『陽射し・旅人』の「その6」では1969年から70年あたりに発売された曲を手がかりに「あの頃の」舟木さんにズーム・インしました。「その7」では、少し重なってしまいますが、同じく1969年8月にリリースされた『夕映えのふたり』とB面の『高原のひと』から、翌70年の年末までの舟木さんの旅路をたどってみることにします。
夕映えのふたり 作詩:丘灯至夫 作曲:現英生
こぼれて落ちる 野の花ひとつ
夕陽が赤く 染めてゆく
泣いてはいけない こらえておくれ
死ぬほど好きな 君だもの
夕陽が赤く 染めてゆく
泣いてはいけない こらえておくれ
死ぬほど好きな 君だもの
忘れはしない 生きてる限り
やさしい君の まなざしを
別れたときから はじまる愛の
傷あとだけが つらいけど
やさしい君の まなざしを
別れたときから はじまる愛の
傷あとだけが つらいけど
荒野に春が またくるように
信じておくれ しあわせを
終わりじゃないんだ これから君も
ひとりで強く 生きてくれ
終わりじゃないんだ これから君も
ひとりで強く 生きてくれ
~資料年表は大倉明著『青春賛歌』参考~
1969年
6月アルバム「ひとりぼっち 舟木一夫懐かしの歌・第三集)
7月『ああ桜田門』(B面『恋のお江戸の歌げんか』)
7月4日明治座公演「新納鶴千代」「与次郎の青春」開催(31日まで)
8月『夕映えのふたり』(B面『高原のひと』)
11月1日東京サンケイホール「舟木一夫とあなた」開催(3日まで)
12月『北国にひとり』(B面『いつか来るさよなら』)
12月12日東京プリンスホテル25歳誕生日パーティー開催
12月17日松竹映画『いつか来るさよなら』公開
12月31日第20回NHK紅白歌合戦出場『夕映えのふたり』歌唱
6月アルバム「ひとりぼっち 舟木一夫懐かしの歌・第三集)
7月『ああ桜田門』(B面『恋のお江戸の歌げんか』)
7月4日明治座公演「新納鶴千代」「与次郎の青春」開催(31日まで)
8月『夕映えのふたり』(B面『高原のひと』)
11月1日東京サンケイホール「舟木一夫とあなた」開催(3日まで)
12月『北国にひとり』(B面『いつか来るさよなら』)
12月12日東京プリンスホテル25歳誕生日パーティー開催
12月17日松竹映画『いつか来るさよなら』公開
12月31日第20回NHK紅白歌合戦出場『夕映えのふたり』歌唱
勿論私は、リアルタイムでは全くこのあたりの曲は聴いたこともなかったのですが、今、大全集『陽射し・旅人』の曲を聴く中で、この『夕映えのふたり』はとても気に入っています。(youtubuでも聴けます)
詩は丘灯至夫氏によるもので、「こぼれて落ちる 野の花ひとつ 夕陽が赤く染めてゆく」このフレーズは丘氏ならではの古風で抒情性にあふれた私好みの詩です。与謝野晶子の「金色の 小さき鳥の 形して 銀杏降るなり 夕日の丘に」の短歌を思わせます。柔らかく落ち着いた雰囲気の曲調もいいです。
このEP盤が発売されたのは、明治座公演(7月)の直後です。この年の演目は昼の部が『与次郎の青春』、夜の部が『新納鶴千代』です。舞台俳優としての若き日の舟木さんを高く評価し、大きな期待を寄せていらしたという作家の川口松太郎氏が、この年のパンフレットの巻頭に次のような激励文を寄稿していらっしゃいますので、その一部をご紹介します。歌にもお芝居にも才能を見せた舟木さん、この頃は大ヒット曲から遠ざかって、舞台俳優としての将来へと周囲の錚々たる方たちからの期待が高まってきていたのですね。この69年から70年代に入った頃は「歌」と「芝居」にかける比重のバランスに変化が表れてきているように感じます。とは言え、ご本人としてはやはり「歌い手」というベースの上に「芝居」をプラスオンされていたのだとは思いますが・・・
舞台の寿命 川口松太郎 ~後半部分のみ抜粋~
舟木君が三四郎と鶴千代の二作をやるプランは期待が持てる。歌謡歌手の舞台出演は長つづきのしないものであるが、舟木君は三回目であり、その前の大阪の新歌舞伎座へ出たこともあって息の長い人といえる。
