Quantcast
Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

MY復活記念日によせて~抒情歌の名曲「初恋」をメインに舟木さんのナレーション「藤村の生涯」を一部再掲載

$
0
0
イメージ 1
 
                携帯カメラでの撮影なのでせっかくの名月もボケてます
 
新橋演舞場公演も初日が開いてから、早くも7日が過ぎました。私は、初日と2日目以降は、拝見していませんが、その後に行かれた舟友さんから、舟木さんのご様子など情報をいただいています。
 
ますます絶好調とのことで本当に嬉しく思っています。7日には、舟木さんが、コンサートのトークで、「12月で70歳になるから、75歳まではやれるかな・・」と言われたそうです。これまでは「55周年までは・・・」というトーンだったので、またちょっと延びました(笑)舟木さんが心身ともにお元気でいらっしゃることの証のような言葉ですね。本当に、嬉しいです。
 
今夜は中秋の名月ですね。くれぐれも御健康で、楽しくお仕事を続けられるようにとお月様にお祈りしました。
 
イメージ 2

さて、本題です。私が舟木さんと「再会」したのが、2年前の9月9日の新歌舞伎座・舟木一夫特別公演の舞台でした。ですから、私の舟木さんファンとしての「復活記念日」ということで、何か、記念としての記事を掲載させていただこうと思います。どんなテーマにしようかな?と色々思案しましたが、タイトルに掲げた島崎藤村の詩「初恋」にまつわる事柄をあれこれと思いつくままに記すことにしました。

昨年の8月22日が、ちょうど島崎藤村が亡くなって70年目の「藤村忌」にあたるということで、一年前の8月19日に、このブログで、「島崎藤村~8月22日は藤村忌 舟木さんのナレーションでたどる藤村の生涯」と題してとりあげたものを、今回は、「初恋」にかかわる部分に絞って再編集して再度掲載します。
以下は、その時のブログのURLです。よろしければ、御参照下さい。
 
島崎藤村~8月22日は藤村忌 舟木さんのナレーションでたどる藤村の生涯 その1
島崎藤村~8月22日は藤村忌 舟木さんのナレーションでたどる藤村の生涯 その2
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68488807.html?type=folderlist

舟木さんが、昭和46年(1971年)に「初恋」を新曲としてリリースなさった当時に、後援会会報「浮舟」に寄稿なさった一文が「初恋」の作曲者である若松甲氏の公式HPの「若松甲作品集」よりの中で紹介されています。
 
イメージ 3ずっと舟木さんの応援をなさってこられたファンの方は既にご周知の文面ではあると思いますが、私のように不肖の遅れてきた復活ファンにとっては、当時の舟木さんの「初恋」への想いをいくらかでも知る術として、貴重な資料にもなるのではないかと思い、こうして、当時の貴重な舟木さんの文章を、掲載して下さっている若松氏に心から感謝を込めて転載させていただくことにします。
 
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ko-w/page24.html(若松甲氏の公式ホームページ)

若松甲氏プロフィール
福島県いわき市出身。
昭和31年上京、作曲家江口夜詩氏に師事、後に同郷の作詞家東条寿三郎氏の薦めにより作曲家山口俊郎氏に師事。
昭和37年コロムビアレコードより「母恋姉妹」(作詞/西沢爽 歌/こまどり姉妹)の作曲でデビュー。
代表作に舟木一夫の「初恋」(作詞/島崎藤村)昭和46年度コロムビアレコード、ゴールデンヒット賞・ゴールデンディスク賞はじめ小林旭、増位山他、数々の作品を提供。
セカンドペンネーム中根操で「人生ふたり」(歌/三門忠司)「風花の町」(歌/伊吹あきら)いずれもソニーレコードを発表。
2008年、日本作曲家協会第一回音楽祭「玉の江しぐれ」(作詞/麻こよみ)にて最優秀作品賞を受賞。
 
HPの中で、舟木さんのアルバム「初恋~舟木一夫抒情歌をうたう」が紹介されています。「初恋」について
「この作品は昭和38年、小林旭君が歌って発売された作品です。そして8年後の46年9月、舟木一夫君のカバーにより、リリースされました。」と書かれています。曲が創られたのは、昭和38年ということでしょう。
奇しくも舟木さんが「高校三年生」でデビューなさった年です。私は小林旭さんの「初恋」は聴いたことは
ないのですが、小林旭さんと浅丘ルリ子さんの共演で「絶唱」が映画化されたのは1958年(昭和33年)ですから、「絶唱」が映画化されて5年後に小林旭さんが「初恋」を歌われたというわけですね
映画では「絶唱」、歌では「初恋」を、舟木さんが、小林旭さんの作品をカバーされたというのも不思議な偶然と言えるのでしょうか。そういえば、小林旭さんの「さすらい」「北帰行」「熱き心に」なども、ステージで舟木さんが歌われていましたね。


