タイトルは、「舟木一夫の刈干切唄」としていますが、その前段として、まず1967年1月3日に、日活の
お正月映画として封切られた「北国の旅情」(併映は吉永小百合/渡哲也「青春の海」)を御紹介します。
お正月映画として封切られた「北国の旅情」(併映は吉永小百合/渡哲也「青春の海」)を御紹介します。
舟木さんの日活作品の11作目の映画です。そして、西河克己監督作品としては4作目です。この映画の主題歌の詩作も西河監督がされています。
この時期は、前年の「絶唱」の大ヒットで舟木さんが、それまで以上に超多忙を極めていらしたのだそうですが、日活としては、お正月映画として、どうしても興行的なヒットを出したいという意向が強く、8日間ほどで朝昼の区別なくハードスケジュールで撮影したということです。そのため主題歌が間に合わず、舟木さんご自身が西河監督に作詩を依頼なさったとのことです。おそらく西河監督による歌謡曲の作詩はこの作品のみではないかと思われます。作曲は、あの名曲「高原のお嬢さん」の作曲をなさっている松尾健司氏です。
この時期は、前年の「絶唱」の大ヒットで舟木さんが、それまで以上に超多忙を極めていらしたのだそうですが、日活としては、お正月映画として、どうしても興行的なヒットを出したいという意向が強く、8日間ほどで朝昼の区別なくハードスケジュールで撮影したということです。そのため主題歌が間に合わず、舟木さんご自身が西河監督に作詩を依頼なさったとのことです。おそらく西河監督による歌謡曲の作詩はこの作品のみではないかと思われます。作曲は、あの名曲「高原のお嬢さん」の作曲をなさっている松尾健司氏です。
物理的事情であったにしろ、日活の青春映画、文芸映画の巨匠である西河克己監督の唯一の歌謡曲の詩作というのですから、その希少価値においても注目されますが、この詩からは、やはり石坂洋二郎原作の映画「青い山脈」と、その主題歌である西條八十作詩の「青い山脈」が思い起こされます。モチーフは「雪~山~空~夢~雪割草」以下のように「青い山脈」の一番の歌詞の中で使われている言葉が並びます。「北国の旅情」公開は1967年で既に戦後20年を経過していますが、昭和40年代の初めというのはまだまだ戦後の尻尾を引きずっていた古き良き時代だったのかもしれません。
青い山脈 作詩:西條八十 作曲:服部良一
舟木さんの歌唱です↑kazuyanさん動画
若く明るい 歌声に
雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ
雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ
北国の旅情 作詩:西河克己 作曲:松尾健司
http://www.youtube.com/watch?v=dAK-mgnVCs8
http://www.youtube.com/watch?v=dAK-mgnVCs8
kazuyanさん動画
君をたずねて やって来た
雪にふるえる 北の町
胸は高なる あのあこがれの
かがやく嶺に 夢はとぶ
あゝ ただひとり
青春の青春の 旅の朝
甘い涙を かみしめて
嫁いで行くよ 明日の日は
君の涙は 忘れはしない
さよなら言って 別れよう
あゝ ただひとり
青春の青春の 旅の空
嫁いで行くよ 明日の日は
君の涙は 忘れはしない
さよなら言って 別れよう
あゝ ただひとり
青春の青春の 旅の空
あつい心を だきしめて
登る谷間の 岩かげに
春を待つのか 雪割草よ
ふまずに行こう 君のため
あゝ ただひとり
青春の青春の 旅の路
登る谷間の 岩かげに
春を待つのか 雪割草よ
ふまずに行こう 君のため
あゝ ただひとり
青春の青春の 旅の路
この映画のあらすじをさらにダイジェストにして、ご紹介します。
資料は「別冊・近代映画1967年2月臨時増刊号からです。
原作:石坂洋二郎 (作品集「冬山の幻想」ほかより)
脚本:倉本聡/山田信夫 監督:西河克己
脚本:倉本聡/山田信夫 監督:西河克己
上村英吉:舟木一夫/金井由子:十朱幸代/河原吉之助:東野英治郎/河原健二:山内賢
あらすじ
