今日は、風が強くて、午前中、近所のショッピングセンターに買い物に出たら、私の母校の小学校のさくらが強風にあおられて、まさに桜吹雪の中を歩くという体験をしてきました。一昨日は、まだ八分咲きかな?と思っていたのですが、文字通り「三日見ぬ間の桜」になりそうです。
「舟木一夫自作曲によせて その1」では「END-FIN-FINE(ラストシーン)」のことを、書かせていただきました。「その2」では、つい一週間前に、おじゃました舟木さんのふるさと萩原町を詠った「ROCK'N ROLL ふるさと」を、写真と一緒にコラボしてご紹介します。
私の住いは三重県桑名市ですが、距離的に言えば、限りなく愛知県よりの三重県です。わが家から10分ほどの桑名駅は、JR、近鉄ほか2社のローカル線の駅にもなっています。
舟木さんのふるさとの一宮市萩原町の最寄り駅は、名鉄・萩原です。桑名から萩原へは、名古屋に出てから名鉄尾西線に乗り換えても行けますが、桑名から二つ目くらいの弥富駅までJRに乗って、弥富から名鉄線に反対周りで乗って行くこともできます。所要時間はどちらもそれほど変わらずおよそ一時間余りです。
舟木さんが一宮市出身であることは有名ですから子どもの頃から知ってはいましたが、当時まだ小中学生だった私にはやはり、かなり遠い所に思えていたのでしょう。当時から舟木さんは好きでしたが、ご実家を見に行きたいと思ったことなど一度もありませんでした(笑)
芸能人というのは自分とは違う遠い世界の人だと思ってましたから。今でもそういう気持ちはどこかにありますし、自分が傾倒して、尊敬できる表現者ほど憧れの想いを抱いて、むしろ舞台の上にいるべき人と客席にいる自分との線引きをして遠くから見ていたいというタイプなのでしょうね。
そんな私が、始めて萩原を訪れたのは、舟木さんと再会して半年ほどしたちょうど一年前の3月20日過ぎでした。その時のことは下記の拙ブログで、ご報告しています。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/67956549.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/67958526.html?type=folderlist
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/67956549.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/67958526.html?type=folderlist
初めて訪れた萩原町は、昨年のお彼岸ごろで、とても良いお天気に恵まれて、行きたかったスポットへはスムーズに行くことができて舟木さんのお導きかな?なんて気を良くして、こんなのどかで落ち着いた町なら春夏秋冬、一回ずつは来てみたいと思いました。「ROCK'N ROLL ふるさと」にも歌われている、それぞれの季節を実感してみようと思っていたので、昨年の夏と秋にも、一度ずつ訪問しています。
そして、初めて訪れてから、ほぼ一年後、ちょうど今回、中日劇場・シアターコンサートの初日が開催された3月28日に、舟友さんがお誘いして下さったこともあり、郷土資料館も開館してくださっているので、また、おじゃますることにしました。私にとっては、四回目の萩原町訪問になります。
萩原町の生家付近の写真と、そこで育った舟木さんの子ども時代のお写真なども併せて、「ROCK'N ROLL ふるさと」の世界をご紹介させていただきます。
実際は、舟木さんが誕生されたのは、お母様のご実家の名古屋市内だとお父様の書かれた文面(舟木一夫写真集 Papyrus の巻末掲載 「想い出」1970年発行)のなかにありますが、多分生後数日で萩原町に戻っていらっしゃったのでしょうね。私自身も、桑名生まれ、桑名育ちという認識ですが、実際は鈴鹿市の母の実家でお産婆さんにとりあげられていますから、それと同じような状況でしょう。
実際は、舟木さんが誕生されたのは、お母様のご実家の名古屋市内だとお父様の書かれた文面(舟木一夫写真集 Papyrus の巻末掲載 「想い出」1970年発行)のなかにありますが、多分生後数日で萩原町に戻っていらっしゃったのでしょうね。私自身も、桑名生まれ、桑名育ちという認識ですが、実際は鈴鹿市の母の実家でお産婆さんにとりあげられていますから、それと同じような状況でしょう。
「ROCK'N ROLL ふるさと」の音源としては、下記のものがあります。
1982年6月発売(LPアルバムWHITE 収録)
