1月の23日と24日は、大阪で歌舞伎舞踊と文楽を楽しみましたので、ちょっと記しておきます。
直接的には、舟木さんとはちょっとかかわりのないことのようですが、おつきあいいただければ嬉しいです。
直接的には、舟木さんとはちょっとかかわりのないことのようですが、おつきあいいただければ嬉しいです。
まず、23日は大阪松竹座で「坂東玉三郎初春舞踊特別公演」鑑賞しました。
昨年のお正月は、澤瀉屋(おもだかや)さんの襲名披露公演を拝見しましたが、今年も初春らしい華やかな玉三郎さんの舞踊公演というので楽しみにしていました。
今、歌舞伎界の中で「舞踊公演」と銘打った一枚看板での一ヶ月公演が可能なのは玉三郎さんおひとりだけではないかと思います。「日生劇場」や昨年の春に閉館となってしまった「ル テアトル銀座」、京都南座や、名古屋御園座でも玉三郎さんの舞踊公演はずっと拝見してきていますが。私は、歌舞伎はともかく、これほど舞踊に魅せられたのは玉三郎さんと、もうおひとり故十八代目中村勘三郎のおかげといえると思っています。玉三郎さんには舞踊のもつ「静謐の極」、勘三郎さんには「躍動感」を堪能させてていただき、それまで無縁だと思っていた舞踊にすっかり親しみを覚えることができるようになりました。
今回はその玉三郎さんをメインに、勘三郎さんの次男の中村七之助さんが共演なさっているのもまた嬉しいことでした。最後の演目の「於染久松色読販」が終わると、そのまま舞台上からの口上となり、玉三郎さんが「テレビのドキュメンタリーなどでお父様から厳しく叱られて泣きながらも頑張っていたあの小さかった七之助さんとこうして同じ舞台で共演できるのは感無量でございます。」とおっしゃって客席の笑いを誘っていらっしゃいましたが確かに本来なら今、玉三郎さんと一緒に舞台に立つ同輩の皆さんが相次いで亡くなったり、病気療養中でいらしたりという状況の中で、様々な想いで舞台を勤めていらっしゃるのだろうと玉三郎さんの胸中をお察ししてしまいました。
昨年のお正月は、澤瀉屋(おもだかや)さんの襲名披露公演を拝見しましたが、今年も初春らしい華やかな玉三郎さんの舞踊公演というので楽しみにしていました。
今、歌舞伎界の中で「舞踊公演」と銘打った一枚看板での一ヶ月公演が可能なのは玉三郎さんおひとりだけではないかと思います。「日生劇場」や昨年の春に閉館となってしまった「ル テアトル銀座」、京都南座や、名古屋御園座でも玉三郎さんの舞踊公演はずっと拝見してきていますが。私は、歌舞伎はともかく、これほど舞踊に魅せられたのは玉三郎さんと、もうおひとり故十八代目中村勘三郎のおかげといえると思っています。玉三郎さんには舞踊のもつ「静謐の極」、勘三郎さんには「躍動感」を堪能させてていただき、それまで無縁だと思っていた舞踊にすっかり親しみを覚えることができるようになりました。
今回はその玉三郎さんをメインに、勘三郎さんの次男の中村七之助さんが共演なさっているのもまた嬉しいことでした。最後の演目の「於染久松色読販」が終わると、そのまま舞台上からの口上となり、玉三郎さんが「テレビのドキュメンタリーなどでお父様から厳しく叱られて泣きながらも頑張っていたあの小さかった七之助さんとこうして同じ舞台で共演できるのは感無量でございます。」とおっしゃって客席の笑いを誘っていらっしゃいましたが確かに本来なら今、玉三郎さんと一緒に舞台に立つ同輩の皆さんが相次いで亡くなったり、病気療養中でいらしたりという状況の中で、様々な想いで舞台を勤めていらっしゃるのだろうと玉三郎さんの胸中をお察ししてしまいました。
関西在住が長かったことや歌舞伎観劇や落語会などで、千日前、道頓堀のあたりへはよく行っていたのですが、昨年12月の新歌舞伎座公演千秋楽のコンサートで舟木さんが歌われた大阪にゆかりの曲あれこれを思い出しつつ松竹座の開演までに、せせこましい横丁をすり抜けてディープな道頓堀を探検してみました。
大阪ラプソディー
作詩:山上路夫 作曲:猪俣公章
あの人もこの人も そぞろ歩く宵の街
どこへ行く二人連れ 御堂筋は恋の道
映画を観ましょか それともこのまま
道頓堀まで 歩きましょうか
七色のネオンさえ 甘い夢を 歌ってる
宵やみの 大阪は 二人連れ 恋の街
