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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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中日劇場さよならコンサート(2018/3/23) れぽーと

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季節の変わり目は、何かと雑事が多くて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
さくらも20日頃に九華公園に散歩に行ったときには、まだまだ固い蕾だったのが、コンサート開催の日、以降は気温もグングン上がって、あれよあれよという間に開花したようです。この分だと満開になるのは、2、3日後くらいでしょう。

3月20日の桜 桑名・九華公園 固い蕾

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3月24日の桜 桑名・北桑名神社 三分咲きくらい

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では、遅ればせながら、23日中日劇場さよならコンサートのれぽを、いつものように舟木さんのトークを中心にお届けします。昼のステージをメインに、時々、夜のトークもプラスします。
ピンク文字は舟木さんのトーク

まずは、開幕前のプレゼントタイムにプレゼントを受け取りながらのちょっとしたお喋りから
ブルーのデニムシャツ、同色でサイドにちょっと濃いブルーのライン入りパンツ。靴は赤系統。

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昨日の夜、ちょっと時間があったのでピーたけちゃん(ピアノ奏者)と一緒にパチンコに行ってきました。二人ともボロボロに負けました。「あゝ青春の胸の血は」を校歌にしたいとかの森友学園、まだもめてるんですね。今の方(プレゼントを渡し終えた方)プレゼントくださって、私の友だちからのです。って2回握手していきました(笑)今日は、中日劇場さよなら公演、次に新しく立ち上がるのは5年後くらいとか。詳細は私にはわかりませんが。7月は御園座杮落しでおじゃまするんですが、近くを通りかかった時に立派な外装だけですが見てきました。中日劇場はボクにとって大変大切な場所。30周年、47歳の時に仕切り直しということでスタートした時、一番最初に1ヶ月公演をやってくださった。そういう意味でボクにとって思い出深い。感謝してます。いちご!~プレゼントのいちごの箱を見ていきなり(笑)劇場との縁と云うのはホールと違い…ここは花道はありませんが…劇場とボクらのご縁というのは思いがけずつながっていく。でも、長く続くには劇場とボクらの間にお客さまがいてくださらないと…。ただなくなるだけじゃなくて新しいのができるんだから。とらや!とまたプレゼントの中身の報告をして、いちいち言うなよ!とノリツッコミの舟木さん(笑)二部は、色々…、まあ歌詞を間違えながらガンバリますので(笑)

夜の部では…プレゼントを受け取りながら、外は雨がパラパラ…客席が一斉にエ~ッ!…ウソです。でも、雨がパラパラぐらいでそんなに驚くかなぁ?…ジョーダン抜きに、ひと雨ごとに春が近づいて…日本は季節がきちんと四分割されてますから、早いんですね、過ぎていくのが…。この後、和服(着物)の四季の移り変わりの話しをされていたのですが、お隣の方と前のお席の方がお知り合いだったみたいでペチャクチャお喋りなさっていてお話しの中身が聞き取れずザンネン!まぁ、仕方ないか。(プレゼント)渡してから手をつかむか、つかんでから渡すか迷っていらっしゃる方が…(笑)舟木さん、いつも握手と云わずに「手をつかむ」と表現なさるのがオカシイ(笑)確かに「握手」というより「つかむ」というのが、リアルで的確な表現かも…。ボクのクラシックの師匠も名古屋に住んでましたし、いくら町の様子が変わっても、通るだけで思い出す。クラシックの師匠というのは山田昌弘氏で中三の時から舟木さんは萩原町串作の自宅から名古屋市内の山田氏の教室まで毎週土曜日の午後に通っていたということは、大倉明氏の「青春賛歌」にも記されているので、舟木さんのトークで「そうそう」と思い出された方は多かったでしょう。このあたり(中日劇場周辺)は、名古屋の中心で、映画館がたくさんあった。カットわかめ!…また、いきなりプレゼントの中身の報告をする舟木さん食べたら、髪が濃くなる(笑)

