「我が道」10日目のタイトルと関連資料などご紹介します。
~実はボク全然見ていない((笑い)。だって、デビュー2年目で毎日が目の回るような忙しさ、
寝るヒマさえなかったンですから。まだビデオ録画なんてないし、当時働いていた人でちゃんと見られていない人、
実は結構いたと思いますよ。~中略~そんなボクにとって、
東京オリンピックといわれて一番鮮明に思い出されるのは、競技自体よりも町の風景だね。
上京後住んでいた新宿区四谷のアパート「青葉荘」から近くの3階建てマンションに移っていて。
3階の自分の部屋から千駄ヶ谷駅近くの国立競技場が見えてね。
~(10月10日「我が道」(スポニチより一部抜粋)
近代映画 1964年11月号掲載のグラフ記事
「我が道」で、3階建てマンションとおっしゃってる住まいでのスナップ写真
舟木さん、半袖ですから、おそらく東京オリンピック開催のほんのちょっと前の取材記事と思います。
~四谷若葉町の人たちがスターへの道を支えてくれたことは今でも忘れません。
銭湯「梅の湯」で出会った仲間の縁で野球チームに誘われたことも思い出されます。
デビュー後には自分のチームを持って野球とは関わってきました。
高校時代に水泳部でしたし、スポーツを通じて得た経験はボクの人生観にもつながっています。
~(スポニチより一部抜粋)
コロシート 「東京は恋する」舟木一夫ヒットメロディ 掲載
~ボクにとっては98年の長野五輪がちょっと特別です。
ジャンプ団体で金メダルを決めた船木和善選手の飛躍には日本中が感動したでしょ。
~中略~想像しがたい重圧の中で飛ぶ姿に「フナキーッ!」。
あんな大声で自分の名前を叫んだのは初めてだったかもね((笑い)。
~(スポニチより一部抜粋)
左から岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和善の各選手(98年ジャンプ団体・金メダル)