法善寺横丁から道頓堀に抜けるあたりには記念碑なども多くて、とりあえず携帯カメラにおさめてきました。
水かけ不動~法善寺~法善寺横丁~織田作之助碑~月の法善寺横丁歌碑~浮世小路の展示資料~
浪花恋しぐれ
作詩:岡千秋 作曲:たかたかし
芸のためなら 女房も泣かす
それがどうした 文句があるか
雨の横丁 法善寺
浪花しぐれか 寄席囃子
今日も呼んでる 今日も呼んでる
ど阿呆春団治
(セリフ)
「そりゃわいはアホや 酒もあおるし 女も泣かす
せやかて それもこれも みんな芸のためや
今にみてみい!わいは日本一になったるんや
日本一やで わかってるやろ お浜
なんやそのしんき臭い顔は
酒や!酒や! 酒買うてこい!」
それがどうした 文句があるか
雨の横丁 法善寺
浪花しぐれか 寄席囃子
今日も呼んでる 今日も呼んでる
ど阿呆春団治
(セリフ)
「そりゃわいはアホや 酒もあおるし 女も泣かす
せやかて それもこれも みんな芸のためや
今にみてみい!わいは日本一になったるんや
日本一やで わかってるやろ お浜
なんやそのしんき臭い顔は
酒や!酒や! 酒買うてこい!」
「行き暮れてここが思案の善哉かな」~織田作之助~
織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)
日本の小説家。通称「織田作(おださく)」。1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐4丁目、生魂小学校正門前付近)にて、仕出屋(後に『一銭天麩羅屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。出世作となった「俗臭」「夫婦善哉」をはじめ、「競馬」「世相」など短編を得意とした。また出身地である大阪に拘りを持ち、その作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれていることが特徴である。
日本の小説家。通称「織田作(おださく)」。1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐4丁目、生魂小学校正門前付近)にて、仕出屋(後に『一銭天麩羅屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。出世作となった「俗臭」「夫婦善哉」をはじめ、「競馬」「世相」など短編を得意とした。また出身地である大阪に拘りを持ち、その作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれていることが特徴である。
作之助の歌碑の斜め前には「月の法善寺横丁」の歌碑↓
狭い浮世小路の中には当時の道頓堀界隈の寄席小屋の興行のチラシやポスター類など資料が展示されています
昨年の12月に発売された「婦人公論 2014年1月号」に玉三郎さんのインタビュー記事が掲載されました。表紙も玉三郎さんの舞台姿です。ちなみに、この時の舞台は私にとってはこれ以上ないという顔合わせで、演目も江戸時代の享保年間に起きた「吉原百人斬り」事件をもとにした、三代目河竹新七(黙阿弥の門人)の作品で未だこの作品をナマで観たことがなかった私は上演を待ちに待っていたものでした。
表紙→
2010年2月
歌舞伎座さよなら公演 籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
配役
配役
佐野次郎左衛門:中村勘三郎/八ツ橋:坂東玉三郎/繁山栄之丞:片岡仁左衛門
一昨年の12月には中村勘三郎さんが亡くなり、年が明けて勘三郎さんが亡くなってから二ヶ月も経たない今年の2月には市川団十郎さんを失った歌舞伎界でした。その後も坂東三津五郎さんのご病気、片岡仁左衛門さんの肩の手術など玉三郎さんと同じ時代を歌舞伎の世界に賭け、同じ舞台の上でともに共演なさってこられた名優、また盟友の方々の不在はどれほど玉三郎さんにとってお辛かったことかと思います。
「婦人公論」に寄稿なさった文の一部を抜粋してご紹介します。
陽が昇り、 陽が沈むことの 尊さを感じて 坂東玉三郎
