異常気象と多くの災害に見舞われた8月でしたが、そのあまり明るくなかった8月も終わり、待ちに待った9月がやってきます。そして、月が変わって2日目の9月2日が新橋演舞場公演の初日です。
お芝居とコンサートという贅沢な二部構成の特別公演で、また進化しつづける舟木さんを拝見することができるに違いないと期待感がいっぱいです。
今回のお芝居のテーマとなる「天一坊秘聞~八百万石に挑む男」で、舟木さん演じる山内伊賀之亮とは、どのような人物なんだろう?という単純な好奇心から、「徳川太平記 吉宗と天一坊」(柴田錬三郎著)を読み、その抜き書きをメインにして連載してきましたが、今回で完結となります。
先ずは、長いばかりで、あまり上手くまとめることができませんでしたが、ガマン強く、読んで下さった方々に感謝です。ありがとうございました。
ここでご紹介したものは、あくまで、柴田錬三郎作の時代小説「徳川太平記 吉宗と天一坊」の、主に下巻から、ほんの一部を抜き書きしたものであり、しかも、神矢主膳という兵法者の修業を成した浪人が、数奇な運命のいたずらで、天一坊事件に関わることになり、山内伊賀亮として、その天命を全うするという、まことに勝手な視点と切り口に偏ったものであることを、あらためて、最後にご了承いただきますこと、また、ご寛容いただけますことをお願して結びたいと思います。
・大岡忠相 の項、以降のまとめ
伊賀之助が天一坊とともに瑞龍寺に赴いた日から間もないある日のこと、瑞龍寺を訪ねた忠相は鉄仙から天一坊は吉宗の人相骨格を受け継ぐ落し胤であるのは確かであろうこと、しかしながら貴尊の相をけがす陰惨な翳をただよわせていると直観したということを聞かされた。
一方、伊賀亮は、淀屋辰五郎に頼んで一戸を借り受けてもらい天一坊と天一坊を弟の敵と憎む春菜と同じ屋根の下に住まわせていた。
伊賀亮は、天一坊を敵と狙っている者のそばで片時も油断できぬ毎日を送るのは大いに修業になろうという考えがあるからだと二人に伝えていた。
しかし、そのこととは別に伊賀亮は天一坊を天下の晴れ舞台へ登場させる準備をしなければならなかった。そんなある日のことかねてから山伏寺の大僧都を手にかけ逃走していた天一坊の所在をつきとめた山伏たちが天一坊を連れ去った。
伊賀亮は天一坊を救いだす方策を思案していたが、自分が雇った山内道場の伊賀之介が神矢主膳(伊賀亮)に破れ、えぞ産物の利権争いで「えぞ屋嘉吉」に負けた鴻池善右衛門は再び、伊賀亮の命を狙わんと、雲切仁左衛門に依頼し、その手下・小猿に襲わせるが失敗する。
伊賀亮は京都・智積院に食客としてかかえられている雲切仁左衛門に一騎討ちを挑み激しい死闘となる。互いに痛手を負うが闘いは伊賀亮が勝ち、仁左衛門は伊賀亮の家来となる。伊賀亮は仁左衛門に山伏寺から天一坊を救い出すよう命じる。
その頃、山伏寺では、もはやこれまでという絶体絶命の天一坊を救ったのが羽黒坊天山であった。
天一坊は、天山に諭されて、美濃御嶽に程近い琵琶嶺で懺悔修業に励むが、そこで当地の「松平館」事件に巻き込まれる。
*松平館とは
~徳川家と先祖を同じくすると主張して家康の時代に入っても徳川家に仕えず豪族として美濃山中の館に拠って動かぬのが「松平館」であった。そして、その存在を目障りとする公儀江戸城評定所は表向きは「山犬狩り」と称して「松平館」に火を放つのだった。
~徳川家と先祖を同じくすると主張して家康の時代に入っても徳川家に仕えず豪族として美濃山中の館に拠って動かぬのが「松平館」であった。そして、その存在を目障りとする公儀江戸城評定所は表向きは「山犬狩り」と称して「松平館」に火を放つのだった。
物語は、このあと吉宗が、忠相の後ろ楯を得て幕府内の政治改革を精力的におしすすめる様が細かに描かれています。忠相は、大奥が七代家継時代においてその紊乱が極まったことから、吉宗に市井を取り締まるにはまず大奥を取り締まるのが急務であると進言します。
吉宗の忠相への信頼の情は絶大であることが各場面で描かれており「天一坊事件」の顛末の全ての采配が忠相の手中にあったことが暗示されています。
以下は、この文庫版の清原康正氏による解説より抜粋
