楽しみに待っていた新歌舞伎座の一ヶ月公演も過ぎてみれば本当にあっという間に千秋楽を迎えてしまいました。わが町、桑名は、ちっぽけな地方の小さな市ですが、歴史だけは古い町なので昔から、近鉄の
特急電車が停車する駅です。わが家から駅までは10分弱。新歌舞伎座は上本町駅の目と鼻の先ですから、気分的にはドアtoドアでも、ほぼ2時間なので、特急料金さえかからなければ毎日でも通いたいところでしたが、結局は予定通り大阪通いは計4回で10公演拝見しました。地元大阪近辺のファンの皆さんは、連日連夜・・という勢いの方も少なくはなかったと思います。また、遠方にもかかわらず、何度か足を運ばれた方も多く、本当に舟木さんの吸引力というのは計り知れないものがあるのですね。今さらながらビックリです。
確かに舟木さんの後ろ姿のカッコ良さはとても古希間近とは思えませんね。その長女のところの二番目の子どもで「高校三年生」の孫娘にパンフレットを見せたら「むっちゃイケメンのおじさんやん!」まずは上々の感想をいただきました(笑)そして、大学一年の男孫にも「○○くんくらいの年の時から、ずっとファンのおばちゃんたちが、今もいっぱいいるのよ」と教えたら「へぇ~ッ!それはスゴイ!」・・と言ってくれました。
さて、お茶の間談義の報告はこのくらいにして・・・
お芝居 いろは長屋の用心棒 21日昼と21日夜
お芝居なので、全体としては、大きく変わることはないのですが、舟木信兵衛さんのはじけっぷりが毎回の楽しみになっています。毎回、毎回こうもよく次から次へと、湧いてくるものかと思うほど、バリエーションがあるのは舟木さんが、人を笑わせることに貪欲であることの証明ですね(笑)サービス精神でもあり、またご自身が「笑い」のセンスにとても敏感で、「笑い」を楽しめる力にあふれているのだと痛感できました。
二組のカップルがいい感じになって、ひとり取り残された信兵衛さんが凹んで云う毎回変わるセリフ・・・
~死にた~い!長屋の横の水たまりに身を投げて・・・だけど鼻の穴を擦り剥くのが関の山・・~
~なじみの釣り堀に身を投げて死んでやる・・鮒と一緒に「信兵衛杯」でも・・(泳ぎの競争するという意味?)
~死にた~い!長屋の横の水たまりに身を投げて・・・だけど鼻の穴を擦り剥くのが関の山・・~
~なじみの釣り堀に身を投げて死んでやる・・鮒と一緒に「信兵衛杯」でも・・(泳ぎの競争するという意味?)
めでたく二組のカップルが結ばれる宴の席で、へべれけに酔っぱらった信兵衛さんがうつろな目で倒れ込みながら・・
~昼は「ぼく、・・・変・・・」~ そして、「♪酒飲むな、酒飲むなのぉご意見なれどぉ、ヨイヨイ」と唄う場面で「ちょっと唄の文句間違っちゃった・・」(笑)
ラスト墨塗りのお顔は
~昼はキツネさんのような可愛いヒゲを書かれてました。夜はほっぺたに渦巻きみたいな・・
ラスト、花道の方に向かって酔っぱらって歩く、歩き方が絶妙に可笑しいんですけど、それでもどこかやっぱり二枚目なのは、「姿」がいいからなんでしょうね。どんなに、汚しても汚しても「汚なくはならない」のがとっても不思議ですよね。
コンサート 21日昼 ピンク文字は舟木さん
オープニング~
想い出通り
三日に初日を開けさせていただいて中日だなぁ・・と云っているうちに明日千秋楽となりました。ちょっと早いですが、どうもお世話になりました。今日は唄の文句を間違えましたが、まぁ、酔っ払いですからね(笑)
昔の映画の娯楽時代劇は、現代語も使ってる部分がありました。ヘタをするとカタカナ語も出てくる、そうでないと時代劇と言うのは、パターンが少ないですから・・今回のはそういった時代劇というところで・・
昔の映画の娯楽時代劇は、現代語も使ってる部分がありました。ヘタをするとカタカナ語も出てくる、そうでないと時代劇と言うのは、パターンが少ないですから・・今回のはそういった時代劇というところで・・
