俊子 作曲/河村光陽

森の小人 作詩/山川清 作曲/山本雅之

雨降りお月 作詩/野口雨情 作曲/中山晋平

あざみの歌 作詩/横井弘  作曲/八洲秀章




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ちいさい秋みつけた 作詩/サトウハチロー 作曲/中田喜直

故郷の空 作詩/大和建樹 スコットランド民謡

萩原駅前の夕暮れ

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故郷を離るる歌  作詩/吉丸一昌 ドイツ民謡

故郷 作詩/高野辰之 作曲/岡野貞一

舟木さんの故郷 萩原商店街の看板
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リンゴの唄 作詩/サトウハチロー  作曲/万城目正

明日があるさ 作詩/青島幸男 作曲/中村八大

仲間たち  作詩/西沢爽 作曲/遠藤実
https://youtu.be/2BexWZJmI2s



~夕焼小焼~

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雑誌「明星」(1964/4月号)の舟木さん

特集記事 「美しい十代の仲間たち」

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マンガ「学園広場の仲間たち」石森章太郎(1984年以降は石ノ森章太郎 表記) 

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*余談ですが、石ノ森章太郎さんの名作漫画はたくさんありますが、私はなんといっても週刊マーガレットに連載されていた「おかしなあのこ さるとびエっちゃん」が一番思い出に残っています。

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みんなの作品 舟木さんの似顔絵

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芸能ニュース 後援会発足 

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雑誌「明星」(1964/4月号)の舟木さん その7

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早春の沈丁花と初秋の金木犀…
どちらも、姿は控え目な分、その芳香は遠くまで届きます。
先日亡くなられた樹木希林さんを重ね合わせてしまう花たちです。
「ご冥福をお祈りします」という言葉さえ手向ける必要のない見事な逝き方。
誰もがうらやむような毅然とした人生のしめくくりではないかとさえ感じられる私です。
ただただ感服。合掌あるのみです。

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さて、明星 1964年4月号掲載の舟木さんの関連記事ですが
「小説舟木一夫」という記事があります。
前年の1963年12月号から1964年5月号まで連載されたものです。
第一章から最終回の第六章まで、半年間連載されたようです。
私の手元には明星本誌は3冊(1964年1月号/2月号/4月号)のみあります。
6章(最終回)は資料のみをコピーでいただきました。
残念ながら初回の第1章と4章の資料は全くなくて、内容がわかりませんが、
多分、まだいずれもこちらのブログではご紹介していないと思いますので、
手元にあるものだけですが、これから、順次アップしていくつもりです。

とりあえず、まずは、各章の掲載された明星(63年12月号~64年5月号)の表紙を載せますね。

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1964年1月号掲載分(第二章)から

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上の右側ページの綴じてある内側の部分で読みにくいところです。

一段目…足を洗って、いっしょに飯を食うんだ」
二段目…流れて、成幸たちは小学五年生、十一歳の春を迎えていた。
三段目…「そうだな、正直言っておれはき
四段目…好きとかきらいとか言うのではな

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上の右側ページの綴じてある内側の部分で読みにくいところです。

四段目…しかしその水色のすがたは夕闇の中に消えて、もうど

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上の右側ページの綴じてある内側の部分で読みにくいところです

一段目…食べるものもろくに喉を通ら
二段目…信じられなかった。信じられない


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明日28日は鳴門市文化会館でコンサートですね
久々の西日本でのツアー・コンサート。行かれる方、楽しんできてくださいね。

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今日の舟木さん「お出迎え」の模様~鳴門市文化会館(9/28)

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本日も舟友さんから舟木さんのご様子をお届けいただきました。感謝です
早くに送っていただいてましたが、所用で出ていましたので大変遅くなりゴメンナサイ

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新橋演舞場公式サイトに「シアター・コンサート」のチラシがアップされました

雑誌「明星」連載「小説舟木一夫 第三章」 (1964年2月号掲載)

