「我が道」(スポニチ連載)27日目のタイトルと関連資料などご紹介します。
~「初めてお会いしたのはボクがデビュー直前の1963年(昭38)4月ごろ、
TBS「ロッテ歌のアルバム」の会場でした。
58年にスタートし77年の1000回放送まで玉置さんが司会をされた人気番組。
そんな現場の空気を体感させようとマネージャーが連れて行ってくれました。~中略~
玉置さんはボクがデビュー翌年に行った東京・浅草国際でのワンマンショー以降、
2010年に亡くなる直前まで主な舞台公演の司会を務めてくださり
”寒い時期”も見守り続けてくれました。97年に念願だった東京・新橋演舞場で
初座長公演を行った際も、もちろん司会をお願いしました。~中略~
出会った頃の玉置さんは20代後半でしたが、その風貌は黒縁メガネに短髪で
ずっと年上に見えました。”歌い手さんより若く見えてはいけない”との配慮だったといいます。
そういえば恩師の遠藤実先生も同じでした、ボクと年齢がひと回りしか違わないと知ったのは、
出会ってからだいぶ後のこと。~中略~大人に見られることに意味があった時代。
若さばかりがクローズアップされる現代とは違う美徳があったといえるかもしれません。
~10月27日「我が道」(スポニチより一部抜粋)
左は、大阪新歌舞伎座・初座長公演のパンフレットより
右は明治座・座長公演のパンフレット(中央は赤坂小梅さん)より
こちらも、明治座公演のパンフレットより。30代になったばかりみたいですが、カンロクありますね。
ちなみに、こちらの遠藤先生も、まだ40歳になるかならずの頃…(1972年撮影)
新橋演舞場初座長公演(1997年)の頃の玉置さん
新橋演舞場公演「沓掛時次郎」 舟木一夫&玉置宏トークショー
~平成十三(2001)年七月九日 フォーシーズンズホテル椿山荘 東京にて~
~平成十三(2001)年七月九日 フォーシーズンズホテル椿山荘 東京にて~
玉置さんが亡くなられた時の記事と舟木さんの哀悼(感謝)の言葉
【玉置宏さん死去】
舟木一夫さん「目配り、気配りに幾度となく救われた」(サンケイ新聞)
2010 .2.12 19:08 ネット発信
歌手の舟木一夫さんのコメント。
18歳でこの世界に入り、右も左も分からずにまごついていたころ、何かにつけて玉置さんの目配り、気配りに幾度となく救われました。
流行歌の昭和・平成を、鮮やかに彩ってくださった玉置さん。ありがとうございました。…思い出は尽きません。
※写真は復帰コンサートで玉置宏さんとトークする舟木一夫=2001年01月16日。
滋賀県立芸術劇場びわこホール
(撮影森本幸一)