冬休みに入ってまもなく、上村英吉は帰省している金井由子から手紙をもらった。近く婚約すると書いてあった。英吉と由子は、大学の同級生で二ヵ月後の三月には学窓を巣立つことになっている。はっきりと将来を誓い合った仲というわけではないが手紙を受け取って英吉はショックを感じた。スキーの上手い英吉はこの冬もアルバイトにスキー場で指導員をやることになっていた。その帰り、由子の家を訪ねてみることにした。~中略~
由子の縁談の相手というのは河原家の長男健二だった。河原家の当主河原吉之助は明治四十年、鹿児島から口べらしのために、たった一人この北国に売られてきた。裸一貫で叩き上げて今日では河原屋醸造の社長としてこの町きっての名士になっている。無学な吉之助だが勉強家で由子を家庭教師に、中学一年の英語の教科書を勉強している。息子の健二も家業の酒造り以外には能のない素朴な若者で、それだけに大学出の由子をぜひ息子の嫁にというのが吉之助の念願だった。~中略~
英吉の出現で、せっかくの良縁が駄目になるのではないかと、金井家の人は心配した。案の定、健二の父吉之助は英吉の出現に動揺した。また由子の父半造も、由子に英吉との関係を問いただすという有様だった。しかし、由子は英吉に、健二を愛しているから婚約したのだといい。英吉はそれを聞くと、由子の仕合せを祈って金井家を辞した。英吉は由子を前から好いていたのだが・・・
由子の縁談の相手というのは河原家の長男健二だった。河原家の当主河原吉之助は明治四十年、鹿児島から口べらしのために、たった一人この北国に売られてきた。裸一貫で叩き上げて今日では河原屋醸造の社長としてこの町きっての名士になっている。無学な吉之助だが勉強家で由子を家庭教師に、中学一年の英語の教科書を勉強している。息子の健二も家業の酒造り以外には能のない素朴な若者で、それだけに大学出の由子をぜひ息子の嫁にというのが吉之助の念願だった。~中略~
英吉の出現で、せっかくの良縁が駄目になるのではないかと、金井家の人は心配した。案の定、健二の父吉之助は英吉の出現に動揺した。また由子の父半造も、由子に英吉との関係を問いただすという有様だった。しかし、由子は英吉に、健二を愛しているから婚約したのだといい。英吉はそれを聞くと、由子の仕合せを祈って金井家を辞した。英吉は由子を前から好いていたのだが・・・
この後、英吉と由子、由子の妹、そして健二と吉之助などをめぐって、物語は展開していきますが、あらすじは、私が、今回、ご紹介したい「舟木一夫の刈干切唄」に関連する場面まで一挙に飛びますのでご了承くださいね。
この映画の中で、舟木さんが一曲の民謡を歌われています。「刈干切唄」です。この歌は、以下のような物語の展開の中で歌われました。
健二の父、河原吉之助は、由子と健二の結婚にとって「邪魔になる存在」の英吉にくぎを刺そうと英吉が逗留している、由子の実家・「金の湯」に乗りこんできます。奥の座敷で、英吉と吉之助は対座します。
以下ふたりの会話形式です
吉之助:おはんにききたい。おはんは由子に惚れとるのか。いや惚れとってもええ。由子をあきらめられるか?
英吉:由子さんは、今どこにいるんです?これは彼女とぼくの問題です。二人で会って話をします。
吉之助:ならん!
英吉:なぜでしょう?
吉之助:ならんと言ったらならんのじゃ!
英吉:あんたは卑怯じゃ
吉之助:卑怯じゃ?
英吉:そうじゃ。若い者の話ぁ、若い者の話ばい。そこに親父がしゃしゃり出るこつはなかっ。息子には逢わせる!他の男にゃ逢わせん。そがい不公平ば誰が許すとかッ!
英吉:由子さんは、今どこにいるんです?これは彼女とぼくの問題です。二人で会って話をします。
吉之助:ならん!
英吉:なぜでしょう?
吉之助:ならんと言ったらならんのじゃ!
英吉:あんたは卑怯じゃ
吉之助:卑怯じゃ?
英吉:そうじゃ。若い者の話ぁ、若い者の話ばい。そこに親父がしゃしゃり出るこつはなかっ。息子には逢わせる!他の男にゃ逢わせん。そがい不公平ば誰が許すとかッ!
興奮した英吉が、思わず国の訛りをまるだしにしたのを吉之助はききとがめた。
吉之助:お、おはん、もしや鹿児島県人じゃなかと?
不思議な偶然だった。英吉も吉之助も同じ鹿児島県人で、出身も同じ桜島だった。そして去年の夏、英吉が帰省中に葬式に立ち会った山下屋のとめ婆さんは吉之助の幼なじみだったのである。吉之助の目にみるみる涙が湧いてきた。
吉之助:おはん、刈干切唄を知っとるか?