1995年4月発売(1982年LPアルバムWHITEのCD復刻盤 収録)
1999年7月発売シングルCD(燃えよドラゴンズ99/ROCK'N ROLL ふるさと)
1995年4月発売(1982年LPアルバムWHITEのCD復刻盤 収録)
1999年7月発売シングルCD(燃えよドラゴンズ99/ROCK'N ROLL ふるさと)
この曲の一番最初の音源は、1982年6月発売ですから、舟木さんがデビューなさってから19年目ということになります。今も舟木さんファンの間では絶大な人気の、収録曲すべてが自作という「WHITE」(一枚目の「WHITE」)の中に収められています。舟木さんが37才の時の歌唱です。その一年後の1983年には、同じく自作曲のみのアルバム「WHITE Ⅱ」が発売されています。「WHITE Ⅲ」が発売されたのが、15年後の1998年です。この「WHITE Ⅲ」では、もうすっかり今の舟木さんの声になっていて深い響きのある低音がベースになっている印象が強いのですが、「WHITE」と「WHITE Ⅱ」の舟木さんの歌声は、まだ青年の香りが色濃く感じられます。それでも、15年ほどの歳月を間に挟んでいるのですが、どちらの歌声も、その季節、季節の男の色香に縁どられていて、どちらも捨てがたく魅力にあふれています。
「WHITE」の収録曲
愛だなんて言うまえに
れ・く・い・え・夢
ROCK'N ROOLふるさと
都会の子守歌
~糸車~
みんな旅人
WHISKY-LONELY
今は-風の中
End Love
愛だなんて言うまえに
れ・く・い・え・夢
ROCK'N ROOLふるさと
都会の子守歌
~糸車~
みんな旅人
WHISKY-LONELY
今は-風の中
End Love
「ROCK'N ROLL ふるさと」は、他の収録曲の中では異色といえるでしょう。詩もメロディーもリズムもひたすら明るく元気で爽やかです。ところが、聴けば聴くほど、こぼれるような色香が漂ってきます。声そのものから匂い立つような青春後期、四十代を目前にした男性のまだ「惑わず」というところにまでは到達していない微妙な季節の危うさを思わせる艶なるものがゆらゆらとかげろうのようにたちのぼってくるのを感じます。おそらくごくフツーの一般的な男性なら、この年代はもう中年を迎える自分を受け容れている頃なのでしょう。でも、舟木さんの声を聴いていると、まだまだ、そういう年齢の枷を突っ撥ねているような感じがします。綱引きのような・・と表現したらいいのでしょうか、それがなんとも言えない魅力を放っていて、とってもステキだと思うのです。ふるさとを歌った歌というのは、どうかすると、年よりじみた「ふるさとソング」になりがちなのですが、そこを「ROCK'N ROLL」調にしたところが、突っ張ってて少しずつ遠ざかっていく若さを惜しんでるようで舟木さんらしいなぁと嬉しくなります。
春の風ふわり 蝶の羽ひらり
花の影ゆらり 昼寝の雲とろり
迷い子のオタマジャクシ そろり・・・そろり
ヒバリのラブシーン ピィロロ ピィロロ
ピィロロ ピィロロ
俺のふるさと愛知県
濃尾平野のド真ん中
学校サボッて れんげの畑
ハモニカ ピップッポー
花の影ゆらり 昼寝の雲とろり
迷い子のオタマジャクシ そろり・・・そろり
ヒバリのラブシーン ピィロロ ピィロロ
ピィロロ ピィロロ
俺のふるさと愛知県
濃尾平野のド真ん中
学校サボッて れんげの畑
ハモニカ ピップッポー
ふわり~ひらり~ゆらり~とろり・・・最初のフレーズから韻を踏んでいて、それだけで楽しくなります。春の風、蝶の羽、花の影・・・と、かそけきもの、繊細なものが並んでて、最後に昼寝の雲ときます。私は、ここで石川啄木の「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心」という短歌を思いだしました。
春の風にさそわれて、花咲く野原にやってきた少年が、草の上に寝頃んで、ひらひらと舞う蝶と、舞っている蝶の羽ごしに見える大空に浮かぶ雲を眺めながら、のんびりとしてはいるようだけど、一途にわが身の行く末への希望や夢をその雲の向こうに見ているような、無窮に広がる雄大なイメージの世界を感じます。
春の風にさそわれて、花咲く野原にやってきた少年が、草の上に寝頃んで、ひらひらと舞う蝶と、舞っている蝶の羽ごしに見える大空に浮かぶ雲を眺めながら、のんびりとしてはいるようだけど、一途にわが身の行く末への希望や夢をその雲の向こうに見ているような、無窮に広がる雄大なイメージの世界を感じます。
オタマジャクシもただのオタマジャクシではなく「迷い子のオタマジャクシ」というところが最高です。ヒバリ
