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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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相模女子大グリーンホール・大ホール 2014コンサート 3月12日

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                                3月12日、新幹線の新富士駅付近で撮影した富士山
イメージ 12月6日の埼玉県・大宮ソニックシティ・ホールに続いての通常コンサートが神奈川・相模女子大グリーンホールで開催されました。今回も、その前日までは真冬の寒さでしたが、この日はうららかで、小田急線の相模大野駅からホールまでの10分ほどの距離は、コートを脱ぎたくなるほど暖かでした。昨年の3月にも同じ会場でコンサートが開催されましたが、私はこの時はパスしてしまったので初めてだったのですが、客席の設計が良くて座席の配置が前後でズラしてあるのと、階段の傾斜がしっかりとってあって前後の列のセンター通路から後ろの席でも比較的見易くて、いいホールだと思いました。
イメージ 2
では、いつものように、舟木さんのトークを交えてコンサートの進行に沿ってのご報告です。
ピンク文字は舟木さんのトーク部分です。(昼夜をまとめています)
 
 
昼 14時30分 夜 18時30分
 (各回休憩なし約100分)
 
柿の実色のジャケット、白いシャツ、黒のベストに黒のパンツ(サイドに黒サテンのライン入り)、黒の蝶ネクタイ、胸に白バラで登場

 
イメージ 12オープニング~
立ち話
 
やっと春の足音が聞こえてきたという感じになりました。でも、そうなると今度は花粉症という人もいて・・自分は全然そういうのがないんでわからいんですが、歌い手にもそういう人がいて、ステージで花をいただけない人もいて受付でお預かりすることになる・・・お客様の中にも・・ご愁傷様です・・出てくるそうそうくしゃみの話なんかしてますが・・お忙しいところどうもありがとうございます。歌い手はだんだんと変化していきますから、今日は、そういうところを楽しんでいただけたら・・と先ずは4曲をメドレーで、プレゼントタイムも兼ねて。
 
東京は恋する
くちなしのバラード
花咲く乙女たち
友を送る歌
 
イメージ 23「♪夢を育てた 青春の日よ・・」と「友を送る歌」の歌詩を引用して・・考えてみたら青春のど真ん中で青春の歌を歌ってたわけですから・・50年、いい時も悪い時もありましたけど、18(才)の時からやってきましたから、オレはコレ(歌う)するためにだけ生まれてきたという・・今年の12月にはコレ!・・と空に「70」と書いてみせるお茶目な舟木さんです。いい歌でもヒットしないのもありますが、ヒットした歌は必ず、どっかツボがあっていい歌なんですね。そういう歌を皆さんから選んでいただいた。
~このあと、「新曲」のことをなにげに話されましたが、それは最後に記します~
 
 
ここで一曲だけ単独で・・と客席にくるりと背を向けて舟木さんの美しい後ろ姿のシルエット。シルエットの向こうは深紅のライトが燃えながら水平線に沈んでいく夕陽のように映えます。イントロが終わりこちら向きになって歌い始めると天井から幾筋もの乳白色のライトが降り注ぎ舟木さんを照らしだします。ラストは再び後ろ向きになった舟木さんが深紅の夕陽に向かってしっかりと地に足をつけて立つ姿が凛々しく、私は「その人は昔」の物語のラストに「恋人のようこ」を失ったかずおが再び東京に出ていくことを決意する場面を思い出しました。
 
                                        画像は、ながやす巧氏のコミック版「その人は昔」より
 
イメージ 24
その人は昔のテーマ   作詩:松山善三 作曲:船村徹
 
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その人は 昔
海の底の 真珠だった
その人は 昔
山の谷の 白百合だった
その人は 昔
夜空の星の 輝きだった
その人は 昔
僕の心の 灯だった
でも その人は
もう 今は
いない
その人は 昔
僕の すべて
今もその人は
 
思い出の 丘に咲くイメージ 20
ひな菊の花
 
 
その人は むかし
僕の いのち
今もその人は
僕の日記を 埋める
かがやき
 
その人は むかし
僕の ちから
いまもその人は
僕をやさしく みつめる
こいびと
 
イメージ 25でも その人は
もう 今は
いない
その人は 昔
玉石の
荒い
波ぎわイメージ 3
 
若駒の
たてがみ
つかみ
いらだつ
海の向こうを
見ていた
胸をはって・・・
 
 
 
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イメージ 21
 
 
 
 
 
 
 
