本来ならばこういった風景の秋の行楽シーズン真っ盛りのはずなのに…
こんなことになってます。秋も深まってからの台風…想定外でした。
24日の大阪フェスティバルホールのコンサート開催までに日本列島を通過してほしいものです。
「我が道」(スポニチ連載)21日目のタイトルと関連資料などご紹介します。
~今でも考えられないことですが、デビューからわずか1年でホリプロから独立したのです。
当時のマネージャーが代表となって設立した第一共栄に移籍しました。
~中略~独立騒動後も予期せぬことが起こっていきます。
デビュー当時からコンビを組んでいた日本コロムビアの栗山章さんが退社。
会社の方針と合わなくなったのが理由のようです。~中略~
ボクと栗山さん、そして制作担当マネージャー福岡博正さんの3人は、
絶妙な信頼関係の中でうまく機能していた、いわば”チーム舟木”でした。
~中略~こうしてボクは大事な両輪を失ってしまいました。
仕事自体はまだ好調に推移していた中で狂いだした歯車。
~10月21日「我が道」(スポニチより一部抜粋)
今日の「我が道」は、読んでいて切なくなる文面でした。まだ、ほんの年若い頃の舟木さんの不安感や焦燥感が胸に迫ってきます。でも、人気も仕事も登り坂の中で、立ち止まることもできず、ただ降ってわいてくる日々のスケジュールをこなしていくしかないのですから…。人一倍感受性の強い、ナイーブな舟木さんが正常な心身でいられるはずがなかったと、今なら十分に想像できます。
近代映画 1964年8月号 舟木一夫・デビュー1周年記念号 掲載記事より
舟木さんも若ければファンもまだ学生さんという年頃の人が多かったはずです。
舟木さんの身の上に起こっている「事件」は不安だったことでしょうね。
私などは、まだ小学生でしたから、全くの「蚊帳の外」当時はもちろん、何にも知りませんでした。