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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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1979年&1980年の日劇公演「絶唱!舟木一夫」パンフレットから~自作曲「グッド・バイ・ソング」誕生の頃

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青空に映える今朝の紅葉
 
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この後、ご紹介する1979年、1980年の日劇のステージのラストで唄われているのが「グッド・バイ・ソング」です
 
イメージ 2グッド・バイ・ソング  作詩・作曲:舟木一夫
https://www.youtube.com/watch?v=_pfBKdSJNX8 
(1980年1月発売 「明日は明日で」カップリング)
 
誰のために歌は流れ 誰のために消えゆく
追えば逃げる 待てばはぐれる
時はいつでも気まぐれ
どんなに強く心よせても
別離(わかれ)の唄は聞こえる
誰もとめることはできない
それが出逢うということ
 
Good-bye-Love Good-bye-Song
静かに灯りがおちる
Good-bye-Love Good-bye-Song
小さな旅路は終わる
 
イメージ 3幕が上がり 歌が弾み 悲しいことは忘れた
言葉・笑顔・涙・想い出
ひとつもうそはなかった
あなたはじっと見つめてくれた
それが何よりうれしい
幕が下りる きっと私は
新たな日々へと旅立つ
 
Good-bye-Love Good-bye-Song
それしか今は言わない
Good-bye-Love Good-bye-Song
明日の出逢いのために
Good-bye-Love Good-bye-Song
静かに灯りがおちる
Good-bye-Love Good-bye-Song
小さな旅路は終わる
 
Good-bye-Love Good-bye-Song
明日の出逢いのために

 
 
 
私が、「グッド・バイ・ソング」を初めてナマのステージで聴かせていただいたのが、2012年の12月26日の新橋演舞場シアターコンサートでした。アンコールとして最後に唄って下さったのを感激して聴いたのが、まだ、つい2年前のことです。
この年の9月に新歌舞伎座公演で舟木さんと再会できて、雷に打たれたようなショックを受け、もっと舟木
さんの歌を聴いてみたいと思い、先ず最初に買ったCDが「芸能生活50周年記念 舟木一夫プレミアムBOX」でした。そこに「グッド・バイ・ソング」も収録されていました。
舟木さんのことを何も知らないでいたので、作詩、作曲などもなさっていることすら知らずにいたのですから、こんなに心に沁みるいい曲を作られることにも驚く同時にとっても気に入っていた曲でした。ですから、初めてナマのステージのラストでこの歌を聴けた時には胸がいっぱいになり、鼻がツーンとして涙ぐんでしまったのを覚えています。

1980年1月リリースのシングル「グッド・バイ・ソング」が、翌年のピンクレディーの解散コンサートのオーラスで歌われたのは、有名なエピソードですね。以下、大倉明氏の「青春賛歌」より少し抜粋させていた
だきます。
 
ピンクレディー解散コンサートライブ 「グッド・バイ・ソング」 ↓
 
イメージ 4

~シンガーソングライターの第一弾として昭和55年1月にシングル「グッド・バイ・ソング/明日は明日で」
(作詩作曲・舟木一夫)とアルバム「29小節の挽歌」をリリースした。この年は、山口百恵が三浦友和との
婚約を発表(3月)、松田聖子が「裸足の季節」でデビュー(4月)という明るい話題と、ザ・ビートルズの
ジョン・レノンが米ニューヨークの自宅前で射殺されるという暗いニュースの入り混じった1年だった。~
 
この曲が作られた頃の、国内外の芸能界の状況を大倉氏が、実に端的にまとめていらっしゃるので、当時の自分の状況と重ね合わせることができます。1975年生まれの長女、1978年生まれの次女の子育てに追われていた頃になります。私は、ピンクレディーはもちろん、当時はテレビを見る暇も、芸能界のことにも全く関心がなかったですから、この「グッド・バイ・ソング」が、ピンクレディーの解散コンサートで歌われたことなど知る由もなく、まして、その曲が舟木さんの手による作品であったことは、大倉氏の「青春賛歌」を読んで初めて知りました。

