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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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2014舟木一夫 シアターコンサートin新橋演舞場 5月31日 (上)

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イメージ 142014年シアターコンサートのラストステージが、現在の舟木さんのホームのようでもある新橋演舞場で開催されました。この日の東京都心は、31.5℃と今年一番の暑さとなったそうです。劇場の外も暑かったのですが、昼夜とも満席で、客席はさらに熱く、盛り上がりました。開場の30分程前から、入口付近には長蛇の列ができていましたから、当日券は少しは出ていたのかもしれません。聞くところによると楽屋では「大入」袋が出たそうですから、舟木さんはじめ関係者の方々も大盛況に御喜びだったことでしょう。
 
私は、演舞場に着くと、いつもように先ずは、チケット売り場奥の「演舞場稲荷大明神」に向かい、「ステージの成功と無事祈願」の御詣りをすませて、待ち合わせの舟友さんと向かいのカフェで開場時間待ちしました。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1劇場の玄関前には、大きな看板が飾られています。へぼな携帯カメラなので、強い日差しで照り返しがあってうまく撮れませんでしたが、ステージ衣装の舟木さんと、リハーサル中の笑顔の舟木さんのとってもいいお写真でした。ロビーに入ると、これまた、九月の特別公演の大きなポスターがあちこちに掲げられていて、舟木さん一色の演舞場でした。こちらもライトを設定し忘れたので、へぼ画像しか撮れませんでしたが、初めて見る山内伊賀之亮のポスターもありました。
 
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イメージ 4パンフレットは、中日劇場も新歌舞伎座もパンフレットは販売されていませんでした。2月の南座と今回の演舞場の「松竹系劇場」でのコンサートでしか発行されていないようです。
写真と内容については、一部新しいものが、差し替えてありましたので、また買ってしまいました。今回のパンレットの表紙と裏表紙は、南座のステージ衣装のお写真となっていました。
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表紙が、第二部 遠藤実スペシャル~決して散らない花々、裏表紙は、第一部のヒットパレードです。
 
 
 
 
 
 
 
 
開演時間の10分ほどまえに、舟木さんが登場してプレゼントを手にズラ~ッと列を作って並んでいらっしゃるファンの方々から、軽快なトークをしながら手際よく受け取っていかれます。
この日は、楊柳生地で、地色がグレー、大きな白い花のような模様の涼しげなシャツ、黒の多分コットン素材のパンツ、靴も黒系の運動靴風のラフなスタイルでした。
先ずは、この時のおしゃべりの一部から・・・
(ピンク文字が舟木さん)
 
昼の部
今回のステージの構成をテストケースのスタイルとして、こういうものが定着すれば、他の歌手(後輩)のス
テージのパターンの例としてもらえる・・自分の生まれ育った世界へのお礼が、さりげなくできないかと思っ
たりする・・自分がリアルタイムで間に合って育ててもらった日本の名曲たち(流行歌、古典含めて)その歌
を仏さんに供えて拝んだって仕方ない(笑)自分が何らかの影響を受けて育った名曲たちを何年かかけて歌っていく・・・遠藤実スペシャル、船村徹スペシャル、大先輩のいろんな方のスペシャルっていうことになるのかも知れない。こういうことは、キャリアの長い歌い手がやるしかないですからね。若い頃はこういう発想すらしたことがなかった。古株の持ち場というところでしょうか。
プレゼントをすべて受け取って・・では、今日はどうもありがとうございました(笑)と袖に引っ込む舟木さん
でした。最後はジョークまじりに、笑いをとりつつも、この日のプレゼントタイムでのお喋りの中身は、とて
も濃く、深く、これからの「歌い手・舟木一夫の仕事」の方向の広がりを示唆するものだと私には思えました。

 
イメージ 6
 
夜の部
舟木さんからプレゼントを受け取って幕内に運んでいく、コーラスの女性たち(バニーズ)が、どうもひとり
多い・・?舟木さんが「ひとりコーラスの女性が増えました」・・・ややあって「アレ、実は男です(笑)」さて、どなただったんでしょうか!(笑)
今日は、クッキーが多い、デビュー当時にいっぱいあって、今はなくなったのは、ぬいぐるみ。18、9(歳)の
男の子が、それ抱いて寝るのも気持ち悪いし、3、4ヵ月、ためといて子どもの施設とかに贈ってました。当
時は、プレゼント置き場ように一部屋借りてて、その方が自分の部屋より広かった・・

