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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    イメージ 1春分の日も過ぎてしまい、いよいよ桜前線北上のニュースが待たれますね。そして、桜の開花と共に、28日と29日には名古屋の中日劇場でシアターコンサートが開催されます。ワクワクしてお待ちかねの方もたくさんいらっしゃると思います。私も、2月22日、23日に開催された京都南座のシアターコンサートがとっても素晴らしかったので、中日劇場で再びあのステージの感動をいただけるものと楽しみに待っているのですがその前に、「ちょっと箸やすめ」・・として、18日に通常コンサートが開催された堺市民会館での48年前の「舟木一夫ショー」開催の頃のことを、少しだけ振り返ってみることにしましょう・・・

    イメージ 9堺市民会館での、コンサートのトークの中で、舟木さんがおっしゃったように、この会館のオープンが昭和40年(1965)1月で、その年の8月に開館記念イベントとして「舟木一夫ショー」が開催されたのだそうです。また、そういったご縁から建て替えのためにいったん閉館するにあたって、閉館記念のイベントの一環として、舟木さんにオファーがあって、今回のコンサートの開催となったことなどをトークの中で説明なさいました。
    そして、私のブログをご覧になって下さった、舟友さんから、昭和40年8月当時の舟木さんのスケジュール詳細を教えていただきましたので、ご紹介します。移動日すらないほどのビッシリ詰まったまさに秒刻みとも言えるスケジュールに、当時の舟木さんの人気のものすごさがうかがえます。
    この頃の舟木さんの何枚かの写真と一緒にご覧ください。
     
    ←3月18日に堺市民会館で配布されたプログラムです↓
     
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    「素晴らしきトップ・スター 舟木一夫 デラックスグラフ集」(別冊・近代映画1965年9月号)
    (写真は上記雑誌に掲載のものです) 
     
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    イメージ 12舟木さんがトークで、こうおっしゃっていました。
    ~ちょうど、この頃は「東京は恋する」が出たあたりですね。多分「花咲く乙女たち」とかでエンディングしていたんでしょう~
    注:「花咲く乙女たち」は、前年の昭和39年9月発売で大ヒットしました。映画「花咲く乙女たち」は、昭和40年1月に公開されました。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 14この頃は、既に「火消し若衆」「渚のお嬢さん」「北国の街」などのヒット曲も出ていて、民謡や、「ウナセラディ東京」なども歌っていらしたそうです。
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    昭和40年8月の“ヤェちゃんのスケージュル”
    (そう云えばデビュー当時の舟木さんの愛称は”ヤェちゃん”でしたね)
     
    1日 長野
    2日 豊田
    3日 コロムビアアワー 雑誌
    4日 NHKグランドショー

    イメージ 165日 民音・厚生年金
    7日 TBSロッテ歌のアルバム
    10日 TBSヒットショー
    11日 フジTV歌の饗宴
    12日 NHK若い民謡 TBS
    13日 TBSヒットショー
    14日 NHK若い民謡
    15日 TBS・TV・映画
    16日~18日 同じく
    19日 三条
    20日 新潟、吉田町
    21日 新潟、高田
    22日 城端
    23日 能登、飯田
    24日 金沢
    25日 和歌山
    26日 堺
    27日 彦根
    29日 名古屋舟木一夫ショー
     
    イメージ 2昭和40(1965)年 年表 (大倉明著「青春賛歌」より)
    1月  「火消し若衆/木挽哀歌」発売 
    1月   日活映画「花咲く乙女たち」のロケを故郷・一宮市などで行う
    1月20日 東京・日劇公演「舟木一夫ショー」を開催(25日まで)
    1月24日 日活映画「花咲く乙女たち」公開
    3月  「北国の街/はやぶさの歌」発売
    3月  「成人のブルース/あの娘をまもろう」発売
    3月  「竹千代音頭/竹千代の唄」発売
    3月20日 日活映画「北国の街」公開
    4月  「東京は恋する/虹のむこうに」
    4月28日 東京・浅草国際公演「舟木一夫ショー」を開催(5月5日まで)
    6月  「あゝりんどうの花咲けど/待っている人」
    6月  アルバム「舟木一夫 花のステージ(第三集)」発売
    7月  「渚のお嬢さん/月とヨットと遠い人」発売
    7月5日 福島県小野町の小野町劇場で作詞家・丘灯至夫氏のリサイタルに出演
     

    イメージ 37月20日 地方巡業先の盛岡から仙台に向かう列車の中で倒れ、東京・板橋の日大病院に入院
    8月  「たそがれの人/夜霧のラブレター」発売
    8月  「浜の若い衆/磯浜育ち」発売
    8月  「あゝ鶴ヶ城/お城かこんで輪になって」発売
    9月18日 日活映画「東京は恋する」公開
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    デビューから2年目でも、まだ詰衿だったんですね
     
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    先日、あることからふっと、高校時代に夢中になって読んでいた「小さな恋のものがたり」のことを思い出しました。この漫画と出逢ったのは高校一年の時でした。クラスメートが、読んでるのを横から見ていて、「それ、何?」と尋ねて、貸してもらいました。その後、クラスの女子の間で人気がでて、回し読みをしたりしてました。授業中に、こっそり机の下に隠して読んでしまうほど好きになった思い出があります。
    でも、当時はお小遣いが足りなかったので買えません。大人になって、立風書房から単行本が発刊されたものを書店で偶然見つけて購入したのは時期は、はっきり覚えていないのですが1990年頃だったかもしれません。末娘が、小さい頃に全巻揃って書棚に置いてあったことを覚えているそうですから、多分それくらいから新刊が出る度に買って揃えていたのだと思います。何しろ、一番忙しく働いていた時期のことなので、自分の心の癒しとしてパラパラとめくっては、懐かしく読んでいたように思います。でも、それも何度か引っ越しをしたので、手放してしまいました。私は、なんたって「引っ越し魔」でしたから、引っ越し回数は、20回以上です(笑)
    そんなこんなで、もう十年近く手元にはなかったのですが、ひょんなことから懐かしく思い出して、つい最近、文庫版で復刊されたもの(26巻までしか刊行されてませんが)を手に入れました。

    イメージ 1「小さな恋のものがたり」(ちいさなこいのものがたり)
    みつはしちかこによる日本の漫画作品(4コマ漫画)。「美しい十代」(学習研究社)にて1962年6月号より連載を開始した。2012年現在は芳文社「まんがタイムファミリー」に連載中(同誌上ではストーリー4コマ漫画の形態をとっている)。ただし2008年4月号を最後に長期休載している。単行本は立風書房→学習研究社→学研パブリッシングより発刊されており、毎年5~6月に新刊が発行されているが、2007年の41巻以後は中断していたが、2011年12月に42巻が発売され、3年半ぶりの続刊となった。

    背が低いことを気にしている女の子チッチ(小川チイコ)と、背が高くハンサムなサリー(村上聡)の恋愛模様を描いた作品。随所に主人公チッチの目線から書かれた詩が挿入されており、恋の喜びや切なさといった叙情的な心情が分かるようになっている。(ウィキペディアより)
     
    1972年には連続テレビドラマ化されているようですが、私は当時、全然自分のイメージとは違うキャスティングだったことや、テレビ離れしていた時期でしたから、拝見していません。
     
    この漫画が当時の女学生の間で人気になった要因としては、コマ割のまんがの中で、時折、大きくコマをとった「抒情詩」が挿入されていたからではないかと思います。多分、漫画そのものは、あまり読まなくなっていた当時の私も、その詩に惹かれていたのでしょう。今回、ちょっと調べていたら、この漫画が世に出たのが1962年6月とありました。学研から出版されていた「美しい十代」というティーン向けの雑誌に連載されていたのですね。そのことは、今回初めて知りました。「美しい十代」というと、私は三田明さんのデビュー曲を連想しますが、このタイトルは、この雑誌からとったものなのでしょうか?発刊が三田さんのデビューよりも先ですもんね。
    以下は、ネットで検索していたらゆきあたった雑誌「美しい十代」関連のブログサイトからお借りしました。
     

    イメージ 2懐かしい「小さな恋のものがたり」・・・
    1963年6月デビューの舟木さんに先んじること1年前の1962年6月にお目見えした「チッチとサリー」、素敵なサリーを舟木さんになぞらえて、時々のまんがからイメージする舟木さんの若き日の歌などとコラボしてみるのも、楽しいかな・・・などとちょっと遊んでみました(笑)
    舟木さんのおっしゃる「同世代」という言葉の中に、この「小さな恋のものがたり」も時代の背景として、流れているのだろうという気がしています。時代が変わっても、「初恋」のときめきや、せつなさ、甘やかなもの、苦い想い、自己嫌悪や、舞い上がる気持ちなど、様々な想いに揺れ動く思春期は、美しくキラキラと輝いていることに変わりはないのでしょうね。あの頃の自分は、今思うと、とっても「愛おしい存在」に想えます。
     

    「小さな恋のものがたり (第3集より 一部だけをお借りしました/期間限定掲載です)
     
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    イメージ 10初恋 作詩:島崎藤村 作曲:若松 甲
     
    まだあげ初めし前髪の
    林檎のもとに見えしとき
    前にさしたる花櫛の
    花ある君と思ひけり
     
    やさしく白き手をのべて
    林檎をわれにあたへしは
    薄紅の秋の実に
    人こひ初めしはじめなり
     
    わがこゝろなきためいきの
    その髪の毛にかゝるとき
    たのしき恋の盃を
    君が情に酌みしかな
     
    (以下四連目は舟木さんは歌唱されていません)
    イメージ 11林檎畑の樹の下に
    おのづからなる細道は
    誰が踏みそめしかたみぞと
    問ひたまふこそこひしけれ
     
     

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    3月18日の堺市民会館でのソロ・コンサートからわずか10日後に開催される中日劇場でのシアター・コンサートなのですが、そのたった10日ほどの時間も、待ちきれないような想いで、頭の中も心の中も舟木さんのことでいっぱいです。「*愛しすぎ症候群」かもです(笑)これは、ヤバイぞ(笑)
    *「愛しすぎ症候群」~「愛しすぎる女たち」ロビン・ノーウッド(訳:落合恵子)とは・・
    1980年代の終わりごろに書かれたもので、日本語訳も当時ベストセラーになったと思います。「なぜわたしの愛は、うまくゆかないのだろう。こんなに愛しているのに…」と、相手の男性との関係を「愛」によってコントロールしようとして敗北し、苦悩する「愛しすぎ」症候群。
     
    イメージ 1冗談はさておき、閑話休題・・・
    とはいうものの、舟木さんのこの「END-FIN-FINE」の「見つめすぎたと 気づくのが 求めすぎたと気づくのが・・遅すぎて」のフレーズを初めて知った時に、この「愛しすぎる女たち」という昔読んだ本のことを思い出しました。この詩は、舟木さんが上田成幸のペンネームで書いていらっしゃるのですが、あきらかに「女唄」の世界です。男性である舟木さんが、こういった視点から男女の愛の亀裂や心のすれ違いを実に繊細に、同時にシビアに描かれていることに驚きました。私が舟木さんの御自作の曲で一番好きなのは、ブログのタイトルにも頂戴している「れんげ草」なのですが、もちろん、それ以外にも甲乙告げがたく心惹かれる曲がたくさんあります。その中でも、この「END-FIN-FINE」は、トップクラスです。
     
    イメージ 2歌唱時間にすると4分以上にもなる、比較的長い詩なのですが、最初から最後まで、唸らされます。「れんげ草」もそうなのですが、この作品も、「私もこんな詩が書きたかった」と思わせるのです。過去形なのは、この曲の主人公のような気持ちになっていた時期に、自分自身がこれだけの言葉を紡ぎだせなかったからちょっと悔しい・・(笑)女なのに男の舟木さんに「女性の心理」をみごとに読み抜かれて、しかも女性でも描けない心の風景を哀しみと美しさにあふれた言葉で織りなしてしまわれたことが、女性として、してやられた!という感じです(笑)
    そして、さらにメロディーラインが、なんとももの哀しくて、舟木さんの歌唱には、女性がのりうつったのでは
    ないかと思われるほどの切ない女心が漂っていて、自然と涙がにじんできます。
    おそらく「れんげ草」も「END-FIN-FINE」も、多くの舟木さんファンの女性の心に深く沁みて、もの想わせる曲の筆頭ではないかと思います。
     

    END-FIN-FINE(ラストシーン)作詩・作曲:上田成幸
    (1998年5月21日発売 「WHITEⅢ」)
     
    イメージ 3花びらごしに 春は逝き
    わたしひとり 旅の果て
    醒めたまなざし 冷えた愛
    空の碧さ つきぬける
    見つめすぎたと 気づくのが
    求めすぎたと気づくのが・・遅すぎて
    あの人ごしに 春は逝き
    わたし ぽ・つ・ん 海の果て
    身知らぬ異国(くに)の潮風(かぜ)の中
    肩の陽射し 昼さがり
     
    哀しみごしの さんご礁
    わたしふっと 瞳(め)をふせる
    とまったままの 腕時計
    わたしそっと 瞳(め)をあげる
    こんな明るい海でなら
    沈むつらさもないようで・・立ちつくす
    イメージ 4
    END-FIN-FINE(ラストシーン)は あざやかに
    けれどやっぱり ありふれて
    あの人ごしの あれこれが
    波に映えて 昼さがり
     
    責めるつもりはないのです
    うらむつもりもないのです・・・さようなら
    花びらごしに 春は逝き
    心 ぽ・つ・ん 空の果て
    あなたのために 生きたこと
    生命(いのち)かけて 忘れない

     
     
     
    この曲の冒頭から、ステキすぎます。「花びらごしに 春は逝き」・・舟木さんは、花の名前は詩の中で書いていらっしゃいませんが、この「花びら」は、私のイメージでは「桜」以外には考えられません。

    イメージ 5桜と言えば、西行の「桜の下にて春死なん その如月の望月の頃」という古歌を先ずイメージしますが。それは散りゆく桜に自分自身の儚い生涯を重ねた仏教的な無常観の世界でしょう。そして、桜は、日本古来から単に「花」という言葉で様々な文学に詠われていますから、舟木さんのこの「END-FIN-FINE」でも、「桜」という具体的な表現ではありませんが、この叙景詩部分を自分のイメージの中で広げてみると、やはり「花びらごしに 春は逝き」の「花びら」から想像されるのは「散りゆく桜の花びら」ということになるのでしょう。
    「世の中は三日見ぬ間の桜かな」という句もありますが、「桜」は「永遠なるもの」の対極にあるものの象徴という役割も背負っている気がします。既に、中世の女流文学の代表でもある「枕草子」でも「桜など散りぬるもなほ世の常なりや」とあのドライで勝気な印象のある清少納言ですら「散りゆく桜」の無常を書き留めています。
    しかも「逝く春」です。満開に咲き誇った桜は「深まりゆく春」の象徴であると同時に、あっという間に、わずかな風にもはらはらとはかなく散って「逝く春」の象徴でもあります。「束の間の華やぎを見せたと思うや否や土に還ってゆく」姿は、日本文化、日本情緒の根幹にある「無常観」そのものをあらわしているようです。

    花びらごしに 春は逝き
    わたしひとり 旅の果て
    醒めたまなざし 冷えた愛
    空の碧さ つきぬける
    見つめすぎたと 気づくのが
    求めすぎたと気づくのが・・遅すぎて
    あの人ごしに 春は逝き
    わたし ぽ・つ・ん 海の果て
    身知らぬ異国(くに)の潮風(かぜ)の中
    肩の陽射し 昼さがり

    舟木さんが描いた詩の世界を、私のへぼな、散文で読み解くとすれば、こんな感じでしょうか。
     
    ~桜の花びらのむこうに見える、わたしたちふたりの鮮やかな風景だけを残して、春は逝ってしまうのね。あんなにも愛し合ったふたりなのに・・。
    そして、愛に疲れた私は、ひとりあてもなく旅に出ました。来たこともない未知の異国のような海辺に立って、潮風に吹かれています。昼下がりの突き抜けるような空の碧さが、かえって哀しみを深くするのです。
    愛に燃えていた瞳は、今はもう輝きを失って心は冷え冷えとしています。でも、肩先に届く陽射しの温かさだけが私を慰めてくれているようです。~
     
    つづいてツーコーラス目・・・
     
    イメージ 9哀しみごしの さんご礁
    わたしふっと 瞳(め)をふせる
    とまったままの 腕時計
    わたしそっと 瞳(め)をあげる
    こんな明るい海でなら
    沈むつらさもないようで・・立ちつくす
    END-FIN-FINE(ラストシーン)は あざやかに
    けれどやっぱり ありふれて
    あの人ごしの あれこれが
    波に映えて 昼さがり

    ~海辺から見える、美しいさんご礁さえも、私の哀しみの想いを通してみると、その美しさが切なさを募らせます。耐え切れず、瞳をふせた私の手首に、あの日のまま時が止まったかのような「腕時計」が・・私の心に、目の前の明るい海が、「淋しいおまえを包み込んであげるよ」と誘い込んで
    いるように囁きかけます・・・・。
    でも、ふっと我に還った私・・・ここが、私の「END-FIN-FINE(ラストシーン)」なのでしょうか。でも、それは鮮やかに見えるけれど、やっぱり所詮はありふれた男と女の愛の終わりに過ぎない・・・私を誘い込んでいるかのような波の面をぼんやりと眺めていても、浮かんでくるのは、あの人と過ごした愛の日々の想い出ばかり・・・その想い出だけは昼下がりの波に美しく映えているのです~

    最後は・・

    イメージ 6責めるつもりはないのです
    うらむつもりもないのです・・・さようなら
    花びらごしに 春は逝き
    心 ぽ・つ・ん 空の果て
    あなたのために 生きたこと
    生命(いのち)かけて 忘れない

    ~そうね、あなただけが悪いんじゃないのよね。決して責めるつもりなどありません、ましてうらむつもりもないんです・・ただ、今は、ふたりのために「さようなら」を言うわ・・桜の花のように、儚く、散ってしまう恋もあるのね。楽しかった日々の想い出を残して春は逝ってしまった。私の心だけが、「ぽ・つ・ん」と果てしない空に取り残されてしまったけれど、私が精いっぱいあなたを愛して、あなたのために生きたという時間だけはしっかりと抱きしめていくわ。私の生命のある限り、あなたとの愛の想い出を私は忘れないで生きていくわ~
     
     
     
    「愛しすぎる女たち」・・愛は崇高で尊いものであるはずなのですが、「男女の愛」に限って言えば、その半分以上は、自己愛であったりエゴイズムであったりすることもまた確かではないでしょうか。
    「愛と憎しみ」とは表裏一体で、それだからこそ、古今東西の文学で描かれた男女の「恋愛」にまつわる作品の数は膨大なのだとも言えるのでしょう。
    恋愛時代は、相思相愛で、互いの情熱も燃え上がるのですが、ひとつ屋根の下に暮らすようになると、日常の煩雑な事柄が、相思相愛のふたりの間に割り込んできます。そして、「こんなはずじゃなかった・・」が積み重なって、「愛が冷めて」いくのかも知れません。
     
    ここで、私が大好きな新川和江さんの「ふゆのさくら」という詩をご紹介します。
    全編がひらがなで書かれた、なんとも優雅なイメージの詩なのですが、中身は、新川さんらしい知性と、自己をみつめるシビアなまなざしに貫かれています。
    これは、本当に愛した人との純粋な関係性を希んだとしたら、女性なら誰もが理想とする愛の形なのかも知れません。でも、ファンタジーの世界でしかこのような美しく穏やかな「男女の愛」はのぞめないこともまた事実であることは確かでしょう。だからこそ「詩」なのですね。
    今回、私が大好きな舟木さんの「END-FIN-FINE(ラストシーン)」を紐解いているうちに、「桜」というキイワードに行きあたりました。そして「さくら」から思い出したのが、これまた私の大好きな新川さんの「ふゆのさくら」でしたが・・
    なんと、この新川和江さんの経歴をあらためて確認したら、またしても舟木さんに繋がってしまい、自分でもビックリ仰天です。こういったことが本当に、度重なるとちょっとコワイかも・・(笑)
    新川和江さんは、茨城県の出身で、子どもの頃から郷土の詩人である野口雨情の童謡に親しんで育ったというのです。そして、さらに茨城県の女学校時代には、近所に疎開してきた西條八十に師事なさったというのですから、本当に驚きました。私が、高校時代から大好きだった新川和江さんが、雨情とも八十とも深く関わりのある方だったことなど、「END-FIN-FINE(ラストシーン)」のことを、ブログに書いてみようと思わなければ知る由もありませんでした。
    毎度のことながら、舟木さんってすごい!舟木さんのおかげで、今頃になって、若い頃に触れていたあれやこれやが、どんどん織物を織りなすようにタテ糸、ヨコ糸で繋がっていくのです。もう一回、「舟木さんってすごい!」
     
    イメージ 7ふゆのさくら 新川 和江
     
    おとことおんなが
    われなべとじぶたしきにむすばれて
    つぎのひからはやぬかみそくさく
    なっていくのはいやなのです
     
    あなたがしゅろうのかねであるなら
    わたくしはそのひびきでありたい
    あなたがうたのひとふしであるなら
    わたくしはそのついくでありたい
    あなたがいっこのれもんであるなら
    わたくしはかがみのなかのれもん
    そのようにあなたとしずかにむかいあいたい
     
    イメージ 8たましいのせかいでは
    わたくしもあなたもえいえんのわらべで
    そうしたおままごともゆるされてあるでしょう
    しめったふとんのにおいのする
    まぶたのようにおもいたくひさしのたれさがる
    ひとつやねのしたにすめないからといって
    なにをかなしむひつようがありましょう
     
    ごらんなさいだいりびなのように
    わたしたちがならんですわったござのうえ
    そこだけあかるくくれなずんで
    たえまなくさくらのはなびらがちりかかる
    (1968年「比喩でなく」収録)

    新川和江(しんかわ かずえ、1929年4月22日 - )
    茨城県結城市出身。県立結城高等女学校(のちの茨城県立結城第二高等学校)卒業。小学校のころより野口雨情などの童謡に親しみ、定型詩などを作る文学少女だった。女学校在学中、近くに疎開してきた詩人の西條八十に詩の手ほどきを受けた。
    卒業して17歳で新川淳と結婚後、上京し、詩の投稿を始める。1953年、最初の詩集『睡り椅子』を刊行。新鮮で自由な感覚で、母性愛や男女のさまざまな愛の姿をうたう。巧みに使われる比喩表現が特徴。1983年、吉原幸子と共に女性のための詩誌「現代詩ラ・メール」を創刊。1993年の終刊まで女性詩人の活動を支援した。

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    イメージ 1東海地方のこの日は、ゴールデンウイーク並みに気温がグングン上がった一日でした。
    2月22日、23日に次ぐ、2014年シアターコンサートが中日劇場でも二日間にわたって開催されますが、その初日28日の速報です。
     
    今年のシアターコンサートのプレゼントタイムは、開演前にラフな私服の舟木さんが幕前に登場して、プレゼントをまとめて受け取る時間が設けてあります。この日も、開演5分ほど前にプレゼントタイム開始。
     
    イメージ 5たっぷりとルーズな仕立ての白生地に、ピラミッドみたいな三角のような、幾何学模様のようなブラウン系の柄が散らしてあるシャツブラウス、ジーンズにスエードっぽいベージュ系のシューズで登場。
     
     
    ピンク文字は舟木さんのお喋りです
     
    プレゼントを受け取りながら色々とお喋り・・・デビュー以来、いったい何本の花をいただいたか想像もつかない・・・日劇で猫をいただいたことがあります。猫と暮らしているおばあちゃんが駕籠に入れて連れてきたペルシャ猫・・・みんながプレゼントしているのを見て、自分も何かしなきゃいけイメージ 6ないと思ったんでしょうね。いい猫でしたが・・・。紙袋を見て、名古屋だと両口屋が多い・・・小学生くらいの男の子がプレゼントを持ってきたのを見て、おお、ずいぶん若手が来たな!ひ孫ぐらい・・・(笑)じゃあ、ちょっと着替えてまた出てきます。
     
    イメージ 7
    昔も、今も、舟木さんのステージは、お花がいっぱいです。
    こんなに花の似合う男の人って
    他にいるでしょうか?
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    シアターコンサートは二部制です。南座のシアターコンサートのステージ衣装は、一部が、シルバーのラメ入りの黒のタキシード、ウエストの切り替え部分はサテン生地。蝶ネクタイに胸には白いバラ。二部が、チャコールグレーに白い極細のストライプのスリーピースに白いシャツでした。

