2014ファイナル・コンサート 中野サンプラザ 12月14日(日) 14時/18時
先週末は寒波襲来というニュースが伝えられていましたから、遠方から東京に向かわれた皆さんは、気をもんでいらしたのではないでしょうか?それほどの影響もなくて、昼の部の開場待ちをしている時には、太陽が照りつけて、風もなく、防寒用のコートを着ていると暖かいをとおりこして暑いほどでした。
自分のことを棚に上げてですが、毎回、思う事は、座席指定なのに、開場の随分前から、お客さんが長い列をなして並んでいる光景には驚きます(笑)舟木さんに会えるというワクワク感と熱気が伝わってきます。
自分のことを棚に上げてですが、毎回、思う事は、座席指定なのに、開場の随分前から、お客さんが長い列をなして並んでいる光景には驚きます(笑)舟木さんに会えるというワクワク感と熱気が伝わってきます。
私としては、12月2日に、NHK「歌謡コンサート」で、聴かせていただいた「高校三年生」「学園広場」が、舟木さんの60代最後のナマの歌声でした。そして、この12月14日が、舟木さん70代最初のナマの歌声ということになりますから、なぜか、気持ちもあらたまった感じで、私も列に並んで開場を待ちました。
いつものように、舟木さんのトークを交えて、ステージの報告をさせていただきます。
昼と夜と拝見しましたので、ミックスしての報告です。
~ピンク文字は舟木さんのトーク部分です~
昼と夜と拝見しましたので、ミックスしての報告です。
~ピンク文字は舟木さんのトーク部分です~
オープニング
~想い出通り
~想い出通り
衿は黒サテンの柿色のジャケット、黒のベストとパンツ、モノトーンのポケットチーフで登場。
前の3回のソロ・コンサートでは、オープニングは「立ち話」でしたが、「想い出通り」に変わっていました。
「想い出通り」は、舟木さんの自作で、コンサートでも、く歌われているのできっとお好きな曲なのですね。
6月にニューシングルとして発売された「眠らない青春」と同じく、アルバム「レマンのほとり」(1976年)
に収録されていますが、シングル化はされていない、隠れた名曲だと思っていましたので、今回もオープニングで聴けて、嬉しく思いました。
「想い出通り」は、舟木さんの自作で、コンサートでも、く歌われているのできっとお好きな曲なのですね。
6月にニューシングルとして発売された「眠らない青春」と同じく、アルバム「レマンのほとり」(1976年)
に収録されていますが、シングル化はされていない、隠れた名曲だと思っていましたので、今回もオープニングで聴けて、嬉しく思いました。
すっかり冬、寒くなりましたね、コートやストールが必要になってきました。ぼちぼち年末、大事な日曜日、
お時間を割いて下さってありがとうございました(拍手)一昨日(おととい)とうとう70(才)になりました。70になって最初のステージです。70になったからって別にどうってことないんですが、68だ、69だと言われてましたが、やっとこれですっきりしました(笑)
ソロ・コンサートは、今年は3回しかやってないんですね。3月にやって以来かな?忘れているかも……イントロが出たら、それを唄っていくということで、ムセキニンにやっていきます(笑)ごゆっくり、どうぞ!
お時間を割いて下さってありがとうございました(拍手)一昨日(おととい)とうとう70(才)になりました。70になって最初のステージです。70になったからって別にどうってことないんですが、68だ、69だと言われてましたが、やっとこれですっきりしました(笑)
ソロ・コンサートは、今年は3回しかやってないんですね。3月にやって以来かな?忘れているかも……イントロが出たら、それを唄っていくということで、ムセキニンにやっていきます(笑)ごゆっくり、どうぞ!