北国の街
花咲く乙女たち
友を送る歌
花咲く乙女たち
友を送る歌
こうやって、色々といただきものをしているのですが・・と昔、玉置さんから「君ほどたくさんプレゼントをもらう歌い手はみたことない・・」と言われたことや、プレゼントの受け取り方の作法、テクニック・・など、いつものトークのあと、「これもひとつの芸」・・と笑わせて・・・69才になったワケですが、なんのかのと言いながら、日は明け、夜は暮れていくわけですが・・と「高校三年生」時代の曲を並べたブロックへのつなぎとして「明日咲くつぼみ」を今の時代、こういう歌がヒットしてくれるといいのかなぁ・・・なんて・・などと紹介して歌へ
明日咲くつぼみに
高校三年生
修学旅行
学園広場
のどかというかおおらかというか・・流行歌は時代をピンポイントで背負って流れていく・・ラララ、汽車はゆ
く、汽車はゆく♪・・と歌いつつ今の修学旅行との様変わりなどを話されて・・「プラットフォーム」を僕らの頃は「プラットホーム」と唄っていた。今はステージでは「プラットフォーム」と唄ってますが・・とおっしゃったので、帰ってから、各時代の音源をチェックしてみました(笑)
確かにデビュー盤オリジナル音源は「プラットホーム」です。10年目過ぎたあたりから「プラットフォーム」に聴こえてきます。15周年記念の再録音版では明確に「プラットフォーム」と歌っていらっしゃいます。でも、先輩の方の歌を唄うときには、そのまま「プラットホーム」と唄うそうです。こんな小さなことも舟木さんが話題を提供してくださると、しっかり確認してみたくなるんですよね(笑)
これも、よくトークで出てくるお話ですが、西條八十作詩の大ヒット曲「侍ニッポン」~これは舟木さんが若い頃に明治座でこの曲で歌われている「新納鶴千代」役を演じられたゆかりのある曲~で、これを最初に歌った歌い手さんが、レコーディングで「にいろつるちよ」ではなく「しんのうつるちよ」と唄ってしまい、それが音源となったので、今も、どなたが唄う場合も「しんのうつるちよ」と唄うんです。
これは、有名な話ですね。西條先生は「これは僕が悪いんだよ、レコーディングの時に行かなかったから・・」と・・後に、このことをたずねた舟木さんにこう答えられたそうです。
この手の隠れた流行歌の裏話的なお話も、私にとっては舟木さんのステージのトークならではの楽しみです。「人を斬るのが、侍ならば・・♪」とアカペラで唄いつつ、バンドがないとオンチなんです・・とチャッカリ笑いをとりにいく舟木さんが私は大好き![]()
![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s309.gif)
昔の時代劇と(主題)歌は、きってもきれない・・いい歌がたくさんありますが、これはダントツによくできた名曲・・と紹介して・・
銭形平次
ここで私は、あれれ???と思いました。17日までは、ここではピンクのジャケットに着替えていらしたのですが、なんとアンコールの時のベージュ~ある舟友さんが「たけのこ色」とおっしゃてました(笑)~に変わってました。19日の「貸切」の日に行かれた舟友さんによると、この日には変わっていたとおっしゃってました。私が17日に拝見した時は、変わってませんでしたから18日か19日から変わったようですね。
初恋
絶唱
絶唱
こういう歌はもう、できない・・・昔のようにはっきりした四季がないと、特に四行詩の歌は難しいです、作る
方も、歌う方も・・素晴らしい世界観ですねと・・
方も、歌う方も・・素晴らしい世界観ですねと・・
お芝居でもコンサートでも大詰めはどういう風に終わるか、それを最初に考えます。今回のラストブロックは青春という季節の中でも特にキュッと詰まった部分・・間違いなく外せないのは初めての恋・・と