~浪人の神矢主膳が伊賀之介を倒し、その姓名を継ぐと同時に、天一坊の後見役も引き受け伊賀亮と改名する。美濃の「松平館」での公儀隠密隊と浪人衆との闘いのどさくさに紛れて一万両を得た雲切仁左衛門(通常は雲霧と表記されます)は天一坊の存在を知って、伊賀亮を軍師として十万石格式の大名の行列を仕立てる。強情一徹の驕気満々だった天一坊は、懺悔修業によって、おのが所行にきびしい若者になっていた。野望の道を進んでいることに重い負担をおぼえ、「極悪の性を持って生まれた自分は、将軍家に対面を願い出て大名にしてもらうほどの器量はない。孤独で生きていきたい」と悩む。
しかし、軍師となった伊賀亮は「お主の進むべき道は、好むと好まざるとにかかわらず、決定した。もはや、他に行く道はない。」と言い放つ~
清原氏の解説文では伊賀亮が落胤として吉宗に対面することを躊躇(ためら)い始めた天一坊にもう後戻りすることはできないと強く言い放つ段階までが記されていますが物語の終盤で、伊賀亮の心も大きく揺れます。
伊賀亮「大岡越前守は、われわれが、急におそれをなして、逃亡することを、考慮して既に手配りを致して居る」
天一坊「わしらの行く手には、死しか待って居らぬのだな?伊賀亮、そうと判りながら、なぜ落ち着いているのだ?」
伊賀亮「天下に、将軍家ご落胤の名のりをあげたからには、ご落胤にふさわしい態度を、生命の灯が消える瞬間まで保ってもらいたいものだ。…よいな!お主は偽者ではないのだ。まことの、将軍家のお子なのだ。その誇りがあるべきだ。大岡忠相の肚がどうであろうとこちらの態度は、ついに、最後まで、変わってはならぬ。それが男子というものではないか」
天一坊「……」
伊賀亮「わし自身、もとの気楽な一介の兵法者に還りたい気持ちが心の一隅にはある。しかし、それが許されぬとなれば、堂々と、時の権威者と対決して散ってやる、という気概を持すのだ。みじんもたじろがぬ気概を持してこそ、敗れたあかつき、悔いをのこさずに、あの世へ去ることができるのではあるまいか」
天一坊「……」
伊賀亮「どうせ死ぬと決まったからには、どんな死に様をしてもよい、というものではあるまい。犬や猫ではないのだ。人間であり、智能をそなえた男子であるからには、それらしい死に方を選びたいものだ。……お主はまだ二十歳に満たぬ若者だ。死ぬのは辛かろう。わしとしても、生き延びさせてやりたい。しかし、事態がここに極まった上からは、将軍家ご落胤としての誇りの下に、浮世に別れを告げてもらいたいのだ。……わかってもらいたい」
天一坊「わかり申した。武士が死ぬ作法を、お主に教えてもらおう」
伊賀亮は、一度はこう決めて天一坊に覚悟を促したのですが、その後、忠相と接見し、そこで伊賀亮と忠相の激しい言葉の応酬があった後、最後に忠相が天一坊に向かってこう言ったことで、伊賀亮に迷いが生じます。
忠相「むかし、紀州に多藻という女性がいた。懐妊いたしたが、その父の名はかたく口をつぐんで打ち明けず、腹が目立つようになって何処かへ、姿を隠した。今頃は、この関東の草深い村でつつましく暮らして居るのであろうか、と思う。生まれた子が男子ならば、其許ぐらいになって居ろう。母御の気性からすれば晴耕雨読の日々を送り、孝養一途の好もしい若者に成長いたして居るのではあるまいか、と思う。なろうことならば、旗本の列に加え、千石の知行も与えてやりたく存ずるが、さがし出すてだてもない。……自ら進んで大仰に名のり出る者と、素性を秘して土に親しむのを分としてつつましくかくれ住む者と……それぞれ、生き方というものがある。いずれが好ましいか、それは視る者の判断によるが、鳥を捕らえんとして崖より落ちるよりは、静かに座して鳥が飛んできて啼くのをきく方が、人生の幸せと申すものであろう」
この言葉を聞いた伊賀亮は、天一坊の願い通り天一坊を自由の身にして逃してやることを考えます。
伊賀亮「逃れるだけ、逃れてみる。やれるか、天一坊?」
しかし、忠相の本意は……
伊賀亮の思惑、忠相の思惑、それぞれがそれぞれの立場で火花を散らさんばかりに智恵の限りを尽くす様が終盤で描かれています。
私が、舟木さん演じる山内伊賀之亮の人物像のイメージを求めて読み進んだ「徳川太平記 吉宗と天一坊」、そこに描かれている山内伊賀亮に共感を覚えるせりふの中から、抜き書きをしてきましたが、大詰にきての伊賀亮の言葉にも深く心打たれましたので、さらに抜き書きさせていただきます。
・落胤最期
「宰領殿、天一坊様は、奉行屋敷で斬り死つかまつったぞ」
「なにっ!?」
伊賀亮は愕然となった。信じられなかった。
「宰領殿!なぜ、天一坊様をわざと、奉行屋敷へ残された?」
(越前守め、計ったな!)