のさえずりは、求愛の行為なんですね(笑)思春期の少年の迷いや恋へのあこがれがこめられているフレーズです。
のさえずりは、求愛の行為なんですね(笑)思春期の少年の迷いや恋へのあこがれがこめられているフレーズです。
少年は、ハーモニカひとつをポケットに突っ込んで、学校をエスケープして、野原にやってきてたんですね。最初のフレーズに登場した「花の影」の「花」は「れんげ」なんですよね。ここでも「れんげ」が登場してて私としては、とっても嬉しいです。
その後は、「俺のふるさと」への、とっても親切な道案内が続きます。「オレ様」と「長屋」というミスマッチな言葉の使い方が、とても舟木さんらしくて憎らしいほど巧いですね(笑)四季折々のふるさとの味覚やふるさとの風景の中に溶け込んでいる小さな生き物たちの命へのまなざし・・・地方都市からさらに単線電車で十二、三分の片田舎だけど、「どっこい、そこは濃尾平野のド真ん中だ!」という誇らしさもきっちり詠みこんでいるところがこの曲のおヘソだと思います。萩原町に暮らしていらっしゃる皆さんにとってこんな嬉しい表現はないでしょう。
ROCK'N ROLL ふるさと 作詩・作曲:上田成幸
春の風ふわり 蝶の羽ひらり
花の影ゆらり 昼寝の雲とろり
迷い子のオタマジャクシ そろり・・・そろり
ヒバリのラブシーン ピィロロ ピィロロ
ピィロロ ピィロロ
俺のふるさと愛知県
濃尾平野のド真ん中
学校サボッて れんげの畑
ハモニカ ピップッポー
花の影ゆらり 昼寝の雲とろり
迷い子のオタマジャクシ そろり・・・そろり
ヒバリのラブシーン ピィロロ ピィロロ
ピィロロ ピィロロ
俺のふるさと愛知県
濃尾平野のド真ん中
学校サボッて れんげの畑
ハモニカ ピップッポー
俺のふるさと愛知県
一ノ宮からのりかえて
単線電車で十二、三分
その名も萩原町
一ノ宮からのりかえて
単線電車で十二、三分
その名も萩原町
駅の正面 右折して
徒歩で六分 つきあたり
これこそオギャアと このオレ様が
お産まれになった 長屋
徒歩で六分 つきあたり
これこそオギャアと このオレ様が
お産まれになった 長屋
春はつくしのおひたし
夏はキュウリの生かじり
秋空トンビも 年末(くれ)には夜逃げ
ふるさと ROCK'N ROLL
夏はキュウリの生かじり
秋空トンビも 年末(くれ)には夜逃げ
ふるさと ROCK'N ROLL
俺のふるさと愛知県
濃尾平野のド真ん中
恋しさちらほら 想い出きらり
ふるさと ROCK'N ROLL
ふるさと ROCK'N ROLL
ふるさと ROCK'N ROLL
濃尾平野のド真ん中
恋しさちらほら 想い出きらり
ふるさと ROCK'N ROLL
ふるさと ROCK'N ROLL
ふるさと ROCK'N ROLL
萩原中学、桜が三分咲きくらいでした。時計も見えます。
時計のサイドに「寄贈 舟木一夫」と記されています。
体育館には、舟木さん寄贈のグランドピアノも・・
(画像は2011年のテレビ番組より)
顕彰碑の裏側に刻まれた「建立の趣旨」全文
建立の趣旨
昭和十九年十二月 歌手舟木一夫(本名 上田成幸)は、ここ一宮市萩原町に生まれて育った。
大好きだった父親や家族らと共に暮らした長屋は、ここから十メートル程西側の場所(萩原町串作字流)にあっ
た。彼が芸能界にデビューした昭和三十八年に歌った「高校三年生」は、文化庁の「日本の歌百選」に選ばれ、青春時代を表す昭和の代表曲の一つとなっている。
また、「絶唱」「銭形平次」をはじめ数多くのヒット曲や、故郷を振り返って、自ら作詞作曲して歌った楽曲「ロックンロールふるさと」などが発表されている。
この度、国民的歌手として全国の人々に今もなお希望と勇気を与えている功績を讃え。舟木一夫誕生の地に歌碑を建立し、末永く顕彰するものである。
大好きだった父親や家族らと共に暮らした長屋は、ここから十メートル程西側の場所(萩原町串作字流)にあっ
た。彼が芸能界にデビューした昭和三十八年に歌った「高校三年生」は、文化庁の「日本の歌百選」に選ばれ、青春時代を表す昭和の代表曲の一つとなっている。
また、「絶唱」「銭形平次」をはじめ数多くのヒット曲や、故郷を振り返って、自ら作詞作曲して歌った楽曲「ロックンロールふるさと」などが発表されている。
この度、国民的歌手として全国の人々に今もなお希望と勇気を与えている功績を讃え。舟木一夫誕生の地に歌碑を建立し、末永く顕彰するものである。
碑文・・萩原町郷土史研究会
建立者・・舟木一夫ファン有志一同
平成二十五年九月吉日
建立者・・舟木一夫ファン有志一同
平成二十五年九月吉日