~以下、舟木さんが「浮舟」に書かれた文面です~ (ピンク文字)
 
「初恋」に燃える秋 
芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋、そして食欲の秋、天高く馬肥ゆる秋、秋は人それぞれにいろいろ思いがあると思う。今、僕にとって秋は新曲に賭ける秋”初恋”にかける秋ということになる。
『初恋』作詞は「若菜集」より島崎藤村先生/作曲は新進気鋭の作曲家、若松甲先生で9月25日に出したばかりで、今はこの曲のヒットに全てをかけて全力投球というところだ。
とにかくいい歌で、いい歌としか言いようが無いくらい、いい歌だと思う。よく、どうしてこの歌を見つけたの?どうしてこの歌を唄おうと思ったの?と聞かれるが、「いい歌だから」「好きだから」としか答えようが無いくらいに素敵な歌だと思っている。いわゆる日本人の心の奥底に潜んでいる情緒を新たに蘇らせてくれるメロディーだと思う。そして、何ともいえない素朴な人の美がいっぱい潜んでいて、いまにも、溢れんばか
りの情感に満ちているみたいなのだ。

イメージ 4まだあげ初めし 前髪の
林檎のもとに 見えしとき
前にさしたる 花櫛の
花ある君と 思いけり

この詩はあまりにも美しく切なく、ほのぼのとした情感に溢れ、心が温まる思いがする詩で中でも3番は最高に好きだ。

 
わがこころなき ためいきの
その髪の毛に かかるとき
たのしき恋の 盃を
君がなさけに 酌みしかな
 
 
口ずさむだけで瞼がジーンときて思わず涙がこみ上げてきてしまう。また美しいメロディーと詩が見事に溶け合っている。そしてこの歌を唄うたびに、ボク自身の初恋の思い出が脳裏に映る。田舎で心の奥に刻み込んだ初恋の想い出は、かなり純心であったと思っている。
追憶を求めて追憶に浸って涙する…女々しすぎるでしょうか?人間誰しも幼い日の美しくも淡い初恋の想い出はあると思う。だから僕自身は追憶に涙することを、女々しいこととは決して思いたくない。それはむしろ素晴らしいことじゃないんだろうか。
今度、この「初恋」を発売することにあたって、”初恋というものは美しいものだ”ということを再認識して
いるところだ。まあともあれ、この「初恋」はいい歌だ。それだけに是非ヒットさせなくては…。「初恋」に
燃える秋である。
 
イメージ 18
 
さて、先ずは、「初恋」発売当時の舟木さんの、心境、またご自身の初恋への想いなどを御紹介しましたが、島崎藤村の「初恋」には、どのようなドラマがあったのか?彼の初恋のモデルとは・・・は文学ファン、藤村ファンによって様々に研究されつくしてきたようです。
その、有名な抒情詩「初恋」を「流行歌」として広く世に知らしめた舟木さんが、島崎藤村の生涯について取り上げた番組でナレーションをつとめられたことを、舟友さんから教えていただき、その時の録音テープをいただいたのが昨年の夏でした。ちょうど昨年の8月22日が70回目の藤村忌にあたるということで、拙ブログで、その内容を御紹介させていただきました。
今年は、藤村忌は、過ぎてしまいましたが、今回の新橋演舞場公演のコンサートで、「初恋」が昼の部ではアンコール、夜の部ではオープニングと「ステージで戦力となる曲」として大活躍していることなどから、今一度「初恋」にスポットライトを当ててみるとにします。

1989年10月8日から2002年3月24日まで日本テレビ系列局で毎週日曜日 21:00 - 21:54 (JST) に放送されていた人物系教養番組「知ってるつもり?!」の「島崎藤村」を取り上げた回で舟木さんがナレーションを担当なさいました。舟木さんの素敵なお声でのナレーションをもとにして、島崎藤村作の「初恋」の周辺について再編集してみました。

