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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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歌謡組曲「日本の四季」~日本情緒への幻想

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歌謡組曲 日本の四季 (1972年6月LPレコード発売)

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西條八十・作詩  船村徹・作曲 

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花だ 花だ 花だ
日本の春は花から明ける
あゝなぜなぜ花は
若い日に咲く花は
こんなにもいろいろな事を
思わせるんだろう
過ぎた日の あの人を
うしろ影を 涙を
花は散る 人は去りゆく
そして ゆくてにも
来た道にも たちこめる紫の春霞
これが若い日の若い心のひとり旅
山には山の花が咲き
海には海の鳥が鳴く
都にいれば良いものを
なんではろばろ旅へ行く
ところも知らぬ名も知らぬ
たそがれ町の町はずれ
南へ帰る雁を見て


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”ホ―ホ― ホ―タルコイ
 アッチノミズハ ニ―ガイゾ
 コッチノミズハ ア―マイゾ
 ホ―ホ― ホ―タルコイ
 ホ―タルコイ ホ―イ”
砂をにぎれば さらさらと
こぼれて落ちる はかなさよ
女ごころも さらさらと
こぼれて落ちて夏は行く
”アッ オミコシガキタヨ ワ―イ!”
網干すのきに 提灯つらね
今年も来た来た夏祭り
ゆかたに花笠 はちまき たすき
重いが自慢の樽天皇
”ワッショイ ワッショイ ワッショイ”
祭りも暮れて七夕星が
空に輝く漁師町
誰が吹くやら笛の音あわれ
幼い頃を思わせて
世に亡き母をしのばせて
悲しむように泣くように
流れ流れる 笛の音
ゆくては暗い海の果て


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木枯し窓うつ秋の夜更け
皆、寝ちゃったサロンの椅子に
僕はひとりで何か思う
秋の夜更け
黒いドレスに黒の靴
思い出さんがうつむいて
涙ぐんでる横顔は
あの日のあなたに
そっくりそのまま
黙ってすわったソファの上
想い出さん 想い出さん
その黒髪が懐かしい
その襟足が懐かしい
その手もその腕もその肩も
昔は僕のものだった
淡いルージュの唇が
僕を愛すとささやいた
月日は遠く流れ去り
今では帰らぬ想い出さん
想い出さん
ン― 落葉がさらさら屋根を打ち
ン― どこかで夜更けの鐘が鳴る
想い出さんは立ち上る
涙を一杯目にためて
何も云わずに立ち上る
コッツン コッツン コッツン
足音さよなら
胸の梯子を登って消える
窓を開けば 何も見えず
空は静か 秋の星
僕を泣かせた 想い出さんは
黒いドレスの 想い出さんは
誰を泣かせにどこへ行く
”どこへ行く””どこへ行く”



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吹きまくる山風よ 舞い狂う吹雪よ
大きな山 底しれぬ谷
僕は登る ひとりで登る
帽子は風に飛び
髪の毛は雪にまみれ
凍る手足に頂はまだ遠い
日は暮れかかる オ―イ!
呼んでも誰も答えぬ雪山
息たえだえの僕の耳に
甘い声がささやく
”おもどりなさい おもどりなさい
 ふもとには 明るい灯と
 暖炉と やさしい乙女が
 待ってます”
大きなもの凄い山の雪崩
暗い山々谷々にこだまし
岩を飛ばし森をつぶし
走る うなる 続く 押し流す
それでもそれでも僕は登る
登る 登る
あっ・・・・見えた 峠の頂きが
雪が晴れ輝いた大きな丸い月
僕は今 山上の岩を踏み
両手を高くさし上げ ほがらかに歌う
勝利の歌を 征服の歌を
あゝあらゆるものを乗りこえ
進む日本の若人の歌を



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7月26日、27日に開催された浅草公会堂のステージにのせられた「レコーディング以来、45年ぶり、ライブでは初めての「日本の四季」…」(浮舟NO.605による)について、ちょっとばかり…

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LP発売にあたり、作曲なさった船村徹先生が寄せられた文面の一部です

この作品を書きあげてから7年余りにもなるのであるが、何故か、今日迄レコード化されずに埋もれていた。当時は西條八十先生も御健在であり「日本の四季」折々の美しさ、厳しさ等を語りあったものであった。舟木一夫君という、植物的な声質を持った青年歌手の存在が、私にこの作品のイメージをまとめさせた事は事実である。

