中日劇場 舟木一夫コンサート 2014 3月28日/29日
2月22日と23日の京都南座のシアターコンサートバージョンのステージが名古屋の中日劇場で開催されました。このあとは、5月2日から4日まで大阪・新歌舞伎座で、5月31日には東京・新橋演舞場で開催されます。
舟木さんのトークを交えて、コンサートの模様を報告します。
トークは私が拝見した28日の夜と29日の昼を併せています。
~ピンク文字は舟木さんのトーク部分です~
開演5分ほど前にプレゼントタイム開始
まず舟木さんのしぶ~い声だけが流れてきました。「たいへん、ながらくお待たせいたしました。」そして、下手から舟木さん登場。「シャツ一枚じゃ寒いね」
たっぷりとルーズな白地に、ピラミッドのような、幾何学模様のような柄のシャツブラウス、ジーンズにスエードっぽいベージュ系のシューズで登場。プレゼントを受け取りながら色々とお喋り・・・歌い手はステージではフォーマルなものを着るので普段はヨレヨレの恰好なんですよ。(そんなご謙遜を・・)客席でいろんな私語を話す声がするので、時々個人的な会話が飛び交ってます(笑)手紙が花束にはさまってたりするんですが・・たいていは、自己紹介から始まって・・などど軽口をたたきつつ、時々、プレゼントの紙袋の中をわざと覗き込みながら、これは保冷剤が入ってるよ、これはクッキーです。などど報告する舟木さん。最近は、原稿を書くとか、コンサートの構成を書くとか、長時間同じ恰好をしていると身体がかたまりますからね。足が長いから、かがむのが大変なんですよ(笑)純日本系体型なんですよ。でも、あんまり足が長いと時代劇は似合わないんです。時代劇といえば、10月にこちらにおじゃまするんですが・・(拍手)・・名古屋ではいつも来られている男性の方で「舟木一夫・命」と背中に書かれたジャンパーの方がプレゼント持ってこられるのに客席から拍手が起こって、舟木さんは、「そんなもんに命かけるなよ!」とリアクション(笑)してから、娯楽時代劇は、残しておきたいですよね・・とお喋りの続きを・・・では、90分ばかりしたらまた出てきます(笑)とまたしてもジョークを飛ばしつつ袖に引っ込まれました。
今回の中日劇場では、衣裳は一部、二部とも南座の時とは、変わっていて、一部が濃い目のさくら色で衿部分だけ黒サテンのジャケットに黒のパンツ、白のシャツ、蝶ネクタイ、胸にクリーム色のバラ。二部は、明るいよもぎ色のスリーピース、シャツは白、シルバーのペンダント。胸にクリーム色のバラという風に、とっても春らしい装いでした。
第一部 舟木一夫ヒットパレード
あゝ青春の胸の血は
あれこれ御用がおありの中、お越しいただきましてありがとうございました。一部にまとめて大ヒット曲ばかり詰め込むのは珍しいんですが・・花咲く乙女たちから
花咲く乙女たち
北国の街
北国の街
50年丸々過ぎて、この6月から52年目に入るんですが、今年の12月が来ると・・と手で「70」と書くまね・・こんな齢まで、歌を歌えると思ってもみませんでしたね。70になって「高校三年生」を歌ってるってね。声の衰えというより変化ととらえてそれを担いで走る・・・という。ここ二、三年は声がほそくなるかなぁと思ってたけど、発声を変えたら去年からうまくいってる・・と舟木さんの自信のほどがうかがえる発言。18でデビューして流行歌の黄金時代に出会えたのは幸せなことです。映画の主題歌から名作を三つ並べて・・
絶唱
哀愁の夜
高原のお嬢さん
三本とも和泉雅子という人と撮ったんですが、最近は小雪という感じでなくなって・・(笑)2、3日前、BIG3のプログラムになんか書いて下さいと頼んで、お礼の電話をしたら、お礼なんていいわよ、その代わりなんか食べさせてくれる?・・結局、中華料理に決定したんですが・・今だったらどれくらい食べるのか・・(笑)
俺ってつくづく流行歌が好きなんだなぁと思った。歌に対する想い、キャリアも変わってくる、すべてのスタンスがととのってくるとお客様にどうお聞かせしようかと・・・歌に一生を賭けた訳でしょ。軽い感じでお客様に歌を届けなきゃウソなんで・・
