私の6月は、まさに「一夫台風」~ひと昔前のアメリカでは台風に女性の名前をつけてましたよね(笑)~が吹き荒れて、まだその余韻で、名残りの風にあおられているところです。
でも、そろそろ50周年記念ファイナル公演中は、ひとやすみしていた『陽射し・旅人』を、再スタートさせようと思います。
「歌声でたどる、あの頃の舟木さん」・・・というタイトルにしていますが、今回とりあげる「歌声=曲」はその音源が、ほんの一握りの「寒い時代」もずっと離れていなかったファンの方のみしか、お手元にお持ちではない曲になるんじゃないかな?
6月の初め頃に、1970年代半ばに開催されたコンサートのパンフレットを2種類手に入れました。
いずれも20ページにも満たない、地味なパンフレットですが、「あの頃」の舟木さんをまったく知らない私には少しでも「寒い時代」を私の手元に引き寄せることができれば・・・という想いでした。
~資料 大倉明著「青春賛歌」より~
1973年
7月7日東京ホテル・オークラで婚約発表。(3月婚約)
7月19日名古屋御園座公演「情熱のビッグ・オン・ステージ」開催
8月1日から28日まで明治座公演「沖田総司」「われ永久に緑なる」開催
9月「サンチャゴの鐘」「夏子」発売
10月29日京都市内ホテルで事件発生。全治一ヶ月の重傷。
10月30日大阪新歌舞伎座が12月公演中止を決定。
11月18日退院。静岡県友人宅へ。
1974年
7月19日名古屋御園座公演「情熱のビッグ・オン・ステージ」開催
8月1日から28日まで明治座公演「沖田総司」「われ永久に緑なる」開催
9月「サンチャゴの鐘」「夏子」発売
10月29日京都市内ホテルで事件発生。全治一ヶ月の重傷。
10月30日大阪新歌舞伎座が12月公演中止を決定。
11月18日退院。静岡県友人宅へ。
1974年
4月29日挙式
6月アルバム「初恋 舟木一夫抒情歌謡を歌う」発売
7月27日NHK「思い出のメロディー」の収録。(8月3日放送)
8月11日東京豊島公会堂で後援会員のためのコンサート開催
9月「旅路」「寝顔」発売(復帰第一作)
10月アルバム「友情 舟木一夫の新しい名刺」発売
10月TBS「ふたりぼっち」に出演
11月2日、3日東京郵便貯金ホールで「舟木一夫コンサート74」開催
12月15日京都会館で「舟木一夫コンサート74」開催
6月アルバム「初恋 舟木一夫抒情歌謡を歌う」発売
7月27日NHK「思い出のメロディー」の収録。(8月3日放送)
8月11日東京豊島公会堂で後援会員のためのコンサート開催
9月「旅路」「寝顔」発売(復帰第一作)
10月アルバム「友情 舟木一夫の新しい名刺」発売
10月TBS「ふたりぼっち」に出演
11月2日、3日東京郵便貯金ホールで「舟木一夫コンサート74」開催
12月15日京都会館で「舟木一夫コンサート74」開催
パンフレットその1
「舟木一夫コンサート74」
1974年11月2日・3日 東京郵便貯金ホール
1974年12月15日 京都会館第一ホール
「色々とご心配をおかけして本当に申し訳ありませんでした
一年ぶりにステージからお目にかかります
今回のコンサートは僕自身 心身共に汗のかける様なステージをつとめたいという気持ちからこういう形のものになりました
唄ったことのない歌がほとんどですのでどこまでお客様にご満足いただける様な歌い込みが出来ますか・・とにかく精一杯やります
ごゆっくり
一夫
一年ぶりにステージからお目にかかります
今回のコンサートは僕自身 心身共に汗のかける様なステージをつとめたいという気持ちからこういう形のものになりました
唄ったことのない歌がほとんどですのでどこまでお客様にご満足いただける様な歌い込みが出来ますか・・とにかく精一杯やります
ごゆっくり
一夫
お客様」
見開き1ページ目に上記の舟木さんの「あいさつ文」がありますが余りにも言葉少ない文面に今見ても胸が痛みます。
舟木さんご自身も書いていらしゃるように、「一年ぶり」のコンサートです。資料の年表を御覧になっていただければ、わかるように、この年の7月のNHKテレビ出演でメディアを通してはこれが「復帰」と言えるでしょう。前年の1973年10月末以来の長いブランクの後、後援会員対象のコンサートは74年8月に開催されていますが、一般のファンのためのコンサートの再開は、この時が最初だったようです。