これは船村先生の組曲で、この歌は松山善三さんの詩・・というより脚本なんですね。映画の台本をいただいた時、こんなに厚くてシーンナンバーが840まである。でも、中をめくってみると1ページにワンシーン「冬の雪山」とか書いてある(笑)
                                                             こんな映像をイメージした台本だったんでしょうね↓
 
イメージ 22内藤洋子さんという目のくりっとした女優さんと撮った映画です。ぼくが22才、彼女は16才だったかな、その次の映画(「君に幸福を~センチメンタル・ボーイ」のこと)を撮ってた時に17才の誕生日だったから・・・これはテレビでは歌えない、というか歌わせてくれない、なにしろ4分○秒くらいありますから。こういうのはコンサートでお聴かせするより手がない。
 
 
 
船村先生はこの歌が好きで酔っぱらうと歌うのが「夕笛」とこの歌。こないだ先生が歌った「夕笛」のテープを聞いたら「おさげ髪 君は十六」だって・・三つも年が上になってる(笑)
歌い手は自分の色がはっきりと御客様に伝わるまで5年はかかる。曲で云うと10曲から15曲あれば、そこそこ長い旅路につながるということになります。僕の場合はデビューがアレ(高校三年生)ですから後がたいへんでしたよ。そこからいったいどこへ行くか・・今から歌う三つは僕の歌の中では時代を背負っているといってもいい名曲中の名曲。
 

北国の街
哀愁の夜
高原のお嬢さん

流行歌の一番いいところは、時代の風景が出てくる。風とか香りとか自然にふっと出てくるところ。歌い手も長くやっているとうっかりすると歌い慣れしてくるといけない。「哀愁の夜」とか「高原のお嬢さん」は難しいイメージ 5歌です。若い頃にこういう曲を歌わせてもらったのは良かった。変に崩さずもとのままで・・
もうそろそろ俺自身が楽しんで歌を歌ってもいいんじゃないかと・・・長いこと歌っている歌い手がいつもいつも「迫って」歌ってると御客様も疲れてしまう(笑)
今年から「日本の名曲」をステージにのせていこうと思ってるんですが、僕自身がリアルタイムで間に合っていない、例えば田端義夫さんの「かえり船」とかよりは後の時代の「舟木一夫が歌うとその時の風が吹く」という歌を歌うのでないと御客様に届かない。「マーガレット」なんかを読んでた世代が僕の世代の一番下。そこでのアンケートで「お兄さんになってほしいタイプ」の第一位に選ばれたことがあるんですよ。
~といきなり「マーガレット」という少女雑誌の名前が出てくるのも昭和30年代から40年代に少女時代だった私には嬉しいものでした。いつの時代にも通じる歌、古典・・私もだいぶ「古典」になってきましたが・・いつの時代にもある心情をちょっと楽しんでみて下さい。
 

イメージ 6宵待草 作詩:竹久夢二 作曲:多忠亮
 
待てど暮らせど 来ぬ人を 
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬさうな
 
イメージ 9
 
 
 
 
 
 
 
 
(以下西條八十詩)
暮れて河原に星一つ 
宵待草の花が散る
更けては風も泣くさうな

 
 
 
 
ゴンドラの唄  作詩:吉井勇 作曲:中山晋平                         夢二画のセノオ楽譜「ゴンドラの唄」
 
イメージ 8いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを
 
いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを
                                               
浮世まかせ
 
「浮世まかせ」はフォーコーラス、春夏秋冬なんですが、秋をとばしてしまった(スリーコーラス目にツーコーラスの「夏」の歌詩になってしまったことを指して「秋」をお聴きになりたい方は、夜の部にも・・(笑)
一ヶ月公演の時は、必ず「高校三年生」を一回は間違えますね。「宵待草」は歌詩として詠った歌ではなく、一番しかなかったのですが西條八十という人が、一番しかないのはもったいないと二番を作った。「ゴンドラの唄」は、「生きる」という映画の公園でブランコに腰掛けて歌うラストシーンが有名。今にも通じることを言っている。どこまで時代が進んでもおなじことが起こりますね。「いのち短し 恋せよ乙女」・・客席に向かって意味ありげに「ふ・ふ・ふ」と笑いかける舟木さんのいたずらっぽい目が可愛すぎ!
自分の持ち歌だけというコンサートはそろそろ切り上げて、「日本の名曲」を・・