俺ってつくづく流行歌が好きなんだなぁと思った。歌に対する想い、キャリアも変わってくる、すべてのスタンスがととのってくるとお客様にどうお聞かせしようかと・・・歌に一生を賭けた訳でしょ。軽い感じでお客様に歌を届けなきゃウソなんで・・
銭形平次(サインボール)
いろんな流れの中で、どう放りこんでも大丈夫という曲。大川先輩が、18年間、一日も休まずになさってたわけですから、この曲は大川先輩が偉かったわけで・・そんなもの凄い先輩に出逢えたのは幸せでした。
さっき私の齢のはなしをしましたが客席の方だって色々とあるんでしょう。流行歌の素晴らしいところは同世代に向けて歌っちゃうと、1本のコーラに2本のストローを差し込んで飲んでるよう・・今どき「♪二度とかえらぬ思い出のせて・・汽車は行く」なんて・・今の高校生は、「俺たちは飛行機でハワイだ!」となっちゃう。今になってつくづく流行歌手になって良かったと・・18で「高校三年生:と出逢った。一部のラストは、これを歌わなくっちゃマズイでしょう。歌います。
さっき私の齢のはなしをしましたが客席の方だって色々とあるんでしょう。流行歌の素晴らしいところは同世代に向けて歌っちゃうと、1本のコーラに2本のストローを差し込んで飲んでるよう・・今どき「♪二度とかえらぬ思い出のせて・・汽車は行く」なんて・・今の高校生は、「俺たちは飛行機でハワイだ!」となっちゃう。今になってつくづく流行歌手になって良かったと・・18で「高校三年生:と出逢った。一部のラストは、これを歌わなくっちゃマズイでしょう。歌います。
高校三年生
学園広場
高校三年生
~「涙の川を渉るとき」遠藤実自伝 日本経済新聞出版社(2007年初版)より~
「赤い夕日が 校舎を染めて ニレの木蔭に弾む声」・・歌詞を読んだ途端、貧乏ゆえに中学に行けなかった自分のことが思い出された。日東紡績で見習工をしながら通信教育用の中学校教科書を買い校章に似た付録のバッジを帽子につけて悔しさを紛らわせていた日々。もし中学、高校と進めていたら、どんな青春が待っていたのだろう。
思いつくままにワルツ風の旋律を譜面に落としてみた。いや少し違う。東京オリンピックは翌年に迫っている。そこでマーチ風の旋律に書き換えた。そうだ軽快で明るい方がいい。私自身の「失われた青春」に対するオマージュ(賛辞)でもあるのだから。吹き込みの日、上田君は見違えるような気力あふれる歌唱をみせた。その足で私を自宅に訪ねてきて「名前はどうしたらいいでしょう」と聞く。私は即座に答えた。「舟木一夫だよ。」かねて用意していた名前だった。
舟木君が学生服で歌う「高校三年生」は昭和38年を代表するヒットになり、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞した。
休憩(30分)
思いつくままにワルツ風の旋律を譜面に落としてみた。いや少し違う。東京オリンピックは翌年に迫っている。そこでマーチ風の旋律に書き換えた。そうだ軽快で明るい方がいい。私自身の「失われた青春」に対するオマージュ(賛辞)でもあるのだから。吹き込みの日、上田君は見違えるような気力あふれる歌唱をみせた。その足で私を自宅に訪ねてきて「名前はどうしたらいいでしょう」と聞く。私は即座に答えた。「舟木一夫だよ。」かねて用意していた名前だった。
舟木君が学生服で歌う「高校三年生」は昭和38年を代表するヒットになり、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞した。
休憩(30分)
よもぎ色のスリーピース、白いシャツ、ペンダント、胸には白いバラで登場
第二部 遠藤実スペシャル 「決して散らない花々」
そんなわけで二部の方へとりかかります・・その前に先ほど、サインボールをキャッチされた方は、グッズ売り場で、お帰りに、私が書いたサイン色紙を受け取って下さい。