    今回の中日劇場では、衣裳は一部、二部とも南座の時とは、変わっていて、一部が濃い目のさくら色で衿部分だけ黒サテン生地のジャケットに黒のパンツ、白のシャツ、蝶ネクタイ、胸にクリーム色のバラ。二部は、明るいよもぎ色のスリーピース、シャツは白、シルバーのペンダント。胸にクリーム色のバラという風に、とっても春らしい装いでした。それにしても、舟木さんって若い頃よりずっとピンク系がお似合いになってると思います。年を重ねるごとに華やかな色合いがしっくりくるんですから本当に不思議な人だなぁ・・と驚きます。もちろん、シックなよもぎ色のスリーピースも上品で舟木さんらしいセンスで素敵でした。
     
    イメージ 2この日は、私は、午前中は、28日から30日まで特別に開館してくださっている萩原町の郷土資料館に舟友さんとご一緒させていただきました。地元の舟友さんのご厚意で自家用車に便乗させていただき、萩原中学にも立ち寄りました。ここ数日の暖かさで一気に開花した桜は三分咲きほどで、舟木さんが寄贈なさった時計と桜をカシャッ!と撮影してきました。
    舟木さんの生家跡(今は「ユニヴァリィフナキ」という名前のアパート)と資料館を挟んで名鉄尾西線が走っています。ちょうど通りかかった赤い電車を背景にカシャッ!・・・と資料館運営のお世話をして下さっている地元有志の方に撮っていただきました。
     
    イメージ 8
    ← すごいでしょ!「2727」に乗せていただきました
     
    イメージ 3
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    さて、肝心の舟木さんのコンサートでのご様子とトークなどの詳細・・・これはまた後日アップいたしま~す。
    歌ももちろんですが、トークがこれまた抱腹絶倒!面白過ぎの舟木さんで、客席は大爆笑の連続でした。
    終演後は、たくさんのファンが、舟木さんをお見送りしました。車中でしたが、手を上げて下さった舟木さん、明日もきっと絶好調のことと思います。
     
    もう一点、中日劇場の秋の一ケ月公演(10月28日から11月15日)のチラシが出ていました。昨年12月の「いろは長屋の用心棒」の再演ですが、さらに進化した「ぶらり信兵衛」さんが期待されますね。
    イメージ 4だってサブタイトルが「~ぶらり信兵衛 爆笑ばなし~」となってます(笑)新歌舞伎座のお芝居も十分に爆笑ものでしたが、わざわざと「爆笑ばなし」と付いているということは、さらにパワーアップした喜劇になることでしょう。座組も、ほぼ新歌舞伎座と同じ、芸達者の皆さんが出演されるようです。
     
    明日は、私は昼のみですが、もう一日楽しませていただきます。
    では、とり急ぎ・・・
     
     

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    中日劇場 舟木一夫コンサート 2014 3月28日/29日
     
    イメージ 22月22日と23日の京都南座のシアターコンサートバージョンのステージが名古屋の中日劇場で開催されました。このあとは、5月2日から4日まで大阪・新歌舞伎座で、5月31日には東京・新橋演舞場で開催されます。
    舟木さんのトークを交えて、コンサートの模様を報告します。
    トークは私が拝見した28日の夜と29日の昼を併せています。
    ~ピンク文字は舟木さんのトーク部分です~
     
    開演5分ほど前にプレゼントタイム開始
     
    まず舟木さんのしぶ~い声だけが流れてきました。「たいへん、ながらくお待たせいたしました。」そして、下手から舟木さん登場「シャツ一枚じゃ寒いね」
    たっぷりとルーズな白地に、ピラミッドのような、幾何学模様のような柄のシャツブラウス、ジーンズにスエードっぽいベージュ系のシューズで登場。プレゼントを受け取りながら色々とお喋り・・・歌い手はステージではフォーマルなものを着るので普段はヨレヨレの恰好なんですよ。(そんなご謙遜を・・)客席でいろんな私語を話す声がするので、イメージ 4時々個人的な会話が飛び交ってます(笑)手紙が花束にはさまってたりするんですが・・たいていは、自己紹介から始まって・・などど軽口をたたきつつ、時々、プレゼントの紙袋の中をわざと覗き込みながら、これは保冷剤が入ってるよ、これはクッキーです。などど報告する舟木さん。最近は、原稿を書くとか、コンサートの構成を書くとか、長時間同じ恰好をしていると身体がかたまりますからね。足が長いから、かがむのが大変なんですよ(笑)純日本系体型なんですよ。でも、あんまり足が長いと時代劇は似合わないんです。時代劇といえば、10月にこちらにおじゃまするんですが・・(拍手)・・名古屋ではいつも来られている男性の方で「舟木一夫・命」と背中に書かれたジャンパーの方がプレゼント持ってこられるのに客席から拍手が起こって、舟木さんはそんなもんに命かけるなよ!」とリアクション(笑)してから、娯楽時代劇は、残しておきたいですよね・・とお喋りの続きを・・・では、90分ばかりしたらまた出てきます(笑)とまたしてもジョークを飛ばしつつ袖に引っ込まれました。
     
    今回の中日劇場では、衣裳は一部、二部とも南座の時とは、変わっていて、一部が濃い目のさくら色で衿部分だけ黒サテンのジャケットに黒のパンツ、白のシャツ、蝶ネクタイ、胸にクリーム色のバラ。二部は、明るいよもぎ色のスリーピース、シャツは白、シルバーのペンダント。胸にクリーム色のバラという風に、とっても春らしい装いでした。
     
    イメージ 5第一部  舟木一夫ヒットパレード
     
    あゝ青春の胸の血は
     
    あれこれ御用がおありの中、お越しいただきましてありがとうございました。一部にまとめて大ヒット曲ばかり詰め込むのは珍しいんですが・・花咲く乙女たちから
     
    花咲く乙女たち
    北国の街
     
    50年丸々過ぎて、この6月から52年目に入るんですが、今年の12月が来ると・・と手で「70」と書くまね・・こんな齢まで、歌を歌えると思ってもみませんでしたね。70になって「高校三年生」を歌ってるってね。声の衰えというより変化ととらえてそれを担いで走る・・・という。ここ二、三年は声がほそくなるかなぁと思ってたけど、発声を変えたら去年からうまくいってる・・と舟木さんの自信のほどがうかがえる発言。18でデビューして流行歌の黄金時代に出会えたのは幸せなことです。映画の主題歌から名作を三つ並べて・・

    絶唱
    哀愁の夜
    高原のお嬢さん
     
    イメージ 6三本とも和泉雅子という人と撮ったんですが、最近は小雪という感じでなくなって・・(笑)2、3日前、BIG3のプログラムになんか書いて下さいと頼んで、お礼の電話をしたら、お礼なんていいわよ、その代わりなんか食べさせてくれる?・・結局、中華料理に決定したんですが・・今だったらどれくらい食べるのか・・(笑)
    俺ってつくづく流行歌が好きなんだなぁと思った。歌に対する想い、キャリアも変わってくる、すべてのスタンスがととのってくるとお客様にどうお聞かせしようかと・・・歌に一生を賭けた訳でしょ。軽い感じでお客様に歌を届けなきゃウソなんで・・

    銭形平次(サインボール)
     
    いろんな流れの中で、どう放りこんでも大丈夫という曲。大川先輩が、18年間、一日も休まずになさってたわけですから、この曲は大川先輩が偉かったわけで・・そんなもの凄い先輩に出逢えたのは幸せでした。
    さっき私の齢のはなしをしましたが客席の方だって色々とあるんでしょう。流行歌の素晴らしいところは同世代に向けて歌っちゃうと、1本のコーラに2本のストローを差し込んで飲んでるよう・・今どき「♪二度とかえらぬ思い出のせて・・汽車は行く」なんて・・今の高校生は、「俺たちは飛行機でハワイだ!」となっちゃう。今になってつくづく流行歌手になって良かったと・・18で「高校三年生:と出逢った。一部のラストは、これを歌わなくっちゃマズイでしょう。歌います。

    高校三年生
    学園広場
     
    イメージ 1高校三年生
    ~「涙の川を渉るとき」遠藤実自伝 日本経済新聞出版社(2007年初版)より~
    「赤い夕日が 校舎を染めて ニレの木蔭に弾む声」・・歌詞を読んだ途端、貧乏ゆえに中学に行けなかった自分のことが思い出された。日東紡績で見習工をしながら通信教育用の中学校教科書を買い校章に似た付録のバッジを帽子につけて悔しさを紛らわせていた日々。もし中学、高校と進めていたら、どんな青春が待っていたのだろう。
    思いつくままにワルツ風の旋律を譜面に落としてみた。いや少し違う。東京オリンピックは翌年に迫っている。そこでマーチ風の旋律に書き換えた。そうだ軽快で明るい方がいい。私自身の「失われた青春」に対するオマージュ(賛辞)でもあるのだから。吹き込みの日、上田君は見違えるような気力あふれる歌唱をみせた。その足で私を自宅に訪ねてきて「名前はどうしたらいいでしょう」と聞く。私は即座に答えた。「舟木一夫だよ。」かねて用意していた名前だった。
    舟木君が学生服で歌う「高校三年生」は昭和38年を代表するヒットになり、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞した。

    休憩(30分)

    よもぎ色のスリーピース、白いシャツ、ペンダント、胸には白いバラで登場
     
    第二部  遠藤実スペシャル 「決して散らない花々」
     
    そんなわけで二部の方へとりかかります・・その前に先ほど、サインボールをキャッチされた方は、グッズ売り場で、お帰りに、私が書いたサイン色紙を受け取って下さい。
    流行歌というのは「はやりうた」というくらいですから、流れて行くんですが、自然にバトンタッチをしてるワ
    ケですね。短いスパンで思い出をつくってくれる。遠藤先生は僕にとっては、近いの遠いのというのではない・・・
    昭和32年の「お月さん今晩わ」が遠藤先生の最初のヒット曲。遠藤先生は24歳、かずおちゃんは12歳。二部のスタートは先ずは、その原盤をどんな雰囲気かお聞かせします。ステージのライトがおちて、舟木さんは客席を向いてニコニコなさって聴いていらっしゃいました。
     
    イメージ 7お月さん今晩わ
    ~藤島桓夫さん歌唱によるSP原盤で~
     
    当時は同時録音というやつでしたから大変でしたよね。「俺でも僕でもないオラ」という言葉をどう響かせるか・・・12歳の時に僕は、この歌を聴いていたんですが、遠藤先生は演歌95%という感じで昭和の流行歌の柱となって下さった。
    では、遠藤先生の曲、始めてみます。「十字路」から・・

    十字路
    くちなしの花
    すきま風
     
    ブルース・トーンの歌が歌いたくて歌い手になったとことあるごとにおっしゃる舟木さんですから、この三曲はその、世界が詩も含めて、実に奥深く心の襞にまで刻まれたような咀嚼力が感じられ、また「ほっとする」とおっしゃっていた通り、ムダに重くなくのびやかでかろやかな歌唱で、演歌につきものの臭みなど微塵も感じられないのが嬉しく、よもぎ色のスリーピースの立ち姿の美しさと相俟って、甘く、また渋く極上の「ブルース演歌の世界」に連れて行って下さいました。
     
    みっつとも俳優さんがお歌いになって・・小林旭さん、渡哲也さん、杉良太郎さん。遠藤先生が大切にされていた「歌い手がもっている声の個性を生かすこと」を細かく気にして作っていらした。私はブルース・トーンが歌いたくて歌手になった。「夜霧よ今夜も・・」「哀愁の街に・・」「十字路」みたいな歌が好きで、ほっとする。演歌といっても、古賀先生の演歌、船村先生の演歌、遠藤先生の演歌はそれぞれ違う。遠藤先生は当時、古賀先生の開拓してきた道をきれいに継承なさっていると評価されていらした。遠藤先生の一番繊細な部分が出た歌の女唄、男唄をふたつ並べて・・・
     
    からたち日記
    星影のワルツ
     
    イメージ 8「星影のワルツ」のイントロが流れた途端、私のお隣はひとりで来られている男性だったんですが、身を乗り出すようにして「ふ~ん!」と期待に満ちた嘆息がありました。もちろん、私も「♪今でも 好きさ 死ぬほどに」「♪あんなに愛した仲なのに・・ 」、ひとつひとつのフレーズに反応してしまって心をわしづかみにされました。ツーコーラス目が終わると、舟木さんは後ろ向きになって、シルエット・・・インストゥルメンタルでたっぷりとワンコーラス分の美しいメロディーを聴かせて、遠藤先生への敬愛の想いが伝わってきてジ~ンときました。おそらく私もそう思っているのですが、メロディーの「美しさ崇高さ」という点では「星影のワルツ」は、遠藤メロディーの最高峰と言えるということも踏まえた上での演出ではないかとあらためて思いました。先の男性は、もちろん、歌い終わったら大きな拍手をされて満足なご様子でした。「どうです、舟木さんの星影のワルツ・・」なんて、私が鼻高々(笑)「星影のワルツ」を歌っていらっしゃる舟木さんの、お顔の優しいこと!声と表情がマッチしてて、この曲は舟木さんの持ち歌じゃなかったの?と思うほど舟木さんの温かで癒し系のお声にぴったりだと今回も思いました。
     
     
    星影のワルツ 作詩:白鳥園枝 
     
    別れることは つらいけど
    仕方がないんだ 君のため
    別れに星影のワルツを うたおう
    冷たい心じゃ ないんだよ
    冷たい心じゃ ないんだよ
    今でも好きだ 死ぬ程に
     
    イメージ 9一緒になれる 幸せを
    二人で夢見た ほほえんだ
    別れに星影のワルツを うたおう
    あんなに愛した 仲なのに
    あんなに愛した 仲なのに
    涙がにじむ 夜の窓
     
    よならなんて どうしても
    いえないだろうな 泣くだろうな
    別れに星影のワルツを うたおう
    遠くで祈ろう 幸せを
    遠くで祈ろう 幸せを
    今夜も星が 降るようだ

    ひとつめが、お千代姉さんの歌・・「今日、私、はらたち日記なの。」「どうしたの?」「競馬で負けたの・・」(笑)いきなり、こんな小咄(こばなし)で客席の笑いをとる舟木さん。絶好調です。
    こんな歌は、歌い手があらっぽく歌うとどうにもならないんです・・本人が歌ってるのはあらっぽいんですが
    (笑)千君が、ワルツは歌ったことがないからどう歌ったらいいかって遠藤先生に聞いたそうです、そしたら先生が、ワルツなら舟木君に聞け・・と、「学園広場」なんか歌ってましたからね。千君は遠藤学校の後輩ですから喫茶店でちょっと、ワルツは四分の三拍子で・・なんて言ってやりましたが・・・ムダでした(笑)彼は、なまってますから・・流行歌手というのは、巧きゃいいってもんじゃない。その人の個性が出なきゃいけない・・・遠藤先生のところから、これと思った男の子が出ていくときに付けようと思ってとっておいた芸名が「舟木和夫」・・でも、その字を見た時に、タテに長くて倒れそうだから、横棒の「一」を入れたら・・とナマ意気にも注文をつけたら「そうか!じゃあ横棒入れようか!」・・せっかく、とっておきの名前をいただいたのにね・・先生はおやさしかったから僕が甘えきってたのか・
    ・・と今では有名な芸名の由来についてのエピソードも。
    こういう歌は遠藤先生には、少ないんですが、僕が先生と出逢う前の作品の中の大ヒット曲・・

    若いふたり
     
    イメージ 10北原謙二さん、ノンビブラートが特長の方でした「♪君には君のォー」、西田佐知子さん「♪アカシアの雨に、打たれて・・」と歌マネ入り。歌い手の個性は千差万別ですが・・流行歌というのは95%が昭和に生まれて、昭和で終わったといってもいい。プロの歌い手を巧いとか下手とか言うのは変なんですよ。のど自慢は消去法ですけど、プロの場合は逆なんです。欠点とかがあっても抜きんでているものがあればいい。一節太郎さんという「♪逃~ィげた女房にゃ」と歌ってみて、止めとこう、耳にささる(笑)最初は、きれいな声だったんですけどわざとつぶしたんですね。森進一君もああいう声になる前の「女のためいき」聴いたことがあるんですよ。古賀先生のお弟子さんなんですが、声はいいけど特徴がなくて流れるんだよね・・それで、半年くらいしたらあの声で「♪死んでも・・」とまたしてもモノマネをする舟木さん(笑)コロッケ(モノマネの名人芸人さん)にどうしたら森君のモノマネができるか聞いたら、タメイキついて身体を震わせたらいいって・・とさらにその通りにまたやってみる舟木さん・・「誰か止めろよ!」今回、遠藤先生のヒット曲の中でも避けて通ったのは「困っちゃうな」「おひまなら来てね」・・僕が歌ってもお客様の方が「困っちゃうな」で、しなつくって「♪おひまなら・・」と妙なポーズまでやってみて、ね、気持ちワルイでしょ(笑)遠藤先生の曲の中で数少ない三尺物(股旅物、遊び人物)をふたつ続けて、合羽からげて行ってみますか!

    天竜母恋い笠
    旅鴉
     
    最初のは、ひばりさんの映画にもなったもの、ふたつめのは、テレビの時代劇「長谷川伸シリーズ」の主題歌。詩とメロディーとアレンジと歌い手が絶妙のバランスで出来上がった曲だと当時、思いましたが・・「♪やだねったら やだね 箱根八里の半次郎・・」とフリまでつけて気持ちよさそうに歌って、股旅ものの歌詞ではあるけど股旅ものとしては歌ってないでしょう・・「♪亭主もつなら 堅気をおもち」と「旅笠道中」の一節を歌って、とうとう堅気にはなれなかった・・(笑)
     
    イメージ 11舟木さんの三尺物は、本当にカッコいいです。以前にブログでもご紹介したアルバム「渡世人 舟木一夫三度笠を歌う」は、舟木さんがまだ二十代半ばの収録ですが、そんな若い頃から、三尺物の世界の匂いをリアルに描き出す力量がおありでした。舟木さんは言葉に宿るいのちを、驚くほど的確に丁寧に繊細に表現なさるという意味でも同世代の歌い手で右に出る者はいないのではないかと思います。舟木さんの歌をお聴きしていると、昔、私が少しだけ勉強させていただいていた朗読サークルで先生に言われたことをよく思い出します。ひとつひとつの言葉をどう空間に置くか・・言葉を塊ととらえるのでなく、一音、一音にいのちがあることを疎かにしないこと。まして、歌は、言葉にメロディーがついている、というかメロディーに言葉をのせていくのですから、「雨が降る」なら、乱暴に、塊として声に出すのではなく「あ・め・が・ふ・る」の一音、一音にどんな想いをのせるのか、名詞の頭の音、助詞のトーン、語尾の落とし方・・など伝えたい想いを届けるにはどうしたらいいかを、舟木さんはとっても大切にしていらっしゃるように私には思えます。
    天性の資質である、癒しを与えるまろやかな声質、その声質にこれ以上似合うものはないと思われる容姿と佇まい・・・そして何より「歌への敬愛」の心、これら三拍子が完璧なまでに揃っている舟木一夫という歌い手に再会できた幸せを、そのステージを拝見する度に噛みしめている私です。

    この後のトークがさらに炸裂!水前寺清子さん、都はるみさん、春日八郎さん、三橋美智也さん、若原一郎さんなどのヒット曲の一節を次々に歌われて、元はドラマーだったディック・ミネさんが歌い手になったいきさつ~歌い手が急に来られなくなった代役として、歌わされたディック・ミネさんの歌をたまたま聴いた淡谷のり子さんが「あんたネ、ドラムなんか叩いてるより歌い手になった方がいいのョ」と言ってスカウトされた~などをその淡谷さんのセリフも、とってもお上手にモノマネで東北弁で、なまっておっしゃるので大爆笑でした。
     
    3月30日の夕方近く4時頃だったでしょうか、大きな虹が空にかかっているのを数年ぶりに見ました。なにかいいことあるかな?
     
    イメージ 3
     
    ~中日劇場 舟木一夫コンサート 2014 3月28日/29日 (下)につづく~

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    ~中日劇場 舟木一夫コンサート 2014 3月28日/29日 (上) のつづきです~
     
                          舟友さんから頂戴した新聞記事です↓(中日スポーツ3/12付)
     
    イメージ 1遠藤先生との出逢いは、「高校三年生」でも、最初のヒット曲「お月さん今晩わ」でもなかった。
    僕が15(歳)の時、ラジオから流れてきた曲にひっかかった。色気のある曲だと・・当時は、作曲家の名前などは知らずに流行歌を聴いていましたが、この曲は誰がお書きになったんだろうと知りたくなった。それが「初恋マドロス」という曲です。その後、歌い手としてデビューする前の勉強をするにあたって、浜口庫之助さんと遠藤先生と二択の場面になった時に、キメテになったのも、この「初恋マドロス」のインパクトがあったからでしょう。
    イメージ 7~新聞記事の一部より~
    七回忌合わせ28、29日名古屋でコンサート
    舟木が初めて遠藤さんの存在を知ったのは15歳の時。ラジオから流れてきた美空ひばりの「初恋マドロス」を聴き、ワンコーラスでなぜかメロディーが心に引っ掛かった。「誰が曲を作ったのか調べてみたら遠藤先生だった。当時は作詞や作曲が誰かなんて気にしていなかったのに」
    運命的な出会い
    2年後、歌手を目指して上京。舟木は事務所から「レッスンを受けるのは、浜口庫之助先生と遠藤実先生のどちらがいい?」と聞かれ、「初恋マドロス」以来、潜在意識の中にあった遠藤さんを選んだ。「レコード会社が違うとか、1ミリでも離れていたら一生出会わないそんな運命的な出会いだった」と振り返る。恩師の一番の思い出は、その優しさ。「とても気を使う方。歌も個性を生かしてくれた。」デビュー前、同世代の歌手志望の少年少女と一緒にレッスンを受けていた舟木は、恥ずかしさで大きな声が出せなかった。「こんなに内気で小さな声しか出なくて芸能界でやっていけるのか」と本気で心配してくれた。

    舟木さんはよく「色気」という言葉をお使いになりますが、それは「情のある」という同義語としてお使いにな
    っているようです。日本固有の情感で哀愁を帯びつつもどこか粋で洒脱な雰囲気を「色気」とおっしゃっているのではないかと私は想像しています。

    初恋マドロス  作詩:西沢爽 (美空ひばり)
    http://www.youtube.com/watch?v=BFj0GpNe6is
     
    霧のむこうの 桟橋で
    やがて出船の ドラが鳴る
    泣くだけお泣き 泣くだけお泣き
    一夜かぎりの マドロスだもの
    泣いて 泣いて忘れて
    くれるならヨー
     
                                                                                               遠藤先生の作品で大ヒットを次々に飛ばしていた20才の頃
     
    イメージ 8哀愁出船  作詩:菅野小穂子
    http://www.youtube.com/watch?v=rI7JlRn13vY
     
    遠く別れて 泣くことよりも
    いっそ死にたい この恋と
    うしろ髪ひく 哀愁出船
    涙かみしめ ゆく潮路

     
    襟裳岬  作詩:丘灯至夫
     
    風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
    誰か私を 呼んでるような
    襟裳岬の 風と波
    にくいにくいと 怨んだけれど
    いまじゃ恋しい あの人が
     
    風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
    浜の日暮れは 淋しいものよ
     たった一人は なおさらに
    こんぶとる手に ほろりと涙
    背のびしてみる 遠い空
     
    風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
    春はいつくる 燈台守と
    襟裳岬の女の子
    泣いてみたいな 霧笛のように
    泣けば想いも 晴れるのに

    舟木さんと遠藤先生との出逢いの曲「初恋マドロス」、同じ波止場、港をテーマにした名曲「哀愁出船」は美空ひばりさんの秀逸な歌唱でヒットしましたから、このあたりは、私もはっきり記憶に残っています。そしてこのブロックのラストは、私は、当時小学生でしたが、リアルタイムで聴いてとっても好きで、あの、はかなく透きとおるような島倉千代子さんの高音を真似てみたりして歌った「襟裳岬」だったのですが、2月の南座で初めて聴いたときのインパクトは忘れられません。イントロから、いきなりドラマチックに意表を突くような始まり方のアレンジによって、寒風吹き荒れる厳しい北の海の表情が目の前に浮かびあがってきました。そして、ラストで再び、本来の詩の構成にはない「風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ」というフレーズを余韻をきかせた響きで聴かせて、さらに強いインパクトでもうひと押しする・・見事な演出とアレンジでした。
     
    イメージ 9スケールの大きい歌でしてね、むつかしい言葉はでてこないのにメロディーが大きいんですね。一節演歌・・・といきなり大きな声で歌い出す舟木さん「♪俺の目を見ろ・・」(「兄弟仁義」)、「♪一声泣いては」(「涙を抱いた渡り鳥」)こういうのを一節演歌といいます。頭の部分を印象づける。三橋さんが、そうでした。ひばりさんと三橋さんがおふたりでショーをやったときにひばりさんが「まいっちゃうわよね。私は、フツーに歌ってるんだけど、三橋さんが出てきて「♪惚~ォれェてェ~」(「哀愁列車」)というとみんなとんじゃう・・とこぼしてました。さらに、「♪わ~らぁにぃまみれてよォ~」(「達者でナ」)と、歌うとってもお茶目な舟木さん(笑)春日(八郎)さんは軽いんですよね。まだ歌います・・「♪白い夜霧の灯りに濡れて」(「赤いランプの終列車」)・・
    右手にクセがある・
    ・と形態模写までもサービスして客席は大喜びでした。さらに、淡谷のり子さんのポーズ(腕を胸の前で組んでななめに構える)で、昔、僕、聞いたことがあるんです。胸をかかえて歌うと歌いにくくないですか?そしたら、私、オッパイが大きいから支えてるのよ・・と淡谷さんのあの独特の東北訛りのイントネーションでモノマネまでなさるので、抱腹絶倒でした。あげくの果てには、後ろを振り向いてバンドのメンバーに「おい、誰かとめろよ!」(笑)舟木さんのトークは、いつも面白いのですが、今回は、グンを抜いての大爆笑ものでした。それにしても、歌はもちろんですが、歌う時のポーズやクセなど実によく捉えていらして大スターになる人というのはやっぱりすべてに関して抜きんでているんだと感服させられました。

    当時は流行歌の作家が専属制だったんで、各社独特のメロディーがあったんです。それで歌い手として会社に入る時に、あの人のメロディーが歌いたいから、この会社に入るという面もあった。ということで歌い手も偏ったのですが遠藤先生が外に出て(フリーになって)広がっていった。どの辺を遠藤演歌のど真ん中にとるか・・・
    ここからラストブロックに一気に繋げていく・・僕が思う遠藤演歌のど真ん中を・
    ・と、ついさっきまでのお笑
    いエンタティメント?とは打って変わって歌の世界にすゥ~ッと入るその切り替えの見事さは、スマートでさすがプロフェショナルのお仕事だとこれまた感服!

