拙ブログに、ご訪問くださった皆さまに、一年間の感謝を込めて、2014年ラスト・ブログです。
以前からお願いしていて、ずっと楽しみに待っていた舟友さんの最新動画が出来上がりました。
舟木さんには、先日の新橋演舞場シアターコンサートのアンコールでも唄われた「京の恋唄」という名曲がありますが、他にも、今回ご紹介する「逢う瀬」、そして多分来年早々には、ご紹介できる「嵯峨野雪草紙」などがあります。
私事ですが、十代の頃から、京都にあこがれ、縁あって舟木さんと「再会」出来た頃まで、十年近く暮らしていたものですから、京都にちなんだ舟木さんの歌には、ことのほか心惹かれます。
シングル化はされていない曲ですので、あまり馴染みのないものではないかと思い、ひとりでも多くの舟木さんファンにご紹介したく、舟友さんに音源資料をお預けして、動画をお願いしていました。
この度、素晴らしい映像とともに、舟木さんの歌声で、抒情豊かな、この作品を皆さまにご紹介できることになり、本当に嬉しく思っています。
舟友のkazuyanさんに、心からの感謝を込めて、アップさせていただきます。
なお、作詩の藤浦洸氏は、私たち世代が、子どもの頃に、NHKの人気テレビ番組「私の秘密」などに出演なさっていたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
藤浦 洸(ふじうら こう、1898年9月1日 - 1979年3月13日)
大学卒業後は、音楽評論家伊庭孝に師事し、浅草オペラの俳優等を経て、1930年から、コロムビアレコード文芸部のエドワードの私設秘書となり、ジャズソングの訳詞などを手掛けていた。1937年、「別れのブルース」の大ヒットにより名声を得た。
1938年にコロムビア・レコードに入社して同社専属の作詞家となり、「戦前戦後を通じて多数のヒット曲を世に送り出した。特に美空ひばりには「悲しき口笛」、「東京キッド」など初期楽曲を多く提供している。
この他、「二十の扉」「私の秘密」等のNHKのラジオ・テレビ番組に多く出演したことでも知られる。
1938年にコロムビア・レコードに入社して同社専属の作詞家となり、「戦前戦後を通じて多数のヒット曲を世に送り出した。特に美空ひばりには「悲しき口笛」、「東京キッド」など初期楽曲を多く提供している。
この他、「二十の扉」「私の秘密」等のNHKのラジオ・テレビ番組に多く出演したことでも知られる。
なお、作曲の戸塚三博氏は、あの名曲「哀愁の夜」「友を送る歌」ほか多くのヒット曲を舟木さんに提供なさっています。
初収録のアルバムは、1974年10月発売「舟木一夫の新しい名刺」です。この年の春に、ご結婚されて、心機一転、再び音楽活動にもどられた頃に、リリースされた音源です。このあたりから、舟木さんの歌声は、それまでとは、かなり変化していると私は思います。哀愁のある歌でも、基本的には、声が明るく澄んでいて、伸びやかで耳に心地よいステキな声です。しかも、大人の色香が漂い、「逢う瀬」の描く世界観をしっかり聴く側の心に届けてくれていると感じます。
また、三年後の15周年記念10枚組アルバム「限りない青春の季節」にも、セレクトされて収録されています。
ただ、あまり今のステージでお聴きすることができないのが残念……近いうちに、今の舟木さんの歌唱で、ステージで聴けることを願っている私です。
逢う瀬 作詩:藤浦洸 作曲:戸塚三博
https://www.youtube.com/watch?v=5-hZ-Gg5Cdw&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=5-hZ-Gg5Cdw&feature=youtu.be
アルバム「舟木一夫の新しい名刺・友情」収録(1974)
15周年記念アルバム「限りない青春の季節」収録(1977)
15周年記念アルバム「限りない青春の季節」収録(1977)
京は加茂川 たそがれに
誰を待つのか 川べりの
宵待草の 花ひとつ
君によく似た うつくしさ
誰を待つのか 川べりの
宵待草の 花ひとつ
君によく似た うつくしさ
けぶるむらさき 東山
鐘の音色に ゆれながら
ひとりさびしく 待ちわびる
君のすがたの いじらしさ
あいにゆこうか あうまいか
あわねばなおも かなしさを
耐えてたたずむ 横顔に
散るは祇園の ともしびか
鐘の音色に ゆれながら
ひとりさびしく 待ちわびる
君のすがたの いじらしさ
あいにゆこうか あうまいか
あわねばなおも かなしさを
耐えてたたずむ 横顔に
散るは祇園の ともしびか
夢二もこのあたりから見たかもしれない八坂の塔です。
私は、「京の恋唄」を聴くと、この恋のお相手のヒロインは、祇園の舞妓さんかな?とイメージするのですが、「逢う瀬」を聴くと、どうしても、あの竹久夢二の愛してやまなかった彦乃を、イメージしてしまいます。
多分、詩の中に「宵待草」という言葉が登場することや、夢二と彦乃が、しばらく暮らしていたのが、この東山界隈だったということから連想してしまうのかもしれません。
夢二が京都で下宿したのは1917年(大正6)2月。部屋は2階の2間。愛情問題のもつれから東京を逃れてのこと。2ヵ月後、北の高台寺南門前へ移り愛人彦乃と生活したそうです。清水寺に向かう二年坂あたり久夢二の寓居跡「港屋」です。
詩の中の「君」というのは彦乃のことでしょうか?どうしても夢二の恋を連想させます。
~なつかしき~ アルバム「宵待草~竹久夢二の郷愁」より
なつかしき 娘とばかり 思いしを
いつか悲しき 恋人となる
なつかしき 娘とばかり 思いしを
いつか悲しき 恋人となる
皆さま、良いお年をお迎え下さい、来年も宜しくお願いいたします