東京は恋する
高原のお嬢さん
眠らない青春
若々しくのびやかな舟木さんの声が完璧に戻ってきていて、69才なんて思えないほど、ほんとうに素敵な「初めての恋」の世界を届けて下さいました。
アンコール~
哀愁の夜 五番付き
緞帳が再び上がり、ピンクのジャケットの舟木さん登場。ピンクのジャケットにブルーのライトがコントラスと
なって舟木さんの魅力を引き立てていました。オーラスのジャケットはやっぱり鮮やかな色合いがインパクトがあって演出上はいいのかも知れませんね。
なって舟木さんの魅力を引き立てていました。オーラスのジャケットはやっぱり鮮やかな色合いがインパクトがあって演出上はいいのかも知れませんね。
コンサート 21日夜
くちなしのバラード
哀愁の夜
北国の街
高原のお嬢さん
北国の街
高原のお嬢さん
「その人は昔」のテーマ
高校三年生
学園広場
学園広場
舞:林啓二/長谷川かずき/川上彌生/真木一之
~童謡をモチーフにした可愛らしい踊りです~
~童謡をモチーフにした可愛らしい踊りです~
京の恋唄
絶唱
夕笛
恋唄
右衛門七討入り
夕笛
恋唄
右衛門七討入り
喧嘩鳶
銭形平次
~アンコール
浪花の歌ごよみ
今回の公演は十回拝見しましたが、昼の部のコンサートは6回、それに引き換え、夜の部のコンサートは初日とお誕生日だった12日と前楽のこの日だけでした。初日は、なんだかソワソワしてて、12日は舟木さんの喉の具合が気になって・・・などなどでしたので、この日は、ひたすらボーッと舟木さんの歌の世界に浸りきろうと決めてましたが、絶好調の舟木さんの歌唱にボーッとしすぎて、トークの時も舟酔いをしてましたので、トークそのものというより私の印象に残ったことや感想を主にまとめて記載します。
夜の部は前半が「学園広場」を唄いながら、花道のすっぽんに消えていくという趣向です。前半は、白のスリーピースに黒のシャツ、胸には赤いバラ、そして、後半は、色変わりに挿入されている楽しい「舞」が終わると、花道のすっぽんから渋い髭紡ぎの着流しで舟木さんが再び登場します。
三っつとも全部マコちゃんと一緒でした。昔はポッチャリして可愛かった・・・今は・・・と親愛の情をこめた「マコちゃん」との近況などお喋りして、同級生とはちょっと違う、けど青春時代に一緒に頑張って仕事をした特別の仲間という感じだとおっしゃる舟木さん。多分、当時はお二人とも目の回る様な忙しさの中でそれぞれの頑張りを認め合いながら、若いなりに一生懸命仕事に向き合っていらしたのだろうと察しられます。だから今は、冗談を言い合っていても通じ合えるいい関係ができているんでしょうね。いつもながら、あたたか気持ちになれる「マコちゃん」とのエピソードです。
そして、前半の聴かせどころは、なっといっても「その人は昔」のテーマでしょう。
ナマのステージで「その人は昔」を聴いたあと、私は、家に帰って必ず、CDのアルバムで「その人は昔」のオリジナル音源を聴きたくなります。当時の舟木さんの声は、もちろん若くて初々しい美声ですが、今の舟木さんがステージで歌われる声のような幅の広さや奥行きの深さという点では、やはりかなうはずもありません。
タイトルが「その人は昔」ですから、今思うとこういうタイトルがつけられたことは、今のよう後年、舟木さん
がステージで歌唱されることを意識して作られたのだろうかとつい思ってしまうほど、今の舟木さんの声と表現力で聴けることの幸せを感じてしまいます。もちろん、舟木さんのどんなヒット曲もそうなのですが、私としては「絶唱」と「その人は昔」は特にそういうことを感じさせる不朽の名曲であるように思われるのです。
タイトルが「その人は昔」ですから、今思うとこういうタイトルがつけられたことは、今のよう後年、舟木さん
