~中日劇場 舟木一夫コンサート 2014 3月28日/29日 (上) のつづきです~
舟友さんから頂戴した新聞記事です↓(中日スポーツ3/12付)
遠藤先生との出逢いは、「高校三年生」でも、最初のヒット曲「お月さん今晩わ」でもなかった。
僕が15(歳)の時、ラジオから流れてきた曲にひっかかった。色気のある曲だと・・当時は、作曲家の名前などは知らずに流行歌を聴いていましたが、この曲は誰がお書きになったんだろうと知りたくなった。それが「初恋マドロス」という曲です。その後、歌い手としてデビューする前の勉強をするにあたって、浜口庫之助さんと遠藤先生と二択の場面になった時に、キメテになったのも、この「初恋マドロス」のインパクトがあったからでしょう。
僕が15(歳)の時、ラジオから流れてきた曲にひっかかった。色気のある曲だと・・当時は、作曲家の名前などは知らずに流行歌を聴いていましたが、この曲は誰がお書きになったんだろうと知りたくなった。それが「初恋マドロス」という曲です。その後、歌い手としてデビューする前の勉強をするにあたって、浜口庫之助さんと遠藤先生と二択の場面になった時に、キメテになったのも、この「初恋マドロス」のインパクトがあったからでしょう。
~新聞記事の一部より~
七回忌合わせ28、29日名古屋でコンサート
舟木が初めて遠藤さんの存在を知ったのは15歳の時。ラジオから流れてきた美空ひばりの「初恋マドロス」を聴き、ワンコーラスでなぜかメロディーが心に引っ掛かった。「誰が曲を作ったのか調べてみたら遠藤先生だった。当時は作詞や作曲が誰かなんて気にしていなかったのに」
運命的な出会い
2年後、歌手を目指して上京。舟木は事務所から「レッスンを受けるのは、浜口庫之助先生と遠藤実先生のどちらがいい?」と聞かれ、「初恋マドロス」以来、潜在意識の中にあった遠藤さんを選んだ。「レコード会社が違うとか、1ミリでも離れていたら一生出会わないそんな運命的な出会いだった」と振り返る。恩師の一番の思い出は、その優しさ。「とても気を使う方。歌も個性を生かしてくれた。」デビュー前、同世代の歌手志望の少年少女と一緒にレッスンを受けていた舟木は、恥ずかしさで大きな声が出せなかった。「こんなに内気で小さな声しか出なくて芸能界でやっていけるのか」と本気で心配してくれた。
舟木さんはよく「色気」という言葉をお使いになりますが、それは「情のある」という同義語としてお使いにな
っているようです。日本固有の情感で哀愁を帯びつつもどこか粋で洒脱な雰囲気を「色気」とおっしゃっているのではないかと私は想像しています。
霧のむこうの 桟橋で
やがて出船の ドラが鳴る
泣くだけお泣き 泣くだけお泣き
一夜かぎりの マドロスだもの
泣いて 泣いて忘れて
くれるならヨー
やがて出船の ドラが鳴る
泣くだけお泣き 泣くだけお泣き
一夜かぎりの マドロスだもの
泣いて 泣いて忘れて
くれるならヨー
遠藤先生の作品で大ヒットを次々に飛ばしていた20才の頃
哀愁出船 作詩:菅野小穂子
http://www.youtube.com/watch?v=rI7JlRn13vY
http://www.youtube.com/watch?v=rI7JlRn13vY
遠く別れて 泣くことよりも
いっそ死にたい この恋と
うしろ髪ひく 哀愁出船
涙かみしめ ゆく潮路
いっそ死にたい この恋と
うしろ髪ひく 哀愁出船
涙かみしめ ゆく潮路
襟裳岬 作詩:丘灯至夫
風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
誰か私を 呼んでるような
襟裳岬の 風と波
にくいにくいと 怨んだけれど
いまじゃ恋しい あの人が
誰か私を 呼んでるような
襟裳岬の 風と波
にくいにくいと 怨んだけれど
いまじゃ恋しい あの人が
風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
浜の日暮れは 淋しいものよ
たった一人は なおさらに
こんぶとる手に ほろりと涙
背のびしてみる 遠い空
浜の日暮れは 淋しいものよ
たった一人は なおさらに
こんぶとる手に ほろりと涙
背のびしてみる 遠い空
風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