プレゼントタイム~メドレー
東京は恋する
ブルートランペット
くちなしのバラード
花咲く乙女たち
友を送る歌
ブルートランペット
くちなしのバラード
花咲く乙女たち
友を送る歌
昼・夜とも、ステージのテーブルにのりきらないほどのたくさんのプレゼントでした。
いつもながら心のこもったゴージャスな舟友さんの花束
若い頃唄った、唄い方でするのがいいのかもしれませんが……僕がデビューした時は、三橋さんとか村田さんは結構、年をとっていたと思ってましたが、当時、三橋さんは33歳、ひばりさんが27歳、お千代姉さんは2つ下くらいかな?今や、コロムビアで私は最年長。まさか、ここまでと思わずついチャランポランでここまできてしまいました。こういうコンサートも一日一回ということにしないと……でも、心配することもないんです、お客様の方もくたびれてくる(笑)まァ、ノンビリ行きましょう!最近、お客様の間で交わされている
ことが、ロビーでうろうろしているスタッフなどから入ってくるんですが……舟木さんが、男性の方は舟木が
でしょう…舟木さんは神様、人によっては舟木先生になってる(笑)…まあなんとでも言って下さい(笑)
アイツが…でいいんですけど、70になったわけですから、来年からは、やさしく扱ってください(笑)
ことが、ロビーでうろうろしているスタッフなどから入ってくるんですが……舟木さんが、男性の方は舟木が
でしょう…舟木さんは神様、人によっては舟木先生になってる(笑)…まあなんとでも言って下さい(笑)
アイツが…でいいんですけど、70になったわけですから、来年からは、やさしく扱ってください(笑)
ここはひとつ落ちついて、いってみます・・・
その人は昔のテーマ
百人浜に打ち寄せる荒波の音が、しばらく続いて、白を基調に、真紅のライトがアクセントとなった照明に舟木さんのシルエットが浮かび上がり……目をつむって舟木さんの歌声に集中していると、今の舟木さんの歌唱が、当時の懐かしい映像にシンクロします。懐かしい「その人は昔」とは、また違ったあらたな「その人は昔」という物語に成長したような新鮮な感覚で聴かせていただきました。舟木さんも船村先生の歌は「難曲」が多いとおっしゃっていましたけれど、この曲は、舟木さんでなくては唄いこなすことのできない「難曲」中の「難曲」のように思います。聴けば聴くほどにドラマチックで「流行歌」という枠の中におさまりきれないスケールの大きな作品だと感じます。そして、舟木さんの歌唱は、どこまで完成度が増していくのかと驚きを覚えました。「芸としての歌唱」、その高みに向かって進化を続けている作品の代表のように思います。
……んなワケで…とラスト、魅力的な後姿のシルエットで余韻を残したあと、客席の方にくるりと身体を向けてトークに切り替えるのもお見事!
60(歳)ぐらいの時から、現役のうちに1回、「その人は昔」を通しで……と思ったりしたんですが、お相手の女性もいりますし、第一、私がもつのかどうか…来年は、船村徹スペシャルをやらせていただきたいと思ってます(拍手)船村先生の作品は、山が大きいのに裾野が広い歌い手にとって難曲が多い……北極が少ない(笑)~例によってダジャレです~組曲アルバムというお話の流れで「雪のものがたり」「竹久夢二の郷愁」などの話題も出ました。「夢二の郷愁」は、それほど長くないので、やってみようかというフシも……(拍手)
昭和の流行歌というものが、いかに素晴らしいか、昭和の生き残りがお互いに頑張りましょう!(笑)
