しばらく間が空いてしまいましたが、「舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる」のラストは、その4として「一本刀土俵入」について、私のできる範囲で、ご紹介させていただきます。
「瞼の母」「沓掛時次郎」「雪の渡り鳥」は、舟木さんのカッコイイ渡世人姿がイメージできるのですが、舟
木さんの演じる、取的(とりてき)の茂兵衛のイメージがどうしてもつかなくて、だから余計に「一本刀土俵入」の舞台がどういうものだったかずっと気になっていました。
木さんの演じる、取的(とりてき)の茂兵衛のイメージがどうしてもつかなくて、だから余計に「一本刀土俵入」の舞台がどういうものだったかずっと気になっていました。
*関取(せきとり)とは大相撲の番付で、幕内、十両の力士を指す。これに対し幕下以下の力士は取的という。
舟木さんの大好きな先輩・三橋美智也さんの歌唱
一本刀土俵入り 作詩:高橋掬太郎 作曲:細川潤一
http://www.youtube.com/watch?v=ux6ERphsIZ4
http://www.youtube.com/watch?v=ux6ERphsIZ4
角力(すもう)名のりを やくざに代えて
今じゃ抱き寝の 一本刀
利根の川風 まともに吹けば
人の情けを 人の情けを 思い出す
今じゃ抱き寝の 一本刀
利根の川風 まともに吹けば
人の情けを 人の情けを 思い出す
忘れられよか 十年前を
胸にきざんだ あのあねさんを
ほれたはれたと 言うてはすまぬ
義理が負い目の 義理が負い目の 旅合羽
胸にきざんだ あのあねさんを
ほれたはれたと 言うてはすまぬ
義理が負い目の 義理が負い目の 旅合羽
見せてあげたい 男の夢も
いつか崩れた 一本刀
悪い奴なら 抑えて投げて
行くが俺(おいら)の 行くが俺らの 土俵入り
いつか崩れた 一本刀
悪い奴なら 抑えて投げて
行くが俺(おいら)の 行くが俺らの 土俵入り
その1「瞼の母」からその2「沓掛時次郎」、その3「雪の渡り鳥」という流れで「長谷川伸の世界」をたどってきましたが、実は、私としては、このその4の「一本刀土俵入」が作品としては一番好きなんです。
でも、この大好きな主人公の駒形茂兵衛を舟木さんが演じる姿・・・前半の取的の頃の茂兵衛をあの佇まいの舟木さんが、どう演じられるのかが、どうしてもピンとこず、想像しかねてました。
また、先の3作品は、再演もされていてパンフレットなども比較的多く出ているのでイメージを想像すること
ができてはいましたが、「一本刀土俵入」は2005年7月(赤詰めの年)に中日劇場で上演されたのみで、以来再演もされていなくて、ネット上での情報も全くといっていいほどありませんでしたが、中日劇場公演を御覧になっていてパンフレットもお持ちの舟友さんのおかげで、「長谷川伸の世界をたどる~その4」として乏しい資料ながらもなんとかわたしなりにまとめてみることができました。資料をご提供いただきました舟友さんに深く感謝です。ありがとうございました。
ができてはいましたが、「一本刀土俵入」は2005年7月(赤詰めの年)に中日劇場で上演されたのみで、以来再演もされていなくて、ネット上での情報も全くといっていいほどありませんでしたが、中日劇場公演を御覧になっていてパンフレットもお持ちの舟友さんのおかげで、「長谷川伸の世界をたどる~その4」として乏しい資料ながらもなんとかわたしなりにまとめてみることができました。資料をご提供いただきました舟友さんに深く感謝です。ありがとうございました。