春はいつくる 燈台守と
襟裳岬の女の子
泣いてみたいな 霧笛のように
泣けば想いも 晴れるのに
春はいつくる 燈台守と
襟裳岬の女の子
泣いてみたいな 霧笛のように
泣けば想いも 晴れるのに
舟木さんと遠藤先生との出逢いの曲「初恋マドロス」、同じ波止場、港をテーマにした名曲「哀愁出船」は美空ひばりさんの秀逸な歌唱でヒットしましたから、このあたりは、私もはっきり記憶に残っています。そしてこのブロックのラストは、私は、当時小学生でしたが、リアルタイムで聴いてとっても好きで、あの、はかなく透きとおるような島倉千代子さんの高音を真似てみたりして歌った「襟裳岬」だったのですが、2月の南座で初めて聴いたときのインパクトは忘れられません。イントロから、いきなりドラマチックに意表を突くような始まり方のアレンジによって、寒風吹き荒れる厳しい北の海の表情が目の前に浮かびあがってきました。そして、ラストで再び、本来の詩の構成にはない「風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ」というフレーズを余韻をきかせた響きで聴かせて、さらに強いインパクトでもうひと押しする・・見事な演出とアレンジでした。
スケールの大きい歌でしてね、むつかしい言葉はでてこないのにメロディーが大きいんですね。一節演歌・・・といきなり大きな声で歌い出す舟木さん「♪俺の目を見ろ・・」(「兄弟仁義」)、「♪一声泣いては」(「涙を抱いた渡り鳥」)こういうのを一節演歌といいます。頭の部分を印象づける。三橋さんが、そうでした。ひばりさんと三橋さんがおふたりでショーをやったときにひばりさんが「まいっちゃうわよね。私は、フツーに歌ってるんだけど、三橋さんが出てきて「♪惚~ォれェてェ~」(「哀愁列車」)というとみんなとんじゃう・・とこぼしてました。さらに、「♪わ~らぁにぃまみれてよォ~」(「達者でナ」)と、歌うとってもお茶目な舟木さん(笑)春日(八郎)さんは軽いんですよね。まだ歌います・・「♪白い夜霧の灯りに濡れて」(「赤いランプの終列車」)・・
右手にクセがある・・と形態模写までもサービスして客席は大喜びでした。さらに、淡谷のり子さんのポーズ(腕を胸の前で組んでななめに構える)で、昔、僕、聞いたことがあるんです。胸をかかえて歌うと歌いにくくないですか?そしたら、私、オッパイが大きいから支えてるのよ・・と淡谷さんのあの独特の東北訛りのイントネーションでモノマネまでなさるので、抱腹絶倒でした。あげくの果てには、後ろを振り向いてバンドのメンバーに「おい、誰かとめろよ!」(笑)舟木さんのトークは、いつも面白いのですが、今回は、グンを抜いての大爆笑ものでした。それにしても、歌はもちろんですが、歌う時のポーズやクセなど実によく捉えていらして大スターになる人というのはやっぱりすべてに関して抜きんでているんだと感服させられました。
右手にクセがある・・と形態模写までもサービスして客席は大喜びでした。さらに、淡谷のり子さんのポーズ(腕を胸の前で組んでななめに構える)で、昔、僕、聞いたことがあるんです。胸をかかえて歌うと歌いにくくないですか?そしたら、私、オッパイが大きいから支えてるのよ・・と淡谷さんのあの独特の東北訛りのイントネーションでモノマネまでなさるので、抱腹絶倒でした。あげくの果てには、後ろを振り向いてバンドのメンバーに「おい、誰かとめろよ!」(笑)舟木さんのトークは、いつも面白いのですが、今回は、グンを抜いての大爆笑ものでした。それにしても、歌はもちろんですが、歌う時のポーズやクセなど実によく捉えていらして大スターになる人というのはやっぱりすべてに関して抜きんでているんだと感服させられました。
当時は流行歌の作家が専属制だったんで、各社独特のメロディーがあったんです。それで歌い手として会社に入る時に、あの人のメロディーが歌いたいから、この会社に入るという面もあった。ということで歌い手も偏ったのですが遠藤先生が外に出て(フリーになって)広がっていった。どの辺を遠藤演歌のど真ん中にとるか・・・
ここからラストブロックに一気に繋げていく・・僕が思う遠藤演歌のど真ん中を・・と、ついさっきまでのお笑
いエンタティメント?とは打って変わって歌の世界にすゥ~ッと入るその切り替えの見事さは、スマートでさすがプロフェショナルのお仕事だとこれまた感服!