流行歌というのは「はやりうた」というくらいですから、流れて行くんですが、自然にバトンタッチをしてるワ
ケですね。短いスパンで思い出をつくってくれる。遠藤先生は僕にとっては、近いの遠いのというのではない・・・
流行歌というのは「はやりうた」というくらいですから、流れて行くんですが、自然にバトンタッチをしてるワ
ケですね。短いスパンで思い出をつくってくれる。遠藤先生は僕にとっては、近いの遠いのというのではない・・・
昭和32年の「お月さん今晩わ」が遠藤先生の最初のヒット曲。遠藤先生は24歳、かずおちゃんは12歳。二部のスタートは先ずは、その原盤をどんな雰囲気かお聞かせします。ステージのライトがおちて、舟木さんは客席を向いてニコニコなさって聴いていらっしゃいました。
お月さん今晩わ
~藤島桓夫さん歌唱によるSP原盤で~
当時は同時録音というやつでしたから大変でしたよね。「俺でも僕でもないオラ」という言葉をどう響かせるか・・・12歳の時に僕は、この歌を聴いていたんですが、遠藤先生は演歌95%という感じで昭和の流行歌の柱となって下さった。では、遠藤先生の曲、始めてみます。「十字路」から・・
~藤島桓夫さん歌唱によるSP原盤で~
当時は同時録音というやつでしたから大変でしたよね。「俺でも僕でもないオラ」という言葉をどう響かせるか・・・12歳の時に僕は、この歌を聴いていたんですが、遠藤先生は演歌95%という感じで昭和の流行歌の柱となって下さった。では、遠藤先生の曲、始めてみます。「十字路」から・・
十字路
くちなしの花
すきま風
ブルース・トーンの歌が歌いたくて歌い手になったとことあるごとにおっしゃる舟木さんですから、この三曲はその、世界が詩も含めて、実に奥深く心の襞にまで刻まれたような咀嚼力が感じられ、また「ほっとする」とおっしゃっていた通り、ムダに重くなくのびやかでかろやかな歌唱で、演歌につきものの臭みなど微塵も感じられないのが嬉しく、よもぎ色のスリーピースの立ち姿の美しさと相俟って、甘く、また渋く極上の「ブルース演歌の世界」に連れて行って下さいました。
みっつとも俳優さんがお歌いになって・・小林旭さん、渡哲也さん、杉良太郎さん。遠藤先生が大切にされていた「歌い手がもっている声の個性を生かすこと」を細かく気にして作っていらした。私はブルース・トーンが歌いたくて歌手になった。「夜霧よ今夜も・・」「哀愁の街に・・」「十字路」みたいな歌が好きで、ほっとする。演歌といっても、古賀先生の演歌、船村先生の演歌、遠藤先生の演歌はそれぞれ違う。遠藤先生は当時、古賀先生の開拓してきた道をきれいに継承なさっていると評価されていらした。遠藤先生の一番繊細な部分が出た歌の女唄、男唄をふたつ並べて・・・
からたち日記
星影のワルツ
星影のワルツ
「星影のワルツ」のイントロが流れた途端、私のお隣はひとりで来られている男性だったんですが、身を乗り出すようにして「ふ~ん!」と期待に満ちた嘆息がありました。もちろん、私も「♪今でも 好きさ 死ぬほどに」「♪あんなに愛した仲なのに・・ 」、ひとつひとつのフレーズに反応してしまって心をわしづかみにされました。ツーコーラス目が終わると、舟木さんは後ろ向きになって、シルエット・・・インストゥルメンタルでたっぷりとワンコーラス分の美しいメロディーを聴かせて、遠藤先生への敬愛の想いが伝わってきてジ~ンときました。おそらく私もそう思っているのですが、メロディーの「美しさ崇高さ」という点では「星影のワルツ」は、遠藤メロディーの最高峰と言えるということも踏まえた上での演出ではないかとあらためて思いました。先の男性は、もちろん、歌い終わったら大きな拍手をされて満足なご様子でした。「どうです、舟木さんの星影のワルツ・・」なんて、私が鼻高々(笑)「星影のワルツ」を歌っていらっしゃる舟木さんの、お顔の優しいこと!声と表情がマッチしてて、この曲は舟木さんの持ち歌じゃなかったの?と思うほど舟木さんの温かで癒し系のお声にぴったりだと今回も思いました。
