Quantcast
Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

小泉八雲を描いた舞台劇「日本の面影」を観て・・西條八十~松江~絶唱のことなど

$
0
0
イメージ 1一ヶ月ほど前に、図書館で「家庭画報」という雑誌を読んでいたらみつけたグラビア記事がありました。
政治学者の姜尚中氏と俳優の草刈正雄さんの対談です。タイトルは~「日本の面影」ラフカディオ・ハーンを演じる~とありました。
舟木さんにご縁の深い西條八十も影響を受け、深く敬愛していたという小泉八雲が日本を訪れ、日本の神話のふるさととも言える島根県・松江で、妻になるセツとめぐり逢い、日本の風土や歴史・文化に心惹かれ、やがて帰化するという経緯。また、その後半生を過ごした異国の地である日本をどのように見つめて、日本のどこに惹かれて数々の作品を生みだしていったのかにとても興味を覚えていましたからチャンスがあれば、その八雲の日本での暮らし、心のうちを描いた「日本の面影」の舞台を観たいものだと思いました。
 
イメージ 2でも、開催は5月28日から6月2日までが東京の俳優座で、その後、全国のいくつかの街で巡回公演があるようでしたが、開催場所と日時が私の都合には合わずあきらめて、しばらく忘れていたのです。ところが半月ほど前に、名古屋の落語会に行ったときに、この「日本の面影」のチラシが目に飛び込んできました。もう一度開催会場を確認したら、大垣市内とあります。ローカルの北勢線という電車で私の住む桑名から乗り換えなしで行けて、所要時間は1時間余りでした。ただ、会場の最寄り駅から徒歩20分ほどもかかるので、夜の帰りのことを思うと躊躇しましたが、結局、娘が車で行ってくれるというので、じゃあたまには二人で行こうかということになって娘の運転で大垣まで足を伸ばすことになりました。付き合ってくれた娘には感謝です。しかもペア券というのもあって、なんと2枚で6千円という超お値打ち価格で、その枠のお席が設定されていたのか舞台に近い下手の端のあたりでしたが、とても見やすいいいお席で楽しむことができました。
 
 
 
朗読座・地人会新社 公演「日本の面影」全二幕
大垣市スイトピアセンター・文化ホール  6月11日 18時半開演
 
イメージ 3配役
小泉八雲:草刈正雄
小泉セツ:紺野美沙子
稲垣万右衛門(セツの養祖父:金内喜久夫
稲垣金十郎(セツの養父):田代隆秀
稲垣トミ(セツの養母):大西多摩恵
小泉チエ(セツの母):長谷川稀世
西田千太郎 :川野太郎
佐伯信孝 :石橋徹郎  ほか
 
舞台劇という事情からテレビとは異なって、場面はすべてヘルンの居宅に設定されており、テレビドラマ版では描かれていないヘルン幼少期の事情を、両親が、成人後のヘルンの見る夢という設定で冒頭に登場させている。一幕目が松江、二幕目が熊本と東京を舞台としている。
ヘルンが日本への帰化を決意するのは長男・一雄の誕生間もない時期とされている。
西田千太郎の訃報が届く直前に西田の「幽霊」と八雲が会話する場面がある。そのあと、幽霊の存在を公言する八雲を、世間を慮って心配するセツとハーンの会話が続く。西田の訃報後に挿入される八雲作「耳なし芳一」の朗読劇風な場面では、八雲が芳一を演じる形になっている。最晩年の場面では、結末に八雲の臨終が描かれている。(Wikipedi参考)
 
時は、明治。近代化の波によって、日本古来の美しいものが失われてゆく時代。日本の美しいものを愛し、日本人を妻にめとり、日本に帰化したラフカディオ・ハーン(=ヘルン)とその妻セツの家族の愛の物語。朗読座公演情報参考)
 
イメージ 4八雲(帰化後は妻セツの姓を名乗り小泉八雲とする)の著作「怪談」を朗読劇風にアレンジした場面なども挿入されて、演出上の工夫も凝らされており、舞台劇ならではの魅力もたっぷり味わえました。上映時間は休憩15分を挟んで2時間余り。飽きさせない展開であっという間のうちに終わりました。
 