    イメージ 10他人船
     
    みちづれ
     
    遠藤演歌のど真ん中・・ながしのエンちゃんとして顔と名前を売った頃の遠藤氏の肌で感じ、その身に沁みついたであろう昭和が昭和であった時代の、表通りではなく裏町、裏通りで繰り広げられた様々な人間ドラマを見るような想いがするラストの五曲でした。舟木さんが、トークの中でおっしゃったように流行歌は昭和に生まれて昭和で終わった・・という言葉をあらためて思い出させてくれるようなセレクトだと思いました。
    その歌唱は、力強いのですが、どこにも、ムダな力が入っていなくて、それだからこそ情感に満ち溢れています。何より、舟木さんご自身が、「歌う事そのもの」を楽しんで歌っていらっしゃることがステキです。私は、今回は、二階席の後方でお聴きして客席全体の空気がわかる位置にいましたから、客席の興奮が、さざ波のように広がって伝わってくるのを感じました。ラストの「ソーラン渡り鳥」が終わり、舟木さんがご挨拶の言葉を言って幕が降りきるまで、拍手喝采が続きました。先にも少しふれた隣の男性は、おそらく初めて舟木さんのコンサートにいらしたのでしょうか、アンコールで再び緞帳が上がると「やった!」とおっしゃいました(笑)
     
    買っちゃいました2014グッズ 午年の根付け ↓

    イメージ 3~アンコール
    北国の春
     
     
    北国の春  作詩:いではく
    http://www.youtube.com/watch?v=uGvECzTIlCw
     
    白樺(しらかば) 青空 南風
    こぶし咲くあの丘 北国の
    ああ 北国の春
    季節が都会では わからないだろうと
    届いたおふくろの小さな包み
    あの故郷(ふるさと)へ帰ろかな 帰ろかな

    雪どけ せせらぎ 丸木橋
    落葉松(からまつ)の芽がふく 北国の
    ああ 北国の春
    好きだとおたがいに いいだせないまま
    別れてもう五年 あの娘はどうしてる
    あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな

     
     
    やまぶき 朝霧 水車小屋
    わらべ唄きこえる北国の ああ 北国の春
    あにきもおやじ似で 無口なふたりが
    たまには酒でも 飲んでるだろか
    あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな

     
    イメージ 11このアンコールの選曲も、素晴らしいセンスだと今回も思いました。遠藤演歌のど真ん中のあとに、のどかで温もりのある、普遍的な日本のふるさとの風景、情景を詠った曲を置いてコンサートを締めるのは大正解でしょう。名作というより佳作という言葉が似合う、いかにも遠藤実という人を象徴するような素朴な曲だと感じました。舟木さんが歌うと、ちょっとお洒落で垢ぬけた感じになりますが、私たちの世代は、丸ごとの土臭さに郷愁を感じる世代より、少しだけ時代が進んだ頃に青春時代を過ごしてますから、こういうスマートな歌唱の「北国の春」は、ストンと違和感なく心に沁みてきました。
    イメージ 12日本の、昭和という時代の風景・・都会も田舎もすべてがここにあるという「遠藤実~決して散らない花々」を鮮やかに構成、演出なさった舟木さんの恩師への深い感謝の想いと、また、その類まれなるプロデュースセンスを胸一杯に堪能させていただきました。
     
    ~遠藤実自伝「涙の川を渉るとき」 北国の春より~
    「北国の春」のレコードが発売されたのは昭和52年4月のことだった。当初、レコードのA面は「運命のどこかで」と決まっていた。メロディーも書き上がり、後から詞をつける「はめ込み」を待っていた。しかし作詞を担当するいではく君の仕事ははかどらない。そしてB面の詞も届かない。私の家でいで君と相談していた。
    「B面の詞はどうですか?」「一応、書いてみたんですが」いで君が自信なげに差し出した詞を読んで立ち上が
    った。「白樺 青空 南風」という印象的な言葉を並べて歌い出す。そして「届いたおふくろの小さな包み」「
    あにきもおやじ似で 無口なふたりが」と、まるで私自身の郷愁をわしづかみにするような場面がちりばめられ
    ている。この詞は、私が本当はどんな曲を書きたかったのかを教えてくれた。心の底にじっと横たわっている故
    郷の情景。そこで暮らした家族との日々。自分を育んでくれたものすべてに対する感謝と懐かしさを、もっと早
    く歌にするべきだった。原稿用紙をつかんで仕事場に向かった。旋律が、あらかじめ決めてあったかのように流
    れ出す。歌うのと同じ速さで出来上がった。(日本経済新聞出版社刊)

    劇場という広い空間が、隅から隅まで舟木一夫の歌で満たされる、その真っ只中にいることのできる幸せは、やはりCDやレコードでは味わえないものだと思います。今回も、コンサート終了後、一日でも長く、その幸せな時空間に居ることができますように・・と祈らずにはいられない私なのでした。
     
    間もなく35周年という頃に遠藤氏から提供されたのが「いつでも青春」「想春」です。
    デビュー曲「高校三年生」以来、舟木さんにたくさんのヒット曲を作って下さった遠藤氏は、コロムビアを離れ1965年、太平音響株式会社の設立に加わり専務取締役就任。1968年にはレーベル名のミノルフォンを社名にし、社長に就任という経緯があって、昭和41年の以下の四曲~
    おもいをこめて手をふろう(西沢爽)/高校生音頭(丘灯至夫)/花の応援(丘灯至夫)/ふるさとの乙女(西沢爽)を最後に、舟木さんとの距離は遠くなってしまわれますが、その後も、舟木さんにとって大切な節目の時期には、遠藤氏は、舟木さんへ楽曲を提供なさっています。そして、舟木さんが、再び芸能界の表舞台で活躍を始められた35周年には、「いつでも青春」「想春」という記念曲を作っていらっしゃいます。どちらにも「春」という言葉が入っています。まさに時は春、この季節にあらためてその二曲を、聴いてみたいと思います。

    イメージ 2~「涙の川を渉るとき」巻末の作品一覧より~
     
    昭和41年
    おもいをこめて手をふろう(西沢爽)
    高校生音頭(丘灯至夫)
    花の応援(丘灯至夫)
    ふるさとの乙女(西沢爽)
                                                                                     
    昭和47年
    さすらいの夜(松坂直美)→流浪[さすらい]と改題
    青春(丘灯至夫)
     
    昭和48年
    ああ荒城の月かなし(石本美由起)「石本美由起作品集」収録
     
    昭和49年
    旅路(丘灯至夫)
    寝顔(西沢爽)
     
    昭和50年
    紙の指輪(吉田旺) アルバム「十二ヵ月の愛の詩」収録
    楡の雨(吉田旺)  アルバム「十二ヵ月の愛の詩」収録
     
    昭和52年
    まごころ(吉田旺)アルバム「愛はまぼろし」収録
     
     
    イメージ 6平成8年(1996年)12月・35周年記念)
    いつでも青春(川内康範)
    想春(川内康範)

    いつでも青春 作詩:川内康範
     
    なつかしい あなたに こんにちは
    すこし寂しそうな 横顔気にかかる
    ぼくもつらさは いくつかあったけど
    あなたを想って 越えてきた
    愛してる 愛してる
    いつも いつでも 青春さ
     
    何年ぶりだろう こんにちは
    時間(とき)が流れて この世は変り
    ぼくも苦労を かさねてきたけれど
    あなたを夢見て 越えてきた
    愛してる 愛してる
    いつも いつでも 青春さ
     
    すてきなあなたに こんにちは
    昔はぼくも 泣き虫だったけど
    いまはとっても 明るくなってるよ
    あなたがいるから 虹がある
    愛してる 愛してる
    いつも いつでも 青春さ
     
    2014年3月30日16:30 桑名市自宅から撮影の虹 
     
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     想春 作詩:川内康範 
     
    あの人に もういちど逢えたなら
    今度こそは離さない 離さない
    ふり向けば 想い出つらく
    あのころが 悔まれて わびたいよ
    いまなら 深き恋に 恋に恋におぼれる
     
    あの人と 別れたあとからは
    寂しすぎることばかり ことばかり
    愛しさを 知らなさすぎて
    馴れすぎて 甘えてた 遠い日よ
    いまなら 深き恋に 恋に恋におぼれる
     
    あの人に もういちど逢えたなら
    胸の痛みわけあおう わけあおう
    白蓮の 花咲く季節
    あの時の 冷たさを わびたいよ
    いまなら 深き恋に 恋に恋におぼれる
     
     自宅付近の白モクレン 3月20日撮影
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    早いもので、2014年も、あっという間に3ヶ月が過ぎてしまいました。明日からは4月。そして4月4日の川崎市教育文化センター を皮切りにして「青春歌謡BIG3」の全国ツアーコンサートが始動します。
    本日、3月31日には、このツアーコンサートを目前にした、「BIG3」の皆さんが、「徹子の部屋」に登場なさいました。私は、テレビは地上波だけしか見られませんので、舟木さんをテレビで拝見することは、ほとんどありませんが、この番組は、拝見することができましたので、ブログに記録として残しておくことにします。
     
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    私の感覚では、橋幸夫さん、舟木さん、西郷輝彦さんが「御三家」と呼ばれていることも、その「御三家」に三田明さんを加えて「四天王」と呼ぶことも、呼称そのものについては、あまりピンとこないというのが正直なところです。ほぼ同時代に、デビューなさって、青春歌手として活躍なさったという認識はあるのですが・・・。聞くところによると、「御三家」「四天王」の名付け親は、玉置宏さん?
    この四人の皆さんのデビューの頃とちょうど同じタイミングで、歌謡番組の司会者として人気を博して活躍なさっていた玉置宏さんが、皆さんの人気を後押しする力となったであろうことは確かだと感じています。
    確かな記憶ではありませんが、私が、舟木さんを初めてテレビ画面で見たのは、「ロッテ歌のアルバム」だったように思います。ほぼ毎週、この歌謡番組だけは、欠かさずに見ていたと思いますし、逆に他の歌謡番組は、あまり記憶がありませんから、消去法でいくと・・・というに過ぎませんが。
     
    あっという間に、終わってしまった気がする「徹子の部屋」(笑)
    私の印象に残ったことだけですが、まとまりなく書き留めておくことにします。
     
    先ず、舟木さんの足もとに目がいきました。他のおふたりは、靴下を履いていらっしゃいましたが、舟木さんは素足に革靴(多分)だったように見えました。それと、ボトムはジーンズ
     
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    舟木さんが「徹子の部屋」に、最初に出演なさったのは1979年放映、34歳の時だそうです。
     
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    1979年当時の舟木さんは、どうしていらしたのかな?
    大倉明さんの「青春賛歌」の年表では
    3月15日 ATG企画映画「青春PARTⅡ」公開
    3月24日 東映映画「総長の首」公開
    3月 「ららばい」/「はぐれカモメ」発売
    これだけしか記載がありません。
     
     
    三田明さんが、歌手になるためのオーディションで歌ったのは「高校三年生」だったそうです。
     
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    そして、西郷輝彦さんが、デビュー曲を決める際に、テストで歌ったのも「高校三年生」
     
    さらに、私としては、一番印象的だったのが、西郷輝彦さんの「潮風が吹きぬける町」という曲のことが、お話の中に出てきたことでした。この曲を聴いた玉置宏さんが、「これは舟木君の曲だね」とおっしゃったと西郷さんが言われました。
     
    私のお気に入りの、舟木さんの15周年記念リサイタルのライブアルバム「歌とモノローグで綴る15年の歩み」(1977年発売)には、「潮風が吹きぬける町」が収録されています。この音源を聴いた時に、私も、この曲は舟木さんの持ち歌であっても不思議ではないと感じましたから、玉置さんが、そうおっしゃったということを聞いて、とっても嬉しくなって、印象に残ったという次第です。
     
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    イメージ 20限りない青春の季節
    舟木一夫15周年記念リサイタル
    ~歌とモノローグで綴る15年の歩み~
    (1977年12月発売)
     
    Ⅳ.友について 
    以下は、ライブの中での舟木さんのモノローグ(トーク)部分です。
     
    友の歌を、友情の歌を歌う時、自然にあこがれをこめてしまいます。はっきりと言ってしまえば、友情を理解して歌っている友情の歌ではありません。計りに乗せても計りきれない位、大きな、憧れをつめ込んで、友の歌を僕を歌い続けています。で、最近、本当につくづくと思ったのは、僕に親友が、実は二人いたんだっていう事です。橋幸夫さんと西郷輝彦君、このお二人は、僕にとって精神的に、間違いなく一生の友達です。僕は今、本当に心の底からそう思っています。ライバルと凌ぎをけずる。ライバルがあって男はのびる。本当ですね。彼にだけは勝ちたい、そう思うことが男を仕事にのめりこませていきます。ですから、僕にとってこのお二人は心の底から今、親友だと言えるんです。親友の歌を歌いましょう。潮風が吹きぬける町・・・
    *なお、このコンサートでは、橋幸夫さんの「雨の中の二人」も歌っていらっしゃいます。
     
    イメージ 3潮風が吹きぬける町
    (西郷輝彦 1967年10月発売)
     
    潮風が吹きぬける町
    浜茄子がゆれて咲く丘イメージ 21
    わがふる里
    夜ごと 夜ごと
    胸にひびく あの潮騒
    はるかな 潮騒
     
    ちちははが 網つづる庭
    妹が水を掬(く)む井戸
    わがふる里
    夜ごと 夜ごと
    夢にかよう あの面影
    ほほえむ 面影
     
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    2000年「G3K」メモリアルコンサート↑ 
     
     
     
     
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    番組の最後の方で、映画「絶唱」の写真が登場したので、大感激しました。やっぱり、舟木一夫と言えば「高校三年生」と「絶唱」は、外せないのですよね。「絶唱」贔屓の私的にはとっても嬉しく思いました。
     
    「BIG3」は、御三家の橋幸夫さんは、入っていないのですが、橋さんを含めた「四天王」が、揃って出演なさっている、映画「東京・パリ 青春の条件」についても、この機会にちょっとだけ掲載してみます。

    「東京・パリ 青春の条件」(1973年3月18日公開)
     
    イメージ 7この映画は、橋幸夫さんの芸能生活10周年記念映画ということで、御三家の初共演映画として当時、注目されたようです。勿論、その頃のことは私は少しも記憶にありません
    でも、映画を拝見すると、実際には御三家の橋さん、舟木さん、西郷さんだけではなく、三田明さんも出演なさっていますから、四天王が総出演した映画になっているのですね。
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    舟木さんは、映画の中で「霧氷」を歌っている歌手のようです。なんの説明もなく突然「霧氷」を歌っているのです(笑)橋さんの、役どころが「作曲家兼トランペット奏者」となっていて、バンドでトランペットを吹いている橋さんの演奏で舟木さんが歌っているわけです、しかも「霧氷」を・・・(笑)
     
    イメージ 9舟木さんが「霧氷」を歌っていらっしゃるのは、この映画でしか聴いてませんが、この歌も、聴いていると「舟木君の曲」に聴こえてきます。1966年に舟木さんが「絶唱」でレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞された年のレコード大賞が「霧氷」だったことを思うと、その7年後に、舟木さんが「霧氷」を歌っていらっしゃるのもなにか不思議な気持ちにさせられます。ちなみにこの年の新人賞は西郷輝彦さんだったのですね。
     
     
    舟木さん、ここでも動物好きなのがわかります。鳩をそっと抱いているのはずっと舟木さん・・(笑)
    この映画は、とってもシュール(笑)ストーリーの展開も、なんだかよくわからないまま終わりました。
    「四天王」はじめ、当時の人気歌手の方が、橋さんの10周年を祝って、御祝儀でたくさん出演されていてファンタジーっぽい娯楽作品なんでしょうね。鳩を抱っこする舟木さんがとってもいい感じです
     
     
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    そして、最後に・・・また「徹子の部屋」に、もどりますが、舟木さんが番組の終わりの方で、おふたりに、ずっと聞きたかったんだけど「どんな歌が歌いたくて歌い手になったの?」と質問されたのが、とっても舟木さんらしくて、すてきだと思いました。舟木さんは本当に純粋に歌が好きで好きで「流行歌手」になられたんだなぁということが、伝わってくる瞬間でした。
     
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    2014年4月~6月 コンサートスケジュール 
     
     春日局
     
    イメージ 14月4日(金) 
    青春歌謡BIG3  川崎市教育文化センター
     
    4月7日(月)/8日(火)  8日(火)
    青春歌謡BIG3  神戸国際会館こくさいホール 
     
    4月14日(月)   
    青春歌謡BIG3  浜松アクトシティ 
     
    4月17日(木)   
    青春歌謡BIG3  千葉県文化会館
     
    4月21日(月)   
    青春歌謡BIG3  福岡サンパレスホテル&ホール
     
    4月22日(火)   
    青春歌謡BIG3  熊本市民会館崇城大学ホール
     
    4月24日(木)
    青春歌謡BIG3  宝山ホール(鹿児島県文化センター)
     
     
    イメージ 65月2日(金)/5月3日(土)/5月4日(日)  
    2日(金)   
    シアターコンサート  新歌舞伎座 
     
    5月9日(金) 
    ラブリーコンサート メルパルク大阪 
    昼・夜 
     
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    5月14日(水)
    ラブリーコンサート メルパルク東京 
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    5月19日(月)
    青春歌謡BIG3  旭川市民文化会館
    5月20日(火)  
    青春歌謡BIG3   ニトリ文化ホール
     
     

     
     
    イメージ 35/31(土)   新橋演舞場    
    シアターコンサートin 新橋演舞場
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 56月5日(木)
    青春歌謡BIG3   オリンパスホール八王子
     
    6月6日(金)
    青春歌謡BIG3   コラニー文化ホール(山梨)
     
    6月12日(木)
    青春歌謡BIG3   やまぎんホール(山形)
     
    6月13日(金)
    青春歌謡BIG3   郡山市民文化ホール
     
    6月18日(水)
    青春歌謡BIG3   盛岡市民文化ホール
     
    6月19日(木)
    青春歌謡BIG3   仙台サンプラザホール
     
    6月30日(月)
    青春歌謡BIG3  日本特殊陶業市民会館 フォレストホール
     

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    今日は、風が強くて、午前中、近所のショッピングセンターに買い物に出たら、私の母校の小学校のさくらが強風にあおられて、まさに桜吹雪の中を歩くという体験をしてきました。一昨日は、まだ八分咲きかな?と思っていたのですが、文字通り「三日見ぬ間の桜」になりそうです。
     
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    「舟木一夫自作曲によせて その1」では「END-FIN-FINE(ラストシーン)」のことを、書かせていただきました。「その2」では、つい一週間前に、おじゃました舟木さんのふるさと萩原町を詠ったROCK'N ROLL ふるさと」を、写真と一緒にコラボしてご紹介します。
     
    イメージ 2私の住いは三重県桑名市ですが、距離的に言えば、限りなく愛知県よりの三重県です。わが家から10分ほどの桑名駅は、JR、近鉄ほか2社のローカル線の駅にもなっています。
    イメージ 13舟木さんのふるさとの一宮市萩原町の最寄り駅は、名鉄・萩原です。桑名から萩原へは、名古屋に出てから名鉄尾西線に乗り換えても行けますが、桑名から二つ目くらいの弥富駅までJRに乗って、弥富から名鉄線に反対周りで乗って行くこともできます。所要時間はどちらもそれほど変わらずおよそ一時間余りです。
     
     
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    舟木さんが一宮市出身であることは有名ですから子どもの頃から知ってはいましたが、当時まだ小中学生だった私にはやはり、かなり遠い所に思えていたのでしょう。当時から舟木さんは好きでしたが、ご実家を見に行きたいと思ったことなど一度もありませんでした(笑)
    イメージ 24芸能人というのは自分とは違う遠い世界の人だと思ってましたから。今でもそういう気持ちはどこかにありますし、自分が傾倒して、尊敬できる表現者ほど憧れの想いを抱いて、むしろ舞台の上にいるべき人と客席にいる自分との線引きをして遠くから見ていたいというタイプなのでしょうね。
     
    そんな私が、始めて萩原を訪れたのは、舟木さんと再会して半年ほどしたちょうど一年前の3月20日過ぎでした。その時のことは下記の拙ブログで、ご報告しています。↓
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/67956549.html
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/67958526.html?type=folderlist
     
     
    イメージ 27初めて訪れた萩原町は、昨年のお彼岸ごろで、とても良いお天気に恵まれて、行きたかったスポットへはスムーズに行くことができて舟木さんのお導きかな?なんて気を良くして、こんなのどかで落ち着いた町なら春夏秋冬、一回ずつは来てみたいと思いました。「ROCK'N ROLL ふるさと」にも歌われている、それぞれの季節を実感してみようと思っていたので、昨年の夏と秋にも、一度ずつ訪問しています。

    イメージ 28そして、初めて訪れてから、ほぼ一年後、ちょうど今回、中日劇場・シアターコンサートの初日が開催された3月28日に、舟友さんがお誘いして下さったこともあり、郷土資料館も開館してくださっているので、また、おじゃますることにしました。私にとっては、四回目の萩原町訪問になります。
     
    イメージ 29萩原町の生家付近の写真と、そこで育った舟木さんの子ども時代のお写真なども併せて、「ROCK'N ROLL ふるさと」の世界をご紹介させていただきます。
    実際は、舟木さんが誕生されたのは、お母様のご実家の名古屋市内だとお父様の書かれた文面(舟木一夫写真集 Papyrus の巻末掲載 「想い出」1970年発行)のなかにありますが、多分生後数日で萩原町に戻っていらっしゃったのでしょうね。私自身も、桑名生まれ、桑名育ちという認識ですが、実際は鈴鹿市の母の実家でお産婆さんにとりあげられていますから、それと同じような状況でしょう。
     
