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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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「'86concert 蜃気楼」より~舟木一夫自作曲によせて その5(上)

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今回、ご紹介するのは、収録音源としては、それぞれ発売時期が異なりますが、いずれも1986年11月3日に東京郵便貯金ホール(現在のメルパルク東京)で開催された「'86concert 蜃気楼」という後援会主催のコンサートで歌われたものの中の舟木さんの自作の5曲です。
ちょっと長くなりますので上・下に分けて掲載します。
 
イメージ 1
 
5曲のうちの「さ/す/ら/い」は、フリオイグレシアスのヒット曲のカバーで、日本語の詩は上田成幸のペンネームでの舟木さんの作ですが、訳詩というよりほぼオリジナルという感じなのでしょうか。舟木さんが最近のコンサートのトークで度々感慨をこめておっしゃる「歌うためだけに生まれてきた」という言葉そのもののような詩の世界です。既に、1986年の時点でそのような想いでいらしたということなのでしょうか。いわゆる「寒い時期」だったにもかかわらず、やはり歌が舟木さんのすべてであり拠り所であったのだという思いがします。
当時40代に入ったばかりの舟木さんは、もう数年前に一児のお父さんになっていらしたわけですがまだ青年の惑いや、危うさのようなものが漂っていて、こういう雰囲気がある意味では多くの女性ファンの心をグッと掴んではなさず、今日まで至っているのだと感じさせるステージです。
 
1986年・・この年は私事としては、末娘が生まれた年です。私が三人の娘の母親になった年です。
舟木さんはというと、その2年前の1984年4月に弟さんを不慮の事故で亡くされてから、数年の間は表立った活動は、極端に少なくなっていらしたようです。「青春賛歌」(大倉明著)の年表も85年から87年は空白になっています。CDなどのリリースも83年の「つばさ/青春ばなし」以降、84年から89年までの5年間は新曲のシングルCDの発売もありません。

イメージ 2私自身は、この頃の舟木さんの周辺の事情を、舟木さんとの「再会」後に、資料などで知ることになるのですが今のお元気で活力に満ちた舟木さんを知ってはいても、その頃のコンサートでの舟木さんを拝見するとどこか胸が塞がる想いはぬぐえません。この86年のコンサートのラストで「蜃気楼」を歌い終わった舟木さんが「今日は、自分の思うような声がでて良かった・・・」と、ほっとした表情でご挨拶なさったその言葉がとても切なく印象的です。
後年、もうすっかり「復活」なさって芸能界の表舞台に出てこられた時期に「徹子の部屋」に出演された時に一番痩せてた頃は、体力もパワーもなくてコンサートの途中でエネルギーが切れて倒れそうなのをなんとか持ちこたえていらしたというようなことをおっしゃっていましたが、まして精神的に一番辛い時期のステージは、それこそ命を削るような状態で勤めていらしたのではないかと想像します。
この頃の舟木さんの歌声は確かに、現在の舟木さんの力強い声とは違って、ふうわりと漂うような感じのお声だと感じます。でも、それと同時に、その頃のステージは、ガラス細工のような繊細な歌唱とはかなげな舟木さんの折れそうな痩身とが相俟って当時のファンの方たちが、なんとしてもこの人を支えなくてはと思われたのだろうと痛感させられます。
特に、今回、最後に御紹介する2000年に「さよならの朝に」とカップリングで発売された「蜃気楼」は、今
も舟木さんファンには人気の高い曲のひとつですが、「さよならの朝に」が1998年に「WHITE Ⅲ」に収録されて発売されていますから、それより2年遅れて「蜃気楼」もより多くの舟木ファンの耳に届いたということになったわけです。
 
考えてみると「蜃気楼」は、既に86年にはステージにかけれられていたのですから15年の歳月を経てやっと陽のあたる場所に登場したということになるのですね。
それぞれの曲に、それぞれの役割や、出番や、運命のようなものがあるんだとあらためて感じています。
では、そういった舟木さん曰く「寒い時期」に開催された後援会主催のコンサートで歌われた5曲を順にたどってみます。
御紹介する5曲の動画のうち3曲は舟友のkazuyanさん、もう一曲の「想い出通り」も親しくさせていただいてる舟友さんの作品です。心からの感謝を込めて掲載させていただきます。「愛だなんて言うまえに」は残念ながら動画はアップされていないようです。どなたか音源をお持ちの方で動画作成出来る方がいらっしゃるのを期待しておりま~す
 
1986年11月3日 東京郵便貯金ホール 「'86 concert 蜃気楼」セットリストより 自作曲

1 想い出通り   1976年 アルバム「レマンのほとり」収録
http://www.youtube.com/watch?v=qtX7lt3AZos
作詩:里中さとる  作曲:岩鬼まさみ
イメージ 3
 
立ち止まる ことなく
時は 流れ行き
愛だけが はぐれて迷う街
想い出通りの ポストから
落葉のてがみを届けたい
あなたの胸に
さりげない 別れの
忘れものひとつ
なぜか気にかかる 日暮れどき
 