他人船
みちづれ
遠藤演歌のど真ん中・・ながしのエンちゃんとして顔と名前を売った頃の遠藤氏の肌で感じ、その身に沁みついたであろう昭和が昭和であった時代の、表通りではなく裏町、裏通りで繰り広げられた様々な人間ドラマを見るような想いがするラストの五曲でした。舟木さんが、トークの中でおっしゃったように流行歌は昭和に生まれて昭和で終わった・・という言葉をあらためて思い出させてくれるようなセレクトだと思いました。
その歌唱は、力強いのですが、どこにも、ムダな力が入っていなくて、それだからこそ情感に満ち溢れています。何より、舟木さんご自身が、「歌う事そのもの」を楽しんで歌っていらっしゃることがステキです。私は、今回は、二階席の後方でお聴きして客席全体の空気がわかる位置にいましたから、客席の興奮が、さざ波のように広がって伝わってくるのを感じました。ラストの「ソーラン渡り鳥」が終わり、舟木さんがご挨拶の言葉を言って幕が降りきるまで、拍手喝采が続きました。先にも少しふれた隣の男性は、おそらく初めて舟木さんのコンサートにいらしたのでしょうか、アンコールで再び緞帳が上がると「やった!」とおっしゃいました(笑)
買っちゃいました2014グッズ 午年の根付け ↓
~アンコール
北国の春
北国の春 作詩:いではく
http://www.youtube.com/watch?v=uGvECzTIlCw
http://www.youtube.com/watch?v=uGvECzTIlCw
白樺(しらかば) 青空 南風
こぶし咲くあの丘 北国の
ああ 北国の春
季節が都会では わからないだろうと
届いたおふくろの小さな包み
あの故郷(ふるさと)へ帰ろかな 帰ろかな
雪どけ せせらぎ 丸木橋
落葉松(からまつ)の芽がふく 北国の
ああ 北国の春
好きだとおたがいに いいだせないまま
別れてもう五年 あの娘はどうしてる
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
別れてもう五年 あの娘はどうしてる
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
やまぶき 朝霧 水車小屋
わらべ唄きこえる北国の ああ 北国の春
あにきもおやじ似で 無口なふたりが
たまには酒でも 飲んでるだろか
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
わらべ唄きこえる北国の ああ 北国の春
あにきもおやじ似で 無口なふたりが
たまには酒でも 飲んでるだろか
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
このアンコールの選曲も、素晴らしいセンスだと今回も思いました。遠藤演歌のど真ん中のあとに、のどかで温もりのある、普遍的な日本のふるさとの風景、情景を詠った曲を置いてコンサートを締めるのは大正解でしょう。名作というより佳作という言葉が似合う、いかにも遠藤実という人を象徴するような素朴な曲だと感じました。舟木さんが歌うと、ちょっとお洒落で垢ぬけた感じになりますが、私たちの世代は、丸ごとの土臭さに郷愁を感じる世代より、少しだけ時代が進んだ頃に青春時代を過ごしてますから、こういうスマートな歌唱の「北国の春」は、ストンと違和感なく心に沁みてきました。
日本の、昭和という時代の風景・・都会も田舎もすべてがここにあるという「遠藤実~決して散らない花々」を鮮やかに構成、演出なさった舟木さんの恩師への深い感謝の想いと、また、その類まれなるプロデュースセンスを胸一杯に堪能させていただきました。
~遠藤実自伝「涙の川を渉るとき」 北国の春より~
