2月6日、大宮ソニックシティホールから2014年の舟木さんのコンサート活動がスタートしました。
一週間以上くらいも前から最大級の寒波が襲来するとか大雪が降るなどの天気予報で戦々恐々だった上に、私事ながら、めずらしくひいた、「ただの風邪」がなんともクセモノだったらしく、2週間余り体調不良で悩まされていました。上京する当日も、なんとか回復してはいたのですが、まだまだ万全とは言えず不安が残っていましたが、幸い、心配されたお天気は大丈夫で新幹線にも影響はなくて、順調に大宮に到着することができました。遠方から来られてる舟友さん、関東近郊の舟友さんなどと駅前でおちあって、お喋りしてからすぐ目の前の大宮ソニックシティに向かいました。まだまだ開場まで時間があるにもかかわらず、ホール前はもうあふれんばかりの人でいっぱいでした。
一週間以上くらいも前から最大級の寒波が襲来するとか大雪が降るなどの天気予報で戦々恐々だった上に、私事ながら、めずらしくひいた、「ただの風邪」がなんともクセモノだったらしく、2週間余り体調不良で悩まされていました。上京する当日も、なんとか回復してはいたのですが、まだまだ万全とは言えず不安が残っていましたが、幸い、心配されたお天気は大丈夫で新幹線にも影響はなくて、順調に大宮に到着することができました。遠方から来られてる舟友さん、関東近郊の舟友さんなどと駅前でおちあって、お喋りしてからすぐ目の前の大宮ソニックシティに向かいました。まだまだ開場まで時間があるにもかかわらず、ホール前はもうあふれんばかりの人でいっぱいでした。
ほとんどの人が指定席のチケットもあるのですが舟木さんのコンサートには、どうしてこんなに早々と人が集まるんでしょう(笑)そういう私も、この日ばかりは、開演が本当に待ち遠しくてソワソワ、ウキウキでした。一年のスタートということもありますが、昨年12月25日の新橋演舞場からなんとなんと38日間も経っていて舟木さんに逢えるのは久しぶりですから嬉しくて、楽しみで仕方ありませんでした。
6日は昼・夜拝見しましたから、大宮の近くのホテルに一泊して翌日午前中に東京を離れました。まだ、この時点ではお天気も良くて、スムーズに帰宅できましたが、一夜明けて今日8日は一面の雪景色が広がっていて、一日遅くなっていたらとんだことになっていたんだろうなと幸運を感謝しました。飛行機などで遠方から来られてる方も皆さんご無事に帰ることができて本当に何よりでした。
舟木一夫 コンサート
大宮ソニックシティ・大ホール
2014年2月6日 昼 14:30 夜 18:30
各回 約100分 (休憩なし)
2014年2月6日 昼 14:30 夜 18:30
各回 約100分 (休憩なし)
舟木さんのトーク部分はピンク文字です。昼夜のトークをまとめています。
柿の実色のジャケット、白いシャツ、黒のベストに黒のパンツ、黒の蝶ネクタイで登場
オープニング~
立ち話
立ち話 作詩:尾中美千絵 作曲:三木たかし
(1978年6月シングル発売)
あなたは美しい 今も変わらない
夕暮れの人波に 押されてめぐり逢い
久しぶり元気かと ありふれた言葉
煙草のけむりに 心かくして立ち話
夕暮れの人波に 押されてめぐり逢い
久しぶり元気かと ありふれた言葉
煙草のけむりに 心かくして立ち話
あなたも覚えてる 忘れたふりしても
傷ついた恋の日を その瞳(め)がなつかしむ
見る夢が違うのさ 男と女は
二人で過ごした 淡い季節の中でさえ
傷ついた恋の日を その瞳(め)がなつかしむ
見る夢が違うのさ 男と女は
二人で過ごした 淡い季節の中でさえ
あなたは逃げるのか 急ぐだけなのか
さりげない物腰に さよならも優しく
忘れよう今日かぎり 捨てよう思い出
一つの青春 今は二つの物語
一つの青春 今は二つの物語
さりげない物腰に さよならも優しく
忘れよう今日かぎり 捨てよう思い出
一つの青春 今は二つの物語
一つの青春 今は二つの物語
「ポップソングスペシャルセレクション」にも収録されています →
(2013年8月21日発売)