パンフレットの中身は、関係各位の舟木さんの復帰を祝う挨拶文、とファンからの新しいスタートを激励するお便りがほぼ半分ほどの誌面を埋めています。ファンサービスという意味もあるのでしょうか、挙式の模様を報じた後援会誌からの転載と思われる記事や写真、後援会員との交流運動会でのスナップ写真なども掲載されています。ですが、私の印象では、まだ舟木さんご自身の前に向かって新たに歩を進めて行こうという強い意志のようなものは、それほど感じられないというのが正直なところです。周囲の期待や激励に押されてのステージへの復帰という感じがしました。
しかし、そんな、パンフレットの中に、舟木さんご自作の曲が楽譜入りで掲載されているのが、私としては仄かな救いでした。前半16曲、後半14曲という二部構成の中で、『火の鳥』は前半のラストに置かれています。舟木さんのご自作としては、歌いあげるような曲調で異色ではないかと思います。曲に込めた「歌への情熱」は十二分に感じられます。でも、どこかにまだ、不安や整理しきれないものを抱えていらっしゃるようで、時期的には「見切り発車」という感を否めません。様々な周囲との事情があったようで舟木さんご自身はもう少し時間が欲しかったのではないかと、推察してしまう私です。
①ソング・フォー・ユー*センチメンタル・ボーイ*この胸のときめきを*誰もいない海*少年色の空*風*冬の旅*北国に一人*旅愁*空港*北国に一人*旅路*どこかへあなたと*明日に向かって走れ*よみがえる夜明け*火の鳥*愛のテーマ(演奏)
②愛のテーマ*サバの女王*おきざりにした悲しみは*知らず知らずのうちに*結婚しようよ*旅の宿*赤とんぼ*硝子のジョニー*五番街のマリーへ*行かないで*帰りこぬ青春*愛をもう一度*明日に架ける橋*見果てぬ夢
「火の鳥」は、こちらで聴けます↑
火の鳥 作詩・作曲:舟木一夫
ふるえる心に つばさを広げて
明日にはばたく 不死身の火の鳥
燃える瞳に 愛をかざして あなたと生きる
おそれるものは何もない 何もない
明日にはばたく 不死身の火の鳥
燃える瞳に 愛をかざして あなたと生きる
おそれるものは何もない 何もない
はるかに聞こえる夜明けの歌声
目指して旅立つ希望の世界へ
目指して旅立つ希望の世界へ
恋する心に つばさを広げて
明日にはばたく 不死身の火の鳥
つきることない 炎の海に 身体をまかせ
微笑みかわす愛の中 愛の中
明日にはばたく 不死身の火の鳥
つきることない 炎の海に 身体をまかせ
微笑みかわす愛の中 愛の中
あなたに見つけた たしかな真心
はげしく抱きしめ 飛び立つ大空
はげしく抱きしめ 飛び立つ大空
誰もじゃまなど できはしないさ 二人の胸に
永遠に寄りそう 火の鳥を 火の鳥を
永遠に寄りそう 火の鳥を 火の鳥を
嵐に傷つき つばさは 折れても
終わりを 知らない 不死身の この愛
終わりを 知らない 不死身の この愛
~資料 大倉明著「青春賛歌」より~
1975年
1月「愛の新雪」「別れの瞳」発売
精力的にコンサート活動始動、後援会員200人とハワイ・バカンスツアーなども行う。
4月「津和野川」「むかえ火」発売
4月アルバム「暦 十二ヶ月の愛の詩」発売
4月27日大阪新歌舞伎座「舟木一夫リサイタル」開催
8月2日東京読売ホール「舟木一夫コンサート75~今までの僕・これからの僕~」開催
12月「許されるなら」「哀しみの旅」発売
12月アルバム「愛と別れの12章」発売
*アルバムはオリジナル曲アルバムのみ記載
4月アルバム「暦 十二ヶ月の愛の詩」発売
4月27日大阪新歌舞伎座「舟木一夫リサイタル」開催
8月2日東京読売ホール「舟木一夫コンサート75~今までの僕・これからの僕~」開催
12月「許されるなら」「哀しみの旅」発売
12月アルバム「愛と別れの12章」発売
*アルバムはオリジナル曲アルバムのみ記載
パンフレットその2
「舟木一夫コンサート75~今までの僕・これからの僕~」
1975年8月2日東京読売ホール
コンサート雑感 舟木一夫
~さて、もう一ツは歌のタイプ。
これは主に「これからのボク」の方の話。第一に、全曲がこのコンサートの為に用意された歌で、初めて唄う歌だと言う事。
もう少し詳しく言えば、僕にとっては、ある意味で初めて接するタイプの歌だと言う事です。
これは主に「これからのボク」の方の話。第一に、全曲がこのコンサートの為に用意された歌で、初めて唄う歌だと言う事。
もう少し詳しく言えば、僕にとっては、ある意味で初めて接するタイプの歌だと言う事です。
しかし、こっちの方はさっきの「しゃべり」の件とは違って、ファイト旺盛。なぜなら、こういう現代のエッセンスを取り入れて、歌で表現するという事は。言わば僕の(いや歌手の)義務だと思うからです。
そして、このコンサートに限らず、今後、現代のエッセンスを組み込んだ、詩、曲、アレンジ、そして音の中に身をおいて、いかに唄うか・・・「これからのボク」・・・・・・
面白くなりそうです。