英吉:知ってる。
吉之助:歌え!
英吉:よしッ!
英吉:知ってる。
吉之助:歌え!
英吉:よしッ!
英吉は座りなおした。腰に手を当て、目を閉じて歌いだした。
♪ここの山の 刈り干しゃすんだよ 明日は たんぼで たんぼで 稲刈ろよ・・
舟友のkazuyanさんの動画です↑
ここの山の 刈干(かりぼ)しゃ すんだヨ
明日はたんぼで たんぼで 稲刈ろかヨ
明日はたんぼで たんぼで 稲刈ろかヨ
もはや 日暮じゃ 追々(さこさこ)かげるヨ
駒(こま)よ いぬるぞ いぬるぞ 馬草(まぐさ)負(お)えヨ
駒(こま)よ いぬるぞ いぬるぞ 馬草(まぐさ)負(お)えヨ
おまや来ぬかよ 嬉しい逢瀬(おうせ)ヨ
こよさ母屋(おもや)の 母屋の 唐黍(とうきび)剥(む)きヨ
こよさ母屋(おもや)の 母屋の 唐黍(とうきび)剥(む)きヨ
甘い感傷が吉之助の心をゆさぶった。吉之助は英吉にすぐに霧澄温泉に駆けつけるようにと言った。
ぐずぐずしていると、由子と健二とがどうなっているかわからない。意気地のない息子を励まそうと、健二に由子の部屋に夜這いするように命じた吉之助だったからだ。
そして物語の結末はというと・・・
英吉は、由子と自分とのことについて真剣に考えてみた・・そして、出た結論は、健二と由子の間は生活と結びついた愛であり、自分と由子との間は、学園の中での友情なのだと悟った。英吉は由子に自分の想いを打ち明け、健二との幸せを願うと言った。翌朝、一番列車で英吉は東京に発った。由子は健二の店の配達トラックに同乗して、英吉の乗った列車を追いかけ、健二と二人で、英吉を見送るのだった。
この映画が公開されたのは1967年1月で、私が大好きな「絶唱」の公開から数カ月しか経っていない時でしたが、多分、それほど関心がなかったのか、ほとんど記憶にはありません。ですから、初めてこの映画を観たのは、舟木さんと再会して数ヵ月のことです。親切な舟友さんのご厚意で観ることができました。物語そのものは昭和の青春映画やテレビなどで放映されたいくつかの石坂洋二郎もので、若くて清潔な舟木さんの魅力が生かされた作品という印象でしたが、「絶唱」や「その人は昔」「残雪」などよりは、軽いタッチのものでしたから強烈なインパクトは感じなかったというのが正直なところですが、この「刈干切唄」の場面には、惹きつけられました。
東野英治郎さんと舟木さんが画面の左端と右端に座って対峙する姿が、まずステキです。正座している舟
木さんの背筋がピシッときれいに伸びていてうっとりです。ベテランの東野さんとの鹿児島弁のセリフのやりとりとりのシーンは、この映画の一番の見所ではないでしょうか。私には地元の正しい鹿児島弁はわかりませんが、舟木さんの鹿児島弁は凛としていて歯切れが良くて聴いていてとても心地よく感じました。
河原家の当主河原吉之助は明治四十年、鹿児島から口べらしのために、たった一人この北国に売られてきた↓
吉之助の所望に応えて、目を閉じて「刈干切唄」の世界に入っていく舟木さんと、桜島を臨む段々畑で、幼い少年だった吉之助と幼なじみのとめとが大きく手を振り合って別れを惜しむ回想の映像が重なります。ふるさとへのノスタルジーが、描かれたこの場面はおそらく西河監督にとっても一番大切にしたいシーンだったのではないかと想像します。
もし、若い頃にオンタイムで私がこの映画を観ていたとしても、このシーンはそれほど印象に残らなかったのではないかと思います。私自身が年を重ねてから、この映画を観たからこその「名場面」なのかもしれません。
舟木さんの歌う「刈干切唄」は、当時まだ二十代に入ったばかりだったことを思うと、驚くばかりにその里山の風景や空気や、そこで生きて、働く人々の心に寄り添った感性が働いていらして、やはり若い時から表現者の資質を見事に備えていらしたのだと思わざるを得ません。もし、若い頃にオンタイムで私がこの映画を観ていたとしても、このシーンはそれほど印象に残らなかったのではないかと思います。私自身が年を重ねてから、この映画を観たからこその「名場面」なのかもしれません。
