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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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近松門左衛門作「冥途の飛脚」発~「梅川・忠兵衛/恋染めて風の花」着(下) .

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~近松門左衛門作「冥途の飛脚」発~「梅川・忠兵衛/恋染めて風の花」着(中)のつづき~
 
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それぞれの「封印切」
 
「忠兵衛が封印切」に至ってしまう経緯の心理をあらわす場面について、原作~文楽~歌舞伎~映画~そして「恋染めて風の花」のそれぞれの、描写を私なりにセイリしてみました。
 
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1 冥途の飛脚:近松門左衛門原作
 
嫌な客を避けて梅川が越後屋に来ているとき、八右衛門が越後屋に来て他の遊女たちに「忠兵衛が梅川にのぼせ上がって商売の為替金まで手につけているので、寄せつけぬようにした方がいい」と言う。
そして、「さらし首のもとになる品みせようか」とさらに遊女たちに忠兵衛が渡した鬢水入れを見せて、隠し事までばらす。これを表で聞いた忠兵衛が立腹して八右衛門に詰め寄り、思わず懐中の為替金300両の封印を切る。忠兵衛は、借りた五十両を八右衛門に投げつけ、その勢いで残り金も梅川の身請けに使ってしまう。

2 傾城恋飛脚:「冥途の飛脚」改作・浄瑠璃脚色(菅専助・若竹笛躬の合作)

 
設定としては八右衛門と忠兵衛は梅川をめぐる恋敵となっている。そして槌屋治衛門は梅川と忠兵衛の味方である。しかし忠兵衛は梅川を身請けのため手付けとして五十両の金を出したものの残りの金を渡す期限がとっくに過ぎてしまった。このままでは金まわりの良い八右衛門が梅川を身請けすることになる。
槌屋治右衛門が忠兵衛に肩入れして自分の身請話を承知しないのだろうと思った八右衛門は散々に忠兵衛への悪口を言い散らした。表に居てそれまでの様子を聞いていた忠兵衛はついに怒りを爆発させ、蔵屋敷へ届けるはずの三百両を出して包みを解き、その中の五十両を八右衛門めがけて投げつけた。

3 恋飛脚大和往来:歌舞伎脚色
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設定はほぼ「傾城恋飛脚」に準じる。槌屋治衛門もおかみのおゑんも梅川・忠兵衛に心を寄せているので八右衛門からの身請けの話には取り合わないようにしている。歌舞伎でも八右衛門の忠兵衛に対する悪口雑言の挑発に怒った忠兵衛が思わず、八右衛門と言い争って懐の小判を出し入れするうちに、勢い余って金の包み紙が自ずと破れ小判が床に散らばってしまう。
 
*雁治郎型と仁左衛門型があって微妙に異なります。若手の俳優さんが演じる時は、いずれかを踏襲なさっているようですが、歌舞伎もナマモノですから俳優さんの感性などによりそれぞれが工夫をなさっているようです。
 
4 浪花の恋の物語:映画(成澤昌茂:脚色/内田吐夢:監督)

商売仲間の丹波屋八右衛門に、新町廓に誘われて梅川とねんごろになった忠兵衛。それ以来廓通いをするようになった。八右衛門からさる「お大尽」が梅川を身請けすることになったと聞かされた忠兵衛は、八右衛門に届けることになっている五十両を梅川身請けの内金として使い込んでしまう。事情を打ち明けられた八右衛門はその場では忠兵衛に貸したことにしてくれたが、廓で遊女たちに「忠兵衛の梅川への執心ぶり」を笑い話のタネにしていた。それを障子の外にいて立ち聞きしていた忠兵衛は悔しさのあまり懐の小判を握り封印が切れてしまった。またその後に、廓の主人夫婦からの屈辱的な言葉を浴びせられて残りの金の封印も切ってしまった。
 
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5 梅川・忠兵衛~恋染めて風の花 (井川公彦:脚本 林与一:演出)2008年8月 新歌舞伎座公演

設定は、梅川をめぐる忠兵衛の恋敵は、田舎やくざ風の「阿波のお大尽」。さらに槌屋の遣手婆も「阿波のお大尽」に加担している。直接的に、忠兵衛を逆上させたのは「亀屋」の身代への屈辱的な値踏みへと忠兵衛の実父や実家を愚弄する言葉であり、商人としてのプライドや甲斐性を冒涜されたことへ対する怒りという印象を強く感じました。舟木さん演じる忠兵衛は、近松がモデルにした忠兵衛が24歳という設定であることを思えば、さらに分別のある、もう少し年長、せいぜい三十歳前後というイメージでの舞台冒頭からの登場でしたから、文楽、歌舞伎映画で印象付けられた忠兵衛の「たよりない半面、短絡的で血気盛んな若者」とは異なった「封印切」に至る心理のプロセスがあっても当然のように感じられましたから、そこは舟木忠兵衛の「男気」の炸裂という点で、私としては違和感のない「封印切」であると納得できました。「恋染めて風の花」という甘やかなタイトルではありますが、その実、なんとも「男性的な忠兵衛像」で、それまで私が感じたことのない新たな忠兵衛をみせていただきました。
 