舟木さんのナレーションを元にした部分 ピンク文字です
 
イメージ 5~島崎藤村は日本語の美しい響きでロマン溢れる詩情を詠った詩人であり、『夜明け前』の作家としても広く知られています。明治、大正、昭和の三つの時代を詩人として小説家としてまた歴史小説家として生きた文豪です。
本名の春樹という名前は生家の庭にあった椿の花から父の正樹が名づけたものです。幕府公認の宿屋を営む旧家 父は学問好きでした。国の将来を憂うあまり、明治7年10月17日 天皇の行列に扇を投げ込むなど政府の批判をした情熱の持ち主でした。
明治14年9才で上京し泰明小学校に入学。飛び級で一年落第していた兄と同じクラスに。明治19年 父の病状が進み、村の寺に放火。幽閉状態となる。その後、父は55才で死去。
昭和41年に島崎藤村の姪の長男、日本における精神病理学の草分け的存在である西丸四方が「島崎藤村の秘密」を発表しています。藤村は父の姿と自分を重ね合わせ発病の恐怖に苛まれていました。このことは藤村に「孤独感」と「非社交的」な性癖となって影響を及ぼしたようです。
 
イメージ 6明治学院入学後、藤村は、その自由な校風により、積極的に行動するようになります。この頃、北村透谷との出会いがあり、文学の道へと目覚めていきます。
明治24年9月に卒業。二十歳で同校の教師となりますが、受け持ったのは一歳年上のクラスでした。そして、教え子で既に当時いいなずけのあった身の佐藤輔子(一歳年長)に恋をするのです。
藤村は、教師として自責のためキリスト教を棄教し、辞職して関西へ向かいます。この時のことを 「文学界」創刊号で「恋に浮かれて嘲笑い」と書いています。東京に戻った藤村を待っていたのは透谷の死の知らせでした。藤村の衝撃は大きく「孤独の影」は再び深まっていくのです。
 

さらに追い討ちをかけるかのように初恋の人・佐藤輔子が嫁いだ後に病死したという悲報が藤村に届きます。東北に向かい、東北学院教師となった藤村。この職は1年で辞したのですが、この間に詩作にふけり、第一詩集・『若菜集』を発表して文壇に登場したのです。~
 
イメージ 7「若菜集」(わかなしゅう)
島崎藤村の処女詩集。1897年に春陽堂から刊行。
七五調を基調とし、冒頭に置かれた「六人の処女」(「おえふ」「おきぬ」など)のほか51編を収録。「秋風の歌」や「初恋」が特に名高い。日本におけるロマン主義文学の代表的な詩集である。
 
この「若菜集」 の中の「初恋の人を偲ぶ」詩歌 「初恋」は後にメロディーがつけられ、舟木さんが歌唱。
舟木さんの曲の中で、「絶唱」と並ぶ私の大好きな曲でもあります。(四番は音源では歌唱されていません)
 
この度、舟友のkazuyanさんに、1977年に発売された、15周年記念アルバム10枚組「限りない青春の季節」で、新たに再吹き込みされた歌唱ヴァージョンの「初恋」を動画化していただきましたので、1971年シングル盤の音源と併せて、御紹介させていただきます。それぞれの年代の舟木さんの「初恋」をご堪能下さいね。新ヴァージョン動画のクリップは舟友さんがブログで紹介された竹久夢二の「夢二式美人画」の数々です。
 
 
初恋  作曲:若松甲                                     
http://www.youtube.com/watch?v=uCtUswpWAfQ&feature=youtu.be
(1977年 アルバム「限りない青春の季節」収録の再吹き込み盤)
http://www.youtube.com/watch?v=DW2ZDt72sYg
(1971年発売シングル盤音源)

イメージ 9まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
 
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
 
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
 
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

島崎藤村と竹久夢二・・・
藤村は1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日)、夢二は明治17年(1884年)9月16日 - 昭和9年(1934年)9月1日)と藤村のほうが12歳年長ですが、一部、活躍した時期は、重なっています。夢二の書簡などには、藤村に関することなども書かれており、また藤村が晩年に自分の子供たちに向けて書いた「童話集 ふるさと」
の表紙絵には夢二の作品が使われています。
 
イメージ 8
 
また、夢二の描いた作品に、「初恋」「林檎」という作品がありますが、私は、そこに描かれた女性像などから、どうしても藤村のこの「初恋」を連想してしまいます。

時系列的には、藤村の「初恋」が広く知られて十数年後に、これらの絵が発表されているので、少なくとも何がしかのモチーフとなったのではないかと想像して芸術家同士の琴線の響き合いの存在があったに違いないと勝手に胸をときめかせています(笑)
 