なんともいえない情と色気がひなびた里山唄の中に節度をもって織り込まれ、唄い手の力によって、そこに秘かに閉じ込められていた香りが、命を吹き込まれたかのようにじんわと広がって漂ってきます。仕事唄(民謡)の持つ大らかさと品格が舟木さんの声質によって実に見事に引き出され、本来の仕事唄からほどよく泥を落としたような洗練された色合いとなって私たちの耳に心地よく響いてくる感じがします。
ふと思ったのですが、「北国の旅情」の原作というか、構想のヒントになっている石坂洋二郎の原作の中で、「刈干切唄」を主人公が歌う場面はあったのかな?ということです。「絶唱」の原作では、「吉野木挽唄」は、戦争で遠く引き裂かれた順吉と小雪とをつなぐ唄として作者によって描かれていますが・・・
いずれにしても、舟木さんにこの映画の中で「刈干切唄」を歌わせてくださった西河監督に私としては心からの賛辞を贈りたいと思います。音源としてこのような素晴らしい舟木さんの歌唱が、残っていることに深い感謝の想いでいっぱいです。
舟木さんの「民謡」に関連する若い時のお仕事としては、デビュー間もなく企画された、アルバム「舟木一夫と若い民謡」があります。このアルバムについては、また後日、取り上げていきたいと思っていますが、
今回は、「絶唱」の中で舟木さんが歌われている、「吉野木挽唄」と民謡ではありませんが、オリジナルの「ひぐれ山唄」を併せてご紹介します。
先ず、2014年の通常コンサートのラストで歌われて、感動を呼んだ「吉野木挽唄」・・・
こちらも舟友のkazuyanさんの動画でお楽しみ下さい
吉野木挽唄 映画「絶唱」より
http://www.youtube.com/watch?v=b7jhrLTF-z4
http://www.youtube.com/watch?v=b7jhrLTF-z4
ハアー 吉野吉野と 訪ねてくればよ
吉野千本 サア 花盛りよ
吉野千本 サア 花盛りよ
ハアーいつの頃から 木挽を習いよ
花の盛りを サア 山奥によ
花の盛りを サア 山奥によ
「ひぐれ山唄」は1966年5月に「今日かぎりのワルツ」のB面としてリリースされています。「哀愁の夜」と「絶唱」という大ヒット曲の間に挟まった時期のシングルで、舟木さんの曲としては大ヒットというクラスとは言えませんし、曲調も地味ですが、私の大好きな歌です。丘灯至夫氏の作詩で山路進一氏の作曲です。
生まれ育ったふるさとに根づき、大きな自然と共にくらし、その自然から恵みを受け、生業(なりわい)をたてていく若者の、素朴な恋を詠った隠れた名曲だと思っています。日本の故郷と、そこに生きる人々のつつましい暮らしと清潔な美しさが描かれたこんな世界もまた、舟木一夫にしか再生できない風景であり抒情であるのだと思います。
ひぐれ山唄
作詩:丘灯至夫 作曲:山路進一
http://www.youtube.com/watch?v=T8mJ2utfYj4
http://www.youtube.com/watch?v=T8mJ2utfYj4
kazuyanさんの動画
山の男はヨ なに見て暮らすヨ
谷にひとすじ 糸ひく煙
あれはあの娘の
あれはあの娘の 炭焼く煙ヨ
谷にひとすじ 糸ひく煙
あれはあの娘の
あれはあの娘の 炭焼く煙ヨ
あの娘十六ヨ ひとみも燃えてヨ
あいに来る日は 手に花さげて
杉の峠で
あいに来る日は 手に花さげて
杉の峠で
杉の峠で 山唄うたうヨ
ひぐれ山唄ヨ 淋しいけれどヨ
いつか一緒に 暮らせる時は
灯りともして
灯りともして 星見てうたおヨ
いつか一緒に 暮らせる時は
灯りともして
灯りともして 星見てうたおヨ
どんなジャンルの歌も舟木さんが歌うと、舟木一夫ワールドのフィルターにかけられてまろやかで角のないものになるので、いわゆる癒し系・・・舟木さんご自身が御自分の声なり歌を「鎮静剤」ともおっしゃっていらっしゃるのですが・・アロマテラピー効果があるかのようですね(笑)考えるに、舟木さんの歌声は精神を鎮める芳香を発しているということになるのでしょうか。