明けましておめでとうございます・・・というのもマヌケですしね・・どうしましょうか・・木枯らしもふところも寒い中、ようこそ(笑)このコンサートが仕事始めなんです。1月も(仕事を)したんですが、リハーサルという感じで・・去年の12月に69才になりました。70まであと11カ月・・今が冬本番というところですが、年々、冬の寒さがそれほど厳しいと感じなくなってきてます。四季がボヤけてきたんでしょうか・・子どもの頃の「しーん」として寒さはないような・・・「?十分寒いよね」という空気の客席の反応を感じ取られたのか、共感を得られなかったと察知なさったのか(笑)・・・何云ってるのかわからなくなってきました。アホちゃうか!?なんておっしゃりつつ、今年も一年間、宜しくお願いします。と締め。
~メドレーで、プレゼントタイム~
東京は恋する
くちなしのバラード
花咲く乙女たち
友を送る歌
くちなしのバラード
花咲く乙女たち
友を送る歌
これだけ長いこと皆さんの前に立たせていただけてると、喋ることもなくなるし、新聞や雑誌に載ってることも楽しい話がないし・・・バカ受けして、お断りしたんですが、舞台の時代劇に、○○って人を、出してみたらという話がありました。その時の話題の人を連れてこようかということなら○○くんを連れてきてサインボールを投げてもらうとか(笑)・・・去年で丸々50年時間が経ったわけですが、よくここまで来ましたね。うしろのバンドの皆さんや、いろんな方面の方のおかげで・・私も途中で「ヒルネ」しましたが・・・今、60代最後の一年ですが(拍手)~あんまりめでたいとは云えない・・高校三年生もあと10カ月で・・・お互いさまにご愁傷様で・・いろんなつっかえ棒がないとできない旅ですから、色々な作品にめぐまれた幸せな歌い手です。こうやって歌っていても、あれが足りない、これが足りないってことはない・・
その人は昔のテーマ
この歌は、なんだかしらないけど後ろ向きに始まって、後ろ向きに終わる・・余韻を残した曲の後はむつかしい。20代に、「その人は昔~メモリアルコンサート」で通しでやったことがあるんですが、これが船村さんの作品?感じがするでしょ。「王将」「風雪流れ旅」とかのイメージですから・・・当時、船村さんはまだ三十代で、すごいパワーだった。若い時にめぐり逢えたのは幸せだった。
ここでみっつ並べたのも大ヒットした歌。お客さんが選んだ歌はいい!
ここでみっつ並べたのも大ヒットした歌。お客さんが選んだ歌はいい!
北国の街
哀愁の夜
高原のお嬢さん
哀愁の夜
高原のお嬢さん
どれも時代の香りがする名曲。僕がデビューした頃は「夜霧」が小道具として出てくる歌がたくさんあった。今は「夜霧」なんかありませんもんね。使えなくなった言葉もたくさんある。「哀愁の夜」は、演歌よりのメロディーだと思うんですが・・「旅の夜風」なんかも演歌とは違う感じがしますが、どのジャンルに入れるか?「流行歌」独特の感じですね。「日本の名曲」・・「古典」といわれるものと「流行歌」どこからセンを引くか・・
「昭和の流行歌」という切り口ではなくて、僕が流行歌手になりたいと思った時からこちらの歌~小学校六年生ぐらいから聴き始めた歌~なんとなく僕も御客様も耳のどこかに残っているという歌を中心に2曲・・・2曲でも1000曲(選曲)・・とまたしても駄洒落(笑)さらに、スタートは古典でいきます。コテン!と首を右に傾けるお茶目な舟木さんはキュート過ぎて私的には最強のツボです(笑)
「昭和の流行歌」という切り口ではなくて、僕が流行歌手になりたいと思った時からこちらの歌~小学校六年生ぐらいから聴き始めた歌~なんとなく僕も御客様も耳のどこかに残っているという歌を中心に2曲・・・2曲でも1000曲(選曲)・・とまたしても駄洒落(笑)さらに、スタートは古典でいきます。コテン!と首を右に傾けるお茶目な舟木さんはキュート過ぎて私的には最強のツボです(笑)
毎回コンサートのたびに昼・夜とも見事な花束をプレゼントなさる舟友さんのお花です
「その人は昔」のテーマとか、「宵待草」とか、カッコ良くて色っぽい曲の後とか、前とかだとテレ隠しのよう
に妙にお茶目ぶりを発揮する舟木さんのようです。くすぐられますねぇ・・舟木さん反則だぞォ~ッ!