星影のワルツ 作詩:白鳥園枝
別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君のため
別れに星影のワルツを うたおう
仕方がないんだ 君のため
別れに星影のワルツを うたおう
冷たい心じゃ ないんだよ
冷たい心じゃ ないんだよ
今でも好きだ 死ぬ程に
冷たい心じゃ ないんだよ
今でも好きだ 死ぬ程に
一緒になれる 幸せを
二人で夢見た ほほえんだ
別れに星影のワルツを うたおう
あんなに愛した 仲なのに
あんなに愛した 仲なのに
涙がにじむ 夜の窓
二人で夢見た ほほえんだ
別れに星影のワルツを うたおう
あんなに愛した 仲なのに
あんなに愛した 仲なのに
涙がにじむ 夜の窓
さよならなんて どうしても
いえないだろうな 泣くだろうな
別れに星影のワルツを うたおう
遠くで祈ろう 幸せを
遠くで祈ろう 幸せを
今夜も星が 降るようだ
いえないだろうな 泣くだろうな
別れに星影のワルツを うたおう
遠くで祈ろう 幸せを
遠くで祈ろう 幸せを
今夜も星が 降るようだ
ひとつめが、お千代姉さんの歌・・「今日、私、はらたち日記なの。」「どうしたの?」「競馬で負けたの・・」(笑)いきなり、こんな小咄(こばなし)で客席の笑いをとる舟木さん。絶好調です。
こんな歌は、歌い手があらっぽく歌うとどうにもならないんです・・本人が歌ってるのはあらっぽいんですが
(笑)千君が、ワルツは歌ったことがないからどう歌ったらいいかって遠藤先生に聞いたそうです、そしたら先生が、ワルツなら舟木君に聞け・・と、「学園広場」なんか歌ってましたからね。千君は遠藤学校の後輩ですから喫茶店でちょっと、ワルツは四分の三拍子で・・なんて言ってやりましたが・・・ムダでした(笑)彼は、なまってますから・・流行歌手というのは、巧きゃいいってもんじゃない。その人の個性が出なきゃいけない・・・遠藤先生のところから、これと思った男の子が出ていくときに付けようと思ってとっておいた芸名が「舟木和夫」・・でも、その字を見た時に、タテに長くて倒れそうだから、横棒の「一」を入れたら・・とナマ意気にも注文をつけたら「そうか!じゃあ横棒入れようか!」・・せっかく、とっておきの名前をいただいたのにね・・先生はおやさしかったから僕が甘えきってたのか・・・と今では有名な芸名の由来についてのエピソードも。
こういう歌は遠藤先生には、少ないんですが、僕が先生と出逢う前の作品の中の大ヒット曲・・
若いふたり
北原謙二さん、ノンビブラートが特長の方でした「♪君には君のォー」、西田佐知子さん「♪アカシアの雨に、打たれて・・」と歌マネ入り。歌い手の個性は千差万別ですが・・流行歌というのは95%が昭和に生まれて、昭和で終わったといってもいい。プロの歌い手を巧いとか下手とか言うのは変なんですよ。のど自慢は消去法ですけど、プロの場合は逆なんです。欠点とかがあっても抜きんでているものがあればいい。一節太郎さんという「♪逃~ィげた女房にゃ」と歌ってみて、止めとこう、耳にささる(笑)最初は、きれいな声だったんですけどわざとつぶしたんですね。森進一君もああいう声になる前の「女のためいき」聴いたことがあるんですよ。古賀先生のお弟子さんなんですが、声はいいけど特徴がなくて流れるんだよね・・それで、半年くらいしたらあの声で「♪死んでも・・」とまたしてもモノマネをする舟木さん(笑)コロッケ(モノマネの名人芸人さん)にどうしたら森君のモノマネができるか聞いたら、タメイキついて身体を震わせたらいいって・・とさらにその通りにまたやってみる舟木さん・・「誰か止めろよ!」今回、遠藤先生のヒット曲の中でも避けて通ったのは「困っちゃうな」「おひまなら来てね」・・僕が歌ってもお客様の方が「困っちゃうな」で、しなつくって「♪おひまなら・・」と妙なポーズまでやってみて、ね、気持ちワルイでしょ(笑)遠藤先生の曲の中で数少ない三尺物(股旅物、遊び人物)をふたつ続けて、合羽からげて行ってみますか!
