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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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彼岸花が散っています 秋も、もうだいぶ深まりました~「宝福寺にて」(千秋楽夜の部歌唱)

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思ったより、早く、休憩が終わりました(笑) 千秋楽とサンクスのコンサート報告がまだですが、今夜は、先ずはウォーミングアップというところで・・・
 
あれよ、あれよという間に10月到来!演舞場公演の千秋楽から、もう一週間が過ぎてしまいました。
スポーツの秋、行楽の秋、芸術の秋、もの想う秋・・・様々な言葉が冠される秋ですがやっぱり味覚の秋!
 
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パソコンの動きが遅いので、気になっていたところへ、9月の中頃にNTT西日本から、高速の「隼」にアップグレードしませんか?という電話があって、なんだかよくわからないまま、手続きをして、さて届いた説明書通りの手順で作業をしなくてはならないのですが、ちんぷんかんぷん(笑)
 
私が、いつもたよりにしている亡き父の友人の親切な電気屋さんが電気や機械類に弱い、わが家の強い味方だったんですが、今は息子さんの代になっています。その息子さんも、本当に優しくて親切で、いい方なので、何かというと電話一本でSOS!を出してしまっています。結局、今回も、何から何までやっていただき、アップグレードなるものが完了しました。パソコンも8年ほど前に購入して、もう古いから買い替えなくてはいけないですか?とおたずねしても、まだ使えますよ。と全く商売っ気もないんです(笑)
 
確かに、新しいパソコンに変えたら、私の場合、勝手が違うときっとまごまごして慣れるまでに時間がかかりそうですから、もうしばらくは、このポンコツパソコンに働いてもらうことにしました。
「隼(ハヤブサ)」・・・舟木さんの歌にもありましたね。今回の千秋楽でも歌って下さった「はやぶさの歌」を連想したので、ちょっと聴いてみましょう(笑)
 
 
その千秋楽で、昨年6月の演舞場公演の千秋楽に続いて、今回も「宝福寺にて」を聴くことができました。
時節もちょうど、この歌にピッタリで、イントロを耳にした時には、思わず胸のところで小さく拍手をしてしまいました。左隣に座っていらした方も小さく拍手なさっていたようです。
作詩・作曲は、三浦久さんという方で、本当に素晴らしくいい曲なのですが、おそらく舟木さんが歌ってくださらなければ、聴く機会はなかった歌だと思います。
 
 
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宝福寺にて  作詩・作曲:三浦久
 
イメージ 3三浦久(みうらひさし 1945年 - )
男性フォークシンガー、翻訳家。長野県辰野町出身。ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン、レナード・コーエンの歌詞対訳、評論・研究書の翻訳などでも知られる。

以下は三浦久氏のHPから抜粋させていただきました~
http://www.nagano.net/journal/miura/030414.html
 
~この歌が最終的に完成したのは、その年の9月の終わり、真如会の結集でお会いしたIさんという方から呼ばれて静岡県三島市に歌いにいった後のことだ。彼女は、コンサートの前に、ぼくを龍沢寺という禅寺へ連れていってくれた。龍沢寺は江戸時代の中頃に、白隠禅師によって建てられたお寺で、その後も山本玄峰、中川宗淵といった名僧を輩出した有名なお寺である。
Iさんと境内の草むらに腰を下ろしてしばらく話した。そのとき、遠くのほうに彼岸花が咲いているのに気づいた。よくみると、枯れかかっている。
 
 
彼岸花が散っています
秋ももうだいぶ深まりました
 
という歌詞が頭に浮かんだ。そして京都に帰ってから、宝福寺で書いたことばと龍沢寺で思い浮かんだことばを合わせて「宝福寺にて」という歌が生まれた。
 
イメージ 4くすの木の梢をわたって
気持ちのいい風が吹いてきます
彼岸花が散っています
秋ももうだいぶ深まりました
あれから長い時がたちました
あなたはもうお嫁にいったのでしょうか
あれほど苦しかったあなたとの別れも
今は心静かに思っています
 
ぼくは今、一人、旅に出て
雪舟が住んでいたというお寺にきています
ここにこうして坐っていると
すべてのものが流れているのがわかります
人も草も風も、時もそして愛も
すべてのものが流れています
その流れを見ているぼくもまた
すべてのものとともに流れています
 
その流れの中で人は生まれ
愛し憎みそして死んでゆくのです
そしてそこには何の意味もなく
ただ果てのない流れがあるだけです
人も草も風も、時もそして愛も
すべてのものが流れています
その流れを見ているぼくもまた
すべてのものとともに流れています
 
くすの木の梢をわたって
気持ちのいい風が吹いてきます
彼岸花が散っています
秋ももうだいぶ深まりました

この歌は1976年にリリースされたセカンドアルバム『漂泊の友』に収められている。このアルバムがリリースされてからしばらくして、知人から「今晩のNHKのビッグショーは舟木一夫なんですが、曲目の中に<宝福寺にて>というのがあります。ひょっとして三浦さんの歌ではないでしょうか」という電話があった。舟木一夫がぼくの歌を歌うはずがないと思いながら、それでももしかしたらという思いを抱きながら、夜8時テレビの前にすわった。番組の最後が近づいてきたが、「宝福寺にて」は出てこない。やはり期待はずれだったかと思っていると、彼が「最後の歌です。これからはこのような歌を歌っていきたいと思っています」という主旨のことをいった。前奏が始まり、テレビの画面に、「宝福寺にて 作詞作曲 三浦久」というテロップが流れた~

*千秋楽のコンサートで、聞きとりをして歌詩をメモしました。ほんの一部だけ原詩と少し異なった表現の部分があったように思いますが、99%は、上記の詩の通りです(春日局)作詩者ご自身の書かれたものを、ここではそのままご紹介させていただきました。
 
宝福寺にて~「舟木さんが風になった」ような瞬間・・・
以下は、昨年6月の演舞場公演の千秋楽で、私が初めて「宝福寺にて」を聴いたときの感想をほぼ再録しました。

イメージ 5~人の心の喜怒哀楽、幸せ、不幸せという人生の様々なできごと そんなものとは関係なく 時は流れ自然は素知らぬ顔で悠々とあるがままの姿を変えない・・・そんな意味合いを詠った「無常観」の世界が広がっていくような曲でした。
 
舟木さんが、特別に選ばれたアイドルスターとして若き日を過ごしたことも、その後、長く続いた「寒い時代」を過ごしたことも そして鮮やかに復活を遂げて今があることも すべては大きな流れ(宇宙)の中のとるに足らない小さなこと・・・そんな清々しい舟木さんの想いが込められているように感じました。
人の一生は風のようなもの・・・舟木さんが好んで使われる「風」という言葉が「宝福寺にて」という歌の中を駆け抜けていくように感じられ、しみじみとした感慨があふれてきました。                                    1975年頃の舟木さん↑

今回の特別公演の千秋楽のアンコールで歌われた「宝福寺にて」は、1975年読売ホールでのコンサートでも歌われています。およそ40年前。まだ31歳の頃、舟木さんは既に「宝福寺にて」の世界観を、御自身の胸の内に抱えていらっしゃったのでしょうね。私が31歳の頃と考え合わせると、大違いです。舟木さんは、この年齢で既に人の世の光も闇も含めて、あらゆる景色を見尽くしていらっしゃったのだろうと思わずにはいられません。
 
1975年読売ホール 舟木一夫コンサート パンフレット                         パンフレット掲載の写真
 
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