舟木一夫 納涼特別公演 一本刀土俵入 中日劇場 2005年7月2日~25日
(パンフレットより抜粋)
飽くなき挑戦 宮永雄平:潤色・演出
確固たる世界観で、沢山の著作を生みだしてきた長谷川伸氏。その数多ある作品群から、この度は「瞼の母」や「沓掛時次郎」などと並び、不朽の名作と言われている「一本刀土俵入」を中日劇場の舞台に掛けることになりました。
名優と言われた六代目菊五郎で初演された角力取りの卵と酌婦の情緒と情感あふれる、最早古典とも呼ばれる芝居、初役茂兵衛に挑むのは勿論「舟木一夫丈」です。元々、姿形の美しさに加え、芸の品格と華、そして役者センスに長けていた舟木丈。近ごろ、その品も華もセンスも、一段と研ぎ澄まされ、心情表現などの豊かな奥深さには驚かされるばかりです。その強力な役者、舟木丈(私にとっては歌手ではなく、あくまでも役者なのです)は、座長として各劇場に定着してから、次々と過去の名作を新鮮な目線で演じ、自らの境地を開拓しています。その流れの中、また一つ新たな挑戦をするのが本公演です。角力取りと舟木丈の持つ質感から言いますと・・・一見ミスマッチのような役柄ですが、その微妙な違和感をどのような芝居捌で払拭して見せてくれるのか・・・また、世阿弥はこう言っています。「華の大事な要素は、観客に珍しさと面白さを感じさせること」だと。舟木丈という華は、どんな茂兵衛を、その才能と工夫をもってして描いてくれるのか・・私は今興味津々。稽古での楽しみが尽きないという次第です。過去の上演スタイルをなぞることなく、自らの世界を常に模索しつつ構築しようと、飽くなき役柄への挑戦を続ける舟木丈。このどん欲な、飽くなき挑戦が、もしかしたら、舟木丈の熱き心を司るエネルギーの源であり、永遠の若さの秘訣かもしれません。~後略~
名優と言われた六代目菊五郎で初演された角力取りの卵と酌婦の情緒と情感あふれる、最早古典とも呼ばれる芝居、初役茂兵衛に挑むのは勿論「舟木一夫丈」です。元々、姿形の美しさに加え、芸の品格と華、そして役者センスに長けていた舟木丈。近ごろ、その品も華もセンスも、一段と研ぎ澄まされ、心情表現などの豊かな奥深さには驚かされるばかりです。その強力な役者、舟木丈(私にとっては歌手ではなく、あくまでも役者なのです)は、座長として各劇場に定着してから、次々と過去の名作を新鮮な目線で演じ、自らの境地を開拓しています。その流れの中、また一つ新たな挑戦をするのが本公演です。角力取りと舟木丈の持つ質感から言いますと・・・一見ミスマッチのような役柄ですが、その微妙な違和感をどのような芝居捌で払拭して見せてくれるのか・・・また、世阿弥はこう言っています。「華の大事な要素は、観客に珍しさと面白さを感じさせること」だと。舟木丈という華は、どんな茂兵衛を、その才能と工夫をもってして描いてくれるのか・・私は今興味津々。稽古での楽しみが尽きないという次第です。過去の上演スタイルをなぞることなく、自らの世界を常に模索しつつ構築しようと、飽くなき役柄への挑戦を続ける舟木丈。このどん欲な、飽くなき挑戦が、もしかしたら、舟木丈の熱き心を司るエネルギーの源であり、永遠の若さの秘訣かもしれません。~後略~
ごあいさつ
猛暑です・・と申し上げるまでもなく、名古屋を中心とする東海道中部の七月とくればもう何をか言わんや・