    「ROCK'N ROLL ふるさとの音源としては、下記のものがあります。
    1982年6月発売(LPアルバムWHITE 収録)
    1995年4月発売(1982年LPアルバムWHITEのCD復刻盤 収録)
    1999年7月発売シングルCD(燃えよドラゴンズ99/ROCK'N ROLL ふるさと)
     
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    この曲の一番最初の音源は、1982年6月発売ですから、舟木さんがデビューなさってから19年目ということになります。今も舟木さんファンの間では絶大な人気の、収録曲すべてが自作という「WHITE」(一枚目の「WHITE」)の中に収められています。舟木さんが37才の時の歌唱です。その一年後の1983年には、同じく自作曲のみのアルバム「WHITE Ⅱ」が発売されています。「WHITE Ⅲ」が発売されたのが、15年後の1998年です。この「WHITE Ⅲ」では、もうすっかり今の舟木さんの声になっていて深い響きのある低音がベースになっている印象が強いのですが、「WHITE」と「WHITE Ⅱ」の舟木さんの歌声は、まだ青イメージ 31年の香りが色濃く感じられます。それでも、15年ほどの歳月を間に挟んでいるのですが、どちらの歌声も、その季節、季節の男の色香に縁どられていて、どちらも捨てがたく魅力にあふれています。
     
    「WHITE」の収録曲
    愛だなんて言うまえに
    れ・く・い・え・夢
    ROCK'N ROOLふるさと
    都会の子守歌
    ~糸車~
    みんな旅人
    WHISKY-LONELY
    今は-風の中
    End Love
     
    イメージ 32「ROCK'N ROLL ふるさと」は、他の収録曲の中では異色といえるでしょう。詩もメロディーもリズムもひたすら明るく元気で爽やかです。ところが、聴けば聴くほど、こぼれるような色香が漂ってきます。声そのものから匂い立つような青春後期、四十代を目前にした男性のまだイメージ 3「惑わず」というところにまでは到達していない微妙な季節の危うさを思わせる艶なるものがゆらゆらとかげろうのようにたちのぼってくるのを感じます。おそらくごくフツーの一般的な男性なら、この年代はもう中年を迎える自分を受け容れている頃なのでしょう。でも、舟木さんの声を聴いていると、まだまだ、そういう年齢の枷を突っ撥ねているような感じがします。綱引きのような・・と表現したらいいのでしょうか、それがなんとも言えない魅力を放っていて、とってもステキだと思うのです。ふるさとを歌った歌というのは、どうかすると、年よりじみた「ふるさとソング」になりがちなのですが、そこを「ROCK'N ROLL」調にしたところが、突っ張ってて少しずつ遠ざかっていく若さを惜しんでるようで舟木さんらしいなぁと嬉しくなります。
     
    春の風ふわり 蝶の羽ひらり
    花の影ゆらり 昼寝の雲とろり
    迷い子のオタマジャクシ そろり・・・そろり
    ヒバリのラブシーン ピィロロ ピィロロ 
    ピィロロ ピィロロ
    俺のふるさと愛知県
    濃尾平野のド真ん中
    学校サボッて れんげの畑
    ハモニカ ピップッポー
     
    ふわり~ひらり~ゆらり~とろり・・・最初のフレーズから韻を踏んでいて、それだけで楽しくなります。春の風、蝶の羽、花の影・・・と、かそけきもの、繊細なものが並んでて、最後に昼寝の雲ときます。私は、ここで石川啄木の「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心」という短歌を思いだしました。
    イメージ 4春の風にさそわれて、咲く野原にやってきた少年が、草の上に寝頃んで、ひらひらと舞う蝶と、舞っている蝶の羽ごしに見える大空に浮かぶ雲を眺めながら、のんびりとしてはいるようだけど、一途にわが身の行く末への希望や夢をその雲の向こうに見ているような、無窮に広がる雄大なイメージの世界を感じます。
    オタマジャクシもただのオタマジャクシではなく「迷い子のオタマジャクシ」というところが最高です。ヒバリ
    のさえずり
    は、求愛の行為なんですね(笑)思春期の少年の迷いや恋へのあこがれがこめられているフレーズです。
    イメージ 5少年は、ハーモニカひとつをポケットに突っ込んで、学校をエスケープして、野原にやってきてたんですね。最初のフレーズに登場した「花の影」の「花」は「れんげ」なんですよね。ここでも「れんげ」が登場してて私としては、とっても嬉しいです。
     
    イメージ 6その後は、「俺のふるさと」への、とっても親切な道案内が続きます。「オレ様」と「長屋」というミスマッチな言葉の使い方が、とても舟木さんらしくて憎らしいほど巧いですね(笑)四季折々のふるさとの味覚やふるさとの風景の中に溶け込んでいる小さな生き物たちの命へのまなざし・・・地方都市からさらに単線電車で十二、三分の片田舎だけど、「どっこい、そこは濃尾平野のド真ん中だ!」という誇らしさもきっちり詠みこんでいるところがこの曲のおヘソだと思います。萩原町に暮らしていらっしゃる皆さんにとってこんな嬉しい表現はないでしょう。

    ROCK'N ROLL ふるさと  作詩・作曲:上田成幸
     
    イメージ 7春の風ふわり 蝶の羽ひらり
    花の影ゆらり 昼寝の雲とろり
    迷い子のオタマジャクシ そろり・・・そろり
    ヒバリのラブシーン ピィロロ ピィロロ 
    ピィロロ ピィロロ
    俺のふるさと愛知県
    濃尾平野のド真ん中
    学校サボッて れんげの畑
    ハモニカ ピップッポー
     
    イメージ 9イメージ 8俺のふるさと愛知県
    一ノ宮からのりかえて
    単線電車で十二、三分
    その名も萩原町
    駅の正面 右折して
    徒歩で六分 つきあたり
    これこそオギャアと このオレ様が
    お産まれになった 長屋
     
    春はつくしのおひたし
    夏はキュウリの生かじり
    秋空トンビも 年末(くれ)には夜逃げ
    ふるさと ROCK'N ROLL
    俺のふるさと愛知県
    濃尾平野のド真ん中
    恋しさちらほら 想い出きらり
    ふるさと ROCK'N ROLL
    ふるさと ROCK'N ROLL
    ふるさと ROCK'N ROLL

     
     
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           萩原中学、桜が三分咲きくらいでした。時計も見えます。
     
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    時計のサイドに「寄贈 舟木一夫」と記されています。
    体育館には、舟木さん寄贈のグランドピアノも・・
    (画像は2011年のテレビ番組より)
     
     
     
     
     
     
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    顕彰碑の裏側に刻まれた「建立の趣旨」全文
    建立の趣旨
    昭和十九年十二月 歌手舟木一夫(本名 上田成幸)は、ここ一宮市萩原町に生まれて育った。
    大好きだった父親や家族らと共に暮らした長屋は、ここから十メートル程西側の場所(萩原町串作字流)にあっ
    た。彼が芸能界にデビューした昭和三十八年に歌った「高校三年生」は、文化庁の「日本の歌百選」に選ばれ、青春時代を表す昭和の代表曲の一つとなっている。
    また、「絶唱」「銭形平次」をはじめ数多くのヒット曲や、故郷を振り返って、自ら作詞作曲して歌った楽曲「ロックンロールふるさと」などが発表されている。
    この度、国民的歌手として全国の人々に今もなお希望と勇気を与えている功績を讃え。舟木一夫誕生の地に歌碑を建立し、末永く顕彰するものである。
     
    イメージ 20碑文・・萩原町郷土史研究会
    建立者・・舟木一夫ファン有志一同
    平成二十五年九月吉日
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    昨日4月4日、川崎市教育文化センターで「青春歌謡BIG3・コンサート」が、開催されました。ネットニュースより、関連記事を転載させていただきます。
     
    ~「サンケイスポーツ 4月4日(金)16時14分配信 」より~
     
    舟木&西郷&三田「合わせて202歳」公演スタート
    青春歌謡のスター、舟木一夫(69)、西郷輝彦(67)、三田明(66)の全国ジョイントツアーが4日、川崎市教育文化会館で初日を迎え、昼夜公演で約4000人の熱烈な中高年ファンを酔わせた。
    3年ぶり2回目のツアーで、舟木が「3人合わせて202歳! よろしく! 3人が歌と一緒に好き勝手なこと
    をしゃべる宴会と思って楽しんでいただきたい」と笑顔を見せれば、西郷も「楽屋では仕事以外のくだらない話ばかり」と仲のよさをうかがわせた。三田も「若いころからともに過ごしてきた仲間なので話しやすい」と語った。
     
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    舟木は「高校三年生」、西郷は「星のフラメンコ」、三田は「美しい十代」とそれぞれのヒット曲などを披露し
    、「東京五輪音頭」など懐かしの昭和歌謡も一緒に歌った。ツアーは12月21日の大阪・新歌舞伎座まで50公演を行う。
    舟木は若々しさの秘密について「スポーツもしないし、ウオーキングも走ったりもしない。よく寝ることかなあ。同世代はみんな朝早く目が覚めるみたいだけど、僕はいつも深夜1時ぐらいに寝て朝10時ぐらいまでぐっすり眠るんですよ」と語り、特別なことは何もしていないことを強調。酒は以前からまったく飲まず、1日80本吸っていたたばこは15年前にやめており、それも一因か。
            
     
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    「舟木一夫自作曲によせて」というタイトルで、舟木さんの世界を私なりに、感じ、味わっていることを思いつくまま掲載しているのですが、今回の「青春歌謡 BIG3 コンサート」のステージは、全国ツアーで、50会場(100公演)ということでもあり、その中で舟木さんがご自身のコーナーの持ち時間の中でラスト曲として選ばれた「眠らない青春」についてご紹介します。
     
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    一番、最近のステージでは、昨年12月の新歌舞伎座特別公演のコンサートの昼の部のラストでも歌っていらっしゃいます。私が舟木さんと再会して、コンサートに通い始めてからも、何度かお聴きしているので、お気に入りの曲なんでしょうね。
     
    この曲は、1976年8月発売のアルバム「レマンのほとり」に収録されています。作詩も作曲もそれぞれ舟木さんのペンネーム(作詩:里中さとる/作曲:岩鬼まさみ)になっていますが、れっきとした御自作です。
    アルバム「レマンのほとり」には、「舟木一夫・ニューオリジナル」というサブタイトルがついていて、舟木さ
    んの自作曲は他にも何曲か収録されています。
     
    イメージ 2アルバム「レマンのほとり」の収録曲
    (1976年8月発売)
    レマンのほとり
    日曜の恋人
    愛が死んだ海
    想い出通り(作詩:里中さとる/作曲:岩鬼まさみ)
    別れても好きな人
    愛終(作詩:鈴木じろう/作曲:幸田成夫)
    別れの部屋(作詩:里中さとる/作曲:岩鬼まさみ)
    眠らない青春(作詩:里中さとる/作曲:岩鬼まさみ)
    秋の渚
    銀河の果てに
    旅の港
    噂めぐり(作詩・作曲:里中さとる)
     
     
     
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    12曲中の、5曲が舟木さんの自作曲です。これらの曲についても、また、順次とりあげさせていただく予定です。ちなみに、このアルバムからシングルカットされているのは「レマンのほとり」と「日曜の恋人」です。
    ジャケットの背景は同じですが、シャツなど着ていらっしゃるもの変わってるようですね。
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 9眠らない青春 作詩:里中さとる 作曲:岩鬼まさみ
    (1976年8月 アルバム「レマンのほとり」収録曲)

    なつかしいこの街に
    ただ一人 来たんだよ
    眠らない青春の
    想い出に 誘われて
     
    イメージ 10やわらかな 木もれ陽と
    手づくりの 愛の日は
    変わらずに あるものと
    おたがいに 信じてた
     
    さよならの足音は
    春の日のにわか雨
    冷たさを 耐えるには
    若すぎた 二人さ
     
    明日には出るはずの
    虹さえも 知らないで
    見つめ合う 瞳には
    あきらめが ゆれていた
     
    イメージ 11お揃いのセーターを
    ひっそりと 取り替えて
    合鍵は 二つとも
    鉢植えに 埋めたよ
     
    イメージ 12逝く春の 悲しさを
    胸深く 抱きとめて
    あの人が 投げかけた
    ほほえみの 優しさ
     
    鮮やかによみがえる
    青春の 想い出は
    暮れなずむ 街角に
    いつまでも 眠らない
     
     
     
     
     

     
    舟木さんのおっしゃる「寒い時期」あるいは「昼寝の時期」に、舟木さんの歌い手としての活動の要になったのは、後援会主催のコンサートではないかと私は思っています。いわゆる、プロ歌手として、生計をたてていくためのお仕事は、なにかしらおありだったとは思いますし、舟木さんがインタビューなどで当時のことをたずねられて、家族を養って、自分のお付き合いに要するだけのものは、なんとかなっていた。と答えていらっしゃるのも古い録画などで聞いてはいますが、現在、私がステージで拝見する、ステージシンガーとしての舟木さんの力量は、「寒い時期」も、舟木さんが、温かなお客様の前で、思う存分、ご自分の好きな歌をご自分の感性で構成なさっていたからこそ築き上げられたものだと思っています。その「ふれんどコンサート」の第一回が開催されたのは、1976(昭和51)年の8月です。そして、アルバム「レマンのほとり」が発売されたのも時期を同じくしています。
    イメージ 15これらのことを思えば、舟木さんの歌い手としてのみでなく、創作活動への原動力となったのも、後援会主催のコンサート「ふれんどコンサート」(後には「ラブリィーコンサート」なども)があったからこそではないでしょうか。歌える場が、あること、しかも、自分の納得のいく歌を、納得のいく形で、ステージにのせることができるということは、どれほどありがたいことだったかと、私でも思い至ります。舟木さんはテレ屋さんですから、くどくどしい、ありきたりの感謝の言葉を乱発なさる方ではありませんが、その胸中は、きっと、どんな時期にも歌い手としての自分を支え続けてきてくださったファンのみなさんへの感謝の想いでいっぱいだったのではないかと想像します。
    私自身も、わずか一年半ほど前に舟木さんと再会できて、まず思ったのは、私などがずっと舟木さんから離れてしまっていた長い歳月と旅路を、共に歩き続けてこられたファンの方への感謝の思いでした。よくぞ、舟木さんをこれほどまでにスケールの大きな、心に沁みる歌を聴かせて下さる歌い手に育てて下さったという気持ちでした。もちろん舟木さんご自身の、努力と御精進は言うまでもないのですが・・
    その時期の私は・・と言えば、1976年は、長女の生まれた翌年、その二年後には次女が生まれています。
    私が舟木さんの「ふ」の字も、思い出さずに過ごしていた頃に、作られた「眠らない青春」なんですね。
     
    まだ若さの真っただ中にいる季節に芽生え、育み、そして失ってしまった恋・・そのほろ苦い想い出に誘われて、恋人とともに過ごしたなつかしい街を歩き、また、時折、ふと佇んでしまう青春後期にある男・・・そんな男性の甘く、切ない「幼い恋愛」への悔恨の想いが、街の風景や空気をバックに、ナイーブに詠われています。

    イメージ 13「明日には出るはずの 虹さえも知らないで」・・・・と若さゆえの一途さと早急さが招いた心のすれ違いを詩に託して・・・。
    誰にも覚えのある青春時代の痛い想い出でしょう。悲しく、痛みをともなった別れであっても、舟木さんは「あの人が 投げかけた ほほえみの 優しさ」と温かく詠ってくれています。ここは私のツボです(笑)
    男女の破局は、様々な理由が絡み合い、積み重なり合っておとずれます。でも、男は、決して女に恨みの想いを抱かず、彼女を好きになった理由だけを、ずっと胸に抱いていてほしいものです。女性の側からの勝手な言い分かもしれませんが、舟木さんは、そういう大きく寛容な男性の理想像として、その歌の中でも潔いカッコよさを常に見せて下さいます。シビレます。
     
    イメージ 14「舟木一夫自作曲によせて その1」で、とりあげた「END-FIN-FINE(ラストシーン)」の中のキイワード「逝く春」が、ここでも登場しています。逝く春の 悲しさを 胸深く 抱きとめて」・・・春とは、単に季節を表しているだけではなく「青春」という意味合いの含みがあるのでしょう。特にこの「眠らない青春」の中では、「逝く春」の「春」とは、去りゆく輝きと明るさに満ちた「青春」と同義語にしていらっしゃるように思われます。
     
     
    イメージ 3そして、ラストのフレーズ・・・
     
    鮮やかによみがえる
    青春の 想い出は
    暮れなずむ 街角に
    いつまでも 眠らない
     
    これは、「青春歌謡 BIG3 コンサート」のステージで歌われるのに、とても似つかわしい言葉に満ちていますね。今回のような「青春歌謡三大アイドル・ジョイントコンサート」の趣旨に、ピッタリで、舟木さんのセレクトセンスの素晴らしさを改めて痛感します。ひとつひとつの歌に込められた、想いの深さが、こうして舟木さんのステージでは、必ず生きていてしっかりと伝わってきます。

    舟友さんからの、情報で、「BIG3」での、舟木さんの歌唱曲リストを知ることができて「眠らない青春」を、手元にあるアナログのレコードで聴きました。今のお声での「眠らない青春」、また当時のお声での「眠らない青春」・・・その間の、三十五年ほどの舟木さんと、また私含めて、舟木さんを愛するファンの方たちの旅路に想いを馳せながら、「BIG3」のステージでは、お聴きすることになるのでしょう。8日の神戸でのコンサートがますます楽しみになってきます。
     
     
    イメージ 4私がちょうど舟木さんと再会できた頃に発売された「歌の手帖」(2012年10月号)を先ごろ手に入れました。そこで舟木さんが、インタービューに答えていらっしゃるのを抜粋してご紹介します。
     
    50年続いた2つの理由
    聞き手:50周年を迎えた舟木さんにとって歌とは?
    舟木さん:それに対して適切な言葉はないだろうな。空気みたいなもの、って言い方もいい加減な話だし、俺にも、歌手以外の道に転じるチャンスはあり、そういう気持ちになった時もありましたけど、結果ここまできたら、生きた距離イコール歌、になる。・・・なにしろ中学1年の時に歌い手に憧れて、もう50年が経ったんだから。

    聞き手:やはりここまで続いたのは歌が好きだから?
    イメージ 5舟木さん:以前にもお話しましたが、60歳を過ぎた頃に、”ああ、俺って歌が好きなんだ”というのを改めて感じました。60歳の赤詰(赤い詰衿イヤー)の前後くらいは、唄いながら”俺って歌が好きなんだなぁ”と思う事が何回もありましたから。今頃何を寝ぼけた事を?・・・という話ではありますけど(笑)
     
    聞き手:長年連れ添った夫婦が、”あっ、俺、妻の事、やっぱり好きなんだと思うような感じでしょうか?
    舟木さん:男女のことはよくわからんけど(笑)こんな浮き沈みの激しい、根っこのない稼業を、俺みたいなチャランポランな奴がよく務まったなぁ、と。それが続いた原因は2つしかなくて、お客様に恵まれた、という事と、俺が歌が好きだ、という事です。もちろん、お客様とのパイプになってくれた、業界の色々な方々やスタッフのお陰もありますが、基本的には、お客様と、歌が好き、という2点に尽きる。
     
     
    以下は私のちょっとした蛇足・・・(笑)
     
    聞き手:最後に、無人島にCDを持っていくとしたら?
    舟木さん:無人島にCDなんて持っていくかなぁ。ハリー・ベラフォンテとか・・いや、やっぱり無人島にCDは持っていかんだろ(笑)
    聞き手:あれれ(笑)。では、無人島に持っていきたい食べ物は?
    舟木さん:筍だね。京都の若竹という筍は特に美味しいから(笑)

    イメージ 6舟木さんのお好きな食べ物は、まさに、これからが旬の筍ですか(笑)京都の「若竹」なんて高級品は、なかなか口にできませんが、ここ一週間ほどで、地場の朝堀り筍が、商店街の八百屋さんに並び始めているので、一日おきくらいに買ってきて、春の味覚を楽しんでいます。若竹煮(新わかめと筍の煮もの)、筍ご飯、おしりのほうは、酢豚に入れたりして、毎日、筍三昧してます。舟木さんも好物の春の味覚・筍をそろそろ召しあがっていらっしゃるかな?
     
     
    イメージ 7
     

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    4月7日と8日の二日間にわたって4公演が開催された「青春歌謡BIG3」、私は、8日の夜の部を楽しませていただきました。
    近鉄四日市駅前から朝8時半の京都行き高速バスで京都回りで、先ずは大阪で下車して、京都暮らしをしていた時のお友だちと久しぶりに昼食をしながらつもるお喋りをして、再びJRに乗り三ノ宮に向かいました。昨年の4月11日に、舟木さんのソロ・コンサートが開催された時以来の三ノ宮でした。三ノ宮は、勤務していた職場の最寄駅でしたから、馴染みがあるのですが、何しろ当時は京都から三ノ宮まで通勤してただけという感じで、街歩きとか、遊ぶ場所ではなかったので、ほとんど地理不案内です。こくさいホールも昨年、舟木さんのコンサートで初めて行きましたが、駅のそばにこんな大きなホールがあることさえ、通勤していた当時は全く知りませんでした。

    イメージ 1三ノ宮に着いたのは、昼の部が終わる頃です。舟友さんが予約して下さっていたお店で楽しいプチオフ会をしてから、ホールに向かいました。
     
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    青春歌謡 BIG3 2014 神戸国際会館こくさいホール 4月8日 17時開演(19時終演)  
     
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    では、コンサートの報告です。
    舟木さんのトーク部分はピンク文字です。
    三田さん、西郷さんのトーク部分はブルー文字。
     
    緞帳が上がると、舞台下手から三田さん、舟木さん、西郷さんの三人が揃って、並んでいらして客席は大きな拍手に包まれました。皆さんの舞台衣装は写真の通りです。
     
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    舟木さんは、フォーマルな黒のタキシードです。おなじタキシードでも、やっぱり黒は正装という印象が強いですから、私はどうしても、噺家さんの黒の高座着を連想してしまいます(笑)色紋付は、華やかで目を楽しませてくれますが、特に江戸落語の名人上手の大師匠、御大はなんといっても黒紋付が一番ふさわしくてどこか洗練された品格と貫録を感じさせます。舟木さんが最初に、黒のタキシードで登場して下さったのはとても嬉しく、すべてのお客様への、最高の歓迎のお気持ちを表したお衣装のように思えました。
     
    開口一番、まずは、お三人の中でひとり西郷さんだけがお孫さんがいることをネタにした話題からです。

    舟木さんが、話の流れの中で「おじさんというより、もう、じっちゃま・・だ」とおっしゃいましたが、その「
    じっちゃま」の響きが可愛くて、これは、まだまだ「じっちゃま」だとはホントは思っていらっしゃらないな・・
    なんて思ったりしました(笑)
     
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    おひとりずつのコーナーは、三田さんからです。では、「高校三年生」から・・なんてジョークでふざけつつ「美しい十代」を歌い終えて・・・舟木一夫さんがデビューしてなければ、私もいなかった・・・当時、舟木さんに対抗する新人を!というレコード会社の戦略で私に白羽の矢が・・ですから永遠に、あの人は恩人ですね。デビューは同じ年ですが、あの頃は9月までにレコードデビューしていないと年末の紅白には出られなかったので私の初出場は「美しい十代」じゃなく、翌年の「ごめんねチコちゃん」でした。

    三田明さんのコーナー
    美しい十代
    メドレー
     ごめんねチコちゃん
     若い港
     恋のアメリアッチ
     夕子の涙
    青山通り
    北のなごり駅
    月の港ボルドー
    君に似た人

    イメージ 6次に西郷さんが登場して三田さんと一緒にしばしトーク
    桜前線が東北・北海道へ・・大阪と東京は散ってしまいました。でも、まだ散らないBIG3・・咲きっぱなしの今日のお客様・・と西郷さん。
     
    西郷輝彦さんのコーナー
    星のフラメンコ
    僕だけの君
    ねがい
    星娘
    涙をありがとう
    君だけを
    恋人ならば
    西銀座五番街
    恋のGT
    燃えろ夜明けまで

    西郷さんの曲は、足を上げたり、ダイナミックなハードな振りがあったりするので、「はぁ~ッ、まだ生きてま
    すよ・・」
    とタイヘンなご様子でしたから、西郷さんのコーナーが終わって、いよいよ舟木さんが登場なさった
    ときの第一声は、いいかげんにしなさいよ・・少しはトシを考えなさい・・孫までいるんだから(笑)三田さんや
    客席に向かって、
    あの人はアンヨが長いから・・・オレが足、上げたところで全然目立たない(笑)・・と足を上げてみせるお茶目な舟木さんでした。最近はあばれると息が整うまで時間がかかるんです。僕なんかも立ち回りすると、前は(整うのに)1分半くらいだったのが、今は3分かかる(笑)
    ここで舞台の下手側にいらした三田さんが、このあとのコーナーで歌うご自分たちの持ち歌以外の曲の歌詞がかれたカードの譜面台を取りに行かれましたが、その文字の大きなこと、それをわざと客席に見えるように持ってこられるので、爆笑でした。二度目に登場なさった舟木さんの衣裳は左下のもので、ダークブラウンですが甘いえんじ色がかかったようにも見えました。胸には、白(クリーム?)バラ。
     
    イメージ 7僕らがデビューした頃に流行ってた歌を・・・今日の目玉は輝さんの「ああ上野駅」だね!と舟木さん。
    皆の衆(村田英雄)三人
    恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)西郷
    ウナセラディ東京(ザ・ピーナッツほか)三田
    東京の灯よいつまでも(新川二郎)舟木
    霧子のタンゴ(フランク・永井)三田
    ああ上野駅(井沢八郎)西郷
    涙を抱いた渡り鳥(水前寺清子)舟木
    東京五輪音頭(三波春夫)三人

    三田さんのフランク・永井さんのモノマネはとってもお上手、西郷さんのああ上野駅も舟木さんがおっしゃったように珍しく、舟木さんの水前寺さんの歌マネ~語尾を「ンニャ」というところを強調!~も楽しく、ラストの東京五輪音頭は舟木さんがノリノリで、お得意の三波さんのあの満面の笑顔の顔マネと振りマネで客席を沸かせて、三田さんは、舟木さんをのぞきこんで、ハルオちゃんになりきってますよ・・(笑)
     
    ラストブロックは、いよいよ、舟木さんのコーナーです。三田くんが30分、輝さんが30分、ここで12、3
    分でしょ。オレが歌い始めると、お客様がトイレに行き始めるんだよなぁ・・(笑)
    三田さんが、ここでしっかりシゲちゃんに締めていただきましょう!と言うと、オレはやきとり屋のオヤジじゃないんだから、そう度々、シメられないよ!と返す舟木さん。イキもぴったり!
     