に妙にお茶目ぶりを発揮する舟木さんのようです。くすぐられますねぇ・・舟木さん反則だぞォ~ッ!
昨年の初めから、毎回のようにステージで予告なさっていた「日本の名曲」をやっとたっぷりと聴かせていただきました。歌舞伎とか文楽なら、歌い終わった時に「大当たりぃ~ッ!」と大向こうから声がかかるような素晴らしいものでした。「抒情歌の舟木一夫」という揺るぎない看板を背負っていることは間違いなしです。舟木さんは「宵待草」や「ゴンドラの唄」などを「歌曲」ともおっしゃっていましたが、短い定型詩の中にスケールの大きなドラマ性を孕み、しかも叙事にとどまらず聴く人ひとりひとりの頭の中に限りない広がりのあるイメージの世界を届ける抒情性を宿らせる力が舟木さんの歌唱にはあるのです。ご本人は巧い下手の問題ではなく、プロの歌い手としてのスケールの大きさや響きだとおっしゃっていますが、それは舟木さん独特の言い方であって、やはり、たゆまぬ研究と研鑽が生んだウルトラ級のテクニックなしで語れるものではないと思います。歌人や詩人が、命を削るようにして選りすぐった過不足のない言葉の、ひとつひとつの重みや息吹きを掌の中に包んだ花びらを扱うように繊細な心で鮮やかに私たちの目の前に見せてくださるような歌唱でした。言葉数の少ないスローバラードは、歌舞伎舞踊のような派手さとは異なる動きの少ない「地唄舞」のような世界観に似ているように思います。アップテンポで軽快に歌う曲よりも、何倍もごまかしのきかない曲です。しかも「宵待草」や「ゴンドラの唄」には独特の古典的な「匂い」があります。聴く側もまた、それを求め、イメージして聴きます。ですから、ただ「歌いたいから歌う」ではすまされない五十年選手のプロの歌い手としての自信と歌いきるテクニックという裏付けが不可欠だと思います。
舟木さんは、しきりに、もうこういう自分の歌いたいものを歌うわがままを許していただけるかと・・控え目におっしゃいますが、若い頃から、ずっとこのジャンルの歌も歌っていらしてきているのですから、今さら、わざわざ、「お客様」の了解を得るまでもないと思うのです。私としては逆に、今ご自身の声と表現力で、やっと本来、ご自分がイメージしてこられたような歌唱が自在にできる境地を手にすることができたということの告知のような気もしています。「船頭小唄」にしても「宵待草」や「ゴンドラの唄」・・「荒城の月」などなど舟木さんはその抒情性と憂いを帯びた独特の声質と詩の理解力や表現力で若い頃から、他の若手歌手とは異なった持ち場でその歌い手としての守備範囲を持続してこられています。その集大成が、今年からスタートした「日本の名曲」をステージで披露するということなのだと私は感じています。
宵待草
ゴンドラの唄
浮世まかせ
ゴンドラの唄
浮世まかせ
「宵待草」と「ゴンドラの唄」~舟木一夫の 花のステージ第七集(1967年12月発売)に収録音源ありますが、やはり若い頃の声や歌唱とは雰囲気はかなり違いますね。舟木さんがおっしゃるように「スケール」の大きさが圧倒的に加わった今の歌唱です。
「宵待草」~アルバム「宵待草/竹久夢二の郷愁」(1973年6月発売)にも収録されています。また、その後ステージでも上記のアルバム収録曲などとWHITEの自作曲「夢幻-MUGEN」などと併せて「組曲」構成で歌っていらっしゃいます。しかし、今回のような、単独の「歌曲」というスタイルで歌われたのは初めてではないかと思うのですが・・・なお舟木さんは八十の作った2番を原詩のまま「花が散る」と歌っていらっしゃいます。おそらく今、この2番の詩で歌っているのは舟木さんだけではないでしょうか。1967年と73年のアルバムでは「宵待草」は一番の詩のみで歌っていらっしゃいます。
宵待草 詩:竹久夢二 作曲:多忠亮
待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬそ(さ)うな