「宵待草」は、一番~二番~インストゥルメンタル~一番という構成でした。ラストは舟木さんのシルエットで「今宵は月も 出ぬさうな」、このフレーズがリフレインでもう一回重なり、最後を高くあげて余韻を残すという独創的なアレンジでした。いわゆる「歌曲」調の歌い方ではなくあたかも舟木さんのオリジナルのようで「舟木歌謡」とでもいいたくなる「宵待草」となっていました。大宮でのこのバージョンの初披露の時に感じた予感、これらの古典の名曲は、きっと徐々に舟木さんご自身の色彩が鮮やかになっていくだろうと思ったことが、既に二回目で予感通りになっていることイメージ 7がとっても嬉しくまた驚きでもありました。「船頭小唄」は、今や舟木さんのオリジナルといっていい境地に達していますが、「宵待草」「ゴンドラの唄」もそういった地位を占めていくようになるだろうと思います。
 
←松井須磨子
ゴンドラの歌:1915年(大正4年)に発表された歌謡曲。芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。
 
 
「宵待草」はマイナーコードであるのに対して「ゴンドラの唄」は、明るい太陽の陽射しの暖かさを思わせる古き良き時代の大らかさ、のびやかさという「恋を謳歌する」メジャーな曲調でまた全然違った魅力を舟木さんから引きだすような歌だと感じました。すべてが自由すぎる現代はむしろ昔は「恋愛」につきものだった「熱」というイメージ 10ものが失せてきたように思うのは私だけでしょうか。特に若い男女の「恋愛」がなにかにつけて規制され抑圧されていた明治~大正の時代には「恋愛の熱情」は今よりも数段強く激しかったように思います。与謝野晶子に代表される情熱的な短歌の世界と相通じるものを「ゴンドラの唄」からイメージします。「いのち短し 恋せよ乙女」・・その詩はまるで「恋愛のススメ」そのものです。これぞ大正浪漫の世界のシンボルといっていいかと思います。こういう古典的な歌曲を今の舟木さんのお声で聴かせていただけるのは本当にうイメージ 11れしいことです。御自作の「浮世まかせ」の時の舟木さんのお顔は、穏やかで温かさに満ちていて本当に「いいお顔」だなァといつも思います。春夏秋冬・・私は夏の歌詩がお気に入りです。「遠い父母 抱くもよし」このフレーズを初めて聞いたときは、舟木さんという人の情の深さがストレートに伝わってきて胸迫る感動を覚えました。舟木さんがトークで「古典」である所以とする「普遍性」が間違いなくこの「浮世まかせ」にも描かれていて、名曲の二曲と並べてもなんら遜色を感じさせません。これは「初恋」「絶唱」などの抒情歌の名曲と舟木さんの御自作の「恋唄」を並べても全く違和感なく、感じられるのと同じだと思います。

ここまでが前半。
 
 
 
 
 
出て来た時から、今まで「オマエ、全然衣裳が変わらないな」と思ってるでしょ。69(才)の男が着替えしな
くてもよろしいような・・替えた方がいいですか?・・じゃ、替えます。
ジャケットを替えたら大きな拍手。
の衣裳は変わり映えしないですから来年あたりから「詰衿」にもどろうかと・・(笑)
いろんなことがありましたが過ぎたことはみんな0K!面白かったことも悲しかったことも自分の歩いて来た道に咲いてた花をうっかり踏んじゃった痛みを伴う想いの方が、ぬくもりを運んでくれる・・・
舟木さんのトークはなんて詩的なんだろう・・日常的にこういう発想がなければこんな素敵な表現は付け焼刃ではできるもんじゃない・・ステキ過ぎる!
僕らの世界は十年やっても半人前ですが、若い頃の若さがギュッと詰まった歌をデビュー当時にジャンプしてみようと・・歌ってもうれしく、気持ちがいい・・「明日咲くつぼみに」から

ジャケット着替え~ラメ入りの渋い深緑。
 
イメージ 13明日咲くつぼみに
ああ青春の胸の血は
君たちがいて僕がいた
高校三年生
学園広場

30代に入った頃は今歌ったような歌がうらめしくもあったんですが・・・自分が行きたかった方角へ行けなくなったから。いつになったら離れられるのかという時代があった。今となっては「高校三年生」「学園広場」で良かったなぁ・・・と。さっき申し上げた「風」というのがおわかりになると思います。昔は一家に一台テレビがありませんでしたから、友だち~薬屋でした~の家にテレビを見にいったりしてた。お客様に育ててもらったそんな時代の歌の風景を自分の中においておかなくては申し訳ないですから・・・
ラストブロックは落ち着いた歌で・・