私が、こういうコンサートをやっている一番上の世代になってきました。僕が知る限り、ステージに立って唄
っているのは、曽根史郎さん、84、5歳でしょう。30分のステージ、大丈夫かな?と…大変なんですよ、お客様の目線に堪えるだけで十分に体力を消耗するんです(笑)
私が、こういうコンサートをやっている一番上の世代になってきました。僕が知る限り、ステージに立って唄
っているのは、曽根史郎さん、84、5歳でしょう。30分のステージ、大丈夫かな?と…大変なんですよ、お客様の目線に堪えるだけで十分に体力を消耗するんです(笑)
昭和の流行歌の時代、その中で皆さんと出逢って長い旅を続けてこられたのは歌い手冥利に尽きますが、そんな流行歌の王道、その辺の歌をつなげてみようと…
北国の街
哀愁の夜
高原のお嬢さん
哀愁の夜
高原のお嬢さん
眠らない青春
「高原のお嬢さん」は、ややアップテンポで、ライトも七色の華やかさで演出されていたように思います。
「眠らない青春」のラスト、サックスの方向に視線を投げる舟木さん、ノリノリでドライブするのを待つ間に右手を腰に当てて、笑顔で見守るまなざしが温かくステキでした。「オレより目立つなよ!」と云いつつ「サックスは小林哲夫」と紹介なさいました。その後、小林さんのお母様から誕生日に手編みの靴下をプレゼントされたというお話もされ「舟木さんが冷えて、子どもが産めなくなるといけないから…」などとジョークも交えて(笑)また、メンバーからは、楽屋用のジャージの上下のプレゼントをいただいたそうです。
最後に、「起立」!とバンドメンバーに声をかけて、「約1年、お疲れ様でした、本人がワガママなものですから色々とあったと思いますが……」とねぎらいの言葉を。
最後に、「起立」!とバンドメンバーに声をかけて、「約1年、お疲れ様でした、本人がワガママなものですから色々とあったと思いますが……」とねぎらいの言葉を。
ここでジャケットを黒に着替えてシックなスタイルになって…
少し痩せましたか?と言われますが、9月、10月と一ヶ月公演があって、いつもその後は少し体重が落ちて、もどるのに2週間くらい時間がかかります。お正月に雑煮太りでもしようかと…70過ぎて太るのはあまり良くないんですね……食べたいだけ食べて、ほっとけば痩せる…羨ましいでしょ(笑)ハハハ……
~おっしゃる通り、チョー羨ましいですねぇ~
~おっしゃる通り、チョー羨ましいですねぇ~
ここんとこずっと「日本の名曲たち」というのをやってますけど、唄ってて僕も楽しいんですよ。楽しんでステージにのっけさせていただいています。中日劇場で「ふるさとの燈台」を唄いましたが子どもの頃の風景が出てくるんです。こないだ、小堺くんの番組で、チラッと言ったんですが、プロの歌い手というのは、唄ってて楽しいってことはないんですね。お客様への責任感とか声が衰えてくるとテクニカルなもので付け足していく……でも、もうこの頃は、お客様はどうでも、私が楽しければという不埒な考えで(笑)
結局、歌い手自身が、一定の技術とキャリアを積んでさえきたら、後は、のびのびと御客様と楽しさを共有するという気持ちが最善のステージを生みだすためのエネルギーになるような気がします。ひとりよがりでなく双方向の想いがクロスすることでいい空間が生まれるということなのでしょう。
今回は曲を変えようかと思ったんですが、せっかくピータケちゃんとスーやんが素敵なアレンジをしてくれた
ので、もったいないですから…「宵待草」「ゴンドラの唄」「浮世まかせ」とつなげてまいります。