八雲を演じた草刈正雄さんは、私と同年生まれです。モデル出身で、若い頃は絵にかいたようないまでいう超イケメン男子。お父様がアメリカ軍の兵士、お母様が日本人でお父様は朝鮮戦争で戦死なさっていて、小学生の頃から家計を助けるために新聞配達、牛乳配達の仕事を掛け持ちしていたという苦労人なんですね。私は、最近ではたまにEテレの「美の壺」などでしかお目にかかることはないのですが、なんともいえないライトな雰囲気と端正でスマートな容姿の中に、やはりどこか日本の血だけではない独特の大らかな個性を感じていましたが、今回、舞台俳優としての草刈さんを初めて拝見して、ナチュラルでありながらも繊細で緻密な八雲の心映えの描写、温厚で限りなく優しい面と(母ゆずりでしょうか)、激昂して高ぶる熱情(父ゆずりでしょうか)そういったヘルンの中に流れる血のルーツをも十分に表現仕切っていることに感服しました。しかも彼独特のユーモア漂う飄々とした魅力も小泉八雲という人物の魅力として加味されているようで、明るい舞台を創り上げているように感じました。
 
妻役の紺野美沙子さんも、デビュー当時の印象は育ちの良いお嬢様という以上のものは正直あまり感じませんでしたが、この作品に賭ける想いの強さは並々でなく、2010年秋から「紺野美沙子の朗読座」としてその主宰をつとめていらっしゃるそうです。国際親善や災害被害の軽減運動などの活動も精力的にされていて同性としても本当に頼もしい限りの女性です。
 
そして、あの舟木座長率いる座組になくてはならない長谷川稀世さんも出演なさっていました。妻セツの実母役としての登場ですが、この方の存在感には目を見張ります。いわゆる「老け役」~といっても昔の女性は地味作りでしたから実際の今の稀世さんの年令とこの当時のセツさんの実年齢を比べたら稀世さんの実年齢のほうが上かもしれません~の貫録、そして何よりも天性のいいお声と舞台で鍛えられた佇まい、立ち居振る舞いの端然とした美しさには圧倒されます。劇中で演じられる「耳なし芳一」の朗読の見事さは、この舞台のひとつの見せ場だと思います。稀世さんのような力量のある舞台女優さんの存在は本当に舞台芸術の底力を支えているのだということをあらためて痛感させられました。九月の演舞場公演でも彼女の凛としたまさに「板に付いた」舞台女優としての魅力を拝見できるのがますます楽しみになりました。舟木さんは本当に素晴らしいお仲間に恵まれていらして、これも舟木さんの人徳なのだろうなぁと嬉しさが増しています。
 
イメージ 5~「日本の面影」(にほんのおもかげ)について~
1984年3月3日から1984年3月24日までNHK総合テレビでテレビドラマとして制作・放映された。
脚本は山田太一。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を主人公に、主に明治時代の日本を舞台としている。
原作・脚本:山田太一 、出演者:ジョージ・チャキリス/檀ふみほか
後にこれが、舞台劇に脚色され、1993年に地人会制作で紀伊國屋ホールにて初演、全国で再演を重ねた山田太一氏の代表作。2001年、ロンドンとハーン(八雲)の故郷ダブリンでの公演でも高い評価を受けている。(Wikipedi参考)
 
イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タイトルにも掲げているように、小泉八雲に傾倒し、敬愛なさっていたという西條八十のエピソードや、また八雲が愛してやまなかった心のふるさと、八雲にとっての「日本」そのものだった松江の歌も八十は、作詩なさっていますので、それらも併せてご紹介させていただきます。
そして、私のナンバーワンの「絶唱」にも、原作では順吉と小雪の愛の巣は松江城にちかい経師屋の二階とありますし、小泉八雲という名前も原作の中で出てきています。

~『絶唱』その2・原作より(上)~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・~
以降の部分は、2013年9月5日付の日記↓からの抜粋、再掲載です
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68545585.html
 