「北国の春」のレコードが発売されたのは昭和52年4月のことだった。当初、レコードのA面は「運命のどこかで」と決まっていた。メロディーも書き上がり、後から詞をつける「はめ込み」を待っていた。しかし作詞を担当するいではく君の仕事ははかどらない。そしてB面の詞も届かない。私の家でいで君と相談していた。
「B面の詞はどうですか?」「一応、書いてみたんですが」いで君が自信なげに差し出した詞を読んで立ち上が
った。「白樺 青空 南風」という印象的な言葉を並べて歌い出す。そして「届いたおふくろの小さな包み」「
あにきもおやじ似で 無口なふたりが」と、まるで私自身の郷愁をわしづかみにするような場面がちりばめられ
ている。この詞は、私が本当はどんな曲を書きたかったのかを教えてくれた。心の底にじっと横たわっている故
郷の情景。そこで暮らした家族との日々。自分を育んでくれたものすべてに対する感謝と懐かしさを、もっと早
く歌にするべきだった。原稿用紙をつかんで仕事場に向かった。旋律が、あらかじめ決めてあったかのように流
れ出す。歌うのと同じ速さで出来上がった。(日本経済新聞出版社刊)
「B面の詞はどうですか?」「一応、書いてみたんですが」いで君が自信なげに差し出した詞を読んで立ち上が
った。「白樺 青空 南風」という印象的な言葉を並べて歌い出す。そして「届いたおふくろの小さな包み」「
あにきもおやじ似で 無口なふたりが」と、まるで私自身の郷愁をわしづかみにするような場面がちりばめられ
ている。この詞は、私が本当はどんな曲を書きたかったのかを教えてくれた。心の底にじっと横たわっている故
郷の情景。そこで暮らした家族との日々。自分を育んでくれたものすべてに対する感謝と懐かしさを、もっと早
く歌にするべきだった。原稿用紙をつかんで仕事場に向かった。旋律が、あらかじめ決めてあったかのように流
れ出す。歌うのと同じ速さで出来上がった。(日本経済新聞出版社刊)
劇場という広い空間が、隅から隅まで舟木一夫の歌で満たされる、その真っ只中にいることのできる幸せは、やはりCDやレコードでは味わえないものだと思います。今回も、コンサート終了後、一日でも長く、その幸せな時空間に居ることができますように・・と祈らずにはいられない私なのでした。
間もなく35周年という頃に遠藤氏から提供されたのが「いつでも青春」と「想春」です。
デビュー曲「高校三年生」以来、舟木さんにたくさんのヒット曲を作って下さった遠藤氏は、コロムビアを離れ1965年、太平音響株式会社の設立に加わり専務取締役就任。1968年にはレーベル名のミノルフォンを社名にし、社長に就任という経緯があって、昭和41年の以下の四曲~おもいをこめて手をふろう(西沢爽)/高校生音頭(丘灯至夫)/花の応援(丘灯至夫)/ふるさとの乙女(西沢爽)~を最後に、舟木さんとの距離は遠くなってしまわれますが、その後も、舟木さんにとって大切な節目の時期には、遠藤氏は、舟木さんへ楽曲を提供なさっています。そして、舟木さんが、再び芸能界の表舞台で活躍を始められた35周年には、「いつでも青春」「想春」という記念曲を作っていらっしゃいます。どちらにも「春」という言葉が入っています。まさに時は春、この季節にあらためてその二曲を、聴いてみたいと思います。
デビュー曲「高校三年生」以来、舟木さんにたくさんのヒット曲を作って下さった遠藤氏は、コロムビアを離れ1965年、太平音響株式会社の設立に加わり専務取締役就任。1968年にはレーベル名のミノルフォンを社名にし、社長に就任という経緯があって、昭和41年の以下の四曲~おもいをこめて手をふろう(西沢爽)/高校生音頭(丘灯至夫)/花の応援(丘灯至夫)/ふるさとの乙女(西沢爽)~を最後に、舟木さんとの距離は遠くなってしまわれますが、その後も、舟木さんにとって大切な節目の時期には、遠藤氏は、舟木さんへ楽曲を提供なさっています。そして、舟木さんが、再び芸能界の表舞台で活躍を始められた35周年には、「いつでも青春」「想春」という記念曲を作っていらっしゃいます。どちらにも「春」という言葉が入っています。まさに時は春、この季節にあらためてその二曲を、聴いてみたいと思います。