 
イメージ 10←初恋 Hatsukoi (夢二郷土美術館所蔵) 解説は同館のHPより転載
大正元年 (1912) /カンバス、油彩
日本画、水彩画、版画など、多様な表現を試みた夢二。
「初恋」は、確認されている中で最も初期の油彩作品です。
大正元年、京都府立図書館で開かれた「第一回夢二作品展覧会」に出品された
137点の内の一つであり、当時百円という価格がついていました。
塗り残されたキャンバスの白い肌が見える粗いタッチを積み重ねた画面は、
夢二の同時期の日本画にも見られる特徴の一つです。
身体のわりに大きな手など、独特のデフォルメで描かれた女性の背景には、
手で顔を覆った男性の姿が見えます。
このような男女の構図は「生ける屍」などにも見られ、暗色に包まれた黄昏時の情景に
憂鬱さ、物悲しさ、やるせなさをいっそう漂わせています。
 
 
イメージ 11林檎 Ringo (夢二郷土美術館所蔵) →
大正3年(1914)/絹本着色
 
イメージ 12
 
 
 
さて、誰もが気になる藤村の「初恋」のモデルになった女性について・・・

イメージ 13一般的には、「まだあげそめし前髪の・・」という詩から、そのモデルは「幼なじみ」である「おゆふ(う)さん」という馬籠宿・大黒屋の娘だった。という説があるようです。彼女は14歳で妻籠宿(つまごじゅく)の脇本陣奥谷(わきほんじんおくや)の屋号・林家に嫁いだとあります。
 
「初恋」を収めた『若菜集』は藤村の処女詩集として明治30年(1897)8月に刊行されました。私は、藤村の「初恋」の詩を、味わえば味わうほど、14歳で嫁いでしまった「おゆふさん」であるのはちょっと若すぎてムリがあるのでは?と思っていました。それは、あまりにも、この少女がなまめかしすぎると感じていたからです。そして、この舟木さんのナレーションを聴いてから、私は、このひっかかりの糸口が見えてきたように感じたのです。それは、藤村が明治女学校の教師時代に「愛するようになってしまった」という佐藤輔子の存在でした。

このナレーションの中で舟木さんは明確にこう云われていました。
「島崎藤村は佐藤輔子の名字の佐藤から「藤」という字をとったといわれています。」

イメージ 14以下は「新潮日本文学アルバム・島崎藤村」からの抜粋です。
 
~「文学界」の創刊に先立って、藤村は巌本善治に招かれ、明治女学校の教壇にたっている。明治二十五年十月、数え年二十一歳のときである。自由主義教育を標榜すする学校らしい大胆な起用だったが、教え子のひとりにのちの北海道大学総長佐藤昌介の異母妹、輔子がいた。「桜の実の熟する時」には「処女(おとめ)のさかりを思わせるようなその束ねた髪と、柔らかでしかも豊かな肩のあたりの後ろ姿とは、言ひあらはしがたい女らしさを彼女に与へた」とある。一歳年長の女性だったが、藤村が姉弟の関係を越えたひそかな感情を育てはじめるのに時間はかからなかった。~中略~しかし、藤村にとって、教え子であり、しかも婚約者のいる女性への愛は、当時の倫理感覚では背徳の意識をともなうことなしに不可能であった。「桜の実の熟する時」の十一章では、勝子(輔子)を恋したために神から拒まれる捨吉(藤村)の姿が描かれている。かれの唇には、賛美歌のかわりに、「可憐な娘の歌」がうかぶ。輔子との恋逢いは、プラトニックな愛の理念と本能との葛藤、あるいは愛欲とキリスト教の戒律との矛盾などをあらためて藤村に自覚させた。~
 
イメージ 15藤村は、輔子への秘めた愛を打ち明けることがなく「成就しなかった恋」であることを思えば、『初恋』のモデルはこの佐藤輔子であったことも十分に考えられると私は思いました。藤村は、女学校を退職し、洗礼を受けた教会からも退籍しています。そして、藤村は、このあと2年間、北村透谷が自殺、また同じ年兄が事業の失敗から屋敷を売却、藤村は島崎家の負担を一身にひきうけることになったといいます。さらに、翌28年8月には、初恋の人・輔子が札幌で病死。また、郷里の大火で、藤村の屋敷は焼失という凶事が続きます。
翌29年仙台の東北学院へ赴任したちょうどこの時期に編まれたのが「若菜集」。ここで「初恋」が発表されたのです。
←「若菜集」挿し絵
 