    舟木さんのコーナー 
     
    イメージ 9君へ心こめて 舟友のkazuyanさんの動画でお楽しみ下さい
     
    初恋
    絶唱
    高校三年生
    学園広場
    高原のお嬢さん
    哀愁の夜
    眠らない青春
     
    「君へ心こめて」を歌い終わると、さっきから申し上げているように決してきれいごとじゃなく、デビューして50年経って、三人そろってこうしてステージに立てることは素晴らしいことだと思います・・としみじみおっしゃって、同世代の歌を・・・賑やかなメドレー(デビュー当時の流行歌)のあとは、シーンと静かな歌、抒情歌をふたつ、最初が「初恋」ふたつめが「絶唱」・・・このしっとり心に沁みる2曲を歌い終わった舟木さん・・案の定、四人ばかり(トイレに)・・(笑)そっとお行
    きになるんですが、ドアが開(あ)くとわかるんですよね(笑)
     
    イメージ 10現役の間じゅう歌える歌と出逢えたのは幸せです・・・とす~ッとアカペラ「あ~かぁい~ ゆうぅ~ひが・・」と歌いかけて、客席にそれとなく、視線を投げて・・・そうなると舟木さんファンは心得たものです、客席のあちらこちらから「♪にぃ~れの こかげにぃ~♪」と続きます、それからワンコーラスは舟木さんファンだけでなく客席中の大合唱・・・この光景は、2012年の50周年の3月の東京国際フォーラムでのコンサートでの「高校三年生」のスタイルで、私が初めて、こういったことを実際に体験できたのは、昨年4月6日の舟木さんのふるさと一宮市民会館でのコンサートでした。私は、舟木さんのデビュー当時は、まだ小学五年生でしたが、この「高校三年生」という歌を聴くと私自身の高校時代や高校生活を思い出させてくれます、そして、こんな風に舟木さんのリードで、客席中が、大合唱になると感無量です。こういった想いは、客席にいらっしゃるそれぞれの方ひとりひとりの胸の中にもあるのではないかと思います。そして、客席とのコラボは、舟木さんがいまも大切になさっているハリー・べラフォンテの「マチルダ」との出逢いも根底にあってのことではないかと思えます。客席とかけあいで歌うベラフォンテの姿が重なりました。
     
    http://www.youtube.com/watch?v=WYHtH4EcApQ  ハリー・ベラフォンテ「マチルダ」
     
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    「高校三年生」「学園広場」と続いて、お互いさまというところで、若さのギュッと詰まった曲、青春は間違うためにあるもの、中でも初めての恋・・そのイタミみたいなものが、時が経つと、いつか愛おしいものに変わっていく・・・ここからみっつばかり初めての恋の歌を・・と・・一曲目の高原のお嬢さんは、アレンジが最初はピアノだけでゆったりとバラード風にいつもよりスローテンポで歌われました。舟木さんがおっしゃった「愛おしさ」が、こういったアレンジでさらに増して、「♪リーフ リーフ」から、バックバンド演奏となるスタイルでこれまで聴き慣れた「高原のお嬢さん」とはまた違った雰囲気でたっぷりと聴かせるアダルトテイストの「高原のお嬢さん」でした。二曲目の「哀愁の夜」は、舟木さんファン待望の、ご自身の作詩による五番のオマケ付きで口笛も冴えてました
     
    ~哀愁の夜 五番~
    若さ まかせに 春は往き
    交わす瞳に 別れが 揺れた
    あぁ この歌は 二人の恋を
    今も 優しく 強く
    抱いて はるかに輝く星よ  
     
    君と 見上げた あの星空よ
     
    「新曲候補」とおっしゃってラストソングは作詩・作曲ともご自身の作品の「眠らない青春」でした。
     
    この「眠らない青春」については、ひとつ前のブログ「舟木一夫 自作曲によせて」でご紹介しています。
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69235688.html
     
    1970年代半ばのアルバム「レマンのほとり」に収録されているのですが、シングル盤は発売されていませんし、おそらくコアな舟木さんファンにしか馴染みのない曲ですが、「青春歌謡」と冠した、昭和の三大アイドルBIG3のコンサートのシンボルのような意味合いも感じられるこの曲が、「同世代」の多くの人たちの胸にある青春時代のイタミを懐かしく思い出させてくれることは間違いないのではないかと思います。

    ラスト
    ~銭形平次
     
    イメージ 11フィナーレは、賑やかに「銭形平次」で三田さん、西郷さんも登場されて、三田さんがお茶目ぶりを発揮して、お二人に、投げ銭を投げる振りをしてみせて、和気あいあいのうちに幕となりました。
    終始、楽しそうな舟木さんの笑顔は、ソロ・コンサートで見せてくださるものとは、また違ったやんちゃな青年時代に戻ったようでした。この一年、これからも全国各地50ヶ所近い会場で続く「BIG3 コンサート」を舟木さんご自身が大いに楽しんでいただきたいと心から願う想いを強くしました。
     
    終演後は、舟友さんたちと、お見送りの列に並びました。ほとんど待ち時間なく舟木さんが一番に出てこられて数メートル歩いてタクシーに乗り込まれましたが、ラッキーにも割りと近くで、「お疲れさま」の声をかけることができました。ちょっと場所を変えて会館の角の交差点のところに行くと、三田さんの乗ったタクシーがこれまた運よく信号待ちで、窓を開けて手を振っていただき、その後すぐに西郷さんのタクシーも続いていて、手を振って下さって、BIG3の三大アイドルの皆さん全員のお顔を拝見できたお見送りになりました。
    これからの全国各地のコンサートでも、きっと素敵なステージと、終演後もファンへの親しみに満ちた笑顔を届けて下さることと思います。これから、行かれる皆さん、ステージはもちろん、入り待ち、出待ちも楽しまれたらいかがでしょうか(笑)
     
    ~オマケ~ 
    舟木さんのソロ・コンサートでもお話に出た、マコちゃんの一文が、パンフレットにありましたよ
    ちょっとだけ・・・ネ。それと当日会場で配られたチラシ・・・大阪・フェスティバルホールの「青春歌謡 BIG3」のご案内です。また行かなくちゃ?(笑)
     
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    「青春歌謡BIG3 2014 コンサート」の構成の中には、BIG3のお三人、それぞれのコーナーが30分ずつほどあります。
    舟木さんのコーナーが、ラストですが、一曲目に歌われるのが「君へ心こめて」です。
     
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    私の記憶では、「君へ心こめて」は、昨年の6月に開催された50周年記念ファイナルとなった新橋演舞場の特別公演の際の昼の部のアンコール曲として、歌われているのが、一番近々のコンサートでの歌唱だったと思います。
    6月11日の、私のブログに、こう記していたので、以下にちょっと引っ張ってきてみました。
     
    ~舟木さんご自身と私たちの青春時代~
    青春とは決して明るく楽しいばかりの時間ではなかったというほろ苦さ、躓きの疼き、そんなものを抱えながら、それぞれが歩んできた旅路への労(ねぎら)いと、思い遣りがあふれる詩を力強いメロディーにのせて届けてくれる舟木さんです。その舟木さんの熱い想いを、しっかり受け止めたいと思います。
     
    「青春歌謡 BIG3 コンサート」には、コンサート会場にいる、ステージの人(舟木さん、西郷さん、三田さん)も、客席の人(私たち「青春歌謡」世代)、みんなで、タイムスリップして、それぞれの旅路を、いいことも、よくなかったことも、ひっくるめて愛おしく想い、ここまで来られたことだけで「よし」としようじゃないかというテーマが掲げられているように思います。
    そういう気持ちに、とてもピッタリな「君へ心こめて」が、舟木さんコーナーのオープニングを飾っていると思いますので、「舟木一夫自作曲によせて」の、その4は、タイムリーな、この曲にしてみました。
     
     
    君へ心こめて  作詩・作曲:上田成幸
    (1997年8月発売)
    http://www.youtube.com/watch?v=hh9QzHXpoes

    イメージ 4木枯しの夜空を 肩にささえて
    あてもない旅びと 俺も君も
    若さゆえにすてた 花の二片(ふたひら)
    愛の日々よ熱き友よ
     
    振りむけば流星 北へ尾を引く
    今さらにいたみは 君のなみだ
    望むひとに夢に めぐり逢えたか
    寒さ閉ざす 明日はあるか
     
    悲しみを悔みを 抱いて生きるな
    何よりも君には それを願う
    俺が心こめる 歌の一片(ひとひら)
    春を告げろ 君に届け
     
    俺が心こめる 歌の一片(ひとひら)
    春を告げろ 君の空に
     
    春を告げろ 君の空に
     
    木枯しの夜空を 肩にささえて・・・なんてスケールが大きいのでしょう。こういった表現は舟木さんの男っぽさ、骨っぽさから生まれてくるのでしょう。
    若さゆえにすてた 花の二片(ふたひら)・・・ささやかな幸せ、そういうものよりも、もっと遠くにある大きな夢や望みが、若い心を虜にしてしまう・・特に男性はそうなのかも知れません。今の時代の男子は、どうかな?(笑)でも、舟木さんの世代の男性は、そういう傾向があったかもしれませんね。
     
    この曲のテーマは、「熱き友よ」というのだから「君」とは男同士の友を指しているのだとは思うのですが、親友と思われる「俺と君」との間にどんなドラマがあったのか、ラブソングなら、女性の立場でいろいろとイメージできるのですが、男同士の友情の世界となると、私にはちょっと読み解きづらいです(笑)
     
    ともに青春時代を送った気の合う友・・・あるいは、恋のライバルでもあったかもしれないし、勉学やスポーツのライバルでもあったのかも・・「今さらにいたみは 君のなみだ」というのだから、その友の身の上に何か大きな挫折とか不幸な出来事が起こったのでしょうか望むひとに夢に めぐり逢えたか」と訊ね、そして、その友が、冬の寒さの向こうに春の訪れを見い出すことができているのかと案じる俺。一日も早く、悲しみや後悔の念から解き放たれてほしいと願って友のために俺が歌う一片の歌。
    今は遠く離れている友の住む町の空に向かい「君に届け」とばかりに、俺が、心こめて歌うこの歌が聴こえるか?俺が心こめて歌うこの歌よ、どうか君の見上げている空に、届いてくれ! そして、君の空に春を告げてくれ!
    この曲は、コンサート・ライブで聴くと、さらにこみあげてくるものがあります。
     
     
    イメージ 11997年の舟木さんは・・・
    (大倉明著「青春賛歌」巻末年表より)
    1月2日  名古屋・中日劇場公演「坊ちゃん奉行」を開催(27日まで)
    1月5日  NHK大河ドラマ「毛利元就」に「椋梨景勝」役で出演。
    2月1日  大阪・新歌舞伎座で芸能活動35周年特別公演「坊ちゃん奉行」などを開催(25日まで)
    3月16日 埼玉・大宮ソニックシティから全国各地で芸能生活35周年記念リサイタルを行う。
    5月30日 舟木一夫・松竹新喜劇合同ツアー公演「お祭り提灯」「駕籠や捕物帳」を全国21会場で開催(6月27日まで)
    8月4日  東京・新橋演舞場初公演「野口雨情物語」を開催(28日まで)
    10月1日 京都・南座公演「喧嘩安兵衛」を開催(25日まで)
    12月8日 東京・中野サンプラザ「ファイナルコンサート1997」を開催。

    1997年は、主要都市の舞台公演、舞台の全国ツアー、ツアーコンサート、大河ドラマ出演、新橋演舞場初公演、中野サンプラザでのファイナルコンサートもこの年にスタート・・・
    などなど、芸能界の表舞台へのめざましい「復帰」への快進撃が軌道に乗ってきている頃です。
    「君へ心こめて」は、そんなエネルギーに満ち溢れた舟木さんの熱い想いや、また舟木さんの快進撃を見守っていらっしゃるファンの皆さんへの深い感謝と愛情とが、ぎっしり詰まった楽曲になっていますね。
    詩もメロディーも舟木さんの歌唱も、力強くパワフルで熱っぽく、しかも優しさに縁どられています。
     
    1997年発売の「君へ心こめて」のカップリング曲は「29小節の挽歌」です。
    アルバム「29小節の挽歌」(1980年1月発売)に収録されたものの再録音盤
    イメージ 2この曲も、舟木さんの御自作なので、併せてご紹介しておきます。
     
    「君へ心こめて」の男の熱い想いや力強さとは、打って変わって男のナイーブな一面を詠っています。
    男性の見せる、ふたつの顔が、見事にカップリングされて、このシングル盤の選曲のセンスもまた心憎いばかりだと思います。「君へ心こめて」は、男が男に見せる顔、「29小節の挽歌」は、歌詩にもあるように、真夜中を過ぎて、夜がしらじら明けてくる前の、しーんと冷え切った空気の中で、男が、別れた女性を想って見せる顔・・・なのでしょう。
     
    「想い出とぼとぼ すまなさばかりで」・・ってなにやらカッコ好くない女々しい男みたいですけど「俺だけのために 生まれてくれた人へ」なんてフレーズは、それとは真逆で、舟木さんだから許せるような傲慢さ(笑)
    でも、男にそう思わせるほど、別れた女性は、この「俺」を愛し、尽くしてくれだんだろうと、想像させます。
    次は、この歌の中で、私がう~んと唸った部分です。「祈りを集めて 燐寸(まっち)をかざせば ただはるばる影をひく 出逢いと別離(わかれ)と」・・舟木さんの紡ぎ出す言葉の世界は、とってもシュールで魔法のように絵が見えてくるのが素晴らしいです。続いてのツーコーラス目「ためいきつなげて もたれる・・まどろむ」・・このフレーズも心をわしづかみにします。感覚の世界を、こんな風に言葉にして、なおかつイメージが伝わってくるんですから言葉の魔術師です(笑)
     
    「何よりも今は はるかなひとの胸に 二度と苦しみの ないことを願う」・・・別れた恋人の心のうちを心配
    しているのですが、むしろ、本当に淋しく辛いのは「俺」の方なのかも・・・「過去に裁かれて生きる」ことを
    引き受けようとする俺は、いったいどんな「過去の誤ち」を犯したのかこれまた、色々と想像させますね。

    「何も見えない どこへも行けない」・・かざした燐寸の残り火がぼやけて見えるのはきっと男の涙のせい・・
    強がってはいるけれど、隠しきれない男の弱さ、ナイーブさ・・そんなものを舟木さんが歌うととっても優しく聴こえてくるのです。
    結局、強い男も弱い男も舟木さんが描く男はみ~んな魅力的になってしまうのですね。反則だぞォ~ッ(笑)
    いつも感じるのは、舟木さんのステージのトークでもそうなのですが、「なげかける」感じ・・一から十まで、
    すべてを「押しつける」んではなく、「余白を残す」という粋なスタイルとでもいえばいいのでしょうか。それ
    が舟木流かな・・と思います。「君へ心こめて」も「29小節の挽歌」も、きわめて「余白」に満ちた詩の世界
    のように思います。聴き手のイマジネーションをかきたてるという意味では、平成の歌謡曲のセンターに位置している「カラオケ演歌」とは相容れない詩の世界観があるように思われます。

    29小節の挽歌  作詩・作曲:舟木一夫
    http://www.youtube.com/watch?v=4enVxt4MhNE

    イメージ 3どんなに呼んでも とどかぬ昔へ
    もう遅いと知りながら 口ずさむ挽歌
    追いつめてつかみきれず 死なせた幸せ
    立ちつくすだけの 二人に出来たことは
    せめてさよならに 愛を込めて泣いて・・・
    想い出とぼとぼ すまなさばかりで
    ただ寒々時をうつ 夜更けが背中で
     
    悲しみきざみの 煙草の辛さに
    もう夜明けとほぞを噛む 空箱をふやす
    冷えた唇にのせる つぶやきはひとつ
    俺だけのために 生まれてくれたひとへ
    たとえ浅くとも 冬よりは春を
    祈りを集めて 燐寸(まっち)をかざせば
    ただはるばる影をひく 出逢いと別離(わかれ)と
     
     
    ためいきつなげて もたれる・・まどろむ
    もう眠りの中でさえ あの夢は遠い
    過去に裁かれて生きる 俺はそれもいい
    何よりも今は はるかなひとの胸に
    二度と苦しみの ないことを願う
    何も見えない どこへも行けない
    ただ細々溶けてゆく なみだと残り火

    このアルバムには以下の曲が収録されています。10曲中、自作曲は5曲。
    アルバム「29小節の挽歌」(1980年1月発売)
     
    BRANDY & SMOKIN(作詩・作曲:舟木一夫) http://www.youtube.com/watch?v=Dn1YNh5n4Sc
    29小節の挽歌(作詩・作曲:舟木一夫)
    明日は明日で(作詩・作曲:舟木一夫)
    ふるえて眠れ
    グッド・バイ・ソング(作詩・作曲:舟木一夫)
    ブルースを聞きながら
    煙草のけむり
    どうせオン・ザ・ロック(作詩・作曲:舟木一夫) http://www.youtube.com/watch?v=FS4x4oQdAqk
    ハッシャ・バイ(祭りの後)
    雨の物語
     

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    タイトルは、「舟木一夫の刈干切唄」としていますが、その前段として、まず1967年1月3日に、日活の
    お正月映画として封切られた「北国の旅情」併映は吉永小百合/渡哲也「青春の海」)を御紹介しまイメージ 1す。
     
    イメージ 2舟木さんの日活作品の11作目の映画です。そして、西河克己監督作品としては4作目です。この映画の主題歌の詩作も西河監督がされています。
    この時期は、前年の「絶唱」の大ヒットで舟木さんが、それまで以上に超多忙を極めていらしたのだそうですが、日活としては、お正月映画として、どうしても興行的なヒットを出したいという意向が強く、8日間ほどで朝昼の区別なくハードスケジュールで撮影したということです。そのため主題歌が間に合わず、舟木さんご自身が西河監督に作詩を依頼なさったとのことです。おそらく西河監督による歌謡曲の作詩はこの作品のみではないかと思われます。作曲は、あの名曲「高原のお嬢さん」の作曲をなさっている松尾健司氏です。
     
    イメージ 3物理的事情であったにしろ、日活の青春映画、文芸映画の巨匠である西河克己監督の唯一の歌謡曲の詩作というのですから、その希少価値においても注目されますが、この詩からは、やはり石坂洋二郎原作の映画「青い山脈」と、その主題歌である西條八十作詩の「青い山脈」が思い起こされます。モチーフは「雪~山~空~夢~雪割草」以下のように「青い山脈」の一番の歌詞の中で使われている言葉が並びます。「北国の旅情」公開は1967年で既に戦後20年を経過していますが、昭和40年代の初めというのはまだまだ戦後の尻尾を引きずっていた古き良き時代だったのかもしれません。

    イメージ 4青い山脈 作詩:西條八十 作曲:服部良一
    舟木さんの歌唱です↑kazuyanさん動画
     
    若く明るい 歌声に
    雪崩は消える 花も咲く
    青い山脈 雪割桜
    空のはて
    今日もわれらの 夢を呼ぶ

     
     
    イメージ 5北国の旅情  作詩:西河克己 作曲:松尾健司
    http://www.youtube.com/watch?v=dAK-mgnVCs8
    kazuyanさん動画

    君をたずねて やって来た
    雪にふるえる 北の町
    胸は高なる あのあこがれの
    かがやく嶺に 夢はとぶ
    あゝ ただひとり
    青春の青春の 旅の朝
     
    甘い涙を かみしめて
    嫁いで行くよ 明日の日は
    君の涙は 忘れはしない
    さよなら言って 別れよう
    あゝ ただひとり
    青春の青春の 旅の空
     
    あつい心を だきしめて
    登る谷間の 岩かげに
    春を待つのか 雪割草よ
    ふまずに行こう 君のため
    あゝ ただひとり
    青春の青春の 旅の路

    イメージ 6この映画のあらすじをさらにダイジェストにして、ご紹介します。
    資料は「別冊・近代映画1967年2月臨時増刊号からです。
     
    原作:石坂洋二郎 (作品集「冬山の幻想」ほかより)
    脚本:倉本聡/山田信夫    監督:西河克己
    上村英吉:舟木一夫/金井由子:十朱幸代/河原吉之助:東野英治郎/河原健二:山内賢
     
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    あらすじ
    イメージ 9冬休みに入ってまもなく、上村英吉は帰省している金井由子から手紙をもらった。近く婚約すると書いてあった。英吉と由子は、大学の同級生で二ヵ月後の三月には学窓を巣立つことになっている。はっきりと将来を誓い合った仲というわけではないが手紙を受け取って英吉はショックを感じた。スキーの上手い英吉はこの冬もアルバイトにスキー場で指導員をやることになっていた。その帰り、由子の家を訪ねてみることにした。~中略~
    由子の縁談の相手というのは河原家の長男健二だった。河原家の当主河原吉之助は明治四十年、鹿児島から口べらしのために、たった一人この北国に売られてきた。裸一貫で叩き上げて今日では河原屋醸造の社長としてこの町きっての名士になっている。無学な吉之助だが勉強家で由子を家庭教師に、中学一年の英語の教科書を勉強している。息子の健二も家業の酒造り以外には能のない素朴な若者で、それだけに大学出の由子をぜひ息子の嫁にというのが吉之助の念願だった。~中略~
    英吉の出現で、せっかくの良縁が駄目になるのではないかと、金井家の人は心配した。案の定、健二の父吉之助は英吉の出現に動揺した。また由子の父半造も、由子に英吉との関係を問いただすという有様だった。しかし、由子は英吉に、健二を愛しているから婚約したのだといい。英吉はそれを聞くと、由子の仕合せを祈って金井家を辞した。英吉は由子を前から好いていたのだが・・・
     
    この後、英吉と由子、由子の妹、そして健二と吉之助などをめぐって、物語は展開していきますが、あらすじは、私が、今回、ご紹介したい「舟木一夫の刈干切唄」に関連する場面まで一挙に飛びますのでご了承くださいね。

    この映画の中で、舟木さんが一曲の民謡を歌われています。「刈干切唄」です。この歌は、以下のような物語の展開の中で歌われました。

    イメージ 10健二の父、河原吉之助は、由子と健二の結婚にとって「邪魔になる存在」の英吉にくぎを刺そうと英吉が逗留している、由子の実家・「金の湯」に乗りこんできます。奥の座敷で、英吉と吉之助は対座します。
    以下ふたりの会話形式です
     
     
     
     
    吉之助:おはんにききたい。おはんは由子に惚れとるのか。いや惚れとってもええ。由子をあきらめられるか?
    英吉:由子さんは、今どこにいるんです?これは彼女とぼくの問題です。二人で会って話をします。
    吉之助:ならん!
    英吉:なぜでしょう?
    吉之助:ならんと言ったらならんのじゃ!
    イメージ 11英吉:あんたは卑怯じゃ
    吉之助:卑怯じゃ?
    英吉:そうじゃ。若い者の話ぁ、若い者の話ばい。そこに親父がしゃしゃり出るこつはなかっ。息子には逢わせる!他の男にゃ逢わせん。そがい不公平ば誰が許すとかッ!
     