・で、あーあ・つ・い。そんな汗の流れを少しでも軽くしていただこうと、今月は”納涼公演”とサブタイトルの付いた「一本刀土俵入」を御覧いただきます。舟木一夫と云うと、デビュー当時の病み上がりのワリバシが歌っている様な頼りないイメージが、お客様のどこかにいまだにあるんだってお話を時々伺いますが、どっこいワタクシも赤いツメエリなどを着ちゃう年頃と相成ってオリまして、結構近頃は、身体のあっちこっちに不必要な中トロがチラホラなのでして、どーもすいません。ま、そンな条件もあったりしての「一本刀土俵入」となった次第です。お客様の寛大な御声援を拠り所に、みんなで威勢良く一ヶ月を駆け抜けたいと思います。改めて猛暑の中の御来場、本当に有難うございました。ごゆっくりとお過ごしを。
あ、忘れちゃいけない。「赤ツメコンサート」と題した歌のステージもちゃんとくっついていますので。どー
ぞよろしく。 舟木一夫拝
・で、あーあ・つ・い。そんな汗の流れを少しでも軽くしていただこうと、今月は”納涼公演”とサブタイトルの付いた「一本刀土俵入」を御覧いただきます。舟木一夫と云うと、デビュー当時の病み上がりのワリバシが歌っている様な頼りないイメージが、お客様のどこかにいまだにあるんだってお話を時々伺いますが、どっこいワタクシも赤いツメエリなどを着ちゃう年頃と相成ってオリまして、結構近頃は、身体のあっちこっちに不必要な中トロがチラホラなのでして、どーもすいません。ま、そンな条件もあったりしての「一本刀土俵入」となった次第です。お客様の寛大な御声援を拠り所に、みんなで威勢良く一ヶ月を駆け抜けたいと思います。改めて猛暑の中の御来場、本当に有難うございました。ごゆっくりとお過ごしを。
あ、忘れちゃいけない。「赤ツメコンサート」と題した歌のステージもちゃんとくっついていますので。どー
ぞよろしく。 舟木一夫拝
配役
駒形茂兵衛:舟木一夫
お蔦:長谷川稀世
辰三郎:林啓二
老船頭:小島秀哉
船大工:笹野高史
お蔦:長谷川稀世
辰三郎:林啓二
老船頭:小島秀哉
船大工:笹野高史
あらすじ (春日局まとめ)
序幕
第一場 取手の宿(秋の午後)
水戸街道の利根川近くの宿場町、川を越えれば、そこは下総の国になる。茶屋旗籠、我孫子屋の店先に料理人らが集まって道の向こうの騒ぎを眺めていた。やくざ者の船戸の弥八が土地の若夫婦に因縁をつけて追い回していたのだ。そこへ足取りも覚束なく現れたのが駒形茂兵衛。弥八は茂兵衛に絡みだした。
その弥八の頭に水が降ってきた。我孫子屋の二階の窓にもたれかかって騒ぎを見ていた酌婦のお蔦が浴びせたのだった。弥八を上手くさばいたお蔦は、茂兵衛に「具合でもわるいのかい」と声をかけた。
その弥八の頭に水が降ってきた。我孫子屋の二階の窓にもたれかかって騒ぎを見ていた酌婦のお蔦が浴びせたのだった。弥八を上手くさばいたお蔦は、茂兵衛に「具合でもわるいのかい」と声をかけた。
茂兵衛は相撲の親方から見込みがないと巡業先で破門され、もう一度弟子入りを願い出ようと江戸に向かっている途中だった。しかし、破門された時に親方からもらった路銀を使い果たし、腹が減ってふらふらになっていたのだ。お蔦に問われるまま、生まれは、上州駒形村、しこ名は駒形茂兵衛というと身の上話をする茂兵衛。
父親は、二十年も前から行方が知れず、母も亡くした茂兵衛だったが、立派な横綱になって生まれ故郷の母親の墓の前で土俵入りを見せたいという大きな夢があった。茂兵衛の、母を想う純情一途な心根に心を打たれたお蔦は、自分も故郷の越中八尾に住む母を想い、小原節を三味線で弾き語る。そして巾着ごと、さらに櫛、簪も二階の窓からしごきに結んで茂兵衛に与え、「立派な横綱になっておくれ」と励ますのだった。
