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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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終戦の日の「絶唱」 八月十五日 多くの犠牲の上に、この国の歴史があらたに始まった日を想って 合掌

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1952年生まれの戦争体験のない私にとっての「戦争」は、あくまで、小説や映像などによる追体験でしかありませんが、舟木さん主演の映画「絶唱」は、思春期の一番多感な年令の中学生の時に出逢ったということもあったのでしょうか、テーマの柱としては、「純愛の崇高さ」を描いたもので、声高に「反戦」を唱える主旨の作品ではなかったにもかかわらず、当時の私が一番インパクトを受けたのは、戦争がもたらす悲劇と差別社会が引き起こす不条理だったように思います。「戦争と差別」その理不尽なものと、闘い続けて行こうと花嫁衣装を纏った小雪の亡骸(なきがら)に誓う園田順吉という青年が、舟木さんと重なったことで、今、こうして50年近くを経て、あらたに舟木一夫という大きな存在と出逢い直すことができていると言っても過言ではありません。
 
イメージ 1
 
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69年目の終戦の日を迎えて、あらためて「絶唱」を聴き、中学生だった私の、あの頃の無垢な心と向き合いあの戦争で、奪われた幾多のいのちに想いをいたし、その犠牲を無駄にすることなく、誰もが、明日への希望、愛する人との平穏な日々・・・そういったささやかなものを失うことのない社会であることを願います。
 
イメージ 2絶唱  作詩:西條八十  作曲:市川昭介
http://www.youtube.com/watch?v=Ip62KFsYiwo 
(kazuyanさん動画)

愛おしい 山鳩は
山こえて どこの空
名さえはかない 淡雪の娘よ
なぜ死んだ ああ 小雪
 
結ばれて 引き裂かれ
七年を 西東
いのち短く 待つ日は永く
泣きぬれた ああ 小雪
 
山番の 山小舎に
春が来る 花が咲く
着せて空し 花嫁衣装
とこしえの ああ 小雪
 
 
 
 
 
もうひとつ、三重県出身の詩人・竹内浩三の静かで、やさしい言葉で綴られた作品を御紹介します。
反戦詩と呼ぶには、あまりにも穏やかな言葉の選び方であるからこそ、多くの人の心に沁み込んでくるのだと思います。私も、二十数年ほど前にこの詩を知った時には大きな衝撃と感銘を受けました。
 
イメージ 4伊勢文化社 「伊勢人」2007年8月・9月号表紙  (右下が竹内浩三)
 
竹内浩三は1922年、宇治山田市(現伊勢市)吹上町生まれ。3年先輩の映画監督・小津安二郎も卒業した宇治山田中学校を卒業。映画監督を志し、1940年日本大学専門部(現芸術学部)映画科へ入学、1942年同大学を繰り上げ卒業し、入隊。
1943年茨城県筑波の滑空部隊に転属後、1945年フィリピン・バギオにて戦死。
フィリピンで戦死した竹内浩三(1921・大正10年~1945・昭和20年)が、この「骨のうたう」を書いたのは昭和17年(1942年)、まだ戦に行く前で21歳でした。日本大学専門部(現・芸術学部)映画科の学生だった彼は、この年の9月に繰上げ卒業、10月に三重県久居町の中部第38部隊に入営、翌年、昭和18年(1943年)、西筑波の滑空部隊、後の空挺部隊に転属、昭和19年(1944年)にルソン島の戦闘で行方不明となり、骨となっても戻れなかった。
 
 
 
骨のうたう  竹内浩三
 
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
イメージ 5遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
 
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
 
イメージ 6ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまう
その心や

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