金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に
(こんじきのちいさきとりのかたちしていちょうちるなりゆうひのおかに)
この時節になると、毎年のようにアップしているかも…(笑)
私の大好きな与謝野晶子の短歌です。
もう一週間ほど前になりますが、銀杏をスーパーで見つけたので銀杏ご飯を作りました。
ほんのり塩味だけの味付けで、秋の味覚を楽しみました。
「我が道」(スポニチ連載)29日目のタイトルと関連資料などご紹介します。
~そんな思いを改めて実感したのは1997年(平9)の新橋演舞場での初座長公演。
「学園広場」を歌うとお客さまの大合唱が起きました。青春時代がよみがえった同世代の一体感は、
ボクがその後歌い続けていくための大きな力を与えてくれました。~中略~
ボクが大事にしたいのは、流行歌は”湯船の鼻歌”でいいという思いです。
お客さまが風呂で湯船に浸かったら、ふわっと口から出てくるような…。
~中略~還暦を過ぎてからしばらくたったこの10年。ボクにとって大切は方々が旅立たれました。
08年には恩師の作曲家・遠藤実先生(享年76)、その翌年には作詞家の丘灯至夫先生(享年92)。
「高校三年生」を生み出してくれた恩人であるお二方のためにも、
一時代をつくった流行歌の数々をボクらの世代は歌い続けていかなければならないのだと感じます。
~10月29日「我が道」(スポニチより一部抜粋)
クリアじゃないですが、この時期のスリーショットは珍しいかも…
「15周年記念 舟木一夫大全集 限りない青春の季節」 冊子掲載
盛大だった歌碑除幕式(文中敬称略)
舟木一夫の歌った「高校三年生」は、21世紀に残る青春歌謡である。平成7年、NHKによって募集された「21世紀に引き継いで欲しい歌」の第4位に、この歌がランキングされている。その記念すべき歌碑が福島県郡山市の駅東口にこのほど建立された。
平成14年4月13日(土)、郡山駅東口には、この除幕式を見ようと、500人を越える大観衆が集まった。除幕式参列者は、作詩家丘灯至夫と作曲者遠藤実、それに「高校三年生」を歌った歌手舟木一夫と歌碑彫刻家の三坂制(せい)である。
舟木の人気は当代随一で、かく言う私もファンの一人である。現在57歳の舟木は、歌のみならず、舞台やテレビにも出演し、多くのファンを魅了している。
舟木は「『リンゴの歌』『青い山脈』『高校三年生』、この3曲で昭和の青春歌謡は決まっているといわれております。あれから40年、この曲と巡り会えてこの上なく幸せであるとともに、3分02秒の短いこの曲で一生が決まりました。大変感謝しています。」と挨拶し、歌碑の脇の特設ステージで「高校三年生」を熱唱した。
作曲者の遠藤実は、「私があの有名な遠藤実です(笑い)。私は高校に行けなかった憧れを、このタイトルを見、この詩を読んだ時に、自分の夢がこの歌を作曲させたと思います。この歌だけは、歌が先行して、報道関係の方から驚いて取材されました。」と述べた。
(写真 除幕式での左から舟木一夫、遠藤実、丘灯至夫とノブヨ夫人)
『高校三年生』は日本の愛唱歌
作詩家丘灯至夫は、「私は生まれたのは小野新町です。しかし生まれてから1年ちょっとで、父親の仕事の関係で郡山市に移ってまいりました。金透小学校を卒業後、生徒が100人足らずの郡山商工学校商業科(現福島県立郡山商業高校)に入学しました。当時は3年制でしたが、まもなく5年制になるから続けなさいといわれましたが、勘弁していただきまして3年で卒業しました。
ここにあるのは楡(にれ)の木ですが、私は楡の木が日本産であることを知りませんでした。どうも作詩家などは講釈師と同じで、見もしないことを見たように書いたりします(笑い)。
私は体が弱いもので、鉛筆1本でやれるものを探したところ、新聞記者と作詩家がありました。新聞記者は30年間定年まで勤めました。作詩家の方は今もって現役で、最近は仏様の歌とか神様の歌とか、また詩吟や新民謡などの仕事をやっています。
舟木さんにいわせれば、私は『高校三年生』と『ハクション大魔王』で食っているといっていますが(笑い)、歌というものはつくった本人は売れるか売れないか分からないものです。
高校三年生のヒットは、歌手と作曲家の力によるものです。本県だけでなく日本全国の愛唱歌となることを期待したいと思います。」とユーモアを交えて謝辞を述べた。
彫刻家三坂制(せい)は、「雲海にたなびくような爽快なイメージをふくらませてデザインしました。この広場がみなさんの憩いの場になるように可愛がっていただきたい。」と挨拶した。
最後に丘の後輩たちの郡山商業高校管弦楽部の演奏に合わせて、会場に詰めかけるファンによって、「高校三年生」の大合唱がなされた。
歌碑は白御影石に、歌詞を刻んだ銘板がついたもので、歌碑建立実行委員会が結成され、多くの善意の寄付が寄せられて完成したものである。歌碑は日展作家の彫刻家三坂制によるもので、歌碑脇には、歌詞にでてくる楡の木が植えられた。
歌碑除幕式祝賀会
徐幕式後、会場を移して、郡山ビューホテルにおいて歌碑除幕式祝賀会が開催された。
参加者はこれも500人を越える人々で、遠く九州や盛岡から駆けつけた熱心な舟木のファンも大勢参加し、祝宴を盛り上げていた。
祝辞の中で遠藤実は、「私は舟木君の名付け親です。ですから御三家の中で舟木君が断然人気があるといわれて、ものすごくうれしかった。『高校三年生』の歌が流れてくると、青春が戻ってきます。私は3曲100円の流しをやっている時、この詩に出合って、ときめきました。その時の魂の波動がオタマジャクシになりました。」と述べた。(祝賀会で花束を受ける左から丘、遠藤、舟木と三坂)
人との出会いが大切―舟木一夫
その後舟木は、「20代・30代の時には分かりませんでしたが、人との出会いが自分を決めるといわれております。それが分かったのは私の47歳の、30周年の時でした。遠藤・丘先生のお二人に出会わなかったら今の僕はなかったと思います。この二人は私のご両親です。生んでいただいて有り難うございます(笑い)。
この歌は珍しい歌です。歌詞を見るとメロディーが出てくる。メロディーが流れてきますと歌詞が浮かんでくる。舟木の写真を見ると『高校三年生』が浮かび、『高校三年生』が流れてくると舟木一夫が浮かんでくる。このような歌はそんなに沢山あるものではありません。
またこの歌には思い出があります。この曲はコロムビアの同時録音の最後の曲でして、普通は5~6回演奏するものですが、この歌だけは、2回目でOKがでた曲でした。
丘先生に最初に出会った時、お体が悪かったので、この方は本当に大丈夫なのかと心配しました。しかし今は、どうやったらこのようにお元気になられるのかと、それが何よりうれしいことです。」と話した。