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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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『陽射し・旅人』 をてがかりに歌声でたどる「あの頃の」舟木さん その6

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『陽射し・旅人』をてがかりに歌声でたどる「あの頃の」舟木さん その6
 1969(昭和44年)~1970(昭和45年)頃
 
イメージ 1
 
歌手生活30周年記念・舟木一夫大全集 として1992年に発売されたCD10枚組に収録されている曲のうち主に舟木さんご自身が「寒い時代」とおっしゃっている頃のもの~つまり私、あるいは私を含めた多くの舟木さんファンには、あまり馴染みがないかもしれない曲(音源)~を中心に据えて、舟木さんの歌声から「あの頃の」舟木さんの心の旅路をたどってみたいという想いで始めた連載です。途中、気儘に寄り道をしながらの掲載なので、わかりにくいと思いますがご容赦下さい。しかも時系列ではなく、「行きつ戻りつ」という構成なので、恐縮です(汗)今回は「その6」として1969年から70年あたりまでの曲を並べてみます。
 
今もステージで舟木さんは「ブルースが歌いたくて歌手になった・・」とおっしゃっていますが、デビュー曲は爽やかな『高校三年生』そして、しばらくは学園ソングで大ヒットを次々に飛ばして、全く違う方向へ・・
でも、その歌唱力が認められたのでしょうね、デビュー6年目にして、当時の歌謡界の大御所のお二人と「ブルースの夕べ」で共演されています。そして翌月の5月に発売されたのが『追憶のブルース』、既にそれ以前にも『成人のブルース』1965年)という曲をリリースしていらっしゃいますが最初のオリジナルの本格的なブルースと云えるのは、やはり『追憶のブルース』ではないかと思います。先月6月の新橋演舞場50周年記念ファイナルの千穐楽昼の部ではオープニング『想い出通り』の後の、スターティングブロックの一曲目にこの歌を歌われました。やはり舟木さんにとって、こういったステージにのせたい曲のひとつであることは確かだと感じました。私は音源は当時のオリジナルのものを持っています。この音源だけを聴いていた時は、正直、ただなんとなく聴いていた曲でした。ところが、先日の演舞場で聴いた『追憶のブルース』は、最初のうちは「あれ?ステキだけど、なんて曲だったけ?」とピンときませんでした。この曲は断然、今の舟木さんの歌声と歌唱がいいと思いました。ブルースはやはりある一定の年令を重ねてこそ味わいの出てくる代表的なジャンルだと感じました。この曲は15周年記念の「限りなき青春の季節」10枚組LPで再録音されています。舟木さんはよくコンサートのMCで「若い頃、この歌はもう何年か先に歌う方がいいんだろうなぁ・・と思う曲がたくさんあった。」と言われますが、『追憶のブルース』も、そういった歌ではないかと思います。きっと舟木さんもそう思っていらっしゃるからこそ、50周年記念ファイナルに、このポジションに置いて歌われたように思えます。
 
イメージ 4~資料『青春賛歌』 大倉明著 より~
1969年
1月『青春の鐘』(B面『幸せを抱こう』)
1月世田谷祖師谷に豪邸を新築
2月『永訣の詩』(B面『京の恋唄』)
2月アルバム「ワンダフルボーイ 舟木一夫」
2月21日松竹映画『永訣・わかれ』公開
3月アルバム「舟木一夫魅力のすべて・第一集」
4月27日サンケイホールで「ブルース
の夕べ」開催
5月『追憶のブルース』B面『素敵なあなた』
)            
*右上画像は「ブルースの夕べ」にて
 
イメージ 3追憶のブルース 
作詩:万里村ゆき子 作曲:戸塚三博
 
おまえは泣いてた 青ざめた霧に
だかれて泣いてた わかれの夜
信じていたのと 目をあげて
おれをみつめた いとしさを
忘れられなくて 悲しくて
色あせたこの町 ひとり歩くよ
 
涙にかくれた 虹色の夢は
こわれてくずれた 愛の夢さ
はるかなおまえに 逢えた日に
はなれはしないと ちかいあう
そんな夢だけが きえのこる
見も知らぬこの町 夜は更けるよ
 
ふたつの心は むすびあわせても
かなしくもつれる 絹の糸さ
あの日のおまえを さよならを
歩いて歩いて 忘れよう
思い出ははかなく 夜はつめたい  
 
15周年再録音盤 舟友さんの動画でお楽しみ下さいね。
http://www.youtube.com/watch?v=_X-fHAR5raQ
 
 
イメージ 5
1969年
6月アルバム「ひとりぼっち 舟木一夫懐かしの歌・第三集)
7月『ああ桜田門』(B面『恋のお江戸の歌げんか』)
7月4日明治座公演「新納鶴千代」「与次郎の青春」開催(31日まで)
8月『夕映えのふたり』(B面『高原のひと』)
12月『北国にひとり』(B面
『いつか来るさよなら』)
 