父親は、二十年も前から行方が知れず、母も亡くした茂兵衛だったが、立派な横綱になって生まれ故郷の母親の墓の前で土俵入りを見せたいという大きな夢があった。茂兵衛の、母を想う純情一途な心根に心を打たれたお蔦は、自分も故郷の越中八尾に住む母を想い、小原節を三味線で弾き語る。そして巾着ごと、さらに櫛、簪も二階の窓からしごきに結んで茂兵衛に与え、「立派な横綱になっておくれ」と励ますのだった。
第二場 利根の渡し
お蔦からもらい受けた施しで、飯屋に入り、腹いっぱいになって元気を取り戻した茂兵衛が、利根川を渡ろうと渡し場から出ようとしている船に乗ろうと駆けてくるが、船頭は、すぐに戻るから次の船に乗れと、船を出してしまう。そこへ、また弥八が追いかけてくるが腹一っぱいになった茂兵衛には、かなわない。刀で斬りかかろうとするのを赤ん坊をおぶった子守子が「人殺しィ~ッ!」と叫んでくれたので、それにひるんだ弥八のすきを見て叩きのめす。弥八たちが、逃げ去ったあと、子守子から、おぶっている赤ん坊がお蔦の子だと聞かされる。「なぁ、その子、父(てて)なし子・・」と言いかけてやめる茂兵衛。
(この赤ん坊の存在を伏線にして、舞台は十年後の布施の川べりへとつながっていく。)
大詰
第一場 布施の川べり(十年後・春の昼)
いつしか、十年の歳月が過ぎていった。ここは、下総の国の布施。利根川のほとりで、老船頭の佐助とその息子が仕事に精を出していた。船の中では船大工の清吉が作業を進めている。そこへ、三度笠を目深にかぶった旅人姿の茂兵衛が通りかかった。茂兵衛は佐助たちにお蔦の消息を尋ねるが、はかばかしい答えは返ってこない。
あきらめて立ち去ろうとしたところへ、このあたりを仕切る博徒、波一里儀十親分の若い者たちが飛び出してきた。いきなり旅人の三度笠を引っ剥がし「いけねぇ、人違いだ」イカサマ賭博をした男を追いかけていたのだった。
あきらめて立ち去ろうとしたところへ、このあたりを仕切る博徒、波一里儀十親分の若い者たちが飛び出してきた。いきなり旅人の三度笠を引っ剥がし「いけねぇ、人違いだ」イカサマ賭博をした男を追いかけていたのだった。
第二場 お蔦の家
お蔦は酌婦を辞めて所帯を持ち、娘のお君をもうけていた。ところが、夫の辰三郎は長年行方不明。飴売りをしながら細々と暮らしていたが、イカサマ賭博の男こそ、実は、この辰三郎、お蔦の生き別れになっている夫だった。辰三郎を追って儀十たちがお蔦の家に踏み込んでくる。辰三郎がいないと見てとると、張り番を残して引き上げた。お蔦は、辰三郎が生きていると知って喜ぶ。
まもなく、辰三郎が、お蔦のもとへ姿を現した。再会を喜び合うのも束の間、一家でお蔦の故郷へ逃げ出そうと算段しているところへ、やっとお蔦の居所を探しあてた茂兵衛が訪ねてきた。
まもなく、辰三郎が、お蔦のもとへ姿を現した。再会を喜び合うのも束の間、一家でお蔦の故郷へ逃げ出そうと算段しているところへ、やっとお蔦の居所を探しあてた茂兵衛が訪ねてきた。
第三場 軒の山桜
そして、昔、恩を受けた茂兵衛と名のるがお蔦は思いだせない。その時、儀十一家の者たちが家を取り囲んだ。
茂兵衛は「恩返しの真似がしたい」と金包みを渡し、ここは自分に任せろと言う。閂を手に、儀十らに立ち向かい頭突きをくらわし、相撲技と嶺打ちだけで頼もしく闘う茂兵衛の様子に、お蔦はやっと昔のことを思い出した。
茂兵衛は「恩返しの真似がしたい」と金包みを渡し、ここは自分に任せろと言う。閂を手に、儀十らに立ち向かい頭突きをくらわし、相撲技と嶺打ちだけで頼もしく闘う茂兵衛の様子に、お蔦はやっと昔のことを思い出した。