人気歌手の寿命の短さは定評があり、若いうちの仕事で年長けては困難になる。やがて舟木君にもそういう危機が訪れるのに決まっているが、舞台役者は六十になっても老いはしない。
人気歌手の寿命の短さは定評があり、若いうちの仕事で年長けては困難になる。やがて舟木君にもそういう危機が訪れるのに決まっているが、舞台役者は六十になっても老いはしない。
新派の水谷八重子は六十になったが、いまだに若き女性に扮して、その美しい舞台姿は昔のままである。
願わくば舟木君が舞台を棄てる事なく、いよいよ精進を重ねて、人気者の寿命長かれと祈りたい。舟木君の客席を見ると若い女性が八割を占めている。舞台出演が重なるにつれて堅実なる観客層をも得られ、そういう俳優になって下さることをぜひ望みたい。
願わくば舟木君が舞台を棄てる事なく、いよいよ精進を重ねて、人気者の寿命長かれと祈りたい。舟木君の客席を見ると若い女性が八割を占めている。舞台出演が重なるにつれて堅実なる観客層をも得られ、そういう俳優になって下さることをぜひ望みたい。
http://www.youtube.com/watch?v=rjv73SRgS4k 舟友のkazuyanさんの動画でお楽しみ下さい
『夕映えのふたり』のB面ですが、なんとなくA面、B面がひとつのストーリーとなった連作というイメージの歌詩ですね。
舟木さんが主人公の「恋ものがたり」として聴くと、切なくて胸がキュンとなった乙女たちがたくさんいらしたのでしょうね。
高原の人 作詩:丘灯至夫 作曲:現英生
忘れはしない 忘れるものか
たとえはかない 縁(えにし)でも
君を愛した 思い出は
泣きたいほどに 懐かしい
秋は淋しい 高原に
いまでも君は 歌うだろうか
たとえはかない 縁(えにし)でも
君を愛した 思い出は
泣きたいほどに 懐かしい
秋は淋しい 高原に
いまでも君は 歌うだろうか
憶えているよ 忘れるものか
夏の終わりの 山の駅
かくす涙も いじらしく
送ってくれた 君のこと
秋は枯葉の 高原を
いまでも君は 駆けるだろうか
夏の終わりの 山の駅
かくす涙も いじらしく
送ってくれた 君のこと
秋は枯葉の 高原を
いまでも君は 駆けるだろうか
忘れはしない 忘れるものか
ひとり都の たそがれの
空の彼方に あのひとの
ひとり都の たそがれの
空の彼方に あのひとの
瞳のいろか 星のいろ
秋は寒かろ 高原に
秋は寒かろ 高原に
いまでも君は ひとりだろうか
1970年
1月フジテレビ「銭形平次」出演。
3月NETテレビ「若くて強くてイカス奴」に「宮本造酒之助」役で出演
3月18日松竹映画「東京⇔パリ・青春の条件」公開(橋幸夫デビュー10周年記念映画)
4月『心配だから来てみたけど』(A面『再会』)
4月18日大阪新歌舞伎座公演『絢爛花の宴』『青春の符』開催(26日まで)
6月アルバム「ひとりぼっち・第四集 舟木一夫と世界の歌」
7月『青年の唄』(B面『うわさのあいつ』)
7月アルバム「舟木一夫 花のステージ・第九集」
8月アルバム「ベスト・カップルシリーズ 舟木一夫(オリジナルヒットと懐メロ)」
8月1日東京明治座公演『新吾十番勝負』『日本の旋律・荒城の月』開催(28日まで)
1月フジテレビ「銭形平次」出演。
3月NETテレビ「若くて強くてイカス奴」に「宮本造酒之助」役で出演
3月18日松竹映画「東京⇔パリ・青春の条件」公開(橋幸夫デビュー10周年記念映画)
4月『心配だから来てみたけど』(A面『再会』)
4月18日大阪新歌舞伎座公演『絢爛花の宴』『青春の符』開催(26日まで)
6月アルバム「ひとりぼっち・第四集 舟木一夫と世界の歌」
7月『青年の唄』(B面『うわさのあいつ』)
7月アルバム「舟木一夫 花のステージ・第九集」
8月アルバム「ベスト・カップルシリーズ 舟木一夫(オリジナルヒットと懐メロ)」