今宵は月も出ぬそ(さ)うな
宵待草 詩:西條八十(二番)
暮れて河原に星一つ 宵待草の花が散る
更けては風も泣くそ(さ)うな
更けては風も泣くそ(さ)うな
宵待草
夢二が亡くなって4年後の1938年に、その爆発的人気にあやかり『宵待草』という映画が企画された。その際、映画の主題歌にはこの3行の歌詞は短すぎるとして、夢二と親しかった西條八十によって新たに第2番の歌詞が加えられた。ところがその歌詞の中に、宵待草の花が「散る」という表現があり、「月見草は萎むもので直ぐには散らない」という指摘を受けて歌詞は訂正されたものの(「花のつゆ」と訂正)。第2番が歌われることはほとんどなかった。(ウイキペディアより)
ゴンドラの唄 作詩:吉井勇 作曲:中山晋平
いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを
いのち短し 恋せよ乙女
波にただよう 舟のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを
いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを
*舟木さんの歌唱は1、2、4番でした。
ゴンドラの唄
1915年(大正4年)に発表された歌謡曲。吉井勇作詞。中山晋平作曲。芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。
注:志村演じる主人公がブランコをこぐシーンは名シーンとしてよく知られている。脚本はレフ・トルストイの「イワン・イリイチの死」が下敷きにされており、作中にそれを暗示するせりふも盛り込まれている。黒澤はこの当時、東宝争議の影響で、映画界入り以来所属してきた東宝を去り、独立プロ「映画芸術協会」を設立して、他社で『野良犬』、『羅生門』、『白痴』などを制作していた(『野良犬』以外の監督作品は、いずれも配給は大映・松竹である)。労働争議が終息した後の1952年(昭和27年)に、東宝復帰第1作として制作されたのが本作『生きる』である。黒澤は作中で積極的に流行歌を取り入れているが、「生きる」では作中に絶望した初老の主人公が口ずさむ歌として「ゴンドラの唄」が選ばれた。「ゴンドラの唄」は吉井勇の作詞、中山晋平の作曲で1915年(大正4年)に芸術座の第5回公演『その前夜』(ツルゲーネフ作)の劇中歌として用いられ、のちに流行歌となった。
みっつめのは古典でもなんでもない40周年の記念に作った曲です。「宵待草」は歌詞として書かれたものではないです・・西條先生が大好きで~三木露風の「ふるさとの」もお好きでしたが~ツーコーラス目を自分で書いたんです。「ゴンドラの唄」(注参照)は黒澤監督の「生きる」の有名なブランコのラストシーンで志村喬さんが歌っています。
ここから後半です
着替えたほうがいいですか?じゃあ着替えます・・もう一着もってきてます。零細企業なんで人手不足だからこうして見えてるところで着替える(笑)と舞台の上手まで歩いていってジャケットを着替える舟木さん
ジャケット着替え~ラメ入りの渋い深緑、胸にクリーム色のバラ
あんまりこういうヒカリモノは着ないんですが、たまにはこういうのも着てもいい?ラメ?(笑)ハイハイ、パチ
パチで~す!・・・今年もバカです(笑) 駄洒落が言えるのはカシコイ証拠ですよね
パチで~す!・・・今年もバカです(笑) 駄洒落が言えるのはカシコイ証拠ですよね
明日咲くつぼみに
~メドレー、プレゼントタイム~
~メドレー、プレゼントタイム~
ああ青春の胸の血は
君たちがいて僕がいた
高校三年生
学園広場
君たちがいて僕がいた
高校三年生
学園広場
こうやって並べてみると舟木一夫という歌い手はじつに作品にめぐまれていると・・
