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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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ちょっと箸やすめ~お菓子と舟木さんと西條八十・・そして私

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舟木さんが、子どもの頃の思い出のお菓子について、インタビューに答えていらっしゃる記事を読んでいて私自身の子ども頃の「お菓子」の記憶と、西條八十氏が、書かれた「お菓子」を題材にした詩のことを想い出しましたので、ちょっとアップしてみます。
 
イメージ 1~舟木さんのゼリービーンズ談~
 
~僕は田舎の貧乏な子供だったから、和菓子屋や洋菓子屋のお菓子は、法事だとか特別の場合におやじから「買ってこい」と言われた時ぐらいしか、自分の口に入ったためしがない。クッキーやまんじゅうやらは、普段の小遣いでは絶対に買わないし、買えなかった。 だから、おやつと言えば駄菓子でした。
ニッキ玉にポンせんべい、みそおでん。紙箱入りのガムもあった。ゼリービーンズは中でも、華やかな、見上げちゃうみたいなお菓子だった。
 
ありとあらゆる色があって、それぞれ味や香りが違っていて。カキ氷と同じで、白っぽいのが砂糖。赤いのがイチゴ。好きだったのはレモン味の黄色でした。歯ごたえが好きで、風通しのいい土間で冷しましたね。 すぐなくなるのが物足りなくて、少しお金をためて、まとめて買いましたね。それでも、つい一気に食べたりする。かと思うと、大事に半分ずつかじったりして。ばかばかしくも、ほほ笑ましくもあるかな。
 
 
イメージ 2ゼリービーンズは、ぶらぶらしてるおやじや、延べ9人いたおふくろと、一緒に食べる事はありませんでした。でももう亡くなった13歳年下の弟とは一緒に食べましたね。弟のおふくろは身体が弱かったので弟の面倒は、僕が一手に引き受けていたんです。3、4歳のころ駄菓子屋に連れて行った。「どれがいいんだよ」と聞くと、弟がゼリービーンズを指差して「あれが食べたい」って。店のおばちゃんが透明の瓶から手づかみで出して、新聞紙の袋に入れてくれるんだ。
 
でも、やっぱりゼリービーンズは懐かしい食べ物。思い出すと、誰もが経験するように、友達と遊んでいる風景がぱっと頭に浮かぶんです。10個も20個もいっぺんに食っていたこともね。僕にとっては自分の小遣いで買える、最高級のぜいたく品でした~
(毎日新聞 東京都内版 2007年7月10日夕刊 掲載文より抜粋)

 
 
イメージ 12
 
さて、舟木さんが「お菓子」を歌っている曲もありましたね。1967年12月に公開された映画「君に幸福を
・センチメンタル・ボーイ」の挿入歌です。シングル盤としてではなく4曲入り17cmLPレコードに収録されて
います。
 
お菓子の好きな少女 作詩:河端茂 作曲:山屋清
http://www.youtube.com/watch?v=dFv_bLVpoRs
kazuyanさんの動画でお聴きください↑
 
イメージ 3あの娘に贈ろう このケーキ
夢で逢うとき ほほえむ娘
お菓子を いつも手に
虹の橋を渡る
ぼくの 大事な こいびと
夜明けと一緒に 消える人
ヤイヤイ ヤイヤイ
あの娘と いつの日語るだろう
ホッホッ ホッホッ
マロンの香りが ただよう娘
ひとりのはかない 夢だけど
明日を生き抜く 希望なのさ
ぼくの 大事な こいびと
あの娘に贈ろう このケーキ
 
 

 
イメージ 4あの娘にあげたい このケーキ
虹を呼ぶよに ほほえむ娘
夜ごとに 夢で逢う
可愛いあの娘だけと
歳も 名前も しらない
お菓子が好きだと わかるだけ
ヤイヤイ ヤイヤイ
あの娘に いつの日逢えるだろ
ホッホッ ホッホッ
チェリーによく似た 可愛い娘
ひとりのはかない 夢だけど
明日を生き抜く 希望なのさ
歳も 名前も しらない
あの娘にあげたい このケーキ
 

 
 
 
 