    興奮した英吉が、思わず国の訛りをまるだしにしたのを吉之助はききとがめた。
     
    吉之助:お、おはん、もしや鹿児島県人じゃなかと?
     
    イメージ 12不思議な偶然だった。英吉も吉之助も同じ鹿児島県人で、出身も同じ桜島だった。そして去年の夏、英吉が帰省中に葬式に立ち会った山下屋のとめ婆さんは吉之助の幼なじみだったのである。吉之助の目にみるみる涙が湧いてきた。
     
    吉之助:おはん、刈干切唄を知っとるか?
    英吉:知ってる。
    吉之助:歌え!
    英吉:よしッ!
     
    英吉は座りなおした。腰に手を当て、目を閉じて歌いだした。
     ♪ここの山の 刈り干しゃすんだよ 明日は たんぼで たんぼで 稲刈ろよ・・

    イメージ 13刈干切唄 宮崎県民謡 映画「北国の旅情」より
    http://www.youtube.com/watch?v=b6DjBdLOUic 
    舟友のkazuyanさんの動画です↑
    ここの山の 刈干(かりぼ)しゃ すんだヨ
    明日はたんぼで たんぼで 稲刈ろかヨ
     
    もはや 日暮じゃ 追々(さこさこ)かげるヨ
    駒(こま)よ いぬるぞ いぬるぞ 馬草(まぐさ)負(お)えヨ
     
    おまや来ぬかよ 嬉しい逢瀬(おうせ)ヨ
    こよさ母屋(おもや)の 母屋の 唐黍(とうきび)剥(む)きヨ

    イメージ 14甘い感傷が吉之助の心をゆさぶった。吉之助は英吉にすぐに霧澄温泉に駆けつけるようにと言った。
    ぐずぐずしていると、由子と健二とがどうなっているかわからない。意気地のない息子を励まそうと、健二に由子の部屋に夜這いするように命じた吉之助だったからだ。
     
    イメージ 15
     
     
     
     
    そして物語の結末はというと・・・
     
    英吉は、由子と自分とのことについて真剣に考えてみた・・そして、出た結論は、健二と由子の間は生活と結びついた愛であり、自分と由子との間は、学園の中での友情なのだと悟った。英吉は由子に自分の想いを打ち明け、健二との幸せを願うと言った。翌朝、一番列車で英吉は東京に発った。由子は健二の店の配達トラックに同乗して、英吉の乗った列車を追いかけ、健二と二人で、英吉を見送るのだった。
     
    この映画が公開されたのは1967年1月で、私が大好きな「絶唱」の公開から数カ月しか経っていない時でしたが、多分、それほど関心がなかったのか、ほとんど記憶にはありません。ですから、初めてこの映画を観たのは、舟木さんと再会して数ヵ月のことです。親切な舟友さんのご厚意で観ることができました。物語そのものは昭和の青春映画やテレビなどで放映されたいくつかの石坂洋二郎もので、若くて清潔な舟木さんの魅力が生かされた作品という印象でしたが、「絶唱」や「その人は昔」「残雪」などよりは、軽いタッチのものでしたから強烈なインパクトは感じなかったというのが正直なところですが、この「刈干切唄」の場面には、惹きつけられました。

    東野英治郎さんと舟木さんが画面の左端と右端に座って対峙する姿が、まずステキです。正座している舟
    木さんの背筋がピシッときれいに伸びていてうっとりです。ベテランの東野さんとの鹿児島弁のセリフのやりとりとりのシーンは、この映画の一番の見所ではないでしょうか。私には地元の正しい鹿児島弁はわかりませんが、舟木さんの鹿児島弁は凛としていて歯切れが良くて聴いていてとても心地よく感じました。
     
    河原家の当主河原吉之助は明治四十年、鹿児島から口べらしのために、たった一人この北国に売られてきた↓
     
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    吉之助の所望に応えて、目を閉じて「刈干切唄」の世界に入っていく舟木さんと、桜島を臨む段々畑で、幼い少年だった吉之助と幼なじみのとめとが大きく手を振り合って別れを惜しむ回想の映像が重なります。ふるさとへのノスタルジーが、描かれたこの場面はおそらく西河監督にとっても一番大切にしたいシーンだったのではないかと想像します。
    イメージ 18もし、若い頃にオンタイムで私がこの映画を観ていたとしても、このシーンはそれほど印象に残らなかったのではないかと思います。私自身が年を重ねてから、この映画を観たからこその「名場面」なのかもしれません。
    舟木さんの歌う「刈干切唄」は、当時まだ二十代に入ったばかりだったことを思うと、驚くばかりにその里山の風景や空気や、そこで生きて、働く人々の心に寄り添った感性が働いていらして、やはり若い時から表現者の資質を見事に備えていらしたのだと思わざるを得ません。
     
    なんともいえない情と色気がひなびた里山唄の中に節度をもって織り込まれ、唄い手の力によって、そこに秘かに閉じ込められていた香りが、命を吹き込まれたかのようにじんわと広がって漂ってきます。仕事唄(民謡)の持つ大らかさと品格が舟木さんの声質によって実に見事に引き出され、本来の仕事唄からほどよく泥を落としたような洗練された色合いとなって私たちの耳に心地よく響いてくる感じがします。

    ふと思ったのですが、「北国の旅情」の原作というか、構想のヒントになっている石坂洋二郎の原作の中で、「刈干切唄」を主人公が歌う場面はあったのかな?ということです。「絶唱」の原作では、「吉野木挽唄」は、戦争で遠く引き裂かれた順吉と小雪とをつなぐ唄として作者によって描かれていますが・・・
    イメージ 19
    いずれにしても、舟木さんにこの映画の中で「刈干切唄」を歌わせてくださった西河監督に私としては心からの賛辞を贈りたいと思います。音源としてこのような素晴らしい舟木さんの歌唱が、残っていることに深い感謝の想いでいっぱいです。
     
    舟木さんの「民謡」に関連する若い時のお仕事としては、デビュー間もなく企画された、アルバム「舟木一夫と若い民謡」があります。このアルバムについては、また後日、取り上げていきたいと思っていますが、
    今回は、「絶唱」の中で舟木さんが歌われている、「吉野木挽唄」と民謡ではありませんが、オリジナルの「ひぐれ山唄」を併せてご紹介します。
     
     
     
     
     
     
    先ず、2014年の通常コンサートのラストで歌われて、感動を呼んだ「吉野木挽唄」・・・
    こちらも舟友のkazuyanさんの動画でお楽しみ下さい
     
    イメージ 20吉野木挽唄 映画「絶唱」より
    http://www.youtube.com/watch?v=b7jhrLTF-z4
     
    ハアー 吉野吉野と 訪ねてくればよ
    吉野千本 サア 花盛りよ
     
    ハアーいつの頃から 木挽を習いよ
    花の盛りを サア 山奥によ
     
     
     
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    イメージ 22
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 23「ひぐれ山唄」は1966年5月に「今日かぎりのワルツ」のB面としてリリースされています。「哀愁の夜」と「絶唱」という大ヒット曲の間に挟まった時期のシングルで、舟木さんの曲としては大ヒットというクラスとは言えませんし、曲調も地味ですが、私の大好きな歌です。丘灯至夫氏の作詩で山路進一氏の作曲です。
     
    生まれ育ったふるさとに根づき、大きな自然と共にくらし、その自然から恵みを受け、生業(なりわい)をたてていく若者の、素朴な恋を詠った隠れた名曲だと思っています。日本の故郷と、そこに生きる人々のつつましい暮らしと清潔な美しさが描かれたこんな世界もまた、舟木一夫にしか再生できない風景であり抒情であるのだと思います。
     
    イメージ 24ひぐれ山唄 
    作詩:丘灯至夫 作曲:山路進一
    http://www.youtube.com/watch?v=T8mJ2utfYj4
    kazuyanさんの動画
     
    山の男はヨ なに見て暮らすヨ
    谷にひとすじ 糸ひく煙
    あれはあの娘の
    あれはあの娘の 炭焼く煙ヨ
     
    あの娘十六ヨ ひとみも燃えてヨ
    あいに来る日は 手に花さげて
    杉の峠で
    杉の峠で 山唄うたうヨ
     
     
    ひぐれ山唄ヨ 淋しいけれどヨ
    いつか一緒に 暮らせる時は
    灯りともして
    灯りともして 星見てうたおヨ
     
    イメージ 25どんなジャンルの歌も舟木さんが歌うと、舟木一夫ワールドのフィルターにかけられてまろやかで角のないものになるので、いわゆる癒し系・・・舟木さんご自身が御自分の声なり歌を「鎮静剤」ともおっしゃっていらっしゃるのですが・・アロマテラピー効果があるかのようですね(笑)考えるに、舟木さんの歌声は精神を鎮める芳香を発しているということになるのでしょうか。

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    今回、ご紹介するのは、収録音源としては、それぞれ発売時期が異なりますが、いずれも1986年11月3日に東京郵便貯金ホール(現在のメルパルク東京)で開催された「'86concert 蜃気楼」という後援会主催のコンサートで歌われたものの中の舟木さんの自作の5曲です。
    ちょっと長くなりますので上・下に分けて掲載します。
     
    イメージ 1
     
    5曲のうちの「さ/す/ら/い」は、フリオイグレシアスのヒット曲のカバーで、日本語の詩は上田成幸のペンネームでの舟木さんの作ですが、訳詩というよりほぼオリジナルという感じなのでしょうか。舟木さんが最近のコンサートのトークで度々感慨をこめておっしゃる「歌うためだけに生まれてきた」という言葉そのもののような詩の世界です。既に、1986年の時点でそのような想いでいらしたということなのでしょうか。いわゆる「寒い時期」だったにもかかわらず、やはり歌が舟木さんのすべてであり拠り所であったのだという思いがします。
    当時40代に入ったばかりの舟木さんは、もう数年前に一児のお父さんになっていらしたわけですがまだ青年の惑いや、危うさのようなものが漂っていて、こういう雰囲気がある意味では多くの女性ファンの心をグッと掴んではなさず、今日まで至っているのだと感じさせるステージです。
     
    1986年・・この年は私事としては、末娘が生まれた年です。私が三人の娘の母親になった年です。
    舟木さんはというと、その2年前の1984年4月に弟さんを不慮の事故で亡くされてから、数年の間は表立った活動は、極端に少なくなっていらしたようです。「青春賛歌」(大倉明著)の年表も85年から87年は空白になっています。CDなどのリリースも83年の「つばさ/青春ばなし」以降、84年から89年までの5年間は新曲のシングルCDの発売もありません。

    イメージ 2私自身は、この頃の舟木さんの周辺の事情を、舟木さんとの「再会」後に、資料などで知ることになるのですが今のお元気で活力に満ちた舟木さんを知ってはいても、その頃のコンサートでの舟木さんを拝見するとどこか胸が塞がる想いはぬぐえません。この86年のコンサートのラストで「蜃気楼」を歌い終わった舟木さんが「今日は、自分の思うような声がでて良かった・・・」と、ほっとした表情でご挨拶なさったその言葉がとても切なく印象的です。
    後年、もうすっかり「復活」なさって芸能界の表舞台に出てこられた時期に「徹子の部屋」に出演された時に一番痩せてた頃は、体力もパワーもなくてコンサートの途中でエネルギーが切れて倒れそうなのをなんとか持ちこたえていらしたというようなことをおっしゃっていましたが、まして精神的に一番辛い時期のステージは、それこそ命を削るような状態で勤めていらしたのではないかと想像します。
    この頃の舟木さんの歌声は確かに、現在の舟木さんの力強い声とは違って、ふうわりと漂うような感じのお声だと感じます。でも、それと同時に、その頃のステージは、ガラス細工のような繊細な歌唱とはかなげな舟木さんの折れそうな痩身とが相俟って当時のファンの方たちが、なんとしてもこの人を支えなくてはと思われたのだろうと痛感させられます。
    特に、今回、最後に御紹介する2000年に「さよならの朝に」とカップリングで発売された「蜃気楼」は、今
    も舟木さんファンには人気の高い曲のひとつですが、「さよならの朝に」が1998年に「WHITE Ⅲ」に収録されて発売されていますから、それより2年遅れて「蜃気楼」もより多くの舟木ファンの耳に届いたということになったわけです。
     
    考えてみると「蜃気楼」は、既に86年にはステージにかけれられていたのですから15年の歳月を経てやっと陽のあたる場所に登場したということになるのですね。
    それぞれの曲に、それぞれの役割や、出番や、運命のようなものがあるんだとあらためて感じています。
    では、そういった舟木さん曰く「寒い時期」に開催された後援会主催のコンサートで歌われた5曲を順にたどってみます。
    御紹介する5曲の動画のうち3曲は舟友のkazuyanさん、もう一曲の「想い出通り」も親しくさせていただいてる舟友さんの作品です。心からの感謝を込めて掲載させていただきます。「愛だなんて言うまえに」は残念ながら動画はアップされていないようです。どなたか音源をお持ちの方で動画作成出来る方がいらっしゃるのを期待しておりま~す
     
    1986年11月3日 東京郵便貯金ホール 「'86 concert 蜃気楼」セットリストより 自作曲

    1 想い出通り   1976年 アルバム「レマンのほとり」収録
    http://www.youtube.com/watch?v=qtX7lt3AZos
    作詩:里中さとる  作曲:岩鬼まさみ
    イメージ 3
     
    立ち止まる ことなく
    時は 流れ行き
    愛だけが はぐれて迷う街
    想い出通りの ポストから
    落葉のてがみを届けたい
    あなたの胸に
    さりげない 別れの
    忘れものひとつ
    なぜか気にかかる 日暮れどき
     
    白い壁 らく書き
    レンガ道 ブティック
    何もかも 遠い夢のいろ
    想い出通りを 染めてゆく
    季節の言葉を 届けたい
    あなたの胸に
    限りなく 優しい
    夕暮れの中に
    帰らない恋の ひとりごと
     
    シャララ・・・・
     
    イメージ 5想い出通りで 飲む紅茶(おちゃ)は
    うつろな心に あたたかい
    あなたの香り
    めぐり逢い よりそい
    燃え尽きて 別れる
    愛はいつの日も 風ぐるま

    「想い出通り」は、音源としてはシングル発売もされていなくて1976年のアルバム「レマンのほとり」収録分のみなのですが、舟木さんはコンサートでは度々、歌って下さいます。軽快なポップス調のリズムにいくらか哀愁の漂う詩をのせた「帰らない恋」を歌ったものです。都会的なフレーズが並んでいて、ちょっと鼻唄イメージ 6で歌えそうですね。私も時々、唄ってます(笑)タイトルの「想い出通り」は、東京都心の街に、実際にあっても不思議ではないような「通り=ストリート」の名前のようです白い壁」「レンガ道」「ブティック」「カフェテリアで飲む紅茶」・・・今、この時代になってしまえば、いくらか昭和チックな古さが匂ってはいますが、この作品が作られた70年代半ばとしては最先端のお洒落な街角をイメージする風景です。私たちの青春時代の若者文化が思い起こされる詩といえるでのしょうね。「失くした恋」の歌ではあってもどこか心にゆとりがあって、懐かしさの方が大きなウエイトを占めているので、聴いていて重たくなくて、思わずリズムをとってしまう軽やかさが魅力です。
     
     
    2 愛だなんて言うまえに  1980年2月 ふれんどコンサートで歌唱なさったのが初披露?  
    1982年6月にシングルEP(c/w End・Love)発売、また同時発売のアルバム「WHITE」にも収録
    芸能生活50周年記念 舟木一夫プレミアムBOX ありがとう そして明日へ(CD)収録(2012年発売)
    作詩・作曲:上田成幸

    イメージ 4雨の石だたみ 二人肩よせて
    とびこす 水たまり
    落ちて砕け散る やわな夢なんて
    とうに捨てたよ
    愛だなんて言うまえに  ―男と女
    かざりたてずに 生きて行こうよ
    やっと出逢えた 今夜から
     
    理屈抜きだから 見えるものもある
    おまえは 本物さ
    過去はただ過去で 現在(いま)は現在なんだ
    だから大人さ
    愛だなんて言うまえに  ―男と女
    素顔のままで そばにいてくれ
    それで俺には 充分さ
     
     
     
    イメージ 7ビルの曲がり角 ふっと雨やどり
    この手を はなすなよ
    耐えてきたものはお互いにわかる
    いいさいいのさ
    愛だなんて言うまえに ―男と女
    夜明けを待って 駅に走って
    あてはきめずに 旅立とう
     
    愛だなんて言うまえに  ―男と女
    かざりたてずに 生きて行こうよ
    やっと出逢えた 今夜から
     
    愛だなんて言うまえに  ―男と女

    「想い出通り」からほぼ5年後の作品となるのでしょうか。その詩を比較してみると、「だから大人さ」の歌詩
    にあるように、いくらか青春が遠く見えているくらいの年齢の「男と女」の関係性をちょっとばかり突き放した視線で詠っている感じがします。お互いのことを知りたい、理解したいという青春真っ只中の熱い恋を通り過ぎ、あるがままの普段着のお互いを認め合った関係でいいじゃないかというほどけた気分が「愛だなイメージ 8んて言うまえに」というタイトルに表れています。所詮、甘い恋なんて「落ちて砕け散る やわな夢・・」だという二人の過去には、どんな恋物語があったのかわかりませんが、それぞれ傷つき合った者同士が、「素顔のまま、身の丈で」どこか新しい街で生きて行こうよ・・・なんですね。
    今の私たちくらいの年代になると、この自分自身を「大人」と定義づけて、ワケ知り顔をする感じも、「そうか、そうか・・」なんてつい上から目線で見てしまうのですが、三十代半ばあたりというのは、もうずいぶん人生経験を積んできたという気持ちになる年頃かな?なんて自分の三十代の頃を想い出しつつ、「愛だなんて言うまえに」を聴いてしまう私です。実際は、まだまだ人生の半分も生きてきてはいないのですから、「愛」というものの正体なんてわかるはずもないのにと思うのですが、そういう季節もまた、愛おしく思えるという意味で、ちょっと突っ張った「愛だなんて言うまえに」も舟木さんの人間としての成長のプロセスがうかがえる曲で、これもやはり「青春」の1ページを彩る一曲になっていると思います。
     

    3 さ/す/ら/い 1983年11月に「CONCERT'83 酔ってSINGER」で歌唱  
    音源:2012年50周年記念コンサートライブ盤に収録
    http://blogs.yahoo.co.jp/uesaka679kazuo/11692578.html (kazuyanさんブログより) 
    http://www.youtube.com/watch?v=7eFzkyYCaLk (フリオイグレシアス盤)
    イメージ 9日本語詩:上田成幸
     
    この道の夜の深さも この胸に秘めた過去(むかし)も
    ほろ苦く歌のきままに 今、旅を行く夢を求めて・・・
    いとしさも愛のいのちも なつかしい父母の絆も
    旅立つと決めた その朝 風にすてた 涙を込めて
    ~生きることのすべてを
     ただ歌に たくせば
    ”さすらい”の旅路に 心は ふるえて
     はるかに 何処へ
     
    ばらいろの影を背中に 銀いろの声を信じて
    祈るのは歌のかがやき 今、つかみたい この手に強く・・
    限りない罪を重ねて 果てしなく願う真実
    ゆきずりのドンキホーテさ 明日ばかり 見上げるわたしは
    ~生きることのすべてを
     ただ歌に たくせば
    ”さすらい”の旅路に 心は ふるえて
     はるかに 何処へ
     
    ~生きることのすべてを
     ただ歌に たくせば
    ”さすらい”の旅路に 心は ふるえて
     はるかに 何処へ
    心は ふるえて はるかに 何処へ

    イメージ 10私が聴いた「'86 concert 蜃気楼」のステージの3年前には、既にステージにのせていらっしゃるのですが、私が、初めてこの曲を知ったのは、2012年の50周年記念コンサートのライブ盤(宇都宮市民会館収録)のDVD(CDもあります)のオープニングでした。原曲のフリオイグレシアスの音源も聴いたことはありませんでした。勿論、原詩にはあたっていませんから、舟木さんの日本語詩が、原詩に添っているものか、大幅にオリジナル的な詩になっているのかはわからないのですが、メロディーやリズムなどの音と、詩の溶けあい方が素晴らしくてとても感動しました。ナマでお聴きできたのは、昨年4月の一宮市民会館でのコンサートです。昨年2013年の通常コンサートバージョンではなく、2012年の50周年記念コンサートバージョンだったのが、私としては予想外でしたから、イメージ 11録音でしか聴いたことがない「さ/す/ら/い」が聴けたことはなおさらに嬉しかったのを覚えています。もう、その詩については、ワンコーラス目もツーコーラス目も、サビの部分もすべてが素晴らしく、舟木さんの想いそのものを、しっかり受け止めなければという気持ちだけしかありません。
    特にツーコーラス目の「ばらいろの影を背中に 銀いろの声を信じて 祈るのは歌のかがやき 今つかみたいこの手に強く・・」のフレーズは、舟木さんが歌い手としての道を歩きはじめてから、奈落の底に落とされて、本当の意味で歌をその手にしっかり掴んだという手ごたえを得てあらたに、力強くさらに歌の道を究めたいとお思いになったであろう時のことをまざまざと想像させてくれるのです。ここでは何ともイメージ 12いえず胸がいっぱいになります。「ばらいろの影」これは、私のイメージでは、デビューして間もなくの頃の驚くべき人気を色に例えて「ばらいろ」と表現なさったのではないかと・・・そして、「ばらいろ」とは対照的な「影」という言葉を後につなげたのは、その「ばらいろ」は、単に明るく華やかな面のみではなく、当然のように「影」も背負っていたのだということかもしれないと・・。そして青春時代の「ばらいろ」に対して「銀いろの声を信じて」というフレーズが表す意味は、ヒットメーカーとしての人気が先行するアイドル的な「ばらいろ」の栄光を獲得した歌手から、自分自身が得心のゆく「銀色の声を手中におさめるような歌い手」を目指すという覚悟や決意ではないだろうかと思いました。「祈るのは歌のかがやき 今、つかみたい この手に強く」舟木さんが三十代の終わり頃は、プロの歌い手としては不遇の季節だったと思いますが、「歌に寄せる想い」また「プロの歌い手として生きていく覚悟や決意」は、不動のものとなっていたのだろうと思います。しかし、そういった時期に、またしても舟木さんの行く手に試練が待ち構えていたのですね。十代の半ばで「歌い手」になろうと将来の道を決めた理由のひとつともなった弟さんへの兄としての深い想いが、打ち砕かれ、「さ/す/ら/い」に託した舟木さんの歌への情熱にはおそらくはいくばくかの冷水が浴びせられたのではないかと推察します。でも、86年の「concert 蜃気楼」で、舟木さんが「さ/す/ら/い」をステージにのせていらしたことを知って、私は、とても安心しました。
    舟木さんのような正直な人が、もし歌への強い想いがないのであれば、このような歌を歌うことは、できるはずはなかっただろうと思ったからです。そして、50周年の記念のステージのオープニング曲としてこの「さ/す/ら/い」を置かれたことを思えば、やはり、この曲の持つ力は舟木さんにとって、とても大きなものだったのではないかという想いがします。
     
                                            桜が散ったその後は・・・芍薬がもう花開いていました
     
    イメージ 13

     

     

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    ~舟木一夫自作曲によせて~「'86concert 蜃気楼」より (上)のつづき~
     
    イメージ 14 そして未来 作詩・作曲:上田成幸
    1998年5月発売のアルバム「WHITE Ⅲ」収録
    多分、この「'86concert 蜃気楼」で初披露?
    http://www.youtube.com/watch?v=wbABxz6weKc

