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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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眠らない青春~舟木一夫自作曲によせて その3

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「舟木一夫自作曲によせて」というタイトルで、舟木さんの世界を私なりに、感じ、味わっていることを思いつくまま掲載しているのですが、今回の「青春歌謡 BIG3 コンサート」のステージは、全国ツアーで、50会場(100公演)ということでもあり、その中で舟木さんがご自身のコーナーの持ち時間の中でラスト曲として選ばれた「眠らない青春」についてご紹介します。
 
イメージ 1
 
一番、最近のステージでは、昨年12月の新歌舞伎座特別公演のコンサートの昼の部のラストでも歌っていらっしゃいます。私が舟木さんと再会して、コンサートに通い始めてからも、何度かお聴きしているので、お気に入りの曲なんでしょうね。
 
この曲は、1976年8月発売のアルバム「レマンのほとり」に収録されています。作詩も作曲もそれぞれ舟木さんのペンネーム(作詩:里中さとる/作曲:岩鬼まさみ)になっていますが、れっきとした御自作です。
アルバム「レマンのほとり」には、「舟木一夫・ニューオリジナル」というサブタイトルがついていて、舟木さ
んの自作曲は他にも何曲か収録されています。
 
イメージ 2アルバム「レマンのほとり」の収録曲
(1976年8月発売)
レマンのほとり
日曜の恋人
愛が死んだ海
想い出通り(作詩:里中さとる/作曲:岩鬼まさみ)
別れても好きな人
愛終(作詩:鈴木じろう/作曲:幸田成夫)
別れの部屋(作詩:里中さとる/作曲:岩鬼まさみ)
眠らない青春(作詩:里中さとる/作曲:岩鬼まさみ)
秋の渚
銀河の果てに
旅の港
噂めぐり(作詩・作曲:里中さとる)
 
 
 
イメージ 8
 
12曲中の、5曲が舟木さんの自作曲です。これらの曲についても、また、順次とりあげさせていただく予定です。ちなみに、このアルバムからシングルカットされているのは「レマンのほとり」と「日曜の恋人」です。
ジャケットの背景は同じですが、シャツなど着ていらっしゃるもの変わってるようですね。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9眠らない青春 作詩:里中さとる 作曲:岩鬼まさみ
(1976年8月 アルバム「レマンのほとり」収録曲)

なつかしいこの街に
ただ一人 来たんだよ
眠らない青春の
想い出に 誘われて
 
イメージ 10やわらかな 木もれ陽と
手づくりの 愛の日は
変わらずに あるものと
おたがいに 信じてた
 
さよならの足音は
春の日のにわか雨
冷たさを 耐えるには
若すぎた 二人さ
 
明日には出るはずの
虹さえも 知らないで
見つめ合う 瞳には
あきらめが ゆれていた
 
イメージ 11お揃いのセーターを
ひっそりと 取り替えて
合鍵は 二つとも
鉢植えに 埋めたよ
 
イメージ 12逝く春の 悲しさを
胸深く 抱きとめて
あの人が 投げかけた
ほほえみの 優しさ
 
鮮やかによみがえる
青春の 想い出は
暮れなずむ 街角に
いつまでも 眠らない
 
 
 
 
 

 
舟木さんのおっしゃる「寒い時期」あるいは「昼寝の時期」に、舟木さんの歌い手としての活動の要になったのは、後援会主催のコンサートではないかと私は思っています。いわゆる、プロ歌手として、生計をたてていくためのお仕事は、なにかしらおありだったとは思いますし、舟木さんがインタビューなどで当時のことをたずねられて、家族を養って、自分のお付き合いに要するだけのものは、なんとかなっていた。と答えていらっしゃるのも古い録画などで聞いてはいますが、現在、私がステージで拝見する、ステージシンガーとしての舟木さんの力量は、「寒い時期」も、舟木さんが、温かなお客様の前で、思う存分、ご自分の好きな歌をご自分の感性で構成なさっていたからこそ築き上げられたものだと思っています。その「ふれんどコンサート」の第一回が開催されたのは、1976(昭和51)年の8月です。そして、アルバム「レマンのほとり」が発売されたのも時期を同じくしています。
イメージ 15これらのことを思えば、舟木さんの歌い手としてのみでなく、創作活動への原動力となったのも、後援会主催のコンサート「ふれんどコンサート」(後には「ラブリィーコンサート」なども)があったからこそではないでしょうか。歌える場が、あること、しかも、自分の納得のいく歌を、納得のいく形で、ステージにのせることができるということは、どれほどありがたいことだったかと、私でも思い至ります。舟木さんはテレ屋さんですから、くどくどしい、ありきたりの感謝の言葉を乱発なさる方ではありませんが、その胸中は、きっと、どんな時期にも歌い手としての自分を支え続けてきてくださったファンのみなさんへの感謝の想いでいっぱいだったのではないかと想像します。
私自身も、わずか一年半ほど前に舟木さんと再会できて、まず思ったのは、私などがずっと舟木さんから離れてしまっていた長い歳月と旅路を、共に歩き続けてこられたファンの方への感謝の思いでした。よくぞ、舟木さんをこれほどまでにスケールの大きな、心に沁みる歌を聴かせて下さる歌い手に育てて下さったという気持ちでした。もちろん舟木さんご自身の、努力と御精進は言うまでもないのですが・・
その時期の私は・・と言えば、1976年は、長女の生まれた翌年、その二年後には次女が生まれています。
私が舟木さんの「ふ」の字も、思い出さずに過ごしていた頃に、作られた「眠らない青春」なんですね。
 
