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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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ちょっと箸やすめ~六月の風景と舟木さんの歌声と…

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梅雨入りしたというのに、毎日、爽やかな青空が見える妙な6月です。
いいお天気はありがたいですが、こんなに降らないと心配です。
なんて言ってると暴力的な集中豪雨がきたりして…
そんなことにならないよう祈るばかりです。
でも、ホントに降りませんね。やっぱり異常気象ということなんでしょうか。


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来週月曜日19日は、久しぶりに神奈川県民ホールで舟木さんのコンサートが開催されますが、私、個人的には6月は、文字通り「ちょっと箸やすめ」モードです。


ちょっと箸やすめ  その1  6月3日

3日は、日帰りで娘の運転する車で、もちろんももちゃんも一緒に、昔住んでいた大阪府北摂の茨木市のずっと山奥まで友だちが何人かで借りている畑を見に行ってきました。風が冷たくていい気持で、山間の棚田は、ゆったりと水をたたえて緑あざやかでとっても美しく、ヤギものんびり寝そべっている…そんな6月の田園風景をたっぷり楽しんできました。


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山のかなたに



小さなテントを張ってもらって山の風を少し感じて遊ぶゴキゲンなもも
あぜ道も、けっこう歩きました

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野いちごとクローバー

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道が険しくて、ヤギのそばには近寄れませんでしたが、遠くから初ヤギ体験のもも

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ちょっと箸やすめ  その2  6月13日/14日

13日は、これまた久しぶりに京都東山安井金比羅参集殿で隔月に開催されている米朝一門の落語研究会に行ってきました。なにしろ八席を中入りもなしで立て続けに聴く、まさに上方落語のシャワーを浴びる2時間半を堪能。古典芸能好きな友人たちと一緒に落語を楽しんだあとは、琵琶湖のほとりにセカンドハウスを持っているリッチな友人の家におじゃまして「家飲み女子会」。日付が変わるまでお喋りが尽きず、泊めていただいて翌日は、琵琶湖の湖岸を朝から昼近くまでのんびとウォーキングして、リフレッシュ。水と緑は、心のオアシスですね。舟木さんのコンサートでおなじみのびわ湖ホール、今年はコンサート開催はないみたいで淋しいですが、またいずれ…




京都四条大橋から見る鴨川

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逢う瀬 舟木一夫さん



祇園花見小路にほど近い安井金比羅

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ここに通い始めた頃から、はや15年以上、当時の若い前座さんも、「ええおっちゃん」に笑い
ちなみに、通常は高座への登場順は年季の浅い人から…
この会は勉強会なのでトリだけは中堅がとることになっています。

第304回桂米朝落語研究会 

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昨日の朝のびわ湖岸さんぽ

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びわ湖ホール

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毎日新聞 webニュース  (毎日新聞 2017年6月2日 地方版)
誕生100年 作詞、作曲者の人柄しのぶ 資料館が特別展 往年のレコードも /滋賀
https://mainichi.jp/articles/20170602/ddl/k25/040/550000c

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~周航の歌のレコードは▽市販品で初めて収録されたという1961年のボニー・ジャックスのアルバム▽62年発売のペギー葉山さんのシングル盤▽71年に周航の歌を大ヒットさせた加藤登紀子さんのアルバムとシングル盤--の他、舟木一夫さん、松方弘樹さん、小林旭さんらのジャケットを展示した。資料館によると、古いレコード曲を目当てに訪れる客もいるという。~

舟木一夫/琵琶湖周航の歌

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琵琶湖岸・由美浜の「GERMAN RESTAURANT Wurzburg -ヴュルツブルク」
次に来た時には入ってみたいな…と思ったのでとりあえず↓

お店のホームページ

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膳所城址公園

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近江大橋西詰のすぐ南側に突き出た地にあった膳所城は、徳川家康が関ヶ原の合戦の後、築城の名手といわれた藤堂高虎に最初に造らせた城でした。城構えは、湖水を利用して西側に天然の堀を巡らせた典型的な水城で、白亜の天守閣や石垣、白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく湖面に浮かぶ姿は、実に素晴らしかったといいます。この美観は、「瀬田(せた)の唐橋(からはし)唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に映るは膳所の城」と里謡(さとうた)にも謡(うた)われています。
戸田(とだ)・本多(ほんだ)・菅沼(すがぬま)・石川と城主が変わった後、本多6万石代々の居城として長く偉容を誇りましたが、明治維新で廃城になり楼閣(ろうかく)は取り壊されました。城門は重要文化財で、膳所神社や篠津(しのづ)神社に移築されて残っています。


石鹿地蔵尊

元亀2年(1571年)織田信長は大軍で比叡山の社寺堂塔を焼き払い、その後明智光秀に命じ坂本城を築かせた時に比叡山内にあった石地蔵を城の礎石にした。本能寺の変で、信長がたおれた2年後の天正11年に豊臣秀吉が浅井長政に命じて大津城を築かせたが築城には、坂本城の石地蔵を運んで礎石にした。関が原の合戦の翌年慶長6年(1601年)徳川家康は、藤堂高虎に命じて膳所城をきずかせたがその時にも大津城の石地蔵を運んで礎石とした。

…とのこと。戦国の三大英傑にかかわりのあるお地蔵さんにビックリでした。

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湖岸には紫陽花の花も盛りでした

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あじさいつながりで…(笑)

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乃木坂の女  作詩:白鳥園枝  作曲:遠藤実
(15周年記念アルバム「愛はまぼろし」収録)

たまらなく好きだけど 愛さずにわかれた
ぬれてつつましい あじさいのようなヒト
乃木坂の雨あがり
話してくれた さみしい生い立ち
僕のこの胸で 抱きしめたかった

さだめなど のりこえて愛すればよかった
そんな苦しみを あの人は知らない
乃木坂で いつかまた会えるでしょうか
やさしく きいたね
僕のこの胸に 抱きしめたかった

乃木坂は やるせない
思い出ばかり 心はいたむよ
僕は涙ぐみ 坂道のぼる








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