お蔦一家を逃がした茂兵衛は、儀十一味をぶちのめしたあと、去ってゆくお蔦たちを見送りながら、「これが十年前に櫛、かんざし、巾着ぐるみ意見をもらった姐さんにせめて見てもらう駒形の、しがねぇ姿の横綱の土俵入りでござんす」とひとり口にするのだった。
長谷川伸の代表作「瞼の母」「沓掛時次郎」「雪の渡り鳥」そして「一本刀土俵入」とそれぞれにヒーローの持ち味は異なります。作品の主要テーマも違っていて、「瞼の母」は、生き別れた母への思慕と現実との過酷な落差に打ちひしがれる男の哀しみを描き、「沓掛時次郎」では、義理と秘めた愛の狭間で揺れる純な男心の切なさが描かれています。「雪の渡り鳥」は、惚れた女が弟分の女房になり嫉妬にかられつつも最後には女の幸せを願って身を引く男の凄絶な葛藤が描かれています。「一本刀土俵入」の茂兵衛は、切羽詰まった状況の中で自分とはなんの縁もゆかりもない女性から受けた恩義を後生大事に忘れず、十年の後に苦境に堕ちているその女性を助けることで恩返ししようとする男です。
これらの四作品の中で、「一本刀土俵入」は最もシンプルな設定といえるでしょう。義理というより「恩」がテーマになっているという意味では、股旅(渡世人=やくざ)という世界に限らず、私たち一般の社会でもありうる「恩返し」の世界を描いています。
見所は、取的時代の、茂兵衛のもったりとして純朴なセリフ回しと、おぼつかない足取りなどの「鈍」な所作に対する、後半の場面の、三度笠を手にし、やくざ姿で颯爽と登場する茂兵衛とのギャップです。後半のカッコ良さは、既に、先の三作品からも、充分に想像がつきます。しかも、舟木さんのやくざ言葉のセリフ回しの粋さ、凄みなどは、「一本刀土俵入」の茂兵衛が、先の三作品のヒーローよりも印象的で素晴らしく本当に「胸のすくような」見事さを味わえます。
私が、番場の忠太郎、沓掛時次郎、鯉名の銀平よりも、茂兵衛の啖呵や佇まいにより凄みを感じたのは、やはり前半の取的の茂兵衛を舟木さんが実に丁寧に演じ「お母っさんの御墓の前で土俵入りを見せてやるのが夢」という純粋で切ないほどにひたむきな若者の心情を観る者の心に深く印象付けたからだと思います。
あの茂兵衛が、関取(横綱)になる夢破れて、やくざとなるまでの十年間に、茂兵衛の身に何があったのか・・・長谷川伸の原作でもその経緯は全く語られてはいませんが、その十年間の重さを舟木さんは、見事に埋め尽くし、十年後の渡世人・茂兵衛となって登場します。舞台役者の力量とはこういう時間の経過を、言葉でなく佇まいで表現しきれるかどうかというところにかかっていることを思えば、舟木さんの舞台役者としての力量が、最も発揮されているのは「一本刀土俵入」のような気がします。
私は「一本刀土俵入」は他の役者さんで何度か舞台を拝見しましたが、横綱にはなれなかった茂兵衛ですが、渋さと凄みを纏い、しかも知性さえ漂わせて第二場で再登場する舟木さんの博徒姿は、実にクールで魅力的でした。歌舞伎ならば、まさに「大当たりぃ~ッ!」と大向こうがかかってもいい素晴らしい出来栄えだと感じました。
先に記した、「あらすじ」の第三場までが、長谷川伸の原作に基づくものです。
舟木さんの「一本刀土俵入」では、さらに、以下の第四場が続きます。
この場面は、長谷川伸の原作「一本刀土俵入」にはない場面となっています。
そして、この第四場こそが、出色なのですね。舟木さんならではの駒形茂兵衛だと感じ入ります。
潤色・演出をされた宮永雄平氏の手腕でしょうか、はたまた舟木さんご自身の提案による潤色でしょうか?