舟木さんのことを、あまりにも知らなさすぎるので、その歌い手としての旅路を少しでもたどることができれ
ばと、手に入れることができる範囲で、諸々の資料を、集めたのですが、その中に、1979年と1980年の日本劇場でのステージのパンフレットがあるので、ここでご紹介したいと思います。
 
1979年  5月31日~6月6日 日本劇場 「絶唱!舟木一夫」 パンフレット 
 
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デビュー当時や、今のように、数多くのコンサート活動をなさっていない時代…舟木さん曰く「寒い時期」の
ステージのパンフレットで、とても地味な感じです。写真も、モノクロで、お世辞にもいい写真とは言えない
のが、残念ですが、それも、舟木さんの今につながる大切な軌跡であり、長い旅路の中の風景の1ページであるのだと思えます。
 
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イメージ 8ららばい  作詩:藤公之助 作曲:大野真澄
(1979年発売 ATG映画「青春PARTⅡ」のテーマ)
たとえ傷つき 泥にまみれて
負けたって いいじゃないか
何もしないで ため息ついて
わけ知り顔するよりは
若さにまかせ
しゃにむに 生きてみたよ
壁にぶつかり深傷(ふかで)負うたび
自分で傷口 癒してきたのさ
ほっといてくれ 世話などやくな
そんな寂しさが
なぜか 好きさ 俺は……
口を結んで 水面(みなも)見つめる
釣り人の 孤独じゃなく
汽車の座席に 身を沈めてる
旅人の孤独じゃなく
 
 
イメージ 9*
俺には俺の
この生き方が似合う
行きつ戻りつ 戻りつ行きつ
幸せなんかにゃ 縁はないのさ
それでもいいと お前は言った
ついて来る気かい
こんな こんな 俺に……
イメージ 10*くりかえし

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 12はぐれカモメ 作詩:藤公之助 作曲:大野真澄 
https://www.youtube.com/watch?v=yRzhUsXnG6k
(1979年3月発売 「ららばい」カップリング曲)
 
男は誰でも 淋しいはぐれカモメ
自分の啼き声に 淋しさつのらす朝
女の涙が 旅立ちの邪魔をする
黙って行かせてくれよ
わがままを許してくれ
愛をついばみそこねて
季節が ひとつ移ろう
 
イメージ 11男は誰でも 淋しいはぐれカモメ
翼をはばたかせ 淋しさまぎらす夜
他人(ひと)のやさしさに なぜか苛立ってくる
そっとしておいてくれよ
一人にしておいてくれ
愛をついばみそこねて
季節が ひとつ移ろう
 
男は誰でも 淋しいはぐれカモメ
沈む夕陽めざし ひたすら翔びつづける
破れた翼を 波間で休めながら
女のあのぬくもりが
しみじみ今 なつかしい
愛をついばみそこねて
季節がひとつ 移ろう
 
 
 
 
「より大きくたくましくなった舟木一夫」   森田潤    (1979年 5月31日~6月6日 日劇公演パンフレットより)
 