    たたずむ肩に小雨
    ときおり過去がよぎる
    想い出も その傷あとも
    人ごみに投げて
    あてなどなくていいさ
    煙草と地図があれば
    苛だちも このときめきも
    俺だけの 夢だから
    戦う日々を つなげては
    眠ることさえ どこか虚ろに
    Ahー今は Ah-旅立ち
    Ahー心熱く 時を追いかけて
     
    イメージ 2振りむくなんて無駄さ
    つまずきながら行くさ
    眼をあげて 思い通りに
    何処までも 何処までも
    必ずいつか 見つけるのさ
    たったひとつの 風の薫りを
    Ahー今は Ahー旅立ち
    Ahー心熱く 時を追いかけて
    LA LA LA LA
    LA LA LA LA LAー
     
     
     
     
     
    イメージ 3「さ/す/ら/い」のところで記したように、「さ/す/ら/い」を発表されてから、間もなくの状況は、舟木さんにとって、精神面ではどん底にいらしたのだろうと思います。その頃の想いが、すべて込められているような詩のように思えます。でも、舟木さんには、こうした創作活動の道があり、それだけの才能がおありだったことは大きな救いになったのではないかとも思えます。ともすれば鬱屈したブラックホールのような真っ暗な穴に吸い込まれていくような状況の中にあって、こうして自分の心の闇もかすかな光もすべてを投影できる術(すべ)があったことは、舟木さんおひとりのみではなく、私たちファンにとっても「WHITE」という作品集が生まれたという意味でも幸せなことだったのだと、こうして、舟木さんの作品とその作品をステージにのせることができる後援会のコンサートの記録をたどっていくことであらためて痛感します。
    「戦う日々を つなげては 眠ることさえ どこか虚ろに」・・・こうして沈んだ気持ちになることもおありだったのでしょう。そして、また「つまずきながら行くさ 眼をあげて 思い通りに 何処までも」と気持ちを奮い立たせ、未来に向かって「心熱く 時を追いかけて」旅を続けて来られたんだなぁ・・とまた私の胸に感動がこみあげてくるのです。
     

    5 蜃気楼  1986年11月 「CONCERT'86」で歌唱  
    2000年シングル発売(c/w さよならの朝に)
    芸能生活50周年記念 舟木一夫プレミアムBOX ありがとう そして明日へ(CD)収録(2012年発売)
    http://www.youtube.com/watch?v=yRJ5iJlyutY kazuyanさん

    イメージ 4作詩・作曲:舟木一夫
     
    思いがけず 夢にはぐれ
    人はいつも 人にすがり
    街角は 冷やかに
    逝く春を 見つめる
    揺れないで 泣かないで
    うつむかないで
    寒い午後は 誰かの手に
    ゆだねればいい
     
    想い出して 母の胸に
    顔をうずめ 泣いた頃を
    遠い日の 木もれ陽は
    おだやかに よみがえる
    季節ごとに 風は変り
    季節ごとに 人はめぐり
    あのひとも このひとも
    振りむけば ゆりかご
     
    イメージ 5出逢いにも 別離(わかれ)にも
    ぬくもりはある
    いたみ溶かす 愛があれば
    ほほえみはくる
     
    思いがけず 涙ぐんで
    人はいつも 人にすがり
    陽炎の日々の中
    とまどいを くりかえす
    揺れないで 泣かないで
    うつむかないで
    寒い午後は 誰かの手に
    ゆだねればいい
     
    寒い午後は 誰かの手に
    ゆだねればいい

    イメージ 6舟木さんと「再会」して、初めて買ったのが「芸能生活50周年記念 舟木一夫プレミアムBOX ありがとう そして明日へ」というデビューからこれまでの代表的な曲が入った5枚のCDと舟木さん出演の映像付の曲が収録されたDVD1枚の計6枚がセットになったものです。そこで「蜃気楼」を初めて聴きました。舟木さんの自作の曲だけのアルバム「WHITE」に収録されていないものが、他にもたくさんあることを知って本当に驚きました。「蜃気桜」も最初は、舟木さんの作品だとはしばらくは知らずに聴いていました。初めてナマのステージで聴いたのは、2013年の通常コンサートがスタートした香川県高松市でのことでした。この時の昼の部のオープニングが「蜃気楼」でした。しかも、この年のバージョンは、この日の夜の部から変更があったようで、夜の部のオープニングが「さよならの朝に」となり、エンディングも昼は「序曲だけのコンサート」だったのが、夜の部では「End.・Love」、他にもアンコールがエンディングの曲と入れ替わって「グッド・バイ・ソング」になったりしてこんな風にして、舟木さんは、ご自身の感じる客席の反応などの感覚を大切にしてステージ固めをしていかれるんだということもわかってきました。こんなハプニングがあって、初めてラッキーにも「蜃気楼」を、ナマで聴かせていただくチャンスを得たという想い出があります。
     
    イメージ 71986年の「ふれんどコンサート」のタイトルにもなっている「蜃気楼」、おそらくはこの時に初めてステージで歌われたのだろうと思います。一般向けの音源となって発売されたのは、約15年後の2000年で「さよならの朝に」とのカップリングです。この曲も、どこをとっても胸打たれる舟木さん独自の詩の世界が広がって「聴かせる歌」となっています。これは、ちょっとやそっとでは歌えないです(笑)
    メロディーラインそのものは、流れるようで音域もそれほど広くはないので、物理的には難しい曲ではないとは思うのですが、これは舟木一夫が歌ってこその世界でしょう思いがけず 夢にはぐれ」・・・このフレーズは、デビュー以来、順風満帆にあった舟木さんが、「あれ?どうしたんだろう」と急な坂道を転がり落ちていくような状況を意識したその時の感覚そのもののように思ってしまいます。その後に続く、言葉もまた、舟木さんが見てしまった世界の風景をそっくりそのまま表したようで、胸がキュッと痛みます。でも、そんな辛い哀しみに満ちた風景を「あのひとも このひとも 振りむけば ゆりかご」というような温かな言葉で、明るい色に塗りかえていくところに舟木さんのセンスが光ります。そしてこの曲の中で私が一番、素敵だと思ったフレーズは「出逢いにも 別離(わかれ)にも ぬくもりはある」でした。この「出逢いと 別離」を舟木さんは、いろんな御自作の曲の中でモチーフになさっていて、殊に「別離(わかれ)」というものの捉え方の精神の中には、日本古来からの無常観が大きく横たわっているように思われます。舟木一夫が舟木一夫である所以ともいえるもの、それはどんなに明るく爽やかであっても、隠しようもなくほの見えるかすかな憂いにほかならず、それが天性のものであるのか、あるいはどのようにして舟木さんイメージ 8が、また、上田成幸さんがその身に纏うようになったのか・・・少なくとも私にとっては、その謎めいた神秘な憂いの香りが心にかかってしまうのだと思います。いくつ何歳になっても失われることのない舟木さんの最大の魅力といっていいかもしれません。「蜃気楼」という曲には、舟木さんのそういった魅力がすべて詰め込まれているように感じます。「想い出して 母の胸に 顔うずめ 泣いた頃を」・・・この部分は、私のイマジネーションを掻き立てます。幼い頃・・それもものごころつくかつかないかの幼子の頃ではないでしょうか。「九人の母」とセンセーショナルに話題にもなり、舟木さん自らも折に触れ、お話になる九人の母ではありますが、この「蜃気楼」で詠われている「母」とは、とりもなおさず、生母であると私には思えます。生みの母についての舟木さんの本当の想いというのは、私たちの知る由もないのですが、この「蜃気楼」に詠われた「出逢いと 別離(わかれ)」、そして「母の胸」というふたつのキイワードに、舟木一夫の佇まいに漂う憂いの源泉があるということを、ふと思わせるという意味でも、私にとっては印象深い一曲ではあります。
     
    イメージ 9
     
     

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    イメージ 1「大浮世絵展」は、今年の1月17日にも、江戸東京博物館で開催(1月2日~3月2日)中に観覧していますが、その時は、2時間ほどしか時間の余裕がなかったので、もう一度、ゆっくり観たいと思っていました。1月18日付の「舟木さんを探すさんぽ径」↓
    運よく巡回展示が名古屋であるというので、前売チケットを買って、16日に足を運びました。
    若い頃は、洋画展にもよく行っていたのですが、最近では断然日本画展に足が向きます。やはり、リクツ抜きで、今の年齢になった私が楽しめるのはこの国の風土や歴史から生まれた日本画ということなのでしょう。
    ちょうど、この江戸東京博物館の「大浮世絵展」の最終日である3月2日にNHKニュースで喜多川歌麿の「深川のイメージ 44雪」についての報道がありました。この作品は、歌麿の肉筆画「雪月花・三幅対」(「深川の雪」「品川の月」「吉原の花」)の中のひとつで、明治12年(1879)に栃木市内の寺で三幅が揃って展示されたのを最後に欧米に流出、「深川の雪」は、その後、美術商などの手によって再び日本に戻り昭和23年(1948)に銀座松坂屋で開催された「第 二回浮世絵名作展覧会」に三日間出品され、その後、60年間、行方知れずとなっていたところから「幻の浮世絵」とも呼ばれていたそうです。それが、2012年2月に発見されたという内容の報道でした。

    イメージ 24月13日のNHK「日曜美術館」で「深川の雪」についてとりあげていましたが、それによると「品川の月」は、現在米国のフリーア美術館所蔵。「吉原の花」も、現在は米国のワズワース・アセーニアム所蔵となっているそうです。「深川の雪」は現在、神奈川県箱根市の岡田美術館で一般公開中。6月末まで公開の予定。観たいのはやまやまですが、車でないとアクセスが不便なようですから、ちょっとムリでしょう。残念!
     
     
    大衆文化の力~浮世絵と流行歌
     
    その、喜多川歌麿の美人画はじめ、風景画、歌舞伎(役者絵)、武者絵、相撲絵、源氏絵、花鳥画、風刺画など多岐にわたるジャンルの総称として「浮世絵」と言われているようです。「浮世」という言葉は、「当世風、今風」という意味合いで使われていますから、私がここで連想したのが、「流行歌」です。
    「流行歌」と云えば、舟木さんです。歌謡曲という云い方より「流行歌」の方が情があっていい・・・とおっし
    ゃっている舟木さんは、自らを「流行歌手」と自負なさっています。しかも、「浮世まかせ」という素晴らしい
    作品もお作りになっているのですから、「大浮世絵展」には、どうしても関心が向かいます(笑)
     
    そんなこんなで、数々の浮世絵たちに再び逢いに1月の江戸東京博物館に続いて名古屋市博物館へも出かけました。
    出かけたからには、やっぱり、舟木さんを探したくなります。
    浮世絵の題材になっている様々な風景や事象、あるいは歌舞伎や歌舞伎役者さんのポーズなどなどから舟木さんを連想してしまう作品をご紹介してみることにします。遊び心でもってご覧いただけたら嬉しいです。
     
    イメージ 16大浮世絵展 世界から傑作、大集合! 
       ~国際浮世絵学会創立50周年記念
            3月11日(火)~5月6日(火) 名古屋市博物館
     
    (以下HPより)
    日本が世界に誇る浮世絵は、江戸時代の初期に始まり、歌麿、北斎、広重などのスター絵師の活躍や、強烈なインパクトを放つ写楽、国芳らの登場を経て、小林清親や樋口五葉などの明治、大正の画家に引き継がれました。本展は「国際浮世絵学会」の創立50周年を記念して、浮世絵の名品を日本国内および世界各地45か所から一堂に集める、かつてない規模の展覧会です。誰もが一度は目にしたことのある代表的な作品340点(常時約150点展示)により、浮世絵の全史を紹介します。まさに浮世絵の“教科書”、“国際選抜”となる展覧会です。

     
    大浮世絵展 図録 浮世絵の歴史とその魅力  小林忠(国際浮世絵学会理事長) ~寄稿文より抜粋
     
    イメージ 17浮世絵の普遍性
    ~浮世絵という言葉は、開祖菱川師宣が活躍した天和年間(1681-84)の頃に流行し、定着した比較的新しい用語でした。それは井原西鶴の「浮世草子」のように、浮世の絵、すなわち過去の世でもなく、死後のあの世でもない今現在の世の中の、人や社会、流行の風俗などを描いた絵画という意味でした。したがって宗教絵画のように空想的ではなく、水墨画のように理念的でも観念的でもなく、現実を素直に反映したヒューマンで感覚的な表現を本質としたのです。
    浮世絵を愛する人がひとしく賛美するように、浮世絵師が描いた一枚の版画、一幅の肉筆画には誰しもがいいようのない懐かしさを感じさせられます。着物に装い、髪を結った昔の人たちが登場する場面でありながら、どこかですでに経験し、見たことがあるような既視感、フランス語で云うデジャ・ビュを覚えることがよくあるのは、そうした人間の本性に訴えかける親しい性質を内包しているからなのでしょう。~中略~人の世の権威や権力のために奉仕する御用絵師は雅な古典の伝統を保守するばかりで、時とともに移り変わる人々の夢や憧れに同調することを拒む傾向がありました。それに反して浮世絵師たちは、刻々と変化する時代の空気を敏感に察知し、流行の風俗を追って、画面に新風を吹き通わせることを競い合ったのです。その結果として浮世絵は、江戸という新興都市の大衆文化の成立とともに勃興し、円熟するにつれて全盛期を迎え、幕末から維新を経過して江戸の記憶が薄れる明治期の後半に終焉するという一個の生命体のように動的でダイナミックな歴史を形成したのでした~
     
     
     
    上記の文中にもあるように「刻々と変化する時代の空気を敏感に察知し、流行の風俗を追って・・」江戸の浮世絵師たちが描いた作品は大衆文化として確固たるステイタスを獲得していったのでしょう。昭和の流行歌もまた、音楽というジャンルの中で卑俗とか低俗などという蔑みの視線にさらされつつも、絶大なる大衆の支持を得て日本中の人々の心に根付き、そのエネルギーは野火のように広がっていったのだと思います。しかし、また浮世絵が「一個の生命体のように動的でダイナミック・・」であったがゆえに「江戸の記憶が薄れる明治期の後半に終焉する」という運命を背負っていたのと同じように「昭和の流行歌」も昭和という時代の匂いの記憶が薄れていく過程で、終焉を迎えたのではないかと、小林忠氏の解説を読みながら、「浮世絵」と「昭和の流行歌」とに共通する運命を感じた私です。
                                                                                                     喜多川歌麿 当時三美人↓
     
    イメージ 18役者絵 憧れのスターの舞台裏
    ~歌舞伎小屋は江戸の庶民たちにとってまたとない憂さの晴らしどころであり、舞台の上の役者は憧れのスターたちでした。当時の江戸歌舞伎は、公式の免許を与えられた三座(中村座、市村座、森田座)の芝居小屋が、毎年陰暦11月に向こう一年間の契約をした役者たちと一座を組み、季節ごとに役者たちの競演が繰り広げられたのでした。目の高い観客によってあれこれと批評され、役者たちの演技は町中の話題となったものでした。そうして熱心なファンにとって、役者絵は観劇の思い出を温め残すブロマイド代わりであり、仲間内や家族の間で役者の演技如何を語り合う恰好の縁(よすが)にもなったことでしょう。実際の舞台を見られない場合には、せめてもの慰めに1枚の版画を買って、贔屓の役者への熱い想いを満たしたのでした。~
     
    江戸期の歌舞伎役者は憧れのスター・・・ここから昭和の青春歌謡のスターである舟木さんを思い起こしても不思議ではないですね。デビュー当時の舟木さんのプロマイドの売れ行きは、おそらく江戸の役者絵の人気にも匹敵するものだったのではないでしょうか。江戸から遠い土地にくらし、実際の舞台を見ることができない地方の人たちも「せめてもの慰めに1枚の版画を買って、贔屓の役者への熱い想いを満たした・・」ということも、私含めて、昭和三十年代の終わり頃には、まだ地方に住む人々イメージ 19にとって東京ははるか遠いところでしたから、舟木さんのレコードや雑誌、プロマイドなどで「熱い想いを満たしていた」のだという意味では、なんら変わるところはありません。当時の芸能雑誌には、よくスターやアイドルの折り込みポスターや、プロマイドのオマケが付いていましたね。

    では、思いつくままに、「大浮世絵展」の作品の中から舟木さんを探してみることにします! 
    (画像は図録から撮影させていただきました)
     
     
     
     
     
     
     
    雪国の女  作詩:芦原みずほ 作曲:井上かつお                   伊藤深水 現代美人集 吹雪
    (1981年 アルバム「どうしているかい」収録)
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    長いトンネル 夜汽車でぬけて
    はるばる逢いに 来た俺は
    ままならぬ恋を わびるだけ
    待たせた恋を わびるだけ
    ああ 抱けば折れそな か細い肩を
    男ごころに 男ごころに 抱きながら
     
    映画「雪国」駒子 岸恵子さん
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                                                                       歌川広重 東海道五十三次之内 亀山 雪晴
     
    イメージ 5残雪  高峰雄作:作詩  戸塚三博:作曲 
     
    雪国の雪国の恋は はかなく 
    粉雪に粉雪に うもれて死んだ
    結ばれぬ恋と知りつつ 求め合う心と心
    ああ さいはての雪の世界か
     
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    イメージ 8右衛門七節   作詩:西沢爽 作曲:遠藤実 
     
    江戸の娘は おしゃらく雀
    一目惚れじゃと またさわぐ
    あれは元禄 右衛門七若衆
    花の小袖が
    アレサ 小袖が
    憎いじゃないか
     
      ←葛飾北斎 若衆図
                    歌川国芳 誠忠義士肖像 大星由良之助良雄↓
     
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    しあわせの星ふたつ 作詩:富山紫峰 作曲:上原げんと
    http://www.youtube.com/watch?v=Y3Z9BOS5jwk 
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    こがね しろがね 七いろかざり
    ゆれて きらめく 花模様
    虹のトンネル ゆきかう人の
    ああ ちょいと
    顔も 顔もあかるい 七夕まつり
     
    歌川広重 名所江戸百景 市中繁栄七夕祭
     
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    春哀し 作詩:猪又良 作曲:船村徹
    http://www.youtube.com/watch?v=7MPVlLwSRLU
     
    この愛に溺れたら
    こわいけど溺れたい
    江の島の 春の夕暮れ
    空と海との霞の中へ
    お前の言葉が燃えて広がる                                                         
    歌川広重 江の島図
     
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    鳥居清倍  出陣髪すき
     
    イメージ 20敦盛哀歌  作詩:村上元三  作曲:古賀政男
     
    須磨の浜辺に 波白く
    よせて返らぬ 十六の
    花のいのちは 匂えども
    俤あわれ 公達は
    無官の大夫 敦盛ぞ 
    あゝ敦盛ぞ
     
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    一心太助江戸っ子祭り 作詩:関沢新一 作曲:山路進一    渓斎英泉 木曾街道続ノ壱 日本橋 雪之曙

     
    イメージ 23恋は深川八幡宮
    何も湯島は天神で 
    腹はちょっぴり数寄屋河岸
    銭が内藤新宿で
    恐れ入谷の鬼子母神
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    川瀬巴水 東京十二題 春のあたご山

    イメージ 25里の花ふぶき 作詩:橋本比禎子 作曲:古賀政男 
    縞小袖 里の娘は 
    気立てのよさに
    柳生なりゃこそ 四百年の
    昔語りに 花が咲く 
    ちらりはらりと 谷の春
     
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    梅川・忠兵衛 恋染めて風の花                    一養亭芳滝 二代目片岡我童の亀屋忠兵衛(右)
     
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    月岡芳年 田舎源氏
     
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    この役者絵が、一番、舟木さんに似ていると思ったのでご紹介してみます。どうでしょう?
    花の生涯~長野主膳ひとひらの夢                      松好斎半兵衛 二代目嵐吉三郎の筑紫の権六
     
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    吉三郎の権六は大変評判を取り、この年、名古屋、京都と三度演じている。本作は切れ長の涼しい目元、鼻筋、引き締まった口元など、美男子として特に女性に人気のあった吉三郎の風貌を余すところなく伝えている。この歌舞伎は文化五年(1808)の読本「浪華侠夫伝」にも影響を与えていることが指摘されており、松好斎は、吉三郎の似顔で挿絵の権六を描いている。(図録解説より)
     
    二枚目役者の吉三郎の人気を借りて、読本の登場人物のイメージを吉三郎に似せた挿絵で描いてより多くの読者を得ようとしたというのですから、ちょうどアイドル歌手として人気の出た舟木さんを映画に出演させて興行成績を上げようとしたのと同じような発想かな?・・と思います。
    松好斎半兵衛は、浪花の浮世絵師で、江戸の浮世絵とは異なった画風です。江戸の浮世絵は漫画風にデフォルメされている感じですが、どちらかといえば当時の関西の浮世絵の方が写実的な印象で、ちょっと意外でした。

    新内語り (テレビ・銭形平次)                      一筆斎文調 二代目市川高麗蔵の三味線引吉六
     
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    一筆斎文調 三代目松本幸四郎の曽我五郎
     
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      月形半平太
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    ラストは、タイトルにも「浮世」と付いていますから、この曲は、ここでは外せません(笑)・・・こんな感じかな?この猫ちゃん、まさ
    に「浮世まかせ」・・・っぽいですね。
     
    浮世まかせ 作詩・作曲:上田成幸
    花を枕の 盃に
    紅のかおりの 舞う午後は
    好いた惚れたに 酔うもよし
    浮世まかせの 春だもの
     
    とぎれとぎれに 蝉しぐれ
    ほろり情に つまづいて
    遠い父母 抱くもよし
    浮世まかせの 夏の宵
     
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    夢をたずねて いそぐ男(ひと)
    待ってこがれて やせる女(ひと)
    背中合わせの 旅もよし
    浮世まかせの 秋深く
     
    どこか恋しい 古傷に
    更けて木枯らし 冴える夜は
    心ふるえて 泣くもよし
    浮世まかせの 冬の中
     
    いいさ そうだよ 誰も皆
    浮世まかせの 風車
        ←歌川広重 名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣
     
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    洒落ばかりでは、いけないかな?・・・なんて最後はちょっとだけマジメに「大浮世絵展」展示作品について
     
     
    イメージ 38葛飾応為  夜桜図
     
    夜桜の感興を一首書きつけるのか、燈籠の明かりを頼りに一考する女性の姿である。本図に落款はないが、人物描写から北斎系の作家の作であることは明らかである。光に非常に繊細な感覚を示すこの作者は、北斎の三女応為(生没年不詳)とみて間違いないであろう。父に似て変わり者であったようで、趣味人の商家に嫁いでも、夫の絵が下手だと笑いものにしたので離縁されてしまったという、絵の実力も父親ゆずりで、北斎も美人画は自分よりうまいと褒めているほどである。着物の模様はもとより、燈籠の格子、炎、青白い星と赤味がかった星の描き分け、桜の花弁などなど細部への異常なこだわりと表現力の高さは、間違いなく北斎以上である。
    (図録の作品解説より)
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    1月に江戸東京博物館に「大浮世絵展」を観に行った時の展示物の中で、私がもっとも心惹かれた絵が「夜桜図」でした。この作品を手元に置いてじっくり観たいと思い図録が気にかかりましたが、東京では、あちこち、「さんぽ中」の観覧だったため、分厚い図録は重くてとても持ちかえることができなかったので購入を断念したのですが、やはり今回、名古屋市博物館で、再びこの作品に出逢って他の作品にはない魅力を感じ、欲しかった図録を買って帰りました。重かったぁ・・(笑)

    「夜桜図」は、男性絵師が描く女性には見られない女性の深い内面性や、知性、あるいは情念のようなものが、夜の闇に浮かびあがる桜を背景に、見事に描かれていて心動かされます。絵師としてのハード面のテクニックも勿論卓抜したものがありますが、構図そのものの発想が、女性ならではでしょう。上記の図録の解説にもあるように、彼女は、父の北斎に似て、変わり者であり男のような気性の豪快な女傑であったように伝えられていますが、作品を見る限り、その構図の着眼点においても当時の女性の抱えていた状況が垣間見えるように感じられます。
    自由気ままにふるまっているように、周囲からは見えていたとしても、女性であるがゆえに抑圧されていた才能や情熱が、この暗い色調の中だからこそ、隠しようもなくほとばしり出ていて、この作品の一番の魅力になっているのだと思います。
     
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    舟木さんが、子どもの頃の思い出のお菓子について、インタビューに答えていらっしゃる記事を読んでいて私自身の子ども頃の「お菓子」の記憶と、西條八十氏が、書かれた「お菓子」を題材にした詩のことを想い出しましたので、ちょっとアップしてみます。
     