レコード化されたのが1972年。それから逆残すると、1965年頃に書かれたものだな…とは推測していましたが、そうなると、舟木さんがデビューしてまだ3年目ということになります。初めてこの組曲を音源(私はCDを購入しました)で聴いた時、「高校三年生」でのデビューからわずか3年そこそこで、こんなスケールの大きな組曲を、しかも西條八十、船村徹という最強のコンビネーションで提供されたということに、まず驚きました。「その人は昔」が1966年、「雪のものがたり」が1968年の発売ですから、作品自体ができたのは、この「日本の四季」が、時期としては一番早かったことになります。
実際、「日本の四季」の「冬」を聞いていると、後に書かれた「雪のものがたり」を彷彿させられます。

ここでご紹介させていただくのは、ある方からちょうだいした、とっても貴重な資料です。
まだ、「日本の四季」として、レコード化される前、1966年7月1日~3日に東京・サンケイホール「デビュー3周年記念リサイタル」(例のザ・ビートルズ初来日・武道館ライブスケジュールとぶつかった伝説のリサイタル)で、「日本情緒への幻想」として、組曲の一部が発表されたということ。


以下、「デビュー3周年記念リサイタル」のパンフレットから…感謝を込めてご紹介します。

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今の舟木さんが読まれたら、きっとテレてしまわれるだろうな…という
本当に生真面目で、誠実で、純情あふれる一文だと感じます。まさに昭和の模範的若者ですね

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プログラムに「第二部  日本情緒への幻想」とあります。
「ウン、聴いたよ!」という記憶のある方もたくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか。
いかにも「リサイタル」っていうカンジのオトナっぽい構成のステージが想像できます。

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「雑感」と題した舟木さんの名文。大人っぽさと少年っぽさの世界を行き来するような当時の舟木さんの胸の内を想うとこちらの胸も、またキュンとなってしまいます。スターとしての華やかな外観の奥深くに潜んでいるひとりの青年の孤独感のようなものが切ないほどに伝わってきます。
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ふれこんやラブコンなどのパンフレットでもおなじみの舟木さんのロマンチックなポエムも…


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チケットも大切に保管なさっているんですね。50年以上前のチケットなのにとってもオシャレですね

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BS朝日 昭和偉人伝 2時間スペシャル 8月16日(午後9時より)


西條八十

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『大衆をこよなく愛した詩人、作詞家 西條八十』

   戦前から戦中・戦後・高度成長期まで約50年に渡り、童謡から流行歌まで幅広く作詞を手がけた巨星・西條八十。「東京行進曲」「東京音頭」「蘇州夜曲」「青い山脈」「越後獅子の歌」「この世の花」「王将」「絶唱」など。早稲田大学仏文科教授を務めつつ、大ヒット曲を生むマルチな才能に一部から批判が集まりますが、西條は「詩に貴賎はない」との信念で、大衆の心を癒やす詞を書き続けました。
●若き詩人の目覚め――東京・牛込に生まれ、歌舞音曲に囲まれた少年時代。父の死で若くして家族の生活を支えながら、詩や童謡との出会いが道を拓く。関東大震災の時、ハーモニカの奏でが被災した人々の心を癒やした。その時音楽が持つ力と素晴らしさに気づく。(「かなりあ」「肩たたき」など)
●詩人の苦悩――早大に職を得て仏文学研究に打ち込みながら、流行歌の大ヒット曲を連発。文学界からの批判に耐えて、己の道を貫く。だが、戦時下には軍歌の作詞を強いられ、教え子たちを戦地に送る辛い時期を過ごす。(「東京行進曲」「誰か故郷を思はざる」「同期の桜」)
●戦後の象徴、弟子たちの活躍――戦犯に疑われた雌伏の時を経て、多くの人々愛唱したが昭和歌謡の代表曲「青い山脈」(作曲:服部良一、歌唱:藤山一郎・奈良光枝、1949年)の誕生へ。大衆音楽への姿勢に共感した若者が集まり、佐伯孝夫、サトウハチロー、門田ゆたかを輩出した。(「青い山脈」「越後獅子の唄」「この世の花」など)
●最愛の妻との別れ――長く支えられた愛妻・晴子との別れ。大ヒット曲「王将」に込められた妻への想いとは。長年の夢、ランボオ研究を大著にまとめた他、遅れていた日本の著作権発展にも尽力。そして、人々の心を打った麦わら帽子の詩。(「王将」「絶唱」「ぼくの帽子」など)
西条八十は、知識人層から「堕落」の烙印を押されても、歌が持つ力を信じ、大衆を励まし続けました。その後、発展した昭和歌謡の源流である西条作品を、もう一度見つめ直します。懐かしいヒット曲とともに、昭和を支えた詩人の美しい言葉が届く2時間スペシャルです。 


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