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一部  ヒットパレード

パープル系のタキシード仕立てのジャケット、蝶ネクタイ。パンツは黒。

イメージ 7東京は恋する

中日劇場さよならコンサート、ということで最後はオマエがヤレ!…と。こっちの人間なんで御礼しとかないといけない。

たそがれの人

高原のお嬢さん

哀愁の夜

どれも、つぶ揃いというか個性豊かな名曲ですね。50代くらいに入ってからつくづく作品に恵まれてた歌い手だったと実感してます。いろんな分野の歌を歌わせてもらった。デビュー曲がアレでしょ。そのあと、おみこし野郎、いなせじゃないか若旦那、火消若衆…そういうところへ入っていって、B面では、あゝりんどうの花咲けど、夕月の乙女…いろんなジャンルの歌でスタートできた。プロの歌い手は短期間で切り換えができないといけない。ここらを一曲にしぼるとしたら、やっぱりこれでしょう。

イメージ 8絶唱

この1ヶ月で1kgくらいヤセました。逆流性食道炎。胃液が出過ぎる…出過ぎてもダメなんですね。食べた後に胃がもたれる。油っこいものをしばらくやめてたら、人間ってね、油っこいものが食べたくなるんですね。うなぎが食べたくなって、また戻って、ちょっと良くなってしばらくしていいかなと思ったら天ぷらが食べたくなって、そしたらまた(笑)今、ちょっと取り戻してきた。ここに立って客席を見てると……ウラヤマシイ(笑)

銭形平次~スタンディング/サインボール
ジャケットを脱いで、ネクタイも外して、一部のラストまで、そのままのスタイルで歌われました。

高校三年生

学園広場


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二部 ふるさとの…

チャコールグレーのスリーピース。白いシャツ、ノーネクタイ。

イメージ 10~オープニング~
忘れないさ(1961)  作詩:三浦康照 作曲:山路進一

https://youtu.be/t2TxbHj33Rg

…ということで「ふるさとの…」というタイトルで色々…一番古いのが昭和27年、一番新しいものでも昭和55年の曲。昭和の風が吹いてる…というのを。細かいことはキリがないのでおいといて歌の雰囲気でふるさとを感じていただいて…歌が伝えてくれると思います。お客さま、おひとりおひとり、それぞれの風景を楽しんでいただければ。では、スタートしましょう。

小島通いの郵便船(1955) 作詩:上尾美代志 作曲:平川英夫
https://youtu.be/IqkzEZ8c9Nw

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逢いたいなァあの人に(1956) 
作詩:石本美由起 作曲:上原げんと
https://youtu.be/m74-e5wz8fo




イメージ 12ふるさとの燈台(1952) 作詩:清水みのる 作曲:長津義司
https://youtu.be/gCnQIyQEjaE

このへんの歌は小島がテーマ。ふるさとのひとつの風景ですね。モンペとか今はあまり使わないもの、言葉が出てくる。
歌い手になって55年、愛知県一宮から8時間か9時間…親父がお金がなくて特急の切符が買えないので準急に乗って東京に出ていったのが17才の5月です。ここがボクの一区切りだった。そういう意味で二部は「ふるさとの…」ということで。

ふるさとと云えば、三橋美智也さんですね。あの独特の声、そして顔。ラジオで聞いてたからあの声から想像してたのと違う顔。ボクの世代はラジオを聴いて育ちましたから。テレビ時代になると、ボクは聴くほうじゃなく出るほうに…。