8月1日東京明治座公演『新吾十番勝負』『日本の旋律・荒城の月』開催(28日まで)
ここで、私の手元にある、この頃に発売されたアルバムも2つほど御紹介します。
「ひとりぼっち・第四集 舟木一夫と世界の歌」
収録曲
カチューシャ*コロラドの月*泉のほとり*峠のわが家*フニクニ・フニクラ*谷間の灯*埴生の宿*ともしび*おおスザンナ*故郷の空*村の娘*トロイカ
ともしび ロシア民謡
ともしび ロシア民謡
夜霧のかなたへ 別れを告げ
雄々しきますらお いでてゆく
窓辺にまたたく ともしびに
つきせぬおとめの 愛のかげ
雄々しきますらお いでてゆく
窓辺にまたたく ともしびに
つきせぬおとめの 愛のかげ
やさしき おとめの 清き思い
山川遥かに へだつとも
二つの心に 赤く燃ゆる
こがねのともしび 永遠(とわ)に消えず
山川遥かに へだつとも
二つの心に 赤く燃ゆる
こがねのともしび 永遠(とわ)に消えず
この曲は、日本ではロシア民謡として歌われていますが、第二次大戦中に作られた戦時歌謡だそうです。
ソ連史でいう「大祖国戦争」(対独戦)に出征する兵士をテーマとしています。この歌を舟木さんの歌唱であらためて聴いていると、『絶唱』を思い出します。戦地に出てゆく恋人を見送るおとめは小雪です。その小雪の順吉を想う清らかな愛と無事を祈る真心は遠い海を超えて、順吉のもとに届いたのです。ふたりの心にはつつましく控え目だけれど「静かに燃える愛の灯(ともしび)」が赤々と燃えて、永遠に消えることがなかったという『絶唱』の世界に通じるものを感じて胸にこみあげるものがありました。
ソ連史でいう「大祖国戦争」(対独戦)に出征する兵士をテーマとしています。この歌を舟木さんの歌唱であらためて聴いていると、『絶唱』を思い出します。戦地に出てゆく恋人を見送るおとめは小雪です。その小雪の順吉を想う清らかな愛と無事を祈る真心は遠い海を超えて、順吉のもとに届いたのです。ふたりの心にはつつましく控え目だけれど「静かに燃える愛の灯(ともしび)」が赤々と燃えて、永遠に消えることがなかったという『絶唱』の世界に通じるものを感じて胸にこみあげるものがありました。
1970年
9月『紫の人』(B面『東京みれん雨』)
9月アルバム「舟木一夫大全集(5枚組)」
10月アルバム「ひとりぼっち 舟木一夫と大都会の夜・第九集」
9月アルバム「舟木一夫大全集(5枚組)」
10月アルバム「ひとりぼっち 舟木一夫と大都会の夜・第九集」
「ひとりぼっち 第九集 舟木一夫と大都会の夜」
収録曲
霧にむせぶ夜*アンブレラのブルース*孤独の太陽*思案橋ブルース*今は幸せかい*君こそわが命
*二人の世界*惑い花*女と男のブルース*東京ブルース*夜霧よ今夜もありがとう*今日でお別れ
*二人の世界*惑い花*女と男のブルース*東京ブルース*夜霧よ今夜もありがとう*今日でお別れ
舟友のkazuyanさんの動画でお楽しみください
今日でお別れ
作詩:なかにし礼 作曲:宇井あきら
今日でお別れね もう逢えない
涙をみせずに いたいけれど
信じられないの そのひとこと
あの甘い言葉を ささやいたあなたが
突然さようなら 言えるなんて
信じられないの そのひとこと
あの甘い言葉を ささやいたあなたが
突然さようなら 言えるなんて
最後のたばこに 火をつけましょう
曲がったネクタイ 直させてね
あなたの背広や 身のまわりに
やさしく気をくばる 胸はずむ仕事は
これからどなたが するのかしら
曲がったネクタイ 直させてね
あなたの背広や 身のまわりに
やさしく気をくばる 胸はずむ仕事は
これからどなたが するのかしら
今日でお別れね もう逢えない
あなたも涙を みせてほしい
何も言わないで 気やすめなど
こみあげる涙は こみあげる涙は
言葉にならない さようなら
さようなら・・・・
あなたも涙を みせてほしい
何も言わないで 気やすめなど
こみあげる涙は こみあげる涙は
言葉にならない さようなら