天竜母恋い笠
旅鴉
最初のは、ひばりさんの映画にもなったもの、ふたつめのは、テレビの時代劇「長谷川伸シリーズ」の主題歌。詩とメロディーとアレンジと歌い手が絶妙のバランスで出来上がった曲だと当時、思いましたが・・「♪やだねったら やだね 箱根八里の半次郎・・」とフリまでつけて気持ちよさそうに歌って、股旅ものの歌詞ではあるけど股旅ものとしては歌ってないでしょう・・「♪亭主もつなら 堅気をおもち」と「旅笠道中」の一節を歌って、とうとう堅気にはなれなかった・・(笑)
舟木さんの三尺物は、本当にカッコいいです。以前にブログでもご紹介したアルバム「渡世人 舟木一夫三度笠を歌う」は、舟木さんがまだ二十代半ばの収録ですが、そんな若い頃から、三尺物の世界の匂いをリアルに描き出す力量がおありでした。舟木さんは言葉に宿るいのちを、驚くほど的確に丁寧に繊細に表現なさるという意味でも同世代の歌い手で右に出る者はいないのではないかと思います。舟木さんの歌をお聴きしていると、昔、私が少しだけ勉強させていただいていた朗読サークルで先生に言われたことをよく思い出します。ひとつひとつの言葉をどう空間に置くか・・言葉を塊ととらえるのでなく、一音、一音にいのちがあることを疎かにしないこと。まして、歌は、言葉にメロディーがついている、というかメロディーに言葉をのせていくのですから、「雨が降る」なら、乱暴に、塊として声に出すのではなく「あ・め・が・ふ・る」の一音、一音にどんな想いをのせるのか、名詞の頭の音、助詞のトーン、語尾の落とし方・・など伝えたい想いを届けるにはどうしたらいいかを、舟木さんはとっても大切にしていらっしゃるように私には思えます。
天性の資質である、癒しを与えるまろやかな声質、その声質にこれ以上似合うものはないと思われる容姿と佇まい・・・そして何より「歌への敬愛」の心、これら三拍子が完璧なまでに揃っている舟木一夫という歌い手に再会できた幸せを、そのステージを拝見する度に噛みしめている私です。
この後のトークがさらに炸裂!水前寺清子さん、都はるみさん、春日八郎さん、三橋美智也さん、若原一郎さんなどのヒット曲の一節を次々に歌われて、元はドラマーだったディック・ミネさんが歌い手になったいきさつ~歌い手が急に来られなくなった代役として、歌わされたディック・ミネさんの歌をたまたま聴いた淡谷のり子さんが「あんたネ、ドラムなんか叩いてるより歌い手になった方がいいのョ」と言ってスカウトされた~などをその淡谷さんのセリフも、とってもお上手にモノマネで東北弁で、なまっておっしゃるので大爆笑でした。
3月30日の夕方近く4時頃だったでしょうか、大きな虹が空にかかっているのを数年ぶりに見ました。なにかいいことあるかな?
~中日劇場 舟木一夫コンサート 2014 3月28日/29日 (下)につづく~