早いもので、2014年も、あっという間に3ヶ月が過ぎてしまいました。明日からは4月。そして4月4日の川崎市教育文化センター を皮切りにして「青春歌謡BIG3」の全国ツアーコンサートが始動します。
本日、3月31日には、このツアーコンサートを目前にした、「BIG3」の皆さんが、「徹子の部屋」に登場なさいました。私は、テレビは地上波だけしか見られませんので、舟木さんをテレビで拝見することは、ほとんどありませんが、この番組は、拝見することができましたので、ブログに記録として残しておくことにします。
私の感覚では、橋幸夫さん、舟木さん、西郷輝彦さんが「御三家」と呼ばれていることも、その「御三家」に三田明さんを加えて「四天王」と呼ぶことも、呼称そのものについては、あまりピンとこないというのが正直なところです。ほぼ同時代に、デビューなさって、青春歌手として活躍なさったという認識はあるのですが・・・。聞くところによると、「御三家」「四天王」の名付け親は、玉置宏さん?
この四人の皆さんのデビューの頃とちょうど同じタイミングで、歌謡番組の司会者として人気を博して活躍なさっていた玉置宏さんが、皆さんの人気を後押しする力となったであろうことは確かだと感じています。
確かな記憶ではありませんが、私が、舟木さんを初めてテレビ画面で見たのは、「ロッテ歌のアルバム」だったように思います。ほぼ毎週、この歌謡番組だけは、欠かさずに見ていたと思いますし、逆に他の歌謡番組は、あまり記憶がありませんから、消去法でいくと・・・というに過ぎませんが。
あっという間に、終わってしまった気がする「徹子の部屋」(笑)
私の印象に残ったことだけですが、まとまりなく書き留めておくことにします。
先ず、舟木さんの足もとに目がいきました。他のおふたりは、靴下を履いていらっしゃいましたが、舟木さんは素足に革靴(多分)だったように見えました。それと、ボトムはジーンズ
舟木さんが「徹子の部屋」に、最初に出演なさったのは1979年放映、34歳の時だそうです。
1979年当時の舟木さんは、どうしていらしたのかな?
大倉明さんの「青春賛歌」の年表では
3月15日 ATG企画映画「青春PARTⅡ」公開
3月24日 東映映画「総長の首」公開
3月 「ららばい」/「はぐれカモメ」発売
これだけしか記載がありません。
三田明さんが、歌手になるためのオーディションで歌ったのは「高校三年生」だったそうです。
そして、西郷輝彦さんが、デビュー曲を決める際に、テストで歌ったのも「高校三年生」
さらに、私としては、一番印象的だったのが、西郷輝彦さんの「潮風が吹きぬける町」という曲のことが、お話の中に出てきたことでした。この曲を聴いた玉置宏さんが、「これは舟木君の曲だね」とおっしゃったと西郷さんが言われました。
私のお気に入りの、舟木さんの15周年記念リサイタルのライブアルバム「歌とモノローグで綴る15年の歩み」(1977年発売)には、「潮風が吹きぬける町」が収録されています。この音源を聴いた時に、私も、この曲は舟木さんの持ち歌であっても不思議ではないと感じましたから、玉置さんが、そうおっしゃったということを聞いて、とっても嬉しくなって、印象に残ったという次第です。
限りない青春の季節
舟木一夫15周年記念リサイタル
~歌とモノローグで綴る15年の歩み~
(1977年12月発売)
舟木一夫15周年記念リサイタル
~歌とモノローグで綴る15年の歩み~
(1977年12月発売)
Ⅳ.友について
以下は、ライブの中での舟木さんのモノローグ(トーク)部分です。
友の歌を、友情の歌を歌う時、自然にあこがれをこめてしまいます。はっきりと言ってしまえば、友情を理解して歌っている友情の歌ではありません。計りに乗せても計りきれない位、大きな、憧れをつめ込んで、友の歌を僕を歌い続けています。で、最近、本当につくづくと思ったのは、僕に親友が、実は二人いたんだっていう事です。橋幸夫さんと西郷輝彦君、このお二人は、僕にとって精神的に、間違いなく一生の友達です。僕は今、本当に心の底からそう思っています。ライバルと凌ぎをけずる。ライバルがあって男はのびる。本当ですね。彼にだけは勝ちたい、そう思うことが男を仕事にのめりこませていきます。ですから、僕にとってこのお二人は心の底から今、親友だと言えるんです。親友の歌を歌いましょう。潮風が吹きぬける町・・・