 
イメージ 11西條八十は、私にとっては、ずっと長い間「かなりあ」という純粋詩の作者でしかなかったというだけでなく、中学時代にあれほど感動し、大好きだった「絶唱」の作詩者が八十であることのインパクトも希薄で、当時は作詩者がどなかたなどということなどあまり関心もなく、ひたすら舟木さんの歌の世界に入っていたのでしょう。けれど、むしろ、それほど偉大な詩人の作品だからという先入観もなしで感動していたのですから、思春期の子どもの感性や感受性というのはある意味すごいものだと我ながら、当時の自分自身を褒めてやりたい気持ちです(笑)
そして、大人になって、つい先ごろ、舟木さんと「再会」してから「東京行進曲」や「旅の夜風」や「王将」など、子どもの頃から聴きなれていた流行歌の作詩者が西條八十と知ることになったのも、本当に舟木さんを通じてですが、それよりももっと感激したのが、この「お菓子と娘」という曲の作詩者も八十だったということを知った時でした。ネットで八十作の歌を検索しているとひっかかってきたのが「お菓子と娘」です。
 
1928(昭和三年)年の作品というのですから、八十が「東京行進曲」を発表したのと同時期の曲なのですね。
私自身が、この曲を聴いたのは昭和三十年代半ばに放映されていたテレビの漫画「ポパイ」を単独提供していた不二家製菓のコマーシャルソングだったと記憶しています。多分、その詩の内容からすると「フランスキャラメル」の宣伝の歌だったのかな?と想像します。あるいは、歌詩の中にも出てくる「エクレール=エクレア」だったのかも・・・。当時は、子ども心にも、とってもおしゃれで食べたこともない洋菓子や、名前だけしか聴いたことのないフランスやパリと言う異国のイメージを夢の国のように思い浮かべていたのだろうと思います。
(ポパイ 1959.6.7~1965.8 日曜 夜7時半から8時放映)

イメージ 5不二家のHPで調べてみたら、フランスキャラメルの発売は1934年になっていました。戦中、戦後を経て
テレビという媒体が広まって、この曲が出来てから三十年以上も経ってからコマーシャルソングに採用されたということなのですが、テレビでその曲が流れたときにも少しも古い感じがしなくて、お洒落で洗練された印象だったことにも驚かされます。
 
 
 
この詩の中で、「ラ・マルチーヌの銅像の」というフレーズがありますが、この「ラ・マルチーヌ」という人は
19世紀のロマン派詩人とのこと。この部分に、純粋詩人としての八十らしさが出ているのですね。ブロー二ュの森に近い街角の「ラ・マルチーヌ広場」に、ツバメが肩で宙返りするくらいに高く掲げられた銅像だそうですから、「肩で燕の宙返り」なのですね。納得!(笑)
 
   
イメージ 6お菓子と娘 作詩:西條八十 作曲:橋本國彦
鮫島有美子さん歌唱
 
お菓子の好きな 巴里娘
ふたりそろえば いそいそと
角の菓子屋へ ボンジュール
 
選る間もおそし エクレール
腰もかけずに むしゃむしゃと
食べて口ふく 巴里娘
 
残るなかばは 手に持って
行くは並木か 公園か
空は五月の みずあさぎ
 
人が見ようと 笑おうと
小唄まじりで かじり行く
ラマルチーヌの 銅像の
肩で燕の 宙がえり
 

イメージ 7私の幼い頃の記憶の中のお菓子は・・・ビスコとミルキー。
写真の大きな缶入りのビスコは、いただきものだったのでしょうか?中身が空になってからも、しばらくは、お菓子の保存容器として使っていたと思いますが、この写真はお正月の晴れ着を着て羽子板など写ってますからお年賀にお客様から頂戴したものだったかと思います。今は「小麦胚芽入り」という商品もありますので、私はそちらがお気に入りです。
 
イメージ 8昨今では、ビスコは、単なるおやつというのとはまた違った用途・・「災害時の保存食」としても注目されてきてるようですね。ミルキーも、糖分やカロリー補給という意味でも、緊急時のために買いおきしておいてもいいかもですが、歯にくっつきやすいので歯の詰め物がとれる心配あり!今は、歯にくっつかない「サクサク」タイプのミルキーもあるみたいです。ちなみに「生ミルキー」という商品もあったので買って食べてみましたがやっぱりあの「歯にくっつく」ミルキーの味が一番です(笑)
 
 
 
 
 
イメージ 10
イメージ 9
モールの持ち手付きの大きな箱入りのミルキーは誕生日など、特別の時に買ってもらったお菓子でした。中が空っぽになると小さなふつうの箱入りのミルキーを移して、大切に使ってました。

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