イメージ 7映画の場面でまだ子供だった私がリアルタイムで観た時に一番ドキドキしたのが、新生活を始めた経師屋の二階からふたりが折り鶴を投げて遊ぶ場面でした。これは、中学生の私にとってなんとも美しくもテレくさいと表現するしかないラブシーンでした。これに類似した折り鶴を投げる場面が、原作にもありました。原作を生かしながら、この映像では甘く清潔なラブシーンとして心に残る美しい場面になっているのは脚本と演出の力だとあらためて感服しています。原作では二人の結婚を祝って、読書会の仲間が集まってる場面で「折り鶴」が登場します。

~「ところで、おい園田君、つまりその・・・結婚式の前後についてリアルに描写して聞かせろよ」と佐野一夫がズバリと言って、盃を差し出した。「うん話そうか、いいか小雪・・?」「ああら けぇ 好かん!」とかの女はあわてて空の銚子をもって降りた。「けぇ 好かん女史が降りた間に・・・僕たちは、その日、あの城の天守閣へのぼった。そして天守閣からふたりで手をつないで『天下のみなさん、園田順吉と木村小雪はただいま結婚しました』ととなえただけ」「ううむ、とってもロマンチックじゃないか、それから?」「小雪は紙の折り鶴をつがいに、の方へむけてとばした。すると・・白い僕の折り鶴は天守閣の甍にひっかかって、赤い小雪の折り鶴は風に吹かれて・・山鳩みたいにとび去った。~
(講談社文庫・大江賢次作「絶唱・湖畔の記録」より)
*湖とは宍道湖、天守閣のあるお城というのは松江城*(春日局註)

イメージ 8また、「絶唱」の原作には小泉八雲の名前も登場します。
~園田順吉の下宿は経師屋の二階六畳で、窓からは宍道湖の入江ごしに城の天守閣が見えた。その天守閣の傾影が、カイツブリのさざ波でうつくしくゆれた。
「ついそこに、志賀直哉が若いときに住んだという家があるんだぜ」と順吉は指さした。
小泉八雲も住んでいたし、森鴎外もこの地方の出身だし、文学にゆかりのある土地なんだから、君もうんといいものを書くさ」~

絶唱 作詩:西條八十 作曲:市川昭介
http://www.youtube.com/watch?v=Ip62KFsYiwo
 
イメージ 9愛しい 山鳩は
山こえて どこの空
名さえはかない 淡雪の娘よ
なぜ死んだ ああ 小雪
 
結ばれて引き裂かれ
七年を 西東
いのち短く 待つ日は永く
泣きぬれた ああ 小雪
 
山番の 山小舎に
春が来る 花が咲く
着せて空しい 花嫁衣装
どこしえの ああ 小雪
 
るるるるるるる
るるるるるるる
なぜ死んだ ああ 小雪
 
次は、八十作詩の「松江夜曲」です。1940(昭和15)年に作られた「蘇州夜曲」を思い浮かべるようなタ
イトルが付けられているのは、八十の中で水の都の蘇州と宍道湖を臨む松江の町の風景が持つ表情に共通する美しさを感じたからかもしれません。
 
松江夜曲  作詩:西條八十  作曲:古関裕而
(昭和23年 販売元:日本コロムビア株式会社)
http://www.youtube.com/watch?v=sPdIVEjEyjs (「松江夜曲」youtubeより)
                           
イメージ 10松江大橋 唐金擬宝珠(からかねぎぼしゅ)
なぜに忘れぬ 忘らねぬ                       
さくら春雨 相合傘で                       
君とながめた 嫁ヶ島                         
マツマツ松江は君を待つ
 
二夜逢わねば 眠れぬ枕
ひびく櫓の音 波乃音
恋の湖 雨戸を開けりゃ
月にほんのり 千鳥城
マツマツ松江は君を待つ
 
 
 
イメージ 11松江自慢は 小泉八雲
残る縄手の 鳥屋敷
今も咲きます 国際愛の
色香なつかし 杜若(かきつばた)

マツマツ松江は君を待つ
 
蘇州夜曲  作詩:西條八十 作曲:服部良一
http://www.youtube.com/watch?v=kC15xjabCNU
 
イメージ 12君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の唄
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか柳が すすり泣く

花をうかべて 流れる水の
明日(あす)の行方(ゆくえ)は 知らねども
こよい映(うつ)した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも

イメージ 13
 
 
髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
君が手折(たお)りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)