客席の皆さんが、自分の青春を確認なさってるのが~特に男性が~手に取るようにわかる・・時間が経った分、歌のなかにいろんな想いがこもる、愛おしく想う・・・「流行歌」っていいですね。「学園広場」でも同じ風景が浮かんでるわけですから。55年目は73です。頑張るしかない。いけるところまで行ってみます。
客席の皆さんが、自分の青春を確認なさってるのが~特に男性が~手に取るようにわかる・・時間が経った分、歌のなかにいろんな想いがこもる、愛おしく想う・・・「流行歌」っていいですね。「学園広場」でも同じ風景が浮かんでるわけですから。55年目は73です。頑張るしかない。いけるところまで行ってみます。
そろそろお客様におゆるしを願いたいと思うのは、ぼちぼち僕も楽しむことをカンベンしてもらいたいと・・
せっかく流行歌が好きで流行歌手になって、皆さんのおかげでここまで来たわけですから・・私、この12月に70なのによく髪の毛がありますね(笑)・・・ごほうびだと思って自分の好きな歌いたいと・・
NHKBSでオンエアされますが、船村先生のギターで初めて「夕笛」を歌ってきました。(船村先生は)81
才ですからね、ギターも・・・(笑)いきなりストーンと初心にもどれる・・・嬉しい関係です。
プロの歌い手にとって一番むつかしいのはスケールの大きさ・・声の響きだけで間口を出そうと思ったらむつかしい。三十代後半くらいから「空間のさばき方」ということを思い始めた。
せっかく流行歌が好きで流行歌手になって、皆さんのおかげでここまで来たわけですから・・私、この12月に70なのによく髪の毛がありますね(笑)・・・ごほうびだと思って自分の好きな歌いたいと・・
NHKBSでオンエアされますが、船村先生のギターで初めて「夕笛」を歌ってきました。(船村先生は)81
才ですからね、ギターも・・・(笑)いきなりストーンと初心にもどれる・・・嬉しい関係です。
プロの歌い手にとって一番むつかしいのはスケールの大きさ・・声の響きだけで間口を出そうと思ったらむつかしい。三十代後半くらいから「空間のさばき方」ということを思い始めた。
「空間のさばき方」・・・これは今回の舟木さんのトークで一番印象に残った言葉でした。
いわゆる声質とか声量など天性の資質にまかせた「力技(ちからわざ)」だけで通用するのは、三十代までなんだと私も感じます。どんな世界でも表現者である以上、一度はそういった転機というか折り返し点が必ずあるのだと思います。舟木さんの声は、その年代年代の音源でお聴きしている限り、やはり三十代の花の盛りの声というのは得も言われぬ輝きと香りと突き抜けた美しさが感じられます。デビュー当時の素直な歌唱の時期にはない「気づき」という魅力があります。これは本当に特別な時代ではないかと感じられます。
いわゆる声質とか声量など天性の資質にまかせた「力技(ちからわざ)」だけで通用するのは、三十代までなんだと私も感じます。どんな世界でも表現者である以上、一度はそういった転機というか折り返し点が必ずあるのだと思います。舟木さんの声は、その年代年代の音源でお聴きしている限り、やはり三十代の花の盛りの声というのは得も言われぬ輝きと香りと突き抜けた美しさが感じられます。デビュー当時の素直な歌唱の時期にはない「気づき」という魅力があります。これは本当に特別な時代ではないかと感じられます。
これが顕著に感じられるのは15周年記念の10枚組アルバム「限りない青春の季節」です。それまでのシングルはじめ代表的な曲をほとんど再録音していらっしゃいますが、これは本当によくぞ残して下さったと思うほど素晴らしい歌声です。舟木さんにとって決して恵まれた時代ではなかった15年目のこの時期に、沢山の曲を再録音しようとなさったことそのものが舟木さんのプロの歌い手としての認識の確かさでありセンスの素晴らしさだと私は痛感しています。
初恋
夕笛