そこまで大岡忠相の肚のうちを読み通せなかったおのれの不明をはじるべきなのか。
「宰領殿!よもや、貴公、われわれを裏切ったのではござるまいな?」
伊賀亮は天一坊のむごたらしい最期を想像すると、はらわたがねじきられるような憤怒に駈られた。
「なにっ!?」
伊賀亮は愕然となった。信じられなかった。
「宰領殿!なぜ、天一坊様をわざと、奉行屋敷へ残された?」
(越前守め、計ったな!)
そこまで大岡忠相の肚のうちを読み通せなかったおのれの不明をはじるべきなのか。
「宰領殿!よもや、貴公、われわれを裏切ったのではござるまいな?」
伊賀亮は天一坊のむごたらしい最期を想像すると、はらわたがねじきられるような憤怒に駈られた。
「天一坊を遁がしてやろうとしたのは、天一坊がすでに将軍家ご落胤として、仰仰しくあがめ奉られる身分になるのを、きらって居たからだ。罪というものを知り、懺悔によっておのが身を洗おうとしている殊勝な若者に、せめて、二年か三年でも、静かなくらしを送らせてやりたい、と思ったのだ。…お主らに無断で計ったのは、謝らねばならんが、大岡越前守の処断方針を看たわしの咄嗟の思案であった。まちがっていたとは思わぬ。ただ、越前守の肚の底まで読み通せなかったのは、わしの不覚であった。とはいえ、越前守の酷薄が判った今、天一坊の宿運はすでに決まって居たことだ。…お主ら、この期に及んで見苦しい振る舞いはせぬがよかろう」
~そして、忠相によって命を絶たれた天一坊~
大岡忠相は、天一坊の遺体を安置した仏間に一人、黙然として正座していた。
おのれの冷酷をとがめる声が脳裏にひびいていた。
忠相は天一坊が意外な素直さで自裁を決意した時の様子を思い浮かべながら胸の奥に痛みをおぼえずにはいられなかった。
天一坊の最期を知らされた吉宗が、奉行屋敷へ忍んでやってくる。
「上様が?!」
「はい、もう門前へ、到着あそばされます」
「はい、もう門前へ、到着あそばされます」
以下最終項の「将軍孤独」です。
・将軍孤独 抜き書き(春日局まとめ)
山内伊賀亮は、江戸城吹き上げの原始のままにのこされている森の中にひそんでいた。
曾て、将軍の職に就くべく出府する紀州吉宗を襲撃した時はおのれの腕を試してみたい冒険心に駆られたことだった。そのような冒険心はすでに失われている。
~中略~
そして、やっと吉宗との最後の対峙の時がやって来た。
~中略~
そして、やっと吉宗との最後の対峙の時がやって来た。
伊賀亮「将軍家のおん生命頂戴つかまつる」
吉宗「その方の顔には見覚えがある」
伊賀亮「去る年、奈良街道上にて、御首級を頂戴いたそうとして、不覚をとった者でござる」
吉宗「そうか。思い出したぞ。百合の花の香をかいだために、心気が虚しゅうなった男であったな」
伊賀亮「ご記憶下されて、忝なく存じます」
吉宗「花の香に惑わぬように修業をしなおしたか」
吉宗「その方の顔には見覚えがある」
伊賀亮「去る年、奈良街道上にて、御首級を頂戴いたそうとして、不覚をとった者でござる」
吉宗「そうか。思い出したぞ。百合の花の香をかいだために、心気が虚しゅうなった男であったな」
伊賀亮「ご記憶下されて、忝なく存じます」
吉宗「花の香に惑わぬように修業をしなおしたか」
伊賀亮はこたえる代わりに、小姓の手から奪ってきた吉宗の佩刀を投げた。佩刀は卓子の上へのった。
伊賀亮「尋常の勝負をお願いつかまつります」
吉宗「わしの生命を奪るのを執念として参ったか?」