舟木一夫が、久しぶりに日劇の舞台に立つ。デビュー十六年目。日劇は、昭和三十九年九月初舞台を踏んで十五年目になる。~中略~昭和十九年十二月十二日生まれだから、もう三十四歳である。「高校三年生」でデビューした時は、十八歳の高校生で、八重歯をのぞかせた色白の美少年が、黒いツメエリ服によく映えてたちまち少女ファンのアイドルになったものである。~中略~もちろん初めての日劇ショーも大入り満員で、新鮮な舞台が、つい昨日のように想い出される。やがて、橋幸夫、西郷輝彦らと「御三家」と呼ばれるようになり、歌謡界のトップグループを形成していく。
一昨年七月のこと、ここ日劇で「芸能生活十五周年記念公演 怪傑児雷也」の最中に、実父の上田栄吉さんが亡くなった。”父キトク”の知らせを受けたのは、舟木が舞台出演中。終演後、病院へ駆けつけた時は、息を引き取った後だった。楽屋へ舟木を訪ねると、淡々とした表情なのにちょっと驚かされた。
「オヤジは"役者は親の死に目に会えないものだ”と口グセのように言っていました。だから、キトクと聞いても、それは覚悟していたんです。息子と父親の関係も芸能界に入れば、そうではなくなります。せめて舞台で立派にやり通すことで、オヤジを、見送ってやれると思うんです。」
親と子の永遠の別離が悲しくないはずはないが、むしろ蒼白い顔を引きしめて語る舟木に、妙な感動をおぼえたことを思いだす。
舟木ほど、ファンをやきもきさせたスターも珍しい。舟木ほどのスターなら、普通人には想像もつかない複雑な条件が降り重なるものだが、彼は、ふりかかる物すべてを受け容れ、円満に事を運ぼうとする。
無類のお人好しと、物わかりの良さがそうさせるのだろうが、世の中そんなに甘くはない、仕事や対人関係が複雑になればなるほど、そのどれを断り、受け容れるか取捨選択をはっきりしなければならない。
だが、舟木はすべてを受け容れ、どうにもならなくなって、自らを滅ぼそうをするのだ。もうすんだことじゃないかといわれもしようが、多くのファンが、まなざしを熱く注げば注ぐほど、舟木という男への理解を深めなくてはなるまい。
昨年秋には、久しぶりの映画「青春PARTⅡ」で、競輪に情熱を燃やすギャンブル青年を演じたが、陰影のある演技でみごとに青年像を表現していた。こんどの舞台では、どんな芸域を見せてくれるか楽しみである。
 
 
1980年  2月23日~2月25日 日本劇場 「絶唱!舟木一夫」パンフレット 
 
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1980年 日劇のコンサートのセットリスト
 
第一部
 
学園広場/高原のお嬢さん/友を送る歌/北国の街
ブルートランペット/哀愁の夜/紫のひと
木挽哀歌/絶唱/初恋/花咲く乙女たち
かっぽれ/恋のお江戸の歌喧嘩/やなぎ小唄
右衛門七節/魔像/総司がゆく/あゝ桜田門/銭形平次
 
第二部
センチメンタルボーイ/よみがえる夜明け/風の香り
立ち話/ららばい
 
みんな旅人/れ・く・い・え・夢/都会の子守唄
ガラスの架橋/この愛をもう一度
 
学園広場/修学旅行/仲間たち/君たちがいて僕がいた
高校三年生/二十九小節の挽歌
 
グッド・バイ・ソング
 
 
 
イメージ 16芳醇な男の魅力に期待する  中根幸夫(音楽評論家) 抜粋
 
~実際、男が男らしい魅力を存分に発揮できるには、三十代も後半から四十代、五十代においてではなかろうか。若さの素晴らしさとはまた違った意味で、男のにおいとか色気とかがにじみ出てくるのは、まさにこれからなのだ。さりげない姿にも、堪らない良さがあるといわれるように、女性からはもちろん男性からも思われるようになって欲しい~

上記の文が、書かれてから、35年が過ぎようとしています。まだ35歳の頃の舟木さんへのメッセージということになりますが、中根氏が、舟木さんへ手向けた言葉がそのまま…というより、おそらく中根氏の想像や期待をはるかに超えた形で、現実のものとなっていることを、私を含めて舟木さんファンは、どなたも、幸せな事に深く実感しています。
 
この頃のパンフレットの舟木さんは、痛々しいほどに細くて、ちょっと触れたら折れてしまいそうです。ところが、どっこい、その後も、一人の人間としても、歌い手としても決して平坦ではなかった旅路を逞しく歩み続けて来られ、見事な今があるのですから、時々、この頃のパンフレットを取り出して、後ればせながらも、舟木さんと「再会」できた幸せをしみじみとかみしめている私です。
 
 
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