吉野木挽唄~絶唱
夕笛
吉野木挽唄~絶唱
吉野木挽唄
ハアー 吉野吉野と 訪ねてくればよ
吉野千本 花盛りよ
吉野千本 花盛りよ
ハアー何んの因果で 木挽を習いよ
花の盛りを 山奥によ
花の盛りを 山奥によ
絶唱 作詩:西條八十 作曲:市川昭介
愛おしい 山鳩は
山こえて どこの空
名さえはかない 淡雪の娘よ
なぜ死んだ ああ 小雪
山こえて どこの空
名さえはかない 淡雪の娘よ
なぜ死んだ ああ 小雪
結ばれて 引き裂かれ
七年を 西東
いのち短く 待つ日は永く
泣きぬれた ああ 小雪
山番の 山小舎に
春が来る 花が咲く
着せて空しい 花嫁衣装
とこしえの ああ 小雪
七年を 西東
いのち短く 待つ日は永く
泣きぬれた ああ 小雪
山番の 山小舎に
春が来る 花が咲く
着せて空しい 花嫁衣装
とこしえの ああ 小雪
「ゴンドラの唄」でご紹介した「生きる」(1952年公開)で主演なさった志村喬さんは、14年後に「絶唱」(1966年公開)で、舟木さん演じる園田順吉の父、大地主の園田惣兵衛として共演されています。そう考えると舟木さんってあらためて本当に凄い名優の方たちと一緒にお仕事されてきていることに驚きます。
そろそろラストブロック・・・今年はどんな構成を考えて下さっているか・・先ず一曲目が「初恋」でしたから
抒情歌系でまとめられるんだろうなァ・・と二曲目がトークでも出てきた「夕笛」・・「絶唱」をコンサートで
外すことは絶対ないと信じてるので、ラストは「絶唱」だなァ・・と思ってはいたのですが・・なんとも嬉しす
ぎるサプライズの趣向でした。
抒情歌系でまとめられるんだろうなァ・・と二曲目がトークでも出てきた「夕笛」・・「絶唱」をコンサートで
外すことは絶対ないと信じてるので、ラストは「絶唱」だなァ・・と思ってはいたのですが・・なんとも嬉しす
ぎるサプライズの趣向でした。
後ろ向きになった舟木さん・・・ライトが落ちて・・・アカペラで「ハァ~~~・・」と吉野木挽唄がはじまり
ました。
ました。
アルバム「日本の四季~西條八十の世界を歌う」(1972年6月発売)では新録音版で「吉野木挽唄」から「絶唱」に入るとうスタイルで収録されています(木挽唄は一番だけ)が、ナマでのこのスタイルは私は初めて遭遇しました。「絶唱」だけはどうしてもスリーコーラスで歌ってほしいというのが私の悲願ですが昨年の新歌舞伎座のコンサートではスリーコーラスの「絶唱」を聴けて大感激したばかりです。さらに、今回は「吉野木挽唄」から入るという私にとっては「絶唱の完全版」ですから、涙、涙でした。走馬灯のように映画のシーンが浮かんできてどっぷり「絶唱」の世界に浸りきりました。その上、舟木さんが後半で選んだジャケットの深緑は、吉野杉の木立を思わせ、カンペキでした。ジョーダン抜きに「舟木さん、私のためにありがとう」(笑)って気分でした。
勿論、帰宅してから、「絶唱」をじっくり観ましたよ!何度観ても、冒頭のシーンからジワっときてしまいます。今年のソロ・コンサートは、たった4回しかありませんが、ぜ~んぶ行きま~す!
このラストの「絶唱」だけで、大満足な私です。
勿論、帰宅してから、「絶唱」をじっくり観ましたよ!何度観ても、冒頭のシーンからジワっときてしまいます。今年のソロ・コンサートは、たった4回しかありませんが、ぜ~んぶ行きま~す!
このラストの「絶唱」だけで、大満足な私です。
アンコール~
スタンディングで 君よ振りむくな
スタンディングで 君よ振りむくな
今年の構成は、スタンディングがアンコールなのも私としては落ち着いてて大歓迎です。
舟木さんもこのスタイルのほうが、いくらかラクではないかと思います。
お楽しみのサインボール投げも、最後の最後にあるから、ファンとしても楽しみ倍増なんじゃないでしょうか。
今年も、とってもとってもステキな舟木さんにいっぱい出逢えそうです。