舟木さんの「一本刀土俵入」では、さらに、以下の第四場が続きます。
この場面は、長谷川伸の原作「一本刀土俵入」にはない場面となっています。
そして、この第四場こそが、出色なのですね。舟木さんならではの駒形茂兵衛だと感じ入ります。
潤色・演出をされた宮永雄平氏の手腕でしょうか、はたまた舟木さんご自身の提案による潤色でしょうか?
お蔦一家を見送った翌朝、茂兵衛がひとり、荒れ果てた我孫子屋の前にやってきます。
以下は第四場のダイジェストですが、近所の子供たちが我孫子屋の前で相撲をして遊んでいるところに茂兵衛がやってきて子供たちにせがまれて相撲をとります。最後には子供たちに負けてやる茂兵衛。子供たちに投げかける舟木さんの優しく温かなまなざしにほのぼのします。
そして圧巻のラストの名場面が「相撲甚句~花づくし」を唄う舟木・茂兵衛です。
この第四場は、もう誰が何と言おうと舟木一夫の駒形茂兵衛でしか舞台化することのできない「一本刀土俵入」でしょう。宮永氏とのコンビネーションで空前絶後の駒形茂兵衛を造形されたのだと感服しました。
この第四場は、もう誰が何と言おうと舟木一夫の駒形茂兵衛でしか舞台化することのできない「一本刀土俵入」でしょう。宮永氏とのコンビネーションで空前絶後の駒形茂兵衛を造形されたのだと感服しました。
第四場 朽ちた取手の宿
荒れ果て、朽ちた我孫子屋の前にひとりやってきた茂兵衛。近所の子供たちが相撲を取り合って遊んでいる。その様子を、微笑みながら見ている茂兵衛に子供たちが一緒に相撲を取ろうとせがむ。子供たちの相手をする茂兵衛。やがて、子供たちが帰っていくと、朽ち果てた我孫子屋の二階に上がり、昔を懐かしむような風情で窓に腰をかけて茂兵衛が、唄い出す。どこからか聞こえる「ハァー ドスコイ ドスコイ」の合いの手の声。「花を 集めて 甚句にとけば ヨー(ハァー ドスコイ ドスコイ)ハァー 正月寿(ことほ)ぐ福寿草・・・」
やがて我孫子屋から出てくる茂兵衛。花道で草鞋の紐を結び直し、立ち上がり、数歩花道を歩いて、振り返ると我孫子屋に深く一礼して、再び、歩きだし花道を去っていく。
相撲甚句 花づくし
(ハァー ドスコイ ドスコイ)
♪ハァーエー(ハァー ドスコイ ドスコイ)
花を 集めて 甚句にとけば ヨー
(ハァー ドスコイ ドスコイ)
ハァー
正月寿(ことほ)ぐ 福寿草
二月に咲くのが 梅の花
三月桜や 四月藤
五月あやめに かきつばた
六月牡丹に 舞う蝶や
七月野山に 咲く萩の
八月お盆で ハスの花
桔梗かるかや おみなえし
冬は水仙 玉椿
あまた名花の ある中で
自慢で抱えた 太鼓腹
繻子(しゅす)の締め込み バレン付き
雲州たばねの やぐら鬢(びん)
きよめの塩や 化粧水
四股踏みならす 土俵上
四つに組んだる 雄々しさは
これぞ誠の ヨーホホホイ
ハァー 国の華 ヨー
(ハァードスコイ ドスコイ)
♪ハァーエー(ハァー ドスコイ ドスコイ)
花を 集めて 甚句にとけば ヨー
(ハァー ドスコイ ドスコイ)
ハァー
正月寿(ことほ)ぐ 福寿草
二月に咲くのが 梅の花
三月桜や 四月藤
五月あやめに かきつばた
六月牡丹に 舞う蝶や
七月野山に 咲く萩の
八月お盆で ハスの花
桔梗かるかや おみなえし