また、以下のような研究があるとのことを知って、私としては「初恋」のモデルがいよいよ佐藤輔子ではないだろうか・・という印象が深まりました。その研究の内容を下記に引用させていただきます。
 

~これまで研究者は、この詩の背後には旧約聖書のアダムとイヴの物語があると見てきた。その理由は、藤村がクリスチャンだった時期を持っていたからである。当時の日本では、若い男女が恋に陥ることはまだタブー視されていました。そういう時代、恋は人目を忍ぶ、秘密めかした行為であって、おのずから罪の意識が伴ってしまう。「やさしく白き手をのべて/林檎をわれにあたへ」るという表現は、「禁断の恋の象徴」と言える。それは藤村たち「文学界」のロマンティシズムに通じる見方であり、藤村がクリスチャンだった事実と結びつき、先のような解釈が生まれた。~
 
考えてみれば「林檎を手渡す」行為に象徴的な意味を見出したとういうことは、藤村が「やさしく白き手をの
べて 林檎をわれに与へしは」と詠ったのは、単に即物的な行為を詠ったものではないと、想像されます。「逢瀬を重ねて、おのずから恋の通い路が出来てしまった」という発想も、また、実際にそのような「人目をはばかる逢瀬」を重ねていたという思い出を詠ったものというより、藤村の叶わぬ恋を詩歌の世界で夢想として実現させたものであったとも考えられます。現実では、打ち破れなかったキリスト教的な禁欲からの解放を、憧れと若き日の成就し得なかった恋への悔恨の想いで藤村が切なく詠ったものであるように私には思えてきます。そうなると、「初恋」のモデルは、佐藤輔子なのではないかという想いが、さらに強くなってくるのです。

イメージ 16そして、さらに、もし、この「初恋」をテーマにして藤村の若き日の姿が、映像作品となっていたならと私の夢想が頭をもたげてくるのです
舟木さんが、藤村を演じ、妻籠宿の大黒屋のおふゆさんとの幼く淡い恋、また、輔子との切なく苦しい恋などを瑞々しく表現なさってくださったのではないかと想像をふくらませてしまうのです。
「初恋」がリリースされた当時、若き日の藤村の恋を描く映像作品としての「初恋」の映画化のお話がなかったことが、今となっては残念でなりません。
 
私は、「絶唱」をピークにして申し訳なくも舟木さんから離れてしまったのですが、1971(昭和46)年当時、久しぶりに着物姿で「初恋」を歌う舟木さんの姿をテレビでたまたま拝見した時、「私が好きだった舟木さんだ!」と久々に印象深くまた感慨深く思いました。そして、その翌年、舟木さんの歌った「初恋」に触発されて、二十歳の夏に小諸への旅をして懐古園や藤村記念館を訪ねました。そういった意味でも「初恋」という作品は、私の中の舟木一夫のイメージとして最後に強く刻みつけられた想い出深い歌なのです。
 

 
以下は、オマケです(笑)

イメージ 19「若菜集」の中に「君が心は」という詩歌が収録されています。ほぼ、「初恋」と同時期に創られたものだと思いますが・・・
そして、この詩も舟木さん歌唱で音源となっています。残念ながら、この曲は、作られた当時には発表されることなく、長い間眠っていたのだろうと思いますが、10枚組の15周年アルバム「限りない青春の季節」(1977年発売)に「未発売オリジナル12曲」の中の一曲として収録されています。
 
舟木さんの意向がそのセレクトに反映されていたとするなら、本当に嬉しく貴重な音源を陽のあたる場所に、出して下さったことに感謝です。
ある舟友さんが、私の要望に応えてくださり、一年ほど前に「君が心は」をyoutubeに動画をアップして下さっています。舟友さんに、心からの感謝を込めて、ここに御紹介させていただきます。

藤村の芸術詩の世界を、これほど、抒情性豊かに、品格高く、歌って下さる舟木さんの深い精神性が心を揺さぶり、古語の持つ響きの美しさや雅さ、崇高さをあらためて見直させてくれるようです。「初恋」の作曲者・若松甲氏の旋律と同様に、竹岡信幸氏の旋律の麗しさも、またこの詩情の世界に見事に呼応しています。一語一語の日本語の美しさと旋律の美しさの見事なアンサンブルをご堪能下さいね。