イメージ 14初恋  作詩:島崎藤村 作曲:若松甲
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
 
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
 
 
夕笛  作詩:西條八十  作曲:船村徹
 
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吉野木挽唄
~絶唱  作詩:西條八十 作曲:市川昭介
 

今年の通常コンサートでラストブロックにおかれたのは、やはり抒情歌。これらは単に舟木一夫の抒情歌の最高峰というだけの枠から大きく翔いて、ファンならずとも、日本人であれば、その心情の根っこの部分を一番ナチュラルに揺さぶられるであろう「懐かしく美しい日本の原風景」を描いた一幅の絵画のようでもあると思うのです。そういった意味でも私は、2014年の通常コンサートがツアーコンサートとして全国各地で開催されないことをとても残念に思っています。できるなら、2015年も、今年の構成に準じた形で開催され、ひとりでもたくさんの方たちの耳に届くことを願っています。
イメージ 16「初恋」島崎藤村、「夕笛」「絶唱」西條八十・・・日本の美しい自然と日本の美しい言葉、消えゆく故郷の暮
らしの風景や町並みは、もうこれらの優れた詩人が残してくれた詩歌の中にしか見いだせなくなりつつある今だからこそ、大切にしていきたいと思います。また「吉野木挽唄」は民謡であり、民謡はその土地に生まれ、育ち、そこで生業(なりわい)を営む人々の労働風景から生まれたものがほとんどです。自然環境や生活習慣の変化で姿を消してしまった「仕事」も多々あります。舟木さんは若い頃から都会の若者の暮らしや恋を歌った歌だけでなく地方に根差し、その土地ならではの家業を継いで働く若者たちを歌った歌も生き生きとした表現力で歌唱されています。海で働く青年の「浜の若い衆」「磯浜育ち」、山で働く青年の「木挽哀歌」「ひぐれ山唄」など・・・「吉野木挽唄」は「絶唱」の原作にも登場していて映画「絶唱」の中でも歌われています。ことに映画では戦争によって引き裂かれた順吉と小雪が遠くはなればなれになっていても同じ時間にこの唄をお互いの無事を願いながら、それぞれのいる方角に向かって歌うというシーンがあってとても重要な役割を担っている歌です。これは「歌の持つ力」を端的にあらわした素晴らしい視点であり、歌がどれほど人と人との絆をしっかりつなぎとめるものであるかを示している点でも、歌手・舟木一夫が「絶唱」の園田順吉を演じたことは、大きな意味を持っているとさえ思えます。

イメージ 17アンコール~
スタンディング&サインボール
君よ振りむくな

ここで、オープニング「立ち話」の後に続いたメドレー4曲が終わっての舟木さんのトークにちょっとプレイバックさせていただきます。ひとつ前のブログ「速報!」でも既にお伝えしましたが、「新曲」についてこの日舟木さんからアナウンスがありました。私の記憶の範囲ですが、再度書き添えておきます。
近頃は毎度申し上げてるように、あまり役に立たない(ステージにおけないという意味のようです)新曲を出すのはやめよう…と僕はブルースが好きだからと「夜霧の○○」とかを作ってもステージのどこにおいたらいいかわからない。一曲だけおいても戦力にならない。50周年で「明日咲くつぼみに」を出しましたが今年も一曲出るみたいですが…こないだレコーディングしてきたんですが…どんなのかはナイショ(笑)
 

イメージ 18また、ラストブロックの3曲の前にこんなこともおっしゃいました。
50周年の時に70(才)までいければなぁと思った。でも、そうなるともう・・ね(笑)80(才)まで歌っている先輩もいらっしゃいますしね。そこまでではなくても55周年までは・・どうか今後とも宜しくお願いします。
 
舟木さんは本当にステージがお好きで、55周年までの活動のフィールドは全てステージを念頭においていらっしゃることは明らかです。「新曲」というのも、いわゆる昔のイメージのレコード歌手・・レコードを出してヒットさせることが第一の使命・・としてのスタンスで考える「新曲」というのではなく、ステージの中で光を放ちステージをしっかり支えることができる「曲」を追求なさった末に生まれた「新曲」なのだと思います。
ただ、ステージはナマものですから、発信する側と受け手の想いが一体となった時に、舟木さんにとっても私たちファンにとっても嬉しい「新曲」になるのだろうと思います。多分、「同世代だけに向けて」と何年か前におっしゃった舟木さんの心の中には、客席に居て聴く側の私たちと一緒にステージで育てていけるような曲にしたいという想いがおありなのではないかと私は感じています。いい「新曲」になるのかどうかは、私たち聴き手の姿勢にも関わってくるのだとしたらそれは舟木さんと私たちとの共同作業というとっても幸せで楽しい仕事になるのではないでしょうか。本当に楽しみですね。
 
 
 
 
 

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