さて、以下は、八十の八雲への想いを示す有名なエピソードです。
長女の嫩子さんが著書「父西條八十」の中で
以下のように「八雲の指輪」についてのエピソードを書いていらっしゃいます。

イメージ 14~父は、中国の小説「聊齋志異」のなよやかな幻想のかずかずを愛し、夢の国アイルランド出身の小泉八雲の「怪談」にも傾倒した。
父は敬愛するあまり八雲氏長男一雄氏より星の伝説をちりばめた金の指輪をゆずりうけた。
佐藤春夫氏がいくら出してもいいからとその指輪をほしがったということだが、不可思議な美しさをもった指輪に八雲氏の幻想の象徴を感じてその切なる希望に応じられなかったという。~
(中公文庫 西條嫩子著「父 西條八十」の”小泉八雲を敬愛す”の項より)
 
なんと、八雲の長男のお名前が一雄(KAZUO)・・・字は違いますが、劇中でなんどもKAZUOと出てくるので、その度に反応してしまいました。

 
 
イメージ 15また、同じく八十の孫(八十のご長男八束さんのお嬢さん)も、「父・西條八十の横顔」(西條八束著・西條八峯編)の「あとがきにかえて ラフカディオ・ハーンの指輪のことなど」で八雲の指輪のことに触れていらっしゃいます。

イメージ 16「山陰は日本のアイルランドである。私は此地方ほど神秘幽玄な伝説に富んだところを知らない。ケルトの血をひいたラフカディオ・ヘルンが松江に住んだこともかりそめの因縁でないやうに感ぜられる。」
(西條八十著「民謡の旅」より)

 
~孫思いのなつかしいおじいちゃんは、大きな家にひとりぼっちで住んでいました。「おおきいおうちにたったひとり、ときどきタカりに孫が来るぅ~」と愉快に節をつけて自分で歌う時、金の指輪をしていました。年とともに痩せてきた祖父の傍らで、テレビの相撲番組をいっしょに見ながらその指輪をくるくる廻したり。~
 
 
 
↑上の写真の説明書き
1941(昭和16)年 四十九歳
この頃のある日、小泉八雲の長男一雄から、十二宮を彫った六角の金の指輪を譲り受け、八十は死ぬまで指にはめていた。
~「西條八十著自作目録・年譜」より~

さらに、八十と八雲は、時期はずれますが、東京でも現在の新宿区大久保で暮らしたという共通点があります。

イメージ 17西條八十:明治25年1月15日 (1892年)~昭和45年8月12日 (1970年)
居住時期:明治45年~大正4年
居住場所:大久保村大字大久保百人町
西條八十は、牛込払方町に生まれ、早稲田中学から早稲田大学へと進んだ。生粋の新宿生まれの新宿育ちといえよう。新宿との縁は深く、長じて後も淀橋町柏木を中心に20年以上居住し、78年の生涯のうち、およそ50年間を新宿区内で過ごしたことになる。
 
新宿音頭  作詩:西條八十 作曲:中山晋平
(現在も花園神社の盆踊りで踊られているようです)
http://www.youtube.com/watch?v=axHd76QM3ZU(「新宿音頭」youtubeより)

水は浄水花なら御苑  
ソンレセ
月の眺めは十二社  
ヨイショヨイショナ
月の眺めは十二社  
ホンニソヂャナイカ  
ヨイショヨイショナ
 
幼ながたりのお閻魔さまも 
ソンレセ
今ぢゃネオンの花ざかり 
ヨイショヨイショナ
今ぢゃネオンの花ざかり 
ホンニソヂャナイカ  
ヨイショヨイショナ

イメージ 18小泉八雲:嘉永3年6月27日 (1850年)~明治37年9月26日 (1904年)
居住時期:明治35年3月19日~37年9月26日
居住場所:大久保村大字西大久保265:現・大久保1-1-17 新宿区指定史跡
明治23年40歳の時、日本に関する記事を書くためアメリカより来日。島根県尋常中学、第五高等学校(熊本県)の英語教師などをした後、29年、東京帝国大学文科大学の英文学講師となり市谷冨久町21番地(現・新宿区富久町)に住んだ。29年松江藩士の娘小泉セツと正式に結婚し日本に帰化、小泉八雲となる。明治35年大久保村西大久保265番地(現・新宿区大久保)へ移転。明治37年早稲田大学講師となるが、同年9月心臓発作のため死去する。