ので、もったいないですから…「宵待草」「ゴンドラの唄」「浮世まかせ」とつなげてまいります。
宵待草
ゴンドラの唄
浮世まかせ
ここで、ピー(P)タケちゃん、スーやんという「ABOUT-9」バンドメンバーのお名前が出たので、もう、5年前の記事ではありますが、お二人のインタビュー記事から抜粋してご紹介します。
あらためて舟木さんとの強く深い絆を感じさせるお二人の言葉を嬉しく拝見しました。
あらためて舟木さんとの強く深い絆を感じさせるお二人の言葉を嬉しく拝見しました。
~写真集「瞬華愁透」の「瞬」(2009年6月発行)より~
Pタケちゃんこと杉本健さん(ピアノ)
・アレンジ
最初の頃は、本人と一緒に「あ~じゃないか、こうじゃないか」と音作りをしてた。「まかせるから」と言われることが多かったけど。~中略~「絶唱」も2~3種類、アレンジしている。スーやんも含めて、同じ曲を数回、アレンジしてるんだよね。その度にカラーを変えたり…。もうすごい数のアレンジをしてきたから、最近は、「どういう風にしたいですか?」って抽象的なんだけど、訊くようにしている。オリジナルに沿っていくのか、まったく変えるのか。訊けば、「オリジナルの雰囲気だけを残しつつ、あとはPちゃんの好きにやってくれ」とか、答えてくれるので、それでも合わないときは、当然あるんだけど(笑)
・自然体で
舟木さんがどんな人か…わかりやすようで、わかりにくい人…って感じかな(笑)
後ろで演奏するようになってもう長いから、自然体でできる。本人がデビューしたのは、俺が生まれる5ヶ月前で(笑)年齢は離れているけど、ミュージシャン同士という感覚。信頼してくれているし。
愛があるあたたかい音?う~ん、そうかもしれない。それは本人がそうだから。そういうところがあるから…ほかの歌い手さんはあまり知らないけど、そういう人ってあんまりいないんじゃないかな、本人がバンドと一緒に飯食ったり、関係もいいしね。
後ろで演奏するようになってもう長いから、自然体でできる。本人がデビューしたのは、俺が生まれる5ヶ月前で(笑)年齢は離れているけど、ミュージシャン同士という感覚。信頼してくれているし。
愛があるあたたかい音?う~ん、そうかもしれない。それは本人がそうだから。そういうところがあるから…ほかの歌い手さんはあまり知らないけど、そういう人ってあんまりいないんじゃないかな、本人がバンドと一緒に飯食ったり、関係もいいしね。
・好きな作品
アレンジを担当して好きなのは「浮世まかせ」と「蜃気楼」。「蜃気楼」のレコーディングでは、ピアノも弾いたし。自分のアレンジ以外では、小編成でやる「絶唱」。抒情歌系が好き。聴いていて、気持ちいい声だなって思う。
・唄い終わるまで
ずっと「おもしろことやろうよ」というすごい勢いがあって、楽しかった。相当、楽しませてもらったし、今は違う意味で楽しませてもらってる。いい感じです。歌もすごくいいし。最後のステージのピアノ伴奏は俺じゃないと、俺がやるんだろうな、俺がやりたいな…と思っている。本人が「終わるよ」と言うまで、ずっとね。
向かって右がPタケちゃん、左がス―やん
スーやんこと陶山進さん(キーボード)
・アレンジ
アレンジをするようになったのは…35周年くらいまではフルバンドで、今のバンドスタイルに固まってから11年目。そのころからかな。ABOUT・9の前は、8人しかいなかったから”チョンボーイズ8(エイト)”という名前を付けられちゃって。どっちも命名はもちろん、舟木さん(笑)一番気に入っているアレンジは…意外とほとんどなくて。アレンジというのは、考えれば考えるほど、いろんなものが出てきて。~中略~強いていえば「荒城の月」は気に入っているかなぁ。考える時間も長かったし。
