一番乗りに満開になった北桑名神社の桜は、もうすっかり葉桜になってます。
母校の精義小学校の桜は今が満開。立派な大木の桜です。
小学校の敷地内の精義幼稚園の桜。今は定員割れで閉園中ですが園庭は児童公園になってます。
「女学生の友」シリーズ。今回は、1964年2月号
表紙は九重佑三子さん
目次
舟木さんは、1963年6月がデビューですが、その半年後の暮れには、レコード大賞新人賞も受賞してまさに、「日の出の勢い」というか「飛ぶ鳥を落とす勢い」でしたから、「女学生の友」誌面には、舟木さん関連の記事が多いです。メインの特集記事、新人賞関係の記事は、また後日のお楽しみ!ということで、以下の記事から、順に、ご紹介します。
ニューボイス誕生の舞台裏 こうしてスターは作られる
☆スターは作られる
五色のテープが乱れとぶステージで、はなやかな脚光をあびて歌うスターたち――。
そんなスターを見て、ふっとあんな歌手になってみたいと思わない人はないだろう。
しかし、このはなやかなスターの座を勝ち得るためには、その裏に仕組まれた宣伝戦にまず勝たねばならない。というのは、歌手の実力だけではどうにもならない不思議なプラス・アルファが、スターの座のウラにはつきものだということである。
少なくとも、現代では、スターとは生まれるものでなく、作られるものなのだ。
そんなスターを見て、ふっとあんな歌手になってみたいと思わない人はないだろう。
しかし、このはなやかなスターの座を勝ち得るためには、その裏に仕組まれた宣伝戦にまず勝たねばならない。というのは、歌手の実力だけではどうにもならない不思議なプラス・アルファが、スターの座のウラにはつきものだということである。
少なくとも、現代では、スターとは生まれるものでなく、作られるものなのだ。
それでは、ニューボイスが誕生して、スターの座を獲得するまで、いったいどんな裏工作があるのだろうか。
もちろん、その歌手の実力がなければ問題にならないけれど、それでも宣伝のしかたによっては、かなりのファンを獲得できるようである。
その秘中の秘の、スター売り出しあの手この手を、各レコード会社やプロの宣伝部員にきいてみると・・・。
①独特なスタイルで勝負する~畠山みどりの巫女スタイル
歌手をデビューさせるとき、会社側がいちばん気を使うのはスタイルである。
デビュー曲のイメージと、歌手のムードがちぐはぐなものでは魅力がない。といって、地味なスタイルでは迫力がない。そこで担当者の知恵がしぼられるわけだが、この方法で成功した代表的な例は、やはり橋幸夫の着物スタイル、舟木一夫の学生服スタイルであろう。
デビュー曲のイメージと、歌手のムードがちぐはぐなものでは魅力がない。といって、地味なスタイルでは迫力がない。そこで担当者の知恵がしぼられるわけだが、この方法で成功した代表的な例は、やはり橋幸夫の着物スタイル、舟木一夫の学生服スタイルであろう。
その中で、最近の大ヒットといわれるものは、ご存知、畠山みどりの巫女スタイルである。
コロムビアから畠山がデビューするとき、まず最初にハタと困ったのが、どういう姿で出ればよいか、ということだった。
会社のほうでも特別な名案がなく、着物スタイルなら適当に、といって、畠山にすべてをまかせた形だった。ところが、それを聞いたみどりのおかあさんが、「着物を着ただけでは、変わりばえがしないわね。いっそ、ハカマをつけたらどうかしら?」と冗談半分に言ったのだが、コロムビアの宣伝部員のアンテナをビリリとふるわせた。「これは、いける!」というわけで、畠山の巫女スタイルが出現したのだが、これが大ヒット。彼女の人気は急上昇。――ところが、ここに奇妙なことが起こった。
というのは、神社に仕える本職の巫女も畠山とともに人気が上がって、そのせいか、おさい銭の上がりが多くなったという神社が現れたのである。
コロムビアから畠山がデビューするとき、まず最初にハタと困ったのが、どういう姿で出ればよいか、ということだった。