イメージ 13リンゴ村から(1956)作詩:矢野亮 作曲:林伊佐緒
https://youtu.be/2Ztbkfpwslo


月の峠路(1958)作詩:東条寿三郎 作曲:吉田矢健治
https://youtu.be/1vhTt77eaII


夕焼けとんび(1958)作詩:矢野亮 作曲:吉田矢健治
https://youtu.be/zQ4lw5Zs1Vw


おさげと花と地蔵さんと(1957)作詩:東条寿三郎 作曲:細川潤一
https://youtu.be/ZK3HygZLcYM

イメージ 14何が素晴らしいたって、こういう絵は二度と見られませんからね。昔は、お地蔵さんが、道端にたくさんあってね。花が手向けてあったり、たまに、おにぎりがそなえてあったり。おさげ髪の女の子がこんな短い丈の絣を着
                 →映画「絶唱」の冒頭の幼い頃の小雪が、まさにこんなカンジ
そこにたたずんでる風景がホントにあったんですから…。ボクらはそういう風景を実際に見て知ってるんだから幸せ。役者とか歌い手は、こんな風景を見てるのと見てないのとでは、大違いですから…。今、歌った中の「月の峠路」は、玄人好み、ボクも三橋さんの歌では好きな歌の三本の指に入る。このへんの歌は中ヌキではなく全篇歌うのが大切ですからフルコーラスで歌っています。
実は北海道のふるさとの歌って少ないんです。ここはちょっと色がわりで…。沖縄の歌がひと頃多く出てた時があった。そこらへんを。

イメージ 15島育ち(1962)作詩:有川邦彦  作曲:三界稔
https://youtu.be/ef_ZMhjE6Oc


島のブルース(1963)作詩吉川静夫 作曲:渡久地政信
https://youtu.be/35Cyh7G1_oE


このへんがきっかけになってひとつのラインができる。「島唄」とか「涙そうそう」につながっていったのかも。独特の古風なメロディー。あまりうねらず、上澄みでスーッとして魅力的。
「島育ち」は、田端さん、ウッス!。「島のブルース」は三沢あけみちゃん。昭和38年デビューの同い年です。あの人、デビューした時は、私のひとつ下だって云ってたんですが…(笑)。





今年も、3ヶ月過ぎて…♪残り少ない日数を胸に♪…(笑)

小学校四年生の時に、おばあちゃんが、一日、200回肩たたきしたら、ハーモニカを買ってくれるって云うんで、イチ、ニ、サン、シってやってたら。おばあちゃんが、数え方が違う…イーチ、ニー、サーン、シー…~おばあちゃんとのやり取りを懐かしげに身振りと表情で再現する舟木さん。人」も含めての「ふるさと」なんだと…。
最近、ザンネンなのは、交通の便が良くなりすぎてふるさとが遠くなくなった…今は、日帰り出来るふるさとになってしまって…

ふるさとの歌「というと、キタ」…来た、来ないじゃなくて「北」(笑)北と云っても北陸というのは、あまりなくて東北。こういうタイプの近い歌を4つばかり。

イメージ 16北国の春(1977)作詩:いではく 作曲:遠藤実
https://youtu.be/uGvECzTIlCw



帰ろかな(1965)作詩:永六輔 作曲:中村八大
https://youtu.be/hhl2FpfYH_w




イメージ 17与作(1978)作詩・作曲:七澤公典
https://youtu.be/vx2FN49yIsk


帰ってこいよ(1980) 作詩:平山忠夫 作曲:一代のぼる
https://youtu.be/1na-cwD6QNM




「与作」なんていうのは、現実の歌ではなく日本昔話、歌詩の中身は「鶴の恩返し」みたい。歌っていうのは歌うヤツが変わると風景が全く変わる。こうやってお聴きになると昭和の歌っていいでしょう?
時代によって歌のほうも変わってくる。どうも平成になってからの歌はフラットですね。

イメージ 18もう、55周年終わりましたので、これからひとこと多いフナキカズオです(笑)正直言って、今、こういうヤツがいないでしょ。バカヤロー(笑)~いつものカワイイ言い方で~
楽屋にお花をいただく(お仕事仲間の方から)んですが、いただいたらお礼の電話をかける。ボクは携帯電話を持ってないのでマネージャーのを借りて…。大抵は、連絡先が本人じゃなく事務所とかマネージャーにつながる。でも、本人(舟木さん自身)が御礼の電話してるのに相手の方にはつないでくれない…。これじゃ、人間関係がつくれない…。勿論、そうじゃない人もいますよ。
昔と比べて、お仲間同士のつながりが作りづらい時代になったことを淋しがる舟木さんでした。
年々、一言、二言多くなっていくんで、どうぞオタノシミに!(笑)…オマエは「人生幸朗」ボヤキ漫才)…ノリツッコミして…とボヤいたところでラスト・ブロック。