・好きな作品
「浮世まかせ」。舟木さんが作曲したときに、ちょうど一緒にいて。「ちょっとコードつけてくれ」って言われて、横でピアノを弾きながら「ここは上いかないで、こっちいこう」と言いつつ、作ってたなぁ。「浮世まかせ」って、メロディだけだと、とてもシンプルでやさしいんだけど、歌詞がついて舟木さんが唄うと、ああなる。つぼみだった桜が一気にぷあ~っと咲いて…っていう景色が目に浮かびます。それから「あいつと私」のメロディラインが好き。「GOOD-BYE・SONG」はなんといっても歌詞がいい。大好きな曲。
・舟木一夫とは
俺、小学甲6年生のとき、おやじがいなくなったんで…誤解を恐れずに言えば”親父”、みたいな存在ですね。ちょっと…うちの親父とダブるところがある。なんとなく同じ”匂い”がする気がして。がーっと怒るときは怒るけれど、あとを引かないしね。
・舟木さんへ
細く、長く、1日でもステージに立っていて欲しい。舟木さんは一切、テープを使わず、すべて生で唄っているでしょ?だから無理せず…って言っても無理だろうけど(笑)舟木さんさえよければ、ずっとお伴します。
3曲目の「浮世まかせ」は、40周年のときに、自分で作った曲。こんなのは名曲でもなんでもないんですが
「宵待草」「ゴンドラの唄」とつながりがいいのでおいただけなんですが…。メロディーが単純なんですね。
その方が、詩が浮き出るんですね。「荒城の月」を来年あたり、どこで唄おうかと考えているんですが……と「♪ハルコウロウノハナノエン(春高楼の花の宴)♪」と唄いながら、バンドがないとオンチでしょ(笑)いつ
ものようにごジョーダンを……全部四分音符だとむつかしいんですよとふたたび、舟木一夫流に素敵に唄ってみて、スラーとか入れてね…などど唄い方レクチャーもなさって…(笑)こういう舟木さんって本当に歌が好きなんだなぁ、ステキだなぁ…と思う私です。「学園広場」のほうが「高校三年生」よりむつかしいんです。
「宵待草」「ゴンドラの唄」とつながりがいいのでおいただけなんですが…。メロディーが単純なんですね。
その方が、詩が浮き出るんですね。「荒城の月」を来年あたり、どこで唄おうかと考えているんですが……と「♪ハルコウロウノハナノエン(春高楼の花の宴)♪」と唄いながら、バンドがないとオンチでしょ(笑)いつ
ものようにごジョーダンを……全部四分音符だとむつかしいんですよとふたたび、舟木一夫流に素敵に唄ってみて、スラーとか入れてね…などど唄い方レクチャーもなさって…(笑)こういう舟木さんって本当に歌が好きなんだなぁ、ステキだなぁ…と思う私です。「学園広場」のほうが「高校三年生」よりむつかしいんです。
ここでジャケットをラメ入りのモスグリーンに着替えます。胸には黄色のバラ。
ここは、あの頃……とご自分の手のひらで顔を隠す仕草をして…こうやって唄いましょうか?可愛いかったあの頃を思いだしてもらって(笑)…とお茶目な舟木さん、今も十分に可愛いで~す
明日咲くつぼみに
あゝ青春の胸の血は
君たちがいて僕がいた
高校三年生
学園広場
あゝ青春の胸の血は
君たちがいて僕がいた
高校三年生
学園広場
こうやって、うたっているとほんとにいい作品に恵まれた歌い手だなぁと…皆さんと長い旅をご一緒するには作品の量と質が揃っていればこそ。僕自身が、皆さんが、時代を背負(しょっ)てるわけですからね。がんばってください!