    イメージ 1~舟木さんのゼリービーンズ談~
     
    ~僕は田舎の貧乏な子供だったから、和菓子屋や洋菓子屋のお菓子は、法事だとか特別の場合におやじから「買ってこい」と言われた時ぐらいしか、自分の口に入ったためしがない。クッキーやまんじゅうやらは、普段の小遣いでは絶対に買わないし、買えなかった。 だから、おやつと言えば駄菓子でした。
    ニッキ玉にポンせんべい、みそおでん。紙箱入りのガムもあった。ゼリービーンズは中でも、華やかな、見上げちゃうみたいなお菓子だった。
     
    ありとあらゆる色があって、それぞれ味や香りが違っていて。カキ氷と同じで、白っぽいのが砂糖。赤いのがイチゴ。好きだったのはレモン味の黄色でした。歯ごたえが好きで、風通しのいい土間で冷しましたね。 すぐなくなるのが物足りなくて、少しお金をためて、まとめて買いましたね。それでも、つい一気に食べたりする。かと思うと、大事に半分ずつかじったりして。ばかばかしくも、ほほ笑ましくもあるかな。
     
     
    イメージ 2ゼリービーンズは、ぶらぶらしてるおやじや、延べ9人いたおふくろと、一緒に食べる事はありませんでした。でももう亡くなった13歳年下の弟とは一緒に食べましたね。弟のおふくろは身体が弱かったので弟の面倒は、僕が一手に引き受けていたんです。3、4歳のころ駄菓子屋に連れて行った。「どれがいいんだよ」と聞くと、弟がゼリービーンズを指差して「あれが食べたい」って。店のおばちゃんが透明の瓶から手づかみで出して、新聞紙の袋に入れてくれるんだ。
     
    でも、やっぱりゼリービーンズは懐かしい食べ物。思い出すと、誰もが経験するように、友達と遊んでいる風景がぱっと頭に浮かぶんです。10個も20個もいっぺんに食っていたこともね。僕にとっては自分の小遣いで買える、最高級のぜいたく品でした~
    (毎日新聞 東京都内版 2007年7月10日夕刊 掲載文より抜粋)

     
     
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    さて、舟木さんが「お菓子」を歌っている曲もありましたね。1967年12月に公開された映画「君に幸福を
    ・センチメンタル・ボーイ」の挿入歌です。シングル盤としてではなく4曲入り17cmLPレコードに収録されて
    います。
     
    お菓子の好きな少女 作詩:河端茂 作曲:山屋清
    http://www.youtube.com/watch?v=dFv_bLVpoRs
    kazuyanさんの動画でお聴きください↑
     
    イメージ 3あの娘に贈ろう このケーキ
    夢で逢うとき ほほえむ娘
    お菓子を いつも手に
    虹の橋を渡る
    ぼくの 大事な こいびと
    夜明けと一緒に 消える人
    ヤイヤイ ヤイヤイ
    あの娘と いつの日語るだろう
    ホッホッ ホッホッ
    マロンの香りが ただよう娘
    ひとりのはかない 夢だけど
    明日を生き抜く 希望なのさ
    ぼくの 大事な こいびと
    あの娘に贈ろう このケーキ
     
     

     
    イメージ 4あの娘にあげたい このケーキ
    虹を呼ぶよに ほほえむ娘
    夜ごとに 夢で逢う
    可愛いあの娘だけと
    歳も 名前も しらない
    お菓子が好きだと わかるだけ
    ヤイヤイ ヤイヤイ
    あの娘に いつの日逢えるだろ
    ホッホッ ホッホッ
    チェリーによく似た 可愛い娘
    ひとりのはかない 夢だけど
    明日を生き抜く 希望なのさ
    歳も 名前も しらない
    あの娘にあげたい このケーキ
     

     
     
     
     
     
    イメージ 11西條八十は、私にとっては、ずっと長い間「かなりあ」という純粋詩の作者でしかなかったというだけでなく、中学時代にあれほど感動し、大好きだった「絶唱」の作詩者が八十であることのインパクトも希薄で、当時は作詩者がどなかたなどということなどあまり関心もなく、ひたすら舟木さんの歌の世界に入っていたのでしょう。けれど、むしろ、それほど偉大な詩人の作品だからという先入観もなしで感動していたのですから、思春期の子どもの感性や感受性というのはある意味すごいものだと我ながら、当時の自分自身を褒めてやりたい気持ちです(笑)
    そして、大人になって、つい先ごろ、舟木さんと「再会」してから「東京行進曲」や「旅の夜風」や「王将」など、子どもの頃から聴きなれていた流行歌の作詩者が西條八十と知ることになったのも、本当に舟木さんを通じてですが、それよりももっと感激したのが、この「お菓子と娘」という曲の作詩者も八十だったということを知った時でした。ネットで八十作の歌を検索しているとひっかかってきたのが「お菓子と娘」です。
     
    1928(昭和三年)年の作品というのですから、八十が「東京行進曲」を発表したのと同時期の曲なのですね。
    私自身が、この曲を聴いたのは昭和三十年代半ばに放映されていたテレビの漫画「ポパイ」を単独提供していた不二家製菓のコマーシャルソングだったと記憶しています。多分、その詩の内容からすると「フランスキャラメル」の宣伝の歌だったのかな?と想像します。あるいは、歌詩の中にも出てくる「エクレール=エクレア」だったのかも・・・。当時は、子ども心にも、とってもおしゃれで食べたこともない洋菓子や、名前だけしか聴いたことのないフランスやパリと言う異国のイメージを夢の国のように思い浮かべていたのだろうと思います。
    (ポパイ 1959.6.7~1965.8 日曜 夜7時半から8時放映)

    イメージ 5不二家のHPで調べてみたら、フランスキャラメルの発売は1934年になっていました。戦中、戦後を経て
    テレビという媒体が広まって、この曲が出来てから三十年以上も経ってからコマーシャルソングに採用されたということなのですが、テレビでその曲が流れたときにも少しも古い感じがしなくて、お洒落で洗練された印象だったことにも驚かされます。
     
     
     
    この詩の中で、「ラ・マルチーヌの銅像の」というフレーズがありますが、この「ラ・マルチーヌ」という人は
    19世紀のロマン派詩人とのこと。この部分に、純粋詩人としての八十らしさが出ているのですね。ブロー二ュの森に近い街角の「ラ・マルチーヌ広場」に、ツバメが肩で宙返りするくらいに高く掲げられた銅像だそうですから、「肩で燕の宙返り」なのですね。納得!(笑)
     
       
    イメージ 6お菓子と娘 作詩:西條八十 作曲:橋本國彦
    鮫島有美子さん歌唱
     
    お菓子の好きな 巴里娘
    ふたりそろえば いそいそと
    角の菓子屋へ ボンジュール
     
    選る間もおそし エクレール
    腰もかけずに むしゃむしゃと
    食べて口ふく 巴里娘
     
    残るなかばは 手に持って
    行くは並木か 公園か
    空は五月の みずあさぎ
     
    人が見ようと 笑おうと
    小唄まじりで かじり行く
    ラマルチーヌの 銅像の
    肩で燕の 宙がえり
     

    イメージ 7私の幼い頃の記憶の中のお菓子は・・・ビスコとミルキー。
    写真の大きな缶入りのビスコは、いただきものだったのでしょうか?中身が空になってからも、しばらくは、お菓子の保存容器として使っていたと思いますが、この写真はお正月の晴れ着を着て羽子板など写ってますからお年賀にお客様から頂戴したものだったかと思います。今は「小麦胚芽入り」という商品もありますので、私はそちらがお気に入りです。
     
    イメージ 8昨今では、ビスコは、単なるおやつというのとはまた違った用途・・「災害時の保存食」としても注目されてきてるようですね。ミルキーも、糖分やカロリー補給という意味でも、緊急時のために買いおきしておいてもいいかもですが、歯にくっつきやすいので歯の詰め物がとれる心配あり!今は、歯にくっつかない「サクサク」タイプのミルキーもあるみたいです。ちなみに「生ミルキー」という商品もあったので買って食べてみましたがやっぱりあの「歯にくっつく」ミルキーの味が一番です(笑)
     
     
     
     
     
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    モールの持ち手付きの大きな箱入りのミルキーは誕生日など、特別の時に買ってもらったお菓子でした。中が空っぽになると小さなふつうの箱入りのミルキーを移して、大切に使ってました。

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    4月4日から、川崎市教育文化センターを皮切りに、全国ツアーがスタートした青春歌謡BIG3は、好調に全国を縦断中のようで嬉しい限りです。
     
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    舟木さんが、このステージの御自分のコーナーの中で、ラストナンバーとして歌われている「眠らない青春」について、今年発売される新曲であるというニュアンスで紹介なさっていらっしゃいましたが、その新曲リリースに関する情報を舟友さんから頂戴しました。
    以下、amazonのHPに、以下のようにアナウンスされていましたので、お知らせします。
    ~ amazon サイトより抜粋↓ ~
     
    内容紹介
    70歳を迎えても「青春」のことばが使えるのは、舟木一夫だけの特権だ 。
    デビュー52年目、今年もツアーに劇場公演に全国を走る舟木一夫の2年半ぶりとなるニューシングル
    「眠らない青春」は、70年代半ば頃、舟木本人が作曲家の川崎浩史氏と共作で楽曲を作り始めた頃に出来た作品で、当時アルバムに収録したもので、今回アレンジを変え、完全新録音での発売。
    カップリングの「恋人形」も、同時期に山路進一氏と作った楽曲で、こちらは初レコーディング曲となります。
     
    [収録曲]
    1. 眠らない青春(作詩:舟木一夫 作曲:川崎 浩史 編曲:杉村俊博)
    2. 恋人形(作詩:舟木一夫 作曲:山路進一 編曲:杉村俊博)
    3. 眠らない青春 オリジナル・カラオケ
    4. 恋人形 オリジナル・カラオケ
    5. 眠らない青春 半音下げカラオケ
    6. 恋人形 半音下げカラオケ
    7. 眠らない青春 オリジナル・カラオケ(2コーラスVer.)
    8. 眠らない青春 半音下げカラオケ(2コーラスVer.)
    全8曲収録
    価格:1300円 
     
    イメージ 2眠らない青春 作詩:里中さとる 作曲:岩鬼まさみ
    (1976年8月 アルバム「レマンのほとり」の歌詩カードより)
     
    なつかしいこの街に
    ただ一人 来たんだよ
    眠らない青春の
    想い出に 誘われて
     
    やわらかな 木もれ陽と
    手づくりの 愛の日は
    変わらずに あるものと
    おたがいに 信じてた
     
    さよならの足音は
    春の日のにわか雨
    冷たさを 耐えるには
    若すぎた 二人さ
     
    明日には出るはずの
    虹さえも 知らないで
    見つめ合う 瞳には
    あきらめが ゆれていた
     
    イメージ 3お揃いのセーターを
    ひっそりと 取り替えて
    合鍵は 二つとも
    鉢植えに 埋めたよ
     
    逝く春の 悲しさを
    胸深く 抱きとめて
    あの人が 投げかけた
    ほほえみの 優しさ
     

    鮮やかによみがえる
    青春の 想い出は
    暮れなずむ 街角に
    いつまでも 眠らない
     
    イメージ 4恋人形  作詩:舟木一夫 作曲:山路進一 
     
    薄墨の 空はつれない 雨模様 
    帰るあてさえ ない人に
    いくつ折鶴 恋ごころ
    にじむ 吐息の もどかしさ
     
    ふるさとは 風のかおりも 秋化粧
    落ち葉しぐれる 白壁に
    ゆれて やつれて 細々と
    つらいうわさが 気にかかる
     
    薄紅の 目もとやつれて 恋人形
    あやめ一輪 咲くおりに
    かくしきれない あの夜の
    いのち 重ねた 夢のあと
     
    (「恋人形」の歌詩はライブでの聴きとりによる歌詩ですので間違いなどあるかも知れません。正確な歌詩を御存知の方がいらっしゃれば、お教え下さいね)
     
    「恋人形」については、昨年の12月の「シアターコンサートin新橋演舞場」でも歌っていらっしゃって音源が
    ないことについてもトークでふれていらっしゃいました。↓
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68905427.html
     
    発売予定日は2014年6月18日  発売が待たれます
     
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    イメージ 1九州地方での「青春歌謡BIG3」も大盛況のうちに終了したようで本当に良かったです。九州にお住まいの舟友さんからも、コンサートの様子の御報告を頂戴しました。舟木さん始め、お三人ともお元気で4月のツアーを勤められ、5月の後半には北海道で二か所のツアーコンサートが待ってます。舟木さんは、その前に5月の新歌舞伎座のシアターコンサートが3日間と、大阪と東京での「ラブリーコンサート」でお目見えです。楽しみですね。
     
    イメージ 2さて、舟木さんのプライベートのお祝い事としては、4月29日が結婚記念日ですね。そして、なんと今年は結婚40周年なんですね。銀婚式は25周年で金婚式は50周年というのは昔から聞いてましたが、最近はもっと細かくて銀婚式と金婚式の間にも○○婚式というのがあるようです。40周年は・・と調べてみたら「ルビー婚式」だそうです。舟木さん、まだちょっと早いですが、「ルビー婚式」おめでとうございま~す!
    私は、舟木さんの御結婚のずっと以前から、舟木さんから離れてしまっていましたが、偶然にも舟木さんとは結婚の時期がとっても近かったため~私は、舟木さんの結婚式の12日後~新聞記事で舟木さんの結婚が報じられたのを不思議とよく記憶しています。その時の感想は、「いろんな事があったようだけど落ち着かれて本当に良かった・・」という感じでした。そして、その時、私が感じたことは、間違っていなかったと、40年も経った今、舟木さんの充実したお仕事ぶりを拝見していて強く実感しています。
    舟木さんは「家族は、お客様の向こう側にいるもの」という言い方をなさっていますが、それはきっと綺麗ごとではなく嘘偽りのないお気持ちであろうと思っています。徹底して「舟木一夫」を生ききっていらっしゃるのは誰の目にも明らかですから。そして、そういう生き方がイメージ 3許されているのは、とりもなおさず、「お客様の向こう側」にいて、私たち「お客様」とは、異なる角度と視線で、もうひとりの「舟木一夫」(上田成幸ではなく)を見つめ、支えていらっしゃるご家族の存在があるからにほかならないのだと感じています。
    最近のステージには、のせていらっしゃらない「火の鳥」という曲は、作詩・作曲とも舟木一夫というペンネームを使っていらっしゃいます。とってもいい曲ですから、ステージでお聴きしたいのですが、なかなか聴けません。youtubeにもアップされてませんので、お聴きになれない方もあるかと思いますが、詩だけでもここでご紹介させていただきます。
     

    イメージ 4火の鳥   作詩・作曲:舟木一夫
    (ライブアルバム「「舟木一夫ゴールデン・コンサート」収録)
    ふるえる心に つばさを広げて
    明日にはばたく 不死身の火の鳥
    燃える瞳に 愛をかざして あなたと生きる
    おそれるものは何もない 何もない
    はるかに聞こえる夜明けの歌声
    目指して旅立つ希望の世界へ
     
    恋する心に つばさを広げて
    明日をみつめる 不死身の火の鳥
    つきることない 炎の海に 身体をまかせ
    微笑みかわす愛の中 愛の中
    あなたに見つけた たしかな真心
    はげしく抱きしめ 飛び立つ大空
     
     
    誰もじゃまなど できはしないさ 二人の胸に 
    永遠に寄りそう 火の鳥を 火の鳥を
    嵐に傷つき つばさは 折れても
    終わりを 知らない 不死身のこの愛

    イメージ 5~大倉明著「青春賛歌」巻末の年表より~
    1974年
    4月29日挙式
    6月アルバム「初恋 舟木一夫抒情歌謡を歌う」発売
    7月27日NHK「思い出のメロディー」の収録。(8月3日放送)
    8月11日東京豊島公会堂で後援会員のためのコンサート開催
    9月「旅路」「寝顔」発売(復帰第一作)
    10月アルバム「友情 舟木一夫の新しい名刺」発売
    10月TBS「ふたりぼっち」に出演
    11月2日、3日東京郵便貯金ホールで「舟木一夫コンサート74」開催
    12月15日京都会館で「舟木一夫コンサート74」開催
    1975年
    1月「愛の新雪」「別れの瞳」発売
     
    舟木さんが1973年の「事件」の後、本格的にコンサート活動をスタートなさったのが、1974年「舟木一夫コンサート74」で、後にそのライブ音源がアルバム「ゴールデン・コンサート」として発売されました。「火の鳥」も、そのアルバムに収録されているので、リアルタイムでは、全く離れてしまっていた私でもこの曲を聴くことができたわけです。
    その翌年から、舟木さんは、コンスタントにコンサート活動をなさったり、後援会員とハワイ・バカンスツアーなどを行ったり、マイペースで歌い手としての道を再び歩き始めていかれたようです。
    そして、この頃もずっと舟木さんを見失っていた私が言うのもおこがましいのですが、「再会」後に、遅ればせながらも、舟木さんの音源を手当たり次第に集めて、デビュー時代からの舟木さんの歌声の変遷を知っていくうちに、本当の意味で舟木さんがプロの歌い手として歌と向き合うことができたのは、あの事件があって、心機一転、家庭を持ち、心身ともに落ち着いた状況が拓けていったからだと感じます。
    いわゆる人気稼業である歌い手、しかも、デビューするやいなやスーパーアイドルとして人気が先行してしまい、ことに女性ファンの心をわしづかみにしてしまったがゆえに、その歌い手としての真価をご自身も周囲も的確には掴めていないまま、芸能人としてのトップの座に登りつめてしまったことの不幸があったのだと思えます。
    プロ歌手として歩き続けて行く上での「軌道」という芯の部分がほの見えてきたのは、もしかしたらこの一番どん底に思えた時だったのではないかとすら感じます。それは、舟木さんの歌声の変化・変遷から感じる感覚的なものですが・・・
    そんな時期の舟木さんの歌声を、あえて、あまり広くには知られていない曲でご紹介したいと思います。

    別れの瞳 作詩:門田ゆたか 作曲:古関裕而
    http://www.youtube.com/watch?v=GrCUrQ7r3AA 
    舟友kazuyanさんの動画(「別れの鐘」となってますが「瞳」です。)
    1974年10月発売 アルバム「友情 舟木一夫の新しい名刺」収録
    1975年1月発売上記アルバムよりシングルカット(「愛の新雪」B面)
     
    イメージ 6ともし灯を 映す瞳も
    かがやく 今宵の宴
    悲しみも混ぜて 飲みほす春の日は
    短く暮れよと 嘆くまい
    ああ別れても
    この空は きみにつづくよ
    きみにつづくよ
     
    七色の 夢はあふれる
    グラスを乾そうよ 二人
    かえらない時の流れに 思い出を
    刻んで 静かに語ろうよ
    ああ 別れても
    この空は きみにつづくよ
    きみにつづくよ
     
    明日からは きみのおもかげ
    浮かべて乾すだろ ひとり
    逢えないで 長い月日が過ぎるとも
    こころに咲かそう 愛の花
    ああ 別れても
    この空は きみにつづくよ
    きみにつづくよ
     
     
     
    イメージ 7いかがでしょうか?もう一曲は、日活映画の主題歌にもなったおなじみの「青春の鐘」です。この曲も古関氏の作曲です。同じ方の手による作曲ですので選んでみました。
    作詩は、丘灯至夫氏です。力強く明るい詩です。古関氏の旋律も大らかで、空に向かって顔を上げて謳うような曲調なのですが、私的には、この頃の舟木さんの声には曇りが感じられて、古関氏独特の前へ前へ、上へ上へと進んでいくこの曲の旋律のイメージが十分に生かされているとは言い難い印象があります。

    青春の鐘 作詩:丘灯至夫 作曲:古関裕而
    http://www.youtube.com/watch?v=sOp0_ZRS8iA
    kazuyanさんの動画です
    イメージ 81969年1月発売
     
    水色の空 鳴る鳴る鐘は
    花いまひらく 大地の春よ
    愛のきらめき 南風
    悲しみは捨てたまえ 雪崩も消える
    ああ 青春に 希望(のぞみ)あり
     
    秘かにこころ寄せあうひとも
    やがては遠く 別れるひとか
    声を忍んで 泣くな 君
    いつの日か 懐かしの 思い出となる
    ああ 青春に 憂いあり
     
     
     
    太陽の下 かげろうゆれて
    巣立ちの鳥も あの森越える
    君は微笑む 白椿
    はげまして 慰めて 旅ゆく彼方
    ああ 青春に 未来あり
     
    イメージ 9「青春の鐘」から5年後の1974年収録の「別れの瞳」はというと、メロディーラインは短調なのですが、舟木さんの声に曇りは全く感じられず、別れを歌ってなお、未来を見つめる明るさと希望の輝きが感じられ、爽やかさのみでなく、優しさにあふれていてとても心が温かくなります。
    舟木さんは、長く歌の道を歩んでこられた多くの歌い手の方たちの中でも、その時代、その季節で、常にその声の印象が変化してこられた稀有な歌い手ではないかと、いつもその沢山の音源を聴きながら感じています。
    私にとって、表現者というのは、生身の人間であり、存在そのものが「ライブ」であるところに大きな魅力を感じるじさせるという部分がなければ、本物の表現者ではないのではないかという気持ちがあります。
    画家であっても文学の作家であっても、その人が生きてたどってきたプロセスでどう変遷していくのかというところに私たち凡人には入り込めない世界があるようで、そこにこそ表現者の存在意義があるように思います。
    常に、スタンダードを維持し、守っている表現者というのは、失礼ながら或る意味「面白くない」とさえ感じます。プロは、いつでもムラなく、一定水準の表現ができること・・・という考え方もあるでしょうが、その水準というのは何なのか・・と思ったりします。常に進化し、成長していく人としての表現者が、抱える「喜怒哀楽」の発露を、職業人としての意識とどう兼ね合わせていくかのせめぎ合いに、私は魅力を感じるのかもしれません。
    ちょっとハナシが、リクツっぽくなって恐縮ですが、同じ作曲家の作られた「力強い応援歌」のような曲と「哀
    調がメインでありながらもささやかな希望を込めた歌」を、それぞれの季節に身を置いていらした舟木さんがどのように歌っていらっしゃったのか・・・そのリアルタイムでの舟木さんの心情、おかれた状況などを、心に留めて聴いていると、ストンと腑に落ちてきます。舟木一夫という歌い手は、あまりにも広い守備範囲を持ち、どんなジャンルの歌でも、歌いこなす・・と言ってしまえば、「器用な歌い手」という間違った方向に評価がいってしまう危険性があると思います。でも、そうではないことが、このふたつの曲を聴き比べているとわかってくるのではないかと私は感じています。
     
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    舟木さんは、決してテクニックやマニュアルで歌う歌い手ではないということ・・・これほどご自身の心がそのまま正直に歌に表れてしまう歌い手は他にはないのではないかと思うのです。
    長い「ひるねの時間や、寒い時期」は、いわゆる人気歌手としての結果が出なかったという意味では、多少、舟木さん独特の謙遜とテレを加味しているとしても、まあ、その表現もアリかと思いますが、ご結婚後の舟木さんの歌声には、迷いが全くありません。この頃から数年間の舟木さんの歌声は透明感にあふれ、崇高さ、さえ感じさせます。ですからご結婚後のこの季節は特別の時代だったように私には思えます。この時期に15周年記念の10枚組アルバム舟木一夫大全集「限りない青春の季節」として、それまでのヒット曲はじめ代表作品や未発表作品などを新たに吹き込み直されたことは、おそらく舟木さんご自身にとっても、新鮮なお気持ちで歌と向き合うことができるようになられたからではないかと私は勝手に推測しています。
     
    本来、誠実で正直な方だったために、諸々の迷いがすべて歌に反映してしまい、曇った歌唱となってしまった時期があったのだと思いますが、それは、精神状態が良くなれば、逆に何ものにも替え難い才能となるのだということを舟木さんの歌声の変遷によって知ることができます。

     
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    ご自分の魂に引きつけて見事にご自分の肉体と精神と言う回路を一巡させて表出するという歌い手にとって一番大切なことを、舟木さんは「幸せな結婚を得た」ことによって具現化できたことは明らかだと私は思っています。
    舟木さんの結婚記念日は、舟木一夫という歌い手の再生の記念の日でもあるのだと私には思えます。
     
     

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