『大衆をこよなく愛した詩人、作詞家 西條八十』
8月16日(水) よる9時~11時54分放送
ご覧になった方も多いかと思いますが、とってもいい番組だったので
私自身のおさらいとしてご紹介させていただきます。
上記のサイトにアップされている以下の番組内容の紹介文に基づいて
リアルタイムで撮った画像や手元にある西條八十関連書籍の資料など添えていきますね。
『大衆をこよなく愛した詩人、作詞家 西條八十』
戦前から戦中・戦後・高度成長期まで約50年に渡り、童謡から流行歌まで幅広く作詞を手がけた巨星・西條八十。「東京行進曲」「東京音頭」「蘇州夜曲」「青い山脈」「越後獅子の歌」「この世の花」「王将」「絶唱」など。早稲田大学仏文科教授を務めつつ、大ヒット曲を生むマルチな才能に一部から批判が集まりますが、西條は「詩に貴賎はない」との信念で、大衆の心を癒やす詞を書き続けました。
東京行進曲
作詞西條八十、作曲中山晋平、唄佐藤千夜子。日本の映画主題歌(映画とタイアップした曲)の第1号。映画公開の1か月前、1929年(昭和4年)5月1日にビクターレコードから発売され、25万枚を売り上げた。B面曲は『紅屋の娘』。モボ・モガが行き交う昭和初期の開放的な銀座の風俗が唄われている。
佐藤千夜子 東京行進曲 昭和4年の東京銀座 浅草
東京音頭 小唄勝太郎/三島一声 (1933年)
●若き詩人の目覚め――東京・牛込に生まれ、歌舞音曲に囲まれた少年時代。父の死で若くして家族の生活を支えながら、詩や童謡との出会いが道を拓く。関東大震災の時、ハーモニカの奏でが被災した人々の心を癒やした。その時音楽が持つ力と素晴らしさに気づく。(「かなりあ」「肩たたき」など)
野口雨情、鈴木三重吉、北原白秋などの影響で芸術性の高い童謡詩にも目をむけるようになった
●詩人の苦悩――早大に職を得て仏文学研究に打ち込みながら、流行歌の大ヒット曲を連発。文学界からの批判に耐えて、己の道を貫く。だが、戦時下には軍歌の作詞を強いられ、教え子たちを戦地に送る辛い時期を過ごす。(「東京行進曲」「誰か故郷を思はざる」「同期の桜」)
誰か故郷を想わざる 作曲:古賀政男 二番の歌詩
ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この山
ああああ 誰か故郷を想わざる
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この山
ああああ 誰か故郷を想わざる
吉川潮氏が「誰か故郷を想わざる」の二番の歌詞で、八十が少年時代から敬愛の想いを抱き、また八十の文学へのめざめに大きな影響を与えた姉・兼子との別れについて解説されましたが、以前に拙ブログでとりあげた記事を思い出しましたので、参考として紹介させていただきます。
八十の女性観を育て、形作ったといえる三人の女性 母・徳子、姉・兼子、妻・晴子
中央の女性が姉・兼子
上記の写真は「父・西條八十の横顔」(西條八束著)より
たったひとりの姉さんが
遠くへ行った淋しさに
あてなく旅に出たこころ
ああ若き日 ああ若き日
涙たたえて旅をゆく
海の匂いのする町で
たそがれ灯る灯をみれば
どこかに姉の居るような
ああ若き日 ああ若き日
波に鷗が飛んでゆく
たそがれ灯る灯をみれば
どこかに姉の居るような
ああ若き日 ああ若き日
波に鷗が飛んでゆく
山にゆれてる白い百合
海辺の紅い桜貝
おもいでばかり目について
ああ若き日 ああ若き日
姉を偲びて旅をゆく
海辺の紅い桜貝
おもいでばかり目について
ああ若き日 ああ若き日
姉を偲びて旅をゆく
●戦後の象徴、弟子たちの活躍――戦犯に疑われた雌伏の時を経て、多くの人々愛唱したが昭和歌謡の代表曲「青い山脈」(作曲:服部良一、歌唱:藤山一郎・奈良光枝、1949年)の誕生へ。大衆音楽への姿勢に共感した若者が集まり、佐伯孝夫、サトウハチロー、門田ゆたかを輩出した。(「青い山脈」「越後獅子の唄」「この世の花」など)
純粋詩の研究者、詩人としての八十と大衆と共にある流行歌の作詞家としての八十
そこにあるキイワードは「遊び心」
芸者ワルツ 神楽坂はん子(1952年)
●最愛の妻との別れ――長く支えられた愛妻・晴子との別れ。大ヒット曲「王将」に込められた妻への想いとは。長年の夢、ランボオ研究を大著にまとめた他、遅れていた日本の著作権発展にも尽力。そして、人々の心を打った麦わら帽子の詩。(「王将」「絶唱」「ぼくの帽子」など)
妻となった晴子さんとの出逢いと結婚生活、そして永遠の別れなど
そして、番組の終盤になって、出ました!舟木さんの「絶唱」
こんなエピソードもイメージ画像で紹介されました
吉川潮氏の「流行歌(はやりうた) 西條八十物語」に記載されているエピソードです。
西条八十は、知識人層から「堕落」の烙印を押されても、歌が持つ力を信じ、大衆を励まし続けました。その後、発展した昭和歌謡の源流である西条作品を、もう一度見つめ直します。懐かしいヒット曲とともに、昭和を支えた詩人の美しい言葉が届く2時間スペシャルです。
「おわりの詩」1959年の作品*写真は「父・西條八十の横顔」より
昭和45(1970)年8月12日 西條八十逝去(享年78歳)
解説者として西條八十研究者として著名な筒井清忠氏も出演されていました。こちらの著書にも、八十と舟木さんとの出逢い、提供された作品等についてかなり詳しく記されています。