伊賀亮「ちがいまする。十日程前までは御実子のお目通りを希望して、苦心いたして居りました。」
吉宗「実子?天一坊のことか?」
伊賀亮「御意」
吉宗「天一坊の下にいたと申すか?」
伊賀亮「はばかりながら宰領をつとめて居りました。但し、これは自らがのぞんだことではなく因果めいたる巡り合わせでございました。」
吉宗「山内伊賀亮と申すのはその方であったか」
吉宗「わしの生命を奪るのを執念として参ったか?」
伊賀亮「ちがいまする。十日程前までは御実子のお目通りを希望して、苦心いたして居りました。」
吉宗「実子?天一坊のことか?」
伊賀亮「御意」
吉宗「天一坊の下にいたと申すか?」
伊賀亮「はばかりながら宰領をつとめて居りました。但し、これは自らがのぞんだことではなく因果めいたる巡り合わせでございました。」
吉宗「山内伊賀亮と申すのはその方であったか」
まさしく、因果の小車というべきであった。
この兵法者にその名を与えた山内伊賀之介は、吉宗が新之助時代の宿敵であった。その名を継いだこの兵法者は、何者かに依頼されて襲撃してきた。その罪を許してやると、いつの間にか、多藻の生んだ子の宰領となって、父子対面を願う行列を仕立てて、出府してきたのだ。
そして…。天一坊が非業の最期を遂げるや、単身で、この江戸城へ押し入ってきて、勝負を挑んできている。
この兵法者にその名を与えた山内伊賀之介は、吉宗が新之助時代の宿敵であった。その名を継いだこの兵法者は、何者かに依頼されて襲撃してきた。その罪を許してやると、いつの間にか、多藻の生んだ子の宰領となって、父子対面を願う行列を仕立てて、出府してきたのだ。
そして…。天一坊が非業の最期を遂げるや、単身で、この江戸城へ押し入ってきて、勝負を挑んできている。
~中略~
伊賀亮は、吉宗と「勝負せず」して「成敗」され、最期は切腹という結末に・・・(このあたりの詳細はオフレコ)
伊賀亮の最後の言葉は……
「…名君には、天の佑(たす)けが、あることを、知り申した」
その夜…更けて。大岡忠相は、吉宗の居室に伺候した。
忠相「山内伊賀亮をお撃ち取りあそばした由にて、お怪我もなく、およろこび申し上げる」
吉宗「人間には寿命というものは、定まっているようだな、忠相」
忠相「そうかも知れませぬ」
吉宗「わしかお前か、どちらが早く、この世を去るか知らぬが…一人になれば、これは、さびしかろう」
忠相「御意……」
吉宗「お互いに長生きしようではないか」
忠相「忝ないお言葉に存じます」
忠相「そうかも知れませぬ」
吉宗「わしかお前か、どちらが早く、この世を去るか知らぬが…一人になれば、これは、さびしかろう」
忠相「御意……」
吉宗「お互いに長生きしようではないか」
忠相「忝ないお言葉に存じます」
一刻の座談があった。忠相は、床の間の置き時計を見て
「おいとまつかまつります」と告げて頭を下げると、腰を上げた。
「おいとまつかまつります」と告げて頭を下げると、腰を上げた。
吉宗はなぜか、今夜は、もっと引き留めて話を交わしたい気持ちであった。
しかし忠相は、引き留めても、腰を据える人物ではなかった。
大きく上半身をかたむけながら歩く、特徴のある跫音が遠ざかるのを聞きながら、吉宗は、深い孤独感をあじわっていた。
しかし忠相は、引き留めても、腰を据える人物ではなかった。
大きく上半身をかたむけながら歩く、特徴のある跫音が遠ざかるのを聞きながら、吉宗は、深い孤独感をあじわっていた。
(完)