君が心は  作曲:竹岡信幸
http://www.youtube.com/watch?v=TsiMg6W4XJU
 
イメージ 17君がこゝろは蟋蟀(こおろぎ)の 
風にさそはれ鳴くごとく
朝影清き花草に
惜しき涙を そゝぐらむ
 
それかきならす玉琴の
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそは きこゆめれ
 
あゝなどかくは触れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなる吾こひに
触れたまはぬぞ 恨みたる
 
三連目の詩「あゝなどかくは触れやすき 君が優しき心もて かくばかりなる吾こひに 触れたまはぬぞ恨みたる」 ・・・これは遂げられることのない恋の切なさを詠ったものだと思われます。この「君」は「初恋」で詠われている女性よりも、禁欲的で大人の分別を弁えた印象を与えます。「初恋」の少女像には、おふゆさんの面影もいくらか感じられますが、「君が心は」の女性は、もう輔子さん以外には考えられないと感じます。
 
イメージ 20以下、岩波文庫の解説からの抜粋です。         
  「岩波文庫 藤村詩抄 島崎藤村自選」
        
~詩人藤村は、日本近代詩の母といわれる。日本の近代詩は藤村にはじまったといえないまでも、彼によってはじめて創作詩としての芸術上の開眼を行われ、独立した文芸ジャンルの一としての意義を確立し得たといえるのである。

藤村の詩、ことに「若菜集」は一口に言えば、「青春の文学」である。
 
これは定評になっていて今さらいうまでもない。ただ青春の歌は常にあるが、「若菜集」ほどの青春の歌は希にしかない。近代日本の自覚期ともいう歴史的青春と、詩人および人間としての人生の青春と、詩の文芸ジャンルとしての若さとがうち合って、ここに比類ない詩業を生んだのである。
それは性質としては封建的な制約の殻を破って、感情や感覚の自由な解放を要求したものだといえ。主情的なロマンティックとしての藤村は、しかし、そうした情熱を奔放に、主観的に絶叫したのではなかった。むしろ、それを「じっと抑えつけて、感情の浪費と消耗とを避け、情感を整調してうたの言葉に現そうと試みた。現す場合には激しい憤りや怨みやを一切底に沈めて、潔よらかな流れのようにして現した。一つの水のうねりの底からの動きが現れたものであった」(河井酔茗曰く)のである。~
 
 
抒情あふれる、かぐわしいばかりの藤村の詩が、尽きない想像力をかきたてます。そして、舟木さんの歌唱によって、さらに、今はもう失われてしまった、懐かしく美しい風景と日本の心を、よみがえらせてくれるようです。
解説の中で「青春の文学」と表現されている「若菜集」、そして河井酔茗の言う、若さのもつ情熱や奔放を絶叫することなく、「じっと水底に沈め、潔らかな流れのようにして現した」藤村の心を、まさに舟木一夫の歌唱が、受け継いだかのような、「初恋」であり、「君が心は」ではないでしょうか。藤村の「青春文学」であ
る「若菜集」を歌うにもっともふさわしい歌い手が舟木さんだったのだと、あらためて得心しています。

あゝ、日本に生まれて良かったなぁ・・としみじみ思う秋の夜です。今の季節に聴くのにピッタリです。
できれば、これから先のステージで「初恋」のように「君が心は」も歌っていただけたらと願っています。
 
以下、オマケのオマケ、スペシャルオマケです(笑) 
 
舟友さんのkazuyanさんが期間限定でアップしてくださった動画です。私が、2年前の9月9日に舟木さんと再会できたのは、この「絶唱」を何十年ぶりかで聴いてみたくなり、たまたま、それまでずっと忘れてしまっていた舟木さんだったのですが、新歌舞伎座公演のことを知って、ひたすら「絶唱」を聴きたいという気持ちだけで、出かけて行ったところが、何十年ぶりかで拝見し、初めて、ナマで歌唱なさるのを聴いてあまりに素敵だったので雷に打たれたような衝撃を受け、それ以来、劇的な「復活」をみたというワケなのです。ちょうど「復活記念日」にあたる9月9日を前にして、私の中での揺るぎないナンバー・ワン、ベスト・ワンである「絶唱」の新ヴァージョン音源の最高の動画を御紹介できますことを本当に嬉しく、幸せに思います。
 
絶唱     1977年再吹き込み盤 15周年記念アルバム 「限りない青春の季節」収録音源です。 (限定期間公開)
http://www.youtube.com/watch?v=2m6HEn2cUwg&feature=youtu.be
 
イメージ 21
イメージ 22
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 23

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>