そして、このコンサートに限らず、今後、現代のエッセンスを組み込んだ、詩、曲、アレンジ、そして音の中に身をおいて、いかに唄うか・・・「これからのボク」・・・・・・
面白くなりそうです。
上記のピンク色の文字は巻末に書かれている舟木さんの「コンサート雑感」ですが、74年のパンフレットの「あいさつ文」とは全く温度が違いますね。本来の舟木さんに戻ってきてるような印象です。青春後期の若者らしい、いい意味での気負いのようなもの、時代の空気を強く感じて、これまでの自分の世界からさらに大きく飛び立っていこうという力を感じさせて、今拝見しても「頑張れ!」と応援したくなります。
そして、このコンサートも二部構成で前半「今までの僕」は、御自身のヒット曲中心でカバー曲もいくつか・・後半「これからのボク」は確かにタイトルもあまり聴き慣れないものがほとんどです。コンサート雑感」の中で、「これからのボク」の方の話。第一に、全曲がこのコンサートの為に用意された歌で、初めて唄う歌だと言う事。・・と書いていらっしゃいますので、二部構成の二部「これからのボク」のセットリストをご紹介しておきます。
♪宝福寺にて
♪木戸をあけて
♪松ぼっくりの唄
♪あなたは今・・・・
♪沈黙
♪風の中で
♪美しい母に捧げるロックン・ロール
♪白い部屋
♪パーティーは終わったよ
♪さよならとは云わない
ほか
お気づきの方もあるかと思いますが、50周年ファイナル公演の千穐楽のアンコールで歌われた「宝福寺にて」は、この75年のコンサートで初めて歌われたもののようです。これには私も驚きました。この時、舟木さんはまだ31才ですよね。まだ青年といってもいい舟木さんが既に「宝福寺にて」の世界観を、御自身の胸の内に抱えていらっしゃったとは・・・やはり、もうこの時には、私たちには及びもつかない景色を見尽くしていらっしゃったのだろうと切なくなりました。
そして、このパンフレットにも、楽譜が2つ掲載されていましたので、ご紹介します。
『或る手紙』は、一部の「今までの僕」のラストで歌っていらっしゃいます。このコンサートの4ヶ月前にリリースされたアルバム「暦 十二ヶ月の愛の詩」収録曲です。そして『白い部屋』は二部の「これからのボク」で歌われています。この曲も50周年ファイナル公演千穐楽昼の部で歌われました。舟木さんの50年という長い旅路の「陽射し」が届かなかった季節の歌を、この50周年ファイナルで本当にたくさん歌われました。「薄日の陽射し」しかその身に注がれなかった時代が、今となっては、むしろ舟木さんにとって「懐かしく愛おしい季節」だったのかもしれないと、これらのパンフレットを紐解きながら感じました。
或る手紙 作詩:吉田旺 作曲:戸塚三博
君を忘れに海に来てます
離れてますます心つのります
何で今さら こんな手紙と
笑って下さい 僕はバカですね
離れてますます心つのります
何で今さら こんな手紙と
笑って下さい 僕はバカですね
麦わら帽子が今
目の前を風に追われて
通り過ぎました
目の前を風に追われて
通り過ぎました
こんな僕でも歌が書けそうな
そんな気がする
秋の終わりです
そんな気がする
秋の終わりです
君を忘れにここへ来たのに
やっぱり自分に嘘はつけません
うすい紅色 君の爪色
貝がら見てさえ 胸がいたみます
やっぱり自分に嘘はつけません
うすい紅色 君の爪色
貝がら見てさえ 胸がいたみます
悲しい目をしたカモメが一羽
僕を見上げて
首を振ってます
僕を見上げて
首を振ってます
こんな僕でも死んでしまえば
涙こぼしてくれるでしょうか
Mu _ _ _ _ _
涙こぼしてくれるでしょうか
Mu _ _ _ _ _
白い部屋 作詩:草村ゆたか 作曲:黒住憲五
今、何をしていますか 僕は毎日歌を書いています
今、何をしていますか 僕は毎日歌を歌っています
少し疲れています
たそがれ時 あなたの白い部屋には
今も、黄金色の陽が当たりますか
美しいですか
今も、黄金色の陽が当たりますか
美しいですか
今、とても会いたいのに
そっとぬけだすことも できないのです
そっとぬけだすことも できないのです
もう葡萄はみのりましたか
海は今日もきれいな青ですか
海は今日もきれいな青ですか
少し疲れています
ピアノの前のあなたの白い指は
今も、まぼろしのようにきれいですか
僕のものですか
今も、まぼろしのようにきれいですか
僕のものですか
今、とても会いたいのに
そっとぬけだすことも できないのです
そっとぬけだすことも できないのです
まだ、当分帰れそうにありません・・・
まだ、当分帰れそうにありません・・・
まだ、当分帰れそうにありません・・・