*なお、このコンサートでは、橋幸夫さんの「雨の中の二人」も歌っていらっしゃいます。
潮風が吹きぬける町
(西郷輝彦 1967年10月発売)
(西郷輝彦 1967年10月発売)
潮風が吹きぬける町
浜茄子がゆれて咲く丘
わがふる里
夜ごと 夜ごと
胸にひびく あの潮騒
はるかな 潮騒
ちちははが 網つづる庭
妹が水を掬(く)む井戸
わがふる里
夜ごと 夜ごと
夢にかよう あの面影
ほほえむ 面影
浜茄子がゆれて咲く丘
わがふる里
夜ごと 夜ごと
胸にひびく あの潮騒
はるかな 潮騒
ちちははが 網つづる庭
妹が水を掬(く)む井戸
わがふる里
夜ごと 夜ごと
夢にかよう あの面影
ほほえむ 面影
2000年「G3K」メモリアルコンサート↑
番組の最後の方で、映画「絶唱」の写真が登場したので、大感激しました。やっぱり、舟木一夫と言えば「高校三年生」と「絶唱」は、外せないのですよね。「絶唱」贔屓の私的にはとっても嬉しく思いました。
「BIG3」は、御三家の橋幸夫さんは、入っていないのですが、橋さんを含めた「四天王」が、揃って出演なさっている、映画「東京・パリ 青春の条件」についても、この機会にちょっとだけ掲載してみます。
「東京・パリ 青春の条件」(1973年3月18日公開)
この映画は、橋幸夫さんの芸能生活10周年記念映画ということで、御三家の初共演映画として当時、注目されたようです。勿論、その頃のことは私は少しも記憶にありません
でも、映画を拝見すると、実際には御三家の橋さん、舟木さん、西郷さんだけではなく、三田明さんも出演なさっていますから、四天王が総出演した映画になっているのですね。
でも、映画を拝見すると、実際には御三家の橋さん、舟木さん、西郷さんだけではなく、三田明さんも出演なさっていますから、四天王が総出演した映画になっているのですね。
舟木さんは、映画の中で「霧氷」を歌っている歌手のようです。なんの説明もなく突然「霧氷」を歌っているのです(笑)橋さんの、役どころが「作曲家兼トランペット奏者」となっていて、バンドでトランペットを吹いている橋さんの演奏で舟木さんが歌っているわけです、しかも「霧氷」を・・・(笑)
舟木さんが「霧氷」を歌っていらっしゃるのは、この映画でしか聴いてませんが、この歌も、聴いていると「舟木君の曲」に聴こえてきます。1966年に舟木さんが「絶唱」でレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞された年のレコード大賞が「霧氷」だったことを思うと、その7年後に、舟木さんが「霧氷」を歌っていらっしゃるのもなにか不思議な気持ちにさせられます。ちなみにこの年の新人賞は西郷輝彦さんだったのですね。
舟木さん、ここでも動物好きなのがわかります。鳩をそっと抱いているのはずっと舟木さん・・(笑)
この映画は、とってもシュール(笑)ストーリーの展開も、なんだかよくわからないまま終わりました。
「四天王」はじめ、当時の人気歌手の方が、橋さんの10周年を祝って、御祝儀でたくさん出演されていてファンタジーっぽい娯楽作品なんでしょうね。鳩を抱っこする舟木さんがとってもいい感じです
そして、最後に・・・また「徹子の部屋」に、もどりますが、舟木さんが番組の終わりの方で、おふたりに、ずっと聞きたかったんだけど「どんな歌が歌いたくて歌い手になったの?」と質問されたのが、とっても舟木さんらしくて、すてきだと思いました。舟木さんは本当に純粋に歌が好きで好きで「流行歌手」になられたんだなぁということが、伝わってくる瞬間でした。