僕は詩にこだわるタイプでもあるんですよ。25、6(歳)の頃「青年の唄」という曲の3コーラス目に「人生小さく思ったことが恥ずかしい」という歌詞があった。こんなの20代の奴に唄えるハズがない。レコーディングの時以来、唄ってません(笑)
いわゆる「学園ソング」、そのあと、「北国の街」「哀愁の夜」「高原のお嬢さん」とくる、そして、ある時映画がらみでかたまって抒情歌というのがくるわけです。そのあたりを…
初恋
夕笛
吉野木挽唄~絶唱
夕笛を唄い終わると、くるりと後ろ向きになって、あの素敵な背中を客席に見せたシルエットで「吉野木挽唄」のアカペラが始まります。舟木さんのアカペラが大好きな私、しかも「吉野木挽唄」から「絶唱」へとつなげる、いわば完全ヴァージョンの「絶唱」といってもいいこの構成を、今年の2月に初めて大宮で聴けた時の感動が甦ってきました。
アンコール
~君よ振りむくな
~君よ振りむくな
スタンディング&サインボール
一旦下りた緞帳。アンコールの拍手のあと、ジャケットを脱いで、軽やかにベストスーツで再び登場した舟木さん。最後の最後に、白いハート型のものがステージの天井からツーッというか、とってもゆっくりと降り注いでくるという心憎い演出というオマケまで付いた楽しい中野サンプラザ・ファイナルでした。
私も、夜の部では、2枚、キャッチできました。想い出深い2014年の素晴らしいソロ・コンサートの記念
になることだと思います。
私も、夜の部では、2枚、キャッチできました。想い出深い2014年の素晴らしいソロ・コンサートの記念
になることだと思います。
2014年の数少ないソロ・コンサートでしたが、幸運にも、その4ヶ所、8公演に全て足を運ぶことができました。構成そのものが、今の舟木さんの魅力のすべてを最高のクオリティで聴かせることにつながり、大成功をおさめたともいえると感じています。
今回のコンサートで、強烈に思ったことは、いわゆる「円熟の域」という概念を超える宇宙です。
「歌い手・舟木一夫」という人は、芸術的なセンスも、もちろん抜群で、コンサートにおいても総合プロデューサーのようだと感じていますが、もう一方で「職人気質」の歌い手でもあると今回の中野で痛感しました。
「歌い手・舟木一夫」という人は、芸術的なセンスも、もちろん抜群で、コンサートにおいても総合プロデューサーのようだと感じていますが、もう一方で「職人気質」の歌い手でもあると今回の中野で痛感しました。
「どこまで唄っていけるのか、いつまで唄っていけるのか」ということを舟木さんご自身も、私たちファンも現在の最大のテーマにしていることは否めないのですが、今回の中野ファイナルのステージを拝見して思ったのは、まだ進化を続けている舟木さんをあらためて発見してしまった嬉しい驚きです。「これでいいという境地はない」というのが、職人の世界ですが、まさに舟木さんのステージを拝見していると職人のようだと感じます。歌い手の力量を表現する、そのピークというのはどこにあるのか?私自身、ちょっとわからなくなりました。私は、物理的な意味での歌い手のピークは、30代半ばあたりから50代にさしかかる頃のように思っていました。実際に、あくまで音源として残っている舟木さんの歌唱を聴かせていただくと、その頃の歌声が私としては、最高のように感じていました。年齢を重ねてきて、声の衰えを補うために歌い手はテクニカルに足し算をするものだけれど、そうではなく削ぎ落していって響きを大切にすることが、いいステージになることだとわかった……というような意味合いのことを舟木さんご自身が先日のテレビ番組でも、今回のステージのトークでもおっしゃっていましたが、今回の中野ファイナルが、その舟木さんの気づきというかあらたな持論を明白に証明してくださったのだと思いました。これまでにない、強烈な驚きでした。
私がこれまで思いこんでいたプロの歌い手のピークという概念を、あの軽やかな笑顔で見事に吹き飛ばしてくださったことに、とまどいながらも、嬉しさの方がハンパじゃなく大きいのです(笑)
まさに頭を打たれました。「参りました!」です。
まさに頭を打たれました。「参りました!」です。
70歳を迎えて、初めてのステージに臨む舟木さんの胸に去来したものが、あったのかどうか、私などには知る由もないのですが、「ひたすら楽しく唄いたい、唄うことを楽しみたい」という舟木さんのふっきれた想いが、あのような驚くべき歌声となって聴く側の私たちにも幸せな時空間をプレゼントしていただけたという結果になったのかも知れません。
ひとりの歌い手が歩んできた道のりの風景を、すべて包みこんだような表現力の極みの宇宙に漂わせていただけ、一期一会に居合わせることができた幸せに感謝するばかりです。