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空狭き 都に住むや 神無月  夏目漱石


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雑誌「明星」連載「小説舟木一夫 第二章」 (1964年1月号掲載)のつづきです。

2月号の表紙は吉永小百合さん

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前号までのあらすじ

昭和19年12月12日、上田成幸ー舟木一夫は、愛知県一宮市萩原町で生まれた。父栄吉は興行主として萩原劇場を持つかたわら、劇団ふたつを持って活躍していた。そんな環境の中で、昭和25年4月萩原小学校に入学した成幸に、ふたりの仲のよい友だちができた。腕っぷしの強いパン屋のむすこ斉藤昇と気立てのやさしい今西誠である。3人はいつもいっしょに遊んだ。ザリガニとり、かくれんぼ…。こうして成幸はすくすくと育っていったが、彼が小学校5年生のときに祖母とめが九十二歳で世を去った。はじめて接した”死”に、成幸はなにか割り切れないものを感じた。

読みにくい部分です~右ページ内側部分

一段目…進学を祝って父の栄吉が買って
二段目…んとこう言ったが、それは良く彼らの心境を言い得ていた。理由はわか



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読みにくい部分です~右ページ内側部分

一段目…この土地の生徒たちは大部分が自転
二段目…成幸が右手をポケットの中に入
三段目…しかし嘘をついてまで、学校をさぼ
四段目…なのだった

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読みにくい部分です~右ページ内側部分

一段目…モニカじゃ無理だよ」
二段目…ない、そんな内気の所があったので
三段目…様に、少年の眼に映った。

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読みにくい部分です~三段目と四段目の左端部分2行

なにか言わなければならない…再び踏切で会った水色のその少女
に、夏の太陽はまぶしく光った!来月号の舟木一夫にご期待ください!!

鈴懸の径 & ♪ふるさとの乙女




次回は4月号掲載の第五章をご紹介します。


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御園座シアターコンサートのチラシ

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今、御園座の歌舞伎公演に来ています。

ロビーで見つけました🎵

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来年2月の新歌舞伎座シアターコンサートのチラシも…

舟木一夫さんがゲストです/片岡鶴太郎『USEN 昭和ちゃんねる』 (2018.11月)

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近くのお店に買い物に行く途中のお宅の庭で実をつけていました。
ムラサキシキブという名前が一般には知られていますが
これは、実がこぶりなんで「コムラサキ」というらしいです。

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片岡鶴太郎『USEN 昭和ちゃんねる』 ゲスト:2018.11月 舟木一夫さん



舟友さんからちょうだいした情報です。
11月中の毎週火曜日は舟木さんがゲストだそうです
「有線」を聴くにはやっぱり契約しないといけないようですけど…。

こちらでは冒頭のトークのみ先行配信!とのことです
何はともあれ、うれしい動画ですね

コンサートのステージでもお話しになったこともありますが、
あらためて聞くと、とっても舟木さんらしいストレートなおしゃべりでステキですね。
舟木さんの「人生哲学」全部聞きた~い…ですね。


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昭和ちゃんねるHP


明日発売の週刊朝日の見出広告

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舟友さんからちょうだいしました。

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歌舞伎座に来てます。東京駅の売店ではもう店頭に置かれてました🎵

中身はまだ見せられないので残念ですが…

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雑誌「明星」連載「小説舟木一夫 第五章」 (1964年4月号掲載)&九州でコンサート

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明日(10日)は北九州で、明後日(11日)は熊本でコンサートです。
九州のファンの皆さん、遠方からお出かけの皆さん舟木さんとのステキな時間をお過ごしくださいね。


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雑誌「明星」連載「小説舟木一夫 第五章」 (1964年4月号掲載)