冬は水仙 玉椿
あまた名花の ある中で
自慢で抱えた 太鼓腹
繻子(しゅす)の締め込み バレン付き
雲州たばねの やぐら鬢(びん)
きよめの塩や 化粧水
四股踏みならす 土俵上
四つに組んだる 雄々しさは
これぞ誠の ヨーホホホイ
ハァー 国の華 ヨー
(ハァードスコイ ドスコイ)
この「一本刀土俵入」の中でお蔦が故郷(くに)を偲んで歌う「越中小原節」は、長谷川伸の原作でも登場していて、この物語により抒情性を与え、茂兵衛とお蔦が互いに懐かしい母と故郷を想って心通わすキイワードともなっています。かたや相撲甚句(花づくし)は、原作にはありませんが、他の茂兵衛役者にはない「華」をいかに舟木・茂兵衛が匂い立たせているかを示すかのように挿入されていて心憎い演出となっています。
******以下は「一本刀土俵入」参考資料です*******
歌舞伎と「一本刀土俵入」
昭和六年(1931年)六代目菊五郎の駒形茂兵衛で初演。
六代目菊五郎 昭和9(1934)年11月(お蔦:六代目尾上梅幸)→
取手と周辺散策(名作「一本刀土俵入り」との縁起伝)
「一本刀土俵入り」といえば、1931年に歌舞伎として初演されて以来、新劇、新国劇をはじめ、浪曲など様々なジャンルにわたって上演され続けてきた名作で、水戸街道、利根川沿いの宿場町を舞台にした話ですが、取手はその舞台となったところです。
光明寺(取手市桑原)境内
長谷川伸と十七代中村勘三郎
一本刀土俵入りの作者長谷川伸先生は利根川と、その周辺の宿場に住む人々を愛し、純真素朴な農村の人々との情に親しみ、取手の宿から旅足を進め、閑静なこの地方に立ち寄られたとの伝えです。時は大正5年(1916年)の春、当時は筆名を山野芋作と称し31歳でした。そして大正9年6月筆名を長谷川伸と改め、昭和6年5月戯曲「一本刀土俵入り」の名作を中央公論に発表(時47歳)義理と人情を盛り込んだ名作は、すぐに東京劇場で6代目尾上菊五郎が上演、つづいて新国劇の島田正吾、中村歌右衛門、尾上松緑、中村勘三郎などの名優により上演されました。
長谷川伸
昭和38年6月11日永眠行年79歳
昭和60年12月人間国宝中村勘三郎丈公演す
17代目中村勘三郎丈昭和63年4月16日歿78歳
17代目中村勘三郎丈昭和63年4月16日歿78歳
(下記サイトより)
*長谷川伸は十七代勘三郎長男の勘九郎(十八代勘三郎)の本名の名付け親でもあるそうです。
小村雪岱描く「一本刀土俵入」舞台装置原画 ↓
序幕第一場:取手の宿我孫子屋の前(所蔵・写真提供:埼玉県立近代美術館)
映画と「一本刀土俵入」
一本刀土俵入り 1954年6月29日公開 →
監督:佐々木康/脚本:犬塚稔・鈴木兵吾
監督:佐々木康/脚本:犬塚稔・鈴木兵吾
駒形茂兵衛:片岡千恵蔵
お蔦:高峰三枝子
お蔦:高峰三枝子
映画 一本刀土俵入り 1957年10月13日公開
監督:マキノ雅弘/脚色:井手雅人
監督:マキノ雅弘/脚色:井手雅人
駒形茂兵衛:加東大介
お蔦:越路吹雪
お蔦:越路吹雪
←映画 一本刀土俵入り 1960年11月9日公開
監督:安田公義/脚色:犬塚稔
駒形茂兵衛:長谷川一夫
お蔦:月丘夢路
監督:安田公義/脚色:犬塚稔
駒形茂兵衛:長谷川一夫
お蔦:月丘夢路