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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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「愛の旅立ち」~1975年1月「舟木一夫新春特別公演」パンフレットより

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ちょっと早いですが、舟木さんの結婚記念日も近いので…
関連する資料からご紹介させていただきます。


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舟木さんが、結婚されたのが、1974年4月29日。当時、私は、21才で、舟木さんの結婚を知ったのは、新聞記事でした。
私はといえば、高校に入学してしばらくしてから中学時代とは、すっかり自分の関心が向く世界が変わってしまい舟木さんだけではなく芸能界そのものへの興味もなくなってしまったり、大学受験も重なってTVの歌番組を見ることもほとんどない数年でした。その頃から、舟木さんご自身は混迷期に入ってしまわれ、なんとなく聞こえてくる舟木さんについての情報は暗いものばかり…。どうされたのかな…と思いつつも、もともとが「遠い人」ですから特別に気にもせずいたところ、結婚されたということを知り、なんとなく「ホッ」としたことを覚えています。
余談ですが、私の結婚も、その十日ほど後のことでしたし、紀子さんの年令も私とほぼ同い年?ってなことでちょっと親近感も覚えたりしたのでしょうね。まあ、その時は、ただそれだけのことで終わってしまったワケなのですが…

舟木さんのご結婚後の出来事を、ちょっと遡ってみます…
資料は、「青春賛歌」(大倉明氏著)です。

1974年

4月29日
東京・TSK・CCCターミナルホテルで作家・山岡荘八夫妻の媒酌により松沢紀子と挙式。


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7月11日
NHKが「思い出のメロディ―」で舟木”復帰”を発表。

7月27日
NHK「思い出のメロディー」の収録(8月3日に放送)

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8月11日
東京・豊島公会堂で後援会員のためのコンサートを開催。
10月
TBS「ふたりぼっち」に「脳外科医」役で出演。
*「ふたりぼっち」はCBC制作、TBS系列(関西地区でのネット局はABC朝日放送)にて1974年10月6日から1975年3月30日まで毎週日曜22:00~22:30に放送されたテレビドラマである。全26回。

「ふたりぼっち」のこと全然、知りませんでした。ヤフオクでこの写真が出ていたのを見て知りました。

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11月2日
東京郵便貯金ホールで「舟木一夫コンサート74」を開催。
12月15日
京都会館で「舟木一夫コンサート74」を開催。

1975年

1月22日
東京・日劇新春公演「75舟木一夫」を開催(28日まで)

2月5日
後援会員約200人とハワイ・バカンスツアー(11日まで)
4月18日
東京・ホテルニューオータニでディナーショー「舟木一夫映画音楽を歌う」を開催。


1975年1月22日~28日
舟木一夫新春特別公演  愛の新雪 日本劇場

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このときのパンフレットに「「愛の旅立ち」という詩が掲載されています。

愛の旅立ち  作詩・作曲:舟木一夫

この腕でいいのなら
あなたの哀しみを受けとめる
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
どうしてあなたを
一人にしたのか
今こそ手をとり
旅立ち未来へ
ひとときのやすらぎを
求めることは
やさしいけど
果しない愛の旅は
戦いの旅だから
切なさも寂しさも
のりこえて進むだけ
あたたかな陽がのぼり
あなたに幸せがくる時まで
真ごころの降りつもる
道をひとすじに行くだけさ
立ちどまることはない
明日に続く愛だから
涙をふいてごらん
青空が見えるだろ
いつかは しずかな泉のほとりで
二人の暮らしを始めよう
この旅を終えて・・・
その日のためなら
今は苦しくとも
歩き続ける
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
おもいでは投げ捨てて
旅立つこのときに
おそれることなど
なにひとつあるものか
あなたの笑顔が
ある限り
はなさないもう二度と
この愛がすべてだから
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

コンサートのラストで歌唱なさっています。編曲は山屋清さん
映画「センチメンタル・ボーイ」の主題歌はじめ挿入歌等の音楽を担当された方です。
どんな曲だったのでしょう?聞いてみたいですね。

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なにか困ったことでも?…っていう表情。出演者紹介の写真なんですが…(笑)