~「涙の川を渉るとき」巻末の作品一覧より~
昭和41年
おもいをこめて手をふろう(西沢爽)
高校生音頭(丘灯至夫)
花の応援(丘灯至夫)
ふるさとの乙女(西沢爽)
昭和47年
さすらいの夜(松坂直美)→流浪[さすらい]と改題
青春(丘灯至夫)
昭和48年
ああ荒城の月かなし(石本美由起)「石本美由起作品集」収録
昭和49年
旅路(丘灯至夫)
寝顔(西沢爽)
昭和50年
紙の指輪(吉田旺) アルバム「十二ヵ月の愛の詩」収録
楡の雨(吉田旺) アルバム「十二ヵ月の愛の詩」収録
昭和52年
まごころ(吉田旺)アルバム「愛はまぼろし」収録
おもいをこめて手をふろう(西沢爽)
高校生音頭(丘灯至夫)
花の応援(丘灯至夫)
ふるさとの乙女(西沢爽)
昭和47年
さすらいの夜(松坂直美)→流浪[さすらい]と改題
青春(丘灯至夫)
昭和48年
ああ荒城の月かなし(石本美由起)「石本美由起作品集」収録
昭和49年
旅路(丘灯至夫)
寝顔(西沢爽)
昭和50年
紙の指輪(吉田旺) アルバム「十二ヵ月の愛の詩」収録
楡の雨(吉田旺) アルバム「十二ヵ月の愛の詩」収録
昭和52年
まごころ(吉田旺)アルバム「愛はまぼろし」収録
平成8年(1996年)12月・35周年記念)
いつでも青春(川内康範)
想春(川内康範)
いつでも青春(川内康範)
想春(川内康範)
いつでも青春 作詩:川内康範
なつかしい あなたに こんにちは
すこし寂しそうな 横顔気にかかる
ぼくもつらさは いくつかあったけど
あなたを想って 越えてきた
愛してる 愛してる
いつも いつでも 青春さ
すこし寂しそうな 横顔気にかかる
ぼくもつらさは いくつかあったけど
あなたを想って 越えてきた
愛してる 愛してる
いつも いつでも 青春さ
何年ぶりだろう こんにちは
時間(とき)が流れて この世は変り
ぼくも苦労を かさねてきたけれど
あなたを夢見て 越えてきた
愛してる 愛してる
いつも いつでも 青春さ
時間(とき)が流れて この世は変り
ぼくも苦労を かさねてきたけれど
あなたを夢見て 越えてきた
愛してる 愛してる
いつも いつでも 青春さ
すてきなあなたに こんにちは
昔はぼくも 泣き虫だったけど
いまはとっても 明るくなってるよ
あなたがいるから 虹がある
愛してる 愛してる
いつも いつでも 青春さ
昔はぼくも 泣き虫だったけど
いまはとっても 明るくなってるよ
あなたがいるから 虹がある
愛してる 愛してる
いつも いつでも 青春さ
2014年3月30日16:30 桑名市自宅から撮影の虹
想春 作詩:川内康範
あの人に もういちど逢えたなら
今度こそは離さない 離さない
ふり向けば 想い出つらく
あのころが 悔まれて わびたいよ
いまなら 深き恋に 恋に恋におぼれる
あの人と 別れたあとからは
寂しすぎることばかり ことばかり
愛しさを 知らなさすぎて
馴れすぎて 甘えてた 遠い日よ
いまなら 深き恋に 恋に恋におぼれる
あの人に もういちど逢えたなら
胸の痛みわけあおう わけあおう
白蓮の 花咲く季節
あの時の 冷たさを わびたいよ
いまなら 深き恋に 恋に恋におぼれる
今度こそは離さない 離さない
ふり向けば 想い出つらく
あのころが 悔まれて わびたいよ
いまなら 深き恋に 恋に恋におぼれる
あの人と 別れたあとからは
寂しすぎることばかり ことばかり
愛しさを 知らなさすぎて
馴れすぎて 甘えてた 遠い日よ
いまなら 深き恋に 恋に恋におぼれる
あの人に もういちど逢えたなら
胸の痛みわけあおう わけあおう
白蓮の 花咲く季節
あの時の 冷たさを わびたいよ
いまなら 深き恋に 恋に恋におぼれる
自宅付近の白モクレン 3月20日撮影