前号までのあらすじ

上田成幸ー舟木一夫は、昭和19年12月12日、愛知県一宮市萩原町で生まれた。珍しく濃尾平野に降り積もった雪は、1尺を越えて、土地の人たちをおどろかした寒い晩のことである。父栄吉は萩原劇場主であるかたわら、劇団ふたつを持って全国を歩く興行主でもあった。そんな環境のなかで成幸少年はハーモニカを通じて音楽にひかれる多感な少年に育っていった。時は流れ昭和32年4月、成幸は萩原中学校に入学した。入学するとすぐ音楽部に入部して、音楽を通じて生き甲斐を感じるようになった。そのころ、自宅の近くにある尾西線の踏み切で知り合った少女に心をひかれながらも、音楽への執着がますますたかまり、ついに家出して東京へ行こうと決心するまでになった。しかし、この計画もざせつすると、父にねだってピアノを買ってもらったり、テープ・レコーダーを買ってもらったりして、歌手になる執念に燃えるのだった・・・。


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上のページの読みにくい部分です

四段目右一行目…山田昌弘氏の許に、ピアノの練習に


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湖愁 (舟木さんカヴァー)
https://youtu.be/7MECZzvLyWA




次回は第6章(1964年5月号掲載)で最終回です。



今日の舟木さん「お出迎え」の模様~くまもと市民会館シアーズホーム夢ホール(10/10)

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高原のお嬢さん
https://youtu.be/Z_WufaWKkc0



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舟友さんからご提供いただきました。舟木さんのお元気なご様子です。
いつも本当にありがとうございます。感謝です

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今日の舟木さん「お出迎え」の模様~アルモニーサンク北九州ソレイユホール(10/11)

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さりげない別れ
https://youtu.be/-HUydkAMpio



九州地区の二日目は北九州でのコンサートでした。
舟友さんから舟木さんのご様子をちょうだいしました。ありがとうございました。
ん?…見覚えのあるキュートなピンクのセーターですね。


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雑誌「明星」連載「小説舟木一夫 第六章 最終回」(1964年5月号掲載)

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いつの間にやら十月も半分過ぎてしまいました。早いですね~
もう一週間前になりますが、今月開催されている歌舞伎座公演に行ってきましたので
ちょっとだけご紹介させていただきますね。十八世中村勘三郎七回忌追善公演です。

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私は8日の夕方に東京に着いて東銀座のホテルにチェックインしてその日の夜の部から観劇
昨年の12月の舟木さんの新橋演舞場公演の時から久々に東銀座木挽町周辺の夜景を見ました。

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玄関を入ると左手に勘三郎さんのお写真が飾られていましたので、まずは、合掌。
ロビーには故勘三郎さんの奥様と片岡仁左衛門さんの奥様の姿も…

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勘九郎さんと七之助さん、そして勘三郎さんと同じ舞台で数々の思い出深いお芝居を
ご一緒された俳優の方々がズラリと名を連ねる追善公演ですから見逃すわけにはいきません。

夜の部の「義経千本桜 吉野山」
勘九郎さんの佐藤忠信(狐忠信)と玉三郎さん(静御前)

勘九郎さんの踊りはキレが好くて躍動感にあふれていて
この人の踊りは大好き!とあらためて思いました。
そして、勘九郎さんの最大の魅力は「情」と「愛嬌」
これは、まさに父・勘三郎さん譲りともいえるでしょう。

「義経千本桜」に登場する忠信は、実は狐が化けたもの、「狐忠信」なのです。
幼い頃に狐の父母は捕らえられ、鼓の皮にされてしまいました。その鼓が「初音の鼓(はつねのつづみ)」です。
狐は親を慕う思いから忠信の姿を借りて初音の鼓を持っている静御前(しずかごぜん)に付き従っています。

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夜の部のラストは「助六曲輪初花桜」
仁左衛門さんの助六に七之助さんの揚巻

仁左衛門さんが歌舞伎座で助六を演じるのは20年ぶりとか…
私は、9年前に南座の顔見世で拝見していますがその時は揚巻が玉三郎さん。
でも、残念ながら20年前は知りません。
20年前というと、仁左衛門さん54歳の時ですね。