最後に・・・
小泉八雲、西條八十・・には、お名前にも共通して「八」という字が使われているという不思議な縁のようなものを感じます。
小泉八雲は、ラフカディオ・ハーンですが、日本に帰化した際に日本名も持ちました。
日本に来て6年目の1896(明治29)年、日本国籍を取得し、「小泉」は妻・セツの姓から、そして「八雲」は、日本最古の歴史書「古事記」の中にある「八雲たつ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」の歌の「出雲」枕言葉からとったといわれています。
 
一方、八十の名前は、入り婿だった八十の父が、先代西条重兵衛夫人八十の名をとり、人生に苦のないようにとの願いを込めて付けたと言われています。
小泉八雲と西條八十とは42歳の年齢差があり、生きた時代は八雲が(1850~1904)の54年間、八十は(1892~1970)の78年間というズレがありますが、その精神性において根幹のところで共通したものがあるのだと思います。八十が深く八雲に傾倒した理由として文化人・知識人にとって必要不可欠と思われている「理性・合理性」というものに偏らず、むしろそれらのものを意識的に崩そうとする本能的な土俗性を常にその生き方の傍らに引き寄せて、終生、手放さなかったことではないかと思います。八十が流行歌や新民謡でも多くの優れた作品を残したことの文化的芸術的価値は、もっと高く評価されるべきだと、今回の「日本の面影」を観てあらためて思いました。
 
八雲は、当時の日本よりも狭い意味の「文明」という点では、ずっと先を歩いていた既に近代化が進んだ欧米の生活を体験しながらも、来日し、「古事記」などの神話をはじめ、地方に言い伝えられている伝説、民話を掘り起こし、そこに独自の視点や哲学を織り交ぜて再話としました。
 
また、八十はフランス文学という当時、最先端の西洋文学の研究者でありながら野口雨情などとともに日本各地で歌い継がれている「民謡」を求めて、そこにヒントを得て「新民謡」というジャンルを築き上げる仕事にも携わりました。雨情とともに日本各地に、八十作の新民謡が残されています。
それぞれの土地に根差した伝承話や仕事唄など、土の香り、そこに住む人の生活や息づかいが感じられるようなものに芸術性を見いだし、日本の風土が培ってきた文化に光を当て、その価値を世に知らしめる仕事を残したという点で通じ合うものがあります。
 
特に、年少の八十が、その成長期に触れた八雲の作品に大きな影響を与えられたことの理由のひとつに「女性性そのものへの哀悼」の想いがあるように感じます。それは、具体的には自分自身の「母」の姿、しかもそれは、「母性」というよりも「女性性」への憐れみと同時に憧れ、思慕でもあるのではないかと思われます。
今回、「日本の面影」の舞台を拝見することで、八雲の出自、父と母との軋轢などにも触れることができましたが、八雲が好んで再話として確立させた民話に登場する女性、代表的なものとして、この「日本の面影」では「雪女」の再話が挿入されていて、そこには、八雲のそういった幼児期の体験が生きているようです。
イメージ 19以下、小泉八雲について書かれた書籍「ラフカディオハーンの日本」から、そのあたりに関連する内容の一部を抜粋します。

ハーンは、1850年、アイルランド人を父に、ギリシア人を母に、ギリシアのレフカス島に生まれた。父チャールズ・ブッシュ・ハーンはアイルランド出身の陸軍軍医で、母ローザ・カシマチはギリシア人であった。
父チャールズはこのレフカス島に駐屯中に島の娘ローザと結ばれたが、誰からも祝福されることのない結婚であったという。四歳の時、両親の不和により生母と生き別れるという終生癒しがたい不幸を経験した。~中略~ハーンの再話文学の世界は、虚心に読むと、彼の薄倖な生い立ち、とりわけ生母との離別から生じた心理的外傷(トラウマ)や孤独な魂の悲哀といったものを、むしろ創作の豊かな土壌にしている感がある。そして、同時に、彼はいつも<永遠なるもの>とその形象化とに芸術的価値を置いているのではないかという思いにとらわれる。~
(池田雅之著「ラフカディオ・ハーンの日本」角川選書より)
 