 
KAZUO FUNAKI THEATER CONCERT IN SHINBASHI ENBUJO
2014年5月31日  昼の部:14時開演  夜の部:18時開演
第一部 舟木一夫 ヒットパレード
第二部 七回忌に偲ぶ 遠藤実スペシャル~決して散らない花々
 
以下、舟木さんのトークを織り込んで、昼夜まぜこぜのれぽとさせていただきます。
(舟木さんのトーク部分はピンク文字)

イメージ 11第一部 舟木一夫 ヒットパレード
 
緞帳が上がって、鮮やかなターコイズブルーのタキシードスタイルの上着に、ボトムは黒でしたが、脇にラインが入ってたのかどうかよく覚えてないので、タキシードと言っていいのかどうか、服飾方面に不案内な私なで、よくわかりませんが、舟木さんはいつまでたっても、この「青春カラー」のターコイズブルーが本当によくお似合いです。
 
~オープニング
あゝ青春の胸の血は
 
 
こうやって演舞場の一日だけのコンサートのステージに立つと年末のような気がします(笑)
ようこそお越しくださいました。遠藤先生のスペシャル、決して散らない花々を二部の方でお聴きいただく・・・そうなると一部の方にヒット曲がズラッと・
・と
 
 
花咲く乙女たち
北国の街
 
「北国の街」を歌い終えると、上手そでの方に「ちょっと業務連絡に・・」と歩いて行って、なにやら伝えてか
ら、またステージ中央に戻ってこられました。
一部ではヒット曲をギュッと詰め込んでますが、今日は、一曲増えてるんです。京都から名古屋、大阪とやってきた中では、カゲもカタチもなかった新曲が・・・(「眠らない青春」と察知した客席からは拍手が・・)
何日か前に、なんとか一曲入れてもらえないかと・・・9月の発売に間に合わせたいんですよね(コロムビア
が?)・・・ズルイでしょ・・・

デビューした頃は、流行歌のヒット曲というのは、アレンジを変えないというのが鉄則だった。その後、15
年くらいで、シンセサイザーとか出てきて逆にアレンジを変えないと古くて変だということになって・・と例
にあげたのが、「タン・タッカ・タッターァタ・・・♪」
と歌ったのが「高校三年生」で、それに気づいた舟木さん
この曲が出てくるところが・・(笑)とちょっとテレた感じですが、当然ご自身のデビュー曲での、たとえ話
になりますよね。OK!ですよね。そして、バンドの演奏形態の講義?になって、リズム隊とかブラス隊とか、ちょっと難しい方向に・・・これ以上喋ると、自分が何を言ってるかわからなくなる・・・と打ち止めに(笑)
 

イメージ 12絶唱
哀愁の夜
高原のお嬢さん
眠らない青春

「高原のお嬢さん」は、これまでのシアターコンサートとは違っていて「青春歌謡BIG3」のステージのヴァージョンのスローバラードアレンジになっていました。おそらく、最後の「眠らない青春」のアレンジとのコントラストをつけるという構成上の意図もおありだったのではないかと思いました。照明は、深紅と白とピンクが行き交って、ゆったりとしたピアノの音色が、まるで外国映画のラブ・ストーリーのバックミュージックを思わせるようにお洒落でムーディーでした。こんなアダルトな「高原のお嬢さん」が歌えるようになった舟木さん、そして、聴かせていただけるようになった私たちファン・・・トシをとるのも全然悪くないなァと感じる嬉しい一瞬です。
そして、その後に続く「眠らない青春」はポップなノリの良いアレンジで、ラストでは、サックスが思いっきりドライブして楽しい締め括りの「眠らない青春」でした。舟木さんは、ニコニコしながら、じっと、そちらを見て、最後にひとこと「長げェよ、このォ!」とご満悦な表情でした。
もちろん、客席からは拍手喝采でした。
 
イメージ 13サックスのはじけた音色を受けて・・・僕がデビューした頃には、バンドもすべてセンパイ(キャリア、年令ともに)ですから、レコード通りではない、ナマの雰囲気をお持ち帰りいただくということで、いろんなことをやりました。・・・と楽しかった当時を懐かしむような表情の舟木さんでした。
 
 
 
6月5日がくるとデビュー52年目に入るんですけど(拍手)ただね、デビュー年数だけならいいんですが、トシもくっついてくるから・「もうすぐ70ですね」ならまだいいけど「古希ですね」なんて言われるとなぐってやろうかと・・コキッ!(笑)と首を傾ける仕草。
先輩の背中から色々教わって・・習うより慣れろ・・どちらかというとその方がセンスがいるんだろうと・・・
最近仕事場へ行くと私が一番年上
・・この後、また「すっぴん・トーク」および「顔がデカイ・トーク」などで笑わせて、最後には、すっぴんでイイ男は、なかなかいないでしょ?と言って客席から拍手をもらった舟木さん、大テレで上着の裾をちょっとつまんで、いつものようにテレ隠しのキュートなポーズが可愛かったですよ。

