近くのスーパーに買い物途中、雨に打たれたコスモス。はかなげ…です。
こちら東海地方は、今夜から明日未明にかけて台風が最接近とのこと。
今は、さほど風も強くなく、雨も通常の雨脚…というところですが。
「我が道」(スポニチ連載)22日目のタイトルと関連資料などご紹介します。
~美空ひばりさんの「不死鳥」のように。ボクは飛ぶべくして飛んだ鳥だったのかもしれない。
でも、当時はまだ長距離を飛ぶ体力のある鳥ではなかった。~中略~
1971年(昭46)の第22回NHK紅白歌合戦で歌った「初恋」が最後のヒット曲となりました。
~心にも妙なすきま風が吹いていました。竹に例えると分りやすいかもしれません。
竹というのは節があるから高く伸びていける。節がないまま伸び続けたら倒れてしまう。
~中略~84年には弟の幸正が26歳の若さで事故によりこの世を去りました。
その同じ日に尊敬していた長谷川一夫先生(享年76)まで逝ってしまわれるとは…
信じられませんでした。大川橋蔵先輩(享年55)が亡くなられたのもこの年でした。
~中略~事務所は解散し、84年以降の6年間はシングルは発売せず。
”寒い時期”は長く続き、歌い手としてはただ生きているだけ…。
~10月22日「我が道」(スポニチより一部抜粋)
昨日に続いて、胸の痛みを覚えずには読めない「我が道」。まさに歌い手としても、人としても舟木さんの長い旅路の中での「胸突き八丁」の歳月の回想。舟木さんがTVなどで語られたこと、自著の中でも記していらっしゃることなのですが…。でも、これでもかという辛い出来事の連続を体験されていることが、55周年を迎えてなお魅力的な舟木一夫を創り上げてきたことだけは確かだと思います。
文中で、~84年以降の6年間はシングルは発売せず…。鳥は羽ばたく力を失って…。~とおっしゃってますが、83年4月発売のシングル「つばさ」は、そんな想いを抱きしめて作られた作品なんですね。あらためて、聴いてみて心に沁みました。kazuyanさんの動画をお借りしました。
つばさ 1983年4月発売 シングル 作詩・作曲:舟木一夫
長谷川一夫さん、大川橋蔵さんとのステージでの珍しい写真をちょうだいしましたので、
ご紹介させていただきます。いずれも「浮舟ニュース」より
長谷川一夫さんと「スターものまね大合戦・200回記念」に出演(1970年10月11日放映)
舟木さんの「高校三年生」をジェスチャーたっぷりで歌われたそうです。
でも、実は歌声は舟木さんだったとか…
*文字が小さいので、拡大ボタンを押してお読みくださいね。
大川橋蔵さんと「大川橋蔵後援会15周年記念 橋蔵まつり」のステージ(1971年8月31日)