また、西條八十の母・徳子の存在は、八十の詩や文学の中での「女性性」のイメージに大きな影響を与えていると言われています。

イメージ 20以下は、1997年2月1日から13日まで東京国際フォーラムで上演された舞台劇「カナリア~西條八十物語」(斎藤憐:脚本)からの抜粋です。
 
(その1)
八十:あの人は、西條家の跡取りと結婚することになっていた。跡取りの丑之助さんて人はなかなかの美男でね、母さんも一目見たなり、この人とならと思った。ところが、式を挙げる直前にその未来の旦那さまが二十三歳で急死しちまった。
晴子:まあ。
八十:で、西條家は家を守るために、四十を過ぎた番頭と徳子さんを娶せた。真面目だけが取り柄の、背が低くて風采の上がらぬ二十も年の違う男と無理やり所帯をもたされた。
晴子:ひどい、約束が違うって、実家に帰っちゃえばよかったじゃないの。
八十:あの人が、そうしたとすると僕はこの世に存在していない。

晴子:・・・
八十:僕に添い寝しながら「丑之助さん」と寝言を言うのを何度も聞いたよ。母さんは、西條の家を守るために自分の人生をあきらめた。
                                                                                        八十一家、中央が母・徳子
 
イメージ 21(その2)
嫩子、八十の書いたものを朗読する。
「僕を生んだ母は、神奈川県藤沢の商家の生まれで、文字ひとつ書けぬ無学な人だった。幼い頃、深夜ふと目をさますと枕元で、昼間の家事や育児に疲れ果てた母が一心に習字の稽古をしていて、僕は母のその姿に神々しいものを感じた。そしてその感じが長じても僕の運命を支配し、母に似た無教養な女性を妻に選ばせたのである。」
 
八雲は、四歳で母と生き別れ、八十は、終生、母とともに暮らしましたが、母を通して女性というものの背負っている理不尽な十字架のようなものへの憐れみと同時に、神聖なものとして崇拝する想いが、幼い頃に胸に焼き付いたのではないかと思えます。「自己実現」という言葉がありますが、おそらく八雲も八十も、「母」が何ひとつ「自己」の可能性を実現することなく生きるしかなかったことへの痛恨の想いを抱き続けていたのではないでしょうか。「母性」への憧憬と「女性性」への憐憫との複合的な感情は、八雲と八十の創作活動の大きなモチべーションでもあり、エネルギーともなったのだと思います。
 
八雲の作品に「泉の乙女」ほか、たくさんの妖精や精霊が登場するものがあるそうですが、その中に登場する女性観、女性像は、四歳の時に生き別れた母、ローザの運命によるところが大きいと研究者も見ているようです。
八十の女性観・女性像にもまた母、徳子の女性としての生涯に起因する部分がうかがわれるように思います。

イメージ 22八十作の詩で、特に私の印象深いものは「純情二重奏」の三連目です。
http://www.youtube.com/watch?v=8BtoN_L0yrc
 
母の形見の 鏡掛け
色もなつかし 友禅模様
抱けばほほえむ 花嫁すがた
むかし乙女の 亡き母恋し

 
 
 
イメージ 23また、舟木さんの大ヒット曲「花咲く乙女たち」の三連目です。
http://www.youtube.com/watch?v=AGSd6H4J06k
 
黒髪をながく なびかせて
春風のように 笑う君
ああだれもが いつか恋をして
はなれて嫁いで ゆくひとか
みんなみんな 咲いて散る
街に花咲く 乙女たちよ
みんなみんな 咲いて散る
街に花咲く 乙女たちよ

母の姿に、「むかし乙女」を思い、その可憐で夢多き束の間の時をひたむきに咲いて、やがては、無残に散ってしまう「花咲く乙女たち」の悲哀と喪失感の裏返しとして「永遠に女性的なるもの」への憧れと畏敬の念をその創作活動の中で表出しつづけた二人の偉大な文学者を舟木さんを入口にして、私なりにすこしだけたどってみる機会を得た舞台劇「日本の面影」鑑賞体験でした。
 

 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>