さようなら・・・・
菅原洋一さんの大ヒット曲のカバーですが、私は舟木さんにとてもピッタリだと感じます。この曲は「女唄」ですが、女性が歌うと、きっと「ウソっぽい」感じがすると思います(笑)だってこんな女性が本当にいるのかしら?もしいたとしたら稀少価値ですね。これは、こんな女性がいたらいいなぁ・・・、あるいは女性はこんないじらしい心根でいてほしいという男性の限りない願望ですね。でもこの詩を聴いていると、じわっとくるのはなぜでしょうね。「あなたの背広や身のまわりに やさしく気をくばる 胸はずむ仕事は」なんて詩は、ちょっと私自身は思いつきませんが、感情移入はできてしまいます(笑)「今日でお別れね もう逢えない あなたも涙を みせてほしい」おお~ッ!なんて可愛い女性でしょう。リアルではないけど、美しく哀しい女心が見事に表現されているのは、さすがなかにし礼さんだとあらためて思います。そして舟木さんも若い頃の吹き込みですが、デリケートな情感をよく醸し出していらっしゃると思います。こちらも若いとは言え、さすがプロフェショナルで素晴らしいです。このアルバムの中で私のお気に入りです。
1970年
11月22日東京サンケイホールで「リサイタル舟木一夫の世界 竹久夢二の郷愁」開催
12月『霧の街』(B面『二人の夜』)
12月12日大阪サンケイホールで「リサイタル舟木一夫世界 竹久夢二の郷愁」開催
12月31日第21回NHK紅白歌合戦に出場『紫の人』歌唱
12月『霧の街』(B面『二人の夜』)
12月12日大阪サンケイホールで「リサイタル舟木一夫世界 竹久夢二の郷愁」開催
12月31日第21回NHK紅白歌合戦に出場『紫の人』歌唱
紫のひと 作詩:丘灯至夫 作曲:北原じゅん
忍び逢う 夜のふたりは
むらさきの 霧に抱かれて
離れては 離れては 生きてゆけない
すがりつき 泣いたあのひと
あのひとの 声がきこえる
むささきの 霧の降る夜
忍び逢う 恋のはかなさ
むらさきの 霧に抱かれて
あなただけ あなただけ 生きる希望(のぞみ)よ
顔埋め 泣いたあのひと
あのひとは 霧の彼方に
むらさきの 霧の彼方に
ひとの目を 避けるふたりに
いつかくる 恋の終わりよ
このままで このままで 死んでゆきたい
夜明けまで 泣いたあのひと
あのひとが いまも恋しい
むらさきの 霧の降る夜
いつかくる 恋の終わりよ
このままで このままで 死んでゆきたい
夜明けまで 泣いたあのひと
あのひとが いまも恋しい
むらさきの 霧の降る夜
youtubeからお借りしました。
この年の12月31日紅白歌合戦で、『紫のひと』を歌うことになっていた舟木さんは、心身ともにかなり辛い状況にいらしたのだと御自身で語っていらっしゃいます。そのことについては、『陽射し・旅人』その6で掲載しています。御覧になっていない方はこちらへ↓
この年の12月31日紅白歌合戦で、『紫のひと』を歌うことになっていた舟木さんは、心身ともにかなり辛い状況にいらしたのだと御自身で語っていらっしゃいます。そのことについては、『陽射し・旅人』その6で掲載しています。御覧になっていない方はこちらへ↓
『紫のひと』は舟木さんの曲の中では、「カラオケ演歌」というようなジャンルになるのでしょうか?
舟木さんの魅力は「憂い・愁い」だと思いますが、それがいつの間か「暗さ」というものにすり替わってしまっていったような印象を受けます。こういった曲を歌うには、まだ早かったのか、あるいは舟木さんの心身の状況のせいだったのか?・・・今、この『紫のひと』をライブでお聴きすることができれば、私の疑問やモヤモヤは一挙に吹っ飛んでしまうと思うのですが・・・多分、今の舟木さんなら、この少し重たい曲でも歌いこなしてしまわれるような気がしています。
少なくとも、とにかく、この頃には、どこかで「舟木さんと、歌との歯車」が噛み合わなくなっていっているのを、やはり「曲や歌声」からも色濃く感じてしまいます。
(「その8」へつづく)