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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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「近代映画」掲載記事「歌を愛する気持ちを永久に持ち続けたい!」その2

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「近代映画」掲載記事「歌を愛する気持ちを永久に持ち続けたい!」その1
https://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/71816740.html

のつづきです。

「別冊・近代映画4月号 魅惑のトップ・スタア 舟木一夫 陽春号」 掲載

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歌のこころを大切に  

イメージ 3インタビュアーの人々から、よく頂戴する質問があります。
「芸能生活三年目を迎えての、あなたの目標は?」
むずかしい質問です。
まず第一に、もっともっと歌を上達させたい。
「舟木の歌は、最近うまくなったなぁ・・・」とみなさんに感心してもらえる歌手になりたい。
同時に「若さってすばらしいなぁ・・・」というオドロキを与えるタレントでありたい。
むろん、忙しいからだで、よくがんばるなぁ・・・という体力的な意味での”若さ”ではありません。
ぼくの歌、ぼくの芝居、ぼくの人生と生活のすべてが、若さそのもののようなタレントでありたい。
話はちょっと飛躍しますが、ひとつの歌をほんとうに生かしきるために、いちばん大切なもの・・・
それは、声やふしまわし・・その他もろもろのテクニックではなく、なによりも歌のこころを適確につかむことではないでしょうか?
歌のこころ。それはまず歌詞にあります。
太初(はじめ)に言葉ありき、というバイブルの言葉は、歌のばあいにも、そっくりあてはまるのです。はじめに歌詞があり、作曲家はそれにメロディーをつけます。最後に、歌手がそれをじっさいに”耳できく”歌として表現する。
つまり、歌のこころをつかむためには、まず完全に歌詞の内容を読みとらねばなりません。
歌詞はまた、そのときどきの時代の生活の反映でもあります。
ぼくの父や母の時代に「枯れすすき(船頭小唄)」や「カチューシャの唄」があったように、ぼくの時代には、ぼくの歌がある。
歌は、そのまま生活につながっています。歌詞に対する理解力を深めるためにも、歌手自身がまず現実の生活をきびしく観察し、充実した毎日を送る必要があるのではないでしょうか。
この文章の最初のほうでも、ちょっと触れましたが歌手がその生命を維持するヒケツのようなものが、もしあるとすれば、それはたったひとつ。
―いつまでも、歌が好きだということ。
心から歌を愛していれば、歌の勉強をなまけるはずがありません。不摂生して、歌が唄えないからだになるようなことは絶対に避けるにちがいありません。
歌を愛している人間が同じ道の先輩に非礼を働くはずはありません。
よろこんで自分の歌をきいてくれるファンを大切にしないわけはありません。
この本すじだけを、しっかり胸にたたみこんでおけば、あとはもう、いちいち細かいことをいう必要はないような気がします。
酒はよくない。タバコは喉によくない。暴飲暴食をしてはならない・・・。こういった、もろもろのタブーは心から歌を愛している人間にとって、たいした意味のないことです。
問題は、その歌手が、単なる”唄う機械”でしかなくなったとき。
歌をよろこびとして、すばらしい特権としてでなく、義務と感じるようになったとき。
そのとき、その歌手の生命は事実上終わってしまったのです。
歌に対する愛情を失った歌手の生活は、必ず歪んだ、退廃したものになります。
声が荒れ、技巧は小手先だけのものとなり、歌のこころは死んでしまいます。


気力にみちた毎日を

イメージ 4自分でいうのもおかしな話ですが、いまのぼくは、すごく張り切っています。
こうして、あまり得意でないペンをとっていてさえ、これからの仕事を考えると、全身に若々しい力がみなぎってくるのを感じます。
しかし、あせってはいけない。一歩一歩、ぼくはぼくなりのペースで着実に前進しなければ!
目にとまるもの、手にふれるもの、毎日の仕事を通して得るすべてのものをエネルギーに変えて、ますます逞しく、大きく成長していきたい・・・。
ひところ、よく考えました。ブルースの唄える歌手になりたいと・・・その気持ちは現在でも少しも変わってはいません。
ブルースこそ、もっともぼくの体質にあった歌なのではないだろうか。そしてブルースを唄えてこそ、はじめて一人前の歌手といえるのではないだろうか。
むずかしいだけに、ブルースへのあこがれはさらに強くなります。
ぼくの最後のねらいは、けっきょくブルースにおちつきそうです。
といっていますぐというわけではありません。どこまでいっても”完成”がないのが歌なのです。きょうよりは明日、明日よりはあさって・・・と地道な努力の積み重ねのなかでいつかブルースにめぐりあえる日を。
いまはそんな気持ちです。
好きで飛び込んだ歌謡界・・。
とはいうものの、思えばたいへんな道を選んだものです。
自分がいまどこを歩いているのか。これから、どこをめざして歩いていけばいいのか。
ときどき、深い霧につつまれたように、方角を見失って、途方にくれてしまいます。
でも、これはただ、ぼくひとりではなく、多くのこの道の先輩のかたがたが経験されたと同じ苦しみなのだ。
こう考えて、ふたたび気力を取り戻すのです。
ひとり歌謡界といわず、ひろく芸能界の先輩のすべてが、それぞれ”自分のもの”を発見するたびに、多くの犠牲を払い、眠られぬ夜を重ねてこられたのです。
挫けてはならない・・。
強く自分にいいきかせます。
先輩が辿ってこられたと同じ道を、いま、ぼくも歩いている。
この道はやがてまた、ぼくの後輩に受けつがれて、新しい個性が続々と輩出してくる。
すばらしいことです。
こうした先輩や後輩の中で、ぼくはぼくなりに、はっきりした自分の個性を発見しなければなりません。
芸能界という巨大な森林の中で、まだヒョロヒョロの一本の若木でしかないぼくですが、いつかは亭々たる大樹に成長したいものです。
現在のぼくにとって、”若さ”はたしかに強力な武器のひとつです。
だが、若さほど消耗の激しいものもない。仕事から仕事へと、前後のみさかいもなく飛びまわっているうちに、いつのまにかこの貴重な財産をすっかり使い果たしていた・・。
こうした後悔のないように、一日一日を大切にしたい。
体力だけにものを、いわせて安易に動き回るのではなく、あくまでも自分でなっとくのいく考え抜いた毎日でありたいと思うのです。