古典的な世界と言っていいでしょう。「船頭唄」「舟唄」…といっても八代君の歌ってる「舟唄」とは違いますが、そんなところをいくつか聴いていただきましょうか。


イメージ 19おんな船頭唄(1955)
作詩:藤間哲郎 作曲:山口俊郎
https://youtu.be/xEMSXBZ-IIA

島の船唄(1955) 
作詩:矢野亮 作曲:渡久地政信
https://youtu.be/ZFDv4rXZhtE

船方
さんよ(1957) 
作詩:門井八郎 作曲:春川一夫
https://youtu.be/732M-SLY_dk

親子舟唄(1955)
作詩:藤田まさと 作曲:大久保徳二郎
https://youtu.be/eIYSajo6ibw




イメージ 20~アンコール

ふるさとのはなしをしよう(1965) 
作詩:伊野上のぼる 作曲:キダ・タロー
https://youtu.be/ffeg2j7x4kM



南国土佐を後にして(ペギー・葉山盤1958)
作詩・作曲:武政英策
https://youtu.be/sMrd02ncmOY








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舟木さんご自身による構成のコンサート「ふるさとの…」は、トークでも説明なさったように昭和27年から55年までに発表されたヒット曲、20曲(アンコール含め)のラインナップでした。

持ち歌ではない曲、20曲全て譜面台を置かず、スリーコーラス全篇を歌いこなす。しかも舟木カラー、舟木テイストでコーディネートしてオリジナル曲さながらの趣に生まれ変わらせてステージに載せるのですから「天晴れ!」としか言い様がありません。

後援会主催の「ふれこん」で二年半前に聴かせていただいた時の「れぽーと」があるので参考にしてください。こちらに歌詩もアップしていますので、昭和の流行歌の「詩の世界」の魅力を感じていただけたらと思います。

ふれんどコンサート NO.74 メルパルク大阪 (2015/9/13)レポート
https://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70693339.html


イメージ 22昭和の流行歌の好さというのは、私も昭和生まれ、昭和育ちなので十分にわかっているつもりなのですが、舟木さんらしい切り口でのセレクト、構成のステージであらためて聴かせていただくとひときわ感動させられます。聴かせ方が本当に親切で巧い!

ご自分の届けたい歌、その届けたい歌への想いも併せて、丁寧に大切に手渡しするように聴かせてくださるステージ作りに感服します。舟木さんの昭和の流行歌への愛があふれ、ほとばしっているのを感じながら聴かせていただきました。

成幸少年が、どれほど熱心にラジオに耳を傾けて、そこから流れてくる歌の数々に心惹かれていらしたのか…と。そういう姿を想像すると、濃尾平野のど真ん中で育った少年が17才で上京して歌い手になり、73才になった今も、こうして素晴らしいステージ・シンガーとして私たちの前で歌い続けてくださっていることに感謝です。舟木さんがいつもおっしゃる「幸せな歌い手」、それと同じくらい私も「舟木ファンの幸せ」を痛感しています。

そして、今はもう見ることができなくなった風景、感じることができなくなった匂い、聴けなくなった音…そんなものが昭和の流行歌の中には息づいているのだと実感しました。ことに、今回テーマになっている「ふるさと」を歌った歌というのは、多くは山村の風景とかくらしの描写がいっぱい詰まった作品です。今となっては、その作品そのものが、貴重な昭和の記録とも云えるのでしょう。

イメージ 23古い土蔵の中に保管されているお宝も、人の目に触れることがなければただの骨董品。その価値は血の通った人間の心の琴線に触れることでしか見いだせないのだと思いますが、舟木さんが「歌わないともったいないから」とおっしゃって「昭和の流行歌」をステージに載せてくださるから、また新たな命を吹き込まれて聴く人の心を動かすことができるワケですよね。舟木さんの歌唱力、表現力もさることながら何より舟木さんの歌への愛情が前提としてあっての素晴らしいステージ。中日劇場に続いて新歌舞伎座でも、このテーマで2日間のステージが開催されますがチケットはもう立見席しかないそう。チケット確保できた方は、大いに楽しんできてくださ~い!


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