今回の新曲は、前回の「明日咲くつぼみに」とは、ガラリと変わって、またしても、すっかり「青春」のシンボルの世界にたちもどったような、若々しさを感じさせますね。青春スター・舟木一夫の真骨頂ともいうべき、すてきな「眠らない青春」が、たくさんの方たちに広く知っていただけることを心から願うばかりです。タイトルが「眠らない青春」なんて、本当に洒落てるなぁ!と今にしてあらためて思います。
まるで、この曲をお作りになった時から三十数年後の今を想定していたかのような運命的なものを感じる「眠らない青春」です。

ここは、もう歌わなきゃすまないというヤツで・・
 
銭形平次(サインボール)
 
私は何もしてないんですが、これは、音羽屋の先輩(橋蔵さん)が、偉かった。
今度、出てくれる尾上松也くん・・この前、電話で話しましたが・・180cm・・私も負けないようにつぎ脚かなんかして(笑)チラシ見て思ったんですが、松也さんはメーキャップすると同系統
(舟木さんと)の顔だと・・モロ、馬ヅラ、今はもうカモシカのような・・(笑)そのうち、なんか飛んでくるぞ・・・(笑)
ボールを打ち終わって・・今までは、ずっと「明日咲くつぼみに」のシールでしたが、今日からは「眠らない
青春」・・新製品を(笑)新製品と言っても写ってるヤツは古いからしょうがない(笑)
さらにこれは、もう歌わないわけにはいかないというのを・・・

高校三年生
学園広場
 
第二部に進む前に、「ちょっと箸やすめ」です。
 
イメージ 7師弟対談 (別冊・近代映画「ステキな20才の歌声~舟木一夫新春グラフ」1965年2月号)
  ~若いころの苦労って いいものサ! 遠藤実/舟木一夫 ~
 
ガッチリ手を組んで”明日の歌謡界”を席圏する大暴れをしよう!と大いにハッスルした黄金の師弟コンビ
 
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舟木:二、三日前、先生にお電話したんです。夜中の一時か二時に・・まだお帰りじゃないときいて、たいへんだなぁと思いました。ずいぶん遅くまで仕事をなさるんですね。
遠藤:仕事ばかりじゃなくて、たまには酒を飲むのこともあるしね(笑)とくに年末はいろんな会合が多くて、身体がいくつあっても足りないな。そうそう、こないだ古賀政男先生のお祝いの会があってね。知ってるかい?
舟木:ええ。テレビで拝見しました。ずいぶん盛大な会だったようですね。
遠藤:そりゃあ、ぼくなんか足下にも及ばない作曲家の大先輩だからね。なにしろ、これまで先生が作曲された曲が、ざっと三千五百曲ほどだというんだから・・。
舟木:三千五百?すごいですね。古賀先生といえば、ぼくらすぐ思い出すのは「酒は涙か」とか「丘を越えて」だとか・・・。
遠藤:齢のわりに案外古い歌を知っているじゃないか。両方とも、先生がお若い頃の、いわば初期の作品だね。しかし、本当の名曲というのは時代を超越して生き延びるものだから、若いきみたちがきいたって、少しも不自然じゃないだろう?
舟木:不自然どころか・・ぼく、古賀先生のおつくりになった曲はどれも大好きです。たしか先生にも、ぼくの「丘を越えて」をきいていただきましたね。
遠藤:うんうん、きみがまだコロムビアから売り出す前の、修業時代にね。あのときは正直言って、ちょっとびっくりしたよ。若いくせに、よく古い歌を知っているものだと思って(笑)まあ、しかし、音程もなかなか正確だし、リズムにもよく乗っていて、これはイケルと思ったよ。
舟木:こんなにすばらしい曲が、ぼくがまだ生まれる前にジャンジャン流行して、みんなに愛唱されていたことを考えると、なんだか妙な気分になるんです。
遠藤:妙な気分って?
舟木:ええ、たとえば戦後の若い世代は、一時にワッとあちら製のポピュラーやジャズに飛びついて、とかく日本の歌謡曲ってものを軽視する傾向があったでしょう。
遠藤:まあ、表面だけみれば、そういえないこともないね。
舟木:だけど、その前に、ぼくらもずっと戦前の日本の流行歌を見直す必要があったんじゃないでしょうか。ぼく「丘を越えて」はまだ小学校にもあがらないころから、よく歌っていました。いったい、いつどうして覚えたかも思い出せないほど、ごく自然に耳になじんでいたんです。
遠藤:いい歌っていうのは、そんなものだね。よくリバイバルなんてことをいうけど「丘を越えて」や「酒は涙か」ほどの名曲になると、いわゆるリバイバル以上だね。事実、歌謡曲界の表面には浮かびあがらないでも、日本全国で、連綿と愛唱され、聴きつづけられてきたというわけだ。それも戦前派のおじいさんやお父さんばかりでなく、きみたちのような若い人たちにまでね。
舟木:そうですね。三千五百曲もの古賀先生の作品のなかには、まだまだぼくらがそれと知らず親しんでいるメロディーがたくさんあるでしょうね。たとえ、これが古賀先生の作曲された曲とは知らなくても。
遠藤:そりゃあそうさ。古賀先生が「丘を越えて」を作曲されたのは、ちょうとぼくが生まれたころだが、それから延々とこの道一すじに生きてこられた先生の精進ぶりには、敬服させられるよ。
 