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印刷が薄いので読みづらいですが…右下の拡大ボタンをポチッ!としてください
舟木さんの復帰を心から喜び、結婚を祝福する当時のファンの声

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上記の「ファンの声」で語られているサイン入り「時計」…
以前、舟友さんに見せていただいた時に撮った写真です。

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こちらも読みづらいですが…

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舟木さんも、もちろん一筆書いていらっしゃいます。

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十年目の日劇出演  舟木一夫

イメージ 11昭和四十九年も、あと十数日で終わろうとしています・・・。私たちの行動とは無関係に、日時は確実に未来へ向かって時を刻んでいるようです。
そんなことを考えるとボクの気持ちには、なにか、あせりにも似たいらだちがよぎります。時間を大切にしなければいけないと……。
あれもしたい、これもやりたい、プライベートのこと、仕事のことが交錯した糸のほつれになって・・・そして、次の瞬間、我に返るのです。
「あせっちゃ、いけないんだ・・・・」と。
とにかくいろいろのことがあった一年でした。
療養生活、結婚、カムバック・・・と、その間、みなさまの暖かい激励や、思いやりによって、ふたたび芸能生活に戻ることができました。
ボクにとって、この一年の思い出は生涯、忘れることが出来ないでしょう。
いま、ぼくは幸せです。プライベート面でも満足しています。仕事の面でもいい友人・先輩・ファンに恵まれています。
来年はドカンと一発ホームラン王に、という大それた野心こそ持っていませんが、コンスタントにアベレージを上げていきたいと思っています。
幸先のいいことに、一月二十二日から二十八日までの日劇新春公演が決まりました。まだ内容を練りあげている段階ですが、新春にふさわしい明るい舞台になりそうです。
日劇と言えばボクにとっては思い出深い舞台です。いまから十年前、正確にいいますと昭和三十九年九月十七日から二十三日まで、初めて日劇の舞台で「舟木一夫ショー」を上演させていただいたのです。

イメージ 12同じ年の三月には浅草の国際劇場に初出演させていただきましたが、この時はまだデビューして九ヵ月足らず、ただ無我夢中に学生服で歌ったことだけを覚えています。
新人歌手の憧れは一日も早く国際劇場、日本劇場の舞台に立ちたいということです。希望と不安の入り交じった気持ちは「初心忘るべからず」という言葉の意味で今日のボクにも教訓になります。
日劇初出演の舞台は、ボクにとっては脱学生服の企画だったのです。もう薄れかけた記憶の中に残っているのは「おみこし野郎」「いなせじゃないか若旦那」を唄い、祭り半でんで大漁の太鼓を叩いたこと、矢頭右衛門七に扮して吉良邸の討入りでは半槍で殺陣をやり「右衛門七節」を唄ったことなどです。
イメージ 13ここで右衛門七が出てきたのはNHKの大河ドラマ「赤穂浪士」でボクが矢頭右衛門七に扮していたからで、テレビの右衛門七を舞台で・・・という着想だったのでしょう。
とにかく、この舞台でボクはいままでの学生服のイメージから、さよならをすることに成功しました。
それよりも、ボクにとっては、この舞台の成功で時代劇への足がかりがつかめた。という批評のほうがうれしかったのです。
当時の写真を見ていますと、舟木カットのヘアに、ヤエ歯が目立ち、スポーツ。シャツ姿も、まだ初々しさが残っています。
「オレも変わったなぁ・・・」鏡をのぞきこんで昔の顔と今の顔をみくらべるボクの気持ちは複雑です。
まだまだ思い出の中に生きるには若すぎます。鏡の中のボクはつぶやきます。
「人生は、これからが勝負なんだ!」と。
日劇初舞台から十年、この間に、ボクがどれだけ成長することができたか、今度の日劇公演は、その意味でもコワイ舞台になりそうです。
十年前のボクを知っているファンのみなさま、そして、新しいファンのみなさまにも、喜んでいただける舞台に・・・と熱気にあふれているこの頃です。


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復帰後第二弾の曲「愛の新雪」作詩者の石本美由起氏の寄稿文

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