74歳の今も、ホントにいいカタチの助六で、啖呵を切る時の長口上も素晴らしい。
発声の爽やかさ、滑舌もとても若々しくて感動しました。

*市川家の助六は演目名が少しだけ違って「助六由縁江戸桜」と云います。

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9日は昼の部を観劇。大江山酒呑童子、勘九郎さんの酒呑童子

勘三郎さんを思い出させるのですが、勘九郎さんの方がより端正というカンジがします。

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「大江山酒呑童子」は、十七世勘三郎に書き下ろされた舞踊劇です。
10年前の納涼歌舞伎で、十八世勘三郎が初めて歌舞伎座で酒呑童子を演じました。
その舞台では、公時(そう幼名があの金太郎さんです)だった勘九郎が酒呑童子を勤めました。
その10年前(2008年)の納涼歌舞伎の舞台は私も、拝見しています。
その日は、小泉純一郎氏(政界引退発表の少し前頃だったと思います)、
俳優の藤原竜也さんの姿も客席にありましたので、印象深く記憶に残っています。

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さて拙ブログで連載してきた「小説舟木一夫」…欠落している号もあるので
とびとびで恐縮でしたが、いよいよ今回が最終回です。

雑誌「明星」連載「小説舟木一夫 第六章 最終回」(1964年5月号掲載)

表紙は三田明さんといしだあゆみさん

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最終回号の5月号は私の手持ちではないので、以前、舟友さんからコピーをちょうだいしたものです。


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文中(160p)で書かれている、歌のチャンピオンの3週目で成幸少年が歌って
グランドチャンピオンになったという「慕情の街」
とっても気になったので調べてみたら、youtubeにありましたのでアップしておきますね。
2週目に歌った三浦洸一さんの「純愛物語」は、見つけられませんでした。残念!


慕情の街(神戸一郎さん)3曲目です
https://youtu.be/5HlL-84ggo0



もうひとつ、ついでに…文中(162p)「上京」というところの文章について

~ある酒造会社のコマーシャル・ソングを吹き込んだ。
~作曲は森一也氏で、成幸はこの謝礼として、CBCから三千円をもらった。~

この部分に関連して、以下の日記のことを思い出しましたのでご紹介します。

舟友kazuyanさんの動画紹介~一宮七夕まつり 民謡大パレード (2015/7/28にアップしたもの)
https://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70572464.html


「からたち日記」「ひばりの佐渡情話」などの作詞家、西沢爽氏の盃論。

作曲家、森一也氏の稿に、「CBCで吹き込む長誉のCMソングに立ち合い、唄で初めて得た三千円の紙袋をうれしそうに内ポケットにしまって帰った学生服姿の上田成幸君。彼が一年後に高校三年生でデビューする舟木一夫です」。

「織姫音頭」の作曲者・森一也氏は、舟木さんの母校である萩原小学校と萩原中学校の校歌の作曲をされていて、以前私のブログでもご紹介しています。

森一也(1915年(大正4)4月8日 - 1998年(平成10)2月1日)

イメージ 19コロムビア専属の作曲家・音楽評論家。一般には懐メロ解説の第一人者として知られる。愛知県一宮市出身。幼少の頃から詩人・西條八十の大ファンで、西條八十作の童話に親しみ、毎晩母親から読み聞かせてもらわなければ寝られぬほどであったという。昭和7年4月に愛知県の一宮中学校から明治大学附属中学校に編入、翌8年4月に家事都合で退学する。また、明治大学講堂で開かれた山田耕筰の音楽講座に出席するなど音楽についての研究に没頭し、その後、東京音楽学校(現:東京藝術大学)を卒業。一時、ビクターコンサートビューローに籍を置き、戦時中は地元名古屋で音楽教師として活躍。戦後、雑誌社などを経て、コロムビア専属の作曲家となる。仕事を通じて西條八十と知り合い厚誼を賜り、その良い関係は八十が亡くなるまで続いたという。




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