白い壁 らく書き
レンガ道 ブティック
何もかも 遠い夢のいろ
想い出通りを 染めてゆく
季節の言葉を 届けたい
あなたの胸に
限りなく 優しい
夕暮れの中に
帰らない恋の ひとりごと
 
シャララ・・・・
 
イメージ 5想い出通りで 飲む紅茶(おちゃ)は
うつろな心に あたたかい
あなたの香り
めぐり逢い よりそい
燃え尽きて 別れる
愛はいつの日も 風ぐるま

「想い出通り」は、音源としてはシングル発売もされていなくて1976年のアルバム「レマンのほとり」収録分のみなのですが、舟木さんはコンサートでは度々、歌って下さいます。軽快なポップス調のリズムにいくらか哀愁の漂う詩をのせた「帰らない恋」を歌ったものです。都会的なフレーズが並んでいて、ちょっと鼻唄イメージ 6で歌えそうですね。私も時々、唄ってます(笑)タイトルの「想い出通り」は、東京都心の街に、実際にあっても不思議ではないような「通り=ストリート」の名前のようです白い壁」「レンガ道」「ブティック」「カフェテリアで飲む紅茶」・・・今、この時代になってしまえば、いくらか昭和チックな古さが匂ってはいますが、この作品が作られた70年代半ばとしては最先端のお洒落な街角をイメージする風景です。私たちの青春時代の若者文化が思い起こされる詩といえるでのしょうね。「失くした恋」の歌ではあってもどこか心にゆとりがあって、懐かしさの方が大きなウエイトを占めているので、聴いていて重たくなくて、思わずリズムをとってしまう軽やかさが魅力です。
 
 
2 愛だなんて言うまえに  1980年2月 ふれんどコンサートで歌唱なさったのが初披露?  
1982年6月にシングルEP(c/w End・Love)発売、また同時発売のアルバム「WHITE」にも収録
芸能生活50周年記念 舟木一夫プレミアムBOX ありがとう そして明日へ(CD)収録(2012年発売)
作詩・作曲:上田成幸

イメージ 4雨の石だたみ 二人肩よせて
とびこす 水たまり
落ちて砕け散る やわな夢なんて
とうに捨てたよ
愛だなんて言うまえに  ―男と女
かざりたてずに 生きて行こうよ
やっと出逢えた 今夜から
 
理屈抜きだから 見えるものもある
おまえは 本物さ
過去はただ過去で 現在(いま)は現在なんだ
だから大人さ
愛だなんて言うまえに  ―男と女
素顔のままで そばにいてくれ
それで俺には 充分さ
 
 
 
イメージ 7ビルの曲がり角 ふっと雨やどり
この手を はなすなよ
耐えてきたものはお互いにわかる
いいさいいのさ
愛だなんて言うまえに ―男と女
夜明けを待って 駅に走って
あてはきめずに 旅立とう
 
愛だなんて言うまえに  ―男と女
かざりたてずに 生きて行こうよ
やっと出逢えた 今夜から
 
愛だなんて言うまえに  ―男と女

「想い出通り」からほぼ5年後の作品となるのでしょうか。その詩を比較してみると、「だから大人さ」の歌詩
にあるように、いくらか青春が遠く見えているくらいの年齢の「男と女」の関係性をちょっとばかり突き放した視線で詠っている感じがします。お互いのことを知りたい、理解したいという青春真っ只中の熱い恋を通り過ぎ、あるがままの普段着のお互いを認め合った関係でいいじゃないかというほどけた気分が「愛だなイメージ 8んて言うまえに」というタイトルに表れています。所詮、甘い恋なんて「落ちて砕け散る やわな夢・・」だという二人の過去には、どんな恋物語があったのかわかりませんが、それぞれ傷つき合った者同士が、「素顔のまま、身の丈で」どこか新しい街で生きて行こうよ・・・なんですね。
今の私たちくらいの年代になると、この自分自身を「大人」と定義づけて、ワケ知り顔をする感じも、「そうか、そうか・・」なんてつい上から目線で見てしまうのですが、三十代半ばあたりというのは、もうずいぶん人生経験を積んできたという気持ちになる年頃かな?なんて自分の三十代の頃を想い出しつつ、「愛だなんて言うまえに」を聴いてしまう私です。実際は、まだまだ人生の半分も生きてきてはいないのですから、「愛」というものの正体なんてわかるはずもないのにと思うのですが、そういう季節もまた、愛おしく思えるという意味で、ちょっと突っ張った「愛だなんて言うまえに」も舟木さんの人間としての成長のプロセスがうかがえる曲で、これもやはり「青春」の1ページを彩る一曲になっていると思います。
 

3 さ/す/ら/い 1983年11月に「CONCERT'83 酔ってSINGER」で歌唱  
音源:2012年50周年記念コンサートライブ盤に収録
http://blogs.yahoo.co.jp/uesaka679kazuo/11692578.html (kazuyanさんブログより) 
http://www.youtube.com/watch?v=7eFzkyYCaLk (フリオイグレシアス盤)
イメージ 9日本語詩:上田成幸
 