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プロの歌い手としての覚悟とかあるべき理想の姿など、この頃の舟木さんの真っ直ぐな想いを、あらためて文面で拝見していると、この数年後にやってくる挫折の時期は、やはり避けて通ることのできないものだったんだろうと感じる私がいます。
それは、あまりにも、ピュアで、何事に対しても決して手を抜くという発想などなくて全力で向かう若き日の舟木さんの姿に、感動と好感を覚えつつも、そんなに悲壮な気持ちで頑張らなくたって…というオバサンの目で、当時の舟木さんを見てしまうからでしょう。

イメージ 6たしかに上田成幸という人は、ごく普通の少年なら経験することのない、苛酷な環境の中で育ち、それだけにおそらく同い年の少年には、想像もつかないようなひとりの人間としての家族に対する、また社会に対する責任感をまだ年若いうちから身につけられたんだと思います。
でも、なんといっても本当の意味での世間の風、とりわけ「一般の世間」の何倍も何十倍もキツイ風にさらされる芸能界にスカウトという形で十代で足を踏み入れ、その世界を泳ぎきっていくためのある種独特の免疫力のようなものが、まだ身につかないうちにデビューを果たし、驚くべきスピードで人気歌手になってしまったわけですから、しっかり者の上田少年と新人歌手・舟木一夫というふたつのパーソナリティの均衡をとることは、とても困難なことだったんだろうと推測します。

イメージ 7上田成幸という若者は世間の同年代の若者に比べれば、十分に成熟した大人度の高い若者なのだと感じます。でも、舟木一夫という彗星のように現れた新人歌手が特殊な芸能界という場所で上田成幸という一般人としての成熟度で臨んだとしても、それは通用せず、業界の一部の人にとっては、利発ではっきり自分の考えや意思を表す人なのですから誤解されたり「若いのに、新人なのに生意気だ」という評価になったであろうこともまた想像できます。

プロの歌い手なら、こうあるべきだというプライド、矜持は、現在の舟木さんのステージを拝見していてもビンビンと伝わってきます。いつだってファンの期待を裏切らないステージや舞台なのですから。そして、それはこんなに若い頃から少しも変わっていなくて、55年という歌い手としての長い旅の道中を今日までずっと貫いてきたものです。

イメージ 8この記事はまだ舟木さんが20歳になるかならずの頃のものですから、それを思うと、若者らしい夢や希望にあふれてはいるものの、自分に課しているプレッシャーのあまりの大きさ、重さも、それ以上に伝わってきて、なんだか気の毒なような気持になってしまいます。
舟木さんも現在のステージでおっしゃっているように「55年、ひとくちで言えばそれだけですが…でも、本当にいろんなことがあった…」のですよね。
それは、舟木さんが、この文章の中で記している中にもあります。この箇所を読んだ時、私の胸に鋭いナイフがグサッと刺さったような気がしました。以下の部分です。

~問題は、その歌手が、単なる”唄う機械”でしかなくなったとき。
歌をよろこびとして、すばらしい特権としてでなく、義務と感じるようになったとき。そのとき、その歌手の生命は事実上終わってしまったのです。
歌に対する愛情を失った歌手の生活は、必ず歪んだ、退廃したものになります。
声が荒れ、技巧は小手先だけのものとなり、歌のこころは死んでしまいます。~

イメージ 9この文面をなぞるような事態が、この後、舟木さんを襲ってきたのですよね。
まさに、数年後の歌い手・舟木一夫が陥ってしまった真っ暗闇の現実を予知するかのような表現に一瞬、私の心が凍りついたようになりました。
でも、今、私たちの目の前にいる舟木一夫という歌い手は、ここで若き日の舟木さんがご自身を鼓舞するようにきっぱりとした言葉で記していらっしゃる通り「歌のこころを大切にする、亭々たる大樹に成長」なさっていらっしゃいます。
デビュー30周年あたりを機に、舟木さんがステージシンガーとして奇跡的な第一線への復活を遂げることができたのも、ひとつには、この若い頃の想いが心の深いところで根をはって枯れずにいたからではないかと思うのです。

そして、ここに記された若い日の舟木さんの言葉の中で…
「よろこんで自分の歌をきいてくれるファンを大切にしないわけはありません。」というものがありますが、私は、この言葉の中に、舟木一夫という歌い手の誠実さ、一番大切にしている想いが最もよく表れていると思うのです。
自分の歌を支持し、好ましく思ってくれるファンとの約束は、決して反故にはしない…という強い信念のようなものを感じます。
歌を愛する自分を信じ、自分の歌を愛してくれるファンを信じ、歌もファンも裏切らない…それが舟木一夫という歌い手の誠実であり、真心なんだとあらためて感じています。


れんげ草




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