会社のほうでも特別な名案がなく、着物スタイルなら適当に、といって、畠山にすべてをまかせた形だった。ところが、それを聞いたみどりのおかあさんが、「着物を着ただけでは、変わりばえがしないわね。いっそ、ハカマをつけたらどうかしら?」と冗談半分に言ったのだが、コロムビアの宣伝部員のアンテナをビリリとふるわせた。「これは、いける!」というわけで、畠山の巫女スタイルが出現したのだが、これが大ヒット。彼女の人気は急上昇。――ところが、ここに奇妙なことが起こった。
というのは、神社に仕える本職の巫女も畠山とともに人気が上がって、そのせいか、おさい銭の上がりが多くなったという神社が現れたのである。
畠山の場合は、スタイルが功を奏し、彼女の実力をいっそうひきたたせた好例だが、その反面、せっかく話題を投げながらヒットしなかった場合も数多くある。
坊さんスタイルでデビューした東芝の南国太郎や、ネグリジェ歌手とさわがれた内田高子などはその例である。変わりダネとしては、ヘルメットをかぶり土工風スタイルでステージに立つ歌手や、プロレスまがいの、目と鼻と口だけ出した覆面スタイルで歌う”覆面コーラス”など、こうなると、歌手というよりは、スタイルを売りものにしたショーというものであろう。
坊さんスタイルでデビューした東芝の南国太郎や、ネグリジェ歌手とさわがれた内田高子などはその例である。変わりダネとしては、ヘルメットをかぶり土工風スタイルでステージに立つ歌手や、プロレスまがいの、目と鼻と口だけ出した覆面スタイルで歌う”覆面コーラス”など、こうなると、歌手というよりは、スタイルを売りものにしたショーというものであろう。
②うわさで人気をあおる~計算された舟木一夫の売り込み
しかし、この場合、よほどうまくタイミングを合わせないと、まったくのカラ振りになるおそれがある。
その点、きわめて綿密に計算され、計画的に行って大成功をはくした例が、舟木一夫である。
舟木の場合、ふろ屋で歌ったり、巨人軍の私設応援団長のバックアップといううわさは、作られたうわさというより、事実をそのまま宣伝の材料として活用した、そのタイミングのよさというところに特徴がある。
舟木が初めて「高校三年生」をレコーディングしたのは、昨年の二月九日、そして三月そうそうにはデビューする予定だった。
もちろん宣伝のおぜん立てはいっさいととのっていたのだが、コロムビアの営業上の問題で、舟木のデビューは六月上旬まで延ばされてしまったのである。
しかし、どんなにうまく仕組まれた宣伝でも、歌手が実力を備えてない限り絶対にスターにはなれない。東芝の早田浩二も林家三平のキモ入りでデビューはしたものの、牛乳配達をしながら歌の勉強をしていたという絶好の”うわさ”をもっていながら、いまだにスターの座にはついていない。
当時の「平凡」「明星」「近代映画」などでもおなじみ「ビクラ」の広告写真。
「女学生の友」にも掲載されてます。後ろの女学生は松岡きっこさんかな?
真ん中の女学生も、モデルさんのようですが、当時ちょいちょい見たことあるような…(笑)
誌上人気投票
「先月トップにおどりでた」…とありますから、1964年1月号で既に人気ナンバーワンとなっていた。ということはデビューした1963年の暮れ、新人賞受賞を契機に押しも押されもしないトップの位置についたということだったんだと、こういう雑誌を見ると、あらためて、超スピードでスターの座についたということが、わかりますね。
先週、娘の畑に行ったとき、農道のわきに「ご自由にご活用ください」と書いた紙と一緒に、八朔が6、7個、袋に入って、10袋ほど置かれていました。ありがたく、1袋いただいて帰りました。田舎の暮らしの恵みのおすそ分けですね。娘が、ジャムを作って、私は果肉をそのまま使ってゼリーを作りました。
八朔のジャム
八朔入りゼリー
TBS「あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル」(4月4日放送)
「高校三年生」が、「歌いたい名曲コレクション」のコーナーでワンコーラス流れました。