【父の教え】
「一日一日を大事に生きること」 救心製薬取締役・西山謹司さん 「高校三年生」作詞・丘灯至夫さん長男
国民的愛唱歌「高校三年生」を作詞した丘灯至夫さんの長男、西山謹司さん(57)は、製薬会社の取締役としてビジネスの世界で活躍している。幼い頃から体が弱かったという父から学んだのは「一日一日を大事に生きること」。今年は丘さんの生誕100年。改めて父の言葉をかみしめる日々という。
丘さんが42歳のときに生まれた西山さん。「おやじから『勉強しろ』と言われたことは一度もありません。遅くにできた子供だったからか、とてもかわいがってくれました」と振り返る。
92歳で大往生した丘さんだが、生まれたときから体が弱かったという。高校は病気で休みがち。本を読みふけって文学に目覚め、詩人の西條八十の門下生となった。全国紙の記者をしながらレコード会社、コロムビア専属の作詞家となったが、入退院を繰り返した。
年末が近づくと丘さんは、翌年の新しいカレンダーを大量に集め、家中にかけた。「実際にはめくらず、いつまでたっても1月のままなんですけどね。かけるだけで、また生きて年を越せた、と満足していたんだと思います」
毎年秋には「時期はずれ忘年会」と銘打った大宴会が自宅で開催された。綿あめや焼き鳥の屋台まで用意するほどの力の入れようで、多い年には仕事の関係者や友人ら400人近い人が出入りすることもあった。
「おやじは歓談の輪の中心にいるわけでもなく、隅でおとなしくしていました」と西山さん。「人を楽しませることが好きだったのでしょう」と推察する。
忘れられない思い出がある。高校3年の夏、大学受験のため夏期講習に通っていた同級生と3人で、「高校生活最後の夏を勉強だけで過ごしていいのか。野球でもやろう!」と盛り上がった。他のクラスメートにも声をかけてみると、「勉強の息抜きになる」とメンバーが集まった。
父にそのことを話すと、コロムビアの社員チームを結成し、対戦の段取りまでしてくれた。「高校三年生チーム」対「『高校三年生』を作ったチーム」の熱戦は引き分けに終わり、試合後には盛大な“反省会”が開かれた。
「受験生が野球なんて怒られるところですが、将来のことよりも、今を大事にしてほしいと言いたかったのだと思います。病弱だった父も、そういう生き方をしてきたのかもしれません」
人一倍健康に関心があった丘さんは、漢方薬など東洋医学に詳しかった。そんな父の影響もあり、生薬製剤「救心」で知られる救心製薬に入社した。
丘さんのDNAを受け継ぎ、職場の仲間や友人らとの花見や暑気払いなど季節のイベントを大事にしている。「おやじは損得勘定で人々を喜ばせていたのではなく、何よりも人との縁を大事にしていました。同じことはできませんが、私もそれを大切にしていきたいと思います」(櫛田寿宏)
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≪メッセージ≫
おやじが生きていたころの毎日は、人を楽しませる“学芸会”の連続でした。人と人とのつながりが希薄になったといわれる今、その大切さが分かります。
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【プロフィル】丘灯至夫
おか・としお 大正6年、福島県生まれ。本名・西山安吉。昭和24年にコロムビアの専属作詞家となり、「高原列車は行く」など数々のヒット作を世に送り出す。生誕100年を記念し「丘灯至夫ベスト~永遠の青春~」(コロムビア)など3作が発売された。
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【プロフィル】西山謹司
にしやま・きんじ 昭和34年、東京都生まれ。日本大経済学部卒。救心製薬取締役ヘルスケア本部長。丘きんじ名義で救心のCMソングを作詞。父親の思い出をつづったエッセー「ニレの木蔭で」が丘さんの誕生日の2月8日に刊行される。
「おやじと同じように、多くの人が集まり、楽しんでいる様子を眺めるのが好きなんです」と語る西山謹司さん(伴龍二撮影)