まだ若さの真っただ中にいる季節に芽生え、育み、そして失ってしまった恋・・そのほろ苦い想い出に誘われて、恋人とともに過ごしたなつかしい街を歩き、また、時折、ふと佇んでしまう青春後期にある男・・・そんな男性の甘く、切ない「幼い恋愛」への悔恨の想いが、街の風景や空気をバックに、ナイーブに詠われています。

イメージ 13「明日には出るはずの 虹さえも知らないで」・・・・と若さゆえの一途さと早急さが招いた心のすれ違いを詩に託して・・・。
誰にも覚えのある青春時代の痛い想い出でしょう。悲しく、痛みをともなった別れであっても、舟木さんは「あの人が 投げかけた ほほえみの 優しさ」と温かく詠ってくれています。ここは私のツボです(笑)
男女の破局は、様々な理由が絡み合い、積み重なり合っておとずれます。でも、男は、決して女に恨みの想いを抱かず、彼女を好きになった理由だけを、ずっと胸に抱いていてほしいものです。女性の側からの勝手な言い分かもしれませんが、舟木さんは、そういう大きく寛容な男性の理想像として、その歌の中でも潔いカッコよさを常に見せて下さいます。シビレます。
 
イメージ 14「舟木一夫自作曲によせて その1」で、とりあげた「END-FIN-FINE(ラストシーン)」の中のキイワード「逝く春」が、ここでも登場しています。逝く春の 悲しさを 胸深く 抱きとめて」・・・春とは、単に季節を表しているだけではなく「青春」という意味合いの含みがあるのでしょう。特にこの「眠らない青春」の中では、「逝く春」の「春」とは、去りゆく輝きと明るさに満ちた「青春」と同義語にしていらっしゃるように思われます。
 
 
イメージ 3そして、ラストのフレーズ・・・
 
鮮やかによみがえる
青春の 想い出は
暮れなずむ 街角に
いつまでも 眠らない
 
これは、「青春歌謡 BIG3 コンサート」のステージで歌われるのに、とても似つかわしい言葉に満ちていますね。今回のような「青春歌謡三大アイドル・ジョイントコンサート」の趣旨に、ピッタリで、舟木さんのセレクトセンスの素晴らしさを改めて痛感します。ひとつひとつの歌に込められた、想いの深さが、こうして舟木さんのステージでは、必ず生きていてしっかりと伝わってきます。

舟友さんからの、情報で、「BIG3」での、舟木さんの歌唱曲リストを知ることができて「眠らない青春」を、手元にあるアナログのレコードで聴きました。今のお声での「眠らない青春」、また当時のお声での「眠らない青春」・・・その間の、三十五年ほどの舟木さんと、また私含めて、舟木さんを愛するファンの方たちの旅路に想いを馳せながら、「BIG3」のステージでは、お聴きすることになるのでしょう。8日の神戸でのコンサートがますます楽しみになってきます。
 
 
イメージ 4私がちょうど舟木さんと再会できた頃に発売された「歌の手帖」(2012年10月号)を先ごろ手に入れました。そこで舟木さんが、インタービューに答えていらっしゃるのを抜粋してご紹介します。
 
50年続いた2つの理由
聞き手:50周年を迎えた舟木さんにとって歌とは?
舟木さん:それに対して適切な言葉はないだろうな。空気みたいなもの、って言い方もいい加減な話だし、俺にも、歌手以外の道に転じるチャンスはあり、そういう気持ちになった時もありましたけど、結果ここまできたら、生きた距離イコール歌、になる。・・・なにしろ中学1年の時に歌い手に憧れて、もう50年が経ったんだから。

聞き手:やはりここまで続いたのは歌が好きだから?
イメージ 5舟木さん:以前にもお話しましたが、60歳を過ぎた頃に、”ああ、俺って歌が好きなんだ”というのを改めて感じました。60歳の赤詰(赤い詰衿イヤー)の前後くらいは、唄いながら”俺って歌が好きなんだなぁ”と思う事が何回もありましたから。今頃何を寝ぼけた事を?・・・という話ではありますけど(笑)
 
聞き手:長年連れ添った夫婦が、”あっ、俺、妻の事、やっぱり好きなんだと思うような感じでしょうか?
舟木さん:男女のことはよくわからんけど(笑)こんな浮き沈みの激しい、根っこのない稼業を、俺みたいなチャランポランな奴がよく務まったなぁ、と。それが続いた原因は2つしかなくて、お客様に恵まれた、という事と、俺が歌が好きだ、という事です。もちろん、お客様とのパイプになってくれた、業界の色々な方々やスタッフのお陰もありますが、基本的には、お客様と、歌が好き、という2点に尽きる。
 
 
以下は私のちょっとした蛇足・・・(笑)
 
聞き手:最後に、無人島にCDを持っていくとしたら?
舟木さん:無人島にCDなんて持っていくかなぁ。ハリー・ベラフォンテとか・・いや、やっぱり無人島にCDは持っていかんだろ(笑)
聞き手:あれれ(笑)。では、無人島に持っていきたい食べ物は?
舟木さん:筍だね。京都の若竹という筍は特に美味しいから(笑)

イメージ 6舟木さんのお好きな食べ物は、まさに、これからが旬の筍ですか(笑)京都の「若竹」なんて高級品は、なかなか口にできませんが、ここ一週間ほどで、地場の朝堀り筍が、商店街の八百屋さんに並び始めているので、一日おきくらいに買ってきて、春の味覚を楽しんでいます。若竹煮(新わかめと筍の煮もの)、筍ご飯、おしりのほうは、酢豚に入れたりして、毎日、筍三昧してます。舟木さんも好物の春の味覚・筍をそろそろ召しあがっていらっしゃるかな?
 
 
イメージ 7
 

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