(前略)~1日が長く、お陽様が昇っても沈んでもとても苦しかったのです。
そんな精神状態に反して、パリ公演、歌舞伎座の柿落とし公演、「アマテラス」、金丸座、歌舞伎座の「仮名手本忠臣蔵」もチケットは即日完売…おかげで舞台に立っている間は、苦しみを忘れることができました。100%の力でやらなければならないことがあり、そこに足を踏み込めばスイッチが入るという世界をもっていることだけは、本当に私の幸運だと思います
「女形はあなたの天職だ」とよく言っていただきますが、正直、天職だと思ったことは一度もありません。でも、「これしかなかった」とは言えるかもしれませんね。ただただ好きで、本当にそれしかないのです。何にでもしがみつかない質(たち)だからこそ、好きな舞台に立てないときがくるとことだってあるかもしれないと考えられたのでしょうか。若いころから一生懸命にやってきましたけれど、だからと言って、年齢からくる衰えから逃れられるわけでもありません。思わぬところに痛みが出てきたり、足腰もきかなくなってくるし、身体の回復も遅くなっている。日々衰えを感じる毎日です。みなさんは、「立派に舞台をやっているじゃないか」と言って下さるけれど、苦しみや衰えを舞台には出せません。隠しているのです。それが、人間が誰しも通らなければならない道、「老いる」という現実だと思います。それでも、やるべきことがあるということは、本当にありがたいことです。
また。私にとって一番心を打ったのは以下の言葉でした。
~有頂天にはなれない体質です。幸運や幸せをみなさんが求めますが、私は幸せだと思ったことはありません。~
生涯、芸道ひとすじに精進し、これで完璧だということのない世界で生きてこられた方なればこその厳しい言葉だと思います。この真摯な強い想いは、私のような凡人には想像もつかない修業と研鑽の道をひたすら歩んでこられた表現者にしか理解し得ないものなのでしょう。
玉三郎さんは、今ご自身のこと以上に後進の歌舞伎俳優さんたちを育てることに力を注いでいらっしゃいます。そして、その若い俳優さんたちが、認められ成長なさっていくのが一番の歓びだともおっしゃっていらっしゃいます。
http://www.tamasaburo.co.jp/
こちらは、玉三郎さんご自身が開設なさっているHPです。↑
こちらは、玉三郎さんご自身が開設なさっているHPです。↑
お忙しい中でも毎月、月初めには、「今月のコメント」を更新なさっていらっしゃいます。
「婦人公論」でも書かれている先輩、同輩を失った寂しさのことも2013年12月の「今月のコメント」で記
されています。是非合わせてご覧ください。
「婦人公論」でも書かれている先輩、同輩を失った寂しさのことも2013年12月の「今月のコメント」で記
されています。是非合わせてご覧ください。
以下、やっと舟木さんのことにつながります(笑)
昨年秋に舟木さんと「再会」を果たせるまでは、現代劇で評判を呼んでいる舞台公演も時折は観劇してはいましたが、ほとんどが伝統芸能にかかわる舞台に通いつめていました。
そんな私が、一昨年秋に舟木さんの公演でお芝居とコンサートの両方を初めて拝見して感じたのは、私がこれまで親しんできた世界の方たちとの違和感が一切ないという思いがけない事実でした。
そんな私が、一昨年秋に舟木さんの公演でお芝居とコンサートの両方を初めて拝見して感じたのは、私がこれまで親しんできた世界の方たちとの違和感が一切ないという思いがけない事実でした。
ですが、最初に拝見した時のそういった感じをもしかしたら、錯覚かも?・・と思って、念のため一週間後くらいにもう一度舞台を観に行ってみました。自分の直感が確かかどうか、失礼ながら確認に行ったという次第です。そしてその結果、「この人は本物だ!」と本当に小躍りしたいほど嬉しく幸せな気持ちになりました。
文楽や、歌舞伎などの舞台に携わっていらっしゃる方々と同じ匂いを舟木さんから感じ取りました。
文楽や、歌舞伎などの舞台に携わっていらっしゃる方々と同じ匂いを舟木さんから感じ取りました。
