千秋楽の詳細報告は、もう少しお時間をいただかなくちゃならないので、ここらで「ちょっと箸やすめ」とさせていただきます。
私は、千秋楽の一日前の前楽19日から大阪入りしました。舞台は夜の部から拝見する予定でしたが、お昼過ぎには大阪入りして、無事に千秋楽を迎えられるようにと、舟木さんゆかりの神社に参拝してきました。
翌日20日の千秋楽には、「お出迎え」をしたいと思ってましたので19日は新歌舞伎座の近くのホテルを予約していました。偶然、そのホテルから徒歩で10分ほどのところに、ちょうど、その「舟木さんゆかりの地」があることに数日前に気づき、先ずは荷物をホテルに預けて身軽になって、向かいました。
さて、「舟木さんゆかりの地」とは…
なんて可愛い笑顔!栴檀は双葉より芳し
舟木さんの御本名は上田成幸。成幸のお名前の由来は、有名な武将、楠木正成の「成」と真田幸村の「幸」からとったということをお聞きしていましたので、大阪の陣で武功を遂げて一躍、名をあげた真田幸村にゆかりの「真田山」へ、トコトコと
ここにも紅梅がひっそりと
幸村に負けない凛々しい若武者姿
真田幸村(さなだゆきむら) 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
実名においては「信繁」が正しい。慶長19年(1614年)に開戦した大阪冬の陣で、信繁は真っ先に豊臣秀吉が生前、築城の際に悩み込んだ大坂城の唯一の弱点であったとされる三の丸南側、玉造口外に真田丸と呼ばれる土作りの出城(三日月形)を築き、鉄砲隊を用いて徳川方を挑発し、先鋒隊に大打撃を与えた。徳川勢はおびただしい死傷者を出して撤退に至った。この戦闘で真田信繁は、初めてその武名を天下に知らしめることとなる(真田丸の戦い)大坂夏の陣では、3500の寡兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込み、家康を追いつめた。
三光神社
三光神社(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神社である。天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀る。鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣のときには真田幸村が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったという。
この神社で今回の興行の盛況御礼参りと、残る千秋楽の舞台の安全と無事を祈願してきました。 →
長らく、お待たせしました。皆さんが一番お待ちかねの「お出迎え」「お見送り」の模様のお写真を、一挙にまとめてアップさせていただきます。
すべて、舟友のkazuyanさんのご厚意で、アップさせていただくものです。
寒い中、早朝から待機して下さって、気合いいっぱいで臨んで下さいました。心からの感謝を込めて
19日「お出迎え」その1
19日「お出迎え」その2
19日「お見送り」
千秋楽「お出迎え」その1
千秋楽「お出迎え」その2
千秋楽「お出迎え」その3
千秋楽「お出迎え」その4
千秋楽「お見送り」
皆さまステキな舟木さん堪能されましたでしょうか?kazuyanさん、本当にありがとうございました。