この道の夜の深さも この胸に秘めた過去(むかし)も
ほろ苦く歌のきままに 今、旅を行く夢を求めて・・・
いとしさも愛のいのちも なつかしい父母の絆も
旅立つと決めた その朝 風にすてた 涙を込めて
~生きることのすべてを
 ただ歌に たくせば
”さすらい”の旅路に 心は ふるえて
 はるかに 何処へ
 
ばらいろの影を背中に 銀いろの声を信じて
祈るのは歌のかがやき 今、つかみたい この手に強く・・
限りない罪を重ねて 果てしなく願う真実
ゆきずりのドンキホーテさ 明日ばかり 見上げるわたしは
~生きることのすべてを
 ただ歌に たくせば
”さすらい”の旅路に 心は ふるえて
 はるかに 何処へ
 
~生きることのすべてを
 ただ歌に たくせば
”さすらい”の旅路に 心は ふるえて
 はるかに 何処へ
心は ふるえて はるかに 何処へ

イメージ 10私が聴いた「'86 concert 蜃気楼」のステージの3年前には、既にステージにのせていらっしゃるのですが、私が、初めてこの曲を知ったのは、2012年の50周年記念コンサートのライブ盤(宇都宮市民会館収録)のDVD(CDもあります)のオープニングでした。原曲のフリオイグレシアスの音源も聴いたことはありませんでした。勿論、原詩にはあたっていませんから、舟木さんの日本語詩が、原詩に添っているものか、大幅にオリジナル的な詩になっているのかはわからないのですが、メロディーやリズムなどの音と、詩の溶けあい方が素晴らしくてとても感動しました。ナマでお聴きできたのは、昨年4月の一宮市民会館でのコンサートです。昨年2013年の通常コンサートバージョンではなく、2012年の50周年記念コンサートバージョンだったのが、私としては予想外でしたから、イメージ 11録音でしか聴いたことがない「さ/す/ら/い」が聴けたことはなおさらに嬉しかったのを覚えています。もう、その詩については、ワンコーラス目もツーコーラス目も、サビの部分もすべてが素晴らしく、舟木さんの想いそのものを、しっかり受け止めなければという気持ちだけしかありません。
特にツーコーラス目の「ばらいろの影を背中に 銀いろの声を信じて 祈るのは歌のかがやき 今つかみたいこの手に強く・・」のフレーズは、舟木さんが歌い手としての道を歩きはじめてから、奈落の底に落とされて、本当の意味で歌をその手にしっかり掴んだという手ごたえを得てあらたに、力強くさらに歌の道を究めたいとお思いになったであろう時のことをまざまざと想像させてくれるのです。ここでは何ともイメージ 12いえず胸がいっぱいになります。「ばらいろの影」これは、私のイメージでは、デビューして間もなくの頃の驚くべき人気を色に例えて「ばらいろ」と表現なさったのではないかと・・・そして、「ばらいろ」とは対照的な「影」という言葉を後につなげたのは、その「ばらいろ」は、単に明るく華やかな面のみではなく、当然のように「影」も背負っていたのだということかもしれないと・・。そして青春時代の「ばらいろ」に対して「銀いろの声を信じて」というフレーズが表す意味は、ヒットメーカーとしての人気が先行するアイドル的な「ばらいろ」の栄光を獲得した歌手から、自分自身が得心のゆく「銀色の声を手中におさめるような歌い手」を目指すという覚悟や決意ではないだろうかと思いました。「祈るのは歌のかがやき 今、つかみたい この手に強く」舟木さんが三十代の終わり頃は、プロの歌い手としては不遇の季節だったと思いますが、「歌に寄せる想い」また「プロの歌い手として生きていく覚悟や決意」は、不動のものとなっていたのだろうと思います。しかし、そういった時期に、またしても舟木さんの行く手に試練が待ち構えていたのですね。十代の半ばで「歌い手」になろうと将来の道を決めた理由のひとつともなった弟さんへの兄としての深い想いが、打ち砕かれ、「さ/す/ら/い」に託した舟木さんの歌への情熱にはおそらくはいくばくかの冷水が浴びせられたのではないかと推察します。でも、86年の「concert 蜃気楼」で、舟木さんが「さ/す/ら/い」をステージにのせていらしたことを知って、私は、とても安心しました。
舟木さんのような正直な人が、もし歌への強い想いがないのであれば、このような歌を歌うことは、できるはずはなかっただろうと思ったからです。そして、50周年の記念のステージのオープニング曲としてこの「さ/す/ら/い」を置かれたことを思えば、やはり、この曲の持つ力は舟木さんにとって、とても大きなものだったのではないかという想いがします。
 
                                        桜が散ったその後は・・・芍薬がもう花開いていました
 
イメージ 13

 

 

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