夢二郷土美術館 本館
竹久夢二の生まれ故郷への舟旅
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ)
1884年(明治17年)9月16日~1934年(昭和9年)9月1日)
本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。
1884年(明治17年)9月16日~1934年(昭和9年)9月1日)
本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。
9月は、夢二が生まれた月でもあり、亡くなった月でもあります。
そんなゆかりのある9月に夢二の故郷を訪れることができました。
9月23日に、かねてから訪問したいと願っていた、舟木さんにもゆかりの深い竹久夢二が生まれ、育った故郷に、舟友さんたちと、プチ「舟旅」に出かけました。へぼガラケーで、へぼ腕で撮った写真ですみませんが、夢二の生まれ故郷をご紹介します。
本館:岡山県岡山市中区浜2丁目1-32
分館:岡山県瀬戸内市邑久町本庄
分館:岡山県瀬戸内市邑久町本庄
玄関前に最愛の恋人・笠井彦乃を詠った夢二の歌碑 「青麦の…」
本館は、岡山市の中心部にあります。
来月、10月13日の岡山市民会館コンサートに行かれる方は、ぜひ足を伸ばしてみてくださいね。
美術館敷地内の御食事処でお昼ごはん
〆のデザートは岡山産のピオーネ
昼食後は、夢二郷土美術館本館前の橋を渡って向こう岸にある「宵待草」歌碑へ…
橋の向こうに郷土美術館が見えます。
歌碑の前の草むらに、デッカイ、しょうりょうバッタが…。保護色でどこにいるのか???
次は夢二の生まれ、育った生家へ…。おっと、その前にせっかくだからと岡山城へも立ち寄ってカシャ!
天守が黒いので烏(カラス)城と呼ばれてるんですね。
車でしばらく走って、生家へ到着
母や姉への憧憬を歌った夢二の歌碑
茂次郎橋を渡って生家へ…*茂次郎は夢二の本名
有本芳水(ありもと ほうすい) *註:「芳水しるす」↑
1886年(明治19年)3月3日~1976年(昭和51年)1月21日
日本の詩人・歌人である。
「芳水詩集」「旅人」「ふる郷」「悲しき笛」など、実業之日本社より出版。
1886年(明治19年)3月3日~1976年(昭和51年)1月21日
日本の詩人・歌人である。
「芳水詩集」「旅人」「ふる郷」「悲しき笛」など、実業之日本社より出版。
「芳水詩集」は、竹久夢二の装幀挿画であり、仕事を通じて友情が長く続いた。
入口には有島生馬氏の筆になる「竹久夢二ここに生まれる」の碑。
夢二の作品「憩い」…葡萄棚がモチーフになっています。
夢二の生いたち 一部抜粋 (保育社 カラーブックス 「竹久夢二」)
夢二は、明治一七年、九月十六日、岡山県邑久郡本庄村大字本庄に父菊蔵、母也須能(やすの)の次男として生まれ、本名を茂次郎といった。家業は、造り酒屋であったが、さして大きな経営ではなく農業と兼業の在郷商人であったようだ。この父は、後に村会議員になるが、もともと村芝居をとりしきる「地芸」の家で、自ら三味線を弾くほどの趣味人であった。
夢二の生家は、小山を背に、田舟を通す疎水を前にした閑静な土地にあり、今も草笛でも聞こえてきそうな土地柄である。
明治二三年、七歳の時に、妹栄が生まれるが、これで六歳上の姉松香と三人兄弟となる。(長兄は夭折)夢二を間にはさんだこの姉妹や、優しい母は彼の性格形成に、かなりの影響を与えたことと思われる。ふと孤独な影をもった、優しい少年。しかし、月を見て、静かに歌い出す少年。山の彼方をじっと見据えて考え込む少年。そこには、既に後年の夢二があった。
明治二七年、夢二が、一一歳の折、彼が慕っていた姉松香は、一七歳で、近くの西大寺の伊原家に嫁した。このことは、少年夢二によほどのショックを与えたとみえて、今でも、生家の子ども部屋の窓辺に、夢二が墨で描いた逆文字の「竹久松香」の二行(外側)と竹久茂次郎の二行(内側)が遺されている。
夢二と姉松香がモデルのように思われます…
神戸中学に入学した夢二だが、翌年、竹久家は、父の放蕩が原因で家業が傾き、夜逃げ同然で北九州市八幡区に移住し、この故郷には、その後戻ることはなかった。
その2に続きます。