 
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「浄瑠璃を読もう」(新潮社 橋本治)2012年7月発行 より一部抜粋

忠兵衛が封印を切って遊女の梅川を連れて逃げたのは、宝永七年(1710)の初めに起こった実際の事件である。
近松門左衛門はこれを題材にして翌年に「冥途の飛脚」を創り上げる。~中略~
「浪花の恋の物語」で忠兵衛を追いつめるのは「遊女になった女を不幸にする売春施設の廓」とい
う悪で、強欲な梅川の抱え主は「飛脚問屋の若旦那だと言われても、大和の百姓から養子に来たお前に金などあるはずはない」と忠兵衛を辱めて、忠兵衛に封印を切らせてしまう(「恋染めて・・」では、この「悪」を一手に「阿波のお大尽」なる男が負っているのですが)

 
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ここで書かれているように忠兵衛に「封印」を切らせたものは、直接には「金」にかかわる「屈辱」ではあるのですが、「遊女になった女を不幸にする」システムとしての廓やその経営者への憎悪というものも抜きにしては語れないような気がします。特に私たち現代に生きる女性としては、梅川の不幸な運命と「封印切」には密接なかかわりがあると思いたいですね。実年齢の忠兵衛は、24歳ですが、梅川はまだ20歳前だと思います。
「傾城に誠なしと世の人の申せども、それは皆僻事訳知らずの詞ぞや、誠も嘘も本一つ」(「冥途の飛脚」中之巻より)・・・十代から廓ぐらしをしてきた梅川が、客とは言え、忠兵衛に情を移すことが全くなかったかと言えば、そうではないような気がします。親の借金のかたに生涯廓で暮らすか、意に染まない男に身請けされるかしか選択肢のない現実の中で、拉致されたわけでもないのに「封印切」という大罪を犯した忠兵衛に心中だてをして一緒に逃亡することを選んだということの方が、私としては興味深いところです。

 
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いっときの逆上で将来を棒に振るのはおろか命さえ落としてしまうような罪を犯してしまった忠兵衛と梅川の逢瀬のひとときに何が語られ、どのような心のふれあいがあったのかについては、「冥途の飛脚」にも細かな描写はなく「廓」の遊女と客としてのかかわり以上の決定的なエピソードも読み取ることはできませんが、いずれにしても、夢も幸せも望めない苦界におかれていた梅川にとっては、遅かれ早かれ「二度の務め」をしなくてはならない身であるならば、短くともいかばかりかの情を通わすことのできた忠兵衛の最期に心を添わせ、また自分自身の生涯の華としての記憶として短い時を過ごしたいと思ったとしても、無理からぬことだと今の時代を生きる私にも思えます。
梅川と比較すれば、それなりに自由に生きられたはずの境遇にあった忠兵衛の視点からは、理不尽で不可解な「冥途の飛脚」という作品ですが、梅川が忠兵衛と一緒に逃亡しようとした想いはよく理解できます。
 
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「冥途の飛脚」は冒頭にも書いたように、「心中物」ではありませんが、「恋染めて風の花」の幕切れは「心中」を予感させるラストシーンで締めくくられています。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3文楽では雪の中を去っていく梅川と忠兵衛を見送る孫右衛門の姿で幕となる抒情性豊かな幕切れです。「浪花の恋の物語」の中では「冥途の飛脚」の作者の近松を登場させて、狂言回し的な役どころをさせています。そして、新町に通う客と遊女の間に起こったドキュメンタリーを浄瑠璃の本に書くという生々しいシチュエーションで物語は進んでいくのですが、「封印切」の場面のあと梅川を連れて逃亡した忠兵衛は、すぐに捕縛され獄門送りになり、梅川ひとりが再び新町に戻されてきます。そこで、近松は「可哀そうに男は獄門、女は二度の務め、ほんまはそうなるやもしれん・・が、わての筆はそこまで不人情にはなれん」と新口村の場を設定し、梅川・忠兵衛と孫右衛門を会わせ、親子の情を見事に描くことで後世に残る作品となったのだと思います。
 

イメージ 14このように、逃げたふたりが、忠兵衛の実父の孫右衛門に別れを告げるために大和の新口村に向かい、梅川の計らいで、「目かくし」をしつつも今生の別れの時を持ち得たという「文楽」では最高の見せ場である「新口村」の親子の情、嫁舅の情が描かれた部分こそが、「犯罪物」や「哀れな恋物語」としてよりも、ひろく大衆の心に訴える「世話浄瑠璃」としてイメージされるようになったということはいかにも日本的で興味深いことです。
 

 

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