がステージで歌唱されることを意識して作られたのだろうかとつい思ってしまうほど、今の舟木さんの声と表現力で聴けることの幸せを感じてしまいます。もちろん、舟木さんのどんなヒット曲もそうなのですが、私としては「絶唱」と「その人は昔」は特にそういうことを感じさせる不朽の名曲であるように思われるのです。
年輪を重ねた歌唱でこそ、聴く人の心に訴える力を持つタイプの曲であるという意味でこの二曲は、単にヒット曲という枠組みを超えて共通した力を持っている名曲だといえるでしょう。
そして、「若駒の たてがみつかみ いらだつ海の向こうを みていた 胸をはって♪」と、オリジナルとは違って最後は高く歌いあげるのは、よりドラマチックなクライマックスのステージ曲としての演出スタイルとしてその効果を存分に果たしていると感じます。歌い終わると、くるりと美しい背中をみせた舟木さんのシルエットが浮かび上がり・・・すべての音が消えると再びくるりと客席を向いて・・・またしても二枚目返上(笑)
まぁ、ざっとこんなところで・・とこんなにテレ屋さんの舟木さんの昔の映画のラブシーンとかを撮り終わった直後のリアクションって、どんなだったのか知りたくなります(笑)さぞかし、二から三へのヘンシンぶりは早かったんじゃないかと(笑)
まぁ、ざっとこんなところで・・とこんなにテレ屋さんの舟木さんの昔の映画のラブシーンとかを撮り終わった直後のリアクションって、どんなだったのか知りたくなります(笑)さぞかし、二から三へのヘンシンぶりは早かったんじゃないかと(笑)
僕らの頃から歌い手が主演になった映画を撮るようになった・・と・・・三橋(美智也)さんや春日(八郎)さ
んも映画には出てましたが、あまりしゃべらない役・・まあおふたりともなまりがあったから・・僕らはテレビ
世代ですから・・でも、やっといて(映画の仕事を)良かった。いい経験をさせてもらった。
んも映画には出てましたが、あまりしゃべらない役・・まあおふたりともなまりがあったから・・僕らはテレビ
世代ですから・・でも、やっといて(映画の仕事を)良かった。いい経験をさせてもらった。
抒情歌の三曲目は自作詩の「恋唄」・・八十の作品と並べても全く違和感なく文学性にあふれた詩の世界観はさすがです。デビュー前の中学、高校時代から文学やことに詩歌にはとても興味がおありでよく本も読んでいらっしゃったようですから、その蓄積はまだ二十代の頃の詩作を拝見しても、十分にうかがわれます。
不思議なんですが、昭和45年から(きっちり年を限定なさってるのはなぜ?)ぷっつり日本的な世界を唄う歌がなくなった・・ともおっしゃったのが印象的でした。舟木さんが「流行歌の世界」の行き詰まりを感じ始めて「歌うことへの情熱を失い始めた」という時期が、この昭和45年あたりということなのでしょうか?などと考えながらこの「昭和45年」という年に思いを馳せてしまいました。
不思議なんですが、昭和45年から(きっちり年を限定なさってるのはなぜ?)ぷっつり日本的な世界を唄う歌がなくなった・・ともおっしゃったのが印象的でした。舟木さんが「流行歌の世界」の行き詰まりを感じ始めて「歌うことへの情熱を失い始めた」という時期が、この昭和45年あたりということなのでしょうか?などと考えながらこの「昭和45年」という年に思いを馳せてしまいました。
・・ということは・・さらに云えば、まだまだ歌い続けることができるワケです。55年目以降も、まだ「舟木一夫」は歌い続けているような予感がします。
アンコールは賑やかに「浪花の歌ごよみ」(正確な字はどう書くのか不明です)私的には「浪花の唄ごよみ」にしたい(笑)夜の部のご祝儀の手ぬぐい撒きは、このアンコールの曲を歌いながらでした。
~千秋楽のお芝居とコンサートについては、後日に~
明日から上京しますので、アップは27日くらいになるかもしれません。