私が舟木さんのステージや舞台公演で感じるのは、やはりプロフェショナルの厳しさと常に前だけを見て邁進していくパッションです。それと玉三郎さんもおっしゃっているように「現実を見つめ、逃げずにベストを尽くす強靭な精神」が気迫やオーラとなって伝わってくることの感動です。加齢とともに訪れるいわばマイナス要因を「いかにして隠し、お客様に満足のいく舞台にするか」このことは舟木さんにも玉三郎さんにも共通する姿勢だと感じています。これを克服していくのはただただパッションだけではないでしょう。経験を生かした工夫と年令に応じた技や美しさを編み出していく智慧も求められます。強靭な精神力と長く培ってきた芸能者の智慧の総決算の披露という意味でも、ベテランの表現者の方々の舞台は本当に至高のものであり価値のあるものだと思います。舟木さんは、最近のステージで「とっておく声なんかもうない」とおっしゃっています。この言葉の意味を想像すると私は深く胸打たれます。
舞台に立ち、ライトを浴び、多くの観衆の期待を一身に受けることの歓びよりも、もっと大きな孤独感が一流の舞台人にはあることを、今さらのように感じる今日この頃です。心して舞台を楽しませていただきたいとあらためて痛感しています。
舞台に立ち、ライトを浴び、多くの観衆の期待を一身に受けることの歓びよりも、もっと大きな孤独感が一流の舞台人にはあることを、今さらのように感じる今日この頃です。心して舞台を楽しませていただきたいとあらためて痛感しています。
http://www.youtube.com/watch?v=sPgtX-ljHi4 ←坂東玉三郎さんの藤娘を御覧になれます
歌舞伎舞踊の「藤娘」は、その幕あけがとってもインパクトが強く、舞踊の楽しさが満喫できます。
客席はすべての灯りを落としていて真っ暗闇です。長唄の~若むらさきにとかえりの 花をあらわす松の藤浪~という文句でパッと舞台がライトアップされて一面、藤の花が咲き乱れる中に藤の精が浮かび上がります。なお、この「二人藤娘」は歌舞伎座の「鳳凰祭三月大歌舞伎」でも昼の部で上演されますので、お見逃しなく!
客席はすべての灯りを落としていて真っ暗闇です。長唄の~若むらさきにとかえりの 花をあらわす松の藤浪~という文句でパッと舞台がライトアップされて一面、藤の花が咲き乱れる中に藤の精が浮かび上がります。なお、この「二人藤娘」は歌舞伎座の「鳳凰祭三月大歌舞伎」でも昼の部で上演されますので、お見逃しなく!
玉三郎さん、七之助さんの二人藤娘 舞台写真
大阪松竹座 坂東玉三郎初春特別舞踊公演 1月23日 14時開演
一、 村松風二人汐汲(むらのまつかぜににんしおくみ) 坂東玉三郎/中村七之助
須磨の浦に流された在原行平が、かの地で契りを交わしたという海女の姉妹・松風と村雨。行平が残した烏帽子と狩衣を身にまといながら、二人は行平を偲んで踊ります。謡曲『松風』を素材にした歌舞伎舞踊『汐汲』。今回は踊り手を二人にした華やかな趣向です。
二、 操り三番叟(あやつりさんばそう) 市川猿也/坂東薪車/市川笑三郎/市川月乃助
翁と千歳が現れ、厳かに舞い始めます。翁と千歳が舞い納めてその場を去ると、後見が箱から糸操りの三番叟の人形を運び出し、糸を操ると三番叟が動き出します。三番叟は五穀豊穣を祈り、舞い納めるのでした。
三、 二人藤娘(ににんふじむすめ) 坂東玉三郎/中村七之助
松の大木のもとに、塗笠をかぶり藤の枝を手にした愛らしい娘姿の藤の精が現れ、男心のつれなさを名所近江八景によそえて踊ります。そして娘の恋を艶やかに踊り、松を好きな男にみたてて差しつ差されつ盃を交わすうち、ほろ酔いの姿を見せます。続いて気分を変えるように賑やかな手踊りとなりますが、やがて日も暮れ、いつしかその姿を消すのでした。
四、 於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり) 土手のお六/玉三郎 お光・お染・久松/七之助
お染久松の情話を江戸に移し、美しい女方の目まぐるしい早替りと、土手のお六で悪婆と呼ばれる南北独自の女方芸を見せるのが趣向です。『道行』では、常磐津舞踊の形を取りながら、次々に早替りで見せ、登場人物の運命を綴っていきます。最後にお六が出て華やかな所作立てとなります。
←玉三郎さんの藤娘
2011年10月日生劇場
中村勘三郎さんの藤娘→
2005年7月松竹座