いつか来るさよなら 
松竹映画 いつか来るさよなら 主題歌
作詩・作曲:井上忠夫
 
誰も・・・誰も知らない この恋
うずく心を 夜霧に浮かべて
そっとつぶやく 小さな言葉
いつかあなたに 告げるさよなら
 
二度と・・・二度と逢えない この恋
なぜかあふれる うつろななみだが
遠いあなたを うつしてゆれる
ひとりみつめる 愛のさよなら
 
愛に傷つき あなたを求め
泥にまみれて 告げるさよなら
 
私は、恥ずかしながらこの映画をまだ観てはいなのですが~いつでも観られるなんて思ってズボラしてるということと、なんだか救われないイメージのあるストーリーだと想像してて観る勇気がない(笑)~主題歌であるこの曲もレコーディングされた音源を聴いていた時には、聴き流す程度でしたが、ある時、25周年だったかのライブ音源を聴かせていただく機会があって、その時もなんだか別の曲のように感動しました。
発売当時のリアルタイムの録音のものより20年近く経ってからのコンサートのライブ盤の方がいい曲だと感じたのは、やはり歌い手という表現者としての舟木さんの進化であろうと思います。着実に人の心に投げ掛ける何かを歌に込める術を掴んで成長してこられた舟木さんの歌声を感じるとしみじみ、「試練」という言葉を思い出します。まさに「生きたお手本」である舟木さんは私の人生の師と言っても過言ではないと思います。
歌詩もメロディーもシンプルで別段「目新しい」とは言えないかも知れませんが、今の舟木さんならどんな味付けをして聴かせて下さるのか、シンプルな歌ほど歌い手の力量が問われますから今の舟木さんの歌唱で是非とも聴きたい歌のひとつです。聴けたら映画も観たくなるかも・・・
 
舟友のkazuyanさんによる動画でお楽しみ下さいね。
http://www.youtube.com/watch?v=750VLex2TRY
 
1969年
12月アルバム「舟木一夫魅力のすべて・第二集」
12月12日東京プリンスホテルで25歳の誕生日パーティー開催
12月31日第20回NHK紅白歌合戦に出場『夕映えのふたり』歌唱
1970年
1月フジテレビ「銭形平次」出演。
3月NETテレビ「若くて強くてイカス奴」に「宮本造酒之助」役で出演
3月18日松竹映画「東京⇔パリ・青春の条件」公開(橋幸夫デビュー10周年記念映画)
4月『心配だから来てみたけど』(A面『再会』)
 
イメージ 6心配だから来てみたけど
作詩:松山善三 作曲:万里村ゆき子
 
あかりもつけないで なにをしてるの
ひとりきりの夜を 胸に抱いて
手をのべふれてみた 幸せだけど
このまま僕たち 別れて行くの・・
あかりもつけないで なにをしてるの
ふたりの約束は もう消えたのに・・
 
 
あかりもつけないで なにをしてるの
暗いだけの空を ただ見あげて
さよならくりかえす 夜のむこうに
君との月日は 流れて行くの・・
あかりもつけないで なにをしてるの
ふたりの約束は もう消えたのに・
 
この曲は、歌謡組曲こころのステレオ・東京の空の下で『その人は昔』の作家でもあり、映画『その人は昔』の監督でもある松山善三氏が作詩をされた貴重なシングル盤です。どうしても、映画の『その人は昔』のストーリーをイメージして聴いてしまいます。これもまた、私にとっては、この曲との初めての出逢いはライブでした。今年の2月2日と3日に大阪新歌舞伎座での2dayコンサートで、歌われるのを聴いて、若い恋人同士の心のすれ違いのような、不器用な愛の形を歌ったような初々しさの匂う曲なのに、今の舟木さんが歌っても全然不自然ではなくて、「芸の力」というものを感じさせてくれました。歌舞伎でも落語でも男が女を演じ、年令と経験を重ねた役者や噺家が若い恋人同士を演じてもなんの違和感もないのと全く同じなんです。もともと舟木さんは「青春のシンボル」のような歌い手ですから、淡い初恋を歌っても、ステキなことは当たり前なのですが、この松山氏の詩にはまだ十代の少年、少女の恋といった淡い美しいものが流れていて「清純」という今では死語のような言葉で清んだ世界に連れていってくれるような感じなのです。その世界を、そのままに感じさせ、その懐に包んでしまう舟木さんの歌声と佇まいは今も印象的に心に残っています。もう一度、私が聴きたい曲のひとつとしてご紹介させていただきました
 

こちらも舟友の kazuyanさんによる動画でお楽しみください。
 
最後に、こういった曲を歌っていらした頃の舟木さんについて・・・舟木さんご自身の口から語られたことを記載させていただきます。既に、心身ともに辛い時期に入っていらっしゃった頃だと推測されます。
 
限りなき青春の季節 ライブ (1977年11月1日 東京郵便貯金ホール)
アルバム「舟木一夫15周年記念リサイタル 歌とモノローグで綴る15年の歩み」(1977年12月発売)より
 
~舟木さんのモノローグの一部より抜粋~『紫の人』を歌ったあとのモノローグです~
この歌を紅白歌合戦で歌った年(1970年)、雨の日の12月30日、その頃、僕はもう体をこわし始めていて、ねらったように、ねらった所へ声がいってくれませんでした。明日は紅白歌合戦でそうそうたるメンバーと一緒に歌を歌わなくちゃいけない、なんとか明日だけでも、ねらった所へ声が行ってくれないか・・・切実に
そう思いました。
 
イメージ 2
 
(その7につづきます)

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