イメージ 10遠藤:ところで舟木くんもいよいよ二十歳になったわけだね。どうだい、おとなになった感想は?
舟木:はあ、なんだかこう、身も心もひきしまるような・・。とにかく、これまでのようにシャニムに仕事に追いかけまわされるだけじゃなく、もっと冷静に自分をみつめる余裕をもちたいんです。社会的にも一人前の大人として責任をとらなくちゃならない齢なんだし。
遠藤:たしかにその通りだね。ぼくなんか、きみの年齢には社会人として一人前どころか、いっぱしのベテランだったからなぁ。
舟木:先生の二十歳時代というと?
遠藤:うん、きみたちとちがって家庭の事情で十五、六のときから働きどおしに働いてきたからね。ずいぶんいろんな仕事をした。やらなかったのは泥棒と人殺しくらいのもんだ(笑)その点、きみたちは恵まれているよ。
舟木:よく、みなさんがおっしゃるんですが、先生のおつくりになるメロディーの底に流れる哀愁は、お若い時代に御苦労なさった人生体験の反映だとか・・・。
遠藤:(苦笑して)自分では特別意識していないが、まぁ、そんなことになるのかな。歌の勉強にも、流しの演歌師をやっていたころの苦労が大いに役だったとは思っている。きみの「修学旅行」にしても、生まれて一度も修学旅行をした経験のないぼくとしては、まったく想像だけで作曲したものなんた。あの曲には、少年時代のぼくの夢とあこがれがそっくり秘められているんだ。それだけに、あの曲の大ヒットは嬉しかった。
舟木:・・・(しんみりと、うなづく)
遠藤:昼間働いて、夜くたくたに疲れた身体で作曲を勉強する・・いまとなっては、それも楽しい思い出だがね。
舟木:その点、ぼくなんて温室育ちで、まだまだ苦労が足りませんね。
遠藤:そんなことはないさ。ぼくのところにレッスンに通ってきていたデビュー前の一年間はよく勉強したよ。それに、ほら有名な苦労話があるじゃないか。四谷の上智大学の土手で夜遅くまで歌ったとか、人気のなくなった銭湯で勉強したとか・・。
舟木、いやあ、どうも。(すっかりテレて小さくなってしまう)でも、若いころの苦労って、できるだけしておくものですね。ぼくもいまになってあの四谷時代を思い出すと、ときどき涙がこぼれそうになつかしくなるんです。
遠藤:若いころの苦労は買ってでもせよという諺もある。まあ、ぼくなんかにいわせれば、その苦労も程度問題だがね。過ぎたるは及ばざるがごとしともいうしね。しかし、人間なんといっても努力さ。一にも二にも、ただ努力あるのみ。おたがいに来春も「努力」をモットーにしてがんばろうじゃないか。
舟木:ええ、ぜひとも。来年もよろしくおねがいします。
 
なんだか、今、遠藤先生が御健在だとして、舟木さんと師弟対談が実現したとしても、きっと、同じようなことをお二人ともおっしゃってるような気がする対談だと思います。ずっと、ぶれず、一本筋の通ったご気性と流行歌への熱い想いが、師弟の間に、揺るぎなく流れ、行き交っていることが伝わってきます。
 
~2014 シアターコンサートin新橋演舞場 5月31日 (下)へつづく~
 

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